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疲労困憊して家のドアを開けたら、さっき開けたはずのドアが目の前にありました。私は確かに、いつものように「514号室」のドアの鍵穴に鍵を入れ、気だるく左に回し「ガチャ」という無機質な音を聞き、ドアを開ける習慣として当然のように取っ手を握り、扉を開いたのです。一連の行動の結果が、目の前のドアなのです。しばらくその場で考え込み、一つのぼんやりした納得が頭に浮かびました。「防犯の為、管理会社が二重ドアにしたのか!」成程。これは泥棒視点でこの状況を見なくてはいけないのだな。ふむ。忍び込もうとした家のドアを開けたらまたドアだった!「もう私泥棒やめます!普通の泥棒になります!!」良い話…!と心が温かくなった所で、私は疲弊している事を思い出しました。お部屋に入りたい。「まっかろーん!じゃんぼーう!」って叫びたい。カーテンに絡まって「DON'T TRY…DON'T TRYですよ…」って呟きたい。「どぉおぉぉぉぉぁああぁぁああ!!!!!!!!」ですから、また一連の動作を丁寧に行ったのですよ。そしたら、また、ドア、なの、です、よ。その時…アナフィラキシーショックって言うのかな?実は私自身が蜂なのですけれど、自分の毒に耐性が無かったみたいで、めまいや呼吸困難が波のようにやってきたのです。流れていた音楽が歪み始め、人の笑い声が混ざり、鼓膜の内側に流れ込んでくる不快感。行き場の無い吐き気、目の前の流れ星、空気の無い呼吸リズム…私のスイッチは切れました。どうして今こうやって部屋に入れたのか分かりませんが、明日もあの状態だったらドアを爆破してやろうと思います。今日はそんな一日でした。 おしまい
2009.06.18
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「急に左からやって来て、私の前に現れたしば漬け。」失礼。しば漬けのような髪色をした50代くらいの女性が、彼女と同年代の、銀色の髪色をした男性と、仲睦まじく左の方からやって来て、私の前を歩いて行きました。とにかく衝撃的な色なので、彼女はあまりにも目立っていました。私は後ろに居たので、彼女を見た人々の反応が面白い程鮮明に見えました。笑う人。二度見る人。「うわー…すごい色…」と言いながら隣の人と顔を見合わせる人。人間の表情って、面白い。だけど、何故だか分からないけれど、しば漬けさんの表情は見たくありませんでした。私は、しば漬けさんの後ろ姿を気に入ったのだと思います。どうやら行く方向が同じようで、私は、彼らと彼らに触れた人達の観察をし、「しば漬けさんを前から見ていない自分」を快く感じていました。信号機で止まるしば漬けさん。と、銀色。平穏な銀と紫の世界で、私は目を疑いました。何故なら銀色さんが、しば漬けさんの髪の毛をむしり取ったからです。しば漬けさんも、自分の髪の毛を掴み、思いっきり引き抜きました。「そうだよね。」頷くしば漬けさん。「分かっていた。」首を上げる銀色さん。二人は、むしり取った髪の毛を空に投げると、黄色い傘をさしました。その瞬間何かの糸が切れた私は悲しくなり、彼らに背を向けて、反対方向へ歩き出しました。「もう二度と会いたくない。」家についた私は、あまりの悲しみに、しばらく涙を流しました。今日はそんな一日でした。 おしまい
2009.06.17
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電車に乗っていると、目の前の席に座っている男の人が、大きめのバックをがさごそと探り、何か長めの物体を取り出しました。私はその場面を見たものの、そこまでその人の事が気にならず、窓の向こうに映る地下の暗闇を目で追ったり、電車の中吊り広告を見たり、猫の事を考えたりしていました。相変わらず目の前の彼は黒くもぞもぞと動き、なんだかその雰囲気が虫のように感じられ、あまり良い気分はしませんでした。「次は~***~***~」のアナウンスを聞き、「あと二駅くらいだな」と腕時計を見ながらぼんやりしていると、目の前の虫が動き、かと思ったら、何故だかいつも見ている風景には無かった色彩がぱっと広がりました。「あ、花火。」そう、彼は花火を行っていたのです。堂々と。あまりの荘厳とした風姿故、私は「車内で花火を行う事」が、よくよく言われている「迷惑行為」という枠に入るであろう事を忘れ、眩しさに見入ってしまいました。動き続ける電車。揺れる暗闇。そして花火。周囲の人が平然としているのは…もしかして………はっと気がつくと、私は筒に入れられ、彼によって打ち上げられていました。「ひゅー」「どーん」「ぱっ」偶然にも掴んだパラシュートにしがみつき見事に着地した駅は、目的地であったいつもの見慣れた駅でした。今日はそんな一日でした。 おしまい
