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昨日から、さもにむ、こまさ、ありこは、山形の教会の子供キャンプへ行っている。というわけで、ちゅにむは明日の夜まで一人暮らし。礼拝も、子供がいない、奏楽者がいない、まことに静かな(文字通り)ものだった。それでも、今は礼拝も集会の形ができている。4~5年前には、さもにむが日曜日の朝喘息の発作をおこし、休日診てもらえる病院を探して、結局礼拝を休んだことがあった。(当時は外から誰も来ていなかったから)先日のちゅにむ父の葬儀でちゅにむ一家が上京中も無事に礼拝がもたれた。ああ、ホントにここは生きた教会になりつつあるなあ~など思いつつ、夕食を準備。今夜はトマトソースパスタ。いただいたトマトでソースを作る。みじん切りにしたタマネギをバターで炒め、水とインスタントスープの素でぐつぐつ・・・皮をむいて種をとったトマトを刻んで投入。あとは塩やケチャップ、トンカツソースなどで味を調える。そうそう、忘れちゃいけない粉チーズ。パスタをゆで、刻んでおいたウィンナーといっしょにソースにからめてできあがり。しあげにまたしても粉チーズ。アイスコーヒーをそえて、はい、写真の通りできあがり。おいしゅうございました。先日、初めて市の健康診断を受診。医師による問診で老医師がとってもうれしそう(?)に「お父さんが心臓、お母さんが糖尿・・・ これはあなたも内臓疾患の危険がとっても高い 体重もやや多め(いや、そんなことはない!ぎりぎりセーフだった!)だし 心電図とりなさい」さてさて、結果はいかに?しかしさすがにちょっとばかり、食事と運動に気をつけようとその日は健診会場から30分、歩いて帰ってきた。いい汗かいた~このパスタも、若干量を控えめにしてる・・・つもり・・・せめて2~3キロ減量せねば・・・健康には気をつけよう。まだまだ、たぶんするべきことはある・・・はず。みなさんも、どうぞ、ご自分の体を大事にしてあげてくださいまし。さて、ブログ書いたら、ドラVSトラ決戦の続きを聞いてその後は、最近ちゅにむ的に復活した「冬ソナ(字幕版)」のビデオの続きを見よう。改めて、やっぱ、あのドラマ面白いわ。ストーリーを知ってみてると余計に、いろいろな話の伏線がわかって、楽しんでる。いちおう、韓国語のヒアリングの練習もかねているのだ。それでは、また。最近、重たかった日記から、ちょっと復活・・・
2006年07月16日
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父を送って一週間たった。父という人は、どんな人だったか。一言で言って「平和を実現する人」だったと思う。父を知る人の父への印象は「いつもおだやかに微笑んでいる人」というのが多い。そしてその笑顔の下で、父はいつも、周りの人を生かすため懸命に生きてきた。牧師の家に生まれ、学費はもちろん、家計の助け、そして幼い弟の学費のためにアルバイトをした。建築家になりたかった夢を「早く稼げるようになるため」にあきらめて小学校の教員に。けれど、それは父自身が思ってもいなかった天職だった。だから父は言っていた。「この仕事に向いているかいないかなんてやってみなけりゃわからない。とにかくやってみることだ。」一人息子が牧師になることを決心した時、父は反対した。牧師の家に育った者ゆえの心配だった。「自分のような苦労を息子や、将来生まれてくるだろう孫たちにさせたくない」しかし息子は牧師になった。しかも、祖父と同じように、教会をゼロから生み出す働きをはじめた。そんな息子を父は黙って、ずっと助けてくれていた。息子とその妻、2人の孫たちをただ黙って助けてくれていた。あんまり、父をあてにしすぎたかもしれない。息子にだけではなく、多くの人たちにず~っとあてにされ続けてきた父を神様は「もういいから、ゆっくりお休み」とお連れなさったのだろう。父は夜半過ぎに倒れた。その瞬間、何を思ったのだろう。「ああ、あれもできなくなっちゃった、これもできなくなっちゃった・・・ しょうがねえなあ~」なんて思ったのではないだろうか。最後まで周りの人たちのことを思いながら眠りについたのではないだろうか。「平和を実現する人々は、幸いである。その人たちは神の子と呼ばれる。」ちゅにむもまた、父のように、おだやかに、黙って「平和を実現する人」になりたい。まあ、父と違って激しい性格のちゅにむには、難しい話だが。一週間前、夜の前夜式(一般的にいうお通夜)まで少し時間があった。ちゅにむは実家の近くの公園に、退屈していた子供たちを連れて行った。公園で子供たちと駆け回りながら、ふと考えた。教会の仕事、アルバイト、エトセトラ・・・月月火水木金金で、ゆっくりこんな風に子供たちと遊ぶことが、ほんとになかった。同じ屋根の下にいても、なかなか遊んでやれなかった。「こんな風にこの子達と遊べる時間、最後にプレゼントしてくれたのかな?」最後に見た父の顔は、とてもとてもおだやかな顔だった。
2006年07月07日
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早朝、電話のベルに起こされる。「だれだ、こんな時間に・・・またあの人か・・・」病を抱える教会の方からだと思って電話を取る。「もしもし・・・」電話の声は母だった。「グランパ(ちゅにむの父)が、亡くなった・・・」言葉もなかった・・・つい先週、元気で東京に帰っていった父が・・・夜中、大きな物音に目覚めた母の目に倒れている父が映った。声をかけても返事がない。救急車で病院に運ばれた時には心肺停止だったという。心筋梗塞、70歳であっという間に父は逝ってしまった。その日のすべての予定をキャンセルして始発の新幹線に飛び乗って上京。さもにむと子供たちは様子を見て後から上京させることに。「今日は何も言わないで学校に行かせよう」グランパをしたっていたこまさとありこにどう伝えるか・・・これから、どうなるのか。いろいろ考えながらの車中・・・木曜日の出来事。
2006年07月02日
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