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いやいや、その地方によって葬儀ってーのは違うモンですなぁ。素盞嗚一家が住む横浜じゃー、初日の夕方に通夜やって、翌日の昼前後に告別式やって、その足で焼き場で焼くんですよね。んでそのあと精進料理喰ってチャンチャン。納骨は1ヶ月ぐらいしてからやるんです。こないだ行った青森ではね、初日にいきなり焼き場で焼いちゃうんです!で、二日目に通夜。だから通夜ではもう遺体がないんですよね。なーんか違和感ありましたね。そんで3日目に告別式やって、そのまま墓に行って納骨なんです。納骨もね、コッチじゃー、骨壷をそのまま墓の下に入れるんだけど、青森は骨壷じゃなくて「骨箱」なんです。しかも納骨する時に骨箱からお骨を出して直接素手でお骨を墓の下に入れるんです!立ち会ってる坊さんが「では近親者の方、お骨を取って埋葬してください」みんなね、当たり前のように素手でお骨を取ってたんだけど、素盞嗚君はどうも抵抗がありました・・・・その後、会食があったんだけど、手ぇ洗ったんかなぁ・・・なーんて思ったりして・・・ それとね、会葬に来てくれた人見てると、みんな喪服を着てるんだけど、長靴の人も随分いるんだよね・・さすが北国、長靴が市民権を持ってるんですな。3日目の最後の会食では親戚を代表して、アタシが献杯の挨拶をしました。いきなり言われたもんで、ちとシドロモドロだったんだけど、ちっと涙ぐんでしまいました。 さーて額田・・・・ううう・・・・呑み過ぎでぷ・・・・また明日書きます・・・・多分・・・・SEE YOU NEXT TIME
Jan 31, 2007
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ただいま戻りましたぁ!愛車ボロボをダマシダマシて爆走1800キロの旅、いぃっぱいお土産もらって帰ってきましたぁ♪え?何もらったかって?へへ♪まずは青森って言えばこれです! リンゴジュース! 10リットルっす。 次、 きのこ・・・・ 実はコイツがすごいんです!4つ年上のイトコが青森で産婦人科やってるんだけど、ヤツの趣味はきのこ取り・・・・病院の診療時間がね、朝は9時から12時、んで午後は3時から6時・・・・なんと昼休みが3時間もあるんです!この休み時間に病院抜け出して山に入ってるそうな・・・「スーちゃんきのこ大好きぃ!」って言ったら、塩漬けのビン詰めを7個もくれました♪それとタケノコのビン詰も3個♪29日にはヤツの実家できのこ鍋パーティもやったんだけど、コイツが旨いのなんの!4種類のきのこに野菜、それとタラ、極めつけは比内地鶏!天然モンのきのこってはじめて喰ったけど、めっちゃくちゃ旨い!ナメコなんてね、椎茸ぐらいデカイんだよね。明日の夜はさっそく素盞嗚一家できのこ鍋、やろうと思ってます。 それとね、青森の津軽半島(西側)に十三湖(ジュウサンコ)って湖があるんだけど、そこ、シジミが有名なんですね。んでそこで取れた大和シジミを2キロ!さっそく今塩抜きしてます。 今回の青森の旅はお土産だけじゃなくて、親戚付き合いの大事さや、地域によっての風習の違いを感じました。それとね、通夜って夜じゃないですか。だから日中時間があったんで、念願の三内丸山遺跡を見に行っちゃったんです♪コイツァ堪りませんでしたゼ! その他にもいろいろ学んできたんで、じっくり書き留めていこうと思ってます。 えー・・・額田ちゃん。・・・明日やります。 SEE YOU NEXT TIME
Jan 30, 2007
