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先日蜂に刺されました。16年畑をやっていて初めて、もちろん生まれて初めてもちろんあのスズメバチではありませんでしたけど「ほんの虫刺されよ」ってならないんですよね。作業服の上から刺されたのですが(畑をするときは頭に網付き帽子、顔はその網が守り、長袖長ズボン、足は長靴肌は出していません)「あぎゃ~~~」と叫びましたよ刺されたその瞬間の痛~いこと、痛いこと!野山の木々多き土地、さすがに専門の診療所があり駆け付けアレルギーを抑える注射などをしてもらい、化膿止を受け取り、患部を冷やすやらその日はすごーく疲れました。いえ、2~3日心臓の具合も悪かったです。「ドキ、ドキ、・・、ドキ、ドキ、・・、ドキ」と心臓の結滞が続き薄気味が悪かったですよ。「蜂の一刺し」あなどるなかれ
2016年08月01日
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関東地方の梅雨がぐずついているようにわたしもぐずついているうちに7月も下旬になってしまいました先日息子が転勤で盛岡から帰ってきたので引っ越しを手伝い久しぶりに夫とわたし、息子で居酒屋へこんなことでもなければなかなかゆっくり会えない夫79歳わたし75歳息子48歳お互い、いい年齢!あら!と思った会話にどうやら息子は父親を尊敬している気配が・・・つまり社会に出て仕事上の困難を経験しているらしいことに思い至り普段父親とはあっさり(無関心のごとく)していたのでもう少し愛想があったら夫もうれしいのではと常々思っていたから今回、後で夫に感想を聞くと「別に~、娘と違ってそんなもんだよ、と思っていた」らしいその娘、ずーっと父親に強烈反発していたのだが最近、風向きがが変わってきているそれもまた、いろいろ苦労をしているからかなあほんとにこんな風になってきたのは最近のこと不思議なことにわたしにたいしては二人ともずっと心を開いているように思えるので母親ってだけで、得なのかもしれないけど(ふふふ
2016年07月22日
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娘の愚痴にこんな話が・・・娘の夫は娘の日ごろの会話が「上から目線でいやだ」と言われた娘は「わたしは正しいことを理路整然と言ったつもりなのに」と不服そう それって?わたしが日ごろ夫に強要して煙たがられている「 正しいことを理路整然」ではないか!夫は言う「言ってることは正しいまっすぐなことなんだけど、物事は正しいばかりでは進まないぐにゃぐにゃ曲がることもある、思い通りいかないのだ、それがぐずぐずしているように見える」わたし「でも、そのことに向かって努力するのは正しいのでは」とか「 いつかやると思っているのなら、すぐすべきだ」とか枯れた夫婦になってきた今、わたしの気持ちもぐらついてきた 自分だって、だらだらしたいしね、正しいことばかりやってられない あーあ、三つ子の魂百までも!娘に「ごめん、お母さんの教育がわるかったわ」 母の日プレゼント (息子から)
2016年05月15日
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「さつき」の陽気だったり、「やよい」にもどったりさすがは「うづき」のさだまらなさそれにつれて血圧が下がったり上がったりは困るが孫たちが新中学だったり新高校生だっり娘が新職場になったりで、小二末孫がカギっこになるとて心配してもしょうがないのだけど(手助けするには遠距離)落ち着かない日々を過ごしてた桜も散り始めて、相も変わらずの生活にもどるこちとらは新しいこととてごみ出し袋が有料になったことくらいしかなくいや、これも変化と言おうか趣味の読書も白内障の気が出て、メガネを新調これがいつまでもつものやら、と危惧しながらだ目医者さんは「いつでも手術をします!」って張り切っていらっしゃるが、そういわれてもねえ
2016年04月12日
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初孫の女の子が今年高校受験希望校に入学出来、わが子の時よりもドキドキした分祖父母のわたしたちの喜びもひとしおでした先日、小学2年生になる末妹と二人でこちらに遊びに来ました片道一時間くらいの距離ですが、そんな遠出は初めてらしいなんと、「初遠距離旅体験」なのでしたむかし、わたしなぞは5~6年生から一人で祖母の家にやはり一時間くらい掛けてよく行ったものでしたが現代、それはかなり勇気のいる行動になってしまいました母親の娘も高校生になるのだから、行かせる気になったと思いますそんな折、朝霞女子中学生の誘拐監禁事件が動きましたちょうど初孫と同学年、彼女の中学一年生の頃を思い出し怒りを覚えてニュースを聞いております学校帰りにひとりになるのなんて普通のことでしょう詐欺のような言葉と暴力にかなう年齢でもありませんしかし、高校生になったとて、こんどは興味から事件に巻き込まれてしまうこともあるかもしれません現代っ子の孫はパソコンもスマホも自由自在情報もたくさん知っているでしょうが人間の悪癖や罪深い闇はわからないでしょうねことさら教えたくはないような、けれども知ってほしいです本当は文学などたくさん読むのもいいのですがね夏休みの時はいろいろわたしの本棚をさらっていきましたがこんどは本を貸してとは言いませんでしたよ遊ぶのに忙しいのでしょうかね
2016年04月02日
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東京へ行っていて、雪で難儀してたほんと東京は雪に弱い用事は丸の内だから、駅までをクリアすればあとは地下鉄で移動、地下道・地下街を通れば楽勝!なんて、浅はかな考えまず、地下鉄駅までが大変なことになっている夜中から降り積もった4~5センチの雪が朝から雨になりシャーベット状に、小池が出来て(水たまりなんてものではない)雪国用ではないブーツがぼちゃり、ぼちゃりすぐ足まで浸みてきてその冷たいことそして駅が大混雑、来る電車、来る電車はち切れんばかりの人、人「わたしゃ、昔取った杵柄、ラッシュアワーには慣れとるけん」とはいかなかった所詮年寄りの冷や水、5台ぐらい電車をやり過ごして約束の時間に遅れちまいましたこのごろは相互乗り入れで、地下鉄といえども郊外電車のほうが雪で間引き運転をすると途端に地下鉄の運行にもしわ寄せがくるのよね相互のり入れは便利なようだけれどこういうとき地下鉄のありがたみが消えるあの高度経済成長期のラッシュアワーは若くないと耐えられなかったものなのよねだけど現代では結構若い人が混雑を嫌ってグリーン車使ったりしているのみるし時間差出勤制度やフレックスタイム制度の効果かはたまた働く人口が減ったのか通勤時間に乗っても人と人の隙間ある混みようだひさしぶりにぱんぱんの電車を見てあの超混みラッシュ・アワー時代が懐かしく思われた
2016年01月18日
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さっき鍋を焦がした今夜は「ゆきなべ」にしようと思ったこの冬は暖かい日が多くてちょっとミスマッチなのだが畑のダイコンが太くなって「とってくれ」といっているそう、農家さんも収穫が多くて捨てるほど、とニュースにしろうとのわたしでもとれ過ぎなのだそのみずみずしいダイコンをまるまる1本すりおろし土鍋に昆布をしき、ダイコンおろしだけをいれ、豆腐を1.5丁角切りにし、ことこと、ことこと煮ていく小鉢に熱々をおろしと一緒にとりネギの薬味、七味、ゆずおろし、生醤油で食べる「ゆきなべ」良い調子でお酒を飲んでいたら、焦げ臭いにおいがただよって~「あっ、昨夜のおでんの残りをガスレンジで温めていたんだ」と気が付いたときには黒焦げの鍋出ました、ついさっきしていたことを忘れてしまう症候群何かの本に「焦げた鍋がいくつかになったら要注意」と冷や汗がたらーりちなみに「ゆきなべ」は増田れい子著エッセイ『しあわせな食卓』にある辻儀一さんのレシピこの本のことは何度かブログにしているわたしの好きな読む料理本
2016年01月11日
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うちうちのこと、笑ってね松本清張さんの『史観宰相論』という、ちくま文庫を読んでいる「宰相はどのような人物が適格か。理想ならいくらもいえる。だが、それでは紙上の創造になってしまい、現実感がない。画に描いた宰相像を求めても仕方がない。そこで、史上の「宰相」にあたる為政者をふりかえってみることにする。その中から今後の宰相として適格な要素が見つかれば、あるいは具体的な考察になるかもしれない。」という書き出しに惹かれ当時(2009年)首相がくるくる替わってめまぐるしかったのでだらしない政治だなあとひそかに嘆き(わたしが嘆いても仕方ないが)何にかの参考になるかと買い求めた文庫しかし、当時は読み出せども大久保利通・伊藤博文・西園寺公望・原敬・近衛文麿・吉田茂などと資料によるかなり硬質な文章、挫折していたのだでも今となって読むとなかなかおもしろい清張さんが「明治大正の政治談を好んだ亡父に捧ぐ」と思い入れた思念が湧いてくる気がするわたしとしても購入後、7年も過ぎればすこしは進歩したのかもしれない(笑そんな思いでいる、食事時の会話身体の機能は衰えども、脳は使えば維持できるという話になって「わたし、老年になってものごとが複眼的に見られるようになり範囲も広がってきたのよ」と言ったら夫が「子供が成長したようだね」と言うわたし「あなたには言われたくないわ!」(怒)なにさ、日常生活、何もろくに出来ず、まるで幼児のごとくあり全部わたしに日常生活雑用が降りかかって、老々介護だってのに!ちょいとストレスたまってるようだ(笑
2016年01月07日
