全29件 (29件中 1-29件目)
1
ビルの隙間風は肌を迷わす矢。衣服越しに浮遊、この真面目でもふざけてもない曖昧な立場。構成もなく、ただ通過のみで、繰り返さず。敢えて繰り返すならば、但し書きを挿入。本質を簡単に分かりやすく詳細に執拗に話す。何でも知っている。知らされていることは。革命の戦士が隠れて少年マガジンを読んでいる。舗装された道路の上に生をまっとうした枯葉。死をもって腐敗し、土に返り行く自然の摂理を拒否され、道の脇に虐げられたもの同士、徒党を組んで重なっている。人間に安らぎを与えるために強制的に植えられて、挙句に果てに溝を詰まらせて邪魔者とされる。吸い込んだのは動物の吐いた二酸化炭素ではなく、排気ガス。気づいて欲しかった。忙しい病に冒された人々に無視されて一生突っ立っていた。ずるい、ズルイとは言わないけれど。気楽に生きていけるようになったから楽なはずなのに。現実は、楽だから気楽に生きている。どうでもいいことを犠牲にして生きている。それは面白くない。どうでもいいことを犠牲にして生きている。差別する対象ぐらい自分で決めさせろ。先入観と道徳と教育と幼児体験が入り混じって判断が鈍る。排除がやっかいだ。外側にいるのかな、と自分は思う。外側をつくるから内側ができてしまう。 どこにいったのか、テーマ。地下道、肉の塊が服を着て申し訳程度に不快にすれ違い、不寛容を綴る。やけに明るいアーケード。繁栄の中での許容。家路を急ぐ。遠いから。遠いから疲れる。寝るだけ。そこそこの、満足を得られるだろう、そこそこの満足を設定したら。
2004.02.29
コメント(0)
船井農場を経営する浅田農産(兵庫県姫路市)の鶏大量死事件が勃発したが、いつも買うまだ安心できるのではと思っていた生協の卵がここのが使われていた。身近になってきたわなあという印象。最近、農場の名前や作っている人の顔写真をのせて売り場に野菜などが積み上げられているが、裏目に出たか。 生協では返金するとの返事。今日は、8時間ぐらい立っていた、わしゃ病気なんや。おまけに偏平足なんや。それに色弱なんや。耳も遠いし、視力も悪いし、鼻は詰まっているし、加齢により歯と歯に密かに隙間までできてきよった。もはや取り得は顔しか残っていない。ピンチである。 はしれ・はたらけ はしれ・はたらけ はしれ・はたらけ はしれ・はたらけ とまれ・やすめ解体工事しろ自己解体しろ脳のチューンナップしろ
2004.02.28
コメント(2)
ワタシの後輩にHという奴がいた。彼の名誉のためにいっておくと、彼は現在立派な、いや、多分立派な商社マンだ。かつて世界最大の床面積を誇っていたという、いや、ペンタゴンに次ぐであったか、旧パンナムビルにて勤務していた筈だ。彼が何故ニューヨーク勤務かは不思議なのだが、海外セイカツに憧れて入社したのになかなかどさまわりの海外赴任は嫌がる社員が多いという。しかしHはいきなりインドネシア希望、そしてアメリカ勤務。エリートではない、ジャカルタ空港にえらいさんをサンダルにTシャツで迎えに行き、しばかれたり、寮が完成し、社長が視察、たまたまエントランスから一番近かったHの部屋を見た瞬間、目ん玉飛び出し呼び出し。あまりにもの汚さに。かつて、彼は、しっかりジャンキーだった。その話をしようとしたのだがまた今度にしよう。じゃあ今日の日記は何だ!ナンだろう。 http://pya.cc/pyaimg/pimg.php?imgid=1944 http://pya.cc/pyaimg/pimg.php?imgid=1889 http://pya.cc/pyaimg/pimg.php?imgid=831 はしれ・はたらけ はしれ・はたらけ
2004.02.27
コメント(1)
今日-昨日=0の虚無、恐怖、虚構。仕事をすることは向いていないと思いながらも食べるために。せっかく多くの時間を費やすのだから楽しんではいる。いや、そう努力している。W大学の知人が卒論を書くときに言っていた。「せっかく書くのだからいいものに仕上げたいね」と。彼は、アフリカのレソトという国で交通事故にあって死んでしまった。私は一周忌に、新幹線乗っていった。食事が用意されていたけれども、固辞して帰った。メロンが送られてきたが、不在続きで受け取ることができなかった。次にビールか何か腐らないものが送られてきた。母は息子の残した大量の手記(彼は卒業後出版社に勤めたし、またミニコミ誌を発行、私も随分載せて貰った)から私との関係(といっても深いものではない。チベットで出会い、2ヵ月後、パキスタンで偶然再会し、そのままイラントルコを一緒に旅してエルズルムという街で別れた)を知り、私との往復書簡を読み読み、一度電話をしてきて生前は息子がお世話になったと丁寧な挨拶と、あなたのことは息子の手記でいいろいろ知りましたといってくれた。いやこの話をしようと思ったのではなかった。 私は今時速2キロぐらいでは、びっこひいて歩けるまでに回復してきているのであるが、多分であるが松葉杖フェチの方はいるのではないかと思った。いやこの話をしようと思ったのではなかった。フリークス、あっ、昔、フリークスという映画をみた。http://www.meisakucinema.com/catalog/product_info.php?products_id=31今なら人権問題などが五月蝿くて多分作製は無理だと思うが、しかし、フリークスが普通として描かれている作品であった。 それにしても皆様、歩くのが速い。そんなに急いでどこに行く。全く、人ごみの中では匿名性を発揮する。家路は遠い・・・ はしれ・はたらけ
2004.02.26
コメント(2)
一昨日より原因不明の通称ゴルゴ13病でついに歩行困難になったため、医者に行くことにする。といっても、以前7、8年前に初めて発病したときには、総合病院、町の整形外科、はり、と行ったのだが、原因不明のまま、取りあえず痛み止めを貰って、困っている間に勝手に治ったという経験があり、もう一度総合病院に行ってみる事を決断した。まずは朝からネットで近隣総合病院を検索、しかし良し悪しは分からない。とりあえず近くが良いということで、びっこひきながら家の前から車を拾う。 病院というものもそのとき以来であり、結局受付から採血レントゲンそして問診から薬から会計までに4時間という多大な時間を過ごした。うち待ち時間は3時間55分である。原因は、結局は分からなかったので、痛み止めと痛風ではないけれども痛風の薬を出してもらった。今日一日は静養である。最近購入した文庫本「アポロってほんとうに月に行ったの?」朝日文庫まあ30分ぐらいで読めます。「監視カメラ社会」講談社α新書こういうのを読むと近未来の超管理社会に危機感感じますね。