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今日が紅白歌合戦の日だという特別な感情で迎えたのは子供の頃。大人になった最近で新聞を見て、「ああ今日なんだ。」というほど忙殺し、時間の速度が速くなっている感じがする。世の中自体がそうなのか、自分の気持ちがそうなのか。両方が加速しているのだろう。今年もこれで行こうとしているが、これからもっと早い、1、2、3月が待ちかまえている。さようなら、今年。
2006.12.31
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学校での練習問題には出すべき答えがある。しかしそこを出ると、答えがいくつもある。答えが答えかさえも、自分で決めなければならない。今まで自分が学んできた事だけじゃなくて、感じてきた事、自分の背景までも含めてそれが決まる事も多い。よりいい答えの為に自分品質を上げる毎日がこれからも続く、年が明けても。
2006.12.30
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なんだか、外部日記を使えるらしくすごいです。また、1つ賢くなりました。毎日黙々と書いているうちにも新しいことが世の中で生まれて駆けめぐっています。長く書いていると、いろんな事に出会える気がします。
2006.12.29
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目標が出来て良いのは、現状から一直線を引けること。勿論様々な線が引けるけれど、計画のゴールと方向性がしっかりするので、そこに中間チェックポイントを置いて置けばいい。中間点で何を評価するかは、なぜその道を通るかという目的によって異なるので、都度検討する。点が置けるとその間の点も自ずと見えてくる。1つのストーリーが作れるからだ。そのロールプレイを楽しめば良いのだ。宝物を探しにしかし、そこには幾多の苦難、ハラハラする程、その結末をどう作るかが作者、演者の腕の見せ所。しっかりした目標は揺るがないため、その灯台目指して暗夜を進むことが出来る。実行にためらいがなくなり、実効性が上がる。達成度が見える形でイメージできる点でもメリットがある。明日の自分にどう近づいていけるのか。目標を見つけられない焦りより、感じる新しい自分を発見する楽しさを見つけよう。
2006.12.28
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目標は未来の自分の姿。目標設定が大事だと本や人に言われても、いっこうにみえない時期があった。経験や手応えがない中、それを描けないでいた。方向さえも。現状をキチンとやることで良い、その事が大事なのだとおもっていたが、それではしぼんでしまうと、言われている。そうなるために、何を変えるのか。自分の出来る事をしっかりやる。それは誰の何のために役に立っているのか。その事を具体的な形で少しずつ経験していくと、見えてくる。くっきりと「未来の自分の姿」が確信となって。自分しかできないこと、その事のフォーカスを絞っていけば、誰かに喜んでもらえる。それで身を立てられる人間になる。支持を受ける。才能と愛情を持って今日に自分を映し出す。
2006.12.27
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自分の読みたい本はある一定の嗜好(指向、思考、試行)性に縛られている感がある。もちろん、自分の今の問題意識に近いものからその解決方法を模索しようと、同じ思いの経験・上級者からお知恵を拝借したいが為でもある。そこで、それがどれだけ自分に身に付いているか、身近な方々とのコミュニケーションや向学の方法として小さなプレゼン勉強会をワークショップとして思いついた。 自分で読んだ本を頭でまとめて、図解し、人に伝える会。最初はうまくいかなくても徐々に人前で話すことの楽しさを実感してもらえるようにする。その中で、彼らに自分にフィットした一貫した考えと方法論を持ってもらえるプログラムに鍛えていきたい。主宰した自分としても、他の人のセンスを学べる生のエンターテイメントを享受できる。小さな企画だが、僕の心をちょっと揺り動かしている。
2006.12.26
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教育とは生きていく術を得るための体験をさせる場所。体験して、感じてもらわなければならない。ネガティブな事でも、それがどうしてそうなのかを感じる。感じれば、考える。結論を出させる。行動させる。それが、逃避であってはいけなくて、解決に向かわせる。その、思いを教育する側はもっていなくてはならない。しかしながら、自分の思いどおりに、相手は考えない。自分と相手は違う人間だという認識からこちらはスタートしなければならない。そのためにどうコミュニケーションをとるのか、同じゴールが見えるのか。はたまた、それを持てるのか?すり寄る可能性の限り折衝する。まさに根比べ。スムーズにいく事が当然は誤認。モチロン自分の思いも常に鍛え、批判に耐えうるものになっていなくてはならない。揺らぎ、方向性が検証されていなければ意味をなさない。立場にある者、そこに襟を正さなくてはならない。