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去年、実施した家のメンテナンスの余波塗装屋さんの掃除指導が極まって掃除機を買い換えた「お宅の掃除機はいかん!」とけちょん、けちょんに言われた今まで使っていたのは20年前のしろものだって壊れないだもん、ま、少し上等のを使ってたかもでも、機器の重いのなんの(5キログラム強はあるよ)階段の掃除でもろとも落ちそうになったこともある寄る年波には勝てない、苦戦していたのよ暮れ、娘の家に手伝いに行って娘の家も前のが壊れたとかで新しい掃除機になってた機器を持って見て驚いた「軽い!」さっそく「こちとら」もと三が日と言えども家電屋さんは初売りで開店している買いに行ったはよいが、目当ての品物の在庫がない入荷したら配送してほしいと言ったら、送料頂くとのたまったま、量販店の限界だね(〇〇ダ電機ね)帰ってきてネットで注文してしまったよそして、今日届いて、使ってみてびっくらこ軽い、軽い、2.4キログラムだもの、とーぜんだ部品(持ち手の部分)も、ものすごく軽量するする動くのなんのほんと知らなかった!!これだから高齢者は時代に遅れるというか古い方の掃除機を今週、月一回の「燃えないゴミ収集日」だから捨てるとまとめていたら、夫が「まだ使えるものを、もったいない」とのたまうわたし(怒)「誰がつかうの!」日頃掃除機など使ったことない癖に!!という、何でも取っておきたい&捨てられない症候群の高齢者がそばにいるからね(笑もしこのブログを高齢の親御さんがいる熟年さんがご覧になって掃除機が古かったらプレゼントしてあげるか、教えてあげて1万円ですから
2016年01月05日
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元日、二日と太平洋側はおだやかなお天気が続き、めでたいですね朝食後、初歩き(8,000歩)をしましたよ運動公園までの往復4,000歩、グラウンドを5周30分かけて4,000歩帰ってきてお風呂に入り(いつもはしませんが、お正月だから)数の子、黒豆、酢だこで日本酒(八海山の生絞り)をいただきやっとお正月らしい気分になりました飲めば会話がはずみます今の時代は閉塞感があるというが江戸末期、明治新政府時代、昭和前期、戦後復興期時代などいつも政府は借金まみれだったんではないの希望があったから明るいとかいうけど、希望なんてかたちのないもの、気のものどうして今、前向きになれないのだ少子高齢化をちっと気にし過ぎていやしませんかそれをなんとかするという目的があるのだからそれに向かって思考するという行動があるじゃありませんか!ってんだ誰かにやってもらうんじゃありませんよ、自分でするんですよ「明日は変わる」「次に何かある」というのはどうなるかわからないから出来ることなどとわたしがしゃべりまくったらしい(笑
2016年01月02日
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家の外壁やら屋根の塗装をしたのはいいが業者さんがペンキを塗る前に外側オール洗浄というものをするあの「高圧洗浄機」でねおかげで家まるごとみちがえる程きれい外側の何から何までピカピカになったのは良かったが例えばガラス戸の外側がきれいに洗浄されれば内側のガラスも拭かねばならなくなったわけ内側のガラス戸を拭けば、内側の壁紙も気になるわおまけにこの熱心な塗装屋さんお掃除の方法を伝授してくれたのだ仕事さきでもらったという温泉ホテルなどで一度使用しただけの薄手の真っ白なタオルを沢山、我が家にも置いて行ってくれそれを固く絞っての水拭きが一番とおっしゃるやりました、やりました、というかまだやっている最中である建坪50の家の壁、台所、浴室、トイレ2つ、納戸2つに部屋5つたしかにさっぱりして、いわゆる「灰汁洗いした」ごとくなる家のうちだけどたいへんよねほんと一生の分の拭き掃除の感である(いかに、いつも拭き掃除をさぼっていることか!)しかも「健康寿命」を伸ばそうとて一日8000歩の「いきいき歩き」を始めている最中にであるもう疲れて毎日早くからぐっすりさてさて、今月の読書は1~2冊になりそうである、と
2015年12月22日
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家の屋根や外壁のペンキ塗りの職人さんが入っておりここのところ忙しくしてましたこの家も建てて、もう15年経ちました地元の大工さん(工務店)に建ててもらうのがいいかなと大手の工務店には頼まなかったのですちょっとした手直しや何かと便利でした後期高齢者の、この大工さん、ちょっとあやしくなりました言ってることがわからなかったり、矛盾していたり見積もり書も最初はめちゃめちゃでしたし手直し仕事も時間がかかる割には出来栄えがいまひとつ跡継ぎの息子さんがいるのですが事務所も別に構えているそうで、かかわって呉れなさそうでしたおやじさんが拒否してるのかもしれませんがなんだか親子関係がよくないような感じ息子はひとり息子、大学卒、二級建築士おやじさんは職人気質、気心が合わないかったのかなあそれともおとうさんの呆けぶりに愛想が尽きたかま、ペンキ塗りは塗装屋さんがするのだからと行き掛かり上、頼みましたけどねところが、この地元の塗装屋さんは親子3人でチームワークよし、仕事のてきぱきしていること二人の息子は二男三男とか、非常にお行儀がいいしおやじさんの躾のほどが知れますこのおやじさん(やはり後期高齢者)、職人気質で厳しいんですよ息子さんたちよくついていきましたね、結構なことじゃないですかあとで知り合いに聞きますと、長男は家業を嫌ったそうですが二男三男がいて、なおかつ教育がよかったのですねどこも跡継ぎ教育は大変ねよくいく魚屋さんも息子とおやじさんの仲がよくない一緒に商売しているとお客がその場(お店)にいたたまれないのです今はよそに勤めているらしいけど目利きのの魚屋さんなのに惜しいです
2015年11月29日
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わたしはわかっていなかった!先日、東京でひとりを謳歌していた何が悪かったのか夕方から腹痛定期的にさしこみの激痛、びろうながら下痢数十回、あげくに血便までたいがい一晩過ぎたら治るものなのに、こんなこと初めて何か悪い病気かと心配になって心臓がバクバクこんな時、ひとりっていうのは不安が増すものである明るくなってきたので(4時半頃)医院に行こうと思えどかかりつけは9時にならないと出勤してこないのはわかっていてそれまで待てない気がしてきて、すわ救急車!かしかし、なんでもかんでも救急車を呼ぶな、という自制が働いて(笑)逡巡痛みで頭が回らないながら、やっと東京には(他の地域にもあるだろうが)「東京救急相談センター」があるのを思い出したしか、番号が冷蔵庫にはってあると気が付いて電話「救急相談センター」(♯7119)とは救急車を呼ぶかどうかの判断や救急病院を紹介してくれるシステムところが、ちょうど携帯をスマホにしたばかりで電話のかけかたが慣れてない(笑シャープを探したりしてかけるのに手間取り症状を述べたり、そんなこんなこで緊張したせいかほぼ痛みが止まったのには笑えないおもしろさでも落ち着いた消防署の係りの応対が有難かった救急病院に内科のお医者が待機しているか調べてくれるし親切それで半分がた治ったようなものねしかも救急病院の内科の先生とも電話でお話し出来タクシーに乗ったころはには平常心「××病院の救急入り口に」と言ったせいか運転手さんもタクシー代をおまけしてくれたのよこういう時の気配りって身に染みるね血液検査など診断の結果普通の細菌性の腸炎原因不明というわけで大事にはならなかったけれどもなかなか治らないのは年齢によるものと感じているさてさていずれはひとりでいろいろ処理しなければならない時があるちょっと考え方が甘かったと気が付いた次第 らくらくスマートフォンで撮影わたしの手持ちカメラでは一番画素数が多く高級なのであるスマートフォンを買ったのか、カメラが欲しかったのか(笑(旧古河庭園にて)
2015年06月03日
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当地の今朝は雨の中、霧がまいて濃くなったり薄くなったりしているつまり窓の近くに白いもやが押し寄せたり、しりぞいたり幻想的ちょうどダフネ・デュ・モーリアの『レベッカ』新訳を読み終わったばかりで(その霧の場面が印象的)連想するしばらく異常な暑さだったので、湿り気が林の木々から発散させているのであたりまえのこと、こんなことどうでもいいんだけど今朝、起きしなにBS海外ニュースを見ていたらBC海外のニュースはこのごろ通訳者のナレーションがなめらかになったと感じる同時通訳ではないのだから、たどたどしいナレーションは気になるなと思っていたからそのニュースのひとつに地中海でも、東南アジアの海でも難民が満載の船が漂っていてドイツや他の国が人道支援の継続に苦慮しているとのことこういう風に逃げなくていい日本はゆるい平和だよと朝食で夫にその難民たちのはなしを振ったら昨夜NHKクローズアップ現代で日本の貧困が取り上げられていたという話題にいってしまったなるほどどちらも重いが、やはりまだ余裕の日本だな、いや危ういかとこんなふうに家庭菜園の忙しさは一段落してTV、新聞、インターネットでの話題が多くなった日常ではある相変わらず読書は快調ではあるがなんだかなー、読んだ本をずらずらっと並べてもどーなんだろとしばらくご無沙汰、そのうちにアップしようかとあ、そうそう、とうとう携帯をスマホにしたこれで他所でもブログアップ出来るんだけどもね(笑ちょっとわかりにくいが手前左がトマト、緑の網に囲まれているのがキュウリ奥に茂っているのがジャガイモこんな感じ
2015年05月16日