「不肖宮嶋の一件必撮」文春文庫また宮嶋本買ってしまった。気休めになる。「アカデミー賞」中公文庫川本三郎だから買ってしまった。「怪しく奇妙なアジアウラ楽園」もうええちゅうねんいうのに旅行本かってもた・・・しもた・・・「上海」PHP新書2年前と15年前に行ったので・・・ついつい・・・「プラハ歴史散策」講談社α新書プラハに反応してついつい・・・「豊かさの条件」岩波新書まずは自分が豊かにならんと意味がないとおもいつつ・・「パラサイトの教え」新潮文庫寄生虫本もたまってきてしまった・・・あぁ今日は大人しく、傷を癒す狼のように、椅子に尻から根を生やしておこう。病院まで飛ばしていくでぇ~ タージマハルを頭上から。かつて友達を5時間待たせた門も見えるわ。http://www.spaceimaging.com/gallery/top10_2003/top10_8.htm5秒楽しめるhttp://www001.upp.so-net.ne.jp/bonnamu2/hanamegane/index.htmlアブねえ燃料補給http://pya.cc/pyaimg/img2/2004022212.wmvhttp://pya.cc/pyaimg/pimg.php?imgid=2705ユーロとイタリアhttp://pya.cc/pyaimg/pimg.php?imgid=344http://pya.cc/pyaimg/pimg.php?imgid=421こわいよhttp://www.geocities.co.jp/SiliconValley/4358/red_room1.htmlこれは見るの大変とりあえず結婚式にてと13がおもろいhttp://www.globetown.net/~hatabou/http://www.geocities.jp/gatoo777/index.htmlマトリックスhttp://www.ntv.co.jp/channel/asx/hkzkt10.asx 運試しhttp://www1.odn.ne.jp/~cay36680/test/
2004.02.25
コメント(3)
考えれば20年近く前から、私の実家、昔の新興住宅地は終わりに近づいていたように思う。1970年に分譲され始めた住宅街。時代は、いかに若くして家を持つかが、今後の資産形成に大いなるキーになっていた時代であった。その通りでガレージを持つ家は私の家以外に1件だけであった。1980年代、通りのすべての家が、前を改装工事して駐車場を作り終えていた。1990年代、私も含め自分たちの子供が巣立っていく頃。2000年代、住んでいるのは老人たちが中心。1980年代、すぐ近くにスーパーができ始め、八百屋がピンチになった。私は文化祭の準備でどうしても急遽リンゴがひとつ必要になり、その店に5年ぶりに行った。いつもこの店ではザリガニ釣りのえさであるちくわを買っていたのだった。 店に入ったがなかなか誰も出て来ない。たしか当時はちくわはオープンになった冷蔵スペースから取って買っていた気がするが、冷蔵庫等機械類がない。懐かしいおばちゃんが出てきた。リンゴは2つセットが一盛だけ売られていた。「いるのは1つだけなんだけどな」と私はいった。おばちゃんは少し困った顔をして考えたあげく「じゃあひとつでけでもいいよ」と言って値札の半額で買った。暫くして10数年続いたそ店はシャッターが下ろされ二度と開くことがなかった。タイ南部の港町プラチャプキリカンにてhttp://www.geocities.jp/doiyoh1127/1puratyapkirikan.JPG
2004.02.24
コメント(0)
デリー駅とニューデリー駅は約4キロ離れている。インドで大きな町では大抵駅を出ると多くのリキシャワーラー(人力車夫)に囲まれる。鋭い目つきでぼったくれる外国人をみるやいなや「乗れ乗れ」攻撃を執拗に繰り返してくる。 都市とは、概ね、排除を元に成り立っている。特に生き物の排除。そこに許されるのは愛玩動物しかいない。しかしインドの面白い所は、たいていの都市部にでさえ、聖なるノラ牛、聖なるノラ猿、ブタ、鶏、いたち、そしてさすがにノラではないが象まで、いろんな動物が雑多に混じりながら都市を形成している。そこに人間が混じっている。 そんな中にリキシャワーラー。供給過多になっているのを気づいていないのか無視しているのか、我も我もとたった一人の私に値段交渉だのすぐに乗れだの囲んでくる。私は奥にひっそりたたずみ売り込み攻勢をかけてこない男を指差した。「おまえでいく、値段は4ルピーだ」気の弱そうに見えた諦め顔だった高杉晋作似の彼は「何でボクが」とでもいいたげであり、猛攻をかけてきたワーラーたちの罵声とときに高杉晋作の頭をこづく奴まででてきた。 高杉晋作はしなやかな腕を上げ、首を縦に振り、アチ(いいよ)、と言った。ガムチャ(手ぬぐいのようなもの)で汗を拭き、彼はペダルを漕ぎ出した。他のワーラー達の罵声が背後に聞こえる。まだ5ルピーなんていってる奴もいる。時に、荘厳で命をすり減らす乗り物である。 以前東京に滞在している頃、フンデルトワッサー展を新宿にて見学した。当時、まだ生きていると知ってびっくりした。今日、彼の作品が大阪のUSJ近くの舞島のゴミ焼却施設も彼がデザインしていたことを知った。USJと間違えてく人が1日何人もいるということを聞いていた。阪神高速湾岸線からも奇抜な煙突が見える。http://osaka.yomiuri.co.jp/new_feature/tanken/020512.htm 煙突といって思い出すのが、バタシー発電所だ。ロンドン。私はこれがピンクフロイドのアニマルズのジャケットの実写とは知らなかった。あれは空想画と思っていた。古典主義の柱、うーんシュール。http://www.tky.3web.ne.jp/~pennywiz/london/UK5.htmlhttp://sound.jp/b-ko_uk/trip/floyd.html何を隠そう、私は持病を持っており、今かなりやばい状況である。痛風に似た現象で、足に圧力がかかると痛くてびっこをひく。4年ぶりにぶり返しそうで、大変憂鬱である。原因は、何箇所か医者に行ったが不明で、数年に一定期間腕が動かなくなるゴルゴ13を見習って「ゴルゴ13病」と言っている。 歩かなくて、世話をしてくれて、ついでに収入も入ってくるならまあ当分歩けなくても自然に治るから良しとしよう。しかしそうではない私はいつまでもこのままになってしまうのではという焦りに、あせるのである。すべてがおっくうになるのである。
2004.02.23
コメント(5)
昨日、夜中にファミリーレストランに行き、酒を飲んだ。酒だけを飲んだ。朝が近づいた。2時間寝て、会社に行った。自己欺瞞自己撞着
