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水戸の安ホテルに着きました。金もないし、ドキドキするようなお店もないし、やっぱりホテルの部屋でやってます。 「寒さば水煮」の缶詰が一番旨いッス。 Pleさんの「古代史よもやま」読んで、素盞嗚氏の古代史熱がムクムクと湧き上がってきましたゾ! で、すでに2リットルぐらい呑んでんですが、「資料批判」と「原文改定」についてやってみます。以前にも、魏志倭人の考察でこの問題を取り上げたんですが、今回は隋書を題材に書きます。最近、あの「日出づる処の天子」たる「タリシヒコ」が、隋書では「多利思北孤」と書かれていることから「タリシホコ」と読むべきことを書きました。その隋書で、倭国のことを書いている章を一般的には「隋書倭国伝」と言わされていますが、写本、版本を見るとこう書いてあるんですよ。 当用漢字にないし、ココで変換もできないんで、この字、覚えておいてくださいね。人偏にスゥーチョンチョンチョンの女、この字、北朝(隋・唐)音で「タイ」、南朝「宋・斉・梁・陳」音では「ツイ」って発音するんです。隋書なんで当然「タイ」と読むんですが、その意味するところは間違えなく「倭」のことなんです。それをなぜか「タイ」を書いている・・・・なぜか?この問題について各学者はほとんど検証らしい検証をしてないんですね。実に簡単に「タイは倭の誤記」・・・これで済ませてます。確かに「タイ」と表記されている国は前後の文章からも「倭国」のこととイコールなんですが、問題は単純な誤記なのか、それとも何か意味があって「タイ」と書いているのか・・・・この考察を省いているのはこれまでの研究者の怠慢と言わざるを得ない!「隋書タイ国伝」にはこんな記事もあるんです。あの金印で有名な「漢委奴国」、その「委奴国」を「タイ奴国」と表示してるんです。この隋書が書かれた遥か数百年前から中国の識者には確かに認識されていた「倭国」を、隋書の編者がこの国(倭国)を認識しておらず、うっかり「倭」を「タイ」を誤記するなんてことは絶対にあり得ない!ではどういうことか・・・・そう、隋書の編者は意識的に「倭」を「タイ」と表記した!これだ。ではなぜ?文献学を研究する立場の研究者はこのような思考にならなくてはならない。なぜ、「倭」を「タイ」と表記したのか?「タイ」とはいったいどういう意味なのか?素盞嗚氏はこれについて何年も前から深く考え抜いてきた。確証はないけど、どうも少し見えてきたんでこれを明かそう♪ ううう、とどめは芋焼酎の水割り(缶)・・・・出張疲れもあるんで今日はここまで♪SEE YOU NEXT TIME
Aug 28, 2007
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現在小松空港でーす!ここの待合は無料の無線ランが使えるんです。ちゅーことで少々仕事が早目に終わったんで、のんびりとPCのキーボードを叩いております。これから羽田に戻って、んで常磐線に乗っかって茨城は水戸に向かいます。8時ぐらいには着きますかね。そうそう、今朝の金沢、すんごいカミナリでした!タクシーの運ちゃんに聞いてみたら、この時期、この辺りは随分多いらしいっすね。んでね、冬の初めにもカミナリ鳴るんですって。なんでもカミナリが鳴ると漁師が喜ぶんだと・・・・カミナリ鳴るとブリがはしゃぐそうな。んで、冬のカミナリは「ブリおこし」って言うんだそうです。 えー、普通の日記になってしまいました・・・水戸についたらもう一回書きますかね。外に呑みに行く金もないし・・・・ いよいよ小出し・・・・もとい、古代史っす。 SEE YOU NEXT TIME
Aug 28, 2007
