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遺伝子研究の村上和雄氏のお話です。カリフォルニア大学のロバート・エモンズ教授は、感謝に着目した興味深い実験を行っている。大学生の被験者を3つのグループに分けて、毎週1回、その週を振り返り、ありがたかったこと(感謝グループ)、いらいらしたこと(いらいらグループ)、印象に残ったこと(統制グループ)を、それぞれ最大5つまでノートに記入してもらいました。それを9週間続けた後、生活全般や健康状態について質問しました。その結果、感謝グループでは、他のグループに比べて、「人生は喜ばしいものである」と感じた人が多いだけでなく、健康状態の不調(頭痛、胃痛、めまい、肌荒れ、筋肉痛、下痢など)を訴えることが少なかったといいます。さらに、感謝グループでは、困っている人を慰めたり、助けたりという利他的行動をとる傾向が高まったといいます。感謝することが、感謝している人自身の幸福感や人生に対する満足感を高めるだけでなく、からだの調子を改善し、利他的行為を促し、ストレスやうつ状態を軽減する効果がある。(望みはかなう きっとよくなる 村上和雄 海竜社 120ページ)感謝することはさまざまな効用があることが分かります。感謝を忘れた生活に幸せは訪れないように思います。でも神経症で苦しんでいるときは、感謝することはあまりありません。ある先生の話によると、「うつ病の患者は家族を気遣って心配しなくてもよいと言うが、神経症の患者は家族に不平不満ばかりをいう」と言われていました。自分は神経症で苦しんでいるのだから、家族は自分のためにできる限りことをするのは当然のことだという気持ちが強いのだと思われます。また家族や他人が自分のために心底尽くしてくれても、そんなことは当たり前という気持ちになることが多いように思います。むしろやってくれたことが、自分が考えていた水準以下の場合、不平や不満や怒りを抱くこともしばしばです。ケガや病気をしたとき、財産や仕事を失ったときに、はじめて健康や平穏な生活のありがたさに気付いて、感謝することになります。森田先生のお母さんは森田先生が何かを欲しがった時は、下の人を見よと諭されたそうです。欲望を無制限に追い求める生活をしていると感謝の気持ちは持てないと思います。樹木希林さんは自分の身体は神様からの預かりものという考え方をされていました。貸していただいたことに感謝して、最大限に活用させていただくという考えを持っておられました。こういう気持ちを持っていると貸主もまた貸してあげようと思われるのではないでしょうか。人間としてこの世に生まれたことは大いに感謝すべきことです。実際には生まれた時代、国、社会、境遇、運命、性格、両親を恨んでいる人もいます。この世に生まれたことに感謝して、自分が持っているものを活かし、自分のできることに精一杯取り組むことは、人間として生まれてきた我々の宿命ではないでしょうか。私は毎日日記を書いています。内容はその日の天気や夕食の内容、主な行動、大きな出来事などです。それに加えて、その日のうれしかったことなどを書いています。今後は「ありがたい、ありがとう」という感謝探しも付け加えてみようと思います。村上先生は1週間に一度くらいでよいといわれていますので、これくらいのペースでやっていきたいと思います。そして小さなことに感謝できる習慣をぜひとも身に着けたいと考えています。
2023.06.19
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矢野惣一氏のお話です。愛の欠乏感によるさまざまな問題は、愛の偏り、つまり同じ愛ばかりを求めていることが原因で起こります。どんなにたくさん食べ物を食べても、偏りがあると栄養失調になってしまいます。同様に、どんなに愛されても、どんなに自分を愛しても、どんなにたくさんの愛を与えても、ひとつの愛だけでは愛が偏って「愛情失調」になってしまうのです。ポテトチップスばかりを食べて栄養失調になった人が、ポテトチップスを食べる量をさらに増やしていったところで、体調がますます悪くなってしまうのと同じです。愛の欠乏感を引き起こしているのは、愛の全体量の不足ではなく、3つの愛の偏りなのです。(うまくいかない人間関係は「愛の偏り」が原因です 矢野惣一 廣済堂出版参照)3つの愛とはどんなものか。1、他人から愛してもらうことに偏っている。依存的傾向が強い。2、自分を愛する気持ちが強すぎる。他人を愛する気持ちが希薄である。3、他人を愛する気持ちが強すぎる。自分を愛する気持ちが希薄である。ひとつの愛に執着してしまうと、愛の欠乏感を生み出します。人間関係の悪化はこのバランスが偏っているのが問題であると説明されている。この3つの愛を循環させることで、愛が満たされる。そして、愛を循環させるには、普段意識が偏っている愛とは別の愛に、意識を向ければよい。1は、他人が自分を暖かく迎え入れてくれているかどうかを気にしている。他者に依存して生きていくことになります。自立することが難しくなります。絶えず他人の称賛や評価に振り回されている。ミスや失敗、非難や否定を怖れて、行動は逃避的、消極的になる。2は、自己中心的である。自分の気持や欲求を一方的に相手に押し付けることが多くなる。相手の気持ちや考え方を聞くことがおろそかになっています。相手のことを批判、非難して対立的になっている。森田でいうと「かくあるべし」を相手に押し付けている。3は、相手の気持ちや要望を多少無理しても叶えてあげようとしている場合です。問題は、自分の本音、気持ち、欲望などが二の次になってしまうことです。潜在意識と顕在意識が対立してきます。自己犠牲の気持ちが強くなると、精神的な葛藤が生まれます。どれがより大切かという考え方ではなく、偏りをなくして、バランスをとることを心がけると人間関係は改善できると言われています。
2023.06.13
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以前に生活の発見誌に載っていた悩み相談です。ある製造業の会社員です。25年務めているのですが、職場の雰囲気になじめず、みんなから信用もなく蚊帳の外のような状態で苦しんでいます。具体的には、仕事上のミスが多かったり、それに対して上司がぼろくそに言ったりして、またみんなの前で罵倒するため、下のもの、女子社員などもみんな自分を馬鹿にしているみたいです。給料泥棒とか、何をやっているですか、しっかりやってください。本当に大学を出ているのですかなどと言われます。症状としてはビクビクして仕事が手につかない。自信がない。こんな状態で社会生活を営めるのだろうか。廃人になるのではないかという恐怖感があります。この方は会社のなかで無援孤立状態にあるようです。このままでは心身ともに益々悪くなることが予想されます。また対症療法で簡単に問題解決というわけにはいかないと思います。生活の発見会には森田理論に詳しい協力医がいますので早速受診されることをお勧めします。仕事ができる精神状態にあるのかどうかを診断してもらいましょう。一時的に薬物療法が必要なのかもしれません。治療と並行してカウンセリングを受けることも有効だと思います。生活の発見会には、森田理論に詳しいカウンセラーのリストがありますので、活用されることをお勧めします。あるいは生活の発見会には、有料ですが「電話相談」も受け付けています、メンタルヘルス岡本記念財団には臨床心理士の相談もあるようです。また「いのちの電話」相談などもありますので視野を広げて考えるようにしましょう。一人で悩むことは避けた方がよいと思います。私も一時このような状態になったことがあります。自分が自分でないような感じで仕事どころではありませんでした。近くの精神科のクリニックで薬を処方してもらって飲んでいました。それともう一つ良かったのは、集談会の先輩が毎週土曜日に「読書会」を開いておられました。私は毎週そこに行って苦しみを吐き出していました。自分の悩みを聴いて相談に乗ってくれる人がいるというのは「心の安全基地」を持っているようなものです。地方の方で近くに適当な集談会がないという方もいらっしゃるかもしれません。現在生活の発見会では、オンライン集談会があります。家に居ながら全国の人とつながります。自分が安心できる母港を確保しておくことは精神衛生上必要だと思います。今はアリ地獄の底に落ちて苦しんでいる状態だと思います。捨てる神もあれば拾う神もあります。希望を捨てないことです。なんとかして地上に這い出ることにエネルギーを投入しましょう。地上に這い出てから少しずつ森田を学習して、生活に応用していく方向を目指されたら如何でしょうか。
2023.06.10
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人間は他人から非難、否定されるとすぐに気分を害するようだ。本人がやる気をなくするだけではなく、非難、否定した人を恨むようになる。非難、否定するのは信頼関係ができているときには、たまに絶大な効果をもたらすことがあるが、それ以外にはほとんど効果はない。私の近くには「ほめる自動車教習所」というのがある。その教習所の送迎車には堂々と「ほめる教習所」と書いてある。やさしい女性の指導教官も多数いる。ちなみにほめる教習を謳い始めてから生徒が増えてきたという。運転免許はこういう教習所でとりたいものだ。プロ野球の伝説のコーチ高畠導宏氏の指導方法は、まさにほめてほめてほめまくる指導方法だった。「私は、コーチになるとき、よーし、ほめまくってやろう、選手をほめてほめまくってやろうと思ったんですよ」「プロの世界に入ってくる人間は、必ずどこかにいいところがある、人より優れたところがなければプロには入ってこられません。だから私は、人より優れているその部分を徹底してほめようと思いました。以後30年、私は一度も選手を怒らずに通してきました。その方が、選手ははるかに成長するからです。だから、私のコーチ時代というのは、本当に選手をほめまくった30年だったと思います」高畠氏は、プロ野球の選手の欠点は直そうとしても直るものではないといわれる。「たとえば技術的なことで、その選手のバッティングに、ある欠点があったとします。しかし、ピッチャーがボールをリリースするところから、バッターのミートポイントまで距離はわずか約15メートルほどしかありません。その短い距離をボールは0.4秒前後でやってきます。しかも、プロの威力あるボールが、その間に沈んだり、食い込んできたり、逃げていったりするんです。そしてボール球は見逃し、ストライクは打たなければならない。プロ野球とはそういう世界です。その中で、身体が覚えてしまっている欠点を直そうとしたって、直るものではありません。ああだこうだ、とコーチがいったって直らないんです。無駄な努力です。だから長所を伸ばすんです。欠点を直すのではなく、その選手がほかの選手より優れているところを伸ばすことが重要なんです」(甲子園への遺言 伝説の打撃コーチ高畠導宏の生涯 門田隆将 講談社 265ページ)この話は人を教育して一定のレベルに押し上げようとする時に参考になります。相手を観察して、その人の努力過程、強みや長所をみつけてそこを評価する。それを土台にしてさらに多少の上積みを期待してよりよい提案をする。そして失敗しても「ドンマイ、ドンマイ、そのうちきっとできるようになるはずだ」といって、暖かく見守る。急いで理想の水準に到達させようとしないほうがよい。目的に至るまでいくつかの段階を設けて、着実に階段を登らせる。うまくいかなければ、元に戻って一緒に考えてみる。上から目線で重箱の隅を楊枝でほじくるようなことは百害あって一利なしである。そういう気持ちのない人は、人を指導・教育しようとしてはならない。双方が同時に不幸になるからである。
2023.06.05
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5月号の生活の発見誌に「職場でよくあるストレス」という記事があった。それによると人間関係の問題が大きいようです。・気の合わない同僚と一緒に仕事しなければならない。・仕事をしない同僚、上司、部下にイライラする。・仕事以外の付き合いに辟易する。・各種ハラスメントを受けている。この記事では、「職場は相性が合わない人々と高確率で出会う場」であると説明されていました。確かに会社勤めは絶えず他人と衝突しますので、その気持ちはよく分かります。自分の感情や気持ち、意志や要求を相手に押し付ける人は、利害が衝突しやすい会社に勤めることはストレスだらけになります。しかし自分と家族の生活を維持するために会社で働かざるを得ません。最低限の人間関係を維持するために心掛けることがあるように思います。私はこれを森田理論の感情の法則から学びました。これを厳守するだけで、人間関係を良好に保つことができると考えています。それは腹が立ったときや不平不満で一杯になったとき、そのマイナス感情を自由自在に泳がす能力を身につけることです。マイナス感情を素直に受け入れるというアドバイスをよく聞きますが、私にとってはあまりピンときませんでした。私にとっては、「マイナス感情を自由自在に泳がす」という言葉がぴったりです。マイナス感情を一歩下がって眺めることができるようになることです。自然に湧き上がるマイナス感情を押さえつけて耐えることではありません。日本庭園に行くと色とりどりの錦鯉が悠然と思い思いに泳いでいます。「錦鯉よ、自由に思い思いに泳ぎなさい」といった心境なのです。これは一見誰でも出来そうなことですが、簡単なことではありません。森田理論を深耕して高みに達している人でも、時として、いやむしろ頻繁にマイナス感情を相手に表出しているのです。いとも簡単に人間関係を悪化させる名人の人が実に多いように思います。裏を返せば、この能力を身につけた人はとても稀有な人ということができます。一旦この能力を身につけた人は、人間関係で大きく躓くことはなくなります。森田理論の学習と実践はこの能力を獲得することを目指しているのです。次に感情と行動は水と油のように全く別物と考えることです。これも、感情を自由に泳がすこととセットでものにする必要があります。つまり感情は感情、行動は行動と全く別物として取り扱うようにするのです。感情に振り回された行動は犬も食わない代物となります。行動は、その時その場で適切な行動を選択していくようにする。マイナス感情、衝動や気分に振り回された行動は厳に慎むようにする。「感情と行動の法則」を森田理論学習で身につけてから、利害関係で衝突しやすい会社生活に入って行くことで人間関係で躓くことは回避できます。特に神経質性格の人は必須科目ではないかと考えています。よくテクニックで人間関係をよくする方法について説明されていますが、この考え方が基礎にないと、ザルで水を掬うようなことになってしまいます。
2023.05.09
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人間関係では、なんとなく気があう人2割、なんとなく気が合わない人2割、どちらでもない人6割という話を聞きました。対人恐怖症の人は、どちらでもない人を敵に回すことが多いのではないでしょうか。そしてなんとなく気が合わない人の割合を高めているように思われます。その割合が4割、5割と増えていくと、さまざまな弊害が出てきます。悪いうわさは次々に広まり、そのうち孤立していきます。こういう方向には向かわないようにしたいものです。そのためにはとりあえず「やってはいけないこと」をしないように気を付けたいものです。私の失敗の経験から整理してみました。・仕事をさぼらない。与えられた仕事の最低限の責任を果たす。・ルールや習慣や決まりごとを無視しないできちんと守る。・迷惑行為をしないように心がける。・不平や不満をすぐに態度に出さない。しばらく我慢する、耐える。・しかめっ面、ふくれっ面を出さないようにする。・暴言、暴力、喧嘩を控えるようにする。・相手を無視しない。軽視しない。からかわない。・叱責、拒否、脅迫、強制しない。文句を言わないようにする。・自分の「かくあるべし」を相手に押し付けない。・相手にミスや失敗があっても「ドンマイ」と言って許してあげる。・笑顔での挨拶をきちんとする。・約束はきちんと守る。ドタキャンはしない。・気分本位、本能的、自己中心的な行動を抑える。・葬式には必ず参列する。香典をきちんと渡す。・授業参観日、運動会、キャンプなどにはできる限り参加する。・公式行事などに万難を排して参加する。・早合点、先入観、決めつけ、思い込みで判断しない。・相手の話や行動を非難しない、否定しない。・相手の気持ち、考え方をよく聞くようにする。・自分の自慢話、成功談を控える。・傾聴、共感、受容の気持を持つ。・相手に寄り添うようにする。・親切にしてもらったら、「ありがとう」と感謝の言葉を伝える。・困っている人がいたら、援助してあげる。・人のめんどうをみる。協力する。世話をする。・寄付をする。プレゼントをする。お祝いをする。
2023.04.28
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森田汐生氏のお話です。森田氏は、「アサーティブ」という、対人関係のコミュニケーションスキルとその考え方を教える仕事に携わってこられました。「アサーティブ」とは、「自分が考えること、感じること、希望していることを、自分も相手も尊重したやり方で表現する手法」です。「伝え方」を工夫することで、相手への伝わり方は変わります。アサーティブなテクニックを使うことで、自分の言いたいことが正しく「伝わる」ようになります。でも「伝わる」ようになることが、アサーティブの目的ではありません。コミュニケーションを変えていくことで、手に入れたいもの・・・相手とのより豊かな関係を築くこと、そして自分自身が幸せに生きられること。それが、「アサーティブに伝える」ことの根本にあります。(なぜ、身近な関係ほどこじれやすいのか 森田汐生 青春出版社 4ページ)アサーティブ理論の、自分の考えること、感じること、希望していることをきちんと表現するというのは、森田理論の「純な心」に通じるものがあると思います。人間は成長過程で身につけた観念的な思考や社会的な常識などが、意識しないうちに前面にしゃしゃり出て、大きな存在感を誇示するようになります。その圧倒的な力のもとで、自分の本音、素直な気持ち、感情、意思、欲求、欲望などが抑圧されてしまうことが多くなります。森田理論は、自分の本音、素直な気持ち、感情、意思、欲求、欲望を大切に取り扱う理論です。森田理論では、このことを「純な心」と言っています。アサーティブ理論では、「純な心」を自分も相手も尊重したやり方で表現することが大切になると説明されています。森田氏は相手の依頼を断るような場合、アサーティブな対応をとることを提案されています。アサーティブな「ノー」の伝え方には2つのステップがあるそうです。1つ目のステップは、次のように「自分に問いかけること」です。・自分はどうしたいのか。・「ノー」という理由はどこにあるのか。・代替案はあるのか。2つ目のステップは、「気持ちが伝わる言い方を考える」ことです。・相手の善意やメッセージをきちんと受け止める。・自分の状況を説明して「ノー」の理由を伝える。・代替案・関係をつなぐひとことを添える。たとえば会社員の場合、定時に帰宅しようと思っていたところ、上司から急ぎの仕事を頼まれることがあります。このような場合アサーティブな対応をするとどうなるでしょうか。・自分の意志に反して無理やり引き受ける前に自分の本音、素直な気持ちを大事にする。その気持ちに寄り添うことが大切です。・まず仕事の内容をよく聞いてみる。特にいつまでにやる必要があるのか。時間はどれくらいかかるか。自分一人でできるのか。話を聞く前にいきなり断ると上司と険悪な関係になります。・特段用事がなければ、それを引き受けることも考えられます。体力的、精神的に疲労困憊でエネルギーが枯渇している場合があります。そういう場合は先にエネルギーを補給した方がよいということになります。家族や友人と約束があれば、常識的にはそれを守ることが優先されます。ドタキャンして信頼関係を壊したくない。よほどのことがない限り、その依頼はお受けできないことをしっかりと伝える。・次に代替案・関係をつなぐひとことを添える。自分の代わりにやってくれるような人を探す。疲労困憊しているので少し休ませてほしい。その代わり明日早く出社してやることは可能ですと伝える。すぐにと言われたときは、先約があるので今から断ると先方に失礼になります。どうしてもと言われれば、友人との約束を果たしてから引き返しすことは可能ですが如何でしょうかと聞いてみる。
2023.04.25