2004.02.22
コメント(3)
某大学ワンゲルの救出費用2090万円ですね。http://www.tbs.co.jp/hanamaru/week/tue_new.html 新生銀行525円で本日上場してから823円ですね。奇しくも本日新生銀行からキャッシュカードが届きました。ネットから振込みすると手数料無料だからですね。早速、今月から活躍することですね。しかし、ワタシが危惧するに、怠け癖が出ないよう注意したいものですね。先日購入した靴は、紐を通すのが面倒で、もう1ヶ月がたちますね。新しく買ったファックスなんて半年たったのにまだ箱開けてないですね。18歳のときに、夜中に一日、近所の小学校横の道路工事のアルバイトをしたことがありますね。学童が安全で快適な通学を楽しむためですか、車に注意を注がせるためでしょうか、校門近くの前の道にグリーンベルトを敷いていくという土方アルバイトだったのですね。赤はモノが近くに見え、緑は遠くに見える傾向がありますね。その後、私は何度も当時乗っていた原動機付自転車RZ50でその前を通りましたね。そのたびに「このグリーンベルトは私が作ったんじゃい」と感慨深いものがありましたね。またこういった仕事は区切りがあるからいいですね。どこまでいってもエンドレスっていう仕事は辛いですね。形に残らない仕事も寂しいですね。 さおならさよなら さよなら。http://www.geocities.jp/doiyoh1127/1ararattmaountain.JPG
2004.02.21
コメント(0)
先程く分からないが近畿カクテルつくり兵庫県大会優勝かなにかされたばーにさっき行ってきた。水割りは、氷は入っていない。
2004.02.20
コメント(3)
先程、腹が減ったので出かけた。駐車場までは何を隠そう遠いのだ。およそ5分という距離で、その間に不動産やが4件、カラオケボックスが1件、コンビニが1件、バーが1件、薬やが1件、クリーニング屋が1件、酒屋が1件、パン屋、カット屋豆腐屋写真屋中華惣菜などなどが続いていくが、それはどうでもいい、今日は、ワタシの腕には文庫本が20冊、意味なくポストに入れていくのである。 全く迷惑な話である。パーマ屋に「ビジネスマンのためのインド入門」を酒屋に「だいたいでいいじゃない」吉本隆明大塚英志を豆腐屋に「神戸新聞の100日震災地の1826日」をパン屋に「法の番人に気をつけろ」を不動産やに「世界企業のカリスマたち」をウドンやに「知の編集工学」をラウンジに「ヘッセ詩集」を花屋に「ねこじるだんご」漫画を中華に「昭和史の謎」を明日、楽しみだ、ウッシッシシ3700メートル程度が高山病の分岐点だ。(富士山があと100メートル高かったら随分違ったであろう)ラサのダライラマの宮殿ポタラを登るだけで息が切れ、めまいがする。でもまた行きたい。
2004.02.19
コメント(1)
歩き過ぎで足疲れた ロバートキヨサキ本の話をまたぎきの又聞きです。次の3つの優先順位はどれですかA.安心を得ることB.快適を得ることC.お金持ちになることそれはおいといて、なか卯にに入ったら何も食うものがなく困った状態になった。http://www.geocities.co.jp/Milano/1095/yosinoya.htmクイズなので別にどれから答えてもいいし、質問方法によって優先順位も変わって来るだろうが解説はこうであった。ABCの順番で選んだ場合。Aを得たら次にBのステップにはなかなかいかない。ましてやCについては思いつきもしないことが多い。これはサラリーマンに多い。CBAの順番で選んだ場合。実は、成功するにはこの順番がいい。しかし、こう考えても、Cを実現させるだけに注力したらうまくいかないらしい。そのステップとしてA,そしてBをどうやって実現していくかを考えて実行していってはじめてCが得られるという。では、AそしてBを同時にCを達成していくためには何が必要なのか、それはプランらしい。ファイナンシャルプラン。これは人それぞれ夢目標が違うので、専門家と相談した方が良い。一律ではないのだ。そして、それを実行することだそうだ。淡々と、繰り返し繰り返し同じことを積み上げていくのがよいらしい。(らしいばっかりや)じっと我慢することが大事らしい。ちなみに蛇足だがBAの順番の人は、Bを得るためにAをも同時に考えなければならないということだ。ワタシは迷った。ABCにしたら、BはAを含む、CはBAを含んでしまうから(つまりそりゃオカネがあれば快適だが、快適なら必ずしもオカネがあるとは限らないから。快適なら安心している状態だが、安心しているからといって必ずしも快適とは限らないから)だからステップ踏んでABCか、それともCBAかその場合、一気に3つとも考える必要がでてきてしまうから能力的に無理か??などと考えていた。そういえばあるスピーチでの、ある人が帰国した際に税関でとめられてパスポートを税関員が見ながらの会話税関員、その人のパスポートみて、「年に何回も海外に行かれておられるようですが、どうしてですか?」その人「お金持ちだから」また自転車旅行してみたいとふと思った。http://www.geocities.jp/doiyoh1127/1bycickethai.JPG(タイ縦断していた頃)
2004.02.18
コメント(3)
DVDとテレビが接続できないせっかくいっぱい書いたのに消えたわ 消えた
2004.02.17
コメント(3)
イラントルコ国境。奥にノアの箱舟で有名なアララット山が見える。 イランからトルコに入る手前の国境のことを思いだしていた。夜行バスと乗合タクシーで国境に来たときに、山から浮かんできた朝日を拝むことができた。お茶屋に入り、イラン式に角砂糖をかじり、チャイ(紅茶)を飲む。隣席に座っていた村のおじさんが、旅の記念にしてくれと自分がはめていたリングをくれた。透明で純粋な空気が辺りを覆っていた。ノアの箱舟で有名なアララット山の麓だからなのか。神聖な山が神々しく見える。朝の哲学ニーチェやなあ、と私はつぶやいた。 そして今日の朝も澄み切っている。 チーズはどこへいったというベストセラーを100円で買ってきて読んでみたが、結局誰がチーズをつくったのかは分からなかった。多分主旨はそんなことではないのだろう。多分アメリカでのブルーカラーとホワイトカラーのことを書いているのであろう、あれ、違うか・・・ 我々の世代がだんだんテレビやマスコミの世界でも力をもってきたのだなというのが分かる。我々が10代後半から20代前半に流行っていた曲がドラマに使われたりしだしたから。皆、タイムリーに聞かない曲っていっぱいあるのだが、初めて新鮮に聞く人の反応をみるのは面白い。 