2009.06.16
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昨日の「限定天気予報」通り、私の家に豹が降って来ました。午後から降るって聞いていたのですが、午前中に降ってきたので、やはり天気予報はたまに外れますね。とりあえず布団の上に降ってきた豹さんに、まず名前を付けようと思いまして、この前読んだ『孫子』に書いてあった『風林火山』が良いんじゃないかなと思い、豹さんを呼んでみました。「さぁ、風林火山~こっちおいで~!」風林火山さんは、微動だにせず「お腹が減りましたね。お肉さん。」とでも言いたいような雰囲気で私を鋭く見ていました。気に入らないか…うーむ…あ!豹を逆に読んでみたらどうだろ?!「うょひ~!うょひさ~ん!ねぇ、どうどう?気に入った?」とうょひさんを見ると、獲物をしとめる素振りを始めました。偶然にも私の今日着ている服と同色のカーテンに向かって。怒ってる。分からないけれど、通じる。以心伝心。なんかもう食われてもいいか。そういう人生もありだなと思った私は、考えるのが面倒になって、「うさぎちゃんでいいじゃん。」と言い放ちました。するとうさぎちゃんは、飛びかかってきました。私の肉は不味いだろうなぁと、我が身を食らう他者の味覚をぼんやりと感じておりましたが、おや、うさぎちゃんは私を食べておりませんでした。あ、何だか嬉しそう。これが抱擁か。どうやら気に入ってくれたようです。豹だけに豹変しちゃったうさぎちゃん。可愛らしいうさぎちゃんと一緒に暮らす生活が始まりました。今日はそんな一日でした。 おしまい
2009.06.15
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「そうだ。畳の掃除をしよう。」と思い立ち、お茶っ葉の出がらしを大胆に撒きました。畳に撒かれたお茶っ葉を見て気分の良くなった私は、無意識に歌を歌っていました。「分裂ダーリン~今日はどんなあなたなの~ いつもあなたは~上の空~ 幻聴~幻覚~なにが現実~ 分裂分裂~素敵なダーリン~♪」開け放った窓の外に、自分の声が溶け込んで行くのを感じます。「よーし、今日は畳パーティーだ!」と声高らかに宣言すると、紙ずもうをしたり、糸電話をしたり、魚の言葉で話したりしました。畳の上は楽園です。タンゴを踊っていると、お茶っ葉達が踊り出しました。「あぁ、これが『茶柱が立つ』という事か。今日は良い事があるなぁ~。」お茶っ葉達のリードは結構上手で、時間を忘れて踊りに熱中しました。突然、「畳パーティー終わり!」と私は威圧的に宣言すると、さっさと掃除機でお茶っ葉を吸いこみ、綺麗になった畳の上で、華麗にでんぐり返しをするのでした。今日はそんな一日でした。 おしまい
2009.06.14
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朝起きたら卵になっていたのでびっくりしました。でも、卵だと認識したのは自分自身なので、他の人から見たら私は卵じゃないのかもしれません。そうこうしていると、蛇さんがやってきました。深緑の皮膚に金色の瞳。「わぁ。綺麗な蛇さん!」と喜んでいると、蛇さんはすごい早さで近寄ってきました。あっという間に丸飲みです。蛇さんの暖かい体内で私は考えました。「上か下か真ん中か。」そう、こういう時は左を選ぶのです。ずばっと突き破るとその弾みで私は産まれました。お腹がすいたので、突き破った蛇さんを丸飲みすると、太陽に向かってにっこりと微笑み、そよ風のように手を振りました。今日はそんな一日でした。 おしまい
2009.06.12
