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「知るを生きる」第12項 シュタイナー思想からⅡシュタイナーの世界感を考証 シュタイナーによれば、世界は以下の3つから成り立っている。●物質界:大地・海洋・大気からなり、鉱物、植物、動物、人間の活動の場●魂界:共感と反感という2つの構成要素から成る反感と欲念の渦巻く低次領域と共感、光、魂的活動、魂的生命が輝く高次領域形態と色彩の世界、漂い流れる色彩の海の世界。/すべてが鏡像の形で見えることもあり得る世界、毎夜夢の中で算入している世界。/欲界(仏教)/煉獄(キリスト教)/イマジネーション認識の世界。●霊界/ すべてが陰画の形で見える霊界の下位部分・第1領域:大陸/物質の原像が存在する・第2領域:大洋/生命の原像が存在する・第3領域:大気/魂の原像が存在する・第4領域:本来の思考世界/思考の原像が存在する *以上はインスピレーション認識の世界霊界の上位部分(完全な光と叡智の世界)・生命の萌芽の領域・宇宙の意図の領域・原像の創造力の領域 *以上はインテュイション認識の世界 *下位の霊界と上位の霊界を分ける境界は、アカシャ界と呼ばれる。◆瞑想によって、魂界、霊界は瞑想者の霊眼に開かれる世界であるが、人間が死後通過してゆくことになる世界でもある。注:上記の【魂界】【霊界】を地球をめぐる諸惑星の領域に置き換えると●低次の魂界---------【月界】●高次の魂界---------【金星界・水星界・太陽界】●霊界の大陸---------【火星界】●霊界の大洋---------【木星界】●霊界の大気---------【土星界】●霊界の思考領域-----【黄道12宮界】となるが、月界から黄道12宮まで、空間的な上下の段階の区別があるのではなく、地球を中心とするそれぞれの星の軌道内の空間全体が、それぞれの星の界である。古くからの伝統的な「霊・魂・体」という区分でいえば、その霊・魂・体の三区分説は、古代ギリシャ哲学や宗教に由来しています。特に現代思想にはプラトンやアリストテレスの思想の影響があります。彼らは人間の存在を三つの部分に分けて考えました。霊魂(プシュケー): 精神や意識の部分で、知識や理性を持ち、物質的な世界とは異なる存在です。魂(プシュケー): 生命力や感情の部分で、身体と霊魂の中間に位置します。体(シューレ): 物質的な部分で、感覚や運動を通じて物質世界と関わります。この区分は、人間の存在を理解するための枠組みとして、多くの宗教や哲学に取り入れられました。例えば、キリスト教では、霊魂と体の区別が重要なテーマとなっています。霊・魂 ・体の英語表記は以下がそれぞれの英語表記です。霊: Spirit、魂: Soul、体: Body、これらの概念は、哲学や宗教においても重要なテーマとなります。【体】肉体・エーテル体・アストラル体【魂】感覚魂・悟性魂・意識魂【霊】霊我、生命霊、霊人「体・魂・霊」の区分ですが、人間の本性を、肉体、エーテル体、アストラル体、自我。霊我、生命霊、霊人の7つに分ける場合には、以下のようになります。「体」は肉体、エーテル体。「魂」はアストラル体。「霊」は自我、霊我、生命霊、霊人。シュタイナーは霊的存在としての天使の位階をキリスト教的に9階級とします。天使は人間の頭上、神の近くにいる存在、神の使者。霊の世界に住む高次元の存在で、キリスト教のほか、ユダヤ教、イスラム教の聖典、伝承にも登場する。キリスト教では、5~6世紀の中東の神学者・偽ディオニシウス・アレオパギテスが『天井位階論』で、天使の位階を3位階9階級に体系化した。即ち、第1の位階は、「熾天使」「智天使」「座天使」で、神と直に接することができる。第2の位階は、「主天使」「力天使」「能天使」で、第3の位階の天使たちに神の言葉を伝える。第3の位階は「権天使」「大天使」「天使」で、神の言葉を人間に伝える責任を負う。