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ジャルガオン・・・なかなか汚い発音でしょ。勇ましく、荒々しく、狼っぽい発音だと思う一方、邪悪な音ってな感じで、あまり言い感じはしないのです。でもなんだか、映画エクソシストで、蜂の音と豚の叫び声をを接近して採取して怖さを倍増させたというサブリミナル効果を狙ったのと、同様の悪意を感じるのです。実際、ジャルガオン駅から、バスでアジャンター石窟寺院を目指したのですが、雷が落ちて道にある大木が転倒、バスは何時間も立ち往生、そんな懐かしい思い出さえあるんですよ。あ、インドですよ。テッサロニキ・・・あ、ギリシアですよ、あ、車の名前か部品みたいですよね。ヴァピ・・・あ、インドですよ、驚かすつもりもないのに、バピですよ、バピ。ムンバイから列車で4時間、そこが駅名であり、そこからダーマンディウ地域に入るわけ。え、意味ですか、そうですね、日記のどこかを探せばあるのですが、一言で言えば、このグジャラート州はアルコールが禁止されているけど、ここだけは解禁されてて、有刺鉄線沿いの道路の向こうにあるダーマンという旧ポルトガルの町だけが酒飲み放題で、インド人が昼間から酔っ払っている楽しい地域なんですよ、まあ、日本でいえば、ある特定地域だけが、マリワナが合法である囲まれているという感じなんですよ。そんな感じですよ、真面目に言うとなんですけど。キャンディ・・・おいしそうに見えるけど、自分の中でのスリランカのキャンディは虫です、虫入りキャンディではないです、甘くもすっぱくもない、単純にホテルの壁に何か虫が蠢いていたってことなんです、コロニアルホテルなんかに泊まるんじゃなかったと思った程なんです、その後、2回もコロニアルホテルに泊まったけど、結論は、できるだけ新しいホテルに泊まれってことなです。旅情もクソもないんです!マク・・・イランですが、トルコの国境に近いところで、まさに幕を下ろす感じなんです!マクって、でも空気は澄んでいる山岳っぽいところなんです。もしかしたらマクーかもしれませんが、それは、バクーというアゼルバイジャンの首都もあるんですが、まだそっちには、正直行けてないんです。いくつもりは?ええ、勿論あります、理由は?ええ、行ったことがないからです。まあそれはいいとして、マクなんです。マルメ・・・スエーデンの町ですが、何だが、メルモちゃんかマル印なんか、ハッキリして欲しいなあ、という町で、デンマークの首都コペンハーゲンの対岸にあるものだから、ストックホルモより、よっぽど隣国にシンパシーを感じているのかもと心配になる都市です。それが、思春期前後を行き来する、メルモちゃんに共感する部分かもしれません。列車に乗ったら、すぐドイツ向かったのでなんらスーパーマーケット以外観光してない町なんなんです。通りすがりのメルモちゃんなんです。アンマーン・・・何を隠そう、ヨルダンの首都ですね。エスキモーは、アーマイって、何ともいえないよなあ、というような意味だったと思うのだが、ソレは忘れたが、小学校の時、エスキモーのことが教科書に掲載されていて、アーマイとかいう発音が、本多勝一のカナダスキモーから引用されていたことを知るのが大学生になってからであり、今なんか、タミル語で亀のことであることさえ知っている中年おっさんに成り下がった訳ですよ、40年も生きていたら。てかタミル語はさっき出たスリランカでシンハラ語と並んで話されているというか、この二言語がスリランカで喧嘩ドンパチしてたって訳だよね、違うか、違うかも。まあそんなわけで、中学校の同級生の女の子のあだ名が、アンマンだったかマンナンだったかなんだけど、ちょっと太り気味で、それはどうでもいいんだけど、でもアンマンと聞くと、どうもちょっと小太りしているイメージを受けるのですが、でも優しい人だったから、文句はちっともないんだ。でもナウマン象も同時に思い浮かべてしまうところが玉にキスぐらいなんです。ボカ・・・こりゃアルゼンチンのチームにもあるから有名なんだろうけど、オレにとっては、はっきりいって母を訪ねて3000里のマルコなんだ、何せ日曜7時からのカルピス劇場はちゃんとラスカルからペリーヌからムーミンから見ていた実績があるのだ、マルコの連れていたサルに名前がアメディオってことも子供心に覚えているのだ、とはいいつつ、ボカであるからして、そうしてもボケとバカを連想するのも仕方ないのだ。ボカにはカミニートがあり、キッチュであり、黒猫のタンゴが生まれたのであるぐらいなんです。タコマ・・・シアトルの空港はタコマ空港であるが、これがまあ、ハッキリしない空港であり、まあ、ハッキリしないまま、せっかくアメリカ着たんだからと、バンクーバーまでの乗り継ぎ時間の間に空港内でバーガーキング食べたんだけど、ソレは置いといて、タマゴなのかタコなのか、なんとも難痒い名前なのです。しかし、日本人にとって今やイチローがいなくなったら行く人も半減かもしれないが、本土で一番アメリカに近いので、まあ、近いって言えば近いんです、スタバ1号店もあるぐらいです。行きましたよ。でもソレはシアトルですね。イロイロ・・・フィリピンのパナイ島1番の都市なのに、パナイってえばパイナップルってイメージもありつつ、まあそんなことはないんです。北部には、ボラカイ島があって、まあ、大きなことは言えば行けど、かつてはキノコのメッカでした。まあ、それはおいといて、イロイロにはいろいろあるんです、いろいろありすぎて省略します。エルズルム・・・なんだかイズムの世界のようなトルコの都市だたのですが、同時にムズムズもする感じもある、少し、エロイ感じもするかもしれないが、町は至ってシンプルで、バス待ちで仕方なく1泊しただけど、特にえろ人が集まっているわけでも、主義者が集まっているわけでもないんです。私もここからシンプルに首都アンカラを目指したんです。どのくらい時間がかかったかは、もう忘れたんです。ズルムケってな感じも少しすると思いませんか。オコテペケ・・・どうしても間抜けな印象が抜けないのはペケのせいでしょうか。簡単にいえば、ホンジュラスの町だったんですけど、ここ行きたい、ペケペケゆうてもなかなか通じなかったような記憶があります。オマエメペケみたいな卑下される気持ちを植えつけられたからかもしれません。でも何故か怒ってペケという最悪の事態は免れたのです。何セ、オコテペケでバスを降りて、20秒ぐらいでエルサルバドル国境の町までいく、乗り合いバスに乗ってしまったので、ここに来たのに、台地を踏んでいたのは20秒ないんです。エルポイ・・・ポイ捨てするような投げやりな名前ですが、前述のオコトペケから乗った乗り合いバスの行き先が得るポイで、バスではなく正確にはバンであり、呼び男が、エルポイポイポイいみたいな興奮しているのか、ポイ捨てしたのか投げやりか分からんまま、車から上半身を投げ出して叫んでいて、ついつい、手を挙げたら、オコテペケ地上滞在時間(足つけてた時間)が20秒という非常時間になってしまったんです。エルポイから歩いてエルサルバドルに入国するんです。イミグレカードもスタンプもないやる気なし国境なんです。余計に不安になること請け合いのポイポイポイ国境なんです。プラチュアプキリカーン・・・タイの海沿いにある強そうな名前の街なんです。チューバッカ(スターウォーズ)とかでてきたり、切られたり、カーンと頭をどつかれるようなイメージなんですが、町は至って静かなんです。