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差別を無くそうとするとき、採るべき道は「公平」の追及です。が、しかし、異常に「○○積極登用」や「○○アクション」を推奨する人には気をつけてください。それらは、あくまで特殊な事例にのみ一時期に使う不公平的取り扱いです。良い薬ではないです。毒ギリギリの劇薬です。特に「反差別」をうたいながら「公平」を語らない人びとは危険です。彼らが希求しているのは「公平」ではなく「優遇」です。彼らの口から公平やフェアという単語が出てこないのは理由があります。公平は差別の反対ですが、優遇は差別の双子です。つまり、その人たちはネオ差別主義者なのです。一般的な定義では、差別とは、特定のカテゴリに当てはまることを理由に不当に扱われること。たとえば女性だから昇進しないなど。一般的な定義では、優遇とは、特定のカテゴリに当てはまることを理由に有利な扱いを受けること。たとえば女性だから管理職に取り立てられるなど。この通り、差別と優遇は双子です。皆、このトリックに気づかないから、純粋に差別を無くしたいのに、ネオ差別主義者に騙され、形を変えた差別社会を作ることに加担してしまうのです。欧米の差別問題に関するポリコレはまさにこの通りで、かなり手遅れです。もともと、キリスト教やユダヤ教の文化背景に公平概念は難しいところがあるのかもしれません。皆さん、どうぞ「ネオ差別主義者」にはお気をつけてください。彼らは公平を語りません。絶対に。
2021/03/15
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日刊ゲンダイ&国民民主党議員が「第3波はGoToが原因」と主張ヤフーニュースで配信中の「コロナ第3波の元凶は「GoTo」だった! 国立感染症研究所のレポートでエビデンスが」の記事がひどい。コロナ第3波の元凶は「GoTo」だった! 国立感染症研究所のレポートでエビデンスがhttps://news.yahoo.co.jp/articles/3633017b674b32452a3436a28e907d5ecf570f68「「感染拡大の原因であるとのエビデンスは存在しない」――。肝いりの「Go To トラベル」をめぐる批判に、こう繰り返してきた菅首相だが、「言い逃れ」はもはや通用しない。新型コロナウイルスの感染拡大とトラベル事業の因果関係を示す「エビデンス」が示されたからだ。」そのエビデンスとやらは、どうやら国立感染症研究所の論文を国民民主党の足立議員(医師免許保有)が独自解釈したもののようだが「これが医師か!?」と驚くほどひどい。記事を引用しよう・注目を集めているのが国立感染症研究所が発表した「新型コロナウイルスSARS―CoV―2のゲノム分子疫学調査」と題されたリポート。・4月と8月の調査と合わせて3回発表されている。・足立氏「夏の第2波の要因となったのは欧州型が変異したもので、いわば『東京型』だった。第2波が収まらないうちに『東京型』が拡散し、第3波へとつながっているのです」・7月から10月末までに国内で検出されたウイルスによるクラスターは赤色で表記。つまり、「東京型」に由来するクラスターだと分析されているのだ。・トラベル事業は、感染がくすぶる東京都を除外して7月22日に前倒しスタート。10月1日に人口1400万人を抱える東京が追加されて以降、感染がみるみる深刻化した。さて、どこから突っ込めばいい?とりあえず「東京型」って勝手につけるなよ!国立感染研さんが「大都市のデータが不十分」って明言しているだろ!新型コロナウイルスSARS-CoV-2のゲノム分子疫学調査(2020年10月26日現在)https://www.niid.go.jp/niid/ja/diseases/ka/corona-virus/2019-ncov/2488-idsc/iasr-news/10022-491p01.html『主に大都市圏での調査が十分に実施できていないため、本調査は地域バイアスを伴った評価であることがぬぐえない。』(国立感染研12月報告)記事は、エビデンス、エビデンスとうわごとのように繰り返しているが、記事には肝心の「GoToで東京から全国にウイルスが拡散した」のエビデンスは一切ない。要するに、武漢系統でも、欧米系統でもない、日本独自のクラスターを発生させているコロナを勝手に「東京型」と名付け、東京がすべての元凶かのような印象操作をしているだけなのだ。そもそもGoToとの関連を示す論文ではない国立感染研の論文を簡単に説明すると「日本のクラスターは、7月以降、2つの系統に集約されます」「これは中国系統とも欧米系統とも【切れた】クラスターです」「大都市圏のデータが不十分なので地方特有の傾向かもしれません」(→大都市をもっと探れば、欧米系統とのリンクが分かるかもしれません)という内容だ。大事なことなので、もう一度書く「7月以降」である。そして、この2系統が拡散したのは、国立感染研の推定ではGoToの1か月前の「6月下旬」である。「6月下旬から、充分な感染症対策を前提に部分的な経済再開が始まったが、収束に至らなかった感染者群を起点にクラスターが発生し、地方出張等が一つの要因になって東京一極では収まらず全国拡散へ発展してしまった可能性が推察された。」(国立感染研8月報告)GoToトラベル開始 7月27日東京都がGoToトラベルに参加 10月1日国立感染研は、GoTo以前から、2系統は全国に拡散しており、その原因はGoToより1か月前、GoTo東京参加より3か月前の地方出張等ではないかと推定しているようだ。どこをどう見ても、日刊ゲンダイ記事の言うような「コロナ第3波の元凶は「GoTo」だった! 」というデータはない。「根拠なく『東京型』というな」国立感染研の矜持。矜持を捨てた医師・足立信也議員(国民民主党)ことさらに「エビデンス(科学的根拠)」を強調するゲンダイの記事であるが、科学者にとっては、エビデンスとは「決して憶測でものを言わない」という矜持を体現する言葉である。しかし、足立氏にとって、エビデンスとは「政権攻撃のための方便」に過ぎないようである。・足立氏「夏の第2波の要因となったのは欧州型が変異したもので、いわば『東京型』だった。」(ゲンダイ記事より)・国立感染研『東京型・埼玉型といった地域に起因する型(type)を認定するような根拠は得られていないし、ステレオタイプに定義のない型を使用して混乱を増長する危険性を感じている。』(国立感染研8月報告より)筆者自身、科学に携わってきた端くれとして、大学で医学や理化学を修めたら「科学者」「医学者」になるわけではないと、ぜひ、ご理解いただきたい。要するに、日刊ゲンダイも足立氏も国民をバカにしている日刊ゲンダイも、足立議員(国民民主党)も、なぜこれほどすぐにバレる嘘をついたのだろうか?おそらくは、国民はメディアを使えば簡単に操作できるものと信じてかかっているからだと思う。「奴らは絶対に元の論文など読むはずがない」と確信しているとしか思えない。なぜなら、国立感染研の論文の内容が小難しくて分からないという人でも、図にでかでかと「6月中旬」「7月以降」と書いているのは、すぐに分かるからだ。(8月報告)↓(12月報告)国民民主党は、与党にしばしば強烈な説明責任を求める。政治家は国民に説明をする仕事。それはいい。であれば、足立先生、本件についてのご説明をお願いします。特に、国立感染研が「危険」と忌避した『東京型』と名付けた件について。
2020/12/19
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女優の秋元才加さんがネットの記事に出ていた。秋元才加 日本とフィリピンのルーツを誇りにhttps://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20201019-00002718-fujinjp-entタイトルは見たが、まだ記事は読んでいない。秋元才加さんはもちろん知っているが、あまり興味のない女優さんだし、なにより記事の内容に関心が持てなかったからだ。暇だったら読むかもしれない。しかし「記事の内容に関心がない」とSNSで書くと、ピクリと反応する方々がいるだろう。そのうち、何人かは「無関心が~」「差別が~」と騒ぎ始めるだろう。では、「差別が~」と騒ぐ人にとって、とてもとても難しいことを聞こう。私が知る限り、差別を研究する大学の先生も、差別問題に取り組むNPO団体の代表も、この問いにはまともに答えているのを見たことがないという超難問だ。あなたが考える【差別のない社会】とはどんなものですか?とても不思議なことに、差別と戦うと決心している彼らは、差別のない社会についてのビジョンを語らない。換言すれば、彼らは差別と戦うことを目指しているのであって、差別のない社会を目指しているわけではないということになる。しかし、ほとんどの方は、たぶん最初に差別問題を教わる小学生か中学生の時に、この「難問」への答えを見いだしているのではないなと思う。それは、子供の思考だからこそたどり着けるシンプルで純粋な答え。覚えていますか?学校の先生が「差別について考えよう」と言い出し、まだ子供で純粋だった貴方は「なるほど、これは問題だぞ」「差別のない社会を目指さなきゃ」とマジメにマジメに考えて、導き出した答え差別のない社会 それは「誰もがお互いの違いに無頓着な社会」です。あれ?また騒ぎたさそうな方がいるようですね。なにかお気に障りましたか?では、コメント欄にでもどうぞ。ご高説を期待いたします。あなたが考える【差別のない社会】とはどんなものですか?
2020/10/20
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黒川検事長の賭け麻雀に対する訓告処分について首相が「検事総長が事案の内容など、諸般の事情を考慮し、適切に処分を行ったと承知している」と答弁しているにも関わらず少なくとも、同じ社説の中で定年延長をする「特例」を設ければ、おのずと政権に忖度(そんたく)する検察官も現れよう。とか検察人事に政権が干渉する仕組みの排除が必要だ。とか書きつつ森雅子法相は訓告の処分をしたが、比較的軽い処分だ。果たして国民の納得は得られるか。とか森雅子法相は黒川氏を訓告処分とした。懲戒に当たらない。課せられている責任を考慮すると軽すぎる。と書いてしまう新聞は公益のことも、国益のことも、国民のこともほんとうはなぁ~んにも考えていない単に倒閣がしたいだけの新聞・・・という以前に頭が悪すぎるので言っていることを1ミリも聞く価値も必要もない。挙げ句に、検察庁法を「政権の人事介入だ!」と批判していたのに賭けマージャン問題で「内閣の責任を追及する!!」と息巻いてしまっている政党もまったく同様。東京新聞 TOKYO Web 2020/5/22【社説】黒川検事長 辞職で幕引きするな信毎Web 2020/5/22【社説】黒川氏が辞任へ 特例維持なら疑念消えず
2020/05/24
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1.外出自粛をどんなに続けてもコロナは終息しない 新型コロナウイルス感染症による緊急事態宣言が出て、本日(2020年5月3日)でおよそ一か月になる。 この間、東京都をはじめとした患者数は増減の波はあっても、おおむね減少し、緊急事態宣言とそれに伴う「接触8割減」などの活動が成功している証拠・・・とみなす声が多い。 これを、明るいニュースと見るかは意見が分かれるだろう。 接触が減れば、感染者が減るのは当たり前である。 すると、また、接触をするようになれば、感染者が増えるのも当然である。 ほとんどの人が誤解しているが、緊急事態宣言の目的は、新型コロナウイルスを終息させるため・・・ではない。 医療崩壊を防ぐために行われているものである。 嘘だと思うのであれば、新型コロナウイルス感染症専門家会議の提言を読むとよい。 接触を減らすことによって、個人レベルの感染は防ぐことができるが、それは集団からウイルスを排除することとは別の話である。 新型コロナウイルスは、従来のコロナウイルスと比べてもしぶとく、通常のウイルスが生存しにくい銅板の上でも3日程度生存する。 唾液や皮脂のような有機物と一緒に存在し、ある程度の湿度があり、紫外線がそれほど当たらなければ、1~2週間は生存するだろう。 例え、日本からコロナ患者が居なくなっても、海外から感染者が入れば、また、新たな感染がおこる。そうしたら、今度は何週間外出自粛をするのか?また、自粛を解除すれば感染が起こるのに? 緊急事態宣言は、当座の医療崩壊を防ぎ、感染スピードを抑え、時間を稼ぎながら、医療体制や隔離設備(ホテルなど)を整えるためのものである。繰り返す。外出自粛を何年続けても、コロナの脅威は変わらない。出口戦略とは、治療薬、消毒、そして免疫といった、もっと根本的な「コロナウイルス撲滅戦略」でなければならない。 2.誰も出口戦略を語らない理由 一方で、緊急事態宣言により、経済活動は、止まった。 都市の街並みは静まり返り、背後には明日の生活の不安に押しつぶされそうになっている人々がいる。 筆者は直接的なウイルスの専門家ではないが、その専門柄、仕事でやり取りをする人や知人から、コロナについて質問を受けることが多い。 皆、不安で一杯なのが分かる。 この不安の本質は、先が見えないことにあり、その原因は、国や自治体のトップが出口戦略を示していないことにある。 首相や首長が出口戦略を示さない、いや、示せない理由はおそらく2つである。 専門家が専門家としての役割を果たさないこと そして メディアが公器としての役割を果たしていないことである。 特に前者・・・専門家の罪は大きい。 為政者はしょせん人気商売なのだから、世論や世論を煽るメディアの前では、慎重にならざるを得ない。 医師や元厚生労働省官僚といった例外を除いて、為政者が医学に専門知識はないのだから、猶更である。 為政者は、各分野の専門家の意見を聞いて、それを材料としてリーダーとして方向性を決めるものである。 だから、私は為政者をあまり厳しく責める気にはなれない。 しかし、専門家と呼ばれる人々については別である。 今回のコロナでは、専門家が機能していないため、為政者が判断をできない状況がある。 国の為政者がコロナ対策の拠り所とする「新型コロナウイルス感染症専門家会議」の分析・提言を読むとそれが分かる。 経済活動をはじめとする出口戦略については、一切といっていいほど言及していない。人権への配慮や、経済活動への影響といった、専門外のことについては言及しているのに、肝心の出口戦略について(少なくとも現時点では)具体的な言及がないのだ。 なぜか? 専門家会議に選ばれるレベルの高名な専門家は、すでにその地位が確立しているので、ミスを非常に恐れるかだだろう。 そのため、提言書は「クラスターが起きた」「感染者数が減っている」「効率的な対策が必要」といった、多少の知識があれば数字を見れば分かりきったこと、もっともらしいが空虚な言葉にあふれている。 しかし、為政者が、というより、国民が専門家に期待することは何か? それは「これまでの知見により、こういう事態が予想される」という予見である。 現状分析ではない。 「専門家」として招集された、だれもが、未来を語ろうとしない。 未来を語ることは、リスクを取ることだからだ。 しかし、医学に限らず、「専門家」と呼ばれる人々が尊敬され、尊重され、必要とされるのは、過去をよく知っているからではない。 未来を語ることができることにこそ、専門家の本領があるはずだ。 専門家は、その知見と分析力を総動員し、未来を語らなければ、存在意義がない。 それが、例え無理解な世論の非難を浴びることになっても、だ。 3.出口戦略を考える上で重要な新型コロナウイルス感染症の特徴 (1) 2つの特徴 新型コロナウイルス(SARS-CoV-2あるいは武漢ウイルス)については、情報が溢れかえり、誰もが一家言持ちの小専門家のようである。 テレビや週刊誌、ネットメディアで「専門家」が語る情報を、分析力を欠く人々が語り、さらにそれによって恐怖が語られ、拡散している様相に見える。 しかし、私の目から見ると、公衆衛生の観点から新型コロナウイルスが語られることは、驚くほど少ない。 テレビで目にする専門家の方々は、医療や感染症の専門家がほとんどで、公衆衛生の専門家と呼べる人を(私が見た範囲では)見かけない。 彼らは、治療方法やウイルスの専門家かもしれないが、公衆衛生の専門家ではないので、対策は語ることができても、展開は語ることができない。 では、公衆衛生の専門家はどうしているのか? 語っていないのである。 なぜか? 公衆衛生の専門家の立場で言えば、こんな変なウイルスについては語りたくないからだろう。 情報が少ないこともあるが、このウイルスは、今のところ、インフルエンザウイルスはもとより、SARS、MARSといった既知のコロナウイルスの知見を、そのまま当てはめることができない。 新型コロナウイルスの性質は、両者の間にあるようだ。 つまり、従来のコロナより感染力が強いが、インフルエンザほどではない。 SARSより致死的ではないが、インフルエンザよりは致死率が高い。 SARSは発症すると重症化する確率が高く、インフルエンザ程の感染力もなかったので、封じ込めは比較的簡単だった。感染者がウイルスを拡散する前に力尽きたからである。 武漢以降の日本の当初の対応は、明らかにSARS向けの対応で、これは一定の成果を上げた。 しかし、新型コロナウイルスは、SARSよりも感染力が強く、そのくせ、多くが自覚症状なしで自然治癒してしまうため、防疫の網にかからない例が多く、市中感染の拡大を許してしまった。 SARSコロナウイルスとインフルエンザウイルスの中間。これが新型コロナウイルスの特徴の第一。 (2) 致死率 次の特徴は、発症から死亡までの展開が異様に早いことである。 2020年3月に亡くなった志村けんさんは17日に倦怠感を訴えてから、29日に死亡するまで2週間足らずであった。 当代随一のコメディアンを失ったこととともに、このことが広く報道され、国民の恐怖がぐっと増大したように見える。 つまり、新型コロナウイルスが非常に殺傷力の強いウイルスと受け取られたのである。 しかし、これは2つの理由から明らかに間違っている。 まず、第一の理由。統計上、新型コロナウイルスの殺傷力は強いとは言えない。 2020年4月28日の報道によると、感染が拡大しているアメリカ・ニューヨーク州の大規模調査で、新型コロナウイルスの交代保有者は14.9%であったとされている。 ニューヨーク州の人口は1945万人なので、290万人が新型コロナウイルスに感染したことがあるということになる。 同28日時点で、新型コロナウイルスによるNY州の死者は1万7303人だから、死亡率はざっと0.5%ということになる。 NY州は統計に出ていない死亡者も多いので、5割増しに考えても0.9%といったところであろう。 少なくはない確率であるが、発症したが最後、ほぼ確実に多数が死ぬエボラ出血熱や狂犬病のような真に致死的な感染症でないのも事実である。 新型コロナウイルス感染症は致死率は、実は意外に低い。これが第二の特徴。そして、第二の理由。新型コロナウイルスで死亡する例があるのは、進行が早いからではなく、発見が遅いからである。 (3) 無症状肺炎 なぜ、新型コロナウイルスは発症から死亡までの期間が他の呼吸器系ウイルス感染症と比較して異様に短いのか? これは、武漢で奮闘した医師たちの報告にヒントがあり、実は早い段階から臨床医たちの間で推定はされていたようである。 武漢ではPCR検査で陽性になった発熱も倦怠感もない「無症状」の人々のCT検査では、その多くにすでに肺炎が見つかっていた。 つまり、自覚症状が出たあたりでは、かなり肺炎が進行しているため、見かけ上進行が早いように見えるのだ。 肺炎というと、息苦しくなるイメージがあるが、息苦しさの原因は血液中のCO2濃度にある。 極端に言えば、肺が酸素を十分に取り込んでいなくても、CO2を排出していれば息苦しくない。 新型コロナウイルスによる肺炎では、肺の伸縮性がある程度維持されるので、CO2を吐き出すことができ、肺炎がかなり進行するまで症状を自覚しにくいようである。 静かなる暗殺者、サイレントキラー。これが新型コロナウイルス第3の特徴。 (4) 爆発的に感染拡大後、急速に終息する 5月2日時点で、既に中国、韓国では新規感染者数が激減し、ゼロに近くなっている。 情報が統制されている中国であるが、国民の大半を罹患させれば経済が立ち行かなくなるので、感染者数を鵜呑みにすることはできないものの、経済活動を再開していることから、かなり減っているのは事実であろう。 韓国は、当初、PCRを乱発して病院を軽症者で埋め尽くし、重症者を死に至らしめるというミスを犯したが、現在もPCRを大規模に実施しており、社会活動が再開される中、感染が頭打ちになっていることが分かる。 インフルエンザほどではないとはいえ、既知のコロナウイルスよりは感染力の強い新型コロナウイルスで、なぜ第2波が来ないのか? 京都大学の山中教授(公衆衛生は専門ではない)が指摘するように、ワクチン、治療薬がない状況では、集団免疫が確立するまで、感染は止まらない。 公衆衛生の常識では、集団免疫は常識的には全体の5割以上が免疫を獲得することが必要である。 例えば、インフルエンザでは全体の8割以上の集団免疫が必要になる。 しかし、世界一のホットスポットであるNY州でも15%しか抗体を保有していない。 現時点で韓国は大規模な抗体検査に着手していないが、データを信用できない中国はともかく、死亡者が300人を割る韓国で、50%以上が抗体を保有している(感染歴がある)とは考えにくい。 これらから導かれる結論は「新型コロナウイルスは実は意外なほど弱い」ということである。 「集団免疫」というときの免疫とは、通常、「抗体」という意味で使われるが、免疫は抗体を中心とする細胞免疫と、マクロファージやNK細胞を中心とする液性免疫に分けられる。 新型コロナウイルスは、インフルエンザウイルスとは異なり、液性免疫でかなり制御できる「実はさほど強くない」ウイルスなのではないかと見られる。 ちなみに、ウイルスが免疫に強いことと、細胞に入った時に病原性が強いことは、まったく別の概念である。 免疫には叩かれやすいが、不健康な人に大量に侵入して、ひとたび病気を起こすと、それが致死的になる「日和見感染」を起こすウイルスや細菌は珍しくない。 仮に、新型コロナウイルスの制御に必要な集団免疫の水準を70%としよう。 集団の中で健康状態がよく液性免疫が万全で、かつ、マスク手洗いでウイルスを一度に大量に取り込まない人が全体の60%がいたとする。 しかし、70%にあと10%足りないので、感染は拡大する。 やがて、感染から回復した人々が抗体(細胞免疫)を獲得し始め、それが全体の10%になると、細胞免疫群10%+液性免疫群60%=70%の集団免疫状態となり、感染が終息に向かい始める。さらに抗体を持つ人が15%、20%と増えれば、ウイルスは行き場を無くす。 これが、韓国や中国で起きている現象と考えられる。 集団免疫は、非常事態宣言やロックダウンと違い、根本的対策・・・真にウイルスを撲滅する対策である。 インフルエンザウイルスのように変異が激しいウイルスの例外を除き、効果も持続する。 液性免疫で抑制が可能なウイルスであれば、マスク手洗いといった社会行動を持続すれば、抗体が得られるまでの制御もできる。多数の死者を出しつつも、ロックダウンを採らなかったスウェーデンと、他のヨーロッパ諸国の感染増加カーブがほとんど形が変わらないのは、その証左といえる。 ・ロックダウンを採った欧州主要国とスウェーデン+日本、豪州の新型コロナウイルス感染症死亡者数の推移by.札幌医科大学医学部 附属フロンティア医学研究所 ゲノム医科学部門液性免疫による集団免疫で抑え込める。これが第4の特徴。 4.新型コロナウイルス感染症の出口戦略 これまでのことを踏まえると、新型コロナウイルス感染症を終息させ、ウイルスを撲滅し、日常を取り戻す「出口戦略」は次のようになる。なお、ゴールとしては、すべての経済活動、社会活動がマスク、手洗い、健康管理で実施できるレベルを考えている。 (1) 出口戦略1 とにかくリスク分類を急ぐ!!! 新型コロナウイルスの感染者は2020年5月2日時点で全世界300万人を超えており、十分なサンプル数が揃っている。 性別、年代、人種、既往歴はもとより、職業、居住地や勤務地の人口密度など、多角的な分析により、リスク分類を急ぐ。 このリスク分類こそが出口戦略の最大のカギなので、最初は暫定でもよい。国立感染症研究所など、中枢機関に任せっきりにするのではなく、全国の地方衛生研究所が、大学が、病院が、分析、研究、意見交換する。ここが出口戦略最大のカギである。専門家の総力戦で挑むべきだ。専門家たちよ、プロフェッショナルたちよ、今活躍しなくて、いつ活躍するのだ。 (2) 出口戦略2 低リスクグループの社会・経済活動を再開 分析の結果、低リスクグループ(例えば、若く健康な人、抗体を獲得している人)の社会活動、経済活動を再開する。いうまでもなく、ほどほどに感染し、抗体を獲得してもらい、集団免疫の成立を急ぐためである。新型コロナウイルス感染症の死亡率をかなり過大に見積もって全体でNY並以上の0.5%とする。これまでの統計から感染者の7割が60歳以下、死亡者の9割が60歳以上と分かっているので、60歳以下の死亡率は0.07%と推定できる。 同時に、抗体検査を大規模に実施し、抗体保有率をモニターする。低リスクグループといえど、大量にウイルスを取り込めば、抑え込めなくなるので、陽性者の隔離と、マスク手洗い距離は引き続き必要。興行や集会は、体温計やパルオキシメーターで健康状態をクリアした参加者であれば、ある程度制限を加えつつ良いのではないか。 (3) 出口戦略3 高リスクグループの保護と生活支援 高リスクグループ(例えば、高齢者、持病あり)が社会活動を再開するためには、低リスクグループが集団免疫を成立させ、社会からウイルスが居なくなるのを待たなければならない。 早急に集団免疫の成立を進める必要があるが、同時に、市中にウイルスが飛び交う状況になるので、高リスクグループの隔離と生活支援を盤石にする必要がある。 後述するホテル等の隔離設備の拡充と、現在、休業状態の飲食業によるケータリングが組み合わされると、経済政策としても良いのではないか。 (4) 出口戦略4 新たな自己診断基準 新型コロナウイルスは無症状で肺炎が進行する「サイレントキラー」の特徴を持つ。 国民全員に検査を受けさせることができない以上、国民に発熱以外の自己診断基準を示す必要がある。 例えば「安静時に呼吸が1分〇回」「いつもよりも呼吸が深い」「息を吐ききれない」といった肺機能に比重を置いた自己診断基準は設定できないか。 同時に、肺炎の徴候を数字で把握するため、医療機関以外(例えば、保健センターや市町村庁舎)でパルスオキシメーター(血液中の酸素を図る装置。指を入れるだけ。)で酸素分圧を測定できる仕組みが作れないか。 パルスオキシメーター また、パルスオキシメーターは楽天市場など、通信販売で誰でも入手できる。価格も1万円以下と高くはない。今後、ほぼ確実にパルスオキシメーターの品薄が予想されるので、国と自治体で台数を確保するべきである。 (5) 出口戦略5 隔離施設の確保 低リスクグループの社会活動を再開するにあたって、最も懸念されるのは医療崩壊である。 新型コロナウイルス感染症は指定感染症なので、症状の有無に関わらず隔離が必要になる。これには、現在も推進しているホテル・旅館の隔離設備化を推進する。 ホテル業界の経済規模は3兆円程度なので、500億円もあれば費用的には可能だろう。 現在、観光業は全国的にストップしており、非常に苦境に立っている。ひとたびホテルが倒れると、レジャー、飲食、小売りなど周辺産業への影響も甚大で、ホテル活用は経済政策としての意義も大きい。 コロナウイルスは有機物存在下では2週間程度生きるのではないかと述べたが、逆に言うと、隔離施設への供用を終えて、2週間閉鎖すればそのホテルにはウイルスはいないことになる。 このあたり、国民への丁寧な説明も必要。 (6) 出口戦略6 法改正 新型コロナウイルスはSARSコロナウイルスと季節性インフルエンザウイルスの中間という性質があり、「微妙に強い感染力と微妙に強い病原性」ゆえにやっかいである。 現行の感染症法や新型インフル特措法の構造で扱うと、どうしてもウイルス制御と社会ダメージのバランスが取れない印象がある。法改正が必要ではないか。 (7) 出口戦略7 専門家は語り、為政者は決める これまでも述べたように、新型コロナウイルスは殺傷力や感染力が強いことが問題なのではない。 よく誤解があるが、厳密には「感染」とは、ウイルスが体内に入って「増える」ことを言う。すぐにマクロファージに食べられて、排除された状態は医学的には感染とは言わない。(日常用語としては、体内に入る=感染でもよいが。) その意味で、新型コロナウイルスの"感染"力はさほど強くなく、ほとんどの人が感染せずに(ウイルスが増えずに)抗体を獲得していると見られる。 こうした特徴を正しく国民に伝えるためには、私のような門外漢ではなく、真の「専門家」が感染力について語り、免疫について語り、致死率について語る必要がある。 語る、とは、データを読み上げることではない。データを分析し、知見を組み合わせ、合理的に考え、意見として語ることである。 そして、伝えるのは為政者・・・首相や首長の仕事である。 専門家の意見は、どこまで行っても意見であり、政策ではない。 政策は為政者のものであり、決断が要る。為政者の仕事は決めることである。 (8)出口戦略9 メディアを飽きさせる 言うまでもなく、メディアは公器である。 しかし、現在のメディアのやることといえばコロナウイルスの恐怖を煽り、その中でストーリーを作ることである。 しかし、メディアの立場にも立てば、これは彼らなりの合理性がある。 インフルエンザで日本で5千人が死亡した時のメディアの取り上げ方は、現在のようであったか。違う。死者の数は相対的な問題であり、メディアにとっては他のネタと重いか、軽いかでしかない。 経済活動、社会活動が止まり、お金の動きがなく、エンターテイメントがなく、事件がなく、人間模様が見えにくい状況で、彼らとしてコロナウイルス以外にネタがあるだろうか? そのような状況で、どうすれば2時間のワイドショーを持たせられるだろうか? 為政者の決断を鈍らせるのは、世論というよりは、世論を作っているメディアである。 メディアがコロナ怖いとばかり言っていれば、世論はコロナ怖いと言い、専門家は黙り、為政者は果敢な決断ができなくなる。 そのためにも経済活動、社会活動を再開させ、メディアにコロナ以外のネタを提供する必要がある。以上、乱文ながらコロナと出口戦略について私見を述べさせていただいた。反対の立場の方も含め、誰かの役に立てれば幸いである。