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はかないねぇ・・・ついこないだ会ったばかりの青森の叔父貴が今日亡くなった。「今年は弘前に出張がありそうだから 今度はそっちで一杯やろうね♪」そんなこと話してたのに、あの時の叔父貴笑顔が永久の別れになっちまったんだね・・・明日から4日間、青森に行ってきます。 ちょっとだけ額田王のことやっときますね。このオナゴ、古代史に詳しくなくても何となく名前はよく知られてますよね。大体教科書には書いてあるからね。みんなはどんな認識持ってます?素盞嗚氏はね、色っぽくて、賢くて、そんでもって悲劇的で・・・・ 昭和の日本画家、安田靫彦氏の作品だけど、気品があって憂いがあって・・・この絵、好きなんです。 して、この額田ちゃん、ちょっと不思議なんです。彼女は天武の最初の奥さんで、その後天智と再婚しちゃうような相当地位が高かったオナゴなはずなのに日本書紀では彼女の存在をほとんど無視してるんです。かと思うと、万葉集では柿本人麻呂と並んで、中心的な人物として取り上げられている・・・・日本書紀は当時の正史だ。その正史が彼女を無視してるんです。そして万葉集では彼女をクローズアップしている・・・これ、どういうことなんでしょうね?日本書紀は持統と藤原不比等の息がかかった資料だ。その編集姿勢として、額田ちゃんは邪魔だったんだろうね。そして万葉集は、日本書紀によって歪められた真実をなんとか後世に伝えようとした・・・・これがこの2書の資料正確だと思う。 ではなぜ持統と不比等にとって額田ちゃんは邪魔だったのか・・・・ まずは天武の第6子と言われている弓削皇子との相聞歌から考察してみよう。 青森で続きを書けるかわかんないけど、一応PCは持っていきます。 それじゃー、叔父貴を偲んで、青森の旨い酒、呑んできます・・・・SEE YOU NEXT TIME
Jan 26, 2007
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ぶっはーっ!仕事終わったぁ・・・・確定申告のせなアカンし、この時期は忙しいッス。 さて、天武にまんまと担がれた薩夜麻、壬申の乱後、いったいどうなったんでしょうか?素盞嗚氏が想像するに、まず、地元の九州にはいられなかったと思うんです。もしいれば、地元の旧九州王朝派が、この薩夜麻を再び神輿に乗せて新生天武軍と敵対するのが目に見えてますから。だから薩夜麻は大和に送られた・・・では大和のどこか?・・・・ズバリ!・・・・斑鳩だったんじゃないか・・・そう、聖徳太子こと厩戸皇子のいたところですな。 去年、仕事の合間に久しぶりに斑鳩にいったんだけど、法隆寺のすぐそばにある小さな古墳を見てきたんです。名前は有名なんだけど、実際に見に行ってみると、実に貧弱な古墳なんです。その名は、 藤ノ木古墳 副葬品がえらい豪勢だったもんだから、いったい誰の墓なのか、いろんな説がある古墳なんですね。 で、夕方誰もいない静寂の中で一人でこの藤ノ木古墳を見入っていた時にね、何の前触れもなく、頭の中に言葉が流れたんです。 「薩夜麻の墓だ!」 もちろん確証なんかないけど、素盞嗚氏の身体の中に流れる血が言うんですよ。 失意の中、唐から帰国した誇り高き倭国の天子「薩夜麻」を待っていたのは同族の蘇我氏系の天武に利用されることだった。そして祖国である九州に帰ることもできず、静かに斑鳩の地でこの世を去った・・・・その無念の情が、まだ藤ノ木古墳の辺りに漂ってるんですよ・・・ まだこれから調べなきゃいけないことばかりだけど、薩夜麻の無念を晴らすべく、7世紀の謎を追い求めていきますぞ! ちっと、力が入りすぎましたな・・・ えー、この頃のこと調べてると、彼女のことを調べたくなっちゃうんだよね。 額田大王・・・ すこしづつ書いていきます。 うーん、腹減った・・・ぼちぼち帰ります。・・・・ あぁっ! 明日の出張の準備すんの忘れてた!ど、どうすんのよ・・・トホホ・・・・ SEE YOU NEXT TIME
Jan 25, 2007