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「オレオレ詐欺」や類似のが相変わらず多いらしい電話一本で300万円や600万円をぱっと出してしまう親これ娘が「ワタシ、ワタシ」といってその種の詐欺が起こったという話は聞かない女性は普段から親と会話しているから、バレやすいか多額の金額を扱う仕事は男性が多いからか偽の息子に泣きつかれる罠だけど、親はなんて息子に甘いんだろ会社や他人に迷惑をかけるから助けて、だと会社首になるのも、ひとでなしになるのも自分なのだいったん世の中に出たのなら自分で何とかしなさいよ、というのがわたしの躾むかし、息子が就職したばかりのころある月の給料で足りないと言って来たことがあったわたしは貸さなかった遠隔地の会社の寮生活であり、食事付なのである昼食は抜けばいい給料をきちんと計画通り使えなくて、仕事が出来るわけがない就職してから実家暮らしをしたことがない息子である永らく年に2,3回かしか会わなかったが時経てまた遠隔地に転勤、前より多く帰ってくるようになったそんな折「前の時はほとんど、家に帰ってこなかったね」と聞いたら「お金がなかったんだよ」はい、そうだったね
2015年01月30日
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自分の性格から来るのだけれど、やり過ぎている自分に腹が立っている暮れからお正月子供たちや孫が来て、にぎやかだったのは嬉しかったのだがたぶん菌を持ってきてくれたのだろう夫が胃腸に来る風邪をひいて大変なことになってしまった熱とゆるくなったおなか、まあ、介護だわね消毒、洗濯おおわらわで、病気なんだからしょうがないが一週間看病に追われたよ、おかゆ、うどん、野菜スープそうしたらわたしにもうつったのねでも夫は回復期、食欲旺盛わたし、寝ていられないで食事作り、よ(夫より軽かったのか、ゆるくて困るという状態ではなかったが)なぜ夫がこまごま看病できないか能天気と不器用に尽きるむしろそれを武器にしているかもおまけに夫の大学クラス会の幹事の補佐をしていたわたし(パソコンが出来ない夫に替わってやっていた)その最終年度の仕事「新年会日」が風邪の最高潮の時ほんと、行きたくなかったのだけれど性格ね、責任を感じて行かないとは言えないでもそのわたしの性格をよく知っている夫「大丈夫か?」といいながらも「来なくてもいい」とは言わないそれもなんとか済んで、風邪も治ったが腹が立ってしょうがない、律儀な自分の性格にねよく言うよね主婦は風邪でも寝ていられないって若いうちはそれも出来る「もう出来ないよ!」って、いつ言おうかと思っている今日この頃ひとり暮らしもそういう時厳しいけれど相手がいるからいいとばかり言えないいっそ、ひとりならと思わないでもないがせっかく50年きたのだし(笑
2015年01月22日
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静かな大晦日でございます息子が東北の転勤先から帰っておりますし本日もうじき娘一家5人も来るでしょうでも喪中ですのでなんとなくわたしは楽ですお飾りもなく、仏花だけはなやかでお節はどうせみんな嫌いだしやめてただの休暇をみんなで過ごすという感じあの新年を迎える忙しさはなんなんでしょうねいろいろ用意して気忙しい、わくわくするような雰囲気はこんなことなら例年こんな風に過ごせばいいのではないかと思いますではみなさまお健やかに良いお年をお迎えくださいませ
2014年12月31日
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先日年賀状のやりとりはしているもう50年会っていない、昔の会社同僚友人と再会したわたしは姑が今年亡くなったので11月中にと喪中欠礼はがきを書いていた今年頂いた年賀状も参考にする書き添えられている文面を読むそうすると「こんど会いたいねえ」というようなのが多いいつもなら年賀状はかなり押しつまらないとやれない、わたし12月の誰もが忙しいときに「じゃ、会おうか」なんて気持ちになれないだけど、いまならまだ11月「会おうと思えば会えるじゃん」と思っていた時も時、その友人から突然の電話つまり友人も同じような考えになったのだろうと思うもう一人の元同僚友人(は近々会ってる)といっしょに待ち合わせた待ち合わせ場所ではなかなか彼女がわからなかったお互いおばあさんとおばあさんだもんね(笑まあしかし、わたしは外見ではなくて「どう過ごしてきたのか?」が興味ある友人だったのよ美術大学出てデザイン部に居た彼女その後、仕事もしなかったし、絵も趣味ではないとのことでもって趣味の卓球がおもしろいとか、同級生のご主人と幸せそうというのは嬉しかったのだけど結婚して子供を育て、孫の世話も一段落っていう話に終始それが延々と続くのね、ほんとにがっかりしたご近所の井戸端会議じゃあるまいしなんていうか、話の仕方、話の中身なんだよね会話の妙味がないのだよ一緒に会った元同僚友人はお花の師匠でそんな風じゃない3人で読書会やったあの時代の雰囲気はもう見る影もない彼女が変わったのか若いときのわたしの思い込みだったのか...つまり、深い話が出来た仲間だったと思ったのがしかし、ひとのことばかり言ってはいけない自分を顧みて50年の時間をどう使ったかと考え始めるとなんだか空恐ろしくなってきた
2014年11月29日
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少し前、秋の旅行で房総半島の先に行って来た夫の学友とその妻も同行のクラス会合ま、歳とってくると本人だけでは行動がとれず家族が同伴となる、なさけないような会でもあるわけそのようになった、この集まりがしばらく続いているのであった順番でことしは夫が幹事役年波とは関係なくそのようなことが苦手な夫の補佐をしているわたしちょっと思ったことがある妻が参加する人と、しない人がちょっと気まずいのよそして高齢同士なれば奥さんが亡くなった人もいるわけでいやいや離婚した人や別居している人もいるわけで(笑そのとりどりの人たちで旅行に行ってきて夫たちは学友なれば意気投合して楽しいの、あたりまえ妻たちが場違いな雰囲気に戸惑っているのもほんとう一回か二回ぐらい参加してもこの雰囲気が嫌になった妻もいるだろう夫婦合同の会合となったとはいえなんでそもそもも夫どもの集会に妻が行くのかという妻どもが居てもおかしくないしかし会合(パーティー)は出会いの場であるそういう事情は置いておいて新しい出会いの場としての愉しい集まり(夫ある妻たちが参加なのだから合コンではないが 笑)おいしいものに、楽しいお酒話題が沸騰すればいいではないか独り身で参加の節は「彼女でもつれていらっしゃいな」とわたし思っているのだが...いけない?
2014年09月25日
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「すまない きみに迷惑をかけて 恥ずかしい」と夫お彼岸に夫の兄姉が集まってお墓参りをすることになっていたのだが義兄夫婦がドタキャンしたのであるというより来たくなかったか、行く必要がないと思ったのかしかし姑が亡くなったばかりだし新盆の供養も弟に任せっぱなしだったというのに今回もまたぁ!という気持ちがあるほんとにちゃらんぽらんな性格の義兄夫婦ずっと前に姑がお仏壇を義兄に渡したいと願った時「そんなもの置くところがない!燃してしまう」と拒否されたと嘆いていた姑を見かねてというか、「ひどいことをいう」とびっくりしたわたしが「うちでお預かりしましょうよ」と言ってしまった経緯それから先祖代々の位牌とお仏壇やお墓をお世話しているわたしにしてみればお墓参りの時くらいまじめにやれ!って思うのだが...いっそ「無宗教にて合理的に考える」と言うのならご勝手にどうぞ!なのだがご先祖と一緒のおはには入るつもりらしいし(笑夫も「そんなのんきな兄は知らん!」と、突き放そうとは思っていないで冒頭の会話「わたしも恥ずかしいきようだいを持っているので、お互い様」と答えたわたし身内の「困ったさん」もこうわたしたちのように歳経れば杓子定規に言い立てるのもだんだん鈍ってくるものよねまあ、対外的にこのことによってまずいことになるのなら別だけれどもお寺さんにしてみれば誰かが檀家になってくれていればいいのだしいまのところ良好関係であるからして、ね
2014年09月24日
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姑の四十九日法要の会食の時に集まった親族に回覧しようとてうちのアルバムから姑がいっしょに写っている写真をピックアップしている姑は自分の写真はとうに整理してしまって(処分してしまって)いる当時わたしも手伝ったが登山が趣味だったのでその時に仲間が移してくれたものばかりお菓子の箱にごちゃごちゃといっぱいだったので何が何やらわからなくなっており、いらないということだったそうして娘や息子の子供時代のセピア色のはそれぞれに分配してしまっていた遺影も自分で選んでおいたしまあ、おみごとということさてうちのアルバムを取り出しているのだが幸か不幸か私は整理好き50年分きっちり時系列に30冊あまり本棚にぴっちり収まっているそれでも30冊で済んでいるのは21世紀に入ってからはデジタルになりそれはディスクに入っているからよこどもそれぞれに分けて渡してしまえばいいのだが娘はいらないと言うし、息子は全部電子データにせよと言う娘だってコンパクトなら欲しいだろうがこの作業は少しやってみて、時間がかかるしめんどくさいけれどもまだ業者に頼むほどでもないとは思っている自分たちのはいいのだけピックアップしてひととき思い出に浸りいよいよの時捨てるとするかそれも電子データか、焼いたものか迷うが「こんな年取った顔、もうあまり写真に写りたくない」と誰かが言っていたが、だからこそさいわいわたしたちのはもう増えないと思うし30冊これを機会に整理を開始、かな?