2006.12.25
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小さなチームでは、個々の力が洗練され(続け)、集約されなければいいものは出来ない。それぞれが高い意識をもっていなくては、目標達成へのエネルギーが生まれない。高い意識は、期待(する・される)感と達成感で生まれるのではないか。快感のない持続など有り得ない。コントロールするのは人をではなく、方向性。その条件が無くては、ただ間延びするのみ。駆け抜けられない。その中での自由度を最大限にする。采配と装備を任せてみる得る余裕をリーダーが持ち合わせれば、遙かにチームの鮮度はあがるはず。失敗が誰もがし得る想定内か否か、リーダー自身にチャレンジがなければ、進化はないのだから。自分のイメージに近く、ハンドリングがいい仕事にするには、メンバーがその方向性に確信を持ち、自分の能力を最大限に発揮できる環境を整えるのが、リーダーの務めではないか。
2006.12.24
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僕たちは毎日何かを通り抜けている。そっと温めてめた気持ちの網の目にすくわれるくるもの、素通りするもの。何度と無く出会っているのに、見えているもの、見えてないものやれたはずなのに形に出来たもの、出来なかったもの残ったもの、逃したもの、その色分けは様々だけど、どれも何かを気づかせてくれる。
2006.12.23
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今年は様々なチャレンジを行ってきた。安定したメンタリティで来れたことも自分の成長を実感する材料となった。40代になって心持ちの変化が、充実感になるよう。実効性のある自分でいたい。来年は来年の波が来る。そう、それに乗りながら自分の視点で凝視するのだ。
2006.12.22
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目標にしていた年間の仕事が今日で一段落。全てをこなせなかったが、残ったことは再度練り直して来年の課題としてチャレンジ項目へ繰り越しとなった。とりあえず、今年は師走に予定が入ってなかったのが非常にありがたく効率が上がった。空回りに忙しいのはやはり、疲れだけが残る。自分をセーブしなくてはという去年の教訓を活かす結果となった。年末に向け、あと一息
2006.12.21
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今年は色んな事をやってきたが、数字をみると、結果にも反映されているらしい。結果を求められている以上、それを出すのは当然だが、その事に執心していると、仕事をする面白さに欠けてしまわないか?要は自分が「ちゃんと」こなしていれば、結果はついてくる。そこに「してるはず」だと弱い。「プロセス、プロセス」と主張する中に、見えない結果が存在するのか?方向性に確信を持って、直線で走る。出来た結果に満足ではなく、その確信に対する信頼を感じたい。そう、そこで終わらないために。
2006.12.20
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ブログもこうやって長くやっていると、会ったことのない方でもいろいろとお世話になる機会が出てくる。数人のキャリアをお持ちの女性の方々からコメントのリクエストを頂くことも最近多い。お送りしたコメントが問題解決に役に立ったとお返事を頂くと、自分が学び、経験して来たことが、応用立証された気持ちとなり、自信を深めることが出来る。どんな考えでもそこに活きなければ、生きない。突きつけられた課題に真正面に向き合う事で、自らのキャリアが上がると信じ、実際にそれを越えると、次の日から余裕を持てる。大きな問題にぶち当たった時はそう思う。だって、出来れば苦労とは出会いたくないから。
2006.12.19
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最近、締め切りのある原稿づくりが続いている。締め切りがないと、やらないのは常套手段だがやはり、タイトな場面では普段の力が出るというものだ。土壇場でのコーディネート力がものをいう。試験勉強でも、直前のノート集めが重要である様に、出そうな所の情報の載っている人のものをどうゲットするかにその成否がかかっていた。今は、ちゃんと自分でオリジナルの情報を作り人様に見てもらう機会が多くなったが、これを整理して、プレゼンするのは、結構時間がかかるし、よりエンターテイメントに仕上げるには‥、でも、頑張ってやります。
2006.12.18
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自分で新しいこと、更に上を向いていこうとした時お墨つきがあるととても心強い。かけてもらった声が大きな力をくれる。期待と評価が自分の気持ちを後押ししてくれる。ずっと心に温めていたモノがすっと、滑り出すように。振り返れば支えてくれる笑顔に会える。背に感じるポカポカに頑張る気持ちが冬でも芽吹く。