静か過ぎて、することがないんです、といいつつたいていどこ行ってもそうすることはないんです。ないので、ホテルはとったものの、電車の時間にあわせて、すぐに移動しちゃったんです。キンタマーニ・・・バリで有名なスゴイ名前のところですが、実際は風光明媚らしいのですが、連れて行ってもらったのに、大いに曇りで何も見えませんでした。ここは、是非、男性諸君から女性を誘ってあげて下さい、いいところなんです(写真を見る限り)女性から、金タマーにいこうよなんていえませんからね。私も晴れた日にはまた行きたいと思っているぐらいだんです。マゲラン・・・こちらもインドネシアのジャワ島のボロブドゥールに近い町なんですけど、何だか禿げそうな町なんでサクッと通り抜けることを進めるのでが、私は2泊しました、どうしてくれるのですか。チューリッヒ・・・ズーリックとも読めて、全く別の都市に聞こえるのです、これが「スイスマジック」で、一言でいえば、物価が世界一高いのではないかと邪推したので、いち早く離れることをお勧めするんです。ニャラム・・・中国はチベット最後の町で、ネパールにいくのです。ニャロメなのか眠いのか分からん名前なんですが、岩がゴツゴツしているだけで、ちっとも、ニャーじゃなんです。クエッタ・・・なんかパキスタンの町ですが、腹減ったみたいな印象があって、茶碗で食えってな感じの印象もあって、おちょけているような感じなんですが、町は砂漠のオアシスなんです。オアシスといっても、ほこりっぽいんです。だから、茶碗で食ったか腹減ったかよく覚えてないです。翌日、よく分からんうちにイランに向かったんです。ブダペスト・・・ハンガリーの首都で、ブダ地区とペスト地区に分かれているのですが、どうも、ブタとペストといった危ない印象を受け勝ちですが、温泉があるのです。温泉なんかいかなくても、ここが、ブダペストというのを忘れるぐらいきれいな町で、建っているのが壊れかけの古い町も見ることができるんです。すっかり、名前のことなんか現地で忘れてても、でもまた帰国したら、ブタとペストやろーの現実世界に戻ったんです。シブ・・・ボルネオ島にある都市で、マレーシアなんですが、ボートで水しぶきを上げながら到着したものなんで、なんだか、シブき、そのままなんです。それに、渋柿みたいなイメージも持つんですが、ただの田舎町で寺院がちょっとあるぐらいで、ビビルことはないんです。船下りたらすぐ乗り合いタクシーに捕まるんです。ちょうど乗るつもりだったんだから別にいいんです。何故いよかっかというと、わけの分からん地酒を前日飲み過ぎて、船乗って揺られてゲロってたからんです。秘密ですよ。ニース・・・英語でナイスなんで、フランス人英語きらいなんやねえ、と感じることができる町です。2回も行きました。サムイ・・・暑いタイなのに、サムイ島なんですよ。学生時代に3,4回行っているんですが、働いてから珍しくも行ってないんです。心が寒くなったからかもしれません。マスカット・・・おいしそうかもしれませんが、オマーンに属し、マスカットはオマーン港に面してます。でもニュースでは、おまーんみなとっていうんです。おかしくありませんか、NHKにはもうちょっと勉強して欲しいです。地名+港は、地名こう、ナンです。私はそんなこと小学校から知ってました、何セ地図を見るのが趣味でしたから。何セ中学校の学校で貰った世界地図帳を最近(といっても20年ぐらい前)までもっていたぐらいですからね。スカッとしましたか。わたしはまだしません。
2012.11.30
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今日は何を隠そう、一応忘年会みたいなものでもないのだが、取引先のおじさんの故郷が愛媛県、四国ということが判明し、自称ツーリストの私は、「ああ、それじゃあ、リンリンパークーですね、昭和ですね」という。しかし、愛媛と言っても今治市、隣の西条市とはチョと話が違った。西条市出身の人と話したときはリンリンパークーのお話で盛り上がったのであるが、今治市の人は、地元通を自認していただけに、自分が知らずにヨソモンが知っていたことに随分ショックを受けられていたようで、私も多少、申し訳なく思い、「ただのドライブスルーですので、スルーしもらっも結構ですよ」とヘコタレタ気分になるのであった。「でも、昭和が残っていますからね、もう24年前に終わったんです」と最終力説しておく。それにしても、愛媛は広いので、その方のお住まいの同じマンションに愛媛出身の人が偶然いて、宇和島出身だという。自称ツーリストの私は、「ああ、それじゃあ、凸凹寺ですね、多賀神社ですね」という。しかし、愛媛と言っても今治市、遠く離れた宇和島チョと話が違った。宇和島までなんか、地道通ったら片道3時間は軽いぞってなコースである。今治市の人は、高校卒業して自転車でありとあらゆる四国1週の旅をしたと自認していただけに、自分が知らずにヨソモンが知っていたことに随分ショックを受けられていたようで、私も多少、申し訳なく思い、「ただのEROですので、スルーしもらっも結構ですよ」とヘコタレタ気分になるのであった。「そういえば、子供の頃、変な神社があるというのをだんだん思い出してきました」という言葉に勇気付けられ、四国津々浦々私の話はついついヒートアップしてしまうのであった。申し訳ございません。飲んで放浪さんに諭されないよう、注意して、今後も多少生きて行きます。
2012.11.29
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小集団で飲みに行ったら、普段寡黙な私も、小心者ゆえに、心が大きくなる錯覚に陥り、真面目に語りだしてしまう。取引先の人から、また、ほんとトイモイさんは、仕事や一般常識は置いといて、その他何でもかんでも知ってますね、と呆れられるのである。具体的にどういうことなのか、今、しらふに戻ってどんな話をしたのか、思い出そうとするのだが、どうしても、あまり思い出せない。確か、鯨と海豚の違いとか、インドでシク教徒の運転手と値段交渉で決裂して、ターバン剥ぎ取ってしまったとか、ウンコの話とか(すぐウンコの話する、だってみんなウンコ好きだから)、タジンなべがどうのこうのと、訳のわからんネタで、業界のつまはじき者である。私の周りには、私のような人間ばかりなのに、私の取引先は、私のような人は知り合いにいないタイプだという。結局、そういうことなのかもしれない、が、そういう意味では、私は、仕事は、自分の専門外でメシを食っているのかも知れない、いやそんなことはないな。でも、大抵、そんなことどーでもいいことなんだよねえ。 そんで、半年振りにカラオケ行って、ディープパープルのハイウエイスター歌った。というのか、あの人はどんな人・それは、対人関係によるから、あくまで、誰に対しても同じ対応するわけがなく、演じているんだよね。オレはこの業界ではこんな奴、であって、結局、性格とか特長とか、風見鶏的に相手に合わせているだけなのさ、でもそれは当たり前、仕事する顔と家庭の顔当たり前だけどちゃうわいな。 よく分からないが、人生、暇で暇で仕方ない、其の暇を埋め尽くす楽しみ、ありがとう。反省しないというか、できない、それが我ら一般市民ってやつさ!成熟なんかないんだから。
2012.11.28