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お盆が空けたら滅法忙しくなったぞ!長崎ではホテルでバタンキュー・・・・挙句に風太氏にブログジャックされるし・・・今日は石川県、明日は茨城・・・・寸暇を縫ってエチ一家に逢いに行ったら・・・・・ オメーは沖縄のシーサーかぁ!玄関の前でダレてんじゃねーぞ! おぉ!?サッシ越しに見えるのは・・・・ なはぁ♪お初がちゅぱちゅぱしとる!なかなか珍しい猫の授乳シーンだぁ! ゲゲ・・・・おさよ、お前もかぁ・・・・ううう・・・・アタシも・・・・・ いよいよ4匹揃いましたぞ♪それにしても相変わらずイジけてるエチでした・・・ えー、ぜーんぜんやってない古代史・・・・随分前に予告した「資料批判」と「原文改定」について。必ずやりまする・・・・そうそう、日本書記の下巻、手に入れました♪また改めて壬申の乱辺りのところをじっくりと眺めてます。 うーーーーん・・・さらなる疑問がザックザク・・・これだから止められましぇん♪ さて明日は朝から2本の講演ッス。準備せねば・・・・イッパイやりながら♪SEE YOU NEXT TIME
Aug 27, 2007
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今夜は長崎です。おいらはへろへろです。また呑んだくれてしまいました。こんなおいらがこうして飲んだくれていられるのも風太氏のおかげです。今夜呑んだくれたのはニールヤングのバックバンドと同じ名前の“クレージーホース”というロック酒場です。店のマスターと常連さんにまぎれてストーンズを3曲叩きました。そのライブの模様は風太氏のブログに掲載される予定です。そうです、風太氏も一緒だったから・・・ 飲んだくれのスットコどっこいのおいらはきっとみなさんにご迷惑をお掛けしてる! と 思いますがなんちゅうか、まあよろしく出す! へへ~んだ、 スサのブログから風太様が勝手に書きました。当のスサはホテルのHビデオを・・・? あれ、チャンネルかえたん? 見ていません。 長崎からのライブ中継でした。 “ねえ、スサ君、今夜は優しくしてね!” では、おやすみなさい。
Aug 23, 2007
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横浜の伝説、WHOTAがついにYOU TUBEに登場!動く素盞嗚が見れるぞ!全4曲。素盞嗚君のお気に入りはこれだ!荒野をめざして 2分で短いんで聞くべし!一番右が素盞嗚君だ。15年ぐらい前ッス♪ そして5月のライブがこれだ。WE ARE SAILING 他の2曲も見逃すな! 近日中のホームページもアップするぞ!9月には「オヤジバンド」にも応募。WHOTAもついにメジャーだぁ! 古代史の文献批判は次回♪SEE YOU NEXT TIME
Aug 20, 2007
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愉快な越後屋一家、お初の誕生で越後屋はさらに存在感が薄くなっとります。お吟はお初のそばに越後屋を寄せ付けないけど、おさよはお初とよく遊んでます♪ あんなに小さかったおさよが随分大きく見えますよね。あんまりいじめんなよぉ! してふーちゃんからいただいた猫じゃらしでもおさよはよく遊ぶんです♪ 一方この男は・・・・ お吟にも、子供たちにも相手にされないもんだから、 ついに浮気・・・・見知らぬメス猫と日陰で愛を語っておりました・・・♀猫「あんたぁ、おとなりのすーさんとこで たんまりエサをもらえるらしいじゃないの、 アタシも連れてってよ♪」エチ「いけねぇ、いけねぇ、 あそこはおっかねえお吟の縄張りだ。 しかもお吟はすーさんに首ったけ・・・・ オメーなんかが行った日にゃ何されるか わかったもんじゃねーぞ。」 ってなワケで性悪エチになぜか新しいオナゴが・・・ 素「ふっふっふ、エチよ、 今度お前の浮気相手に会ったら、 オメーがお漏らししちゃったことバラしちゃうからなぁ♪」 ここ2、3日お初の姿が見えなくなりました。多分、あんまり暑いんで、お吟がもっと涼しいところに連れて行ったんでしょう。素「おぎーん、 早くお初を拝ませてくれーい!」 えー、次回から古代史復帰します。文献批判のいろは、原文改定の是非について解説します。こないだ少し触れた隋書をもとにやってみます。SEE YOU NEXT TIME
Aug 16, 2007
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たけしが言ってたけど、 この男、 こいつに似てるそうだ・・・・・ ・・・・・・ 水呑むか? 「いいちこ」ごときにやられちまったワイ・・・・ SEE YOU NEXT TIME
