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見たいものしか見えない。そう証明された夏至過ぎのうららかな日であった。私は車で袋小路の場所に迷い込んでしまった。道路に面して駐車場が空いていたので、バックして駐車場に車を入れ、逆方向に向かおうとしたそのときである。コッテン。私は、電柱に車の後ろのバンパーをぶつけたのであった。それもナンバープレートの上、ど真ん中である。私の人生上の常識では、駐車場の中に電柱が立っているということはなかった。それでは駐車場の役割を果たしていない。勿論、私は、後方を確認した。そして、サイドミラーを見ながらバックしたのだが、後方ど真ん中なので、サイドミラーには写らないことは分かるが、後ろを見た時に、駐車場の中に、電柱があるとはありえないので、電柱が見えなかったのである。ぶつかったときには、いつの間にこんな所に電柱が・・・と絶句したのであった。私は、天才的テクニシャンが故、運転が上手なので、今まで、数える程しかぶつけたことはない(そのうち一度は廃車)。おまけに、もう2年程度はぶつけていないと想像される。現在の超高級車についても、修理に出さなくなってから3、4回しかぶつけていないが、それまではぶつけるたびに修理に出していたので、30万円ぐらいは大枚を叩いていると想像される。(いたずらされたものも含む。こちらの方が金額でかかったりなんかする) 初めてぶつけたのは、免許を取った当日であり、その次にぶつけたのは、免許を取ってから2週間後、つまり車を直してからすぐにぶつけた訳で、親からは車運転禁止永年無期限禁止令が下ったほどである。そんな訳で、若き18歳だった好青年であった私は、バイトで溜めまくったインド資金を順調に修理代につぎ込んだため、インド1ヶ月あたりの滞在費が、3万円に満たないという渋さになったのであった。(しかし、インドに行くと、1万円ぐらい余った) 今も車の操縦が不可能になり、飛んで言ってしまう夢を見る。でも、見るだけで、実際は、飛んでいない。運転が下手な男はもてない。しかし、自動車教習所での運転適正検査では、瞬発力がありすぎて反応が早すぎるので、注意されたしと、出たことは記憶に新しい。ほんの20年程度前の話である。とにかく、見たくないものは見えないのである・・・
2007.06.30
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対馬、五島の位置を示すと、左記のようになる。学生の頃、下道で、よく日本中(というか東京から福岡まで)を車でうろうろしたが、その地図は、中学生のときに使っていた地図であった。地名しか分からない所がカッコイイのだが、考えると、地図を眺めるのが、好きだったなあ。そういえば、インドで地図を見ていると、パキスタンの北部にペシャワールという地名があることを知り、その名前に惹かれて、ペシャワールに向かったのだなあ。 昔から長距離移動の多い友達と話す一つは、なんかいい雑誌ないかねえ、ということである。大学の頃は、まだ朝日ジャーナルもあり、創刊された頃のクレアやアエラもなかなか面白かったし、年齢的知識欲もあったし、結構真面目に週刊プレイボーイやダカーポなんかも読んでいた。以上。 勿論、おしゃれだったので、間違ってもホットドッグプレスとかポパイ、メンジノンノを読むことはなかった。先輩の家に何冊も、ホッドドッグプレスが置いてあり、先輩軟弱ですね、と不躾に言った覚えもあるし、40歳の大先輩の家にデラックスベッピン(てかエロ本か)があり、天誅を食らわせたこともあったような気がする。今もブリオやレオンといった雑誌が読めないのである。おやじだけど、もてたい願望全開であり、多分、ホットドッグプレス卒業生が読んでいるものかと思われる。かといってプレジデントやアントレ、ビッグトモロー(まだあるのか?)も読めないでいる。 実は、告白するが、大学生の頃、成田から帰ってきた時にだけ、こっそり、ビッグコミックスピリッツを買うことにしていて、京成線の中で読むことにしていた。ある帰国の日、隣に座っていたおばさんの頭に汁がポトリポトリと滴り落ち、キャーというと、その隣に座っていた日本に来たばかりの中国人が、中国語で悪そうにでもなく、肉汁のようなものが滴り落ちる荷物を荷台から降ろした。 実は、何を隠そう、週刊プレイボーイを持ったままインドに行ったが、機内でも読まなかったので、列車内で、読んでいると、いつの間にか黒山の男人だかり。振り向くと、ふと、グラビアのページにインド人は釘付けどころか、何体もの股間がパンパンになっている汚い姿を見てしまったのである。シク教徒よ、ターバンで目が釣りあがるのはいいが、旅の途中でも、ダブダブのルンギー(腰巻)でもはいていておくれよ。 実は、大したことではないのだが、今と違ってインターネットのない時代、海外に暫く旅行していると、日本語を読みたくなってくる。(別に日本のテレビやニュースを見たくなるということはないのだが)バンコクの空港で夜を明かして、市内に出る準備をしていたのだが、こちらはパキスタンから飛んできたというのに、日本から飛んできたおじさんが、何故だか、日本から持ってきた新聞をゆっくり読んでいた。私はおじさんが読み終わるのを見計らっているが、ふと、隣を見ると、新聞を狙っているもう一人の青年ヨゴレが居た。おじさんが新聞をとじた瞬間に「いいですか?」と彼はいい、新聞を貰い、私は、戦いに敗れた。 実は、前にも書いたが、バンコクの日本人会館の食堂は、シロームにあり、(入っていく入口が分かりにくい)、なんと、ゴルゴ13が数十冊揃っており、朝から晩まで3日通い詰めたということもある。何しにバンコクに来てるねん、旅がまったくの日常だったわけですね。トイレ川柳あるね、トイレットペーパー。
2007.06.29
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長崎より東シナ海に向かい100キロ、140あまりの島々からなる五島列島。今なお、多くのキリスト教会が存在する。急げ、ヘヘヘーイ、急げ、ヘジェジェーイ、生き急げ~!五島列島で思い出す初めての記憶は、中学校の社会の先生の言葉である。「隠れキリシタンは、明治以降、キリスト教が認められるようになってからも、正規のキリスト教徒からまで、あいつらは隠れやからな、と差別を受けたんだな」という言葉であった。 差別してはいけないが、一方、どんな宗教もそうであるが、長い年月を経て土着化土俗化していき、特に隠れて秘密結社のように信仰していくと、本来の教えや教義から離れていくということもよくあることではある。 その後、五島列島で思い出すこととしては、ベトナム難民や偽装難民が南方から流れ着いたということである。潮の流れを考えると、古代日本にやってくる南方の人々の入口になった場所のひとつなのかも知れない。そんなことを思いながら、車を走らせる。今の季節、沿道に紫陽花が続く。山がちで平野の少ない下五島福江島である。湾も入り組み、海は穏やかで、池と間違える程である。福江市内には交通量もあったが、一歩外にでると、もうほとんどいきなり交通量はなくなり、村を通過すると、老人を2,3人見かける程度である。しかし、五島といえば、隠れキリシタンではなく、魚なのである、本当は。急げ、ヘヘヘーイ、急げ、ヘジェジェーイ、生き急げ~!1.竹の子島、屋根尾島、庖丁島など。急げ、ヘヘヘーイ、急げ、ヘジェジェーイ、生き急げ~!1.サザエ島。急げ、ヘヘヘーイ、急げ、ヘジェジェーイ、生き急げ~!2.只狩山展望所より。黒島 人口25人。急げ、ヘヘヘーイ、急げ、ヘジェジェーイ、生き急げ~!2.富江湾、和島、多郎島、沖ノ黒島など。急げ、ヘヘヘーイ、急げ、ヘジェジェーイ、生き急げ~!2、津多羅島など。急げ、ヘヘヘーイ、急げ、ヘジェジェーイ、生き急げ~!2.二子瀬など。急げ、ヘヘヘーイ、急げ、ヘジェジェーイ、生き急げ~!3.玉之浦の半島。急げ、ヘヘヘーイ、急げ、ヘジェジェーイ、生き急げ~!3.霧が晴れてきた。急げ、ヘヘヘーイ、急げ、ヘジェジェーイ、生き急げ~!3.玉之浦湾。急げ、ヘヘヘーイ、急げ、ヘジェジェーイ、生き急げ~!4.高浜海水浴場。急げ、ヘヘヘーイ、急げ、ヘジェジェーイ、生き急げ~!5.城岳展望所より。とまあ、地名を書いてもさっぱり分からないだけの第一級資料に過ぎないのであった。急げ、ヘヘヘーイ、急げ、ヘジェジェーイ、生き急げ~!というより、飛行機に間に合うよう、先に急げ~。
2007.06.28
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本日、人身事故で、電車内に55分も閉じ込められた。何を隠そう、私は、偏平足なのである。そんな訳で、長時間立っていると、足の裏が痛くなってくるのである。よく考えたら、電車に乗るまでに、仕事で(仕事という名の立食パーティで)2時間立っていた事を思い出し、一言でいえば、苦痛であった。自殺した人には申し訳ないが、交通機関に飛び込んで死ぬ人に対して、どうしても、憐れむ気になれない。というか殺意さえ抱く。あっ、もう死んでるか。 中学校の時、プラットフォームに建っていた男性が、フラフラと通過する電車に吸い込まれていった。飛び込み自殺する人は、後の事は考えないものなんだなと分かった。吸い寄せられるように、逝ってしまうのだ。誰かに呼ばれているように。その少し前までは、もしここで自殺したら、多くの人々に迷惑をかけるんだろうな、と少ない理性の中で考えるのであろうが、その瞬間は何もないのだろう。 私は、一人いらいらしているような気がしていて、落ち着きをなくしはじめていたが、時々、人が前の車両の方に行くのを見て、暫くして、トイレに行くことに気がついた。気がついてしまうと、私も何となくトイレに行きたくなってきて、心配になってきた。30分ぐらいまで雑誌を読んでいた人々も雑誌を読み終えたのか、飽きたのか、次第に意識が遠のいていく、苛付いている表情を浮かび始めた。座り込む人々も見受けられ、もしこれは冷房がないとか、あと、2割ぐらい乗客が多かったら大変なことになっていたぞ、と私は冷静に思い始めた。人々が、自殺者に対してムカついている空気が蔓延していた。 私は、全然関係ないことを思い始めた。マルクスの労働価値論、簡単にいえば、資本家の為に生命の維持をするためだけに、労働し、それ以上の労働は余剰価値となり、資本家の下に吸い寄せられる・・・なんかそんな気がしてきた。 またも、私は、全然関係ないことを思い始めた。囚人のジレンマというこにに関してだ。囚人のジレンマとは、周知のことであるが、簡単に言うと、ある事件において、共犯と思われる二人の被疑者が別件逮捕で捕らえられた。決定的な証拠がない二人の被疑者は、完全に隔離された上で双方に同じく以下の条件が与えられた。もし、あなたがこのまま黙秘を続け、もう一人も黙秘を続けた場合(別件の罪にしか問えないため)二人とも懲役2年だ。 もし、あなたが自白し、もう一人が黙秘を続けた場合、あなたを司法取引によって刑を1年にしよう。ただし、もう一人は懲役15年だ。 もし、あなたが自白し、もう一人も自白した場合、双方とも懲役10年だ。 もう一人の方にも、全く同一の条件を伝えてある。 どうするであろうか。ここ数年、確かにサラリーマンのタダ働き残業が増えている。リストラによって人員が減ったからに過ぎないが。何故、残業するのか、ただだというのに。同じく以下の条件が与えられた。もし、あなたがこのまま残業をやどぜす、もう一人も残業しなかった場合、二人とも給料は同じままだ。 もし、あなたが残業し、もう一人が残業しなかった場合、あなたの給料は2割り増しにしよう。ただし、もう一人は2割減だ。 もし、あなたが残業し、もう一人も残業した場合、双方とも給料は1割り増しだ。 但し、就業時間は大幅に増えるので、時給に直すと、すごく減るのだ。どうするであろうか・・・そうやって余計にムカムカしている中、55分の電車の停車時間を終え、ゆっくり、電車は出発した。何故だか、隣の線路で3回も電車に追い越されたので、まだムカついている。疲れたわ。
2007.06.27
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空港に迎えに来てくれたレンタカー屋のおじさんが、「今晩はどちらにお泊りで?」という私には禁句の言葉を発する。「ああ、最終便で帰られるのですか・・・まあ、1日あれば島、回れますからね」とナイスフォロー。それにしても、ハルジサンには、アイアンマンがあるので、五島に来て欲しいものである。 福江市内生粋の商店街の重鎮。 背負っているものが、テメエとは違うんだよぉ~。電電公社・・・懐かしいではないか。五島といえば、魚!メキシコ湾流とならんで世界最大級の海流である黒潮から九州南西部で分岐する暖流対馬海流が五島列島を洗い対馬へ流れ込んでおり、この流れに乗って多種多彩な魚が回遊し、豊富な海の恵みをもたらす。さらに五島列島が浮かぶ東シナ海には世界でも有数の大陸棚が広がっており、そのほとんどが水深100~200mの極めて最良な漁場である。 しかし、河豚に関しては知らぬ。箱河豚。タフな子を育てて、自衛隊に送ろう!それが五島の教育の一環らしいことは分かった。まあ、しゃあないな、じぇんぶ買っちぇろけ。よく分からない。獄とはなかなか感じいい漢字である。しかし、普通の神社である。空港の横には雨ざらしの福江島のジオラマが自然に任せて朽ちてゆく。