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おいらは民主主義として、敗戦後生まれた。不思議なことに、デモクラシーのどう誤訳したのか、主義者になってしまった。若い衆は主義者というとなんだというかもしれないが、共産主義者とかのことをいうんだ、それは、蟹工船にも出てたよねえ。まあ、蟹工船みたいなことは、実際にはあるはずなくって、ありゃフィクション丸出しだよ。まあ、それはいいとして、民主制だよね、主義なんていってしまうから何だかおかしくなる、何だか快楽主義、博愛主義、破滅主義、原理主義、反日主義、日和見主義、一緒くただよ、かといってイズムにしちゃうとまたこれ主義なんだかどうだか、ダダイズム、ヒロイズム、フェミニズム、アナキズム、プリズム、カニバリズム、プラトニズム・・・主義を調べると、1 持ちつづけている考え・方針・態度など。「それが僕の―だ」「完全―」「菜食―」2 思想・学説・芸術理論などにおける一定の立場。イズム。「実存―」「自然―文学」3 特定の原理に基づく社会体制・制度など。「資本―」私、民主主義は、1,2,3のどれなんだ。正直分からなくなっっている、民主主義と訳してしまった生みの親、吉野作造、策に溺れたな・・・ というか、要は、わしがそういう訳のことではなくて、寿命というか、成熟度のことを話そうとしているのじゃ(といって、70歳のジジイだが、わしの周りでは、だれも、じゃ、なんていうジジイはいないのだ。何故じゃ?おまけに、テレビも昔話も、外国人でも、日本語訳はジジイの言葉の終わりは、「昔はこうじゃった」などと、じゃが、でてくるのじゃ。なぜじゃ?まあ、ソレも置いといて、なんだったかな。 そうだ。こうやって、わしも、民主主義がいいかどうかは別として、何セ民主主義は愚民が大将や代表者を選ぶからろくでもないのである。それはいとして、私が、まだまともに、話ができるのは、アメリカ様や西ヨーロッパ様ぐらいなものなんだ。もう、韓国なんか、民主主義いつからか知ってるかい?ずっと軍事政権だったんだぞ、ゼントカン(チョンドハン)まで。盧泰愚からだ(あ、漢字が出た)民主主義はじまったんは。こりゃ1987年であり、民主主義まだはたちそこそこのピチピチなんだ。だから、ギャーギャー竹島で騒いだり、何度でも慰安婦問題だしてくるのも、日本の援助クソ食らえとおもっとんのも、まだ若いから仕方ないんだ、という優しい気持ちにならなアカンのじゃ。中国なんかも共産主義としての人生はそれなりに長いが、資本主義は一部受け入れていても、ちーとも民主主義なんかまだ「生まれてないから、まともな話なんかできないんだ。子供の我がままに付き合えることができるか?もはや北朝鮮ともなれば、日本でいえば、私の祖先、江戸時代にもならん、封建主義のヒイヒイじいさんみたいなもんだ。お、ばあさんかもしれない。そんな訳で、まだ生まれてもないのに、相手できるはずねえよな、と優しい気持ちにならんとあかんのじゃ。まあ、民主主義の土台に乗せられるか分からんし、独裁国家主義3代に渡ってやってたら、向こうから見たら、独裁主義もでけん民主主義ジジイめ、独裁主義になったら、優しい目で「見てあげるよ」とおもっとるんじゃろ。フォフォ。ゴホゴホ・・・わしゃ、もう瀕死じゃ。さすがに、200年から民主主義みたいのしとる超爺さんヨーロッパも長生きしすぎか、停滞するのか、70年も民主主義したら200年も変わらなくなる。こりゃ、あれか、民主主義の一応の成熟は、50年とかだろうか。その後は、もうそれ以上ないか・・・わしは、次、誰を生み出せばいいんだ・・・
2012.11.27
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フェリーはバルチック海を越えて4時間、ヘルシンキからタリンに到着した。 港で両替のため1万円を出すと、引き出しから薄いプラステックに入った1万円の見本を見比べていた。 バルト三国のひとつ、独立して間もないエストニアの首都タリンを散歩する。新しくそして近代的でガランとした港を後に、尖塔を目指してゆっくり近づき始めた。線路を横切り、舗装状態の悪い道を、車の運転の乱暴さが、譲り合いのなさが、情けない程に若々しく感じる。 城内に入り、石畳に変わり、中世の街になる。パリやミラノといった西ヨーロッパの昔の建物を意識して残しているのとは違い、結果的にはいいことなのだが、ロシアに併合されて、貧乏になって、街は昔のまま残ってしまいました、という感じがある。あの暗黒時代の強制移動の産物なのか、そういう歴史だったのかは分からないが、いろんな民族が交じり合っていて、いろんな顔が見られる。そして混血のおかげで美人美男子が結構見受けられる。どうもフィンランドの人々は、そういえば割と、何か実務的な顔をしていて顔が平均的であったなと思う。同時に、アジアやアラブでもあるまいのに、東洋人が珍しいのか結構見られている空気がある。 それにしても、経済状況が芳しくないのだろうか、十年前に独立の先陣を果たした国ということを考えれば少し若々しさというか活気がない面を感じてしまう。何か元気そうなのは対岸七十キロのフィンランドを主とした観光客らしき人々だけだ。おそらく、物価の安い国に買いだしに来ているのではないか。そうはいってもライティングにはやはりヨーロッパらしく力が入っていて、教会や聖堂、そして奥の細々道は趣きがある。 丘の上からは、街が一望でき、そしてバルト海が広がっていたロシア正教会この旅行で、初めてネットで検索した。当時は勿論ダイヤル式。調べる要点を目星つけて探すが、歩き方もないこの国のことを日本語で書いてあるページが数点しかなかった1990年台であった。中世ハンザ同盟都市。小さな都市なので、大掛かりなガイドブックも確かに必要なく、インフォメーションで地図を貰えば事足りる。旧監獄の横を通る。タリンを去って、またフェリーでストックホルムに向かう。
2012.11.26
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殺人事件や火事や交通事故のニュース・・・当事者、関係者以外はどうでもいい話じゃないか。何故ニュースになるのだろう?啓蒙?人は殺してはいけませんよ、放火したらいけませんよ、世の中危険になっているから(実際、犯罪は減っている)セキュリティ強化しましょう、などなどなのか?一流とは何でしょうか、それは、簡単にいえば、一流の人が一流と認めることであり、世間一般の人がいいよ、トイウコトデハありまへん。正直、横尾忠則、すげえ、思いますか?ポロックとか、どうよ、ピカソ、ほんま、どうよ?美を感じるのか?それは、一流の人間が認めたからであり、おいらとは、何の関係もない、だから、おいらは、ちょっとでも一流の人間になりたかったら、一流の人間の思考回路に併せて、こりゃええのお、とコミットすることなんじゃろなあ。全く分からん、どこがええねん、コノボケ、こんなん、俺でも描けるわ、落書きやないか、そう思ってでもである。実際、描く発想はなくても、似たようなものは簡単に描けるのだ。逆に、自分で、この作品、この仕事、これ、むっちゃええわあ、こりゃ一流の仕事じゃ、と思っても、それを主張しても、あ、っそう、でしょ?それは、それを認める自分自身が一流じゃないから、これいいですよー、って言っても無駄。それが美の基準。美だけじゃなくって、一流の基準。真善美は一流の人が決めるんだよ、それについていくんだよ。ま、小林秀雄先生の言葉に近いものでしたー。ほんま、高校生の強敵だよね、すぐ試験問題にこの難解な文章だしてきよって。ね!