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本多信一さんが2011年9月号の生活の発見誌に投稿された記事です。本多さんが小学校の頃の話です。担任の先生が「実はおれね、学校をやめることになった」と言われたそうです。その先生は超内向的で、生徒の前で話をしているとすぐに顔が赤くなってしまう。それに生徒に見つめられるとうつむいてしまうという視線恐怖を持っていた。父兄からは「赤面恐怖で、子どもの視線に耐えられないのだったら、学校をやめてもらいたい」という要望が出されていたそうなのです。本多さんはその先生に次のように言いました。私のような内気な子は内気な先生を頼りにしています。もし先生が辞めたら、結局自分たちは生きていけないと悟ってしまいます。先生を辞めないで、内気な子、神経質な子、緊張型の子どもの先生として生きたらいいじゃないですか。そうしたら先生の顔に赤みがさして、「そうだな、そういう生き方もあるな」と言われたそうです。この話から学ぶことがあるようです。このブログを読まれている方は神経症の経験者が多いと思います。森田を学習・実践して、乗り越えた人も多数いらっしゃることと思います。神経症になって経験したつらい体験は、今現在その渦中で苦しんでいる人にとっては宝の山です。その苦悩した経験を公開して、他山の石として役立ててもらうことはできないものでしょうか。神経症を克服して「ああ、生きていてよかった」と救われた体験は大変貴重です。森田先生は神経症が治ったら犠牲心を働かせて、その経験を赤裸々に開示することを勧められていました。これが小我から大我に生きることになります。私は森田先生のように多額の寄付をするような社会貢献はできません。私のできる社会貢献は、神経症に陥り森田に出会って得た貴重な体験を包み隠さず開示することです。できれば一人でも多くの人に役立ててもらうことです。後悔のだらけの人生でしたが、今になればそれはとても貴重な体験でした。それを他山の石として開示すれば、自分も今後の生きがいが持てます。現在神経症で苦しんでいる人も解決のヒントが見つかるかもしれません。人の役に立つことができればこんなにうれしいことはありません。今まで苦しんだことを後悔するよりも、その体験を宝の山として、これからに活かせば恥ずかしいことにはなりません。自分を責める必要もありません。素晴らしい人生を全うしたと自分で自分を褒めてあげることができます。
2023.04.22
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石原加受子氏のお話です。最近の人間関係で顕著な傾向として、会話の際に「(相手に)責められている」と受けとる人がとても増えているということがあります。たとえば職場で上司が指示をする、先輩が教える、やり方を説明する。プライベートで友だちが何かについて意見や感想を述べる。こんな場面で、相手は悪意があるわけでもないし、責めているわけでも、攻撃しているわけでもない。にもかかわらず、多くの人が、「責められている、小言を言われている」というふうに過敏に受け止めてしまいます。「責められている」という意識があるために、言われた側はそんなふうに聞こえてしまうのです。(母と娘のしんどい関係を見直す本 石原加受子 学研 142ページ)この話は私のことを言われているようです。人と会話していると無意識のうちに防御態勢、戦闘モードに入ってしまうのです。責められていると思うと、その気持ちは態度に出ます。すぐに顔つきが変わってしまいます。言葉の端々にでます。争いは避けたいので、相手との交渉が必要なこともすぐに逃げてしまいます。その結果、人間関係は益々悪化してきます。これは父親との人間関係が大きく影響していると感じています。父親との関係のなかで、人間関係は信頼関係よりも、敵対関係で成り立っていると考えるようになりました。格下の人とは戦い、格上の人からは逃げ回るという習性が身に付きました。責められているという感性は、取り除くことは難しいと思います。一生背負っていくしかないと思います。最低限の人間関係を維持するために、実践していることは次の3点です。第一に、腹立たしいときや不平不満があるとき、すぐに態度や言葉に出してしまうのはなんとかしたい。感情の法則に「感情は、そのままに放任し、またはその自然発動のままに従えば、その経過は山形の曲線をなし、ひと昇りひと降りして、ついに消失するものである」とあります。これを応用していこうと考えました。具体的には、不平不満の感情が湧き上がってきたら、とりあえず1分間だけは何もしないでじっとしておこうというものでした。私にとってはかなり高いハードルでしたが、10回のうち3回ぐらいは実践できるようになりました。そのうちなんとかものにしたいと考えています。二番目に、相手の本音、気持、考え方、感情、意思、行動、やり方を聞くことを優先するように心がけています。「あなたはそんな気持ちだったのですか」「あなたはそう考えていたのですね」「そうだね、そうなんだね」「そう考えるのも無理もないよね」自分の気持、考えを主張するのはそのあとにするように意識しています。これは意識すればある程度できます。三番目に、信頼関係ができていないときは、どんなに腹立たしいことがあっても、相手のことを非難・否定することは控えるようにしています。意味がないことがこれまでの経験で骨身に染みて分かっているからです。森田理論の「不即不離」を応用して、基本的には相手から離れるようにする。少し離れたところから相手を観察する。ほとぼりが収まったころに近づいていく。相手の言動をすぐに非難、否定するのは自分の気持をすっきりしたいためだと思っています。そんなことをすれば相手との人間関係はすぐに壊れます。お互いに消耗することは避けるのが賢明だと思います。
2023.04.21
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稲盛和夫氏は京セラのほか、第二電々を立ち上げられました。いずれも日本を代表する企業に成長させました。その他、JALの再建を託され、見事に東証一部に再上場させました。まさに経営の神様のような仕事ぶりでした。普通会社を立ち上げるときは、会社の売り上げをどんどん伸ばす。従業員を増やして規模が大きくなることを目指します。稲盛和夫氏は、ゆるぎない企業理念を持っておられますが、そこが少し違っています。まず手掛ける事業が世の中に必要とされているかどうかを見極められている。第二電電(KDDI)を立ち上げるときは、日本ではアメリカに比べると通信料金がべらぼうに高かった。それは電々公社(NTT)が通信事業を独占していたからです。NTTが独占してしまうと、利用料金が高くなる。サービスの質が落ちてくる。その結果国民は不利益を被る。JALの再建を引き受けたときは、JALがなくなると大手航空会社は、全日空だけになってしまう。航空業界が一社独占というのは、国民の利益につながらない。またJALは多くの従業員を抱えており、清算するとすべての社員を解雇することになる。雇用を守ることが社会的使命と考えられた。次に会社の存在意義は、社員の物心両面の幸せをもたらすためにあるといわれる。決して会社は株主だけのためにあるのではないと言われている。その理念を忘れないために、京セラフィロソフィーというのを大切にされている。これを全従業に携帯させているという。・心をベースとして経営する・原理原則に従う・ベクトルを合わせる・感謝の気持ちを持つ・利他の心を判断基準にする・人間の可能性を追求するこれを参考にして、JALの当時の社長や幹部たちに経営哲学、存在意義などをまとめてもらった。そしてJALフィロソフィーとしてまとめた。最終的にまとまったものは、JALグループは、全社員の物心両面の幸福を追求し、1、お客様に最高のサービスを提供します。2、企業価値を高め、社会の進歩発展に貢献します。このJALフィロソフィーをみた公認会計士、弁護士、管財人の人たちから、「もっと何か格調高い目的や理念があってもよいと思いますが、たったそれだけですか」と言われました。稲盛さんは、「それだけでいいんです。働く従業員が、心から幸せだと思わなかったら、会社はうまくいくはずはありません。目的やきれいごとをいっぱい並べたてたものがありますが、空事みたいで、自分には関係のないことが書かれていたりします。一番大事なことは、社員がこの会社で働けてよかったと思ってくれることです。そうすれば企業価値は上がり、株価もそれを反映していく。すべての原点は、社員が幸福だと思える状態を作ることであり、それ以外ないはずです」とお答えしました。稲盛和夫氏の経営哲学には、森田理論の「物の性を尽くす」がしっかりと貫徹されているように思われます。この場合は「人の性を尽くす」ということです。全社員に居場所や活躍の場を提供して、存在価値や能力を存分に発揮してもらうという考え方は、経営の神様といわれる稲盛和夫氏の組織運営のコツだったようです。
2023.04.09
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エステティシャンの今野華都子氏の話です。この方の経歴が素晴らしい。まず、世界のエステティシャンの大会で優勝されている。「美しさは優しさを作る」をモットーに、人としての美しさと優しさの創造に邁進されています。さらに驚くことに、経営不振で倒産の寸前だった「タラサ志摩ホテル&リゾート」の再建を成し遂げられている。今野氏は、次の3つの習慣を身につけるだけで、周りの環境ががらりと変わっていくと指摘されている。①笑顔②肯定的なハイ③相手の話にうなずく①仲のよい友達の前でニコニコしているのは当たり前です。笑顔が本物かどうか。チェックポイントは次の通りです。・会社の廊下を歩いている時にどういう顔をしているか。・夫の前ではどういう顔をしているのか。・子どもの前ではどういう顔をしているのか。・誰も見ていない時にどんな顔をしているのか。顔には30以上の表情筋がありますが、それらは普段の生活の中でどういう顔をしているのかで鍛えられます。日頃からニコニコしている人は、いま、笑っていなくても、「あの人って明るそう。優しそう」と感じられます。例えば、電車の中などで幸せそうなお婆ちゃんを見たり、さわやかな女の子を見たりすることがあります。そういう人たちは、その時たまたまそういう顔をしているのではなくて、常々そういう顔をしているから、自然とそういう雰囲気になっているのです。毎日の結果が顔に表われているだけです。笑顔の印象でいるというのは、そういう自分自身のしつけのひとつなのです。②肯定的なハイ好きな仕事につけることは稀です。それならば、まずは自分の前に来たことを喜んでやらせていただくのが手っ取り早いのではないでしょうか。出来なくてもいいのです。私は「失敗」と書いて「経験」と呼んでいます。人はみんな、いろいろな体験を積んで成長していくものです。失敗か成功かは問題ではありません。人の一生は「あの時があったから、いまがある」ということの連続。そうした貴重な体験を毎日積ませていただいていると考えればいいのです。自分がどんな可能性を持っているのかは、自分ですら気づいていないものです。実はその可能性をひらくのが「ハイと肯定的な返事をする」ことなのです。それによって、自分が持っている可能性の扉が次々と開いていくと私は思っています。③相手の話を聞く時は、うなずきながら聞くことです。「この人は何を考えているのだろうか」「私の意見に賛成なのだろうか、反対なのだろうか」相手をこういう気持ちにさせると、大きな誤解を招いたり、難しい人だと評価されたりしてしまうことになります。これではコミュニケーションが取れません。ここで注意しておきたいことがあります。相手の話はあまり聞かないで、自己主張を優先する人がいます。これでは相手の信頼感は得られません。最初に相手の気持や考えを吐き出させることが大事だと思います。この気持ちをしっかりとも持っておくことです。そのときにうなずきながら聞くようにする。また、相手と信頼関係ができていないときに、いくら相手のためになることでも、相手の存在や発言内容を非難、否定することは厳に控える必要があります。
2023.04.06
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セイバンという有名なランドセルメーカーがあります。昔はランドセルの色は黒か赤というのが定番でしたが、今やその色は30種類くらいあるそうです。価格は4万円から8万円くらいの幅があります。ランドセル選びは楽しいことですが、選択肢が多すぎるというのは、時間がかかり混乱することにもなります。そこでセイバンは一つの実験をしました。色とりどり、価格の違うランドセルを一堂に展示して、子供ひとりで選んでもらう。親は子どもが選ぶのを別室のモニターで見てもらう。最初に案内係が「お父さんお母さんはどんなランドセルを選ぶと思いますか」と子供に聞いてから選ばせる。すると子供が選んだものは、ほとんど親の許容範囲に収まったという。4歳5歳の子供ですが、親の好きそうな色を見極める能力を持っているということです。次に、「君の大好きなランドセルを自由に選んでください」と伝える。すると面白いことが起きる。すぐに直観力を働かせて、これがいいと笑顔で選ぶ。選んだものが最初の商品とは違うという結果がでたそうです。実際には、女の子が黒や青のランドセルを選ぶ。男の子がピンクや赤のランドセルを選択する。これにはさすがに親が戸惑う。動揺する。今はそれでよいかもしれないが、これから6年間という長期間使うことになる。途中でこの色はイヤになったと気が変わることも十分考えられる。高価なものなのでそのときに簡単に買い替えることはできない。そうかといって我が子の選択に批判的な対応はしたくない。このジレンマをどうするか。1、子どもの気持ちを尊重して親は口をはさまない。その代わり後から買い替えたいといっても同意はしない。それを子どもに伝える。2、世間の常識とは違う色のランドセルは、後からきっと後悔することになる。こういう場合、子どもはまだ正しい判断ができないのだから、親が主導権を持って、無難な色のものを選択して子どもに与える。この問題を森田理論で考えてみました。親がモニター室にいて、子どもに自由に選ばせるということは大変良いことだと思います。親は子どもにべったりくっついているとつい口をはさみたくなるという習性があります。子どもも親がそばにいると無意識のうちに親に気を遣うことになります。この実験では、全部のラインナップをすべて見せて、この中から自由に選択しなさいという設定になっています。このやり方は問題なのではなかろうか。ランドセルには、色彩的に男の子向き、女の子向きというのがあります。子どもがその時は正しい選択だと思っていても、数年後に後悔することはいくらでもあります。たとえば男の子でピンクのランドセルを選んだ場合、高学年になったとき違和感なく使いつづけることができるでしょうか。この場合は、お店の人が男の子向け、女の子向けにある程度区分して別々に展示するというのはどうでしょうか。そのブースに案内するのです。あるいは、あらかじめ親が区分けして、その中から自由に選択させるというのは如何でしょうか。たとえば男の子ならピンク系や赤系統のものを避けて、15種類から20種くらいに絞っておく。その範囲内で子供に自由に選ばせる。これなら子供もある程度自分の意志が尊重されたと思えます。親もその範囲なら喜んで同意できるのではないでしょうか。親子でよい買い物をしたと喜び合うことができます。すべての面で自由に選択するというのは、あまり現実的ではありません。たとえば1000万円を超えるような高級な乗用車に乗りたいと思っても、ほとんど不可能です。自分の経済力の範囲内で選択するしかありません。スポーツでも自由に相手と戦ってもよいのですが、それは明確なルールの範囲内でのみ可能ということになります。ルールなしの競技は大変危険です。自由に行動してもよいというのは、ほとんどの場合、ある程度の枠のなかで初めて許されるということではないでしょうか。このことを子育てで応用しようと思えば、親や先生はあらかじめある程度のルールや範囲を設定する。その範囲では子どもたちに自由に選択し行動させる。親はいちいち口をはさまないで、遠くから子供を暖かく見ているだけにする。制限されたなかで自由に行動させると、窮屈なように感じますが、その方が現実的であり、実際には丸く収まることが多いように思われます。
2023.04.04
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「ベてるの家」の活動に参加している加藤木さんが次のような話をされている。自分のいろんなことが許せなかったんですよね、もうぜんぶ罪、罪悪感が大きすぎて。生きてること自体も存在自体も罪で、生きていること自体でいろいろな人に迷惑かけるし・・・いま、それが全然なくてすむのは、許されたって。いままで過去のことも許されたし、いま自分が起こすいろんなことも許されるって、やっぱ、うん、それは大きい。大きな違いはそこですね。許されているというのは、「そのままでいい」ということであり、「問題だらけ」が当然ということであり、失敗しても「それで順調」ということだ。あなたは病気のあなたのままでいい、北海道の浦河に来たといってもかならずまた問題を起こすだろう。しかし問題があるのが「べてるの家」であり、ここではだれもがそれを当たり前だと思っている、問題を起こしていいのだといわれ、そして実際そうなったときはじめて、加藤木さんはこころの奥深くで、ここでは「すべてが許されている」という思いを持つことができた。こんな自分でも、ここで生きていていいのだという思いを抱くことができた。「ベてるの家」の仲間は、だれもが「そのままでいい」という。いや、ことばでいうより、そういう目で、混乱した自分を穏やかな笑いとともに見ている。問題だらけの、失敗してばかりの自分を。理屈ではないその視線、態度、しぐさに「いいんだよ、それで」というオーラがにじみ出ている。そのやさしさ、ありがたさ。とはいえ、どうもそれは仏の慈悲のようなものではなく、「しょうがない、お互いそうなんだから」という、あきらめにも似た許容であるようだ。そんな、決して高尚とはいいがたい「べてるの家」の人々の空気、態度、ふるまいが、自分たちには好ましい。(治りませんように ベてるの家のいま 斉藤道雄 みすず書房 189ページ)「ベてるの家」で活動している人たちは、みんなが許容の心を持っていて、お互いにどんな問題を起こしても寛大な気持ちで対応できているようですね。私たちは自分の価値観で、たえず相手の考え方や行動の是非善悪の判断をしています。自分の価値観に合わなければ、即座に非難、叱責、否定しています。上から下目線で相手を眺めているのです。こんなことを続けていると、人間関係はいつも対立的になります。人間関係が悪化してしまうとつらい人生が待っています。この呪縛から解き放される日はやってこないのでしょうか。この問題に正面から取り組んでいるのが森田理論だと思います。森田理論では、上から下目線の「かくあるべし」を相手に押し付けるのではなく、悪戦苦闘している相手に寄り添うことを提案しています。これが「ベてるの家」でいう許容にあたります。そのためには、相手の言いたいことを素直に聞くことが肝心だと思います。自分の言いたいことがあっても、まず相手の話をよく聞くことです。この順序を間違えてはいけません。この順序を間違えると、例えば東京から大阪方面の新幹線に乗るべきところを、東北新幹線に飛び乗るようなものです。順序を間違えると、相手は心を貝のように閉ざしてしまいます。その心を再び開かせることは容易ではありません。そして再び心を開くことはないかも知れません。これができれば第一段階の関門は通過できます。ここを無難に通過しても、まだ自分の考えを出すのは早すぎます。相手の話に対して、非難、否定、説教、指示をしてはいけません。私メッセージを活用して、「あなたの話を聞いて、私はこう思いました。それで間違いありませんか」と投げかけることです。相手は自分に寄り添ってくれていると感じるようになります。そこから温かい人間関係が持てるようになります。
2023.03.31
