CAPTAINの航海日記

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2011.04.01
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テーマ: たわごと(26616)
カテゴリ: 東日本大震災
朝5時に目が覚めた。
今日から出社だ。寝坊などしていられない。
朝食をかっ込み、妻から弁当を受け取ると、福島市中心部にある勤務先まで出勤する義父のクルマに便乗し、福島駅まで送迎してもらう。本来ならば桑折駅から東北本線で仙台へと向かうのだが、同路線は本宮~仙台間で未だ不通となっているため、やむを得ない措置である。
7時前に駅前広場のバス乗り場に着くと、既に200人以上はいるとおぼしき長蛇の列。列は二手に分かれており、右手が郡山行、左手が仙台行のバス乗り場へと連なっているのだが、驚いたことに仙台行の方が郡山行の5倍は長かった。私も含めて福島市周辺から仙台方面へと通勤、通学する人は少なくないと承知していたが、正直これほどまでの差があるとは思っていなかった。
こんなことを書くと、福島県内各地から「やっぱり仙台市福島区だ」などと揶揄の声が飛んできそうだが、ちょっと待って欲しい。通勤者としてひとつ言い訳するならば、同じ仙台へと向かう流れでも「通勤」と「通学、買い物、レジャー」とは、一線を画してもらいたいのだ。前者は「仙台近辺で行われる経済活動の対価として給与を得、福島県や同県内の市町村において納税や消費活動を行っている人々」なのに対し、後者は「仙台近辺で消費活動を行っている人々」。キャッシュフロー的に言うならば、前者は「仙台で得た金を福島に落とす」側であり、後者は「福島でも落とせる金を仙台で落とす」側。立場は真逆なのである。加えて言えば、福島と仙台との交通手段が発達したおかげで、我々は仙台に流出ことなく福島県内に住んでいられるのだ。だから揶揄する人たちには、逆に感謝してもらいたいくらいだよ…と強要するのは、さすがに言い過ぎか。でも、福島第一原発の事故の影響で福島県経済が疲弊必至になる中で、我々仙台への通勤者が福島県経済を支えたいとの思いはある。

閑話休題。
通勤者(春休みだから通学者は皆無に近いだろう)を満載したバスは、福島駅をひっきりなしに発車している。だから列は長くても流れは比較的スムーズで、10分少々待てば乗ることが可能であった。私の乗ったバスもまた補助席まで乗客で埋まる盛況ぶり。60人以上は乗っているだろうか。荷物も含めれば乗客一人あたり平均70キロ前後はあるだろうから、単純計算して4トン超。バスの走りっぷりも、心なしか喘ぐような雰囲気がある。
平時の高速バスならば福島市内で何ヶ所かのバス停に停まってから東北自動車道に乗り入れるのだが、今はすべてのバス停を通過する。福島駅を出た段階で満員なのだから、これは仕方がない。
福島飯坂インターチェンジから東北自動車道へ。宮城県境までは登り勾配になるから、バスの喘ぎぶりも激しくなる。まさか途中で停まったりしないよな… そんな不安も抱かせるほどだ。
県境を通過し宮城県内を通り抜けて、仙台宮城インターチェンジに到着。ここから広瀬通のバスターミナルまでは仙台西道路を経由して5キロ程度しかないのだが、その仙台西道路自体が非常に混雑しており、仙台駅に至るまでにはかなりの時間がかかった。正確な時間は測っていないが、東北自動車道を通っっていた時間と仙台宮城インターチェンジからバスターミナルまでの時間はほぼ同じぐらいではなかったかと思う。
バスターミナルに着いたのは、8時半を少し過ぎた頃のことであった。バスから降りた乗客は、蜘蛛の子を散らすように仙台の街へと消えて行った。私もまた、バスに乗り換えて、若林区内の勤務先まで向かう。
おっと、その前に、仙台駅でしておかなければならないことがあった。
震災により電車が不通になった期間分の、定期券の払い戻しである。私の定期券は3月25日が有効期限だったので、その分を返金してもらおうと思ったのだ。
窓口には10人前後の客が並んでいたが、比較的スムーズに処理が行われており、私もまた実にあっさりと、払い戻ししてもらえた。1万いくらかの現金が、懐へと入る。

