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惜しまれて閉館世界平和大観音惜しまれて閉館世界平和大観音惜しまれて閉館世界平和大観音惜しまれて閉館世界平和大観音
2007.05.31
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告白するとすれば、私は気が弱いので、父母・会社・友達・妹・妹の旦那のブリテッシュ・知人・歴代彼女・歴代妻・声だけが大きい人・先輩・老人・インド人には滅法弱く、言いなりになるしかない体質なのである。私が強く出られるのは、後輩(奴隷)・インド人リキシャー・下出にでる取引先・目の前にいない人ぐらいなものである。そんな性格的事情もあり、母より、妹の旦那が日本に来たから相手してあげなさいという厳命の下、会社まで腹痛及び腰痛及びコレラ及びはしか・色弱・下痢・発熱を併発したと嘘をついて会社を休んだのである。勿論、準備は万端で、休む前から、姑息にも社内及び取引先との打ち合わせ・会合・食事会・飲み会・接待・おわりの会・団体交渉の日程を前日にすべて外しておいたのであった。そんな訳で、頭も加齢・ストレス・病気・過労という事情もあって薄くなるのも致し方ないのであった。で、お駄賃は、先日九州1周旅行してきたというお土産のご当地ポッキーである。
2007.05.31
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淡路の南端より海沿いに走ること20分、そのまま道なりに山沿いに入って10分(淡路島の首都洲本からなら20分)、人気の全くない道沿いに不意に現れた楽園。今日もやってるよ。注意深く注意書きを読み、何故か白く塗られた部分も気にしながら先に車をはべらせる。遂にドライブインが現れ、そこに、ひとりのばあさんがニコニコしながら、車を駐車場に停めるのをすかさず確認して、近づいてきた。「ぱらだいすにいくのけ?」と言われ、少しこちらも笑顔になりながら、はいと答えると、「入場料は500円ね、ここでチケット買ってね、あ、はい、これお土産」といって、水仙饅頭をくれた。「ここから、そのわき道を車で降りて行ってね」と言われ、再び車に乗る。すれ違いが不可能な崖沿いの道を注意しながら降りていく。対向車が来たらどうしようとも思い、バックもできないやと不安になる(しかし、来場者は0人だったので、不安がることもなかった)髑髏が指差すトーテムポールが現れ、ちんちんなんちゃらと書かれた塔が現れ、少しびびる。健康長寿観音らしく、清く正しく美しい観光地であると、期待で胸は膨らむ。何かよく分からないが500万人がなにやらである。日本人口の24分の1である。まなぶところ。UFO神社も併設されているようで、期待で更に股間が膨らむのであるが(下品な表現失礼!)、上岡竜太郎司会の時代であるから、10年以上前のことであろう。山間は海が見え、とても、風光明媚である。私の古い100円で買った昔の道路地図には立川オートキャンプ場と書かれているが、その残骸のようなものがあり、本当に営業されているのかは不明である。おまけに、ここは立川水仙郷となっており、季節によれば、とっても綺麗な場所に違いないと確信するのであった。その一角に、でた!なぞのパラダイスの建物が。何故こんなところに建物があるのだと思われるような山間に出現、背中に戦慄が走るのであった。とりあえず、手前で健康十戒をじっくり唱える。その次は長寿の心得である。生きるのも大変である。建物の横ではアーチェリーが出来るようになっている。入口では経営者兼切符切りの、ニッカボッカに黒ビニル長靴のおじさんが身構えていたのであった。さて、建物の中の続きが見たいか!見たい人は、18歳以上ですか!パート2を待て!その道訪問北海道 レトロスペース2札幌市洞爺湖の珍小島虻田郡洞爺湖町乳神神社浦幌町岩手県花巻温泉郷・金精長根花巻市コンセイサマ 遠野市福島県浄土松公園キノコ福島県郡山市新潟県金玉神社新潟市遊郭に泊まる・東光院・十上神社・岩屋山石窟佐渡島雲母神社関川村ほだれ祭1・ほだれ祭り2長岡市 雁田神社 上越市茨城県御前岩 那須川町栃木県門田縁切稲荷神社足利市性神の館・ 性神の館2宇都宮市日光東照宮横、輪王寺 観音堂 香車堂日光市群馬県迦葉山弥勒天狗寺沼田市縁切寺満徳寺太田市命と生命のミュージアム・ 命と生命のミュージアム2階・珍宝館 渋川市東京都オリエント工業1・オリエント工業2・オリエント工業3・オリエント工業4局部に宿る1・局部に宿る2・局部に宿る3・局部に宿る4渋谷区ロボットレストラン1・ロボットレストラン2・ロボットレストラン3・ロボットレストラン4・ロボットレストラン5・・ロボットレストラン6・ロボットレストラン7・ロボットレストラン8新宿区神奈川県金山神社祭り ・かなまら祭り2・かなまら祭り・かなまら祭り3川崎市静岡県最後のエンタメ系秘宝館熱海市伊豆極楽苑 ・伊豆極楽苑2 伊豆市まぼろしアート館1 ・まぼろしアート館2 ・まぼろしアート館3 ・まぼろしアート館4 ・まぼろしアート館5 ・まぼろしアート館6 ・まぼろしアート館7 ・まぼろしアート館8伊東市山梨県夫婦木大神甲府市長野県姥捨・澳津神社・岩鼻上田市愛知県間々観音小牧市高浜茶屋吉貴高浜市野間大坊 美浜町 大縣神社・田縣神社 犬山市石川県スッポン堂 加賀市和歌山県円月島・歓喜神社 白浜町京都府縁結び神社 ・縁切り神社・五条楽園京都市奈良県宝山寺、色町 生駒市大阪府バーレスク大阪1・ バーレスク大阪2・バーレスク大阪3・バーレスク大阪Ⅰ・ SMクラブ潜入 ・メイドカフェ潜入・滝井新地 ・松島チョンの間大阪市橋本遊郭跡 枚方市兵庫県 なぞのぱらだいす1・ なぞのぱらだいす2・ なぞのぱらだいす3 ・芝右衛門狸、キティ 兵庫県淡路島岡山県軽部神社総社市金勢大明神赤磐市金精神社 高梁市島根県玉造温泉の珍宝石さん、八重垣神社松江市香川県お花権現、林下寺1みよし町愛媛県 凸凹寺宇和島市広島県阿伏兎観音福山市喫茶伴天連東広島市山口県マラ観音長門市福岡県鬼塚観音 岡垣町縁切神社 福岡市不思議博物館1 ・不思議博物館2 那珂川市男根岩 八女市長崎県木花咲耶姫神・雲仙大仏別院いのりの里 長崎県雲仙市壱岐 男岳 男獄神社・壱岐 男岳 賽神社・壱岐 島沖の島壱岐島愛の駅諫早市佐賀県鏡山道祖神・太閤一里塚 佐賀県唐津市秘宝館 ・秘宝館2 ・秘宝館3 嬉野市大分県秘宝館 、秘宝館2 、秘宝館3大分市熊本県七郎神和水町 潮神社(おっぱい神社) ・賽神社(だんこん神社)湯前町柴立姫神社 球磨村弓削神社龍田町弓削法皇社弓削町おっぱい岩 ・おっぱい岩再訪天草市宮崎県鵜戸神社・鵜戸神社再訪1 ・鵜戸神社再訪2日南市陰陽石・陰陽石再訪1・陰陽石再訪2・陰陽石再訪3小林市鹿児島県子授け岩日置市三角関係岩ウエルカメ与論島小山神社屋久島韓国ラブミュージアム・ラブミュージアム2・ラブミュージアム3ソウル女郎街釜山 済州島ラブランド ・ラブランド2 ・ラブランド3 ・済州島 健康と性の博物館 ・健康と性の博物館2・健康と性の博物館3 ・済州島 ワールドエロスミュージアム 済州島タイスイスホテル裏バンコクシンガポールゲイラン地区デンマークエロティカミュージアム コペンハーゲンチェコセックスマシーンズミュージアムオランダソドム街飾り窓・ソドム街飾り窓2・セックスミュージアム・エロチカミュージアム ・エロチカミュージアム2 ・ソドム事情・2018レッドディストリクト
2007.05.30
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カルト総本山につきました。フリーソーメン、ロスチルドレンのタピテ系列の悪魔教でごわす。まずは、痔の通過儀礼(イニシエーション)でありまする。「この世界は危険で悪意に満ちている」「私は無力で傷つきやすい」「私は生まれつき人に好かれない」どれか当てはまるなら即、入信である。おまえもはまはげになれというのですか。キリスト教やユダヤ教の礼拝と儀礼の束縛、そして既存のモラルの束縛からの解放をめざし、快楽と放逸を求めるろというのであろうか。謀反と激情の神=サタンを崇拝するその全貌を、ここで明らかにする。シオン修道会、イルミナティ、地獄の火クラブ、P2,KKK、オデッサ、ブナイブリス、神道天行居、山口組、 カルボナリ、マフィァ、土地と自由、白蓮教、青幇、薔薇十字団、トイモイ堕落同好会、東方聖堂騎士団、血盟団、シリウス、耳を澄ますと、闇の底から何か湿った、それでいてザラザラした生き物のようなものたちが蠢くかすかな物音のようなものが聞こえた。邪な息づかいのような気配と 何者かの舐めまわすような視線も感じる…どこからともなく 不快な臭いが漂ってくる。その臭いはまるで太古の昔から澱み、黴と死臭の入り混じった、爬虫類特有の臭いのようでもあった…悪魔の証明とは、モノ・行為の存在について「あること(存在する)」よりも「ないこと(存在しない)」を証明する方が、困難であることを比喩する言葉である。言うなれば、「悪魔の最高の知恵は、存在しないと思わせること」である・・・ご用意下さい。キャンドル、中身の入ってる8本の瓶(聖水、水、ハーブ、ヘビ、鳥の爪、動物の歯、昆虫、トカゲの頭と石)、アンティークの聖杯、骨のキャンドルホルダーに刺さってる黒いロウソク、五ぼう星の書いてあるタペストリー、猿の頭蓋骨、クギ、逆さの十字架パナウェーブ研究所アルカーイダ 、アーレフ、末日聖徒イエス・キリスト教会(モルモン教会) 、オショウ(和尚ラジニーシ・ムーブメント)、トイモイさんを囲む会 、属人区オプス・デイ 、クリシュナ意識国際協会(ハレ・クリシュナ)、 幸福会ヤマギシ会 、法輪功、サイエントロジー 、サティヤ・サイ・ババ 、 神慈秀明会 、人民寺院 、崇教真光 、聖神中央教会 、世界基督教統一神霊協会(統一教会/統一協会)、世界真光文明教団 、摂理、 戸塚ヨットスクール日本ボランティア会ファミリー太陽寺院騎士団 、竹田塾 、天聖真美会、 天地正教、 ベストグループ、法の華三法行、マンソンファミリーそれにしても飽きてきた。儀式実演ついに始まる。エッヘン。一番前に座ってしまい、生きた儀式全体像をカメラ内に収めることができず。閻魔帳・・・力尽きた・・・多分そうやって疲れ果てさせて、真空状態になったときに、洗脳開始である・・・洗脳して早く楽にしてくれぇ、狂っちまう・・・・・・・・・・・・・