2006.12.17
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集中×時間×思いやり以上 今日の教訓
2006.12.16
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あなたはどんな時生きていて良かったと感じますか?スポーツや勉強でいい結果が出た時?いい仕事・作品が出来た時?良いパートナーが見つかった時?子供の寝顔を見た時?みんな、一生懸命が報われた時そしてそれが誰かに伝わった時そう思うのではないでしょうか。
2006.12.15
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様々な飛び込み営業がやってくる。 結構(?)という人も多い。 先日もある契約の自社への変更の営業が来た。 説明を聞いて、「まあ、いいかな。」と思った が契約書をみせてもらった。書面自体に問題は ないようだったが、説明の内容に一縷の疑念が よぎり、やはりしないことにした。 メリットのみを提案するスタイルのその代理店の 人と契約後会うことがないというのもなんだか気 味が悪いなと。 やはり、乗り気にならないものはしない。相手に 悪いなと思ってズルズルと行く方が、結局後味の 悪い思いをする。そこで、撤退する事をためらっ てはいけない。 理屈を越えて、感じる「何か」も自分のスタンスの 一部だし、自らを守る動物的なリスク回避ツールだ と感じた。
2006.12.14
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ただ、それが整理されていないだけ。それを見える形にする。次への意識があるか、出力をどこへ向けるか。自分の位置を知る事を知る。
2006.12.13
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それをつかむと、「お」が「表」になる。表があれば裏もある。陰陽があるように、1つの問題点にはもう一つ逆の見方がある。自分の毎日も表裏一体で動いている。幸せでもその先に危険が潜んでいたり、落ち込んでいても、いつかは晴れると慰められる。今日のお題は明日はひっくり返るかもしれない。大企業がいとも簡単に倒産したり、それを目指して頑張っている成績のいい子が必ずしもいい子であったりしないし、いい子は幸福であるかというと、またその子にも心の闇があったりする。これまでの常識が思いっきりひっくり返る、まさに不確実な時代に、今にしっかり足をつけてじっと明日に目をこらす一瞬を、見据える時間が今日のお題。
2006.12.12
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自分のイメージに向かって、時間と能力の全てを使って、様々なスキルを手に入れていく。その使い道を誤ることはないのか?最初のスタートが間違っていれば、大きくその意味合いは変わっていくだろう。自分の持っているものを、更に研くその先にそれを何のためにどう使うのかという事がしっかり軸を持っていなければ、スキルが素晴らしい程効果に重みがなくなってしまう。様々な経験を身につけ、力任せにしない。スキルの素晴らしさに振り回されない自分に挑戦しよう。
2006.12.11
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うちの親父がもう長くないと言われていた頃病床で「オヤジに親孝行できんやったな~」と言っていたと周りのモノから聞きました。当時遠方で学生生活を送っていた私は週末戻りオヤジと過ごしていました。私が本来言うべきセリフを、7年前に亡くなった自分の父親に対しての思いが人生を終えようとしている父からもれたのには胸がギュッときました。父は自分の父親の死に目に会おうと、実家に戻ろうとしたとたん、普段ぴんぴんしてたのに、もの凄い腹痛に襲われ、叔父に往診してもらいました。結局、間に合いませんでしたが、父が肩代わりしたのか、それまで苦しんでいた祖父にはお迎えが来たそうです。おそらくその事が自分の死期を悟った時によぎったのでは。その週戻った時「じゃあ。」と別れました。次はもう会えないかもしれないと踏ん切りをつけながら汽車に乗り込んだのでした。3日後父の危篤の報に空路戻りましたが、もう昏睡状態で話が出来る状態ではありませんでした。さすがに帰りたがっていた自宅からの出棺の際には言いようのない感情がおそってきたのです。何年経っても、いくつになっても変わらない悔しさは、僕も自分の最期を悟った時また大きな波としてにこみ上げてくるのだと思います。自分の命がなくなると言う時、中学から家を離れていた私は帰省した時もほとんど会話をする事がなかったですが、病床で「世間は汚いぞ。」ってぼそっと言いました。今思えば、遺していく息子を案じてそう心配したのかと思います。自分も子供に何を遺してやれるのかと思います。今日で父が亡くなって19 年。親父の遺した診療所をやっていますが、今でも昔父に診てもらったと言って来て下さる方がいらっしゃいます。ありがたい事です。久しぶりに父の事をゆっくりと思いました。また志を新たにして頑張れそうです。