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難波の仕事人、人呼んで「しゃろ松」さん。111111HIT、ゲットしちゃいました。そんでもっていただきました♪飛騨の甚五郎♪ここんところ、酒にはツイてます。どうも貧乏神と疫病神は消えつつあーる。しゃろはーん、美味しくいただいてま-す♪ さて、壬申の乱の直前に帰国した薩夜麻。なんで帰ってこれたんでしょう???薩夜麻は伝統ある九州倭国の天子だ。彼はタリシヒコ同様、北朝系の隋・唐を中国の天子と認めず、南朝系の正当を自らに求めて「日出づる処の天子」と自認した。そしてその必然として、ついに白村江の戦いに挑んだんです。倭国の伝統にのっとり、自らが先頭に立って・・・・そして大敗北の末に唐の捕虜となったんです。8年の捕虜生活を送り、671年、倭国に帰国。敵国の天子を名乗った人物を唐はなぜ帰国させたんでしょうか?普通に考えると惨殺されるか、よくても一生捕虜生活を強いられると思うんです。唐からしてみれば、薩夜麻を危険人物と見なした場合、絶対に倭国に帰国させることはあり得ないですよね。それを帰国させたんだから、薩夜麻はもう危険じゃない!そう判断したと思わざるを得ない・・・・危険じゃない、ということは倭国自体も薩夜麻を求めていなかったってことですよね。白村江の敗戦からの8年間の間に倭国の情勢は大きく変わったってことだと思うんです。では、どう変わったのか・・・・まずは九州。昨日も書いたように九州では白村江以前から唐・新羅連合軍との戦いに反対してたと考えられる「大分君恵尺」が敗戦後に力を得たと考えられます。一方、第二勢力だった大和では中大兄皇子(天智)がさらに暗躍するも人心を掌握できず、唐の駐留軍責任者の「郭務そう」に愛想をつかされ、変わって「郭務そう」に近づいてきた大海人皇子(天武)に列島の統治を任せ、自らは唐に帰国した・・・・そして九州にいた大分君恵尺も天武についたことから今更薩夜麻が帰国したところで、体制に影響がない。唐はそう判断して薩夜麻を帰国させたんじゃないか・・・素盞嗚氏はそう仮説をたててみました。しかしそうは言っても腐っても元天子だ!その帰国した薩夜麻をまったく無視したとは考えられないッスよね。薩夜麻は当然九州に帰国したはずですから、そのガラを押さえたのは天武・大分君恵尺軍だったと考えられます。天武軍は保守派の薩夜麻勢力をも見方につてけ壬申の乱を迎えたと考えられます。この壬申の乱、稀代の謀略家の鎌足もこの世になく、神輿の天智も世を去り、旧九州倭国勢力をも見方につけた天武・恵尺軍が負けるはずがなかったんですね。 これが真実の壬申の乱だった・・・・ さて、問題はここからッス。いいように利用された薩夜麻のその後・・・・そして何よりも解明しなきゃならないのは、乱に勝利した天武はなぜ、真実の壬申の乱を隠したのか・・・・そしてなぜ九州倭国の歴史を抹殺しようとしたのか・・・・うーん・・・・謎は深まるばかりですなぁ・・・・ そうそう、こないだまとめ買いをしたオールマンブラザース、実は一緒に買ったCDがあるんです。 「めんたんぴん」の「闇を翔る」 70年代の日本の熱いロック魂が伝わるアルバムですな。歌は少々ターヘだけど・・・・ さーて、明日は勝負の会議じゃ、早寝早起きの素盞嗚氏、ボチボチ寝ます。SEE YOU NEXT TIME
Jan 23, 2007
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スーパーバンド「WHOTA」、30周年記念ライブは4月14日!そう予定してたんですが、キーボード「フセインひげのケーロク」さんがいきなり言ってきた!「会場、予約取れんかった・・・」・・・・・別会場にしようかって意見も出たんだけど、なんと言っても30周年記念ライブだ。やっぱり横浜アリーナ内の、ココ「サウンドホール」でやりたい。ちゅーことで已む無く日程変更になりました。5月19日(土)だ!みんなー、都合つけておいでよ♪ さーて、古代史、2週間以上、間が開いちゃったんでちょっと復習です。1.白村江の敗戦後、 倭国には唐軍2000人が駐留していた。2.九州では天子「薩夜麻」の行方がわからなくなり、 大混乱していたと考えられる。3.この期に天智(中大兄皇子)は一気に 大和をまとめ上げようと考えたが、 なかなか人心を掌握できずにいた。4.