2014年06月11日
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ご無沙汰しました姑が亡くなり、葬式などの実務をわたしがやりまして超忙しかったものですからわたしが結婚した50年前はお見合だろうと、恋愛出会い結婚だろうと「長男か、そうでないか」ということが選択手のひとつになっていたもの(今はそんなこと少子化で無理ね)だからわたしも夫が「二男」であることに安心していたのもほんとうけれどもしばらくして長男も健在、嫂もいるのにいろいろの事情でなんだかなーと思いつつ長男の役目を夫がしていたのだったしたがって最後のこのとき喪主にならざるを得ない状況家は東京の古い由緒あるお寺の檀家だし姑も古い家の出それなりのお葬式になるもちろん105歳の大往生親戚知人も亡くなっているか超高齢で来られない子供たち、孫たち、ひ孫たちの集まる家族葬というものになったがなんですねえ家族葬って意外とお金のかかるものまた、お寺にもびっくりするほど取られる(それかい 笑ほんと煩雑な用事にくたびれお金は出るし思い出に浸ってはいられないのであった(笑が思い起こせば32歳で夫を亡くし戦中戦後の混乱期3人の子供を懸命に育てた後自律した人生をめざし、登山の趣味を持ち毅然とした明治生まれの女性であった姑にやんわりと(ひにくっぽく)、時には厳しく仕込まれはやはり姑との出会いは、わたしにとって有意義以上たいへん有難いことではあった
2014年05月23日
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「容体が急変、救急車で病院へ連れて行きますから」と105歳姑がお世話になってる特養ホームから電話「わかりました、よろしくお願いします、わたしは明日かあさってに行きます」と夫が返事してるあれれ、入院しては快復して施設に戻ることの3度目だとしてもすぐ行かなくていいのかい?と思う夫はボケたのか、ちかごろちょっと変なので気になってるあちこち電話しあって(といっても3人の老人姉弟間)結局、義姉が自分の老人ホームから病院へ駆けつけた(一番病院に近いのもある)義姉いわく「救急車で運ばれたから間に合わないと思ったけれど、元気でびっくりした」で入院の翌日手続きもあるし、わたしたちも遠路、病院へ元気なもんですか...当然だが医学的にも説明があったし、近い、けれどすぐじゃない夫いわく「ほら、思ってた通りだ、ぼくはボケだのではない!」あーあ、またからぶりかな(コレ、コレ思い出になるときがいつ来るのか?わたしは不謹慎なのである
2014年04月29日
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しばらくPCのないところにいますブログにしたいことがいっぱいあるのですが残念!今年も隅田川の観桜 クルージングしてきました
2014年04月10日
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カミングアウトしますわたし、59歳ごろから耳鳴りが激しくしだし、だんだんと音がとらえにくくなり10年以上経った今、右耳はほとんど聞えなくなりました耳鼻科に診てもらいましたが「内耳が壊れたのですね、治りません」 「経年ゆえの」 です ともちろん、老人性の症状ですよいわゆるいろんなところが故障してくるのですね「あきらめて上手に付き合っていこう」 ですかなでも、困るんです右側から話しかけらたら聞こえないのですいろいろの音がしているところ、例えば街中では左耳が聞こえるのに、会話が聞こえにくくなりますレジスターや売り場の若い店員さんの声もわかりにくい必ず聞き返してしまいます、たいがいはコンビニ「お箸いつけますか?」や本屋「カバーおかけしますか?」スーパー「ポリ袋にお入れしますか?」「ビンクッションつけますか?」なんですね、聞こえなくても返事できるようになりましたよいちばん困るのはパーティーや飲み会など人が大勢集まってがやがやしている中で会話しなければならない時には左側の席の人の話しか聞こえませんので相手の反応からたぶんとんちんかんの返事をしていると思われることもちろん、補聴器のことも考えましたその聞こえにくい右耳に補聴器つけるべきかふたたび診断に行った病院で聴覚検査やMRIやCTの結果いまのところ「補聴器は必要なし」の結果にむしろ、いろいろの音を「集積し過ぎるから」とのことわたし「????」おまけにそのMRIやCTの画像検査でそちらの方の症状が進んでいるということで去年副鼻腔炎の手術をしたのですよ!ま、それはそれでよかったのですが会話が聞き取れない悩みは解決しておりませんそこで今回の佐村河内守さんがやった詐欺のような出来事ゴーストライターの点や身体障害者のふりをしたなどなどいろいろ思うところはありますが彼が手話と口話にたけているようなところが非常に興味ありましたねわたしも勉強しなきゃいかんかなあとところであの聴覚検査は自己申告ですねわたしはどうも耳につけたレシーバー機器の振動の段階ですぐ反応してボタン押していたように思うのですこんどは本当に音が聞こえた時に押さなきゃいけダメですね~
2014年03月10日
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まじめにブログをアップしていると2、3日PCを留守にしているのはやばいと思うのであるから、やはり「やる気」の中毒らしいわたしの携帯はガラパゴス以前の代物だからネットができない状況に入ってしまうともうお手上げということで、しばらく留守にしていた間遠のブログアップであった昨年までならなんということもない事象であるのである(笑さて、今回の留守は、横浜、東京、千葉にわたるツアーになった* ある会の会合ための現地調査 知られていないけれどもおいしくてリーズナブルな中華料理店の確認 そして、食後の散歩&お茶する店の探索(横浜中華街と港町)* 十代のころからやってもらっている美容室に行く それが東京* そして、もっと離れたところ(房総半島のど真ん中)の施設訪問 もうじき105歳になろう姑に会いにいくのである 行って帰ってくると600kmのちょっとした旅であるこれが旅の目的なのだが105歳の姑には3人の子供、長女83歳、長男80歳、二男76歳がいる二男がわたしの夫、よる年月で、それぞれガタガタしこまめに動かなくてはならないのが当然76歳の末子になるのである姑はもう3度、ダメか!という入院を繰り返しても、よみがえってしまうのである最近は、去年の12月に施設に戻ってきたところなのであるもう、人の判別はつかなくなって、ようや食物をく嚥下している状態しかし昨日の姑はわたしたちが顔を見せると、顔をくしゃくしゃにして笑ったのである話はできないが顔と顔を見つめあって、何か電磁波のやりとりをしたそのうちに眠ってしまうのであったが、、、子供たちは自分たちが老いてきているので、「いったい、いつまで生きるの?」と戸惑っている
2014年02月18日
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まだそうご挨拶してもいいでしょ最近は日々が速い(く感じる)のでもう正月気分も抜けたようになっております本年もよろしくお願いいたしますということは今年もだらだら続ける気でいる(らしい) 旅行から帰って、暮れまでの忙しかったこと!障子張替、ガラス拭き、換気扇掃除浴室掃除、寝具の点検、買い物等々ま、おせち料理を全面廃止にしたのがせめてもの「楽」かなほんと若い人たちの不満もなく、わたしたちのノスタルジーもなくあれは不必要なものだったのねとわかりましたつまりお正月は普通においしいものを食べて楽しくすごせばいいのですというより普段から「盆と正月」のような食事をしているのですね12月29日から1月3日までばっちり孫、子家族(5+1)が「わいわい」しておりまして帰ってくれましての、きのう、また(汗)大掃除をしてやっと、ほっと(笑)でございます本日は冷蔵庫がカラになったのでスーパーへこれでふたりの日常がはじまるのでして これ、何年かまえのお正月にアップしたものなます、酢ダコ、黒豆、数の子、栗きんとん、かまぼここんなシンプルなお正月料理の用意でも大変だった!