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来月くらいに移動すると思います。移動先の皆様宜しくお願い致します。*************************************さて、最近の男性雑誌も随分香ばしくなってきましたね。「千の言葉より残酷な俺という説得力」「ガイアが俺にもっと輝けと囁いている」ごくり・・・伊達ワルの皆様は参考にしてみては如何でしょうか。*************************************さーて、小悪魔大革命の艶女(アデージョ)ガチキチ系女子の私は、がんばった自分へのご褒美として、とある艶男(アデオス)にとある言葉が言いたくて、女ヂカラ全開!セ ク シ ー ビ ッ チ ビ ー ム !!!!!!!な、メールを送っちゃった☆てへっ★ 「ばか野郎。お前は銀河一の大ばか野郎だこのやろう。マザーファッカーのうじ虫野郎。」 え?やだ!!!エロガンス?愛されボディ??あえてのハッピースピリチュアル姫系メールそしたら命毛が超キマってる伊達ワルでブラ男の彼ったら、テルして来ちゃったの!ロハス!「えーと、どこがうじ虫野郎なの?言ってごらん?」恋愛体質の私大苦戦!「えーと・・・えーーーと・・・うじ虫野郎!」キャー☆ワザあり!マイナスイオン出ちゃう!「言いたかっただけでしょ(笑)」新定番(ニュースタンダード)ヒロインの私、自分らしさを演出しすぎちゃった☆「・・・(バレてる)」 女性雑誌ってすごいよなー・・・・・・・・・・・私の今日の出来事がこんなに変わるだなんて・・・・。ちなみに「NO」って書いてある絵は、高校時代の宿題。好きなテーマで良いって言われたからさ、「銀行強盗、ダメ、ぜったい」みたいなテーマで描いたのよ。伝わるでしょ?
2009.06.03
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最近読んでいる本は「孫子」です。まだ読み始めたばかりですけど、とても興味深いです。「戦闘しないで敵兵を屈服させるのが、最高にすぐれたことである。」「軍の形(態勢)をとる極致は無形になることである。」そういえば、父はこういう本を良く読んでいたなーって思い出しました。こういう勉強って、すっごく楽しいのね。わくわくするね。今日は、美容院に行って参りました。今日もM田さんは相変わらず素敵な方でした。お話してて楽しいのね。ほんと。「風さん、男と女、どっちが好きですか?」って聞かれた時はちょっとびっくりしたよそういう雰囲気醸し出してるんでしょうかOLのふりして他の美容院に行くとか…面白い方だわ女装をする方の下着を調査する任務を賜りました。彼は恥ずかしいのだそうです。「乳バンド」の店に入店するのが。え?そんな恥ずかしいもんなの?こうなったらすっごいふりっふりの下着を渡したいものだ。ふひひひひ
2009.05.15
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先日どーにもこうにも苛立ち、「このままだと自分が何をしでかすのか分からん!」となり、5時間程家出をしました。何を見てもイライラし、声を聞けば、喉を噛み千切りたくなり、何かを消したい衝動にかられ、このブログの全てを消そうとしました。でも、何故ここが生存しているのかと言うと、携帯からの消し方が分からなかったから…あの時万が一核ミサイルのスイッチを持っていたら、確実に押していたでしょう。長かった放浪生活からバック一つでこの家にやってきた私は、今では一つのバックに収まらない程の生活を手に入れてしまいました。人との付き合いも変わりました。ある人は私を責め、ある人は私を見下すようになり、ある人は私を拾ってくれ、とある人を私は捨てました。思い起こしてみると、なんだか沢山のものがこの家に降り積もっていました。埃の一つ一つに、善悪の匂いがして、花が咲いていました。綺麗だなーと眺めると、「私はビニール袋と呼ばれるそれになる。」とかなんとかそれらしい戯言を心の中で叫び、ビニール袋を被りだし、「これで一心同体!便利っ!」と、騒ぎ立てるのです。あぁ、猛獣。猛獣はいつまで経っても猛獣。「飼いならしなさい!」 「はい」 「分かってるんだよね。君の傍に居るって事は傷つく事なんだ。」 「はい」 「ハウス!」 「ワン!」 「コンセント纏まらない。」 「はい!妄想堕胎です!」 「バタフライ!」「ぬわんだとコラァァァァァーーーーーーーーーーーーー!!!!!!!」僕はきっと、一生こんな感じです。ギャーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
