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<回想記 2005/7月上旬> 昨年の6月の下旬から7月の初旬にかけて2週間ほど休暇を取って日本へ帰国をしました。というのも日本を出た時にあまり慌ただしく飛び出したために、役所等の諸手続きやその他もろもろ残してきたものが後になっていろいろと見つかったのと、この8ヶ月間精神的にも肉体的にもかなり疲労が蓄積し少し温泉にでも行ってゆっくりしたいと想いました。 もちろん子供を連れて帰国をしたかったのですが、それもできずに一人で帰国をする事になりました。久しぶりに戻った日本はこれまでの仕事や休暇等からの帰国とはまた全く違った感覚に支配され、何かほっとしたというのかこれまでの緊張状態からすっと開放されるようなすごく心地の良いものでした。 帰国をしてからの2週間はまったくあっという間に過ぎ去り、3日間ほど熊本へ温泉旅行へいって英気を養い、あとは昼間にしなくては成らない諸手続き等をし夜になると友人や家族と食べに出かけるというような久しぶりの安らぎの時間にあてました。 そうこうとのんびり穏やかに過ごしていた休暇も残り数日となったある日の夕時のことテレビに通知音と共にフロップが映し出されて、何とロンドンで早朝にシティー付近で地下鉄とバスを狙った同時テロが発生と伝えているでは有りませんか・・・。ロンドンのシティーと言うのは東に位置し、いわゆる金融街で以前私も仕事をしていたエリアでテロリストが狙うのであれば可能性の最も大きいエリアの一つと以前から想っていました。ただ大騒ぎをしている友人や家族をよそに私はあまり驚くでもなく、やはりきたかという少し目を細めいずれは来るものが今来ただけだという想いに支配されました。これまであれだけアメリカと歩調を合わせてきたイギリスで何も起こらなかったこと自体がいつも私には不気味なくらいでしたから。911テロの時もロンドンに居たのですがちょうどオフィスが政府機関の入居しているビルだった事もあり事件後1時間以内で帰宅命令が出て帰宅したこともありましたし、海外に住むようになってからはある意味こういった危険とはいつも隣り合わせであると覚悟をしていました。こうして2週間の休暇も一瞬のように使い果たし、現実の待つロンドンへ一抹の不安と共にまた戻りました。
March 31, 2006
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<回想記 2005/6月下旬> 日本に住んでいた頃よく網を持って息子と近くの川へ魚やザリガニをとりにいきました。その川にはほんとうにあふれるほどいろいろな生き物が潜んでいてその頃まだ3歳になったばかりの息子にでもすくえばザリガニくらいはとれるという具合でした。そんな事もあり本人は自分自身をザリガニ捕りの名人だと想いこんでいるようである日「ダディー、あっ君ザリガニが捕りたい!」と言い出し「えっ・・・、ここは日本とちゃうしなー・・・。」しかもどこに行けばそのような小川にたどり着けるのかもわからずに少し考えていると。「イングランドにはザリガニいないの?」と聞かれ、確かにイギリスにザリガニなんているのかと少しわたし自身興味が湧いてきて「うーーん、ダディー分からへんけどザリガニいるか探しに行ってみよか?」すると息子も大喜びして小さなリュックに飲み物とチョコレートを詰め込んで出かける事になりました。 とにかく近くの森の方へ30分ほど歩くと小さな池の前でフナ釣りをしている人たちを見つけました。池から流れる小川まで向かい二人でじーっと何か居ないかと真剣に水中を凝視していましたが時折小魚の群れが行き来するばかりでザリガニが居る気配がありませんでした。結局1時間ほど小川を散策したものの見つけたのは小魚とかえるくらいでした。そこで私が「よし、魚釣りしてるおっちゃんにダディーがザリガニがいなかったか聞いてみよな!」というと息子もうなずき、近くで釣りをしていたおじいさんに「この辺にクレイフィッシュがいる川を知りませんか?」と聞くと「ク・ク・クレイフィッシュ??俺はこの辺で40年釣りをしとるがそんなもんは見た事ないよ。」「・・・・・・・・・・」やはりイギリスにはザリガニはいないのだろうか???