2014年01月05日
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入院、手術(副鼻腔の)、退院してきた命にかかわる病気ではないが、全身麻酔は命の危険があるともかくも生還したことを嬉しく思おう(大げさ)お産を除いて入院手術はこれで3度目そのたびに同病室の患者さんで印象に残る人々がある同病相哀れむもということもあるけれども病んでいる時にこそ、垣間見える人間性に惹かれるのである最初の手術は12歳の時の盲腸昭和20年代で入院中は母が付き添い食事は自炊というレトロ時代小学生故、お見舞い品がなにしろ嬉しかった幼く人の機微には気が付かなかったようであるそういえば、先日その6年生の同期会に60年ぶりに出席した時すっかり名前も印象も薄れてしまったクラスメートの男性に「会っているうちに思い出したよ、盲腸したでしょ、僕お見舞いに行ったよ、わずかなお小遣いで飴など買ってね」なんて懐かしがってくれたのに恐縮してしまった(汗二度目は35歳の時、駅の階段から落ちて左のおでこを強打し、左目が網膜剥離になり入院手術東京の順天堂病院だったこの時はもしかして失明もあり得るという精神的にも苦痛な状況6人部屋の人々もみな重篤な目の病気だった自分の不安でそれどころではなかったのだが時間が経つにつれて、皆の様子がわかってくる15歳くらいの美少女が先天性の「そこひ」だったわがままいっぱい、あれこれ言いたい放題看護師さんも気をつかっているし見舞いに来る母親も甘やかし放題見聞きしているわたしは一発張ってやったらいいのではないかと思ったでもで高級なヨックモックのチョコレートクッキーを(当時は今のゴディバくらいランク)ひとり次から次へ紙をはがして食べている横顔の寂しさそれをを見てしまい、と胸を付かれてしまったあれから37年、どのような人生をすごしているのだろうか隣のベッドの女性は私と同じ網膜剥離、しかも両目同年代でもあったので幼い子供が家にいてだんなさんも仕事を休まざるをえない妻の看護もままならず、いつも誰の見舞いもなく、一人でじっと耐えていたわたしはやはり幼子が居たけれども、姑、母が交代で介助してくれていた毎日見舞いに来る母がわたしにあれこれと看護してくれるのが隣にいて感じられ、とてもつらかったのではないかと思うと今でもわたしはすまない気持ちになる朝、起きるなりお経をあげていたふたりのおばあさんたちきっと、なにかの宗教信徒だったのだろう完全に失明されてしまったが「お灯明のような光」だけは見えると喜んでいたのが印象的それなのにとても親切なひとたちで忘れがたい幸いわたしの左目の網膜剥離はその時点より変化はない そして今回また2名、忘れがたい人に巡り合ったのであった 退院して間がないのでいろいろ症状が出る疲れるのでこの辺でまた
2013年11月08日
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「それみたことか、わかったか!」と言いたいことがあるひとの(妻の)痛みはわかったかな一昨日わたしは用事があって娘のところ(一時間ほど離れている)へ出かけていたちょうど夫はゴルフをしに行く日でもあり、昼食事の心配もいらないし(なに、そんな時を選んだのだ やさしい妻 笑)ところが、ゴルフ場についた夫は雨降りがひどくて、とんぼ返りをした当然昼食は用意してない、スーパーでお寿司のテイクアウトそこまではよかったが、買った寿司が「鯵にぎり」6個と「しめ鯖にぎり」6個なに??夫は「鯖にあたる」と常々言っていたではないか!だから鯖料理はほとんどしないだけど到来物(釣ったと言って)よく頂くんだよそんな時も絶対に「しめ鯖」は作らず、いろいろおいしく工夫するけど食通で食べるのだい好き夫なのに、箸がのろいのが常娘のところから帰ってきて駅まで迎えに来た夫がなんとなく元気のない様子わたし「鯖なんて、なんで買ったの!」夫「まちがえた、でも平気だった、3個しか食べないで残しておいたよ」わたし「ばかだねえ、、、、」しかし案の定夜になって苦しみだした(時間差でくる)外見は蕁麻疹などでなかった(すこしだけだからか?)が内臓は腫れたのだろう一晩中寝られなかったらしい気持ち悪さを昨日も今日も引きずっている実はわたしも「えび」でそうなる胃腸が苦しくて調子悪くても、外見に蕁麻疹が出ないからながらくアレルギーだとは知らなかった、わからなかったつつましいわたしは(笑)そんな時じっと我慢をし一晩中耐えていたことが幾夜、数知れず経験上えびがいけないとわかったのだがアレルギー検査をしても出なかったボタンえび、桜えび、甘海老などではならないから不思議?ブラックタイガーやいわゆる小えびがいけない養殖時の餌と抗生物質が原因かもしれない?「えび」が原因とわかった今はわたしは「えび」は食べない、料理しないでも、えびが大好きな夫はうらめしそうにいつもしていたよ日本人はみんな、これがばかに好きだよね海老フライはもちろん、天丼、天そば、茶わん蒸し、おせちの真ん中の定番...何かというと、何の料理にもついてくるね最近、養殖時に病気が出て品不足になるというニュースも小耳にはさんだが鰻と同じく日本人食べ過ぎではないのかなぁまあ、ともかく「わかったかい!」といいつつ介抱しているわたし(ふふふ ちなみに「鯖アレルギー」をネットで検索したら* ひとつは鯖のヒスジンというアミノ酸がヒスタミンになって蕁麻疹を起こすという* もうひとつはアニキサスという鯖についている虫が原因加熱、冷凍で死ぬが、塩、酢では死なない、死んだアニキサスでも反応するらしい(ちなみに鯖、鮭、鱈、鯵、鰯、烏賊にもいるという)人間の体内ではそのうちに死んでしまうでも、アニキスの作用が酷いときは胃内視鏡で取るのだとか* いちどアレルギーを起こすと「感作」といって再び起こす体質になってしまうだから、うちでは献立に「さば」と「えび」はない
2013年10月08日
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「こんなに悲しくっても(打ちのめされていても)おなかが減るのねぇ」と通夜ぶるまいの最後に食べながら言った義姉にうなずきこれなら大丈夫と思ったわたし暮れの押しつまりに衝撃を受け、お正月も吹っ飛んで、松の内にお葬式だなんて世の中にないことはないだろうが、遭遇したくもないしかも義兄(夫の姉の連れ合い)は病死ではないのだから密葬かとも思っていたが、事実は隠して地域のつながりの盛大なものになった都会風の合理的な(良し悪しは別にして)感覚ではわからないような事実は隠してといっても田舎のこと、うわさは広まっているはずそれに義兄は地域の世話役を長年やってきていたのだからいろいろとりざたされるだろう、それでも体面と形式が優先されるのだろうかあるいは惻隠の情か、普通の葬式であったとにかく気を張って義姉はつとめていたし、もともと気丈というか負けず嫌いそれが結果、当初「私も死にたい」ととりみだしていたのを脱したようにみえるもちろん、一時の忙しさが引いたときが気になるがわたしや夫のできることで手伝いたいと言ったら喜んでくれたわたしだけじゃなく、義姉はいい関係の子家族(孫はみんな成人している)もいるしそんなことで、昨年一年を振り返るのも、今年の抱負もどこへやらただ、このブログはわたしらしいやりかたで続けて行こうと思っていることは確かだ
2013年01月07日
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用事があって東京に出ていたあちらはまだCPUが小さいのろいパソコン!いらいらしながらブログをしようとしててアップしないうちに帰ってきてうちなおしている(ことわることもないけど 笑)やっぱり東京の空気は乾燥していて人も多い、その人ごみの中前を歩いているお嬢さん かわいそうなくらい痩せ白いタイツにつつまれた脚の細いこと、か細いこと!拒食症を発症しているのではと思うためいきがでるそうなる前になんとかならなかったのか家庭でなのか社会でなのかの精神的なことが誘因なのだろうか事情はいろいろ他人にはわからないむかし友人が子供のことでいろいろ悩んでいるのをしゃべった挙句「ああもう、やめようこんなことをやっているとガンになってしまう」言ってとさっぱりした顔になったきいていたわたしがゴミ箱みたいな気がして「なあんだ」と拍子抜けしたけどしゃべってストレスを解消できる性格のひとはいいわたしはなかなか言えないなぁむしろ悩んだりしている状態を言いたくないそんなへんなところだけ負けず嫌いか(笑)それじゃストレスがたまってしまうではないかしかし、おばあさんの拒食症は聞いたことはないよこころはもう食べることしかないもん!