この混乱に動き出したのが 天武(大海人皇子)だった。5.天武は九州に駐留していた 唐軍の「郭務そう」との会談を成功させた。6.大和に戻った天武は、病床の天智に呼ばれ 吉野に行くことを告げた。7.それを人々は 「虎に翼を付けた」と言った。8.奈良の吉野に行くのを「虎翼」と言うのは どこか違和感がある。9.その後672年、天武は天智のセガレ大友皇子と 戦う(壬申の乱)10.壬申の乱は日本書紀に異常な細かさで 記載されている。11.馬の専門家である三森氏の検証によると 壬申の乱での馬による行軍記事は 非現実的であると証明している。ここまでだ。どうもこの一連の流れを鑑みると、天武が行った「吉野」はどうも奈良の吉野ではないじゃないか・・・・こんな仮説が成り立ちます。では天武が行った吉野とは、いったいどこだったのか?素盞嗚氏はズバリ、九州の吉野ヶ里だったんじゃないかと考えています。万葉集に書かれた天武の意味不明な「吉野の歌」・・・・それと壬申の乱における天武軍の「大分君恵尺」。この男、名前からして九州出身だと思うんですが、白村江の戦いに参戦していたとは思えないんです。しかも「君」と言う称号を持っているので、相当身分が高かった人物だと考えられますね。恐らくこの男は、白村江の戦いに反対して、参戦しなかった・・・・そして唐軍2000人を迎え入れた人物だった・・・・天武が郭務そうと会談した時、天武に協力することを約束し、壬申の乱に、九州から参戦した・・・・ 郭務そうは壬申の乱の直前に帰国してるんです。彼は、「倭国のことはお前(天武)に任せた、天智は大したヤツじゃないから、お前が倭国をうまくまとめろ。 」 それを受けた天武は、一旦大和から九州の吉野ヶ里に来て、大分君恵尺らと合流して、一気に大和に攻めあがった・・・・素盞嗚私見では、天武のオヤジは蘇我氏だ。そして蘇我氏は九州倭国の出身・・・・要するに天武は大和生まれの九州倭国人だ。実家の吉野ヶ里で兵を挙げた・・・・どうもこういうことだったんじゃないかと思ってるんです。かなり強引な仮説だけど、こう考えると、その後の持統天皇の異常なまでの「吉野行き」も理解できます。これについてはいずれ解説する予定です。さて、次なる問題は白村江の戦いで行方不明になってた九州倭国の天子「薩夜麻」だ。彼は壬申の乱の少し前に帰国してるんです。薩夜麻は長らく唐で捕虜だったんですね。問題は薩夜麻は帰国後どうなったのか・・・・これだ。この問題はまったく資料がないんで想像するしかないんだけど、次回はその素盞嗚想像を書いていきます。 ふー、一気に書いちゃいました。そろそろハラが減ってきた・・・・今日はね、年賀にもらった新潟の銘酒、「久保田」ッス♪めったに呑めない高級酒、もったいないんでチビチビやります。それとね、宮城県の濁り酒、「樋の口」♪こいつもいただいたんで、今日はダブルでいきまっせー!むふふ・・・のどゴックン♪SEE YOU NEXT TIME
Jan 21, 2007
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うーん・・・・いろいろいじってみたけど、どーもシックリせん・・・センスないからなぁ・・・ そうそう、昨日ね、お世話になってる葉山の工務店のブログを2つ開設するお手伝いをしてきました。2月にはホンチャンのHPも開設予定なんだけど、ちと先駆けて作ってもらいました。まープレオープンだけど、ブログだけでもご覧くださいませ♪笑壷さん♪ ジュン子ちゃん♪ して、今日はこれからスーパーバンド「WHOTA」の練習!ライブまであと何回練習できるんか・・・こないだ練習の演奏を録音して聴いてみたけど、まだまだお寒い限り・・・・こいつぁ練習あるのみッス。 それと、そろそろ古代史も復帰します。いよいよ7世紀のクライマックス、「壬申の乱からのその後・・・」なーんてテーマを考えてまぷ。 ではでは、SEE YOU NEXT TIME
Jan 19, 2007
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テスト