勤務先に着いたのは、9時40分過ぎのことであった。
「元気にしてた~?」従業員と久々の再会。特に仲良くなかった従業員とも、いろいろと会話を交わしてしまう。みんなストレスが溜まっていて、この機会に放出したいのかなとも思う。
私もまた、名取市内に住む従業員に「津波大丈夫だった?」と声をかけてみる。「あのねぇ、名取だからって、全部が津波に襲われた訳ではないんだからね!」とあっけらかんとした返事。各人とも情報収集は報道によるものしかなかったから、「どこどこと言えば○○」というステレオタイプな被害状況が染みついているはずだ。だから「福島と言えば原発」という視線に晒されることを半ば覚悟していたのだが、心配する声はあっても一部報道でみられたように福島だからと忌避されるような仕儀は、一度としてなかった。そのことは、素直に嬉しかった。「原発が爆発したら仙台だっておしまいだし」そう言ってくれた人もいた。
恐らく、一部報道にあるような事態は、極めて限定的なことなのだろう。我々日本人は基本的に困っている人に対して手を差し伸べずにはいられない人種。そう思いたい。
そんな仙台の人々の目下の悩みは、都市ガスが未だ復旧していないこと。電気も水道も回復したものの震災以降風呂に入っていないという人が、結構多いようだ。プロパンガス使用の我が家は風呂の利用が可能な旨を話すと、逆に羨ましがられた。
出社した社員が一同に集められて、社長の訓示。状況は大変苦しいが一致団結して頑張ろうと野話があった。また、その中で、沿岸部に居住している従業員で家屋が津波で流され、家族が亡くなった人がいることも伝えられた。震災の悲惨さに接し、襟を正す次第。そんな従業員のために、義援金や支援物資を募ろうとの話もあった。できる限りで、協力していきたいと思う。

こんな雰囲気でスタートした、勤務初日の業務は、終日掃除。勤務先はメーカーであり生産設備は一部で稼働しているもののまだ大多数では再開するに至っていない。本格的な再稼働を前に気持ちよく働けるように社屋内を磨きあげようとのこと。だから雑巾持参だったんだと納得。
ちなみに、清掃期間は明日、明後日の休日を挟んで8日まで続き、その間の勤務時間は10時から17時までとのこと。10時出勤なのは、私にとっては有難い。その間に、東北本線が復旧すれば嬉しいのだが…
1時間の休憩を挟んで都合6時間弱、清掃作業に従事する。工場の壁面をひたすら拭き掃除。手が届く範囲で高い個所も低い個所も満遍なく拭いたからスクワットしているのと同じような状態であり、作業終了時には両脚がパンパンになった。震災翌日に仙台から桑折まで歩いた時以上の疲労感が残った。
帰途はバスで仙台駅まで。発着する列車は、JRでは東北本線の仙台~岩切間と仙石線のあおば通~小鶴新田間、あと地下鉄の台原~富沢間のみであるが、その割には構内を歩く客は多いような気がした。駅ビルもまた営業していた。ただし11時から18時までの短縮営業であり、特に食料品を扱うテナントでは商品の1、2割程度しか品物が並べられていなかった。震災の傷跡は未だ深いものがあると感じる。
広瀬通のバスターミナルまで歩く。仙台駅北側にある(必需品を販売している訳ではない)パルコが開店していたのには驚かされたが、個人経営の飲食店を別にすれば、まだまだ休業中の店が多いようだ。意外に全国チェーンの飲食店が弱い。震災直後の無残な様相を晒しながら長期休業を余儀なくされている店舗が複数あった。
17時55分発のバスに乗り、福島へと向かう。仕事帰りの時間帯だからか、この便も補助席まで満員であった。日がとっぷりと暮れ、暗闇の中を南下する。菅生や国見の休憩施設の灯りだけが、妙に眩しく感じた。

19時過ぎに福島駅東口に到着。ここから桑折方面へは路線バスで帰ることになる。次の便は19時40分発の藤田行。1時間に1本程度の便数は確保されているようだ。地方のバスにしてはそんなに悪くないダイヤである。
待ち時間の間、福島駅の駅舎内をぶらついてみる。この駅を発着するJRの路線は山形新幹線・奥羽本線のみ復旧しており、電光掲示板もその部分だけが稼働している。淋しい風景だ。
駅構内で、暇つぶしにパンフレットを読んでみた。地元のものではなく、「旬巡り わくわく体感 水俣・芦北」というもの。どうしてはるばる南方の熊本県のパンフレットがこんな所にあるのか一瞬悩んだが、そう言えば3月12日に九州新幹線が全線開業したんだっけと思い出す。震災の影響もあり、すっかり忘れていた。九州新幹線は、水俣市内にある新水俣駅にも停車する。
水俣と言えば私のようなかの地とは無縁の人間にとっては「水俣病」ぐらいしか連想できない。そのことは水俣の方々も強く認識されているだろうし、そこからの脱却、復活にむけて、日々努力されていると思う。パンフレットからは、太刀魚など不知火海の海の幸や、あしきた牛、デコポンといった農産物、湯の児(ゆのこ)、鶴の湯の温泉などがふんだんに紹介され「水俣・芦北は豊かな地域なんだぞ」と強く主張しているように感じられた。
水俣病が公式に確認されてから、既に半世紀以上が経過している。が、市民の努力に水を差すようで申し訳ないのだが、「水俣=水俣病」のイメージは、未だ払拭し切れているとは言えないようにも思う。しかも世界的規模で。
そう考えると、背筋に寒気が走る。今回の大震災でついてしまった「福島県=原発事故」のイメージ。恐らく、我々の子孫の代まで十字架を背負わせることになるのだろう。彼らに罪は全くないというのに…





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Last updated  2011.04.02 16:05:18
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