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アオタサンに、コトシモヤッパリこれかい?と言われそうなことを無視しながら先を急ぐのである。残念ながらまだパート3ぐらいまで続くのが悲しいといわれているんだよ。ようこそお越しいただきました。ほんま、ようこそ、ロスのくんだりまで、来たものだよ、それにこれ見たら、また飛行機乗ってどっかいっちゃうんだろ?泣きべそかいているフリしながらも、手にはしっかり凶器。ホラーに出てくるヲンナの人なのかい?これはシャーロックホームズ?あのコカイン中毒者?オー牧場は緑を歌ってもいいですか?WAXムージアムの中にギネスムージアムがあるてか?ワタシキレイ?でもワタシ誰?直して下さい、愛というものが存在するなら。こんな顔でも、コサックダンス踊ってもいいかい?ジョンボイトのムスメ、小さいので見えないが、ちゃんと、刺青もあった。昔、彼氏と血液をボトルに入れて交換して持ち歩いていたとか、お互いナイフで傷つけあったとか。そりから、あの唇は、シリコン系か。エクソシスト包帯って何で怖いんですか?包帯フェチの人に聞いてみたいです。それにしても、今でもシャイニング第2位を抑えて第一位の怖さ集計されるエクソシストは、確かにオカルトブームを巻き起こした。実際にエクソシストという祈祷師(神父)の役職があること、事実をベースにした物語、それを編集したのがバチカン、音楽効果も怖さを助長。当時言葉もなかったサブリミナルな効果も入っている。ミツバチの羽音に、豚の苦しむ鳴き声、自傷する少女が、刃を、性的な部分に刺しているように見える効果など・・・。ちなみに、2000年まで日本にもドイツ人エクソシストの神父さんが存命していたそうな。俺には、右の男がハンマー投げの室伏選手に見えるのだが・・・ワタシキレイ?でもワタシ誰?ニヤケのトムクルーズ、影薄いな~。キャメロンディアスオビワンとかジュダイとかシスとか、ルーカスが時代劇ファンだからといって、一番の帯、時代、死す、が語源って本当ですか?そういや、三船敏郎が、スターウォーズの出演依頼断ってたな。まあ、そりゃ当時無名のルーカスや、訳の分からないSFなら断るわな。だからダースベイダーは仮面になったのだったかな。ジョンボイトのムスメ、小さいので見えないが、ちゃんと、刺青もあった。昔、彼氏と血液をボトルに入れて交換して持ち歩いていたとか、お互いナイフで傷つけあったとか。そりから、あの唇は、シリコン系か。似てないなあ、アンコールワット壊して欲しくないなあ。ドノ眼鏡をかけたいか毎日悩むんですけど。クリフハンガ。元ポルノ男優、ロッキーの脚本を持って売り込みに行く。シュワットちゃん。2008年正月旅行 ハリウッド、蝋人形館1 ハリウッド、蝋人形館2 ハリウッド、蝋人形館3 ハリウッド、蝋人形館4 市内から空港に戻る、Los Angeles アンティグア観光1 Guatemala アンティグア観光2 Guatemala アンティグア観光3 Guatemala アンティグア観光4 Guatemala グアテマラ歴史のお勉強 Guatemala アンティグア、カーササントドミンゴ宿泊の昼 Guatemala アンティグア、カーササントドミンゴ宿泊の夜 Guatemala パカヤ火山登山 Guatemala ホンジュラスの歴史 Honduras マヤ遺跡コパンにいく Honduras コパン,マヤ遺跡1 Honduras コパン,マヤ遺跡2 Honduras コパンルイナスの夜 Honduras Honduras→El Salvador陸路移動 エルサルバドルのお勉強の時間 El Salvador エルサルバドルの夜 El Salvador サンサルバドル→ロサンジェルス El Salvador サンタモニカへブルーバスで行く、Los Angeles ベニスビーチで今年最後の夕陽、Los Angeles サンタモニカ、Los Angeles ロサンゼルスでお正月、Los Angeles サンディエゴからティファナに向かうMexico メキシコ入国ティファナMexico メキシコ入国ティファナ2Mexico メキシコ入国ティファナ3Mexico サンディエゴの朝夜 San Diego サンフランシスコから帰国 San Francisco アメリカ中米gourmetの旅 お土産 ジャンピングビーン・ジャンピングビーン2
2007.12.31
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ロサンゼルス、ハリウッドの数少ない時間を割いて出かけたのが、蝋人形館である。別に好きじゃないんだけど、放浪さんに「出た!」といわれるのをついつい期待してしまう無駄な私。でも、やっぱマダムタッソーのほうが、忠実にリアルな訳なのだが、とにかく、チケットを購入、17.95ドルという大金を払ってまで、ここまでやるか、いや、やっちまった!入り口から、カモーン、どうもどうも。キャストアウエイ、やればできるんだ、なせばなるという映画だが、フェデックスの回し者かも知れなかった映画であった。一応、3作とも見ましたが、すっかり1作目と2作目と3作目が繋がってません。結構、メイキングが大変に見えるジャックスパロー船主だったな。実は、中学校時代に本を数冊しか読んだことがなく、その少ない一つが、チャップリン自伝であった。サージェントペパーズのアディインザライフは、最高傑作なんだよな。飛んでるよ。ブットビ。何度いっちまったことか・・・どちらかというと、レース系で、ちょっとヤバイ系の服かと思います。ジェイソンってさ、何で、愛嬌あるんだろうね。今でも、13日が金曜なら、何でみんな、今日は13日の金曜だな、ってつぶやくのであろうか。ドラキュラ系ではないけど、フランケンシュタイン系では、デニーロのフランケンシュタインがエグ哀しい系でなかなか良かったのだなあ。これは、えーっと、なんだっけ、忘れた。ミザリーだったっけ?まあ、これは分からんわ。死霊のはらわたけ?アンソニーホプキンズってホント名優だねえ。羊たちの沈黙と次作のハンニバルなかなか良かったのだあ。ありあえないけどねえ。レクター博士のモデルが100人以上殺人したといわれるIQ160のテッドバンディなんだよなあ。その手、なかなかいいね。これはなにかな、キングクリムゾンかい?なかなか男前やねえ。なかなかこっちはお茶目系やねえ。スマイリー。映画、オペラ座の怪人、でだしは良かったんだけどなあ。悪魔かなんか、ちょとショボイね。顔は痛くないですか?針治療ですか?規則正しく打ち込んでいますね。2008年正月旅行 ハリウッド、蝋人形館1 ハリウッド、蝋人形館2 ハリウッド、蝋人形館3 ハリウッド、蝋人形館4 市内から空港に戻る、Los Angeles アンティグア観光1 Guatemala アンティグア観光2 Guatemala アンティグア観光3 Guatemala アンティグア観光4 Guatemala グアテマラ歴史のお勉強 Guatemala アンティグア、カーササントドミンゴ宿泊の昼 Guatemala アンティグア、カーササントドミンゴ宿泊の夜 Guatemala パカヤ火山登山 Guatemala ホンジュラスの歴史 Honduras マヤ遺跡コパンにいく Honduras コパン,マヤ遺跡1 Honduras コパン,マヤ遺跡2 Honduras コパンルイナスの夜 Honduras Honduras→El Salvador陸路移動 エルサルバドルのお勉強の時間 El Salvador エルサルバドルの夜 El Salvador サンサルバドル→ロサンジェルス El Salvador サンタモニカへブルーバスで行く、Los Angeles ベニスビーチで今年最後の夕陽、Los Angeles サンタモニカ、Los Angeles ロサンゼルスでお正月、Los Angeles サンディエゴからティファナに向かうMexico メキシコ入国ティファナMexico メキシコ入国ティファナ2Mexico メキシコ入国ティファナ3Mexico サンディエゴの朝夜 San Diego サンフランシスコから帰国 San Francisco アメリカ中米gourmetの旅 お土産 ジャンピングビーン・ジャンピングビーン2
2007.12.30
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とりあえず、各種チケット切れ端や、各種パンフレットや、各種ゴミが一体型となり、カオス状態でもある。ひとつ1.5ドルの、ジャンピンビーンズである。何だか、良く分からないのだが、店主の売る気のないおじさんによると、この中に虫が生きているようであり、豆が跳ねるのである。横に書いてあった説明書きによると、何とか3,4ヶ月生きるそうである。暖かくすれば、活発に動くけど、早く死んじゃいよ、それに振ったら死んじゃうよ、と書いてあった。密輸入して、今、部屋でカタカタなっているのだが、原因不明の病原菌が日本全土を襲った場合、決して、私を疑ってはいけません。グアテマラの市場で交渉に次ぐ交渉にて、ぼったくられたではあろうが、テーブルクロス2枚、旅行時に使う財布、鍋つかみ、ポットかけを1,000円程度のボッタクリで購入するが、気のいい売る気のないおばちゃんであるので、購入、その横で、ピエールカルダンの会社用ワイシャツを450円で購入するが、もしかしてニセモノかも知れない。会社の土産は、インスタントエルサルバドルコーヒー2ドル、自分用に227グラムのエルサルバドルコーヒー豆引き終わりを1.5ドル。ラルフローレンアウトレットで会社用ネクタイ15ドルとキーホルダー14ドルを購入。ホテルで石鹸一個パチル。旅行中だけ、タバコ吸いになっちまう、旅情はタバコだぜ精神の私は、今回結構吸いすぎたので、ちょっとニコチン中毒ぽくなってきたので、今、再び禁煙に入り、禁断症状に苦しんでいる所存であるが、マイルドフレーバー味のマルボロは知らんかったなあ。いやあ、お土産いっぱい買ったなー。ゲヘヘ(意地悪い不気味な笑い)
2007.12.29