March 28, 2006
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<回想記 2005/6月中旬> 仕事を何とか定時までに猛ダッシュで終わらせて、ダッシュで電車に飛び乗り、そしてさらにダッシュで子供をピックアップするという生活が始まりました。しかし息子を迎えに行くとほんとうに嬉しそうでこれからはもう色々なところへ行かずに父親のところへ行けるのだという何か安堵感のような表情を浮かべていました。もちろん私自身も子供の安心した顔を見ると嬉しくなりましたが、最初の頃はまだこの慌しい生活に慣れずに相当疲れていたのを想い出します。とはいえこういう状況にしてしまったのは両親の責任ですし、このイギリスでは息子が私の唯一の家族でしたからしばらくすると疲労などというネガティブなものはほとんど感じなくなっていきました。やはり毎日子供の成長を見ていられるというのはほんとうにありがたいことだとつくづく感じました。 現在でもこの出勤前と帰宅時のダッシュはもう日常となっています。
March 26, 2006
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<回想記 2005/6月中旬> 子供の住所から近くなった事もあり早い時間に仕事から帰宅できた日には子供と遊んでやろうと想いました。そんな想いから、早く帰宅できそうなある日のこと彼女へ電話をしたところその日は外出をするから都合が悪いと言われました。それは仕方がないと想った私は、明日はどうかと聞くとそれも都合が悪いと言われ、不審に思ったわたしが子供を預けてどうしてそんなに外出するのかと聞くと、週に2日は趣味のレッスンそれと1日は毎週友人と出かけていると言われしかもそれはこの8ヶ月ものあいだそう言う状況だったのです。平日の3日間も息子は彼女の親兄弟のところにたらい回しにされていたのす・・・。もし夜中に怖い夢でも見て泣きながら起きてもそこには両親が居ない・・・。私は息子と過ごしたくても自由にそれができないのに、しかも日本から誘拐まがいに連れ出されて、その上裁判所へ不当な申し立てまでされ息子の大好きな日本へも1日たりとも帰国できなくされ・・・。それくらいの事をしたのだから大きな覚悟をもって息子を育てていると信じていたわたしは、心のそこからふつふつと炎のような、いえ何か大きなものが爆発でもしたかのような怒りに支配される自分を必死に抑えました。心の中で「ここでキレたら負けや、抑えろ抑えろこの国では俺には何の権利もない・・・。」と自分自身をさとしました、もし感情をあらわにして口論でもしてしまえば次は週末に息子と会うことさえできなくされてしまうと想ったからです。そして押し殺した怒りを必死で平静に装い・・・「そんなに忙しかったら俺が子供の面倒を見るからこっちに連れてきてくれよ?」と私が尋ねると、彼女もそれに同意しました。こうして週に4日から時にはほぼ毎日、息子はわたしの住まいへ来るようになりました・・・。
March 23, 2006
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今日はせっかくの日曜日だというのにあいにくの曇り空。そこで近くのパブに行きランチを食べに行きました。メニューは、ハンバーガー、フィッシュアンドチップッス、イングリッシュブレックファーストといかにもといったメニューなのですが、リラックスしながらパイントグラス(イギリスのビール用のグラス)を片手にゆっくりするのもいいものです。あいにくの曇り空パブランチ
March 19, 2006
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<回想記 2005/6月上旬>仕事もようやく板についてきた昨年の初夏の事でした。 その当時私の直属の部下の一人にOという奴が居ました。彼はナイジェリア系の移民で仕事に対しても凄く熱血漢で仕事をしながら夜、大学のコースにも通うと言うがんばりやで年齢も私と同じ、結婚していて小さな子供までいるということでよくお互い将来の事とか日常の些細な話をする友人でも有りました。 しかしそんな彼にはただ一つ問題がありました、それは毎朝の度重なる遅刻でした。わたしも最初は毎日のように遅れるなと言っていたのですが、彼から。「妻の体調が余りよくなく、子供の面倒を見ていると遅れてしまうんだ。」と伝えられるたびに、それ以上はあまり強く咎めることはできませんでした。 そんなある日の事、誰かが私の部屋をノックし招きいれるとそれは私の部署のスタッフと他の部署の責任者が数名、難しい顔をして入室してきました。入室するや否や「Oの遅刻の件ですが明らかに、ルール違反です。しかもほぼ毎日、例外は認めるべきじゃありません。解雇すべきです。」と核心に迫った話をしてきました。実は他の部署や、スタッフからの彼に対する不満はずいぶん以前からで、これまではかばって来たのですがこれ以上はかばいきれないと想った私は。「分かった今日彼に最後通告をする、次に遅刻をしたら解雇する。」と皆に約束をし、さっそく彼を呼び出し。「これ以上は遅刻は認められない、最低向こう1ヶ月は遅刻するな。」と伝えると彼も、その場で了解しわたしも彼を信じました。 翌朝、私の方が心臓をバクバクさせながら彼の到着を今か今かと固唾を飲んで時計を凝視していました。勤務時間まであと5分、3分・・・時間だけがそそくさと過ぎ去りとうとう残り1分・・・、祈るような想いで待ちました。しかし・・・タイムアップ・・・。結局彼はその日も20分ほど遅刻し、そして約束とおり解雇を通告しました。彼には小さな子供もいましたし本当に苦渋の決断でしたしそれから数日間は罪悪感のようなものにさいなまれました。 1週間ほどしてから彼から連絡があり、新しい仕事が見つかったという嬉しい知らせを受けました。それを聞いてほっとしましたが、このとき初めて人を解雇する事の悲しさを痛いほど想い知りました。二度としたくない経験でした。
March 14, 2006
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先週の末に空手の昇級審査がありました。はじめての体験で本人も緊張したようですが、何とかがんばって合格!黄帯をもらって本人もご満悦でしたが、それ以上に何かに向かってがんばりそれをクリアーできたという達成感を感じてくれているようで空手を始めてよかったと想っています。本人はもう既に次の6月の審査に向かって気合が入っているようです。押忍!