2007.06.26
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奇蹟を信じますか?井持浦の「ルルド」は、信徒が五島各地から持ち寄った石で洞窟が造られ、マリア像は本場のルルドに求めて安置した。そしてルルドから取り寄せた霊水を、洞窟脇の泉に注いだというわけである。学生の頃は、ルルドに行きたいという知人が何人かいたがどうなったのであろうか。19世紀、ピレネー山脈沿い村の14歳の少女ベルナデットから始まっている。彼女自身はマリア様に会ったということは言っていないのだが、修道女になりほとんど誰とも会うことなく一生を終えている。不思議なことに、彼女の遺体は今もって腐敗せず、修道女の服装のまま眠るように安置されている(遺体が腐敗しないことは列聖のための有力な材料となる)。遺体は3回にわたって公式に調査され、特別な防腐処理がなされていないにもかかわらず腐敗が見られない事が確認されている。現在では、ルルドの聖母の大聖堂が建っており、気候のよい春から秋にかけてヨーロッパのみならず世界中から多くの巡礼者がおとずれる。洞窟から聖母マリアの言葉どおり湧き出したといわれる泉には治癒効果があると信じられ、「奇跡的治癒」の報告は多いが、中にはカトリック教会の調査によっても公式に認められた「科学的・医学的に説明できない治癒」の記録さえ数例ある。そういえば、かのフランシスコザビエルの死体(インドのゴアで死去)も腐らなかったな。 紫陽花道路を行く。バス停があった。バス停の周辺には家が1件しかなかった。島山島に架かる橋。島には野生の鹿がいるが、何故、橋が?ルルド。考えれば、なかなか響きも良いところが、いかにも日本人受けもしそうだ。いらっしゃい、聖書の言葉だったのか・・・年に1度ミサがここ、外で行われるとのことであるが、海風がきつく、すぐに木製の椅子はボロボロになるので、寄付により、大理石製になったとシスター談。マリアさま。水を下さい。 手前で、水を持って帰ることを思いつき、別に喉も乾いていないのに、ペットボトル入手する為にお茶を購入。水を入れだすと、ウィーンとモーター音がした。自然に流れているのではなく、汲み上げているようである。大瀬崎。燈台50選のひとつで、日本有数の照度の高さらしい。福江島の西端、東シナ海の荒波による海蝕を受けた高さ100mから160mの絶壁。水成岩地層が黒と白の島模様をなし、20kmも続く。岬の突端には明治以来灯火をともし続ける白い灯台とのことである。とのことであるが、誰もいないところが、寂寥感を呼ぶ。以下、ウディペキア:五島列島は昔より中国とを結ぶ航海の要衝であった。日本における最初の灯台は、664年に防人に遣唐使船の目標になるよう昼は烽火(のろし)をあげ、夜はかがり火を焚かせたのがその始まりとされている。 五島は、航海の要地であるとともに漁業基地としても昭和初期までは重要視される。着工は1876年(明治9年)で、イギリス人のR・プラトンの設計といわれる。10mあまりきつりつしていた岩石を切り落として基盤とし、ここに灯台を築いた。初点灯は1879年(明治12年)で、総工費は当時の額で3万円だった。 大瀬崎の山頂にある無線電信所は、日露戦争の日本海海戦の端緒となる、「敵艦見ゆ」の第一報を受信した歴史もあり、この山は電波山と呼ばれた。1945年(昭和20年)8月7日には、米軍の潜水艦による20分間の艦砲射撃をみまわれ、その一発は灯台丸屋根を貫通したがレンズは奇跡的に無事だった。このときの目標は、灯台の背後の山にある、無線電信所だった。 1971年(昭和46年)に、改築され今の白い円塔の灯台となる。少なくとも昭和末期では灯台守がいて、灯台のふもとに居を構え監視していたが、現在は無人灯台である。日本最西端の荒川温泉(鉄分が酸化して赤茶の温泉)を越えると、渚100選の高浜海水浴場。水も綺麗だ。魚藍観音は、西海国立公園を望む。水之浦教会狩山より緑の風景を見ると、飛行機から見る東南アジアや南アジアの風景のようであった。鬼岳から流れ出した溶岩が海岸で固まった、鎧瀬溶岩海岸武家屋敷通り。飯食おうとしたら閉店。福江港 常灯鼻福江城跡。城には女子高生が似合う・・・福江島のシンボル鬼岳へ山頂には、かなり歩かねばなるまい。しかし、ここで、レンタカーのファンベルトがいかれてしまい、車がキーキー泣き出した。こいつはヤバイ、といった気がしたので、早々に切り上げ、予定コースを変更して、レンタカーを替えて貰いに福江市内に戻る。300メートル程度の山。山肌は芝生に覆われ、流線型をかたどる火山である。 説明書によると、鬼岳が属する鬼岳火山群は、今から300万年前に噴火して西洋の楯を伏せたような、なだらかな台地を造り上げた楯状火山(アスピーテ)の上に、更に5万年前第二次の噴火によって臼のような形をした臼状火山(ホマーテ)が重なり合ってできたもので、シンダーコンと言われています。と説明されています。
2007.06.25
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土曜、朝、9時、私は、地下鉄に乗るのである。福岡空港駅から3駅目、詳しく言うと、博多駅の次の駅の祇園1番出口徒歩1分、一等地でありながら、入場無料、それが東長寺である。さすが太っ腹であり、シブイ。高さ10メートル以上、光背14メートル以上の日本最大?の木造ブッダなのである。拝観料無料のシブさが故、観光客は、私と西洋人女性1名であった。もう日本の皆様は、拝観料のある観光寺にしか興味がなくなってしまったのではないかと、年金問題と共に憂国するのである。拝観料0円が故、写真撮影禁止と張られており、チロリとおばさんがニラミをきかせている。うっ、しまった、不意にも撮ってしまった。木造巨大ブッダの裏に回ると、暗い穴が開いており、入っていくと、地獄の説明である。三途の川に始まり、閻魔大王の審査、等活地獄に始まり、黒縄地獄、衆合地獄、叫喚地獄、大叫喚地獄、焦熱地獄、大焦熱地獄、阿鼻地獄(無間地獄)のジオラマが続き、西洋人女性と仲良く、眺めたラブストーリーなのであった。おどろおどろしい、BGMも雰囲気があったわ。その後、真っ暗な道をぐにゃりぐにゃり曲がりながら、闇を歩く。それが結構長いので、本当にこの道で合っているのか(この道しかない)不安になっていると、ブッダの反対側から出てくるのであった。台座を左から右に抜ける間に、地獄を見た!ってことになるのかな。さらに、博多駅より迷うこと20分、吉塚3丁目にある飛来神社へ。途中道に迷ったので(というか、メモしか紙を忘れたので、頭にインプットされた地図を頼りに博多駅より東南東に歩いていたのであるが)、コンビニに寄り、地図で確認しようとしたが、観光地図からは完全に離れた場所にあり、住所も分からず、飛行機の時間も迫り、どうしようかと、トボトボ歩いていると、偶然ばったりあったのであった。で、どんな神社かというと、別にどんな神社でもなかった。天井に干支のようなものが合ったとさ。何故だか、砲弾がついているのは愛嬌か。とにかく、走って空港に向かう!時間が迫っている、と脳内の何かが叫ぶ。そんな訳で、プロペラ機(問題のボンバルディア)で、福江空港に着き、早速、ついた早々チェックイン作業をしていると、誰もいなくなっていた。いるのは職員のみ。到着10分後には、バスもタクシーも即座に去り、一人、ポケーっとなる私。しかし、気を取り戻し、看板に掲げられたレンタカー会社に電話をして迎えにきてもうことに。「今、手続きしとるからちょっと30分ぐらい待っといて」と何とも暢気なものである。(暢気なのではなく、送迎、貸し出し、精算などすべて一人でやっていることが判明)そんな訳で、日本3大うどん(と自画自賛していた)麺の細い五島うどんを食べて待つことにする。(といってもアルバイトらしき若い女の子がシャシャっと麺を切っていて、どうも、本格的には見えないのだが)少し速いが、中盤線は明日に譲ることにして、私のライフワークである、空港グッバイコーナーである。でもチェックインしてしまった後のグッバイコーナーではない。この女の子、来る時に、私の前の席に座っていた女の子なのである。なんと、日帰りである。それも、横に男の子がいるので、島から博多に出てきた女の子と地元の親の家業を継いだ男の子の小さな恋の物語なのである。遠距離恋愛飛行機で35分なのである。7時間弱の束の間の愛を育む時間だったのである。博多ちゅう都会は誘惑が多いぞよ、と私は心の中で応援するのであった。日帰り同志と勝手にシンパシーを感じながら。・・・ところで、福岡空港は、博多や中洲から近く、日本一便利な空港で誉めているのであるが、ラウンジも良い。私は富豪だからという理由ではなく、飛行機や海外旅行に保険が自動的に付くという理由だけでゴールドカードを持っているのだが、これを持っていると、ビールがただで、ラウンジを利用できるのであった。ちょっと嬉しかったことを報告して眠ることにする。
2007.06.24
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快眠しているかどうかについては、私も毎日寝ているのであまり気がつかないし、自分が寝ているとき意識しないのでよく分からないが、常に寝不足状態という罠にはまっているため、偶然にも、どこでも、結構平気で眠れてしまうのである。まるでそういうと、街の無防備君のようではあるが、だいたいそのとおりである。1. 遮光カーテン・・・本のページを指で挟んだまま、伝記つけっぱなしでよく眠ります。カーテンが必要だ。2. 就寝前8時間は寝ない・・・でも眠くなったら寝る方が健康。3. 暖色系の明かり・・・男色ではない。4. 腹式呼吸・・・いびきを書きます。酔っ払ってたらもっとかきます、きっと。5. 就寝前にパソコンを開かない。・・・パソコンを切って眠ります、たいてい。6. 決まった時間に食事・・・食いたい時に食うほうが精神的に健康かと思います。7. ベッドに入らない・・・じゃあ床で寝てしまいます。8. ベッドでは寝るのみ・・・もったいないので映画を見たり読書をしたりウジウジしたりします。9. 防音カーテン・・・近くで工事中でも起きることが出来ません。10. 食べ物は寝室の外に・・・持ってくるのが面倒。11. 遅寝早起き・・・そうです。12. ホットミルク・・・なんで13. 羊を数える・・・数え間違って余計に眠れなくなる。14. 睡眠薬・・・一度飲んだけど、起きれなくなる。15. 自己催眠・・・一日中やってます。16. 寝酒・・・かなり17. ぬる目の風呂・・・数年間自宅湯船につかったことなし。18. 週末こそ早寝・・・翌日旅行で仕事日より早いからね。19. 2度寝しない・・・2度寝こそ人生最大の楽しみのひとつ。20. 掃除は寝室から・・・まずは掃除から21. ゆったりしたパジャマ・・・もってないよ、パジャマ22. 携帯を寝室外に・・・携帯が目覚ましなので、遅刻します23. 夏の枕冬の枕・・・ない。24. 刺激的なテレビは見ない・・・テレビ壊れている。25. 15分程度の昼寝・・・8時間ぐらい昼寝している。26. 仮眠・・・本眠しかない。27. 気になることはメモ・・・夢日記は睡魔との闘い28. 8時間睡眠にこだわらない・・・そんなに寝たら大変です。29. 一度ベッドから出る・・・出られません眠くて。30. 朝の熱いシャワー・・・遅刻します。31. 濡れタオル・・・洗濯物を室内に干しているので不要32. 退屈な本を読む・・・寝るまで15秒かな。33. 足のマッサージ・・・して欲しい。34. 開き直る・・・いいねえ。さて・・・今夜も眠れるであろうか・・・心配で眠れないかもしれない。
2007.06.23