2009.03.09
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この写真を撮った人がそんなタイトルをつけて私に送ってきたのは二月くらいの事だ。確かに私は「繋ぐも貴方の自由」という態度だったし、今も人に対してそういう態度だなぁと思う。それが良い事なのか悪い事なのか分からない。そんな彼女が「即興」について、どう思うかと問うてきた。即興が好きか嫌いかと問われれば、答えは「好き」だ。自分自身少しやっていた演じるという事に対して言えば、「即興でやってごらん」と言われるのが好きだった。何かに出てくる何か(息をしている自分であって自分ではない誰か)がどうなっていくのか分からないという部分がきっと好きだったのだと思う。文字も、全部即興だ。絵も、そうだな。写真も、そうか。だから、取り掛かる際に、自分が向き合っているものが、どうなっていくのか分からない。「こういうものをこうしたい」ではなくて、「こういうものがどうなるのか」と、自分で問うていく。そういう過程を経て、気づくと結局何の役にも立たないものたちが周りに転がっていたりする。結末を作りたいが為に、それに向かって生み出す人もいれば、何かを掴んだ瞬間に自問自答が始まり、苦悩していたら結末になる人もいるだろう。勿論それ以外の人達も。零は零でも、何かを積み立ててきて、その上での零なら即興は可能だが、からっきし零の状態での即興は、やはり零なのだと思う。瞬間の爆発が起こる可能性は、鬱積した情念や、沈澱した感情、無意識のうちに吸収した知識(先人達の結末含む)・・・そんなものたちをカバーする仮面が割れた時だと私は思う。私は、その瞬間が見たい。自分でもいいし、誰かでもいい。きっとその光達は、何かを変えると思っている。私の目の前で自分の首をタオルで絞めた人がいる。私の首を手で絞めた人もいる。あれもある意味即興だったのだろうなと思う。自分の首を絞めている人の唇は冷たかったのと、私の首を絞めている人の髪の毛は柔らかかったのと・・・そう、どちらも死の香りがした。考えると、即興は色んな所にあるんだなと思う。色んな種類の即興が転がってるね。最近『オイディプス王』を読みました。悲劇だなぁ、もう。父と知らず父親を殺してしまう事と、母と知らず母親と子供を作ってしまう事。これが「悲劇」なのだけれど、この事柄が悲劇とされていなかったら、これは「悲劇」じゃないんだろうなと思った。違う星の人に『オイディプス王』を読ませたら悲劇じゃないかもしれない。地球人「オイディプスハヒゲキダヨネー」~星人「ベツニヒゲキジャナイヨー。コッチデハニチジョウサハンジダヨー」地球では名作と言われているものでも宇宙から見たら駄作なのかもしれない。知らず知らずの内に、地球ものさしで測っているけど、地球を信用してはいけない。もちろん宇宙も信用しない。何も信じない事、疑問を持ち続けていく事を、大切にしていきたいと思う。
2008.12.14
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先日、撮影現場に行って参りました。やはり、ものづくりの現場はいいな。その人の作りたいものの、欠片になれる事が嬉しい。昔、芝居をしていたのは、文字から、立体にする作業が楽しかったから。人の前に立つ事が大嫌いだったから。どうやって、人物に息をさせるのか、ひたすら考える作業が好きだったから。少しでも、監督の思い描く人物になれたかな。そういう事に関わっている時は、「生きている」事を感じる。不思議だなぁと思う。あぁ、少しの間、生きていたなぁ。 今日は、京都と、横浜のクレイジーな人達がやってきました。お肉、美味しかったよーーーーーーーーーーお肉お肉♪お肉肉~~~~~♪「養老天命反転地」という、荒川修作+マドリン・ギンズの構想した、建築?公園??なのかな??