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先日、男女共同参画社会を題材とする講座を聞きに行った。講師やパネリストはとても豪華で著書があったり、テレビのコメンテーターだったり、大企業の代表者だったり、このテーマでは第一人者の方ばかりなのだろう。とても勉強になった。中でも男性の過度な社会負担を軽減するために、女性が負担を分担するという視点は斬新だった。ただ、講座を聴いた後は、男女共同参画社会の実現とはいったい何なのだろう、と暗たんたる気分なった。私がこの有名講師たちの話し全てに感じた違和感は、つまるところ彼らが「女性が輝く社会の実現」を語りながら、実は「男性に女性を輝かせてもらう社会の実現」を主張しているにすぎない点だった。○「男の子はぜんぜん使えない」以前、つきあいのあった、30代で大きな病院で看護師長をしていた女性がよく言っていた言葉だ。彼女は「男はナースに向かない」という持論をもっていた。彼女は採用面接にも参加しており、有能無能を見抜くのには定評があるという。その彼女によると、男性はなによりも「気づき」が悪いという。細かいこと、先回りして考えること、人への配慮ができないそうだ。なるほど、それは確かに看護師には大事すぎる素養だ。彼女は「もちろん、女の子でも気づきが悪い子はいるけど・・・」と前置きした上で「でも、男の子は総じてナースには向かない。高齢者の担当や看護とはあまり関係のない雑務の多い病院でなければ、特に男性看護師の需要はないのではないか」と分析していた。面白いのは、同様の意見を彼女とは勤務先も経歴もまったく違う別の看護師数人からも聞いたことだ。みな「男の子は使えない」という。もちろん、3,4人の意見が看護界の常識だなどとは思わない。だが、面白いのは彼女たちは、おしなべて男女の区別が当然だと考えていて、こういう話題になると、たとえば女性医師に向いている診療科はこれとか、男性医師が担当したほうがよい患者はこんな人とか、という話に発展する。そして、まるで口癖のように「女は~、男は~」と(自分たちが中性かのように)言うのだ。男女平等や女性の人権を唱える人々が聞いたら顔をしかめそうだ。しかし、彼女たちは現実問題として、男女の区別を合理的に判断しているようだ。○徹底して機会の平等を保障せよ。それだけでいい。この看護師たちの意見は不当だろうか?彼女たちの言っていることは、単なる私的統計上のデータから導かれた結論で、彼女たちなりの合理性があると思えないだろうか?少なくとも私はそう思う。「もし、看護師の採用枠が10人で、10人全員を男性か女性かしか選べないとしたら、私たちは迷わず女性を選ぶ、私たちと患者のために」といっているに過ぎない。この話題になると、よく「機会の平等」と「結果の平等」の議論になる。男女共同参画社会を目指す人々は、機会の平等と結果の平等を平行して推進するようだ。もし、「男女共同参画社会の実現のために、一定数の男性看護師を職場に入れること」などという通達が厚生労働省から出たら、彼女たちは猛反発するだろう。くだらない政策のために患者の安全を犠牲にするのか!とすら言うだろう。私が男女共同参画社会の講座を聞いて不思議に思ったのは、識者の誰もが「男性社会とは、女性から徹底的に機会の平等を奪ってきたこと」と定義しながら「そのために結果の平等が必要である」と結論付けていることだ。このふしぎな飛躍を、どうも彼らはまったく疑問に思っていないか、気づかないふりをしているらしい。○「結果の平等」の行く末は破たんしかない実績や経験がない若者が、会社で重用されないと嘆くとき、私たちはコツコツと経験と実績を積み上げてゆくことだ、それしかないと諭すだろう。逆に高い実績や評価にそぐわない人事に嘆く若者には(たとえば、年齢一律による昇進)、それはよくない会社だと同情するだろう。だが、決して「たとえ実績がなくても、若者という理由だけで昇進させるべきだ」とは言わないはずだ。そう、それが結果的に正しいかどうかは別にして、少なくともこの社会全体は「機会平等はフェア。結果平等はアンフェア」だという認識に満ちている。だが、この「若者」を「女性」にサッとすり替えて、平気な顔で言うのが女性の結果平等論者だ。なぜ、彼ら識者は「徹底して機会の平等を認めよ。そうすれば、きっと女性たちは結果を出す。」と言わないのだろうか?いや、言えないのだろうか?「今までいろいろ男性が悪かったので、おわびに男性が女性を輝かせる社会」をお膳立てしてあげないと、女性はなにもできないだろうか?そう、私は男性があくまで優れていて、リーダーで、先導者で、依存される存在で、その男性たちの温情で女性を引き立てるという、彼ら識者の隠された筋書きが気持ち悪いのだ。男性が何から何までお膳立てしないと、女性はなにもできない。そのようなことを、前出の女性看護師たちのように「いま、実力で輝いている女性」たちに言えば、きっとぶっ飛ばしてくれるに違いない。社会を効率よく回し、誰もが住みよくするためには適材適所に尽きる。気づきのよい男性看護師は病院から重宝されるだろう。卓越したリーダーシップを有するOLは管理職になるだろう。「徹底して機会の平等を認めよ。男性も女性も、いや、年齢、学歴、出自・・・いっさいにかかわらずだ。だが、それだけでいい。」識者たちが、国のリーダーがこう言い切らなければ、男女共同参画社会というものは、いや、差別の是正というものは、いびつになるしかないだろう。
2015/01/17
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