確か、モンキーズのデイドリームビリーバーをRCサクセションがタイマーズとして歌っていた時に、母親の世代の人が私を珍しそうに懐かしそうに見ていた。 外国からの送金受け取りが多い国ベスト3はインド、メキシコ、フィリピン。確かにフィリピンは日本への水商売、香港のメイド、中東への肉体労働など、行けばいくらでもそんな人に会える。全世帯の2割が何らかの送金を受けているらしいし、政策より建てられた住宅より、送金や持ち帰った金で建てた家のほうが断然多いという。フィリピン政府まで認めている。 先日、久し振りに車で大阪市内の花園という場所を通った。あれは確か大学1年か2年の頃のことだった。フィリピンからある男が(Bとしよう)日本で働く奥さんを訪ねて花園というところに来ているから、来ないかという誘いを受けた。その男は、一生懸命貯めて送金したお金だというのに、成田につくやいなやタクシーに乗り「オーサカ、オカネアル!」といって成田から大阪まで交渉してそれでも10万円以上かけて大阪に来た。 それでも、Bはやたらオカネの羽振りはよかった。数ヵ月後、友人宅に、コレクトコールでマニラからBは電話をかけてきた。「タイヘンナコトニナリマシタ(ガチャ)ツーツーツー」さらに数ヵ月後マニラに行った際に消息を聞けば、島に隠れていると噂で聞いた。どうやら密造していた拳銃でトラブルがあったらしい。 今となっては、何が本当か分からない。しかし彼は決して私たちにたかってこなかった珍しい男だったことは確かだ。
2004.02.16
コメント(0)
知り合いの伝手で家電製品が大幅安になるというので、70キロ彼方の地、姫路市へ、夕方より向かう。DVDプレイヤーを購入。姫路には従弟が住んでいるので、昨日より、話があるから寄らせてもらうわといって家に突入。そこで気がついたことは、私は知らない間にはじめて従弟(母の兄の次男)に女の子が生まれていたことを知る。実は、母方には兄弟姉妹が4人いるのだが、その4人はそれぞれ2人ずつ子供を産んでいるのだが、合計8人は結婚してたり独身だったりで、私を最年長に毎年うまく一人ずつ8年にまたがっているのだが、誰も子供がまだいなかったと思っていたが、ここに4ヶ月の子供、そして母の妹(4番目)の次女が1歳の子供がいることが判明した。 いつの間にか私はおじさんになっていた。 考えれば、母の兄は、酒の飲みすぎで死に、弟は気性の激しい人で、既に4人目の奥さんがいる。末っ子の妹は大人しいところを一気に引き受けたようで静かな人である。 まあ、前置きはそのぐらいにして、従弟に話をしようとしたのだが、子供が泣き泣き、わめき、笑顔になり、あやしている間に時間は過ぎてしまう。 従弟は千葉真一の事務所にかつてアクションスターの卵として学校に入っており、挙句にバクテンが得意、そして、全国の小学校を忍者劇団として転々としていた時期があり、現在は家業、仏壇職人として生計をたてているのだが、サスケの体育王国という番組に2回出てテレビに映っているといってビデオを取り出してきた。 私は「山田勝己この前一緒に仕事したがな」といったらびびっていたが、まあそれはどうでもいいとして、そのビデオには従弟の雄姿が。http://www.tbs.co.jp/taiiku/corner/dizzy/index.htm(何と、PCで検索したら出てきた)帰りに、手柄山遊園地の観覧車が見えた。(見なくていいよ)http://www.city.himeji.hyogo.jp/barrierfree/spot1/spot1-9/移動式の観覧車は哀愁があってヨーロッパ的だなあと思う。ベルリンのブランデンブルグ門の脇にもあった。寂しい感じがなんともいいんだなあ~姫路城昨日のパスタ 大根すりおろし半分。大葉数枚切り刻む。なめこ(あれば)ツナ缶1個。カイワレ1個。山芋(あれば)すりおろし。つゆ。わさび。これにアルデンテのパスタ混ぜまくる。和風ひえひえパスタ、あまり冬はお奨めできないが、夏ばてには最適。
2004.02.15
コメント(1)
あの頃、韓国と台湾を経由してバンコクに至り、そこで20日間を無為に過ごし、列車に20時間揺られ、バスに24時間揺られ、シンガポールを経由し、船に延べ50時間揺られ、延べ12時間歩き、延べバスに130時間揺られ、延べ列車に50時間揺られ、寄り道をしながらバリ島に辿りついた。このままロンボクやフローレンス等の島づたいにオーストラリアに行きたかったが、バリで沈没。 その間、確実に日本語を話さなかった。 そんなことを思い出しながら電車に乗った。浮浪者風の男が若い女と腕を組んで歩いていた。女性は平静を装っているふが、浮浪者はあの独特の破壊系の笑顔、特有のニコニコであった。車内ではどこかからの留学生と日本の高校生が入り混じっていて、何故か怪訝そうに中年サラリーマンが凝視していた。私は床を見ていた。 電車を降りると、寒く、すべてがよそよそしく、素人ぽく、バタ臭い人々で溢れていた。ハイヒールの女が少なかった。信号待ちが長かった。 家に戻ってパスタをゆがいた。もう夜中であった。アルデンテがどうしたとゆうのだ、端で麺をかき回したら目が回りそうになった。シャワーも浴びたが、危うく低温やけど寸前で、窮屈で仕方ないバスルームから這い出た。服を着ようとしたが首に服がひっかかり、暗闇の迷路となって首の出口を探すのに立ち往生した。背中が痛くなった。 食後の洗い物はまだ終わっていない。正直いって数日前のナベもまだ洗っていない。我、未だ山麓にアリ、状態だ。 やるせなさと共に散歩に行くことにする。心の内なる準備も自然と整い、押されるように家を出る。確か夕方暗闇になっていく空で見た飛行機は光るゲジゲジであった。しかし今は夜中だ。夜空にチカチカひかるものは、私にとっては未確認飛行物体だ。 ワクワクしたときは両肘を2回上下させるだけで表現できる。歪みの愉しみだ。 寒さの練習をしているみたいだ。清書や本番はないのに。氷つくようなビル風をまともに浴びるのは時として気持ちいい。皮膚の表面の皺ひとつひとつにまで冷気が通り抜けて、余計なものまで拭い去っていく感覚が、愉しみと快楽と誘惑を伴って洗顔してくれている気分になる。街の危険と孤独と堕落を警告してくれ、身を引き締める。「ゆるやかさ」が押し込まれる。帰ったら、また「ゆるやかさ」を練習しなくっちゃ。神戸市三ノ宮東急ハンズ近く
2004.02.14
コメント(0)
