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なぜ新聞を読むのか。「試験に出るから」「社会人として、社会の動きを知っていないと恥ずかしいから」など、一方的な情報収集の手段と考えられる傾向が強まっているように感じる。ダメ出し会議では「子どもに新聞作らせたら?」「読者がもっと参加できたら」「投書欄充実させるのも手」「見出しで内容もっと詳しく」など、読者とともに作る新聞が念頭に置かれている。そのためには「分かりやすく」も強く期待されていることがうかがえる。
投稿欄には重要な指摘が多い。「『開かずの踏切』改善を」(19日5面ミラー)は、前の駅に到着もしていない電車のために踏切が閉めっぱなしで、25分も足止めされたことを伝えた。投稿をもとに記者も取材し、事態の改善につなげることこそ、新聞の存在意義ではないかと思う。
先日の雪では駅ホームへの入場制限で、改札口から一時間以上一人も入場させないことに、外国人と思われる乗客が「一人も入れないのはおかしいよ」と駅員に詰め寄る場面に遭遇した。これに対し「他の方もお待ちなのでお待ちください」との返答。一個人の苦情は無力だ。納得のいく説明をせず多くの人をひたすら待たせることは許されるのか。こうした些細(ささい)なこともぜひ追及してほしい。
「退屈なニュース番組」という高校生の投稿 も鋭い指摘だった(20日5面ミラー)。米国のニュース番組ではアナウンサーとゲストの熱いディスカッションを楽しめ、自分の意見を確立させることもできるという。日本のニュース番組は、 社説「キャスター降板 何が起きているのか」 (21日)で、「自由闊達(かったつ)であるべき放送ジャーナリズムの衰退」が懸念されている状況。 公平中立ばかりでは、自分の意見を確立する手助けにはならない。 ニュース番組がそのような状況であればなおさら、新聞は記者も、読者も、有識者も、自由にものを言える場であってほしい。
皆が意見を言えるようにするには、情報をわかりやすく伝えることが重要。 英政府発行の書類には、平易な英語を使っている旨が記載されていた。専門用語の多用などで読む気をなくし、意見や批判が出なくなることを避けるねらいだ。自分の意見を持ち、自由闊達に議論できる人を育てるため、子ども向けの分かりやすい新聞の刊行も検討いただきたい。
(日本総合研究所主任研究員)
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