2020/05/03
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愛知の乳児虐待死の判決のニュースをいまさら知り、ショックを受けた。「次男をベッドから抱き上げ、隣の和室へ。少し勢いをつけて畳の上に投げ落とした。泣き続ける次男を再び投げ落とすと「気持ちが少し落ち着いた」。次男は約2週間後、搬送先の病院で息を引き取った。」(三つ子の育児、背負い込んだ母 泣く子を投げ落とした夜 朝日新聞デジタル 2019/3/16)「"少し"勢いをつけて」「泣き続ける次男を再び」この箇所を読んだとき、血の気がさーっと引いたのが分かった。朝日新聞の記者が、記事の方向性のために、文章に手心を加えたのは明らかだ。投げ"落とした"のではなく、床にたたきつけたのだ。ここを読んだときの感情を表現する言葉が見当たらない。凄惨、むごいが少し近い。しばらく呆然とし、ショックを和らげようと、他人の感想を探した。ツイッターでは性別は分からないが育児の専門家以外は、多くが女性からの意見のように思えた。この判決をくだした裁判官は子育てしたことあんのか。旦那も実刑判決必要だとおもいます。せめて執行猶予つかないのかな、、同じ母親として心底胸が痛い育児による心身疲弊という理由があっても執行猶予すらつけて貰えないのか…このお母さんは…。お母さんの気持ちがわかる。胸が痛い。これお母さんが服役すんの?なぜ??旦那じゃなく?なぜ??? こんなの納得がいきかねるほんと孤独で辛かったと思う 真の悪は旦那と旦那親と周りの見て見ぬふりした人間だわ追い詰められたお母さん…。悲しいです。#三つ子そこでは、多くの人が口々に育児を抱えていた母親への同情と、裁判所と父親への批判を繰り広げていた。そして、多くの人は、母親に心底同情し、育児支援を訴えていた。それを見て、なんとも言いようの無い、不条理な、腹立たしい気持ちになった。なぜ、乳児ではなく、母親なのだ?そう思った。このもの言えぬ乳児の、こんなにも不条理な結末に同情する人が、少ない。頼んだわけでもなく勝手に産み落とされミルクがうまく飲めず苦しみ何かを訴えようと泣いていたら自分を愛し守ってくれるはずの母親に床にたたきつけられ激痛に泣けばまた叩きつけられ殺された。その乳児の痛みに、絶望に、不遇に同情する声が、少ない。そうだ。育児支援は必要だ。だが、それは親のために必要なのではなく、子供のために必要なものだ。どうして、こんなに多くの人が、母親の処遇に涙して、乳児のために涙しないのだろう。自分に近い者に同情し、自分から遠い者のことを忘れ、自分から遠い者を批判する。どうして、こんなに身勝手なのだろう。ツイート炎上の参加者は全体の0.5%だという。この事件に発言しているのは、ごく一部の人に違いないと思いたい。発言しなかったほとんどの人は、殺した母親のためにではなく、殺された乳児のために涙したと思いたい。「どうにも、世論というものは、このあたりが限界なのかもしれない」という暗たんたる気持ちに支配されつつ私は、せめて私だけは、もう泣くことができない乳児のためだけに悔し泣く。
2019/03/21
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(C)ANNセクハラ疑惑の渦中にあった福田財務次官が辞任の意向を示した。女性記者との会話とされる録音が週刊新潮に公開され、「おっぱいさわっていい?」「だきしめていい?」など、その酷い会話内容に与野党の議員から更迭要求が噴出していた。しかし、福田氏は「そんなこと言うわけない。」と録音を否定していた。これは辞任の意向を示した現在でもそうだ。(C)NNNまず、私見を言うと、私はこの音声は福田氏のものであり、福田氏がおそらく女性(記者かどうかは確信を持てない。)にそうした発言をしたものだという印象を持っている。しかし、福田氏が否定している以上、事実関係を確認しなければ、更迭のような処分はできないのは当然だ。録音は人権配慮のためにやむを得ない措置ということで女性の声が消されている。そのこと自体はいいのだが、会話の前後関係や、はたして相手が女性記者なのかが分からない。もしも、女性が福田氏と男女という意味で親密な関係(それが女性によるいわゆるハニートラップであっても)の中での発言であったなら、それは浮気という道義上の問題であり、セクハラとは問題が異なる。もしも、この録音が女性記者との会話ではなく、キャバクラでの女性との会話であったなら、それがキャバクラという擬似恋愛や猥談をも娯楽とする社交場での会話として、則を超えていたかが論点になる。要するに、この録音は現段階の判断材料では、セクハラの証拠として不十分である。実際、この録音は日本音響研究所の分析により、異なるシチュエーションでとられた録音をつなぎ合わせている可能性が指摘されている。(C)TBS(C)NNN女性の人権に配慮するのであれば、財務省の顧問弁護士に名乗り出るよう求めるという方法が悪手だという批判はわかる。財務省側にも「信頼できる弁護士でなければ」といった言い分はあろうが、その批判はいい。しかし、「女性が名乗り出ないのは女性の立場からして当然だから、女性が名乗り出なくても福田氏がセクハラ行為を行ったと認定して更迭すべきだ。」というのは、論理の飛躍というより、暴論、いや暴力だ。そんな中で放たれたのが、麻生財務大臣の「福田の人権は、なしってわけですか?」という記者団への問いだ。(C)ANN映像で見る限り、攻勢を強めていた記者団がこの一言にひるんだように見えた。ハッとしたのだろう。あの場で、この一言が放てるというのは、さすがに元総理、老練な政治家だと感心した。なにげなく見ていたテレビで、一瞬固まってしまった。凄い一言だと思った。同時に、問題の核心を突く言葉は、シンプルで、それでいて鋭くなければならないのだとも強く再認識した。そのとおりである。現状、セクハラの証拠となりえない録音を基に、福田氏本人が否定しているのに、処分を下すというのは人権侵害でなくて何なのか?福田氏が強者で、女性記者(仮にそうであったとして)が弱者ならば、証拠も自白もないのに、強者だからという根拠で罰していいのか?それは、「弱い女性が勇気を出して被害を訴えたのだから、強い男性が痴漢をしたのに違いない。」という、近代司法の前提を根こそぎひっくり返してしまっている痴漢冤罪問題と何が違うのだろう?私は、なにも、福田氏がセクハラをしてないから罰すべきでない、と言っているわけではない。証拠が不十分なのに、罰してはいけない、と言っているのである。・・・正直に言えば、福田氏には大変申し訳ないが、私は「誰かしらにああいうこと言ったんだろうな。」と思っている。録音がつぎはぎなのは、セクハラの証拠といえない一方、セクハラをねつ造した証拠ともいえない。仕事ができて、豪快で、自信があって、ざっくばらん。そして精力が強くて、女性が大好き。福田氏は私の知っている仕事ができるある種の人々に似ているのだ。悪気はないが、思わず気づかずに他人に迷惑をかける人たち。しかし、仕事において唯一無二の存在ゆえ、それを責められることもなく、本人も問題に気づいていないまま年齢を重ねた困った人たち。福田氏は辞任の取材で、それを「不徳」と言ったのだろう。「福田氏はああいう人たちと同類なのだろうな。まあ、やったんだろうな。」と思う。しかし、私だって一応は社会人として「証拠がないのに人を断罪してはいけない」という最低限の常識ぐらいは持っているつもりだ。一方で、報道によると、社民党の福島瑞穂副党首は「事務方トップが下品なことを言い、力を使い女性記者に迫るのは人権侵害だ。女性差別であり、とても看過できない。」と批判したそうだが、福島氏は、なぜ「福田氏がセクハラをやった。」と確信したのだろうか?(C)HAFFPOST繰り返すが、録音は(少なくとも、さらに判断材料が集まらなければ)セクハラの証拠となりえないし、福田氏は完全に否認している。確かな証拠も、自認もないのだ。なぜ、この状況で「クロ」だと断言するのだろう。福島瑞穂氏はご存知のとおり、弁護士でもあり、強固な死刑廃止論者として知られている。死刑廃止論者の最大の論拠は「誤審や冤罪であった場合、死刑は取り返しが付かない。」という点である。福田事務次官のセクハラ疑惑には冤罪(しかも作られた)の可能性が否定できない。誤審や冤罪を憎む福島瑞穂氏こそ「福田氏にも人権がある。」といわなければならないはずだ。もっと言えば、福島瑞穂氏が人権の擁護者たらんとするのであれば、「公人の福田氏だけでなく、一般人である福田氏の家族にも影響が出るのは必至。福田氏にも、その家族にも人権がある。セクハラと断定できない段階で、決して憶測で糾弾すべきではない。」と諌めるのが本当だろう。それとも、打倒・安倍政権の材料となるのならば、他人の人権はどうでもいいのだろうか。(C)テレビ朝日この騒動を見て、ジャーナリスト・高山正之氏の「ブレイディの教訓 少年よ、人権派に触るな」という大変感銘を受けた記事を思い出した。2000年の記事で、もう原文は残っていないようだが、コピーがあった。ぜひ、一読をお勧めする。ブレイディの教訓 少年よ、人権派に触るな 2000年10月14日 高山 正之(C)CNN全米ライフル協会の会員だったブレイディ氏は、自身が狙撃され半身不随になったのを機に、銃規制に乗り出した。死刑反対派の日弁連の副会長だった岡村氏は、自身の妻が殺害されたことを機に、死刑存置派に転向した。高山氏は少年法の庇護下で悪事に励む少年たちにこう語りかけている。「絶対に弁護士や社民党議員の家族にさわってはいけない。さわれば彼らの論調はすぐに変わる。痛みが分かってないから、君たちに優しく、そして野放しにしてくれているのだから。」と。一般的な弁護士や社民党の議員がどうかは知らない。しかし、福島瑞穂氏に限っては「人権」という絶対的な権利を、自分に都合のいいように、解釈し、騙り、弄ぶ人だというのは一連の騒動ではっきりと分かった。福島瑞穂氏だけではない。福田氏がセクハラを「やった」という前提で更迭を求めた人々は、みな人権の「じ」の字も分かっていない似非だ。福島瑞穂氏ら野党議員だけでなく、与党議員もマスメディアも、少なくともあの段階で更迭を求めた人々はみな同じである。マスメディアの中でも、TBSに至っては、福田氏が女性記者に対する発言と認めていないにもかかわらず、「女性記者に対する自分の発言と認める」という虚偽のテロップを放送した。音声が証拠たりえないと判っていたから、福田氏が自認したように装ったのだろう。訂正もしていないらしい。きわめて悪質だ。(C)TBSこのように、様相はまさに福田氏へのリンチであった。マスメディアと国会議員がお互いを煽りあう形で福田氏を糾弾し、一般人はこれを鵜呑みにし、福田氏を憎んだ。仮にセクハラがあったとしても(私はあったと思っている。)これほどまでに憎まれなければならないのかと、恐ろしく思った。少し考えれば、誰でも「この段階で断定はできない。」と判るのに、みな思考が停止していた。あまりにも・・・あまりにも一方的だった。その猛烈な逆風の中で、ただ一人、福田氏の人権をはっきり主張した麻生太郎氏は凄いと素直に思う。私にとっては「力を使い、女性記者に迫るのは人権侵害だ!」と、証拠不十分なまま一人の人間を糾弾し、断罪しようとした弁護士の福島瑞穂氏らより、「福田の人権は、なしってわけですか?」と問いただした"暴言老人"こと麻生太郎氏のほうが、人権への理解という一点においては、はるかに信用できるのである。
2018/04/19
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ドイツの名将、ゼークトは「有能な怠け者は司令官にせよ。無能は働き者は銃殺せよ。」と言った。経営の神、ドラッカーは「部下たちは上司の悪いところのほとんどのことは許す。しかし、真摯さの欠如だけは許さない。 」と言った。不真摯で無能な野心家・・・小池百合子という人は結局そういう人なのだ。一番トップにしてはいけないタイプなのだ。そんなの、国政でも目立っていた彼女のこと。政治家としての手腕が粗末にすぎる事は分かりきったほど分かっていたことではないか。小池百合子は強欲で権力を切望するがゆえ、都知事になった。だけど都政をやりたかったわけではないし、政治を行う能力もない。今にして思うと、2017年の夏が彼女のピークだった。都議会自民党との抗争、築地と豊洲、オリンピック、都民ファースト・・・トピックスがあるうちはいいが、しばらくして冷めてくると「おや?」となってしまう。結局、小池百合子がしてきたのは風呂敷を広げるだけ広げて「んー、どっしよっかなー?」と首をかしげてることだけだったではないか。小池百合子の「何かやってくれそう!」という期待を高める能力はずば抜けている。しかし、何かをやりとげる能力はない。そんなんことは彼女については小沢チルドレンのころから1ミリも変わっていない、あたりまえの日常ではないか。小池百合子の無能が悪いのか?不誠実が悪いのか?いや、小池百合子はなにも悪くない。そうした無能な野心家であっても30歳以上の日本国民という要件さえ満たしていれば、被選挙権があり、都知事選に立候補する権利がある。小池百合子は悪行をおこなったわけではない。真摯に都政をやるつもりがなかったことを説明せずに立候補したとして、それは不誠実ではあっても犯罪では決してない。悪いのは小池百合子という人がどういう政治家かということを知っているはずなのに、またも「なんとなく」で投票したB層の都民だ。少し古い話だが、よく思い出して欲しい。猪瀬都知事の献金スキャンダルからの舛添都知事の公私混同スキャンダル、その後の小池都知事だったのだ。ひどい3連コンボである。あなた方は、猪瀬後はともかく、せめて舛添後に「これは選んだ側も悪かった。」「ちゃんと候補を見て投票しよう。」と思わなかったのか?今度こそ、今度こそは都民は刮目して候補者を見るべきだし、小池批判の前に自らの投票行動を思い起こして猛省すべきだ。この災禍を呼び込んだのは小池百合子ではなく、あなた方なのだから。
2017/07/03
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Amazonマーケットプレイスが個人情報やクレジットカード情報の盗難に使われており、売れ線の商品にはほぼすべて詐欺アカウントと思われる出品がみられる。 しかも、Amazon側は詐欺アカウントにほぼ無策で、もはやAmazonは無法地帯と貸している。 いまのAmazonマーケットプレイスは使わない方がベストだが、この2つをチェックすれば詐欺アカウントかどうかは簡単に分かるのでお知らせしたい。 1. 出品者が新規で最安値だったら詐欺アカウント間違いなし。 2. 出品者の評価が過去1年内になければ(古いものしかない)詐欺アカウント間違いなし。 格安で出品しているのに、最近の評価が無い方がおかしい。こういったケースでは第3者の休眠アカウントを乗っ取っている可能性が高い。 安いからといって、間違っても「ダメもと」「試しに」でクリックしないように。個人情報やカード情報が盗まれてもAmazonは補償しないのだから。
2017/05/04
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痴漢を疑われた人物が線路に入って逃走する事例が増えている。身元の分かるものを残した事例を除き、いずれも逮捕にいたっておらず、逃走は「成功」している。しかし、線路内に立ち入ることは事故、損害賠償などのリスクを負うことが指摘されている。それでも、痴漢冤罪を防ぐためには、これが唯一の方法である以上、線路内逃走は防げないだろう。痴漢冤罪の問題は「現行犯逮捕」の運用にある。逮捕とは、憲法で保証された人の自由を制限する「人権侵害行為」なので、きわめて厳格に行われなければならない。具体的には、裁判所に逮捕令状をもらった警察にしかできない。しかし、いま目の前で泥棒しているとか、他人を殴ったとか、(1)犯罪をしていることが明らかで、(2)絶対に犯人を間違いようがなく、かつ(3)今すぐに取り押さえなければ逃走されたり証拠を隠滅されるかもしれないという条件が揃った時に限り「私人(普通の人)による逮捕」が認められる。これがいわゆる現行犯逮捕だ。しかし、痴漢を疑った場合の現行犯逮捕とは(1)(2)については満員では確認しようもなく、(3)に至っては繊維鑑定(手に付着した布の繊維を調べること)を行う以外は痴漢の裁判は証言だけで審理されるので身元さえ分かればまったく緊急性がない。つまり、現行犯逮捕をしては「絶対にいけない」状況なのに、なぜか私人(駅員含む)による逮捕という人権侵害がまかりとおり、司法もそれを黙認している有り様である。これは司法が怠慢なわけではなく、現行犯逮捕以外では、ほぼ逮捕不可能な痴漢という犯罪の難しさが原因といえる。しかし現行犯逮捕を成立させてしまうと、厄介な問題が警察、検察、司法に起こる。それは「犯人だったことにしなければならない」という問題である。なぜなら現行犯逮捕は犯人に間違いがないことが前提になので、犯人だったか明らかでないのに逮捕したとなれば、それは「不当逮捕」となってしまうからだ。そのため、なにがなんでも痴漢にしたてあげようという方向で取り調べが行われ、98%ぐらいが起訴され、99%以上が有罪になるという。典型的な例は「痴漢するのは不可能に近いが、できなくはない。」という謎の理論で有罪判決となった三鷹バス痴漢冤罪事件だ。この裁判では、東京地裁立川支部の倉澤千巌裁判官はとにかく有罪ありきで、被害者女子高生の証言は「信用できる」、被告人中学校教師の証言は「信用できない」の一点張り。防犯カメラに犯行が写っていないことは「一瞬でやったのだろう」。被告人の手から繊維鑑定で女子高生の衣服の繊維が出ていないことについては「そういうこともありえる。」といった具合で、時代劇の悪徳奉行さながらの暗黒っぷりで有罪が言い渡された。日本司法の信頼を地におとしめた希代の恐怖裁判である。中立公正であるべき裁判所までが、痴漢の現行犯逮捕となれば有罪にする方向では、痴漢事件には相当数の無実の人々が含まれているはずだ。現行犯逮捕は人権侵害行為なのだから、満員電車の痴漢事件のように、間違いが起こりうる条件では本来認められない。しかし、現行犯逮捕を成立させなければ、ほとんどの痴漢は立件できず、満員電車は痴漢天国になる。これが痴漢逮捕のジレンマである。痴漢事件はいろいろと難しい。痴漢の被害者はほぼ全て女性であり、未成年者も少なくない。一方、加害者はほぼ成人男性である。痴漢の現行犯逮捕は「弱者(女性、子供)のために強者(成人男性)がコストを払う」という考え方・・・・つまるところ差別思想のもと、黙認されている側面がある。このことはメディアでは伏せられ、法曹界でもタブー視されているため、一般人が知ることはないが、多くの警察、法曹関係者が認めるところだ。裁判とは裁判所が検察の言い分を裁く手続きである(注:被告人ではない。)。そのため「すべての被告人は無罪と推定されることから、 刑事裁判では、検察官が被告人の犯罪を証明しなければ、有罪とすることができません。(日弁連HP)」というのが近代司法の原理原則なのだが、あらゆる刑事裁判の中で差別思想と密接に絡み合った痴漢事件だけが「疑われたらその人が無罪を証明しなければならない。」のである。このような理不尽な人権侵害が司法においてすら厳然とまかり通っている以上、無実の人はリスクをおかしてでも逃げるしかない。痴漢事件の裁判は有罪ありきで悪魔の証明を要求する暗黒裁判だからだ。このことは複数の弁護士も指摘している。テレビで弁護士が「私なら逃げる。」「その場に留まる理由はない。」「立ち去っても違法でない。」などとコメントしたこともある。いわれなき嫌疑をかけられ、理不尽な不利益を受けさせられようとする無実の人が、自分の家族を、生活を、尊厳を守るために走るのだとしたら、私はその背中に「ご無事で、どうか逃げ切って!」と願うに違いない。ただ、路線内は危険なので、別のルートで逃げて欲しいが、事情を知らない人に妨害されることもあるだろうし難しい。国民がこの「痴漢逮捕のジレンマ」について知り、議論することでしか、問題は解決しない。逮捕や裁判が適正であれば、痴漢を疑われても堂々と応じることができ、路線逃走はなくなる。線路逃走で電車が遅延すれば社会が不利益を受けるが、それは痴漢事件の不当としかいいようのない現行犯逮捕や暗黒裁判を他人事として黙認している社会が支払うしかない対価なのだと思う。
2017/04/29
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私の友人の話。彼は仕事柄、韓国の留学生と関わる機会が多いそうだが、韓国人留学生は普段から他の国の留学生と比べてまぁ問題は多いが、特に彼の趣味のサッカーの話になると必ず旭日旗批判に及ぶらしい。いわく「戦犯旗だ」「ナチスのハーケンクロイツと同じだ」と。そんなとき、彼はいつも次の問いかけで彼らを黙らせるそうだ。「ハーケンクロイツはナチ党の党旗で政治主張の象徴。旭日旗は日本国の象徴。違いがわかるかい?」「旭日旗と戦ったアメリカ軍やイギリス軍が旭日旗を日本の軍旗と認めて敬礼しているよ。いったい君たちはいつ旭日旗と戦ったんだい?」韓国人留学生たちはまず間違いなく顔を真っ青にして(顔色は真っ赤を通りすぎると青くなるそうだ。)おし黙り、以後、二度とその話題は出さなくなるという。旭日旗と戦ったアメリカは敬礼するのに、戦ったことがない韓国人が騒ぐ。これはとても分かりやすい矛盾だ。それにしても「いつ戦ったんだ?」とは痛烈である。韓国人の日本コンプレックスの起源は「自力独立しなかった」という一点に由来するからだ。そういえば彼に「韓国人が疎ましくないか?」と聞いたことがあったが、彼は「彼らは悔しいんだよ。」と答えた。生まれる国は選べない。考えてみれば哀れではある。大漁旗ステッカー 90mm×60mm 【小】[メール便送料無料☆ステッカー1700円(税別)以上お買い上げ][釣り ステッカー]ほとんどの日本人にとって旭日旗といえば国旗や軍旗というより「大漁旗」だ。これからは、国際試合のスタジアムには「大漁」と書いた大漁旗を持って行けばいい。ただの縁起物だから。
2017/04/28
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「日本死ね」流行語大賞に国民77%反対で批判殺到。俵万智さんツイッターで弁明も火に油。 2016年の「ユーキャン新語・流行語大賞」で「保育園落ちた日本死ね」がトップテン入りしたことについて、審査員の1人だった歌人の俵万智さん(53)がツイッターで選考についての「思い」を明かした。 俵さんは12月10日、授賞式後初めてツイッターを更新。そこで「死ね」はいい言葉ではないと指摘しつつ、「世の中を動かした。そこには言葉の力がありました」とつづった。(J-CASTニュース 2016.12.12) これに対する市井の反応は割とはっきりしていて、次のアンケートのとおりである。 なんとどのアンケートでも反対8割。 幼児を抱える親御さんも、ほとんどが流行語大賞選出に違和感を唱えていたのが印象的だ。 笑顔で授賞式に登壇した民進党の山尾議員も、弁明ツイッターで火に油を注いだ俵万智氏もなぜこれほど批判されるのかを正確に把握していない様子だ。 なので、なぜ「保育園落ちた、日本死ね」がいけないのかを、各氏に分かるように書いてみたい。問題点1 そもそも「日本死ね」は、他人を傷つける言葉である まず、大前提として、山尾議員や俵氏が理解していないのは、この言葉によって、日本人を自覚する多くの人が非常に傷ついたという事実だ。 いわゆるサヨクと呼ばれる人種は個人主義だからこのあたりの感覚に疎い。 (私はサヨクを「こじらせた個人主義者」と理解している。) どうしてもその感覚が分からないのなら、沖縄のヘリパッド移設を妨害していた活動家に対し、警官が「土人」と発したことを思い浮かべればいい。 この土人発言は、差別用語ではないとされたものの、明らかに適切でない。 しかし、沖縄の米軍基地問題に焦点を当てるきっかけになっただとか、差別問題を考えるきっかけにはなっただろう。 では、この「土人」を流行語大賞にしてもよいのか?・・・つまりはそういうことなのだ。 「日本」という言葉は、単に国土を指すだけでなく、国土とともにある日本人全体を含んだ概念だ。 つまり、「日本はすばらしい」というとき「日本人はすばらしい」という意味になるし、「日本死ね」といったときには「日本人は死ね」という意味になる。 この言葉を発した人の素性は良く分からない。 しかし、仮に事実として発言者が不幸な目にあったとして、大多数の無辜の日本人に対し「お前ら死んでしまえ!」と言っていいわけがない。 不特定多数に向けて呪いの言葉を吐きたい不遇には誰しもが遭遇している。しかし、ほとんどの人はそれでも他人をいわれなく傷つけてはいけないとグッとこらえている。 それでも、個人が個人の責任で「日本、死ね」というつぶやきをしたこと自体は、言論の自由の範疇であり、呪いの言葉を発したことに対する正当な批判は甘んじて受けるべきではあるものの、社会的制裁を受けるほどのことではない。 問題は「日本」というこの国の人100%に対して発せられた呪いの言葉を肯定したユーキャンの流行語大賞であり、それを大喜びした公人である山尾議員である。 タレントのつるの剛士さんが、「死ね」の流行語大賞受賞に「悲しい」とつぶやいた。 流行語大賞の委員や笑顔の山尾議員は、この言葉が「わたしこじんに」向けられ、日本人100%に向けられ、日本人のだれもが悲しみ、傷つき、怒ったという点について、あまりに無頓着で無関心だ。 逆に山尾議員は「憎き安倍政権を批判する絶好の材料ができた」と嬉々としていたようだ。だから、自分のカードであった「日本死ね」が評価されて大喜びしていた。 それでも、国会では安倍首相に「民主党政権時代より待機児童問題は改善しているし、保育園も増やしている」と反論されてしまったあたりに、この議員の絶望的なセンスのなさが垣間見えた。問題点2 俵万智の弁解は「結果は過程を正当化する」というテロリストの思考回路 俵万智氏は「日本死ね」を「いい言葉とは思わない」「毒」と明確に断じた。 その一方で「世の中を動かした。そこには言葉の力がありました」と説明した。 要するに「悪い言葉だけど、世の中にいい影響を及ぼしたのだから評価する」と言っているわけだ。 これも、偏向的個人主義者であるサヨクによくみられがちな思考回路だ。 つまり、彼らは 悪いことでも、目的や結果がよければそれは正しい。 と考える傾向があるということだ。 言い換えれば 目的は手段を正当化する。 結果は過程を正当化する。 と考えるということである。 分かりやすく言うと、テロリストの思考回路そのものである。 2・26事件を起こした将校も、満州事変を起こした石原莞爾も、ユダヤ人を殺したナチスも、日本赤軍も、最近ではイスラム国も、みな殺人は良くないとか、戦争は良くないとか、社会混乱はよくないとか、その程度の認識はあるものの「しかし、正しい目的のためには、手段は選べないのだ」と言い訳をしてクーデターやテロを起こしている。 法治国家においては、いかに立派な目的であれ、正しくない手段や過程は決して許されない。 「俵万智の言うことはおかしい」と批判している人々は「目的が手段を正当化するという考えは間違っている!」と説いているわけである。 テロとかそんな大げさな・・・いや、決して大げさな話ではない。 テロリストと良識ある市民の分岐点は「目的の為に手段が正当化されるか否か」という一点に限られると考えてほぼ間違いない。 そうした思考回路をもつ人々が、なにか極限状態に陥ったとき、目的のために犯罪を犯すのである。 もちろん、俵万智や山尾議員はテロを起こしたわけではない。これからも起こさないだろう。 ただ、自身が良識ある市民とは違う思考回路にあることに無自覚なだけである。 その無自覚を非難されていることにすら気づかないので 「国民に問題を提起するきっかけになったのだから、ちょっとぐらい他人を傷つける言葉だっていいじゃない!なぜ、みんなこんなに怒っているのかしら??」 と首をかしげているのだ。 両者がそれなりに社会的影響のある人だという点で、非常にこっけいでもある。クリスマス 名入れ ギフト クッション オリジナル 名前入り 思い出 写真入り メッセージ入り プレゼント 写真価格:4980円(税込、送料別) (2016/12/28時点)
