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旅行でこんなもの買っちゃったフンドシ 沐浴目的で、紫のセクシーフンドシを購入したあことがある。でも、やっぱり人前に出せるほどセクシーでもない体つきなので、密かにこそっと履いただけでした。こんな感じ80%シルク背広 フルオーダーメイドでタイシルクで作る。3日で出きるといわれたのに、そのままインドに1ヶ月以上行っていたので、店の人は作るだけ作って逃げられたと思ったようであった。そこの店主はシク教徒であったが、タイ生まれのタイ育ちでインドには行ったことはないという。従ってシクの聖地アリルムツァルにも行っていない。出来上がった背広はテカテカで、いかつかった。それを着て帰国したのであるが、全然ビジネスマンに見てくれなくて、やっぱりちゃんと荷物検査されたのであった。こんな感じ「ハイ、麻薬はお持ちですか?向こうで麻薬とかしてきましたか?売人とか寄って来ましたか?」「ハイ、持ってません。してません。売人は寄って来ました」タランチュラバンコクのウイークエンドマーケットでは何でも売っている感じです。毒クモタランチュラは見かけはオトロシイが、毒性はそう強くないみたい。面白がって、虫かごに入れて貰って、ホテルにおいて観察していた。 翌朝、虫かごが食いちぎられ、中にいたタランチュラは不在。急いでチェックアウト。こんな感じムササビバンコクのウイークエンドーマーケットでは何でも売っている感じです。ムササビは夜行性。ホテルの室内で夜中になると飛び回り、うるさいので2日目逃してあげました。足長叔父さな的気分であったよ。こんな感じ1枚20円のズボン。履いて1時間でお尻が破けた。パキスタン、ラホールの町をパンツ見せながら歩いた。こんな感じ宝石沢山一個50円程度のブラックストーンやアメジスト(私の誕生石)を100個ぐらい買って、会う人会う人にお土産といって渡して言った。感謝された。特に値段を言わなかったら感謝された。こんな感じ こんな感じインド神様ポスターインドの観光地どこへ行っても物売りが「1枚10ルピーネ」とか言って、菩提樹白檀数珠売りと並ぶイラナイモノ物売りに対抗して、「じゃあ全部くれ、100ルピーや」といって、100枚のポスターを入手。(ぼったクリ度10倍)ホテルに泊るたびに、ご飯粒やガムテープや押しピンでホテルの壁に何枚か貼って喜んでいた。こんな感じ同じように、数珠売りも面倒なので「全部くれ」といって買った数珠をお土産で会う人会う人に渡していったが、どうも顔には「メーワク」と書いてあった。仕方ないので、もう無差別にお土産を買うのは卒業することにした。いや留年することにした。こんな感じ南京錠、糸鋸バンコクのチャイナタウンの泥棒市で、日本から来た日に南京錠を買った。早速、宿に帰って、荷物につけて施錠してみる。ニッコリ。こんな感じかなさて、開けようとする。あれ、開かない。また泥棒市に行って糸鋸を買いに行く。こんな感じかなニューヨークのダリ時計(こんな感じかな)、パキスタンの金ぴか時計(ベルトに「本物の皮」と書いてあった)(こんな感じかな、あ、違うか)、どちらも翌日うんともスンともいわんようになったこのぐらいで買い物自慢は、今日のところは許しといてやろう。
2004.05.31
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EVEN 罰汰 三大陸周遊記J昨晩は、封筒を落とした。中味は15万円であった。お金を落としたのは、10年程前の韓国前日以来である。あの韓国旅行は、会社帰りに行き、背広とコートにてぶら(でなく日経新聞だけ)のままであったのだが、パスポートにはさんであった現金をすっぽり落としてしまっていたのであった。2万数千円2泊3日ホテル付と旅行代理店の表看板に書いていたので、その場で店に入って注文したのであった。(だから旅行代理店の名前も既に覚えていないのである)その場であからといって旅行を取りやめする訳にはいかず、この旅行代金は七万数千円だったんだよと代償機制を働かせて、また空港の銀行で焼肉代等をおろしたのであった。手帳は10日程前に落とした。落としたというのに、最近はスケジュールがあまりないためか、支障のない「状態」少し悲しい。たまたま4月から1年手帳というのを発見して、購入。これでレシートの裏に何か書いたり、それを探すのに時間を要したりすることはなくなるであろうメモ魔。昨晩、眼鏡を蹴ってしまい割った。私は、眼鏡をいわゆるところのTPOに分けて使っている、筈がなく、前々回使用していた眼鏡を探し出し、家の前の眼鏡屋に颯爽と向かったのであった。http://www.ishigami-inc.co.jp/ (別に見なくてもいいよ)眼鏡選びはいつも難しい。しかし、ここ1年で眼鏡を3回割っているので、最近はリッチにも安い眼鏡を買うように心がけている。眼鏡ほど原価と売値がかけ離れている製品も珍しいのだ。まあ、そんなことはいいとして、自分のインスピレーションを信じ、一発一中約3分で眼鏡を決め、店員さんにおもむろに振り向き、「コレひとつ!」と魚を買う様にオーダーした。店員さんは一瞬ひるんだが、客に舐められてはいけないと威厳を保ちつつ、視力検査のコーナーに。そのあとお決まりのコースで、レンズの高いコースを勧めてきた。マンが悪いことに今持ってきている眼鏡が割りと高いのだった(忘れていた)「お客様のお持ちのレンズのレベルはことあたりで・・・」などと虚栄心と商売根性(はあまりないか)と執事的対応で攻めて来られたが、私はおもむろにクレジットカードを出し、「また割るから・・・」と意味不明のことをいった。23時より先行レイトショーを見てきた。先行でデイアフタートモロ1.映画は、是非映画館でみて内容もあるもの。人間ドラマ+ド迫力2.映画館でみなくてもいいけど、内容のあるもの。人間ドラマ系3.内容はないけど、映画館でみたらいいもの。ド迫力系4.見たら時間とお金を損したと感じるもの、がある。 勿論、この映画は3番で、ビデオになっても見ない映画であるが、さすがに迫力があった。こういう系の映画を見に行った時は、私は、前の方に座り、視界が映画画面の枠をはみ出ないように固定する。今回もいきなりスピード酔いしそうであった。ところで内容はこれから見る人の為に敢えて言わないが(という言い訳をするが)さすがに、ニューヨークは既にツインタワーがなくなっていた。さすがにアメリカ映画、ちょっと愛国心やっぱり丸出し。昼間の読書タイムのカフェUハイヨさて、前置きが長くなったが、三大陸周遊記、そしてパッポンのことを書こうと思ったが、ここまできて眠たくなってきたので、またいつか書くことにするね。じゃね。
2004.05.30
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シンサイバシマデハシレ サマ トイ:チョトマテ、アレハミヤコジマデスカトイモイ:ハイ、チョトマタ、トモダチ、ソウデス、カツテハ、カノ、キョエイチュウモ、オスマイデシタ。ワタシニモ、イツノヒカ、オフトン、ト、ナイスガール、ノ、サシイレオネガイシマアス。Iコ サマ→アナタハ、ホントウハ、アイコ、ダッタノデスネ。Pコ サマ→アナタハ、ホントウニ、プーコ、ダッタノデスネ。コオリヤマハジル サマトイ:カントウジント、ハナシスルトキャ、カントウベンデッカトイモイ:イイエ。シカシ、カツテヨッパラッタラ、カントウベンニナリマシタ。ジシン、ヲ、モッテイエルノデスガ、カントウジン、ニ、セッシタコトガナイトキカラ、カントウベンデ、ヨッパラッテクダマイテマシタ。 ヤハリ、カンサイゲイニンガ、ジュウネンホドマエカラ、トウキョーシンシュツ、シテ、カントウジンノ、カンサイベンアレルギーハ、カナリ、カンワサレタヨウニオモイマス。ウナギクエバヒカッタ サマトイ:アナタ、キレイ、ユーツーリコン、ミーツーリコン。トイモイ:ワタシ、ツネニ、ステラレル、コレ、ワタシニ、モンダイ、アリ。ソレヲ、モンダイニセズ、カイケツ、ニムカッテ、ゼンショシナイトコロロニ、サラニ、モンダイアリ。 UFOみたで。さっき帰る時、家の近くのカラオケ屋の前で若い女性が携帯電話で話ししながら号泣していた。青春なのだろうか。でも夜中の2時過ぎているんだけどなあ。そういえば今は知らないがマレーシアのペナン島ジョージタウンでの映画館は喫煙可能だったなあ。19歳の私は和平飯店のジャズバーで、脱脂綿粉末ミルクのようなものを飲んだ記憶がある。もっとも変わった都市の一つなんだろうなと思う。同性愛者の身体的特徴なんてあるらしいね。あくまで統計的だけど。ひとつは指紋のうねの数らしい。一般的に男女とも、利き腕に関係なく左手よりも右手のほうがうねの数が多い(だいたい85%)らしいけど、男性同性愛では30%らしい。もうひとつは人差し指(第2指)と薬指(第4指)の長さが、男性ではたいてい薬指がちょっとだけ長く、女性はだいたい同じ長さらしい。女同性愛では、男性的傾向が見られるとのこと。これって、生後の環境とか教育に関係ないことだなあ。はい、皆様、チェックチェック!誰がいってたか忘れちゃったんだけど、人間の考えることって8割以上はマイナスなんですってよ。それをプラス思考に変換する簡単な方法を披露。「なーんちゃって、うっそっ」、の法則「俺って、どうしてこんなに駄目な奴なんだろう・・・なーんちゃって、うっそっ」「こんなこと絶対出来ないよ・・・なーんちゃって、うっそっ」「これは不可能やなあ・・・なーんちゃって、うっそっ」「寝不足で明日起きられないかも知れない・・・なーんちゃって、うっそっ」「こんなこというと嫌がられるかもなあ・・・なーんちゃって、うっそっ」但し、決断決意したことに使うとマイナスになるので注意「絶対、これはやってみせる・・・なーんちゃって、うっそっ」あれ?出来ないよ。ハートは燃える器官。肝臓は耐える器官。血管は持続する器官。脳は育てる器官。