2012.11.25
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フィンランドのロバニエミは、フィンランド最北の都市であり、ここからは北極圏となり、先は町とか村しかない。(世界最北端のマクドナルドもある)まだ白夜ではなかったが、明るい時間帯は3~4時間ぐらいであった。午後2時には暗くなり始めた。この町は、アルバーアアルトが主だったところを設計した。フィンランドは、パスポートにもスオミと書かれているのだが、それは、湖の人という意味で、何となく他のヨーロッパとは違うようなところがあって、会話の節々に当たり前のように、妖精みたいな意味の言葉がでてきて、何ですかソレ?って聞き返した程であった。ロバニエミ詳細。ヘルシンキから国内線に乗り継ぎ、ロヴァニエミに向かった時、吹雪であった。こんなのでも慣れているんだな、と思うほど、雪の中を平気で飛び立った。今考えたら不思議だ。気温より川の方が温かいので、川から水蒸気が立ち込める。蝋燭橋という。想像できる酢漬けの生魚。スキーに行く。十年ぶりにスキー。それもナイトスキーだ。大きなゲレンデに私を含め、たったの三名しか滑っていない。私は、さしずめ、ボーゲンをしてみた。それは順調に出来、体が覚えていた。そしていよいよ直下降に挑戦、と思った瞬間に、かき氷イッキ状態となり頭が割れそうになった。マイナス二十度以下でのスキーはスピードを出すことイコールかき氷イッキ食いの頭痛なのである。頭が痛くて、自ら転んだ。そして15分でスキーは終了した。でもなんか歩いて行ったから多分ここだ。サンタビレッジに向かう。大人には別に面白くもないところだが、確かにどうしたらいいのか分からなくなった。ARCIC CIRCLE(北極圏)今日はマイナス33度か。今では考えられないことなんだが、会社員だったのに、ここに5泊ぐらいした。結局、寒かったので、夜は5日ともオーロラを見に外に出るなんてヤボなことはしなかった。バーで飲んでても寒すぎて、バーの梯子、200メートルも携帯電話でタクシーを呼ぶのだ。なんだかタクシー30秒乗るって面白かったな。
2012.11.24
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スールー諸島 ホロ島アンガから船で一昼夜、朝もやの中目覚める。ミンダナオ島のサンボミナダナオ島以南は、ムスリム地域だ。昔、海賊で有名なバジャウ族を訪れ、皆、仲良く友達ごっこしてくれた。今やアジアの海というのは海賊天国になっているらしい。国際シンジケート化され、携帯電話パシパシ、マシンガンビシビシ、最新通信システムに衛星方位システム、無線システムのハイテク設備導入で、中国などの役人あげくに船主までからんでやっていることもあるらしい。ホロ島詳細。海上に家を建てている民家群の中に入っていく。遠浅の海を利用して、海上に高床式の家を建てて暮らしている人々がいて、村を形成している。私が踏む込むと、瞬く間に三十人以上の子供たちに囲まれる。電化製品や車や調味料といったモノでしか姿を見せたことのない日本人。懸命に人間自体はチョボチョボであることを説明する。木で組まれた道や床の下は海。十人がひとつの部屋に住んでいるというのに、経済的貧困と、屈託のない笑顔。このパターンにいつも驚かされる。私は紹介され、案内され、ご馳走になった。準戦時体制にあるとはいえ、町は平静を保っている様にみえる。近くのビーチに行ってみると、瞬く間にハイレグのオカマ達五人に取り囲まれ、いちいち「行為はないから」と断り続ける滑稽な日本人となってしまう。イスラムの地とはいえ、やはりここはフィリピンなのか、オカマの割合が異常に多い。フィリピンでは三、四人集まれば一人はオカマがいる様な気がしてならない事実にいつも驚かされる。私は紹介され、腕を組まれ、それ以上の要求をされ、「紺碧の空に椰子の木に真っ白な砂浜にキャーキャーいうオカマ」とつぶやいた。 お世話になった二人にライターをプレゼントした。その後で、シャワーを借りて、体中を泡だらけにしていた。その姿を見た彼は泡立つ日本製石鹸に興味を示した。「ちょっと使ってみるかい?」というと、彼は喜んでパンツ一丁っとなり、体中を泡だらけにして微笑んだ。後で、彼は遠慮がちに「この石鹸もくれないだろうか」と上目使いに尋ねてきた。私は迷った。みみっちい話だが、先にお世話になる人々もいるので、「悪いけど、ライターか石鹸かどちらかにしてくれないか」と答えた。彼は黙り、それっきりその話は終わった。 船が出るので見送りに来てくれた。このムスリム青年と気持ち良く別れることができるのかどうか、結構気になっていた。私は、彼と別れる数分前から、ライターで何度か火をつけ、炎を名ごり惜しそうに見る彼の顔や、恨めしそうにライターを戯れさせている彼の指を見ていた。そして、暫くの沈黙の後、私の方をスッと見て、俄か寂しげな笑顔を見せ「やっぱり石鹸のほうが大切だ」とポツリいい、ライターを差し出した。私は静かにうなずき、カバンをこねくり回し、石鹸を手渡した。彼は、それを両手で受け取り、そっと匂いを嗅いだ。「いい匂いだね」とまたポツリといった。私はこのイスラム教徒の青年を信じることができると確信した。 船は夜半過ぎに出港した。
2012.11.23
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ハージハリファ。世界最高828メートルエッフェル塔ワシントンDC香港サンフランシスコ ピラミッドタワーエジプトピラミッドポーランド ワルシャワビルマ シェダンゴンパヤー 99メートルバーレーンウルグアイ 灯台レバノン ベイルートマカオイスタンブールミュンヘン上海シンガポールニューヨーク
2012.11.22
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レミゼラブルとかノートルダムドパリとかの作者ビクトルユゴーのことをネットで調べてて、1802年生まれってことで、何気なく、自分の生まれ年をネットで調べ、自分の誕生日も調べたら、同じ日に生まれた同じ出身地の人が出てきて7月末に亡くなっていた。ヘコタイとか、さちポンとかいう漫画で有名だったらしいが、それは知らないが、確か、高校の同級生で同じ名前で、高校の時に漫画デビューしたという風の噂は高校の時にちょとだけ聞いていたのを思い出した。 彼女との思い出というか、接点は1回だけだ。彼女は文系だったと思う、確か3年2組で、おれらは理系の3年9組で男性がほとんどのクラスであった。ある日誰かが、文系の女性数名と放課後メシでも食いに行こうぜ、っという話を約束してきたみたいで、何だか人数あわせで、オマエも来てくれないかと何故か俺も誘われたのであった。まあ、そっか、まあ、いいけど、と言っていたら、ある日、彼女がクラスに怒鳴り込んできた「あんたら!酷いよ!誘っといてから約束すっぽかすなんて!」とわあわあゆうていた。 よくよく話をしてみると、お互い13日の金曜日と約束したのに、13日は実際は木曜日で、彼女らは木曜日を覚えていて、こちらは13日と覚えていたらしい。それがちゃんとわかったのは、暫くしてからみたいで、彼女はこそっと、何故か私に、「ごめんね、お互い勘違いしてたみたいね」と話しかけてきて、もう一回ちゃんと約束しましょうみたいな話になって、そのまま、ちゃんと永遠に話は流れたのであった。 それからまあ詳しくは言えないが、20年以上の月日が流れ、今日に至り、同年同月日生まれの漫画家の彼女の名前を見つけて、もしやその名前ってオレの同級生じゃないのか?高校どこやと、高校を検索したのだが、やっとツイッターで探し当てた。 ~亡くなった『ヘタコイ』の作者、中野純子さんが高校の同級生だったことが、高校んときのカノジョのタレコミで判明。