2006.12.10
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父の命日を前に身内に不幸が。普段なかなか会うことのないいとこ同士再会する機会となった。もう20年近く会っていない遠方で活躍する人が戻ってきた。地場で働いているけれど、なかなか会わない人とも。いざという時普段会っていなくても、言葉はなくても、同じルーツを持つもの同士のテレパシーでつながっている感覚を覚えた。年長の親類に細部を伺いながら、しきたりに触れる。これも、普段知らないことが多い。こういう時は知恵のある方に伺うしかない。経験のある方にそばにいていただく事は、何よりも心強い。これも血でつながっている。忙殺する毎日の中で、身内のありがたみを知る機会となった。
2006.12.09
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若者の可能性と可塑性を、もはや僕らは持ち得ていないか?そこに伴走出来なければ、彼らに見習うべき点は山ほどある。若者だから許される事、それが未熟と映るのなら水々しさを通して彼らを見て閉じこめらているのは自分達の方だ。その情熱に負けない、その向上心に食い下がろう。「彼らのポテンシャルを引き出そう。」なんて傲慢な気持ちをやめ、「どう生きている」人たちに学ぶ。同じ時間、平行線で動いているというだけでなく、その濃密さを競おうではないか。
2006.12.08
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いっぱいいっぱいでやりきれない時はあるさ。じり貧頭とヘトヘト体にむち打っても良い物が出てくるとはとうてい思えない。自分の羅針盤さえしっかりしていれば、その道を確実にいける。後はそれを後押しする力を風待ちか、自走できるかだ。時々は風を待つのも悪くない。大人になって、ちょっと待てる間合いを持って思うこと。
2006.12.07
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調子が悪い時は、どうしても気が重い。何かやろうとしても、やる気になれないというもの。そんな時は元気のいいところに行ってみる。元気な声が行き交うところには笑顔が待っているはず。何はなくとも、元気なのである。元気からは何か出てくる。挨拶で声を出そう。目と目で話そう。話題を探し、笑顔を作ろう。にぎやかな所に人は集まる。
2006.12.06
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朝、今日やることを書き出す。今日をどうデザインするか。時間にして5~10分という所だろう。しかし、実際には前日の予定の進み具合にリンクしているので、その日を過ごしながら明日へのメモをとる。朝はそれの再編集と確認なのだ。寝る前に明日への期待を織り込みながら予定を紙に書き出す。頭のイメージを紙に覚えてもらって、空にする。そうしたら、よく眠れて朝もスタートダッシュが出来るのだと感じている。ちょっとした工夫で何でも出来る自分になれるのではないかという位能率が上がると実感。
2006.12.05
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思いつく、そのこと自体が頭をグルグル回している証拠。思いつく、頭のなかの吹きこぼれ思いつく、わっとうれしさがはじける。思いつく、もう行動を始めたくなる。思いつくで、ちょっとこれだけ言葉が生まれる。思いつきをふくらませば、自分を元気にさせる。
2006.12.04
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昨年の今日、入院した。あれから1年。病気は全てを止める。勿論、周囲に迷惑をかける。元気でいる時は、思いもかけない。出費も思いがけない。朝、みんなが出勤している姿をみるにつけ、社会から日常生活とはかけ離れ、身ぐるみ剥がれた気持ちになる。起き抜け忙しそうにしている家内に、朝「1年経ったよ。」と言った。「そっか。」と返ってきた。普通の毎日を迎えられる。元気にこうやってこれている今を改めて感謝する。
2006.12.03
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思いがけず誰かから連絡をいただくと、やはりうれしい。人は期待されると、力を出しやすい。勿論、頼み事をされるとイヤな時もあるかもしれない。けれど、何かあって自分を思い出してくれた。思い出す、誰かを。いつか自分もその側に。動く気持ちに、浮かび上がるその顔。「期待される人」しかも「へし折れない」そんな人に行き着きたい。
2006.12.02
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いよいよ師走。『今年最後』がどんどん始まります。出来るだけ予定を入れないで(難しいけど)充実の一年を締めくくりたいと思います。
2006.12.01
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