2016/12/21
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相対的貧困とは、所得が全世帯の中央値の半分より少ない世帯をいう。 日本では1/6の世帯がこれにあたり、OECD加盟国の中でもメキシコ、トルコ、米国についで4位で、日本は世界有数の貧困大国だ。 ・・・・という見出しで始まる記事に「なるほど、それは酷い!政府はなにをしている!」と怒り出す人は少ないだろう。 まず「なにかおかしい?」と違和感を感じるはずだ。 第一に「相対的貧困」は、実際に生活に困る水準という意味ではない。 平均所得が1000万円だったら、500万円以下は貧困というようなもので、「他人よりも所得が少ない」というラインでしかない。 第二に相対的貧困上位にアフリカやアジアの国が入っていないことからも分かるように、国民が貧困にあえぐことを示す指標でもない。 どころか、日本は真に困っている人々・・絶対的貧困率では世界最下位・・つまり低所得者が世界で最も豊かな国である。 The new World mapperによると Japan is the region with the richest poor people in the world. The average income of the poorest fifth of the population in Japan is at least 7 times more than that of the equivalent group in 8 other regions. 日本は最も豊かな貧者の国で、他の貧困国の少なくとも7倍の所得があるそうだ。 ちなみにこの分類では、最貧国としてアフリカがあがっていて、より貧困という言葉になじむ。 このように相対的貧困という言葉は、かなりあやしげな言葉で、少なくとも日本のように「相対的貧困層が世界からみれば超リッチな国」では、貧困のモノサシとしても使えない。 普通に考えれば分かることだ。 私達が生活に困るのは、他人よりも所得が低いからではまったくない。 自分にとって必要なモノを買うのに所得が満たないから困るのだ。 生活に必要なモノはなにか? それはいくらで買えるのか? そこから導かれる必要な所得を下回っていれば貧困、という絶対的貧困の考え方こそが日本のような国にはなじむ。
2016/12/07
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要するに差別を解消するために、逆に相手を差別をしようという発想だから、差別解消どころか、差別推進の方向に進んでいること。
2016/10/31
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クアラルーン(コーラン)第9章فإذا انسلخ الأشهر الحرم فاقتلوا المشركين حيث وجدتموهم وخذوهم واحصروهم واقعدوا لهم كل مرصد فإن تابوا وأقاموا الصلاة وآتوا الزكاة فخلوا سبيلهم إن الله غفور رحيم神聖な月が過ぎたならば、多神教徒を見付け次第殺し、またはこれを捕虜にし、拘禁し、また凡ての計略でこれを待ち伏せよ。だがかれらが梅悟して、礼拝の務めを守り、定めの喜捨をするならば、かれらのために道を開け。本当にアッラーは寛容にして慈悲深い方であられる。この一説は、預言者ムハンマドが迫害されたときにアッラーが授けたので、他教徒への積極的な加害を示すものではない(?)というよくわからない弁明もあるが、ISIL(いわゆるイスラム国)がテロの際に引用するなど、言葉のまま理解している派閥もあり、イスラム系テロリストの行動原理でもあるのは事実だ。仮にムハンマドが迫害されたのが事実にしても、他教徒への強い拒絶がみてとれる一節である。全てのイスラム教徒は多少の解釈の差はあれど、このコーランを唯一の経典としているし、この「多神教徒(仏教や神道も含まれる)を見つけしだい殺せ」の一節を否定しているイスラム教徒はいないことを肝に銘じておくべきだろう。最近はよく日本でも「イスラム教徒を差別してはいけない」「イスラム教徒が暮らしやすい社会を」などといわれ、それは悪くないのだが、日本人がイスラム教圏の国に行けば、まず徹底的な差別を受ける。それは、なにもイスラム教徒の性格に問題があるわけではない。イスラム教は他教徒(というかイスラム教徒でなければ全ての人を)を徹底的に攻撃するしくみになっているからだ。実際、コーランの中には「(悪いことを)他人にしてはいけない。ただし他教徒にはしていい。」というような教義が多い。これは主に仏教や儒教がベースにある日本人には分かりにくいが、イスラム教にせよ、キリスト教にせよ、一神教は基本的に他宗教を認めない。そして、イスラム教はその傾向が他の宗教にくらべ非常にに強い。同じ一神教でも、イスラム教はコーランに忠実であることを徹底的に求める特徴があり、例えばろくに教会通いをしない人や1年に1度も聖書を開かない人がほとんどのキリスト教のようなゆるさはない。イスラム教は原理主義的で徹底的に排他的で差別的な宗教であるといえる。イスラム教国では、他宗教は弾圧されるのが、逆にイスラム教徒が少数の国でイスラム教徒が迫害されると、他国に移住するが、けっしてその国の神を尊重することはない。日本にも埼玉県や群馬県にイスラム教徒が集団移住している街があるが、たとえばイスラム教徒の子どもがいる自治会や保育園のイベントで「クリスマス会」や「ハロウィーン」をやろうとしたら、イスラム教徒の親が猛烈に抗議してきて子どもを参加させない・・・のであればともかく、会の中止を求めるのである。なぜ、イスラム教の子どもを参加させないだけでなく、会の中止を求めるのか?別にイスラム教徒がわがままなわけではない。彼らはほとんど善人である。教義的にそうするしかないのだ。イスラム教は他教徒を廃絶する・・・尊重してはいけない教義になっているためで、イスラム教徒の人が意地悪なわけではない。彼らは彼らが唯一のよりどころとしているコーランにしたがっているに過ぎない。これらは、イスラム教徒が他国の文化を尊重することを許されておらず、けっして真の意味では他国と調和しないことを意味する。イスラム教は好戦的、攻撃的な宗教だ、という見方は間違っているとまでは言えないが、さほど正確でもない。イスラム教はきわめて排他的な宗教で、他宗教や異文化を認めず、廃絶するように信徒に要求するため、宿命的に争いを起こしやすいというのがより正しいだろう。イスラム教徒のほとんどは善良で、争いを好まず、親切だ。しかし、彼らのが唯一の拠り所とするコーランは彼らに我々異教徒との共生を許してはくれない。日本人は無宗教というより一種の多神教のような宗教観を持つ人が多い。「そうですか、あなた様の神様はすばらしいですねぇ。」という感じで、キリスト教も、イスラム教も、仏教も「いろんな立派な神様がいるのですね。」と受け入れてしまう。ハロウィン、クリスマス、神社に初詣、仏式の葬儀・・・これらを同じ人がすべてやってしまう。だから、一神教の、イスラム教の排他性が実感できない。イスラム教徒は我々日本人が他者の信仰を「内心の自由だから」と尊重するような態度を、彼らはコーランに許されていないのだ。我々がイスラム教徒と共生できないにしても、平和的に共存するには、文化の境界線(国境)をしっかり引き、その境界を越えない限りは互いに攻撃しないという政治的な約束を守るしかない。平和は異なる文化が存在することを認める態度の上にしか存在し得ないのは、歴史が証明している。移民問題の本質 ~なぜ、移民政策は不幸な結果に終わるのか~つまり、イスラム教そのものが危険であるという以上に、イスラム教の本質的排他性を理解せずに関わるのが危険なのである。イスラム教徒を尊重する態度とは、その教義の本質的な部分を理解し、彼らの文化を認め、彼らには我々の文化を認めてもらい、互いに侵害しないという約束をするという、ごく当然のシンプルなものだ。大事なことなので繰り返す。イスラム教は、コーランは、無宗教、仏教、神道、儒教、キリスト教、ユダヤ教、いずれのイスラム教以外の宗教もその教徒も認めない。あなたが親切で善人だからといって、あなたがイスラム教徒でないことを許さない。そのことをしっかり認めたうえで、彼らと仲良くする方法を考えるべきだ。
2016/10/30
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NHKの営業が見ただけで帰るステッカーを作ろうと思って、ネットでステッカーのデザイン案を探していたら、そのものズバリかつ想像以上のものがあった。しかも無料で配布されていた。NHKの勧誘は、しょせん、外部委託された業者にすぎないので、面倒ごとは嫌う傾向がある。(そのため、全世帯の3割から料金を徴収できていない。)このシールを無料配布しているのは、元NHK職員で現・船橋市市議の立花孝志氏の政党・NHKから国民を守る党。立花孝志 氏立花氏はあのNHKワンセグ訴訟を起こした人物でもある。NHK撃退シールが欲しい人は、住所、氏名を明記してメールを送付すれば1週間程度で届くらしい。http://nhkkara.jp/seal.html
2016/09/14
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朝日新聞 1993年 雑誌クレア 1997年の記事「二重国籍ではない」「17歳で台湾国籍を抜いた」のウソから始まり(国籍を抜く手続きは台湾では20歳以上から)、「確認に時間がかかりそうなので、台湾国籍を抜く手続きを改めて行った」として、手続きの不備ということで二重国籍問題の幕引きを図ろうとした民進党・蓮舫氏だが、ここにきて全てのウソがひっくり返る証拠が発見された。しかし、私がここで書きたいのは、二重国籍の問題点や、蓮舫氏の一連の証言が明らかに経歴詐称に当たることや、蓮舫氏がこの問題を差別問題にすりかえようとしたことではない。言うまでもなく、他人を責めるときは強気で、自分が責められたら、とたんにウソをついたり、話をすりかえようとする人間は、社会では信用されない。他人に「説明せよ!」と迫る人間は、自らが説明できる人間でなくてはならない。彼女が本物かどうかが試されている、一連の騒動ではあるが、ウソ、すり替え、など残念な対応が目立ち、とても事業仕分けや国会での舌戦をやってきた人とは思えず、どうやら彼女は信用できる政治家たりえない・・・という結論になりそうだ。
2016/09/09
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NHKがニュース番組で紹介した女子高校生に、ネット上で批判が殺到した。NHKは「貧困女子高生」と報じたが「生活に余裕がある」「捏造」という内容だ。これに対し、ネット上の批判を「バッシング(いわれのない非難)」とし、抗議する人々もいる。実際、共産党系の団体「エキタス」が、貧困叩き反対デモを行った。はっきり言って、これらの抗議は、問題を深刻化させるだけで、この女子高生を保護することになっていない。なぜなら、擁護の方向性が間違っているからだ。この議論の流れを見ると、批判されているポイントに対し、擁護しようとする側のポイントずらし(論点ずらし)が酷い。↑だれもそんなことは言っていない。見えない敵と戦っているのなら統合失調症を疑ったほうがいい。今回、批判されているポイントは主に2点だ。(1)自称・貧困女子高生はパソコンが買えないことを訴えつつ、実際にはパソコンが容易に買える散財をしていた。(2)NHKは貧困報道をねつ造した。擁護派は、この2点を明確に否定することができないため、盛んに論点をずらして反論を試みる。しかし、「ポイントが違う」とバッサリ斬られ、それに対してさらに熱くなり、今度は「おまえは人情がない」といったように相手の人格を否定する。すると、人格を否定されたことに相手も熱くなり、この問題の議論がヒートアップする。そのように見える。自称・貧困女子高生は本当にパソコンが買えなかったのか?しかし、実は、(1)については、批判する側、擁護する側ともに、争いがない。女子高生の過去のツイッターから、その散財額が明らかにされ、分かっているだけで2~3万円が、観劇や外食などの不要不急の出費である。ちなみに、私は2,3年前にサブ機として中古で1.3万円で買ったノートPCを持っている。Core2duo、RAM4GB、HDD120GB、DVD-ROM、OSはVISTA、オフィスインストール済み。仕事で使う分には十分なスペックだ。こんなパソコン、彼女が1万円のライブと、3回の映画鑑賞を我慢すれば、なんの問題もなく買えた。それは、議論の余地がない「事実」だ。中古ノートパソコン 中古パソコン【Windows7】店長おすすめノートパソコン [Celeron 1.6GHz以上]【新品マウス付】【中古ノートパソコン】【中古】10年前ならいざ知らず、いまやパソコンは高額な商品ではなくなった。新品でも5万円だし、中古なら実用的なスペックで1万円程度からある。この女子高生はスマホとしてi-phoneを使っているのがツイッターで分かっているが、i-phoneよりは確実に安い。ちなみに、私はi-phoneが欲しいが、高いのでAndoroidで我慢している。この指摘をされた擁護側は「貧乏人はプチ贅沢すら許されないのか!」と脊髄反射のように反論するのがテンプレだが、論点ずらしもはなはだしい。ポイントは「女子高生が言った『パソコンが買えない』はウソである」という1点に尽きているのであり、これは反論の余地がない。以下はまとめサイトから抜粋した女子高生の5~8月の出費状況。女子高生が公開しているツイッターより。金額は一部推定。ランチ代等は金額不明のため除く。5月1日 観劇 7800円5月5日 アニメイベント 3000円5月8日 映画鑑賞 2000円5月18日 映画鑑賞 1400円6月19日 映画鑑賞 1400円7月4日 アニメグッズ購入 3000円7月13日 映画鑑賞 1400円7月23日 アニメ映画鑑賞1回目 1400円7月25日 アニメ映画鑑賞2回目 1400円7月26日 アニメ映画鑑賞3回目 2700円7月31日 アニメ映画鑑賞4回目 1400円8月11日 テレビ局イベント 2000円 アニメグッズ購入 5000円8月14日 アニメ映画鑑賞 5回目 1400円+上記に要する交通費10,000円以上⇒5~8月の趣味に関する出費・・・45,000円以上。たったの3ヶ月で4万円を超える出費を「趣味」に投じられる高校生が、日本にどれだけいるだろうか?彼女はこの出費の1/3だけでも趣味ではなく夢に投じられなかったのだろうか?いずれにしても彼女は「貧困でパソコンが買えない」のではなく、「パソコンを買うよりも、趣味に散財することを選んでいただけ」が事実で、買えないのではなく、買わないのである。絶対的貧困とか、相対的貧困とか、そういう用語が用いられる次元の話では決してない。さすがに擁護側の中にも「これらの散財をしなかった場合でも、彼女がパソコンを買う余裕はなかった」といった勇猛な反論は見たことがない。パソコンの実情価格ぐらいは知っているのだろう。NHKは貧困報道をねつ造したのか?(2)については、片山さつき議員の質問にNHKが回答している。要するに「われわれとしては、彼女が貧困を自称するから取り上げただけで、実際に貧困かどうかは確認していない」という内容だ。女子高生が貧困と認識できたかどうかには触れなかったが、ねつ造の意思は否定したようだ。ただ、NHK側の問題についてはこの報道を担当した戸田有紀記者に疑念の目が向けられている。戸田有紀記者は「子ども貧困対策センター設立準備会」の賛同者で、同会のメンバーである。要するに同会は子どもの貧困が盛り上がれば盛り上がるほど、自治体から助成金がつきやすくなるため、戸田有紀記者が自称・貧困女子高生をことさらドラマチックに取り上げたのではないかという疑念だ。このポイントは非常に重要で、もし、巷のうわさどおり、戸田記者が助成金増になんらかの期待をもって、彼女を不適切と知りながら取り上げたとしたら、それは、昭和の「エセ同和」の構造と酷似してくる。今回の件について、世間の反応が非常に強いのは、「エセ」の臭気を敏感に嗅ぎ取ったからではないか。少なくとも、私はそうだ。真の弱者救済を妨げるのはいつも「似非(えせ)」本件については、明らかに面白がって女子高生に悪質な暴言を吐く輩もいる。しかし、大体はまっとうな批判である。どうして世論が本件にこれほど厳しいのか?それは、女子高生が弱者だからではない。まったく逆だ。ネットの情報から、自称・貧困女子高生が偽装弱者、つまりエセだと分かったからだ。自称・貧困女子高生にせよ、NHKにせよ、批判側のポイントはひとことで言うと「ウソはいけない」という一点につきる。擁護側の中には「実際に貧困の子どももいるのだから、ウソもあり」という暴言を吐く輩もいる。とんでもないことだ。部落問題、同和問題の歴史からも分かるように、世の中から差別をなくす邪魔をしてきたのは、いつの時代もエセである。弱者を装い、ゆすり、たかり、差別そのものがなくなると困るので、世間vs弱者の構造をあおる輩だ。そうした、エセの存在を知っているから、世間はエセを憎んでいる。ウソの貧困と事実と異なる貧困報道を憎んでいる。この女子高生について言えば「私はパソコンが買えないほど貧困だ」と自らの口で主張したにもかかわらず、少なくとも「パソコンが買えない」の部分についてはウソであることが判明したから世間は怒っているのであって、決してこの女子高生が富裕層だとか、貧困層は我慢しろと言っているわけでもない。自称・貧困女子高生は相対的貧困層なのか?擁護側では女子高生を弁護する際に「相対的貧困」という言葉を使いたがる人も多い。・絶対的貧困・・・収入がほぼなく、非常な生活苦に陥っている。・相対的貧困・・・多少の収入はあるが、他の家庭よりも少なく、平均的な生活はおくれない。要するに相対的貧困とは「他人よりもお金がなくて困っている」という概念なので、分かりにくい。日本では年収125万円以下が相対的貧困層に分類されているようだ。しかし、この女子高生の世帯の収入が分かる情報ソースはない。(プライバシーの問題があるので当然だ)なので、この女子高生を「年収125万円以下の相対的貧困層」と定義して弁護するのは無理がある。少なくとも、この女子高生のツイッターで判明している散財が、年収125万円の世帯では極めて困難であろうことが、常識的に推測される程度だ。親から子に連鎖するのは、貧困ではなく、知性この女子高生は顔をさらけ出して、貧困を考えるフォーラムで発言し、NHKの取材に応じている。もちろん、そのことが、ウソをついていい免罪符には一切ならない。しかし、私はこの自称・貧困女子高生が世の中をだまそうとする悪意はなかったかもしれないと思っている。もしかして、この女子高生は、本当に自分が貧困で、かわいそうで、社会は自分のような人を助けるべきだと信じていたのではないだろうか。ほかの高校生も、自分と同じように、同じ映画を5回も見て、1万円のライブ行き、月1ペースで1800円のランチを食べて。それでも皆、10万円のパソコンを買えていて、不公平だと憤慨していたのではないだろうか?金融広報中央委員会「知るぽると」の調査によると、高校生の平均的なお小遣いは5000円だそうだ。少なくとも、お小遣いの点で、彼女は「相対的貧困」でもなんでもない。ほかの高校生が当たり前にやっている「●●を我慢して、○○を手に入れる」という概念がないだけだ。その結果「散財したから、必要なものが買えないで困っている」という当たり前の事態に陥った。そこまではまだいいが、それを「貧困」と自称したから、世間から「それは違う」と非難されたのではないか。これは、彼女の生来の気性も多少はあるかもしれないが、親からの消費行動が遺伝した可能性が高い。学問は学校の影響もあるが、教師が買い物につきあうわけもないので、子どもは消費行動だけは完全に『親から学ぶ』。彼女を思うと、過去記事・月収15万円で家賃1万3千円でも「貧困を苦に娘殺害」いったいなぜ?を思い出す。「母子家庭の子供だから、と世間から思われないよう娘に持ち物や服などを買い与えることを優先させた」「世間体で娘の持ち物や服を買ったら、支出が収入を上回るようになった」といった理由で、家賃を滞納し続けた母親が、ついに公営住宅の立ち退きを命じられ、立ち退きの当日に娘を殺害したという、身勝手極まりない事件だ。私はそこで書いた。物事の優先順位がつけられず、お金を管理できず、生活に必要なものをわからず、世間体を気にして見栄を張り、節約ができず、我慢ができず、執拗にうらみ、自己中心的で、衝動的に行動する。 ・・・これを昔から日本では平たく「バカ」といっていた。一連の騒動で、親の影は実はあまり見えていないのだが、適切な消費行動を学ぶ機会がなかったのではないだろうか。スラム街の子どもほどの極端な貧困ならば、貧困そのものがリスクだ。しかし、日本において、公立高校が無償化され、さらに公立大学に行けば授業料全額免除が受けられ、絶対的貧困層でも、学業において少なくとも著しい不利を受けることはなくなった現在、子どもを貧困の連鎖に引きずり込むのは、財産のなさではなく、知性のなさだと確信している。実際に、私の近しい人も、そうした貧しい出自であっても、公立大学を全額免除で卒業し、専門職として同世代以上の収入を得ている。ただ、彼の場合、貧困に陥ったのは子どものころの父親の事業の失敗であり、父親は公立大学の卒業者で、母親は高卒ではあったが、文学を好む知的な人であったという点で、両親から高い知性を引き継いでいた。連鎖するのは貧困ではなく、知性という結論は、非常に残酷である。貧困であれば、社会のせい、他人のせいにもする余地があるが、知性はほぼ親の責任に帰結する。しかし、子どもを不幸にしないためには、子どもの貧困に相関性がより高いのが親の収入なのか、知性・・たとえばIQやEQなのかははっきりさせておいたほうが良い。その因子によって対策がガラリと変わってくるからである。ちなみに、TVによく出ている脳科学者の澤口博士は高次知能『IQg』が貧困と負の相関があることが米国などでの研究で報告されているとしていて、私は納得できる仮説だと思っている。だが、、、もうやめてやれこの女子高生は、いま、何を思うのだろう。「あんなこと言わなければよかった」と自分の浅慮を恥じているだろうか?「みんな分かってくれない」と世を恨んでいるだろうか?前者なら、これから彼女は、世の中と正しく向き合い、散財を控えるだろう。よいことだ。後者でも、彼女はせいぜい現状のままだ。大して世間に害はない。だから、言いたい。もう、やめてやろう。許してあげて欲しいとは言わない。理由はどうあれ、ウソをついたことはよくないことだ。しかし、本当は反省していても、この状況で、彼女が「ごめんなさい」とあやまることはできそうもないだろう。「パソコンが買えない、はウソである」「NHKは事実と異なる印象を与えようとした」といった指摘はもともだ。このような指摘をするべきではない、とはいはない。それは言論の自由を損なうことだし、TVという公共の電波でなされたことに、公共の批判が行われることは健全だ。それはあくまで「批判」である。過剰やいわれなき非難をさす「バッシング」ではない。しかし、指摘したら「もう、やっちゃだめだよ」といって終わりにしてあげよう。大人なんだから。もし、「いや、それはウソではない」とか「おまえは心の狭い奴だ」などと、擁護派が議論を吹っかけてきたときにだけ応じればいい。女子高生に静かに自省の機会を与えたいのなら、擁護派こそ、冷静になるべきだ。少なくとも「パソコンが買えないほど貧しい」は誰の目にも明らかに否定されるのだから、そこを争っても反論されるだけで、その反論にあなたたちはまた熱くなっている。その熱さが、この問題を鎮静化から遠ざけることに気づかないといけない。やさしい貴方が、この問題を鎮静化させ『女子高生の保護』を第一の目標にするのであれば、論点をずらし、無理筋の反論を述べたり(それは確実に相手の怒りを買う)、デモを行ったりするのではなく(女子高生は『デモなんか本当にやめて!』と思っているのでは?)、相手を諭そう。「確かに彼女はウソをついたかもしれない。だけどそれは指摘した。それを悪いことだと諭したら、それ以上はやめよう。相手は子どもなのだから。」と。ただし、NHKの、特に戸田記者の関与部分については、全ての経緯が判明するまで、追求をやめてはいけないだろう。エセを使おうとした疑いがある。エセが痛めつけるのは他でもない、本当の弱者なのだ。そうだとすると決して許されることではない。
2016/08/29
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健康保険料や厚生年金などの社会保険料が決まる4〜6月の給与。等級が1つでも違えば月額で2,000〜3,000円、年額で2〜4万円の違いが出るので「3〜5月はなるべく残業するな」と先輩から言われた会社員も少なくないだろう。さらに、今年度からは公務員の大半も標準月額報酬制に移行したため、等級ギリギリで収まるように残業を付けていた人も多いはずだ。しかし、6月は児童手当が振り込まれる時期。児童手当は4ヶ月分がまとめて振り込まれるため、1才と3才の子供がいる会社員は12万円が一気に振り込まれる。標準月額報酬では通勤手当でも資格手当でも「手当」と名の付くものはすべて報酬に含まれる・・と一般に理解されているが「児童手当」も報酬に含まれることになるのだろうか?もし含まれるとしたら、標準月額報酬の等級が跳ね上がってしまうのでは!?答えはNO。報酬に含まれる手当とは"労働に関連して"支払われる手当のこと。児童手当は国の児童養護施策として国民に支払われる手当なので、報酬には含まれない。極端に言えば両親が無職でも児童手当は支払われることからも、それが分かるだろう。敬老の日 父の日 名入れ ギフト クッション オリジナル 子ども 思い出 写真入り メッセージ入り 旦那 夫 プレゼント 父 義父価格:4980円(税込、送料別) (2016/7/20時点)
2016/06/18