でも全然覚えてないからたぶん同じクラスになったことがないのだろう。ご冥福をお祈りします。~ そう書いていたのは、高校のトモダチでミュージックマガジンに勤める高校の同級生であった。やっぱり同じ高校だったのか。彼は、文系でTOPだった奴で、変わった奴で、高校のときからインドインドといいながら大学では、ヒンディー語学部に入る変り種で金日成全集読んでみたりする変り種で、高校でも浮いていた。カノジョのたれこみという彼女もまあ、私の知り合いでもあるのだが、そのあとの彼のツイート。 ~そしてそれよりも衝撃を受けたのは、もう一人の共通の友人の女性が、昨年肺がんで亡くなっていたことをその元カノから教えてもらったこと。これも同い年。全然知らんかった。バイオリニストのHONZIと親しかったらしい。それも知らんかった。そしてHONZIももう故人だ。~ 肺がんでなくなたのは、確かに私の友達でもあった。その彼女に最後に会った時、まだ少し兆候があったみたいだけど、そのとき、いろんな話題が出て、俺が、そういえば、ホンジは元気にしてるの?昔よく遊んだねえ、というと、急に彼女が真顔になり、去年亡くなりましたといった。オレは彼女がそこそこ有名なアーチストになっていたことも知らなかった。だって、音大ってことは知っているけど、音楽の話したことなかったものなあ。
2012.11.21
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Air New Zealand An Unexpected Briefing #airnzhobbit ちょっと、知りもしないのに、えらそーなこと、ときどき、かまして、すみません。政治の素人(でも管とか、やりよったねえ)が政治をやると困るが、政治の素人が政治に参加するというのが、まあ、簡単にいってしまえば民主主義だよね。民主主義って多数決ですよね清き一票が、何も考えてない流されている奴もしっかり考え抜いた奴も同じ重さなんだよね、もっというと、アインシュタイン1人の意見より、ノータリン2人の意見が通るんだよ。チンピラが多ければ、真面目に生きている人の意見は消えるんだよ。選挙に何故試験がないのか、よく分からん。20歳超えれば、皆、一緒か?民意って、その人その人が考えたものではなく、メディアとかデマとかに恣意的に導かれるに過ぎない、そんなことを政治家はよく知っているだろうが、素人の我々には、分からない、そうだそうだ!とか言っているに過ぎない。そんな民意みたいなものを政治に反映すれば、危なっかしくて仕方ない。そもそも、柔道家、書道家、弁護士、看護師、飛行士、医師、理容師、漁師、科学者、医者、税理士、整備士、画家、そのような専門職の人に、我々素人は簡単に意見したり、根拠なく批判したりしないだろう、其の専門性に。人間性のことは知らんけど。しかし、教育もそうだけど、政治には、何だか、専門家でもないのに、口出しする。(裁判員制度は間違っているよね。もし、一般人の意見を反映させるというのなら、殺人事件みたいな特殊なことはあかんやろ)選挙は選択を強いられる、そんな資格のない奴は、私を含めた世の中、ごまんといる。人間には不向き向きがある、制限選挙せんとあかんやろ。。
2012.11.20
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成田へいく。ミンドロ島プエルトガレラへのルソン島の港はバタンガスだ。プエルトガレラに到着。港からジープで数十分ジャングルの中の悪路を走る。着いたら、することないビーチ。うだうだしてたら、夕方に、やがてなる。昼間から、テラスに座ってダラダラしてたら、すぐに夜になってしまう。いつの間にか、起きたら昼。船上のバーまで行く。ビール飲んで、酔っ払って、飛び込むのも自由。ちょっと、ダラダラ村を訪れるとオカマに言い寄られる。夜はディスコでまた飲む。
2012.11.19
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素人新銀行東京の設立と破綻、東京五輪誘致失敗と税金を散々無駄遣い、尖閣諸島購入を言い出し、国による買収にまんまと導いた。領土問題の本質や経済を含めた日中関係の重要性も考えず、勝手に無意味を喧嘩を売り多大の損害を多くの人々に与えた。こういう人間はダメなんじゃない?TPP問題は、ダメだけど、早晩、アメリカに押し切られるに決まっているから、仕方ないけど、どれだけ条文を有利にできるか水面下ではやるしかないんだろうねえ。某大阪市長は、マスコミを使うのがうまいのか、マスコミはネタを探すのに飢えているのか、褒め上げるかバッシングするか、そして市長は、ツイッターかなんかで、攻撃できる奴を攻撃して、そんなこというなら代案だせとか迫るが、代案なんかないだろ。白紙委任で独裁国家誕生ってか~。分かりやすい敵や、悪を作り出す、賛成か反対か二者択一しかない、こんなのダメでしょ。1からリセットしたらモウタクトウとかポルポトみたいになってもしらねえぞ。まあ、マニュフェストはもうできないから方針だけでいいよ・・・(しかし、1つもできないとは思わなかったねえ)ワンフレーズは、イッパツや芸人だけでいいんじゃね?
2012.11.18
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飲みに行ったが、こんな人間にはなりたくない硬球マドレーヌらしい、甲子園名物とのことこういうこと、インドでよくあったな。
2012.11.17
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南堀江のイメージは、大阪人ならまあ知っているだろう。新快速に大阪から乗ると、床に、自分のいつもいくクリーニング店の割引券が落ちていた。思わず、自分が落としたのかと間違えて拾ってしまうと、隣の人が不審そうにみていた。 全然関係ないけど、知り合いの知り合いが尼崎の角田事件で、彼女と同級生で、写真が間違ってでたときに、周りでは、「うわあ、すごい整形してんなあ」と噂されてたらしいけど、そりゃ違うわな。全然話は違うけど、どこの業界もそうだと思うけど、また消費税が上がるという噂でやきもきしてるけど、いっそ20年前の消費税のない税制に戻してくれといいたい、あの頃は所得税も累進課税ももっと高くて、戻すだけで税収は1,2倍から1,5倍になるよ。年収200万の人にとっては、200万はまずほぼすべて消費に回るから消費税5パーセントで10万円だ。しかし、年収1000万に人にとっては。消費に回すのドノくらい?まさか、消費に1000万使わないよね、まあ、普通300万とか400万とかじゃないの?その5パーセントだったら15万とか20万とか・・・って年収から見たら1.5パーセントとか2パーセントってことじゃない?あとは貯金含めた金融商品ですよね、年収1億の人もおりゃあと消費に2000万使っても、消費税は100万円。1パーセントだね。まあ、単純計算だよ、おれなんかもただのスーパーエリートサラリーパーソンなので、手取りは5,6割。そっから消費、なんぼつことんかなあ。まあ、しらんまにようけつかっているから、そうだなあ。というふうに、税金の基本は、取れるところから取れ!なので、ほんま会社員で税務や会社の金に詳しい人も、個人の金は、そりゃ疎い、寒い、寂しい。骨抜きにするように、仕向けられているからだ。そもそも、税金払いたくないというのは、やっぱろくでもないことに使われているという「不信感」だからだろう。案外北欧なんか、もっと税率高くても、仕方ないと思っている人多いからね。久しぶりにメキシコ料理食べた。ばかばかしいけど、タコベル旨いんだよなあ。ちなみにケンタッキー、ドチキンには行ったことがない。ちなみに、ファーストキッチンのことを大阪ではファッキンという。この前、久しぶりに呑みに行って、昔話になって、どんな話かあまり覚えてないが、中国ネパールウンコの旅で大いに盛り上がった(のはオレだけか)。 たまには、意味なく騒いで、面白く飲んで、そんで、明日休みやったら、そら最高ですわ。(明日休みでなかったので、楽しみは7割減。未だに感覚は小学校と同じ、一番楽しいのは、休みの日ではなく、休みの前の晩)