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トニカク、仕方ないノデ生き急いでみても、アメリカの入国審査は長いのである。指紋とって写真とるというアメリカスタイルを昨年より日本でも導入したが、勿論私は反対論者であるが、当然、アメリカ人にだけは、是非、日本でも導入し続けて欲しいものだ。オマケに、今回は、いつものように挙動不審なので、税関で、任意荷物検査にはねられて、ニッモツオープンコーナーに回させられたのであった。すると、荷物を開ける担当者が、任意で怪しい奴を選ぶ担当者に向かって「そんなにいっぱいこっちに回して来るな!こっちいっぱいやないか!」と怒っていた。荷物検査させられているのは私以外は、順調に全員、南米系である。アミーゴ。 その後、入国審査に1時間以上待っているが、後ろの日本人が話しかけたそうにしていたので、振り向くといきなり、「アメリカはどこが好きですか」ときた。シンガポール在住30年のブラジル行きのじいさんであったが、職業は不明であった。こちらは、滞在型素人なのに、やたらあちこち行っていると思われたようで、矢継ぎ早に質問してくるが、遂に、ボルネオ島のブルネイの隣にあるマレーシアの退屈な都市ミリについて盛り上がったのであった。まあ、そんな特殊事情もあって、案外時間つぶしにはなったのであった。何故私に声をかけたかというと、税関で荷物を開けられてでさえ、ほとんど日本人として1番に並んでいたからではないだろうか。何せ、機内をトップに近い状態で、ドケドケどけーと出たのが幸いしたのであろう。 初めてロサンゼルスに行ったのだが、街としては広すぎる。歩けない街というのが、あまり好きになれないということは、横に置いといて、テロを恐れてかコインロッカーがすべて撤去されており、13時間トランジットという特殊事情もあり、とりあえず、ディユースで空港近くの最下層ホテルにチェックインし、荷物を置き、街に出ようとするが、これが、またなかなか不親切で、街への出方がよく分からない。タクシーや乗り合いタクシーで行けば、よろしいのだろうが、大富豪と言う事情もあるので、無料バスで近くのメトロまで行き、そこから1.5ドルで、ハリウッドに行ってみる。さすが、1.25ドルという安さだけあって、時間は1時間20分もかかり、2回も乗り換えるという特殊事情が重なり、お昼前にロス空港に着いたというのに、ボヤボヤしているうちにロサンゼルスに着くと既に、日が暮れていた、なんていう特殊事情が重なったのであった。目的は、ただのひとつ、それは、明日を待てって感じかな。ハリウッドハイランド駅を降りたら、何だか暗いんだよな。 その前に、一応、おのぼりさん的に、傲慢いつまでたっても気がつかないアメリカ帝国主義を参拝するのであった。正に時は金なりなのだが、歳月人を待たず、時に及んで正に勉励すべしなのであるが、よく考えれば、単純なおのぼりさん状態なのである。スターの道見て、へえーといい、インド人観光客を見て、ほぉーといい、何か風がきつくて、さぶー、というのみである。老兵、暖かい地域に早く移動するのを希望するである。インド人女性がキャーキャー騒ぐのもインドではないからか。グローマンズチャイニーズシアターはジーンズに黒い服が制服であろう。ホテルに戻り、12,3分眠った後、シャワーを浴び、ホテル代を浮かすために、夜中便の飛行機に乗っちゃったりなんかするのである。でも本当は、飛行機のスケジュールの都合上勝手に夜中便になっただけなのであるが、まあ、それは仕方ないとするよ。何故か、木になっている人もいるんだよな。飛行機の隣の席は、すっごいデブの白人女性で、妙に馴れ馴れしくて、ちゃんと、肘置きも順調に終始占領され、オマケに、トイレに1時間おきに行ってくれるので、ちゃんと1時間置きに起こしてくれて、リズム感があったのであった。5時間弱で、メキシコをまたいで、夜明け前にグアテマラシティに到着してしまったりするのであった。
2007.12.28
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国境に近づくのアタシ、朝からニワトリビール飲みてえー。 キムチらを超え、グアテマラとホンジュラスの国境エルフロリドへ。イミグレの建物。両国のイミグレーションは同じ建物の中にあり、スタンプは押してくれない。出国税20ケツアル(300円)を払い、入国税3ドルを払う。20年前、小田実の本で、ホンジュラスという国の名前を知った。そこからマヤ遺跡の世界遺産のある村、コパンルイナスまで10分程度で到着。コパンルイナスからサンペドロスーラの街までのバスが朝6時から、バスが満員になれば出発するというローカルバスに乗り込む。1時間半程度で途中ラエントラーダで降りる。30レンピラ(180円)。そこからバスに乗れば良かったのだろうが、荷物をとられそのまま、乗り合いミニバスに乗り、サンタロッサデコパンに行く。45分20レンピラ(120円)。休憩をして、国境近くのヌエバオコテペケまでおそらく80キロ程度だと思うが、山岳地帯を行くため2時間の時間を要した。65レンピラ(390円)。山岳地帯の風景。そこで降りると、直ぐに、乗り合いバンがやってきて、エルサルバドルの国境、エルポイに行く。10分、10レンピラ(60円)。ホンジュラスのエルサルバドルの国境でも、パスポートをちょっと見るだけで、通過。イミグレーション間は歩いて5分程度。国旗にて、いつの間にか国境を越えたことを知る。エルサルバドルは学生時代、解放戦線FMLNの勉強会に何故か出席してしまっていたという思い出がある。バスステーションまで国境より更に5分程度歩く。国境エルポイより首都サンサルバドルまで99キロ、1.6ドル(数年前に通貨がアメリカドルになった。これって、国家買収されたってことではないのか)。超オンボロバス及び、45キロまでは山岳地帯を行くので、所要時間は4時間。エルサルバドルのイミグレの建物バスは扉が開けぱなしで進む。暫くして、満席どころか、満タンにて、ニワトリや穀物の荷物も乗ってくるし、物売りも乗ってくる。平均時速前半15キロ・・・。
2007.12.27
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私の家の建坪は2000坪程度であるが、そおほとんどが倉庫として有効無効活用されており、生活空間は5坪程であり、生活快適空間は約0坪である。少なく見積もっても約0坪なんで、そこを徹底的に年末と言うことを理由に掃除することにしたのである。とにかく、年賀状は、リーマンとして仕方なく出さねばなるまいが、もはや昨年より年賀状は作るのはやめたのである。やめたよ、といいながら出さねばならないので、オカンにミッションを与えたのである。オカンに感謝しつつ、さすがに住所は私が書くのである。オカンもワイの数少ないミッションにきっと大喜びである。第2本棚までは、未だ、いろんなものが床に散乱して、たどり着けない状態になってはいるが、ということは、本に用事がないということの証明でもあるかもしれない。本棚にたどりつけるように、誰か掃除して下さい。普段、作業をしている机の上の現在の状況である。といいつつも、ブラジルを諦めて、次のターゲットは、ずばりアウシュビッツだったのである。(6日間程)が、しかし、またターゲットを急遽変更したのである、皆さん、さようなら。しかし、本と書類で、作業もままならないのである。窓にも現在、容易に近づけない状態になっている。そんな事情もあって、ミロの美-ナスのカーテンも開かずの鉄のカーテンと化している。窓が開けられるように、誰か掃除して下さい。私のいつも座る椅子の後ろは、正しく、旅行の資料、しおり、入場券の切れ端、搭乗券、説明書、割引券、ガイドブック、お土産、お土産のくるまれた紙、ゴミ、くず、埃、誇りなどで、埋め尽くされ、一応、歩行困難な状態になりつつある。というか、アチラ側には行けない状態である。アッチ側の世界に行きたいので、誰か、整理&掃除して下さい。鉄のアームの仕事でよく使うような安価なスチール棚は毎年増殖して買い増しをしている状態というが、世界の時刻が分かるように、世界時計を持っているのが、自慢だが、今のところ、電池が切れて止まっている。誰か単三電池を買ってきてください。まだ、良く見ると、装飾品を飾る程に余裕のスペースがあることを発見、蝋燭なんか飾っている場合ではない、直ぐに、生理整頓のため、誰か、詰めに来てください。しかし、どんな状況でもぬかりないのである、停電になろうと、停電地震雷失職防災キットは、棚に飾っているのである。そんな訳で、首になったときだけ、お世話よろしく、どなたかお願いします。ところで、急に思い出したのであるが、妊婦の病院たらいまわし事件というのがあったが、モウ直ぐ、子供が生まれる後輩(というか、嫁に産ませる後輩)が、あれは、母子手帳も持ってないような、駆け込み妊婦ですよ、病院が悪いだけじゃないですよ、といっていたので、その後、少し調べると、確かに、駆け込み妊婦のほとんどが、かかりつけの病院を持っておらず、母子手帳もなく、駆け込んでくるからというからには、緊急を要しているので、病院も担当医がいなかったり、やっぱり、そんなので万一何かあったらマスコミに叩かれるとか、賠償責任に過敏になっているという面が分かった。それに、病院も慈善事業ではない。過去の統計によると、駆け込み妊婦の8割は未払いになっているので、やはり、かなり後ろ向きになるだろう。このような、犬や猫のような妊婦が増えているのであるわな。とにかく、そんなのが、そのうち、子捨て箱に捨てるんだろー。こうのとりゆりかご、みたいな馬鹿な名前つけて誤魔化すなよな。本当に養育できないなら事前に相談するところはあるんだ。こそっと捨てるって何だよ、役人も政治家もあまり何も言わないのは、多分、どうせそこに、あまり利権がないからに過ぎないんだろう。といいつつ、最近ニュースにもならないからどうなってんの?本棚も奈落の底の方になると、もう見えないというクリーミーな状態である。随分と混じって醗酵しているので、どなたか味見よろしくお願いします。非常用食品庫には、ちゃんと、こういった常連の商品が蓄えられているのが、我輩のぬかりなさである。但し、水がないと、齧っても、喉が渇くと想像される。しかも、年に1度は、新旧交代のために、このようなレトルト品を食するのである。大パーティである。体に悪いといっても、年に1回ぐらい、許せ、アニキ!予想に反し、シンクは美しいのである。キャベツが固まって、包丁の刃から取れなくなる程度である。正に、シンクシンクシンクの3段活用である。棚には、うまい具合に規則正しく、いろんなものが並んでいるのである。正に、ここだけは、完璧、セイントプレイス、ホーリープレイスである。私の胃と同じである。ダイニングテーブルの下も、荷物や売り物や荷物やゴミやくずやチリやトイレットペーパーやハンガーや誇りでイッパイなので、そう易々と座れるような状態ではないのである。誰か、私を椅子に座らせてください。そうね、クリスマスだからね、でも、発火すると、間違いなく、火事になるね。家事になるように、誰か来てね。沸点低いよ。実は、何を隠そう、この雑誌と新聞の山を越えなければ、玄関に進む道が閉ざされているのだ、老け行く私に誰か、バリアフリーの道をお願いします!まあ、第一書庫の部屋の奥にも行けないね、道を開けろ!ドアを開け!放浪さんを通せ!まあ、措置なしだね、早く来てください、G-3さん!モウダメ。床に服を置くのはやめることから始めるのが、来年の目標とします。元あった位置に戻す!とオダギリさんに厳命されそうです。それでは、寝ますので、おやすみ、扇風機片付けないとね、皆さん、良いお年を、寝酒で寝ますよ、今年の日記は終わり、留守中に誰か掃除しといてね。今年も最大の目標であった、掃除がデキマセンでした。グゲエ。来年の目標も、ハルジさんとトライアスロンに出るか、アオタキョウコさんの日記更新を願うかに賭けるか!ああ、あけまして、晴れておめでとうさま。またいつか!
