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<回想記 2005/1月中旬> 昼前に日本大使館の近くにあるグリーンパークの駅で待ち合わせしていた私たちはその足でまずは昼食をとるために”祭り”という日本食のレストランへ行きました。私は今日ここで何か大きく前進するのではないかと言う大きな期待がありましたし、当時まだ3歳であまり状況の分からない息子は久しぶりに両親と出かけている事が嬉しかったらしくご機嫌でした。しかい彼女の方は、日本大使館ということで少し緊張はしているようでしたが・・・。 約1時間ほどゆっくりと食事をした後そこから10分ほど歩いて大使館まで辿りつきまた。その時ふと、前回このイギリス日本大使館へ来たときのことを想いだしました。それはちょうどまだ子供が1歳になる少し前で家族3人で日本へ正月休暇で帰国するために子供のパスポートを申請しに行った時でした。何か本当に天と地の差だなとは想いましたが、そんな感傷に浸っているわけにもいかなくすぐに現実の状況にだけフォーカスしました。 そしてあの911テロ以来厳しくなった、少し物々しいセキュリティーチェックをパスして短い階段を上り中へと進みました。この時私の何か少し楽観的な感覚とは裏腹に彼女はどうこの件に対してどう受け入れてそして準備していたのかなどその時の私には知る由もありませんでした。そこで少し微笑みながらたたずんだ私と息子はただただ愚かだったのでしょうか・・・。
January 31, 2006
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2、3日前から平仮名の書き取りの練習を始めました。学校では今、英語での読み書きを習い大分じょうずになってきたようです!「脳みその柔らかい今だ!!」とばかりに日本語のほうも同時進行で取り掛かりましたが、あーやっぱり若い脳みそはなんでもスポンジのように吸収していく・・・・羨ましい・・・・・とはいえまだまだ取っ掛かり、このまま楽しいんでがんばってほしいものです!!
January 27, 2006
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<回想記 2005/1月中旬> 話し合いをしたその直後から少し心に引っかかつていた事がありました。不安と言うものは不思議なもので一度気にしだすと急激に大きくなりだし、いつの間にか私の心を大きく覆ってしまいました。その不安と言うのは私が彼女へ出した2つ目の条件である、私の休暇やその他の機会に子供を連れて日本へ帰国できるという条件でした。それを伝えた時の彼女の顔の曇り具合を私は見逃しませんでした。 私にも勿論、彼女は無断で子供を日本からイギリスへ連れ出した事で、もし私が同じ事を仕返したらという事に怯えていることは分かっていました。しかしそのような理不尽な理由と言うのか、彼女の都合で息子や私の人生まで左右されてはたまらないと想った私は何か良い方法は無いものかと考えました。そして一まず彼女に電話をしてこの件で彼女がどの部分に一番不安を持っているのかを、あらかじめ確認した上で法的な部分を英国日本大使館へ尋ねてみようと考えました。確かにその時このような私的なことに大使館が協力してくれるという確信はありませんでしたが・・・・。 そう決心した私はすぐに彼女へ電話をしもう一度2つ目の条件について話してみたところ彼女から意外なことを告げられました、それは。「日本の法律は親権に関して外国籍の親に差別的である。」というのです。それはもしも私が子供を日本へ連れて帰国して心変わりをしてイギリスへ戻らなかった場合、外国籍である彼女には子供と会う権利さえなくなると言うのです。わたしは「そんなアホな話は無はずや、すぐに俺が大使館にアポを入れるから法的な話を聞きに行こう?」と言うと彼女のほうも納得しました。結局大使館のほうへ電話で事情を説明するとなんと領事さんが直々に話を聞いてくださることになりました。 しかし私の不安はそれ以上その時点では大きくなることはありませんでしたが、消え去ることもありませんでした。
January 26, 2006