Aug 14, 2007
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嫁す「あんたぁ、お盆は実家に帰るからね。」す「あれ?1号は受験だろ?」嫁す「あんたが面倒みてよ! アタシは2号と二人で行くから♪」す「・・・・・ えーと、メシとかは?」嫁す「あんた、やっといてよ!」す「掃除とか洗濯も・・・?」嫁す「あんた得意じゃないの、 仕事も休みでしょ?」す「んと・・・仕事なんスけど・・・」嫁す「とにかく明日から行くからね、 あと、よろしく♪」す「・・・・・」 ちゅーことで、11日から受験生の1号君と二人の生活が始まりました。朝は5時半起床。前夜の洗い物からスタート。(夜は泥酔で洗い物ができない・・・)干してある洗濯物を取り込んで、次に朝飯の準備。男は朝からパワーだぁ!ちゅーことで、スタミナやきそば♪す「こらぁ!1号! 起きんかーい!」7時にメシ喰わして、シャワー浴びて、オフィス素盞嗚に出勤。越後屋一家と戯れながら、19時まで仕事。帰りに買い物。野菜たっぷり、肉たっぷり!スタミナ肉野菜炒めだ!だぁ・・・・イカーン、米炊くの忘れたぁ!・・・・・今日で3日目。家事と仕事の両立ってーのは難しいモンだね。アタシャ、働いてるお母さん、尊敬します。 かあちゃーん!早く帰ってきてくれよぉ・・・ SEE YOU NEXT TIME
Aug 13, 2007
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はーい!お吟におさよぉ♪ミルク呑むかぁ!・・・・・あれ、出てこない・・・・越後屋一家はたまに出張に出る。ん?何やら動くものが! おぉ、お前はお初!?お、お吟!お前、赤ちゃんを置いて行ったのか!かどわかされちゃったらどうすんねん!・・・・ううう・・・かどわかしたーい!・・・・・回りに人影・・・・もとい、猫影はなし・・・・どれどれ、もっとその顔を見せんかーい! おおぉ!かわゆいのぉ♪ほれ、もっと顔を上げんかい。 うきゃー!か、かわゆい♪とてもこやつの子とは思えんぞ! ほれ、近こう寄れ! ふんぎゃー!・・・・い、いかん・・・・お吟が戻ってきたぁ!吟「すーさん、アンタあの子に何かした?」素「め、めっそうもない・・・ ただ眺めてただけッス・・・」吟「まったく油断も隙もあったもんじゃないよ!」素「すんましぇん・・・」 ちゅーことで全貌が明らかになったお初。今はおさよとジャレ合っとりまする♪あー、イカン!もう昼だ!し、仕事がぁ・・・・ SEE YOU NEXT TIME
Aug 9, 2007
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エチ「なぁ、お吟よ。 オレはどうにもあの素盞嗚って野郎が好きになれん!」吟「はん!エサもらってんのに 何言ってんのよ」 エチ「そうは言っても、あの野郎、 チット隙を見せるとすーぐひっぱたきやがる・・・」吟「そりゃーあんたが おっかない顔してるからじゃないの?」 吟「こんな顔してたら絶対 ナゼナゼしてもらえないよ」エチ「・・・・」吟「大体エサ喰ってる時の猫の顔ってーのは 目ぇ閉じてかわいいモンなのに、 アンタのこれ何よ!」 さよ「とーちゃん、おっかねぇ・・・」 エチ「ところでお吟よ、 まさか素盞嗚の野郎に ややこは見つかってねぇだろうなぁ?」吟「あの子はアンタみたいに醜くないから、 すーさんだっていじめやしないよ」 素「何、お吟! ややこの姿がなかなか見えないんで、 まさかもうこの世におらんのかと思って心配しとったが、 いい塩梅に育っておるのか?!」吟「すーのダンナ、 心配かけてすまないねぇ。 ややこは元気に育っておりましゅる♪」 素「そうか!でかしたぞ、お吟! してどこにおる?」吟「ほれ、あそこに・・・」 素「ううう・・・ よく見えんぞ!」吟「ではこれでは?」 素「おぉ、なんとなく見えたぞ! 白と茶と黒のブチか?」吟「はい、でもあんまり近づかないでくださいよ。 まだおぼこゆえに恥ずかしがっておりまする。」素「わ、わかっておるが・・・・ え、えーい!もっと見せんか!」 素「おぉ、小さいのぉ♪ 手を動かしおる!」吟「これが限界でございます。 もうしばらくすれば、 ミルクも呑みに伺いますゆえ♪」素「早くダキダキしたいものよのぉ♪」 ちゅーことで、心配してましたややこ、ついに発見しました!残念ながら1匹だけのようですが、元気に育っているようッス♪あんまり近づくとお吟がおっかねー顔するんで、まだこれぐらいしか写真に撮れないけど、その全貌が明らかになる日は近いと思います。まだオスかメスかわかんないけど、また名前を募集しまーす!オナゴだったら「お初」にしようかと思ってますが、皆様いかが? 今日は仕事が手に付きませんぞ・・・SEE YOU NEXT TIME
