この八ヶ岳南麓には本当に多くの移住民が暮らしています。
その数はまだまだ増えています。
今日は私よりずっと前にこちらへいらして、ここより北に位置する山の中で讃岐うどんのお店をしながら一人で暮らしていらしゃる80前後の女性とお話をしました。
一人で暮らすのがだんだんと大変になってきていると
それでも犬と2人で車を運転して今はまだ暮らせるけれど、車も運転できないような状況になったら病院へタクシーで行くことになる
そこからタクシーで病院へ行くと片道7000円かかるそうです。
一人暮らしの高齢者が山の中でどうやって老後を生き抜くのか?
多くの方が今の行政に疑問を持って、2000名あまりの署名を集め1日2本、往復できるだけの便でいいから、小型のバスを小さな部落ごとに通してほしいと嘆願したそうです。
市長に会うまで何度も足を運ばなくてはならず、あってもまったく聞いてくれるような状況ではなかったといいます。
2000名の署名をどう思っているのか?
そのほとんどが地元住民のものではないから無視できるのかもしれませんが・・・
高齢者への福祉の予算は明らかに減っているこの市
何を大切にしているのでしょう・・・
そして、その女性がすごいなあと思ったのは、都会からきて年金だけでも十分暮らせる人たちが、口先だけで行政を非難していても始まらないから、なにか動き出さなくてはいけないとおっしゃったこと
空いている農地を上手に使って、失業して生きる力を失っている若者に手を差し伸べることはできないだろうか?
その女性は真剣に話されていました。
部落の様子や田畑や生産物をめぐるやりとりを、知っている限りお話してきましたが、
空いている家もあって空いている田畑もある
食料事情は安全性を求めて国産のものへと多くの人の目が移りつつある。
部落では農業人口は高齢化で減る一方
話の流れからすると、まさにうってつけの条件があるようにも思えるのですが。
大きい企業でお金をたくさんもらって、お金中心の暮らしをしてきた人には、まさにこの地はつまらない場所
お金を使わない暮らしができるかどうかがまず問題です。
泥にまみれて汗を流して、それでも自然の恵みを有難いと思って受けながら、最低限度の暮らしができる人がどのくらいいるか?
受け入れる部落側も、企業で働いていたような人を仲間として受け入れ面倒をみることができるのか?
農村は共同体であるようにみえて、実は古くからの縁を切ることもできず、ドロドロの人間関係の中で他人のためになど実際は何もしない、自分勝手な人ばかりだと言う人も多いし
価値観の違いなど言いだしたらきりがない。
最初から豊かな自然にあこがれ、泥まみれ汗まみれが好きな私のようなタイプの人にすら決して優しいわけではないから
否定的な話になりがちでした・・・
都会での暮らしから何かを感じ、ここへきて生き方を変えた人たちが大勢いることがとても心強いことです。
暮らしぶりに違いはあっても、地に足をつけて生きるということを身をもって実践しようとしている方を見ると勇気がわきます。
そう言う方は多くの仲間を大切にして、誰とでもその場だけ良い顔をして人と関わったりせずに、これと思った人は必ず繋がっていこうとする姿勢を持っていると感じます。
いくつもの八ヶ岳の輪があちこちで出来ていて、これが一つになったらすごいパワーだろうと思うのですが
それぞれ人ならではの、行き違いのある相手があって、なかなかすべての輪がつながることが難しいのは残念なことです。
人の数だけトラブルがあるのではなく、人の数だけ輪が広がるのでないと、この地に移住してきて地に足をつけて生き抜くことは難しい・・・
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