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人間関係の問題を抱えている人は次のような特徴があるようです。・相手の話を聞くことがおろそかになっている。相手の気持ちや意見や要望を聞くという態度が希薄である。自分の気持、考え、意見、欲求を一方的にしゃべり始める。・自分を不快にするような言動があった場合、直ちに不平不満を態度に出す。たとえばしかめっ面になっている。不機嫌な態度になる。あるいはすぐに反抗的な態度に出ている。かばってくれる人がいなくて、最後はいつも孤立している。これに当てはまる人は、人が近寄ってこなくなります。逆に考えると、この2点の修正ができれば人間関係はかなり改善できます。自分の気持や要望を相手に伝えることばかり考えていると、相手は自分のことを無視されたと思います。それを避けるためには、優先すべきは相手の気持ちや考え方です。またいくら自分の主張が正しいと思っても、まずは相手の意見や気持ちを聞いてみなければなりません。集談会に初めてやってきた人に、アドバイスしてもあまり効果はありません。逆に相手に寄り添い、悩みや苦しみを吐き出させてあげるようにすると、相手は心を開いてきます。そんなことは分かっているという人が多いと思います。でも、日々実践しているのかといわれると心もとないというのが現実です。私もそうです。周りの人への配慮が不十分になりがちです。絶えず意識して、心掛けないと絵に描いた餅になってしまいます。次に相手に理不尽ことを言われた。無視された。からかわれた。バカにされた、非難された。否定された。だまされた。仲間外れにされた。こういうことも日常多々発生していると思います。森田の「不即不離」という考え方では、そういう時は相手に近づいてはいけない。一旦離れなければ事故につながるという考え方です。しかし問題を抱えた人は対応方法が逆になっています。自分を信頼してくれている人に感謝の気持ちが希薄になっている。逆にケンカになりそうな人に敢えて近づいて問題を起こしている。これでは人間関係がうまくいきません。森田理論で「不即不離」の考え方を理解したのに、応用・活用できていないということになります。腹の中がいくら煮えくり返っていても何も問題はありません。森田では不快な感情は自然現象で意志の自由はないと教えてくれました。抵抗しないで、そのままにしておくしかありません。行動には意思の自由と責任があります。この2つを区別して対応すれば何の問題も起きません。言葉は悪いのですが、上手に演技をしてネガティブ感情を表出しないようにする。そのまま行動に移すというのは幼児と同レベルということです。プロ野球のピッチャーでもあの人は何を考えているのかさっぱり分からない。なかなか癖が見つからないという人は、なかなか攻略法が見つからないといいます。森田理論では、不快な感情と行動をきっちりと分けることができるようになることを目指しています。そういう人は、人間関係で素晴らしい能力を獲得した人だと思います。人間関係の改善では次のようなことをよく聞きます。・相手のよいところを見つけて積極的にほめる。・「ありがとう」と感謝の気持ちを持って生活する。・人の役に立つことをみつけて行動に移す。・笑顔で挨拶をすることを心がける。・名前を忘れないようにする。・相手の関心を掴んで、それに応える。・相手を大事にして丁寧に対応する。これらは確かに良いことです。しかしこれらは、基礎作りをしてから、プラスアルファとして取り組むべき課題だと考えています。基礎がしっかりとできていない段階で取り組んでも、それはテクニックになり、ザルで水を掬うようなことになるのではないかと思っております。今日取り上げた2つの人間関係の基礎はしっかりと身に着けたいものです。
2023.03.30
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昨日の続きです。皆様を少しだけ神話の世界にお連れします。アマテラスオオミカミとスサノオノミコトは姉と弟の関係にあります。天界でのスサノオノミコトの乱暴狼藉ぶりが目に余り、アマテラスオオミカミは天の岩屋戸に神隠れされました。太陽神であるアマテラスオオミカミが姿を消したのでは天界が暗くなります。神々が集まって相談しました。そして岩屋戸の外でどんちゃん騒ぎをして、アマテラスオオミカミを引きずり出しました。この騒動の発端を作ったスサノオノミコトは「高天原」(たかまのはら)という天界から地上界に追放されました。島根県出雲の地上界をさまよっていたスサノオノミコトは八頭八尾のヤマタノ大蛇(おろち)に苦しめられている親娘に出会いました。娘はクシナダ姫と言いました。大蛇を退治すれば、娘との結婚を許すと親から言われました。スサノオノミコトは大蛇と戦うことにしました。大蛇と血みどろの戦いを繰り広げて、見事に勝利を収めたのです。すると不思議なことに、大蛇の体内から太刀が出てきました。後にこの剣は、草薙(くさなぎ)の剣と呼ばれ、天皇家の三種の神器の一つとなりました。そしてスサノオノミコトはクシナダ姫と結婚しました。出雲の地で「妻ごみ」(妻がこもる場所 つまり新婚家庭)にちょうどよい場所を見つけて、新居の造営にとりかかりました。そのときスサノオノミコトが日本最古の和歌を詠まれています、八雲立つ 出雲八重垣 妻ごみに 八重垣つくる その八重垣を(意味)四方に湧き出る雲もまた、自分がよき妻を得たことを喜んで、二人の新しい住居に八重垣を作ってくれるであろう。すがすがしい歌です。自然を自分の分身、仲間としてとらえています。家を建てた場所は須賀(現在島根県雲南市にその地名があります)というところです。ここで注目すべきことは、人間と自然が対立しているのではなく、共存共栄の関係と捉えていることです。この点については今野華都子氏が次のように説明されています。平穏に見える日々、その中で移り変わる四季に命の無常さを感じ、自然現象の地震も雷も台風も火山の爆発も誰も止められないものであり、その一方で太陽、風、水、土の大いなる力は食べ物という恵みをもたらし、私たちを生かす表裏一体のもので「良し、悪し」は同じである事を体験から知っているのです。(はじめて読む人のための「古事記」 今野華都子 致知出版社 121ページ)これは人間と自然の関係だけではなく、人間と人間の関係にも波及してくる。支配・被支配という縦の関係ではなく、それぞれの独立した意思を持っている人間がお互いをリスペクトし合い、平和な共存共栄を図る横の関係を目指している。「おてんとうさまが見ているから人様の迷惑になるようなことはできない」という気持ちを持っている日本人は多い。人を貶めて自分だけが幸せをつかむという考えは日本人にはむかない。昔の銀行は護送船団方式といって、破綻しそうな銀行が出てくると、つぶれないように他の銀行が経営の立て直しに協力していた。こういう持ちつ持たれつの人間関係で全体が丸く収まっていた。森田理論は観念中心の「かくあるべし」を他人に押し付けることを嫌います。自己中心的観念中心の世界から、事実本位の態度を身につけることを目指しています。こういう視点が古事記の中にあることを森田先生は直感的に見抜かれていたと思われます。それでないと森田先生の著書ではなく古事記を読ませていたという意味がよく分からない。(生活の発見誌 1968年(昭和43年)12月号 98ページ参照)
2023.03.21
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水谷啓二先生が19歳で森田寮に入院されていた時のことです。森田先生が話の途中で「どうだ、水谷君、わしの話がわかるか?」と聞かれました。そのとき私は心のなかで、「わからないことは分からないと答えるべきだ」と思い、「わかりません」と答えました。話はさらに続きましたが、しばらくしてまた私に、「どうだ、わかるか?」と聞かれました。それに対し、私はやはり「わかりません」と答えました。先生は話を続けられましたが、さらに三度目に、「少しはわかるか?」と聞かれました。それに対して私は、強情にも「少しも分かりません」と答えたのであります。すると、森田先生は激しい剣幕で叱責されました。わしの話を聞きたくて集まっているほかの人たちに、少なからず迷惑をかけたという事実が分からんのか。君のような強情なやつは治らんから、即刻退院し給えと叱られた。(生活の発見誌 1970年(昭和45年)5月号 8ページ)この話は人間関係の持ち方に大変参考になる話です。自分の素直な気持ち、感情、過去の経験からこれは間違いない、絶対に正しいと思っているようなことを安易に口に出してはまずいということだと思います。これに関して、私の集談会でも苦い経験があります。若い女性の方でお化粧に力を入れておられる方がおられました。私もちょっと化粧が濃すぎるのではないかと内心思っていました。ある男性の方が、その気持ちをストレートに口にされました。その女性の顔つきがとたんに変わりました。1年くらい熱心に勉強されていた方でしたが、それ以降、幹事・世話人が入れ代わり立ち代わり、参加を促す働きかけをしましたが願いは叶いませんでした。正直で間違いのない事実を安易に口にしたことが命取りになりました。これは彼女にとっても私たちにとっても不幸な出来事でした。高良武久先生も同様のことを言われています。顔色の悪い人に、「あなた何かガンのような大きな病気を抱えているのではないの。その調子では長くは生きられないよ。きっと早死にするよ」実際にそれが事実であっても、安易に口にしてはいけないと言われています。では自分の素直な気持ちや感情、これは間違いない、絶対に正しいと思っているようなことを口にすることは抑制しなければならないのか。自分の正直な気持ちをごまかしてウソをつけということなのか。そういう反発を持たれる方もおられるでしょう。酷なことを言うようですが、結論からいうとそういうことです。観念優先の態度の人は承服しがたいことかもしれません。そのような理不尽な話は聞きたくないかもしれません。ましてや事実を正直に伝えるほうが、その人のためになると思っている人は、とても納得できる話ではないでしょう。また神経質性格の人は、不快感を取り除いて早くすっきりしたいという気持ちが強いために、相手を思いやることには気が回らない傾向があります。自分の正直な気持ちを口外したくなっても、あるいはゆるぎない確信に近い事実を掴んでいたとしても、相手の気分を害するようなことは決して口外しないという気持ちをしっかりと持っておくことが重要になります。相手に対して自分の気持や感情、欲求や欲望を口外したくなった時、相手はどんな気持ちになるだろう。自分に言われたらきっと不快な気持ちになる。腹が立つ、バカにされたと思う。相手を憎むようになる。仕返しをしたくなる。そういう気持ちになるようなことは、相手も同様な気持ちになるということです。そういうときは、感情と行動は切り分けないといけません。ストレートに口にしてはいけないのです。口外するにしても、その前に相手の気持ちや感情を聞いてみる。分からなければ、自分の言いたいことは先延ばしするしかない。あるいは、相手のことを思いやったやさしい言葉を投げかける。それをウソというのなら、ウソでもいいのではないか。森田でいえば自己主張する前に、相手の気持ちや感情を優先的に考えるということだと思います。そのことを人情から出発すると言われています。自分の正直な気持ちのままに言いたいことを言う人は、遊びのない車のハンドルを操作しているようなものです。遊びのないハンドルは、ちょっとしたハンドル操作にタイヤが敏感に反応しますので、大変危険ということになります。そのために遊びという緩衝帯を設けているのです。これは人間関係の場合はもっと深刻な事態を引き起こします。
2023.03.16
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一昨日の集談会で怒りの感情にどう対応すればよいのかという話し合いがありました。怒りの感情は自然現象であってどうすることもできないというのはみんなよく知っています。問題は、怒りの感情が湧き上がった時に、つい売り言葉に買い言葉の対応をとってしまうということです。ではどのような対応をとればよいのか。森田では感情は自由にならないが、行動には意思の自由があるという。相手を殺したいほどの激しい感情が湧き出たとしてもそれは自分の責任ではない。感情のままに行動することを抑えることができれば満点の対応となります。感情と行動はきちんと区分けして対応すればよいのです。ただ言うは易く実行は難しい。森田理論では、どんな激しい感情も一山登れば、ひと降りしてついには消滅する運命にあるという。この理論を自分のものにしている人は、ネガティブ感情はそのままにして一山登らせる。その途中で抑圧することはしない。感情を押さえつけるのは逆効果です。湧き起こってきたネガティブな感情にきちんと向き合っています。そのままにして見守ることができる。そして頂上に到達するまでしばし待つことができる。我慢することができる。あるいは間をとるのが上手な人です。行きつくところまで行けば、下り坂に向かうことが予測できて、その通りに行動できるのです。それはたくさんの失敗を重ねて自分のものにしているのです。次に森田理論では人間関係は「不即不離」にあるという。これは森田理論のなかで出てくるものですが、知らなかったという人もいます。これは人間関係の適切な距離感をどのように作り出すかを教えてくれている。この理論によれば、対立的な人間関係になりそうなときは、緊急避難的にすぐに離れることが大切だと教えてくれている。危険を回避する。逃げるというのは相手に負けたような気持になります。でも逃げることによって人間関係にひびが入ることを防止してくれている。逃げるというのは大いに評価されてよいものだと思います。勇気ある積極的な撤退ということになります。必要ならば、いったん逃げて、態勢を整えて再度出直すというのが普通の人のやり方です。怒りにまかせて暴言を吐いてしまうのは、手出し無用な時に、あえて火中の栗を拾うようなことになります。無理をして敢えて近づいているのです。これは最悪の対応となります。その結果犬猿の仲になっているのです。周りから人が離れていきます。時には修復できない大やけどをしているのです。あとでもう少し待てばよかったと後悔するようになります。この場合は火の勢いが弱まった時に、火鉢で取りだして冷めるまで待てば問題にはなりません。不即不離の関係を自由に使いこなすことができれば、無理をしないので人間関係が壊れることはなくなります。せっかく森田理論で不即不離の人間関係のコツを理解したのにそれを活用しないのはもったいないことです。また、このブログの「人間関係」のカテゴリーには425の投稿記事があります。私は人間関係で困った時はこれを取りだして読んでいます。自分が書いたものながら、これが大いに役に立っています。人間関係に問題を抱えている方は、このカテゴリーの中から自分に合った対応方法を見つけて活用していただければ、人間関係は大いに改善できると思っています。森田の「不即不離」を応用して、必要な時に、必要に応じて、必要なだけの人間関係作りを心がければ、孤立することはなくなります。むしろ人との付き合いは自分の人生を豊かに彩ってくれます。
2023.03.14
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内田樹氏のお話です。「嫌いな人とは付き合わない」という生き方をお勧めしたい。嫌いな人と、「共に活きる」というのはなかなか立派な心がけではあるが、適性な距離を置き、できるだけかかわりあいにならないことをお勧めしたい。「嫌いな人間」を我慢して、「この人にもそれなりにいいところがあるんだ」とか、「嫌いな人間を我慢して受け入れることが人間の度量なんだ」とか自分に言い聞かせ続けていると、「何かを嫌う」という感受性の回路が麻痺してしまう。「恐怖と嫌悪」の感情の発生は、生物が生き延びるための利器である。「嫌う」回路をオフにするということは、コミュニケーション感受性をオフにするということであり、それは思っている以上にリスキーな選択である。「我慢する人」は、日々のコミュニケーションの中で行き来する非言語的シグナルの多くを受信できなくなる。それに慣れてしまうと、感度はどんどん鈍くなってしまう。ですから、「嫌いな人」と無理をして付き合ってはいけないのです。それでは好きな人間、気の合う人間とだけ付き合っていけばよいのか、と疑問が湧いてきます。嫌いな人間と調和していく能力は、社会的な生き物である人間には不可欠だ。人間社会は、他者への共感力、受容力、許容力は絶対に必要な資質だ。これはもっともな意見だと思います。しかし、内田氏は、その考え方は短見であるといわれている。そもそも「気の合う人間」なんて存在しない。「好きな人」なんて幻想でしかない。そんなことを期待しているといつか裏切られるのだ。(知に働けば蔵が立つ 内田樹 文藝春秋 参照)内田氏の見解はとても刺激的です。早速森田理論でその是非を考えてみましょう。内田氏は「恐怖と嫌悪」の感情が湧き上がってくることは、感受性が鋭いということであり、それを無視するようなことをすると、感性が鈍くなっていくと言われています。だから「恐怖と嫌悪」の感情は抑え込んではいけない。この考えは私も賛成です。神経質性格者は高性能レーダーを標準装備しているようなものだと言われます。その感受性が鈍くなっていくことは、最大の長所が薄れていくことになります。「恐怖と嫌悪」の感受性は、そのままにして他人と上手に折り合いをつける技について考えてみたいと思います。自分が嫌いだと感じていると、それは相手に伝わります。その現象をミラーニューロンの働きから説明する人もいます。普通嫌いという感情は、顔つき、態度、発言内容、行動に出ます。相手は敏感にそれをキャッチして、防御態勢を敷いてきます。すぐに敵対関係になってしまいます。これに対して、森田では感情と行動は切り離しましょうという考え方です。過度に感情に振り回されないようにすることが大切です。相手から見て、どんな感情が湧いているのか全く分からないという行動を心がけると、人間関係が悪化することをなんとか止めることができます。プロ野球の選手でいえばポーカーフェースの人です。打者でいえば、打つ気満々というよな素振りを見せて、相手の裏をかくという話を聞いたことがあります。これは広島カープの新井新監督の現役時代のエピソードです。野球は力と力のぶつかりように見えますが、実は心理戦なのです。役者さんと同じように上手に演技をするという考え方ですね。でもこれは口で言うは易く、行うは難しです。でも感情は自由に泳がせておいて、行動はそれに振り回されないように注意するという意思をしっかりと持っていると、ある程度は対応できるようになります。こうした成功体験を積み重ねていくことが大切になります。これができるようになった人は、「不快感情の取り扱い主任者」として免許皆伝の称号を与えて、その能力を高く評価したいものです。次に「気の合う人間」なんて幻想だという話ですが、これは森田理論の「不即不離」に関連する話です。実際には、親しい人でも気の合うときもあるし、気が合わないときもあります。気が合わない時に感情を爆発させていたのでは、人が寄り付かなくなります。意気投合したときは親しく付き合い、気まずい関係の時はすぐに離れる。そして時と場所を変えて改めて出直すようにする。これが臨機応変にできるように訓練を重ねていくことが大切になると思います。意気投合した時はベタベタとくっつく。気まずいときは全く近寄らないのは人間関係の持ち方としては問題です。必要な時に、必要に応じて、必要なだけの人間関係を結ぶことを基本にする。この気持ちをしっかり持って、人と付き合うことです。そうしないとすぐに裏切られた、あんなにイヤな人とは思わなかったということになりやすいです。これは人間関係の距離の持ち方を間違えているか、そういう気持ちが頭の中になかったということになります。
2023.02.19
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鍵山秀三郎氏は人間の幸せには3つがあるという。1、他人から何かをしてもらうということ。2、できなかったことができるようになるということ。3、他人を助けてあげる、親切にしてあげる、他人に手を差し伸べてあげること。(続・凡事徹底 鍵山秀三郎 致知出版社 154ページ)普通幸せというと、健康であること、基本的な生活が維持できていること、安心・安全な国に住んでいること、他人から評価されていること、人間関係が良好であることなどが思い浮かびます。鍵山秀三郎氏は、それとは違う幸せというものがあるといわれている。まず課題や目標に向かって努力しているときが幸せな状態である。さらに、人に喜ばれ、他人に頼りにされ、あてにされる。そういう人間になることが、人間の幸せの中の最高のものになります。日本人がみんな、「あげる幸せ」の世界に生きれば、この国は瞬く間によくなっていくと思います。私の感想です。課題や欲望に挑戦する生き方ですが、森田理論では生の欲望の発揮と言います。その中でも、日常茶飯事や日々の仕事の中で、問題点や改善策を見つけだして、行動することが大切だと思います。鍵山氏はトイレ掃除などの雑事に真剣に取り組むことが大事だといわれています。掃除は面倒なもの、わずらわしいものとして軽視するような人は、仕事で大きな成果は上げることはできないと言われています。鍵山氏は下村胡人の「平凡道を非凡に歩む」という考え方を粘り強く実践されて、行商の仕事から東証一部上場企業を育て上げられました。雑事や雑仕事に真剣に取り組む姿勢をおろそかにしていると、肝心なものがこぼれ落ちてしまうということだと思います。次に「人のために尽くす」生き方について説明されています。これが最高の幸せにつながるといわれています。私もそう思います。私はマンションの管理人をしていますが、この仕事は、小遣い稼ぎだという気持ちだけだと長く続くものではありません。何しろ掃除がメインの仕事ですから。私は仕事をするメリットは6つあると考えています。1、生活資金の足しになる。2、居場所や活躍の場を持つことができる。3、頭を使い、体を使うので、心身ともに健康体になれる。4、仕事を通じて人と話をする機会が持てる。5、仕事の中で問題点や改善点を見つけると、それが自分の生きがいになる。6、真剣に仕事に取り組んでいると、居住者や管理会社から評価されるようになる。仕事をする目標を6つも持っていると、多少つらいことがあっても、投げやりにならなくて済みます。鍵山秀三郎氏は、「人に喜ばれ、他人に頼りにされ、あてにされる」ようになることが、人間の幸せの中では最高のものだと言われています。これは、私が考えている6番目にあたる事だと思います。居住者や管理会社の人たちの「喜ぶ顔が見たい」という目標を持っているだけで、仕事に創意工夫が生まれてきます。感謝や驚きや感動の気持を与えることができれば、周り廻って自分が幸福な気持ちを味わうことができるようになります。