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<回想記 2005/1月上旬> その朝話し合いをするべく彼女達の住むエセックスの方へ出かけました、日本から念のために持ってきた離婚届を携えて・・・。 土曜日の朝という事もあり乗客もまばらな電車に揺られながらあれこれと考えていましたが、とにかく子供もその場にいるわけですから冷静に落ち着いて、どういう流れになっても昂ぶったりだけはするなよと自分自身に言い聞かせました。 程なく彼女達の住まいに到着し例のごとく息子はわたしに飛びついてきて、はやく遊ぼうと催促してきました。「ダディーとマミーは少しおはなしするから、少しの間そっちで遊んでおいて。」と彼にお願いしましたが「えー、あっ君いややー」と返してきましたが、私の顔がいつもと違って真剣だったからでしょうか、彼も渋々隣の部屋に行っておもちゃで遊び始めました。 その場に子供が居たことと、今回が初めての話し合いであることを考慮して今日は私が譲れない2つの項目を伝えてそれについて彼女に考えてくれと伝えました。その場で彼女のほうは私の条件の1つである子供がいつでも両親と会える状況ということには同意しているようでしたが、2つ目の条件へはかなり難色を示しているのが見て取れました。 今日はここまでにしたほうがいいと想った私は、3分おきに「ダディーまだ?」と催促してくる息子を連れて、また2時間ほどかけてドックランドへ戻りました。
January 25, 2006
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<回想記 2005/1月中旬> 年も明けた昨年、05年1月早々に私は意を決して離婚に際する条件を話し合うことにしました。特に私たちの場合は国際離婚という二国間をまたがったもののうえに、子供までいましたので相当細部にまでお互いに話し合うことが必要であると想ったからです。しかもかなり複雑で長引く事も予想できましたので出来るだけ早い方がいいとも想いました。この離婚に際する話し合いの前に私の中でいろいろと葛藤し、悩み考え抜いた末にどうしても譲れない条件が2つありました、それは1.子供が両親といつでも会えるようにような状況であること。2.子供にとって日本とイギリスの両国に家族があるわけなので、自由に二 国間を行き来できること。 離婚に関するその他、二国の詳しい法律はその時点では私には全くと言って良いほど分かりませんでしたが、それがどうれあれこれは大人が引き起こした責任、子供にはこの二つの権利だけは絶対に確保しなくてはならないと堅く心に誓いました。とにかく子供には将来の可能性という窓だけはいつも開いている環境だけは創ってやらなくてはと心に誓いました。
January 24, 2006
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<回想記 2005/1月上旬>週末に息子が私の住まいへ来るようになってからいつかはこういう事も起こるだろうと想っていたことがついに起こってしまいました。 ちょうど正月3が日最後の日のこと朝から息子が少し静かで元気が無いように見えました。大丈夫かと聞いても「うん」と頷くばかりで朝からいつものように私と遊んでいました。昼になり昼食もあまり食べずいよいよ怪しい気配になりもう一度、私が大丈夫と聞くと。「あっ君しんどい・・・」と言い出し顔の表情もどこかどんよりして、額に手を置くと熱があるのはすぐに分かりました。すぐに熱を測ってやりたかったのですがその頃まだ私も何も持っておらず熱を出した子供を連れて外へ買い物に行く事も出来ずに困っていました。こういう事態になると自分自身が冷静で居られるのかと以前から少し不安に想っていましたがいざ直面してみると以外にも冷静な自分がそこにはいました。 一先ず冷蔵庫をチェックしてみると先日ウォッカの水割り用に買っておいたレモンとライムがかなり余っていたのが確認できて一先ずホッとしまた。「よしこれでビタミンは採れる。」そのほかにも餅や米といった炭水化物もあったので子供をベットに寝かしすぐにおかゆを作り始めました。10分ほどして子供の額に手を置くと「えっ」と驚くほど熱は上がり、彼の表情も朦朧としているのが見て取れました。少し動揺しそうになったその時、以前日本に住んでいたとき息子がいつもお世話になった小児科の上田先生のアドヴァイスを思い出しました。