□□■□□□□■□■□□□□□■□□□□□□□□□■□□□□□■□■□□□□■□□□□□□□□□■■■■■■□□□□□□■■■■■■■□□□□■□□□□□□□□□□□□■□□□□■□□□□■□□□□□□□□□□□□■□□□□□□□□□■□□□□□□□□□□□□■□□□□□□□□□□■■■■■□□□□□□□□■■■■□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□■□□□□□□□□□□■■■■■□□□□□□□■□□□□□□□□□□■□□□■□□□□□□□■□□□□□□□□□■□□□□■□□□□□□□■□□□□□□□□■□□□□□■□□□□□□□■□□□□□□□□□□□□□■□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□■□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□■■□□□□□□□□□□■□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□■□□□□□□□□□□□□□□□■□□□□□■□□■□□□□□□□■■■□□□■□□□□■□□□□■□□□□□□□□□□□□■□□□■□□□□■□■□□□□□■■■□□□■□□□■□■■■□□□■□□□□□□□□□■□□□□■■□□□□□□□□□□□□□□□□■□□□□□□□□□□□□□□□□□■■■■■□□□□□□■■□□□□■■□□□□□□□□□□□□□□■■■■□□■■■■□□□□□□□□□□□□□■■■■■■■■■■□□□□□□■□□□□□□■■■■■■■■■■□□□□□□■□□□□□□□■■■■■■■■□□□□□□□■□□□□□□□□■■■■■■□□□□□□□□■□□□□□□□□□■■■■□□□□□□□□□■□□□□□□□□□□■■□□□□□□□□□□■□□□□□
2004.05.29
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1年ばかり、東京で仕事をしたことがある。帰阪がいつになるか分からない為、ホテル住まいであった。まあ、そんなことは別にいいんだけど、取引先の真面目な同年代の男性と仲良くなり、よく酒を飲み、メシを食った。私はいつかいなくなる第三者ゆえに、誰にも相談できないことを、彼は話してくれた。 彼は、妻帯者であった。しかし、彼には、同じ職場で働くバツイチ子持ちの女性(私は、いつもマルイチと呼んでいるのだが、ここでは世間の習慣に倣う事にする)を愛してしまったようであった。 私の滞在する東京1年の間に、状況は深刻化或いは発展化し、相手の子供と仲良くなるだけでなく、ついには自分の妻及び相手の両親、自分の両親にも自分の正直な気持ちを吐露し、修羅場を迎えようとするとき、私は、会社命令により、東京を離れた。 それから2年の月日が流れ、私は、東京2泊3日のうちの一晩を彼と食事した。 しこりを残したまま、「元のさやにおさまりましたよ」と彼は力なく言った。愛の力は、分からないものだが、共同名義で買っている住宅、自分より年収が多く社会進出している彼女、妻への申し訳無さ、世間体の悪さ、何かそういったものが、感情を越えたプレッシャーに負けましたと、顔に書いてあった。 そんな情けない彼を、私は、いい奴なんだなと思う。泊まっていたグランドハイアットの上階のバーで夜景を見ながら、男2人無言というのもなかなかシブイ(見詰め合ってないからね) 私を「いい男」といってくれた還暦を迎えたアーチストのオヤジは、この前、離婚が成立したという。別居してから30年。どうしても妻が判子を押してくれなかったのだという。こういうのって何なのだろうか。彼のことは、いっぱい書きたいが、それは3年後にしよう。 私をいい奴と思ってくれる人は本当にいい人である。まず仕事関係では例外なしに、いい男とは思ってもらえない。次に遊び関係趣味の関係でも、関係が深まる程にしょぼい奴とばれてしまう。まあそんなことはどうでもよかろう。 ああ、言葉で、過去を、美化してしまう後ろめたさよ。 そうそう、セクシャルなものでなく男惚れすることはある。チベットで出会ったNHK何とかコンクールで2位に入ったムージシャンHさんもシブイ人であった。空気だよね。 数年後、テレビをつけると北海道のある新生ホテルの番組をしていて、ホテルマネージャとして彼が登場、びっくりして、急いで手紙を書いた、が、宛先人不明。(今、その人の姓名を検索してみたら、それらしき人が出てきた。英会話の先生である。手がかりは、自己紹介に「世界放浪の末」と書いてある。メールしてみよっと) 今日、道の前を歩く男の様子がおかしい。 この季節に、真冬の格好に、何故か雪駄のアンバランスで、妙にキョロキョロしている。そして、ついに後ろを歩いている私に声をかけてきた。「あんさん、駅はどっちでっか」 考察するに、彼は、ここに連れられて来たようである、それも半年以上前に。彼の出てきたすぐ近くにはこんな看板があった。
2004.05.28
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手帳を落としてから1週間。空港ありゃこりゃ日記を2つだけ空港は、どこでもない所だ。好きだ。しかし、残念ながらイミグレーションや税関は民衆の敵だ。(懸命に働いている方には申し訳ないが、嫌われる仕事という奴でしょうか)今年の正月に書いた新春の決意に追加する。これ 自ら進んでではないが別室に連れて行かれたのは仕方ないとして、実際の荷物検査が始まり、そこで困ったものが出てきた。荷物の4分の1を占めるのがプラレールしかも電車ではなく、15匹以上のペンギンにレールが付いていて、そいつがレールの上を走り回るプラレールだったのだ。バンコクの某デパートで衝動買いしたものだ。シブイ。「これ何ですか」と税関員。「あ、これ、えっと大人でなく、子供のおもちゃです」と私。「そうですか。」次にでてきたものはコレであった。もはや言い訳の余地はなかった。幸いも税関員はそっとソレを置いてくれた。最期に褒めておく。マニラ行き。その日出発だというのに、ついつい浅草で電気ブランを飲んでいた。さんざん、前日、アテネで知り合ったK君と飲み明かして二日酔いというのに。成田に着いたのは出発20分前。もう駄目かと思ったが、カウンターに眉間に皺を寄せたイライラ丸出しの女性が私を待っていた。「あっ、ドイモイ様ですか」名前まで知られていた(当然か)「すみません。遅れました」(しかもベロベロ)「荷物はありますか」「ハイ、リンゴ15キロです」そこから、彼女と2人、全ての並んでいる人々の順番を申し訳なく抜かし、 ゲートへ。空港内を走りながら思い出していた。チベットで知り合った男の話を。彼も、空港内でゆっくりしすぎて飛行機に乗り遅れそうになった。そこでゲートに向かおうとするが、長蛇の列でびっくりした。このままでは間に合わないと察した彼は、アイデアを思いついた。身障者用のコースがあったのだ、そこでカートに勝手に乗って障害者のフリして全員ぶっちぎってゲートに一直線!ステキー。その彼ではないけれど。
2004.05.27
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何を隠そう、先日は夕方まで特別出かける用事がなかったので、ここは一丁大倉庫の掃除というものをしようと果敢にも挑戦したのであった。そこで発見されたものは、私にここを紹介してくれた心斎橋ワタル氏への手紙に他ならない。本人は私なので了承は得るつもりはない。また時効でもある。何故時効かといえば、書かれたのが、1985年のことであった。ワープロで打ち出したのものであるが何故私の手元にあるか不明であるがもう不問としよう。さて、現在とは比べ物にもならない稚拙な文章で、敬意を評して自分で恥と汗をかくことにしよう。心斎橋君へ(16年後のボクへ) 君との付き合いも四年の満期を迎えようとしています。今の私には、全く、運気がありません。この一年これ留年しないようにドイツ語に力を入れてきたのに、単語もばっちり覚えて万全に試験に備えるつもりだったのに、試験二日前教科書を落としました。(アホやね)何たる不覚。五十一パーセントの確率で私の留年は決定致しました。(したね)こいつは完全なショックです。努力する前に努力が認められず、不意に終焉を迎え、厳しい現実を認めなければなりません。打ちのめされっぱなしです。情けないです。当然、私の甘えから総て発生した、そして今後発生していくことなんですけど、自分の弱さゆえ、外的なもののせいにさせて下さい。何故こういう状態になったのか、頭の中が空転して同じ所を回っているので止めたいところです。いつものように、適当な理由ヲデッチあげて自分を偽ります。終点がないんだな。皆さんは一体どのように物事を解決するのでしょうかね。古代人はきっと生きる意味を考える必要がなかった。生き抜くことで精一杯だから。もし考える奴がいたら餓死していただろう。こう社会が情報化、分裂化、疎外感、目まぐるしい変化していくといっぱい付いていけない奴がでてくるだろう。急激な変化を楽しむ独自の価値観が欲しいです。(もうええちゅうねん) それから多少いろいろ世界の違いや多様な価値観を知ったことも何かヤバイ要因になっています。生きていければ問題ない。他人に迷惑をかけているようだが、それは、申し訳ないが、だんだん、多少、四面楚歌。私は、今まで、自分が、ラジカルだと思い込んできましたが、かなりオールドでクラッシクと言われて軽い眩暈をおぼえています。クラクラ~、時代に乗り遅れた。 じゃ、いったい、どうしろというのだ。単純明快だ!なるようにしかならないということだ。それをいかにして実行すべきか。 一番簡単な方法は何もしないことだ。これは私が得意とするところだ。しかしこいつは死んでしまう。私は、どちらかというと、まだ生への執着はあると思われるので、そういうわけにはいかない。次に世捨て人。まだ若すぎるか。残念ながらそう私がなって悲しむ人も困る人も喜ぶ人も被害を被る人もそんなにいないと思うと、余計に世の中まだ捨てずにイチビリタイと思うのだなあ。本筋から離れるなあ。 とにかく現在の自分を知ることだね。本質を知ると狂いそうになるが、これ以上でもコレ以下でもないことを認識するよ。ちょこっとだけ我慢できる範囲で許容範囲を越えてみるよ。無為自然はまだ早い、認めず、妥協するよ。ぶっこわしてえなあ。じゃな。(最期まで何が言いたかったか分らなかったねボクちゃん。それに手紙の必要もなかったね)