■■日○テ○○ム 2004年01月分 ご利用料金のお知らせ■■○本○レ○ムをご利用いただきありがとうございます。2004年01月分ご利用料金をお知らせいたします。 お客様番号 :T200004455173 請求年月 :2004年01月 ご利用期間 :2003/12/01~2004/01/31 請求額 : 8 円 お支払方法 :窓口払い渋い、あまりに渋い・・・実は、私の趣味のひとつに本を買う(読むとは限らない)というのがあるが、古本屋で渋い本を見つけて購入した。「世界ケンカ旅」大山倍達1968年シカゴからラスベガスNYマイアミブラジル香港イランボルネオフランスと渋いケンカ道まっしぐら!極真空手!(以下見なくていいよ)http://www.geocities.co.jp/Playtown-Rook/9602/determination.html (忙しいときに)http://www7.big.or.jp/~katsurao/fp/ (まあ3分は遊べるかなあ)http://www.mojio.net/ みんなアホやなhttp://cgi13.plala.or.jp/hiro_k/Report/repo_top.cgi #repo01http://shuxx.hp.infoseek.co.jp/doraend.html 死ぬかと思ったhttp://www.kt.rim.or.jp/~yhayashi/shinuka/index.html じゃねhttp://wibo.m78.com/clip/img/11588.gif
2004.02.13
コメント(1)
朝、一応、朝日を見るつもりはなかったが、扉を軽く開けて朝焼けがうわわとなった。ベッドに寝転んだまま朝日を待った。夕日は一人でみると寂しくなる可能性を孕んでいるが、朝日は断然一人で邪魔されずに見るのがいい。 昼飯のためレストランへ。主が私を見て「カオパッ?(やきめしか?)」と聞く。「カラップ(ああ)」と私はいい、一年に二、三回だけ猛烈に飲みたくなるコーラを頼む。そして洗濯をする。命の洗濯もしたいものだ、と呟き、フッと馬鹿なことをいったと笑う。洗濯をしている住み込みの女の子が洗濯している横に仲間に入れてもらう。蛇口を捻って水を出すと、コンクリートの地面に当たり、ジャアっと音がする。彼女は鼻歌を歌い、絵になっていた。 インドで買った神様ポスターのうち十三枚をバンガロー部屋内に貼る。 昼、時間も関係なくレストランに座っている。目の前に子犬が歩いて来た。そいつは立ち止まり、音のする方向を注意深く見ていた。遠浅の海に犬が二匹、入って、沖を見つめている。哲学犬。あまりの平穏に苛立ったのか、人間が爆竹を遠方で鳴らしたようだ。 大きな黒と灰色の二匹の犬がやって来た。右側から。 トップレスの女の人が一人やって来た。左側から。女の人は、通り過ぎ、犬達は立ち止まり、先程の子犬が二匹にまとわりつく。私はまっすぐしか見ていなかったので、次第に三匹は画面から消えていった。 満潮になる。海の色は四色に分けられている。一番向こうの一番濃い部分に、一人乗りボートが一隻、左からやって来た。それが真正面を通り過ぎようとした瞬間、左手に小さな蟻が噛み付いた。 優しい風があったが、タイ煙草クロングティップに白いライターで火を付けた。それが吸い終わる頃、ロングヘアーの西洋人がココナツの欠片をくれた。何時間か前とは違う子犬とは違う子犬が私のテーブルの下にやって来たので、ココナツの欠片の欠片を落としてやると、無表情でそれを食い、すばやく「もっと」とおねだりを始めた。鼻をかみチリ神を落とすと、子犬は何故かベロベロそれを舐めだし、暫くすると勢いが激しく興奮しながら噛み砕いていた。主が出て来てしゃがみ、意味もなく海を五分注視すると、限りなくない仕事に戻って行った。 昨晩、一緒に竹パイプをやった西洋人カップルが通り掛かり、「イブニーング」という。私は、少し反応が遅れて手を振る。 夕寝をする。あまり良く眠れず、目を開ける度に薄暗くなっていくのが愉快だ。夜、バッテリーの時間は終了、蝋燭の元、飯を食う。時計はない。波の音が暗闇から聞こえ、風の音が暗闇から聞こえる。
2004.02.12
コメント(0)
いつも帰国してきたとき、日本は、人間より先にシステムが迎えてくれると思ってしまう。 意味なく夜中にガソリン撒き散らして今帰ってきました。もう寝ますでもすぐ起きます。 はじめに言葉ありきでは始まるのだが、本当のところは信じられない。嘘というのも信じたくない。本当と嘘の差異だけが信じられる。味方は、夢ッコ、醒メッコ、嘘ッコ、コケコッコ バンコクのトゥクトゥクは五月蝿い蝉だ。
2004.02.11
コメント(4)
誕生日、私はここにいる。この国は実際、周りの国より治安が悪いし、権力が腐っている。空港は、職員が個人的に何か価値のないものを売ろうとするし、トイレに行けば頼みもしないのに肩をマッサージする男が擦り寄ってくる。空港からの出口はだんだん細くなり、時間をもてあました人々とたかりやと泥棒と旅行代理店と白タクと物売りが鋭い目で私を物色している。何回来ても空港でぼったくられるかトラブルを起こしてきた私だ。しかし今回は違う。専用ブースに向かい、もうその部屋に入った瞬間からチェックイン状態。ヨーロッパ人からみたエスニックの世界。 専用の飛行機に乗って島全体がプライベートビーチリゾートのホテルへ。ワンアイランドワンリゾート。専用機のタラップを降りると、スタッフが迎えてくれる。わずか40室のコテジ(カシータ=スペイン語で家)に従業員が200名。それだけで何をいわんかである。わが国の最高級ホテル帝国でさえ、7室に1名である。チェックインは室内でする。従業員は他の従業員のことを「フレンド」と呼ぶ。魚は近隣で採り、肉や野菜、ペットボトルさえも毎日空輸されてくる。ケンゾーが彼氏をお忍びで連れてくる。レストランだけでなくリクエストすればビーチでだって室内でだって、食事を用意してくれる。24時間。開放的でプライバシーが守られた空間、そんな空間で誕生日を迎えた。 うっそ、ぽろりんこ~でも、近い将来そうなる。
2004.02.10
コメント(2)
電話で大声で叫んだ。大きなガラス張りの向こうに飛行機が離陸していくのが見える空港ロビーで。「もし戻ってきたら、愛していると伝えておいてくれ!」 受話器を置き、非国籍地帯のベンチに腰掛ける。気乗りしない旅。そんなのあるのかよ。 よきノスタルジーのために。期待と不安がなくなっていく様子を、面白くないなと感じてはいけない。生まれた地に二度と帰らないように、と思いを込めたロシアで生まれた言葉。 もう帰ってくるための出発は許されない。体も心もくたくたに疲れ果てなければならない。眠って回復する程度の疲れであってはならない。 疲れも衰えもなく、ただ時間を潰すだけの無気力な持続を続けるアウトローのために。 精力的に怠慢なアイロニーな旅を、不注意に続ける。人生はトランジット。 中国蘭州駅裏の公衆便所と漁る犬 今福井県のほうで母校のワンゲルが遭難にあっている。安否が心配だ。ワタシも知人も登山部で二人知人を失っている。そして雷にあったて一度心臓が止まったが何故か動き出したものも独りいた。