上級の「熾天使」(多くは両翼を付け擬人化された半神)、「智天使」(神の玉座や馬車の回りにいる擬人化された半神)、「座天使」(有翼の炎の車輪とともに描かれることが多い)については、描かれる際の身体的特徴が比較的はっきり記載されている。中級の「主天使」(冠を被っている姿で描かれる)、「力天使」「能天使」は絵にはほとんど描かれていない。下級の「大天使」は神の言葉をその都度人間に伝え「啓示」を行い、絵画にも多く描かれており、ミカエル、ラファエル、ガブリエルなど7大天使はよく知られている。「天使」は全ての人間についており、姿も人間に近いと言われる。天使の階級により羽の数は異動します。●生命の子(黎明の子、個人の守護霊) 天使 ●火の霊(民族霊) 大天使 ●人格の霊(時の霊、時代霊) アルヒャイ(権天使) ●形態の霊 エクスシアイ(能天使) ●動きの霊 ヂュナメイス(力天使) ●叡智の霊 キュリオテテス(主天使) ●意志の霊 トローネ(座天使) ●調和の霊 ケルビーム(智天使)●愛の霊 セラフィーム(し天使)●悪魔の2つのタイプもともとは善良な霊的諸存在の仲間であったのに、途中から別の道をたどり、上記の位階から離れていった存在として、以下のような悪魔的な2つのタイプの悪魔的な存在がいる。◆アーリマン(人間を物質の闇の中に引きずり込もうとする悪魔)◆・ゾロアスター教において、光明の神アフラ・マズダに対抗する闇の霊で、人間に破壊衝動を植え付ける。・人類に科学、学問をもたらした存在でもある。だから、人類は厳密な思考方をこのアーリマンを通して獲得したが、その傾向がゆきすぎると、非人間的な数量的思考作業によって、すべてを割り切ろうとするようになってしまう。◆ルシファー(人間を現実から遊離させて幻想の中に引きずり込もうとする悪魔)◆・聖書に登場する堕天使で、「光をもたらす者」を意味し、人間を過去の霊性に連れ戻そうとする。・人類に自由と自我の独立性を与えた。・このルシファー衝動を通して、人間は自分を高貴な存在と感じ、日常を超えた情熱をもつことができるようになる。しかし、この傾向が過剰になると、世俗の人々を見下し、独善に陥ることになってしまう。*このアーリマン的な極とルシファー的な極の中間にそびえる9位階霊的存在が、魂界霊界にあって、地上の文明と人類の発展に関与している。 ○九階級の天使 詳細①熾天使(Seraphim:セラフィム):三対六枚の翼を持ち、一対は頭を、一対は体を隠しており、残る一対で飛翔する。神への愛と情熱で体が燃えているため、熾(燃える、などの意)天使といわれる。神に最も近い、威厳と名誉に満ちた天使である。その手にはサンクトゥス(聖なるかな)の歌詞を刻んだ炎の短剣か旗を持っている。天使の九階級のうち最上とされている。②智天使(Cherubim:ケルビム):旧約聖書の創世記3章によると、主なる神はアダムとエバを追放した後、命の木への道を守らせるためにエデンの園の東に回転する炎の剣とともにケルビムを置いたという。四つの顔と四つの翼を持ち、その翼の下には人の手のようなものがある。「天使の階級」では第2位に位置づけられる。③座天使(Thrones/スローンズ):名は「玉座」や「車輪」の意で、唯一神たる主の戦車を運ぶ者とされる。また、「意思の支配者(Lords of Will)」の異名も持つ。 物質の体をもつ天使としては最上級にあたり、主に燃え盛る車輪の姿で描かれる。 座天使の指揮官はザフキエルまたはラファエルとされる。*第3位に数えられる上級天使。④主天使(Dominions/ドミニオンズ):統治、支配を意味する天使である。神の威光を知らしめるため、様々な働きを担うとされる。また、そのシンボルは笏(しゃく)である。ザドキエル(Zadkiel)やハシュマル(Hashmal)に率いられているとされる。*第4位に数えられる天使。⑤力天使(Virtues/バーチューズ):地上の奇跡を司り、それをもって英雄に勇気を授けたり、正しい行いをする者たちの前でその奇跡の威力を見せたりする。名は「高潔」、「美徳」を意味する。キリストが天に召される時に、付き添ったのも力天使たちであるという。