2007.05.30
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八郎潟といえば、小学生の頃から知っていた地名である。社会の教科書に出てきたからである。・・・説明書によると、琵琶湖に次いで日本で2番目の広さだった八郎潟では、戦後、食糧増産を目的として干拓工事が行われ、300万人の人々、20年の歳月と約852億円の費用を投じて約17,000haの干拓地が造成された。工事は1957年に着工し、1966年から入植を開始。全体の事業は1977年に竣工した。干拓工事によってできあがった土地に全国から全国38の都道県から589戸の農家の人々が入植し、1964年10月1日に秋田県で69番目の自治体として、大潟村が発足した。20世紀の大事業だもあったわけだ。最終的には、米の増産を目指していたが、減反政策によって失敗した計画とする人たちもいる。特に環境の方面では、湿地の喪失を嘆く向きもあるということである。ちなみに、大潟村を出ると、八郎潟町というのがちゃんとあった。少し、調べてみると、やはり思った通りのことが分かった。それは、干拓地の得意な国土の半分が干拓地であるオランダの力があったのでは、と思ったのであるが、やはりオランダから技師が指導に来ていた。 何か、小学校の頃から知っている地名って、いつかは行ってみたい土地である。どこかに地名しか知らないのに、懐かしさがあるのである。旅も、考えれば、思い出と憧れと、軽い眩暈と思い違いかも知れない。いつまでも真平ら。さすが一辺が100mの正方形の15600倍もある広い面積。時速100キロで走ろうとも、どこかヨーロッパの農村地帯を走っているようである。登頂困難か!果敢にも挑む。大潟富士、標高0メートル、山の高さ3.776メートル!難易度、素人不向き!トイレなし!水場なし!避難小屋なし!テント場なし!駐車場有!登山所要時間15秒山麓より23歩!遂に登頂成功!素晴らしき眺望。帰りは5合目から面倒なのでジャンプできそうなのさ。危険な登山なため、良い子の皆さんは真似し内容にね。
2007.05.29
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空港からして、なまはげの洗礼を受ける。行け!と脳内に命令が下る。昨日調査してきたことを全てキャンセルして、なまはげを探す旅に切り替わる。急げ、半島へ。秋田市も無視して通り過ごし、ついに男鹿半島に入ります。ピンチです。だらけです。スーパーでさえ、なまはげ売ってます。なまはげ回転寿司、わらが舌にからみます。市場もなまはげです。なまはげになるためのトレーニングセンターもあります。民家であろうが、なまはげです。なまはげ郵便局。切り刻まれないで届くか保証はありません。2階から見てます。まっすぐ行くと、なまはげにやられ、石油が爆発します。なまはげガソリンスタンドジョモ。ここでガソリン入れると、燃えます!なまはげステッカーで魔よけになる車ばばへら売りのユニフォームもなまはげ。何故かこの人、60以上のばあちゃんばかりなのに、1人30代の人でした。ポイ捨てしたら刃物で脅すシルバーなまはげ9.99メートルのなまはげ、マイクロバスを襲う。日常茶飯事なので、新聞事件にもならず。電灯の伝統あるなまはげ荒海になまはげ。波がくると、岩肌が消えるほどの勇姿。なまはげの口の中に電灯入れられて、ちょっとショボンとなってる状態です。なまはげ公衆トイレ。トイレに入ると、金品強奪目的で後ろから刃物で脅されるサービス付。丘のてっぺんで、潰れましたのよ、なまはげ食堂。ツワモノどももとっくに夢のあと。それぞれの事情があるのでしょう。あかおにばし、あおおにばし。ポストの色を赤くすると、なまはげ君が目立たなくなりますから・・・なまはげを売られても買いたくないというのが本音です。橋を通るとぶった切られます。ポイ捨て禁止を刃物で脅される。刃物を捨ててください。小学生の時、出来の悪い友達が居た。渾名は「なまはげ」。いつも鼻を垂らして、クラスで1人坊主頭で、10円禿げがあり、ジャンパーの袖は鼻水拭いた後でテカテカ。いつも、アホアホとクラスメイトから苛められていたのだが、或る日、彼が同じ社宅に住む先輩にけしかけられて、クラスのいじめっ子1人に果敢にも喧嘩を売り、彼の髪の毛を引ったくり、ついに、いじめっ子を泣かしたのであった。ついに彼は、やったのだ!皆を見返したのだ!翌日、でも、相変わらず、またアホアホと苛められていた。現実は厳しいのであった。
2007.05.28
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桜島なのに、北海道と男鹿のハーフな店で魚定食。鯛1匹がでてきたのは何故なのだい。雲の影でも夜中腹が減ったので、カッパえびせん非常食食ってしまった。本を買って、代金支払いを済ませ、安堵し、去ろうとした後ろから店員の戦慄の声がした。「お客様!本お忘れですよ!本!」
2007.05.27
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思いがけず、ビジネスエリートの大人になってしまい、仕事ができないので、週大まかに1度の安息日しかない超気持ちだけ多忙な私は、昔のような、行き当たりばっちしとか、行き過ぎてばったんQの旅は出来なくなっている状態をエンジョイできなくなり、とにかく急いでインジョイ、時間とファイティンの旅なのである。準備その1 天から授かった行き先を決める。例えていうと・・・空前の早起き:神戸7時15分→8時25分羽田着 9時85分羽田発→10時20分秋田着 秋田発17時50分→18時55分羽田着 羽田発19時20分→20時30分伊丹着 ダッシュ期間は7時間30分であることが判明。準備その2 日本、世界どこでも、行きたいリスト閻魔帳を見る(といっても、実は、まだド頭の中にあるだけで、作成されていない。人間コンピュータと噂されていない私の前頭葉、大脳旧皮質がフル回転する。息切れ動悸眩暈も若干する) 準備その3 100円で買ってきたガイドブックで地理と見所を大まかに把握しつつ、ネットでググる。キーワードは、「秋田」に、「極悪 観光 珍スポット 観光協会から無視された B級 ダメ がっかり 隠れた 」などである。そして、秋田県で思い起こすことをぐぐる。「秋田犬 なまはげ 八郎潟(十和田湖や八幡平は行ったので除く)」自分そして、そこに行けるかどうか、時間との格闘、人間キャラクレイタルの私は、シナプスをプスプスぶった切ていくのである。そして、いくつかの候補地を挙げていくのである。ここまでの所要時間約30分(ぐぐってつまらなければ5分、はまれば60分)準備その4候補地岩城修弘霊場(由利本荘市) 赤田大仏長谷寺・折渡千体地蔵(由利本荘市) 万体仏堂(男鹿市) かまくら館(横手市) 金色大観音(田沢湖) 秋田犬会館(大館市) 中田養蜂(大館市) 子安峡(皆瀬村) なまはげ館(男鹿市) 準備その5上記を少しでも網羅するためには、陸路の交通手段を考えざる得ない。今回は、時間的に難しいと判断し、大富豪なので、黄色い外交官プレートの車のレンタカーをネット予約する。準備その6パッキング。上記のメモ帳に文庫本3冊、デジカメの充電、チャックを閉める。5時台に起きれるだろうかと心配しつつ眠る。実際その1寒風山実践その2八望台。カルデラ湖が見える。実際その3ゴジラ岩実際グルメ沿道に何箇所も名物アイスクリーム、ババベラを売る人々が居る 。そのチープな味が何ともいえず、思わず、2回も車をストップさせ、ペロペロペロペーロなのであった。何も店舗もない沿道にオアシスが出現する。キャディーさんのような格好をした農家のおばさんがひとり。さらに、パラソルの陰には樽のような容器。これが秋田では知らない人がいないババベラアイスなのだ。おばさんが樽の中に入っているアイスをヘラでカップに盛りつけてので、つまり、ババアがヘラを持ってるから“ババベラ”というわけなのだ。アイスクリームを舐めながらどこに行く、それは明日を待て(といっても誰も待っていない)
2007.05.27
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今朝、爽やかにこやかに、ちっとも残念そうな顔をせず、会社の方に私は言った。「今日は雨なので、野球は中止ですね、はっははは。四国も水不足で大変ですからねえ。ははは。」「キミィ、今日の野球観戦は大阪ドームだよ」踊り候え。これをしっかり確認すると、混まないうちに帰宅の帰路に着く。今日初めて、セリーグとパリーグが何だかシーズン中に試合をしているということを知った。クルマイス用駐車場観戦席もちゃんとあるんだねえ。ビール缶の持ち込み禁止なら、俺だったら、水筒に、密かに入れて持ってくるよね。禁煙、投げ込み禁止、ジャンプ禁止、頭爆発禁止。しかし、私は、こう見えても野球専門家なので、専門的過ぎて、野球のことは詳しく語ることができないのではあるが、はっきりいって、ボールについていけないのである。見えない。皆がウォーといっても、なかなか何が起こっているか分からないのである。そういえば、アメフトもそうであった。そういえば、競輪も人生で一度だけ行ったことがあるが、ゴールで誰が勝ったか速すぎて鼻差すぎて分からなかったのに、隣の人生投げたような親父は、その場でハズレ券を頭上にドワーっと投げた。すごい動体視力である。最近では、メイドカフェも乱立なのか、よく路上でチラシ配りしており、こちらが恥ずかしくなる。そんな訳で私は寝るよ。車道で。おやすみ
2007.05.26
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あと8秒待て。そうしたら、どこまでも行ってよい。ベトナムのバイクは中国製と日本製が主であるが、日本製は日本よりも関税の関係で値段が高いといわれている。にもかかわらず、バイクの保有は世界の8パーセントを占めるというのだからスザマジナーの世界である。勿論、3人乗り4人乗りは当り前であり、子供が寝てたり、助手席でご飯を食べているという微笑ましい姿も見受けられるのである。そういえば、パトリスルコントのドゴラはなかなか面白い映画であった。暴走族は、最近見とらん。今もそうだが、確かにスピードは快感であり、生きている実感も沸き、日常の離脱を感じて愉快なので、走りたいということに関しては共感するが、音は嫌いだ。うるさい。思わず、暴走族に向かって角材を投げつけたオヤジの気分に共感する。やったぜ、やっちまえ、ざまあみさらせと正直、思ってしまう。爆走族・・・関係ないことだが、小学校の時、中学生のカップルが橋の上で、お互いうつむきあいながらはにかんでいるのをみて、羨ましいねえと思った。中学校の時、小学生が子供に見えて、高校生が大人に見えた。高校生の時は、中学生が子供に見えて仕方なかった。大学に入ると、高校生が子供に見えて仕方なかった。短期で百貨店にバイトに行ったら、女子大学生も割とバイトに来ていた。そこには正社員でバリバリ働く30代の課長らしき人が指揮を取っていた。夜になり、女子大生はバイトが終了、帰っていったのだが、しみじみ、その30代課長が「ああ、ああいう子をしばいてみてえなあ」と吐露したのであった。私は、大の大人がこんな子供に興味なんかあるのかねえ。何考えてるんだろうと思った。30代になると、そういう趣味はないが、気持ちは何となく分かるような気がしたところが、惚けてきているのだろうか。何だか女子高生でさえ、子供に見えなくなっている自分が少し恥ずかしい。って、爆走族と何ら関係がなかった。そんな訳で、1対300台。てめえら、来るならこいや。PS 通勤電車で、時々見かける一緒に通勤しているカップルがいるのだが、女性がどうみてもダッ チワイフ顔なのだ。しかも、ちゃんと、口を閉じているのだ。どうやら、目や鼻といったパーツが作り物のようで、ちょこんとついているのだ。またそのパーツの出来がなかなか良いのが仇となり、全体的に作り物に見えるのだ。それだけ。
2007.05.25
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市場まであと30メートル、しかし、道路つっきるのに5分。その後4箇所もバイクで巡り巡り、市場で市場調査するのである。調査といっても、歩いているだけである。花屋肉屋魚屋八百屋模型屋台八百屋兼雑貨屋肉屋乾物屋風船屋サソリ酒とにかく、私の雰囲気が規則正しいビジネスエリートに見えるためか、怪しいおっさんが、すぐに擦り寄ってきて、まりふぁな買わないかとか、女はいらないかとか、バイクタクシーに乗らないかとか、じぇんぶで1ドルとかとにかく、いらねえよ、といっても、5歩歩けば、何かしら出てくるのである。それに比べ、庶民の市場では、旅行者もおらず、日用品や食材のみで、なんだこいつは、という程度の顔をされるだけで、草履を履くビジネスエリートの私は、少し浮いている状態にもなるのであった。戦利品:私の着てきた本物のラルフローレンと、市場で買ってきた本物のニセモノのラルフローレン(ベトナムのお土産はほぼこれだけ)
2007.05.24
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30年後の僕の住まいの紹介です。みなさん、大見栄切った貴族の家を張り切って見てね。本当は風呂屋でした。暑いので、南京虫がでます。気にしないで下さい。でも本当は駄菓子屋も営んでいます。だいたい賞味期限がかかれていないので、賞味期限はありません。おうちはぼっとん便所です。スリッパも木製で立派です。足の親指と人差し指は鍛えられます。よって、足の指は筋肉質の筋肉痛です。幸運なことに、昔の武家屋敷同様、我が家の糞尿は栄養価が高く、一般百姓の家よりも高く売買されています。家はかまどです。以前のは、インドの田舎に寄付しました。毎日、自分の所有する裏山にサーバントに薪を取りに行かせています。グルメは焚き火かかまどに限ります。勿論、ナンやピザ生地もかまどで焼きますよ。前の道路にて、障子干しました。そろそろ舗装しようかと、国(役所)を動かすつもりです。でも、雨降って、地、固めるで、ファイティンの日々です。外に出るとたいてい野犬がいます。噛まれてしぬときもあります。死なないまでも、狂犬病に罹る時もたまにはあります。勿論、井戸水です。水銀がはいってますが、夏は冷たく、冬は暖かい水が飲めます。実は、六甲の美味しい水なんです。(実は神戸の裏から出る水は良質なので、だいたい船用に使われたり、灘の酒に使われるので、一般市民はかわいそうに大阪淀川のドブ水を使っています)
2007.05.23
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俺は、散髪に行く。皆、笑顔。髪を切られて皆、ハッピー、仕上げはDDT.バス住宅に訪問者現る。それが未来のお父さんになった訳ね。俺は、そんな来訪者も知らず、タライで水浴びしてました。庭中水浸しです。庭といっても川っぷちの不法占領でしたけどね。都会に出たときの、大阪の街並み俯瞰図を紹介するぜ。今流行の、通天閣ルナパーク、とってもハイカラで、やっぱ世界の大阪、ちょっとエッフェル塔真似しただけ。バス住宅に住んでましたといいましたが、川っぷちの全体像です。時計の文字盤のようにバスを円陣にして皆仲良く暮らしています。最近入った、うちの電化製品紹介しとくね。大事なものだから、プラスチックケースに入れてたりなんかするんだよね。ついに、氷の製氷機引退して、冷蔵庫買ったんだよ、随分裕福になりました。ついに我が家にもテレヴィが来ました。未来は明るいです。この頃から、30年後の富豪道に向かってまっしぐらまっしぐら。めでたし。みーんなビンボーで大きくなった~、おれもおまえも大物さ~。カックン。
2007.05.22
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本当は、昨日、山ごもりするつもりだったんだ。でも一昨晩も雨、また雨が降りそうだったので、静観しているうちに中止とさせていただいたのであるが、昼過ぎから晴れてきたので、車を時速20キロの超高速で飛ばして3分、「コーヒー&読書」を隣の川沿いで挙行することにした。勿論、誰も文句はあるまい。勿論、スルメやウインナーなどのエサも焼いて作るのである。無論、誰が文句を言おうものか。でも、題名には書いたがBBQを一人でするぐらい馬鹿ではないのである。副題は嘘である。勿論、ほっといてくれ。 早速、ヴェリーホットなコーヒーを飲みながら、本を紐解くと、18歳以上で本(雑誌、漫画除く)を1ヶ月で読むのが、0冊の人38パーセント、1冊の人23パーセントであり、その中でも、主に読むジャンルの1位が趣味スポーツ、2位が健康医療福祉、3位は普通の小説、4位は育児生活関連と、ほとんどが実用書なのである。勿論、レジャー白書には読書という項目自体がなく、1世帯辺りの年間書籍代が1万円(パソコン解説書、ガイドブック、学習参考書含む)・・・つまり読書自体する人は少数民族なのであると。そう書いてある。 ふと、ヴェリイーホットコーヒーを飲みながら私は気がついた。アウトドアに、1人で来て、ヴェリーホットコーヒーを飲みながら、読書している人間は、化石的民族なのではないだろうか。まさしく、バンコクに、一人で来て、大富豪のくせに超高級安宿に泊まり、夜な夜な太宰治を読む、40歳男(=放浪達人さん)の確率よりは高いと思うが、そういえば、社内や取引先と読書話題をすることはまずないことに気がついたのである。 ダカラといって、ヴェリイーホットコーヒーを飲みながら私は思うのである。本をいっぱい読んだからといって人格者にはなれないし、えらそうにすることはないし、判断力が出るとか、知恵が培われるとか、神経が鋭くなるということもないのである。先生商売の学者さんがえらそうに知識をヒケラカシテモ仕方ないのである。学者は読書も仕事、専門家に過ぎず、一流のウエイター、一流の蕎麦うち、一流の宮大工さんと同じなのである。 私の場合何なのか、ヴェリーホットコーヒーを一口飲みながら簡単に考えると、ただの中毒である。2日前、ピンチだったんだ。仕事で、少し遠出したとき、会社に戻る車内で持っていた2冊の本を間違って読んでしまったのである。しまった、と思ったのだが、あとがきの後の、新刊紹介コーナーまで読んでしまい、冷や汗が出た。そうか、暇暇恐怖症だったんか。これでは、スケジュール帳を埋めるのが安心につながっているのと同じだ。ヤバイ、その割には、結構、ぼーっとしてるのである。 電車を降り、遠回りして、本屋に駆け込んだ次第である。 かつて、阪急電車で小田実を見たことがある。さすが思想の御仁、ポケットに手を突っ込んでいて、流れ行く夜景を見ておった。そういうことを、ヴェリーホットコーヒーを飲んだら思い出した。 ほんと、かつて、某小泉首相が、「日本人も歴史をちゃんと勉強しなくちゃね。私も司馬遼太郎よく読んでいるよ」なんてアホブリを発揮していた。それは歴史小説でしょ。日本のトップならちゃんと歴史の史実、その人の伝記、回想録の勉強しようね。ヨーロッパじゃ当り前だよ。カマトト、カックン。おっと、ヴェリーホットコーヒーをこぼしちまったデ。 そんな昼下がり、ヴェリィホットコーヒーを飲み干した私は、ふと気がついた。コーヒー飲み干したと。また私はEPIガスに火をつけてお湯を沸かすのであった。ふと、足元をみると、草履焼けしているのであった。
2007.05.21
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ハルジ氏の実感するように、ユーロが強い。私も冬にヨーロッパに行って、何て物価が高いのだ!何て強いんだユーロとやられっぱなしであった。そもそもヨーロッパに国が多いのは王族の愛欲のせいである。気まぐれである。アメリカやアジアに対抗する為に通貨統合になったのだが、もしかして、背景に王族の衰退があるのかも知れない。 しかし、ユーロ統一に求めた各国の財政赤字の改善基準をよくクリアしたものだよな。スペインとかイタリアなんか特に。相当の無理もあったのだろう。ヒーヒー。 それにしても、日本はどうなんだい、と意味もなく、財布を開けると、大富豪が故に1万円札は見つからず(言い訳として、マイルを溜める為に何でもかんでもできるだけカード払いというのがあるが)、5,000円札や1,000円札が見受けられたのであるが、日本の野口英世、実は、その発想は良かったのであるが、当時画期的な発見とされていたほとんどは、今、何の役にもたっていないということなのだ。そのほとんどは、 矛盾と混乱に満ちたもので、彼の発見したといわれる病原体のほとんどは、間違ったものだったのだ。それより、ヘビィドランカー、結婚詐欺師、プレイボーイとしての悪評がアメリカにはあった。 考えれば、彼は、自分を拾ってくれた恩師に恩義を感じ、期待に応える様、単純な錯誤か故意にかはわからないがデータの捏造らしいものが見受けられ、追試を拒み、自分を冷遇した日本アカデミズムを見返してやろうと言う過大な気負いがあったのだろう。 おまけに、樋口一葉である。24歳短命、死ぬ直前に名が売れた。はっきりいって、メシを食うために小説を書いた超ビンボー作家。一葉という意味がビンボーからきているぐらいだ。こいつは、縁起が悪い。多分、日本の景気が低迷する一因にも寄与しているのではなかろうか!なんてヤケを起こしたくなり、反対した経団連たちの気持ちも分かるのである。 ちなみにビンボーになったのは、一葉のオヤジが、50年ローンで武士の身分を買ったかららしいですよ、旦那。 そんな訳で、全然関係ない話が続くのだが、私は特にペットが好きな訳ではないが(何せ、私より先に死んでしまうのが悲しいからな)、この前、何気なくペットショップに入ったのよ。本当に買いに来ているのか、何だかよく分からないが、動物園状態で、かわいらしい犬猫に子供達が群がってたりなんかして、そういやあ、ヨーロッパにいくと、犬飼ってる人多いなあと思い出し、魚コーナーに行き、こいつらは食えないなあと思い、亀コーナーに行き、そういえば、池でとった亀は何度も飼ったことはあるわなと思い出し、銭亀も夜店かなんかで買ってもらったなあと思い出し、そういや、ザリガニも何度も飼ってたなあ、外に出していると、猫が取っていってすぐにいなくなるんだなあ、と思い出した。 そういえば、親戚一族で犬を飼っているのは、おかんの弟だけなんだなあ。それも、毛のつやのやたらに悪く剥げている育ちの悪そうな吠えまくる雑種の犬が2匹。昔、虐待を受けていた犬で、可愛くもなく、引き取り手がまったくなく、そのままでは、安楽死行きの犬だったので、引き取ったのである。優しいねえ。 それにしても、結論として、アメリカを凌ぐ統一市場となったヨーロッパに、日本の財務省も外貨準備高をもっと、ユーロにシフトさせるべきなんだろうなあ。いつまでもアメリカの犬だけでなく、立派に、ヨーロッパの犬にもならねばね。まあ、すでに中国の犬にもなってるんだけどね。
2007.05.20
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ふと思いがけず歩いていると、歩道プロムナードに、突如のしんごう機。赤になれば何が通るのであろうか。ちょっと散髪行って来たよ。ベトナムで不意に現れた日本の信号機。中古品なのであろう。5階もないのに、百貨店でもないのに、5階百貨店。見果てぬ夢か。いつの日か建築基準法を無視して、香港九龍城のように、自己増殖していくことを期待します。(解説;五階の名は、1888(明治21)年、東京タワーも通天閣もなかった当時、日本橋に建った大阪初の高層展望台「眺望閣」に由来する。高さ31メートルの建物は五層からなり、人々は「五階」と呼んだ。眺望閣は「六甲連山から淡路島まで見える」と評判を呼び、周囲に茶店、露店などが集まるようになった。建物が老朽化で明治30年代に取り壊されて以降も、街は「五階」という地名は残り現在に至っている。って10年で老朽化?しかし日本初の展望台やった訳ね)犬も歩けば電柱トランスに当たる。どもー。どもどもど~も。高校のグラマーの先生の家は駅の隣です。本当に隣です、渾名は干し葡萄です。教え子を騙して結婚しましたが、教育委員会を経て、校長先生になりました。私はお菓子好きなのは、国家機密なんです。私を含め誰も知りません。ほんと、いろいろ募集するよ。つっこんでくれ。そんな訳で、立ち入り禁止犬糞禁止の脈絡のない日記を終了します。ごめんね。
2007.05.19
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八幡という地名は、そのまま八幡神社があるところで、八幡市はそのまま駅前に八幡神社がある。しかし、それがメインではない。その1。らくがきき寺というのがある。単伝寺。日本中どの寺も落書き問題に悩んでいるが見事、解決したのがこの寺である。どーぞ、落書きしてちょうだい、ということなのである。しかしながら残念ながら、寺は土日月の15時までしかオープンしておらず、落書きもできないのである。入ることを拒否された私は、少し、悔しい。なんと、らくがきをすればゴリエキがあるというありがたい寺である。(拝観料は100円だが落書き料は300円である。寺に御利益があるのである)みんな真面目な願い事を落書きしているようで(彼女にメガネをかけて欲しい、とか)、残念ながら「夜露死苦」はないようである。その2、普通の道に突如現れる唯一無比の飛行神社 何せ、ここの住人はライト兄弟よりも飛行機設計は早かったのである。大阪で漁師に引き上げられた零戦の機首部分ジェットエンジンがシブイ。絵馬の多くは、「平成12年度J△Lフライトアテンダント面接試験に合格しますように」とか、「△Z実地訓練が成功しますように」など、極めて具体的にかかれているので興味深い。願い事とはかくあるべきと感じたのである。これなら神様も願いを叶えてあげやすかろう。めでたしめでたい。
2007.05.18
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それはさておき(どれ?)、息子、帰る。「メシ頼む」とメールする。「あんた生きてるんか。正月以来顔も見せんと」という苦情のメールに対応する苦肉の策。襖は破れても、自分の作品でふさぐ健気な母。いつか見た人形。もう袋に入れられている。かつての私の書棚。地震で倒れてきてこいつの下敷きになったこともある。20年間見続けた自分の部屋からの風景。今は、母の書斎。私の私物はもうない。20年間使っていた学習机もない。剥げた壁も自分の作品でふさぐ健気な母。間もなく築37年。フェイント。私の部屋ではない。地方新聞はなかなかマニアックである。シブイ。「交通取締り」・・・県道神戸明石線(速度・信号)・・・明姫幹線(速度・シートベルト)・・・そうなんだ、一応、今日ここで取り締まるよ、って発表されてるんだね。知らなかったよ。ネズミ捕りは違法で卑怯な資金稼ぎの手段に過ぎないと思っていたが、一応、良心の呵責はあるんだね。・・・急な変更・中止があります。・・・言い訳もちゃんとあるし・・・「神戸港3万トン以上」入船・香港-ミラクル号(パナマ)9時50分ポーアイC14・・・シンガポール-マークス号(デンマーク)6時40分六甲C5・・・へえ。コレは昔から知ってたな・・・「巨大船通過。明石海峡」西行きライジングサン号5万2千トン・・・5時10分-5時30分・・・東行きジンエイ号16万トン・・・テレホンサービスは0799-・・・ホームページは・・・「トイモイ氏の実妹」・・・イギリスより一時帰国。2週間後旦那も帰国。○で囲っている人、以前、このHPによくきてくれて書き込みしてくれた人なんだよなあ・。
2007.05.17
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最近、知人の妹の勤める保険会社からの勧誘電話がバンバンやってくる。あまり気にしないのが、私の鈍感さである。 なんだ。なんだ。当り前の話なのだが、私の会社でもそうであるが、1人1台のパソコンが与えられている。今や会社に来ると、まず電源を入れる。(立ち上がる間にコーヒーを入れ、立ち上がった頃に、コーヒーを飲み干し、2杯目を注ぎにいく) そうやって、どこのオフィスにもパソコンが導入されているであろう。しかし、それによって、生産性が上がったり、売上が上がったり、利益に供与したかというと、甚だ疑問である。勿論、ネットそのものを通じて商売したり、コンピューター関連の会社はそうであるが、メーカーや販売会社は、パソコンをいじって整理したり見やすくなったり面白くなったり、仕事してるのか遊んでいるのか分からなくなったり、資料のやり取りをメール送受信したり、相手が不在ならとりあえず忘れないうちにメールしておいたりであり、実は生産性は上っていないんだ。総務や経理では、便利になったかもしれないが、そもそもその部門は、生産する部署ではなく、利益を出す部門ではないのである。つまり、情報投資で生産性が上ることはない。何でだろう。それは、パソコン導入で、意思決定や行動が速くなった訳でなく、しっかりした分析ができたとしても、それを判断するのは人間だからであろう。あれはどうなるの、これを1ポイントあげると収支はどうなるの、他社動向はどうなの、事例は?そうやって情報を集めまとめることはできるし、シュミレーションはお手の物だ。しかし、正しい判断を確実に迅速に下せるようになったか?というと、所詮人間が下すのだ。悲観的シナリオ、普通のシナリオ、楽観的シナリオの3つ出しましたが、どれにしましょう?分からない。ではその3つのシナリオの確率は4割、5割、1割と出てますが、そうしましょう?普通シナリオでいくか?それとも、どうやったら楽観的シナリオになる確率を上げるためにはどうすればよいか?こうこうこうやったら1割から2割まであげることが出来ましたかどうしましょう?やっぱ悲観的シナリオでいっとくか、うまくいけばラッキー楽観シナリオに落ち着くかもしれねえねえ。そんな仔といっている間に、100種類のシナリオパターンができちゃいました・・・結局どれが現実的なんか、パソコンで評価してくれ!・・・人間、どうしても腹をくくる時間が必要なんだ。情報が必要だ、情報を集めろ、というのは、時間をかせいでくれとあまり意味が変わらないのではないか。 好きな人ができてパソコン診断すると付き合える成功率は13パーセント、大学模試の東京大学にいける合格可能性は13パーセント、でもどうしてもその女とつきあいてえ、どうしても東大にいきてえ~、そういった強い思いが、案外成功につながったりするわけだから、ビジネスに置き換えても、当てはまる面もあるので、なかなか冷酷なパソコンシュミレーションだけではなんともいえないのである。 特に、2、3時間かかって作った資料を間違えて消去してしまたtり、機械が固まって保存できなかったとき、私は、「ケッ」と思い、虚しい思いになり、そして、果敢にもタダ働き残業に勤しむこととなるのであり、そういったとき、「ケっ、所詮機械じゃんかよ」と関東弁を呟くのである。 それにしても、私の問題点は問題解決能力が乏しいところだ。何故か挙動不審で、傍観者になってしまうことだ。目の前に出現した簡単な問題にさえ、固まってしまい、適当に取り繕ってしまう。何故か、どうしたらいいのか、時間がかかるのである。そうやって、迷惑をかけてしまうのである。反省。団塊の世代2000人に聞きました退職金なし35パーセント、2000万円以上28パーセント。(公務員は2000万円以上が67パーセント)退職金なし35パーセント、2000万円以上28パーセント。年収300万円未満22パーセント、年収1000万円以上13パーセント。貯蓄100万円未満19パーセント、貯蓄2000万円以上19パーセント。遺産なし38パーセント、2000万円以上18パーセント。退職時住宅ローン残高なし57パーセント、1000万円以上17パーセント。子供の27パーセントがニート、フリーター、派遣。反省しても、地獄に行くかもしれない。
2007.05.16
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やっぱり、出来上がったものは、明日生死も分からないし、死んだら日記アップできてなくて後悔するのでアップしてしまおう。機内からは縦100キロ横40キロに及ぶ米どころ庄内平野が見える。昔、アジアの旅を終え、成田空港に向かう頃、日本の国土が見え、水田地帯が見えて、日本もアジアなんだなあ、とフト感慨深くなったことを思い出した。 山形県といえども、海があり、海沿いを北上していく。目指すは、庄内平野の北部終点鳥海山山麓である。この山や南の月山からの豊かな水が米作りを発展させたのであった。勿論農家の熱心さや米作りに適した気候もある。 道は空いている。日本海に向かって進む。細い道を抜け、浜辺で、佇む。私の感動装置は、年齢を重ねると、鈍くなってきている。余計な知識と過去の経験体験が邪魔するだけではなく、感受性そのものが鈍っているのだ。旅は、若いうちにせよといいながらも、年をとってからもできる、が、感じ方は違うのは仕方ない。風力発電。釣り人をながめる。本間邸月山海から雪山が見られるのは、富山県の立山連峰が望める雨晴海岸が有名であるが、ここも見ることができた。学生の旅が終わる頃、好景気の真っ只中、また少し仕事をして、何年かの長い旅に出るのも悪くないなと思っていた、暁の寺ワットアルンが遠くに見えるバンコク、チャオプラヤー川沿いの船着場横のレストラン。明日、帰国し、明日で学生が終わり、明後日から入社式。そうでなければ、私は、もう定年まで長い旅に出ることはないんだなあと思っていたことを思い出す。(初めての会社員としての盆休み、1週間、バンコックに意味なく空気を吸いに出掛けたが)そうこうしているうちに、ボヤボヤしていると会社員としての生活も長くなり、うっすらと定年が見えてきて、つまり、折り返し地点辺りを彷徨して、その向こうに数年に及ぶ旅の輪郭がおぼろげに見えてきた感じがした。失業、そして日本の国力がせめて今程度ならば。果たして、世界のどこかで、野垂れ死にできるだろうか。
2007.05.15
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そういう訳で、ひょんなことから(というか偶然から)、ピカチュウ飛行機に乗ったのだが、客室乗務員のエプロンもピカチュウであり、残念ながら、ほとんど子供は乗っていなかったというのもあったが、皆、降りる際に、ピカチュウの葉書を貰っていた。私も、ファンだとばれると今後の生活に支障をきたすので、貰わなかったのであるが、最近の客室乗務員もパートアルバイトや契約社員で時給1,000円ぐらいで大変である。多分親元から出勤しないと生活できないかも知れないのである。過去に日本において女性客室乗務員が高いステータスを付加されていたのは、外国語の素養がある人が一部に限られていたことや、外国に観光などで渡航することが少なかったこと、外国語が話せるというのは、当時はかなり親も生活地位の高いのでもともと資産家や良家の人が多かったからであろう。 1970年代に太平洋路線、パンナムが日本人を第一期で入社した人がいる。勿論、大会社の社長の娘さんであり、留学も当時からさせてもらっている人である。1973年円ドルは変動性になったが、それでも1ドル250円はした。当時の待遇は、自宅から空港までタクシー送迎という奮発振りであり、日本円にして年収が1000万円を越えたという。30年前であるから、当時の平均年収からすると破格である。 世の中変わったなあと思うのであった。無駄話はさておき、無駄観光案内である。山居倉庫についてのレクチャーである。はっきりいって庄内のシンボルである。何故だかカルマも、いや車も倉庫に入っている。昔からだろうか。表側ケヤキ通り。何かアマチュアカメラマンが寄ってたかって女の子モデルを取っていた。旅行番組アレンジになっており、女の子もどう見ても素人で、どうみても普通の女の子であった。男は非力女は力持ち「今日はモラルを持って来ましたか」嫁に怒られ、床を叩きながら悔しがる往年の姿です。子供を料理するのか、臼が不気味です。1俵60キロなので、だいたい300キロぐらいかついでいるので、このばあさん、年齢階級別世界ウエイトリフティング優勝間違いなしです。ライスビデオ君、そんな姿で世間に顔見せできますか?モラルが問われます。イランでもおしんはやってたなあ。
2007.05.14
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日本最大級のスワンパークに急げ!3月が終わってしまう!。最上川の川沿いは大盛況で、多数多くの見学者がいた。私を含めて1名である。病気や怪我をしているスワンを助けに関西から来ました!病気怪我の白鳥は、多数多く存在し、私が数えただけでも0羽であった。最上川に飛来する白鳥は大盛況で、多数多くのワイルドスワンがいた。白鳥を含めないと約1羽である。もう月山の裏側、シベリアに帰ってしまったのだろうか、と山を望む。土門拳記念館。善意の傘入れはあったが、傘はない。井上揚水状態である。土門拳巡礼。前の池にはドブ鯉が溢れている。美術館は大盛況で、館内には多数多くの見学者がいた。私を含めて1名である。イサムノグチ作品だが、審美感のない私にはそのへんにある石に見えた。黒森歌舞伎なんじゃー。でもこれは水道タンクじゃあ。警察犬は民間からも育てるんですなあ。ね、ラブ仔犬。鶴岡市湯野原温泉。風が砂を巻き上げ、視界が霞んでおる。モラルなんてネエよな。あるのは、遺族主義やジェントリー精神や貧乏根性にもったいない精神ぐらいである。そういえば、スパイクリーの映画にドゥザライトシングっていう映画があったなあ。直訳すれば、正しいことをしようだなあ。そのままだなあ。またね~コールである。九州の空港独特のものだと思っていたが、ここでも発見。ここ1,2年で飛行機は概ね、1,2回搭乗したが、はじめてのピカチュウ飛行機にぶち当たった。こんなことで、ボケ中年の私が喜びとでも思っているのだろうか。ちょっとしか喜んでいないのである。
2007.05.13
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昨晩、あと1杯だけ飲もうやといいつつ、ワインのボトル1本をとどめに空けてしまったため、気分は悪くないが、頭痛の二日酔いであった。 それでも、ワタシは、果敢にも起き上がり、空港に行くのである。仏さん拝みに行かねばならない試練であり、修行であり、楽しみでもあった。 このアレくれた日本海の岩、近くで見るとただものではない・・・近づくもう埋まってます。旅は続きます。
2007.05.12
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以前にも、散々街を歩いたのだが、街をうねり歩く頃、いくらタックスヘイブンだといっても、ブランド品の買い物を苦手とする私は、なかなか、香港は買い物以外には、タイガーバームと九龍城なき今は、意味なく街を歩き、飯をつまみぐうくらいしか、観光ではすることがないのである。 もとより、シンガポールと同様、こういう小さな地域では工場もないので、第三次サルビス産業や中継中間搾取産業、観光産業が主だった国家収益となるわけである。こういったコピー産業都市には、文化の輸入があっても、映画産業など一部を除きなかなか文化を作り出していく地域ではないところに、なかなかゲイはいないのである、という勝手な妄想と実感を持つのである。別にゲイを探しているわけではないが、ふと歩きながら思い出したのであった。 それにしても、香港人も20年前に比較すれば、日本人も同様だが、随分垢抜けたような気がする。(ベトナムでは眼鏡の人をほとんど見なかったが) 20年前、中国本土を(未開放都市もあったが)自由に旅行するアジア人は日本人と香港人だけであった。(20年前は韓国人はまだ海外渡航自由化されてなかった)いたるところで、アジア人旅行者と出会うと第一声は「リーベンレン(日本人)?シャンガンレン(香港人)?」であった(といっても聞く前に容姿で99パーセント分かったけど)。 香港人旅行者は、香港を単身、ないし2,3人で出発、各都市で仲間をつくり、中国奥地に行くほど、大規模化し、もはやチベットあたりにくる頃には、バスを1台チャーターできるほどの、つまり3,40人の個人旅行者の集団団体客となって怒涛のように押し寄せてくるのであった。厳格なイスラム寺院で履物を脱がずに中に入り写真をとったり、チベット寺院で大声を出しながら勝手に入って行ったりと、顰蹙を繰り返しており、結構、日本人旅行者から厭われていたのだが、同時に、我々も20年前にはああいう状態だったのだなあ、と自戒もするのであった。 そんなことを思いながら、香港に来ながら何故、台湾料理といいつつも、ふかひれスープ半額セールの看板についつい惹かれてしまっていたのであった。 香港で最も由緒あるペニンシュラホテルの通りをはさんだところにも、由緒ある聖地ホテル群がある。重慶マンションである。今更説明は不要だが、このあたりをまた意味なく歩いていると、時間が迫ってきた。 空港からの電車は、九龍駅、中環駅があり、そこから(電車のチケットを見せれば)無料のバスが10分おきに5方面程度循環しており、飛行機出発時間の90分前チェックイン、電車20分、待ち時間最高10分とし、九龍駅までのバスが距離的に10分として、合計130分前にバスに乗ったのであるが、順調に渋滞に巻き込まれ、順調に焦りだし、わずか3キロ程度のところを、40分かけていただいて九龍駅に着いたのであった。もう、駅前から電車までは、往年のカールルイス並の速度で走ったのであるが、電車はまだ来ていなかったので、地団駄を踏む。 電車の中では、空港到着予定時刻がチェックイン期限の60分前に到着できるか人間コンピュータといわれた私の脳内シュミレーションが活発に行われ、ドアが開き次第、チェックインカウンターにドーピング後のベンジョンソン並の速度で疾走したのであった。チェックインカウンターでは、息切れしている人には優しいものだ。演技派でもある。重慶マンション紹介
2007.05.11
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何を隠そう、今日の午後、正午12時、ワタシは、特殊バスに乗り込んだ。そこにいた不健康そうな若い助手は、先客の様子をガラス越しに見ながら、ある瞬間を捉えて、「さて、これは発泡剤です。喉の奥に入れて、少量の水で飲んでください。ゲップがでそうになりますが、我慢してください」と言われ、飲む。イチゴ味の粉は、少量の水では飲みきれず、半分程度、を律儀にもツバと一緒に飲み込んだ。ゲップが瞬時に出ようとするが、そこを何とか言いつけどおり、我慢する。 この助手は、このセリフを1日何度も繰り返しているのだなあ。しかし、彼は、「僕の飼っている可愛い子猫ちゃんが死んじゃったから僕は不幸だ」といった撒き餌で同情を誘い、「それゆえに、不幸な僕は、世間に見放された落伍者だ」といった自己憐憫を媒介にした連帯感を強要する一流のナンパ師が似合うような顔をしていたのであった。まあ、一瞬でそう思うと共に、隣の部屋に入ると、宇宙遊泳の無重力訓練をするためのようなサイバー機械が置いてあり、そこにワタシはセットされると、更にその奥の隣室から先生がアナウンスした。「そこのバリウムを飲んでくださいね。ゆっくりでいいですよ」と。そういう訳でワタシは、バニラのシェイクと変わらぬバリウムをゴクゴクと飲んだが、味は、そう悪くないものであった。 「はい、それじゃあ、動かしますネエ」といい、機械は90度横になり、私は寝ている状態になった。「はい、右から2周ぐるぐる回って」といわれ、寝ながらぐるぐる回る。「胃の中いっぱいにバリウムで満たしますねえ」と言われ、グヘグエエといいながら、少しのゲップを我慢したら、2秒ぐらい凄く気分が悪くなったが、すぐに治まったのであった。その後、右腹みせて90度になってくださいとか45度になってくださいとか言われる間にも、機械は、上下左右に動き回り、棒を持っていないと振り落とされそうになるのであった。完全に弄ばれているという気分になり、何で、こんなにいじられているんだよ、いつレントゲンとってんだよーと文句の一つもいいたくなったが、こおは医療権力に屈するのであった。もっとスピードが速かったら、ほとんどパーソナルスペースコースターだぜって感じであった。 この先生は、絶対、生理の血に自分の精液をかけて混ぜ合わせて、自分と腕に刺青のある相手の体に塗りたくりながらSMを楽しんで汗をもしたたらせて満足感を得るタイプに違いないと思いながら、社長であろうが、総理大臣であろうが、英語が出来るならCIA長官であろうが、この彼の場では彼にひれ伏すしかないのだなあ、ギャーと思っているうちに検査は終了した。 再び助手の登場。下剤を4錠くれ、2錠を30分以内に飲んでくださいといわれ、すぐ2錠飲み、カレーを食べたが、少し食べるだけで、胃は既にバリウムで満たされているので満腹感を得ることが出来た。 午後から出かける予定はあるのだが、おいそれと、出かけてモヨオシテハたまらないと思い、便所に駆け込むまで出かけるのは控えたのであった。初めての、バリウム、初めての下剤・・・楽しいねえ。とか何とか思っている間に、すぐにトイレに行った後、出掛けた。 午後5時半、再びもよおしてきたので、トイレに行くと、今回が初めて下剤が効いているということが分かったのであった。便器の底には、白蛇をどろどろに溶かしたような何かがあった。昼間のトイレは、下剤が効いたのではなく、行かなければという気が効いただけだということが分かった。 ともかく、もう2錠あるので、是非、今度は、外出しない休日に、我慢プレイしようと考える今日この頃なのであった。
2007.05.10
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新しい空港になって市内までは遠くなった。バスで1時間なのだが、12分おきに出る電車を使えば、香港島中環まで24分である。時間は半分、値段は4倍である。あまり合理的とはいえないが、たかだかひかりからのぞみにして、30分程度東京大阪が早くなって数千円アップよりはまだ合理的ではある。非合理的なところは、片道でも、その日に空港に戻る往復でも値段は同じということである。何故そんなに時間が違うのか分からなかったが、このスピードから見て、これはほぼほぼ新幹線であった。香港は、3年半ぶりであった。終点の中環で降り、空港から持ってきた地図を広げた。すぐ近くに、あの世界最長といわれる800メートルのエスカレーターがあったので、乗ってみることにした。駅もビジネスセンター街であり、背の高い建物意外にどこの国なのだか特徴のない面白みのない世界が広がる。小学生のころの香港のイメージは、当然、ブルースリーの燃えよドラゴンに始まり、マイケルホイ兄弟やキョンシーといった映画どころである。海から、小船に乗ってリーが道場に向かう姿は、まさしく宮本武蔵であった。(彼は宮本武蔵のファンでもあった)が、子供心に目を奪われたのが、やはり船に浮かぶ海上生活者の映像であり、九龍城の姿であった。中学校ともなれば、やはり、買い物をしていて着替えていると、ミラーが裏返り、身柄を拘束され、人身売買されてしまうという怖いイメージであった。今も街はネオンサインであふれている。上環に続く、骨董街であるハリウッド通りの上側の飲み屋街で降り、骨董街を抜け、ひとつの寺院文武廟に入った。線香の煙で目が痛い。生前の写真が並べられている。タクシーは初乗り15香港ドル(225円)であった。港まで、歩いてもよかったが、乗ってみたかったので、乗ってみた。スターフェリーで、数分、本土に向かうときは、さながらブルースリーである。アチョー!!
2007.05.09
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ベトナムうどんを食った後である。いろいろマジェステックホテルでプランを練るふりをする。夜、早い時間には、正しい観光客らしく、サイゴン川に行く。バンコクのチャオプラヤー川に比べ流れはまどろっこしいが、同じようにあの青い水草が泥の川の上を滑っている。 鮫の形をした船がいいというので、それを船の上からみるために、違う船に乗り込む。しかし、鮫船は川下に進み始め、私の乗る船は川上に向けて出航したのであった。 勿論、こんな船に乗るのはおのぼりさんだけであるが、周りを見渡すと、ベトナム人ばかりであり、一組駐在員らしい日本人おじさん2人と西洋人取引先が乗っているに過ぎなかった。 サイゴンの夜景はまだまだ暗く、10分そこそこ走ると、もう夜景もなくなり、堪能しつくしてしまった。歌を歌うボリュームが腹にきて、不快な状態を我慢する。1時間もたつと、ほとんどの乗船客が疲れきり、早く上陸しないものかとしている様子がうかがえるが、バンドや歌手達だけは、元気に歌い続ける。 勘定は船の上で行われたが、おしぼりがいくらだの、何かチャージがありと、大変鬱陶しい状態であったが、周りを見渡すと、ベトナム人家族の団体も、西洋人も、ボーイを呼び出し、説明を求めたり、消させたり、盛況な状態であった。 うろうろ我慢できずに歩いているのは子供と私だけであったが、私はベトナムビール555は、ミントとパクチーを餌にすでに5杯目に突入していたのであった。 やっと下船したあとは、フラフラとまた意味なく通りを巡り、一丁ここで、安いマッサージにひっかかってみるかという気分になり、順調に、チラシ配りのねねちゃんにひかっかり、暫く何箇所かチラシを比較検討し、一番安いコースで120分コースを目差すことにした。 フロントで、お金を払おうとすると、西洋人女性が、コースの内容と違う!と怒鳴って出てきて、減額させていたのだが、私は最低料金なので減額しようがないので、そのまま奥に入っていき、目が離れない所に貴重品を置き、パンツ1枚になるのであった。 しかし、何故か夜も遅く、最後の客だったためか、マッサージさんは、熱いオイリーな石を背中に滑らせるよく分からないがキモチイイコースを勝手に入れてくれたのであった。おそらく監視の店の人がもう終わりなのでいなくなったのを確認して、チップを大くするために、サービスしてくれたものであろうと、楽観的に解釈するのであった。そういえば、さっきの西洋人女性がストーンなんとかとかいってたっけ、と思い出しながら。 マッサージが修了し、マッサージガールに1ドルをチップとして払った。すると、マッサージガールは悲しい目をして、これでは少なすぎるよ、私たち店からはお金もらえず、チップだけが唯一の収入なのよ、とかいいつつ本当か嘘か分からないが、とにかく、3分程度の間、揉めた。結果的にチップは2ドル頂戴!ということを要求され、私は、うなり、よし分かった!といって3ドルのチップを弾んであげた太っ腹ぶりを発揮したのであった。 すっかりさっぱりしたかどうか分からないまま、マッサージとは何時間受けてもキモチイイが、何時間受けても一向に変わらないんだなあ。と思いながら、明日の揉み返しを気にしながらも、時は0時を過ぎてしまい、サイゴンの概ねの店は終了し、屋台でスルメを買い、ぶらぶらしていると、また例によって、バイクが何度も入れ替わり立ち代り寄ってきては、もう五月蝿く鬱陶しいのである。男バイクは、例により、20ドルで女はどうだとしつこく付きまとい、女バイクはその人自身が売春婦であり、ホンダ120程度のバイクに着飾ったセクシールックが不釣合いで笑えるのである。運転男タンデムシート女バイクは、こいつはどうだのデリバリーバイクである。私が女をほれそいと買うような男に見えますか? ベトナムタバコを1本記念に吸ってみようと、1本ばら売りの路上タバコ屋から1本買うと、すかさず、怪しい男は、ケッケケといいながら、私に近づいてきて、例によってコカインはどうだ、といった。私がいらないよというと、例によってすかさず、マリファナはどうだといってきた。今後の参考のために、10グラムいくらか聞いてみると、20ドルでどうだといってきたので、フーンといって歩き出すと、お決まりのパターンでディスカウントが始まるのであった。私がガンジャをほれそいと買うような男に見えますか?
2007.05.08
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難攻不落の村へ。穴倉の生活。空爆や枯葉剤を避ける。B52が落ちて出来た穴米軍は地下に住んでいることは知っていたが、どこが入口か不明。これでは、穴を見つけても太った米兵は入れないぞよ。ここに落ちたらさようなら。すでにもスキートアタックにより我の腕はブヨブヨである。生活への入口。ところでここでは1発1ドル最低20発でバンバン実射できる体験コーナーがあるのだが、前を歩いていた韓国人ツアーおっさんたちがバンバン撃っていた。勿論、この前のアメリカの事件とは関係ない。休息のひととき。はじめに、プロパガンタビデオを見せられ、勇敢な村民の紹介があり、何人殺してナニナニ勲章を貰いましたと、何人も紹介されたが、その人々のマネキンなんだろう。米軍に置き去りにされた戦車。隣の一台は市内戦争博物館に持っていかれたとのこと。こういうのは結構です。地雷でなくとも、こいつを踏んだらサヨウナラ。グッドトラップ、グッドベトコン。米軍の不発弾を拾ってきては、ベトナム人特有の手先の器用さで、エッサホッサと武器を分解、改造し、ベトナム式武器弾薬に作り変えるのであったぞよ。地下道は、30メートルコースから150メートルコースまで体験できるが、実際はのべ250キロメートル。暗いよ怖いよ狭いよの人向きに坑道は広げられている。汗だくになるぞよ。主食であるタピオカ芋を焼いて煙が出ても、分散させて、空から煙が見えないようにカモフラージュ。不発弾。ああ、不発。
2007.05.07
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市場から、バイクタクシーに乗る(といってもどこにいくにもバイクタクシーに乗る)が、誰が商売か分からないし、アルバイトやついでや片手間でやっている人もいるのではないか。私が乗ったおばちゃんも、何故か、買い物帰りという感じで、大根などの食料品をハンドルにぶら下げていたのだが、愛嬌か。車より早く、風を感じ、信号無視し、速い。何より危険なところがシブイのである。 入口には、特有のだらしない犬が寝転んでいる。入場料120円。収容所の監視は天井から。捕虜拷問足かせ捕虜目潰し捕虜ギロチン台日本でも反対。べ平連の3原則は何にでもあてはまる。1.やりたいものがやる。2.やりたくないものはやらない。3.やりたいものは、やりたくないものの足をひっぱらない。やりたくないものは、やりたいものの足を引っ張らない。戦車飛行機墜落の瞬間。やった!と思わず思ってしまう。ヘリの中沢田キョウイチ。安全への逃避石川ブンヨウ。「戦争カメラマン」の分厚い文庫本で一番強烈な写真だったことを思い出す。ソンミ事件。504人の村民をアメ兵が大虐殺。枯葉剤(エージェントオレンジ)枯葉剤30年(米軍とは10年)、日常が戦争であった。結局民間人の方が倍以上も殺されている訳だよな。ベトナム戦争は、報道関係者に開かれた戦場であった。アメリカ・北ベトナム双方がカメラマンや新聞記者の従軍を許可し、彼らは直に目にした戦場の様子を社会に伝えた。泥沼化する戦場の様子や北爆に関連した報道は、テレビ局や新聞社が自主的に規制する風潮が高まった。またアメリカ政府も戦場報道の重要性を認識し、以降、湾岸戦争を初めとしてメディアコントロールに力を注いでいくこととなる。そのあたりだけは、まだ今よりましだったのだ。インドシナ半島で戦死したジャーナリストは、第一次インドシナ戦争から中越戦争までで172名に上る。内、ベトナム人が72名、アメリカ人22名、フランス人19名、日本人15名。 B29も沖縄から出て行ったし、国鉄も荷物を運搬したし、羽田空港も軍用機が離発着したんだよな。さすがに、ベトナム北軍の悪戯展示物はなかった。
2007.05.06
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ベトナムといえば、戦争が終結して22年。考えれば、私も戦争が終結して20年少々たった頃に生まれている。考えれば、学生の頃は、タイの本より、ベトナム戦争の本の方が多く読んだと思う。しかし、当時は、やっとツアー観光客に少し門戸が開かれた程度であった。勿論、カンボジアに関しては、外国のガイドブックでさえ3行、とても入国は難しいとしか書かれていなかったのであった。 サイゴンの空港を降りると、東南アジアの香りが押し寄せてくる。時間もないので、空港でホテルを予約することにする。私が、物色していたのは、ベトナム戦争時に、報道陣がたむろしていたというマジェステックホテルであるが、これは今はもう5星の格式あるコロニアルホテルとなり、値段も100ドル以上となり、ネットで事前に予約する時間もなく、出国してきたので、地図で中心部を指差し、お手頃ホテルを勧めてもらった。そんなとき、多分、特定のホテルを勧めると彼女にコミッションが入るのだろうと思いつつも、まあ、いいよ、と思い、そこに決めた。何とも、3日前にオープンしたホテルであった。ホテルまでタクシー配車しましょうか、10ドルですといわれて、断ると、即、彼女は、外に出ると、市内にタクシーで5ドルで行けます、とニコニコしながら言った。彼女の中には何の矛盾もないようであった。 タクシーにぼられないように、乗ると、すでにしっかりメーター制であり、10000ドン80円程度という馴れない数字とメーターを確認し、街まで、40円なのか400円なのか4000円なのかよく分からないが、まあ、5ドル程度なら400円というところかと思いながらも、20年前のバンコクのような気分で流れ行く風景を見ていた。 工事中で、躍進しているところが、似ているのだが、勿論、違いもある。途上国の段階は、途中をすっとばす。