2023.02.12
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矢野惣一氏のお話です。感謝というと「ありがとう」ですが、「ありがとう」だけでは、本当の感謝ではないのです。感謝には、「謝る」という字が入っています。本当の感謝は「ありがとう」と「ごめんなさい」の両方の気持が込められているものなのです。「ありがとう」と「ごめんなさい」には、それぞれそのあとに省略された、次のような言葉があります。「ごめんなさい。こんな私を許してください。受け入れてください」「ありがとう。私はあなたの好意を、確かに受け取りましたよ」(うまくいかない人間関係は「愛の偏り」が原因です 矢野惣一 廣済堂出版)普通感謝の気持ちをあらわす言葉は「ありがとう」だと思います。矢野氏はそれだけでは片手落ちだと言われているのです。「ごめんなさい」という言葉とセットにならないと感謝にはならない。難しくて何のことを言われているのかよく分かりません。今日はこの問題を取り上げてみました。父親と娘の仲が壊れたとき、父親が亡くなる前に、娘に「今まですまなかった。不器用な自分を許してくれ」といっただけで、娘は泣きながら父親を許すことができそうです。父親は冷たくした子どもでも目の中に入れても痛くないものです。生きている限り、いつまでも子どものことが気がかりなのです。それがいつの世でも子どもを持った親の姿です。娘だって離れて暮らしていてもお父さんのことが気になっているのです。父親が下手に出てくれば、「私の方こそ反発ばかりしてごめんなさい。許してください」と素直に謝ることができるようになります。「ごめんなさい。許してくれ」は親子がすぐに和解できる魔法の言葉ではないでしょうか。このように考えると、謝罪と感謝はセットになっているのです。世の中には「ありがとう」は連発するのに、「ごめんなさい」を言うことに抵抗を持つ人がいます。お客様や上司には「申し訳ございませんでした」と言えるのに、大切な家族や友人には、口がさけても言えないという人がいます。「ありがとう」は、自分と相手の立場が対等か、もしくは自分のほうが上の場合に使われます。「ごめんなさい」という言葉は、相手よりも自分の立場が低くなります。「ごめんなさい」は、自分を相手よりも対等以下に置かないと出てこないのです。プライドの高い人は、この言葉は屈辱以外のなにものでもありません。口がさけても絶対に口にしたくない言葉となります。それが相手と対立し、傲慢で鼻持ちならない人にみえるのです。そういう人は孤立して寂しい人生を送ることになります。「ごめんなさい」を言いたくない人は、自分の立ち位置を上に置いて、上から下目線で他人を見つめているということになります。森田理論でいえば、観念優先で完全主義の態度を前面に押し出し、相手を非難・否定することに生きがいを感じているような人です。負けや誤りを素直に認めて「ごめんなさい。許してください」と言える人は、森田理論の事実本位の態度を身に着けている人だと思います。これを身につけた人は、神経症的な葛藤や苦悩とは無縁の人となります。矢野氏の言われている「ごめんなさい」は、あなたのことをいつも非難・否定している自分を許していただきありがとうございます。寛大な包容力で許容していただいたあなたに、心から「ありがとうございます」と感謝いたしますということではないでしょうか。謝罪と感謝という言葉は、裏表の関係にあることに留意したいものです。
2023.01.25
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対人恐怖症の人は、人付き合いの下手な自分を自己否定しているのではないでしょうか。それがますます人間関係を悪化させている側面はないでしょうか。私は人の輪の中にいると、緊張して、いつも息苦しさを感じています。仲間とワイワイ騒いでいても、一人になるとホッとします。一人になって好きなことをするのが至福のひとときなのです。基本的には一人で過ごしている時のほうが、緊張感もなく居心地がよいのです。たまには仲間と飲んだり、カラオケを楽しむことがあります。これはカンフル剤のようなものだと思っています。カラオケを録音して一人で楽しむのもいいものだと思っているのです。あるいは好きな本を読んで古今東西の人の話に耳を傾けることが楽しい。アメリカに住むハタネズミは、山岳に住んでいるサンガクハタネズミと平地で暮らすプレーリ―ハタネズミがいるそうです。同じハタネズミですが生活スタイルは全く違います。サンガクハタネズミは単独行動を取ります。群れで暮らすことを嫌います。家族や子供や仲間と仲良く暮らすよりも、自由で気ままな生活が性に合っているようです。これに対してプレーリーハタネズミは、家族や仲間を大事にします。群れの中で仲良く暮らすことに、大きな価値を置いているのです。私の場合は、サンガクハタネズミのタイプなのです。大阪に単身赴任していた時にそのことがよく分かりました。休日になると、大阪、京都、奈良、神戸、和歌山、滋賀などの観光地などをめぐり歩くことが一番の楽しみでした。帰省するのは、月1回くらいでした。帰省するよりも家族を呼び寄せて、単身赴任先で家族と休日を楽しみたい。その中でも一押しは、サントリー山崎工場見学、サントリー京都工場見学、京都競馬場、天満天神商店街、その中のすし屋「春駒」での食事でした。ツアーを組んで、多くの人を接待して喜ばれました。特に酒好きの人はたまりません。同じ単身赴任の人でも、不安タイプの人は全く違っていました。金曜日になると家族の住んでいる家に帰省するのが、唯一の楽しみだというのです。休日に心の飢えを癒さないと体がもたないようなのです。観光地巡りを提案しても全く取り合ってくれません。私は対人恐怖症の人は、その特徴を自覚することが大切だと思います。仲間と群れるよりも、単独行動により大きな価値を見出している人間だということです。それが分かれば、無理して群れに関わるようなことを考えなくなります。そういうスタイルで生活すると決めたら、群れて楽しく生活している人をうらやむことはやめることです。それよりも自分の生活スタイルをとことん楽しむことです。但し人間は社会的な生き物ですから、まったく他人との関係を断って生活することは不可能です。対人恐怖症の人は、常識的な付き合いでさえ無視ないしは軽視する傾向があります。あいさつをしない。愛想笑いをしない。懇親会に行かない、葬式に行かない。町内の共同作業を欠席する、約束を守らない。平気でドタキャンを繰り返す。暴言や暴力をふるう。とにかく自分勝手な言動が多い。森田では人間関係は「不即不離」をお勧めしています。これは引っ付きすぎず、離れすぎない人間関係です。対人恐怖の人は、離れすぎて問題を起こすことが多いという傾向があります。自分では気づかないうちに、人間関係を悪化させている場合があります。ここを注意すれば、単独行動を好む生活はストレスもなく楽しい生き方となります。スポーツでいえば、サッカーやラグビーのような団体競技には向きませんが、剣道、柔道、マラソンのようなスポーツには向いていると思います。仕事でいえばチームで仕事をこなすのは苦手ですが、農業、職人、料理人、自営業、研究職のように単独で一つのことを掘り下げるような仕事には向いていると思います。
2023.01.13
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五木寛之氏が心掛けている人間関係は「淡く長く」だそうです。「兄弟姉妹は他人の始まり」といいます。冷たい言い方ですが、つい生じる甘えを自覚するうえで、とても意味のある言葉だと思います。兄弟姉妹でも他人であると思えば礼節も尽くさなければなりません。そうしていると、密接なつながりを実感する瞬間があるものです。心の底から感謝の気持ちが湧き上がります。夫婦の関係もそうです。もともと生まれも育ちも違う人間が一緒にいるわけです。いくら長く一緒にいようともそれぞれがよく分かっていないことがあって当然なのに、いつの間にかわかっているはずだ、わかって当然だ、となってしまう。肉親だから助け合うのは当たり前、夫婦だから愛し合うのは当然だという前提になってしまうと、そこに欲が出てきます。でも他人だと思えばそんな欲は出てきません。友人関係でも同じことが言えます。困った時に友達に助けを求めても、他人なんだから助けてくれなくても当たり前です。ところが、思いがけず手を差し伸べてくれたとしたら、それはほとんど奇蹟と言っていいようなことでしょう。そう考えて、「なんてありがたいんだろう」と思う方がいい。ですから私は、この人はすごく好きだ、友達になれそうだと思うと、かえって気をつけて、距離を保つようにしてきました。親しくなるのはいいのですが、少し距離を誤ると、どうしても甘えが出てきてしまう。荘子は「君子の交わりは淡きこと水のごとし」と言いました。水のような付き合いでないと長くは続かない。人との交流というのは川のように流れていくほうがいいのです。そして遠くからお互いのことを思いやり、見守っているといった付き合いが一番良い友情の形ではないかと思うのです。大切に思う人ほど、他人であることを忘れない。親しき中にこそ礼儀あり。親しさの距離を間違えないようにしましょう。(ただ生きていく、それだけで素晴らしい 五木寛之 PHP研究所 30ページ)この人間関係の極意は、森田理論の「不即不離」の人間関係のことですね。必要な時に、必要に応じて、必要なだけの人間関係を心がける。時、場所、環境が変われば付き合う人がどんどん変化していく。コップ一杯の人間関係作りを目指していると、失敗する確率が高くなります。コップに少しだけの人間関係作りを心がけている人は、人間関係の悩みが少なくなるだけではなく、困った時の相談相手を数多く持てることになります。
2022.12.31
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引き続いて中内玲子氏のお話です。子どもを育てるにあたっては、どういう子どもに育てたいかという目標を明確にして取り組むことが大事になります。中内氏は次の3つをあげておられます。1、目標を立ててそれを達成する力を育てる。2、他者と協働する力を育てる。3、情動を制御する力を育てる。これらは小学校に入学するまでにその基礎を作り上げることが望ましい。0歳から2歳までは、ここにいれば安心という気持ちを持たせる。困った時にはすぐに寄港できる母港を持っているという感覚を育てる。3歳から4歳までは、やってみたい、見てみたい、触ってみたいという遊びをどんどん経験させる。同時に規則正しい生活を身に着けさせる。しつけです。毎日のルーティンを確立する。早寝早起き、着替え、食事、トイレ、歯磨き、お風呂など。5歳から6歳までは、 好奇心の発揮、興味や関心、学ぶことの楽しさ、探究心、困難にであってもあきらめないで最後までやり抜く力、友達や世代を超えた多くの人と接触する機会を持って社会的なスキルを身につけさせる。(世界一の子育て 中内玲子 フローラル出版参照)ここでの3つの目標は、子どもが親から離れて自立するときに役立ちます。目標に挑戦する生き方、良好な人間関係を築く方法、感情に振り回されない生き方は親が子供に教え込んでいくべき大事な課題だということです。目標に沿って成長した子どもは、前途洋洋の人生に立ち向かっていきます。森田理論は、この3つの問題に対して、明確な指針を提供しています。目標に挑戦する生き方・・・目標は小さいものから大きなものまでさまざまですが、目標や課題に挑戦する生き方はその人の人生を豊かに彩ります。子どもの好奇心、挑戦する姿勢を高く評価して温かく応援していく。興味や関心を示したものを大切にしていく。しつけは必要ですが、「かくあるべし」を子どもに押し付けないようにする。子育て期間中は子どもに絶えず寄り添い、いつでも応援していく気持ちを持つ。良好な人間関係を築く・・・森田では、不即不離の人間関係をお勧めしています。必要な時に、必要に応じて、必要なだけの人間関係を築いていく。次に相手のよいとこ探しをする。感謝探しをする。相手へのお役立ちさがしをする。この3つを実践する。そして非難や批判は控える。不平不満もできるだけ控える。人間関係で食い違いが発生したら、お互い対等の立場に立って、話し合いによって乗り越えていく姿勢を身につける。人間関係は面倒でも、おっくうでも、絶えず調整、妥協、協調を目指していくことを伝えていく。感情に振り回されない人生・・・森田理論の感情の法則、不安の特徴、不安の役割、不安と欲望の関係を子どもに教えていく。感情は自然現象なので、人間に意思の自由はない。どんな不快な感情でも抵抗しないでそのまま受け入れるしかない。一方行動には意思の自由と責任が伴う。心の中をどんなに暴風雨が吹き荒れていようとも、つつきまわさなければ、いずれ収まってくる。森田理論学習でこれらのことを理解して、日々子育てに応用している人は、子どにとってとても良い親に巡り合えたことになります。
2022.12.27
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対人恐怖症の人は、絶えず他人の評価を気にしています。本当は自分の本音や要望を表明したいのですが、そんなことをすると相手が自分のことを非難して孤立してしまうのではないかという不安に振り回されています。確かに自分勝手なことばかりしていると、みんなから煙たがられ、最後には仲間内から排除されるようになるでしょう。でもそれを恐れて、自分の本音や本心を抑圧していると、ストレスがたまります。基本的には自分の要望や気持ちはできるだけ主張した方が望ましいと思います。しかし、対人恐怖症の人は、強い自己顕示欲を持ちながらも、力で抑圧しているのが実情ではないでしょうか。これは車のアクセルを踏み込みながら、ブレーキも力いっぱい踏み込んでいるようなものです。このようなことを続けていると、エンジントラブルを起こして車が使い物にならなくなります。この悩ましい問題を解決する方法はないのでしょうか。今日はこの問題を考えてみました。人間は生きている限り誰でも欲望や意思を持っています。そこに注目すると、他人と一緒に居るときや行動する時、自分の欲望や意思を優先する態度は問題ではないでしょうか。相手の欲求、気持ち、考え、意志を優先してあげることが肝心だと思います。そのためには、相手の要望や気持ちを、価値批判しないで、しっかり聞いて、正確に掴むことが大事になります。対人恐怖症の人はここで躓いているケースが多々あります。相手のことは無視して、一方的に自分の要望や気持をしゃべっている。あるいは、相手が十分に話し終わらないうちに、自己主張を始める。相手のことを無視して、自分の欲求、気持ち、考え、意志を前面に押し出しているのです。これでは相手が面食らうのは無理もありません。私の要望や気持ちは聞いてはくれないのかと不平不満で一杯になります。相手は欲求不満に陥り、猛烈に反発してきます。さて、この段階で何ら問題がないとすれば、次に段階に移りましょう。次の段階は、自分の欲求、気持ち、考え、意志を押し出すことです。対人恐怖症の人は自己主張をすると、人間関係が悪化するので、自己主張は極力抑圧しなければならないと考えている節があります。自分が我慢して耐えていけば、人間関係はうまくいくと考えています。これは大きな認識の誤りです。自己主張しなくなると相手になめられてしまいます。ここで正々堂々と自己主張しないと、相手は自分のことを意のままにコントロールできると解釈します。人間関係に上下関係が生まれるのです。親分子分の関係です。対等の人間関係が崩れると、いつもビクビクして生活するようになります。さらに相手は、その後どんどん無理難題を押し付けてくるようになります。相手の言いなりになって生きていくことは苦しいばかりです。人生が楽しいなどとは思えなくなってしまいます。さて、相手の欲求や気持ちをつかむことができ、自分の欲求、気持ち、考え、意志を相手に伝えることができるようになったら、今度は二人の間に横たわっている見解の違いをきちんと確認することが必要になります。さらにその溝を埋めるために、妥協点を求めて話し合いをすることになります。交渉ですから、譲ったり譲られたりの駆け引きになります。双方が対等の立場で交渉することです。むりやり相手を自分に従わせようとしてはいけません。すぐに妥協点が見つからないときは、無理をして決着をつけない方がよいと思います。禍根を残して、大きな問題に発展することが多くなるからです。一旦交渉を中止して、保留にすることです。冷却期間を置いて、再度話し合いを行うという余裕を持つことが大切になります。このステップをきちんと踏みながら相手と付き合うことは、わずらわしいと思われる方がおられるかもしれません。しかし、良好な人間関係を維持するためには、軽視することはできない問題だと考えています。実際人間関係が良好だという人を見ていると、無理なくこういうことができているようです。
2022.12.18
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佐々木常夫氏のお話です。我が家は、私と長男、娘夫婦、娘の夫のご両親の3世代同居です。世帯ごとのプライベートは確保されていますが、同じ家で過ごすわけですから、注意しないといつ衝突が起きるとも限りません。これまでに大きなケンカもなく、むしろ仲がいい方だと思いますが、それはベッタリにならないよう、常に適度な距離を心がけているからです。一緒に食事をした後などもサッと切り上げて、後は用事がない限りあまり話もしません。傍目には他人行儀に見えるかもしれませんが、そのくらい距離を置いたほうが家族はうまくいくようです。(60歳からの生き方 海竜社 36ページより引用)家族というのは空気のようなもの、気を遣わなくてもいいのが家族のよさ。だから家族に対しては気遣い無用。そう考えている人が少なくないかもしれません。しかし、私はそうは思いません。むしろ家族こそマナーや言葉遣いに注意し、「親しき仲にも礼儀あり」を守るべきだと思います。家族のような近しい間柄こそ、心ない物言いや遠慮会釈のない態度をとってしまいがちだからです。家族とはいえ、身勝手やわがままがすぎれば、信頼関係は容易に壊れます。距離が近いだけに、一度壊れたら厄介です。殺人事件の半分は親族間で起きているそうですが、そのことからも、家族・親族関係がいかに危ういかがよく分かります。しかし、これはいいかえるなら、マナーや礼儀を守って付き合えば、家族の絆は相当強まるということです。心を許し合いながら、困ったときには助け合える、盤石の関係性を築けるということでもあります。(同書92ページより引用)付かず離れずの距離がいいのは、家族だけに限りません。兄弟姉妹にいたっては、他人だと思って付き合った方がいいと思います。むろん仲がいいに越したことはありませんが、兄弟仲がよすぎると甘えが生まれたり、負担になることもあるのです。他人なら遠慮して頼まないものを、兄弟だとつい気が緩んで頼り過ぎてしまう。そのせいで関係が悪くなり、顔を見るのも話をするのも遠慮したくなる。兄弟姉妹間ではこういう事が起きやすいと心得て、他人以上に節度を持った付き合いをしたほうがいいのです。(同書104ページより引用)森田理論の人間関係の基本は「不即不離」と言われています。付かず離れずの距離感を持ったあっさりとした人間関係のことを言います。引っ付く時は新婚当時のようにベタベタとくっつき、年数がたつと無視して全く寄り付かないという関係では困るわけです。普段はうっとうしくて、いざというとき全く頼りにならないというのは、人間関係が壊れているのです。普段は相手の気持ちを推し量って束縛しないで自由にのびのびと活動させる。包容力を持って、距離を置いて眺めているだけにする。家族団らんの時は集まって一緒に楽しく過ごす。何か問題が発生したときはお互いに助け合う。こういう家族の人間関係を築いていきたいものです。家族の人間関係が良好な人は、仕事や友人との人間関係も良好になります。
2022.12.13