Aug 8, 2007
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隋書には「日出づる処の天子」、「多利思北孤(タリシホコ)」の後継者を「名太子為利歌彌多弗利」と記している。これは『太子を名づけて「リカミタフリ」となす』と読むんです。「リカミタフリ」・・・・どう考えてもヘンな名前ですな。んで、一般的にはどう考えられているのか?岩波の現代語訳では次のような解釈をしている。最初の「利」は「和」の間違いで、「ワカミタヒラと読んで『稚足』の意味か、ワカミトホリと読んで『若い御世嗣』であり、聖徳太子のことを指す」とある(意訳)悲しいかな、ここでもなんの検証もなく原文改定を平気で行っています。この後継者の名前を検証するのは他に資料がないだけに、大変難しい問題なんだけど、どうして彼を聖徳太子と限定しているのか、素盞嗚氏は理解に苦しむんです。聖徳太子を「利歌彌多弗利」を呼んだ形跡、いったいどこにあるんでしょうか?かつて素盞嗚氏はこの問題について次のように解釈していました。「本来の名前は違うんだけど、 倭人が発音した音を中国人が間違って聞き取って、 そのまま漢字に表記したんじゃないか」と。わかりやすく言うと、江戸時代の日本人が始めてアメリカ人を見た時、「お前、何人?」「アメーリカン!」「ああーん?メリケン?」てな訳でアメリカをメリケンと言ったんですね。当時は。これと同じようなことがあったのかなぁ・・・・そう思ってたんです。ただ、どうにもひっかるんです。親父の「多利思北孤」と太子の「利歌彌多弗利」、「利」と「多」と、2字、共通の文字がありますよね。「多利思北孤」は前回書いたように、隋の煬帝に国書を出した時に日出づる処の天子としてのサインが「多利思北孤」と書かれていたいたはずです。ということは、この漢字を充てたのは中国人ではなくて「多利思北孤」本人でしょう。当時の倭国は隋書でもわかるように仏教を篤く敬っていたので、この漢字を充てたのも、「現世利益が多く、思いの深い天子」、きっとそんな意味を考えての当て字だったと思うんです。その意味深き漢字を後継者の「利歌彌多弗利」も2字受け継いでいるわけです。そうなるとこの漢字を充てたのも中国人ではなく、倭人じゃないとおかしいですね。この意味するところは、隋の煬帝に差し出した国書には天子「多利思北孤」と太子「利歌彌多弗利」とサインが併記されていた可能性があるんじゃないかと思うんです。さて、では問題のこの名前の解釈です。卑弥呼の後継者「壹与」については前回やりましたが、「壹与」は「倭与」であり、「与」が中国風一字名称だったと書きました。実はここにヒントがあったんです。問題の「利歌彌多弗利」の「利」は中国風一字名称ではないのか?こう思ったんです。要するにこういうことです。「太子の名は『利』、 『歌彌多弗』の『利』となす」と。「彼の名は『ジョージ』 『秋山ジョージ』である」というような感じですかね。そうなると太子の倭風名称は「歌彌多弗」(カミタフ)となる。・・・・・カミタフってなんだぁ?!「タフ」という表記は、音で表すと「トウ」だ。「テフテフ」が「ちょうちょ」だったり、「ケフ」が「きょう」みたいなもんですね。そうなると「カミタフ」は「カミトウ」・・・・そうです、「カミ」は「上」、「トウ」は「塔」だ!「上塔」・・・・・仏教国家の太子の名前に相応しくないですか?恐らく倭国王の菩提寺の「カミ」の地名を「上塔」と言い、「シモ」を「下塔」と呼んだんじゃないか!そう仮説を立ててみました。この太子は「上塔の皇子」と呼ばれ、対外的には「利」を名乗っていた・・・・九州の大宰府周辺の字地名にもしこの「上塔」「下塔」という地名が残っていたら上記の仮説はほぼ間違いないと言えるでしょう。ちょっと調べてみたくなりました♪ さーて、一気に書きました。明日はのんびり越後屋ネタにしようかと思ってます。いいッスか、pleさん?SEE YOU NEXT TIME