また、カインの誕生の際に産婆の役目も務めたとされる。*第5位に数えられる天使。⑥能天使(Powers/パワーズ):神の掟を正しく実行にうつす働きを司る能力の天使。神に対して加えられた侮辱をつぐなう方法を教える。神の命により、天に背いた悪魔達を滅ぼすという役目を持つ。天使の階級の中で堕天使となる数が最も多い。*第6位に数えられる天使。⑦権天使(Principalities/プリンシパリティーズ):国家及びその指導者層の守護。国家の興亡。悪霊からの守護を司る。人間の指導者たちの行いを監視して正義の決断をさせる。あるという。また、カインの誕生の際に産婆の役目も務めたとされる。*第7位に数えられる天使。⑧大天使(Archangels/アークエンジェルス):二枚の翼を持ち、助祭のような姿をして神と人間を結ぶ連絡係を務める一方で、天使軍の兵士として槍を持ち群をなして地獄との戦いの任に就く。終末の時には7人の大天使がラッパを吹きその時を知らせる役目を持つ。*第8位に数えられる天使。⑨天使(Angels:エンジェルス):最も人間に近い存在で、人間を悪意から戒め、正義を示す。*第9位に数えられる天使。 第12項 シュタイナー思想から Ⅱ-了参考図:cosmos-systems哲学・思想ランキング
2024年11月29日
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ルドルフ・シュタイナー「精神科学と医学」第11講 1920年 3月31日 ドルナハ第11講-Ⅰ 昨日出発点とはまったく別のものに行き着いたように、今日も私たちは、まったく特定の具体的な物質を出発点として、それからさらに問題全体を拡張する試みをしていきます。おわかりのように、私たちの課題には、一部は問題そのものの性質のため、一部は私たちに割り当てられている時間が短いために、いわば円を描きつつ接近することがどうしても必要だからです。私たちは、いわば公理に始まって、次第に複雑なものに上昇していくという、例の科学的な道をとることはできないのです。今日の私の課題として、植物炭(Carbo vegetabilis)を出発点とすることで、私たちの道をもう少し先に進むような観察範囲を皆さんに示したいと思います。昨日チコリ、野イチゴその他を研究いたしましたように、今日もこの奇妙なもの、実際どこにでもあるのですが、世界でも最も奇妙なもののひとつであるこの物質に関わるものを研究していこうと思います。そうすることで、実際の自然観察に入っていこうとするだけの場合でも、今日の科学性というものが導いてくれる以外のことにただちに目を向ける必要があるということが、いわば最もよくわかるのです。昨晩の講演でコリスコ博士(☆1)が未来の科学はそもそも何かまったく別のものでなければならないと指摘されたこと、そしてその際、繰り返し「生理学」という語が好まれていたのは非常に興味深いことでした。このことは、化学的なものと生理学的なものに橋が架けられなくてはならないということを表明するものだからです。こういうとき私はいつも、理解するための条件が全く欠けているために、現在のところ公開講演ではまだ完全にお話しできないようなありとあらゆる事柄について考えざるを得ませんでした。私たちは炭素というものを人間の外部にある自然のなかにも、ここではこう申し上げたいのですが、一見、人間の外なるものであるように見える自然のなかにも見い出します。そもそも大いなる自然のなかには人間以外にいったい何があるのでしょうか。本当は何もないのです。と申しますのも、とりもなおさず私たちの前の、人間の外なるもののなかにあって、まさに人間の外部にあるもの、これはすべて、人間の進化につれて人間から外に出され、人間から遠ざけられたものだからです。人間はある進化段階に入って行かなくてはならなかったのですが、その段階に入って行くことができたのは、人間に相対する外界である種のプロセスが進行し、それによって、ある種の別のプロセスをそれ自体人間の内部に取り入れる可能性が与えられたことによってなのです。