へ、行ってきたのですが、着いたのが閉園5分前くらいで・・・警備員さんに、愚痴愚痴と、イヤミを言われながら、ふらーっと見て回りました。『彼らの長年の研究の集大成となる「養老天命反転地」には、水平垂直を極力排除し、複数の人工的な地平線を配するなど、人間のもつ平衡感覚や遠近感に揺さぶりをかける仕掛けが施されています。これは、私たちをヨチヨチ歩きの子供の状態に戻して知覚を再構築させるよう隅々まで計算された構造なのです。』(リンク養老天命反転地の使用法※例●自分の家とのはっきりした類似を見つけるようにすること。もしできなければ、この家が自分の双子だと思って歩くこと。●「白昼の混乱地帯」の中では常に、ひとであるより肉体であるよう努めること。)時間があれば、体験出来たのでしょうねー残念だったけど、ま、肉が美味しかったという事で!!!! 誕生日プレゼントに、52冊の文庫本が届き、しばらく本屋に、用が無くなりました。52冊て・・・・・・・・・
2008.09.28
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『だれの眼にも<破壊的性格>とうつるひとびとがいる。この人生でいいかげんにすることのできなかった深刻な問題は、たいていこの種のひとびとがその原因になっていたのではあるまいか。自分の人生をふりかえってみて、ふと、このような認識に到達することがある。ある日、それもおそらくは偶然に、この事実にぶつかるのだ。そのさい受ける衝撃が強烈であればあるほど、この破壊的性格の実態を究明しようとする機会も大きくなる。破壊的性格がかかげるのは、<場所をあけろ!>というスローガンだけであり、その行動も、<とりのぞき作業>のほかにはない。さわやかな空気と自由な空間への渇望は、いかなる憎悪よりもつよい。破壊的性格は、わかわかしく、はれやかである。事実、破壊作業は、ひとびとを若返らせる。なぜなら、それは年齢の痕跡をきれいにとりのぞいてしまうからだ。破壊作業は、ひとびとの気もちをはれやかにする。なぜなら、どのようなとりのぞきの作業でも、破壊的な人間にとっては、自己の現状の完全な還元を、いわばルートをひらく開け方を意味するからだ。このようなアポロ的な破壊者のイメージへわれわれをみちびくものは、何であろうか。それは、世界が破壊にあたいするか否かによって吟味されるならば、世界はすばらしく単純化されるはずだ、という認識にほかならない。この破壊への希望こそ、既成のものいっさいを融和的に結びあわせている大きなきずなである。破壊的性格にきわめて深い調和を楽しませる光景があるとすれば、これ以外にはない。破壊的性格のはたらきは、つねに新鮮である。そのはたらきのテンポは、すくなくとも間接的に、自然そのものによって規定されている。つまり破壊的性格は、自然のいとなみの先をこさねばならないのだ。さもなくば、自然じたいが破壊作業をひきうけてしまうだろう。破壊的性格は、いかなるヴィジョンもいだかない。欲望もあまりない。破壊したあとに何があらわれるかなど、破壊的性格にとっては、つまらぬことかもしれない。かつて<もの>が存在していた場所、犠牲者が生きていた場所に、さしあたり、すくなくとも一瞬間、何もない空虚な空間ができる。この空間を、占有することなく、使いこなせる人間が、いずれはあらわれるだろう。破壊的性格は、自分のなすべき仕事をする。ただし創造的な仕事だけは別である。創造的な人間が孤独を求めるのにたいして、破壊的な人間は、いつもひとを周囲に集めずにはいられない。自分のはたらきを見まもってくれる証人たちが必要なのである。破壊的性格は、標識のようなものだ。三角測量の旗が四方八方の風に吹きさらされているように、破壊的性格は、あらゆる角度からひとびとのうわさの的にされる。そのようなうわさを封じようとするなどは、愚の骨頂であろう。破壊的性格は、理解されるということには、すこしも興味がない。そのための努力なども、まったく浮ついたものだとみなしている。誤解されることは、破壊的性格にとって、けっして不愉快ではない。逆に誤解を挑発しさえする。この点、古代の神託--これは破壊のための国家機関であった--とよく似ている。ぺちゃくちゃうわさばなしをする習慣、このもっとも小市民的な習慣は、ひとびとが誤解されたがらぬところから生じたものである。