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日本人殲滅を企てる悪の秘密結社(目立ちすぎて秘密結社ではない。人間に液体を噴射してカマキリ男を作り、「これはいいできだ!ついてこい!と街中で車の後ろを走ってついていくカマキリ男、目だって仕方ない。車にのせたれや」である「シネシネ団」に基地で幹部に説教するサングラス男の首領ミスターK.ミスターK 「ばかもの!1日の作戦でわずか殺した人数が1ダースとは怠慢も程がある!日本の1日の出生数は?」秘書 「5000人です」ミスターK 「どうだ聞いたか!これでは一生かかっても皆殺しにできないぞ!しっかりせい!それでもプロの殺し屋か?このペースでは、逆に日本人が増える一方ではないか」部下 「人手不足なもので・・・」ミスターK 「そこを努力するのがプロ根性というものではないか!1人100人殺すまでは私の前に顔を出すな!」といった具合に、反省会を催すのであった。シブイ。それにそこに居た部下は4人。合計400人であるそれでも。しかも、戦争中日本軍に虐げられたアジアの人々の集まり軍団で、資金は日本に恨みを持つユダヤ財団というところが更にシブイのであった。 それにしてもである。今日、空港池田線に乗ったのであるが、音声案内が急に、兵庫県に入りました。と流れ、15秒程度すると、大阪府に入りましたとアナウンスが入った。それがどうした、と思った。 達人放浪さんが、ヒッチハイクのことを書いていたが、4,5年前に夜中の1時頃車を運転していると、本当に、女性が、車路を塞ぎ、私の超高級車は、その女性を危うくひき殺して、廃車及び私を犯罪者にされるところであった。「あのう・・・電車がなくなって・・・線路沿いを歩いていたんですが・・・線路と道が離れ出して・・・」というので、乗せてあげることにした。何て親切なんだ、何て下心がない純真な精神なんだ、眠くて仕方ないのに何てお人よしなんだ、と思いながらも、超高級車に乗せてあげた。後ろに乗せると、首を絞められては困るので、助手席に乗せてあげた。「彼氏のところにいくんですけど・・」なんて、私はアッシー君なんだ(死語)、なんで彼は迎えに来ないのだ(車を持っていないとのこと)と思いながら、「私キャバクラで働いているんです。○○というお店知ってますか?」ゴメン、知らん。「知りませんかそうですか?行かれないのですか?」ゴメン、行かん。そうやって会話は途切れ、またもや、道端に降ろしてあげたのだが、また彼女はヒッチして前に進んでいくのだろうか、ほんま危ないな、無防備だな、と思いながら、実は、思っただけだったのであった。しかし、かのじょのえらいところは、一瞬にして紳士を選んだという慧眼にあることなのだろう、きっと。あとは、どうして彼女が、その日たまたま、運転手に暇を出していたことが分かったかということぐらいである。
2007.06.22
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俺の恋人は、シアンヌ、ヨロシクね。小学校の時、私は、一大決心した。「お父様、お母様、夏休みに北海道に行きましょう。予算は50万円です」私は、そう宣言した。そして、若かった私は、北海道についていろいろ調査し、日本で唯一360度の地平線という場所を知り、何度も、父母の説得工作に当ったのであった。当然ながら、私のベリーナイスな提案は、無視された。アイヌ見学400円。見学者1人。管理者1人。 高校生の時、私は一大決心した。「○○君よ、大学生になれば皆で北海道に行きましょう。日本で唯一360度の地平線という場所で大自然を味わいましょう」私は、そう宣言した。そして、若かった私は、北海道についていろいろ調査し、日本で一番まっすぐな長い道があることを知り、何度も、友達の説得工作に当ったのであった。当然ながら、友達たちも盛り上がり、大学に行けば、行こう、行こう、ということになっていた。当然ながら、大学に入り、皆バラバラになり、私のベリーナイスな提案は、無視された。この家、頑張って当時のままで住んでいる。ご自由にお入り下さいと書いていたが、びびって入ることが出来なかった。熊が出ては困る。アチョー!チョップ。 大学生の時、私は一大決心した。「○○君よ、夏休みに敦賀港から車で、皆で北海道に行きましょう。日本で一番まっすぐな長い道を快適に車をぶっとばしましょう」私は、そう宣言した。そして、若かった私は、北海道についてはあまり調査もしないまま、友達の説得工作に当ったのであった。当然ながら、友達たちも盛り上がり、友達たちは、皆、北海道に行ったのであった。当然ながら、ベリーナイスな提案をした私自身が、北海道は高いからと行かず、フィリピンに行った。露天風呂、水はなく空っぽ。人が出てきて、すみません、潰れました。とのこと。馬。 ついでに、大学生に入ると、書籍や、旅先で出会う北海道の方々に、自生するヘンプの話をいろいろ聞くにつれて、俄然、北海道熱が再び燃え上がってきたのであった。しかし、ネパールにも自生してるし、購入する方が、手っ取り早いという法則に則り、やはり行くことができなかった。釧路で見た、大仏マニアの私が逃すはずがない。 働き始めると、大学の友人が帯広大樹町の牧場で働きだしたので、また行くわといいながら、結局行っていない。札幌も車で4時間で行けるから近いわ、札幌で待ち合わせでもいいぞ、盛り上がったが、盛り上がっただけだった。空港でグッッバイコーナーを探すのをライフワークとしているが、ここは、ガラス越しに見つめあいながら、携帯電話ではなく、携帯メール、あ、メール打ってるから見つめあってないわ。 結局初めて北海道に行ったのは、社内旅行であり、なんだかんだいって、函館と札幌は3回ぐらい行ったが、未だ、何故か自腹を払って行ったことがないという状態である。一応、札幌には、今度行くつもりではある。勿論、珍スポット狙いである。
2007.06.21
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例えば、高校の時に、それだけの先生に影響を受けたことかを考えると、無理矢理思い出すとすれば2,3人である。その先生に共通することは何かといえば「情けなさ」かも知れない。 そのうちに1人の先生は、地学の先生であり、直接授業を受けたことはない。いつもさえないのである。でも、20数年ぶりに急に思い出した。野外活動で、火山礫を手に持ちながら、意気揚々と恋人に語りかけるような先生の姿を。この人は、よっぽど土や岩が好きだったんだな、と今、気がついた。 考えてみれば、物理化学生物に比べ、地学は地味な科目であり、文系の人が仕方なしに受講していた科目であった。理系クラスには物理化学生物しかなかった。地球に宇宙、考えれば深い科目なのではあるが、中学校の時に憶えたモホロビチッチぐらいしか記憶にないのである。地学とは何だか、土いじり、岩いじりというイメージがあるが、地球惑星科学である。 ちなみにここ硫黄山は、その名の通り、昔、硫黄が取れまくり、道内2番目の鉄道が通っていたとのことであるが、枯渇してしまったが、炭鉱とは違い、何となく、観光地になっているのであった。勿論、勝手に入られては困るので、駐車場料金で誤魔化している。阿蘇山もそうであった。手前で降りるとロープウエイ、山頂まで行くなら有料道路を通らなければいけないという入山料を搾取するというシステムであった。地学の範囲は広い。自然地理学、 地形学、 水文学、気候学、 地域地理学、測地学(geodesy) 土壌学、 地質学、 地史学、 古生物学、 層序学、 堆積学、 構造地質学、 岩石学、 鉱物学、 鉱床学、 地球化学、 地球物理学、 地球電磁気学、 地震学、 火山学、 海洋学、 海洋物理学、 海洋化学、 海洋生物学、 海洋地質学、 気象学、 大気物理学 、大気化学 、雪氷学、 地球環境科学 、 惑星科学、温泉卵学・・・・・・5個400円といわれても、そんなに食べられないよ。1個なら買ったけど・・・まるで、明朝帰国するというのに、1トラ(10グラム)20ドルといわれた気分だよ。 授業が始まる前に、先生は、コホンと咳をして、「さっきトイレにいって、鉛筆で落書きしてたんだけど、消しゴムで消すと何で消えるんだろうね」と言った。我々は優等生ばかりの学校だったので、トイレに落書きはしてはいけません!と思った。そして、硫黄は何故、臭く体調が悪い時のおならの臭いに似ているのですか!と思った。
2007.06.20
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(昨日の続き・・・昨日までのあらすじ・・・時間と戦いながら、阿寒湖屈斜路湖摩周湖の3つを征服しようとしたが、国交省の都合上、また南下を始める私なのであった) シベチャ町を通り抜け、それまでに、23台の車やトラックを優雅に抜き去り、迂闊にも1台抜かされながらも、シラルト湖(氷の上から釣るワカサギ釣りが有名とのこと。6月なので氷なし)を通過、脇道に逸れ、ザロングアンドワインディングロードに7キロ入る。コッタロ釧路湿原展望台に行く訳だであるが、全然、車もなく、多少の不安を抱きながら、失言地帯を通り抜ける。原始河川に低層沼地が見渡せ、耳には蝉とか虫とかの鳴き声でかなり賑やかな形相である。湿地には幻の魚、イトウがいるというが、まだ食っていない。それにしても、北海道は、道なので県道ではなく、道道なのだなあと、しょおもないことに、1人しらける。 ここで、学術的に釧路湿原のことをメモしておこうという学術敵意気分になる。国立公園にラムサール条約。観光活性化や景観のための国立公園というより、自然保護という観点からの国立公園であり、日本では一番新しい国立公園である。元々、湿地というものは、蚊などが発生し、開拓しにくく、地元民にとっては、何とかならないものなのかという事情もあり、一時期は田中角栄ニッポン列島改悪論の一貫として、釧路湿原大開発の話もあったのであるが、開発しなくて良かったのである。それにしても、国有林がないだけ、林野庁は関係ないのが、せめてもの救いではあるが、地主は旧大蔵省、国立公園としての管轄は環境庁、天然記念物は文化庁と、縦割り行政は続くのである。 日本は、自然を緑とか、生き物がいなくても自然、風景そのままという考えがあるが、欧米では、動植物がいての自然という考え方であり、釧路はタンチョウズル、エゾジカなどその欧米的影響を受けているといえるかも知れない。 もう一つは、達古武湖を越え、釧網本線釧路湿原駅近くの(何もない駅である)細岡展望台であった。こちらはメジャーなのか人は多く、ほーとかへえーとか声が聞こえてくるのであった。いちいち驚くご年配の方はなかなか素晴らしい。さすがに日本の湿原の6割を占めるだけある。ノロッコ号が通り、思わず、写真を撮ったが、逆に列車内から、多くの人間に写真を撮られてしまったので、おあいこだというものだろう。それにしても、時刻表を見ると1日2本なのに、よく遭遇したものだと、自ら感心するが、残念ながら、得したことは何もない。おまけに、こそっと列車が捨てられていたりなんかする。さすがに北海道、でっかいどうだ。駅前もすんごく賑やかである。 しかしながら、役所が指定すればするほど、ダメになっていくのは周知の事実である。疑問点といえば、釧路湿原の特別保護地区がその中央部だけにとどまったのはなぜか。優れた自然と貴重な野生生物の群落があり、繁殖している広大な湿原がなぜ国立公園から除外され、保全されなかったのか。なぜ広大な開発予定地を内包して、国立公園が発足したのか。湿原の“命”である水を供給する丘陵地の多くが、国有地もあるのに国立公園から除かれ、湿原の水が守られていないのはなぜか。釧路湿原で最も豊かな生態系を作る湿原周辺地区(湿原と丘陵が接する湧水地帯とその周辺)が、どうして保護・保全の弱い地区(第三種、普通、公園外)となったのか。答えは簡単である。開発可能なゴルフ場、リゾート開発などが期待できる地区は、湖沼の真上であっても、不自然にそこを避けるよう湾曲させて国立公園から除外して線を引く。このように、自然保護、湿原の生態系保全の立場から見ると『まるでわけがわからない』国立公園の姿ができあがっていったということなのだね。その後、いよいよ釧路市内に入り、釧路湿原道路(やたらまっすぐ)を突き抜け、太平洋に出る。(恋問海岸)。太平洋は荒々しかった。おまけに、セルフでガソリンを満タンにしたが、間違えて溢れさせてしまい、ぼやぼやしているうちに、時間が迫り、空港に戻ったという按配であった。まだめし食ってないどころか、温泉湯以外飲んでいないという驚愕の事実に疲労するのであった。(結局、酒はいつの間にか抜けたのであるが、結局飯を食ったのは、最後に飯を食ってから、はるばる24時間後であった)これでは、まるで、ガソリンを撒き散らしに行っただけではないか、という非難批判慟哭感心があると思われるが、その裏に隠された深遠なる哲学思想を感じ取らずにはおれないのであった。(私自身は感じない)今日の反省。今日も掃除が出来なかった。
2007.06.19