したがって、ある種の外的なプロセスと、ある種の内的なプロセスの間には、実際常に対立と親和性とが存在しているのです。さて、これは、まあそうですね、化学の生理学化について昨日言われたこと、これは厳密な表現ではないかもしれませんが、特に昨日のコリスコ博士の講演をお聴きになれば、私の意味するところは理解されるでしょう。また日曜日にシャイデッガー博士(☆2)によって非常に好ましく述べられたこと、その興味深い議論においては、ホメオパシーの際に行なおうとすることは、本来精神科学的に把握されねばならないということが指摘されましたが、そのことと、不思議に共鳴し合っていたということをお話ししておかなくてはなりません。そしてこの共鳴の響きは、ある場所で奇妙な言葉となって消えるのです。私はこの言葉と、もう数十年来取り組んできたと言ますが、それはしばしばこう表明される言葉なのです、ホメオパシーの医師であっても、神秘主義的になることをいくらか恐れている、すなわち、神秘主義という評判を立てられることを恐れていると。さて、私がこれと取り組んできた根拠というのは、まったく特定の、しかしあくまで現実へと回帰していく見解のなかにありました。よろしいでしょうか、ホメオパシー的治療のプロセスにおいて切に求められる本質的なものは、実際のところ結局、ここで誤解なさらないようお願いいたしますが、物事の性質をきちんと描写しようとすると、いささかラディカルな言い方にならざるを得ないのが常なのですから。その物質そのもののなかにあるではなく、それよりは遥かに、その物質を調合する際に行なわれること、つまり、私たちの前に珪酸としてあるもの、あるいはそうですね、植物炭素としてあるものを調合するということにあるのです。それは、調合すること、つまりその時になされることのなかにあるのです。ホメオパシーの薬を調合することが求められるとき、そもそも何が起こっているのかについて私はずいぶん取り組んでまいりましたが、この場合私はぜひとも、ラッシャー博士(☆3)も認められますように、例えばリッターの調合(☆4)もこのホメオパシーの薬に含めたいと思います、リッター嬢自身がこれをお認めにならないとしてもです。問題はまさに、ホメオパシーの薬が調合される際、そもそも何が起こっているのかということなのです。求められるものは結局調合することのなかにあります。そのとき作り出すものを調合するという出来事全体のなかにあるのです。例えば皆さんが珪酸を用いて、珪酸を希釈度を高く調合する場合、皆さんはそもそも何をしているのでしょうか。皆さんはある一点を目指しているのです。自然においてはすべてが根本においてリズミカルなプロセスに基づいています。皆さんは、当の物質の本来の、最初に現われている作用が前面に出ているしばらくの間は、ある種のゼロ地点を目指します。さてよろしいですか、私が財産を持っていてどんどん使い果たし、ゼロになってさらにゼロ点を越えていくと、今度は単に財産が無いということではなく、財産という性質を越えて借金に移行するものがやってくることになりますが、私が外的な物質の物質的性質に向かい合うときにも、ちょうどこれと同じようなことが当てはまるのです。いわばこの物質の作用にとどまることにより、私はこの物質の作用がもはや計測できる状態では発現しないゼロ地点に到達します。私がさらに先に進むと、単にこの出来事全体が消え去るというだけではなく、反対のものが現われてきて、この反対のものがさらに周囲の媒質にまで混入されるという事態になるのです。私にしてみればしたがって常に、媒質のなかに、つまり、粉薬その他の、微細にされたホメオパシー的な物質を混入するために用いられるもののなかにも、当の物質の反対の作用を見ていたということです。この媒質は別の構成を獲得します。ちょうど、財産から借金をこしらえることに移行すると、外的社会生活において私が別な者になるように、物質もその反対の状態に移行して、以前は自らの内に有していたこの反対の状態を周囲に付与するのです。