2004.02.09
コメント(1)
夜、奈良に行ってきた。神戸からは遠い気がするが、第2阪奈ができてからというもの、学園前まで40分で着きます。我々にとって、奈良といえば、小学校5年生の遠足先であり、働き始めてから、難波から40分で奈良市駅まで、50分で鹿に到達することを知り、驚愕しました。帰り道、セルシオとアウディとで140キロで併走しまた。意味はよく分かりませんでした。相手が煽っているのか、楽しんでいるかも良く分かりませんでした。 年金制度←未来永劫続くと考えるのは間違い。年金の歴史←年金でだけで食べていく人がでてきたのはここ20年の話←以前は足りない分息子が面倒みたりしてた。←核家族化及び経済成長及びベビーブーマー及び自民党政府による老人票取得のための年金増額←将来は年金で安心←まあ現在はじゃああまり貯めずに使おう←経済活性化←前提条件1、経済の絶え間ない発展。前提条件2.年金もらってもすぐ死ぬこと(年金導入期は年金受給が65歳からで平均寿命が68歳だった)←今は経済成長期ではない。平均寿命も80歳で我々は65歳以上からの受給だが今は引き下げられて60歳からの受給←少子高齢化で年金制度の破綻←政策:税金、例えば消費税を上げて年金基金に回す案←年金もらっている人も税金(=年金)払いなさいヨ←教訓、強制的にとはいえリーマンは年金を強制執行されている、とられたものは返してもらえたらラッキー程度に考えろ。20代にとって40年後なんてどうなってるかさっぱり分からない。30代にとって30年後なんてどうなってるかさっぱり分からない。←分からないといえば、その少子化も分からない。税の仕組みや法律の制度が代わったり、外国人を多く受け入れたりすると一挙に人口も増えるかも知れない。←戦後は戦地から生き残った男どもが妻や恋人のもとに帰ってきた、そらえらいこっちゃ、昭和22年から3年間人口は異常に増え、このままでは食い物がなくなってしまう大変だ~と騒いでいたのであった←そんな訳で八郎潟の埋め立てとかして田畑を作った←無駄になった。そう!自分の何十年も先を考えるのは大切だが、社会の何十年も先を考えるのは不健全といってもいいくらいだ!(何故か鼻の穴大きく)『ハゲの定義』(pakuri)1.夏、一番最初に日焼けで皮がむけるのは、頭のてっぺん。2.頭に落ちた雨粒が、そのままあごまでツツーッと落ちる。3.アンケートを取られたとき、「今一番ほしいものは?の欄に、つい「つむじ」と書く4.お風呂で頭を洗うとき、「シャンプーで洗うべきか」「石鹸で洗うべきか」迷ったことがある。5. お風呂からでて、タオルで頭を拭いただけで乾いてしまう。6.帽子をかぶっていると、近所の人に、ばかに丁寧な挨拶をされる。7.昔の友達に会ったとき、みんな第一声が「どうしちゃったの?」になる。8.みんなで演劇をするとき、なぜか和尚さんの役が回ってくる。9.誕生日のプレゼントに育毛剤が必ずある。10.「いい情報があるんだよ」と耳打ちされたときも、必ず育毛剤の情報である。11.水族館に子供たちを連れて行ったとき、「さかなってみんなハゲだよな」と心の中でつぶやいたことが有る。12.箱根の関所にある、さらし首を見たとき、鏡を見ているようだ。13.「おじさんはどこまで、おでこなの?」と質問されたことがある。14.床に落ちている髪の毛を見つけたとき、回りに誰もいないことを確認して、自分の頭に載せたことがある。15.飲み屋さんの罰ゲームで、頭に墨を塗られたとき、本当はうれしかった。16.松浦あやの表情が、タコのまねして、ばかにされているように感じる。17.なんにも言っていないのに、「かつらはつけないでください」と部下に言われる。(余計なお世話だ)18.子供が言うことを聞かないとき、「お前もこうなるんだよ」というとおとなしくなる。19.40歳を過ぎたのに、白髪が生えてこない。20.ペンネームが「つるまるハゲチャビン」であるイスタンブールにて「ハゲと城」
2004.02.08
コメント(3)
告白。 今日は億ションの見学に行って来ました。バブルの時代は、積み上げ億ションといいまして、高騰しすぎた土地、建物価格と利益を乗せると自動的に億ションになってしまいましたあ、マルという時代であったのですが、最近失われた10年を経て復活してきた億ションは、それなりのピカイチの立地に高級な仕様設備にセレブリティを揺さぶるサムシングな訳ではありますが(意味不明やな)、どうも私は食傷気味な感じがしてきて、どうも見学には感動というものがなかったのです。慣れとは恐ろしいものですね。告知。 世界最初に出来た百貨店はパリの、ボン・マルシェです。サンジェルマンデプレの近くにあります。大衆に消費という快楽を与え始めた時代です。そこで同時に生まれたのが万引き。快楽が、すぐ手にとれてしまう。常習犯も多く、それは、当時新しい病気とみなされ、入院施設までマルシェはこしらえたといいます。何かエポックなものが生まれれれば、付随して、いいものわるいものが生まれてくるのだなあ。告訴 温和なワタシでも、許せない奴がいる。そいつが目の前に現れたら多分殺してしまうだろう。しかし、そいつの顔をワタシは知らない。告なこと 先日の子門正人のイギリス版がハリポターですよね。作者JKローリングは年収233億円だったという。第一作の表紙を書いたイラストレーターは、即刻の現金欲しさに得た報酬が5万円。著作権を持たなかった彼は、ショックで田舎に引っ込んだという。 ところでフォーブス誌によると、死後、いまだ印税が莫大に入ってきている第一位は、エルビスプレスリー年収44億円。スヌーピーの作家シュワルツが2位、指輪物語の英国作家トルーキンが3位。 ちょっと阪急32階に寄ってきた。
2004.02.07
コメント(7)