Aug 7, 2007
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古代有名人の名前を調べて、卑弥呼の後継者「壹与」のことを書きましたが、「壹与」ちゃん、思いのほか有名じゃなくて少々気落ちしてるんですが、今回はあの有名は「タリシホコ」とその息子「リカミタフリ」の名前について書いていきます。まずは「タリシヒコ」。これは隋書に倭国王として出てくる名前ですね。隋の天子「煬帝」に向かって、「日出づる処の天子、書を 日没する処の天子に致す、 恙無きや 云々」と宣言した倭国王です。 さてこの「タリシヒコ」、隋書ではこう書かれています。「姓は『阿毎』名は『多利思比孤』と。いや、そう書かれていると思い込んでました。今回改めて隋書の版本を読んでみて、思わず目を疑ってしまった!4文字目は「比」じゃなかったんです。版本では明らかに「北」になっている・・・・「多利思北孤」、「タリシホコ」なんです。これについては他の版本や写本をさらに比較してみる必要がありますが、ちょっと調べてみた限りでは、はっぱり「北」なんです。驚くことに、岩波の解説を読んでみても、この原文改定についてはまったくふれていないんです。通常原文改定のルールは、その改定に足るを証明しないでむやみに改定することは許されない。「北」と「比」は確かに似ているけど、「比」をもって「ヒコ」と読ませたほうがすっきりする、などのような主観的判断で原文改定をすることはいかがなものかと思うんです。実際のところは「比」だったのかもしれないけど、その証明ができない限りは「北」で読むことが文献批判上のルールだと思うんです。通常「比」で読んだ場合、「足りし彦」と考えられているけど、近畿天皇家で、この時期にこの名前の人物はいない。そして「北」で読んだ場合は「足りし矛」ではないかと素盞嗚氏は考えてみた。九州は弥生時代から銅矛の出土がさかんな地域だ。誇り高き「矛」の国王としてこの名前で呼ばれていたとも考えられる。そしてこの「タリシホコ」は隋に「国書」を書いて持っていっている。「国書」には当然発行した人物としてその国の王の署名があったはずだ。いやなければおかしい。国王の名前の入っていない国書などあるはずがない。とすると、この国書に書いてあった署名は「多利思北孤」だったと考えることが一番自然だ。この人物を近畿天皇家の誰かに当てはめようとしたり、「タリシヒコ」は天皇の総称である、などと考えている研究者は、この国書の署名についてどう考えているのだろう?まったく説明ができないはずだ。やはり隋に向かって「日出づる処の天子」を名乗った倭国王は近畿天皇家ではあり得ない。隋書の後半にある阿蘇山の描写からみてもこの7世紀前半の権力の中心はやはり九州にあったと考えてまず間違いない。 えー、少々脱線しましたが、次回は「タリシホコ」のせがれ、「リカミタフリ」について考えていきます。 おっといけねぇ、仕事、仕事・・・・SEE YOU NEXT TIME
Aug 6, 2007
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思いの他メジャーじゃなかった「壹与」倭人伝によれば、卑弥呼亡き後、男王が立ったんだけど、うまいこと国をまとめきれず、結局、卑弥呼の宗女を国王にしたんです。その国王が「壹与」倭人伝の写本や版本にはすべて「壹」(イチ)で書かれてます。定説ではそれを「臺」(ダイ)の誤りだと言うんです。根拠は?そう、倭人伝に書かれている「邪馬壹国」は「邪馬臺国」の誤りである!そう言われてるので、「壹与」も「臺与」の誤りである!この二段論法なんですね。でもよく考えてもらいたい。この二段論法はまったくなりたたないですね。しかもこの「臺」は「ト」とは読めないんです。それでむりやり「臺」は「台」と同じである!そう言うんです。「台」は「ト」と発音できますから・・・ちなみに「台」は「臺」の略字のようにいわれているけど、この2字はまったく別字です。