森田先生は神経質同士の結婚はよくないと言われている。
神経質者同士は、お互いに心持ちが分かり、心の底まで見通しているから、お互いにその欠点を挙げ合って、相手にばかりそれを改良させようとする
ぐじぐじといつまでも、しつこく言い争をする。
また、ヒステリー同士でもいけない。喧嘩が早くて始末に負えない。
およそ、結婚は気質の違った人が、うまく組み合わされるとよい。
神経質な人は、気の軽い大まかな人と結婚するのがよい。
するときの軽い人は、あの人はどうせ気難しいがり屋だからといって大目に許し、また神経質な方では、どうせあれには、難しいことを言ってもわからないといって、あまりやかましくはいわなくなる。
お互いに許し合うから円満になる。結婚について最も大事な事は「調和」ということです。
たまにいとこ同士で結婚している人がいる。この場合は、遺伝子がよく似通っているので、優性遺伝が強く現れるととてつもなく素晴らしい能力を持った子供が生まれることがある。
私の知ってる人でも、夫婦は日雇いのような仕事をしている人だか、生まれた女の子供は最高学府の学校出ている。その話を聞いた人は誰でも嘘をついているのだろうと思うそうだ。
だから自分の娘の卒業写真を常に携帯していた。
語学に堪能で大きな会社に入り、世界中を飛び回っている。キャリアウーマンになった。
その子供が結婚する時、そのお相手もまた経済力や能力のある人で、結婚式で相手の出席者は国会議員を始めとしたそうそうたるメンバーを揃えていたそうだ。
自分のほうは、親族や2人の友人のみでとてもみすぼらしくて肩身の狭い思いをしたとと言っていた。
いとこ同士の結婚で一番問題になるのは、劣勢遺伝が強く現れた場合である。
この場合は先天的な身体や脳の機能の異常という場合がある。
いとこ同士の結婚は、結果が極端によいか悪いかということになりやすい傾向があるということである。
集談会でもよく集談会でお相手を見つけて結婚する人がいる。
私はそれが必ずしも悪いとは思っていない。
森田先生は、神経質気質同士は、性格がよく似通っているので、それがプラスに出ればお似合いのカップルとなる。反対にマイナスに出た場合は、収拾がつかなくなるということを言っているのだと思う。
お互いに細かいことが気になり、自己内省性が強く、執念深いという特徴がある。
また、一般的には「かくあるべし」が非常に強い。
それが自分に向かった場合、神経症に陥りやすい。そして葛藤や苦悩で苦しむ。
また相手に向かった場合、そのうち支配被支配の関係になりやすく、油の切れた機械を動かすような摩擦を生みやすい。
もちろん、感受性が強いという面を生かして、お互いの思いやり絆を深めていけばよいのだが、ちょっとしたことをきっかけにして、それらがすぐに瓦解してしまうという危険性は持っている。
神経質者同士の場合でも、強迫神経症の場合と不安神経症の人の組み合わせは比較的よいようだ。
それは、強迫神経症の場合は、森田理論で言うところの自己中心性がとても強い。
端から見ると自分のことしか考えていないように見える。活動は自己抑制的である。
ところが、不安神経症の人は、基本的には自分の周囲の人の事を大切にする。それは自分がパニックに陥った時に、誰かに助けてもらえないと死んでしまうかもしれないという気持ちがあるからだろう。
活動は神経症が回復した時点では、人間が変わったように活動的で、リーダーシップをとったり、人を取りまとめたりする力を発揮することがある。そういう意味で、神経質の中身が多少違うのである。
異質な特性を持った人が一緒になると、磁石で言えばマイナスとプラスを近づけるようなものになる。
近づけるだけで自然にくっついていくようになる。ところがプラスとプラスを無理矢理引きつけようとしても反発するばかりである。マイナスとマイナスをつけようとする場合も同じである。
だから、お互いの人間関係においては、異質な性格や能力を持った人同士が協力し合うというのが、自然の摂理にかなっているということだ。
頭の中だけで考えると、性格や能力、趣味や目標が似通った人同士の方がうまくいくように考えられるが、事実は決してそうではないということだ。
短い期間で見ていると気心もしれ対立することもないので、その方がよく見えるのだ。
ストレスがなくて楽なような気がするのだ。
趣味や考え方が似通っているので、この人とずっと死ぬまで相思相愛で争うこともなく楽しく生活できるはずだと思うのは、あまりにも短絡的な考えかたである。
何十年という単位で考えてみると、自分の持っていない面で相手に助けてもらい、相手の持っていない面で相手を助けるという関係が理にかなっている。
会社などの組織で考えても、同じような考え方、行動の仕方をする人よりも、考え方、行動の仕方、年齢も性別も違う人同士が集まっているほうが、長い目で見るとプラスに働くようである。
確かに、いろんな人がいるとたえず摩擦が発生する。嫌な思いをすることも多い。しかし、その問題を話し合いによって乗り越えようとする努力が、結局自分たちの組織を強くしているのである。
そういう意味では、我々の神経質者の自助組織においても、異質な傾向を持った人が多く関わりあうことが、組織の維持と発展には欠かせないものであると考える。
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