2004.05.26
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17:00 打合終了。先程のプレゼンの人、4年前にも一緒に仕事してたんだけど、その会社潰れてしまった。店長だというのに、潰れる前日(日曜)の夜8時に知らされたという。独立して頑張ってるなあと思った。17:10 パソコンをかちゃかちゃして請求書を作る。バックマージンだが、何となく後ろめたい気がしてしまうのは何故か。その言葉ゆえか。17:20 トイレに行く。1日無糖自分で入れる珈琲を10杯は飲む為かトイレは近い。17:30 バインダーに先程の資料を挟んでいく。資料が増えるだけだ。17:40 発注書を作成する。前の人に「こんな感じ?」と聞く。皆、いいことしか覚えていないから。17:50 経理から仮払いを受ける。何か仕事しているフリをする。メールチェックする。18:00 事務所を出る。歩く。18:10 地下鉄で電車を待っている。100円で買った「香港見聞録」を読む。18:20 車中、不覚にも座る、同時に、目が閉じる。18:30 乗り換えの為、地下道を歩いている。人が多いのは疲れる。18:40 乗り換え後、地下道を歩いている。軽い眩暈の行動ナルシシズム。18:50 タクシーを拾う。運転手はよく喋るので、相槌打って一人疲れる。19:00 スーパーに到着。イベントの撤収。挨拶など。19:10 薬局のオヤジが領収書に貼付する印紙がなく、待たされる。奥さんケバ。19:20 迎えに来てくれたアリスト(盗難ナンバー1車種)に乗って移動。人工的な臭いでもたまにはいいにおいがある。ちょっと嬉しかった。サワデーではなかろう。19:30 現場にて、電話3本ほどおもむろにする。19:40 電話中。19:50 ちょっと置いてあった雑誌を読んでしまう。クローンの記事。20:00 牛のごとくひっくり帰りたくなり、仕事終了。20:10 地下鉄構内。「食の世界地図」という文庫本を読んでいる。20:20 知人に会う。飯をくうことにするが近場にする。メキシカンにする。別にブラッドピッドの映画のせいではない。20:30 鞄が重そうだと指摘を受け、開けてみると、本が6冊出てきて、思わず呆れられた。めでたし。1冊進呈しようとしたが、読んでからにしなさいとタシらめられた。20:40 1杯目はチリビールを飲み、唇が鱈子になった。20:50 実は、私は、ドイモイ政策のベトナムにまだ行ってないことを激白する。21:00 チーズやナチョス、イモ、アンコ、タコス、量の割りに重い、残してしまう。21:10 しかし喉は渇くので、相手に遠慮せずグビグビやる。21:20 動くのが億劫になる。あなたのせいよ。21:30 私は常々常識にとらわれるなといっているのに、昨日会った元同僚に、あんなけおもろかった君も常識にとらわれているなと言われてショック。でも嬉しかったことを思い出した。成功してくれよと言われた。21:40 夜景が見たくなった。21:50 アルコールももっと欲しくなった。22:00 アルコールを体内に注入しながらライトアップされた大阪城を見た。22:10 以前、私が住んでいた家あたりが見えた。大阪生粋のゲイゾーンだ。大阪のクリストファー通り、堂山町。22:20 本を読んでいる時に本を読みたいと思ったり、映画をみてるときに映画を見たいと思ったり、今は吸ってないけど煙草を吸っている時に吸いたいと思ったりすることあるんだよね、といって「へえ~」と言われた。22:30 楽しかった、が、カエルことにした。22:40 車中「ことばとは何か」田中克彦を読んでいる、もう15年はこの方の著書を読み続けている。22:50 芦屋駅で乗換。23:00 だんだんリアルタイムに追いついてきたぞ!23:10 自宅では豆腐プリンという青山通りのプリンを開ける。またビールも開ける。23:20 掃除をするのを忘れていた(覚えているけど忘れたいから脳の端っこに追い込んでいた)23:30 シャワーを浴びるが、シャンプーが切れた。お湯を容器に入れたら泡だらけ。23:40 とりあえず、TVに敷いているDVDを抜き取り、TVの上に。23:50 届いていたDMに目を通す(普通は封を開けずに捨てる)0:00 これからMY TIME3:00 現在に至る
2004.05.25
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ミュージックエスケープ~その日の実験目的:無場所:自宅装備:音楽発動機4台。TV1台。ラジオ2台。適度な温度と湿度方法:部屋の中心に私。4隅に音楽発動機(音楽はジャズ・バロック・プログレ・J-POP)。ビデオデッキはCMばかりを編集したものをコマ送りで)。ラジオ2台を同時に流す。感想:マインドエスケープ。均等な距離からの4ヶ所からの音楽。一つは古い古いラジカセで、それだけがイヤホンから聞こえてくるようで、蛙に笑われているような気分になる。ボーカルのないジャズが宜しい。ロックはベースがやたら耳障りになる。笛はお祭騒ぎを引き起こす。ア、そうそう太鼓は、原始音を感じる。映像の真面目な顔、笑える。本当は淋しがりやの音楽も、つっぱっていくっしかないんだなって思う。白線の内側にお下がり下さい。どちらが内側やねん。このボーカリストはきっと黒い服が好きなんだろうな。このボーカリストは雪の中を震えながら歩くのが好きなんだろうな。鍬持った農家の太った黒人がエプロンして、少し上向き加減にポーズを取り、だみ声で「うるさい」。日本語が埋もれている。ラジオのノイズがとてもいい。とてもいいのに耳障り。宗教がかる感覚が欲しい。相手はいらない。今は宮殿もおとなしい。庶民の反乱が明日に予定されているというのに。硬いピアノ音はあんまし好きじゃない。とびっきりハイかとびっきりローのときに聞きたい音楽が同じだったりする。不協和音が快になる。夜中の3時に電話がなれば、泣きそうに心臓に悪い。季節感のあるものを食いたい。AMラジオのチューニングを指で早回しすると、愉快。ロシア放送がノスタルジー。4隅の音楽を全部、同じ曲にして、少しずつずらして鳴らす。人間、ゆっくり座れる椅子が必要だということが分かった。4隅をクラシックにしてみる。人間、たまには書斎が必要なことが分かった。ひとつだけコルトレーンにしてみた。コミックバンドみたいになってしまった。グレンモルトウイスキーで喉を焼きたいという衝動に駆られた。神経がもっと欲しいと思った。視神経はもっと欲しいと思った。酸素ももっともっと吸いたいと思った。手のひらが暖かい。足のうらが冷たい。手の裏と足の表の立場はどうなるのだ。スルメイカをかじる作業に専念している午前4時10分の男を想像したまえ。まっすぐ前を向いて、ただ口を動かしているだけだ。許せるものなら許してやってくれ。夜中で思い出す思い出は、特に、現実を離れて偶像化していくから情けない。嫌悪感。考えたり思い出したりするのは、現実の夢にまかせよう。新ビオフェルミンも新バッファリンもいらない。値段の安い効用の変らないビオフェルミンでいいし、バッファリンで充分だ。雨が面倒だ、絶対。
2004.05.24
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何を隠そう、今日は夕方まで特別出かける用事がなかったので、ここは一丁大倉庫の掃除というものをしようと果敢にも挑戦したのであった。そこで発見されたものは、私にここを紹介してくれた心斎橋ワタル氏からの手紙が発見されたのである。本人の了承は時効なので得るつもりはない。何故時効かといえば、書かれたのが、彼が1985年のことであった。この手紙が届いたのは2001年である。封筒には、「ポストカプセル郵便2001 つくば科学万博」と記載されている。さて、現在とは比べ物にもならない稚拙な文章で、敬意を評して彼には恥と汗をかいてもらうことにしよう。あけましておめでとうございます。(はいおめでとうさん)やあ、元気でやっとりますか。君は今34歳ですか?おっさんですね。やーい、おっさんおっさん。ということはNは今でもおっさんなので、おっさんのおっさんだな。(と思ったけど全然おっさんになりませんでした。私のことをおっさんという意見はありませんし、罵詈雑言は粛清対象です)まあコレを読んでいるということは1999年に人類滅亡はなかったわけで、生きててよかったということです。(子供ごころに一体何を怯えていたのでしょうね)34歳というと、もう結婚しているのかな?(はい、離婚も済ませました)私は手相を見てもらったら(現在18歳)30歳ぐらいで結婚してその後別に女ができるといわれました。大変ですな。(ノーコメントです)現在私はローニン中で、君は大学1回生のフィーバーだね。(今もフィバッてます。毎日銀杏ちぎって昆布茶してます)16年後のことを考えると、なんか虚しいな。思わず苦笑しながら呼んでいる君の顔が目に浮かびます。あ、沈んだ、あっ、また浮かんだ、あっれれ沈んだ、、、虚しい。34歳になってもこんなあほなこというとりますかね。(順調に変わらずゆうてます。アホは治らないことが証明されつつあります)コレ読んだらみんなに会いたくなってきただろ再会しよや、生きてたら。(読まなくても時々会ってますなあ。OFF会しよーや)二度と青春は房らない、あ、戻らないだった。今、希望に脳が膨らむ心斎橋ワタル18歳、16年闇に眠る、じゃな。(あ、ハイ!)あ、掃除するの忘れてた!もう出かける時間だ!
