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11人の判事たちのぶつかり合う個性と議論を通して裁判が問い詰めたものに迫ります。公式記録以外にも判事たちが残した手紙、日記、覚書などの発掘資料をもとにカナダ、オランダと共同制作したドラマです。
焦土と化した東京の風景や、法廷(東京・市ヶ谷にある旧陸軍省大講堂)、証言席の被告の様子などは着色した歴史フィルムを使い、俳優たちの演じるドラマの合間に挟んでいます。違和感なく融合していました。東条英機被告の戦争責任への無自覚な証言ぶりが際立っています。
11人の判事は、米ソ仏英豪中蘭印、ニュージーランド、フィリピン、カナダから派遣された法曹や軍人です。戦勝国と日本の侵略を受けた国との違いが判事の見解にも表れます。
ドイツ人の女性ピアニストやドイツ文学者の竹山道雄との対話から考えをまとめようとするオランダの判事・レーリンクや、本国(豪州)から召還されそうになるウェッブ裁判長の去就なども織り込んでいます。
◆隠れた部分
フランスのベルナール判事の発言は大戦の隠れた部分を表出させました。彼はナチスから死刑宣告された経験があるのに、「植民地主義は場所によっていいものだ」と話します。理由は「国民が文明的な政府を持てず、まともな生活をできない地域では」是認されるのだと。これをフィリピンの判事は「植民地にふさわしい地域などない」と制止します。西欧とその植民地になったアジアが一緒になり、日本を裁くことの複雑さを示す場面でした。
インドのパル判事は、「平和への罪」(侵略戦争を起こした罪)は極東国際軍事裁判所条例で初めて明記されたもので、戦争が始まる前にはなかった概念であり、事後法で裁くことは問題だとして25人の被告全員の無罪を主張します。
これに対しレーリンクは法廷で聞いた戦争犠牲者らの証言に突き動かされ、「日本が戦争を始めたときに侵略戦争が犯罪ではなかったからという理由だけで、彼らを無罪にするようでは、国際法は前進しない」と反論します。
『パル判事』(岩波新書)の著書がある中里成章東大名誉教授も同書のなかで、「東京裁判はあるべき方向へ国際法を前進させるワン・ステップ」になったと指摘しています。
◆歴史的意義
国際社会では第1次世界大戦の惨禍をまのあたりにして反戦の機運が高まり、自衛戦争以外の戦争は違法というパリ不戦条約(1928年)が結ばれ、戦争を違法とする考えが勢いを増していました。 パルの見解は「19世紀的な後ろ向きのもの」(中里前掲書)でした。
昭和天皇の戦争責任や広島、長崎への原爆投下にふれないなど、 東京裁判は不十分な面はありますが、日本の侵略戦争を断罪したという歴史的意義は損なわれません。
国際刑事裁判所が設立(2002年)されて、「平和への罪」を裁いた東京裁判が築いた到達は受け継がれています。
他方、戦争犠牲者たちが自らの正義の回復と戦後補償を求め続けて悲痛な声をあげる姿を見れば、東京裁判後に積み残された課題は小さくありません。
<神田晴雄記者>
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