2012年03月16日
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ただし 3泊4日のね実は東京の家に消防用設備点検と配水管清掃が土曜、日曜とあって立ち会わねばならないのだったの「こんなことはあなたはしたくないよねしかたがないわたしが立ち会から」 と言ってせしめました 楽しみました ひとりぐらしなんで こんなに せいせいするんだろごはん作ってもごみが少ないし 時間も自由立ち会いは短時間だからすぐ済んで夜は大好きな機械いじりを 好きなだけしていられたなにねデジタルテレビにアナログのDVDレコーダーをセッティングしたただけなんだけどマニュアルをみてあれこれ試してみるのがわたしはすきなのだ居ると 夢中になってやっているのに「なにやってるんだ ごはんまだ?」これがないのがうれしいひとりだとアルコールも少なくなるし体調もよくなるし いいことずくめわたしってひとりが合っているかもいやいや たまには離れてみるのもいい 元気が出る友達と旅行するという手もあるがそれとはまた別な意味があるねさてもう一晩なにしようかなー
2012年01月30日
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中学時代の友人から電話があり当時の担任の先生が歩行困難になり(70歳のわたし達の担任だもの)当時のクラスメイトが集ってお見舞いに行くけれどもいっしょにいかがという誘いを受けた。しばらく前にその中学の同窓会の通知があり、わたしは同窓会はクラスメイトばかり集まるではないし、その中学卒業もしていないので(2年生の終わりに東京に転校してしまった)欠席の返事を出した。幹事でもあるこの友人がその返事を見て電話をくれクラスメイトは懐かしいでしょうからそんな機会があったら参加したら、などと話が盛り上がっていたのだが...やはり断ってしまった。行く場所がすこし遠いということもある。しかし、クラスメイトの懐かしさには濃い人もいるし、薄い人もいる。この友人には逢いたい。一緒になるだろう他の友人だった幾人かは逢いたい。でも先生は?3年の卒業時にわたしはいなかったんだし、逢いたいほどのつながりが無かった。このごろ、自分の予定をシンプルにしたくなっている。したいことのみしたい。義理を欠いてもNOと言おう。心地よいことでなければ無理にしない。永年の縁を切ってしまうかもしれないが割り切る。と、こころに唱えなければなかなか出来ることではない現実。
2011年11月10日
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娘の家とわたしの家は交通機関で一時間半ほど離れている。 今日の娘の誕生日にあわせて宅配便を送ったのに、当の娘に小さな孫との留守番を急きょたのまれ、娘の家へ朝早くから出かけて、孫と遊びつつ留守居をしながらその宅配便を受け取るというあほなことになったのであった。でも、悪かったと思ったのか娘が自分でケーキを買って帰り、母娘のおしゃべりで誕生会となったのは思いがけなくよかったのである。さて、わが家の夕食は4時。あわてて帰宅した。『池波正太郎の映画日記』講談社文庫(1980年代の作品)より*月*日...映画試写会「007・私を愛したスパイ」に行って、感想批評を述べたの後... どこかで夕食を食べようかとおもったが、昨夜荻昌弘氏との対談で、荻氏に米沢肉のすばらしいのをもらっていたことをおもい出し、あわてて帰宅。 テーブルに鉄板を出し、先ず、バターでニンニクの薄切りを炒めてから、厚い肉を焼く。片面こんがりとしたところで裏返し、清酒をふりかけ、さらに醤油をそそぎ、すぐさま熱くしておいた皿へ移す。レストランのステーキよりは、ずっとうまい。ただし、女に肉を焼かせたらダメなり。どうしてだろう?ほんと、早くてうまそうな晩飯なり。しかし、私は女昨夜の鯵のたたきの残りを酢でしめてあったのと、手作り焼き豚を頂いていたので、鯵の酢の物にチャーシュー麺となった。
2011年11月08日
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先日3日のこと、新橋方面から4丁目に向かって銀座中央通を歩いた。車が通ってなくてガラーンとしているのにちょっと戸惑って、歩行者天国が再開されているいることを思い出した。でも、人出が少ないみたい、震災の影響がまだあるのかな~と思う。恥ずかしながらこれでも若いとき銀座のOLだったので銀座は詳しい、と言いたいが近頃のいわゆるブランド店の乱立以降さっぱり要領を得ない。なにしろ裏道の小さなお店が行きつけだったもので、そんなお店はとっくに無くなっている。それでも目当てはH&M(笑)娘の誕生祝とついでに(?)わたしのものも一着。店は混んでいた。わけである(笑)しかし、このお店、そっけないほどサービスがシンプル。わかっていたけれども。それにしてもハンガーに掛けてある服のしわがめだっていた(笑)しかし、センスを買いにきたのだから。娘のところへ郵送を願ってもNoだ。「裏にコンビニがあるからそこで送ってください」とのこと。さすがスエーデン!ってなにが?ユニクロならそんなことはないだろうということ。ビニール袋のかさばるものを抱えてコンビにに直行。コンビにのやさしいおにいさんにダンボール恵んでもらい(サンクスさん顧客満足です)郵パックにしてほっ!お店を出たらやっと歩行者天国が混んできた。さすが休日。帰りに有楽町へ出たら人ごみがお正月の神社のよう。何ごとと思ったが、マリオンの阪急がメンズ専門店を&西武がルミネになったから、物見高い人々なのである。とにかく銀座より有楽町の方が人出が多いのに驚く。またまた、昔の有楽町はいずこへ?と想うのであった。
2011年11月07日
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日用品を買い出しするのにメモは必需品。わたしはカレンダーの終わった月の白い裏を適当に切って使っている。しかし、お財布をもって、携帯を持って、袋を持ってと用意しているうちに肝心のメモを置き忘れて出てしまうことがある。一度書いたものは覚えているものだが、前から書き足しておいたものは思い出せなくて、買い忘れて帰ってくるほど悔しいことはない。それならばと先ほど携帯のメモに登録してみた。携帯は忘れないだろうからだ。そうしたら「あれ?」携帯のメモを使うのは初めてのはずなのに、すでに買い物のリストがふたつもあるではないか!しかも去年の6月。携帯にメモしたことも忘れている。内容をみるとその後買ったものもあるけれど、買い忘れてそのまま今日まで過ごしてしまったものもある。それなんか入用ではなかったのだ。最近、家の中でも置き場所を変えると大変だ。探し回る。だから置き場所を変えるとき「変えた、変えた」と呪文を唱えることにしている。むしろ意識的に変えまくり、それを覚えることを試せば老化防止になるかもしれない。だがしかし、携帯の去年のメモを発見したのはびっくりだ!
2011年11月06日
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昨日のテーマ「東京の下町っ子」alexさんのコメントから、ああそうなのかと気がついた。 夫の育ちは貴族的、上流階級的なのであると。結婚してびっくりした。(なにをいまさら、と笑わないで欲しい)公団住宅の6畳間にそぐわないスピーカーの大きなステレオとクラシックレコードの山の趣味。サラリーマンのくせにスーツは洋服屋が銀座の山形屋と決って全部オーダーだった。サラリーマンなのに家計も省みず若いうちゴルフ場会員に早々となってしまった。一番びっくりしたのは、アーンと口に入れてもらうのを躊躇しない(新婚の甘い話ではない)。いい大人なのに食べさせてもらうのが恥ずかしくないのだ。それと身の回りのことが自分で出来ない不器用さがとても目立ったのだ。(戦前の話だがねーやさんに何でもしてもらって育てられたそうだからその名残りかとも思うけど、そのまま育ったわけでもないのに)残った「おかず」は絶対食べない。だいいちごった煮など「おかず」というものが嫌い。一品一品になっていないといけない。夫は父を早く亡くしてけして裕福ではなかったはずなのでそんな食事をしていたとは思われないのに、それを言われ続け最近年取ってよけいうるさくなった。食(生活の習慣は百の種類があるだろうが)身の回りのことがよく出来ないというのは生来の不器用さから来るものだと思っていた。あるいはなまけものかとも思った。それも怪しくなってきた。最近も草刈させれば手を切り、蜂に刺されおおごとになる。だから手伝ってもらうのも考えもの、畑仕事はわたしがやっている。これじゃ、わたしは介護士兼畑作業員(お手伝いさん兼雇われ庭師)かとも思う。つらつら考えるとわたしがなんだか損してるのか、この暮らし(東京と別荘地を行ったり来たりの生活)に落ち着いたのでよかったのか、わからなくなってきたのである。庶民的つつましく育ったわたしには違和感満載なれど、わたしが我慢ならぬほどに夫が出来ないことは、叱咤激励夫にさせるようにしてなんとかここまで共に生きてきたのである。というのは大げさだが慣れてしまっている今日この頃である。結婚するとお互いの育ちから来る違い、あるいは違和感がのっぴきならないものになったり、または反対にお互いに影響を与えたりするであろう。だから、もちろんわたしが「いまのわたし」であるのには夫のいい影響もあるのではあるが、複雑な気持ちになるのである。
2011年11月02日
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母の初盆できょうだいが集まりあれこれ昔話に花が咲いて、年取ったきょうだいは思い出により歩み寄りるのかな~と思いながら安堵する(ほんとは相続発生で気まずいのだが、どこのうちもそうだろうからしかたがない)はてさて自分の家に帰れば、息子、娘、娘婿、孫が怒涛の如く来て去って、後に残ったのは散財と筋肉痛のみしかし、なにはともあれ皆が息災であることがありがたいことしは畑に猿とモグラの被害甚大であるけれども、収穫がないのでもなし、夏野菜は買わなくても足りるし、おいしい、ありがたいことだ読書は進むけれども、ぱっとした感想も書けず、新しい想念も湧いてこず、これって意味があるのかと思うしかし、何ごとも中庸で目立たず、能力もほどほどであるということをいまさらながら自覚したのが嬉しいかも世の中は一握りの有能者が居ればいいのだ なによりも今健常であるということがありがたいああ、平凡かな~じぶんのことばっかり!!だって世の中行き詰まることばかりだもの