破壊的性格は、平気でひとに誤解させておく。破壊的性格は、額ぶち型人間の敵対者である。額ぶち型人間は、安全第一主義のなかにおさまっており、その実体は外枠である。そしてその枠の内側には、自分がこの世にしるした足跡がビロードでふちどられている。破壊的性格のほうは、破壊の痕跡すらぬぐいとってしまう。破壊的性格は、伝統主義者の最前列に立っている。伝統主義者のなかには、事物の伝達をおこなうものと、状況の伝達を行うものがいる。伝達をおこなうにあたって、前者は、事物を侵しがたいものとみなし、その保存に汲々とする。後者は、状況にはたらきかけ、その流動化をはかる。後者は、破壊的人間とよばれている。破壊的性格は、自分が何よりもまず歴史的な人間だ、という意識をもっている。その根本衝動は、ものごとの進行にたいするやみがたい不信であり、つねに「何もかもだめになるかもしれない」と思って焦らない。破壊的性格とは、したがって、誠実ということである。破壊的性格は持続を認めない。だからこそ、逆に、いたるところに道が見えるのである。他のひとびとが壁にぶつかったり、山塊に出くわしたりするところでも、破壊的性格は道をみつける。しかしまた、いたるところに道が見えるからこそ、逆に、いたるところで道から外れていかねばならなくなる。しかし、そのさい必ずしも乱暴な行動をとるとは限らない。ときには極めて洗練した行動をとることもある。いたるところに道が見える以上、破壊的性格自体は、つねに岐路に立っている。いかなる瞬間といえども、つぎの瞬間がどうなるかわからないのだ。破壊的性格は、既成のものを瓦礫にかえてしまう。しかし、それは瓦礫そのもののためではない。その瓦礫のなかをぬう道のためである。破壊的性格が生きているのは、この人生が生きるにあたいするという感情からではない。自殺はやりがいのないことだという感情からである。Walter Benjamin, "Der destruktive Charakter",1931. 』 友達が、「風さんみたいだねー」と、昔送ってくれたものです。確かに、頷ける箇所は、何箇所かありました私が破壊的性格かどうかは別として、すごい文章だなと感動したのを覚えています。最近、心がざわつきます。と思ったら、『心がざわつかない「最近」』を、私は経験していない事に気付きました内省の日々は、まだまだ続きそうです。
2008.06.20
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マグリットの「恋人」という作品。恋愛ってのは、子孫繁栄本能を核とした幻想だと思う。どうも私は恋というのが苦手らしい。コンビニのお弁当を買って、温めてもらうのを忘れて、「あー・・・」と思った。口に入れた瞬間、余計なものが何もくっついていないあまりにも純粋な「まずい」という言葉が発せられた。本当にまずかった。熱が加わると、美味しいのに。今まで食べていたコンビニ弁当の味は錯覚だったのだろうか?多分私はコンビニ弁当に恋をしていたのだ。愛してはいなかった。愛していたら、コンビニ弁当が冷えていても、「美味しい」と独りごちただろう。今日は冷蔵庫が空になった。空っぽの冷蔵庫は、何故か私に「お帰りなさい」と言った。多分、そういう事なんだと思う。リーインカーネンション。
2008.05.06
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初めて髪の毛を切りに行った美容院で、美容師のお兄さんに帰り際握手を求められました。珍しい人って言われました。何が珍しかったのか分からないけど、そもそも人間ってのは全員「珍しい人」なんじゃないかなーと思う。珍しい人、珍人。何気ない日常に、沢山の「 」が転がっていて、私はそれを見つめて、溜息をつく。その溜息は、「 」によって、色んな色に変化していると思う。自分が見つめている「 」自体が変化する事もあるから、その度に溜息色も変身する。美しいものを見た時の「はぁ」も、やるせない時の「はぁ」も、大事にしたいなぁ。時々「はぁ」に立ち止まってみるのも、いいものですよ。今日は雨です。レイニーピンク
2008.04.07
