パソコンの前に座る余裕も無い忙しい小説のような生活をしながら、小説を書きたくなるようなフラナリー・オコナーの短編集も読んでいた一週間。
そんなわけでリンク友のブログもご無沙汰、まとめてお訪ねしている。
お訪ねしていると、alexさんの 「女性と男性の違いについて思うことがある 」 というブログに「女の言葉の暴力がときには男の暴力(?)を誘う」とあり、わたしは思い当ってしまった。
わたしはこんな風にコメントした(急いだのでちょっと支離滅裂だった、だから一部編集)
「すこしご無沙汰していたらおもしろい話題があったのですね。遅ればせながらコメントをします。
わたしも言葉の暴力しているかもしれないですよ。おしゃべりなじょうずじゃないので、うまくオブラートに包むように話していないらしく、それなのに無口ではないからストレートに言葉を発してしまいます。
夫と何気ない会話をしていては日頃は何事も起こらないのに、突然切れたことが過去2~3度ほど。わたしには何がどうしたかかさっぱりわからなくて困りましたね、それがそうでしょうね。」
どうしてこういうコメントが出てきたかと言うと、
自分がどういう風に会話しているか普通は知りえない。他人様が感じるだけ。
著名人やタレントはTVやラジオ、雑誌等でインタビューを受け、後から録画録音で聴けるし、雑誌では編集したりするからご自分の会話の様子がわかっていると思う。
けれども、「わたしの」でも聴ける機会があったのだ。
携帯電話の通話メモ機能。
会話の最後の約束時間など再確認できるとてもいい機能なのだが、通常の会話の最後の部分も録音してしまう。
偶然、ボタン操作の加減でわたしのそれを聴いて愕いた。
「いつでも言葉の暴力してるじゃん!」
特に身内に対してのきつさは自分でもびっくりした。言葉の表現の中でも一番ぶっきら棒のストレートを選んで喋っているようだ。
ああ何とかしなければいかん、と思いつつ治らない日々を過ごしている。
これじゃ、慣れた夫でもキレる日があっておかしくない。
PR
カテゴリ
コメント新着
サイド自由欄
フリーページ
カレンダー
キーワードサーチ