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○たとえば、こんなあなたたとえば「ちびくろサンボ」が廃刊になったことが納得いかないあなた。「女性専用○○」があって「男性専用○○」がないことに疑問を感じるあなた。セクハラなど「○○ハラスメント」が受け手の被害意識だけで成立する・・という定義に、あやうさを感じるあなた。性的少数者(LGBT)の一部の主張に首をかしげるあなた。なにかというと「○○差別だ!」「○○蔑視だ!」などと差別をふりかざす人々にうんざりしているあなた。残忍な殺人犯や性犯罪者が、被害者の尊厳ををとことんまで踏みにじったのに、犯人の尊厳は手厚く扱われていることに不条理や怒りを感じるあなた。殺されて死んでしまった人は「すでに存在していないので、もう、人権はない」という法理論が理解はできても、納得してはいけないと心に誓うあなた。今の差別議論は「なにかがおかしい」と気づいているが、なにがおかしいか分からず、モヤモヤしているあなた。なぜ、世の中にはびこる「差別」という言葉に対する違和感がぬぐえないのか。○笑止千万「子どもの人権」そんなあなたに、不世出の天才、故・小室直樹の言葉を送りたい。人権と民主主義はワンセットで切っても切れない関係にある。だから、人権が理解できていなければ、民主主義も理解できていないことになる。つい先日も少年法改正をめぐる問題で、大新聞がさかんに「少年の人権を守れ」などいった論説を掲げていました。日本のマスコミは何かにつけて「人権、人権」と騒ぎ立てるのに、人権とはなにかという基礎知識すら持っていない。そもそも人権というのは、万人に平等に与えられるもの。人間でありさえすれば、誰にでも無条件で与えられるというのが人権の概念です。しかるに、「少年の人権」とは誤用もはなはだしい。子どもにだけ認められ、大人には認められない権利があるとしたら、それは子どもの「人権」とは言いません。それは、子どもの「特権」です。だから、少年法の問題にしても、「少年に特権を与えよ」という論説を書くべきなのです。(小室直樹「痛快!憲法学」p77より抜粋)○差別とは「不当な扱い」のこと男性と女性。白人と黒人。健常者と身障者。なにかが違っても同じ人間だ。だから同じ人権を持っている。強い者が困っている者を助ける姿は美しい。男性が女性の力仕事を代わり、健常者が身障者の車椅子を押す。だが、弱い者が弱さを武器にし、振りかざして、相手を威圧する光景は醜悪だ。「差別だ!」「配慮がたりない!」「人権侵害だ!」誰かが、誰かを制限したり、傷つけようとする光景は、誰がやろうと反吐が出る。なぜか?それは、あなたが正しい人権感覚を持っているからだ。人は平等であるべきと信じ、差別を憎んでいるからだ。差別の定義をざっくり言えば「特定の社会カテゴリ(性別や人種、出身地、身体特徴)であることを理由に、不当な扱いをすること」である。ポイントは「不当な」という点で、「正当な」扱いは容認される。体力仕事だから体力テストをすると、採用されたのは男性ばかり、というのは正当だ。だが、女性であるという理由だけで、応募すらさせないのは差別・・ということになる。○ちびくろサンボはインド人?絵本「ちびくろサンボ」はスウェーデン人の女性が、インド人の少年をモデルに、現地でよくある「サンボ」という名前をつけた作品だ。これがアメリカに渡り、絵の褐色のインド人が黒人になったようだ。そして、日本に輸入されて、長く愛された。この間、インド人からも黒人からも出版社に抗議はなかった。しかし、日本の堺市にある小さなローカル人権団体が90年代に突如クレームをつけ始めた。「サンボは黒人奴隷という意味がある」といった具合で。この団体は、当時のカルピスのマーク、手塚治虫のジャングル大帝など、手当たり次第クレームをつけていた団体らしい。この抗議に対し、出版社はちびくろサンボを廃刊にし、図書館は絵本を閲覧できないようにした。当時、インターネットはまだ普及していなかったが、これには全国で様々な反響や議論があったらしい。ちびくろサンボが、黒人への差別や偏見を助長するとはどうしても思えなかったからである。(助長したとすればせいぜい親近感だろう)○リトル・イエロー・エタこれに対し、ある識者が「たとえば、アメリカで『リトル・イエロー・エタ』という童話があったらどうか。日本人は拒絶反応を示すだろう」と言ったそうだ。※エタとは江戸時代の「えた、ひにん」の身分のこと。なるほど。リトル・イエロー・エタとはよく考えた。しかし、作者が「エタというのは、私の近所に住んでいる愛らしい男の子の名前から取ったのですよ。」と説明したらどうだろう。そして、その男の子が実在したら。実際、欧米でETA(イータとかイタ)という名前が存在する。それでも、あなたは「日本人への偏見を助長する!」と抗議するか。それとも「ああ、そういう意味でしたか」と笑うか。これは人権感覚の問題だ。作家の創造行為の産物である、絵本の廃刊を求めたり、改変を求めたりするのは相手の権利を制限する行為だ。正当な理由なく、相手の権利を制限してはいけない・・・というのが、小室直樹のいう正しい人権感覚だろう。○不幸だったら、他人を責めてもよいか不妊症で悩む女性は、公園で楽しそうに遊ぶ母子を見て、深く傷つくだろう。しかし、だからといって誰も「不妊症の女性に配慮するため、母子連れは公園で遊ぶべきではない」と言ったりしない。その母子には、公園で遊ぶ権利がある。母子連れだから来るな、と言うのは不当そのものだと理解しているから、言わない。だが、不妊症の支援団体は言うかもしれない。「母子連れは幸せだから、ある程度制限を受けてもしかたない」と。そう、「○○だから、制限を受けるべき。」・・・これは、差別だ。ふしぎなことに、○○に入るのが「女性、身障者、部落出身」などとなると、人々はこの言葉に烈火のごとく怒るのに、○○が「お金持ち、健常者、エリート」などとなると、あまり怒らない。小室直樹が言うとおり、人権の概念が分かっていないのだろう。強者も弱者も平等。強者が弱者を腕力や権力で虐げてはいけない。同じく、弱者も強者を世論誘導や印象操作で圧迫してはいけない。強者がしようと、弱者がしようと、誰かが誰かを不当な理由で制限しようとする試みは人権侵害だ。○「差別だ!」に気をつけろ私たちは、いつも他人の存在に傷ついている。優秀な人、強い人、健康な人、明るい人、誠実な人、若い人、美しい人・・・。彼らはただ生活しているだけで、私を傷つける意図はない。私は権利を主張するとともに、相手の権利に敬意を払うべきだろう。だから「頼むから、視界から消えてくれ」という悪意ある言葉を今日も飲み込む。「差別だ!」という言葉は告発というより、「制限されろ!」という悪意の呪いとして使われる。だから、誰かに「差別だ!」というとき、それは本当に不当か、悪意があるか、実害があるかを慎重に考えなければならない。「差別だ!」と主張する人に安易に同意してはいけない。もしかすると、無辜の誰かを差別する行為になりうるから。人権の概念が分かっていない人が多いから、差別は乱発され、先進国ほど差別という得体の知れない化け物を恐れ、迷走する。繰り返す。「○○だから、制限を受けてよい」という思想が差別である。【チタン タンブラー】【送料無料】【プレミアムライト】 保温 保冷 おしゃれ 二重 名入れ カップ プレゼント 金婚式 ビアカップ ビールグラス 270ml【還暦祝い 退職祝い 結婚祝い 誕生日 プレゼント 古希 喜寿 内祝い 贈り物 】【楽ギフ_包装】 【楽ギフ_のし】価格:6890円(税込、送料別) (2016/7/20時点)
2016/05/08
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共産党、民進党、日弁連、SIELDs...いわゆるサヨク的な人々の思考回路には特徴がある。「転嫁」である。罪や責任を他人になすりつけ、自己保身と権利拡大を図ることである。転嫁というと小難しければ「甘えと逃げ」と言い換えてもいい。これを理解すると、サヨクの思考回路が分かりやすい。彼らは9条改正や集団的自衛権を拒否する。戦争ができるようになるからだという。普通の感覚では抑止力を高めて、攻撃を受けないように…戦争をしなくて済むようにしていることが理解できる。だが、これだけ中国の脅威が具体的になっているのに、サヨクは「9条を改正したら日本が戦争を仕掛け、自分たちが死ぬ」と恐れる。一方で、サヨクは「どうやって、中国から攻撃されないようにするか?」については、まったく具体案がない。中国に攻められたら国際世論に訴えよとか、尖閣を放棄せよとか、とにかく対話をとか、酒を酌み交わそうとか。中国という現実から逃げ、なんとかなると甘えている。抑止力がなければ戦争になる。しかし、サヨクは「そんな想定はどうでもいい。とにかく9条改正も集団的自衛権もダメだ」と言い放つ。決して国防に関わろうとしない。国防の責任を「誰か」に転嫁し、その人が国を守ろうとすると激しく非難する。彼らは原発に反対する。安全でないから…ではない。リスクゼロでないからだ。彼らは「この基準を満たしたら原発を認める」とは考えない。「リスクゼロでない原発は、どのように厳格な基準を満たそうと決して認めない」と決心しているのだ。リスクゼロの物事が存在しないことは誰でも理解している。「リスク」という言葉は必ず「リターン(報酬)」とセットで、リスクを取るからには必ずリターンがある。原発のリターンとは何か。ひと言で言うと「雇用の安定」である。電気代が石油や為替、日照時間といった変動が激しい要素に左右されない。企業は電気代の上下に備えて、人件費を調整しなくてよくなる。すると、正規社員の比率を高めたり、賃金アップしたりできる。反原発は雇用を奪う。しかし、サヨクは「雇用のことは国や企業が考えろ。とにかく原発はダメだ」と言い放つ。決して雇用のことは省みない。雇用問題の責任を「誰か」に転嫁し、その人が雇用を守ろうと原発を動かそうすると怒り狂う。彼らはサービスという概念がとにかく大好きだ。○○無償化とか、○○福祉とか、○○補助、○○救済とか。普通の人は国や自治体がサービスを大盤振る舞いすることに、感謝よりも恐怖を覚える。「財源はどうするのだ・・・」と。お金が発生しないサービスなどない。サービスは誰かが必ず負担している。その負担者とは納税者であり、特に高額納税者だ。サービスあふれて国滅ぶ、では話にならない。しかし、サヨクは「税収のことはなんとかしろ。とにかくサービスだ」と言い放つ。決して財源のことは省みない。財源がなければサービスは維持できない。サービス維持を「誰か」に転嫁し、その人がサービスを維持しようとすると、非人道的だとデモをはじめる。サヨクが日本の平和、雇用の安定、財政健全化に立ちはだかり、社会を不安定にする方向にばかり働く姿は「日本が日本人が憎いのか?」と疑ってしまう。確かにサヨクがそういう反日勢力と結びついている側面はあるだろう。しかし、本質的にサヨクは「それはなんとかなる、誰かがなんとかしてくれる。」と甘い考えで逃げ、責任を誰かに転嫁しているだけで、さほどの対日憎悪はないのだと思う。個人的には、戦後、国防という国の最大の責任をアメリカに転嫁したことが、こういった気分を育む土壌になったのではないかと考えている。しかし、物事への甘えや逃げは子供の時は許されても、社会の一員として大人になってからは認められない。要するにサヨクとは大人になりきれない子供なのだ。これは、サヨクが未来の予見能力に乏しいことからも裏付けられる。ヒトは何年も先のことを考えて行動できるが、他の動物、霊長類で最も予見能力の高いゴリラですら2日先のことを考えるのがせいぜいという。集団的自衛権の議論の時、SIELDsの面々は「9条」「戦争」とは言ったが「中国の脅威」とは言わなかった。彼らの予見は「徴兵」という先進国が放棄した有用とはいえない制度だった。たぶん、このまま中国との事態が進行すればどうなるか、を考えても分からなかったのだろう。予見能力は脳の健全な発育とともに発達する能力・・・大人の能力だ。原発を止めたら、無秩序に社会福祉を増大させたら、どうなるかを予見できず、事の重大さに気づくことができないのも、サヨクが大人になれない子供だからだろう。サヨクは原因から未来を予想できず、長いスパンで物事を考えるのが苦手だ。目先に走り、近視的な思考に終始する。結果、未来の子供たちのため、という観点は少なく、自分たちが、自分たちは・・・という観点に落ち着く。小林よしのりのように、高齢者が左傾化しがちなのは同じ原理だ。余命が短くなる、予見能力を含む思考力が低下する。すると、思考が長期スパンに立脚しなくなり、自己中心的で意固地になる。こうして高齢者サヨクが誕生する。だから、サヨクに「現実を見ろ!」と叱責するのは意味がない。サヨクは現実逃避をしているのではなく、現実を見た上でアレなのだ。25歳のとき左翼にならない人には心がない。35歳になってもまだ左翼のままの人には頭がない。(ウィンストン・チャーチル)お名前シール&アイロンAセット★送料無料・収納に便利なミニクリアファイルプレゼント★/お名前シール/ネームシール/名前シール/耐水/入園/入学/大容量/算数セット/保育園/幼稚園/532P16Jul16価格:1000円(税込、送料無料) (2016/7/20時点)
2016/04/03
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韓国の団体がこうも明確に「強制労働」をねつ造したこと、それに浅はかにもユネスコ委員が踊らされたことは、英語ほかあらゆる言語で周知しなければならない。証拠をねつ造するということは、証拠がないことの証明だからだ。ユネスコ強制労働ねつ造事件を、各国の主要新聞紙に告知したい。そのエネルギーと能力のある方は(産経でもよい)、ぜひクラウドファンディングしてほしい。必ず募金する。「ユネスコは韓国にだまされた」などというタイトルはいかがだろうか?韓国の民間団体が作成し、ユネスコ委員に配布した資料(右)の写真は、大正15年9月9日付「旭川新聞」(左)に掲載されたものと同一。記事は北海道の道路工事現場で働く日本人労働者が、一滴の水も与えられずに酷使された事件を報じたもので、時代も異なり、朝鮮半島出身者とはまったく関係がなかった。世界遺産登録、韓国民間団体が捏造資料で日本の登録を妨害 日本人写真「強制連行」として悪用(産経新聞 2016/4/3)【大容量1kg】訳ありクッキー 無選別 高級ホテル・有名百貨店採用!価格:2000円(税込、送料無料) (2016/7/20時点)
2016/04/03
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法句経(ほっくぎょう)=釈迦語録より1. 嘘つきは他人を責めてごまかす252 他人の過失は見やすいけれど、自己の過失は見がたい。ひとは他人の過失を籾殻のように吹き散らす。しかし自分の過失は、隠してしまう。狡猾な賭博師が不利な骰(さい)の目をかくしてしまうように。2. 他人を責める者は永遠に苦しむ。253 他人の過失を探し求め、つねに怒りたける人は、煩悩の汚れが増大する。かれは煩悩の汚れの消滅から遠く隔っている。http://seijyaku.fc2web.com/hou.htm【中古】 新しい生き方 法句経に学ぶ /大谷徹奘(著者) 【中古】afb新発売!【プリント無料】【送料無料】オリジナルマグカップ 世界にひとつだけ 文字入れ 昇華転写プリント ギフト 名入れ 名入り 誕生日 プレゼント コップ 陶器 オーダーメイド お子様の絵 ラッピング 敬老の日 子供 おじいちゃん おばあちゃん メッセージ 10P09Jul16価格:2980円(税込、送料無料) (2016/7/20時点)
2016/03/27
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・・と言われても仕方あるまい。舛添都知事が、都内の一等地を「保育園を!」の待機児童を抱える親たちの悲痛な声を切り捨て、舛添訪韓時に朴大統領から要請があった「都内一等地の韓国人学校」のために韓国へ貸し出す。しかし、「保育園落ちた。日本しね」匿名コメントの(自称)保育園落ちた人も、国会であれほど安倍政権を追及していた旧・民主党(→現・民進党)の都議勢もブログ、SNSではこの問題にだんまり。民主系議員はなんで「舛添知事の暴挙だ!」「完全に優先順位を間違っている!」と言わずにスルーしてるの?韓国が絡むとだんまり。民主系のセンセイ!あまりに分かりやすすぎるだろう!ちょっとは正体隠そうよ!待機児童の問題は、この東京の例のように本質は地方自治体の問題だ。首長のこのような判断を改めてゆく事が待機児童解消の本丸である。だが、これで、民主系議員が待機児童に本当は関心がないのが理性的な国民には分かっただろう。http://www.zakzak.co.jp/society/domestic/news/20160325/dms1603251140007-n1.htm舛添要一知事率いる東京都に批判が殺到している。待機児童問題の深刻さが指摘されるなか、韓国人学校を増設するため、東京・新宿にある都有地を韓国政府に貸し出す方針を発表したからだ。メールなどで約2500件もの意見が寄せられ、大半が「保育所の整備に利用すべきだ」という切実な苦情だという。舛添氏は「なんでもかんでも保育園のニーズ、ニーズ。都有地を国際親善に使うことが問題なのか」と述べた。 親善に使うのが問題じゃなくて、「待機児童なんとかして、働けない!」という都民の逼迫したニーズの保育園を「作らない」のが問題なの! 舛添サン、話を誤魔化せていませんよ?さて、これついて、感想を求められた、あの(自称)保育園落ちた人は・・保育園落ちた人@hoikuenochita ・嫌韓の感情と保育園を結びつけるのはやめて下さい。・差別的感情を満たす為の材料として保育園や待機児童を絡めないで下さい。 いや、韓国とか差別は関係なくて、保育園ニーズがある場所が、少なくとも保育園よりはニーズの無い韓国人学校(隣接校は定員割れ)にされるって事でしょ?なんで差別の話してるの?あくまて優先順位の話でしょ?話そらしたいの?あなた、私(日本)に向かって「死ね」とまで言ったんだよ?こんどは「保育園落ちた。韓国に貸すためなら、まぁしかたない」って言うの??どこのなに人だよ?今回、東京の韓国人学校の件での、「(自称)保育園落ちた人」のコメント、それから民主系議員の反応。 それを総合的に考えれば、「保育園落ちた。日本しね」の騒動の本質は分かりやすすぎるほど分かってしまう。しかし、これからでも遅くない!民主系都議の先生方。都の「待機児童放置して韓国学校問題」で、舛添知事に安倍首相の時より激しい追求をすれば、都民も「あれ?もしかして民主系は待機児童問題に本気かも?」と思ってもらえるかもしれませんよ。さてさて、この問題で本当に心配なのは、(自称)保育園落ちた人や舛添知事や民主系の議員が公平公正でない、という日常風景ではなく、「韓国」がからむとふつうの市民も構えてしまう、遠慮してしまう、きちんとした議論や意見が封じらられてしまうことだろう。 韓国との親善を真に望むなら、忌憚ない意見はお互い言い合おう。新発売!【プリント無料】【送料無料】オリジナルマグカップ 世界にひとつだけ 文字入れ 昇華転写プリント ギフト 名入れ 名入り 誕生日 プレゼント コップ 陶器 オーダーメイド お子様の絵 ラッピング 敬老の日 子供 おじいちゃん おばあちゃん メッセージ 10P09Jul16価格:2980円(税込、送料無料) (2016/7/20時点)
2016/03/26
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あまり見ることのないBSを見ていたら「ワカコ酒セカンドシーズン」が放送されていた。見ていてびっくり。武田梨奈が主演だ。酒好きのOLがただ楽しそうに酒を飲み、おいしい食べ物を食べるというグルメものドラマ。武田梨奈は特に良い食べっぷりというわけでも、酒豪っぷりというわけでもない。ただ、お酒と食事を楽しむ。ほんとうにおいしそうに食べる。見ていてニヤニヤしてしまう。一緒に食事をしている娘が、目の前でこんなにおいしそうに食べていたら嬉しいだろう。武田梨奈は「空手美少女」としてデビューしたころから気にしていた。以前に2回、書いた。ハイキックガール、KGのあの武田梨奈。可愛さで20%勝って、映画で200%負けた ~ジージャー「チョコレート・ファイター」と武田梨奈「ハイキック・ガール」飛松陽菜と武田梨奈のW空手美少女が主演 「KG~Karate Girl」 ハイキックガールが2009年。あれから7年が経った。武田梨奈は少し前、セゾンカードのCMで突然瓦を割る美女として注目され、朝の情報番組で瓦を割っているのを見た。それ以前も映画や舞台で着々と「普通の女優」としてもがんばっているのは知っていた。木屋町ダルマという映画で借金苦から風俗嬢になるメンヘラ少女の役をやると聞いて、キャリアアップしてるなと思った。だが、昨年見た「進撃の巨人(実写版)」でリルという格闘女性(原作のアニとハンナとクリスタをまぜた様な設定の女性)の役で、また武田梨奈は格闘していた。進撃の巨人を見た私は武田梨奈はこのまま「終わる」のだと思っていた。以前、美人レスラーで女優を目指していた桜花由美が言った言葉がある。「アクション女優は主演女優になれない」主演女優の前には「アクションもの以外で」とついているのだろう。確かに、少なくとも日本では志保美悦子を除いて大成したアクション女優は知らない。志保美悦子にしても、キャリアの最後まで刑事役などアクション女優としての枠からは抜けきらなかったようだ。しかし、今、武田梨奈がやっている26歳OLは、運動嫌いで平凡で酒と食べ物が好きなほんとうに普通の女性だ。これはとんでもないことだ。なぜなら、アクション女優としての武田梨奈は他の女優とは完全に格が違う「本物」だからだ。空前絶後の逸材といって過言ではない。アクション出身の女優に水野美紀がいる。水野美紀は「普通の女優」としては大成した方だといえるが、そのバックグラウンドの少林寺拳法の技量はといえば、少なくとも本格的アクションで1本の映画が撮れるレベルではない。武田梨奈はアクション女優として優れすぎているがゆえに「普通の女優」にはなれない。そう思ったのだ。あながち的外れでもないだろう。なにかのインパクトが強すぎると、それは先入観となり、偏見となり、観るものにフィルターをかけてしまう。そうした意味で、悪いがハイキックガールやKGや少女は異世界で戦ったやハイキックエンジェルが興行的に成功しなかったのは武田梨奈にとって僥倖だったかもしれない。ただ、セゾンカードでの注目は決してあなどれない。「誰も知らないアクション女優が、心機一転、普通の女優やってみました」では決してないのも事実だ。さて、ワカコ酒。武田梨奈の演技はうまい方ではないのだと思う。食事と酒を前にしたワクワクを語るナレーションもまだ改善の余地がありそうだ。が、武田梨奈を使ったのは正解だ。武田梨奈の「普通さ」が光る。武田梨奈が美人すぎないのが実にいいのだ。これを、各事務所がプッシュしたい若手女優だとどうだろう。武井咲だったら、剛力彩芽だったら、桐谷美玲だったら?・・・顔がうるさい。美人女優の鑑賞ドラマになってしまう。武田梨奈はうるさすぎない。クラスをさがせば2、3人はいそうな、合コンにきたらちょっと嬉しい、そんな絶妙なレベルで安心して酒と料理に集中できる。それから、笑うと三日月の形になる目もいい。おいしい料理を食べて、三日月の目になった武田梨奈を見ると、ほんとうに美味しいのだろうな、と思う。(実際、美味しいのだろう)料理を出されるとき「ありがとうございます」と丁寧にお礼するのもいい。いやみがない。役のかんじがしない。礼儀がもともとできている人だからだろうか。アクション要素を取り除いた武田梨奈のよさは、この普通さだ。他の女優は美人すぎて「普通のOLです」と設定されても、どうにもしらじらしくなってしまう。武田梨奈は違う。なんというか、郵便局で働いていそうな、農協で働いていそうな、そんな感じの普通さがいい。普通のOLをやらせるなら、これほどうってつけの女優もいない。逆に言えば、そうした美貌だけでプッシュされたわけではなかろう状況で、この役を射止めることができたのも、アクションをやったおかげなのだが、武田梨奈にはこれからも「空手」「アクション」のフィルターはかかっていくだろう。だから、それを払拭するためには他人の何倍も努力しなければならない・・・とは私は思わない。いまは、普通さを武器にすればいいのだ。この路線を行けばいい。平凡な女優、並みの女優、華のない女優は掃いて捨てるほどいるのだろう。だが、「普通の役をして違和感のない女優」というのはなかなか見かけない。武田梨奈はそうなれる気がする。個人的にはもうひとつ。三輪ひとみ、麻生久美子の後継者になってほしい。三輪ひとみ、麻生久美子といえば「不幸な女」「幸薄い女」。武田梨奈の容姿はこの二人に通じるなにかを感じる。さらに言えば、この二人はそれでも華というかオーラというかなにかしらのうるささがあった。武田梨奈はそのうるささを持たない点において、この2人を超えるかもしれない。もう24歳になった武田梨奈。そろそろアラサーの演技も見据えてキャリアを積まなければならない。その普通さ。「普通のOLの役です」と紹介して「どこが普通だよ!」と突っ込まれないのが武田梨奈の強みだ。もう、素質といってもいい。あと、最後に、武田梨奈を美人枠に押し込もうとがんばってメイクするのは絶対にダメだ。よさが消える。ワカコ酒は面白いので、これから毎週録画することにした。武田梨奈だから見たいではなく、面白いから見たいドラマを武田梨奈がやっていることがうれしい。新発売!【プリント無料】【送料無料】オリジナルマグカップ 世界にひとつだけ 文字入れ 昇華転写プリント ギフト 名入れ 名入り 誕生日 プレゼント コップ 陶器 オーダーメイド お子様の絵 ラッピング 敬老の日 子供 おじいちゃん おばあちゃん メッセージ 10P09Jul16価格:2980円(税込、送料無料) (2016/7/20時点)
2016/02/21
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Amazonの紹介日常の何気なくも引っ掛かる瞬間を、遠慮無用で斬る! 異色のサムライ女子高生ショート、ついに待望の単行本化!このマンガがなぜ「つまらない」といわれるのか?作者の今井さんの見解↓違うよ。だれかの「言ってやったぜ」という態度は、言ったことの中身のなさに反比例して不快でしょう。そういうこと。お名前シール&アイロンAセット★送料無料・収納に便利なミニクリアファイルプレゼント★/お名前シール/ネームシール/名前シール/耐水/入園/入学/大容量/算数セット/保育園/幼稚園/532P16Jul16価格:1000円(税込、送料無料) (2016/7/20時点)敬老の日 父の日 名入れ ギフト クッション オリジナル 子ども 思い出 写真入り メッセージ入り 旦那 夫 プレゼント 父 義父価格:4980円(税込、送料別) (2016/7/20時点)
2016/02/18
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放送法第4条1項には1.公安や善良な風俗を害してはならない2.政治的に公平に3.事実はねじ曲げない4.対立する意見は多角的にと書いてある。これに対し、28.2.12朝日新聞朝刊の「放送と人権委員会」の委員。放送法第4条1項を法規範とみると表現の自由に即抵触する。~宮川委員~こうした条文を根拠に政府が法的制裁を加えるとなると憲法違反だ。~長谷部委員~あのね、その憲法に「自由はいいけど、公共の福祉に反したらダメ」と書いているんです。第12条 【自由、権利の保持の責任とその濫用の禁止】 この憲法が国民に保障する自由及び権利は、国民の不断の努力によつて、 これを保持しなければならない。 又、国民は、これを濫用してはならないのであつて、 常に公共の福祉のためにこれを利用する責任を負ふ。ね?たとえば、暴力と偏見を垂れ流すISILのお抱えメディア「アルハヤト(後藤さんらの処刑映像を制作)」みたいな放送局でも規制しないのですか?公共の福祉に反する放送局でもやめさせるな!というのは「憲法違反」ですね。万一、放送で事実の過ちがあっても、その放送機関が自律的に改善すればよい~今井委員~今井さん、それアルハヤトに言ってみましょう!もう、正直に「好きなだけ偏向させろ!公共の福祉なんかクソくらえ!」って言えばいいじゃない?言論の自由は保証しますから。(公共の福祉の範囲で)この日の朝日新聞を精読したが「放送法を破るのは法違反だ」という方向の論説は一行もなし。つまりは、朝日新聞に多角的なモノの見方は無理ということだし、多角的なモノの見方を育みたいという人が読むような新聞ではないのだろう。敬老の日 父の日 名入れ ギフト クッション オリジナル 子ども 思い出 写真入り メッセージ入り 旦那 夫 プレゼント 父 義父価格:4980円(税込、送料別) (2016/7/20時点)
2016/02/13
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韓国が主張するいわゆる従軍慰安婦は、性奴隷となった韓国女性を日本兵が過酷に犯しまくったというもので、自称慰安婦の証言以外になんら根拠がないという私達の祖父らに対する深刻な冤罪であり、誹謗であり、名誉毀損だ。韓国の若者は自分たちが信じたい慰安婦物語と少しでも違う説明をされると顔を真っ赤にして「慰安婦おばあさんを侮辱するな!」と怒鳴るが、日本人も慰安婦のウソには「私のおじいさんを性犯罪者呼ばわりするな!ウソつきめ!」と怒鳴ったほうがよい。韓国が世界に慰安婦の作り話を広めることに成功したのは、大きな声でもっともらしくアピールしたから。日本人も「ウソはバレてるぞ!よくもじい様達を犯罪者に仕立てあげてくれたな!!」と常に怒ることだ。でっち上げた韓国、真実を知って怒り狂う日本。この構図が世界の人びとの感覚に訴えやすい。分かりやすくなければいけない。「じいちゃんの名誉のために」だ。敬老の日 父の日 名入れ ギフト クッション オリジナル 子ども 思い出 写真入り メッセージ入り 旦那 夫 プレゼント 父 義父価格:4980円(税込、送料別) (2016/7/20時点)
2016/01/11
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自分と「異なる」ことを「悪いこと」として排除しようとするのが根本的な差別の原理である。 だから、自分と異なる見解や意見を持つ人に対して(言論で反論しようとするのではなく)「それはレイシズム(差別)だ!」と主張するのはともかく、あらゆる圧力をかけて排除しようとする人は心配だ。 自分たちこそが差別文化の本質を助長しているという自覚がないのが気になる。ワンセグTV AMラジオ FMラジオ AM FM ラジオ 3.0型 テレビ ワンセグ ポータブル【楽天スーパーセール限定特価】ワンセグTV搭載3.0型液晶 AM/FMラジオ KAIHOU KH-TVR300【中古】2980円