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人間関係がぎくしゃくしている人は次の3つのことをさがすことをお勧めしたい。1、相手のよいとこさがし2、相手への感謝さがし3、相手へのお役立ちさがし1は、相手への不平不満は横に置いて、相手は何かしらよいところも持っているはずですから、相手の長所や強みを探していくことです。それに気づいたらすぐに評価してあげるように心がける。できれば、相手のいとこさがしが見つかったとき、ノートに書いておくことです。相手のよいところが分かっていると、少々の問題点を抱えていても、許容できるようになります。2は、何かしてもらったら、すぐに「ありがとうございます」という習慣を作ることです。親切にしてもらったのに、それは当たり前のことだと、軽視してはいけません。特に親しい間柄で実践することです。たとえば家族の中などです。小さな好意を大きく取り上げて、お礼を言うようにすることです。何かをもらった時はすぐに感謝の気持ちを伝えることです。3は、相手が喜びそうなことを見つけて、即実践する習慣をつけることです。これは小さなことをコツコツと数をこなすことが大切です。相手に何かしてもらうことを期待する前に、自分の方から何かをしてあげるようにする。とりあえず笑顔で挨拶をすることから始めましょう。以上3つを自分のスローガンにして、普段の生活の中で即実践することです。大きなことをやろうと思わないで、ごく小さなことを継続していくことが肝心です。神経質性格者は、相手に「かくあるべし」を押し付けることが多くなりがちですが、この実践は相手を非難、否定することがなくなりますので、人間関係がすぐに好転してきます。これに加えて、森田理論でいわれている「不即不離」の人間関係を理解して実践する。引っ付きすぎず、離れすぎずの人間関係です。これを会得すると肩の荷が下りたような楽な気持ちになれます。それから、2022年9月13日に投稿した、「人間関係でやった方がよいこと、やってはいけないこと」を取り入れれば、人間関係でのたうち回ることはなくなると思います。人間関係が好転してくれば、人生を今までの2倍以上は楽しむことができるようになります。人間関係でそれ以上のことを期待すると、当てが外れることが多くなるような気がします。
2022.12.10
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少女パレアナは父母が亡くなり、母の妹の世話になることになりました。ところが最初はその叔母にあまり歓迎されませんでした。最初はカーテンも網戸もない屋根裏部屋で暮らすことになりました。でも少女パレアナはその困難な状況の中でも、それに振り回されるのではなく、「いいこと探し」をゲームとして取り組んでいました。それが周りの人たちにプラスの影響を与えていくという小説です。お手伝いのナンシーとの会話です。「それはね、慰問箱からでた松葉杖が始まりなのよ」「杖がですが?」「ええ、そうなのよ。あたしがね、お人形が欲しがっていたもので、お父さんが協会本部へ頼んで下すったんですけどね、お人形がこないで松葉杖がきちゃったの。係の人の手紙にはね、人形がないから杖を送る、誰か杖の要る子もあるだろうからって書いてあったのよ。そのときから遊びが始まったの」「でも、それはちっとも遊びにゃなりませんでしょうが、さっばりわかりませんね」ナンシーはじれ気味でした。「わかるじゃないの。ゲームはね、なんでも喜ぶことなのよ。喜ぶことをなんの中からでも探すのよ。・・・なんであってもなの」と、バレアナはますます熱心になって、「それだからそのときすぐ・・・杖から始めたの」「だから、おかしいんですよ。人形が欲しいのに松葉杖がきたからって、なにが嬉しいんです。嬉しいわけがないじゃありませんか」パレアナは手をたたいて、「それなのよ・・・それなのよ。あたしにも分からなかったけど、お父さんが教えてくだすったのよ」「じゃ、わたしにも教えてください」「だからさ、杖を使わなくてもすむから嬉しいの。ね、わかったでしょ・・・わかればとてもやさしいゲームなのよ」「へええ、妙なことでねえ」ナンシーはパレアナをしげしげと見つめて言いました。「妙じゃないわ・・・すばらしいわ」パレアナ情熱をこめて言いました。「それからずうっとやってるのよ。喜ぶことを捜しだすのがむずかしけばむずかしいほどおもしろいわ」(少女パレアナ エレナ・ポーター 村岡花子訳 角川文庫 40ページ)喜び探しを身近な人たちにどんどん広げて、多くの人をその輪の中に入れてしまうというお話です。最後にパレアナは交通事故で半身不随になるのです。するとパレアナに感化された人たちが次々とお見舞いに訪れるというのが感動ものでした。この小説を書いたエレナ・ポーターさんは、1863年アメリカで生まれました。母親と同様生まれつき病弱でした。高等学校を中途退学して、療養生活を余儀なくされました。健康になることだけが望みで、ひたすらそれに集中して、戸外生活をかなりしました。「少女パレアナ」は1913年50歳の時の作品です。この本は、アメリカ全土の人気を集め、すさまじい売れ行きを示しました。「あなたはパレアナをお読みになりましたか。あの喜びの本・・・」山小屋でも、都会のまんなかでも、喫茶店でも、教室でも、温泉宿でも、百貨店でも、いたる所で、喜びの遊びをする「少女パレアナ」は話題の中心でした。いつでも喜ぶということは、決して単なる「お人よし」でできることではなく、強い意志と努力が必要だということが読む人の心に深くほりつけられるのでした。残念ながら彼女は1920年57歳でご逝去されています。(同書解説 263ページ)この本を参考にして「いいこと探し」をしてみるという実践は如何でしょうか。
2022.11.20
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緩和ケア医師の大津秀一氏のお話です。30代の腎臓がんの患者である中林さんは、ある時から特殊な食事療法に執心しました。極端な玄米菜食で、中林さんはみるみる痩せてしまいました。がん治療中はただでさえ痩せやすいのです。しっかりとした栄養療法が必要であって、中林さんの場合は玄米菜食は逆効果でした。ただこのような時、難しいのは頭ごなしに伝えても事態は良くならないということです。人は信じているものを否定されると腹が立ちます。それで余計にそちらに傾倒したり、私のところから離れてしまって余計に危ない橋を渡る方向に行ってしまうこともあるのです。そのため私は、即座に対応しなければ命を失うということでない限り、強く否定したりはしません。「なぜそれに取り組み始めたのですか」私が尋ねてみると、中林さんがお話になったのはこうです。一家の大黒柱の自分が病に臥せってしまっていることに負い目がある。小さい子供のためにも、少しでも元気になって長生きしたいと、そういうことを熱を帯びた目で話されたのです。気持はよく分かります。そうなのですね、と受け止めつつも、様々なスタンスがあると思いますが、全面肯定しないのが私のスタンスです。しかし物事にはタイミングというものがあり、ぐっと耐えることも必要になります。何回かの外来を重ねた時、さすがに元気が出ないことに彼はポツリと言いました。「先生、やっぱりこのやり方じゃだめなのかな?」「そうですね。前にもお伝えしたように、タンパク質などをしっかり確保しないといけません。今の食事だと難しいかも知れませんね」彼は少しうつむくと言いました。「だよね?自分でもそうかとだんだんわかってきていた。でも玄米菜食をすすめてくれた先生は、がんの人を何人も治したということだから、自分もそうなりたいと思ったんだ。でもそれは目を塞いでいただけなのかもしれない・・・」しばらく彼は考えているようでしたが、振り切るようにこう言いました。「先生、元の食事に戻します」私は再び、がん治療中にふさわしい食事の内容についてお伝えしました。以後彼はしっかり必要な栄養素をとることに努め、体重も戻り、元の元気な生活に戻りました。(幸せに死ぬために 大津秀一 講談社現代新書 120ページ)この話は相手の間違った考え方や行動を変えさせるには、こちらの考え方を拙速に一方的に押し付けてはいけないということだと思います。強固な信念に支えられている考え方や習慣化している行動を無理やり変更させようとすれば、相手は嫌悪感をもたらし、精一杯の反抗を試みます。信頼関係がないときにいくら良いアドバイスをしても、相手は聞く耳を持っていないので、決して良い結果には結びつきません。こういう場合、自分が絶対に正しいと思っていても、適切な時期が来るまで、アドバイスは封印する必要があります。自分の経験や知識を相手に押し付けることは、百害あって一利なしと心得ておけば、ほぼ間違いありません。まず相手の信念や考え方をよく聞いて理解するように努めることが大切です。傾聴、受容、共感の気持が大事です。そうすれば信頼感が生まれてきます。自分の考え方を伝えるタイミングがくるまでひたすら待つことです。タイミングが来なければそれでもよしという気持ちを持つことが肝心です。相手が信念をもって行動していても、それが誤っていれば、いずれ問題が表面化してきます。改めて相談してきた時、あるいは八方ふさがりで打開策が見つからなくて右往左往している時を待つしかないと思われます。この状態になれば、援助を受け入れやすくなっています。こういう段階を踏んでいくと、初めて相手の間違った信念、習慣、行動を変えることが可能になります。相手がより良い方向に変身する姿を見ることは楽しいものです。アドバイスをするときは、ぜひともこのことを頭の中に入れておいてほしいものです。そうなれば、お互いの信頼関係がより一層深まります。
2022.11.15
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中内玲子氏のお話です。つい子どもをしかってしまうことが多い方は特に、「ありのままのあなたが大好き」という気持ちを、意識して言葉や態度で伝えましよう。子どもが赤ちゃんだった頃の話をしたり、写真や動画を見せてあげたりするのもいいでしょう。自分の写真でいっぱいになったスマートフォンの画像フォルダや、親が自分の写真を待受画面に設定しているのを見るだけでも、子どもはうれしいものです。お祝い事のときに撮った写真はそのままにせず、ぜひ額に入れて飾ってください。わが家では、キッチンに置いたデジタルフォトフレームに子どもたちが赤ちゃんのときからこれまでの写真データを入れてスライドショーで表示しています。子どもたちはそれを見るのが好きなようで、たびたびデジタルフォトフレームの前に集まっています。「これは誰かな。○○ちゃんだね。かわいいね」「はじめて『ママ』って言ってくれたときはうれしかったな」「初めて一人で歩いたときは、おじいちゃんもおばあちゃんも、みんな拍手して大喜びしたんだよ」と写真を見ながらいかに愛されているかを伝えるのです。小さいうちはこのように親の愛情を伝えてあげるだけでも自己肯定感を育めます。(世界一の子育て 中内玲子 フローラル出版 109ページ)子どもの自己肯定感を育むには、親の無条件の愛情が必要だということがよく分かります。私の知っている方は、子どもの笑顔いっぱいの小さい頃の写真を大きく引き伸ばしてシルク印刷にして玄関に飾っています。1Ⅿ角くらいの大きなものです。最初見たときは驚きました。子供が恥ずかしがらないだろうか。最初はお姉ちゃんの写真でしたが、中学生になると、次は弟の写真に替わっていました。これを見ただけで親が愛情いっぱいに子供を育てていることがよく分かります。子どもたちは、たとえ対人関係で傷つくようなことがあっても、いつでも心の安全基地に寄港することができるのだなと思いました。他人を信頼することができる素敵な大人になることでしょう。中国のお父さんで、女の子どもが生まれから、毎年1回記念写真を撮っていました。30年以上にわたり毎年欠かすことなく続いていました。これだけでも子育てに合格点はもらえるのではないでしょうか。赤ちゃんから少女、思春期の女の子、大学生を経て大人の女性へと、娘が成長してきた軌跡がとてもよく分かりました。素晴らしいお父さんですね。その女の子はとても愛情豊かに育てられたのだろうと思います。こういう子どもが親思いの子どもになり、その気持ちは子どもから孫へと引き継がれていくのでしょう。我が家の娘が嫁にいった家族は、二世代同居家族です。驚くことに何十年にもわたって年賀状は家族の集合写真です。この年賀状は異色です。10名くらいの家族の変遷が毎年見れるのです。とても仲のよい家族です。最近の孫の動画がよく送られてきます。娘はよいところに嫁にいったものです。孫も愛情豊かに育っていてうれしい限りです。自分の自己肯定感を増進するために、自分が小さいころの写真、親と一緒に楽しそうにしている写真、兄弟ではしゃぎまわっていた頃の写真、学芸会や運動会の時の写真、仲間と楽しく過ごしていた時の写真、楽しい旅行の時の写真、配偶者と知り合った頃の写真、子どもが生まれた時の写真、家族旅行で撮った時の写真、自分が目標に向かって頑張っていたころの写真などをスライドショーに整理するというのは如何でしょうか。写真にしてファイルするのもいいですね。私はこちらの方です。気に入ったyou tubeプレミアムの音楽を聴きながら、時々眺めていると落ち込んでいる時に効果があります。今は精神的に苦しいけれども、いつか這い上がってやるぞという気持ちになれるのです。それは自分の存在を捨てたものではないと再認識できるからではないでしょうか。
2022.11.06
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中谷彰宏氏のお話です。電話を切る時、相手が話している途中で、耳から受話器を離していませんか。電話は不思議なもので、耳から離れて、フックへ移動しているのが、相手にはよく分かります。「失礼いたします」と言っている「失礼」のあたりで、もはや、耳から離れて行って、「いたし」あたりでブツッと切れるのです。(人を許すことで人は許される 中谷彰宏 ダイヤモンド社 20ページ)いくらその前に意味のある会話をしていても、相手が最後にぶっきらぼうに電話を切ったとすれば、興覚めになります。せめて「失礼いたします」と言って1秒ぐらい待ってから切るのがよいと思います。しゃべりたいことだけを一方的にしゃべって、要件を伝えたらすぐに電話を切るというのはやりきれないものがあります。そんなことで人間性を疑われるようになってはマイナスです。小さな親切、小さな思いやり、小さな感謝の気持ちで生活することは、相手の為だけではなく、自分が日々穏やかに、気持ちよく生きていくために必要なことではないでしょうか。そういうことに気が回るようになれば、人間関係もよくなります。例えば車で自宅まで送ってもらうことがあると思います。そのとき、お礼を言うとすぐにすたすたと玄関口に向かうことはありませんか。相手が車を発進させて、車が見えなくなるまで見送ることを心がけたいものです。相手もあの人を自宅まで送り届けてよかったと思うはずです。小さな思いがけない感動のおすそ分けをもらったように思います。たまにバスに乗る人で小銭で支払うことがあります。下車する時になって財布を見ると1万円しかなかった。これではみんなが迷惑します。乗車する前に小銭を確かめておくことは、小さな思いやりにつながります。スーパーやコンビニなどで現金支払いの場合、レジに並んでいる時にコインを1円、5円、10円、50円、100円、500円と整理しておく。支払いの時は、整理しておいた小銭から出す。小銭も片付きますし、スピーディな支払いは、レジ係の人も、後ろに並んでいる人も実に気持ちがよいものです。私は以前酒屋に依頼してビール瓶をケースで配達してもらっていました。その中に冷えてますシールが貼ってあるビールを2本見つけました。すぐに飲めるビールがあると嬉しいものです。その心配りに、思わず座布団2枚と叫んでいました。小さな気配りは日常生活の中でいくらでも見つけることができます。相手に小さな感動を与え、感謝されるようなことを常日頃から見つけ出し、実践することが習慣化している人は、自分の生活が日々感動で満たされることになるのではないでしょうか。
2022.11.05
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萩本欽一氏のお話です。ボケ・ツッコミの後に「ウケ」がないとダメなんだ「突っ込む」っていうよね。そこから世の中に出てきた言葉が「ツッコミ・ボケ」。これで笑い取るとね、世の中殺伐としてくるんだよ。この言葉だと、つまり相手がボケると突っ込む。つまりいじめる。ツッコミって「突く」ってこと。欠点を突くっていうでしょ。だから言ってみればいじめなの。ボケ役っていうのは、いじめを苦にしない、いじめに気付かないって人。坂上二郎さんを見てごらんなさい。全然気づいていないでしょ。いじめてるんだよ、あれ。いじめられているのに、「あ、そうですか」って平気な顔をしている。そこへどんどん突っ込んでいくんだよね。「わかっているのかい」「えーえ わかっていますよ」「何が」「それは、もうね、いろんなことが」「やっぱり、わかってないんだ」こんなふうに、なんにも間違いに気づいていないっていうのと、いじめを苦にしていないっていうのが、ボケ役の基本なんです。それを見ている人がみんなで笑うというのが今のお笑いの構造になっている。僕はテレビをやっている時に、「ツッコミ・ボケ」っていう言葉はやめてくれと言っていた。それを使うと殺伐とするから。いい笑いというのは、突っ込み、ボケた後、最後に「ウケ」っていうのがあるのだと、僕は繰り返してきた。「ウケ」っていうのは何かというと「救う」ということ。救われないとダメなんだ。だから必ずウケを一つ入れてくれ。このウケを大事にしてくれ。そう言い続けてきたの。(ユーモアで行こう 萩本欽一 KKベストセラーズ 34ページ)この話は「かくあるべし」を他人に押し付けて、勝った負けたと一喜一憂している人にとっては耳の痛い話かもしれません。他人を非難、否定、叱責すると、相手がダメージを受けて傷つくというのはなんとなく分かりますよね。それなのにそんなこと無視してしまいます。それどころか仲間を巻き込んでさらに追い打ちをかけてしまう。そして仲間内から追い出そうとしている。それはまずいいですよね。傷ついた人は一生その人のことを恨みますよ。本人は気づいていないかもしれませんが。私も以前学習会のインストラクターを引き受けたとき、ある人の仕打ちと仲間を先導して徒党を組んで非難してきたことをいまだに引きずっているのです。許そうと思っていても、思い出すたびに腹が立ってしかたがないのです。これが一生涯付きまとうのかと思うと気が重いです。自分を窮地に追い込んだ人は、もう忘れているかもしれません。そのときは事実を伝えたまでのことだ。自分にはなんのやましいことはないと思っておられると思います。今思うことは、「かくあるべし」を押し付けるのは、まず相手の気持ちを聞いた後にしてほしかったですね。さらに言えば、せめて萩本さんのいわれる「ウケ」を用意した後にしてほしかったです。救い、許し、許容、ねぎらい、信頼の言葉や態度の気持がない時に、「かくあるべし」を相手に押し付けてはいけないと思います。自分で言いにくかったら、誰か第3者にそのことを依頼してからにする。第3者にフローしてもらえばなんとかなりますよ。第3者を巻き込んで、一緒になって仲間内から排除してはいけないと思います。そうすれば相手と対立することは避けられます。そんなことができるような人は、物事本位になっている人です。人格否定ではなく根底には人間愛、人間に対する信頼感が育っている人だと思います。「かくあるべし」を他人に押し付ける人は、自分に対しても「かくあるべし」を押し付けている人です。自分で自分を否定しているのですから生きることが辛いはずです。自分に対しても「ウケ」を用意して行動することが大切になります。他人の批判にさらされても、自分で自分を擁護することは大事ですね。自分は自分の最大の味方になることです。この考え方は森田理論の核心部分を突いているのではないでしょうか。
2022.10.08