子供が高熱を出したとき、四肢を触り冷たい時は寒がっているから保温し、全身が熱いときは服を脱がせて熱を逃がすというものでした。脱水症状にならないようにレモン水を時々飲ませながら、アドヴァイスに忠実に冷やしたり保温したりを必死で続けました。息子もかなり苦しそうでしたが、私のほうも彼の額のタオルを代えながら少し転寝をしてしてしまいましたが30分くらいでまた目を覚まし彼の額や四肢に触れてみると熱は大分下がっていました。パッと時計へ目をやるともう朝方の3時を回っていました。「ふーっ」と一息ついたとき、息子が目を開けてわたしに「ダディーあいしてる」と言ってまた眠りました。その瞬間私の目からは涙がとめどなく流れ、本当にイギリスに来て良かった。こいつのこの一言が聞けて本当に良かったと、ただただ泣くことしか出来ませんでした。ほんとうにこの時彼には、君がこんなに辛いときに君の両親がそばに居なくてごめんね、という気持ちで私の心はいっぱいでした。
January 20, 2006
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<回想記 2005/1月上旬> 子供に対して親が愛情表現をすると言うのはそのスタイルが様々であれ万国共通であると想います。そういう私自身も国際結婚をして子供ができた時からある一つのことに悩んだ時期がありました。それは英語での「I LOVE YOU」という愛情表現を日本語でどう子供に言葉にして伝えるかということでした。イギリス人である彼女はそれは子供に対して事あるごとにI love youなどと自然に出てくるわけで子供が赤ん坊の頃はあまり気にしなかったのですが、子供に物心がつきはじめてからは意を決して・・・少し照れくさかったのですが・・・・「あいしてるよ」と伝えるようにしました。最近では日本の祖父母との電話の最後には「ばあちゃんあいしてる!」とか「じーちゃんあいしてる!」とか言っていますが、私の両親の方はうれしいのですが少し戸惑っているようです・・・。私の周りにはあまり日本人の家族がいないのでよくわかりませんが、最近の日本の家庭では子供に対してどういった愛情表現が一般的なのでしょうか?
January 17, 2006
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<回想記 2005/1月上旬>「しかしイギリスで元旦に黄な粉もちとはしっくりこんなー・・・」とは想いましたが当の息子はグニョグニョ柔らかくてのびるもちや、久しぶりに食べるそばや日本のお菓子にご満悦でそれも手伝って、少し前までの日本での生活を想い出したらしく「ダディー、日本みたいやなー!」とつたない日本語で喜んでいました。とはいえ外を見れば景色はイギリスの町並み、何とか元旦くらいは息子に日本を満喫してもらいたかったので、よし次は折り紙、・・・ドラえもんのDVD、アンパンマンのDVD・・・・とあの手この手で日本に触れてもらい、元日は何とか日本尽くしで終了できました。当の本人がすごく喜んでくれたこともあり、私もこの環境で出来る限りのことは出来たなと充実感があり、少しずつ積み上げていけばいいのだと自分自身に言い聞かせました。
January 15, 2006
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ついさっきイギリスのほうへ戻ってきました。皆さんは年末年始いかがお過ごしでしたか?私はというとやはり食べまくりの日々を過ごし帰国2日目にして体重も3キロも増え贅沢三昧でした・・・・・とはいえ20年ぶりに幼馴染み再会して乾杯したり、以前ブログで書いた結婚破棄になった友人が困難を乗り越え遂に今春同じ相手とゴールインや、以前の職場の先輩も婚約そして滋賀の野洲高校がセクシーフットボールで全国制覇と本当に幸先の良いスタートを切った06年!私も今回の帰国は息子と行きたかったのですがいろいろと理由があり叶いませんでした・・・・それに関してもこれからの回想記で経緯を書いていきたいと想います。しかし本当に最高のスタート切った06年皆さんの幸せ、そして息子とわたし自身の幸せを切に願いいざ始まらん!!!!!
January 12, 2006
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