2016/01/06
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あるブログで同性愛の当事者が「自然界には同性愛がある。だから人間の同性愛も認められる」と話していた。これはおかしい。他の動物のシステムと人間のそれは異なる。動物の同性愛は「愛」というより、繁殖本能の解消策だったり(もてないオス同士のなぐさめあい)、コミュニケーションだったり(群れの中での処世術)で、人間のいうところの愛とは異なる。それに「他の動物でもある」は一見もっともらしいが、たとえばカマキリが後尾の後に共食いするから、人間で同じことがあっても自然というようなもので、そもそも前提になりえない。リチャード・ドーキンスの利己的な遺伝子の発表後、学者だけでなく、一般の人も「生物の究極目標は自己のDNAを残すこと」と理解してきた。同性愛の最大の急所はまさにここで、生物の根元に反していると理解されていることだろう。だからこそ、同性愛者のその人は「自然だ」と強調したい衝動に駆られたのではないか。それは分かる。しかし、自然でないことと「悪い」ことを混同してはいけない。ひるがえって、自然でない自分を正当化したいがために、正しいことを悪く言うような態度もよくない。たしかに、同性愛者は異性に関心がないし、そのことでDNAを残さないだろう。生命体として「不自然」だろう。だが、そのことと、少なくとも今のこの国の価値観として「悪い」こととは関係がない。いうまでもなく、不妊も、身体障害も(当事者にとって苦痛であっても)悪くはない。不自然は悪ではない。悪は自然ではなく、文化が規定するものだから。そこを区別しない議論は不毛だ。同性愛を犯罪視する文化はこの国にはない。ただ現行社会(=文化)が同性愛者の存在をほぼ想定していない中で、同性愛者の立場に理解を求める行為は、すなわち文化への干渉にほかならないのも事実だ。文化とは反復継続によって培われたもので、同性愛を社会の正常な一部と認識してもらおうと努力しようとする人は、多くの人の文化、心に干渉している自覚があるべきだろう。【大容量1kg】訳ありクッキー 無選別 高級ホテル・有名百貨店採用!価格:2000円(税込、送料無料) (2016/7/20時点)
2015/11/29
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国会前でH27.8.30安保反対デモ。シールズは35万人と発表も、公式では12万人、警察発表は3万人。35万人が本当なら、バラバラと空を飛んでいたあの報道各社のヘリは長淵剛10万人ライブの3倍半の人間の波をどうして撮影できなかったのだろう???12万人ぐらいなら過去の写真でも全景が撮れているのになぜか一部を切り取ったような写真しか報道各社も出していない。シールズの人たちが一生懸命やっているのはわかる。だが、彼らがやっているのは「はんたぁ~い!」の合唱だけで、一般の人々を納得させるための「啓発」ではないのだとそろそろ気づくべきだ。なんだかアブなそうな人たちが、大声でなにか叫んでいる。一般人はそう思っている。以下、シールズのがんばりが明後日の方向に行ってしまっている結果が良く分かる典型的な問答集。シールズ「9条で平和!9条!」一般人「9条がなくなると侵略されるんじゃない?」常識人「いや、9条があっても自衛隊と安保がなかったから竹島が占領されたし、日本人も殺された」一般人「そうだったの!?」常識人「自分が戦力を放棄したら、相手も放棄してくれるなんて考えているのは世界中で日本だけだよ」一般人「やっぱりそうだよね・・・」シールズ「安倍の戦争法案はんたーい!」一般人「戦争法案なの?」常識人「いや、戦争を仕掛けられないようにする法案」一般人「なんだ、そうなんだ」常識人「よく考えたら、なんで戦争する法案作るかも分からないでしょ?」一般人「実は、そこのところが不思議で仕方なかったけど、やっぱ違うんだね」シールズ「安倍は徴兵するな!徴兵はんたーい!」一般人「え、徴兵するの?」常識人「いや、しない。徴兵しても役に立たないし、まともな先進国ではしてる国がない」一般人「なんだ、そうなんだ」シールズ「安倍は勝手に(憲法解釈を)変えるな!」一般人「首相が勝手に変えたの?」常識人「いや、昔の内閣法制局が出した解釈を、同じ内閣法制局が変えただけだよ」一般人「なんだ、そうなんだ」シールズ「平和!平和!平和!」一般人「彼ら、よく平和って言うね」常識人「平和を願えば平和が来るという考え方を『念仏平和主義』って言うんだって」一般人「普通に考えればなにかしら努力はしなくちゃね」常識人「その平和のために努力するという考え方が『積極的平和主義』だね」一般人「あっ、積極的平和主義ってそういうことなんだ」シールズ「安倍やめろ~!やめろ~!」一般人「なんで辞めろって言ってるの?」常識人「嫌いなんじゃない?」一般人「そうなんだろうね・・・」常識人「シールズの彼らが信用できないなら、その逆をやってる人は正しいってことだよ」一般人「まぁ、そういうことになるね」シールズ「はんた~い!やめろ~!へいうゎ~!」一般人「なんだか彼ら、言っていることがよく分からないね」常識人「自分がなにをしてるのかも分かってないのだろうね」一般人「そうだろうね」常識人「でもさ、若い時って後で考えたら顔から火がふきでるような恥もさらすもんじゃない」一般人「そうそう!」常識人「まぁ、人に迷惑かけなければデモも間違いもアリだよね」一般人「うん。大人になって気づけばいいよね」叫ぶのと伝えるのは違う。自分たちの主張に本当に賛同者を増やし、国民の危機意識を高め、真の35万人を動員できることを目指すべきだ。口先でウソ御託をならべてもむなしくなるだけだろうし、ますます人心が離れるのでやめておいたほうがいい。
2015/08/30
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たまたま読んだ現代ビジネスの記事「貧しさゆえに娘を殺したシングルマザーの慟哭〜銚子市・女子殺害事件の真相」 2014年9月、千葉県銚子市の県営住宅で家賃を2年間滞納していた母子家庭の母親が、立ち退きの日に中学生の娘を絞殺したという痛ましい事件。現代ビジネスの記事ではがんばっていた親子を行政が強制退去しようとしたことや、生活保護を積極的に受給させなかったことに非があるという「行政批判」の内容だった。 しかし、私は現代ビジネスの記事をみて不審に思った。 「県営住宅の家賃って収入に応じて『払えるように』設定されるんだぞ? それを何年も滞納するって???」 現代ビジネスという雑誌自体に信憑性がないし、よく偏向記事を書くので(あの週刊現代の兄弟誌だし)、このあたりがぼかして書かれているのは印象操作に不都合だからだと確信した。 そこで、当時の記事を検索したところ、やはりあった・・・ 銚子市の県営住宅で9月、中学2年松谷可純(かすみ)さん(13)が死亡しているのが見つかった事件で、殺人容疑で逮捕された母親、美花容疑者(43)が県警の調べに対し、家賃滞納の理由を「母子家庭の子供だから、と世間から思われないよう娘に持ち物や服などを買い与えることを優先させた」と説明していることがわかった。 美花容疑者の毎月の収入は、パート代と前夫からの仕送り、児童扶養手当などで月15万円前後あったが、12年7月から1万2800円の家賃を滞納し始めた。 調べに対し美花容疑者は、家計について「世間体で娘の持ち物や服を買ったら、支出が収入を 上回るようになった」と話している。 現代ビジネスによると月収は12万円というが、実際には15万円だったらしい。貧しいのには違いがないが、現代ビジネスがいう「極貧」とは到底いえない。 それに、公営住宅は「収入に応じて払えるように家賃を決める」ので、収入が15万円で家賃が1万円台ということは、まず2年間も滞納する理由がないといっていい。 アルバイトで月18万円ぐらいの収入で5万円の家賃をしっかり払って、13万円で生活している母子家庭は山ほどある。 これでは、現代ビジネスが主張するように生活保護を申請したとしてもまず通らなかっただろう。 現代ビジネスがこのことを知らなかったはずもない。シングルマザーという弱者を作り上げ、行政という強者をたたくという演出をしたかっただけだろう。 さて、この母親が15万円の収入がありながら「世間体で」破綻していったのはなぜだろう? 現代ビジネスの記事の中でも「娘が華やかな服を着ている、しかもそれが毎回変わるので近所の人が驚いていた」という内容の記述がある。 明らかに生活の優先順位が間違っている 家賃といえば、衣食住の住で、食の次、衣よりも優先させることだ。 そして、強制退去は簡単に(15万円の収入のうちから2万円を割り当てるだけで)回避できたのに、それをせず、裁判によると「突発的に」娘を殺している。 公営住宅は民間の住宅と違って入居者保護が優先され強制退去させにくい。私が知っている範囲では生活保護受給者が犬猫を数頭飼い、家賃も滞納している状態で強制退去できない事例がある。犬猫は規約違反だし、家賃滞納もしているが、細々と家賃を支払っているので強制退去は難しいという。 だから、公営住宅で強制退去にいたるにはよほど悪質な滞納「払う意思がない」というレベルの滞納であるはずだ。この事例で言えば毎月家賃と滞納分を合わせて2万円程度を払えば強制退去は逃れられたと断言できる。 なのに、この母親は行政からたびたびの指導を受けても応じず、強制退去のその日までわずか1万円台の家賃を満足に払わず、娘に服を買い与えたのだろう。そして、その娘を殺した。もはやわけが分からない。 そして、強制退去の日に娘を殺害したという状況も気になる。芝居がかっているのだ。 殺害に使ったのは数日前の体育祭で使ったハチマキ。強制執行の担当者が家に入ったところ死体になった娘の頭をなでる母親の前にはテレビで体育祭のビデオが流れていたという。 凶器になったハチマキを使った体育祭のビデオがこの修羅場で流れているのは異様だ。これは演出で裁判所の担当者に見せ付けるつもりだったではないか。 だとするとお門違いで執拗な恨みがみられる。死体役で登場させるために本当に殺された娘はたまったものではない。 供述によると、娘を殺した後、自殺するつもりだったというが、警察の調べでは母親が自殺をする準備をしていた形跡はなかった。 これだけの状況証拠がそろえば、この事件の印象はガラリと変わる。 現代ビジネスは「貧しさゆえに娘を殺したシングルマザーの慟哭」と題しているが、貧しさが悪いのでも、社会が悪いのでも、シングルマザーが悪いのでも決してない。 家賃滞納にいたったのも、娘を殺害したのも母親の個人的理由に起因している。「おろかさゆえに娘を殺した身勝手な母親の慟哭」あたりが妥当だ。 物事の優先順位がつけられず、お金を管理できず、生活に必要なものをわからず、世間体を気にして見栄を張り、節約ができず、我慢ができず、執拗にうらみ、自己中心的で、衝動的に行動する。 ・・・これを昔から日本では平たく「バカ」といっていた。 いまではこういう傾向が脳の器質的にあることを「発達障害」ということもある。この母親にそういった診断がついていたかは知らないが。 仮にこの母親が発達障害だったとして、脳の器質障害を批判してはいけないが、こういったメンタリティや人格を憎んではいけないということではない。 私はこのタイプの「バカ」を心から憎み、忌避している。 なくなった中学生の娘は、母親思いで、明るく人気者、部活に打ち込み、体育祭でも応援団長をしていた。将来の夢はモデルだった。実際に可愛かったらしい。 殺害された当日は「母親が具合が悪いから看病する」として学校を休んだ。 遺体はうつぶせになっているところを、後ろから絞殺されていた。遺体の顔は赤黒く腫れ上がり遺体には4箇所の損傷があった。相当に苦しく怖かっただろう。 未来ある無辜の女の子が、大バカでメンタリティのいかれた母親に殺された。 なのに母親はマスコミから有力議員から女性人権団体から弁護され、お涙頂戴の論調に、懲役は求刑のわずか半分の7年になった。 7年。たった7年。 この子の命の重さはそんなものか?この凶行はそんなに当然か?この子を襲った理不尽はその程度のものか? 他人のことなのに、この子が不憫で、悔しくて仕方がない。 なぜ、母親が自ら貧困の悪化をまねき、そのことにはまるで罪のない子供を殺したのだとはっきり断罪しないのだろう? 恐るべき凶行で、理不尽極まりなく、大罪だと断言しないのだろう? なぜ、母親の明らかに異常な行動やメンタリティをうやむやにして「社会が悪い」のパターンにし、社会がよければ女の子は助かった、という論調に持って行きたがるのだろう? 私たちの心の奥底に「シングルマザー」「母子家庭」といった弱者バイアスがかかってはいないか?それがなんとなく批判してはいけない空気を漂わせていないか?ためらってはいないか? ためらってしまってはこの子があまりに可愛そうだ。 貧困が関係なかったわけでもない。行政にまったく非がなかったとはいわない。だが、他のシングルマザー世帯を見るに、この結末はどう寛大に考えても母親があまりに異常だ。 女の子の無念を思うなら、再発をおそれるなら、こういったバカの思考回路を徹底的に憎み、世の中から根絶するしかない。 具体的には、物事の優先順位をつけるトレーニング、感情のコントロール法、忍耐力の訓練といったことだ。これは普通の社会人に普通に要求される有意義なスキルでもある。メンタル面のコントロール力を向上させることはもちろん学校教育の一義的な対象分野ではないが、社会としてなにか取り組みはできないものだろうかと思う。 なんでもかんでも社会のせいにしたら、真の問題が見えないし、悲劇も繰り返されてしまう。 この母親のメンタリティはしっかり検証し、批判し、悪いことは悪いと言おう。無実の子が巻き込まれて殺されたのだから。たしかに「この母親が」殺したのだから。
2015/08/30
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町会長のための野良猫講座というホームページがある。「のらねこ学入門」のコンテンツでかなり読まれているらしく、冊子化もされている。内容はかなり分かりやすく丁寧で、多くの人から読まれているのもなるほどだ。ただ、この方は基本的に「猫が好き」の立場から猫の保護(具体的には地域猫活動)に話を持ってゆきたいようである。そのため文章に「エサやりを否定しないでください」という意図が見え隠れする。それ自体は個人のスタンスだからいいが、まっとう至極な文章の中に謎理論がさらりと織り交ぜられている。それもかなり重要な部分にである。わざとか、ただ単に知らなかっただけであろうか?特に気になった謎理論を以下に列挙する。謎理論(1) エサやり禁止すると捨て猫が増える!?【本文】6 「エサやり禁止」で野良猫はいなくなるのか? 「エサやり禁止」看板が掲示されると、野良猫被害で悩んでいた人の怒りは少しおさまるだろう。ところがそれでエサやりがなくなることはほとんどない。エサやりは見つからないように隠れて行われるようになるだけだ。住人は期待した分だけ怒りが増すかも知れない。 エサやりを取り締まる法律がないのだから、看板の効果はあまり期待できない。逆に「野良猫が集まる場所」ということを周囲にアピールしてしまうので、捨て猫がかえって増える副作用もある。「エサやり禁止」をすると野良猫が集まる場所というアピールになり、逆に捨て猫が増える?これは本当だろうか?統計はないはずなので、私の住んでいる街の公園を管理している公益法人に聞いたところ「効果がないことはたまにあるが、逆に増えるというのは経験がない」とのこと。実はその担当者も動物愛護団体や県庁の動物部署からも「逆に野良猫が増えるかも」と言われたことがあるが「もう10年以上あちこちで鳩や猫のエサやり禁止看板を出しているので杞憂」とばっさり。「でも、看板を見た人が子猫を捨てにくるのでは?」と聞くと「猫を捨てられるのは人気の少ない公園が多い」「よくエサやりが来るような公園は、鉢合わせたくないので避けるのではないか」とのこと。エサやり禁止看板は逆効果かは現場(公園)の職員が一番よく知っているので、自治体の公園管理部署や民間委託業者に聞くとよいだろう。謎理論(2) エサやり禁止で野良猫被害が増える!?【本文】7 エサがなくなると野良猫はどうなるのか? 毎日エサを運んでくるエサやりさんが来なくなったとしても、餓死する猫はいない。強い猫は隣町のエサ場へ移動していけるだろうが、弱い猫はゴミ袋を漁り、人家へ侵入して食べ物を泥棒するようになる。 小鳥や金魚を補食するのもいるだろう。動物は生きるためにはどんなことでもやる。ただおとなしく飢え死にを待つ猫などどこにもいないのだ。エサやり禁止は野良猫被害をさらに増やすかもしれない。エサやりをやめるとゴミ捨て場が荒らされ、逆に被害が増える?これは本当だろうか?実はこれ、エサやり人の自己弁護のときの常套句である。昔、私が住んでいた地域では、道端でネットがかぶせられていただけであったので、カラスにごみが荒らされ、とても困っていた。そこで、伸縮式の箱型集積所にしたところ、ごみ集積所の被害はパタリと止んだ。伸縮式ゴミステーション ゴミダス GP-05↑このタイプのごみ置き場に変えた。ゴミ捨て場の問題は、カラスや野良猫にエサをあげることによってではなく、ゴミ捨て場の管理によって解決すべきだろう。謎理論(3) エサやりを止めるのは隣町への迷惑行為!?【本文】8 隣町へ猫を追い払えばよいのか 「エサやり禁止」の発想はどこから来るのだろうか。エサがないと猫が煙のように消えてしまうわけではない。子供でも少し想像力を働かせてみればわかる。 野生動物ならば山へ帰ればいいのだろうが、野良猫には帰る場所はない。つまり隣町へでも移動してもらうか、餓死や病死でいなくなる事を期待しているわけだ。自分の地域だけがきれいになれば、隣町は迷惑しても良いという考えはいかがなものだろう。あまりにも利己主義で反社会的な思考ではないか。子供達にいったいどう説明できるのだろうか。エサやりを止めて、猫が隣町に引っ越したら迷惑がかかる。これは利己主義、反社会的だろうか?いや、単にこの方個人の価値観で、社会通念とは言いがたい。どれぐらいこの価値観が一般的でないかは「ゴミ捨て場をしっかりしたらカラスが隣町に行くから利己主義だ!」という非難の妥当性を考えると分かる。「その町に交番を増やしたら、犯罪者が隣町に行くではないか!反社会的だ!」でも良い。謎理論(4) エサが少なくなると子猫が増える!?【本文】9 死亡率が上がると繁殖力が高まる エサが減り栄養が悪くなると猫の寿命は縮まる。抵抗力が落ちて病気になりやすくなるからだ。病死する猫も確かに増えるだろう。 しかし動物は生存の危機感が強いほど、より繁殖し子孫を残そうと努力する。発情の回数はさらに増えて、それに伴うトラブルも増える。そしてたくさん産まれてたくさん死ぬということが毎年繰り返される。住人は子猫の死体処理を常にやり続けなければならなくなるだろう。ゴミが荒らされ、衛生状態の悪い不健康な猫が増え、町の不衛生なイメージは拡大する。エサが減ると、猫がさらに繁殖する?本当にそうだろうか?そんなわけはない。・・・と、思いながら、一応同窓の動物病院長に連絡してみると「そんなこと、あるわけない!」とやっぱり笑われた。まぁ、確かに数々の動物がエサの欠乏によって絶滅してきた事実に照らせば、これはよくあるエサやり人のトンデモ主張とすぐ分かる。医学的な説明を求めると、栄養というよりカロリーが問題で、カロリー欠乏では猫やネズミほど繁殖力の強い動物でも生殖能力が落ちてしまうそうだ。猫は一度でも交尾するとほぼ100%妊娠してしまう動物(交尾排卵動物という)なのだが、ごくまれにこの100%を外してしまう例外がまさに「カロリー欠乏」でオスの精子が減るか、メスが排卵しない状態になるか、または流産が起きるという。発情がなくなることすらあるらしい。どうやら「エサが減ると、妊娠しにくくなる」の方が医学的に事実のようだ。また、獣医師の彼が指摘するには「エサやりはオスとメスが出会うのが問題」とも言っていた。つまり、猫の繁殖期にオスとメスが一緒の場所でエサを食べていれば、交尾するなというほうが無理で、必ず交尾して子猫が生まれる・・・というのがエサやりをしてはいけない理由とのこと。エサやりをする、しない。どちらが「子猫の死体処理」に頭を悩ませる結果となるのかはお近くの動物病院に聞いてみればすぐ分かるだろう。【重要な事実も指摘している】一方、町会長のための野良猫講座はある重要な事実を指摘している。それは「エサやりを止めても野良猫は移動するだけで餓死しない」という事実だ。エサやりを止めたくない人が「死んでしまう!」とよく言うが、天性のハンターである猫が座して死を待つわけがない。虫、小動物、カエル、何でも捕まえて生きてゆくのが猫だ。【地域猫がダメというわけではない】この方は「エサやりを止めさせないで」と言いたいあまり、謎理論を書いているのだろうが、それはこの方の問題にすぎず、この方がお勧めする地域猫がダメだという話ではない。地域猫を簡単に言うと「野良猫を避妊去勢をして、エサやりをしながら寿命をまっとうさせ、自然に数が減るのを待つ」という方法である。心理的に抵抗が少なく、理論上は猫が確実に減っていくことになる。では、実際に効果はあるか?一例。ある地域で野良猫の問題から、地域猫をとりいれた。効果は確かにあった。ただ、、、長続きしなかった。その地域の場合、まずエサやり人がいて、いくら注意しても止めないので、動物愛護団体に連絡を取って、エサやり人を巻き込む形で地域猫が始まった。避妊去勢は進み、なかなか仕掛け檻にかからずつかまらなかった数匹が繁殖することはあったが、以前よりはずいぶんマシになった。しかし、手術費用の捻出が自治会で難しくなり、動物愛護団体が分裂でゴタゴタし、野良猫の捕獲や避妊が滞ると、たちまち猫は増え始めた。エサやり人がコンスタントにエサをあげ続けていたからである。子猫が立て続けに生まれ、元の数に戻るまで時間はかからなかった。猫の猛烈な繁殖力の前に、焼け石に水だったのかもしれない。そもそも、全部の猫を捕まえるというのがかなり難しい。少し頭のいい猫は、ほかの猫が仕掛け檻にかかっているのを見ると近寄らなくなるそうだ。前出の獣医師によると、全体の半分を避妊去勢して増減ゼロ。8割を避妊去勢してやっと数が減るそうだ。さらに謎理論「エサやり禁止をしたら捨て猫が増える」のまったく逆で、「あの地域では野良猫の世話をしてくれるらしい」といううわさを聞きつけて、捨て猫が増えるという副作用もあるらしい。結局、エサやり人の高齢女性が施設に入居すると、野良猫はまったく見かけなくなった。地域猫活動の効果は欧米でも議論されており、効果がない、効果を維持するのはきわめて難しい(というより、どうも否定的な意見のほうが多いらしい)というお話も他HPで見ている地域猫が魔法のようにすべての自治会を救うということはなさそうだが、エサやり人がなかなか意固地で、だったら懐柔して地域猫という折衷案、という程度の選択肢の一つとしてはいいのではないだろうか。ただ、それであっても、せめてエサやりの制限は絶対に必要だろう。追記:この記事を書いた後知ったのだが「のらねこ学入門」の著者は荒川さんという獣医さんらしい。「エサやり禁止で野良猫が増える」以外は主観にすぎず医学的な話ではないにしても・・・先生それはありませんよ・・・。
2015/07/29
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過去は過ぎ去りもう無い未来きたらずまだ無い【大槻ケンヂ・パティーサワディーの歌詞】過去は過ぎ去り、未来はまだ来ない。いまを生きよ。【映画「いまを生きる」】ああ、不安と後悔に殺される人のなんと多いことよ!災厄は彼を傷つけなかったのに。【ウォルトマン・劇作家】人間を不安にするものは物事そのものではない。物事に対する見解が人間を不安にさせる。 【エピクテトス・哲学者】【送料無料】★2015年が良い年になりますように★ 上海問屋オリジナルSDカード「福」モデル♪ 高速クラス10 日本製東芝カード採用 UHS-1:SDHCカード 32GB UHS-I SDHCカード 32GB クラス10 UHS-1対応 「福」モデル 上海問屋オリジナル 日本製 東芝カード採用
2015/07/29
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ある塾講師に「まじめにやってもできない子ってどんな子ですか?」と聞くと彼は「ノートがきれいな奴」と答えた。「なぜか?」と聞くと「絵を描いているみたいなもので、頭には入らない」と言った。
2015/07/29
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2015年7月。安保関連法案が自民公明の賛成多数により採決された。採決の場に民主、共産ら野党は採決をボイコットしていなかった。職場におかれた新聞を見て、同僚の女性(子持ち)が「安倍はとんでもないことをする。徴兵制が復活したら子供が心配だ」と言った。労働組合の主催するデモに参加しようと思っているとまで言った。徴兵制は復活しない。憲法の制約もさることながら、徴兵した促成栽培の兵士など、21世紀のハイテク兵器は扱えず、逆に大量破壊兵器のマトになるだけで、邪魔な存在でしかないからだ。事実、世界一戦火が好きなアメリカ(というより先進国のほとんど)は徴兵制を20世紀中にやめてしまっている。意外なことに・・・いや、当然だが、彼女はそのことを知らなかった。知らないのにデモに参加して「徴兵反対!子供を戦場に送るな!」とわけの分からないことを叫ぼうとしていた。彼女は「9条がなくなれば戦争が起こる」とも言った。戦後日本の平和を守ってきたのは憲法9条だと信じていた。「でも、9条はあったけど、日本は侵略されちゃったでしょう?」と聞くと「そんなことはない。いま中国は自重している。平和国家の日本を攻めて国際的に孤立するのが怖いからだ。」「でも、9条がなくなれば中国に侵略の口実を与える」と断言した。9条が好きな人によくある「国際批判が抑止力」だ。「いや、中国じゃない。日本の国土が侵略されて日本人が殺されたでしょう?何十人も。抑留されて連れていかれた人も3000人ぐらいいたでしょう?」と聞きなおすと、彼女はきょとんとしていた。竹島のことを知らないのだ。彼女のように「9条があったから平和が続いた」と信じ込んでいる人は、おしなべて竹島のことを知らない。韓国が不法占拠している小島・・・ぐらいの認識しかない。1952年、竹島は突如侵攻してきた韓国軍に占領され、近海で正当な漁をしていた日本人漁師たちは射殺され、拿捕された。日本人の生命・自由・財産・国土が奪われた。明確に「侵略」の定義に当てはまる。事実、当時の日弁連や朝日新聞は韓国に抗議している。日本弁護士連合会 人権委員会声明 1953年10月31に英韓国大統領は、これを封鎖して、平和的漁船を拿捕し、漁民を拉致し且つ刑事犯人として処罰するが如きは国際正義に悖る行為である。よって、本委員会は、正義と平和の名において、茲に韓国の反省と漁船、漁民の即時解放を求め、以って、相倚り相助け東亜の再建に貢献することを期待する。朝日新聞 天声人語 1963年9月28日李ライン海域で日本漁船がまた捕獲された。韓国警備艇の武装した隊員が乗り移り三十四人の日本人船員を連行している。同じ二十七日の朝、別の漁船も追われ 十人の船員は海に飛びこんで逃げ、船長は一時重体だったという。「『戦後日本は平和だった』という前提は完全に間違っている。」と告げると、彼女は黙り込んだ。一般的な戦争の概念で言えば、侵略されたのは小島だし、死傷者は少ない・・・という反論をするほど、彼女は破廉恥な人間ではない(どころか聡明で心の暖かい人である)。韓国による侵略をうけて、国土が奪われ、国民は殺された。学校の日本史では教えてくれなかったこの事実を、彼女は今日始めて知ったのだろう。沈うつな表情をしていた。「竹島侵略」の歴史が教えられないのは、9条原理主義者がはびこる学校教育の現場で、信徒たる歴史教師にとってこれほど都合の悪い事件はないからだ。年表にすれば、彼らが竹島を語れない理由は一目瞭然。--------------------------------------------1945年 終戦1947年 日本国憲法施行 憲法9条が発効1951年8月 韓国の竹島領有主張をラスク書簡でアメリカが「根拠なし」として却下。1951年9月 サンフランシスコ講和条約調印。1952年4月に日本の主権回復が決定。このとき韓国は「戦勝国」として参加させるよう要望したが合理性がないとして米英に却下された。1952年1月 韓国が(日本の主権回復が未遂のうちに)李承晩ライン(イ・スンマンライン)を宣言。日本海の半分と竹島などの領有を主張し竹島を占拠。日本人漁師ら44人を殺傷、3929人を抑留。1952年4月 日本が主権回復。連合軍の管理下から独立。7月、自衛隊発足。1960年 日米安全保障条約締結。1965年 日韓漁業協定により李承晩ライン消滅。日本人漁師への加害は止んだが、竹島は不法占拠されたまま現在に至る。--------------------------------------------つまり、竹島侵略は「自衛隊と日米安保がなく、9条はあった」時代に起こった。これと、当時の韓国軍とは比較にならないほどの強大な軍事力を持つ、ソ連(ロシア)、中国が、たびたび日本の領空、領海に侵入しつつ、彼女がいう「自重」を続けていることをあわせれば「戦後日本の平和」の正体は明らかだ。歴史は9条は日本の平和にはなんの役にも立たず、自衛隊と米軍の戦力こそが日本の平和を守ってきたと教えている。辻本清美(民主党)「安倍さんは歴史に謙虚ではない。」これを聞いて歴史に謙虚でないのは、辻本あなただ!と憤るだろうか?断言するが、辻本清美ほどの人間が、竹島侵略の顛末や「9条で平和」の虚構を理解していないわけがない。知っていながら、そのことについては決して国民に語らず、「9条で平和」を声高らかにアピールして護憲の旗手に納まっているのだ。9条を政具にし、大衆を煽るが、大衆の安全には関心がない。私は辻本清美のそういう下衆さが身の毛もよだつほど嫌いだ。たぶん9条が大好きな人は「戦争にまきこまれたくない」のだろう。だが、私も含め集団的自衛権を支持する人は「心の底から、本当に、もう戦争だけはまっぴらごめん」なのだ。真に平和を願うから、歴史を学び、考え、行動する。「へいわぁ~!」と叫んで、なんだかやった気分になっているお気楽さんたちがうらやましい。たとえ一晩でも真剣に戦争回避の方法を考えて、「ヘイウァ~」「9じょぅ~」と唱えれば安息がやってくると信じているのはどういう思考回路なのだろうか?私はそんなに気楽にはなれない。9条があっても(大して強くもない)韓国に一方的に侵略されたが、戦力をもったらソ連、中国にすら侵略されなかった歴史の事実を知っているから。よって「集団的自衛権を認めて(=同盟関係を強めて)、戦争にまきこまれない日本にしよう」という説明が理解できる人とそうでない人との違いは、1951年に日本が受けた侵略を知っているか否かにかかっているといっても過言ではないだろう。