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タンチョウ釧路空港から羽田に着く少し前に、キャビンアテンダントの人に、声をかけられた。本を真剣に読んでいるフリをしてたので、気がつかなかったのだが、確かに私の顔を覗き込み、私の名前を呼んでいる。「私たちも神戸に行きますので、またよろしくね」とニッコリ微笑みかけられるのであった。いくら私がモテモテ歴ウン十年といっても、もう中年ではあるが、そんなに気安くデートに誘ってもいいのだろうか、という疑問を呈すこともなく、こちらの身分も密かに、ちゃんとばれているのだなと判明したのであった。こちらこそ(そこんとこ・・とは心の中だけで思い)よろしくお願いします、と言ったあとに、時刻表を見ると、確かに機種が同じである。この飛行機は釧路-羽田(1時間休憩、給油)-神戸と飛ぶのであるな、そのまま乗務員も一緒に飛ぶのであるなと予想するのであった。と思ったら、神戸便の出発ゲートにやっぱり到着したのであった。羽田空港で、1時間後、颯爽と、凛々しく、ばっちり決めて(草履だったけど)、ボーディングを果たした私であるが、ちゃんと、そのキャビナテンダントの方は私のシブイ風貌を憶えていてくれて、待ってもいないのに、仕事の都合上或いは、お世辞上「あッ、お待ちしてました!」と営業上満面笑顔で迎えてくれたのであった。私のほうは営業でないし、お世辞でもなく、少し照れて「お願いします」と言ったのであった。全員が同じクルーだったのだが、よく考えれば、パイロット同様、客室乗務員の方々も訓練されて、乗ることが出来る機種が決まっているのだった。乗務員の仕事は安全確保だから、違う機種の飛行機には勝手が違うから乗れないわけですね、お茶や食事のサービスは、あくまでついでついで。といいながら、ウトウトボケ中年になっていく1時間なのであった。 神戸空港では、勿論、彼女を待ち伏せすることもなく、(だってなかなか出てこないだろうし、多分、終わりのミーティング反省会があるかもしれないので。それに電話番号書いたメモも貰わなかったし)、颯爽と超高級車(超低燃費車)に1人乗って帰るのであった。
2007.06.18
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本日の記録、6時間で284キロ(平均時速47キロ)。 すがすがしい二日酔いをものともせず、朝食を優雅にノンビリ食していれば、乗り遅れるので、急いで、車を走らせ空港に行く(神戸空港なら飛行機乗れば1日駐車場代ただなので、電車代より安くつく)。「羽田経由、釧路行きお願いします」と興奮気味に言うも、釧路は満席になってます。その次の便にしますか、といわれたが、それでは釧路に1時間も滞在できないことは、秘密にしつつ、乗れなかったら東京付近を攻めることにして、とりあえず、空港に来てしまったので、東京に行き、キャンセル待ちに並ぶ。スタンバイしている人数は、私の前に4人もおり、ショックでガビバーン状態だったのだが、何故か1A席が最終的に空き、一番最後に乗り込み、一番最初に降りるという快挙を成し遂げ、速攻で、予約もしてないけど、ともかく1番安いレンタカー貸してよといったが、オデッセイしかなく、交渉で2番目に安い価格で、卸してもらった。しかし、軽自動車でなくて北海道では正解であったことは、のちのち気がつくのである。というかすぐに気がつくのである。勿論知っていたが、やはり道は北海道しているのである。いつも時速400キロで移動する私も、今回は、120キロ程度で順調に走り、順調に、前の車を抜かし、順調に腹ごしらえもするまでもなく、数々の牧場を越え、順調に阿寒湖に着いたのである。まりもである。中学校の時、通信販売で買ったことがある。しぶとくいつまでも生きているのが特徴である。通信販売でもういっこかったのが、リストバンドであり、車田正美の「リングにかけろ」に感化されたのであった。この熊、首をふっていて、結構危ない。私も熊に襲われるのは嫌だ。アカン、アカン、イカン、といいながら、感慨深く、阿寒湖を眺めるのであった。風がきつかった。といいつつも、中学の時から漠然と行きたかった阿寒湖についに20数年の時を経て行ったのであった。その20数年の間に、高校に行ったり、会社に行ったり、インドに行ったり、ナゾのぱらだいすに行ったりした。イオマンテ・・・おお・・・おねだりきつねなど、土産物街が数件並んでいて終わり。ほんま、まりもばっかり。こんな小学校はシュールであかんやろ。阿寒湖を泳ぎきった私は、次なるターゲット、50キロ先の屈斜路湖へ山間を走るが、霧で前が見えない。パンケトーという湖を越えていくのである。屈斜路湖といえば、一時はやったクッシーである。屈したといいながら、感慨深く屈斜路湖を眺めるのであった。風がきつかった。屈斜路湖といえば、やはりクッシーである。クッシー道路まであるのだ。勿論、砂湯クッシーも忘れない。さすがカルデラ湖、まだ燃えていると、噂で聞いた。何故だか、西洋人ヒトリポツンと足湯中。まだメシを食ってなかった私は、ひたすら無料の湯を飲む。飲みながら、中島を望む。重要事態が勃発した。最後の湖、摩周湖に行こうとすると、今週だけ、国土交通省の馬鹿が、乗用車通行止めしているんである。バスに乗れとのことだが、乗っていたら、帰りの便に十分に間に合わないので、もう次いつ来るか分からないのに、といいながら涙する。何故か、海外なら、また来るからいいよと思うのに、何故だかもう来ないような気がしてならないのである。行くとしても、また20数年後か・・・日本一透明度の高い湖を逃したのであった。これは、流入する川がなく、地下から水が沸いているからであろう。(ぐぐってみるとこう書いてあった・・・かつて1931年の透明度調査で、バイカル湖をしのぐ41.6mの透明度を記録している。これは当時確認された世界最高記録である。しかしながら、後にヒメマスやニジマスの養殖を試みたこともあって透明度は年々低下傾向にあり、今後倶多楽湖などと順位が逆転する可能性がある。2004年8月の北見工業大学による検査では、透明度19.0mであった(2003年度は20.4m、2002年度は18.0m、2001年度は23.7m)。アア、きりのましゅうこよ。午後2時以降は、明日を待て・・・(誰も待っていない・・・)・・・飛行機発車、地球滅亡まであと3時間、急げ、まだ半分である。メシモマダ。
2007.06.17
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かか・・・日本料理も進出。旧大統領府まあそういうところにはいけねえ。二歩日長い商店街のことを考えながらも、今からネット検索、何て便利な時代なんだ。そういったわけで、まだ行き先きまらず、こういった状態では、ダークプレイスを探すのは大変だ。二日酔いで飛行機で吐かないよう皆さん祈って下さい。
2007.06.16
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ナゾの天国やハリボテ大観音を見て日本文化の軽薄さと重厚さに壊滅的ショックを受けた妹夫婦が帰国することになった。もう立ち直れず来ないからかも知れないということで、その後、2週間かけて日光、東京、箱根、岡山、京都二条城、広島宮島など巡って来たとのことである。今は、もう飛行機がオランダに着いた頃である。勿論、真面目なアニキとは違い、アムステルダム途中下車などせずに、イギリスの最寄の空港直通便で本国に戻っていくという由緒正しい計画にて帰っていくのであった。やはりバカンスの長さが違うので羨ましくもあるが、とても私のような優雅で感傷的でスピーディな旅はできまい。しかし、それだけ回れば、私よりも日本通である。しかし、日本語通にはならないのは、植民地主義のせいなのかどうかは分からないのである。多分そうである。 昔、小学校3年生の頃、家族旅行で、神戸から船に乗り、ポコポコ一晩かけて下関かに行き、そこから関門大橋を往復し、山口県秋芳洞などを巡り、再び2泊目し、その後、広島に寄った後、車の中から母親に、あれが鳥居だよ、と島に浮かぶ宮島を指差したのであった。鳥居という言葉を知らなかった私は、懸命に鳥(英語で言うとバード)を探し、ケッそんな大きな鳥なんかいないぜ、と思いながら、母親に鳥のことを詳しく追求することもなく、下道の2号線をひたすら東に進めて、関西に帰って行ったのであった。 その後、2号線下道を通って九州に行くこと、人生上、3回(下道で東京に行くこと1回)。しかし、それは若人だからできたことであり、今や、新幹線でさえ、面倒になり(博多と東京の新幹線3時間というのは、飛行機1時間と比べてドアツードアで微妙な時間帯なのではあるが)、50代になれば、ロケットで九州に行こうかと思っているのである。勿論、60代なら何処でもドアである。 それにしても、1980年代に旅行に目覚めてしまった私の影響を受けた妹、そして母親。何故か、東欧トレッキングの旅に参加人数不足のため中止になり、急遽来月、北欧に行くとのことである。感化されないのは、頑固な父親だけである。未だに飛行機は危険だという思想を捨てきれない。でも本当は人に会うのが超面倒な人間なのである。そんな訳で、イギリスの結婚式も参列せず、私は、皆様に「今父親は船でこちらに向かっているので、結婚式に間に合いませんでした」というチープで安易な言い訳ないしエクスキューズをしなければならなかったほどだ。ちなみに「ないし」とは法律用語で「から」という意味だ。3条ないし5条という意味は3条4錠5条という意味である。 そんな諸事情もあり、妹夫婦は帰国していったのであった。しかし、ヨーロッパに行っても「おい、ちょとアムスまで出て来いや」と命令もしない親切な私なのであった。
2007.06.15
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自分の車を運転していたら、土砂降りになってきて、ある道を通ると、バス停があり、あとバスは1時間以上来ない。バス停に居たのは、自分の親友と、年老いたおばあさんと、美人の女性であった。自分の車は2シーターで1人しか乗せてあげることができない。いったい誰を乗せてあげたらいいのだろう・・・ さて、レインボーマンについて、全世界のアンダー35の人たちが懐かしがっていることを知り、更に私も詳しくちょとだけ原作者研究してみた次第である。川内先生は、激昂仮面、いや月光仮面、ダイヤモンドアイ、コンドールマンを書いた漫画家であるようだ。1920年函館生まれ、小学校卒業から炭鉱夫など職業を点々としたみたいだ。 一方、民族家運動家としても、戦後海外帰国者や遺骨引き上げ運動に貢献が認められ、佐藤栄作や大物右翼、民族主義活動家と親交があたようだ。 「グリコ森永事件」では自腹1億円と引き換えに犯罪行為停止を呼びかけた。ちゃんと犯人からは「昔好きだった」とコメントも得ているが、最終的には「あんなアホのゆうことはほっといて、早く金用意せいや」といわれてしまったぼであった。まるでレインボーマンを地で行く人だったのだ。レインボーマンのハイライトを紹介だ。・・・シネシネ団は、偽札を作りまくり、ハイパーインフレを誘導し、物価は上り、人々は飢えてしまった。しかし・・シネシネ団の偽札工場に囚われの身であった、老職人は、スキを見て脱走、己の命と引き換えに、偽札工場を爆破した。レインボーマンのナレーションがしぶい・・・「どこのだれだか知らないけれど、名も白に、顔も知らぬ誰かが、俺に代わって爆破してくれた。この正義の人に感謝の祈りを捧げる・・・」おまけに、シネシネ団は、これをレインボーマンしわざと勘違いする始末である。さすが愛の戦士である。しかし、シネシネ団は笑うのである「レインボーマンめ、お前1人がじたばたしても、たった一人で日本の飢餓を救えるものか」と。現実に、店内では、食料品店を襲う暴徒。赤ん坊を背負ったうら若き母親のやつれた姿に、家族用にとっておいた米をそっと渡す米屋の主を発見した老婆が、「それをわしにくれーわしにくれー:と叫び、おっさんは「食い物くれれば何だってゆうこときくぜえ~。人殺しだってなんだってするぜえ」と絶叫するのである。これが、特撮ヒーローの漫画なのか、なんとリアル、なんと深い!警察に連行された暴徒が叫ぶ「おまわりさんよ!ついでに女房子供も呼んでくれよ~!くせえ飯だって、一家心中することねえからな」と熱演するのである。 そうして、昨日も紹介したレインボーマンのとった正義の行動が、総理大臣の直訴であった。大臣たちと会議している所に窓から入ってくるレインボーマン。総理は、びびりながら答える。「きみは・・・確か・・・絵印ボーマンだったね?」さすが大臣、泥棒のような方法で入ってきた覆面男に寛大である。レインボーマンは叫ぶ「大臣、今は日本が子供から老人まで飢えています。国が無償で食糧を配給するよう計らってください!」大臣はいう「そんな無茶な!ますます暴徒がはびこる」しかし、すかさずレインボーマンは熱演するのである。「皆は暴徒じゃありません。人間です。一家心中のような悲劇が起こらないよう、ひとりの国民としてお願いします!」そう、レインボーマンは日本国民だったのだ。注目である。ヒーローは宇宙や異世界からきた超人が相場というのに、シブイ、深い!よく考えれば、名前からして、ヤマトタケル・・・しかし、これなら、レインボーマン、君が居なくても解決に向かっていったかもしれないぞ。 正しい人の答え・・・友人に運転を代わってもらい、年老いたおばあさんと一緒に車で行ってもらう。自分は美人女性と1時間バスを待つ。