もともとは「邪馬壹国」を「ヤマト」と読ませるために、「壹」→「臺」→「台」と読み替えていったんです。これは論理の逆立ちであって、決して学問的考察でもなんでもない。結局「壹与」も上記の論理なき論理のための犠牲をなって「壹与」→「臺与」→「台与」と読まれて、本来「イヨ」と言われていたのに「トヨ」などと言われるハメになっちゃったんです。 さて、次なる疑問。「壹与」の「壹」とはなんぞや?これです。これについては以前にも書いたけど、「邪馬壹国」は本来「ヤマタイコク」ではなくて、「ヤマイコク」(またはヤマイチコク)と読むんです。ここに出てくる「イ」という発音に倭人伝(三国志)の著者「陳寿」が「壹」の文字を当てたんだけど、本来は「倭」の意味だったと思うんです。「倭」は現在は「ワ」と発音するけど、3世紀には「イ」と発音されてたんですね。この「邪馬倭(ヤマイ)国」とは小国名の「邪馬」と本来の国名「倭」を合わせた読み方だったんです。「狗邪韓国」と同じですね。この考え方言うと、問題の「壹与」。これも「倭与」の可能性が高いんです。宋書に出てくる「倭の五王」の筆頭「讃」も「倭讃」と呼ばれてるんですね。要するに倭国王「讃」を倭讃と呼んでるんです。同じように考えると、この「倭与」も倭国王「与」だったかもしれない、素盞嗚氏はそう仮説を立ててみたんです。3世紀の「邪馬壹国」(倭国)は魏に切ないほどに臣下の礼をとってたから、倭人の間でも中国名を名乗っていたことは充分考えられるんです。その流れが「倭の五王」にも受け継がれていったんです。「讃」「珍」「斉」「興」「武」ってヤツです。 さて、この考え方をヒントに、次回は隋書に書かれた「タリシヒコ」のせがれ、「リカミタフリ」の読みを考察してみよう。 「リカミタフリ」ってーのはあんまり知られてないと思いけど、「タリシヒコ」は知ってますよね。あの「日出づる処の天子」ッス。 さて、お仕事、もう一分張り!7時になったら越後屋一家と遊ぼ♪ SEE YOU NEXT TIME
Aug 3, 2007
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いきなり古代史です。魏志倭人伝に出てくる「卑弥呼」、彼女の後継者は、倭人伝によれば「壹与」と書かれてる。でも、この「壹」が問題なんですな。倭人伝の写本をくまなく見てみると、いわゆる「邪馬台国」は『邪馬壹国』って書かれてるんです。でも定説では、その「壹」は「臺」の誤りって言われてるんです。要するに「邪馬壹国」→「邪馬臺国」→「邪馬台国」ってなってるんです。それで、卑弥呼の後継者の「壹与」も、「臺与」の誤りだろう、ってことで、一般的には「臺与」ってことになってるんですね。この「臺与」をもって「トヨ」と読むそうです。んで「壹与」だったら「イヨ」ちゃんなんだけどね・・・確か高校時代の教科書では「イ(ト)ヨ」って書いてあったように思います。みんなはどう言ってました?実はこれ、大きい問題だと思ってるんです。「トヨ」?「イヨ」?どう認識してましたか?教えてください。 えー、お吟が出産してから、もうだいぶ経つんだけど、「ややこ」の姿はいまだ見えず・・・・ちゃんと育ってるのかもわかんないんで、チト不安です。気になってしょうがないモンだから頻繁にオフィス素盞嗚に行くんだけど、来るのはコイツばかり・・・・ なーんか眉毛がなくて、武家の女房みやいやな。おはぐろ塗ってねーかぁ・・・・越「うるせーんだよ、五分刈り! 猫パンチ喰らわすど!」 す「こ、こえ~・・・ なんで耳ねてんの?」越「オメーの知ったこっちゃねーんだよ! 夢見るゾ! す「・・・・・ きゃー!」 最近、越後屋があんまりワイコなんで、チト意地悪してます♪ す「はーい、おさよちゃーん、 ごはんでちゅよぉ♪」す「おいちいでちゅかぁ♪ ・・・・ん? オメーか、越後屋・・・ オメーも喰いたいんか? ケッ! んじゃぁ、オメーには、 ホレッ! コレくれてやる!」 す「2粒やど! ケーケッケッケ!」 多分、越後屋も「五分刈すーさん」がキラいでぷ・・・ SEE YOU NEXT TIME
Aug 2, 2007
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