2011年08月17日
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我が家にはパソコンが3台ある。東京に1台、ここに2台、ひとつはインターネットにつながっていない旧型なんとwin98やっぱりネットにつながっていないパソコンはパソコンではないと、やっと購入の段階になったが、実は衝動買い。扇風機を買いに行ったらパソコンまで買ってしまったという情けない事情扇風機だってこんな風潮でなければ20年も買ってないんだから…モデルがひとつ古いから少々安いということで、わたし念願のノートパソコンを購入さてさて、久し振りにパソコンのセットアップをやり始めたら、これがWindows7、XPに慣れきっているので何がどこにあるやら、決して使いやすくなったわけではない。いつも思うのだけれども、windowsの新しいのが便利になったかどうか、単に慣れの話じゃないかというわけでおたおたしていた。だいたいわたしは畑やら家事があって忙しい。なのに我が家の機械関係はわたししか出来ない、といってもふたりしかいないが。わたしだってマニュアル片手に根気よく設定するのみ、するするとはいかないんだよね(笑)しかし、これで無線ランが成功したら、わたしがいつでも自由にパソコン出来るわとうれしいすこしぐちをいうと、操作もろくにできない癖していつもパソコンの前に居座っているやつが邪魔だったのよ、こっちの手がすいた時には占拠しているんだからぁいくら夫婦でも個人的事情を尊重しないとうまくいかなくなる(笑)の巻。
2011年06月09日
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91歳の母昨日、きれいな骨になりました。亡くなった時にも小さくなったなーと思いましたが骨になるとほんとにかさがすくなくなるんですね。横浜の北部斎場といって新しく近代的な火葬施設だからよく焼けたというわけでもないでしょう。母の死を悼んでいるのに不謹慎ですがその焼き場のあまりに立派な御殿のような建物にびっくりしました。エントランスは教会のような見上げる天井ドームいくともいくつも整然と並んだたくさんの火葬炉(16基もあるそう!)控え室も清潔なのがいっぱいあって(14部屋)素晴らしい施設でした。これも公営だから箱物のやりすぎかしらんと思ったけれどもあとでHPをみるとむしろ公営施設としてシンプルに一箇所で葬儀火葬が出来る合理的な施設らしいですよ。ま、わたしどもはしかるべき斎場でごく一般的なお葬式をしたのですけれども。父の突然の死にも後から思い出の感情がやってきたのですが、母の死は徐々に迫ってきたのにやはり感情はずっとずっと後になることと思います。
2011年05月13日
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新聞文芸欄のエッセイを読んでいると、3.11の大災害をどうとらえてどう昇華させたらいいのか文芸人として苦悩するとの文章が多い。文章の専門家でさえそうならば、わたしのブログなぞ何を語ったらいいのか?ブロガーたちは怒りをぶつけてしのいでいらっしゃる方やら、順々と説く方、なお明るい方、われ関せずわが道を行く方やら、それぞれの個性を活かして(?)いらしゃるように見える。しかし大なり小なり影響を受けていないはずは無いのだ。ここだって何を言っていいのやら、もともとさぼりがちなのになお言葉につまってしまう。それでも日常は過ぎていって、小学生孫も春休み。あんなに腹が立っていたパンダを上野動物園に見に連れて行ってしまったよ!それよりも前、「放射能の影響もあるかもしれないからどこへも出かけずにおとなしくしていたら」というわたしに娘は三番目の先天性心臓疾患の孫が命が助かるために「どんだけレントゲンやCTで放射線を浴びたことか!わたしは気にしない!」と言い切ったのにはしゅんとなってしまった。まあ、上の孫達は浴びてないのでやはり気をつけなければいけないと思うのだけれども。孫たちの喜ぶ顔を見たさに一頭の借り賃8千万円は腹立つが収めて、ばかなこと、行列に並んだのだった。中国が支援隊や石油を贈ってくれるなら、パンダを半値にいや、タダにしてくれれば株があがろうに。今ごろの動物園って清潔だとか、動物の毛がつやつやしている、珍しい動物しか置いてないんだとか、何十年振りの動物園の感想は当然。「こんなことをしたかったの♪」「楽しい!!」と活き活きしている孫達の顔をみていると、やっぱり大人たちの責任をおおいに感じる。将来につけを残してはいけない!!またまた、とつおいつ考えがぐるぐる廻ってしまう。
2011年04月04日
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11日14時40分ころ当地震度4ですから東北太平洋岸の方々の経験より軽いはずですがガタガタ、ゆさゆさ揺れている時の恐怖はたまりませんでした早く終わってくれ~~!!!!とダイニングのテーブルの下でテーブルの脚をかかえて祈り3分ぐらい続いたように思いましたよこの家の建っている所の地盤が緩いのも原因不思議に薄型テレビは倒れないでしたが余震の大きめので花瓶が落ち割れ、ガラス瓶の醤油がこぼれましたさいわい電気ガス水道は止まりませんでしたが娘や妹の住んでいる地域(横浜鎌倉湘南)は夜中まで停電寒かった~という、オール電化の良し悪し夫が帰宅困難者になり一晩帰れないし携帯は繋がらない、メールが途切れがちに行き交う中心配でテレビの報道くぎ付けになり現実と思えない津波のすごさにまんじりともしなかった一夜が明け12日のお昼にやっと帰れた夫と食べて休んでやっと元気になったけれども福島原発事故の深刻さと東北太平洋岸地方の被害のすごさに暗澹たる思いの今です夫は電車の中に居て、もよりの駅で降ろされ駅近くのマンションのロビーで休ませてもらえたそうそこの住民がボランテアで12日朝、暖かいお味噌汁とおにぎりを出してくださったのがとてもとてもありがたかったといいます被災地でもそのようなお互い様の助け合いがたくさんあると嬉しい~しかし、今目に見える被害が落ち着いた時の日本の状態は考えるだに恐ろしく大変なことになると思うとわたしたちがしっかりしなければは当然だけれども日本の国を引っ張っていくリーダーの資質、素質がすごく、すごく心配になってくる被災されたみなさまがひとりでも多く助かるためには わたしたちに今できるそのひとつのことは節電ですが皮肉なことにすべてを電気に頼っているような生活大変難しい深刻なことです
2011年03月13日
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あいかわらずの嘆きしかし冬枯れの北区は飛鳥山に行ってきました桜のつぼみは固かったです(当然)でも、陽だまりのベンチに座ってほっとしましたよ(厚着)ここには三つの博物館があるのですそのひとつ澁澤栄一資料館を見ました名前は存じてましたが、こんなえらい人だったとは!資料館だからしかたないけれども、盛り上げすぎ、讃えすぎの感しかし、徳川家の一会計係だったひとが日本近代経済界の礎を築いたのですから許すかな土曜日のみ見学可というので「晩香慮」というちいさな家と本はなかったけれども「青淵文庫」という立派な建物も見ました晩香慮(ばんこうろ)という茶室風隠居所「バンガロー」から命名のほんとに小さな建物喜寿のお祝いに作られたそう玄関と居間しかなく、居心地よさそうで(いい材質をつかっている)こよなく愛し、賓客を迎えたのもここで(ホームページから借りた写真)そういう建物が点在している敷地は広大だったでしょうし(飛鳥山一帯)他の建物が空襲で焼けてしまったのは惜しいけれども功なり名を遂げたひとの余裕を垣間見ましたね~91歳まで存命だった晩年の写真も見ましたが新聞を読んだり、本に囲まれて調べ物をしているのなど、いい老後だったのがみてとれましたふつうのひとであるわたくしもそこだけは見習いたいものであるとこと多し、時間は短くなるにつけ思うのでありました
2011年01月26日
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オーキリさんがホテルの朝食で見かけたカップルをどうしても「気になるぅ」と言ってらっしゃるので思い出したわたしの似たような経験!昨年の晩秋伊豆半島のはずれのK温泉に日帰り湯にいきましたいざ露天ぶろ向かったら、すれれ違いに上がっていった女性が帽子で妙なふうに顔をかくして去ったのですそのときは「へんなひと」と思っただけでしたけどウイークデイのことでもありひろい温泉場をわたし独り占めの状態でしたそこへわたしがあがる寸前に入ってきた女性がブロンズの肌、プロポーション抜群手を振って歩くようにどうどうとしてましたけどどうみても素人ではなさそうなオーラがはて?さて?わたしは気楽な日帰り温泉と思っていたけれども当然この温泉付きホテルもあるしこのお二人の女性は目的がおありのようああ、そんな利用法もあったのねえーとわたしたちはホテルでは食事をしただけでした(笑)
2011年01月13日
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昨日はこの夏最高の暑さでしたね! お盆も過ぎ街は活気が戻って、とはいかなかったのも仕方ありませんでしょう。 お盆はしばらく忌みごとがなかったら(わが家です、もう50年以上無しです)ご先祖様を想う日々でもありますが、離れている息子なども帰ってくる時節でもあります。 ことしのわが家はその独身息子が困ったことになりかけました! 最近、電話をしてもメールを打っても返事が来ず、連絡が取れない二ヶ月だったのです。 「またずぼらを決め込んでいるわ」 と思っていたのですが、娘と電話でおしゃべりしている時に 「もしかしてうつ状態じゃないか?」 と何気なく言ったのにはそりゃまあびっくりしましたよ。 「まさか、うちの子に限って!」です。日頃親がうるさいなーと思っているのはわかりますがそれも程があるしです。 しかし、ちょうど職場の転属があるといってましたし、それはおもしろくないこともあるかもしれず、いくらか孤独癖もあるし、もしかして落ち込んでいるかも知れず、閉じこもっているのではないか? と、だんだん、だんだん心配になって、大病しているのかも知れず、住んでいるマンションに飛び込もうとした矢先に「お盆に帰る」でした。 会えばしゃくにさわる 「もしそんなことになっていたら、会社から連絡が行くから、ははは、、、」 何のことはない、顔色ですよ。 それを許してしまうのも親ばか、ゆえなのですが、そういう状態に息子がなったとしても不思議ではない、と思える現代に複雑な気持ちのお盆でした。 ご先祖様もさまざまなことで、さぞお悩みになったのでしょうねぇ。