2004.05.23
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会社の行事として、今日は阪神巨人戦を甲子園球場見学というのがあった。が、私は、何事にも興味を持ちたいと思いつつも、どうも野球観戦は、集中力がなく駄目だ。勿論、最近集中力が滅法減ってしまったのとは関係ないと予測される。少年時代は草野球を毎日していたが、それでも、子供の時から集中力がなく、野球中継を最初から最期まで見たことがない。せめてルールでファーボールとファールとバントを禁止して欲しいものだと勝手に思っている。また高校野球も真夏のクソ暑い時期にサディステックに根性でやるのは健康上辞めて欲しい。春と秋や冬にしてあげて欲しい。 私がプロ野球選手で興味がある人は、ロシア革命で国を追われたスタルヒン選手である。http://www.htb.co.jp/vision/kokoro/story.htmlそれにイチローの小学生の時の文集が大人である。まさしく目標と期限である。野球漫画では何故か「アストロ球団」が好きであった。超人なのにむちゃんこよわっちいのは超人の若さ故か。眠いから眠るのである。本当は、「出入国のハプニング」というのを書くつもりだったが、これはまた来年頃に生きていたら書こうと思う。
2004.05.22
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今日は、何を隠そう、国際見本市会場に行ってきた(本当) そこでは、関西最大級の電力会社とガス会社が火花を散らして見本市を催していた。(本当)私は、建築家の端くれとして、冷静に、最近住宅業界に猛攻をかける電気、ソレを攻防するガスの熾烈な争いを冷静に拝見することとした。(一部嘘)素晴らしいことか不思議なことだが、芸術家という人々は、作家にせよ画家にしろ音楽家にしろ、どこかに心の内なる狂気や常識からの遠い逸脱、そして精神的な病に苦しめられたり、それゆえの奇行において他人に多大な迷惑をかけるものだが、唯一、芸術家の中で、建築家だけは、精神的にまともなのであると私は思う。(一部私の意見)もっとも、狂気で家を造られて、壊れてしまっては困るのである。他の芸術は他人の命を奪うことはレアケースであろうが、建築家の失敗は、他人を殺してしまう事態になりかねない。それを証拠に(証拠には実はなっていないが)建築家は長生きする人が多いのである。(本当、だと思う)二つのショーは数億円をかけている為に、なかなか笑えた。(嘯いている)電力会社では、まず、ステージにミニスカートに体に電飾を巻きつけた訳のいまいちわからないアニメっぽい女性が、歌を歌いながら登場し、電気の講釈を云々する(本当)それをまともに見ていると自分がエロいただの親父に思えてくる(本当)ガス会社では、まず、お風呂の湿式サウナの宣伝実演があり、ビキニの女性が、気持ちよさそうに、風呂に入り、インタビューを受ける(本当)それをまともに見ようとただのエロいゾンビたちが群がってくる(本当)あ、勿論、私は、たまたまその場にいただけだと弁解しておく(本当)担当者によると1日4回のライブをこなすため女性は「肌が皺皺になっちゃいます」と素直な感想を述べていたらしい(本当なら本当)2会場とも、これでもかとコンパニオンを注入しており、これはいったい何の催し物なのだプンプンとなってしまう(嘘)企画した会社の嗜好丸出しなのが、なんだかなあ~気分にさせてくれる(マジ)最近、住まいの重要な部分にセキュリティーが挙げられる(本当)勿論、泥棒で一番多いのは、玄関からの侵入で、ただの鍵の掛け忘れ、またはすぐ近くだからといって一瞬目を離した隙(エントランスまでの見送りや、ゴミだし等)を狙ってとかの僅かな間にである(本当)2社とも、携帯電話からドアの施錠の確認だけでなく、照明器具の入り切り、床暖房の入り切り、駐車場等、共用施設の監視カメラ映像を携帯電話からの確認、モニター付インターホンの映像を携帯電話から映像確認、等ができるようになってきていることの説明を受けた(本当)但し、既に採用もしている(本当)その後、横のハイアットリージェンシーに行った。(本当。嘘をつく必要もない) 最上階28階で広東料理を食べる。(本当)確か、このホテルができたとき、これまで高級ホテルの最上階はフレンチと相場が決まっていたのであるが、敢えて中華にしたというので話題を呼んだ(私の記憶が正しければ本当)私はグルメでもないし、味音痴なので(本当。鼻が悪いからも理由のひとつ)えらそうなことはいえないが、ホテルの中華はウマイ。ウマイがソツのない旨さであり、外れはないが馬鹿ウマはない(私の舌を忠実に思えば本当)そういえば、誰に聞いたか忘れたが、世界で一番ウマイ中華を食おうとすれば、世界で一番延びている都市の中華に行きなさいと聞いたことがある。80年代の東京、現在の上海、とか。(聞いた話が正しければ本当)しかしウマイそうでないはあまりアテにならないが、楽しいエピソードではあると思い気に入っている。(ソノママ)まあ、そうやって雨の中帰っていくのであった(事実)やはりホテルの夜景の醍醐味はトイレかな
2004.05.21
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新嘉坡にて 起床九時四十五分。昨晩酔狂、故、強烈頭痛。後輩、嘔吐少量有。煙草一本吸飲。銘柄 段昼(英国製品)朝食、胃袋詰放題、面包 、莫迦程馬食、珈琲、馬鹿程牛飲。無料。事実、この相部屋冷房完備、但し、夜間唯一作動。東南亜細亜特有一時雨有。オーチャードRD極東百貨店内土耳古航空機予約再確認念押OK。雨上がり、故に、出発。徒歩一里。疲労感有。しんがぽーりあん意味なく何となく垢抜無、超管理都市国家の為?一時雨再度、休憩と称して雨宿二時間。雷雨音有。我、唯、珈琲。印度系馬来系中国系等他民族国家故、普通の人々、ニ、三の言語操作可能。JB(新嘉坡対岸のマレーシアの町)行公共バス。荷物莫大、故に乗車拒否二回。http://www.clair.or.jp/j/forum/forum/jititai/103/INDEX.HTM入国午後五時頃。環境少々悪化。中国系シンガポーリアン向週末酒場、排気ガスの続出増加。道端両替商多数。T/C不可。傘購入。荷物盗難防止監視人組及びメシ食い組に一時間交代制にて別離。週末マレーシア人の吹き溜まりのタイの国境近くの町ハジャイと似た空気。週末シンガポール人の吹き溜めの町。ボヤボヤしたが故、空港行きバス終了にてタクシー三十分でジョホールバル空港着。我生涯初1等席。(但し、経済席の1.35倍価格)ボルネオ島サラワク州行きは、国内線但し、自治権強大故に、イミグレーションカード没収及び出国スタンプ及び税関有。ボルネオにて、「スルタン、イスラム」のスタンプ、ボン!また滞在有効期限二ヶ月。
2004.05.20
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それは、多分、何年も、いや、5年程度前の話であろうか。私の実家の一つ坂の上、私の実家と同姓の私の実家の私を含めて同じ4人家族に、惨事が起こった。不幸なことに、殺人事件が起こったのでした。私の妹の友達達はもうそれはびっくりしました、市町村丁目まで同じ同姓の家族。いったい誰が様子をみるのか。勇気を振り絞って代表で電話をかけてきた妹の友達はエラい。受話器は10トンであったといいます。電話に出たのも妹であった。幸福にも、私の知り合いは誰も気がつかなかったようであった。20歳になった瞬間汝何をしたかったのかPOOPOO
2004.05.19
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それぞれの人々。将来こうなりたい 大地の夜明け。牧歌。薄暗い地平線。おぼろげな農夫の歌。360度の地平線が日常。早朝からの労働。準備が終わり、牧場で、単調に、地道に藁を敷く。生活に不安はなく、同時に喜びもない。営み。突然の死。 前衛芸術家気取りの男の話。現在の自分のもどかしさと才能のなさをひしひしと感じながらも、一応他者には認められているため、自分の行き詰まりを、ひたすら隠しながら、享楽に溺れている。 ゆっくり覚醒してゆく。自分を悔い改める謙虚で優しい気持ちになる。他者は、そんな自分を、常識的過ぎると残念がる。しかし、本人は病み上がりの爽やかな空気にとらわれる。そこで、本人は自己完結に陥る。 貴族のお忍びの行動。至る所を珍しそうに歩く。常識と体力を備えた使徒二人を連れている。損なとき、突発的な事故が発生し、自分の特権的身分を明らかにしてその場を切り抜ける。都合の悪くなったときや面倒なことが勃発したときだけ身分を明かす。それでもその貴族は、世の中の全てを知り得た気分になり、民衆の希望や感情は理解したという気分になり、城へ帰ってゆく。 文献学を研究している哲学者。彼は、そのため形而上のあらゆる知識を身につけるが、その学問の性格上、部屋にこもりがちである。彼は悩む。膨大な知識と教養が頭の中にあるだけで、何ら実践、実感しないことを。実生活とは関係のない知識と教養は、人付き合いを邪魔する。相手が何を求めているか最低限必要なことさえ気が付けない。世間知らずがただ悩んでいるだけだ。 そうなりたい。
2004.05.18
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今までで一番情けない警察の捕まり方 その年の夏、夜1時25分。家から一番近い煙草の自動販売機まで100メートル。原付に乗る。偶然、見回り巡回中のオマワリ2人組に遭遇してしまった。「あちゃ」ノーヘルで止められた。免許不携帯。「あの、すみません、家はあれなんです。ほら見て下さい、手に握っているのは240円です!煙草代です」「仕事だからねえ、じゃあ家に免許取りにいってもらあおうか」「それから、これ見て下さい、上半身裸ですし、下はパンツ一丁です」「キミ、それは厳密にいえばわいせつ罪だよ」オマワリは無情にも違反通知書を出した。最後の祈りで「見逃して下さい。これからは100メートルなら歩いていきます」と訳のわからないこと下出に言うと、「きみねえ、本当はノーヘルに不携帯に軽犯罪法違反なんだよ、それを1点にしてあげようというのだよ」と押しつけがましい態度を露骨に出していい放ち、こんちくしょうと一瞬思ったのだが、まあこんなに夜遅く仕事を忠実に励んでおり、ノルマ達成に日々努めているのだなあと、自分がまるで関係ないように優しい気持ちになったのであった。 パニョワールいわく、笑いは勝利の歌である。ベルグソンいわく、笑いは、生けるものの上に貼りつけられた機械的なもの。フロイトいわく、笑いは余剰エネルギーの放出である。梅原猛いわく、笑いは異なった意味または価値領域に属する2つのもののコントラストによる価値低下の現象。岸田秀いわく、笑いは、共同幻想の崩壊または亀裂によって起こる、それが要求していたところの緊張からの解放。doimoiいわく、最近、耳掃除のために棒を耳に突っ込むと、何故かえずく。 我々は不必要な物事や思考でいっぱいになっている。ただある空間を生み出す必要がある。ただある時間を作り出す必要がある。成長とは崩壊だ。しかし同時に肯定的である。肯定性は中心にあり、否定性は周辺にある。存在は、その間にある。欲望は紛れもない騒音だ。対象がああるから生に対して欲求不満に陥らないで済んでいる。欲望の不毛性に気が付けば、内面の何かが落ち、新しい次元に変容する。なーんちゃって、ははは。いーひひひひりーべでぃひ、ウフフ、エッヘン、オッホン、ケセラセラ。笑いに目覚めたら、生きていることがいかに馬鹿げたことか分かるのだろう。