March 12, 2006
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<回想記 2005/5月下旬>この頃息子もちょうど4歳になり、何かにつけて質問をするようになってきました。いつも何かあると「なんで?なんで?なんで?」と、時には何と答えてあげればよいのかこっちが困るような質問までしてくるようになりました。子供ってこうやって色々と好奇心を持つようになるんだろうかと想ったものです。 ある春のポカポカ日和の昼下がりのこと海辺を二人で散歩していると息子が「ダディー、なんで海のお水無くなっちゃったの?」と不思議そうに真剣な眼差しで尋ねてきました。これはどう説明しようかなと少し想い悩んだ挙句に「お水は無くなってないよ、少しの間、日本の方に行っちゃったんだよ。」と答えると「えー、ニッポンに行ったー!!」と何か嬉しそうな表情を浮かべていました。 するとそれからしばらくして海辺の道を歩いていると偶然に知り合いとすれ違いました、少し挨拶をしてその場を後にしようとすると、息子が「この海のお水どこに行っちゃったか知ってる?」と彼がその知り合いの女性に自信一杯に質問しているではありませんかすると、その女性がはっとしている間に「ボク知ってるよ!!このお水はねー、ニッポンへ行ったんだよ!!」そこで私が少し照れくさそうにしていると、その女性も大笑い私も釣られて笑っていると、息子は何で笑ってるんだと不思議そうにしていました。知り合いも「よく知ってるわねー、海は大きくて広いのよ世界中につながっているのよ。」と言われて彼も嬉しそうにしていました。 子供ってなんで?なんで?と質問をするとそこで憶えた事をラジオ放送のようにそこらじゅうで人に話すんだろうなと想うと。「子供の質問には気おつけんとあかんな・・・」と、想いました・・・。
March 9, 2006
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<回想記 2005/5月中旬> うちの子はかなり戦隊物が好きで、日本に居た頃からアバレンジャー、デカレンジャーそしてイギリスへ来てからも日本からマジレンジャーのテレビシリーズをビデオ録画で送ってもらって見ていました、そんなある日彼が本屋で「ダディー、イングランドにもアバレンジャーあるよ!」と興奮しながら私のもとへ塗絵をもって猛ダッシュでやってきました。するとそこには”Power Ranger”と書かれていて、多少絵の感じが西洋風なのですがよく見ると、なんとアバレンジャーではないですか!「ダディー、これアバレンジャーやなー?」と息子に聞かれたのですが「うーん・・・・そうみたやな・・・。」ひょっとして日本のアニメなどの人気に便乗したパクリかとも想いましたが子供の手前適当な事も言えずに「よし、後で一緒にインターネットで調べてみようか?」とその場は切り抜けました。 後で調べて分かったのですが、どうやらニュージーランドかどこかのプロダクションがリメイク権をテレ朝から買い取って欧米版を製作しているとのことでした。しかもこちらの子供達の間でも大人気でどうやら10年ほど前からすでに歴代のレンジャーがリメイクされていたようです。しかし戦闘シーンに日本で撮影した映像をそのまま使用するなど結構コストを抑えているのは笑えます。最近ではようやくデカレンジャーのリメイクが始まったようです、およそ日本の2年遅れの放映ですね。
March 8, 2006
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<回想記 2005/5月中旬> 引越しの後しまつも終え、エセックスでの生活も日常と成り始めたある日のこと息子がぱっと「ダディー、あっ君日本に行きたい!」少し驚いた私の顔を真剣な眼差しで見つめながら「あっ君じーちゃん、ばーちゃん、おっちゃん(弟)に会いたい、ゴンちゃん(近所の犬)も会いたいカブトムシも欲しい!」と私に尋ねてきました。そう言えば、母親に突然イギリスへ連れてこられてからもう半年以上経っていたので無理も無いと想いました。