2007.06.14
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レインボーマンである。大学の時、ダイバダッタが、ブッダの謀反人であったことを知りショックを受けたのだが、全国でショックを受けた人数は数万人は下らないであろう。レインボーマンの師匠である、レインボーマンの歌詞にも出てくる。レインボーマンは正義の味方なのに、七人もキャラクターがあり、シブイ。怪獣映画は、悪人が何か行動を起こし、正義の味方がやっつけるといったパターンで、正義の味方のストーリーは楽だが、毎回違った怪獣を出し、毎回違った悪を演出しなければならない悪役スター及び演出及び脚本家は大変である。しかし、レインボーマンは正義の味方であるというのに、月加水目きんど日曜日の性格があり、制作ストーリーだけでも大変な特撮ヒーローである。おまけにシネシネ団の歌、死ね死ねが1曲に30回ぐらい繰り返されるという、作家がいかに厭世的か分かるシブーイ作品なのであった。子供の時は大好きだったのであるが、今思い出しても、変なのである。 そこで、再度レインボーマンを30年ぶりぐらいに初めてであるが精査してみる勢いなのである。皆の衆、レインボーマンを知っているかい?「インドの山奥で、しゅうぎょうをしぃてぇ~」で始まる音楽、幼心に、インドにいつか行く決心をさせたトラウマに違いない・・・。それを冒涜にも、小学校の時は「インドの山奥でんでんむしむし・・・」とか「インドの山奥出っ歯の剥げあたまんじゅう・・・・」とか替え歌を歌っていたわけでもある・・・・・。きっと、アサハラショッコもこれに憧れインドの山奥で修行まがいのことをしたはずである。私の廻りも、ばぐアンダ、プーナだ!アシュラムだリシケシだ!ボンだマナリだ!と何人がインドに行き、何人がチンポ津していったことであろうか!因果なテレビ番組だったよ、考えれば・・・トホホ。おまけに、「あの苦たらさんみゃくさんぼーだいあのくたらさんみゃく・・」という変身するときの呪文、実は、仏の最高の悟りを意味する言葉だったのだ!シブイ。 内容は、知らない良い子やアンダー35ぐらいの人に説明しておくとすれば、インドのヨガの行者ダイバダッタ(実在の人物だとは当時当然知らなかった)のもとで修行をした主人公タケシ青年が7つの力を持つレインボーマンになる術を会得し、死ね死ね団と日本で死闘を繰り広げるという、ハーハーラバタ的壮大抒情詩なのである。調査によると、「インドに渡ったのは、足の不自由な妹の手術代をかせぐ為に、ダイバダッタの秘術を体得するため」となっているが、意味が不明であるし、そのエピソードに関しては、今後のストーリーに何も関係がないというのがシブイ。しして死ね死ね団であるが、名前がストレートで強烈パンチインパクトだが、設定が、戦争中日本兵に虐殺虐待された外国人による反日組織だというのだ。深い!。他の漫画は地底人や宇宙人に過ぎないというのに、深い!それゆえ、シネシネ団のターゲットは日本のみなのである!世界征服ではないところがシブイ。そういえば、歌詞もそうであった!「しねしねしねいしねしねしんじまえ~、きいろいぶたをやっついけろー」そうですか!きいろいぶたはニポンジンのことだったんですね! レインボーマンにはシブイ弱点があったよね、ヨガの眠りである。エネルギー使いすぎたら眠りによって補充するシブイシステムなんだが、その間に、悪がはびこっていくというシステムなんだよネエ。ハラハラしてみていたよ、はやくレインボーマン起きろよーってさ。石化しちまってよぉー。ウディキペキアより。アマチュアレスリングで名をはせた高校生、ヤマトタケシ。タケシは格闘技に更に磨きをかけプロレスラーとなり有名になり金持ちになるという野望を抱き、そしてその金を、脚に障害を抱えた妹の治療費に当てるため、噂のインドの山奥に住む聖者「ダイバ・ダッタ」の下へと旅立った。年老いたダイバはタケシに、長年夢に見た伝説の七色の戦士、「レインボーマン」の素質を見出し、タケシを弟子に迎える。タケシが長く厳しい修行と共にその地で見たものは、同じ人間同士が傷つき殺しあう、民族間の紛争(第3次印パ戦争)であった。それを見たダイバは超能力で死んだ兵士を蘇えらせた。しかし生き返ったにも関わらず、再び争いを始める兵士達をさとす。そのダイバの神々しさに感銘した兵士達は武器を捨て故郷へ帰っていった。タケシはダイバのその偉大な力に改心し、自分の力を人々の役に立てようと誓う。やがて月日は流れ、ダイバは老衰し、その魂をタケシに委ねて果てる。その後、レインボーマンに変身し、空を飛んで帰国したタケシだったが、自分がかつて通っていたレスリングジムが経営の危機に晒されているのを知る。そこでタケシは賭博レスリングで資金を稼ぐために単身マカオに飛ぶ。その地でタケシを待ち受けるのは、日本没落と日本人抹殺を企む秘密結社、死ね死ね団であった……。驚くほど、シュール、子供には高度すぎるのではないか・・。歴史の勉強も必要だ!さてストーリーの紹介である。であるが、疲れてきたのでHP参照 いずれにせよ、一口コメントするとすれば、シネシネ団が宗教団体を利用して、日本から食糧を奪い、スーパーに人が殺到するシーンがあり、その数ヵ月後に、オイルショックで現実のものとなったところがスゴイわけであり、最終的にレインボーマンが悪に勝てないと分かると、総理大臣に直訴するところが渋く、政治解決していくのが、非正統的ストーリーなのであった。まったくシブイ、もう一回、死ぬまでにゆっくり全話を見たいと思う今日この頃なのであった。空
2007.06.13
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中世の人の征服は良かった。俺様1人だけ自由で、人民達は飢えようが殺そうが知ったことではない。証拠に、ほとんどの王様は、これでもかとデブである。しかし、近年の圧制者、大金持ち、支配者は別に太っていない者も多い。衣食住遊が贅沢極まりないだけでは事足りないのである。そういう訳で、世界征服が全然割に合わないのである。 いい例が、北朝鮮だ。良種様及び一族は良い生活をしているが、国民は飢餓の危機に面している。良種様は、どんな生活をしているかというと、車はドイツ車、映画はハリウッド映画、酒はコニャック、電化製品や衣類は・・・すべてが外国製品である。自国では何も作れないのであり、世界制覇して、世界人民全員が飢えると、外国がないので外国製品がなくなり、自らも快楽を失うことになる訳である。世界征服してしまうと、自らの足を掬われてしまうって算段なのだ。 おまけに、今や、温暖化や紛争解決や、相談事が、征服してしまうと、寄せられ続けて、突き上げられて禿げてしまうか白髪になってしまうであろう。うるせーんだよ、って無理矢理押さえ込もうものなら、逆切れされそうだし。もう生まれながらの階級制度や特権階級、そして知的特権(昔のほとんどの人は特権階級がどんな生活をしているか知る由もなかったし、情報もなかったので、憧れることも目差すこともなかったであろう。おいら達は、エルメスバッグが100万円以上とかフェラーリが2000万円以上とかすることを知っている。単に情報、値段の問題だわ)が薄くなった今、世界征服はちっちも美味しくない訳である。世界征服による快楽がないというか、世界征服しなくても、お金や時間があれば、快楽は得られてしまう時代なのである。文化は大衆化している。お金持ち用向けビンボウ人向けのものの差は、車でアレ、家でアレ、テレビでアレ、走る、住める、番組は同じなのであり、程度の差でしかないのである。世界征服して、私だけ向けのテレビ番組や映画を作っても、元々そんな文化下地はない(10倍金を払うから10倍面白くなるものはなく、せいぜい、プレミアムシートに座って同じモノをみる)し、全くコンセプトの違う移動手段を開発させるとしても、想像の範囲を超えることはないのである(関係ないけどモナコレースも自分の別荘から見るも、沿道から見るも見るは同じ)。いまや、支配とはシステムでしかないのであろう。しかし、太陽の没することなき大帝国といわれた我が家も、泊まり旅行と連日の激務のため洗濯物が2週間分溜まり、瀕死の危機に面していることを不覚にも露呈しているのであった。まあ、せいぜいがんばってお くれ、半立ち王子。人を踊らせることなんか、簡単!
2007.06.12
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明石大橋ができましたが、淡路の北端の岩屋から対岸の明石まで20分、タコフェリーはまだ健在なんです。昔と変わらず、20分に1本、24時間運行しているのです。乗船時間は20分なんです。高校生なんかは、明石の学校に、船で通っている子達もたくさんいるのです。長距離トラック運転手も、あえて休憩を取る為にこの船を利用する人も多いのです、それも船会社が戦略的に安売りクーポン券を運送会社に卸していたりして、大橋に激烈対抗しているのです。タコフェリーは24時間稼動、神戸最終1時に乗っても、淡路島に帰ることができるため、姫路や加古川の人間より、夜遅くまで神戸で遊んでいると淡路島民は自慢するとかしないとか・・・。関空などの埋め立てで削り取られた跡地に出来た、安藤忠雄設計の夢舞台をとおりましたが、これだけ広いマスタープランは、まさに安藤忠雄自身の夢舞台であります。 25歳、夜中、大阪で飲んでいて、「今から淡路島に釣りにいこか」と意気投合、後輩の家に行き、車をカージャック、5人はそのまま、淡路島に行き、早朝より釣りを開始、夕方帰りの道でもう40時間ぐらい不眠状態で、やばくて、カーラジオを最大にして、歌を大声で歌いながら眠気を誤魔化して帰った憶えもあります。タコフェリー20分は1分ぐらいで対岸に着きました。淡路島沖に浮かぶ沼島。今度、行こうかと思っている島です。周囲10キロのこの島は、神々が日本を作った最初の島、おのころ島でございます。『古事記』では淡道之穂之狭別島(あわじのほのさわけのしま)と書かれ、『日本書紀』では、淡路洲と書かれ、いざなきのみことといざなみのみことの産んだものとされる淡路島の南端の沖合いに浮かぶ小さな島でございます。「古事記」や「日本書紀」によると、いざなぎのみこと・いざなみのみこと天上の「天の浮橋」に立って、「天の沼矛(ぬぼこ)(ぬぼことは玉で作った古代の刀のことであるが、多分ちンボコのことでしょう)」をもって青海原をかきまわし、その矛を引き上げたところ、矛の先からしたたり落ちる潮が凝り固まって一つの島となった。これが「おのころ島」で、二神はその島に降りて、夫婦の契りを結んで国生みを行った。初めに造られたのが淡路島で、その後次々に島を生み、四国隠岐の島本州などの順に日本国を造られたとあります。・・・イザナキ:「貴女の身体はどのようにできているのですか。」イザナミ:「私の身体はほぼ整っているのですが、足りない所が一箇所だけあります。」イザナキ:「私の身体は既に整っているのですが、それが高じて余った所が一箇所だけあります。だから、私の身体の余った所で貴女の身体の足りない所をさし塞いで国を生もうと思います。それでどうでしょう?」イザナミ:「ええ,結構ですわ。」イザナキ:「それならば、私と貴女でこの天の御柱のまわりをめぐって出会い、ねどこでまじわりをしましょう。貴女は右からまわって下さい。私は左からまわりましょう。」 そして、二神がその方法に同意して柱をめぐり出会った時に、まずイザナミが声をかけた。イザナミ:「まぁ、なんて素敵な方なの!」イザナキ:「あぁ、なんて素敵なひとなんだ!」イザナキ:[……女性が先に言うのは良くなかったのでは?]とは言うものの、二神はそのまままじわって子を生んだ。しかし生まれた子は水 蛭子と淡島だった。二神は困ってしまって天津神に相談した。すると、天津神は「女性が先に言葉を言ったのがよくなかったのだ。もう一回やりなおしなさい。」と指示した。そこで、再び二神は天の御柱をめぐり出会った。今度は先にイザナギが声をかけた。イザナキ:「あぁ、なんて素敵なひとなんだ!」イザナミ:「まぁ、なんて素敵な方なの!」こう言い終わって交わると次々に子が生まれた。っていう訳・・・古事記って、いやあ、本当にエッ チですねえ。本州に辿りつくと、とりあえず、玉子焼き=明石のたこ焼きを食します。先ほどの話に戻りますが、この沼島、現在は漁業がメインですが、島民の平均年収が2000万円を越えるというすごい島ですが、離島のために、嫁不足が深刻なんです。人はお金だけでは動かず!が証明された瞬間ですね。ゴルフをデビューしたのは淡路島でした。130ぐらいでした。5年後引退したときも130ぐらいでした。海からは、黄砂で黄色くなっている陸地が見られた訳です。実家近くも何となく物騒になってきたのでしょうか。中学生の時に親戚一同で淡路島に行きました。砂浜で泳ぐのですが、海の家に行くと、若いおねえさんが何人か、着替え場所に行きました。オイルの臭いと、板壁1枚の向こう側でキャーキャー言っている姿を想像すると、鼻血がでそうにクラクラした青春時代でした。意味なしおまけ。