2007.12.26
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人生自体が余りの連続なのであるが、今年にケリをつけるために・・・明日への活力のために。スノッブな私は、茶をしばくために、生活しているともいえる。それが、茶シバキ道である。エコロジーな私は、山形県で風力発電を見たとはいえ、冬になってもガス代が1000円未満、電気代が2000円未満というのに、水道代だけが、最低料金が設定されているために、もう下がらないのである。エコロジーが流行っているけれど、仕方ないけれど、アメリカ消費快楽型省エネに過ぎないのですね、屋上緑化とかLEDとか節電とか。勿論、誰も、車をなくしましょう、電気を止めましょう、太古の昔に戻りましょうとは、言わないし、まさか減らそうともいいませんな。遺跡好きの私は、沖縄でさえ、世界遺産を見るのである。世界遺産制覇まであと、2000000日である。世界遺産は、多分、10個ぐらい見たような気はしますが、もしかしたら11個ぐらい見ているかもしれません。蛇好きの私は、昔は気取って蛇や髑髏の指輪をしていたが、今は、ホウロウサンの神聖な職種を侵してはいけないと思い、指はスッピンである。IN沖縄。小学生の頃、蛇を見つけると、捕まえるのが好きでしたが、一回かまれました。青大将で良かったです。マムシなら、頭が熱くなっていたことでしょう。ハブ酒が嫌いな私は、その理由として、学生時代に、イッキノミで、ハブ酒しまうといい、ビールに、自分のハブを入れて一揆飲みするバカがいたからである。その第2弾として、マリモ酒をするから、憎い奴であった。でも、他人に飲ませないからまだ良心的であった。IN沖縄。美しいものが好きな私は、美しいとは何かを考えてみると、汚くて美しいものは詩的であるが、綺麗で美しいものは、ただただ美しいだけであると、分かったつもりになれるのである。ATブルージュ、INベルギウム。ドライブ好きとはあまりいえない私であるが、八丈島は十二分に1周成し遂げたのである。八丈島は唯一の平野部分に無理やり空港を作っているという合理主義の元に成り立っているのである。殆ど空港の敷地が、島内の住宅機能を発揮させられる土地の3分の1ぐらいを占領しているかのように見えるんである。自分の住む町に愛着を感じる私であるが、関西人ちゅうのは、海外に出ると、出会う日本人に大阪人でない限り、間違っても大阪人とは言わない生意気さで、京都ですとか神戸ですとか西宮ですとか吹田ですとか、いうのである。その裏に、関西といえど大阪人ではございませんと言いたげな生意気さなのである。島々を多く所有する私であるが、五島列島では、五頭うどんを食った。ちなみに長崎県である。今年も饂飩にもそばにもパスタにもお世話になった。島々を多く所有する私ではあるが、対馬では、韓国みて、半島をいつ買うか迷うのであった。ちなみに長崎県である。焼肉以外の韓国料理の好きな私であるが、猪飼野という地名ももう数箇所しか残っていない大阪市生野区であった。心残りの或る、白浜を後にした私であるが、心残りなのは、時間的に、変な神社に行けなかったからである。再訪を予定している。グルメな私は、香港で台湾料理を食べたことは秘密にしておいてくれ。戦争嫌いの私は、それでも、心に刻むため、ベトナム戦争でアメリカが残して言った戦車を見るのである。自分が仏なので鬼嫌いの私であるが、なまはげは愛嬌ある鬼である、秋田県よ。こういうのは、まあ、好きかな。
2007.12.25
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1年を振り返って(題目及び企画ぱくり企画)遭遇した風景(急遽後半編)7月ジーザス、シーザス、Ohジーザス!神戸の高級街で胸の谷間を出したわ!オーマイジーザス!あー。ジーザス、シーザス、Ohジーザス!土佐でゴメンねを研究飴!オーマイジーザス!。八月ジーザス、シーザス、Ohジーザス!バンコクでおたごを食べた男!オーマイジーザス!。ジーザス、シーザス、Ohジーザス!亀ギターでフェンダーバリバリ伝説!オーマイジーザス!あー。9月ジーザス、シーザス、Ohジーザス!こういうところで勤めたいあるよ!オーマイジーザス!ジーザス、シーザス、Ohジーザス!休んでいこや、四国は二西条市、オーマイジーザス!10月ジーザス、シーザス、Ohジーザス!東京で、コスプレじゃ、ジャージャージャー、あれ、これは終わったんやったわ!オーマイジーザス!ジーザス、シーザス、Ohジーザス!、オーマイジーザス!台湾で、男装女装なんでもありじゃあ、ジャージャージャー、あれこれは前回終わったんだった!オーマイガー!11月ジーザス、シーザス、Ohジーザス!、オーマイジーザス!佐賀で血の道を見つけたなり!切腹なり、オーマイジーザス!ジーザス、シーザス、Ohジーザス!デキモセズ!オーマイジーザス!ジーザス、シーザス、Ohジーザス!オー、トニー!石垣島でトニー汁!オーマイジーザス!。12月ジーザス、シーザス、Ohジーザス!羽田空港にて、ラーメン食う!オーマイジーザス!まあ、そんな訳で、今年も勝手に終わろうとしているのであった。こんなことでいいのですか?
2007.12.24
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人生自体が余りの連続なのであるが、今年にケリをつけるために、
2007.12.23
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マヤインカアステカ展に行ってきた。雨と言うのに、閉展間近なのか、来場されている方々も多かった。本当に、こういうのに、興味を持つのだろうか、キット、持っている人々なのだなあ、と思う。それにしても、年配の方々に混じり、かなりの確率で、若いカップルや女ベック、若いデコラ爪女の子トリオ、一人若い女も多く、マヤじゃインカじゃに関心があるんか、と少し感心した。アフロヘア若男一人とか、私のような一般ピープル普通のリーマン風というのは、かなり少数派であったことは否めない。この辺の輩が、一番、こういうのに、関心を持つと思うのだが、世の中のおっさんたちは疲れ、若い男どもは、まったりと小さく固まっているのかも知れない。 何を隠そう、私は、まあまあ遺跡好きでも、有名なのである(3人程の友達の中で有名なのである)。しかし、遺跡というのは、行ってみて分かるという類のもので、遺跡の周辺というのが面白い。考えれば、思い出深い遺跡のひとつに、インドネシアのジャワ島中部のボロブドゥール寺院があるが、何が面白かったと言うと、椰子の深山の中に、突然現れる巨大建築物というシュチュエーションが面白く、そんな意味では、マヤ遺跡が、ジャングルの中にあるというのが、また、マチュピチュが深山の山の頂にポツリとあるのが、何とも面白く、何故か、展示物よりも、ハイビジョンでの映像ばかりを見ていた。ところで、この博物館にも、1階の神戸市歴史常設展にも、1組だけ、人形があるのであった。居留地のガイコツジンの生活である。 それにしても、やはり人気があるコーナーは、生贄としての骸骨や、ミイラの展示コーナーであった。人は、死ぬことについて、覗いてみるのが、好きなんだねえ。ところで、昨晩は、恒例、高級焼肉である。肉はあまり好きでない私でさえも、値段を確認して「ウマイ」と叫ぶ俗人である。「これ、1枚500円!ムチャうまい!」「これ1枚350円、シブイ!」といちいち、価格表と照らし合わせながら食う悪人であり、堕落人である。
2007.12.23
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人は、それぞれのシーンにおいて、それぞれの音楽を聴いて思い出す。ロキシーフィリピンのビーチにいる時に、地元のバンガロウの女主に、明日、バンカで無人島に行かないか、もちろん、西洋人観光客達が金を払うので、エキストラでいいよ、と言われ行くことにした。数度の再訪だったので、女主は私をみつけるや、自分の住むバンガロウの隣に勝手に私をチェックインさせているほどの豪腕ぶりであり、フィリピンにありがちであるが、旦那はちっとも働いていないの構図であった。その旦那が珍しく声をかけてきたという按配であった。 翌朝、バンガロウに呼びに来てくれ、バンカのところまでいくと、でっぷり太った西洋人4人と、それぞれが、マニラあたりで連れてきたフィリピン女性、そして、私と、船を操作したり荷物を運ぶフィリピン男性3人がいた。私は、バンカの先頭に乗り、ラジカセをかけた。西洋人から見ると、現地人男が4人いると思っていたようで、ラジカセでようやく私が観光客であることを分かったようであった。かかる音楽は、ポリス。ロキシーが流れると、フィリピン人女性たちが「ワオ。ロキシー!」といって細いバンカの上で、体をくねらせ踊る南国、サンゴ礁の上に浮かぶバンカであった。 ヒートオブザモーメント高校の時に新しく出来たレコード店の店長と仲良くなり、その粘土臭のするレコード屋で、何かいいのないですかねえと聞くと、「最近(1982年)、すごいバンドが結成されたんだよ」と興奮気味にエイオーマイジーザス!を出してきた。そんな訳で、勧められるままに買ったのが、ファーストアルバムで、その後、いくつかはヒットソングとなったんであった。(エイオーマイジーザス!と、クイーンのベストアルバムを買った。ベストアルバムは記念号として2000円であった)。考えれば、それを元に、イエスやキングクリムゾンやらプログレを聞くようになった気がする。アイサレンダー 中学校のときに、一番自分の中で流行ったのが「レインボー」であったと思う。よく聞いていたのであるが、ある晩、勉強をしていると、(ふりをしていると)、ふと、酔っ払いが、大声で何か叫んでいる。何か歌っているような感じで、よく聞いてみると、何ともマイナーなポップになったレインボーのヒットソング「アイサレンダー」であった。少しびびり、少し興奮した。 バッファローソルオーマイジーザス!陳腐かもしれないけど、レゲエというかボブマリーに目覚めたのは、バリ島でであった。バリ島で、よく流れていた当時、テープを買いまくり、それからインドネシアを北上しながらも、宿屋にカセットデッキがあると、かけてもらっていたのであるが、ある日、スマトラ島のトバ湖で、是非記念にうれと宿屋の女主に言われ、口論になっているときに、するりと売人がきてパチモンをつかまされた唯一の苦い経験の過去を持つ男です。
2007.12.22
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1年を振り返って(題目及び企画ぱくり企画)遭遇した風景お待ち兼ね、紺桔梗さんのパクりシリーズ第2弾である。勿論、本人の断りは、一昨年中に入れているので、大丈夫である。ジーザス、シーザス、Ohジーザス!、ハイ!。オーマイジーザス!。1月ジーザス、シーザス、Ohジーザス!、カマスでカマース、カモーン!オーマイジーザス!。2月ジーザス、シーザス、Ohジーザス!こられんのかい富山!。オーマイジーザス!ジーザス、シーザス、Ohジーザス!、八丈島で寿司食え!オーマイジーザス!3月ジーザス、シーザス、Ohジーザス!、大阪で、裸の好きなしょーちゅー、オーマイジーザス!ジーザス、シーザス、Ohジーザス!、四国香川で、こんなに怖くない鬼なんて悲しいぞ!オーマイジーザス!4月ジーザス、シーザス、Ohジーザス!、山○組の裏です!オーマイジーザス!ジーザス、シーザス、Ohジーザス!何故か、中の見えないコンビニIN博多駅前!オーマイジーザス5月ジーザス、シーザス、Ohジーザス!秋田まで来て、こんな地上で食いとうない!オーマイジーザス!。ジーザス、シーザス、Ohジーザス!考えるよ。オーマイジーザス!ジーザス、シーザス、Ohジーザス!催眠されたわ。オーマイジーザス!6月ジーザス、シーザス、Ohジーザス!893、北海道摩周湖周辺に現れる。オーマイジーザス!疲れたから、半年で終わるよ、じゃね。とにかく、今年前半は、騙される日々では会ったが、まあまあ、不屈の精神にて普通の年だったかな。とにかく、そろそろ、これから年末に向けての、パッケージツアーに申し込んで、パッキング及び、ルーと探し及び極悪プレイス探しに勤しまないといけないので、本当は日記なんか書いている時間がないというのに、ついつい癖で書いてしまうところが、ザブロガーたる所以なのだろうか。嗚呼。