オール手動(タール沙漠の民・優しいねラクダドライバー、村の娘に水を汲んであげる) 何を隠そう、今日はオール電化エコハウスというのを招待されて、関○電力まで行ってきた。IHコンロ・床暖房・浴室乾燥機・温水等、いかにガスより安全で優れているかの説法があった。現在、住宅部門において電力会社とガス会社の熾烈な争い、罵り合いが展開されている。特に分譲マンションでは5年前に供給の1パーセント程度しかオール電化マンションはなかったのであるが(プロパンガスの地域に仕方なくとか)、今や新規供給の1割を占めるようになってきた。賃貸マンションはほとんどが電化になってきているみたいだし、安全面から高齢化していく過程でのリフォームにも採用が多いと豪語していた。 一通りの説明の後、実際のクッキング実演と食事があった。両面焼きグリルはボタンひとつで魚が焼けます、IHは熱くないです、テンプラは油が飛びますが、こうやってクッキングシートをかぶせることもできます、と恐らくアルバイトであろう女性のデモンストレーションが続いた。 電磁波も問題ない、熱伝導がいいからコストも安い等聞けばガスよりいいのだなあ、と思うのであるが、電気やガスではなく、幻のコック人の私としては、油ドボドボがいただけなかった。外食が良くないといわれる大きな原因は、油が悪い、使い回しし過ぎ、ということがあげられる。酸化しまくった油は体に悪いわよ、いくら200度越えたら油いかれますからねこれなら常に180度をキープです、という説明でも何回その油で揚げてるんだい、挙げたても油ドボドボ垂れている・・・肉を焼くって、その前に安い油そんなドボドボフライパンにかけないで欲しいなあ~プリーズ。と心の中で叫んでいたのであるが、誰にも聞こえなかった。 今日は母の誕生日、ではなかった。数日前に終わっていた。母が24の時に私は生まれ、そのことを考えると私はいつも情けない気分になる。母が今の私の年齢の頃、既に私は中学生であった。その頃の心情や記憶はまだまだ鮮明だ。 母は、よっぽど私を育てるのが大変だったようだ。病弱で運動嫌いの母が、子離れの頃(小学校3,4年頃)から、突然子育てから解放されたパワーが宿ってしまい、手始めに毎日山登り(既に登山会幹部登頂9000回は突破しているはずだ)、六甲全縦走をもう20年以上続けており、昨年はチョモランマ(エベレスト)ベースキャンプまで行ってきた。おまけに元々書道の先生らしく、今は絵手紙の先生をしながら、こづかいを稼いでいる模様。本の出版も先を越されたし、展覧会は私は一度もやったことがない。 前置きが長すぎたが、(一行の予定であったのだが)そんな母の実家は仏壇屋である。昔は工場があり、いろいろ木材をカットしたり、組み立てたりしていたが(今は漆塗り職人がいるだけ)韓国から安いモノが入るようになって、販売メインになっていた。 小学生の時、実家に泊まっていた時、母の兄が夜、札束を抱えて帰ってきた。家に入るや、どさっと床に札束をおとしてしまった。「600万円の仏壇が売れた」と伯父さんはいい、床にあるのは万札が600枚であるということで、従弟と喜んで拾い集めたのであった。 そんな伯父さんも50歳の若さで亡くなった。仏壇店は実は神戸の長田区にも支店を出しており、母は、そこの支店長兼便所掃除を担当していたのであった。そしてあるとき、家賃を上げると大家さんに言われ、それまで収支トントンだった支店をたたむことにした。 後釜には中華料理店が入るらしいと、出て行ってから風の噂で聞いたとき、地震が来た。 開店準備をしていた中華料理店はビルごと潰れた。撤退した何千万円分の仏壇は助かった。母はぽつりと言った。「お兄ちゃんが助けてくれたんやな」と
2004.02.06
コメント(2)
私は今日はズワイ蟹を5ハイ食べた。私は、不動産の仕事をしていて、土地の地ぐらいから相場、そして内装デザインまで人よりは詳しいのはプロだから仕方ない。でもこの家も私は図面だけで決めた、面倒だから。それがどうしたというのだ。私の家には家具がない。何故なら家具がないからだ。以前はあった。渋い机はない。以前はあった。 今はアイロンがない。以前はアイロンは自分でかけてた。いい人だからついでのときは嫁のブラウスまでかけてた。でも飽きた。飽きたからもうやめた。クリーニングに出しているがクりーニングはぱりっと仕上げているだけでごった煮してて衛生的でない。でもシャツ1枚5~10分かかるのが面倒だ。インドでも頼んだ。1枚10円20円の世界だ。洗濯カーストの女がガート(木浴場)で衣類を石の洗濯板めがけてたたいている。何を身に来ているんだとたしなめられた。 ドイツのドレスデン、小さい街だが列車がぐるりと回っている。光がきれい 先程から重要なことを思い出そうにも思い出せず、30分ばかり困っている。
2004.02.05
コメント(3)
夜にも恋をしました。闇にも恋をしました。誰だって文句はいう。文句だけで成立している人間も中には存在する。人間は皮膚表面から優しいパワーを発しており、熱気をもって感じる。そのパワーは渦巻いており、皮膚から2,3センチの所まで吹き荒れている。優しいスローカーブだ。ゆっくり ゆっくり耳だって敏感だ。優しい耳への愛撫が忘れられない夜に。とろけそうで壊れそうな世界も中には存在する。攻撃的だ。どこまでいっても攻撃的であり続ける形。萎えてしまうかもしれない。惜しすぎるクールダウンだ。誰も読んでいない。眠ることも可能。連れ込みホテルのガレージに続く不健康な白い壁に影が映った気分だ。そっとキスをした。歯の折れぬ程度に。 どうしろというのだ。なけなしの金をはたいて、健康的過ぎる程、紺碧な空の下、シャンバラ行きの片道チケットを取るために並んでいる老人のような青年も存在する。 店を閉めて掃除をしろ。刷り込みという仕事が残っている。結局、ボクらの快楽は、そういった犠牲のもとに成り立っている、としか考えられない。 独り立ちは困難だろう。人生地獄ルーティンだ。下水が流れている音がする。汚水が下水管を磨いている。明日始まる同時性的生活様式が裸にされるであろう。 あのとき、あの暑さの中、地下の調理場で働く女のことを考えてしまったのだ。そして特定されてしまった恥ずかしさというものも存在する。どうせそんなことだろう。どうせ、と文句をいう日がまた巡ってきた。今日は疲れていない、体が機械化してるだけ。誰も働かない。誰も動かない。誰も力がない。そっと消え行く。優しい緩やかなカーブを描きながら、そっと消え行く黒。
2004.02.04
コメント(4)
3度目か4度目のプエルトガレラであった。港からジプニーでサバン村に着いた。宿屋のおばさんはワタシを覚えていて、再来を喜び、彼女の家の隣のバンガロウを貸してくれた。もっとも便利なのだが、夜になると、波の音と風の音がが心地よく響くわけがなく、50メートル先のディスコの音がガンガン漏れてくる。勿論、ワタシは毎晩少しだけビールを飲みに行き、舞台でビキニで踊る女性たちと訳の分からないトークをして、一人、静かなビーチを波際沿いに歩く。朝は、子供たちがワタシのバンガロウをノックしてきた音で起き、とりあえずその子供にビールと煙草を買ってくるよう命令し、駄賃をあげる。適当に起き、テラスでぼけっとしていると、ややもすると夕方になってしまうので、海に浮かぶイカダのレストランまでボートで渡っていく。ビールを飲んで、海を覗くと十数メートル下まで見え、珊瑚で埋め尽くされている。飛び込むと怖いぐらいの海。 もう死んでもいいや、と思う瞬間。 ある日、宿のおばさんは、西洋人たちが無人島にピクニックにバンカボート( バンカ ジプニー http://www.ccwa.or.jp/hiroba/p_norimono.htm )で出掛けるからあなたも便乗しないかと声をかけてきた。 