フリーページ

2016年02月07日
XML
テーマ: ニュース(100344)
カテゴリ: 社会問題
 テレビで政府を批判するような発言をしたニュースキャスターが次々と番組を降ろされることになった放送界について、1月21日の東京新聞社説は、次のように論評している;




 テレビ朝日「報道ステーション」のメーンキャスターを務める古舘伊知郎さんが降板する。同じ3月末にはTBSの「NEWS23」のアンカー岸井成格(しげただ)さんも…。NHKの「クローズアップ現代」のキャスター国谷裕子さんの降板も検討されている。

 相次ぐ降板報道が、さまざまな臆測を呼んでいる。政権に批判的だったからではという風評もある。確かに古舘さんは記者会見の場でも「キャスターは反権力の側面がある」と語った。岸井さんは安全保障関連法案に対して「廃案に向けて声を上げ続けるべきだ」と発言したこともある。国谷さんは集団的自衛権の問題で、菅義偉官房長官に鋭い質問を浴びせたことがある。まさか三人の降板が権力からの圧力や自制の結果ではないことを祈る。

 しかし、著名なキャスターの降板は、放送界が政治報道に萎縮しているのではないかという印象を与えることは間違いなかろう。

 そもそもNHK会長人事が「首相のお友達を据えた」と言われた。一昨年末の衆院選のときは、自民党が在京各局に「公平中立、公正の確保」を求める文書を出したし、昨年にも任意にせよテレビ朝日とNHKの幹部から事情聴取している。権力の動きもまた目立っているからだ。

 政治報道の番組はストレートなニュースが中心で、 「解説や評論が減った」 という声もある。 「政治そのものが扱われなくなった」 という声も聞かれる。事実ならば、自由闊達(かったつ)であるべき放送ジャーナリズムの衰退である。

 もし政権の意向を忖度(そんたく)したり、報道内容を自粛したりしているならば、放送による表現の自由を定めた放送法の理念にもとる。

 同法一条の「不偏不党」の言葉の意味は、言い換えれば 「自立」か「独立」 である。 それを保障するのは公権力 の側である。

 「政治的に公平」という言葉も、自由であるからこそ、自律的に公平さを保ってほしいという倫理規定にほかならない。権力から離れ、自らの掲げた理想を目指し、自らの理性に従って権力を監視するのである。

 テレビが政治的に元気でないと、この国の民主主義も元気に育たない。


2016年1月21日 東京新聞TOKYO Web 「【社説】キャスター降板 何が起きているのか」から引用

 毎年3月は年度末だから、新年度から新しいスタートを切るために古い番組の出演者を交代させるというのはよくあることだが、最近のように政府与党が露骨に報道機関に圧力をかけていて、しかも交代する人物が政府批判を口にしたことがあるとなると、これは、誰がどう見ても放送局側が政府与党の意向を忖度した結果であると考えるのは当然だ。もし、少しでも実際に与党から「介入」があったのであれば、これは重大な事件として報道するべきであるが、さすがの安部政権もそこまでドジなことはしていないのかもしれないが、放送局の幹部が自民党に呼び出されて説明に出かけるなどということも、放送法に照らしていかがなものか、もっと新聞は追求するべきであった。










お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう

最終更新日  2016年02月07日 11時45分29秒


【毎日開催】
15記事にいいね!で1ポイント
10秒滞在
いいね! -- / --
おめでとうございます!
ミッションを達成しました。
※「ポイントを獲得する」ボタンを押すと広告が表示されます。
x
X

PR

キーワードサーチ

▼キーワード検索

プロフィール

佐原

佐原

コメント新着

捨てハン @ 潰れそうな新聞なら東京、朝日、毎日が挙がるかなぁ >全国紙は世論のありかを明らかにし、国…

© Rakuten Group, Inc.
Create a Mobile Website
スマートフォン版を閲覧 | PC版を閲覧
Share by: