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ちょっと忙しいやら、体調不良やらでブログにたどり着けませんでした。どうも腎機能が弱くなっているらしくって、とにかく水分を摂れって医者に言われ、毎日ペットボトルを抱えてトイレを行き来。それとは関係なく昨日は発熱し、ま、ま、ま、ま、まさか~!!!!!…な~んて思ったけど、今朝は熱もすっきり下がって元気です。仕事で頭を使い、悩むせいか、お肌はボロボロ。どうもいけません。そんなときのストレス発散は、やっぱりお出かけ。先々週末は杵築を散策してきました。着物を着て小京都を歩くってイベントがあって、それに参加したかったけど、朝寝坊して間に合わず。でも、杵築サンド食べて、城下町を散策しました。日本初の新幹線の車掌さん第1号のおじさんともお話した!楽しいおじさんだったわ~。翌日は阿蘇のミルクロードをドライブ。ススキを見に行ったけど、ちょっと早かったみたい。でも、草が刈られていてススキの数が減っている感じが…。まあ、牧場のものだから仕方がない。ミルクロードのススキです。先週末は島原へ日帰りの旅。熊本港から30分で島原へ着いちゃいます。島原城で忍者になりました~!とても楽しかった♪あいにくの雨で町を散策できなかったけど、島原名物をいっぱい食べてきました。ちなみに、今週末は福岡にお泊りで遊びに行ってきます。あ、私、9月と10月の2ヶ月で九州全県(沖縄を除く)旅行しています。大分県は住んでいるところ、熊本は生活圏内だから数に入れてもいいものか?宮崎県も県境までなら1時間程度で着いちゃうんだけどね…。ついでにうちの愛娘を…。日向ぼっこ中のナナちゃん。しかも、爆睡しています。かわいいな~。私、最近寝付きが悪いのですが、ナナがいればすぐに眠れるから不思議。でも、暖かい日はベッドに来てくれません…。今夜は高いタンスの上で寝ています。寒くなったら入ってくるでしょう、たぶん。
2009年10月28日
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■長崎ランタンの旅・その7■長崎の出島といえば、江戸時代の鎖国時の外国人居留地として有名ですが、この出島ワーフは長崎市の複合商業施設です。大きなショッピングモールもあれば、海に面する場所にはカフェやレストランが連なります…って、ナンシーにここに連れられてくるまで、こんな場所があるなんて知らなかった私なんですけど。浜町から歩いて数分で出島に着くのですが、途中、裏道を通ったのですが、骨董品店らしき場所でおもしろいものが…。なんじゃ、こりゃ?「晩飯にトンカツを」って、ただのダジャレでは…。もうひとつ。「景色もチャンポン」って…。おもしろすぎる。ちなみに、いちばん左端には「買ったお客様に満足を 買わないお客様にも幸せを」って書かれています。5月も長崎に行ったので、この店の前を歩いてみたのですが、その時のは、残念ながらあまりおもしろくありませんでした。それからこんなのを発見!1923年(大正12年)長崎駅から長崎港駅まで約1キロの鉄道が走っており、ここから上海までの船が出ていました。当時東洋一の国際都市だった上海の文化が出島に上陸して国内に広まったといわれます。しかし、船の沈没があい続き、1943年(昭和18年)に約20年で上海航路は廃止されました。鉄道は貨物輸送が行われ、戦後は母国へ帰る捕虜の米兵が利用しました。そして1982年(昭和27年)に鉄道も歴史の幕を下ろしました。当時の線路かな?そして、出島の港をしばらく散策。寒かったけど、冬の夜の海も素敵でした。出島ワーフには5月に1人で訪れた時も散策しました。昼間の様子はその時のブログにて。ここで、カラオケに行こう♪って話になりました。確か、昼間に長崎駅の近くでカラオケボックスを見た覚えがあるので、そこに行こうってことになりました。さすがに歩き疲れたので路面電車で移動。しかし、カラオケボックスは見つからず。散々探したのに…。残念だけど、ローソンでビールやチューハイを買って旅館に戻り、プチ宴会。2缶飲んで復活した私、これから遊びに行っても大丈夫よ~ってくらい元気だったけど、2人はもう疲れ果てていました。でも、楽しくおしゃべりして夜を過ごしました。つづく…
2009年10月20日
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■長崎ランタンの旅・その6■熊本から来た4人と別れ、夜は更けていくものの旅館に帰るのはまだ早い時間でした。実はかなり疲れていた私。謝さんもずっと頭が痛いと言っていたので、きっと人ごみに酔って疲れていたのだと思います。でも、22歳のナンシーはとても元気!謝さんと私が夕食を食べれられないでいたけど、彼女はしっかりインドカレーを食べ、まだまだ遊び足りない様子でした。そこで、歩いて出島ワーフに行くことに決定!ナンシーは秋に長崎を旅行して、その時出島ワーフに行ってすごくきれいだったと言っていました。カリフォルニアから来たから、海辺がとても好きなんだそうです。中華街を後にして、出島に行く途中に再び浜町アーケードの手前の橋に到着。昼間に見た見立飾りやランタンに灯りがつき、幻想的になっていました。ここでちょっとの間、写真を撮った地のんびりしました。ネズミの嫁入り?中国にも同じようなお話があるのかしら?謝さんに聞いてみればよかったわ。アーケードの中のランタン。このランタンの下は、見るのもおぞましい人の群れ…。疲れ切った体では、さすがにこの中に飛び込んでいく勇気はなかったです。橋の周りにもきれいなランタンが。そして川沿いにも。川面に光が映ってきれいです。3人がそれぞれの思いでランタンを眺めた夜でした。つづく…。
2009年10月19日
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■長崎ランタンの旅・その5■長崎新地中華街は、横浜中華街、神戸南京街とともに日本三大中華街と称されています。姉妹都市の中国福建省福州市の協力で石畳が敷かれていて、通りには大小約40の店が並びます。江戸時代の鎖国当時、約1万人(当時の長崎市の人口約7万人)の中国人が長崎市の唐人屋敷に住んでいました。新地に移ったのは幕末の鎖国終了後で、それがこの長崎新地中華街の始まりとされています。で、中華街に到着。この門の向こうを見て、正直びびってしまいました。それと共に、なんだかエキサイトしてきた私。だって、ものすごい人で、この中に飛び込むのはちょっと勇気がいるわけで…。でも、飛び込んじゃう。でも、いったん飛び込んじゃうと、人の流れに合わせて歩けばいいだけなので、意外と平気だったりします。私だけ?クジラの屋台も出ていました。お腹がいっぱいだったけど、KさんとDと左側のクジラカツを買って食べました。懐かしい味。Pはクジラは食べたくないと嫌がっていました。うーん、アメリカ人ね~。って、Dもアメリカ人なんだけど…。そして会場へ。きれいに飾られたランタン。丑年だったけど、なぜかドラゴンの写真ばかり。生贄の豚さん?トイレやらなんやら行って、あまりの人の多さに友人たちと2グループにはぐれてしまいました。お祭りを見に来たんだか、人を見に来たんだか。きれいだけど、土曜日はあまりお勧めできませんね~。日が暮れると、ランタンもきれいです。私と謝さんはお腹が空いていませんでしたが、夕食に行こうという話になりました。しかし、中華街とその周辺のお店はどこも満席。その上にすごい行列。私たち大分の3人は泊りだったけど、熊本の4人は日帰りバスツアーなので、インド料理のチェーン店へ。私はマンゴーシャーベットしか食べていません。苦しかったんだもん。そして熊本から来た4人と別れ、私たち3人はまた歩き始めたのでした。つづく…。
2009年10月18日
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■長崎ランタンの旅・その4■眼鏡橋でゆっくりしていると、謝さんが、「お友だちが待っているんじゃないの?」と言ったことで、そうだ、熊本から来た友人一行に会いに行っていたことを思い出しました。そのまま、浜町の商店街のアーケードに向かいました。このアーケードでは皇帝パレードが行われるのですが、私たちはすでに間に合わず。私は以前見たことがあったけど、彼女たちは見れずじまいでよかったのかしら…?とちょっと心配。でも、2人とも気にする様子もなくて安心しました。商店街のアーケードに到着。ここの飾りつけも天井から歩道に至るまで、本当に見事でした。人でごった返していたので、うまく友だちを見つけることができるかな…と、携帯電話で連絡を取りながらキョロキョロしていると、向こう側から4人のグループが歩いてきます。先頭は見慣れた友だちのKさんだ~!この人ごみで会えてよかったわ。Kさんのほかにも若い男性のEくん、それから日系アメリカ人のD、韓国系アメリカ人のPもいっしょでした。もちろん、私は3人とも初対面。ナンシーはDとPは知り合いで、再会を喜んでいました。2つのグループでしばらく商店街を散策しました。食べ物やお土産物屋さんの出店がたくさんでていて、町はおお賑わい。ただ、お腹だけはまだまだいっぱいだったので、食べ物には誘惑されずに済みました。商店街の飾りたち。 こんなんもありました。赤い糸がたくさん結ばれているでしょ?この隣にはおじいさんの見立ランタンがあったのですが、謝さんの話によると、そのおじいさん(たぶん仙人かなにかでしょう)は縁結びの神様かなんかだそうです。それでこの場で赤い糸を売っていて、観光客がこれを買って結んでいたのでしょうね。それにしてもすごい数。おじいさんも大変だ!私は結んでおりません。このあとは、この商店街を抜けてランタンフェスティバルのメイン会場の中華街に向かったのでした。つづく…
2009年10月17日
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■長崎ランタンの旅・その3■まずはこの写真の像の2人、だ~れだっ?右側はすぐにわかると思います。坂本龍馬の像です。では、左側の人は誰でしょう?ヒントは像の間にある写真機…な~んて聞かれても、なかなかわからないですよね。私もこの左側の人のことは今回長崎を訪れて初めて知りました。この像の人は、上野彦馬(1838-1904)という、幕末から明治にかけて活躍した写真家です。数多くの幕末の志士の写真を撮った彦馬ですが、あの有名な坂本龍馬の写真も撮ったといわれています。上野彦馬は、長崎町人で技術者の父の四男として生まれました。父の死後、家督を継ぐと文語の日田(現在の大分県日田市)の広瀬淡窓に学び、長崎に戻ってからはオランダ語と化学を学びました。その後、父と同じように写真に魅せられ、写真機や薬品の研究を続けながらフランス人写真師から写真術も学びました。その後、1862年に長崎に日本初の写真館「上野撮影局」を開きました。彦馬は肖像写真だけでなく、日本初といってもよい報道写真家としても活躍しました。彦馬は1877年(明治10年)の西南戦争の従軍カメラマンとして同行しました。従軍カメラマンは西南戦争以前の征台の役や萩の乱でも存在しましたが、彦馬の方が写真の量と報道性に優れていたそうです。彦馬は西南戦争で、民家の土蔵に残った弾痕、焼け落ちた建物、瓦礫の山となった街並みを写真に撮り、その戦闘のすさまじさを伝えているそうです。もしかしたら、今までに見てきた田原坂の土蔵の弾痕や植木の街並み、熊本城で見た西南戦争当時の熊本城の写真などは彼が撮ったものかもしれませんね。彦馬の従軍カメラマンとしての写真は風景写真ばかりで、人の死体は決して撮影しなかったといいます。戦争自体に正義も不正義もないという、彦馬の戦争観なのだそうです。この記事は先週読んだ『幕末維新・あの人の「その後」』(日本博学クラブ・著/PHP文庫)を参照しました。上野彦馬の記事を書こうと思っていた矢先に、この本の3ページほどにわたって上野彦馬について書かれていて、とてもタイムリーでした。ただ、坂本龍馬の写真、実は彦馬の弟子が撮ったという通説の方が正しいという見解もあります。本当のところ、どうなんでしょうね。つづく…
2009年10月16日
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■長崎ランタンの旅・その2■中華料理でお腹がはちきれんばかりになった私たち3人は、歩いてランタンフェスティバルの会場に行くことにしました。駅を出てちょっとして、私の携帯に電話が入りました。この日、偶然にも熊本の友だちが、日帰りバスツアーで彼女の友人らといっしょにランタンフェスティバルに来ているので、現地で会うことにしていました。その友人らのうち2人は、偶然にもナンシーの友だちでした。縁って本当に不思議。彼女らと会う場所は、皇帝パレードのあるアーケードの通りでした。私は4年前にもそこまで歩いて行き、皇帝パレードを見たことがあるので、道はたぶん覚えているはず…。途中まではしっかり覚えていたのだけど、一瞬迷ってしまい、近くのお弁当屋さんの店員さんに聞いてようやく眼鏡橋までたどり着きました。ここまでくればアーケードのある商店街は目と鼻の先です。眼鏡橋のランタン。眼鏡橋については、前に書いた長崎ランタンフェスティバルの旅行記まとめているので、暇だったら参照してください。こちら→長崎3人旅(実は未完成…)周辺の飾り付け。 なぜか魚のランタンがいっぱい。魚のランタンがおおい理由を、謝さんが教えてくれました。中国では旧正月には縁起物として魚を食べるのだそうです。その細かな理由は忘れてしまいましたが、確か、ロシアや東欧諸国ではクリスマスに七面鳥ではなく魚を食べると、東欧出身の友人たちに聞いたことがあります。中国とは歴史も文化も違う国なのに、こんな共通点があるのはとてもおもしろいです。これもおめでたいらしい。赤い文字は「喜」を表しています。謝さんが言うには、この赤い「喜」の文字は、中国では普通結婚式やお祝い事の席で使われるそうです。旧正月ではそんなに用いないと言って笑っていました。中国でも地方によるのかな?念願のチリンチリンアイス~!これは4年前、ここで食べたかったのだけど腹の調子が悪くてあきらめたんです。今回はしっかりいただきました。寒いしお腹いっぱいなのに…。たくさん歩いたからさっぱりしておいしかった~!夏だったら10個食べれるかもしれない。そして、この眼鏡橋でちょこっとおもしろいものを発見!って、たぶん私だけがそう思っているわけで。それはまた次のブログで。つづく…
2009年10月15日
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■長崎ランタンの旅・その1■やっと、今年の旅行記が書けます。今年の旅行記、今年のうちに…とは思うものの、今年は九州中を駆け回ったので年を越すこと間違いなし!まあ、旅行記も自己満足なので、ゆっくりのんびり書いていこう。旅した期間:2009年1月31日(土)~2月1日(日)いっしょに旅した人:ナンシーと謝さん(珍しく人といっしょ!)それは、1月半ばの謝さんちでの餃子パーティーで始まった話でした。長崎のランタンフェスティバルに行こう!って。謝さんは中国人、そしてナンシーは中国系アメリカ人。2人とも日本での旧正月を祝いたい、私は単にランタンフェスティバルに行きたい、そんなことで旅行決定!大分から長崎までは高速バスで移動しました。この時期、長崎市内のホテルなんか取れなくても当然です。でも、私は穴場を知っていたので楽勝で予約が取れました。そこは前にもランタンのときに泊った小さな旅館。3時間ちょっとのバスの旅、旅館に荷物を預けに行ったら、なんと、4年前と同じ部屋でびっくり。4年前はアメリカ人とニュージーランド人の2人とランタンフェスティバル見物に来たけど、2人のヤローと危機感なく雑魚寝(女というより、ペットの扱いだったので…)。でも、今度はかわいい女の子2人で気分もうきうき。駅前の大きなドラゴン。動くんです。昼はとっくに過ぎ、私たちの空腹もピークを迎えていました。旅館の近くに長崎チャンポンのお店があったけど、有名店のようで大混雑。駅に行けば何かあるということで移動。トルコライスが食べたかったけど、そのお店は人でいっぱいだったので、適当に中華料理店に入りました。2人とも中国人&中国系、中華料理でいいのかしら?ってちょっと不安だったけど、ここがなかなかおいしかったの。3品注文して3人でシェアしていただきました。まずはこれ。チンゲンサイの炒め物。ごま油風味でさっぱりしていておいしいかった!これは野菜をしっかり摂りたいという謝さんの希望。ほかのお料理のお野菜が少なかったから、大正解!豚肉とピーマンの炒め物。甘辛い味はご飯にぴったりです。実際、これがメインのおかずとなりました。そしてナンバーワンヒットのこのお料理!エビをホワイトソースとチーズでからめています。エビがプリプリでおいしい!そして、この中に入っている揚げパンがかなりおいしかったです。モチモチとしていて、パンなのにお餅の食感。謝さんがすごく気に入っていました。でも、謝さんの出身地の西安にはこのお料理はないんですって。このお店は、広東・台湾料理の中華料理店でした。中国広し、同じ国でもところ変われば中華も変わるって言っていました。たらふく食べておなかいっぱいの私たち、中華街までは路面電車を使わずに、歩いていくことにしました。ちなみに、私たち3人が何語で話していたかというと…ナンシーと私:英語謝さんと私:日本語謝さんとナンシー:中国語ちょっと楽しいでしょ?道行く人も私たちの会話を聞いて、振り返る人もいました。つづく…
2009年10月13日
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3連休の中日に行った日向と延岡の日帰りドライブの覚書です。1人で行きました。宮崎って遠いイメージあるけど、うちからだと2時間以内で行ける場所なんです。高千穂はもっと近いのよ♪行った日:2009年10月11日(日)・道の駅北川はゆまで日向夏ソフトクリームを食べ、日向かぼちゃを買う。・日向の馬ケ背へ。過去2回訪れたけど、今回はますます観光地化していて驚いた。・願いがかなうクルスの海へ。カップルばっかで…。願い事は「みんな別れてしまえー!」って、冗談ですが…。・日向のお伊勢さま、大御神社へ。神社とパームツリーの組み合わせが…。・そこの海岸にある親子三代の亀岩を見る。・境内にある日本最大級の「さざれ石」群を見る。でかい。・日知屋城址跡を散策。ほとんど人がいなくて快適。・海岸沿いにある鵜戸神社へ。ひたすら美しい。・伊勢ケ浜海岸でしばしぼけーっとする。サーファーに見とれていた(笑)・延岡に戻り、「おぐら」のチキン南蛮を食べる。1人ファミレス…。小倉ケ浜と美々津地区にも行きたかったのですが、のんびりしすぎて日が暮れそうだったので、今回は行きませんでした。次回はこの2ヶ所プラス都農町の矢研の滝に行ってみたいと思います。あー、3連休もおしまい…。でも、今週末も3連休にする予定なの、来週末も♪海っていいなっ!
2009年10月12日
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3連休、いかがお過ごしでしょうか。私はゆっくり過ごしています。今日は延岡と日向までドライブしてきました。でも、そのお話はまたいつかってことで、唐津のプチ旅日記の続きを…。唐津市の沖合約1kmに位置する神集(かしわ)島は、周囲約7kmの離島です。古代、神功皇后は新羅出兵に際して島に神々を集めました。それが島の名前の由来だそうです。唐津市街地から見た島の形が台形であり、その形から軍艦島とも呼ばれています。島の北部には、鬼塚古墳群と呼ばれる古墳時代後期の横穴式古墳群の古代遺跡があり、万葉の歌碑が7か所建てられています。その7つは神集島で詠まれたものです。この島は、古代、新羅への船の国内最後の亭(とまり)であり、身近な人との別れを悲しむ歌なんだそうです。今回は残念ながらその古墳や万葉歌碑は見ていません。この島に来たのは、TAOのライブのためでしたので…いつものことながら。島へは定期便のフェリーで約10分。ライブの日は折り返し何便もフェリーが出ていました。港から見た神集島。こじんまりとしています。ここも過疎化が著しい地域だそうです。大漁旗が出迎えてくれました。唐津市内外からお客さんが訪れるので、島を挙げての歓迎ムードでした。港には大漁旗がたくさんはためいており、会場の小学校の体育館の前では、地元の人の作る料理や海産物の加工品が売られていました。梅が枝餅まで売っていたし…。ちょっとしたお祭りムードでした。フェリーにも大漁旗が。実は、佐賀にも離島があることはここに来ると決めた時まで知りませんでした。地図で見てみると、ほかにもあるようです。大分県内でも離島を訪れる機会は滅多にないので、フェリーでの移動はちょっと新鮮でした。この先、神集島にはなかなか訪れる機会もないはないと思いますが、もしあるのなら、名物の石割豆腐が食べてみたいです。唐津プチ旅日記、おしまい♪
2009年10月11日
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唐津を北上したのは、フェリーに乗って神集島に渡るためでした。その前に昼食をと、フェリー乗り場の駐車場整理のお兄ちゃんに聞いてみたら、その辺りにはあまりいいお店がないと言う…。もっと北上すれば、サーファーが立ち寄る店があって、そこで食事ができると言うので向かいました。食堂とかレストランというよりは、カフェって感じのお店。サーファーが立ち寄るだけあって、サーフボードやサーフィンの道具が置かれていたりして、佐賀県なのになんだかトロピカルな感じのお店でした。食事を注文して外に出てみると、いるいる、サーファーが。いつも思うのだけど、サーファーには季節は関係ないのね。そしてふと左のほうを見ると、これはまた大きな岩がありました。望遠で撮ったのでちょっとぶれてるし。あー、これが立神岩か~!唐津に行くと決めたとき、インターネットで何があるんだろうって観光地を検索したときに写真を見ていたので、すぐにわかりました。見てみたいけど時間が…って感じだったので、半ばあきらめていたけど、偶然にも見ることができてうれしかったです。立神岩とは…。立神岩は、40mの高さをもつ玄武岩の大石柱が2個立っていますが、これは波の侵食作用によってできたものです。その様がまるで男と女が寄り添って立っているように見えることから、夫婦岩とも呼ばれているそうです。なるほど~。食事もおいしかったの♪私のロコモコ。友人のタコライス。ロコモコはハンバーグがジューシーで美味でした。タコライスは見た目が微妙だけど、味はおいしい、でも、これはタコライス?って感じ。海岸線のきれいな場所だったので、またいつか訪れたいです。いつになることやら…。
2009年10月10日
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昨年の11月に行った唐津のプチ旅日記です。これも追っかけついでなんだけど、TAOの…。もう、アホのごとく九州中&たまに本州を追っかけまわしているもんで…。このときは福岡の友人とドライブでした。前日に鳥栖に泊り、廿日市まで電車で行って拾ってもらい唐津に向かいました。唐津といえば、やっぱり見てみたかったのは虹の松原。ライブまでちょこっと時間がありましたから、鏡山まで運転してもらいました。鏡山には神社がありました。お天気のいい祝日だったのに、人はまばら…。ここからの虹の松原、美しかったのですが、それよりも中腹から見たほうがとてもきれいでした。鏡山中腹から。唐津湾沿岸に約5kmにわたって、クロマツの林が弧状に広がります。日本三大松原で国の特別名勝に指定されており、日本の白砂青松100選、日本の渚百選、かおり風景100選にも選ばれています。はじまりは、17世紀のはじめ、唐津藩の藩主・寺沢広高が防風林、防砂林として植樹を行いました。伐採の禁止(伐採は死罪)はもちろん、燃料としての落ち葉の採取でさえ厳しく制限されていました。改易や藩主が替っても、手厚く管理されていたといいます。現在でも保安林とされ伐採は禁じられています。この松林を車で走ってみたかったのですが、時間があまりなかったので上から眺めただけでした。テレビでは松林を見たことがあるけど、どんな感じなのかしら?次に向かった先は、唐津の北部です。それはまた次回。
2009年10月09日
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最近、食べ物の話題ばかりだね。食べることが大好きだから、おいしいお店めぐりも大好きです。まあ、いろんなところに行ったけど、やっぱりいちばん好きなのは丸福!竹田市内と熊本県内に支店があるけど、いちばん好きなのは竹田市内の中心部に古町店です。お店によって味が微妙に違うんです。熊本方面の店舗は行ったことないけど。本社は、チキン南蛮はめっちゃおいしいけど、から揚げがちょっと固め。57号線沿いのは普通においしい。西古町店はとり天がめっちゃおいしい!とり天単品、400円だったかな?安いけど、けっこうな量なので1人で全部食べるとちょっと苦しいです。下味がしっかりついていておいしいの♪ チキン南蛮の単品は450円。とり天よりも若干量が少なくてちょうどいいです。で、とり天もチキン南蛮もWで食べたいという人には…。この「とり天南蛮定食」がおすすめです。最初はとり天を南蛮にしたものかと思ったのだけど、何のことはない、2品の鶏肉料理が添えられたものでした。これはとってもご飯が進む♪ということで、3回連続チキン南蛮のおいしいお店の話題でした。食欲の秋ね~。
2009年10月08日
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今日も竹田のグルメを紹介しまーす!レストランや食堂に入って、たいてい注文する食事はチキン南蛮です。なぜって?それは、大好きだから♪お店によって甘酢の加減とか、タルタルソースかオーロラソースとか違いはあるけど、万人受けするなって思うのは「ひょうたん」のチキン南蛮です。これで840円!安い!これ、けっこうな量なんです。写真には写ってないけど、おみそ汁なんて具だくさんだし、サラダも毎回違う種類。写真のはカボチャサラダかな?この間行ったときはスパゲティサラダでした。それから、小鉢も酢の物のときもあるし、煮物のときもあります。そして何よりも、チキン南蛮がおいしい!たっぷりの甘酢に浸されて、オーロラソースがかかっています。チキンも柔らかくてジューシーでおいしいんです。最近、母に教えてあげたら、母もここのチキン南蛮がお気に入り。先週末もいっしょにお昼を食べに行きました。ほれ、ほれ!おいしそうでしょ~。日曜日でも空いているので、友人、知人をちょっと食事に連れて行く時はここを選びます。地元の人でも居酒屋とか宴会場と思っている人がいるので、え?あそこ、定食が食べられるの?って聞かれることも。穴場っちゃ穴場です。坦々麺もおいしい…。いつも同じものばかり食べているから、次は違うメニューにしてみようと思いつつ、チキン南蛮ばかり頼んでしまうのでした。
2009年10月07日
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変なお天気です。雨もやんで夕方は青空が見えていました。今夜はすごく静かなんだけど、これは嵐の前の静けさなのかしら?台風、心配だな~。今日は、竹田の隠れグルメをひとつ。竹田のお食事処といえば丸福が有名ですが、丸福と並んで大好きなレストランは「カナデアン」です。「カナディアン」ではなくて、「カナデアン」。店は洋風の造りなのだけどやや古く、懐かしのゲーム機がテーブルになってたりする、レトロなんだか新しいんだかわかんない。客層も中年前後のおじさんが多いのですが、とってもおいしいんです!量は男性向きだけど、味付けは女性向きだと思います。いちばんのおすすめ!チキン南蛮定食。このチキン南蛮は、自分の中でベスト3に入るくらいおいしいです。私、つい先日までこのお店ではチキン南蛮以外のものを注文したことがありません。うちの職場でもカナデアンのお弁当が注文できるのですが、その時もチキン南蛮弁当を頼むくらい大好きです。ちょっと浮気して、ハンバーグ定食。前に妹が食べていたのを一口もらったら、おいしくてね~。ハンバーグってそんなに好きじゃないから滅多に食べないんだけど、これはおいしい!今まで食べた中で2番目においしい!一番おいしいお店は南小国にあるんだけど…。でも、かなりおすすめです。おまけに大きいの♪で、いろいろためしたくなって、エビたま丼。エビの量が半端なく多いんです。ご飯の量も多いので、男性向きのメニューかな。でも、味はあっさりと好みの味でした。エビたま丼を前に嬉しそうな私…。チキン南蛮一筋だったけど、他のメニューもいろいろ試したくなりました。特に、チャンポンは食べてみたいです。今、いろんなお店のチャンポンをお試し中なので…。
2009年10月06日
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■山口・長門の旅・その19■金子みすゞ三昧の仙崎の旅、最後もみすゞで締めようと、仙崎駅から下関まで「みすゞ潮彩」という電車に乗って帰るつもりでした。仙崎駅。みすゞ潮彩は、2007年から仙崎駅と下関駅を結ぶ観光列車の名称です。JR山陰本線・山陽本線を経由を快速または普通電車が1日2往復走ります。景色の美しいビューイングポイントでは一時停車もするというのが魅力的♪ 電車の名称は、仙崎で生まれ、下関で生涯を送った金子みすゞにちなんで一般公募でつけられました。外観は長門在住のイラストレーター尾崎眞吾氏のデザインが使用されています。車両は指定席と自由席があり、車内販売の売子さんは、なんとメイドの衣装を着ているとか!美しい景色とメイド喫茶(?)が一度に楽しめる電車です…たぶん。が!しかし、この潮彩号の待ち時間までかなりあったのです。乗りたかったけど、もう2時間も待つにはちょっと疲れていた私。それに、タクシーに乗れば長門市駅から下関駅まで直行のひとつ前の電車に間に合う!翌日は仕事なので、なるべく早く帰ってゆっくり寝たい。そんな想いが私をタクシー乗り場に直行させました。で、その電車に間に合ったわけで…。ビューイングポイントで停車しないのは残念だったけど、それでも鈍行列車から眺める日本海の景色は美しくて、写真にうまく撮れなくても大満足。でも、いつかこの辺を車で走ってみたいとも思ったのだけど。きれいでした~!走る電車の窓から。途中の駅で仙崎に向かう潮彩号とすれ違う…。あ~、待っていればこれに乗れたのね…と、ちょび~っと後悔。でも、これもきっと、旅の神様がまた仙崎にいらっしゃ~い!と言っているのね…と、再び自分に言い聞かせるのでした。中原中也、種田山頭火、金子みすゞなど文学に触れ、温泉にも入り、おいしいものを食べ、でもホテルで散々な目に遭ったけど、いいことも悪いことも充実した山口と長門の旅でした。12月は予算の関係で観光なしの日帰りでのTAO長門ライブになりそうですが、せめておいしいものはしっかり食べてこようと思います。おわり♪
2009年10月05日
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■山口・長門の旅・その18■仙崎最後の話題は、やっぱり金子みすゞです(みすゞのこと以外はほとんど書いていない気がするんだけど、気のせいってことでね~)。みすゞ通りを歩いていて見かけた『祇園社』の詩。この詩の右手にある路地に入ると、その祇園社があります。正式な名前は八坂神社です。仙崎で行われていた古式捕鯨の様子を描いた、江戸時代の『捕鯨図』が保管されているといいます。ちょっと見てみたかったけど、誰もいなかったし、公開されている様子でもなさそうでした。残念!また、夏には仙崎祇園祭が開催され、山車に蛇や須佐之男命などの人形を飾り、祇園囃子が演奏されます。木製ではないけど、きれいな鳥居。きっとみすゞも、子どもの頃はここで遊んだのでしょうね~。次に向かったのはみすゞの墓所がある遍照寺。みすゞ通りの起終点でもあり、海が近くお寺の前の通りからは海も見えます。15世紀末に建てられたという浄土真宗の由緒あるお寺。ぜひともみすゞのお墓参りをして帰ろうと思ったのです。…がっ!なんと、地元の人の葬儀の準備が執り行われておりました…。境内の中は人であふれていて、忙しそう。とても一般の観光客の私が入って行ける雰囲気ではないので退散…。見える部分の写真だけ…。右は『こころ』の詩碑。 お参りできなかったのは残念だけど、これはきっと旅の神様が、もう一度仙崎に来てね♪と言っているに違いないと前向きに思っています。旅行して、見たい場所をすべて周りきれなかった時は、いつも自分にまたそこを訪れようと言い聞かせています。金子みすゞの縁の地を堪能して、仙崎を後にしたのでした。つづく…みすゞ通りで見かけた猫ちゃん。
2009年10月04日
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■山口・長門の旅・その17■金子みすゞ(本名・テル)は、明治36年(1903年)に仙崎村(現在の長門市仙崎)に生まれました。子どもの頃から読書が好きな少女だったといわれています。20歳の時、4誌に詩が一斉に掲載され、西條八十から「若き童謡詩人の中の巨星」と賞賛されました。しかし、それも23歳の時に結婚したことで一変しました。娘を設けますが夫とは不仲、しかも創作活動や詩人たちとの交流も禁じられ離婚します。娘を手元で育てることに夫も最初は同意しますが、考えを翻した夫は親権を要求。夫への抵抗心から、みすゞは母に娘を託す手紙を残し、26歳の若さで服毒自殺をし、この世を去りました。亡くなるまで512篇の詩を綴ったとされています。金子みすゞ記念館は、みすゞの生誕100年を記念して2003年に生家跡に復元されました。金子みすゞ記念館正面。道路沿いの金子文英堂では、1階は文具店が、2階はみすゞの部屋が復元されています。部屋のところどころでいくつかの詩を読むこともできます。2階のみすゞの部屋。奥にある本館は資料館となっています。また、ちょっとした仕掛けのあるギャラリーもあります。ちょっと時間の関係で、本館は駆け足で見てしまったので、ギャラリー以外はあまり覚えていません…。この記念館を見物していた観光客は私以外にもう一人いました。男性の方で、「あなたもみすゞさんのファンですか?」と聞かれました。そうなんです、『みすゞさん』なんです。金子みすゞのファン、記念館の職員さん、そして地元の人はみんな親しみを込めて『みすゞさん』って呼んでいました。なんか温かい感じがしていいな。次回もちょこっと『みすゞさん』の縁の地について書きたいと思います。つづく…
2009年10月02日
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■山口・長門の旅・その16■仙崎は童謡詩人・金子みすゞの生誕の地です。金子みすゞの詩に出会ったのは、もう15年以上前のことです。『大漁』という詩を読んですぐに興味を持ちました。絵本と詩集を買い、繰り返し読んでいるうちに、どんどんみすゞの詩の世界に惹きこまれました。1年間滞在したニュージーランドにも詩集を持って行き、よく本を開いて読んでいました。だから、仙崎は訪れてみたい場所のひとつでした。みすゞ通りは、この場所にみすゞの生家と墓所、そして縁の地が多くあることからその名前が付けられました。写真でしか見たことのないこの通りに胸を躍らせながら向かいました。その通りには、商店街や市民、子どもたちによって書かれたり描かれたりした詩や作品が飾られていました。郵便局の外壁。いちばん有名な詩なのでは?『わたしと小鳥とすずと』初めて出会った詩『大漁』。工夫された作品たちも。 まだまだ、ここでは紹介しきれないくらいの素敵な作品たちに出会いました。しかし、なんだか寂しい。街並みは雰囲気があっていいのに、閑散としているんです。観光客がほとんどいないんです。冬だから?と思ったのだけど、この夏訪れた友人も、何にもないし人もいないって言っていました。もったいない…。ちょっと古い言葉かもしれないけど「町おこし」、なんだか空回りしているような気がします。仙崎に限ったことではなく、日本中(西日本限定だけど…)のたくさんの場所で感じたことです。活気のある町は本当に元気だし、人も集まる。でも、どんなにいいところでも、見どころがたくさんあっても、閑散としている町もある。すごく寂しく感じました。仙崎もみすゞ通りもとてもいいところなので、もっといろんな人に見てほしいなって思いました。本当に素敵な場所でしたから。つづく…
2009年10月01日
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