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前回は、勇気が発揮される根底には優しさや愛があるということについて述べました。しかし勇気には粗暴な蛮勇といわれるものもあって、これは本当の勇気とは違うようです。蛮勇には自己中心で人に対する愛がなく、華々しく自分を誇示しようとする心があります。本当の勇気には愛があります。いくら知識があっても、いくら知性が高くても、いくら頭がよくても、行動する勇気のない人は、他人に対する愛に乏しく、リーダーたる資格はありません。リーダーには,少なくとも部下を愛する気持ちが必要でしょう。これがなければ部下は最後までついてきません。自分に利がないと分かれば,部下はすぐに離れていってしまうでしょう。いざという時に、助けてくれません。 さて、勇気というものを、「平時の勇気と非常時の勇気」の2種類に分けてみる見方もあります。これには大きな違いがありそうです。 作家の海音寺潮五郎氏はこれについて「戦場というところは人を殺すところだから、そこでの勇気とは大方は半分狂気の時の興奮でしょうから、本当の勇気じゃありませんね。ほんとの勇気とは日常の場合に、迫害や死を恐れず、自分の信念を暴露し得る気力でしょう。」と述べています。本当にその通りだと思います。日常の生活において、人のために良かれと思う自分の考えや信念を貫きとおすのは並大抵のことではできません。人々の日頃の誹謗中傷に耐え、場合によっては命さえ狙われかねない状況の中で(今の時代にはこういうことはあまりないでしょうが)、日常の生活を営んでいくことは、この上ない勇気と忍耐がいります。それだけ人に対する愛も深いのでしょう。我々凡人にはなかなか真似のできないことです。できればここまで自分を高めていきたいものです。(本テーマ完)
2005.09.10
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勇気というものは,行動力や実践力と大いに関連があるようです。電車の中で、お年寄りや体の不自由な人に、声をかけて席を譲る時には、ちょっとした勇気がいることを経験したことがある人は多いと思います。このような場合、自分も経験がありますが、いい格好をしようとしていると思われはしまいか、もし断られたらどうしようかなどと、どうしても第三者の目を意識してしまうようです。あるいは、皆さんも、大勢の前で、スピーチをしたり、何かを発表したりする時には、程度の差はあれ、緊張し胸がドキドキする経験をしたことがおありでしょう。自分も若い頃はそうでした。そして年輩となった今でもそうです。また、職場などでは人間関係が悪くなるのを恐れて、部下などを叱るべき時に叱れないこともあるかもしれません。こうした場合、ちょっとした勇気がいります。では勇気の源泉は一体何でしょうか。それは人に対する優しさや親切心、人のお役に立ちたいという気持ちではないかと思います。一言でいうなら、それは人に対する愛といってよいかもしれませんが、どうでしょうか。お年寄りや体の不自由な人への本当の優しさ、愛があれば、他人にどう思われようと躊躇なく席を譲れるでしょう。人に訴えたいことがあり、それが本当に人のためになると思えばこそ、使命感に燃えて大勢の人の前でもドキドキすることなく臆せずに話すことができるでしょう。本当に本人のためになると分かっていれば、叱るべき時には叱れるでしょう。このように勇気が発揮される根底には優しさ、愛があり、それが行動となってあらわれるのではないかと思います。(次回へ)
2005.09.03
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