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『世界を活性化するもの、それは嵐だ。自然は沈黙する(自分自身の中に引きこもった生として)存在だが、嵐を通して引き裂かれて現れる。事物や生命の押し黙った闇からは、それまで何も現れなかったが嵐はその上で炸裂する。嵐は根源的に他なるもの、まったく異なるものであり、荒々しくその威容を現し、いかなる限界をも越えたもの、他界のものを自らと共に押し立てる。人間は、嵐の中でこの世の生の中に産み落とされる。人間は、まさに嵐のもたらす生を糧として生きる。嵐とは、大きく身を開き、受け容れようとしている自然の上方に、真っただ中に現れる危険の総体である。しかしそれは、危険からの庇護や優しく守る愛ではないだろう。人間は、閃光を放つその世界において、生存すること(エグジスタンス)が人間にもたらす苦しみの広がり全体を満たす。同時に人間は高ぶりのうちに燃え上がり、虚無と実現された可能なものの全体に、彼の外にあって空虚に投げかけられた無限の沈黙にほかならぬもの全体に、火を放つ。炎は嵐の全体を包み込み、それは嵐そのものとなる。そして嵐は、すべてから無限に離れながらも現れているものという、引き裂かれた光景を内に秘める。今や忘我の叫びが、言い知れぬ歓喜に打ち震え、太陽の中で永遠に響き続ける。』聖なる陰謀―アセファル資料集―よりだから私は嵐が好きなんだ。
2008.01.17
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色んな事あるけれど、すべて自分で決断したい。決断には覚悟が必要だ。私は沢山失敗してるけれど、自分で決断した事。肉片になってもそこから再生しようと思う。ハンマーを引き起こすのは、左手の親指。指輪のサイズ、直してこよう。左手の親指に指輪をはめるのは、意味があるから。「自分の意志を貫く強い力を持つ指」「罪深い私を許してください」そのために祈る、「私を救ってください」そのために祈る、「神のご加護を」そのために祈る。それは責任転嫁だと思うぜ。祈って許しを乞うのはおかしいな。救えるのは、今、ここにいる自分自身だけ。神に守ってもらうのでなく、自分で守ろうな、大切な人は。ウィトゲンシュタインの幻の日記を読んで、繊細な人だったんだなって感じた。「自分がきわめて弱いため、私は並外れて他人の意見に左右される」 「私はマルガレートが好きだ。―略―けれども、十中八九絶望的だということは分かっている。つまり、いつ何時彼女が婚約し、結婚するかもしれない、という覚悟を私はしなければならないのだ。」 「我々は自分の皮膚の中に捕らわれている。」このあたりはふむふむ。が、大好きなマルガレートが結婚する時に吐いた言葉「きみはボートに乗っている。海は荒れるでしょう。転覆しないように、いつでも私につかまりなさい」これは・・・どういう意味で言ったんだろうな。そういや、ヴェルレーヌはランボーを拳銃で撃ったんだよなー決意して撃ったのか、無意識で撃ったのか・・・それで二人は決別な。世界は矛盾で出来ている。そこで自分は何をしたいのか。きっと色んなものを否定したり批判したり押し付ける人は、その矛先が自分に向いているんだろうな。自分をどこかで否定してる人は、人を否定してしまう。悲しい事だなぁ。とかく私は勘違いされやすい人間であるが、私を嫌っても好きでも憎んでも愛しても呪っても、それは相手の自由だ。私をどう思っていても良いが、その人が笑っていられるといいな。幸せだといいな。ハンマーを引き起こし、トリガーを引くのは、私。親指から人差し指へ。私と、君と、風と、僕と、右手と。左目で合図する、右目で受け取る。痙攣、友好条約。腐れない私の防腐剤、それは、約束。
2007.12.26
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こういう所には、私の内側から発するものを表現していかない。何故かというと、私の内部のモノの歩みを妨げるから。無責任だから。一つの、つぶやき一つの、客観一つの、空そんなもの。私の欠片を、そっと置いていこう。
2007.11.12
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