2007.12.21
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紺桔梗さんのパク利シリーズである。勿論、本人の断りは、昨年中に入れているので、大丈夫である。1月ジャージャージャー、ハードコアなオランダ人じゃー。2月ジャージャージャー、対馬猫に会う。3月ジャージャージャー、網走で、裸の入墨男じゃー。4月ジャージャージャー、実家近くの寺で、孫悟空じゃー。5月ベトナムで、ベトコン捕虜じゃー。ジャージャージャー、秋田で地蔵たちじゃー。6月ジャージャージャー、釧路でタンチョウ鶴じゃー。7月ジャージャージャー、大分で白雪姫じゃあー。ジャージャージャー、銃殺目前の万里の長城の観光客じゃー。八月ジャージャージャー、青函連絡船で、カレーライスで酔っ払った男じゃー。ジャージャージャー、バンコクでコンドム衣装男じゃあー。9月ジャージャージャー、四国の炭鉱家族じゃー。10月ジャージャージャー、札幌で馬男じゃー。11月ジャージャージャー、ジャッキ-ジャー。12月ジャージャージャー、鋼鉄の処女じゃー。まあ、そんな訳で、これらは知り合ったほんの1部の方々でしかないわけで、出会いの多い実りの少ない年であった。
2007.12.20
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秋桜と書いて、メキシコから入ってきた花で、コスモスを当て字にしているが、その当て字のことではない。十月桜を含めて、秋から冬にかけて咲く冬桜というのがある。紅葉と桜が混じり交じって更に「狂っている」感を盛り上げてくれる。何とか、人は、話をするなり、書くなりして、何とかして言語化することによって、苛立ちや、悲しみを和らげエネルギーを分散させるものかもしれない。言語化をうまくできない子供は手足をばたつかせて転がり、そのまま大きくなってしまうと、遂にきれたり、暴力や殺人に転化してしまうのかもしれない。饒舌な殺人者というのは、あまり聞いたことがないような気がする。あくまで気がするだけだが、さらにそこに詩的なるものが必要だろう。詩的なるもの、生きていくには必要ないが、なければ、ただ生きているだけである。生物学的に言うと、生息しているということになる。詩的、どちらかというと、遠まわしのやんわりした現実のことであろう。「もう大人なんだから・・・」「まだ子供なんだから・・・」と、たいていの人は、相手の都合よくダブルバインドされて育ってきたと思う。そして、今でもなお、紋切型の用語の言葉に翻弄されている。「情報化社会だから・・・」「IT社会だから・・・」「少子・高齢化だから・・・」「日本人は集団主義だから・・・」そのことを疑わず、思考停止のまま猛進しなければならない気にさせられている。今まで、何度も、秋桜を通り過ぎたかもしれない。でも、見たいものしか、見えない人間の性。
2007.12.19
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何を隠そう、会社を首になったのではなく、社員が全員夜逃げするのでもなく、事務所の引越しなので、エエイといらない名刺を捨てるとダンボールイッパイになった。もう連絡の取れなくなる人、ゴメン。そんな訳で、早々に仕事は切り上げ、まだ明るかったので、滝を見に行くことにした。何故なら、この正月は、ブラジルからイグアスの滝 に行く計画をたてたのに、ブラジルにビザがいることが判明し、ビザにはチケットがないために、残高25万円以上の銀行証明書がビザ取得に必要なことが判明し、そんな大金を私ごとき平民が持っているはずがないので、諦めた次第であったので、代わりに近場に行くことになったのである。しかし、いくら近場といっても、行くのは、ほんの3年ぶりぐらいである。当時、高校生であった私の時代にも、合ハイという言葉はなかったけれども、実質的に合ハイみたいな感じに勝手になっていたのである。というか、同じクラブの男女で行ったので、合ハイという形式こそとれ、誰も彼氏彼女目的でもなく、ただただ、実質的には、合同でハイキングに行っただけの「合ハイダケ」であった。そんな訳で、誰も、歌うわけでもなく、あくまで体力勝負の気力勝負の最後は男性同士の競争となり、その競争は女性奪取戦ではなく、麻耶山頂上一番乗り奮奪戦であった。そんな事情もあったので、女性陣は取り残され、最後には、走って山を登ると言う知恵と頭脳と体力勝負と化していたのであった。家の近所の滝は、車を不法に停めてから直ぐのところにあるのであるが、近くだからといってなかなか行かないのも世の常であり、滝に癒されるなどという崇高な思想もなく、涼みに行くほどの季節でもなく、紅葉と滝といた美しい風景も先週頃に終わっており、懐かしさもないほど忘れてしまっていたという程度であった。それでも、滝の横で、ゆっくりするのも、なかなかオツなものであった。まんじゅうでもモッテッきたらよかったと思ったくらいである。(普段は饅頭は食べないけど)3年ほど前に栃木県か群馬県か分からないのであるが、自殺の名所華厳の滝を見学しようと思ったのだが、あまりにもの渋滞だったので、やめたと記憶する。それでも、あの中禅寺湖辺りの風景は美しいものであった。ナウルという世界で3番目に小さい国で、首都を持たない国が赤道近くにある。周囲20キロ程度の島である。この国は変わっている。今、成人病の多さが世界一で有名だが、そもそも、殆ど国民が誰も働いていなかったという国でもあった。それは、良質なリンが発掘されて、1万人そこそこの国民を食わせるに十分になったのであった、もともと、この島は鳥の糞の上に成り立っており、その糞がリンを生産したのだが、90年間掘り続け、ついに 1990年代掘りつくされてしまったのである。それまで、この国の世界観光とか結構有名だったようであった。数年前にいたっては、各国との音信が不通になりクーデタかと思われたが、通信手段のお金がなくなったとのマヌケな報告もされているんである。 先日、ナウルの現状をテレビで見たが、失業率は以前90パーセント、90年代まで潤っていたので、誰も働くという概念まであまり分からない人々も多いというのが現状であり、テレビ局の人が、走っているバイクを呼び止めたのである。「何をしているのですか、どこへ行くのですか?」とインタビューすると、「暇だから涼むために島を何周もしてるんだ」という意見であった。何度かバイクを呼び止めたが、ほとんど皆同じ返事であった。まさしく、トンデイル!で、まあ、なんでナウルのことを書いたかというと、そのインタビューでタイのコサムイに行ったことを思い出したからである。コサムイには、数回行っているのであるが、いつもレンタルバイクを借りて、意味なく、ブットビ名から島を一周するんどえある。忘れたが1時間もぶっ飛ばすと1周できたような気がする。それを、ナウルの人間と同じように、暇、なので、ぐるぐる回るのである。快感である。ビーチや南国のいい景色以外に観光地は別段ないのであるが、唯一、2つほど滝があるのである。それも、なかなかショボイ滝なのであるが、結構、みんな、暇なので、滝に集まってくるのが笑えたのであった。涼んでいるのである。なんだか、今日はそんなことを思い出したのであった。ああ、そういえば、題目の彼女のこと・・・?エレガンス系、遊び系、贅沢系、インスピレーショ系ン、スタイリッシュ系、ハイライト系、シンプル系、モダン系、シック系、優雅系、誠実系、正直系、自信系、セレブ系、美しさ系、情熱系、才能系、ハッピー系、 尊敬系、冒険系、ハート系、祝福系、色系、内面系、可能性系、官能美系、マジック系、創造性系、ゴールド系、 リボン系、印象系、フェミニン系、グレート系、喜び系、上品系、魅惑的系、愛系、表情系、センス系、 ボリューム感系、暖かさ系、etc系 このくらいでいいかい?飽きたから。ちょっと古いがナウル情報
2007.12.18
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上野系の不忍池の向こうにはかつて、ソフィテル東京系があった。あの背の高いマンション系の隣にあったのだが、残念ながら昨年末にお亡くなりになった系なのであった。何を隠そう、ここの風俗系と言う言葉に、ビビッドにビビッときた訳ではなく、この裏のマクドナルド系の中の公衆電話系で、大学の卒業を知ったのであった。知ることにより、自動的系に、明日の入社式系に出席系することも、同時に決まった系なのであった。そんな由緒あるファーストフード店系の裏側にこんな資料館系があるまで知るまでに、随分、役職を上げなければならなかったのであった。しかし、私は、この公衆電話系から関西に電話系した時の、自分の第一声系を覚えている。「今、そっち何時?」大学吸引器系とはいいながら、そのガラ系スの風貌系と使用上の姿系は、ボングのようである。(ボング=シバ神に会う為の道具系)この前、久しぶりにクレイジーキャッツ系を借りてきて見た。夫婦系の会話系が聞こえてきた。妻「なあ、渤海いう国系知っとう?」夫「ああ、朝鮮半島の北の方にあった国系やろ。高校の教科書系で習ったわ。それがどないしたん?確か日本からも新羅や高句麗と同じように、大和朝廷系と交流してた国系やろ」妻「あの国はねえ、遼に滅ぼされたということになってるけど、突然、ある日忽然と情報系が途絶えて、歴史系から消滅系した国系らしいよ。」夫「へえ、それはどういう系?」妻「日本や中国の唐にはその記録系が残っているのに、肝心の渤海に残された資料系は何もないどころか、首都のあったらしい遺跡系はほとんど分からないし、遼がその後、渤海の文化系や都市機能系を引き継いでいないので、変遷系が分からなくなっているらしいよ。夫「中国みたいに、権力闘争系の歴史系の国系でも、それぞれの王朝系や政権の記録系は残っているし、引き継がれている文化系が多数あるというのにねえ。遼は、渤海を滅ぼして、そのまま何もせず、何も引き継がなかった系ということなんだねえ」妻「どうやら、遼が渤海を滅ぼした後で、大噴火系が起こって灰が領土系を覆いつくしてしまったという説が有力だそうだよ。その噴火した山系が、ほら、勝手に金日成が生まれたことになっている白頭山系。」夫「ところで、江戸時代は世界的例外系かも知れないなあ。この渤海という国も建国系当初以外は、ほとんど内乱系も周辺諸国への武力闘争系がなく、200年も平和系な時代が続いたので、悲しいかな、攻められてあっという間に潰されてしまったんだなあ。ほんま、平和系な時代と言うのは、歴史的に例外系な時代なんやなあ。茶入れてか」妻「自分で入れな系」その後、アメ横系に行ったのだが、行ったのは、8,9年ぶりであった。あの時は、北極圏系に行くので、何か傍観具は、いや、防寒具系はないかと探すと、おっさんが、これは米軍系がマイナス40度の中で活動するためのジャンバーだと嘘系を言って買わされたものである。何せ、着ると、腕が曲がらない系なのである。デイパックを肩にかけられない系なのである。二の腕の先から肩にはいかないのである系の困った代物であった。仕方ないので、男ビデオ系でも買って帰るか。