すなわち、その物質の量を私がどんどん減らしていくことによってある物質がある特性を持つと私が言うとすると、その物質は、私がいわば一定のゼロ点に近づくことによって、別の特性を獲得する、つまり以前の特性を周囲に放射し、私がその物質を扱う手段を適切なしかたで促進するという特性を獲得するのです。この促進というのは、ここで描写された反対の作用が直接引き起こされるということにあるのですが、これが可能なのはやはり、当の物質にある状態をもたらして、その後で、あるいは光の影響のもとで、たとえば蛍光を発したり、燐光を発したりするようにする、そういう状態がこの物質にもたらされるようにこの反対の作用を引き起こすことによってのみであるとさえ言えます。こうして周囲に放射される反対の作用が引き起こされたのです。これらは考慮されなければならない事柄です。実際重要なことは、神秘主義的なものに陥ってしまうということではなくて、結局自然をその真の活動(Aktion)において観察してみるということ、私たちが物質の特性に関しても実際にそのリズミカルな進行に入っていけるように自然を観察することなのです。これが、そもそも諸々の作用がどこにあるのかを認識するためのライトモティーフとでも申し上げたいものなのです。皆さんが希釈していくとき、まずゼロ点に達します。このゼロ点の向こうには反対の作用があるのです。けれどもこれで全部ではなく、皆さんは今度は、このゼロ点の向こうにある道の内部で、今度はこの反対の作用にとってまたゼロ点であるようなゼロ点に達します。この点を越えていくことで、皆さんはさらにもっと高度の作用、なるほどその方向性においては最初の線にあるけれども、まったく別の性質を持った、もっと高度の作用に行き着くことができるのです。ですから、希釈において明らかになる諸作用をある種の曲線で描くことは実際すばらしいことでしょう。ただ、この曲線は独特のしかたで構成されなければならないことに気づかれるでしょう。つまり最初はこのような曲線を形成し、次に、低いけれども作用はしている、そういう低い希釈度が作用をやめて、今度はより高い希釈度が作用を始める一点、つまり第二のゼロ点であるところにに来ると、ここで直角に転回して空間へと曲線を引いてこなければならないだろうということです。これらのことは、この講演のなかでさらに述べていきますが、これは人間と人間外部の全自然との親和性全体と密接に関わっていることです。さて、私たちが植物炭のようなものを観察するとき、まっさきに目につくことに注意を向ける人はまずこう言うでしょう、多量に服用されると、植物炭は、まったく特定の病像を引き起こすけれども、これは、ホメオパシー療法の医師の見解に従ってこの同じ物質を「希釈」することによって克服されると。記:ホメオパシーはドイツ人医師ハーネマン(1755 - 1843年)が始めたもので、レメディー(治療薬)と呼ばれる「ある種の水」を含ませた砂糖玉があらゆる病気を治療できると称するものです。参照画:Samuel Hahneman 第11講-Ⅰ 了哲学・思想ランキング
2024年11月15日
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「知るを生きる」第11項 シュタイナー思想からⅠシュタイナーの人間観を考証 前項に述べた通り人間は、7つの構成要素(詳細に区分すれば9つの構成要素)からなりたつ存在です。(1)肉体-----------------物質(鉱物・植物・動物界の領域特性)(2)生命/エーテル体-----生命の働き(植物・動物界の領域特性)(3)魂/アストラル体-----感情の働き(動物界の領域特性)(4)自我(精神)---------意識的な思考・感情・意志*9つの詳細区分の場合には更に感覚魂・悟性魂・意識魂(5)霊我(マナス)-------自我の力によって霊化されたアストラル体(6)生命霊(ブッディ)---自我の力によって霊化されたエーテル体(7)霊人(アートマ)-----自我の力によって霊化された肉体上記の内、(1)~(4)は、存生(ぞんじょう)に実現されていますが、(5)~(7)存命中は可能態として存在していて、未だ存在してないものの、この(1)~(3)の変容は、すでに魂の領域において、以下のような分化(意識魂、悟性魂、感覚魂)が行われていて、それぞれが(5)~(7)へと発達していきます。