車道は舗装されているが、歩道は土のままの道が続き、喧騒はお得意のものであり、人々がうごめき、バイクの洪水が走るが、そこには、所々に、インターネットカフェや衛星放送があり、日本企業でなく、サムスンのような韓国系企業のネオンも目立ちつつも、クモンの看板があったりして、怒涛である。 オープン3日目のホテルはお祝いの花で埋まり、いいにおいがする。しかし、オープン3日目であり、ホテル業に慣れていないのか、備品が足りなかったり、鍵とキーホルダーの部屋番号が違っていたり、ワインオープナーを頼むと、新しいオープナーが箱に入ったまま出てきたり、今後を期待しますという感じで笑えたのであった。パスポートはフロントに預けるシステムで、政府に報告義務があるのか、ちらりと社会主義が生き残っているように見えるのであった。 しかし、エレベーターに乗ろうとしたら、既に掃除の人がエレベーターを待っていてくれて、私が階数のボタンを押しても掃除の人は自分の行きたい階数を押さなかった。私が降りてから、彼は、自分の行く階数を押したようである。私は、このホテルが好きになった。 (翌日、ホテルの制服をきたまま横の屋台で飯食っていたフロント係と目があってはにかんだ。時間だけがあった昔なら、私もすぐ横に座って一緒に飯をくったであろう) 23時に、早速、街に出かける。どうやら、街は基本的に12時で終わりである。通りは暗い。 ホテルのルーフテラスのバーに行く。サイゴンバーである。西洋人が中心であるが、何故か私の周りは現地の人か韓国人であった。ビールが1杯500円程度するのであるが、こういった過度期の現地の人の収入は格差があり、また、前年度2割アップとか3割アップという感じなのであり、平均月収は、少し調べてみたが、5,000円から2万円というところであろうか。アジアに来ればよくあることだが、こういうところに来る現地人は相当羽振りのいい成金である。面白いのは、西洋人であれば、オシャレバーにはカップルで来るのが多いのに対し、現地成金達は、屋台の集まりそのままを持ってくるのであり、男同士数人でやってきてはガブガブ酒を飲んでいるのである。その辺りが、微笑ましいのである。 素晴らしい夜景かと思いきや、さすがに、夜は暗い。メニュー表はドン払いも可能だが、料金は米ドル表示であった。他にも、バイクタクシーでも1ドルとか言われ、まだまだ国民は自国通貨を信じていない国なんだなと思うのであった。ただ、どちらの通貨で払っても、ほぼレート通りではあったが。 店も12時で終了し、ビールを1杯だけがぶ飲みした後は、夜中の怪しい街をぶらぶらするのである。 それは、もう五月蝿く鬱陶しいのである。バイクがすぐ近づいてくる。男バイクは、20ドルで女はどうだとしつこく付きまとい、女バイクはその人自身が売春婦であり、ホンダ120程度のバイクに着飾ったセクシールックが不釣合いで笑えるのである。運転男タンデムシート女バイクは、こいつはどうだのデリバリーバイクである。真っ暗な道を歩いていると、ある店から大量に人が吐き出されており、そこには何十人という西洋人おっさんと売春婦とバイクの洪水となっており、愉快なのである。その真ん中に入り、傍観者になりジロジロみていたが、西洋人物色に忙しい売春婦とヒモたちは、順調に私に気がつかなかったのであった。 しかし、気がついた1人の怪しい男は、ケッケケといいながら、私に近づいてきて、コカインはどうだ、といった。そのあと、すかさず、マリファナはどうだといってきた。今後の参考のために、10グラムいくらか聞いてみると、20ドルでどうだといってきたので、フーンといって歩き出すと、お決まりのパターンでディスカウントが始まるのであった。とにかく声をかけてくるのは、物売りだけになった国になったのだなと思う。 部屋でテレビをつけてみると、マトリックスリローテッドをやっていた。セリフがベトナム語になっていたのだが、全員のセリフを1人の男が喋っていたのに笑い、よく聞くと、かすかにキアヌリーブスなどの声が聞こえるのも笑えるのであった。パチモンやなあと笑っていると、知らない間に眠ってしまったのであった。(午前2時にたむろする売春婦とヒモと西洋人とバイク軍団)
2007.05.05
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ケリーサンによる、トイモイ氏国内日帰り海外1泊の法則に従い、更に香港から2時間程度ブイブイ飛ぶのである。サイゴンはまさしく20年前のバンコクさながらである。 詳しい刷新経過報告は明日以降である。バイク天国である。
2007.05.04
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まあ、宿はここやなペニンシュラホテル。昔、草履で、喫茶を断られたので、雪辱戦で、革靴を履いて、挑戦しにほんこんにいってみてきた。ちゃんと断られることもなく、無事茶。1人飲茶、ベリーナイスな午後のひととき。
2007.05.03
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最近、時々不定期にアップされる桃牡蠣さんのインド日記を読んでは思い出す。 インドや砂漠に行けば、不自由であった。直接、厳しい自然や、濃い人間関係、ありのままの死、否応なしの剥き出しの現実がある。あまりにリアルすぎる中で、そこには、天国だのユートピアだのが入り込む隙がある。宗教的なのであり、宗教が生まれても当然なんだなと肌で感じる。 私は、遺跡好きでもあるのだが、市井の人々の信仰の姿、生き方そのものが宗教的な姿を見るほうが好きであり、遺跡に歴史を感じるというよりは、そこに集まる人々(観光客を含め)を見るのが好きである。人々は剥き出しの厳しい現実に翻弄されている。 リアルから遠い、バーチャルな天国、ユートピアを想像、生み出すことは、こうした土地風土では、修行が必要となるのだろう。曼荼羅は、そういう天界のユートピアを示したものだ。チベットの砂曼荼羅ともなると、最後に破壊することを含めて本当にユートピアである。 そうすると、日本を含め、現在では、考えれば、凄い時代なのかもしれない。我々はここで生活しているだけで、すでに修行の第一ステップを通り過ごしているのである。始まりは、テレビである。バーチャルなだけでなく、カラーテレビになり、その色彩が極彩色で、曼荼羅っぽくもある。 そして、今はネット社会である。バーチャルの中で時空を超えている。時として、現実の世界に行き、ネットの世界に帰ってくるといった表現さえもする。今日では、ネットの世界でセカンドライフなども登場し、リアルに近づこうともしている風に見える。 この第一段階を厳しい修行もせずに突破してしまっている我々は、いかにリアルな世界に対応させていくかが、次のステップなのかもしれない。
2007.05.02
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私のハワイの始まりと言えば、多くの人々が共感するだろうが、その名もカメハメハ。ボーイスカウトでは振り付けで踊ったものである。そしてその内容も、小学校からして、まさに魅力的なものであった。風が吹いたら遅刻で、雨なら休み、なんてソースィーティな場所なんだ。小学校の幼い私は、南の国に思いを馳せたものである。羨ましいな恨めしいな。南の島の大王は その名も偉大なハメハメハ ロマンチックな王様で 風のすべてが彼の歌 星のすべてが彼の夢 ハメハメハ ハメハメハ ハメハメハメハメハ 南の島の大王は 女王の名前もハメハメハ とても優しい奥さんで 朝日の後で起きてきて 夕日の前に寝てしまう ハメハメハ ハメハメハ ハメハメハメハメハ 南の島の大王は 子どもの名前もハメハメハ 学校ぎらいの子供らで 風が吹いたら遅刻して 雨が降ったらお休みで ハメハメハ ハメハメハ ハメハメハメハメハ 南の島に住む人は 誰でも名前がハメハメハ 覚えやすいがややこしい 会う人会う人ハメハメハ 誰でも誰でもハメハメハ ハメハメハ ハメハメハ ハメハメハメハメハ1964年、海外旅行が自由化され、その年に海外に出掛けた12万人少々のうち3万人がハワイであった。自由化の前から、移民やらその話で、有名な憧れの地であったのであろう。今の感覚で言うと、旅行代は、200~400万円といった感覚である。お土産の第1位はケネディ50セントコインであった。何せ、持ち出し外貨の上限が500ドルの時代である。 その後、1970年にはジャンボジェットが就航し、4、500人を一気に運べるようになったのであった。勿論、今はなき、パンナムである。そして、団体旅行バルク料金により、ジャルパックなどで、1週間15万円程度でいけるようになったのであった。1970年のGWのジャルパック利用者はなんと、1000人であった(年間12万人)。スゲエ。トリスを飲んでハワイへいこう!ルックでハワイに行こう!なんてぼやぼやしているうちに、1980年となり、海外渡航者が66万人から400万人となり、ハワイも50万人を余裕で突破したのであった。私が初めて海外に出た1985年は年間旅行者が500万人、そしてバブル経済わずか5年で1000万人、10年で1500万人。格安航空券では十分10万円を切る時代になった。ハワイも87年には100万人、96年には200万人を突破していおる。そんな事情もあって、私は特に買い物は何もしなかったのである。何しろ買い物は苦手であり、買い物するには金がかかるし、何せ、私服は数着既に持っているし、靴も革靴を除いても2足程あり、草履も2足程持っているモノ持ちなのである。これ以上、衣類が必要だというのか。バッグは、ハワイぐらいなら紙袋でいけるのである。私は、スーパーマーケットや世界最大のスーパーであるウォルマートに行くのである。そこで、特に何も買わないが、面白いモノを発見すべく、歩き回るのである。野菜売り場は土の臭いがしてよかったよ。しかし、帰国した私を疑いの目で見る税関員である。荷物を預けていないのは私だけである。「あれれ?荷物は?あれれ、1日ですか?仕事ですか?」「いいえ、観光です」「どうして荷物もないし、こんなに短いのですか」さて、私は、言いたいことを言えなかった。いった言葉は、「旅行好きなんで」でも本当は、お金持ちだから、と言いたかったのであった。いつか、そういえる日が来ることをじっと願うのみである。
2007.05.01
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