Jan 18, 2007
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そう言えば今月の7日をもってブログ開設2周年だった・・・もろもろの設定はよくわからんかったんで、一度もいじらなかったけど、ちょいと教えてもらったんで、ちとやってみます。センスの悪い素盞嗚君、さてどんなモンができるやら・・・・ そうそう、今仕事で酔鯨風太氏とある工務店さんのホームページの制作を請け負ってるんだけど、そこでこの楽天ブログを活用する予定なんです。開設したらココにリンク貼るんで見てくらはーい♪なかなかユニークなモンができますぞ。さーて、仕事の合間縫って設定変更にチャレンジやぁ!SEE YOU NEXT TIME
Jan 17, 2007
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14日、我が瀬ケ崎フレンズの4年生大会の準決勝と決勝戦が行われた。エース「だましのリョー」率いる最強の4年生チームだ。笑顔がいいでしょ♪こらー!「ドナルドまつけん」、どこ見てるぅ!(右中) 準決勝は50分ゲームで4回の攻防で終了。主軸の4年生、「だましのリョー」、「泣き虫ユーキ」、「ガチャピンしょーた」、「おっとりハルカ」の活躍で4対0の快勝!しかもノーヒットノーラン!振り逃げが1つあっただけ。三振10個、セカンドゴロ3個とまったく相手を寄せ付けない完勝!この勢いで決勝のエイト戦に臨んだ。 初回、先頭バッターにいきなり振り逃げでピンチ。浮き足立ったキャッチャーの「おっとりハルカ」が3連続パスボールでまさかのノーヒットで1点を献上してしまった・・・・しかし今日の「だましのリョー」のボールのキレは神がかってたんで、急造キャッチャーのはるかを責めることはできない。「取られたら、取り返すんじゃー!」それがフレンズの掟。しかーし、フレンズは2回まで点を取れず、3回にはさらにピンチが・・・・でも今日の「リョー」は凄かった。ピンチになると伸びのあるストレートでバッタバッタと三振の山を築いていった。「どやっ!」ほれぼれしますやろ♪じっと踏ん張った甲斐あって、3回の裏には、相手のミスを見逃さず、同点!さらに「泣き虫ユーキ」のライト前ヒットで逆転だぁ!もう後援会の母達は狂喜乱舞!「マッカチンコーチ」、シャッターチャンスを見逃し、呆然・・・・この写真を撮ったの「アワビコーチ」。最初から狙ってたとしか思えませんな・・・・別名「盗撮コーチ」・・・・京大出身の博士ッス・・・・ 最終回も2アウト3塁のピンチはあったけど、最後のバッターをアウトコース高目のストレートで見事な三振にきってとって、ゲームセット! ・・・・・・ ゆ、優勝しちゃいました。4年生大会とはいえ、連盟の公式戦です。三年半ぶりの優勝ッス♪最後きっちり「礼」をして・・・ おーし、戻って来ーい! この子供達の笑顔が見たくって・・・ い、イカン・・・・思い出したら、また涙が出てきた・・・・ ・・・・・ え?このあとどーしたかって?んなもん、祝勝会に決まってんじゃーないですか♪もちろん、浸かるほど呑みましたワ・・・・ SEE YOU NEXT TIME
Jan 16, 2007
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去年の秋に、デュアンが亡くなってからのオールマンブラザースのアルバムを6枚も買っちゃいました。それからっちゅーもんは、この6枚と一緒に買ったデレクトラックスばっかり聴きまくってたんだけど、今日は久しぶりにフィルモアイーストを聴いてます♪デレクのスライドもえーけど、やっぱデュアンはスゴいわ! えー、ダメ兄貴の続報ッス。ある市会議員の紹介でまる暴専門の凄腕弁護士っちゅーのを紹介してもらいました。最近のヤー公ってーのは弁護士に滅法弱いみたいですな。いろいろ対策聞いて、もうほぼ大丈夫みたいです。