2007.12.17
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私は、こう見えても極悪人ではなく、その辺にいるいい人と同様、妹思いなので、妹のことを心の中で心配しながらも実際には何もしていないわけで、いい表現で説明すると、黙って見守っているサッポロビールといった状態である。何せ、イギリス人と結婚sうるというので、結婚式のために、わざわざイギリスまで行ったぐらいである。それに、母親思いも兼ねているので、母親をも連れて行ったぐらいである。おまけに、母親には、帰りにパリまで案内したぐらいである。おまけに、パリに行く飛行機の座席ポケットにパリのガイドブックを忘れてきて、空港からいきなり、困ったぐらいである。何せ、飛行機の予約をする時、ネットでするなら恥ずかしくもないのだが、電話で予約する時には、旅行代理店の受付の女性に、姓が同じなだけに、それとなく、妻でなく母であることを分からせる必要なんてないのに、わざわざ、母の名前は・・・などと枕詞をつけるぐらい恥ずかしい思いをするなど、苦労は絶えないのである。そんな訳で、遠く1万2000キロの彼方のイギリスの田舎に住む妹夫婦の消息にも詳しいのである。詳しいのは、実際は、私の両親であり、野暮用で実家に今年2,3回目の訪問にして、両親により、聞かせてもらったから知ったのである。しかし、その前に、写真の新聞に載っているように、高齢のために三ノ宮のセンター街にある創業100年の古本屋が、高齢後継者なしのために、来年早々店じまいするのである。それが夕刊トップ記事になる神戸新聞もなかなかのことかと思うのであるが、実家で、神戸新聞を購読している両親は、神戸新聞は記事がローカル過ぎて、何だかなあとぼやきながらも、ぼやき続けて6年ぐらいたっている。それまでは朝日新聞であったというのに、何故新聞を切り替えたのか、心境の変化なのか、ついてくる商品やチケットの誘惑に負けたのか、今やその事実を知るには、両親に直接聞いてみるしか知るすべはないのである。 さておき、学術書がメインのこの古本屋は、結構いつも空いていたがかなりの大型店で、関西で最大の学術書のそろった古本屋などといわれていたのであった。店内には確かに大学関係者らしい人や、私のような訳の分からない外国に住んでいると思われている人ぐらいしかおらず、なかなかピチピチギャルやワクワク電波系なんかはいないのであった。しかし、惜しまれる店がまた減るのである。ところで、先ほどから、何を訳の分からん写真を掲載しているのだ、という疑問にそろそろ答えなければならない時間がやってきたと思われるのだが、これは、一瞬にして答えると、元馬小屋であり、現妹夫婦の新しい家である。勿論、馬小屋を改良するのが大変だったようで、はっきりいって、ワンルームである。それどころか、今流行の二世帯住宅にしたようである。親の家は、隣の白い家のようである。(多少間違いは或るかもしれないが、少なく見積もっても、2戸家があるように見える)家の裏から見た光景であるが、何故か湖がある。何故だかは知らない。多分、これは2年ほど前に、妹の旦那の母が買ったと言うカントリーサイドの家と土地のことであろう。7億円というから、多分、イギリスは物価も給料も収入も日本の15倍ぐらい高いと想像されるのであった。その割には、ガソリンがもったいないからとマニュアル車を買ったり、野菜を買うのがもったいないと植えたりするのだから、私にはよく分からないが、とりあえず、妹思いの私は、幸せになって欲しいと切に願い、しわよせは俺だけで十分と、兄貴風を吹かすのみである。その前に、ヘリコプターは飛んでこないから、ヘリポートは撤去したら?と老婆心に思いながら、私の自家用ジェットが離着陸できるように、早く、滑走路を作っておいてくれと、伝言を申し伝えながら筆を置く。(というか、タイピングの指を止める)
2007.12.16
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優雅に、パンと、ワインのみに生きるのである。鍋の中は、面倒なので、私の頭の中と同様、空っぽの妄想系である。マジチョー簡単系。その後は、グミでも食べるか俊巡系。ゴールデンエッグスにはまっているので、飯より、DVD鑑賞なのである。公式サイトン、結構、イケテル系で、シュールな爆笑系使っているのは、大阪市平野区でしか売っていないポン酢である。勝貴屋(しょうきや)のポン酢では、。何でも夫婦二人で瓶を手洗いし、ラベルを貼り、出荷しているという小さな店で、その手作りのおいしさはまあまあ有名のようなのであり、店のなかには、何と、ポンズの大中小しかない。しかし、味は、ポンズというより、ほとんど柑橘系。こちらは、ボウズ。こちらは、マジ、ジゾウ系。食後は、更に柑橘類で、胃腸のカスを洗い流すつもり系。こちらは赤薔薇こちらは白薔薇こちらはバラバラ
2007.12.15
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先週の土曜日の東京ぐらいから、首の調子が悪くなってきた事実を全世界に向けて公開しておく。元来、VIPの健康状態は、国家機密になっており、それを商売にしているものもいるのである。勿論、かのフーバーFBI長官も、VIPの性癖だけでなく、病気状況も把握しており、それで、VIPを脅していたのである程である。そんな訳で、私は、その後、忘年会を重ね、仕事のフリをする激務を重ねたため、首が本格的におかしくなってきたのである。だから、本当は、食後のウチのカオスを紹介するつもりだったのであるが、火曜日の夜のことである。そう、昼間は特に問題ないのであるが(せいぜい、上を向くことが苦痛なぐらいであるが)、首を枕やベッドや地べたにあてると、痛いのである。 これは初めての体験である。普通の病気や怪我では、横になるのが、一番であるというのに、横になると苦痛なのである。首が痛くて眠れないのである。困ったのである。痛くなるまで何故か10秒ぐらいかかるので、右を向き、上を向き、左を向きを10秒ごとに繰り返すと、思わず、眠る暇がないのである。これは、大変だぞ、酔っ払いでも、風邪でも、熱を出していても、起きていると、意識があるだけでもつらいのであるが、眠って意識を失うと、痛くもなんともないので、寝るのであるが、起きている峰が楽と言うのは、何度も言うが初めての経験である。熱を出したり、強烈な二日酔いのときの、眠って起きたときに、いつも思うのだが、刺されたり、大怪我をしたり、したときに死にかけたときと似ているのではないかと思うのである。例えば、通り魔にあって、メッタ刺しされたとする。イテエエエ~といって倒れる。倒れて意識を失うと、三途の川が見えるのか、どうかは知らないが、楽園みたいなものが見えたり、安堵したり、いや、何も感じなくて何も見えないかもしれないが、少なくとも、意識を失っているので、痛くも痒くもない状態である。しかし、フト、意識が偶然戻ると、イデデデデーとなり、痛くてまた意識を失う。そんなことを繰り返すと、次第に死んだ方が楽になるんではないか?と思うようになるのではないかと思うのである。ところで、話は戻って、睡魔と、痛みとの死闘は繰り返され、遂に不眠不倒の状態で、朝の5時になったところで、睡魔が遂に勝利したのであった。痛いくせに、眠ってしまったのである。勿論、眠りは浅く、ネバネバ怪物に襲われたり、ゾンビに襲われたり、言われたことの反対のことばを即答しなければ殺されるオバケに襲われたりして、それはそれで不快であったのである。 しかし、何とか、朝起きてからは、首に何も当たらないので、またもや平気になったので、仕事に出かけたのであり、夜になると、急遽忘年会が入り、セーブしなければ、寝不足なので、すぐに酔ってしまうぞ、と危惧していたら、危惧していただけで、即効で酔っ払ったのであった。しかし、それが幸いして、帰ってから、すぐに眠れたのであった。しかし、またもや、朝の5時に痛みで起きたのである。しかし、もうここまで来ると、眠るしか眠たくて仕方ないので、座って寝たのであった。座って寝ると、すぐに快適な2時間半が過ぎたのであった。ああ、また今晩がやってきた。もう、今日は、昼間、座って随分寝てしまったからなあ・・・こちらはHIPS、マジーチョーウザ系、本日オープン、前歩いたら、絶叫で五月蝿い系でも高松伸設計系
2007.12.14
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さて、テプコを出ると、そこは、関西で言うところの道具屋筋である、合羽通りである。何故合羽どおりというのか、何となく、探ってきたのである。世紀の大発見かも知れない。 伝承によると文化年間(1804~17)に、当地の住人で雨合羽商の合羽川太郎(合羽屋喜八)という人物がいた。この付近は水はけの悪い低地でアメが降ると洪水となり、人々は困窮していた。そのため川太郎は私財を投じて排水のための掘割工事にとりかかった。このとき、かつて川太郎に助けられた隅田川の河童が工事を手伝い、掘割工事が完成した。この合羽を目撃すると商売繁盛したという。まずは、テプコの入り口からして、河童が腰を振っている。河童が小をしているところが密かに写っている。しかし、変な河童に圧倒されて小さくなっている。カッパが逆立ちしたら、パッカと思えばお間違いである。やっぱりカッパである。カバが逆立ちしてもカバのままと同じである。河童滅多切り専門店。(きゅうりも切ります)合羽と河童の違いは何だ?河童については、以前、佐賀県で論破し尽してあるが、再度考察が必要である。 何となく、なきそうな河童である。多分、皿に水がなくなりかけているのであろうか?ここで、鍋の博物館を発見した。店内は鍋ばかりであるが、車もド派手である。しかも、ロボットは鍋で出来ている。博物館といいながら、売り専門でもある。しばし、騙されたか、という気分にもなった。更に、合羽通りをまっすぐ歩き、商店街が終わってしまっても、無理やり上野方面にグイグイ歩いていくと、ついに、源流にたどり着いたのである。その名もかっぱ寺である。これはなんだ?カッパか?カッパ発見!またもや発見。賽銭箱には干からびたキュウリが・・・中を覗いてみると、普通に見えるのだが・・・カッパがちゃんと飾られていた。側面もカッパであった。いやあ、よく分かったよ。その後、寺の入り口は、ご自由にお入りくださいと書いていたので入ると、センサーがピンポーンと鳴り、おばさんが出てきた。しまったといったが「あ、そのう、ボラブラ歩いてまして」と訳の分からないことを行って後ずさりした。おばさんも、はにかみ笑顔で、ときどき、カッパがいっぱいあると間違えて入ってくる一味と思ったのであろう。
2007.12.13
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さて、昨日の日記では、下町でエキサイティングしたあとは、1階、魔の窟に入るのである。プールに水を吐くスイマー。よくみると、裸でプールに入る女性も。お主、でっかい人間やのお。小学生ながらに、アース渦巻きのねえちゃんが、せくしいかと思ってました。せくしいと渦巻き商品に何の関連性もないことを知ったのは、高校生の春であった。なんだかんだいって、どれにもお世話になったことがありません。メンソレータムとオロナインのどちらがえらいのですか。看板を集めてどうするのだ、テプコ経営者である、関東電力さんよ。しかし、関東圏に住んでいないので、テプコとは何のことか分からん、初めて聞いた。さて、ペラペラ人間と風呂に行くのである。入り口である。覗きしてもいいですか?覗き無料。夕涼みOKです。どうなんですか?俯瞰。夕涼みOKです。バシタに石鹸借りる。ん?ん?ヤクザ?