失望と苦痛、そして自分自身を笑い飛ばす、いいねえ~。 http://www.chakuriki.net/ http://adventurers-guild-japan.f-o-r.net/ippatu/ http://www4.plala.or.jp/hiro_k/Report/Present/p168_top.htm 4件隣の人 小学校3年のとき、3才年上のN君とM君と3人で、近くの原っぱでバトミントンをした。M君は少し太っており、N君は小学3年の私から見れば大人びた雰囲気の小学6年の人で何故かにやけていた。M君はバトミントンの羽根が遠く飛んでいってしまい、やれやれまいったなという顔をしてラケットにもたれ掛かった瞬間に、ポキッと折れてしまった。私のラケットであった。2人の存在は知っていたが、(M君は4件隣に住んでいた)遊んだ記憶はこれしかない。 私が中学生になったとき、M君は高校生になっており、学区内で2番目にランクされるS高校に通っていた。彼の家の壁には2羽のツバメのタイルが貼られていた。 ある日、M君は、電気の入るタイマーをセットして、朝5時に突然命を絶ってしまった。尾ひれはひれついていると思うが、その朝、新聞配達員が、その時間帯に、彼の部屋の窓から白いもやのようなものが昇天していくの見たそうだ。それは、多分、ツバメのようだったのだろう。 彼は自殺した。 十年後、私は表札を見た。他人の名前に変っていた。二十年後、私はまた思い出した。M君の肉体はもうこの世に無く、私の記憶の中で、ラケットを折ってすまなさそうに笑っていた。 今日もまた、トリートメント流すのを忘れて出かけてしまった。もらったテッシュでふきまくった。アルツ進行中か孤高の人ならぬ恍惚の人になりつつあるのか。記憶がめくれて古い記憶が表に出てくる感じだ。
2004.05.17
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元ポルトガル領ダーマン 朝。何じゃコリャ、と海を見て叫んだ。どっしりとではあるが鉄の錆びた血生臭い海と波の色。小石ごろごろの浜辺に座り、コップ一杯いくらのヤシの酒を飲む。ポルトガル時代の要塞が見え、ミンダナオ島のスペイン城塞を彷彿させる。機械より人件費のほうが安いというインド的理屈作業で砂運びをしている人海戦術軍団や漁の網を修繕する漁師軍団をぼんやり見ていると、ひとりの青年が寄ってきて何かを話し掛けてくる。素朴でもなく興味深そうでもなく、淡々と世間話らしきものを海を見ながら話し掛けてくる。裸足の足を貝殻で切った様で、意味もなく砂を塗りつぶしている。薬を塗りつけるように。 町は静かだ。戦火の中の束の間の休日という感じもするし、圧政者が去っていった後の静けさという感じもするが、実際、日曜日の小学校以上に静かである。車さえない。ときどきベスパ。雀の囀りと、子供のおしゃべりと、歩いて道を擦る音ばかり。レストランとバーとホテルとアイスクリーム屋ばかりなのである。禁酒のグジャラートで唯一解禁されているこの町は海以外の三方を鉄線で囲まれた、囚われのオアシス。外国人は見掛けないが、酒飲みツアーに来たグジャラート人が昼間から、時間が惜しいとばかりに飲んでいる。遠慮深く親切な現地の人。 そういえば、ダーマン駅からの道中、有刺鉄線にはさまれた1本道をやってきた。両脇は荒涼とした沙漠地帯であった。グジャラート州は大麻には大目に見ても、禁酒の州である。人々は大いに1日中時間を惜しんでインド人旅行者は飲んでいる。 ヌボーッと夕日は海にはまる。波内際ぎりぎりを歩くサリーの女性。茶色に金色の入った高貴なサリーが砂浜に足音を残して、夕日に映える。美しい。美しくて切ない。砂浜に来る人、帰る人。星が遠い。海がどす黒くなっていく。良きノスタルジーのために。故郷に二度と帰らない決意を込めたロシアで生まれた言葉に誘われる。寝て回復するような疲れであってはならない。そこに救いがあってはならない。それ以上衰えのない状態で、ただ時間を潰す無気力を維持し続けるアウトローのために。精力的に怠慢なアイロニーが旅の魅力なのだ。などと呟いてみて、私はホテルに意味もなく戻って行く。 ショルダーバッグひとつの旅を終えようとしている。
2004.05.16
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インドのラジャンスタンのことを書こうと思ってたけど、それは来年に譲ることにする。日常の少し不思議1. 交通事故現場を見た。警官がいっぱいいる。そうネズミ捕りをしていて、あれ、危ないんだよね、急に「止まれ」みたいな旗出して車を急に止めるの。その警官、車道に飛び出て、止まれをしようとしたら轢かれてしまった。あれ、急に出てきて危ないんだよな。車は急に止まれない。しかし、運転手は顔面蒼白。警官にリンチされるのではないかという恐怖の顔をしてひきつっていた。道路に静かに横たわる警官。2. 自宅のある駅を降りたら、少し、服と顔が派手なおねえさんと擦れ違った。何か浮いている感じがしたから、気になったのだ。すると、後ろを歩いていた酔っ払いリーマン二人の内の1人がスットンキョンな奇声を上げた。「あ、今擦れ違った女、デリヘル嬢や。俺この前呼んでん、あ、タクシー乗った!」ワタシは初めてデリヘル嬢というのを見た。見てはいけないのかもと思いながら私も振り返って見てしまった。3. 私はどちらかというと携帯電話を持つのが遅かったほう。4年ぐらい前の友達同士の集まりで、「家にいるのに携帯で電話してしまうんだよね~、馬鹿だよね、面倒なんだよね」なんか言って皆周りが頷いていた。私だけが携帯を持っていなかったので、馬鹿だねえと正直思った。いつの間にか、私もファックス以外に電話機を使うことがなくなっている自分に気がついた。最近はIP電話になり、電話機を使おうと思ったら、もう電話でウダウダ話す相手がいなくなっていた。4. 夜11時に電車に乗ったのですが、週末なのか通勤ラッシュ並の満員電車で本も開けず、厳しい状態。おまけに偶然背中に女性。こういうとき、痴漢に間違えられないか不安になる。不自然に体をくねらせて不自然な体勢になり、向こうさんの胸だけには当たらないように注意する。しかしその姿勢を持続するのは困難な技だ。ヨガでも習うか。ハタヨガにしとこ。5. 靴は右から履くのか左から履くのか、それが問題だ。匙は投げられた。ルビコン川は渡っていない。6. 野暮用で、シャワーを浴びた後、車に乗って運転を開始した、渋くもなんともないのにシブイふりをして、手櫛をしたら髪の毛ベタベタ。しまった!トリートメント洗い流すの忘れていた!実はそういうのを忘れたことはここ半年で3回目。半年以前から生まれるまでは0回。何となくアルツハイマー初期型なのか不安になる。7. 前の車の自動車税も来た。困った。2年前、あるおばちゃんを車で送る所でした。「おばちゃん、俺、車買ってん、あさって取りに行くねん」「層なんだ。出、この車どうするの」「あ、これ、タダでディラーに引き取ってもらいますねん」「それならワタシに頂戴」「いいですよ、車検も先月受けたばかりだし。名義変更自分でしといてな。税金も払ってて。自賠責は月割りね」といって、2日後、おばちゃんに車を渡した。名義変更されてないことが分かったのは去年の自動車税の時であった。用紙を郵送して電話しておいた。分かったよ払うよ。と電話の向こう。今年、今、また来ている。明日また郵送して電話しておこう。
2004.05.15
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友人の子供が修学旅行から帰ってきた。私も、中学の修学旅行どこまでウル覚えているか、今からチェックすることにした。22年程度前の話だけど。「雲仙西海、長崎、伊万里、地獄めぐり、断片序章」・伊万里焼の挑戦、自称伊万里のポールニューマン(何故か分からぬが)作品を15秒で仕上げる。全学年1番早く完成させた(おまけに芸術度も3番ぐらいだったと1人で噂になっている)・ 虹の松原で「オイ、青春しようぜ」といって砂浜をダッシュしてみた(しかし彼女はいなかった)・ バスで疲れきった時、後ろをみたらカップルがお互いもたれかかって寝ていた。周りの人間達がにこやかに笑っていた。私は心底羨ましいと思った(しかし私には彼女はいなかった。ちなみに現在男性は某A新聞記者、女性は薬剤師になっている。多分高校が違ったので自然消滅したものと推測される)・ 長崎はグラバー邸に行った。実は、24歳年上のマイ母の高校の修学旅行も(たぶン1960年代前半)長崎その周辺であり、私が小学生の時何度もその写真(1冊のアルバムになっていた)を見ており、行ったにもかかわらず今も母が写したその写真の中の風景しか覚えていない。ちなみにグラバー邸とは何か分からないが、階段でないエスカレーターで登っていったような気がする。・ 大浦天主堂ではきっとステンドグラスに圧倒されたに違いないが、そのことは忘れ、歩いてすぐの長崎チャンポンを昼飯に学年全体で食べた。私たちの隣のテーブルで食べていた女子達の写真がボケて写っていたのを覚えている。・ 長崎平和公園では、皆があの男子でも女子でもない像の真似を照れながらして写真に収まり、原爆博物館では女子が泣いていた。私は小学校5年程度の頃に広島の原爆博物館に行っており、その凄惨さは広島の博物館の方が(展示物が多いからか?)圧倒的であるよと、同級生に諭した訳である単なる生意気ボーイだった。・ 西海橋ではクラス全体の記念写真を撮った。海がおいしそうな色をしていた。私の出席番号次の男は、記念写真でも大変うっとうしい格好になって写っており、卒業文集では感激するほどに真面目なことを書いていたが、結局は893になった。・ 2泊目は雲仙に泊ったが、ベランダから他の部屋に出ている奴に意味なく手を振った。・ バスガイドが当時少年ジャンプで人気を博していた「ドクタースランプ」のあられちゃんそっくりであった。・ 別府での地獄めぐりでは、いわゆるところの温泉タマゴの臭いだけ覚えている。あ、それと、君の名はのマチコ岩もあったなあ。・ 新幹線には生まれて初めて乗った。座席の向かい側はカメラ少年であった。彼の消息は知らない。・ まあそんなところかhttp://www.yado.co.jp/hasi/nagasaki/saikai/saikai.htm (西海橋)http://www.yado.co.jp/kankou/nagasaki/nagasi/gurabar/gurabar.htm (長崎)http://www.yado.co.jp/kankou/ooita/beppu/tinoike/tinoike.htm (血の池地獄)http://www2e.biglobe.ne.jp/~iwachan/normal/f2.html (マチコ岩)昨日の私の全仕事洗濯。2時間かけての朝食。車の運転(ホテル-自宅20分)。健康保険証探し3時間。(普段の仕事の半分は何かを探しているので、私の労働効率は一般社会様の半分程度)。朝寝。クリーニング出し及び回収及び洗濯。洗濯物室内干し作業。夕食。買出し。本屋及び古本屋1時間。茶。映画鑑賞( http://homepage1.nifty.com/Titanic/topics/thumbtanic.htm )少しドリンク。メールチャック及びネット徘徊。本当はしなければならない基本的作業自動車ぶったくり税51,000円の支払い。棚の整理。古本に出す本の選択。タオルと下着を分けて洗濯すること。歯医者の予約。靴磨き。念入りな風呂掃除。積立預金の通帳記入。基本的人権の尊重。トイレットペーパーの購入。空気清浄機のフィルター交換。靴下は右から履くか左から履くか考察。飲めて幸せだなあしわ寄せだなあ