2007.06.11
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業務連絡なんですが、昨晩、夜中に恐怖映画をDVDで観たんですが、外に雷が凄くて、雰囲気でました。(かといって幸せかみしメタわけではございません)アジアの他地域では見られないのが、フランスパンの屋台である。フランスパンは好きですか?フランスでは、家とパン屋が近いからか、フランスパンを裸で持っていたりなんかして、何となくカッコイイじゃん(関東弁)。子供の頃から、そういやフランスパンも買って食べててアタリマエと思っていたら、日本で一番パンの一人当たり消費量の多い市だった訳ね。勿論、私は庶民出身なので食パンのほうがメインであった。幼稚園前の食パンの御遣いもお手の物であった。パン屋までの3分の道のり、子供ながらに遠回りして10分ぐらいかけていき、行った頃には母親に厳命された切り方とか何食分かとかすっかり忘れてしまい、適当なパンをパン屋さん主に切ってもらい、また10分以上かけ家の前に到着した時、お釣りをもらうのを忘れたとフト気がつき、またパン屋に戻る。パン屋の主は、くしゃくしゃになったパンを見て、あーあといって、少しパンの形を直してくれ、10円をくれた。家に帰ると、母はきっちりのお金しか持たせていないのに、何故10円あるのか不思議そうであった。やじろべえのようなバランスの取れた生き方をしてます!というのは嘘であるが、考えれば、子供の頃、たけひご(何十年ぶりに使用したたんごだ!)や紙粘土などを使って作ったことがある。プラモデルは、1度も完成させたことのない私であるが、これなら数分でできるので、飽き性の私にも何とかなったわけである。見送りシーサー。バイバイ、バイバイ、おさるさんだねー
2007.06.10
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7月より、帰国の際には、誰でアレ税関申告をしなければならなくなる。申請なしでも、申請無しの欄にチェックする。かなり脱税が多く、言い訳しにくくしようとしているのか。 19才、税関でいつもの通り、帰国時に徹底的に調べられた私は、税関員に「未成年だね、1カートンであろうが税金かかるよ」といって1,000円払わさせられたことを思い出す。 最近、仕事に合間に旅行をして、日記に旅行のことばかりかいているので、日々何をやっているか、どんなことを感じているのか思い出すこともなく、いつの間にか時がたった。今日は、前から歩いてくる男がハナクソをほじくって、それを手すりにつけたのを見た。気分が悪くなった。1日が台無しである。 去年、ハワイに言った時、数時間も乱気流に巻き込まれ、食事も1回だけであったが、同じような時間帯に飛んでいた別会社の航空機は1000メートル程度上を飛んでいたために、何もなかったという。数時間も揺れていると、心配になってくるものだ。先日のKLMオランダ航空関西行きが乱気流で怪我をした人が多数出たが、その便と同じ前の日の便に義弟が乗っていたという事実は意外と知られていない。 ともかく、昼間食ったそうめんについていた何かが軽く当たったのか、腹の調子が悪いので今日はこのあたりで勘弁しときまくります。
2007.06.09
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無茶苦茶な画像をアップ(先ほど)したらおかしくなったので、これでふたをする
2007.06.08
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宮古島では、水を掛けられると「あいじゃ」という。昔、ご飯を食べていて、箸を床に落とした時に、閃いた。「なあ、箸をうっかり落とすことを「テックル」って言うとしたらおもしろいのお」というと、相手方は「ナンだ、煙吸ってるのか」といった。それにしても、少し歩いているとどこかからサンシンが聞こえてくるのは、バリみたいだなあ。それがどうした。それがどうもせん。昨晩、背中にタトゥー入れる夢を見た。それでだけでなく、高さ5センチぐらいのお城の模型まで埋め込まれたのであった。「これじゃあ、仰向けに寝られないじゃないか」と彫師に文句を言った。太平洋に突き出した勝連半島のつけ根に近い字南風原に、勝連城跡はあった。登ったら汗ガでた。飲み屋街沖縄刑務所酒
2007.06.08
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酔狂の宴の後は、目を充血させたまま、朝の散歩に出かける。外は明るくなり、若い飲み屋のお姉さん方が託児所に預けていた子供たちの手を引きながらコンビニで買い物をし、飲み屋の店のシャッターが開いたと思えば、飲兵衛たちがふらふらしながら吐き出され、明るい琉球の朝は始まった。 飲み屋街の真ん中から、観光地通りの国際通りを越え、観光客向けの牧志公設市場を抜け(といっても、毎回、豚の首にサングラスをかけている勇姿を見に行ってしまうのだが)、住人たちの生活必需品を売っている通りをさらに抜けていったところにあるのが、JAの農連市場である。アジアであり、先日のサイゴンを思い出すのであった。 その横には、廃墟と化した飲み屋バーがまだオープンしており、店先に平均年齢オーバー60といったママたちが、飲み客を探しているのであった。朝まで飲む人向きというより、朝早く市場の仕事を終えた人向きなのであろう。 昨日、夜な夜な幸福のままに酒に溺れていった後輩奴隷1号を再び呼び出し、飛行機が離陸するまでの5時間、今度は那覇以南の極悪プレイスに連れて行くよう指南したのであった。彼もこちらに来てまだ2ヶ月、詰めが甘すぎる、もともと人生舐めているので仕方ないのであるが、ここは、栄光の先輩2人をピップ対応することにより、人格を磨いてもらうしかない。我々も辛いが、涙を飲んで、一流のサーバントになるよう、彼を鞭打つのであった。 どうやら同輩も朝に腹が減って、牛丼やに入ったのだが、客がおらず、すぐ注文したら出てくると思ったが、10分以上出てこなかったらしい。彼は優しいので、この人たちも一生懸命やっているのだろう、ただ要領が悪く動作がのろいだけであろう、といった感想を順調に持ったようである。よく本土の人間は沖縄の人たちは、ルーズだ時間を守らない仕事がとろい、と文句をいうが、彼らは彼らなりにやっているのである。本土に行った若者が夢破れてよく帰ってくるのは、こちらに来てみればよく分かるのである。 前置きは長くなったが、とにかく南侵である。しかし、後輩奴隷1号は、南には、戦争モノばかりですよ、という。そんなことはない。我々は、三日酔をひたすら我慢しながらも、ベトナム戦争や北海道沖縄開発で潤った立派な道路を進んでいくのである。おそらく、それから手入れされていないのか、立派だが、道質がどことなく東南アジアっぽいアスファルトを感じるのは、気候にやられたせいであろうか。道を走らせていると、とにかく地名が当て字が多く、地名と同じ人名があるというのがおかしい。南風原くん、知念さん。 世界遺産 斎場御嶽(せーふぁうたき)・・・南城市知念 つい最近まで男性は立ち入ることさえできなかったという聖地である。沖縄では祖先信仰やアミニズムに基づくノロやユタといった巫女シャーマン神女が息づいており、決め事に関しては、裁判官や警察官や役人よりも偉い。神聖なる場所は、やはり空気が違うことは感じられる。その何気なく置かれている石や、草木を勝手に動かすことはタブーである。聖地には、いろんな動植物昆虫が見られ、その生命力を感じることができる。シダ科の植物も見られる。ここ以外のほとんどの地域は戦時中に焼き尽くされてしまったようだ。 それにしても、日本でいえば、伊勢神宮みたいな所。そうなのに大袈裟な建物がなく、自然と小さな香炉がポツポツ。それだけに、磁場が強いというのか、ノロの力が強いというのか。そういったドハデな建物がないため、世界遺産とはいえ、観光バスが乗りつけるということもなく、無料であることは画期的に良いことである。(土産物屋もなく、観光案内人の小屋があるが、ただ今案内中の手書きメモが挟まれていただけというのが良い感じ。同じ世界遺産でもお守りをいくらでも売りつけようとする日光とはエライ違いである)昔、ココで子供を産んだという。 聖地でさえ、B29の爆撃で出来た穴が池になっており、いもりやおたまじゃくしが泳いでいる。沖縄世界 観光地である。昔は、ガラの悪い作業服を着たおっさんが、ハブとマングースの戦いを売り物にしていたが、ご存知のとおり、動物愛護団体の糾弾により、今は、マングースと海蛇の水泳競争となっているのである。必死に泳ぐマングースがコミカルで哀愁ばっちりなのである。ちなみに、ハブに毎年十数人がかまれているが、インドから連れてきたマングースも一向にハブを捕らえている野生での光景は見当たらず、人間にとっての益虫や農作物を荒らすので、いまやマングースも駆除の対象であったりするのであった。とにかく、沖縄サミットにより、随分、観光地は整備されて、以前の毒々しさはなくなったのであった。 玉泉洞愛媛大学探検部が発見したこの洞窟も、観光のため、更に観光道を延長され800メートルになり、歩きやすいように何万年もかけてできた鍾乳洞をポキポキと折って道を歩きやすく整備されているのである。坑道に入っていく入り口は、牧志公設市場の臭いがするのであった。昔、何度となくヘッドランプにヘルメットをかぶりつなぎを着て洞窟に潜った記憶が甦ってきた、ということもなく、秋芳洞のようにバラエティに富んでいるということもなかったのであった。しかし、涼しいことはいいことだ。 旧海軍指令部壕 もう飛行機の時間が迫っているというのに、空港近くなので、急いで、15分で見学。全力疾走で見学。他の見学者を抜かしまくり、1位でゴールイン。すぐ近くの湖に行く時間がなくなり残念。近くのおばあちゃんの話によると「昔はきれいだったけど、今は汚くなったねえ」とのこと
2007.06.07
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30度、きつい陽射しにやられながら、エアコンの半分壊れた半分暖房の効いた車で、恐ろしく濃い緑の中、海岸線を走る。沖縄では、潮風にやられて高級車など走らせるのはもったいないという言い訳を元に、サンダル代わりに車が走りまくる。電車がないので(戦前はあった。一応、空港から首里城までのモノレールはできた。戦後も鉄道があった島は淡路島だけである)、那覇周辺では酷い交通渋滞も起こる。梅雨となり、短時間に大雨のスコールまではいかないが、激しい雨がしばらく続き、稲妻が光る。ほんの真近に雷が落ち、発砲したような、パンという炸裂音がした。信号機が切れた。皆が信号を無視し始め、ますますアジア化していった。 渋滞のため、那覇市内に戻ったのは午後9時頃であった。 途中、道沿いに、世界遺産と書かれた城(グスク)を見つけたので、立ち寄る。整備途中で特に入場料なし。勝連城跡。本島中部の具志川市から南東に突き出た半島がある。ここから東に向って4kmも海の上を走る海中道路が伸びる。海中道路はリーフの内側の浅い海を埋めて造った道路である。海中道路の先には平安座(へんざ)島がある。石油コンビナートがある。赤道チカイ、暑いはずだ。最近はガイド本やネットがあるので、情報は集めやすいが、飯屋はたいてい、ぶらぶら歩いて、良さ気な店、ホテル従業員や警官に聞くことが多い。まずは、当然居酒屋を目指す。豆腐を泡盛で発酵させた豆腐とうは、ブルーチーズのようであったが、酒の臭いが強すぎるということ以外は、島らきょうも海葡萄もスパム缶ポーク卵も酒のいい餌になった。沖縄の夜は遅い、ということは有名であるが、例えば、客の出のピークが1時2時である。女の子もいつまでたっても帰らない、朝までいる。夜中に子供連れで居酒屋に来ている。集合時間が夜の10時とか11時とかで、それでも時間通りに半分も来ればいいとこ、と挙げればきりがないが、最終電車という概念がないことも多少の原因になっているのかもしれない。 寄り合い(もあい)でも、宮古のみでも、現地の人と飲んでるわけでなく、マイペースで飲食し、酔いもほどほどに回ってきた頃、経営者を呼び出し、島唄が聴けるところはどこかと、他の店情報を尋ねたのだが、そこからの話はまた長かった。 例えば、外にでると、声をかけるぽん引きは多いが、ぼったくることはないのは、自慢です、とか、タクシーに声をかけられたらここから1メーターにある辻の色街に連れていかれますよ、とか、○○さんの店があってね、あれ?○○さん知らないの?困ったなあとか。そういえば、10年ほど前に那覇に来たとき、ポン引きが声をかけてきて、おきゃくさんどこからですか?ああ、大阪。そうですか大阪に山本という友達いるんですが知ってますか?といわれた。おお、おまえはインド人か?社員旅行の人たち夜中1時になって、やっと人が増えてきた。 そうして、人出が徐々に増えてくる中、1件目の島唄ライブハウスに行くと客はなく、2件目に行く。前にステージがあり、客席はボックスになっており、客や着物を着たホステスがカラオケを歌っている。席に座ると、着物ホステスがつまみと酒セットを持ってきて、接客するもなく、つかづ離れずの状態が続きながらも、年齢層もばらばらであり、演奏会も45分遅れでスタート。着物ホステスも80代ぐらいから60代40代20代におかまとバラエティに富んでいると思ったら孫からおばあちゃんまの一族であった。 とにかく、朝まではまだ数時間ある。