2007.12.12
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はっきりいって、1ヶ月前の第2次調査である。とりあえず、神谷バーより始めるのである。ガイコツジンにも人気の店を通過して・・・私が、まず、到着したのは、テプコ浅草館である。無料であるところがスバらしい。受付の美女が、ただでキヤガッテという感じで笑顔で受け入れてくれるのであるが、関西から来たことは、敢えて、言わないのが、私のダンディズムでもある。2階は、一大浅草下町ストーリーと化しているのである。ペラペラハリボテ人形が、現実のテレビ水族館を見ていたと思うと、魚もニセモノであった。ゴルゴ13になりたいな・・・さいあく理髪店。ここで髪を切ると、頭爆発するカストリ美容師がいるという。街頭テレビである。1980年代にマニラではまだまだ見られた風景でしたな。未来人である私は、入場拒否された。最近、自家発電してる人、多くないですか?不寛容の時代です。おまけに、無関心になったのか、「あいつ、キレキャラやから」といって終わるようにもなっているような気がする。私は君子でもないのに、そういうのには近づかないセンサーがあるようなので、あまり嫌な奴にあったことがない。(或いは鈍くて気がつかない)おばけ煙突のビデオをスイッチオンすると、近隣のおじさんおばさんの「あれは懐かしいねえ」という思い出話ばかりであった。まあ、映画見てから茶しばいて怖いオバハン情熱的に、ナンパして、線路渡って帰るわ。
2007.12.11
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何度か描いてはいるが、親友の距離を測るのは冷蔵庫である。冷蔵庫の中は大変プライベートで恥部である。人の家に行って、勝手に冷蔵庫を開けられる仲というのが、親友度合いであると思うのである。・・・おう、冷蔵庫どうよ。近年の冷蔵庫は無意味に不気味に大型化してないかい?冷蔵庫の出現により、食生活は、太古の昔から昭和30年代より、急激に変化した訳であるが、今やどうよ。冷蔵庫が大型化しなければならない理由としては、正月に店が長く休む、住んでいるところから食料店が遠い、忙しすぎて1週間に1回ぐらいしか買い物ができないなどが挙げられるがどうよ。今や、どれも、解消されている問題である。そんな訳で、私も、冷蔵庫を覗いて見たが、醤油にポン酢、麻漬けの元、しょうがやからしの練り物、すべて賞味期限切れである。勿論、見るからに冷蔵庫に何かと、飛び散っており、開けるのも、躊躇するぐらいである。大変である。そんな訳で、入っているのは、ビールに焼酎、期限切れのスターバックスのドリンクに、期限内の水である。期限のないチョコレートに、期限切れのチョリソーである。モスクワは涙を信じないと同様、私も賞味期限を信じない。冷凍庫といえば、鮮度を保つための鰹節に、いつでも食べられるよう、おにぎりと氷である。食パンは3年前のものである。ということは、パンは食えども、食パンは少なくとも3年は食ってないということである。勿論、余計な調理器具はないので、トースターはないので、食パンを温めるのも、勿論、ナベである。焦がすぐらいで、特に問題はない。 そんな訳で、新たに、パスタを食うときのために、アンチョビペーストを新たに購入しておいたのである。何せ今ある奴はもう6年前のものであるから、何となく、躊躇しながらかけなくてはならないからである。皆さんも冷蔵庫で、一生モンがいくらあるか数えてみよう。半数が賞味期限切れなのではないかと邪推するのである。私も冷蔵庫の外に、地震用の賞味期限オーバー5年の缶詰が10個ほどあるが、まだ食べるつもりでいる。腹を壊すぐらいかと邪推する。そんな訳で、ラーメンの自動販売機でラーメンでも食うか。そういえば、柔道の井上コウセイが年を取れば、守屋元防衛事務次官現被告人みたいになるのであろうか、スルスルスルー(ラーメンを啜る音)。てなわけで、最後は、イグアナのガブ飲みってところか。酔ったよ、ウィー。(酔っ払いの心の叫び)
2007.12.10
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昨日の上海行鑑真号で一緒に上海まで行った(上海で別れた)大学の同級生Oは、遅れてきたヒッピーでありレゲエであった。ぐしゃぐしゃの長い髪の毛を振り回して歩く彼と、丸坊主に辮髪の私は、鑑真号で一挙、その由緒正しき風貌で、中身がないというのに、有名人、スターダムにのし上がってしまったのであった。ごめん。GIオレンジやタトゥ(ロシア)やミニバニリみたいな感じである。 私という人間は器量が狭いので、どうしても、働いてからは、どうしても、どこかで損得関係が生まれてしまい、親友と呼べるのは、どうしても、学生以前となってしまうのである。それに、親友とは、すべて心のうちを吐露するわけでもなく、暗黙知が働くものなのである。それに、酔っ払ったりすると、ちょっと弱音を吐いてみたりなんかしたり、しょちゅう会う必要もないのである。 インドやタイでメタンフェタミン系の○○中毒で死にかけたところから華麗なる復活を遂げたOであるが、今回は切腹である。客から預かった資金1億円を2週間で1000万円にしたからではない(それは、13年前にあったことである)し、ヘッジファンドで5億円の穴を開けたからでもない(それは3年前のことである)。そんなことでは、彼の鋼鉄の内臓を引き裂くことはできない。 単なる、こすりすぎ、不摂生で、内臓が爆発したまでである、加齢による不可抗力である。そして、3度死にかけて、復活したのであった。 まあ、そうでもいいんだけど、野暮用もなかったので、東京に行ってきた。明治大学である。そうである、私は、学問が好きである。明治大学博物館地下2階を目指すのである。何故、という疑問は特に無用なのである。あえていえば、ストイックなのである。いつまでも。ニュルンベルグの鋼鉄の処女である。アイアンメイデンである。かつて、アルバムは全部持っていたのである。刑事博物館であるギロチンである。ギロチン先生が開発したからギロチン。以上。鋼鉄の処女と一緒に並んでいるのがなかなかチャーミングかな。勿論、丸い穴は首をイレルところ。勿論、首をはねた後、落ちるところを受け入れるところの箱もあるよ。こちらは、貞操帯。十字軍なんかで、長く主人が留守にするからって、こんなの簡単にはずせるよ、ウンコもできないし、おしっこも、なんだか、困るじゃん、はねて。男性の洋式トイレ以上に撒き散らしてしまうよ。首が痛いと思います。首を釣ると、もっと痛いと思います。火あぶり絵に描いたらこんな感じですが、右の人は、暑いお風呂に入って上機嫌つう感じ。一文字でXをつくる訳ね。俵が新しくて、リアリティがないよ。重いんだろうな、と想像されます。黒い覆面もされるのでしょうか。さあ、どうなんでしょうか。そういえば、昔、マジ狩りで、ではなく、魔女狩りでむちゃくちゃ、嫌いと言うだけで告発されたり、金儲けのために、殺されたな。最高は、今の金額にして、2年でチクリで300億円ぐらい稼いだ奴もおるらしいな。しかし、あまりにも酷いので、魔女の財産は没収しないという法律をつくったとたんに、告発はさっぱりなくなってしまったらしいという。そんな訳で、御用だ!御用の後は、切腹だ。切腹って、介護人がいないと、むちゃくちゃ痛くて死ねないそうだね。腹を切りきるまでに、気を失うか、痛すぎて、裂く力が入らないそうだね、武士の情けだね。ついで。ニコライ聖堂ジョンの命日だな。
2007.12.09
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4年前の記事である。1987年夏の神戸港に行く前日に、一束の長い髪の毛を残し、丸刈りにした。船で、日本を離れるという楽しさ。意味もなく、紙テープを買い、意味なく、投げた。片道2万円と中国のビザ代1万円、48時間の船旅であった。勿論、何百人か乗っている私と、私の大学の同級生の不気味な姿に、一挙に、勝手に有名人になったようだ。ハゲにヒッピーが、ウロウロ船内を意味なく闊歩し、意味なく人々が道を開けてくれるのだ。 何百人も乗っていると、偶然にも同じ大学の人や、同じ高校だった人が声をかけてきたり、引率の先生のような人が「おお、君達、チベット組か」と声を掛けてきたりした。食堂では、中国ではなかなか手に入らないぞ、食塩!といわれ、机の上に置いてあった食塩を失敬した。そして、チベットで、地上に落としてしまい、割れた。中国各地に何百人という日本人は散らばっていくのだが、どこへ行っても、「ああ、あなた鑑真号で見ましたよ」と声を掛けてくる学生たちがいた。私も学生だった。船は、荒れた、優雅な船旅どころでなく、1日たった頃から随分、気分が悪くなってきた。何だか、えらく気分が悪いので、揺れるしかないと思い、船底にあった大浴場に浸かり、揺れていた。湯船の湯も、いつも揺れていた。自動販売機のタバコが免税になっており、日本国内フェリーとの違いをやっと少しだけ実感できた。卓球台があり、思わず、連戦連勝である。このまま、ヨーロッパに陸路で行くつもりだったので、中国のガイドブックがない。あるのは、船内でもらった中国の地図だ。上海での情報は、走って、浦江飯店へ行け、ということと、パンダがいるのではないかということ、上海バンド、和平飯店だけである。2日目の、遅い朝、起きて外に出ると揚子江に入っていた。海の色が泥に変わっていた。小さな舟が見えた。中国の国旗がはためいていた。船の従業員が、荷物を渡してもらい「謝謝」と言った。メインランドの中国人もお礼を言うのだと少し感心した。いよいよ、船は着きそうになると、多くの貧乏なザックを背負ったバックパッカーが、下船口に並び始めた。勿論、私も屈伸運動を終えていた。車が一台、持ち込まれようとしている。船に吊り下げられていた。上海は、生ゴミの臭いではじまった。土を踏む、そして、走る。どんな旅行者よりも、速く。浦江飯店には一番乗りだ!フロントで叫ぶ「部屋はあるか?」「没有!」2007年上海日帰り紀行関空→上海→関空マダムタッソー上海1マダムタッソー上海2マダムタッソー上海3上海闊歩上海歴史展陳列館1上海歴史展陳列館2上海歴史展陳列館3上海みやげ初めての上海1987
2007.12.08
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ラパスという南米のボリビアの首都は、富士山近くの高さがあるのさ。ほら、空気が薄いからさ、スハスハーっと厳しいんだよ。そんな訳で、この擂り鉢上の都市は、他のどんな都市より変わった土地柄があるんだ。世の中、上にいるものが、エライ、上に住むものが、エライ、あるいは、えらそうにするというのが、常套手段なのだが、ラパスだけは、高級住宅街が、一番どん底にあるんだ。そこが一番、空気が濃いからな。そや、いつか、ボリビアいこか?ゲバラの血が流れる国、そして麻薬の国や。 最近、投機筋の陰謀と投資マネーのダブツキにより、ガソリンが高くなったので、ぼちぼちしておれない状況であるんやでー(であるが、なすがままにやられている)。ところで、ガソリンが安い国はどこかというと、アメリカに対抗するチャベス大統領のいる南米ベネズエラでなんや。何と、日本の10分の1のままなのであるんやわ。(サウジでも日本の3~4分の1に過ぎないというのにである)そうはゆうても、まだ、あんたらは車運転せえへんからのお。終身大統領になったろとして、今日は、投票で敗れていたわ。そや、いつか、ベネズエラいこか? インドネシアのスマトラのミナカンバウ族や台湾のアミ族、中国のナシ族やブータン人なんかは母系なんやで。おまえらは、男女のことについては、おいおい学んでいくだろうけどな、多分、女系というのはな、結構、山間や閉ざされた空間にあった民族なんやと思うデ。こういうとここは、女性の性を開放せんと、血が濃くなってしまって、種の保存に適さなくなるから、母系になったんちゃうかと思われるんや。ん?種?性?まあ、それを知るにはもう少し先でええんちゃうか、だって、説明するのが面倒なんや。おお、そや、わしは、ミナカンバウ族の村にはいったから、そやなあ、ブータン行こうか? うちもわからんけど、離婚率が高まってきているって日本ではいわれてるん知ってるか?それでも、明治時代よりは、まだ少ないんやで。まだ日本hあ、3組に1組やけどな、世界一離婚が多いのは、ロシアや。3位のアメリカを除いたら、ベラルーシやチェコやキューバやウクライナや、つまり、結構、女性も自立して働いている旧共産圏ちゅうことなんや。そや、キューバいこうか?でも、ワシの妹が行った新婚旅行先でもあるんだけどな。ワシが、初めて水を買ったのが、インドネシアのビンタン島なんだけどな、舟に乗るからと無理やり、おっさんにかわされてんけどな、すごく損をした気になった1986年だったよ。今では、水を買うのも当たり前やものなあ。一番、水を買う国民はスペイン人やけどな、ヨーロッパに行けば気を付けや、ガスの水が多数を占めるからな。ノーガスかスティルウオーターゆうて水買わなあかんでえ。なんせ、ヨーロッパは硬水やからな、あの昔のアラビアのロレンスでさえ、エビアン飲んでたぐらいや。ええ、映画やで、でもゆーとったるわ。ロレンスも男色なんや。そや、スペインいこうか?あそこは、世界中の自然の景色があるぞ。 世界中はよお、紅茶が圧巻してるけどなあ、インドでも昔はチャイなんかなかったんやど。大正時代なんやけどな、イギリスの紅茶輸出支配に対抗すべく、日本は緑茶輸出を頑張った時期も或るんだわ。でもな、セイロンでやすーい紅茶の獲得に成功したイギリスに敗北したんや。わしは、大人になるまで知らんかってんけど、紅茶も緑茶も同じTEAなんや。子供の頃、茶はそのまま飲んで、紅茶には砂糖を入れていたんやけど、同じ葉や。同じと知って、わしはびびったで。だから茶を一番飲むのは、イギリスの隣、アイルランドや。対してコーヒーはフィンランドや。まあ、アイルランドを除いたら、リビアやトルコやカタールやの中東が茶のメインや、チャイハネで、茶をしばいて、砂糖齧るんや。コーヒーは北欧をはじめとしてほとんどヨーロッパやな。あ、そや、フィンランドいくか。あそこは親日的やし、言語も日本語と同じやで。勿論、親日的なんは、いじめられていたロシアを日本がしばいたからや。トルコやポーランドも同じや。いっておくけど、ナイジェリアだけは、ホモは違法、レズは合法だからな。でも、首都ラゴスは凶悪最悪の町のひとつだから行かない方がいいぞ。世界最悪治安悪い都市で俺が聞くところによると、ラゴス、南アフリカのユハネスブルグといったところか。それからメキシコシティの流しのタクシーには乗るな。国でヤバイのはコロンビアだな。アジアでも、最大終身刑になるのが、インド、シンガポールとかだから、おまえがそんなのになってしまったら、ヨーロッパか南米だけにしとけよ。そうだ、オランダいくか。同性と結婚もできるぞ。そんな問題か。あ、そや、インドいくか、絶対、死ぬまでに俺は何度も行く。 ところで、俺は、一時期、急いで旅行していたけど、そんな俺にとって便利な空港を考えると、日本では、やはり福岡空港だな。近い。外国では、フランクフルト空港だったぞ。10分で中央駅だった。アムスも4駅20分で便利だ。ヒースローも近いけど、いきなりリニアモーターカー採用の上海も30分程度で街中に「つくようになったし、香港も郊外に移ったが、30分で空港に着くぞ。いずれにせよ最悪なのは、成田だ。はやく、横田と成田交換しろちゅうのね。あ、福岡行くか。昔は、飯食いに、飛行機乗ったが、それで、今はこんなに貧乏になってもうたんや。道楽や。でも、今まで、どこが一番良かったってそのうち、おまえも聞かれるようになるだろう。しかし、そんなの幻想だからな。景色なんか、飽きるんだよ、誰に会ったかだろ、また行こうかと思うのは、そこにおもろい奴らがいるからだろう。外人でお前に会った人は、お前は日本人代表だからな。まあ、楽しみな。ムスメよ、親父からの老婆心や、ギャンブルにはまるな、わいには博才がないから遺伝的におまえにもない。財布も2回しか拾ったことがない。ドバイにいけば、1枚1万5千円のくじでポルシェが当たるぞ。確立は1000分の1や。3万円の宝くじやったら1億円があたるぞ、確立は5000分の1や。まあ、日本やったら300円としたら50万分の1や。どや。ドバイいくか、当たったなら、ハージアルアラブ7つ星ホテル1泊100万円に招待してくれ。でも5000分の1と聞いて、難しいなと思ったら、外れるからやめとけ。それにしても、おまえらが、旅行する時代には、今よりもっとネット社会になっているかもな。あるいは、値段がぐっと下がっているかもな。おいらはインターネット社会が生まれてきた頃の世代やったからな。ほんま、距離がなくなったことに、ほんまびっくりしたわ。隣に住んでいる友達より、海外との親友の方が連絡を密に取っているというか毎日連絡しあっているどころか、海外携帯メールだものな。デモ考えたら、親父とムスメが海外旅行するなんかありえないわな。あ、金だけだしてくれか。そらそや。あ、ムスメ、いなかった!