ちと残念な気もしますが・・・・ それよりも以前紹介した「呑んべーな刑務所女!」まーたやらかしてくれましたぞ!年末のあいさつに彼女の事務所に行ったんだけど、彼女はお留守・・・・「あれ、K嬢は?」「いや、事故っちゃったんですよ」「マジッ、んで大丈夫なんすか?」「なんでも原チャリで自爆したらしいんですよ」「あちゃー、怪我は?」「肋骨と鎖骨を折ったらしいんです」 「うそー!」 詳しい状況はよくわかんなかったんで、9日に千葉の松戸まで見舞いに行ってきました。どうも病院が苦手な素盞嗚君、しかも状況がわからないんでさらにドキドキ・・・・ 「おぉ、ココやな」 病室は6人部屋。一番奥のベッドに彼女はいた。「あれ~、スーさんどしたの?」いまだ山形弁が抜けないK嬢・・・しかも声がデカい・・・口元が青くアザになってたけど、なんか元気そうだ。ん?先客がいた。年のころは30代前半のイケメン。「あ、彼氏♪」「ども、素盞嗚ッス」狭いベッドの横だったんで、イケメン君は椅子を譲ってくれて、気を利かせてどっかに消えた・・・・落ち着いたところで彼女に状況を聞いてみた。 「それがさー、ぜーんぜん覚えてないんだよねぇ」事故の状況はおろか、22日の事故から10日ほど記憶がないらしい。「なーKちゃん、まーた酒呑んでたんだろ?」「当ったりぃ♪ でも実は呑んでた記憶もないのよぉ あとで娘に聞いたらさぁ、 『お母さん、リビングにカラの一升瓶が転がってたよぉ』 だって!ぎゃはははは! んもー笑わせないでよぉ、 まだ肋骨痛いんだからさぁ くっくっく・・・」 「・・・・」 勝手にしゃべって、勝手に笑って、勝ってに痛がっとる・・・・ 「んで、どうなの?」「先生に聞いたら肋骨グチャグチャだったって、 ぎゃはははは! イテテテテ・・・・ 止めてったらぁ」 「・・・・」 アタシは何もしてましぇん。 「んで、頭は?」「うん、脳挫傷で、くも膜下出血だったって、 ぎゃは・・くっくっく イテテ・・・」 「・・・・・」 この女、いっそのことその時死んでしまえばよかったのに・・・ しかし肋骨グチャグチャで脳挫傷ってメッチャ重症ッスよね。なんでこの女、平気な顔しとるの?しかも「来週あたり退院しちゃおうと思うのよね♪」などど言っておる・・・・山形のナオンは強い・・・ さぁーて、そろそろ一杯やりたくなってきましたゾ。3リットル1080円の「蔵そだち」、熱燗でやりますかね♪ SEE YOU NEXT TIME
Jan 12, 2007
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貧乏神は早いトコ台湾辺りに行ってもらいたいんだけど、どうも背中にへばりついて離れない・・・・あろうことか、貧乏神の背中にもう一人おぶさった・・・ ・・・・・・ 疫病神や・・・ ・・・・・ 義兄が夜逃げした・・・・ 呑む・打つ・買う、三拍子そろった男、ついに借金で首が回んなくなってトンズラ・・・ あんなゴクつぶし、どこで野垂れ死にしようがオイラにゃ関係ないけど、昨日、ついにウチの実家にもヤクザもんから電話がかかってきたぞ!実家には、年末から帰ってきてる「お袋素盞嗚」ひとり。電話で随分脅されたらしい・・・ しかーし! 素盞嗚氏を生んだオナゴだけあってそんじょそこらのババーとは訳が違う!昔は「横須賀ヨーコ」と歌われた遊び人じゃ。いくら脅されても、「はいはい、誰でしたっけ?銀行さんですよね?」などとスッとぼけて対応したと言う・・・・まー、そうは言っても80歳のババーだ。一人にさせておく訳にゃーいかん。ちゅーことで、昨日から素盞嗚氏は再び実家通い。さっきも夜回りしてきました。アタシャ、何かあったら「お袋素盞嗚」を守るために夜回りしとるんですが、嫁素盞嗚や姉素盞嗚は「あんた、 ヤクザもんと鉢合わせになったら 何しでかすかわかんないから、 家でおとなしくしてろ!」そー言われてるんだけど、当の素盞嗚君は、なぜがワクワクしとるんです。・・・・・ 暴れたい・・・・ ヤクザもんだぁ? ・・・・・・ なんぼのモンじゃー! でも現れないんだよね・・・ 電話線も抜いてるんで舌戦もできないし・・・ なんでも姉素盞嗚は今日、凄腕の弁護士に会ったそうな。このまま「チャンチャン」になるのか、ヤクザもんが根性見せて攻めて来んのか?どっちみち今週が山場ですな。 ハン! かかって来んかーい! SEE YOU NEXT TIME
