CAPTAINの航海日記

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2009.01.15
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カテゴリ: 鉄道忌避伝説
では、どうして、常葉に鉄道忌避伝説が起こってしまったのか。
実は、磐越東線開通当時の常葉は福島県田村郡(現在の田村市、田村郡及び郡山市のうち阿武隈川東岸)においてそれなりに人口の多い地域だったいう事実があります。 ウィキペディアにおける田村郡の記事 によると、常葉の町制施行は1898年で、三春(1889年)、小野新町(現・小野町。1896年)に次いで三番目という早さ。現在の常葉町域は人口6,000人ほどしかないので、意外な感じすらします。
意外と言えば、磐越東線の主要駅があり現在田村市の市役所が置かれている船引は逆に町制施行が遅く、なんと常葉から遅れること36年も経った1934年の施行。磐越東線が開通した1915年時点では片曽根村という名前でした。ちなみに、片曽根とは町の南方に位置しその円錐状の形から「田村富士」とも形容される片曽根山のこと。一般に自治体名は規模の大きな大字があった場合その名前が付けられるものですが、そうではなかった点に逆に船引の規模が小さかったことが伺えます。この歴史が今なお尾を引いている証左として、三春と小野には警察署があるのに船引にはないという現実を挙げることができます。
また、田村郡においては、船引に続いて1940年に滝根、1942年に大越と、磐越東線沿線の地域で町制施行が相次いでいます。この背景には当地で多く産出される石灰石を基盤とした鉱工業の発展という側面もあるのでしょうが、これらの重要な輸送手段でもあった(なんと2000年まで石灰石輸送の貨物列車が運行してました)磐越東線開通の影響も、ある程度はあったでしょう。特に鉄路から外れた常葉の人たちにとっては、「自分たちの地域は元々発展していたのに鉄道がなかった故に出遅れた」という思いは強かったものと推察されます。
この思いを下敷きにして紡ぎ出されたのが、常葉の鉄道忌避伝説ではなかったでしょうか? 伝説そのものには否定的な見解を下さざるを得ませんが、常葉の置かれた立場には、同情できる面もなくはありません。


ゼンリン住宅地図 B4版 田村市(常葉・都路) 発行年月200505 07211C10A





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Last updated  2009.01.16 02:39:17
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