2007.06.06
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2007.06.05
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アメリカのルート66のように、東京大阪の国道1号線のように、沖縄島の背骨を担っているのが、ルート58である。この道は、海に消え、再び奄美大島に姿を現し、そしてまた海に還り、鹿児島に現れるという国道なのである。本島西側の那覇から北端まで続く道であり、元米軍優先道路であり、概ねのビーチリゾートがある。那覇空港から川を渡ると市内であり、すぐに58号線は始まる。いきなり、辻エリアがあり、戦前には2,000人の遊女がいたというエリアであり、現在も波の上では、東京で言う所の吉原に相当する特殊浴場が現れるのであるから、いきなり深い世界に迷い込むのである。波の上というぐらいなので、裏側はすぐにビーチとなっており、地元民がビーチパーティ(毛遊び)が夜中にピークを迎えることであろう。(次回の沖縄はこれをする予定である) 58号線から少しハズレて、宜野湾を横断する無意味泊大橋があり、沖縄開発意味なし土建国家を今後も目のあたりにする第一弾になるのである。 国場川を河口から数百メートルいくと、そこはマングローブの沼、漫湖がある。宿泊したのは、飲み屋街の真ん中、松山であるが、松山久米辻あたりの飲み屋街であり、2大沖縄暴力団事務所地帯である。沿道には、本土にはないA&W(昔近所にあったけどなあ)やヌーヤル(なんてこったという意味)バーガーやゴーヤバーガーの食えるジェフというハンバーガーショップがあるが、ドライブすスルーだと思いきや、暑くて車からも出たくない、車を停めたまま中でバーガーをぱくつきたいというわがままなシマンチューの為になのか、ガレージごとに、注文ブースが設けられていたなんかする。商品は店員が走って持ってくるという合理的なシステムであり、何故か、年齢層の高い女性が多いのである。 朝方、飲み屋街を歩いていると、仕事を終えた飲み屋のねえちゃん諸氏が仕事を終え、託児所に預けていた子供を手にひいて歩いている姿の行列を目にして、公式が成り立ってきた。10代で結婚→子供→旦那働かない→23歳で離婚→食えないので夜の仕事→年齢もいき、飲み屋をやるか、近所のファーストフードなどに就職(の場合は一族郎党の援助あり)→年金ぐらしで、趣味で居酒屋をする。何せ、ファーストフードの店の中に風俗に就職する求人情報誌がいっぱい置いてあるのが、将来性がありシュールでもある。そして沖縄港である。学生の時なら利用していたであろうが関西で40時間弱、東京で50時間である。 大謝名、大山、伊佐にかけてはチャイナタウンであり、中華料理の店が並ぶ。後輩奴隷1号はこのあたりに住んでいる。そんな訳で大謝名の交差点を右に曲がり、住宅街を500メートルほど行くと、左に交番があり、住宅街の中に突如、前栄原社交街というアーチが現れ、車でグングン100メートルぐらい細い住宅街を走ると、間口1件程度の女郎屋が出現し、若いのから年寄りからべっぴんから地雷まで飾り窓状態で現れるのである。車で来る輩も多いのか、この細道が渋滞しているのでる。もう、夜中ともなれば毎晩大変なパニックになっていることであろう、奴隷後輩1号に、今度私が来るまでに全ての店を制覇しておくように、話聞くからと厳命しておいた。 さらに車を進めると、北谷(チャタン)嘉手納と続いていくのである。かつて、北前というところは米兵向けフィリピンパブがいっぱいあったというが、今はない。左手にはアメリカンビレッジといった、ウエストコーストの真似をした一帯が続くが、車内や地図帳を見る限りただのショッピングセンター街であり、健康的なものにはどうも触手が動かない真面目な私であった。同時に後方座席に寝る大学同僚は、昨日の二日酔いと真剣勝負の戦いをしている最中であった。まあ、この辺りのビーチでも毛遊び(もうしあしび)が盛んなようである。 嘉手納ロータリーを右に渡れば、昨日紹介した嘉手納基地を一望できる「道の駅かでな」がある。沖縄市 𠮷原 コザ十字交差点嘉手納ロータリーを越えて更に北上すると、いよいよ、リゾート街道(万座ビーチとか)や座波岬や琉球民族村が続くが、数回沖縄に来たことがある私はまだ残念ながらビーチには行ったことがない。いずれ、沖縄海洋博跡の廃墟には行ってみるつもりなのであるが。それを過ぎると、名護である、ヤンパル(山原)となっていくが、我々は、そのまま対岸の廃墟寸前の金武を目差し(昨日日記)、コザを目差したのであった。コザ十字路付近にも歓楽街があり、柄のわるそうな黒人がうろうろしており、やばそうな雰囲気がしたのは、大雨が降ってきたからに過ぎないのかも知れない。(次回は山原を目差す)・・・次号(健全号)に続く。自動販売機も蛍光色、なぜだ?
2007.06.05
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1972年沖縄は、日本が金を払って、沖縄を購入した。しかし、車が右から左に変わったのは1978年である。うっすらと、私の記憶にあるのが、沖縄の車が全て止まっている繁華街のニュースの映像である。今は、日本と同じで、旅行者も難なくレンタカーを借り、スムースに運転している。レンタカーも過当競争で、安く、空港ではタクシーのおっちゃんは泣いている。 そういいつつも、空港まで迎えに来てくれた大学後輩奴隷1号と、昨晩から飲んで死んでいる大学同級生Oを那覇市内のホテルで死んでいるのを無理矢理たたき起こして、奴隷1号所有号で北を目差して出発なのである。道路わきにあるフリーマーケットには、米軍払い下げの商品が並ぶ。さすがに、使用前武器弾薬は表にはでていなかった。こういうのを古物商というのであろうか。一応、ミサイルも売っていた。金武湾の見えるサービスエリアで、南国の海の色を堪能する。バックは基地であり、発砲音が聞こえてくるのが恐ろしい。金武。キャンプハンセンの前である。沖縄の基地で、最も凶悪、死亡率の高いといわれるキャンプハンセン、ここから今も多くがイラクに行っているのであろう。死亡率の高いのは、勿論、世の常、黒人に低学歴の白人である。そんなため、よくレイプ問題や殺人問題がでてくるのは、大抵この地域から北部にかけてなのである。20歳前後の兵士が問題を起こし、決して戦場で死なないエリート軍人がマスコミに向かって謝るのである。そんな明日死ぬとも分からないッ最前線に送られる軍人は、派手に遊び、享楽を求める。キャンプハンセンのゲート前からもう歓楽街なのである。特に、夜は危険極まりないとはいうが、すでに、廃墟のように見えるのである。タコスを食うのである、でかいのが4つで500円、ハンバーガーもマクドの4倍はあるものが350円。マズイルートビア(を飲まないと沖縄に来た気がしない)で大味の食糧を流し込むのである。昼間にこの繁華街で開いているのはこの店だけであった。そのためか大繁盛しているのである。それでも、2,3人で出来そうな店なのに、沖縄スタイルなのか5,6人が厨房にて働いている。縁故でなんぼでも入ってくるのであろう。派手な若い日本人女性たちも入ってきたが、夜の商売かと思われる。シャングリラ・・・理想郷・・・ロックとダンス・・・しかし、何故か金網の中に。誰か暴れるのか?軍用地代は、農業の生産額より高く、観光業3500億円に対し、軍用地代870億円に軍事施設被雇用者540億円、軍人軍属関係者の消費が520億円と、観光収入の半分、農業の5倍の収入を得ているので(2002年資料)、馬鹿にならない数字なのである。軍用地主の収入はスざましいそうである。おまけに毎年地代は上っていき、何億何十億もかせぎながら、地主ローンというのがあるそうである。それ以上に使うというのである。軍雇用員の募集があると、4~500人の枠の中に1万人以上の応募者が殺到するんどえある。そのため、予備校まであるそうである。車を走らせていると、Yを良く見るが、これは基地の中に住んでいる軍人達の車である。嘉手納基地の一部が見えるが、軍事施設が見えるのは、日本国内では珍しい。考えれば、基地の近くには高い建物も山もないのである。あるいは、高い塀や森で覆われて分からないのである。しかし、不思議なことに「道の駅かでな」の建物4階から見えるのであった。地図には安保の丘と書いていたので、探したのだが。嘉手納町の83パーセントが基地であり、そこに1万人ぐらいの軍事関係者が住み、羽田の2倍の滑走路を有する。残りの土地に嘉手納住民2万人弱が住むのである。どうやらニュースで報道されるものはほとんどここからの撮影のようだ。F22が来た時は、日本中から軍事マニアが集まったそうである。基地内に見えるカマボコ状の構造物は F-15 戦闘機の格納シェルター
2007.06.04
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干満時が一番渦巻くという噂を聞き、自然時間に人間である私が合わせて、会社に行くより早い時間に起床し、会社のある日より早い時間に出かける。実家によること、1分、時間がないので、ピックアップ人数を確認し、号令、1,2、しんがり、で再度出発し、大雨の中、明石海峡。全長4キロ。淡路島を北淡から南淡までおよそ数秒で通過し、福良港に着く。急いで船の切符を買うと、出港まで10分の余裕さえあり、歴史ある船が入港しているのに気がつく。福沢諭吉が乗っていた。普段からお金で親しみのある身近な人物である。おまけに、私は大学1年のとき、福沢諭吉の脱亜論で論文を書いた記憶さえあるのである。ほんの20分程度で、今度は、四国に続く鳴門大橋の下に近づくのであった。全長1キロ。鳴門大橋は、新幹線が通れるように、下に新幹線鉄道を敷いているのがシブイのであるが、明石大橋は技術的に無理だったので、ない。つまりはもう1本架けるか海底トンネルを掘るしか山陽新幹線と接続できないわけで、まさにバブル的思想である。鳴門大橋の大問題点は車道しかなく、この海峡には定期船が出ていないので、歩いてとか自転車とか原付では四国に渡りようがないのである。淡路の語源は阿波路であるというのにである。他県の人からみると、淡路島が兵庫県であるというと、驚くかもしれないが事実なのである。車も神戸ナンバルなんである。しかし、まさに、橋が出来、通過の島となり、島民は怒っているのである。綺麗に巻く渦潮を見るのはなかなか難しいのである。とにかく荒れているのである。淡路島は、沖縄島の次に人口が多い島なのである。15万人である。次回は、徳島側から出ている非常に小さい船に揺られるつもりだと心誓うのである。(何せ長らく徳島県にもいっていないので、密かに狙っているのである)淡路島はまさに、琵琶湖と同じ大きさということで、滋賀県民は失われた土地と思っている(のか?)。噂によると、首都洲本市では100台のレンタル無料自転車を開始したところ、1年で1台となったという実績があるらしい。故ハラケンも天国で泣いているだろう。そういえば、初代山口組の山口さんも淡路島出身でもある。船がでかいので、マストが橋に当たる次第である。淡路島は、ため池が多く(兵庫県本土全体より多い)、私の廻りでも、約2名がよくブラックバス釣りに淡路に行く。物見遊山に来たみたいだぜ。
2007.06.03