Jan 10, 2007
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今年は「貯金」!そう決めたら、金のかかることばかり起こる・・・愛車ボロボ。まず手始めはルームミラー。高速運転中、ミラーを動かしてたら、 ボキッ! 根元から・・・折れた。(プロジェクトX風) 左のウィンカー、チャカチャカが倍速・・・・しかもカバーが・・・無くなった。 エンジンオイルを入れる管も・・・外れた・・・・オイルが・・・漏れる・・・ ズズズ、ズズ・・・運転中、何かヘンな音がする・・・・前から下を覗いてみた。 ゴトン! 何か・・・落ちた・・・よくわかんないけど、プラスティックのカバーが落ちた。近くのコンビニでガムテープ買って、車の下にもぐりこんで、テープ、ベッタベッタ貼って・・・・ スピードメーターも動かんし・・・ 直すといったいいくらかかるんやろ・・・・ 今年もトホホな滑り出しッス。 貧乏神よぉ、どっか行けぇ! SEE YOU NEXT TIME
Jan 5, 2007
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今年は新潟で雑煮を喰いました。土地土地によって雑煮も違うんですよね。素盞嗚家はお吸い物系の汁。具は鶏肉、ごぼう、人参、大根、椎茸、鳴門、三つ葉。そこに餅を入れて喰う・・・・・実は今年喰ってないんです。新潟の嫁素盞嗚家では味噌汁ベースなんです。具はなんでもかんでも入れちゃうんです。それもまー旨いんだけど、でもやっぱり昔から喰ってる雑煮がいい・・・明日の朝、作るかね♪みんなんちの雑煮はどんなんですか? 壬申の乱、久しぶりに行きます。三森氏の「馬から見た壬申の乱」に面白い検証があるんです。三森氏は古代史の研究者ではあるが、戦時中は「騎兵隊」のメンバーとして大陸を駆け巡っていたという、いわゆる「馬」の専門家なんです。日本書紀には「馬」について27個の記事が書かれていて、日本の記録に残ってる最古の騎馬による戦いといえます。三森氏はこの27の記事と、三浦昇一氏の「葦と弓と馬」、黒岩重吾氏の「天の川の太陽」、直木孝次郎氏の「壬申の乱」から、馬の速力を測定したんです。1.大海人皇子軍本隊 6/24吉野発から26日三重郡家まで。 総計160キロ 39時間 時速約4.1キロ。吉野を出発して間もなく「伊勢の荷駄50匹」に出会って、馬から荷を下ろして、徒歩だったものも乗馬して軍を進めた、と書いてあるんですが、ここで三森氏はこう言っています。「なんでもかんでも馬だったら乗馬できると思ったら 大間違いやど! 乗馬するには鞍や毛綱とかきっちり準備が必要なんじゃ。 駄馬が乗馬になることは絶対なーい!」2.高市皇子軍 24日大津脱出から翌25日積殖山口まで。 60キロ 8時間 時速7キロ強。これについて氏は、「旧陸軍騎兵隊1日の行軍力が60~80キロで、 休みなしでの行軍は無理であーる。 しかも険阻な山道や峠道の多いこの戦では、 8時間ぶっとーしで時速7キロは無理であーる!」この他、大分君恵尺軍、村国男依軍なんかも現実離れした行軍をバッサリ否定してるんです。また古代馬を現在の競走馬のように思ってはいけない。古代馬は身体も小さく体力も今の馬とは随分違うようだ。「40キロぐらいで・・・・ い、いかん・・・・・ソフトの「タオル監督」から連絡が入った・・・・「呑みに行くどぉ!」「は、はい・・・・」 ちゅーことで中断・・・・続きはあとでね。今年もよろしくぅ!SEE YOU NEXT TIME
Jan 4, 2007
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