2004.05.14
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朝起きて、バイキング形式で朝食を採った。バイキングといっても海外では何のことやら通じない。このバイキングの猛攻がゲルマン民族の大移動を促したのでしたっけ。まあ、いいや。私は、こういった朝食が好きだなと思いながら食べているのだが、異次元を味わうということもあるが、既に現代人の我々に、精神的にゆっくり朝ごはんを食べるという快楽が減ったせいかもしれない。大抵、私は、そこでスクランブルエッグを食べる。コックがデモを兼ねてか、コーナーで卵料理を作っているようなホテルもある。私は、こういうのって心理学的に何というのか知らないけど、(単なる感傷や思い出かも)スクランブルエッグを食べるのは理由があるというか刷り込みされているのかな。 19歳、インド、ラジャースタンの街ウダイプルの安いホテルで。ドミトリー1泊50円。朝。私を起こす人はホテル(個人経営)の娘。実は、インドに入って1ヶ月目、初めてインド人女性と話をしたのであった。「朝食はいかがですか」といって彼女はメニューを見せてくれた。西洋人は何となく食べている。私も、チャイとパン、そして卵を頼んだ。「卵の料理方法は?」何故か私はその時、使ったことのない英語、かつ実家ではみたことのない料理方法「スクランブル」と口にした。何か嬉しかった。何故か、ゆで卵目玉焼きだし巻きで相変わらず食べているが、ホテルに泊った朝食だけは国内外問わず、グチャグチャタマゴだ。何故だか分からない。茶飲んだなあhttp://homepage2.nifty.com/sundari/lakepalace.htm今晩のメシhttp://www3.kepco.co.jp/efresh/result_show.php?id=90&key=topicsチェーン店でありながらなかなかコンセプト(ニッチ産業やな)しっかりしていて何度か行っている。神戸は初めてだが、景色が良かった。昨日泊ったホテルも見えるし。http://homepage.mac.com/tommy_a/iblog/B412808706/C22841432/E1568852894/
2004.05.13
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ただのりらっくす 誉めてもらうと、それはうれしいものです。自分で、こんあこと感じたり、思いついたりしたと思っても、なかなかそれはどこかの知識や出来事ニュース目で見た事の寄せ集め。それがなかなか馬鹿にできない。「夢はあるか」と言われて、大人になれば、自分で可能性を低めたり諦めたりして、どうも答えにくい感じがする。子供はいっぱい夢があるように見えるが本当かどうかわからない。子供に夢を持てと夢のない大人が言うのは嘘っぽい。しかし、考えてみれば、大人になって夢を忘れるのではないと思う。はっきりいって、夢は知識だと思う。子供の夢をよく聞くと、あたりまえだけど具体性がない、誰とも似通っている。夢を持つためには勉強したり経験したりしなければ持つ事ができない。 私は、高校を卒業して、大学に入り(はっきりいって現役留年という情けなさ)、その夏、南国のビーチというのを味わった。私は理系に属しており、高校の同級生は私以外ほぼ全員が浪人となったのであった。大学から帰る道すがら、予備校から出てきた旧友達に出会い、「もう日本は飽きた。」なんか嘯いた若くて格好悪い18歳であった。きっと旧友は「まじめなあいつが自由になり狂った」と思ったことであろう(そんなことないか)性格的にはおちょけてきたが、確かに真面目に勉強(だけ)をしてきた受験生から、何もやることのない1200パーセント開放された南国ビーチで私は感動した。珊瑚礁、椰子の木、イルカとの戯れ、エキゾチックな人々、何もかもが半年前とは違うカルチャーショックであった。でもそのときに思ったことは、今も勉強をしているあいつらに、この体験をしてもらいたいということだった。世の中は快楽で満ちている世界もあるということを私は知った。1週間先まで何も予定がないという自由を知った。遠浅の海に、犬が入り、遠く海の彼方を見続ける哲学犬の存在を知った。何も気にせず、下までスッポンポンになって体を焼く西洋人男女の存在を知った。世の中には、そう物事を難しく考えていない人々がいっぱいいることを知った。世の中は貧困や不平等や差別、そして戦争で満ち満ちていることを知った。たった数週間の滞在だったにもかかわらず、18年生きてきた既成概念や価値観が崩れる快感を知った。そして、今、受験勉強をしている友達とこの体験を共有したいと思った。結局、それは実現しなかった。未だ、彼らの夢に、「ビーチでのんびり過ごす」という項目はない。ただのりらっくす
2004.05.12
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80年代、日本人初のエイズ患者の認定者が神戸から出たことをフト思い出した。その女性がホステスとして働いていた外国人向け船員バーによく通った。(今はもうないが、エイズ患者が出たといってもそれから10年は営業していたと思う)少し自閉症気味のマスターが(私と同じ大学出身ということだ)自分勝手に60年代の曲などを大音響でかけている。チャージとかいうのはないが、何故か白人や黒人の船員が来ると、ホステスは、あまり楽しそうには見えないがまとわりついていく。経済的に貧困ではない90年代での日本での日本人話である。私は、ガンガンと、強い酒を空けていく。そして東南アジアや戦後すぐあたりの風景と見間違える光景を何度も目にして、何か不思議な気がしていた。ふと、そのことを思い出して、その女性達は強さに惹かれたのだろうかと思ってもしてみた。強いアメリカ、強い男、負け犬が許されない、プラグマチズム、バイアグラ、レームダック・・・アメリカはよわっちいのは許されない、しかし、内心怯えている、自分ももしかして負け犬になるのではないか、不能になるのではないかと。国をあげての思春期だ。そんな思春期を迎えた前後見境のない国が世界の警察をしていたりなんかする。私の高校生の同級生の女性はスペインに住んでおり、ドラエモンの翻訳をしているが、これだけ世界に広がったドラエモンアニメ、アメリカにはないそうである(ホントかな?)それはノビタがドラエモンに頼りすぎるから。でも勿論アメリカ合州国は広い国であり、人口も多い。全てが子供じみている訳ではないし、半分近くはブッシュに反対なんだろう。そんなことを思いながら、激しい音響の中でヘベレケになるにはきつい年齢になったんだなあと、静かにヘベレケ状態で思うのでした。
2004.05.11
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顔の無い街。代行者は誰?「強制」は陽の高いうちに解除され、街は、ひたすら夢中に、寂れ出した。工作物は自然を恋しくし、自然の中では人工を、渇望する。移動、反復の繰り返しが日常。「日常」における「持続」が「感覚」を「麻痺」させ「非日常」を「不意」に生み出す。気がつくのは、常に「夢」のあと。<非日常>が溢れ、<臨界点>に触れると<日常>に成り下がる。淀みが飽和して一挙に雪雪崩を起こす。洪水の後は、日常。流転が日常。列車のレールは、その平行線は、安定性のために存在した。命の接近に恐怖する……….許容を捻出する……….範囲を揺るがす……….緩やかに浮遊。蝶は、ミクロ的にはデタラメに飛んでいるが、マクロ的には一定の方向に進んでいく。蝶ほどの軽さなら抱擁される。自然はツクリモノであった。造られたものであった。造られたものは、約束通り破壊されるようにできていた。遠く。電灯やアスファルトや建築物は人間に馴染んできた。ただそれは自然の変形であった。いびつな姿でも良かった。一つのシステムの中で流転しただけだった。連鎖反応は規模を問わず、それ自体を行使するために散在した。強力な干渉と無関心の不規則な交わり、それは心地よかった。破壊はよかった。再生はよかった。ただ、過剰反応が、即、暴力という形を採ったのは乱暴で浅はかであった。せめて軽薄程度に、せめて退廃を鮮明にしておけば。大切なのはオオキクキルだけだったのだが、雑であった。シニカルな微笑なんかより、明るい憂愁を。時空を越えるもの、それは夢しかなかった。将来への楽観的な希望としての夢には興味がなかった。夢としての夢には関心を寄せた。過呼吸で呼吸困難に陥りそうで稀薄だが一本調子の太陽光線シャワー。暴力的に濃淡な酸素。香水が猛烈な勢いで昇華していく、なおかつ、下品な程淫猥な臭気。下男や使用人がせわしく働いているのに特権意識。野蛮を自然という言葉ですり返る卑劣さ。非常に明るいペシミズム。現実逃避の甘美さ。拒否は救いでもあった。傍観者。アイロニー。恍惚、寂寥。 バリ島の最大の寺院ベサキの入口の看板には「生理中の女性は入場できません」と書かれてあった。
2004.05.10
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昨日、1昨日、2昨日前の追記尼崎工業地帯追記その尼崎臨海工業地帯には昼食を取れる店が中華料理店唯一1件しか近場になかった。昼ともなると人がいっぱいである。工場地帯なので人口密度はここだけが異常に高いのが不思議だ。私は前日に大量にアルコールを体内に注入していた為に、油ギッシュなものは重たかった。テーブルに備えられているポットから何度も水を汲み出し、立て続けに3杯。4杯目の水を注いだ瞬間、小さなゴキブリが水と共に、死んだままやってきて、ビール会社提供の頑丈コップに浮いた。 知らない方が幸せだった。 今までのこの席に座った客も、ゴキブリエキスを飲んでいて、知らないまま満腹覚えて店を後にしていったんだ。 酷い。喉が乾いた。知って、失ってしまった。電車追記 今日の帰りは、駅構内のプラットフォームのキオスク前水道で歯を磨き続けるのボレロ状態のオバサンがいた。しゃがみこんで、爽やかにも歯磨きの泡を少し口からぼとぼと落としながら、金髪に染めた頭を振り続けるオバサンは、純度の高い潔癖症か、ラッシュ時のパフォーマンス又はハプニングなのかは不明だが、私は、電車に乗ってしまい、オバサンの行方を追わなかったのは心残りだった。 昨日の帰りは、途中の駅から乗ってきて、ベロベロに酔って車内でやたら唾を吐くトンでもないオッサンと遭遇した。汚れていたりボロボロになっていたり、貧乏だったりするのは構わないのだが、不潔であったり、貧乏臭かったり、そこから抜け出そうという気概がなかったりというのは、「存在の耐えられない次の駅までの5分間」であった。過激にも、このオッサンから喧嘩売られないかなと期待した、そうなったらアッパーの3発不意に食らわせてやるぜえと、牙もないのに下の歯を上の歯より前に出してみた。丁度、私は偶然にもそのとき「ツァラトゥストラ」に関する本を読んでいたので、「ゲロだ、ニーチェだ、サルトルだあ!」という変なフレーズが頭の中を跋扈し、駅から自宅まで凡そ2000回ぐらい意味もなくそのフレーズが頭の中を彷徨していた。 唾は吐いてはいいけない。自分を吐いたみたいだから。自分の美意識を放棄したような気分になる。副次的に自分の美意識が、回り回って公共意識や街の美観啓蒙に役立つと思うとだが。5者になれ!学者とは、自ら勉強して知恵を持っている事。いろんなことを教えられる人。医者とは、良いところと悪いところを見ぬき、悪いところを治してやれる人。易者とは、確たる根拠が無い時でも、必要な場合は「大丈夫、絶対上手くいく」と断言できる人。役者とは、究極的にはプロデュース力。