「よしダディーが、晃とダディーがニッポンへ行けるようにマミーとお話してみような。」と言うと「うん!」と大喜びしていました。しかしこの時既に、私が息子を国外へ連れ出すには裁判所への許可が要り彼女の訴えでは日本の裁判所が外国籍の親に対する権利を尊重しないというようなことを理由に挙げていました。しかもその情報が東京の英国大使館から出されたもので、イギリスの地方裁判所も信憑性を認めたようでした。しかし、私には子供を最初に無断で彼女やその家族に突然、連れ出されたという事実がありましたし彼女は日本で一切、裁判をしたわけでも無くましてや私とそういった法的な話すらしていませんでした。これではテロリストとやっていることは変わらないはずです。私も最初は子供が母親と生活すると言うのはある意味わたしも賛成でしたが、子供にはしっかりと2つの文化や自分のバックグラウンドを感じて成長して欲しいと想っていましたのでこの事だけは1日も早く解決しなくてはならないと想っていました。しかしこの頃すでに彼女は日本国内では自分のした事が犯罪になるという事を意識していましたしそうは簡単に子供との帰国は認めないだろうと言うのは予想していました。とはいえ私にも優秀な弁護士を雇えるだけの予算は有りませんでしたし、下手に争い負けてしまうと子供と全く会えなくなる可能性もありました、まさに八方塞の状態でした。しかしこの件については彼女と話そうと想いました、私の息子に対する想いを理解して欲しいと想いました。 何とか息子の想いを叶えて再び日本の地を父子共に踏みたいと強く想いました。
March 3, 2006
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<回想記 2005/5月中旬> 引越しを済ませてまず第一にした事が、BT(ブリティッシュテレコム)へ登録してすぐに固定電話を設定してADSLを申し込みました。これまで友人へのメールはおろか、あらゆる情報を集め様にもすべが無くかなり不便していました。情報がないという事がこれほど不便で、不安なものなのかとこの頃に身をもって思い知りました。 そしてもう1つの利点はなんと言っても子供との距離が徒歩10分となり、仕事の帰りにはじめて彼らの住まいによって息子の寝顔を見に行く事もできました。以前まだ家族で日本に住んでいた頃は仕事から帰ると子供の寝室へよく寝顔をみにいくのが習慣となっていましたので、毎日ではなくともこれから少しずつ子供と接する時間も増やせるだろうと手ごたえを感じました。 引越しをしたその週末には初て息子が私の住まいへ泊まりにやって来て、窓からの景色を見て「うわー!ダディー海が見えるー!」と大喜びしていました、追い討ちをかけるように「ほらここは、晃のお部屋やぞ!」と2つのベッドルームのうちの1つを彼の部屋にしてやりました。以前日本に居た頃から彼は自分の部屋がありましたので、私が自分の住まいを見つけたら彼にも1室あげようとこちらに来てからずっと考えていました。 結果的にこの引越しで少しの蓄えは無くなってはしまいましたが、その他の面では大きく改善できこれはほんとうに大成功でした。
March 2, 2006
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<回想記 2005/5月上旬> 部屋が決まった翌日から少しずつ大きなスポーツバッグに荷物を詰め込んで出勤し、帰りに新しいマンションへ荷物を持ち込みと隔日ごとに2つの住まいを行き来しました。まだこのころ殆ど持ち物が無く、10日間ほどそれを続けると荷物も全て運び終えてしまいました。以前の住まいのものは殆どが友人の使わないものを貸してもらっていたのであまり気になりませんでしたがいざ運び込んでみるとそのあまりにも持ち物の少なさに、部屋はガラーンとし少し寂しくなりましたがその時の心配はどこへやらその後なにやらかんやら物が増えつづけていきました・・・。 こうしてテレビもテーブルも殆ど何も無いような状況で新しい住まいでの生活がスタートしました。
March 1, 2006
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