2007.12.07
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これは、人形の中でも珍しい、というか、人形ではなく、等身大の写真を貼り付けているペラペラ人間たちである。ロマンである。薄命である。大真面目な熱く薄い人々である。ボクも、こんな美人に接待してもらって、お世話してもらえるなら、このような翁になってもいいかなあ、って8パーセントぐらい思います。禁断症状で苦しまないように、死ぬまでお願いしたいものです。何故ゆえに、私に指を指す?何故ゆえに、子供に黒い変なベレー帽を被らせる?オニイサン、ニンギョウトアソビ?・・・イカナイヨ。人形と人間の区別がつかずに突き進む輩がいるからでしょうか、鎖で止められています。男って浅はかね。「其の子供、2人預かってくれや。じゃあ。」「ちょっと、旦那、待って下さい!このガキの髪型、変なんですけど・・」皆さん、意味なく、バルコニーに出て、当時から、いわゆる蛍族なんでしょうか?バルコニーの女性は鼻くそをホジリ、バルコニーの男性は背広を着たきりスズメ。新造人間を作ってるところです。これはなかなかスーパーリアルで、一瞬ほんまものの人間と間違えるところでした。作っている女性もハクイ女です。但し、マスターは新造人間作製には全く興味がなく、まるで客待ちしている床屋の主のようにも見える。白衣だよね。外灘(バンド)ですが、人々が小さすぎます。パチパチパチ・・・「うーん、あんたたちは3文の価値もない人形だねえ・・・2人で2文でどうだ?あっ、2厘でどうだ?」なんか、こういうのに、田中角栄と大平正芳がいても不思議じゃないんだよねえ。ところで、太平さんてとてもいい人だったらしいね。私、仕事、デキマセン。座っているだけなら、何とか、デキマス。「私の独白をタイプしてくれ・・・・私は、ビガーパンツとシークレットブーツを使用したことのある過去を持つ男です・・・」上海虱同好会。おれたちゃ、シラミ好き、しらみつぶしに精を出す野郎たちの集まりさ。グルーミング、好きなのさ。疲れたので飲みに行きましたが、どこも満席でした。ちょっと、服がちゃちくてすみません。「さて、歌いなさい」「アルゼンチンの子供、こども、こども~、アルゼンチンの子供、アルーゼンチンッコ~」「シャバに出ても、仕事もないし、こっちの方がいいよ」「お主、上半身裸で、スリッパやるか?」世の中はいい気に舞踏会を舞っていると同時進行で、乞食をするということも繰り返されている。そうえば、共産主義バリバリだった当時は、中国は平等、乞食もいないと喧伝されていたが、乞食はやっぱりいた。勿論、子供の乞食もいる(但し、顔にツヤだけはある)こんな掘っ立て小屋から背広着て会社に通ってることばれないようにしないとね。テヘ。俺の空、俺の船。俺の空、俺の仕事道具。やっと終わって、外に出たのだが、まだ最後にトドメがあった。それにしても、300体以上、時間も大きく予定時間の3倍を超え、もはや、よい子がおうちに帰らねばならない時間も近づきつつあった。死ぬまでらりっててもいいけど、こんな顔にはなりたくないよ。2007年上海日帰り紀行関空→上海→関空マダムタッソー上海1マダムタッソー上海2マダムタッソー上海3上海闊歩上海歴史展陳列館1上海歴史展陳列館2上海歴史展陳列館3上海みやげ初めての上海1987
2007.12.06
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O'Mally's Irish Pubで飲んだのは、前回、上海に来た時であった。客が殆ど欧米人なのは、恐らく、アメリカ大使館の近くだったからかも知れない。前回、夜は、上海で働いていた大学の後輩のレジデンスに行った。さすが、大企業の与えた駐在員向け住まいであり、地下にジムとプール、24時間エントランスにセキュリティ警備員、部屋はホテルのようで、ゲストルームがあり、シャワーバストイレもあった。家賃は上海であるが30万円ぐらいだそうである(勿論、企業持ち)。彼の仕事は、本来の仕事を離れ、従業員の首をどんどん切り、採用し、切ることに忙殺されていた。勿論、タクシー通勤なのだが、彼には子供がいなかったのでこんなシーンはなかった。 ある駐在員が日本に帰国することになり、成田に着いたら、子供がタクシー乗り場に行ったという。いやいや、電車で帰るんだよ、というと、「え、何故?どうして、どうしたの?」と言われたそうである。 2,3年後、或る喫茶店の昼食時に「取締役島耕作」を読んでいたら、上海で、あのレジデンスが出てきて、びっくりした。そういえば、住民のほとんどが、日本人欧米人駐在員だったらしい。 そういえば、後輩の嫁が、一応、挨拶のために顔を出してくれたのだが(夜中だったので、うっとうしそうであったが、それは当然である)、さすがに、ホンマモンのマダームに見えてしまったのも頷ける。彼女は、昼間、ホンマに上海有閑夫人をしていたのである、さまざまな非生産的な習い事や集会に精を出して嬉々としてすくすくと育っていたのである。(その癖は日本に帰国してからも治らず、彼の財布に羽を突き刺したのである。勿論、彼は、そんな事実に気がついていない) そういえば、私の同僚は、小遣い制であり、銀行カードとクレジットカードを持っていないので、給料が上がろうが下がろうが、何の興味もない状態で働いているのである。一応、システムを説明しておくと、給料日には、彼の口座から、一旦、嫁さんが全額を下ろして、彼女の口座に入れ替えることからすべてが始まる。そして、彼に、チンケな小遣いを与え、あとは教育費食費などをやりくりするわけで、最終的にその月に余った金額はすべて彼女の資産と成り果てていくというイージーなシステムである。私の安易な予測によると、彼が退職した時には、多分、放り出されると予測する。そのとき、当然ながら彼の所持金は限りなく透明に近い0円である。あー、そういえば、村上龍の「限りなく透明に近いブルー」の本当の原題は「お○○こにバターを」でしたね。(実際には○ではなくそのものです。勝手に禁止されているわーどになりました。デモ何が禁止ワードかわかりません、多分、これでしょう)2007年上海日帰り紀行関空→上海→関空マダムタッソー上海1マダムタッソー上海2マダムタッソー上海3上海闊歩上海歴史展陳列館1上海歴史展陳列館2上海歴史展陳列館3上海みやげ初めての上海1987
2007.12.05
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先日のことでは有るが、今年の紅葉はいまいちではあるが、ついでに、14ヘクタールも占領している外国人墓地も覗いてみた。展望台から一部俯瞰することができるが、おいそれと、入園はできないのである。外国人墓地と言うのは、結構少ないようで、他には、東京横浜大阪函館長崎あたりにしかないようである。 埋蔵されている主だった人々は以下の通り。· ジョン・マーシャル(初代神戸港長) · ルーク・ワシントン・ビッケル(宣教師、伝道船「福音丸」船長) · エドワード・ハズレット・ハンター(造船業) · アレキサンダー・キャメロン・シム(ラムネの発明者・KR&AC設立者) · モロゾフ(洋菓子) · フロインドリープ(ドイツパン) · ウォルター・R・ランバス(関西学院創立者) · イライザ・タルカット(神戸女学院創立者) · ハイト・ケンペル(日本最初の革靴製作者) · フランス水兵11名(堺事件の犠牲者) · ミセス・グリーン(ヒョウゴ・ホテル経営者) · R.G.スミス(博物学者) · J.ホール(日本で最初に蒸気機関車を運転した人物 それにしても、面白いのが、ゾロアスター教の墓地があることだ。何故、鳥葬の宗教に、墓があるのかは、分からない。ゾロアスターは、中国文明やイスラム、チベットといった文化ではなく、間違いなく、文明であったろう。しかし、今や、インドの主に富裕層の中で、パーシィーという名で生き延びているに過ぎない。ゾロアスター教は、今や世界に10万人程度しかいないのだが、そのうち3分の1がムンバイに住んでいる。ここにあるのが、沈黙の塔である。中には入れないが、球場のようになっていて、中で、鳥葬するのである。インド博物館にあった「沈黙の塔」の模型である。球場の中のグランド部分は、中央に向かって3重の輪があり、一番内側の輪には子供が、真ん中の輪には女性が、そして一番外側の輪には男性の死体が並べられるそうである。すると、どこからともなくコンドルなどの肉食の鳥がやってきて、死体をついばむと言うわけだ。そして鳥達の餌になることで最後の役割を終え、骨は真ん中の穴に落とされ、土に返されるのである。かつて、このゾロアスター教のダレイオス1世が、現イランのペルセポリスを建設したのだが、(アレクサンダー大王によって燃やされた)ここを見学している時、ゾロアスターの神、アフラーマズダが、日本の車のマツダがここから由来していることを聞いた。そういえば、MAZDAだと思ったものであった。ところで、富裕層が多いと言った、ゾロアスターだが、インドの2台巨大企業、タタとビルラはゾロアスターではなかったか。あと、有名なところでは、フレディマーキュリーである。(フレディは、イギリス領タンザニアのザンシバル島の生まれで、親の関係で、ムンバイの学校に通っていたそうだ)とこころ、ゾロアスターは、中国では、拝火教といわれているが、ゾロアスターはカスピ海あたりで生まれたそうで、中東に行けば、火を祭るというのが分かる。燃える、水。ところで、墓地と言うのは、時々、観光地化しているところもあるが、そう面白いものでもない。戦場に架ける橋の舞台、タイのカンチャナブリの戦死者墓地も、へえーで終わりである。シアトルにブルースリーの墓があるとか、個人的有名人の墓参りというのも、わざわざという感じであるが、激烈的ファンにとっては、そういうわけにはいかないのであろう。風車は、霊界への必須アイテムなのか。
2007.12.04