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入門編そして、中間編 見よ!に続く最終編とさせていただく。これ以上は楽天に削除される可能性あるので。ありとあらゆる言葉が錯綜するのである。僕にはIがある。何故、日本語でイクで英語でCOMEなんですか?これで、耳を見るだけで凡そ分かる人になれました。まあ、いっぱい楽しむといいよ。初旅行でこんなところきたら、2回目のデートはありません。産むが易しなんて、何てイージーなんだ。毛には、私はあまり関心はありません、正直言って。また来る人・・・間抜けだな。喋りながらバッバと脱ぐ人見てる人がちょっと変。たけしにさんまはこんなところでもかつやくしているんですね。そうですか・・・だんだん、疲れてきたよ。もう、とっても物知りになっておなかもいっぱいです。大体分かりました。タヌキについてはあまり興味はありません。こうやって、いつまでも47都道府県の女が続くのだから疲れます。館長兼社長兼店番兼おじさんは、テレビを見ているだけ。大盛況の来館者達は、ありがとーといって泣きながら退館するのであった。義弟も、グッバイといって大満足のうちに日本を去った。もうこの極東の地を踏むことはないだろう。その道訪問北海道 レトロスペース2札幌市洞爺湖の珍小島虻田郡洞爺湖町乳神神社浦幌町岩手県花巻温泉郷・金精長根花巻市コンセイサマ 遠野市福島県浄土松公園キノコ福島県郡山市新潟県金玉神社新潟市遊郭に泊まる・東光院・十上神社・岩屋山石窟佐渡島雲母神社関川村ほだれ祭1・ほだれ祭り2長岡市 雁田神社 上越市茨城県御前岩 那須川町栃木県門田縁切稲荷神社足利市性神の館・ 性神の館2宇都宮市日光東照宮横、輪王寺 観音堂 香車堂日光市群馬県迦葉山弥勒天狗寺沼田市縁切寺満徳寺太田市命と生命のミュージアム・ 命と生命のミュージアム2階・珍宝館 渋川市東京都オリエント工業1・オリエント工業2・オリエント工業3・オリエント工業4局部に宿る1・局部に宿る2・局部に宿る3・局部に宿る4渋谷区ロボットレストラン1・ロボットレストラン2・ロボットレストラン3・ロボットレストラン4・ロボットレストラン5・・ロボットレストラン6・ロボットレストラン7・ロボットレストラン8新宿区神奈川県金山神社祭り ・かなまら祭り2・かなまら祭り・かなまら祭り3川崎市静岡県最後のエンタメ系秘宝館熱海市伊豆極楽苑 ・伊豆極楽苑2 伊豆市まぼろしアート館1 ・まぼろしアート館2 ・まぼろしアート館3 ・まぼろしアート館4 ・まぼろしアート館5 ・まぼろしアート館6 ・まぼろしアート館7 ・まぼろしアート館8伊東市山梨県夫婦木大神甲府市長野県姥捨・澳津神社・岩鼻上田市愛知県間々観音小牧市高浜茶屋吉貴高浜市野間大坊 美浜町 大縣神社・田縣神社 犬山市石川県スッポン堂 加賀市和歌山県円月島・歓喜神社 白浜町京都府縁結び神社 ・縁切り神社・五条楽園京都市奈良県宝山寺、色町 生駒市大阪府バーレスク大阪1・ バーレスク大阪2・バーレスク大阪3・バーレスク大阪Ⅰ・ SMクラブ潜入 ・メイドカフェ潜入・滝井新地 ・松島チョンの間大阪市橋本遊郭跡 枚方市兵庫県 なぞのぱらだいす1・ なぞのぱらだいす2・ なぞのぱらだいす3 ・芝右衛門狸、キティ 兵庫県淡路島岡山県軽部神社総社市金勢大明神赤磐市金精神社 高梁市島根県玉造温泉の珍宝石さん、八重垣神社松江市香川県お花権現、林下寺1みよし町愛媛県 凸凹寺宇和島市広島県阿伏兎観音福山市喫茶伴天連東広島市山口県マラ観音長門市福岡県鬼塚観音 岡垣町縁切神社 福岡市不思議博物館1 ・不思議博物館2 那珂川市男根岩 八女市長崎県木花咲耶姫神・雲仙大仏別院いのりの里 長崎県雲仙市壱岐 男岳 男獄神社・壱岐 男岳 賽神社・壱岐 島沖の島壱岐島愛の駅諫早市佐賀県鏡山道祖神・太閤一里塚 佐賀県唐津市秘宝館 ・秘宝館2 ・秘宝館3 嬉野市大分県秘宝館 、秘宝館2 、秘宝館3大分市熊本県七郎神和水町 潮神社(おっぱい神社) ・賽神社(だんこん神社)湯前町柴立姫神社 球磨村弓削神社龍田町弓削法皇社弓削町おっぱい岩 ・おっぱい岩再訪天草市宮崎県鵜戸神社・鵜戸神社再訪1 ・鵜戸神社再訪2日南市陰陽石・陰陽石再訪1・陰陽石再訪2・陰陽石再訪3小林市鹿児島県子授け岩日置市三角関係岩ウエルカメ与論島小山神社屋久島韓国ラブミュージアム・ラブミュージアム2・ラブミュージアム3ソウル女郎街釜山 済州島ラブランド ・ラブランド2 ・ラブランド3 ・済州島 健康と性の博物館 ・健康と性の博物館2・健康と性の博物館3 ・済州島 ワールドエロスミュージアム 済州島タイスイスホテル裏バンコクシンガポールゲイラン地区デンマークエロティカミュージアム コペンハーゲンチェコセックスマシーンズミュージアムオランダソドム街飾り窓・ソドム街飾り窓2・セックスミュージアム・エロチカミュージアム ・エロチカミュージアム2 ・ソドム事情・2018レッドディストリクト
2007.06.02
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鹿児島から沖縄に転勤になった後輩(別名奴隷1号)から留守電に電話が入っていた。「明日、お待ちしています。空港に迎えに行きます。・・・ところで一つお伺いしたいことがあるんですが・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・また日帰りですか?」
2007.06.02
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入門編に続き、ついに楽天に削除されるかヒヤヒヤ中間編なのである。感動をありがとうその道訪問北海道 レトロスペース2札幌市洞爺湖の珍小島虻田郡洞爺湖町乳神神社浦幌町岩手県花巻温泉郷・金精長根花巻市コンセイサマ 遠野市福島県浄土松公園キノコ福島県郡山市新潟県金玉神社新潟市遊郭に泊まる・東光院・十上神社・岩屋山石窟佐渡島雲母神社関川村ほだれ祭1・ほだれ祭り2長岡市 雁田神社 上越市茨城県御前岩 那須川町栃木県門田縁切稲荷神社足利市性神の館・ 性神の館2宇都宮市日光東照宮横、輪王寺 観音堂 香車堂日光市群馬県迦葉山弥勒天狗寺沼田市縁切寺満徳寺太田市命と生命のミュージアム・ 命と生命のミュージアム2階・珍宝館 渋川市東京都オリエント工業1・オリエント工業2・オリエント工業3・オリエント工業4局部に宿る1・局部に宿る2・局部に宿る3・局部に宿る4渋谷区ロボットレストラン1・ロボットレストラン2・ロボットレストラン3・ロボットレストラン4・ロボットレストラン5・・ロボットレストラン6・ロボットレストラン7・ロボットレストラン8新宿区神奈川県金山神社祭り ・かなまら祭り2・かなまら祭り・かなまら祭り3川崎市静岡県最後のエンタメ系秘宝館熱海市伊豆極楽苑 ・伊豆極楽苑2 伊豆市まぼろしアート館1 ・まぼろしアート館2 ・まぼろしアート館3 ・まぼろしアート館4 ・まぼろしアート館5 ・まぼろしアート館6 ・まぼろしアート館7 ・まぼろしアート館8伊東市山梨県夫婦木大神甲府市長野県姥捨・澳津神社・岩鼻上田市愛知県間々観音小牧市高浜茶屋吉貴高浜市野間大坊 美浜町 大縣神社・田縣神社 犬山市石川県スッポン堂 加賀市和歌山県円月島・歓喜神社 白浜町京都府縁結び神社 ・縁切り神社・五条楽園京都市奈良県宝山寺、色町 生駒市大阪府バーレスク大阪1・ バーレスク大阪2・バーレスク大阪3・バーレスク大阪Ⅰ・ SMクラブ潜入 ・メイドカフェ潜入・滝井新地 ・松島チョンの間大阪市橋本遊郭跡 枚方市兵庫県 なぞのぱらだいす1・ なぞのぱらだいす2・ なぞのぱらだいす3 ・芝右衛門狸、キティ 兵庫県淡路島岡山県軽部神社総社市金勢大明神赤磐市金精神社 高梁市島根県玉造温泉の珍宝石さん、八重垣神社松江市香川県お花権現、林下寺1みよし町愛媛県 凸凹寺宇和島市広島県阿伏兎観音福山市喫茶伴天連東広島市山口県マラ観音長門市福岡県鬼塚観音 岡垣町縁切神社 福岡市不思議博物館1 ・不思議博物館2 那珂川市男根岩 八女市長崎県木花咲耶姫神・雲仙大仏別院いのりの里 長崎県雲仙市壱岐 男岳 男獄神社・壱岐 男岳 賽神社・壱岐 島沖の島壱岐島愛の駅諫早市佐賀県鏡山道祖神・太閤一里塚 佐賀県唐津市秘宝館 ・秘宝館2 ・秘宝館3 嬉野市大分県秘宝館 、秘宝館2 、秘宝館3大分市熊本県七郎神和水町 潮神社(おっぱい神社) ・賽神社(だんこん神社)湯前町柴立姫神社 球磨村弓削神社龍田町弓削法皇社弓削町おっぱい岩 ・おっぱい岩再訪天草市宮崎県鵜戸神社・鵜戸神社再訪1 ・鵜戸神社再訪2日南市陰陽石・陰陽石再訪1・陰陽石再訪2・陰陽石再訪3小林市鹿児島県子授け岩日置市三角関係岩ウエルカメ与論島小山神社屋久島韓国ラブミュージアム・ラブミュージアム2・ラブミュージアム3ソウル女郎街釜山 済州島ラブランド ・ラブランド2 ・ラブランド3 ・済州島 健康と性の博物館 ・健康と性の博物館2・健康と性の博物館3 ・済州島 ワールドエロスミュージアム 済州島タイスイスホテル裏バンコクシンガポールゲイラン地区デンマークエロティカミュージアム コペンハーゲンチェコセックスマシーンズミュージアムオランダソドム街飾り窓・ソドム街飾り窓2・セックスミュージアム・エロチカミュージアム ・エロチカミュージアム2 ・ソドム事情・2018レッドディストリクト
2007.06.01
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謎の天国(つづきは明日を待て!)で、イギリス人義弟をカックンさし、日本の恥を曝しながらも、大和男児の名誉毀損の為、淡路島民名誉挽回のため、ひいてはアジア人の名誉回復のため、次のナイスプレイスに時速400キロで連れて行く、私であった。 1988年頃、故竹下首相が全国の市町村に1億円を捨てた「ふるさと創生基金」というのを覚えているだろうか?勿論、私はまだ生まれていなかったので、ニュースでしか知らないのであるが、数少ない成功例がこの津名町(現淡路市)である。なんと、何も考えていなかったのか、ドドーンと1億円で1億円分の金塊をずどーん、ズシーンと買うだけクラブというヤケクソ作戦に出たのであるが、これが大成功。金塊を触ることが出来るということで、金の亡者どもが、観光地の目玉のひとつとして、観光バスが十数分だけ立ち寄り、100円の入場料を取った、というだけでなく、2003年より金の価格は倍になっているのである。(といっても1988年のときと同じだが)門をくぐろうとすると、いきなり、添乗員の方々が出てきたのであった。しまった、いきなり、謎のぱらだいすの続きか!陰陽岩の登場である。ピンチである。犬猿の仲といいながら、どう見ても中には猿しかいなかったのである。これでは、義弟イギリス人に説明もできまい。さて、100円の入場料を払うも、既に先客が350万人もいたのであった。おまけに、面倒なので、数字の部分は紙で貼り付けるやっつけ仕事である。壁面には、バスに次ぐバスであり、意味不明である。金塊と同じ1億円であるが、私の持っている1億円と、結構似ている様な気がするのは気のせいであろうか。ベッカムも触った金塊である。何故、ベッカム、おお、そうか日韓ワールドサッカーのときに、イングランドチームが泊まったのはここだったではないか!君はベッカムを知っているかとイギリス人義弟に神妙に尋ねると、ウム知っていると答えた。どうやら彼は有名人のようである。彼はこの津名町でも有名人である。竹下君もハマコーくんも笹川くんもオスマンサンコンくん?も金塊触りにきたよ。皆、金が好きなんだね。目が潰れそうな金を売る店。眩しく輝いている。よく見ると、金色のチョコレートじゃないか。騙された。これが金塊である。私の持っている金塊とまったく同じに見える。入れ換えても分からないが、よく見ると、監視カメラで見張られていた。触るのは自由であるが、誰もいないのをイイコトに、私の持っている金塊と密かに交換しておいた。2個に見えるが、奥は鏡に写った金塊であり、これも心なしか私の部屋に転がっている金塊と似通っていた。金塊チョコレート、ココでしか買えませんと豪語しているが、別に欲しくはないのであった。金塊とバスガイドさん・・・うーん、詩的だなあ。有名人も団体写真も一緒くたが、平等の思想である。人間、みな、ちょぼちょぼや。力自慢ということで、腰が悪くないなら持ち上げてみよって仔とあのだが、腰痛でズル休みしているので、持ち上げるのは固辞した訳である。でもさ、銅の63キロ、錫の63キロ、亜鉛の63キロとか置かれているが、少し考えてみると、どれを持ち上げてもはっきりいって63キロである。裏に出ると、淡路の名物、タマネギである。それにしても、これで、なぞのぱらだいすから名誉挽回したのであった。俺も男を上げた。もうイギリス人義弟は日本には来ないであろう。ついでに妹も日本国籍を捨てるであろう。何か、このバスガイドさんの中から何人でも自由に選んで下さい!といわれている気がしてきたコペルニクス的夕刻であった。
2007.06.01
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