人を動かす時、また、ほめたり叱ったりするとき、誰がその人に対して影響力を持っているかを考え、その役割を振り当てて、確実に効果があがるように段取りすること。芸者とは、場の雰囲気や空気を察知し、それをあるべき方向に変えられる力。太陽が沈んだ、ていうか、本当は地球が回ってるねん。先日、公共料金支払いを自動引き落としにしようとしたが、印鑑が違いますと銀行から返送されてきた、ていうか、どの印鑑か分からなくなっている。仕方ないので今回はコンビニで公共料金のお金を払った。ていうか、お金なのに紙幣なんですよね。へーっ、ていうか何それ。歯が痛いんだよ、ていうか、歯痛、あ、同じか、ていうか、今現在とか、頭痛が痛いとか、重要なことはついついだぶってしまうんだよね。私の身長は、5.44尺、ていうか、0.0010246マイルで体重は21170オンス、ていうか、15.96貫、てか300000カラットです、ていうか分からないかな。笑える、ていうか、ちょと古いhttp://www.geocities.co.jp/Bookend-Shikibu/8177/Icon/003_104.swfオヤジギャグ、ていうか寒い。http://planetransfer.com/natsumi/touko/ニュース番組です、ていうか、世の中荒んでるねhttp://ahoseek.s8.xrea.com:8080/modules/news/だじゃれ、というか、泣きたくなるねhttp://portal.nifty.com/special04/03/05/何だかわからないけど、ていうか、暇でないと見る気にならないhttp://www2u.biglobe.ne.jp/~mnoji/page018.htmlポケットから世相が見える。15年前の背広のポケットから1. 三和銀行カード(図柄スヌーピー)及び印鑑本日貿易センタービル24階で飲んだコーヒー代のレシート2. 思いつきノート1冊3. 黄色の100円ライター1つ及び煙草(シケモク入り)4. 1000円札2枚と473円分の硬貨5. 「雪片曲線論」中沢新一6. 「私達結婚しました」と印刷されたテレホンカード7. バンドのないベガのアナデジ時計8. 運転免許証9. 旅行代理店の電話番号の書かれた紙の切れ端10. 定期券11. ボーリングの結果表(3ゲーム)12. 貰い物の映画チケット(ハーレムナイト)13. 蜂蜜レモンキャンデー1個14. ピエールカルダンのハンカチ15. 路上でもらったテッシュ2箱16. 名刺入れ17. ボールペン・シャーペン・万年筆18. ある会社(東芝)の工場の食券何故か1枚19. ニナリッチのネクタイピン20. 家の鍵1本と原付の鍵1本ヘルメットくくりつける鍵1本本日のポケットの中身1. 家の鍵2本と車の鍵1本会社関係の鍵1本その他鍵2. 名刺入れ(15年前の名刺入れは13年で破綻、今は2代目)3. 口臭清涼剤4. ハーブキャンデー1個5. バッファリン及びサプリメント6. ノーブランドハンカチ7. クレジットカード3枚8. もう2,3年入りっぱなしのテレホンカード9. 銀行カード(UFJ・東京三菱・ソニーバンク・新生銀行・郵便局・シティバンク)10. 運転免許証11. 古本屋カードやコープカードや大丸カードやカット屋やレストランのスタンプカード12. 書くもの13. ツタヤカード、クリーニングのレシート兼預り証14. 携帯電話15. 「余命半年の夢」~末期がん6ヶ月で手にした保険金 文庫本16. 路上でもらったテッシュ2箱
2004.05.09
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かつて、1日だけ、尼崎の湾岸の倉庫でアルバイトをしたことがあった。思い出深い仕事であった。倉庫の端に置いてある何百というプロパンガス管をおおよそ30メートル程度離れた反対側の端に転がして置き直すという仕事だ。ガス管を斜めにして輪を描くようにして転がすのだ。これは楽しい。まず仕事の全体像及び進捗状況が一目で分かる。手足は動かしても、頭の中は全く別のことを考えていられる。そして断然いいのが、仕事の終わりが明確にあるということであった。 尚、今現在の仕事は、会社としての全体像が分かりにくく自分自身がプロパンガス管のように転がされている。仕事の区切りはあっても終わりはない。仕事中に頭の中も仕事のことを考えていないといけないというやっかいな問題を抱えている。 私ともう1人のアルバイトがモタモタとガス管を頼りなく転がしている間、バイトに雇ってくれた人は何と両手で同時にガス管を2本回転方向を逆にしながら手首のスナップを利かせて同時に転がしているのだ。思わず、何だかよく分からないけど、とりあえず、スゲエという状態であった。 とにかく汗は気持ちよいほどでまくる。 ようやくお昼の時間がやってきて、どうやって何もなところで昼食を採ったのかもう忘れてしまったが、汗を拭きながら、突堤によじ登り、仕事の合間の煙草を一服吸った。「シブイ、実にシブイ。ハイライト用意してきて良かった。かっこいいじゃん」と自分に感心しながら遠くに見える臨海工場群と淀んだ海を見ながら思った。何故か横浜ベンになった。自分に見とれるナルシストにはなりたくないが、自分の行動に惚れてしまうダンディズムならいいんじゃないかしらん。私を15回ほど私は、一瞬、惨めな気分になりました。理由は内緒です。が、目の前にあるソレが物的要因が過去という産物を想起させてしまったのです。私たちは知っている筈です。神という永遠が、時間という人間を、その対比として創ったことぐらい。おお、酔っ払ってしまった。永遠という神だ!私の部屋は、もう2時間程度、何の変化もありません。私は、自分の家にいることが居心地悪いのです。殺風景にしてわざとそうしているのです。私は、リアルタイムを嫌います。私は、同時に距離を嫌います。私は、できうれば、時空というフィルターを通して物事を見たいのです。白昼夢か責任逃避かも知れません。しかし、私は、何故か、参加しているのです。アイロニー的ではないですが。説明はできませんが、思い込みが自信です。理にかなっているという思い込み。私は既に半分眠っています。涅槃ではございません。私はラブレターを勝手に書きます。告白ではありません。趣味です。私は、ここで筆を止めます(キーボードを叩くのを止めます。終わりがないから)
2004.05.08
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帰りの車内で 新快速の中、私の後ろにいた私より確実に若い男二人が「ガムの噛む音が五月蝿い」「そんなもん勝手やろ」と堂々巡りの知性ゼロの文句の言い合いが、満員電車の中、勃発。 今にも手が出そうな嫌な空気と緊張がぴしっと走った。こんな不寛容で不条理な暴力は止めてくれ、と咄嗟に思った。 そのうち文句が繰り返しオンリーになりつつあり、少し疲れていた私は、初めの緊張感とは裏腹に「ありゃ、もう終わりなの?言葉がなくなっちゃったみたいだね」と次第に思いつつあった。実際にもっと疲れたのは当事者の2人であろう。「駅に着いたら出ろ」「おまえこそ待っとれ」「それまで黙っとれ」「おまえこそ逃げるな」といった後、駅に着くまでの5分間、この言葉の応酬の繰り返し。おおよそ針の飛んだレコードプレーヤー状態に陥ってしまった。2人の間にあるのは面子だけで、本当はもうどちらもこんなつまんないこと止めちまいたいという空気が走りつつあった。そんなことではいけない若人よ!そのうち1人が「~だから~だろ」と言い訳口調、説明口調に変化しつつあった。いけないいけない喧嘩に論理をもってきちゃいけないよと少し優しく私は姑息にも思った。もう1人が「そりゃ、あんたのいうことも分かるけどね」などと言い出した。何迎合してんだよ何妥協してんだよお。和むな!と私は多少心の中で過激に思ってしまった。何だかおもちゃを奪われた子供の気分になり、苛立ちが芽生え始めた。 やっと駅に着いた。2人は苦虫を潰したようにホームに下りた。何やらもう文句を言い合う言葉を失ったようで、文句を言う気力も失ったようで、ただ黙って睨み合っているだけ。愛の予感。行きの車内で 新快速の中、本を開いたまま眠りほうけていた。電車が停車し、人々が乗り込んできた。その中にどこの店に行ったらあるのだろうかといったド派手な服を着たオバハン2人が猛烈な勢いで空席を目差して走って入って来た。こんなオバハンには席を譲りたくないといった理想的なオバハン像であった。 到着する5分前、妊娠している女性が突如、座り込んでしまった。えらいこっちゃと私は思ったが4席前であり、駆け寄って「どーぞ」というのも何だかなと思った瞬間にちゃんと、両脇に座っていた男性が同時に立ち上がり「どーぞ」と言った。しかし、妊婦はダイジョウブですといい、床に座ったまま。空いてしまった2席にまた2人は座り直すこともできず、2人の男性は場所をなくしてしまい、もじもじしていた。 5分間の長い沈黙の後、電車はやっと駅に到着。すかさず例の理想的なオバハン2人は妊婦の両脇をかかえ、2人3脚で歩き出した。あつかましい、しかし、いいおせっかい強し!と私は思い「ガンバレ、ニンプ、チャチャチャ、オー」と心の中で叫んだのであった。人生それぞれである。そういう文面の終わり方は卑怯である。しかし時々文豪もお使いになっている。ところで関西でも最近ICOCAカードというのが出て、パスケースから出さずともかざすだけで改札を通り抜けることができるようになった。それには500円のディポジットが必要で、馬鹿馬鹿しいなあたかが定期券出し入れするぐらいと思っていたが、今、地下鉄の定期券の出し入れが異常に面倒になってきている、人間慣れはおとろしいものだ。
2004.05.07
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掃除の仕事を暫くしていた。酷い仕事で汚れる仕事で平均賃金以下の仕事であった。何故ではそういう仕事をしていたかというと、そういう仕事が世の中で必要だったからと思っていたから。しかしそれは必ずしも私である必要ではなく、どちらかというと社会正義の遊戯であった。 マスクとヘルメットをつけて、雑巾を持ってトンネルに入った。私以外に仕事をしている人は社長以外は、年齢不詳住所不定思考不明といった破壊系の人々であった。 ある者はトンネル内のランプを素手で磨きながら、何かを叫んでいるが、車の反響音で、怒りの目をして口をパクパクさせながら叫んでいる動作だけが見える。 ある者は表示板を丹念に同じ箇所ばかりを黙々と磨き続けている。作業は捗っているのか分からない、トンネルの出口は遠い。排気ガスで汚れていく自分の体が急激にかわいそうになり、今日限りでこの仕事は辞めようと呪文のごとく唱えて、手だけを動かしている自分がいる。多分、端から見ると、私もブツブツ呟きながら手だけを動かしている破滅系にみえたことだろう。 昼になり、こんな格好で昼食も行けないし、トンネルの中では昼食も採れないことに気がつき、取り敢えず勝手にトンネルの入口まで出てきて、太陽が眩しくて座り込んだ。太陽光線に不意にやられた腹立たしさがおさまらなかった。私はカミュの異邦人ではないのに。 暫くすると40歳ぐらいの男が出てきた。目は濁っていて、斜視ではないが、まるでどこを見ているのか分からない。彼は、私の横に腰掛け、埃まみれのショルダーバッグを開け、包みを取り出し、それを丁寧に開け、「ひとつ食うか」といった。それは握りメシであった。私は、言いようも無く、腹が立っていた。「腹は減ってないです」と呟き、煙草を吸った。この場に相応しくない洋モクであった。その男は「珍しい煙草だなあ」と一言だけ言った。当時、日本の煙草よりかなり割高な値段であった。私の自慢は、そんな見栄だけだった。「腹は立ったが、腹は減っていない」私は力なく笑い、今日が早く終わることを祈った。自分のことは棚に上げ、効率の悪い人々を恨んだ。終業時間と聞いていた時間を過ぎたが、誰も手を止めないし、残業だという言葉も発しない。1時間がたち2時間が立った。私は我慢できない性格だったが、文句も言えない性格だった。 仕事が終了した頃、私は疲労と屈辱で言葉を喪失していた。そしてバンに鮨詰めにされて、事務所に連れて行かれた。他の人々が元気な声でしゃべりまくるのが鬱陶しく感じた。私は、わざと、煙草の銘柄が見えるように煙草を吸ったが、誰もパッケージに気が付かなかった。私以外は、皆、長年勤めている仲間のようであった。 事務所では社長の奥さんが「疲れたでしょう」といってビールを出してくれた。奥さんも社長と同様仕事一筋で他のことに興味が無いのか、化粧気もなく、もしかして周りに魅力的な男がいなかったのかなと邪推しながら3杯目のビールを注いでもらった。苦そうに一気に空けると、それを見て社長の奥さんは突然叫んだ。「アラっ、若くてハンサムな男」私は苦笑いをして照れたが、正直「この中ではなあ」と傲慢に思ったのであった。「明日も来てくれるよな」と社長が言った。「ああ」私は気のない返事をしたのであった。