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生活の発見誌7月号に次のような記事があった。森田先生は人間関係においては思いやりが大切なことを教えられ、「思いやりの心が生じてこなければ、神経質のとらわれが本当に治ったとはいえない」といわれている。また、「愛されることもうれしいいが、愛することはなおうれしい」とも言われている。対人恐怖の人の心は、「他人からよく思われたい」「他人から愛されたい」という自己中心的な心に偏っており、「人を思いやる」心、「人を愛する」心が発動しにくくなっています。しかもそのことに気づけなくなっていることに、対人恐怖で苦しまなければならない根本的な原因があるわけです。しかし神経症で苦しんでいるときは、思いやりの心は持てません。自分のことを考え、守ることで精一杯というのが現実です。思いやりの心についてどう考えていけばよいのでしょうか。「思いやり」に関連する言葉として、生活の発見会では、「人の為に尽くす」ということがいわれてきました。これについては、「森田理論学習の実際」という冊子には次のように説明されています。「人のためにつくす」というと、非常に大げさに考えて、「何か人のために役に立つことをしないといけない」と考えがちですが、このように大きく構えると、それがまたとらわれになります。従って大げさに考えず、人の立場、気持ちを考えながら行動する。つまり、人に迷惑をかけないように行動する、というように考えられればよいと思います。家庭の主婦であれば、気分はどうであれ、ご主人の出勤、子どもの学校に間に合うように起き、食事の支度をする。出かけるときは「行ってらっしゃい」と言葉をかけて送り出す、ということです。また夫であれば、家庭内の仕事はすべて奥さんの仕事と考えずに、布団の上げ下げ、風呂の掃除は自分がする、といった具合に。このようなことを心がけて行動すれば、自分にばかり向いていた注意が外へ向かうようになります。また主観的なものの考え方、見かたから、客観的な見かた考えかたができるようになります。「思いやりの心」「人の為に尽くす」というのは、大げさに考えると絵に描いた餅になってしまいます。無理することなく自分ができる小さなことというのがポイントになります。「思いやりの心」「人の為に尽くす」というのは、「己の性を尽くす」「物の性を尽くす」に通じます。これは森田理論の重要な考え方の一つです。その物の持っている存在価値や能力を見つけ出して、できるだけ居場所を見つける、できるだけ活躍の場を提供してあげるということです。これらは、日常生活の中で、他人に対して役に立つごく小さなことを見つけて、実践するということだと思います。小さな感動のおすそ分けを心がけるということだと思います。たとえば、集談会に参加して、神経症に苦しんでいる人の話を聞いてあげる。世話役を引き受けて、運営のお手伝いをする。ペットの世話をする。ベランダの草花の世話をする。自家用野菜を育てる。子どもの世話をする。親の介護をする。家事を分担して行う。人と会うときは挨拶をきちんと行う。笑顔を心がける。相手の名前を覚える。相手の話をよく聞いてあげる。他人との約束はきちんと守る。気分本位の行動は慎む。気に入っている森田図書の紹介を行う。読み終わった本を貸してあげる。森田理論を活用している人はその紹介をしてあげる。生活習慣病検診は毎年受ける。毎日ウォーキングなどの運動を行う。リズム感のある規則正しい生活を送る。ボランティア活動に取り組む。その他、小さな感動のおすそ分けはいくらでも思いつきます。そのためには、小さな最初の気づきを取り逃さないようにメモしておくことが肝心です。それを日々行動として積み重ねていけば、チリと積もれば山となります。人間関係が好転し、自分のやりがいや生きがい作りにもつながります。
2022.10.04
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親戚の法事で次のような話が出ました。私のいとこで奥さんに先立たれて、今は一人暮らしをしている人の話です。70代の人ですが、農作業をしながら生活しています。趣味は競馬です。その人には3人の子供がいるのですが、いずれも家を出て生活をしている。その子どもたちは家には全く寄り付かない。連絡は完全に途絶えている。どこに住んでいるのか、見当はついているが、正確には分からない。それは子どもに厳しく当たってきたからだという。父親を鬼のような人だと思っているのだ。父親を毛嫌いして、もう実家には帰らないという決意を持って出ていった。そのつけが今頃になってやってきた。孫の顔を見てみたいが、かなわないだろうという。自分の子育ては完全に失敗だったと後悔の気持でいたたまれなくなる。私はその話を聞いて、それは子育てに失敗したのではなく成功したということではないか。すべての子供が親を当てにしないで自立できたということはたいしたものだ。後悔する必要はないと思う。自慢してもよい話ではないか。後悔しているというが、それは子どもに何かを期待しているやましい気持ちが見え隠れしているからではないのか。子どもが親を親とも思わなくなるというのは、寂しいものがあるが、親の務めは子どもが自立して一人で生きていけるようにすることだ。別に立派な親でなくてもよいと思う。だらしない親で、子どもから毛嫌いされるつまらない親であっても結構。子どもから反面教師にされるということは、子育てでは大切なことだ。身体を張って反抗するということは、子どもにとっては「あんな親だけにはなりたくない」という自立心の表れそのものだ。そんな子育てを貫いたということは、実感としては少し寂しいが、立派な子育てをしたということだ。あとは自分でやってくれと押し出してやればよいと思う。未練がましく、いつまでもなれなれしくしてはいけないと思う。テレビドラマの中で、どちらが親で、どちらが子供か分からないような友達関係のような親子が出てくるときがあるが、これは共依存の関係に陥っているのではないか。こんな親子関係では、子どもは家から出ていかない。いつまでも経済的に親に依存してしまう。その方が快適だからだ。経済的に自立できないということは、精神的に自立できないということと不可分の関係にある。2つの側面で自立できないと、社会の荒波を乗り越えていくことは極めて難しくなる。親が仮に亡くなってしまうと、太平洋の真ん中で羅針盤を失った船のようになる。親の援助を期待しないで、自分の力で生きているというのは素晴らしい。今の世の中を見ていると、子どもが自立したといっても、親の庇護のもとで生活している人がほとんどだ。子どもが生活に困ったと言えば、金銭的な援助をする。我が家でも子供が高速道路でやってくると高速代や燃料代は出してやっている。孫が大学に入るという場合は、多額の支援を当然のように期待している。家を建てると言えば、両方の親が相当入れ込んでいる。子どもは親の残した家や財産を相続するという前提で生活設計をしている。これではいつまで経っても、子どもは自立できない。そういう関係を続けていくことが本当に子どもにとって幸せなことなのか、今一度考えてみることが大切になる。キタキツネの母親は、子どもが赤ちゃんのうちは手取り足取り世話をして育てる。そして少しずつ狩りを教えていく。そして一人前になったと判断すると、母親は子どもを巣から追い出すという。子どもは名残惜しく巣の周りをうろついているが、母親は牙をむいて威嚇する。どうしようもなくなった子供のキタキツネは、断腸の思いで生まれ育った巣を離れて自立していく。これが自然界で繰り返されている現実なのだ。人間の子育てもこれに学ぶ必要があると思う。
2022.09.17
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人間関係ではやってはいけないこととやった方がよいことがあるように思います。やってはいけないこと(べからず集)・挨拶することを軽視している。知らないふりをする。・葬儀や法事に行かない。香典などをけちる。・相手の名前を忘れる。・約束を守らない。ドタキャンする。・金銭問題を起こす、男女問題、酒癖が悪い。・自分の言いたいことばかりしゃべり、それを相手に押し付ける。・相手の話を別のことをしながらうわの空で聞く。・自分の間違いを認めない。言い訳、ごまかし、責任転嫁する。・カッとなって暴言や暴力をふるう。・相手を非難、否定、叱責、拒否、脅迫、強制する。・「あなたメッセージ」の会話ばかりする。・相手をからかう。無視する。仲間外れにする。やった方がよいこと・いつも相手に笑顔で挨拶を心掛ける。・傾聴、共感、受容、許容を心掛ける。・「私メッセージ」の会話を心掛ける。・相手の話に間違いや同意できなくてもすぐに反論しないでまずはよく聞く。・「ありがとう」という言葉を意識して使う。・相手の存在自体を評価する。感謝の気持ちを持って生活する。・余裕があれば、おすそ分けの気持ちをもつ。・親切にしてもらったらお返しをする。・相手が困っているときは、できるだけ援助する。・相手のよいところは積極的にほめる。・努力しているところを評価する。・相手の関心をつかむ努力をする。このほかにもあると思います。各自で考えてみてください。忘備録として持ち歩き、少し意識するだけで人間関係はよくなると思います。森田では、不即不離の人間関係をお勧めしています。それに取り組む前に、ここで上げたことが手抜きになっていると、ザルで水を掬うようなことになってしまいます。
2022.09.13
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岡田尊司氏のお話です。不幸にも母親から十分な愛情や世話を与えられずに育った結果、貧弱で不安定な愛着しか育まれないと、ストレスに敏感で傷つきやすくなり、人との関わりに苦労するだけでなく、配偶者との関係や子育てといった、もっとも密着した関りを要する関係においても困難を生じやすい。では、不幸にも親の愛情に恵まれなかった人は、不安定な愛着を抱え、一生苦しまなければならないのかと言えば、そういうわけではない。拙著「愛着障害」や「母という病」で述べてきたように、それは克服していくことができる。克服の方法の一つは、親とは別の第三者から安定した愛情や世話を受けて愛着の傷を癒し、安定した愛着を取り戻すことだが、もう一つの方法は、自分自身が愛情や世話を特定の対象に与え続けることである。(真面目な人は長生きする 岡田尊司 幻冬舎 207ページ)対人恐怖で苦しんでいる人は、他人への信頼感が持てない人である。それは生まれてから3歳くらいの間に母親との間に愛着の形成ができなかったのが原因の一つだといわれている。特に0歳から1歳6か月の間は母親が四六時中目を離さないで世話をする必要がある。不快なことがあれば、泣き叫ぶと母親が飛んできて、それを取り除いてくれる。母親は子どもの安全基地、母港として機能する必要がある。しかし不幸にして、愛着の形成が不十分で終わってしまうと、その後の人生は人間関係につまずくことになる。しかし岡田尊司氏は、克服することが可能だといわれているのである。1、親以外の人から人の援助を受けて、安定した愛着を取り戻すことです。私の場合は、生活の発見会の先輩会員の方でした。その方の特徴は、自分のことを非難されたことは一度もありません。私が実践課題の発表をすると、いつも励ましてくださいました。私の話をよく聞いてくださいました。アドバイスというよりは、自分が森田を学習して感じたことや生活の中で応用している話をしてくださいました。いつもにこやかで、話し方がとても柔らかい人でした。私は集談会の時は最初の頃はその方の側に近づくようにしていました。素晴らしいオーラがあり、参加者全員が一目置いていました。1ヶ月に1回しか会いませんでしたが、会社の中での人間関係や仕事の進め方で困った時は、今度の集談会で相談に乗ってもらおうと思っていました。いつもお会いしなくても、心の支えになってくれる人を持っていると安心感があります。今思うと私には、集談会の先輩が心の安全基地の役割を果してくれていたのです。ありがたいことで、それを思うと涙が出てきます。2、自分が他の生き物に愛情を与え、世話をしていくことです。親や配偶者や子供に、適度な距離を保ちながら、目を離さないようにする。何かあった時は積極的に手助けする。私の場合は集談会に参加し始めて6か月くらいから世話活動をしてきました。最初は図書係でした。その後はいろんな役割を経験しました。人の為にやっていたことが、不足していた貴重な社会体験の場になりました。それが広がって、町内会、マンションの管理組合の役員もしました。会社では中間管理職として部下の指導をしていました。しかしこれはうまくはいきませんでした。今考えるとマネージメントについて無知だったからです。管理職としての学習機会がなく自己流でした。仕事ではマンションの管理人のとりまとめもやっていました。これはみんなから頼りにされていました。頼りにされるとうれしいものです。趣味の会でも積極的に役割分担を果すようにしてきました。ペットでは、金魚やメダカを飼いました。水を替えたり餌やりをします。今はメダカがいるので何日も家を空けることができません。その他、自家用野菜の手入れをしています。現在は夏野菜も終わりに近づき、秋冬野菜の切り替えの時期です。水やり、土つくり、輪作体系、酸度調整、雑草退治、病虫害の予防、土寄せ、誘引、芽かきなど世話をすることがいっぱいです。世話をすれば野菜が応えてくれます。これらも愛情をかけ世話をすることにつながっているのではないかと思っています。このブログは、森田で救われ、神経質者の人生観を確立できたので、そのお返しのつもりで取り組んでいます。毎日1000人以上の人からのアクセスがあり、少しはお役に立てているのかなと思っています。今まで多くの人のお世話になってきました。今後は自分にしてもらった以上のことをしてお返しをしたいと思っています。それらが私が抱えていた愛着障害の克服につながっていたのだと思います。
2022.09.09
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3月に会社に就職した人から相談の電話があった。2年くらい仕事が見つからなかったが、やっと見つかった仕事だったといわれていた。最近上司や同僚から仕事上のことで、叱責ばかりされている。辛いので辞めたいが、家族の生活のことを考えると辞めることができない。どうすればよいでしょうかという内容であった。森田理論ではどう対応すればよいのでしょうかという質問であった。私は返答に困った。こういう場合は、どんな状況でどんな叱られ方をしたのか具体的な話をしてもらわないと相談に乗ることは難しいのではないか。話しやすいことだけを抽象的に話すだけでは先に進めないのだ。普通の会社は、新しい人を採用した場合は、上司や先輩が手取り足取りで仕事を教え込むことになる。そうしないといつまでも経費ばかりかかって、会社の戦力にならないからだ。新人は最初は教えてもらった仕事に丁寧に取り組むことになる。そして少しずつ仕事の幅を広げて会社の風土になじんでいく。2年か3年で自立していくのではなかろうか。入って4か月くらいの人が、叱責ばかりで針の筵に坐っているようなものだという状況は異常としか言いようがない。被害妄想、疑心暗鬼に陥っているのだろうか。人が怖く、強固なバリケードを築いて、他人を寄せ付けないのかもしれない。絶えず自己内省して、自己嫌悪、自己否定しているようでは人間関係は針の筵に坐っているようになる。私も最悪期はこんな状態だった。会社のルールへの対応、挨拶、ものの言い方、受け答え、勤務態度については、問題はないのだろうか。入社して間がない人に、会社の全員がそんな態度をとるというのは、ちょっと考えられない。全員が冷たい態度をとるといわれるが、そういう人を採用することは考えにくい。対人関係で心掛けることは、次の3点を強調したい。いずれも森田理論学習の中で獲得したものばかりである。1、イヤな感情が湧き起こってもそのままにしておく。イヤな感情に基づいた売り言葉に買い言葉の対応は慎む。目の前の仕事に目を向けて真剣に取り組む。2、観念中心の「かくあるべし」を他人にも自分にも押し付けないようにする。事実を事実のままに受け止めて対応するようにする。3、挨拶は笑顔できちんと行うようにする。こういう場合、森田先生は、症状の為に安易に仕事を辞めてはいけないという考え方である。辞めると経済的な自立が叶わず、有り余った時間で自己否定するようになるからである。水谷君は大学受験を1年延ばすというのを撤回させた。山野井・行方・谷口君も、みんなわずかの違いで、職を離れるところだったのである。倉田百三さんは、強迫観念を治してから、しかる後に原稿を書こうと考えておられたのを、僕が勧めて、苦しいながらも原稿を書くようにした。あとになって見れば、その時の創作がかえって出来栄えがよかったとのことです。苦しいのを避けると、ほっとするのは一時だけで、神経症は益々悪化する。私は会社での人間関係が悪化したとき、集談会のアドバイスで気が楽になったことがある。それは、会社は良好な人間関係作りを目的として存在しているのではない。それぞれがきちんと仕事をして、会社に利益をもたらすことが求められている。会社が求めている人材は、与えられた仕事で期待以上の成果を上げてくれる人である。こういう人なら何人いてもよい。これが第一優先順位にならなければならない。良好な人間関係作りはその次にくる課題になる。あなたの仕事ぶりは上の空になっていることはありませんか。物そのものになって、一心不乱に仕事に取り組んでみましょう。神経質性格を活かして、たくさんの細かい仕事を丁寧にする事で十分です。私はどんなに人間関係が悪化しても、仕事で少しでも評価されるような人間になろうと決心した。そうなればクビになることはないだろう。それどころか、そんな自分でも評価してくれる人が少なからずいたように思います。また、対人恐怖症を抱えたまま、家族の生活を維持していくために、「月給鳥」という鳥になって餌をとってくることに専念しようとしました。目的をはっきりさせて、それに邁進すると心に誓うことです。私は「餌を運んでくる月給鳥」という話を集談会で聞いたことで、どんなに気が楽になったかとしみじみ思っております。神経質者はまじめで責任感が強いので、自分ではダメだと思っても6割程度の仕事はこなしているという話も自分を勇気づけてくれました。私は紆余曲折がありましたが、58歳まで何とか会社員として仕事をしました。そのときに早期退職優遇制度が始まったのです。私は迷わず手を上げました。でも今も別の仕事を続けているので、トータルで48年も会社員をしています。ヒヤヒヤの綱渡りのような会社員人生でしたが、終わりよければすべてよしという気持ちです。退職してしまうと、現役時代というのはあっという間だったというのが実感です。
2022.09.01
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7月号の生活の発見誌に次のような文章がありました。人は油断して隙を見せると攻撃してくるので、決して弱みを見せてはならない。この言葉は私のことを言われているような気がしました。父親に絶えず叱責されながら成長したためにこんな感じになりました。このような強固な「かくあるべし」に支配されていると、精神的には常時極度の緊張感にさらされることになります。敵国に領海侵犯をされたときに、いつでもスクランブル発進できるように身構えているようなものです。森田では我々の生活は緊張状態と弛緩状態の波があるので、その波に上手に乗って生活することが大切だといわれます。この状態は、緊張状態が四六時中続くことになりますので、精神的にも身体的にも疲労困憊状態に追い込まれます。このとき、他人が自分ことをどう取り扱ったかに全神経を集中させています。感覚が鋭くなり、とるに足らないことでも敏感にキャッチするようになります。私たちは感度の良い高性能レーダーを標準装備しているようなものだといわれますが、この場合それがマイナスに作用します。そしてすぐに格下の相手に対しては反撃をします。格上の相手に対しては、自分の気持を無理やり抑圧して逃避しますので、ストレスが溜まります。どちらの場合も問題を抱えます。このとき注意や意識はほとんど人間関係に向かっています。その結果、目の前の日常茶飯事や仕事などは上の空になります。ミスや失敗が多くなり、実生活の悪循環も始まります。このような考え方・認識はなんとかしたいものです。それに対して、私がどう取り組んでいったのかを振り返ってみました。まず、岡田尊司さんの「愛着障害の克服」という本が役に立ちました。この本によると、愛着障害を抱えた人は他人を信頼することは出来ない。幼児の段階から、人が怖いという気持ちに支配されています。そのままだと、一生苦難の人生を送っていかざるを得ないとあります。改善としては、親以外との間で、心の安全基地、母港となるものを作り上げることが有効に作用するという。これを参考にして、集談会の中で、立ち寄ることができる安全基地を見つけた。その人は森田をよく理解しておられて、生活面に応用していらっしゃる人だった。人のことを批判・否定する言葉は聞いたことがない。相手の話をよく聞く、そっと寄り添う、ほめる、励ます、自分の体験に基づいたアドバイスをされる人だった。対人関係で問題を抱えたとき、あの人に相談してみたいと思うような人ができると安心感が全然違う。次に、自分も誰かの安全基地になるという気持ちを持つことが有効だといわれる。たとえば、犬や猫、インコや金魚などのペットを飼って親身になって世話をする。その他、花や観葉植物、自給野菜を育てる。子育て、親の介護に取り組むこと。集談会などで世話活動を引き受けることなどがある。もう一つ役に立ったのは、森田理論の「不即不離」という考え方だ。人間関係はある時は憎み合って対立することもある。でも別の時には仲良くなって一緒に楽しい時を過ごすこともできる。あの人とは全然波長が合わないと言いながら、他の人とは磁石のプラスとマイナスが引き寄せられるような関係を築くことができる。こういうバランスが自然にとれていることを忘れてはならない。マイナスの面をことさら取り上げて、問題視しているとストレスだらけになり、うつ状態に追い込まれる。人間関係は、必要な時に、必要に応じて、必要なだけの人間関係を持つことが基本である。だから、人間関係は適度な距離感を持つことが大切です。あまり深入りしないように注意することが大切になります。広く浅くを心がけていくと、人間関係が好循環のスパイラルに入ります。これがどんなに気を楽にしてくれたことか。これ以外に感情と行動はしっかりと分けて人と付き合う。自分の感情を相手に気づかれないような演技が求められます。自分の気持を相手に押し付ける前に、まずは相手の話をよく聞く。自分の要求ばかりを前面に出していると、人が寄り付かなくなります。最低限のマナーとして、挨拶や笑顔を忘れないようにする。たったこれだけのことを心がけるだけで、人間関係が劇的によくなることは体験によって確かめました。私はこれらを心がけて生活してきました。その結果どうなったか。人が怖いという感覚は完全にはなくなりませんでした。コールタールのように体にまとわりついているのです。それを持ったまま人と関わっていくしかないと思います。それでも人との交流を楽しむことは出来ます。現実には、集談会や多くの趣味の会に参加して、広く浅く多くの人との交流を存分に楽しんでいます。いろんな人と絶えず交流していくことは、自分の人生を豊かにするスパイスのようなものだと思うようになりました。森田で学んだ方法を実践してよかったのだとしみじみと思えるようになってきました。