2010年08月18日
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ほかにも下書きしてあるのがあるが、アップしないうちに孫達が来たものですから忙しくなって、こちらが先になりました。 あーあ、終業式が終わった途端、みんなが来るとは思っていませんでしたよ。 実はひさしぶりに乳幼児が来るというので、かなり前から片付け、丁寧な掃除をしていましたのです。この家も10年の積もり積もった埃とごみがありましてねえ。 それがかなり大変で、わたしとしてはPCどころでなかったというのもほんとうです。 1歳4ヶ月のよちよちいたずらざかり、大人だけの仕様ではさわられると困るものがたくさんありますものね。 それにペースメーカーをつけている、遠出もはじめてお泊りも始めてで、気を使っておりました。 どうなることかと思いましたが、まあ、元気に帰っていきましたので、なんのことはない普通でよかったんですね。 しかし、疲れさせられました、三人姉妹には! 10歳・7歳・1.4歳がなにをするにしても三部合唱です。こども「かしまし娘」(古) 特に末っ子の1.4歳がうるさい。「うぃ、きぉ、〇◎◆、くぉ、〇×△、うぃ・・・・」 ??? 彼女、意思がはっきり、すごく気が強いし声も大きい、お姉さんたちとおんなじことをしようとするから大騒ぎになります。1.4でこれではゆくすえどんなことになるやら!? よくしたものでそれでなければ生きていけないのかもしれませんねえ。 海、花火、ビニールプールの水遊び、運動公園、遊びに遊んで帰りました。 ええ、わたしの読書はお預けでしたよ。
2010年07月27日
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風邪がなかなか治らなくてうっとしい日々をすごしています。抵抗力が落ちたものです。 むかし、姑の口癖「歳はとってみなければわからない~歳はとりたくないものだ」に辟易しておりましたが、ついにわたくしめにもそう言いたい状況になってきました(笑) 小児科医院は病気の宝庫、心臓病の末孫をなるべく連れて行きたくないとのことで、上の孫たちのどちらかが病気をすると呼び出しがかかりまする。それがうつる(?)いや、行くと疲れるのです。 だから「歳はとりた...」いえ「娘は母親(ばば)が若いうちに子供を産んでおけ」と言いたいですね。 偶然かどうか、わたしの義姉ふたりもそんな状態になって嘆き合ってますよ。同年代の友人にも話を聞くとそういう状態のひと、すくなからずいますしね。少子高齢化・晩婚化時代の宿業です。 縁側で日向ぼっこの孫の世話、なんて夢にも見られない時代ですね。 さて、その生まれつき心臓にハンディある孫は何度かの手術の後、ペースメーカーの助けを借りていますが、すくすくと育ってもうじき1歳のお誕生日を無事迎えることが出来ます。 ひと安心ですが、本音をいうとわたしはその状態に慣れるのが辛かったです。でも、そんなことは本人が一番で親達がその次、祖母なんてなんにもなりません。手伝うだけで病気になる、ほんとお邪魔さまですが、おかげさま、ひと心地ついています。 (どうかな~、とご心配かけていると思いますので。) もう一つ、2年前に離れました東京の拠点の古きマンションが建て替え完了間近になりました。引越しと荷物の整理にちょっと忙しくなります。 例の「夢の図書室」も実現可能か?? はやく風邪を治して頑張らなくてはと思っております。というわけでブログが間遠に…、いつものことですがすみません。
2010年02月28日
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当地に家を建てた9年前は、周りがみかん畑にかこまれた空き地ばかりであったが、どんどん、あとからあとから家が建ってきてすっかり埋まってしまった。 ついに隣の空き地にもうちと同じようなリタイヤ組みが、隠居所を建てて引っ越してきたとおもいねぇ。 そのご夫婦とのつきあいが、「飲み会」に発展するのに時間がかからなかったわ(笑) わたしの年代では夫婦とも呑み助(もとい、たしなむひと)は少ない。ところがどうもその夫人のほうが楽しいおさけ、うわばみらしい(笑) わかいこ(女)で飲むひとは知っていたけれども、わたしは初めての経験で、意気投合してお互いの家を行ったり来たり、もう6回目の「飲み会」が夕べだった。 年齢も似たり寄ったり話題も、グチがでない、身体のことを言わない、過去を自慢しない、ありきたりでないところがおもしろい。ので、あっという間に時間がたってしまう。 ゆうべは「老後はいかに?」で盛り上がった。これがもう老後なのだ、何言ってんだか(笑)だけど。 引っ越してきて間もないのに、もうケアつきマンションを模索中とか。うわばみ彼女が積極的で何にでもすぐ飛びつくのがおかしい。 そういう夫婦はかならずご主人がおとなしめという相場、「だけれども...」と否定するでも、しないでもないような、やっぱり後から付いていくんだろうな、と笑ってしまう。 ここへきたのもそうだったのだろうなぁ、それにしては彼も生き生きと楽しんでいるよう、めでたしめでたし。 うちもたのしくなったし。
2009年10月15日
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パソコンの前に座る余裕も無い忙しい小説のような生活をしながら、小説を書きたくなるようなフラナリー・オコナーの短編集も読んでいた一週間。そんなわけでリンク友のブログもご無沙汰、まとめてお訪ねしている。お訪ねしていると、alexさんの「女性と男性の違いについて思うことがある 」というブログに「女の言葉の暴力がときには男の暴力(?)を誘う」とあり、わたしは思い当ってしまった。わたしはこんな風にコメントした(急いだのでちょっと支離滅裂だった、だから一部編集)「すこしご無沙汰していたらおもしろい話題があったのですね。遅ればせながらコメントをします。わたしも言葉の暴力しているかもしれないですよ。おしゃべりなじょうずじゃないので、うまくオブラートに包むように話していないらしく、それなのに無口ではないからストレートに言葉を発してしまいます。夫と何気ない会話をしていては日頃は何事も起こらないのに、突然切れたことが過去2~3度ほど。わたしには何がどうしたかかさっぱりわからなくて困りましたね、それがそうでしょうね。」どうしてこういうコメントが出てきたかと言うと、自分がどういう風に会話しているか普通は知りえない。他人様が感じるだけ。著名人やタレントはTVやラジオ、雑誌等でインタビューを受け、後から録画録音で聴けるし、雑誌では編集したりするからご自分の会話の様子がわかっていると思う。けれども、「わたしの」でも聴ける機会があったのだ。携帯電話の通話メモ機能。会話の最後の約束時間など再確認できるとてもいい機能なのだが、通常の会話の最後の部分も録音してしまう。偶然、ボタン操作の加減でわたしのそれを聴いて愕いた。「いつでも言葉の暴力してるじゃん!」特に身内に対してのきつさは自分でもびっくりした。言葉の表現の中でも一番ぶっきら棒のストレートを選んで喋っているようだ。ああ何とかしなければいかん、と思いつつ治らない日々を過ごしている。これじゃ、慣れた夫でもキレる日があっておかしくない。
2009年06月05日
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昨夜娘から電話。孫の鼻からチューブを抜いてもらえたとのこと。わたしも娘も声がふるえてしまうほど喜び合いました。これで孫は直接おっぱいが飲めます。 心臓の手術後遺症で声帯と咽頭の神経が麻痺、初め声が出ず、母乳も管で注入という状態で退院してきたときは、それがいつ治るのか、ずっとこのままか、不安いっぱいだったのです。 「わたしは看護士ではないから、チューブの差し替えなんかできない!!」と落ち込んでいた娘も、そういうことに慣れ、その他諸々の介護もできるようになり、わたしはひそかに看護士の資格もとれるのでは?なんて思ってしまいます。 もうじき2ヵ月になる孫の日に日に可愛くなっていく顔を見ていると、医学の進歩とその恩恵に預かったことを感謝せずにはいられません。たぶん日本で1、2のこども病院でお世話になっていると思われます。それが偶然近くにあったとはいえ、感謝です。 また、娘の住んでいる市は子供の医療費は全額補助、会計計算書を見せてもらってその金額に驚き、それもありがたいことだと思います。いえ、難病に指定されて国の補助もあるので、日本の国の制度にも認識新たになり、捨てたものではないこの国、と思いました。 もちろんそれだけではない個人の負担経費や、働きの苦労がたくさんあります。それは立ち向かっていくしかありません。手伝える限界もありますが、祖母として助けることはしていくつもりです。 が、こういう非常な事態において、冷静沈着に考え、ことの成り行きを見る難しさは経験してみないとわからないものだとつくづく思いました。 我が子ではない孫というひとつクッションをおいている状況は、ほっても置けないし、干渉過多ももっといけないということを悟りました。 どんな場面においても精神のバランスを崩さないようにするのは難しい。自信があったという思い上がりは空しいものでした。 このブログを読んでくださっているみなさまにも一緒に喜んでいただけるものと、わたしのささやかな喜びを言ってしまいました。 やっと風薫る5月を肌で感じています。いろいろありがとうございました。これからもよろしくお願いいたします。
2009年05月02日
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