断る理由もないので、ワタシは、ピクニックセットを持つのを手伝い、おばさんの後についていった。西洋人が3人に多分マニラから連れてきたのであろうにわか恋人の女性が3人。おばさんに、バンカボート運転手、そしてワタシ。 ワタシはそのときラジカセを持って旅を続けていたので、珊瑚礁の上を滑る様にボートが進みだすやいなや、音楽を流した。ポリス。フィリピン女性2人が叫んだ「ワォー、ロッキシー」そうして、バンカボートの上でリズムを取った。西洋人もガハハと下品に笑う。私も調子に乗って立ち上がってリズムをとろ、、、うと、し、たが、海に落ちた。もうそのまま落ちていってもいいと思った。幸せの絶頂でもなんでもない。エンジン音が消え、西洋人が真面目に心配そうな顔をしてくれて、申し訳ない気分になった。若いフィリピン人女性が古びた一眼レフをワタシに向けてピシャリと情けない姿を撮った。ワタシもボートによじ登り、自分の荷物を開け、照れながら一眼レフを取り出し、彼女をパシャリと撮った。皆が笑った。南国の太陽が熱かった。バンカを見たイルカが併走していた。
2004.02.03
コメント(1)
ボクはプラハ発アムステルダム行の飛行機の座席のポケットにクンデラの「存在の耐えられない軽さ」を忘れてきたことを時々今も思い出す。 ボクは、そのプラハの王宮への上っていく坂の始まりの所に、カメラのフラッシュの電池を入れるフタを溝の奥に落としてしまい、それからフラッシュが使えなかったことを悔やんでいる。 そのプラハには、ちゃんとコペンハーゲンの郵便博物館の無料パソコンからネット予約したのに、ちっとも入ってなくて満員で、えらい目にあったことを後悔している。 最近、笑いの映画を求めて「サボテンブラザーズ」「最終絶叫計画」「赤ちゃん泥棒」を借りてみたが、う~んまあまあだなだった。「危ないウイークエンド」や少林寺サッカーの監督の「食神」を見たいと思うのだがいかがだろうか。 ボクは、何度か海外でお金がすってんてんになったことがあるが(正確に言えば三度だけだけど)、そのうちの最後が卒業旅行であった。それもボクが破産したのではなく、ボクの後輩が2度にわたって破産したのだ。 そのときやっとバンコクに着いて、一人が帰国し、その後輩と二人になった。持ち金は宿代を払えば自由に使えるお金はあと二日で二人で百円というところか。 仕方ないので、ボクはモノを売ることにした。ボクは何とウォークマンを売り、三千円を手にし、一挙に金持ちになった。ボクの後輩はボクの所持品を勝手に売った。ボクのベルトを三十円で。ボクのランボー「地獄の季節」とサリンジャーの「フラニーとゾーイ」を三十円で。ボクの余ったフィルムと、運動靴。ボクはちょっと激怒。後輩は反省したのか、日本人をつかまえてボクの千円のテレホンカードを売ってきた。でも売った時は既にチャックインしていた。馬鹿者!ボクは激怒を越え呆れた。 空港税のことをすっかり忘れていて、なんと20バーツ空港税を負けてもらったというのに・・・
2004.02.02
コメント(4)
ワタシが初めてニューヨークに行ったとき、特に驚いたことが二つある。一つ目がMOMA(近代美術館)の作品を運ぶためのエレベーター。それはトラック1台入るぐらいでかかった。もうひとつは、かつて見たことのないほどのデブ。その肉はタワーレコードの予約受付ブースに収まっていた。見上げたはるか上のほうに小さな顔が取ってつけたように乗っていた。 1本でもニンジン 2足でもサンダル 3そう(艘)でもヨット 4粒でもごましお 5台でもロケット 6羽でもシチメンチョウ 7匹でもハチ 8頭でもクジラ 9杯でもジュース 10個でもイチゴそれなりの年齢層の幅をもってして、この曲を知っている人は多いだろう。ひらけポンキッキの「泳げタイヤキ君」のB面に入っている曲だ。 多分、嘘だと思うのだが、こんな話を聞いたことがある。当時貧乏のどん底だったシモンマサトとなぎら健壱にこのシングルレコードを作る話が入り、シモンマサトは前金でお金をもらい、なぎらは我慢して1枚売れてなんぼ契約をした。このレコード化けに化けて近年まで日本至上最大の売上枚数を誇っていた。http://home10.highway.ne.jp/dudley/taiyaki.htmこれで、なぎらはすごく儲けて一発あててその後何年かは安泰な生活が印税で送れたという。いっぽうシモンは頑張ってその後、ガッチャマンとかいろいろ歌っていたとさ。http://penguin.pobox.ne.jp/nagira/ワタシはカテキンのファンだ。無料で募金だ。【価格.com】http://kakaku.com/donation/【コスモ石油】http://www.cosmo-oil.co.jp/kankyo/charity/【松井証券】http://www.matsui.co.jp/affiliated/npo_click/今日読んだ本でなるほどと思ったこと。「バランスの法則」ワタシは、左右のバランスをいつも考えてバランスが良い悪いと判断していたが、上下のバランスというものもあるのだなと。 自分の達成したりすでに自分では当り前になった知恵、知識は他の人に渡してしまえと。渡してしまうと、見返りもあると。今よりも上のレベルにいこうとすれば、今知っていたり分かっていることをまだ知らない人で伝えてしまおうということです。自分が100売っていたら、まだ50しか売れてない知人にノウハウや知恵を教えてしまうと、不思議に自分は150になってしまうみたい。考え方が重要なんだなあ。こんなに長い間一緒にいるのだから、彼は私のことはわかっているはず。女性というのは、長く付き合えばこのように考えてしまうのではないか。女性同士なら、お互い気がついてあげるということを大切にしているだろう。しかし男というのは、親しくなったのだから、やってほしいことは本人が言うに違いないと考えるのである。男性同士では、親しくなるほど遠慮をしなく、なんでも言い合う傾向がある。やってほしいことをズバズバ言うようになる。それぞれ女同士男同士の感覚を持ち込まないこっちゃな。(失敗した私にはえらそうなことはいえないですけどね)唯一勇気のいることは、 過去をきっぱり捨て去ることだ。 過去を集めず、過去を積み重ねず、 過去にしがみつかないことだ。誰もが過去をひきずっている。 そして、過去に執着するからこそ、 今を生きることができないのだ。 (パグワン・シュリ・ラジニシ)(最近、読まないな和尚。かつてインドのプーナに行ってた人達どうなったのかな) ラッシー屋 ニューデリー
2004.02.01
コメント(0)
全29件 (29件中 1-29件目)
1