2012.11.16
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毎年6月というのは、徹夜アルバイトの季節であった。朝は、そのまま学校に戻って、学生会館でシャワーを浴び、部室の机の下で眠るのである。ハイチューを作るのである。作るといっても、機械の監視と、暴走したときにお菓子を引っ張るということと、紙のパッキングの位置がずれたら、それを剥く作業である。眠っていても体が自然に動く恐怖であった。寝ぼけ加減のまま、5万円で購入したセドリックを転がし、ストーンズをがんがんかけながら、登校する学生をビュンビュン抜いていくのである。休憩時間は、グリコ森永事件でお菓子が売れなくなり、学校に直接売りにいったなあ、とおじさんたちが話してくれた。人事の藤岡さんは、またおまえらバイトに来たのか、と少し呆れ顔していた。昼間の人と交代するのだが、昼間の人は女性が多く、皆同じ服着て、髪の毛隠すので、後姿みると、まったく年齢が分からないのであった。とにかく、つまみ食いしすぎて、虫歯になった。
2012.11.15
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ちょうど、チュニジアに行って離れた翌日ぐらいから暴動が始まった。前にも書いたけど、カダフィはドルを切り離しアフリカ中心で独自の基軸通貨を作ろうとしたので、殺された。それに賛同していたとされるのが、フランスのストスカーンだった。そうそう、アメリカのホテルで、ホテルのメイドに手を出したとされて追放された人物だ。勿論、裁判は、失脚して取り下げられた。矛盾点がいっぱいでてくるからだ。何せ、リビアは、ロスチャイルドなどの銀行がなく、リビアの金を強奪したかったのだ。それで、カダフィが倒れると、政府を立て直すより先に国際か依頼銀行が出来た。せっせと、そっちに資金が移されつつある。同じように狙われている国があるだろう。シリアとかイランとかか。まあ、シリアは資産がないから、中東の混乱を演出か。 リビアの人々は確かに、石油が豊富に出るのに、俺たちはサウジやカタールやアラブ首長国連邦みたいな金持ちになれないんだよ、バローと思っていたかもしれないが(といいながら、教育は大学まで一切無料、医療電気水道無料、家のローンは半分国家持ち、そんな福祉国家なかなかないぞ)、カダフィは其の豊富な資金で世界革命や民衆運動に金を世界中にばらまいてきた。いいもわるいも判断つかないが、世界中から結構感謝されている指導者でもあったのではないか。パレスチナを支援したり、反核発運動を支持したり、60年代のヒッピー運動みたいの支持したり、フィリピンの民衆運動、オーストラリアの労働運動、アフリカはもうカダフィが援助しまくり、とにかく資金援助やりまくってたらしい。だから、アメリカに楯突くことのできる数少ない指導者であって、アメリカから狂犬呼ばわりされたりして、アメリカは他の国を犬と思っているといわれればそのとおりだ。 そもそも、よくある話だが、アフリカはヨーロッパ諸国が勝手に国境線引いたので、実は、2つの部族が無理くりリビアでくくられた長い間の対立の反乱という面もカダフィがやられた面もあった。元々王族側で優位だった民族が、そうでない側のカダフィに政権とられてずっと、クソークソーと思ってたら隣国のチュニジアとエジプトが倒れたので、おれらも今がチャーンスと思ったに違いない。何セ、チュニジアは西隣、東隣がエジプト、挟まれてたら、そう思うのも仕方ない。まあ、そうこうするうちに、残念ながらやられちまいました。 まあ、一回アラブ諸国に行ってみることだね。
2012.11.14
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そういうことは、知らないが、水曜日早く帰って、少し眠くなったので22時に1時間程寝ようとして寝たら、朝6時だった。何だか、起きた瞬間、もしかして、長い間寝ていたのではないかと思ったのだが、確かに6倍寝ていたのであった。それは、多少起きる意思が弱かったからである。心のどこかで、まあ、1時間といったが、2時間ぐらいねてもいいかな、と思っていたのである。反対もある。必ず6時に起きるのだとか5時に起きるのだ、とかいうと、まあそんなに早い時は目覚ましをかけるが、やぱり起きることができるのだ。しかし、それも限界があり、仕事では、たまに寝過ごしたりするが、不思議なことに、年取ったのか、ここ2,3年は寝坊したことがない。 それで、冷蔵庫を空けたらひさしぶりに買った卵パックが床に落ち、残5戸中、5戸が割れた。そのとき、久しぶりにカップ麺を買ってきて、作ろうとお湯を沸かしていたものだから、毛トルをとって、カップ麺に注ぐと、卵のことがきになり、カップ溢れてしまった。卵ももったいないので、ぶち込んだら、もう全て食べられなくなった。 2012ソウル 26年ぶりのソウルタワー 南山ソウルタワーブロック テディベアに学ぶ歴史の旅 テディベアに学ぶ現代の肖像 テディベアに学ぶかつてのソウル テディベア自体の歴史 ソウル軍事博物館1 安重根博物館 ソウル軍事博物館2 軍服 ソウル軍事博物館3 戦時中の生活 ソウル軍事博物館4 ソウルgourmetの旅
2012.11.13
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小学校2年生というと、恥ずかしながら7歳か8歳ぐらいなんだなあ。今じゃあ、1年ぐらいはクソにもならないが、当時は育ち盛りなので1年違えば違うよね。つまらないことなんだが、ドッジボールで100うけというのがあって、敵味方分かれて長方形の囲いの中で、中にいる敵をボールで当てるのだが(説明面倒だなあ)、10回受けなかったら、やっつける、うけるが交代するんだよね。二度受けは無効で、二度受けというのは、投げたボールを受け取っても一回ボールを離してしまって再度受けた場合はカウントされないということだ、まあ、それで二度受けや、ちゃうう、一回で受けたとすぐ修羅場化したな。 とにかく、私の所属する2年3組は強かった。強いに増して、厳然たるヒエラルヒーがあって、私は6番目にうまいことになっていたのだが、自分では4番目なのになあと思っていた。今は、4番、5番だったトモダチを覚えていないが、まだお勉強が誰ができるのかというのは、意識されない学年で、ドッジボールのうまい順に、何となくエライ順だったような気がする。1位のやっさんも2位のさかちゃんも3位のオータも元気にやっているのだろうか。
2012.11.12