2015/07/17
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たまたま見つけた木走日記というブログの「自民党の「報道圧力」に在京キー局が沈黙を守る理由(2014-12-01)」という記事が(いろんな意味で)面白い。自民党が報道各社に圧力を加える通達を出したと、ネットメディア「ノーボーダー(代表者は"あの"上杉隆氏)がスクープしたというのだ。[メディア]自民党の「報道圧力」に在京キー局が沈黙を守る理由~その本質部分の問題点を触れようとしない朝日社説 17:03Add Star ネットメディアである「ノーボーダー」が「【衝撃スクープ】安倍政権が在京キー局に報道圧力」と題してスクープしたのは26日でした。 2014年11月26日(水)【ノーボーダー編集部】 【衝撃スクープ】安倍政権が在京キー局に報道圧力 メディアは一切報じず http://no-border.co.jp/archives/29109/ 記事によればノーボーダー編集部は、自民党が萩生田光一筆頭副幹事長と報道局長の連名で在京テレビキー局各社に対して政権に不利な報道をしないよう要請する文書を入手したものであります。 そしてそこには4点について具体的な要望が箇条書きにされていたとのことです。 「選挙時期における報道の公平中立ならびに公正の確保についてのお願い」と題し、在京テレビキー局各社の編成局長と報道局長に宛てた文書によると、2009年の民主党政権誕生時に偏向報道があったとした上で、以下の4点について要望を出している。 1.出演者の発言回数や時間を公平にする 2.ゲスト出演者の選定についても中立公平を期すこと 3.テーマについても特定の出演者への意見が集中しないよう公正を期すこと 4.街角インタビューなどの映像で偏った意見にならないよう公正を期すこと 記事にも指摘があるとおり、この文書は11月20日付けとなっており、在京キー各局自身は「このような政治的圧力を加えられていながら、少なくとも6日間一切報じてい」ないわけです、現時点でも状況は同じです。記事を読んで可笑しさと哀しさが入り混じった感覚を持ちながら「あ、この人たちとは分かり合えないんだろうなぁ・・・」と思った。自分の顔が曲がっているのに、鏡を批判しても仕方あるまい。在京キー局がまともであったというだけだ。 もし、民主党が政権にあったとき、同じ内容の通達を出していたら、感動して比例区で投票してしまったかもしれないだろう。
2015/04/19
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自民党がテレビ朝日とNHKの幹部から事情を聞いた件を、特に左派メディアが問題視している。が、ツイッターなどを見ると「問題ない。当然」「国民は公共の電波でウソもデタラメも自由に流していいとは考えていない」「結局、安倍政権が気に入らないだけなんでしょう」などと、あっさり左派メディアの魂胆を看破しているようだ。このような声が多いのも、実際にテレ朝やNHKの番組を見て(問題はあるだろうが、リアルタイムではなく動画サイトで)、国民が「これはひどい」「さすがに度を超している」と思ったからだろう。実際、この件を批判する左派メディアもテレビ局側に問題があったことは認めている。「(社説)自民党と放送 「介入」は許されない」番組に確かに問題はあった。だからといって、権力が安易に「介入」と受け取られる行為に踏み込むことは許されない。2015.4.17 朝日新聞デジタル「権力と放送法 統治の具と成す不見識」 政治的に偏ったり、虚偽を放送しないよう、放送局側が自ら律することは当然だが、何が政治的公平か、真実は何かを判断することは難しい。にもかかわらず政治権力を持つ側が自らに批判的な放送内容を「偏っている」と攻撃することは後を絶たない。2015.4.16 東京新聞安倍政権嫌いで有名な朝日新聞や東京新聞の書き方は要するにこうである。「テレビ局側が悪いのは確かだ。だが、安倍政権は報道に口を出すな」「だが」「しかし」は逆説の接続詞である。逆説の接続詞は後段に筆者の強調したいことがくる。すると「テレビ局側が悪いのは確かだ(がそれはどうでもいい)。だが、(私がいいたいのは)安倍政権は報道に口を出すな」という内容であり、要するに朝日新聞や東京新聞は「安倍はだまって批判されろ」といいたいわけだ。左派メディアの何が不健全で人々を「うさんくさい」と思わせるかといえば、この逆説の多用だと思う。その最たるものが、朝日新聞の天声人語で伝統芸能と評される「だが、ちょっと待ってほしい」だろう。「だが、ちょっと待ってほしい」もはやネタ化して、普通の人までSNSやメールに使うネットの流行語だ。朝日新聞社説のワンパターン化は天声人語風メーカーのようなWEBアプリも生んでいる。前段に「確かに悪かった」と物事を多角的に解説した、両論を併記したというアリバイ文章を置いて、後段は常に日本や自民党政権のの批判である。決して「自民党の事情聴取はやりすぎだ。しかし、この件はテレビ局側の問題が大きい」とは書かない。それどころか。「自民党の事情聴取はやりすぎだ。一方、テレビ局側にも問題がある」とすらも書かない。左派メディアの多用する「だが」は、あまりに言い訳がましく、こっけいだ。そのことに自覚がない限り、左派メディアはネタにされつづけ、笑われながら、国民の心から離れてゆくのだろう。自民党が「報道ステーション」について「公平中立な」番組作りを要請した問題や、今回の聴取に対し「政治的圧力が報道を萎縮させる」といった指摘もある。果たしてそうか。この程度の「圧力」で、本当に報道は萎縮するのか。聴取に不当な言動があれば、それを堂々と報じればいい。2015.4.18 産経新聞「主張」同意だ。報道側には「これはまたとない機会だ。聴取されながら、不穏な発言がないかチェックしてやる」ぐらいの強さ、したたかさが欲しい。
2015/04/19
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ドラム式洗濯機で困るのは、排水管つまりが起きやすいことだ。ドラム式洗濯機は節水をうたっているだけに、使用水量が少なく、排水管を水流で洗い流す力も弱い。従来の縦型洗濯機で排水管詰まりが起こりにくいのは使用水量が多いためだ。つまり、よく節水して、洗浄力も強いという優れたドラム式洗濯機ほど排水管詰まりが置きやすいという宿命がある。日立のビッグドラムはまさにこれで、我が家のビッグドラムも排水詰まりを示す「C-2エラー」が頻発するようになった。しかし、本体重量80キロの巨体は動かせず、排水管を洗浄することができない。排水管のつまりの主な原因は石鹸カスで、べたべたの石鹸カスに糸くずや髪の毛がくっついて絡まることによる。つまり、石鹸カスを溶かせれば、糸くずはほどけて流れるので、多少の排水管つまりはメーカー修理を頼むことなく、自力で何とかできる。使ったもの。サンポール(200円ぐらい)サンポール 500ml:大日本除虫菊液体パイプクリーナー(300円ぐらい)強粘度 パイプクリーナー 800g:旭ケミカル(1)糸くずフィルターをはずす。(2)フィルターがはまっていた穴の奥に液体パイプクリーナーを1本分流し込む ※入りきらないなら入るだけの量で可(3)1~2時間放置(4)同じ穴にホースやコップで水を1~2リットル分流し込む(C-2エラーが出なくなっていたら、洗濯物を入れないカラ洗濯を1回する)(5)同じ穴にサンポール1本分を流し込む ※入りきらないなら入るだけの量で可(6)30分~60分放置(7)水1~2リットル分流し込む。※(4)と同じ容量。(C-2エラーが出なくなっていたら、槽洗濯コースを1回するのがベスト)パイプクリーナーやサンポールの標準放置時間の2倍ほど長く置くのがポイントだが、当然、自己責任で。さて、これでたいていのつまりは解消できる。多少の排水つまりなら液体パイプクリーナー(アルカリ性)だけでも何とかなるが、特に木綿の糸くずが多いとアルカリ液に強いので、酸性のサンポールを使わないとどうしようもない。しつこい汚れなら(1)~(7)を2回繰り返す。1回500円程度のコストでできるので、なにもエラーが出なくても予防的に3ヶ月に1回ぐらいはやるとよい。ただ、2回繰り返してもエラーが出るなら、ナイロンなど酸・アルカリに強い化学繊維のつまりや、別系統のつまりも考えられるので、電気屋さんに来てもらうしかないだろう。そうなると、修理代は5千円~3万円ぐらいらしいので、ドラム式洗濯機には5年以上の長期保障は必須ということだ。そもそも、この状態に陥らないのが一番いい。【ドラム式洗濯機で排水系のつまりを予防する心得】1.スピードコース、すすぎ1回コースは極力使わない。(大事!)・・・すすぎ水が少ないと、石鹸カスがたまりやすくなる。すすぎは2回以上で。2.洗濯物は容量の8割まで。(大事!)・・・排水スピードが極端に遅くなり、石鹸カスがたまりやすくなる。糸くずも一度に大量に出る。たとえば、洗濯容量6キロの洗濯機なら4キロまでというように。洗濯物の重さを見る目安として、最近のドラム式は投入する洗剤の量が示されるが、どの社でも0.8杯を越えないのが8割の目安。3.なるべく毛布は洗わない。・・・上記2と同じ理由。糸くずの量が半端ない。乾燥までするとえらいことに。もし毛布を洗濯・乾燥したら、その後は槽洗浄コースを必ず1回やるぐらいの用心が必要。4.月1回は槽洗浄コース。・・・水量が多く、排水管のつまりを押し流せる。洗濯槽クリーナーは排水系の石鹸カスもある程度分解するので使ったほうがよい。クリーナーは市販のものでもよいが、排水エラーがよく出る洗濯機では、メーカー純正品を。アルカリ成分の濃度が段違いに高く、石鹸カスの分解力が高いため。洗濯槽クリーナー (THKA)日立 洗濯槽クリーナー SK15.3ヶ月に1回はパイプクリーナー。・・・上記4だけでは分解できなかった排水管の石鹸カスにはやはりパイプクリーナー。粉末のものは投入しにくいので液体で。6.糸くずフィルターは毎回掃除する。・・・基本中の基本。フィルターにたまった糸くずは濡れてベタベタしていて「なんだかヘドロみたい」と嫌う向きもあるが、あれは洗濯してすすいだ糸くずなので、生物学的には無菌に近い衛生的な糸くず。予防的にこれだけやっていれば、電気屋さんのお世話になる確率はグッと減るわけだが、せっかく節水で節約した分が、クリーナー代や電気代で消し飛んでしまうのでは??という疑問を、パナソニックの町の電気屋をやっている親戚にメールで投げたところ。「ドラム式のメリットはボタンを押せば乾燥まで終わってることだから(笑)」という1行メールが返ってきた。・・・・なるほど。
2015/02/11
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先日、男女共同参画社会を題材とする講座を聞きに行った。講師やパネリストはとても豪華で著書があったり、テレビのコメンテーターだったり、大企業の代表者だったり、このテーマでは第一人者の方ばかりなのだろう。とても勉強になった。中でも男性の過度な社会負担を軽減するために、女性が負担を分担するという視点は斬新だった。ただ、講座を聴いた後は、男女共同参画社会の実現とはいったい何なのだろう、と暗たんたる気分なった。私がこの有名講師たちの話し全てに感じた違和感は、つまるところ彼らが「女性が輝く社会の実現」を語りながら、実は「男性に女性を輝かせてもらう社会の実現」を主張しているにすぎない点だった。○「男の子はぜんぜん使えない」以前、つきあいのあった、30代で大きな病院で看護師長をしていた女性がよく言っていた言葉だ。彼女は「男はナースに向かない」という持論をもっていた。彼女は採用面接にも参加しており、有能無能を見抜くのには定評があるという。その彼女によると、男性はなによりも「気づき」が悪いという。細かいこと、先回りして考えること、人への配慮ができないそうだ。なるほど、それは確かに看護師には大事すぎる素養だ。彼女は「もちろん、女の子でも気づきが悪い子はいるけど・・・」と前置きした上で「でも、男の子は総じてナースには向かない。高齢者の担当や看護とはあまり関係のない雑務の多い病院でなければ、特に男性看護師の需要はないのではないか」と分析していた。面白いのは、同様の意見を彼女とは勤務先も経歴もまったく違う別の看護師数人からも聞いたことだ。みな「男の子は使えない」という。もちろん、3,4人の意見が看護界の常識だなどとは思わない。だが、面白いのは彼女たちは、おしなべて男女の区別が当然だと考えていて、こういう話題になると、たとえば女性医師に向いている診療科はこれとか、男性医師が担当したほうがよい患者はこんな人とか、という話に発展する。そして、まるで口癖のように「女は~、男は~」と(自分たちが中性かのように)言うのだ。男女平等や女性の人権を唱える人々が聞いたら顔をしかめそうだ。しかし、彼女たちは現実問題として、男女の区別を合理的に判断しているようだ。○徹底して機会の平等を保障せよ。それだけでいい。この看護師たちの意見は不当だろうか?彼女たちの言っていることは、単なる私的統計上のデータから導かれた結論で、彼女たちなりの合理性があると思えないだろうか?少なくとも私はそう思う。「もし、看護師の採用枠が10人で、10人全員を男性か女性かしか選べないとしたら、私たちは迷わず女性を選ぶ、私たちと患者のために」といっているに過ぎない。この話題になると、よく「機会の平等」と「結果の平等」の議論になる。男女共同参画社会を目指す人々は、機会の平等と結果の平等を平行して推進するようだ。もし、「男女共同参画社会の実現のために、一定数の男性看護師を職場に入れること」などという通達が厚生労働省から出たら、彼女たちは猛反発するだろう。くだらない政策のために患者の安全を犠牲にするのか!とすら言うだろう。私が男女共同参画社会の講座を聞いて不思議に思ったのは、識者の誰もが「男性社会とは、女性から徹底的に機会の平等を奪ってきたこと」と定義しながら「そのために結果の平等が必要である」と結論付けていることだ。このふしぎな飛躍を、どうも彼らはまったく疑問に思っていないか、気づかないふりをしているらしい。○「結果の平等」の行く末は破たんしかない実績や経験がない若者が、会社で重用されないと嘆くとき、私たちはコツコツと経験と実績を積み上げてゆくことだ、それしかないと諭すだろう。逆に高い実績や評価にそぐわない人事に嘆く若者には(たとえば、年齢一律による昇進)、それはよくない会社だと同情するだろう。だが、決して「たとえ実績がなくても、若者という理由だけで昇進させるべきだ」とは言わないはずだ。そう、それが結果的に正しいかどうかは別にして、少なくともこの社会全体は「機会平等はフェア。結果平等はアンフェア」だという認識に満ちている。だが、この「若者」を「女性」にサッとすり替えて、平気な顔で言うのが女性の結果平等論者だ。なぜ、彼ら識者は「徹底して機会の平等を認めよ。そうすれば、きっと女性たちは結果を出す。」と言わないのだろうか?いや、言えないのだろうか?「今までいろいろ男性が悪かったので、おわびに男性が女性を輝かせる社会」をお膳立てしてあげないと、女性はなにもできないだろうか?そう、私は男性があくまで優れていて、リーダーで、先導者で、依存される存在で、その男性たちの温情で女性を引き立てるという、彼ら識者の隠された筋書きが気持ち悪いのだ。男性が何から何までお膳立てしないと、女性はなにもできない。そのようなことを、前出の女性看護師たちのように「いま、実力で輝いている女性」たちに言えば、きっとぶっ飛ばしてくれるに違いない。社会を効率よく回し、誰もが住みよくするためには適材適所に尽きる。気づきのよい男性看護師は病院から重宝されるだろう。卓越したリーダーシップを有するOLは管理職になるだろう。「徹底して機会の平等を認めよ。男性も女性も、いや、年齢、学歴、出自・・・いっさいにかかわらずだ。だが、それだけでいい。」識者たちが、国のリーダーがこう言い切らなければ、男女共同参画社会というものは、いや、差別の是正というものは、いびつになるしかないだろう。
2015/01/17
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安倍首相の突然とも思える衆院解散宣言からしばらくたった。新聞各社は「一時的な株高を背景に、議席増を狙った安倍自民の足場固め」のための解散・選挙であると指摘している。そして、どの新聞も「安倍自民、300越え」「単独過半数も視野」などとちょうちん記事であふれている。一方、政権についたとたん「極右」安倍首相の正体があらわになり、国民の中に高まる警戒心を指摘する記事は少ない。そう、選挙は自民大敗に終わり、この解散は歴史に残る「自爆解散」になる。なぜなら、国民は安倍自民の9つの大罪をゆるさないからだ。大罪1.財政健全化も先送り!?消費税増税延期。突然の解散。安倍首相の弁は「増税を延期し、その是非を問う」ということだった。これは、1000兆円もの借金を抱える日本の財政再建のために、民主党政権下で野田元首相がこぎつけた消費税増税。それを延期するための手段だったのだ。つまり、安倍自民は野田元首相との3党合意を反故にしたわけだ。地雷のように仕込んであった「景気が悪ければ増税を先送りにする」という景気条項を悪用して。これで、民主政権の悲願だった財政健全化は遠のいたどころか、かなり不透明になった。安倍首相は「わずか数年で5%もの消費増税は世界にも例がない」と言うが、そもそも必要なパーセントだから増税を約束したはずだ。財政健全化を優先したい財務省は、この解散で先手を打たれ、食い下がってようやく景気条項撤廃の約束をとりつけて力尽きた。しかし、この景気条項撤廃もしょせんは口約束にすぎず、消費増税に否定的な安倍首相の続投となれば3党合意と同様に反故にされる可能性が高い。国民は安倍自民の財政健全化先送りを許さない!大罪2.見掛け倒しの株高。実は年金を流用して株購入!?アベノミクスといえば、日銀の円安誘導による輸出大企業の若干の業績改善と、一部の資産家のみが儲かる株高。日経平均は、確かに安倍政権発足後1万円程度上がった。株高については、リベラルすら「上がって悪くない」と容認するが(そして私もそう思っていたが)、とんでもない。私は、地元の共産党候補が街角演説で株高の正体を暴いていたのを聞き、卒倒しそうになった。なんと、この株高は国民の大切な年金を運用する年金積立金管理運用独立行政法人(GPIF)による相場操作だそうだ。GPIFは世界最大の運用機関で、その運用額はなんと200兆円らしい。これが、採算度外視でとにかく株を買っているのだから日経平均もあがるはずだ。だが、損をしたら誰が責任をとってくれるのだろうか?国民は年金を流用した株高をゆるさない!大罪3.円安倒産過去最悪。中小企業いじめのアベノミクス安倍首相は盟友の日銀・黒田総裁と結託して、大幅な円安に誘導し、一部の輸出企業の業績を上げした。そして、代わりに、材料を輸入に頼らざるを得ない中小企業を痛めつけて倒産に追い込んでいる。朝日新聞「円安倒産 11月が過去最多に」によると2014年の円安倒産は過去最悪レベルだという。データによると2014年の倒産月平均786件のうち、なんと3.4%にあたる27件が円安倒産だという。これは昨年のなんと2倍。円安倒産の負債総額は125億円。これは倒産全体1579億円の約8%にものぼる。安倍自民は「倒産件数は(民主政権下の)2010年より2割減り、負債総額は1/3以下でこの5年間で最低」と胸を張るが、倒産件数が2割しか減っていないのに、負債総額が大幅に減っているのは、中小企業が倒産したからだ。国民は中小企業いじめの円安誘導をゆるさない!大罪4.フクシマふたたび・・・。原発再稼動鹿児島県川内市の原発再稼動が濃厚になった。2014年11月7日、鹿児島県知事が川内原発の再稼動に「原発再稼働を進める政府の方針を理解する」と述べて同意したためだ。これに先立って、鹿児島県議会も原発再稼動の陳情を採択している。もちろん、表向きは、再稼動を審査するのは原子力安全委員会で、川内原発は7月に委員会の審査をパスしている。しかし、鹿児島県知事がいうように、これを後押ししているのは安倍自民である。福島第一原発の教訓を生かす唯一の方法「原発ゼロ」ではなく、逆の再稼動を目指すの安倍自民はなにものだろう?県民の"一部の"代表である県議会が再稼動を支持したとして、それは県民の総意ではない。国民は原発再稼動をゆるさない!大罪5.国民の知る権利をないがしろ!?特定秘密保護法2014年12月。特定秘密保護法が施行された。表向きは、国家機密の保護のための法律だが、真実は「政府に都合が悪いことは国民から隠す」というものだ。安倍首相は答弁で「守秘義務の対象はあくまで公務員で、民間人が処罰されるようなことはない」と主張したが、きわめて疑わしい。民間人であっても公務員をそそのかして情報を入手し、それを公表した場合は処罰できるからだ。そもそも、情報は国民のものだ。それを「国民でも、たとえば自衛隊の情報を中国やロシアに渡してもいいのか?」などとあげつらう人がいるが、答えは「もちろんそうだ!」だ。情報開示の結果、他国から多少干渉があっても、それは国民が国民の責任においてやった結果だ。国民全員がそのときにはじめて対策を考え、適切に解決してゆけばよい。それが国民主権である。国民は特定秘密保護法をゆるさない!大罪6.若者が戦場に強制連行される集団的自衛権安倍自民は自由なはずの海で、日本艦船が航海するルートに機雷が設置された場合は「戦時中でなくても」これを撤去できるようにしたいようだ。機雷があるのなら、それを避けて航海すればよいだけで武力行使3要件の「明白な危険」にあたらないと識者は指摘する。百歩譲って戦時中ならともかく、憲法9条の平和国家・日本では、そのような挑発行為は許されない。「抑止力による平和」を主張する安倍首相だが、平和とは口先ばかり。よほど戦火がすきなのだろう。日本では憲法9条の壁に阻まれるが、海外でなら・・・というわけだ。当然、自衛官は死ぬだろう。死んだ自衛官は補充しなければならないが、戦争をするかもしれないのに、誰が自衛官に応募するだろう?安倍自民は「戦争をしている先進国でも、徴兵はしておらず、職業軍人でまかなっている」と主張する。外国のことは知らないが、平和国家・日本では戦争をしたい若者などはいない。そうなると、現実味を帯びてくるのは「若者の強制連行」・・・すなわち徴兵だ。集団的自衛権で、平和を愛する若者が、無理やり軍服を着せられ、銃を押し付けられ、見知らぬ地で死ぬことになるだろう。国民は徴兵制を復活させる集団的自衛権を許さない!大罪7.アジア諸国の感情を逆なでした靖国参拝。2013年12月26日アジアを揺るがす大事件が勃発した。そう、安倍首相の不意打ち靖国神社参拝だ。アジア各国はこれに戦慄。すぐに中国、韓国などの主要メディアがとりあげ批判した。安倍首相の「日本を、とりもどす」というスローガンの中の日本とは、第二次世界大戦時の日本軍のことであるという証左だ。靖国参拝の後、特に中国・韓国との関係が急速に悪化。経済面での結びつきも強い大切な隣国との関係が悪化したことで、両国民の感情だけでなく、日本人の実生活にも多大なるダメージを与えたことだろう。にもかかわらず、安倍首相は「戦没者に手を合わせるのは万国共通」などとうそぶく。そんな万国共通など、だれも聞いたことがない。せいぜい一部の好戦国家だけだろう。国民は靖国神社の参拝を許さない!大罪8.憲法改悪の野心!9条がなくなる!?日本国憲法。いわずとしれた、世界唯一の平和憲法。その核心となる9条。安倍自民・・・のみならず、維新、次世代ら極右政党の面々は、あまりにも日本国憲法の歴史をしらない。9条の原型であるケロッグ=ブリアン不戦条約は、第一次世界大戦に疲れた全ての国々の「この条約をすべての国が履行し、世界から戦争をなくそう」という純粋な、切実な思いから生まれた。ケロッグ=ブリアン不戦条約はアメリカが提案し、世界中ほとんどの国々が批准した。それだけではない。この不戦条約は世界中の国々の憲法にその精神が引き継がれ、イタリア、フィリピンなど7カ国の憲法に日本と同じく「国際紛争解決のための武力放棄」が盛り込まれている。世界の2/3の憲法がなんらかの不戦条項を有するが、ケロッグ=ブリアン不戦条約の遺伝子を明確に有する憲法は少ない。しかも、日本は幸運にも不戦条約の生みの親であるアメリカに憲法を制定してもらったため、その純度が極めて高い。つまり、当時の世界の人々の平和への願いを代弁したアメリカが作った不戦条約を、アメリカによってもっとも純粋に引き継いでいるのが日本国憲法というわけだ。戦後、GHQは憲法学者もいない不慣れなスタッフでこの憲法を作ってくれた。当時のGHQスタッフは晩年のインタビューで口をそろえて「速成だったが、いい仕事をしたつもりだ」と誇らしく振り返っている。そして、インタビュアーが「その憲法はいまでも日本でそのままの形で使われている」と教えると、大変おどろいたという。きっと、日本人が、自分たちの憲法をこんなに大切にしてくれるとは思ってもいなかったのだろう。そう、われわれ日本人は、ケロッグ=ブリアン不戦条約の魂の後継者である9条を守らなければならない。国民は憲法改悪を許さない!大罪9.自民大勝につながる「しらけムード」このように安倍自民は「負ける要素」に事欠かない。正直、この状況で強気な安倍首相の精神状態を疑う。安倍首相の唯一といっていい強気材料は、日本全体に広がるなんともいえない「しらけムード」だ。どのような選挙でも、投票率が低ければ低いほど、現多数派・・・今回は自民党が有利になる。これには、消費増税の先送りで、少しホッとしている国民の短絡的思考があるだろう。また、一年で一番いそがしく、さむい師走12月に選挙が行われることも一因だろう。しかし、逆に言えばリベラル野党は、安倍自民が、みずから自爆して議席を譲ってくれるのだから、歓喜に沸いているはずだ。・9条の守護神こと、社民党・アベノミクス経済の闇を暴く、共産党・反原発を至上主義とする、生活の党・元与党の対案攻勢が武器の民主党「安倍さんのやっていることは、国民の意思に反している!」安倍自民の数々の暴挙に、国民が怒り心頭であることは、このリベラル系4党が常に指摘してきた。しかし、そのことを証明できなかった。ただ、選挙が行われなかった。それだけの理由で・・・。リベラル4党は「選挙さえあれば・・・」と唇を噛んできたが、思わぬ僥倖に今日も寒空の下、声を張り上げている。彼らは勝つ。勝って正しい経済をし、平和憲法を守り、原発を廃絶する。有権者が「選挙の大義が見えない」などとあきらめさえしなければいい。安倍自民の9つ目の大罪は、あえて有権者のあきらめムードを誘導するために、この師走に、電撃的に解散をしたことだ。そんな作戦にはのらない。正しく国民の意思が反映されれば・・・投票率が高ければ、正義は勝つのだから。安倍自民を国民は認めない!さあ、みんな、選挙に行こう!!