また、これらの意識魂、悟性魂、感覚魂は、それぞれイマジネーション認識、インスピレーション認識、インテュイション認識の可能性を孕んでいます。●肉体→意識魂(イマジネーション認識)→霊我●エーテル体→悟性魂(インスピレーション認識)→生命霊●アストラル体→感覚魂(インテュイション認識)→霊人これらの認識は、通常の意識を超える世界の認識であり、イマジネーション認識は、「霊視的」認識であり、魂の世界を知覚するもの。インスピレーション認識は、「霊聴的」認識であり、神霊の世界を知覚するもの。インテュイション認識は、高次の霊的世界へといたり、「神霊の本質」を認識するものとなります。全体としての人間存在をみると、肉体、エーテル体、アストラル体という三重の覆いのなかにあって、感覚魂、悟性魂、意識魂の中心で、それらを治める精神としての「自我」の生が我々自体の人間であるということになります。古くからの伝統的な【霊】【魂】【体】という区分でいえば、霊・魂・体の区分説は、古代ギリシャ哲学や宗教に由来しています。特にプラトンやアリストテレスの思想に影響を受けています。彼らは人間の存在を三つの部分に分けて考えました。霊魂(プシュケー): 精神や意識の部分で、知識や理性を持ち、物質的な世界とは異なる存在です。魂(プシュケー): 生命力や感情の部分で、身体と霊魂の中間に位置します。体(シューレ): 物質的な部分で、感覚や運動を通じて物質世界と関わります。この区分は、人間の存在を理解するための枠組みとして、多くの宗教や哲学に取り入れられました。例えば、キリスト教では、霊魂と体の区別が重要なテーマとなっています。【体】肉体・エーテル体・アストラル体【魂】感覚魂・悟性魂・意識魂【霊】霊我、生命霊、霊人 Ⅰシュタイナーの人間観 了参考図:Earth's celestial evolution哲学・思想ランキング
2024年11月04日
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「知るを生きる」第10項 シュタイナーの人間の本質から概要 ルドルフ・シュタイナーは、人間の9本質(7本質)について、1904年の「神智学」、1906年の「神智学の門前にて」、1907年の「薔薇十字会の神智学」、1910年の「神秘学概論」などでまとめて述べています。シュタイナーは、人間に7本質を考えます。1 霊人(アートマ) :インツゥイツィオーン認識(合一的直観)2 生命霊(ブッディ) :インスピラチオーン認識(霊聴的霊感)3 霊我(マナス) :イマギナチオーン認識(霊視的想像力)4 意識魂 :霊我と一体になった魂5 悟性魂(自我・私) :覚醒意識(人間的・対象的意識)、思考力 6 感覚魂 :アストラル体と一体になった魂7 アストラル体(魂体):夢の意識(動物的意識)、感覚・感情8 エーテル体(生命体):睡眠意識(植物的意識)、形成力9 肉体(物質体) :昏睡意識(鉱物的意識)三分本質説では、1から3が「霊」、4から6が「魂」、7から9が「体」です。そして、4と3、6と7が一体なので、実質的に7本質となります。5が「自我」だと言う場合、この「自我」は日常的な「自我」ですが、目覚めた「自我」は、5と4が一体の「自我」と捉えられます。また、5の「自我」を中心にして、上下が対象の構造になっています。つまり、「自我」は7から9を感覚によって知覚しそれを言語化し、1から3を直観によって知覚しそれを言語化します。そして、7、8、9は、それぞれに、3、2、1が変化したものであるとも言うことができます。