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ふと、再度、大学で勉強してみようという気にはならなかったのだが、結構、本来、しょぼくれた世の中に何の役にもたたない方面の学問の助教授ぐらいが、もしかして、お似合いの職業ではないのでは、と考え始めてはや20年の月日が流れている。 野暮な用事で、大学を訪ねてみたのだが、予定より約1時間も早く、わざと到着したので、懇願されていないにも関わらず、学内をご遊覧することにした。 何と、私が来るというのに、土曜という理由だけで、ほとんどの学生が休んでいることに、いまどきの若造は、と憤慨することから始めよう。それでも、私は、随分と、若者に対して寛容になったのである。私が卒業した翌年には(つまり、私が新入社員のとき)、学生に対し、この犯罪者たちが、と悪態をつき、叱咤激励したものである。勿論、前年まで自分が学生であったことは、その年の4月からすっかり忘れてしまっていたのである。何故、ダイガクに小学生の文章があるのか、疑問が生じた。よくみると、当の大学生のようであった。学生の言葉には、知能指数が低下したのかとびびるほどであった。多分、小学生に代筆とともに、言葉も考えてもらったのであろう。学生快感、否、学生会館は昔からレジャーランドであり、我々のネグラは、この4階にあった訳だ。勿論、YOU-ホステルではないが、レジャーランドでは、大学学生人数男女比8対2(約して4対1)であるにも関わらず、何故か、他女子大学から流入及び棄民を受け入れて男女比1対1と化していたのであった。コープランチ300円だった当時からすると、さすがに、値段は上がったように思えるが、バブル以降、インフレはなく、スタグフレーションだった。或る意味、相対的に日本は物価の安い国になった。100円ショップや通信費も不動産も案外と安いのである。80年代は、左翼系、学長批判など、まだまだ、危ない看板が60年代を引きずっていたが、今や、綺麗さっぱり主義主張がなく、清潔で寒しい学内となっているのであった。相撲しとけや。ところで、会合では、自慢話が長すぎる御年80歳になられる、某朝日新聞編集員だった方の演説がまた今年も長々と進むのであるが、80になっても夢を語るところが、スバらしいことだと思った。今、はまっているのは、イエティ(雪男)探しであるとのことで、10日後には、またネパール、ダイダギリ付近に行くとのことであった(34回目だと自慢はしていた)。イエティの話に出てきたのが、かつてチョモランマをスキー滑降した三浦雄一郎、フィリピンルバング島で小野田少尉を投降させた鈴木紀夫の話もでてきた。鈴木青年の2冊の著書のうち、大放浪では、イエティを探して命をかけているという話がでてきた(結局、彼はダウダギリ連峰にて消息をたった)ことを思い出した。 その大放浪の中で、印象深くまだ覚えているのが、ヨーロッパで電車でホモに触られて、急所をまさぐられたが、面倒なので、そのままさせてやったというくだりがあったことだ。面倒なのに、いっちまうとは、何だか、良く分からないぞ、青年! それにしても、大学も、随分、息苦しく、管理社会が進んでいるような印象だ。我々の時代は、4階から、ラダー(はしご)を、窓から降ろして、ビールを買いに行ったり、部室で焚き火をしたり、隣室からアコーステックギターを拝借してきて、ギター破壊したり、壁に落書きをしたりと、割と自由な校風だったのだが、今は、近くの河原で酒を飲むのも禁止、学内飲酒禁止、学内麻薬禁止、学内無断立て看板禁止、他大学学生のサークル勧誘禁止、立小便禁止など、かなり、禁止だらけであり、学生も、せいぜい、歩きタバコをしているぐらいが、反抗の関の山なのであった。そういえば、日本庭園と池があったことを思い出したが、この辺りだけが変わっていなくて、他は、新しく校舎が出来ていたりなんかして、自然破壊が進んでいた。地球温暖化に反するというものだ。それにしても、学生なのか今時の若者なのか区別がつかなかったことが、そのダブリ部分を彷彿させた。チアリーダー部なのだろうが、夜に帰ったとき、駅で鏡に映って練習している姿とそう変わらないのであった。それでも、微笑ましく、見守る私の心の懐の深さには、感嘆するしか、言葉が見つからないのであった。頑張れよ、と心の中でエールを送りながら、学内の安い喫茶店で、腹ごしらえをする健気な私であった。
2007.12.03
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フフフ、上海マダムタッソー蝋人形館3夜で、困り果てたと思いきや、それでやっと開放されたと、思いきや、そういうわけにはイカナイのである。ひつこいのである、まだ地獄の3日間が続くのである。 テレビ塔からの景色は、10分程度で終わり、早速地下階にいくと、テレビ塔と同じぐらいの歳月をかけて作ったと思しき、上海全精力をかけて作った人形館があり、その作りはちゃちいとしても、もはや見学時間を3倍もオーバーする300人がひしめいていたのであった。勿論、マダムタッソーに比較すると、随分、ちゃちいのではあるが、勉強になり、運動になり、お呆れになるのである。これで、当分、ゲップが出ると私自身が人形に飽きてきた次第である。まずは、チンレツ館に入る前に茶をしばこうかのお。から始まるのである。広いから、人力車で行こうか、帰ろか、上海バンスキング。この映画については、どのワンシーンも覚えていないが、日本映画であるということと、結構、よかったなあということしか覚えていないのが味噌である。やっぱり帰るか、上海前借王。それじゃー出発進行、一人芝居。ラストサムライやぞ(トムクルーズ)。ハイ!毛沢東語録!廊下に立っとけ!市電でも立っとけ!いきなり飽きてきた・・・巨大松葉杖。子供製造機。たらいひっくり返し機辮髪屋壊し屋駄々こねる理屈こねる屋子供お使い屋茶しばき屋どうする?こいういのが、永遠に続けば・・・さすがの私も飽きてきたよ。でも明日はもう少し頑張りたいつもりである。2007年上海日帰り紀行関空→上海→関空マダムタッソー上海1マダムタッソー上海2マダムタッソー上海3上海闊歩上海歴史展陳列館1上海歴史展陳列館2上海歴史展陳列館3上海みやげ初めての上海1987
2007.12.02
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原書 これらに当てはまっていても、それが本人のだらしなさ由来ではなく 他の子からのいじめによるものである場合がある。それをやっているのが 本人かそれとも他の子であるかという点には留意してほしい。ということである。先生の金言でもある。 1)筆箱の中身は揃っているか、ちゃんと削ってあるか、長さは適当か。 ボクは、自慢ですが、小学校6年間ずっと、象が踏んでも壊れない筆箱 だったので、友達や、自分でも何度も踏んでは遊びました。 小学校3年の頃にシャーペンが出ましたが、持つのは禁止でした。 (勿論、100円のプラステックシャーペンはまだなく、1,000円は しました) サクラクーピーペンシルを持っている人はステイタスがありましたが、 同じ色鉛筆でも、私は12色のたつだったので、24色に大きく差をつけられ ていました。鉛筆の両方を削られたのは、貧乏削りといって忌み嫌われてました。 鉛筆にキャップをしている女の子達は、どちらかというと、お嬢さんでした。 スーパーカー消しゴムは実用ではなく、ニスを塗って、ノック式ボールペンのバネ を延ばして、休み時間にご学友とレースをしました。 消しゴムは、砂消しゴムという強力な消しゴムを使っていました。鉛筆が濃いと、黒く延びてくれたり、ノートが破けたりするのが、チョトダケ素敵でした。 2)学習用ノートにきちんと書いているか。 神戸市は、談合ゆえに、学習ノートが決まっていた。ノートの表紙に神戸市庁舎や神戸大橋がプリントされてたりなんかしてました。小学校5年のときに大学ノートを使い始めて、大学生な気分、大人な気分になりました。 其の前に、一度だけ、ジャポニカ学習帳を使ったこともあります。 高校になると、ノートはなくなり、プリント用紙の裏の白紙をノートに するようになりました。そのため、ご学友は、余ったプリントやいらないプリント 用紙は全部、私の机の中に、勝手に入れてくれるようになったのです。 ご学友はみんな親切でした。ボクが気に入っていたところは、線が入ってないので、自由に書けるところと、1枚づつなので、軽いところと、ノート代がかからないところでした。 3)プリントをちゃんと持ち帰っているか。 そういえば、一度、連絡帳に、朝の体温を測ってもらって記入してくる日がありました。その日、予防注射があったのです。ボクは、すっかりそのことを忘れていて、何だったかなと思い、そういえば、お母さんが、6度5分とか言ってた事があったなあと思い出して、自分で勝手に、6度5分と書き入れて、先生に提出しました。そのとき、皆のノートをみると、36度5分とか、36度8分とか書いてありました。ボクは、びっくりしました。ボクだけ、異常に体温が低いじゃないか、先生に、どうしてこんなに体温が低いのか、って詰め寄られないか、一日中心配でした。でも、先生は、そんなことお構いなしでした。1,2年たってから、10の位が単純に省略されていることを知りました。 4)持ち物を雑に扱っていないか。 壊れたまま使ってました。 5)学校の机の中にあるお道具箱がぐちゃぐちゃになっていないか。 机の中には入りきらないので、横のかばんにも満載でした。勿論、高校生になっても続いていました。 6)持っていくもの、あるいは持って帰ってくるものの忘れ物が多くないか。 いつも、全科目入っていたので、教科書を忘れることはありませんでした。でも一度だけ、かばんからゴキブリがでてきたことにはびっくりしました。 でもはるじさんのように、南京虫はいませんでした。親の証言によると、1歳の頃は、よくボクは南京虫にやられていたそうです。何せ、1歳の時、ボクは、銭湯の2階に住んでいて、とっても蒸し暑かったそうです。その後、南京虫との遭遇は18年の歳月を待たねばなりませんでした。インド紀行までです。 7)テストやノート、プリントの字が雑でないか、薄くないか。 考えれば、ボクは、鉛筆は2Bと2Hが好きでした。いずれにせよ、投げやりでした。今の人生とそう変わりません。でも、投げやりも楽しいよ。他にいいことを思いついたのですが、瞬間的に忘れたので、今日はここで終わります。
2007.12.01
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