2014/12/10
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Andoroidスマートフォンで新しいアプリをインストールしたとき、使えるはずのウィジェットが表示されない(ウィジェット一覧から選択できない)ことがある。私もアンドロイドのスマホにウィジェット目当てでインストールしたアプリ(対応機種確認済み、ダウンロード15万件の定番アプリ)のウィジェットが選択画面に表示されないので困っていた。それを見ていた友人が教えてくれた。「アプリがSDカードにダウンロードされているんじゃない?本体に移してみたら?」アドバイス通り「設定→アプリ→該当アプリ」で見てみると「携帯端末に移動」という文字が表示されていた。つまり、このアプリは本体ではなくSDカードに保存されているのだ。ダウンロードの際、保存先がSDカードに指定されていたらしい。 ↓設定画面から ↓ウィジェットを表示したい個別アプリを選ぶ携帯端末に移動ボタンを押す。そしてスマホを再起動・・・ウィジェット選択画面に・・・できた!!初歩的なミスだったが、意外に知らない方もいるかも?
2014/10/16
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長野市・加藤 久雄市長がフェアで、勇気ある決断をした。長野市松代町の松代大本営地下壕(ごう)の象山地下壕入り口に市が設置した看板で、朝鮮人労働者が工事に携わることになった経緯について「強制的に」と記した部分に、市がテープを貼って見えないようにしていることが7日、分かった。(H26.8.8 信濃毎日新聞)松代地下大本営の看板(テープ修正後)修正前の松代地下大本営の紹介看板。「朝鮮人の人々が労働者として強制的に動員され・・・」の文章がある。●圧力に屈せず、フェアな判断をした長野市長野市は、市民などから「強制連行された朝鮮人は松代にいないはず」「そもそもその時期、朝鮮人は日本人」などという指摘を受け、看板を訂正する決断をしたという。この市民の指摘は正しい。そもそも「朝鮮の人々が」という文言は誤解を招く。この工事が行われた昭和19~20年の間は、朝鮮は日本に併合されており、彼らは「日本人」だった。「強制的な動員」というのもおかしい。朝鮮出身の彼らは戦前から日本に住んでいたか、土木作業などの募集に応じて日本に来た人たちだからだ。開戦前、日本にもともと住んでいた朝鮮人は約100万人。それが、終戦直前には200万人に倍増した。増えた100万人のうち70万人は朝鮮より豊かな日本に出稼ぎに来た人々とその家族、残る30万人はこの松伏大本営のような土木作業や建築作業の「募集に応じて」来日した人々であった。これは明らかに強制連行や強制労働ではない。現在、韓国などが「強制連行」「強制労働」と非難するのが、国民徴用令に基づく徴用(労働義務)。朝鮮に住む「日本人」に、国民の義務として国民徴用令が適用されたのは昭和19年の9月。しかも、国民徴用令によって朝鮮から日本に渡ってきたのは、合計でもわずか245人しかおらず、もし松伏大本営に徴用者がいたとしても数人だろう。しかも、それは日本人が国民の義務として就労したにすぎない。大半、自由意思で居住。外務省、在日朝鮮人で発表。戦時徴用は245人(1959年7月13日 朝日新聞) 戦後、朝鮮に帰国せず、日本に残留した61万人は強制連行されたのではなく、単に出稼ぎに来ていた人々であるという外務省の調査結果を知らせる朝日新聞記事。●長野市を支持するならツイッター、メールより・・・長野市の態度は左翼的でも右翼的でもない。「事実と確認できないことを、あたかも事実であったかのように書くべきではない」という、歴史に対する最もフェアで正しい態度を取ったに過ぎない。行政として非常に正しい、それでいて多くの自治体が圧力団体に屈してできないでいる希有な態度だ。戦後、日本はまさにこのフェアな態度を取ることができず、間違った歴史観を子供達に植え付けてきた。長野市のフェアな態度は是非支持しなければならない。ツイッターや掲示板に「長野市グッジョブ!」「長野市支援!」と書くような形では市長や現場の職員の助けにはならないだろう。長野市の姿勢に賛同するメールはいくらか良い。マスメディアが「長野市に賛同メール多数」などと報じる可能性がある。しかし、私が思うにもっと良いのは、見てくれの悪い、この「テープ看板」を、きちんと正しい文言に直した新品に代える運動が広がることだろう。やり方はある。そう、ふるさと納税だ。●用途「市長におまかせ」、メッセージ「新しい看板に」ふるさと納税(ふるさと応援寄付)は、以前、2010年、民主党政権下の人災・赤松口蹄疫(宮崎口蹄疫)の時にも記事にしたが、3万円、5万円という寄付をしても、実際には還付によってほとんどが戻ってくるため、実負担は2~5千円になる。しかも、多くの納税先の自治体は実負担分に見合った特産品が送られてくるため、実質的ほぼゼロ負担で特定の自治体を応援できるという制度だ。ちなみに、長野市の場合、お礼に送られてくる特産品は「ピンバッジ」だそうで、微妙だが・・・ふるさと納税はクレジットカード払いもできるので、マイルやポイントもたまる。申込方法も簡単で、長野市ふるさと納税のホームページからWordの申込用紙をダウンロードして、必要事項を記入し、メール(kikaku@city.nagano.lg.jp)かファックスで送信するだけ。あとは長野市から送られてきた書類に従って送金すればよい。ヤフーIDを持っている人は、ヤフー公金支払いを使うと楽だろう。とりあえず、今回の長野市松代大本営の件について1万円を寄付しようと思う。長野市ふるさと応援寄付申込書ちなみに、ふるさと納税はいくつかの自治体に分けても良い。控除額を最大にする(損が最も少なくなる)寄附金額については次の表を参考にすると良い。〔引用元:ふるさと納税、特産品、旅行など生活に役立つ地域情報サイト『CityDO!』〕●媚韓マスゾエに怒れる東京都民こそふるさと納税今日、長野市企画課に寄附金の使い道について訪ねたところ「最終的には市にまかせてもらうしかないが、メッセージは必ず目を通して、可能な限り寄付者の意志に沿った使い方をさせていただく」という回答であった。「松代大本営の看板を新品に代えてください」という寄付が数十万円も集まれば、新聞記事にもなるだろう。そうすれば、サヨクの根拠無き抗議に耐えて、フェアを貫く長野市職員の支えになれるのではないだろうか。さらに、歴史にフェアでなければならないと思いつつ、サヨクの圧力に身動きができないでいる多くの自治体の背中を押すことができるのではないだろうか。日本人が歴史にフェアな態度で望めなくなったのは、アジアの特定3国、中国、韓国、北朝鮮に媚びる態度を続けてきたからだ。本当に対等な友人でありたければ、そのような態度はやめなければならない。その意味で、H26.7月の桝添東京都知事の韓国訪問のありさまは、多くの東京都民の怒りを買った。桝添知事をリコールする運動がSNSで広まっているという。怒りはわかる。だが、残念だが、リコールは非常に難しいだろう。しかし、「桝添が都知事だから、東京都に税金は納めない」という抗議はどうだろう。ふるさと納税した分は、住民税から差し引いて戻ってくる仕組みだからだ。つまり、他の自治体にふるさと納税をすれば、それだけ東京都に納める税金は減る。もともと、東京都は全国一のリッチな自治体だ。ふるさと納税で、財政難の地方自治体の支援ができて、しかも、それが賞賛すべき行政を行っている自治体ならとても素晴らしい。媚びた都知事に痛烈なNO!を、媚びない市長に拍手をこれこそ納税者ができる最高の意思表明だと思うのだが、いかがだろう。
2014/08/08
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〔ついに白旗をあげた朝日新聞〕朝日新聞は平成26年8月5、6日付けの新聞で慰安婦特集を組み「これまでの報道が誤りであった」と発表した。「記事の前提となる証言がそもそもうそだった」「軍による強制連行はなかった」「挺身隊(工場員や看護婦)と慰安婦を混同していた」と説明した。つまり、朝日新聞がこれまで報じてきた「従軍慰安婦」なるものは根拠がないことを認めた。朝日新聞がこの特集を組んだ理由は「『慰安婦問題は朝日新聞の捏造(ねつぞう)』との指摘はいわれなき批判(8月5日朝刊)」が広まっており、それに反論するためだったという。しかし、朝日新聞の検証結果を総合すると、まさに朝日新聞がこの問題を複雑化させ、平穏だった日韓関係を破壊した元凶であるとしか理解できない。慰安婦問題に関わった全ての朝日新聞社員は、日本国民と韓国民に土下座して誤るべきだろう。〔朝日を倒したのは誰か?〕朝日新聞がこの特集記事で反論しようとしている相手は誰だろう?慰安婦問題の虚偽を指摘しつづけた産経新聞か? 河野談話を検証した安倍自民か?河野談話検証をせかしてきた保守系議院か?いや、「朝日新聞が慰安婦デマをまき散らしている」と指摘し、憤慨しているのは普通の人々だ。朝日新聞の流す情報を鵜呑みにせず、自分で情報を取り、自分の頭で判断し、是々非々で物事を考える、少し情報力は高いが、あくまで普通の人たちだ。ネット環境の急速な普及により、そういった人たちがあまりに多くなった。少しでも慰安婦問題を勉強したことがある人は「従軍慰安婦というのは朝日新聞のデマ報道から生まれ」「河野談話でうそが本当になった」という当たり前の流れに気付く。そして、実際、朝日新聞がこれまでの報道がデマであったことを認めた。朝日はデマではなく「間違いや検証不足」と弁明しているが・・・意図をもって嘘を拡散することをデマゴーグという。〔女性の感想は本件の問題ではない〕それでも朝日新聞は同特集で「強制連行はなかった。しかし、働いていた女性が苦痛を感じていたのは事実で、その意味で強制性はあった」と苦しい弁明をしている。もちろん、何人も本人の意に反してなにかの仕事をさせられるべきではない。しかし、そのことはいわゆる従軍慰安婦問題の核心ではない。それは現状に不満があり、辞めたいと思っていた慰安婦がいたというだけにすぎない。(そのことについて補償しようとしたのがアジア女性基金である)現在も西欧で認められている公娼であっても、幸福に仕事をしている人は一握りだ。女性達が不幸であったかどうかではなく、いわゆる従軍慰安婦問題の本質は「軍が組織的に(募集業者を使わず、直接)、女性をさらったかどうか」すなわち「強制連行をしたかどうか?」が問題なのである。最初は合意のもとだろうが、嫌な思いをしながら売春をしていた女性はいるだろう。一方で、親に売られてなってしまった売春婦でも、わりきってコツコツとお金をためていた人もいる。盗賊Aが盗んだ物と知らずに、盗品を買ったBが窃盗罪に問われないように朝鮮人業者が騙して連れてきた女性と知らずに、慰安所で給料を払って働かせていた軍が誘拐罪に問われることはないだろう。(しかも、軍はこれらの朝鮮人業者を摘発している)このポイントに要点を集約すれば、朝日新聞によると「強制連行はなかった」のであり、この問題の本質は決着してしまったのである。〔ネトウヨという幻想〕朝日新聞の内容をほとんど肯定的に捉える方々は、傾向として左翼的、反日、中韓擁護をいう傾向がある。「左翼」と書いてしまったが、本当の左翼とは「人々のために」という信念がある人たちなので、ここではニセ者の左翼は「サヨク」と書く。はたして、サヨクの言論、魂のよりどころであった朝日新聞が「いわゆる従軍慰安婦に関する記事はめちゃくちゃでした」と吐露したことで、天地がひっくり返るような衝撃を受けているところだろう。なぜなら、「自称・旧日本兵の慰安婦狩りは嘘」「軍による強制連行はなかった」「挺身隊(工場員や看護婦)と慰安婦を混同している」「朝日新聞の言っていることは間違い」というのは、知る限りここ10年ほど、ずっと識者が指摘し続け、そのたびにサヨクが「そんなことはない!」と反論してきたことだからだ。それを朝日が「間違っていました」と書いたわけだから、推して知るべし。サヨクは、自分たちに都合がわるい慰安婦検証があるたび、反論に詰まった。そして、相手を「ネトウヨ」とののしってきた。ネトウヨは頭の悪い奴ら。社会的地位が低い、仕事がない、対人関係が上手くいっていない・・・だから、日本人であるという一点にこだわって、韓国を見下す。というのが、サヨクのいうネトウヨ像。しかし、そんな「ネトウヨ」はいなかった。どこにも存在しなかった。「ネトウヨ」は理論で勝てなくなったサヨクが、心を慰めるために作り出した幻想だった。サヨクは「私の意見を否定するネトウヨは、社会弱者で頭の悪い奴」という妄想で、理詰めで言い返せない自分を慰めていた。ネトウヨという幻想は、サヨクの精神安定剤であった。〔スマホとまとめサイトに追い詰められるサヨク〕サヨクに「従軍慰安婦は強制連行されたのではないよ」「在日朝鮮人は強制連行された人々ではないよ」という事実を突きつけ、資料、理論の後ろ盾がないサヨクをじりじりと追いつめていたのはだれか?ごく普通の人だった。スマートフォンが普及し、だれもが優れた情報を得られるようになり、軍による強制連行があったという意見と、それはなかったという意見を十分にそしゃくした上で、「強制連行はなかった」と静かに結論づけた普通の人だった。彼らは、自分で得た情報を、自分の頭で考えて、自分の意見としている。だから、サヨクが「従軍慰安婦を否定する奴はネトウヨ」「ネトウヨはかっこわるい」とイメージキャンペーンを必死に行っても「なに言ってるんだ?こいつら」ぐらいなもので、歯牙にかけなかった。その冷たい態度が、サヨクをさらに傷つけ、意固地にしてしまった。〔サヨクは生まれ変われるか?〕サヨクはイデオロギーの世界に生きている。しかし、世の中の多くのひとはリアリティの世界に生きている。社会の公器たる朝日新聞はともかく、サヨクは一般人にすぎない。だから、「慰安婦の話を信じてしまい、いままで間違っていた。これからは事実にもとづいて考えようと思う」と豹変すればよいだけなのだ。それを「今まで強制連行と言っていたではないか!うそつき!責任を取れ!」という人はいないだろう。仮にいたとしても、「普通の人々」からたしなめられるだけだ。人間が自分の意見を変えるのはよくよく考え抜いてのことだし、実際に変えるのはとても勇気がいることだから。サヨクが「ネトウヨ」と呼んでいた実は普通の人々は、サヨクが気付いて改めれば必ず間違いを許す。だが、サヨクが実際に過去の言動を反省し、生まれ変われるケースはすくないのだろう。なぜなら、かれらは世界は敵意に満ちていると思いこみ、隣人を信用しないから。サヨクというのは、教育や情報が彼らを作るのではなく、どうやら先天的な視野の狭さや臆病さが彼らを形作っているようであり、その原因を基本的な人間性に求めるとすれば、彼らはどんなに情報を得ても、所詮サヨクにしかなれないのかもしれない。だからこそ、彼らの機関紙・朝日新聞は謝れないのであろう。
2014/08/06
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2014年7月1日。日本の国防政策が転換を迎えたかもしれないその日、私の地元の駅には「憲法9条を守れ」「日本を戦争できる国にするな」「打倒・安倍内閣」といった手作りのプラカードやのぼりを手にした20人ぐらいの人がシュプレヒコールを上げていた。帰宅時間帯のサラリーマンや学生、主婦たちは目を合わさないように、いやな物でも避けるように足早に過ぎ去ってゆく。女子高生3人組が「ヤバイ、ヤバイ」とくすくす笑いながら彼らに見つからないよう写真を撮っていた。その女子高生3人組が突然、手を叩いて爆笑した。ハンディマイクでいかに平和が大事かを呼びかけていた50代ぐらいの男性が、高ぶったのか、早口言葉のように「平和!平和!平和!へいわぁぁぁぁぁ~!」と最後は声を裏返して絶叫したからだ。私も思わず笑ってしまった。その少しほのぼのとした光景を見ながら、森達也の「世界が完全に思考停止する前に」という本の内容を思い出していた。【楽天ブックスならいつでも送料無料】世界が完全に思考停止する前に [ 森達也 ]価格:555円(税込、送料込)このおじさんは、この人々は、まさに森達也が言っているとおりに完全に思考停止していた。森達也の本は処分してしまったのだが、要するに、大勢に流されているときは人間は思考停止している。独りで立ち止まって考えるべきだという主張だった。鋭い指摘だ。この人達は、夜なべしてプラカードを作り、仲間とケータイで打ち合わせをし、街角に立って「平和」と叫んで、そのあと、居酒屋で気炎を上げていれば、何も考えなくてよいのだ。たぶん、新聞に煽られ、戦争を前のめりに受け入れていった、昭和の人々もそうだったのだろう。好戦が反戦に変わっただけで、本質はなにも変わっていないのだ。鬼籍に入った小室直樹の「新戦争論―“平和主義者”が戦争を起こす」という本がある。新戦争論 - “平和主義者”が戦争を起こす [ 小室直樹 ]価格:734円(税込、送料込)いま、絶版で入手困難だが、その内容のダイジェスト版は「日本人のための憲法原論(痛快!憲法学の再編)」の中にもあるので、興味のある方はそちらを読まれたい。日本人のための憲法原論 [ 小室直樹 ]価格:1,944円(税込、送料込)小室直樹は、「平和とは均衡状態のこと」と説明している。当たり前すぎて拍子抜けするのだが、実は多くの人が正しく理解していない非常に重要な指摘だ。たぶん、駅前にいた9条信徒の中では”平和”の理解はこうだ。「日本が平和を望んで、中国や韓国も平和を望んでいること」だから、中国や韓国の意にそぐわない日本の対応にピリピリしている。「尖閣諸島は日本固有の領土」とか「竹島は戦後、韓国が不法占拠した」などと指摘されると、非常にナーバスになる。日本人が中韓に腹を立てたり、中韓がより反日的になることを恐れている。なぜなら、そうすれば、必ず戦争になると信じているからだ。だから、日本人に「中国を好きになれ、韓国を好きになれ、平和のためだ」と強要する。だが、小室直樹はそれは違う(念力主義だ)という。小室に言わせれば正しい平和の定義はこうだろう。「日本と中国が、お互いに相手を攻撃する理由か実力がない状態」平和とは、両国の事情でたまたまそうなっている不戦状態のことだと小室は説明している。それはとてもよく分かる。「相手を攻める理由もないし、負けるかもしれないから攻めない。相手もそうだったら、相手も攻めてこない。それが平和だよ」こう説明すれば、たぶん、小学生でも分かる。だが、「日本の方だけが、相手を攻めるつもりがなくても、それは平和じゃないんだよ。相手次第なんだよ」という当たり前の説明が理解できない人たちは、どうしても「平和=不戦状態」であるということを理解できない。敵国同士が核兵器を持っていることが、こうも明確に不戦状態を作り出している事実を知りながら、目を背ける。そんなのは平和じゃない。平和は優しいのだと。そして、ひたすら念じる。「平和!平和!平和!へいわぁぁぁぁぁ~!」と。平和を願うのはいい。だが、平和を実現しようとするならば、努力しなければならない。平和への努力とは、平和と100万回叫ぶことではない。なぜなら、中国には中国の事情があるのだ。武力に訴えてでも、東・南シナ海を確保したい事情が。平和と100万回唱えて、中国が攻めてこなくなるという幻想を抱いているとしたら、それはあまりにも中国に無関心だし、中国をバカにしすぎている。いま、中国は、一党独裁の共産主義政権が、資本主義を導入したために、社会システムにひずみが出てしまい、非常に大変だ。だから、尖閣に触手を伸ばす。資源、権益が欲しいのだ。一方で、急速なスピードで自衛隊に対抗できる軍事力も付けてきている。中国と日本の間の不戦状態(=平和)をできるだけ長く続けるためにはどうすればよいのだろう。日本が持つ資源や権益を欲する中国の欲望は止めることができない。それはどこまで行っても中国の都合にすぎないからだ。残すは軍事力のバランスが崩れ、中国に勝てると思わせないことだろう。そのためには、アメリカはもちろん。東南アジア諸国とも強力な連携を保つことが大事だ。そして、その間に中国暴走エンジンのガソリン・・・経済を細らせて体力を失わせれば、不戦状態は長く維持されるだろう。日本と中国の情勢を正しく理解し、均衡が崩れる場所を素早く手当てする努力が必要だ。「集団的自衛権は、保有すれども行使できず」という、どの国の憲法学者に説明しても首をひねられてきた珍妙な憲法解釈を見直し、世界基準で当たり前の憲法解釈に訂正する流れも、また必要な手当てなのだろう。平和は優しくない。平和は現実的で厳しい。それは、非常に微妙なバランス・・・国家の駆け引きによってなんとか維持される。そして、その駆け引きのおかげで、私たちは何事もない日常を送ることが出来ていることに、9条信徒は気付いてくれないだろうか。英首相チャーチルが「平和主義者どもが戦争を起こした」と吐き捨てた気持ちが分かる、駅の光景だった。
2014/07/01