「自我」を3「霊我」で満たすと、それが7「アストラル体」を照らし、それによって「自我」が「アストラル体」を支配することで、そこに「霊我」が現れるのです。つまり、「アストラル体」を意識化して働きかけることで、その部分が「霊我」になるのです。こうして、「アストラル体」は変化していない部分と、変化した部分(霊我)から構成されるものになります。2と8、1と9の関係も同様です。 この上下対称性は、ブラヴァツキー夫人の神智学にはありませんがプロクロスときわめて類似しています。ただ、シュタイナーがプロクロスについて語っているのを知りませんし、プロクロスには下位のものが上位のものに変化するという関係はないと思います。「魂」は「体」を通した「体験(印象)」を「表象」に作り変え、それを「霊」に受け渡すと、「霊」はそれを「能力」に変換して成長します。また、シュタイナーは、「人間は思考存在であって、思考から出発するときにのみ、認識の小道を見つけることができる」と言い、「悟性魂」が行う「思考」を重視します。ですが、単なる「抽象的思考」は超感覚的認識の息の根を止めると言います。「生きた思考」が、超感覚的認識の土台を築くのです。超感覚的認識というのは、「魂」、「霊」の諸感覚で、それぞれ、魂的、霊的存在を直接、知覚します。思考を「生きた」ものにするには、外界に対して偏見を排して帰依する態度で、自分自身を空の容器にして、事物や出来事が自分に語りかけてくるように、外部のものに思考内容を作り出させることが必要です。シュタイナーは、霊界の法則が思考存在としての私自身の法則と一致している時、はじめて私は霊界の法則に従うことができると言います。そのような「魂」の中の不死なる部分、真・善を担うのが「意識魂」です。そして、「私」として生きる霊は、「自我」として現れるから「霊我」と呼ばれます。また、独立した霊的人間存在が「霊人」で、「霊人」に働きかける霊的生命力、エーテル霊が「生命霊」です。ちなみに、動物の「自我」はアストラル界に1つの種類の動物の1つの群魂という形で存在します。同様に、植物の「自我」は低次の神界に、鉱物の「自我」は高次の神界に存在します。シュタイナーの歴史観によれば、「太陽ロゴス」である「キリスト」が、ゴルゴダの秘跡で「地球霊」になって以降、「意識魂」を育てる時代になりました。シュタイナーは、ブラヴァツキー夫人と違い、アフラ・マズダをこの「太陽ロゴス」と同じものと考えます。シュタイナーはマズダ教(ゾロアスター教)に従い、神智学はより古いミトラ教に従っている点が、二人の大きな違いを生んでいます。シュタイナーによれば、睡眠時、「自我」と「アストラル体」は、「エーテル体」と「肉体」から離れます。また、夢を見る時には、「アストラル体」が、より「エーテル体」と結びつきます。睡眠時の「アストラル体」は、宇宙的なアストラル界から法則を受け取り、それをエーテル体の建設に使います。死後の人間は、まず、「肉体」を脱ぎ、次に「エーテル体」を脱ぎ、最後に「アストラル体」を脱ぎ、それぞれの死体はやがて消滅します。アストラル体を脱ぎ捨てた後は、霊界を認識してその世界を体験しますが、また、地上世界にも働きかけて、それを変化させます。その後、やがて、霊界から流れてくる諸力を受けて、新しくアストラル体を形成し、再生します。記:プロティノスは感覚的世界と超感覚的世界のもう一つうえに絶対的一者をおき,人間の魂は脱自によって一者と合一するとした。この思想はプロクロスを通して5世紀末,ディオニュシウス・アレオパギタの名をかりた著作家によってキリスト教的に変容された。偽ディオニュシウスによれば,神はいっさいの規定を超えており,善とも存在ともいうことはできない参照画:Procross hierarchy「知るを生きる」 第10項シュタイナーの人間の本質 概要-了哲学・思想ランキング
2024年11月03日
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