2022.08.26
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その1は、感情と行動はきちんと分けて対応するということでした。これができれば、やたらと敵を作ることは抑えられるはずです。これにもう一つ付け加えたいと思います。森田では自分の気持ち、思い、考え、要望、方針、理想を相手に押し付けてはいけないと学びました。自己中心の態度を前面に押しだして、他人を意のままにコントロールしようとする態度の事です。「かくあるべし」押し付ける態度のことです。相手には相手の気持ち、思い、考え、要望、方針、理想があります。自分の意志を打ち出す前に、相手のことを第一優先に考える必要があります。それらを押しのけて、観念的な自己中心性を押し出すと、人間関係はうまくいかなくなります。相手は、自分のことを敵と判断して、反撃するようになります。分かり切ったことですが、相手のことを非難、否定、無視、叱責することが多いのが現実です。自分の「かくあるべし」を相手に押し付ける態度は抑制しなければなりません。そして、相手の気持ち、思い、考え、要望、方針、理想に寄り添う態度を身につけることが大切になります。まず、相手の話をよく聞く。相手の言動をよく観察する。傾聴、受容、共感、許容、感謝の気持ちで接する。事実を確かめないで、過去の記憶を基にした対応は控えるべきです。先入観、決めつけ、マイナスのレッテル張りなどをしてはいけません。相手に欠点や弱点があっても、その裏には長所や強みが隠れています。欠点や弱点、ミスや失敗は寛容な気持ちで許容してあげる。相手の長所や強みを評価して、それを活かすための居場所を作ってあげる。森田では「純な心」という教えがあります。これはある出来事が起きたとき、最初に湧きあがる感情、素直な感情、一次感情、初一念などのことです。ただし、この感情は意識して掴まえないと、すぐに「かくあるべし」を含んだ二次感情、初二念、初三念に乗っ取られてしまうという考えです。これを基にして相手と対応すると、気まずい関係になりがちです。最初の素直な感情に立ち返って対応できるようになれば問題は解決します。そして、相手と話しするときは、「あなたメッセージ」ではなく、「私メッセージ」の手法を使う。このやり方は、相手に行動の選択権を与えることになります。「かくあるべし」を押し付けることから逃れることができます。敵を作り出さない人間関係作りは、これ以外にもいろいろとあるでしょう。森田理論を学習した者としては、以上2点を自分のものにすれば、敵を作り出さないだけではなく、自分の周りに人が近づいてくるようになると思います。人間関係に問題を抱えている方は、ぜひ生活の中で検証してみてください。
2022.08.10
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人間関係で躓いて、敵を作っている人がいます。自分のことを非難、否定する人は、他人にうわさ話を拡散していきます。それが自分を窮地に追い込みます。デール・カーネギーは、「人を動かす」という本の中で、人に好かれる方法を6つほど紹介している。1、誠実な関心をよせる。2、笑顔を忘れない。3、名前を覚える。4、聞き手にまわる。5、関心のありかを見抜く。6、心からほめる。これらを生活信条として、取り組んでいらっしゃる人がいます。実践できれば確かに人に好かれる人になることと思います。私も取り組んでみたが、習慣化することは出来ませんでした。その原因を考えてみた。私は、人に好かれたいというよりも、人から非難、否定、無視されることに耐えがたい苦痛を覚えるのです。その不快な感情を取り除くために、相手と戦ったり、逃げたりする。他人と接触すると、いつのまにか喧嘩腰の対応になる。他人と接触すればするほど、不快な気持ちが膨れ上がる。その結果、自分一人の世界で生きていく方が楽だと思うようになりました。この問題については、森田理論が解決策を提供してくれた。森田理論学習は、敵を作り出さない人間関係作りを教えてくれたのです。感情の法則では、感情は自然現象であるので意志の自由はないという。一方行動は意志の力でコントロールすることが可能であるという。私はこの理論を活用させてもらうことにしました。普通誰でも、不快な感情や本能的欲望のままに行動をする傾向が強い。つまり、感情と行動は一連の流れとして連続しているのです。森田理論では、このやり方はまずいと言っているのです。感情と行動はきちんと分けて生活することが肝心だといっているのです。役者さんのように、不快な感情で辛い時でも、仕事の時は役になり切って行動するのである。不快な感情を役柄に出すと仕事にはならない。感情は暴れ馬のようなもので、制御できないものなのです。仮に制御しようとすると、蹴とばされたりして大けがをしてしまう。ですから不快な感情は、そのまま放置しておく方が理にかなっているのです。たとえば、義理の母親との人間関係が最悪だと家に居るだけで息が詰まりそうになります。その不快な感情はどうすることもできません。そんなときは、腹が煮えくり返るほど憎んでも構いません。殺したいほど怒り狂っても大丈夫です。感情と行動は水と油のようなものということを理解して、破れかぶれの行動を慎むことができればOKです。でも買い物に出かけたときの行動は別ですね。いくら憎んでいても、おばあちゃんの好きな大福もちを買ってきて、「おいしいと評判なので遠回りして買ってきました。おひとつどうですか」と言うことは出来ますね。これが感情と行動を区別していくということになります。小さな気遣いを積み重ねていると、そのうち状況が変わってくるかもしれません。感情のままに行動することは、客観的にみると幼児並の行動パターンです。感情は感情、行動は行動と別物と考えて、切り分けることができるようになった人は、素晴らしい能力を獲得したことになります。これができるだけで、人間関係は大幅に改善できます。神経質者は感情に影響をされて、気分本位の行動をとる傾向があります。一旦約束をしても、気が向かなくなったのでドタキャンする。日常茶飯事に取り組むことは、しんどいからといって放棄してしまう。仕事はやる気がしないから、さぼってしまう。冠婚葬祭の付き合いも、気が重いからと、パスしてしまう。これらは感情と行動が区別できず、一連の流れとして取り扱っていることに問題があります。森田理論に学び、生活への応用を目指してともに頑張りましょう。
2022.08.09
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藤沢周平氏の小説「海鳴り(下) 258ページ」に家族の幸せについて述べた部分がある。ひとは、いや少なくとも一家を背負う男というものは、家の中に多少の不満があってもじっとこらえ、こわれればとりあえず繕って、何度でもそうして、辛抱づよく家を保ちつづけるべきものなのだろう。家は決して、完全で居心地がいいだけの容れ物ではないだろう。人びとはその中で、お互いに殺したいほど憎み合ったりする。だが、それだけではなく、時には打ちとけて笑い合うことだってあるだろう。そのときは殺したいと思ったことも忘れて、どうしてあんなに憎み合ったのかと訝しく思うのだ。そうしていがみ合ったり、笑ったりしながら生きて行くのが、人間のしあわせというものではないだろうか。そういう平凡で、さほどの面白味もない、時にはいらだたしいようなものが、じつはしあわせというものの本当の中身なのではなかろうか。とすれば家は、不完全ながらやはりしあわせの容れ物なのだ。憎みもするが、和解もまたすばやくやって来る。家の中の不しあわせというものは、たかがしれている。集談会の仲間で家族の人間関係に問題を抱えている人がおられます。夫婦、両親、義理の両親、子供、兄弟姉妹の人間関係である。家族はたとえ同じ家に暮らしていても、別々の人格を持った他人であるという認識を持つ必要があるのではなかろうか。家族を自分の意のままにコントロールしようとすることは厳に慎むべきである。結婚するまでは美辞麗句やプレゼントで相手の関心を掴もうとするが、結婚した途端に態度を豹変させるようなことは許されないことだ。家族の人間関係でぜひとも気を付けておきたいことを紹介します。まず結婚する時はクリナップ契約(夫婦の取り決め)を結び文章にする。一番大事なことは意見が対立したときは、どのように解決するかを決めておくことだ。決してお互いに「かくあるべし」を押し付けてはいけない。次に不即不離だ。あまりベタベタしない。でもいつも気にかけて、無視しない。相手を束縛しないで、お互い自由に行動する。相手の気持ちや欲求を真剣に聞く。ただし同意しなくてもよい。次に自分の考えを「私メッセージ」を使って相手に伝える。両者に大きな乖離があれば、話し合いによって、溝を埋めていく。譲ったり譲られたりの交渉を試みる。それでもつい感情的になって口喧嘩をしてしまう。そのときはムキになっても、時間の経過とともに水に流す。森田理論では、感情は自然現象でコントロール不可能といいます。一方行動はコントロール可能で、意志の自由が効くといいます。感情に振り回されて、行動に影響を及ぼしているのは残念なことです。感情は感情、行動は行動と区別することが肝心です。森田で最初に身に着けてもらいたいのはこの部分です。
2022.07.30
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元プロ野球選手の山本昌さんのお話です。チームスポーツにおける全体のムードというのは、大きく勝敗に関わってくる。これは僕の経験則だが、プラス発言が周囲のもたらす上げ幅より、マイナス発言の下げ幅の方か大きい。だからこそ、マイナスの言葉は口にしてはいけない。口に出す言葉には、現実力があるのだ。(山本昌という生き方 山本昌 小学館 137ページより引用)ここで言われているマイナスの言葉というものにグチがある。グチは言っても仕方ないことをくどくどと相手に訴えることです。集談会でのグチはある程度の効果があります。自分一人で抱えていた不安や不快感を仲間の前で吐き出すことによって気が楽になります。グチを集談会の開催日まで我慢して一挙に吐き出すことです。グチは現実を否定していることですから、ある程度吐き出すと空になります。空になった時、心機一転して現実や事実をあるがままにうけ入れられるようになれば、雨降って地固まるということになります。ですから、グチは一挙に吐き出して早めに収束させることが肝心です。グチを吐き出して気分転換できるかどうかが重要です。そういうグチなら親身になって聞いてくれるがいるはずです。グチを言うことが習慣化し、小出しているとその弊害は計り知れない。その弊害は2つの側面があります。1、一時の気休めにはなっても、言えば言うほど自分がみじめになります。特に症状についてのグチは、注意を症状に集中させることになるので、症状を強化することになってしまいます。2、また、自分がみじめになるだけでなく、グチを聞かされる相手も、不快になり、やがて、それらの人から敬遠されてしまうことになる。(森田理論学習の実際ー実践行動の手助けのためにー 生活の発見会編 40ページ)グチはすべてが悪いのではありません。時にはグチをこぼす人の方が人間味があって好感が持てます。ところがグチを絶えず垂れ流しているというのは、犬も食わない代物になります。集談会では「グチをこぼさない」という言葉を自分の生活信条としている人もいます。そういう人は、観念中心で自分や他人を非難・否定することから、事実や現実に寄り添うという態度に転換できる人だと見ています。
2022.07.26
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6月号の生活の発見誌に人間関係の持ち方について参考になる記事がたくさんあった。今日はその一端を取り上げてみたい。生活の発見会の協力医の先生に、「人と人との距離は伸縮自在にしておきなさい」と言われたことがある。「考え方が違う、と思ったら退き、共鳴すれば距離を縮める。伸び縮み自由にしなさい」「感情のやり取りが本当にできるは、真に親しい間柄だけです」すべての人と等距離ではなく、本音を言える人も一人くらいだろう。これは森田理論の「不即不離」の人間関係の説明ですね。伸縮自在という言い方のほうが一般的には分かりやすいかも知れませんね。同じ内容でも言い方が違うと、難解になりますね。不即不離の人間関係は、コップ一杯の人間関係を数個確保するというやり方ではありません。コップに少しだけの飲み物が入った人間関係をたくさん作り上げるという考え方です。対立関係にあるときは距離を置いて遠巻きに眺める。そのうち疎遠になる場合もあるでしょう。利害関係が一致する時は、親しくお付き合いをする。そういう関係の中から、気のおけない人も生まれてきます。人間関係は必要な時に、必要に応じて、必要なだけ発生するという考えですから、薄く広範な人間関係作りが基本になります。この記事を書いた人によると、職場の廊下で天敵に会えば「あなたなんて大嫌い」と心の中で叫び、感情はそのままにしておく。その上で「同じ職場だから」と挨拶だけはする。このとき心は解放されているから苦しくない。相手との関係が濃くても薄くても適応できる。森田に出会って本当によかったと思えることの一つである。これ以外の人も同じような投稿をされている。・必要な状況以外で関りを持たないようにしている。・面倒な人だなとか、苦手とか感じたら、なるべくその方とは距離をとって対応する。・なるべく近くなりすぎず、でもお互いに信頼できる距離を保つこと。森田理論を学習している人はだいたい同じような考え方をしていますね。こういう話を聞くと、やはりそうなのかと自分のやり方に確信が持てますね。肝心なことは生活の中でこれらを検証して自分のものにしていくことです。
2022.07.19
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森田先生は「背水の陣」について説明されている。神経症を治すには「背水の陣」を敷くことが最も大切になります。「背水の陣」と言うのは、人間は逃げることが出来ない状況に追いこまれると、なんとか事態を打開しよう必死になる。必死の勢いで突進していけば、必ず血路は開ける。これを必死必勝と言います。「窮すれば通ず」といって、神経症の症状は、みなこの心境になりさえすれば、必ず全治するようになるのです。(森田全集 第5巻 687ページ参照)神経症を克服しようと思ったら、「背水の陣」を敷いて、真剣に森田療法に取り組むことが効果を発揮すると言われている。不安神経症の人は、生きるか死ぬかという不安や恐怖で苦しんでいる人です。好むと好まざるにかかわらず「背水の陣」を敷かざるを得ない状況に追い込まれる。それに対して、強迫神経症の人はそこまではいかない。森田療法で治りが早いのは、不安神経症で苦しんでいる人が多い。私は「背水の陣」の話は、人間関係に応用している。孫子の兵法の中に、敵と戦っている時に、すべての逃げ道を塞いではいけないというのがあります。相手を八方ふさがりの状態に追い込んでしまうと、「窮鼠猫を噛む」ということになりやすい。ネズミは最後には猫に捉えられてしまうが、そんなネズミでも、八方ふさがりの状態に置かれると最後に破れかぶれの抵抗を見せる。これが思わぬ不測の事態を招くことがある。人間関係では、相手のミスや失敗に対して、叱責、批判、否定、罵倒することはありませんか。重箱の隅をほじくり回すような調子で追いつめてしまう。八方ふさがりの状態に追い込んでいく。部下や子供、友達や同僚などに対してそのような態度で接する。追いつめられた相手は逃げ道がなくなる。責めるほうは自分が勝ったと思っているが、それは思い上がりである。ミスや失敗をした人は後悔している人です。これに追い打ちをかけることは、いかにも大人げない行為です。自分がミスや失敗をしたときは、ごまかす、言い訳をする、責任転嫁をする。追いつめられた人はつい破れかぶれの言動をとる。その場はなんとか我慢しても、強い不平不満を持つ。いつか仕返しや反撃の機会を狙っている。これに対して、相手のミスや失敗を包容力を持って、寛容な気持ちで許してあげることになればどうでしょうか。許容の気持です。たとえば、子供が万引きしたために父親に警察から呼び出しがかかりました。父親は激昂して子供を叱責することが多いと思います。「親に恥をかかせてなんということをしてくれたんだ。小遣いは十分にやっているではないか。どうして万引きをしたのか説明しろ」このパターンでは親子の関係は悪化します。このような時、父親が子供に、「とてもいい経験をしたじゃないか。子どもの時の経験は大人になって役に立つぞ。お父さんもそんなことがあった」と言えばどうでしょうか。子供は叱責を覚悟していました。父親の言葉で精神的に楽になりました。子供はホッとすると思います。そして親に対する信頼感が増します。とても包容力のある心の大きな人間のように感じます。私たちは観念中心で「かくあるべし」を押し付けやすい人間です。森田理論学習で傾聴、共感、受容の重要性はよく分かっていますが、それに「許容」も心掛けるようにしたいものです。
2022.07.13
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やましたひでこ氏は、「断捨離」の提唱者です。「断捨離」は人間関係の改善につながると言われています。面白いことに、家が片づかない、片づけられないという人たちの多くは家の断捨離を進めていくうちに、モノが片づかないのは人間関係に問題があったのだという気づきに移行します。それは、断捨離によってモノとの関係を問い直す行為を通じて、人との関係を問い直すことになるからです。ということは、対人恐怖症、社会不安障害を抱えている人は、断捨離に取り組むことで、症状や障害が改善する可能性があるということではないでしょうか。断捨離は、不要なものは買わない、長らく使っていないものは処分する。物欲や所有欲から離れてシンプルに暮らすということです。つまり物と自分の関係を、できるだけ、とらわれやこだわりのない自由自在なものに変えていくということでしょう。必要に応じて、必要な時に、必要なだけ関わるようにする。これは森田理論でいうと「不即不離」のことだと思います。新しい家に引越しした時は、必要最低限なものに囲まれて生活しています。ところがその後どんどん物が増えてきて、どんどん部屋が狭くなってきます。再び着ることのない衣類、二度と読むことがないと思われる本、二度と使うことのない道具、文房具、家電製品、家具、遊戯具などで一杯になります。物があふれかえり、自由自在に行動するスペースが狭まり、息苦しさを感じることもあります。それでも、いつか役立つことがあるかもしれないと思ってしまう。捨ててしまうと、後で後悔することになると思っています。でもほとんどそんなことは起こりません。それよりも、持っていることを忘れて、何年も放置したままにしていることが多いのではないのではないでしょうか。物にしてみれば、自分の活躍の場所、居場所、存在価値を与えられないで、無為の時間を過ごしているのではないでしょうか。森田理論はどんなものでも、存在価値がある。利用価値があるという考え方です。その価値を見出して、陽の目を見させてあげることを考える。自分が活用できなければ、他の人に預けるか任せて、居場所を確保させてあげるということになります。森田理論に「己の性を尽くす」「他人の性を尽くす」という考え方があります。いずれも、存在価値を持っているので、それを見つけ出して、適材適所に配置して、命ある限り活用し尽くすという考え方です。この考え方になりますと、「かくあるべし」という観念中心の考え方を自分や他人に押し付けるということはさけられるのではないかと思われます。その結果、人間関係は良好になると思われます。