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自民党に牧原秀樹という議員がいる。動物愛護センターを視察する牧原秀樹議員。この人はTPP推進のようで、正直、私は支持したくない政治家だが、一つ注目するに値する政策を掲げている。牧原秀樹は自民党政権になってから環境大臣政務官に就任した。そこで、犬猫の殺処分ゼロを目指す環境省「人と動物が幸せに暮らす社会の実現プロジェクト」=「牧原プラン」という政策にかなり本気で取り組んでいるらしい。環境省「人と動物が幸せに暮らす社会の実現プロジェクト 概要とご挨拶」この人のブログを読むと、好感が持てるかどうかは別としてかなりの行動派、実力派であることがわかる。全国的には無名(だと思う)なのに40代前半の若さで政務官に抜擢されるわけだ。もともと、動物問題に関心があったようだが、殺処分ゼロというとてつもない目標を掲げたのは、これを実績として今後のステップアップにつなげたいからだろう。大変けっこうなことだ。国民が望んでいる政策を実現して、支持を高めるという正攻法であれば、魂胆がどうあれ政治家として非常に正しい。さて、実行力が持ち味の牧原政務官であるが、殺処分ゼロを目指すのであれば、決して避けられない、避けてはいけない問題に解決策を打ち出さなくてはならない。環境省によると、平成24年度、全国の保健所で殺処分または死亡した犬猫は16万頭。そのうち、子猫が7万5千頭にのぼる。地元の保健所によると、保健所に入る猫の98%は雑種で、ただの野良猫(の子供)だという。私の地元の保健所職員は言う「野良猫は普通、問題になるほど増えることはない」「異常に野良猫が増える地域には必ず餌やりがいる」と。殺処分ゼロを全国に先駆けて達成したことで有名な熊本市動物愛護センターですら、新聞のインタビューに「餌やりが殺処分を増やす、やめて」と語っている。ここでいう「餌やり」とは、徹底的に管理された「地域猫」とは異なる、いわゆる無責任または無知な餌やりをいう。さて、餌やりの問題点はこうだ・餌やりの近くに来た猫はにおいで集まる。・猫はもらった餌は忘れない。何度でも来る。・普通、猫はなわばり(=餌場)を争うが、餌が豊富であれば争わない。・結果、多くのオス・メス猫が一か所につぎつぎと集まる。・オス・メスが餌場で繁殖する。子猫が生まれる。・子猫は成長し、また繁殖する。以下、くりかえし。・だが、無限に増える猫に足りる餌はない。・子猫は衰弱、病気、けが、外敵により次々と死ぬ。・このうち多くの子猫が関係のない近所の他人の家で生まれ、保健所に持ち込まれる。・子猫は体力がないのですぐ死ぬ。(死亡数↑)・運よく生き延びた子猫も、すべてに里親が見つかるわけもなく処分される。(殺処分↑)実は、保健所で死んでいるのは生まれた子猫のほんの数分の1で、ほとんどは野外でひっそりと死んでいる。餌やりは7万頭どころでなく、おそらく数十万頭の子猫を無為に産ませ、死に追いやっている。私が、餌やりは野良猫虐待者だと主張するのはそういった理由による。さて、猫の個体群をすべて避妊・去勢して、徹底的に管理する「地域猫」という野良猫対策がある。地域猫の本来の目的は「野良猫を計画的に減らすこと」である。決して「野良猫に餌をあたえてもいいように避妊すること」ではない。しかし、餌をあたえる快感を求める免罪符として(それでも、なにもしない無責任よりは100倍ましだが・・・)避妊をしている「ちょっとマシな餌やり」は猫の数を減らすという結果を出せない。それどころか、逆に猫が増えてしまうこともある。なぜだろうか?国内外の研究者によると、原因は「移民ネコ」のようである。餌やり場は野良猫に嗅ぎつけられ、周囲からどんどん避妊していない野良猫が移住してくる。猫は本能として、餌場(=なわばり)を守るために戦うが、餌が豊富であれば特に争わず、共存してゆく。(家で複数の猫を飼っても上手くゆくのはこのためである)このため、移民ネコが餌やり場にどんどん増え、それらの猫が繁殖することによって数が増えてしまうのだ。地域猫は「餌やりをするための」免罪符ではない。「猫を減らすための」対策だ。管理している猫に餌をあたえるのは、生ごみをあらすのを防いだり、猫の居住地を限定して管理しやすくするための、一つのツールにすぎない。極端に言えば、生ごみがしっかり管理されている地域では、地域猫に餌やりは必要ない。避妊手術だけして、餌を一切あたえない(自活にまかせる)のが、野良猫を計画的に、ゆるやかに減らすという本来の目的にもっともかなっている。地域猫で、もっとも愛護団体を悩ませるのは、こういった移民ネコを招き入れないよう、協力者が餌をあたえる猫を限定しているのに、勝手に猫に餌を与える住民が出てくることだという。そういった無責任餌やり人に愛護団体が注意すると「だって、避妊しているから餌をあげても増えないでしょう」と手術費の1円も出していないのに平然とのたまう。そうやって、移民ネコを集め、猫を繁殖させ、愛護団体の血のにじむような努力を踏みにじる。それが「餌やり」という憎むべき問題だ。この政策で、牧原政務官が、たとえば「里親制度の活用」や「ペットショップの規制」や、確かに大事だろうし、国民うけも良いが、殺処分問題の根幹とは外れている対策に熱を入れるのならば、凡庸な政治家だったということだろう。しかし、このプランが殺処分される犬猫の半数を占める「野良猫の子猫」の問題の背景にある「餌やり」にメスを入れるとすれば本物だ。餌やりの規制は、ニセモノの愛誤からの反発が非常に大きい。全国の自治体で「ごみ(残り餌)は片付けましょう」「野良猫を増やすような餌やりのやり方はやめましょう(地域猫はむしろ歓迎)」というだけの餌やり規制条例を制定しようとすると、かならず愛誤が騒ぎ出し、住民でもないのに圧力をかけてつぶしている。しかし、保健所で死んでゆく子猫たちを減らすには、愛誤の感情論やトンデモ理論と正面から戦い、国民の間で「餌やりは野良猫の子猫を増やし、殺処分の原因となる」という当たり前の認識を定着させなければならない。牧原プランの試金石は「餌やりをどう位置づけるか」だ。牧原政務官は大変エネルギーがある人のようだ。そのエネルギー、TPPからは離れて、ぜひ餌やり規制→殺処分ゼロにむけてほしい。牧原プランの今後を期待して見守りたい。
2014/06/07
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【移民問題の本質は文化摩擦】日本への移民受け入れ政策の是非が議論を呼んでいる。移民問題に関心が高く、諸外国の例を知る人々の間では「移民で成功している国家はない」という意見が圧倒的に多い。事実、そうだ。EU諸国では、移民が社会政策上の重荷になっている。もともとの国民との間でも絶えずトラブルが起きている。移民の受け入れで出生率の回復を期待した国々のもくろみはことごとく失敗している。移民政策がこうもことごとく失敗するのはなぜだろう?たぶんシンプルな理由だ。それらの移民は、ほんとうはその国が好きでないからだろう。ドイツ人になりたかったわけでも、フランス人になりたかったわけでも、アメリカ人になりたかったわけでもない。その国で、仕事をみつけたいとか、よりよい社会保障を受けたいとか、ツールとしてその国に移民してきただけで、その国が好きなわけではない。だから、自分の文化が恋しくて、その国に異文化を持ち込む。自分たちだけのコミュニティを、ルールを持ち込み、その国になじもうとしない。私はそういった移民の心情をむげに否定できない。もちろん、受け入れ先の国民にとってはたまったものではない。だが、これは当然のことで、やむを得ないことだとも思う。移民を考えるときの基本は2つしかない。異なる文化を国に招き入れるか、招き入れないかだ。決して「異なる文化を認めるか、認めないか」ではない。異文化は存在してよいものだ。それを、国に招き入れる結果について、どう考えるかだ。【なぜ、国境はあるのか?】 よく「国境がなければ戦争は起こらないのに、なぜ国境があるのでしょう?」という疑問を見かける? この質問をする人たちは、元々この世界には国境などはなかったことを忘れている。 元々存在しない国境という概念を人類が「発明」したのには、何か理由があるはずだ、という点に気付かない。 そもそも「国境」という線引きがあるのはなぜか?それは争いを避けるためだ。国境線は文化の線引きである。人はそれぞれ文化が違う。生活習慣が、価値観が、宗教が、違う。それは、気象、風土、歴史が大きく違っているために生じる必然の違いだ。違う者同士は、争う。相手の価値観を認めがたいから、争う。文化を一方的に押し付けられたら、戦う。それが、人類の争いの歴史だ。争いに疲れた人々は「国境」という大発明をした。似た文化の者同士が集まり、国をつくり、違う文化の者と線引きをした。それが国境。そして、国境の向こうにいる人々に干渉しないことをお互いに約束した。おたがいが違うことを認め、共存する。それが平和ということである。 違うことは悪くない。同じでなくてよい。だから、違っていても、お互い争わないで済むように国境があるのだ。【価値観の違いをみとめつくすこと】「世界平和」というありふれたスローガンがある。とてもいいスローガンだ。もろ手を挙げて賛成したい。そのために必要なのは「お互いに違うことを、みとめつくす」ということに限るだろう。異なる価値観があってもいい。認めがたい風習があってもいい。対立する宗教があってもいい。そういった「違う文化」が存在することを、徹底的にみとめて、違うことを尊重すること大事だろう。肝心なのは「自分が相手の文化に染まる」ことでも「相手に自分の文化をおしつける」ことでもないということだ。文化の押し付けは、文化の摩擦を生み、争いを生じさせる。お互いが違うこと、違ってもいいことを、徹底的に認め、尊重する。自分がその文化に飛びいらなくてもよい。相手を自分の文化に巻き込まなくてもよい。ただ、違うことを認め、それ以上は干渉しない。それが、世界平和を成し遂げる、唯一の方法のように思える。【移民政策とは、異文化=争いを招き入れること】平和を希求する人々が作った文化の線引き。国境。国家というコミュニティ。その文化の線引きの内側に、異なる文化をわざわざ招き入れようという移民政策はなんだろうか?移民に「自分たちの文化は捨てて、この国の文化に染まれ」とでもいうのだろうか?それとも、国民に「移民たちの文化のために、自分たちの文化が多少損なわれても我慢しろ」とでもいうのだろうか?どちらも、文化という心の中の大切な部分をあまりにも軽視している考えだ。文化を、人の心の大切なものを、軽視しているからこそ軽率に「移民」という政策を掲げられるのだろう。文化を軽く考えるから、文化の融合が簡単にできると錯覚し、争いを招くのだろう。何度でもいう。異なる文化同士は争う。文化を失うことが不幸であるのと同時に、争いは不幸である。しかし、人は文化を失いたくないから、戦う。争いを避けるために、先祖たちは線を引いたのだ。軽率に、文化の線を越えてはならない。【捕鯨裁判にみる日本人の文化感】文化といえば捕鯨問題で、多くの日本国民が特に捕鯨する必要を感じていないのに、欧米人の反捕鯨に自然な憤りを感じるのは、それが欧米人の一方的な文化の押し付けだからだろう。このように、違う文化を押し付ける者同士は争うのだ。一方、日本はといえば、欧米人の狩猟文化上にある無計画で快楽的としかいいようのない狩猟(ゾウ、トラ、カンガルー、クジラ・・・)をはじめ、スペインの闘牛、中国や韓国の犬食を内心不快と思いながらも、「違う文化があることを尊重しなければならない」として、国際的にそれを非難したことはない。すくなくとも、これまでの日本国民の態度は、国際平和の理念にかなっている。こういった「国際常識」は、多くの日本人に普遍的に備わっているように思える。思うに、文化が異なること、存在することを尊重するからこそ、日本人は移民政策に否定的になるのだろう。日本人の異文化を尊重する精神が、国際社会で披露された一幕があった。H26年4月。豪州が日本が行う南極捕鯨の中止を求めた裁判で、国際司法裁判所は豪州の意見を認め、南極捕鯨の中止を命令した。南極捕鯨に対する国際司法裁判所の結論は、簡単に言えば「日本がやっている捕鯨は、調査というには数が多すぎる」ということであった。しかし、そうであれば、数を適正な水準に減らすように勧告するのが筋で、捕鯨中止(=禁止、再許可も認めない)は明らかに行き過ぎていた。つまるところ、多数派を構成していた国々は「捕鯨という異文化を憎む」という豪州のエゴイズムにくみしていたに過ぎない。この判決に先立つH25年7月。国際司法裁判所における冒頭陳述で、豪州による訴訟の本質が、けっきょく「捕鯨文化を認めない」という欧米人のエゴイズムにすぎないと看破していた鶴岡公二外務審議官はこう述べた。「我々は、大陸にまたがって70億人が居住する世界に生きております。そして、それらの人々が平和に共存するための唯一の方法は、我々の違いを尊重し,ある人々の特定の観念を他者に押しつけないことです。」「我々は、我々以外の国民の文化を批判することはしません。裁判所長、異なる文化の間に優劣を決めなければならないとすれば、世界は平和ではいられないであろうことを、私ははっきりと申し上げたいと思います。」外務省HPより彼らは、一見、調査として適正か、を論じる裁判から外れているが、彼らの内心の偏狭さを鋭く貫いた鶴岡の堂々たる「国際常識」に恥じ入っただろうか?この捕鯨裁判で、捕鯨中止を指示した国はイギリス、ドイツ、フランス、アメリカ、ニュージーランドと提訴国であるオーストラリア。くしくもことごとく移民で国内問題を抱えている国々だ。もしかすると、これらの国は、アジア人がいう国際常識に恥じ入るセンスがないから、移民政策で失敗をしているのかもしれない。
2014/06/07
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いわゆる従軍慰安婦とされる韓国人老婆たちの証言は、実は朝鮮戦争時の「韓国政府が強制連行した慰安婦」洋公主(ヤンコンジュ)のことで間違いないだろう。慰安婦の証言は、日本軍の慰安婦とすると矛盾だらけで「嘘つき、金目当て」と罵られて仕方ないが、韓国軍の慰安婦である洋公主だとするとすべてがピッタリと合致する。彼女たちはおそらく記憶のまましゃべっているだけで、嘘はついていないのではないか?実際、元慰安婦の証言に在るように、韓国軍(韓国軍情報機関員)に共産党狩りあるいは借金のカタに半ば拉致して慰安婦にされ、連合軍兵士(韓国兵含む)の慰み物として提供されたのだ。収入は極僅かで、その後も人以下の待遇で辱められた。彼女らが韓国政府に謝罪と賠償を求めたのは当然だ。 しかし、朝鮮政府は、賠償する代わりに、日本軍に拉致されたと偽証させ、日本に賠償させようと図ったのが、今現在の慰安婦問題だ。日本は少なくとも軍や政府が強制的に慰安婦を拉致した事実は無いので、当然ながら拒否した。さらに戦後賠償そのものが完了してしまっていた(この事は90年代まで元慰安婦どころか、ほとんどの韓国人が知らなかった)。それで慰安婦=洋公主は貧しいまま補償も無く、次第にに老いていった。彼女たちは朝鮮戦争の慰安婦だから、その記憶をベースに「証言」するしかない。だから(存在しなかった)ジープに乗ったとか、 クリスマスには忙しかったとか、太平洋戦争当時は14歳 だったとか(朝鮮戦争は5年後)、終戦後も売春をしていたとか、太平洋戦争時の慰安婦としては不可思議な証言に満ちてしまう。太平洋戦争時の慰安婦は、業者が新聞広告で募集し(その募集チラシは「韓国」の従軍慰安婦特設サイトで確認できる)、収入も良いので、貧しかった娘たちは進んで応募し、あるいは親に応募させられた。慰安婦としての生活が誇らしかったとは考えにくいが、戦後豊かに暮らせたから、そもそも、自ら慰安婦だったと申し出る必要はない。だから、慰安婦の大半を占めた日本人はまったく名乗り出ず、韓国人ですらほとんど名乗り出ない。韓国政府の主張によれば20万人も慰安婦がいて、日本軍の慰安をした認識のある老婆は200人余程度らしい。当時の朝鮮の人口は2500万人ぐらいだから20~30歳の女性は多くて400万人くらいだろう。若い朝鮮人女性の20人に1人が強制連行というのも、少し考えればまったく信憑性のない話だが、いかにも存命慰安婦が少ない。やがて、洋公主(ヤンコンジュ)が表面化しようとしたときに福島みずほや朝日新聞の植村記者が韓国政府と共謀して、朝鮮戦争当時の慰安婦の問題を、 無関係な日本に押し付けるため、彼女たちは担ぎ出された。補償金がもらえると聞いて、最初は2名だった。この二人の証言はもろに朝鮮戦争時のものだったので、さすがに福島や植村もなかったことにした。その後、韓国政府の「努力」で200人余りが集まり、彼女たちの証言を唯一の証拠に(物証はない)慰安婦の強制連行があったことになっている。さらに、事態を拙速に手打ちにしようとあせった当時の自民党と外務省、得に河野洋平らが韓国政府に「こう言ってくれたら、終わりにするから」と共謀し河野談話を作文した。これが、いわゆる従軍慰安婦問題のすべてだ。当初は太平洋戦争時の慰安婦強制連行の話自体が突拍子もなかったので、歴史学者の秦教授が慰安婦問題を調査しに韓国に行ったところ逆に「そんな事実はない!」と激怒され、追い返されるという、いまでは考えられない珍事もあった。さて洋公主(ヤンコンジュ)であるが、朝鮮戦争中は韓国軍直轄の慰安所だったので、前線に慰安婦を送るときには1人ずつドラム缶に押し込 み、“補給品”名目でトラックに積んで搬送され彼女たちは「第5種補給品」とも呼ばれたようである。これは韓国陸軍本部が1956年に編さんした公文書「後方戦史(人事編)」に「固定式慰安所-特殊慰安隊」として記述がある。軍慰安所の存在を裏付けるものだが、現在は閲覧不可の状態になっている。これによると、慰安婦を利用した米韓兵士は約20万人となっており、「日本軍が20万人連行」と符号するのである。ちなみに朝鮮戦争後、それを管理していたのは朴クネ大統領の父親、朴正煕(パクチョソヒ)元大統領であった。韓国軍「慰安婦」制度は、軍による拉致された性奴隷制度であり、女性自身はまさに性奴隷であったといえる。80歳を超えた彼女たちが、朝鮮戦争時の慰安婦であったことを故意に隠しているのか、単に記憶違いなのかは判らない。ただ、老人が寂しさ故に極端な作り話で注目を集めたいと思うことは古今東西よくあることで、それを「名誉回復のため耐えがたき恥を忍んで」と思えるからという理由だけでホラではないと決めつけるのは、真実から目を背ける行為だ。「戦中の女性蹂躙行為」として徹底的に追及しなければならないのは、旧日本軍の公募慰安婦ではなく、韓国軍の強制連行慰安婦である洋公主(ヤンコンジュ)であるはずだが、韓国が隠蔽していることを差し引いても、日韓の「人権屋さん」たちの関心があまりに低いのはいったいどういうことだろう?
2014/03/07
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熊本市は殺処分ゼロに取り組んでいることで有名だが、平成24年度はわずか3頭が 死亡したのみで、事実上猫の殺処分はゼロである。(犬は42頭が死亡または処分) 全国の自治体で処分される猫は、ほとんど全てが野良猫といってよく、その中で も約8割が子猫といわれている。 こういった不幸な子猫を増やしているのが、過去にも何度か書いたが無責任餌やりであることは明白。 ある自治体に問い合わせたところ、今年に入って、餌やりが増やした子猫の引取 りを全て断ることにしたところ、保健所に入ってくる猫が半減し、殺処分の数が 3分の1に減ったそうだ。 この自治体によると、全国で殺処分されている子猫の「少なく見積もっても半分以上は餌やりがらみではないだろうか。普通にしていれば野良猫は問題になるほど数は増えない」とのことで、非常に納得した。 熊本市も状況は同じであろう。熊本市が偉いところは、殺処分ゼロの称賛に浮かれていない点だ自分たちを称賛してくれる人間に「無責任餌やり(愛誤)」が多いにも関わらず、愛誤が嫌がる野良猫問題の本質をはっきり言っている点だ。 環境省も冊子の中で「餌やりで野良猫が増える」とはっきり指摘していた。 不妊手術すらしていない猫に餌やり→子猫ふえる→次々と死ぬ・・・これは少しまともな知識がある人にとっては当然のことなのに、生まれさせられる子猫はもちろん、地域猫活動をがんばっている方もいい迷惑だと思う。 以前、ある愛護活動家(読んだ限り非常にまともな方)のブログで、野良猫に餌 やりをしていた人に「不妊手術もしていないのに、なぜ餌やりをするのか?」と 問いかけたという話が載っていた。 その通り。餌やりをするなら・・・本当に猫のためを思うなら、まずは不妊手術 だろう。増える野良猫、餌やり自重を 県など呼び掛け ふん尿による悪臭や鳴き声、もう我慢できない -近年、野良猫が増え、苦情や相談が相次いでいる。県や熊本市は「公園などでの餌やりが野良猫の増加に拍車を掛けている」と みるが、餌やり行為を禁じる法令はなく、対応に苦慮している。 熊本県健康危機管理課と熊本市動物愛護センター によると、県内の2012年度の苦情相談は犬が2883件と、04年 度の3918件から3割近く減少。一方、猫は450件から1024件へと2倍以上に増えた。近年の殺処分数は犬、猫とも緩やかな減少傾向だったが、猫は年度、前年度比11%増の2431匹に上った。 野良猫の増加は天敵とされる野良犬の減少も一因だが、「かわいそう」「かわいい」との理由から、空き地や公園などでの給餌[きゅうじ]が主因とみられ る。 県や市は、餌を与えている人を特定した場合、近隣に迷惑をかけている現状を 説明。餌やりの中止や屋内飼育を呼び掛ける。しかし、「虐待しているわけではなく、なぜ餌をやって悪いのか」と、反発されることも少なくないという。 猫は繁殖力が強く、1年で20匹以上、2年で80匹以上に増えるケースも。 同センターは捨て猫の相談に対し、不妊去勢手術や、ふん尿などを地域で適正に 管理する「地域猫」化を勧める。1匹1万5千~3万円かかる不妊去勢手術につ いては、市動物愛護推進協議会による5千円の助成制度もある。 同センターは「猫好きの餌を与える行為が猫嫌いを増やし、結果として殺処分される猫を生み出している」としている。 熊本日々新聞Web版 (2014.1.24)
2014/02/01
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特定秘密保護法をめぐる議論について、本質を理解するには次のシンプルな論点を頭に入れれば良いだろう。すなわち日本に害をもたらす可能性がある外国(たとえば中国、韓国)に対し、どの情報をどれぐらいの期間非公開にすべきか? もちろん対アメリカでも対ロシアでも同じく。国民が知ることができるという事は、外国も知ることができるという事である。そう考えると、特定秘密保護法に対し「国民の知る権利」を錦の御旗に猛反対している勢力の正体や本心も分かりやすいだろう。今、日本で議論されている特定秘密保護法は「機密を漏洩した公務員の罰則強化」であるが、海外では「外国に機密を漏洩した者(一般市民、外国人含む)の処罰規定」すなわちスパイ防止法があるのが普通だ。秘密保護法が「生ぬるいスパイ防止法」だというのはこの一覧表からも分かる。罰則も秘密保護法が最高懲役10年に対し、外国のスパイ防止法は数十年~終身刑・死刑だ。例えば、尖閣周辺の海保・自衛隊のパトロール日程を、ある国民が「知る権利」を主張して得たとする。それが中国政府につたわれば、パトロールが手薄な日を狙って、不法上陸され、そのまま竹島のように実効支配されてしまうかもしれない。そうしたら、石垣の漁師は全員拿捕されてしまうだろう。それどころか、日本は海空の交通路を制圧されて、貿易も交通もストップしてしまって、国民すべてが窮地に陥る。いったい、そんなことを「日本国民」が望むだろうか?どんな「日本国民」に尖閣パトロール表が必要なのだろうか?しかし、それを必要とし、日本に野心を持つ国に有利になることに心血を注ぐ勢力は実際に存在する。分かりやすいことに、彼らは尖閣沖で中国船が日本巡視船を攻撃した映像を、国民の知る権利を踏みにじってひた隠しにし、いざその映像が海上保安庁職員によって公開されると、罰則強化・・・すなわち秘密保護法の必要性を主張していたのだから。※革マル派・・・革命的マルクス主義派。共産主義系左翼団体。内部粛正やデモが凄まじく、リンチや他派襲撃でこれまで多数を死傷させている。※民主青年同盟・・・警察・公安には「民青同(みんせいどう)」と呼ばれる。社会主義系左翼団体。動員力は全国一で大規模デモを実施。かつて、鳩山由紀夫は首相時代にニコニコ生放送で「日本列島は日本人だけのものではないんです」と言い放って、視聴者の猛烈な反発を受けた。しかし、これは実は凄い名言だと思えてくる。日本列島の中に、日本を心から憎んでいる人(単に国籍という意味でなく、真に日本人ではない人)がいることを告発しているようにも聞こえる。
2013/12/02
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