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グラナダ遠くシエラネバダ山脈、不思議にも、高校生まではネバダといえばアメリカで、原爆実験のあるところと思っていたが、いやはや、アメリカって、ヨーロッパの都市名だらけで、いやいやエジプトの名前もあったりなんかして(メンフィスとか)、映画でもあったように、テキサスにパリまであったりなんかする。アルハンブラは、アルハンブラでは通じない。日本語では発音できない。まずは、対岸の家々が建つ丘に行き、アルハンブラ宮殿全体を見渡す。対岸の丘のバルに入って、24時間ぶりに、口に食べ物を入れた。アンダルシアではバルに入り、飲み物を頼むと、一品タパスがついてくるのだ、何がついてくるかは不明というか、お楽しみだ。家々の連なりが終わると、禿山の丘が見え始め、よく見ると洞穴があり、ここにも人が住んでいて、人が出てくるのが見える。そこでは、タブラオといわれている洞窟小劇場で、フラメンコが催される。10人か20人入ればもういっぱいになるんだ。昔、住居だったのだ。コルドバ メスキータセビージャ コルドバからセビリアには新幹線で行った。新幹線が通った通ったことは知らなかったのだが、セビリア万博(1992)のときに新幹線を通した、と記憶する。万博は大阪以来であり、コロンブス500年記念だったらしい。ヒラルダの塔セビリアから、カディスに行こうとしたのだが、バスで4時間。やめた。なんだか、昔の駅に行ってみたら、浮浪者がたまっていた。
2012.11.11
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歯神社は、大阪駅すぐにある。環状線を高架下に北側を歩いていくと、すぐ見つかる由緒ある寺である。がたいは小さいがHPもある。由来はそちら方面を参照です。何セ、全国の歯科医や其の卵、歯の痛い人、歯に悩む老若男女がわんさかと押し寄せ、そのご利益に預かろうと、人で一杯なのである。まるで、大阪に買い物に来ている人と間違えるぐらいだ。なで石をなでると、歯がこそばくなるといわれている。(嘘)話は変わってハイテンションで京都へこんちくしょうで、どれがビルで寺でか分からない大阪からJR新快速に乗って京都に向かうと、高槻あたりで北側にチョコレートの壁に出くわす。
2012.11.10
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平和を叫ぶ白い子うすぺらな鏡の人化石化火炎放射器ユニフォームトンネルカプセルホテルポプラ事件 シュミレーションゲーム。大画面過ぎて気分悪くなる。墓殺し屋 2012ソウル 26年ぶりのソウルタワー 南山ソウルタワーブロック テディベアに学ぶ歴史の旅 テディベアに学ぶ現代の肖像 テディベアに学ぶかつてのソウル テディベア自体の歴史 ソウル軍事博物館1 安重根博物館 ソウル軍事博物館2 軍服 ソウル軍事博物館3 戦時中の生活 ソウル軍事博物館4 ソウルgourmetの旅
2012.11.09
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タイ国鉄が主催する、休日ナコンパトム・カンチャナブリ列車ツアーに参加。ナコンパトム駅で列車は1時間程停車し、其の間、見て来いや、という企画であり、其の仏塔は高さ120メートルで世界最大の仏塔だということだ。南部に下る時には、いつも見ていたのだが、ついに下りるときが来た。カンチャナブリ クワイ河泰緬鉄道列車の中ではタイ人の高校生らしい女の子がラジカセ鳴らして踊っていて楽しそうだった。サイヨークノーイ滝というところにも行った記憶がある。バンコク最後の夜は、勿論、最終29番バスで空港に向かい、朝一番の飛行機に備えます。(バンコク大丸)韓国で金余ってレコード買うおかげで帰国時には201円の残金となり、空港から家に戻れない。外国人墓地
2012.11.08
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マレーシアからタイに入り、ハジャイでバスを乗り換え、スラタニーまで列車で行き、そこから乗り合いタクシーにて、港まで行く。早朝4時にコサムイのナタウン港に着き、明るくなるのを待ち、そのままポブットビーチへ。ポブットビーチからコパンガンのサンセットビーチへ出る10人乗り程度の小船が週に2回出ていた。 不思議なことだが、ビーチで海に入ってぼんやり、死ぬほど美しい透明の海を見ていたら、高校の同級生たちを思い出した。クラスメートは、理系だったこともあり私以外皆浪人したので、今1回生だ。今、自分はパラダイスに居て、皆に見せてあげたい気分に駆られた。 従業員は朝の5時から夜の9時(9時以降はバッテリーが切れ真っ暗になる)までよく働くなあと思っていたら、昼間、爆眠していた。私のあだ名は、ああ情けないの「ミスターアジノモト」サンセットビーチ、レストランが1件とバンガローが20ほど。それで全ては終わりだった。他の島内のビーチに行くには、険しい山道を歩いて越えていかねばならなかったようだが、それは面倒だった。西洋人はブヨブヨの腹やしなやかなお尻を出して、胸やセイキを焼いていた。 島には、バンガローが飼っている犬が2匹いて、夕方になると、海に自発的に入り、じっと夕焼けを見ている哲学犬と科していた。 飯は、毎日、漁をして、取れた魚がメインデッシュとなる。浜辺に打ち上げられた魚を見て、これを食べると適当なことをいい、自分の食べたものを自分の部屋の台帳に自分で記帳し、値段も書き込み、最後に、まとめて全てを払って精算するシステムだった。ノートで自己申告だ。ジュース飲んだらノートに5Bと記入するのだが、 バンガローの主に、たばこを吸う真似をしたら、パッケージされたものをくれた。何て記帳していいいか分からなかったので、?と記帳して、50だか100だかを書き込んだ。いくらかは忘れたが、私には、正しきグルがいなかったので、本当の世界にいってしまうのに、1年を要した。仕方なく「?50B」と書いておいた。牧歌的だったなあ。 その夜のことは忘れられない。丁度、その夜は、ロッドスチュワートがかけられており、やがて、バッテリーの音だけになり、21時、全ての電源が終了し、全くの暗闇になった。後は、蝋燭だけである。ヘッドランプは持っていたが、その夜は、バンガローの部屋の中で、蝋燭を焚き、静かにしていた。そして目を閉じた。 目を閉じた瞬間に、目の裏側に、何百というブッダの行進が始まったのであった。これだったのか!私は、一人、歓喜した。ここから、いろんな実験的思索が始まったのであった。始まりのブッダであった。 昼間は、停電となり、従業員は朝早くから晩遅くまで休みもなくずっと働いててすごいな、と思いきや、昼間、皆、ずっとへたばって寝ているのであった。そのだらしなく寝ている姿が愉快であった。店の女の子もだ。何へたばってんだよ、とへの字顔を彼女を眺めると、むくっと起き上がり、何ですか、ミスターアジノモト、と笑って答えられた。 荷物をまとめて、従業員の女の子にチェックアウトするよ、というと、笑われた。船は3日に1回しか出てないのよ、昨日出たでしょ、だから明後日だよ。と。滞在は2日延びた。チェンマイ郊外で何故かシルク工場を見学(させられたのであろう。トレッキングに行く道の途中で)チェンマイまで、バンコクから初めての1等車で行って、寒くて風ひいたわ。トレッキングに出かけるアカ族、メオ族と回る。民族姿の女性達は撮ってはならないといわれる。ようやく、村に着いたら、コカコーラ売りに来た。勿論、村の人は飲まないのだが、町からコーラをトレッカーに売るために運び込んで来ており、いらないけど、悪いので頼んだ。値段は市価の倍程度。おじさんの笑顔と手が危ない荷物
2012.11.07