2022.06.30
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人間関係に問題を抱えて、他人から煙たがられている人はいくつかの特徴があります。思いつくままにあげてみましょう。そして改善の方法を考えてみましょう。1、気分によって行動が左右されている人。気分によって予定をコロコロ変える人。約束しても気が乗らなければ、いつでもその約束を反故にする人。約束の時間はあってないようなものと考えているような人。それが何回も重なると、確かに信頼関係は地に落ちてしまいます。2、気に入らないことがあると、すぐにネガティブな感情が暴走してしまう人。腹が立つ、怒りの感情が湧き上がると、すぐに攻撃的になる人。きっちりと仕返しをしないと気が収まらないと考えている人。森田でいう両面観の立場に立つことができない人。3、本能的な欲望が湧き上がると、理性を失って短絡的な行動をとる人。制御能力が不足している人。本能むき出しの行動をとりやすい。健康を害し、経済的な破綻を招き、家族や他人に迷惑をかけてしまう。欲望の暴走は反社会的な行動になりがちです。4、家族や友達、他人に自分の気持や考え方を押し付けてしまう人。自分のことは棚に上げて、非難、説教、命令、指示、禁止、叱責、否定、無視してしまう人。他責の気持ちが強い人。森田でいう強い「かくあるべし」を前面に出す人。観念が優先して、事実を軽視ないし無視してしまう人。5、やるべきことから逃避してしまう人。難しいこと、面倒なこと、しんどそうなことから逃げてしまう人。弁解や言い訳ばかりで実行力の足りない人。仕事では人から言われた最低限のことしかしない人。暇を持て余し、刹那的、瞬間的、享楽的な快楽を追い求めている人。人間関係に問題を抱えている人は、こうした傾向が強い人ではないでしょうか。そして見境なく、短絡的、衝動的、反射的な対応に走ってしまう人です。大人になっても、幼児のような行動パターンから抜け出すことができない人です。普通は大人になると、幼児のように駄々をこねることはしだいに収まってきます。自覚が希薄でどうして人は自分を避けるのだろうと思っています。気分本位、自己中心的、自分勝手、ネガティブな気持ちや感情に振り回される、観念優先の態度、リスク回避の態度に対してどう取り組めばよいのでしょうか。森田理論を活用するのはどうでしょうか。森田では、感情と行動は別物として取り扱うことが肝心だといいます。感情は感情。行動は行動。別々のものとして取り扱うのです。感情は自然現象ですからコントロールすることは出来ません。一方行動は必要に応じて必要な行動を選択することができます。感情と行動をきちんと区別して、感情に引きずられないように、意識して行動することが大切です。そのためには次のように考えることを提案いたします。自分という一人の人間が、人生という大舞台で演技をしていると考えるのです。テレビや映画の俳優や女優さんを参考にするのです。役者は家では夫婦関係が悪くても、役柄ではラブラブの夫婦役を演じなければならないこともあります。これは感情と行動を区別していることになりませんか。子供との関係が悪くても、子供思いの親を熱演しなければならないこともあります。極悪非道の殺人犯の演技をした役者が、別の映画では検事総長の演技を要求されることだってあります。つまり俳優は自分の感情がどうであろうとも、それはそれとして横に置いて仕事をするしかないのです。実生活でネガティブな感情でイライラしているので、演技にもそれがでてしまうということでは、役者としては失格です。役者は感情は感情、演技は演技と割り切って仕事をしているのです。そうしないと、すぐにお払い箱になり、食べていくことができなくなるのです。私たちも役者に学び、この人生という晴れ舞台で素晴らしい演技をしていこうではありませんか。ネガティブな感情に振り回されないで、適切な行動がとれるようになった人は、成熟した人間といえるのではないでしょうか。もちろん人間関係が破滅に向かうことはないでしょう。これは誰でも努力次第で到達できると思います。そういう人は、尊敬を込めて「人生の達人」と呼ばしていただきたいと思います。
2022.06.29
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ウィリアム・グラッサーは森田理論に近いことを言っている。私たちはたくさんの人の中で生活しています。しかし、周りの人たちが、いつも自分の思い通りに行動してくれるとは限りません。そのような時に、つい使ってしまう言葉があります。「・・・しなければダメよ」「・・・しなさい」「もし・・・しなかったら・・・だぞ」と言ったようなボス的で、強制的な言葉です。このような、相手を自分の思い通りにコントロールしようとする心理学を「外的コントロール」と言います。「外的コントロール」は、特に「批判する」「責める」「文句を言う」「ガミガミ言う」「脅す」「罰する」「褒美で釣る」という「7つの致命的習慣」の形で表されます。それとは正反対の心理学を「選択理論」と言います。この心理学を使えば、私たちの周りの人のかかわり方は著しく改善されます。「選択理論」を身につけている人は、「支援する」「傾聴する」「受け入れる」「信頼する」「励ます」「尊敬する」「違いについて交渉する」という「7つの関係を確立する習慣」を自然に使いながら他人と関わるようになるでしょう。「外的コントロール」は森田理論でいえば、観念主義的で「かくあるべし」を押し付けている態度のことです。「選択理論」は、相手の状態に寄り添い、事実本位の態度を身につけた人が自然に行っていることです。「選択理論」のやり方のほうが、人間関係は好転するのは誰でもわかります。しかし言うは易く実行することは大変むずしいです。人間関係を良好に保つためのコツをご紹介します。1、まず相手の感情や欲求を話しさせる。ひたすら聞くことに徹する。決して安易に口を挟まないようにする。そして、相手の話を復唱する。「私はあなたの話をこう理解しましたが、それで間違いありませんか」と確認する。2、つぎに相手の感情や欲求に対して、「私メッセージ」の手法を使って、自分の感情や欲求を述べる。主語は「あなた」ではなく、「私」です。これは相手の行動を非難、否定するのではなく、主導権はあくまでも相手が握っているということになります。3、自分と相手の考え方や欲求が、最初から一致することはないと心得ることです。自分の主義・主張を相手に押し付けると、途端に人間関係は悪くなります。何処が食い違っているのか、お互いに確認し合うことが大切です。深い溝を確認したら、その溝を埋める作業に取り掛かることになります。交渉ごとですから、必ずしも自分の思い通りになることはありません。実際には妥協し、譲ったり譲られたりの関係で終わってしまうことがほとんどでしょう。
2022.06.22
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定年後いつも家にいる夫は、妻が急に化粧を始めて外出の気配を感じると心穏やかではなくなる。そして、つい「どこへ行くのだ」「何をしに行くのだ」「いつ帰ってくるのだ」「俺のご飯はどうするのだ」と問い詰めることがある。自分は自由気ままに外出するのに、妻の勝手な行動は決して許さないという魂胆がみえみえである。会社で部下の女性社員をこき使っていた気持ちが続いているのである。家庭では妻が上司で、上司の指示の下で、与えられた家事を丁寧にこなすという自分の立場がまだよく理解されていないようである。この問題に対して、黒川伊保子さんは、「定年夫婦のトリセツ」という本の中で、ホワイトボードか書き込み可能な大きなカレンダーを取り付けることを提案されている。これに予定が決まったら早速書くようにする。外出先や時間を書いておく。そして昼ご飯や夕ご飯は作れないというシールを貼っておく。これを見て夫は一度行ってみたかった居酒屋などに行く。友だちを誘ってなじみの店に行く。カラオケに行く。あるいは男の料理に挑戦してみる。さらにこれに夫婦の誕生日や結婚記念日、子供や孫の誕生日も書いておく。ご先祖様の命日も書いておくとよい。夫も予定が決まれば、こまめに書くようにする。黒川さんは男女の思考や行動パターンを理解しておくと対立が避けられると言われている。これには2つある。まず女性脳は、半径3m以内の変化を見逃さない。身の周りのこまごました不具合や問題点によく気が付く。小さな幸せのかけらを見つけることが得意である。それを夫に向かってよくしゃべる。男性脳は、半径3mより外側に注意や意識を向けている。視線は遠くの獲物や目標に向けられている。情報を捕まえて分析する能力を持っている。そのために試作していることが多い。傍から見ると視線が定まらずボーっとしているように見える。その反面、目の前の小さな問題点や課題を無視してしまう傾向がある。ザルで水を掬うことになり、労多くして成果が上がりにくい。次に、女性はその場の状況に応じて、臨機応変に行動できる。変化に即座に対応して行動できる。フットワークがよいのだ。こまめに思いついたことを行動に移すことが出来る。男性はゴール思考である。目的、時間、場所を決めてから行動に取り掛かる。その間状況が変わっても途中ですぐに変えることが難しい。変化対応力に弱いのである。思わぬ方向に向かうと右往左往する。その代わり、猪突猛進で目標を明確にとらえた時はわき目も振らず突き進むことが出来る。そしてときには大きな成果を上げることが出来る。男女の違いはどちらが良いとか悪いとか言うことではなく、1プラス1が2ではなく、組み合わせれば3にも4にもなる可能性を秘めている。お互いを非難・否定するのではなく、お互いの違いを認めて尊重し合うことが大切になります。夫婦が一枚岩となれれば、大きなシナジー効果が生まれる。
2022.06.02
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夜、居間で夫婦喧嘩が起きたとします。大声で激しく言い争い、時には暴力的になることもあるでしょう。このとき幼い子供が自分の部屋でその出来事に遭遇しました。子どもにとってはとてもショックなことです。頭が真っ白になります。程度の差はありますが、夫婦喧嘩はどこの家でも起こりえます。問題は夫婦喧嘩を子どもにどのように伝えるかです。子どもの動揺を抑えるためにきちんと伝えるか、子供の不安な気持ちのままに放置してしまうか、その後の子どもの精神状態に大きく影響します。子どもの動揺を抑えるためにきちんと伝える家庭居間にやってきた幼い子どもは母親に抱きとめられます。次に何があったのか母親から説明されます。母親「お父さんがこんなことを言ったので、お母さんは腹が立って喧嘩になったのよ。でも喧嘩ができる夫婦はほんとは仲がいいのよ」子ども「私びっくりしてとても怖かった」と涙声になる。翌朝食卓に行くと、父親からもけんかの経緯の説明がありました。父と母がいつものように仲良くしているのを見ると、子供は安心します。夫婦喧嘩をしても、その後修復不可能になるのではないのだなと感じます。むしろ喧嘩によって夫婦の信頼感が強くなっているような気がする。この体験が大人になって活きてきます。子どもの動揺を無視してしまう家庭子どもが居間に行くと怒りが収まらない母親が悔し涙を流しています。子供はもう父と母は仲直りすることがないかも知れないと感じます。父親はもうこの家に帰ってこないのではないか。家庭がバラバラになるかもしれない。そんなことは受け入れられない。怖い、不安な気持ちのまま自分の部屋に戻ります。父と母は喧嘩をするために一緒に住んでいるのか。子供はその出来事そのものは、よく思い出せないようになります。親につらいことをされたのに具体的に思い出せなくなるのです。しかしその時の怒鳴り声や取っ組み合いのトラウマは長期記憶となって残ります。同様の出来事が起きたときに、その不安や恐怖の感情で支配されるようになるのです。この現象は解離性障害と言われています。成長して相手と喧嘩になりそうなときは、自分の感情や気持ちを抑圧するようになります。一旦喧嘩をしてしまうと、人間関係が壊れて修復不能になるという考えになるのです。感情をごまかし、自分の気持を押さえつけてしまうのです。自分の感情、気持ち、意思、欲望、欲求を抑圧して生きることは辛いことです。本音を無視して、建前だけで生きることになるからです。自分の感情を抑圧する習慣が出来上がってしまうと、生きることは苦しむことだと誤解するようになります。子どもを持つ親は、夫婦喧嘩を通じて人間関係のコツを伝えていく責任を負っていると思います。森田ではまず相手の言い分をよく聞く。そして自分の言い分も相手に伝える。二人の間に大きな溝があれば、それを確認して、話し合いによって歩み寄る。譲ったり譲られたりの話し合いと妥協が大切だと教えてもらいました。win winの人間関係を作り上げていくことが、子どもに好影響を与えていくのです。
2022.06.01
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対人関係で悩んでいる人は、私と相手の間に解決しなければならない問題点や欲求不満が存在していると考えて対応するのは如何でしょうか。これをもう少し詳しくみると4つのパターンがあります。1、私も相手も問題点や欲求不満は全く感じていない。二人は対立していない。穏やかな関係にあります。2、私だけが相手に対して問題点や欲求不満を感じている。相手は私に対して問題点や欲求不満を感じていない。3、私は相手に対して問題点や欲求不満を感じていない。相手が私に対して問題点や欲求不満を感じている。4、私も相手もお互いに問題点や欲求不満を感じている。対人関係を改善するにあたっては、二人の関係がどのパターンであるかを認識することが肝心です。パターンの認識がはっきりしていると、次に取り組むべき課題が明確になります。1のパターンは、他人と交流することは楽しみそのものです。飲食、趣味、カラオケ、スポーツ、共同作業、学習など一緒になって精一杯楽しむことができます。2のパターンは、自分の気持や感情、欲求や欲望を相手に理解し分かってもらうことが必要になります。自己主張することを、別名アサーションと言います。正しいアサーションの技術を身につけることが大切です。技術はいろいろあるでしょうが、ここでは一つだけ挙げておきます。ここで大いに役立つのは、「私メッセージ」の活用です。これは森田理論学習の中で耳にされた方も多いでしょう。「私」を主語にして自分の気持や感情、欲求や欲望を相手に伝えるようにする。ただし、その要求を相手が飲むかどうかは分かりません。飲むか飲まないかは、相手に決定権があるという考え方です。「私メッセージ」の活用は、相手に「かくあるべし」を押し付けないので、反発されることがありません。「私メッセージ」の反対は、「あなたメッセージ」です。「あなた」を主語にして、自分の気持や感情をあらわにし、欲求や欲望を無理やり飲ませることになります。非難、説教、命令、指示、叱責、脅迫することになります。この方法では人間関係が簡単に壊れてしまいます。3のパターンの場合は、相手の気持ちや感情、欲求や欲望を十分に聞いて理解することが大切になります。ここでは「傾聴の技術」が必要になります。傾聴というのは、自己主張を抑制して、相手の話に真摯に耳を傾けることです。しかし、これは「言うは易く行うは難し」です。批判、否定、善悪の評価の言葉は避けることです。安易な同意も危険です。すぐにアドバイスをするのもいただけません。アドバイスしたくなっても我慢してひたすら相手の話を聞くことです。傾聴の上手な人(たとえば集談会の先輩会員、カウンセラー)に話しを聞いてもらっていると、安心して自己開示できます。その結果、より深く自分と向き合うことができるのです。自己開示が進んでくると、自分が今まで気づくことができなかった無意識に隠れていた気持・感情・かくあるべしを含む思考パターンに気付くことができるようになる場合があるのです。普段の生活の場面では、ほとんどあり得ないことが起きるのです。これがカウンセリングや傾聴の醍醐味と言われています。これが自覚できると、その後の対応方法が変わってくるからです。カウンセリングの目的は、カウンセラーの力を借りて、本人が気づきや自己洞察を深めることにあります。傾聴の手法としては、タイミングよくうなずき、あいづちを打つ。相手の話をオウム返しに繰り返すなどがあります。基本的なことを抑えておくと役に立ちます。4のパターンの場合は、「傾聴」と「アサーション」の二つの技術が必要になります。まず相手の言い分を吐き出してもらう。自分としては傾聴に徹する。その次の段階は、自分の気持や感情、欲求や欲望を相手に伝える。二人の間に横たわっている問題点や課題をお互いに共有化する。双方が妥協点を目指して対等な立場で話し合いや交渉をおこなう。譲ったり譲られたりしながら、ほどほどのところで折り合いをつける。お互いに協力してwin winの人間関係を作り上げることです。人間関係に問題を抱えている人は、まずどのパータンに当てはまるかを明確にする。次にパターンに対応した方法で対人関係の改善を目指す。傾聴やアサーションの技法は確立していますので、あらかじめ学習しておくと役立ちます。
2022.05.22
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私が尊敬している森田理論に詳しい生活の発見会の山中和己氏のお話です。神経質のとらわれは「あってはならないもの。努力と工夫さえすれば、なくすることができるもの」と、かつてのわたしは、単純にそう思い込んでいた。その意識が大きく変化した。たとえば、対人恐怖についていえば、「なおるとか・なおらないとか」いうことには、さほどつよい関心がなくなった。いわば対人恐怖の「ある・なし」が、いちおう問題外となっていたようである。たしかにふしぎな展開だ。いつのまにか、ものの見方・考え方の観点(座標軸)が、どこかちがっていた。(そのままのあなたですべてよし 山中和己 生活の発見会 202~203ページ)山中先生は啓心会の時から森田に関わり学習経験が長くて多い。その講話は明快で分かりやすい。歯切れがよく説得力がある。だから森田の勉強会では、各地の勉強会で引く手あまたである。その先生が、信じられないことだが、講話の素人だといわれている。講話は「やむをえず・しかたなく・おっくうのまま」行っている。心掛けておられることは次の2点だという。1、自分の感じたことを自由自在に遠慮なく話している。2、いちいち自分で自分を評価することはしていない。是非善悪の自己評価をしていない。自分の評価は他人が勝手にするもの。いいもわるいも最終判断は、人にまかせておけばよい。まかせるよりほかに方法がない。我々とは発想や着眼点が180度違うようである。対人恐怖の人は、相手が自分をどう取り扱ったかに意識や注意を集中している。無視、軽視、からかい、批判、否定されるようなことはあってはならないと思っている。つまり専守防衛にエネルギーの大半を投入している。少しでも相手に隙を見せると、そこに付け込まれて自分がボロボロになり生きていけなくなると思っている。山中先生の話では、そういう気持ちはほとんどないことが分かる。自分の経験や考え方や生活を優先されている。自分の感情、気持ち、欲求を大切にされている。それを前面に押し出して、のびのびと自由人として発言されているようです。これは、人の思惑が気にならないように人格改造を行うという気持ちが、いつの間にかどんどん縮小してきたということだと思う。対人恐怖症の人はこの態度を参考にしたいところです。つまり、自分の感情、気持ち、欲求を最優先する自分中心の態度のことです。人の思惑が気になるという性格傾向は変わっていないわけですが、自分を前面に打ち出すという行動をとることで、バランスのとれた人間に変身できるということではないでしょうか。森田理論で神経症が治るというのは、人の思惑が気になるという性格傾向がなくなることではありません。その傾向は命が尽きるまで続きます。それにかかわるよりは、他人の役に立つことを探して実行する。それを優先して、自分の症状のことはそれが終わった後で考えようという気持ちで、仕事や生活に取り組む。そういう気持ちで生活していると、側から見ると、とてもバランスのよい人間に生まれ変わったように見えてくる。自分としても、目の前のなすべきことに注意や意識を向けることが多くなり、対人緊張で振り回されることが格段に少なくなっていく。対人恐怖症が治るというのはこういうイメージになると思います。
2022.04.27
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