2004.05.06
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野生の夜に(5月2日続き) 朝、車の後部座席で目覚めた私は、もう一度携帯電話からキャンプに参加されていると思しきメンバーに電話を入れてみるが、やはり山奥につき圏外になっている。私は、仕方なく、愛の賛歌を呟きながら差し入れのビールを飲もうとするが、その前に一人だけ電話が何故かつながった。「今、向っている所です。9時に天界(携帯圏外)より、あの場所に迎えに来てくれます」そういう訳で、私もあの場所にて待機することにした。同時に彼もまだキャンプに参加していなかったことが判明した。 その場所に、車を置きっぱなしにして、天界より降臨してきた4輪駆動の車に乗りこみ、猛スピードでテンバ(テント場)に向う。「おまえ普通の乗用車で林道途中まできたんか、よーやるわ」とか「未舗装から500メートル入った所ではなく、5キロ入った所がテンバだよ。よう3.5キロまで来たなア、しかし途中木が倒れていたからその車幅では無理やったわ」とぁ「夜中真っ暗でようこんな気色悪いところ入っていったなあ」とか「本当にテンバに夜中の3時に来ていたら、全員寝てたのでとっても迷惑な話だったよ」とかお褒めの言葉を数多く頂いた。 今回のキャンプのコンセプトは「決断とスピード」であって決してメシにはなかった.それゆえにメシは非常にシンプルなものであり、焼き鳥からご飯からカレーまで全てレトルト商品となっており、ただただ温めるだけ倶楽部焼くだけ倶楽部になっていた。決してアンチパストミストから始まりウニパスタを通過し、最後はグラッパというイタリアンハーフコースではなかったのである。しかしながら驚愕すべくに酒のつまみは丁寧に料理していったのである。スルメ、ピーナツをカリカリに揚げたり、えいひれを炙ったり。 山奥の廃墟まで健康的にハイキングする。コミューンだったのだろうか。人里離れて自給自足なのだろうか。私の後輩にも長野県で時給自足のような生活をしている者がいるが、自宅で3人子供を産んだようである。それでも電話はある。旦那は東京などにイベントの仕事でよく行くようだ。次回、じゃんけんで負けた者が一人で廃墟に泊まるということで、退散。 このキャンプの首謀者は私の大学時代の盟友であるが、彼はしっかり家庭というものを持っており、奥様1名、子供は長男次男、そして3番目に長女、それから極悪ブリーダー(大学の同級生だが)から奪取した柴犬を保有しているのだが、そのうちの長男次男は生まれながらにしてキャンプに慣れ親しんでおり、親だけでなく、私やその他参加者によって鍛えられ、立派なサーバントになりつつある。しかしながら長男は、中学生になりそろそろ反抗期というものを迎えつつあり、「サーバントって何?ボクはサーバントじゃないよ」と命令した半分は理由なき言われ無き反抗を示していた。次男は、川で皿を洗ったり、モノを運んだりと、立派なサーバントになるべく邁進中である。 おまけに今回は、約2名が婦人同伴ということで、ファイヤーダンスは中止となった。我々は、何を隠そう、紳士なのである。レディーがいる前だけは。そういう訳で今回は焚き火前で鬼畜になるのは中止だ。加齢と常識が我々を大人にしていくのだ。 炎、水の流れ、こういう動くものに対して、飽きずに見続けることができる。 主義者の元シンパであるSが午後7時に焚き火宣言を高らかに行う。一応ビールは12リットル及び焼酎数本かつシャンパン2本は持ってきている。勿論、朝から飲んでいるのでここでわざわざ乾杯するものの既にヘベレケではある。昼間に集めてきた大量の朽木をくべて、炎の高さを3メートルにする。心の内なる野生が甦る。もう吠えてもいい頃。ウォオオオオォォオオォオオオオォーボブマーリーはいっちゃた~ガンジャマウンテンの向こうに~ちなみに昨日は地元ダンジリであった。 http://www.rokko.or.jp/users/danjiri/
2004.05.05
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「人間性喪失動物的本能を取り戻すキャンプ」帰り際に山を見た。濃霧が山を覆った。懐かしい光景をフト思い出した。 チベットのニャラムという村から5キロ程度でネパールの国境の村コダリに着く。その5キロの間にバスは高度2000メートル下げるのだ。その間の光景は、言葉の限界を感じる光景であった。いわゆる仙人の住む地域という感じで、天国から下界に降りていくのだ。緑が現れ、背の高い木で山が覆われ始め、その山も霧で半分程度しか見えず、そしてあらゆる木と木の間から水が湧き出て、山から幾重もの滝が出来ている。写真にとってはするもののバスからというのもあって入りきらず、そうして、私自身も高山病から来る頭痛と睡魔が消えて意識がはっきりしてきて、下界でしか生きていけないのだな、と認識していったのであった。 本日も六甲は濃霧に覆われて、そのスピードに見とれてしまった。
2004.05.04
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FM中部かFM名古屋か分からないけど、そのあたりのFMを運転しながら聞いていた。映画特集でキャシャーンの監督キリヤ氏が出演、自分の奥さんの主題歌を紹介。ウタダヒカルの「誰かの願いが叶うころ」歌ウマイねえ。カラオケでは歌えないほど高度な歌だねえと感心していたら、岐阜県に入り、聞こえなくなった。 そのまま、レイトショーに行き、21時20分より「キャシャーン」を鑑賞。CGは単純にすごいと思った。暴力シーンが忙しい。メッセージがせりふに直接吐かれて単純すぎるという難点はあったものの、最大の難点は、キャシャーンよわっちい・・・ということだ。それでもあの映像は映画館でみたほうがいい感じ。最近、マトリックスやスターウォーズとCGがすごいけど、ストーリーがついてこないと、ウオオオすごいエイゾーという状態が5分程度しか続かない。人間の慣れって怖いよね。
2004.05.03
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「シュラフ(寝袋)がない」いくら私の家が300平方メートルの床面積に至らないにしてもそれに近い部屋す全て見て回るのに凡そ5分の時間を要した。2つ持っているうちのシュラフ、しかしながら3シーズンのモンベルのシュラフ(購入15年、訪問国10カ国)は出てこなかった。それどころか、懐かしい本が出てきてしまい、そこで読み込んでしまったのだ。第2次シュラフ探索隊を始めるまで凡そ50分の時間を要した。寝袋をようやく押入れ扇風機の裏から探し出した頃には、夜明け前まではかからなかったが、2時間は越えていた。実は、今日合流するどころか行くということも伝えていなかったが故に、「テント場(以下テンバという)は、○○○川沿いを舗装道が終了してから数キロ先、そこに車が止めてあるから分かる」という不確定要素丸出し状態で、私は、単身、高速道路に乗り込んだ、いや、車に乗り込んだ。 時速150キロ以上出していないことはここでも明言できる。おまけに大トイレ休憩なしに神戸より岐阜県郡上八幡市に到着、料金所にてその川(長良川支流)への行き方を聞いた。後ろの車約1台を数10秒待たせる迷惑な奴に成り下がってしまった。言い訳をするとすれば私の前の埼玉ナンバーの車も料金所のおじさんに(夜中の為、払えるのは1箇所のみだった)道を尋ねていて私を概ね20秒程度待たせたのであった。 そういう感じで(どういう感じか)私は、料金所から既に寂しい道を走って行った。おおここにもベトコンラーメンができている、何故だという疑問を残しつつ。( http://www1.harenet.ne.jp/~sugi/ra-men/betokon.htm ) ついに舗装道路も終了し、林道に入る。ウル覚えで林道に入ってから500メートル程度だったように記憶していたのであるが、泥沼にはまり石を飛ばしながら、時速5キロで3.5キロ入ったところで「もはやこれまで」と勇気ある撤退をした。夜中に気色悪いというのでは決してない98パーセントは。ただこのままいっても良いのか分からぬし、ほとんどUターン場所がないのだ。私は今晩はこれくらいで許しといたろ、と元来た道を戻り、舗装道路に入り、端に車を止め、大きな月を見ながら吠えることもせず、差し入れのビール缶を1本空け、車中泊ということに相成ったのである。 前置きは長くなり過ぎたので、キャンプの話はここで終わるのであった。
2004.05.02
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レッスン1手紙を書こう。書いているうちに差出人を考えよう。問い詰めてみよう、旧友に。小学校3年の文集に、将来の夢を寄せ集めて載せたけど、何故、君は「チャンピオン」と書いていたのだい?私も、白状するよ、「仏壇職人」と書いたことを。仏壇というのは儲かると思っていたからさ、子供心に。宛先のない手紙を書こう。N君、幼稚園の時、君は何故皆がお遊戯しているときに1人でブランコを校庭で漕いでいたの?何故その横に白いブリーフが干してあったの?レッスン2感謝の時間だって全部衣類洗濯して外に出られないから。一応、扉は開けるけど、だって電気は夜からだけだから。 レッスン3あなたの持っている四角いものは?ハンカチ、ニューズウイーク、パスポート、レターセット、ノート、インド神様ポスター。押しピンないからガムで貼ります、壁一面神様ポスター。お菓子の時間オランダのチョコレート。あ、悪いけど、ビールも。レッスン4待つ。何かを待つ。ひたすら待つ、自分自身が「待つ」になる。受身がそんなにいけないか?ポジティブシンキングで失敗するな。二重否定するな。あとは何してもいい。レッスン5うつぶせになる。きっと音が入ってくるだろう。きっと風が肌を撫でてくれるだろう。でもそれは、偶然ではなくきっと何かがセッティングしてくれたことに気がつくであろう。自然からの賜物、またはいたずらかも知れない。あおむけになる。きっと雲が迫ってくるのが分かるであろう。たった1時間空をみているだけで、雲が笑えるほどに変化していくのがわかるだろう。もういいよ、うん、もういいから。
2004.05.01
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