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この前、実家に帰ったら、実家の前で車を止めて、ゴソゴソしている人が居て、家に入ろうとしたら、「あれ、お久しぶりです」と言われた。その人は、妹がかつて働いてた某神戸製鋼だっけ、の上司夫婦であり、イギリスの結婚式に来てくれてた人であり、多分そういうことだから7,8年ぶりだかなんだかぐらいのような気もするんだけど、「ああこりゃどうも、お元気ですか」で会話は終わり、何か荷物持って来てくれたみたいであったが、イギリスの結婚式も、其の夫婦と、それなりに飲んだ、ということで、結構話題もないんでちょっと困ったんであった。 いや、別にコマってはないのであった。お久しぶりです、お元気ですか、お元気の確認をしたら、まあそれで終わりであった。不思議なものである。 パリでも、道を歩いていたら数年ぶりに、知り合いに会ったけど、偶然前から歩いてきたんだけど、おー、元気?で何だか1分ぐらいで、会話は終わり、じゃあ、また、で終わってしまった。あ、今何してるの?とか聞くの忘れちゃったなあ、あ、どこに住んでいるのか住所聞くの忘れてたなあ、ははは、とちょっと思ったけど、まあ、思っただけ。 時代は変わる。チベットであれだけ、若いからだったのか、つまらない人生論口走って激論して、帰国後もやり取りして、何年か前に偶然ネットで発見して、久しぶりだなあ・・・で終わり。でも何だか、淡白だなあ、というのとは違って、まあどちらかというと話することがないと言うものかもしれないけど、心のどこかでまた会えるからねって無責任で意味のない安心感と自身があるからのような気がするんだよね。 それぐらい、ネットの世界があって、現実の世界があって、遠道じゃなくなっちゃったんだよな。
2012.11.06
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わかったよ、わかった・・・海外旅行の土産話というのは、そうそうにできる訳がなく、それは、俺のコミュニケーション能力の不足も関連するのだが、感想を聞かれたら、まあまあ面白かったよ、とか、ちょっと暑かったなあみたいな意味のない感想をぼそりと述べるくらいで、それでも、画像と共にアップしたりしているのは、本当はまったくの嘘っぱちというか、ランダムの断片的な知識というか経験に過ぎないのである、数日で何が分かるっていうんだよ、したり顔なんかできないよ、特に俺なんか1日とかもあるんだぜ、要約すれば、タッチアンドカムバックだわい。陳腐で間違った見識を、嬉しがりのように書きなぐっているだけなんだよ。ベタだけど、ここ数年で久々にスンゲエと思ったのはエジプトのピラミッドだった。そういう意味ではアンコールワットかなあ。アジア3大仏跡はビルマのパガン、インドネシアのボロブドゥールとカンボジアのアンコールワットだと思っている。テディベアの場合じゃねえよ。 2012ソウル 26年ぶりのソウルタワー 南山ソウルタワーブロック テディベアに学ぶ歴史の旅 テディベアに学ぶ現代の肖像 テディベアに学ぶかつてのソウル テディベア自体の歴史 ソウル軍事博物館1 安重根博物館 ソウル軍事博物館2 軍服 ソウル軍事博物館3 戦時中の生活 ソウル軍事博物館4 ソウルgourmetの旅
2012.11.05
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月曜日 夕食 24時ころ昨晩買ったパンを食べる。帰りの電車が遅れて、はあ、という感じ。火曜日 何年かぶりに夕食にスキ屋の牛丼を22時半頃に食べる。水曜日 妹夫婦がイギリスから来てはや3週間、やっと、ちょっと三宮の繁華街でおでんを食う。というか、20時に行くと、既にほとんど食べ終わっていた。もはやドリンクのみ。早く子供見にこいやと急かされる。木曜日 朝、自殺かなんかで途中でJRが止まり、阪神西宮まで歩いて振り替え輸送されるが、満員で2回電車に乗れず、通勤時間は2時間。会社に着くと、もう疲れてしまった。金曜日 22時半前に、珍健一プロデゥースの店かなんかの、麻婆豆腐を食べる。味は、うまいが、800円でいいんちゃうの、という感じのご飯セットで1100円で、店が終了するのに、バイトが帰りたがっているのか、先に料金を回収し始めレジを閉めたがるのが鬱陶しかった。閉店時間過ぎてからなら分かるけど、あと15分あるだろ、ダメだな。帰りにイカリカーパーでコーヒー買おうとしたら、これも閉店間際で、追い出され感満載であった。地元のコープじゃ、9時閉店だけど、9時になっても客はちょっと残ってて、「ただいま閉店になりました」とアナウンスが流れるが、ちょっとは余裕シロを持っている。おまけに、イカリプロディースの羊蹄山のコーヒー、どうみても普通。土曜日 京都に行く。日曜日 実家に行く。妹の子供1.5歳、よく動く。前に見たのが、日本に来ていたのが1歳の頃で、もう全然変わっていて、人見知り激しいといいながら、何故か、兄弟だから分かるのか、すんなり、膝の上に座ってくるから不思議なものだ。(妹談)次ぎ見るのは、半年後か、1年後か、まあ、アイルランド行くツイデデモ寄るか。
2012.11.04
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絶望しゃもじ物色散発疲労涙腺渇水行列外人売飯夕飯薪路地物乞昼寝忘却希望羨望
2012.11.03
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ひとたびスカウトに ちかいをたてて なりし身は いつもいつも スカウトだとかいいながら、80年代後半僕は、20年以上前になるけど、学生だった。学生だったけど、学際に出たのは1階だけだったのだ。何かの民族大会に出場した、というか、グループで出場、衣装を貸し出したのは、この中の私含めた2、3人だけである。でも、日本で、こういうの来て歩くのは目立つのだが、好きだったから仕方ない。さすがに、女装はしないが、ルンギーやバチックは、スカートに見えちゃうもんなんだ。10代といえば、滅法、酒にも強いんだ。いくら飲んでも、若いから平気なんだ。二日酔いも、清々しいなあといいながら、頭痛と吐き気を健気に耐えるだけなんだ。でも、悪いことはしない、いい子ちゃんなんだ。バイクも、50CCと250CCを持っていたんだが、免許は原付しかなかったんだ。靴下なんか赤で、すごく趣味が悪かったんだ、この辺は高校生の延長のまま、というか、高校のときに持っていた靴下なんだ。学生時代は、3月から11月までツッカケが正装だったんで、あまり靴下履かなかったんだ。つっかけっていっても、ゴム草履だったんで、満員電車は極力避けてたんだ、足踏まれたら惨めになるからさ。高校卒業まで本なんか読まなかったんだけど、大学になったら、いきって、年間100冊を目標にしたんだ。それは今も続いているんだけど、今は目標は年間100冊買うだけなんだ、けど、買うだけだから毎年余裕でクリアしてるんだ。というか、クリアしすぎて、困っているんだ。これが、二十歳になった瞬間の記念撮影だけど、部屋の中の気温はマイナスなんだ。寒いんだ。若かったからいきってできたんだけど、もう今は其の勇気もないけど、その2倍以上、割と無意味に生きてきたんだ。今後も多分よく分からないまま生きていくんだ。でも、40歳超えてからは、死が近づいたとよく感じるんだ。でも不思議なことに感じるだけで、惨めに長生きしそうな気がして気も滅入るんだ。(写真を見て思い出したけど、二十歳になったときに行った国はフィリピンとインドとタイとマレーシアとシンガポールとインドネシアだけだったんだよな)
2012.11.02
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食事憲兵に睨まれて青空教室もありました負傷しました白い人・・・とかなんとかいって、また帰国する時間が迫っていて、それどころじゃない状態だ。 2012ソウル 26年ぶりのソウルタワー 南山ソウルタワーブロック テディベアに学ぶ歴史の旅 テディベアに学ぶ現代の肖像 テディベアに学ぶかつてのソウル テディベア自体の歴史 ソウル軍事博物館1 安重根博物館 ソウル軍事博物館2 軍服 ソウル軍事博物館3 戦時中の生活 ソウル軍事博物館4 ソウルgourmetの旅
2012.11.01
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