全10件 (10件中 1-10件目)
1

AAAの6大ドームツアーが始まった。 埼玉のメットライフドームへ参戦した。 どうしても初日は行きたかったのだ。 すでにAAAは活動を休止している。 活動休止前のドームツアーがコロナの影響で延期となっていたため、今回はその振替公演。 2年ぶりに見る推しの笑顔は最高だった。 西島さんの横顔からの後頭部が大好きという、変わっている私に神様が味方してくれたのか。 せっかく、西島さんが近くに来ても見せてくれるのは後頭部だけだった。 私だけが「お得」な席だった。 一緒に並んで座っているお友達に、 「お願い正面を向いて!と祈って!」と言われたのだが。 それからも、何度か近くに来てくれるチャンスはあったものの、私達の前を通る時だけ反対側を向き、後頭部をじっくり見せてくれた。 いつも、うちわなどは決して持たないのだが。 以前、福岡でファンミーティングが行われた際にたった一度だけうちわを作った事がある。 私の欲望の結晶なのだが。 このうちわを隣で持つ事を許してくれた、友達には感謝しかない。 ファンミーティングで気が済んだので、このうちわは封印した。 西島さん、今回も沢山の笑顔と素敵な後頭部を見せてくれてありがとう。 あなたの笑顔は、世界を癒します✨ 次参戦する福岡では、お友達の心がワクワクするような席でありますように。
2021.11.29
コメント(0)

仕事開始3分前に起きてしまい。 見事に遅刻してしまったこの日。 びっくりしてバタバタな早朝を過ごし、お昼頃自宅に帰ってきた。 その前日、実家の母からさつまいもをもらい、「もう収穫しないとダメよ」と釘をさされていた。 我が家の花壇に、今年初めてさつまいもを植えていたのだ。 遅刻した事など、すっかり頭から解放して。 呑気にさつまいもを収穫した。 自分が思っていたより、わりと大きく育っていた。 しかし、母が畑で収穫したさつまいもは、とても立派な大きさだった。 家にいた旦那が、どうせなら美味しい焼き芋を作ろう!と言い出し。 炭火で焼き芋を作る事になった。 青い空を見上げながら、私はのんびり炭火の横で温まっていた。 バタバタした早朝を送った事が嘘のようだ。 焼芋が焼けるシューシュー、パチパチという小さな音に耳を澄ませて幸せだなぁと心までも温まる。 デザートまで持ち込んで。 素敵な日を過ごした。 収穫したさつまいもを食べる喜び。 とても贅沢だなぁと感謝した。 ほっとできるひとときを、たくさんの人が味わえますように。
2021.11.29
コメント(0)

友達が家に遊びに来た。 一緒にお昼を食べ、色々な話をした。 私からすると、彼女は目の前の出来事に対する深い感情を味わい尽くしている。 さみしい、辛い、嬉しいと感じた出来事を話してくれるのだが。 いつもドラマチックな展開で、私には楽しそうに映る。 しかし、本人は辛いのだと言う。穏やかに暮らしたいと。 そんな時、私は違和感を覚える。 口から出る言葉と心が真逆のことを言っているように感じるからだ。 私に本音を言っていないか、自分でも本音に気がついていないかのどちらがなのかもしれない。 目の前の出来事を、感情を通さず、まず観察する私にとっては。 感情を存分に味わうことはできない。 私の人生という物語の本を第三者として読んでいるような感覚だからだ。 感情を存分に味わい尽くす世界は、どんなにキラキラしているのだろう。 辛い感情を味わっている時にしか見えない景色があるはずだ。 とても羨ましいという話をした。 すると、彼女は。 感情の起伏をそんなにプラスの捉え方をする人は、私の周りにはいないよ!と言った。 私の羨ましいという感情は、彼女にはプラスの捉え方とうつるのだなぁと思った。 先日、一緒に埼玉のライブへ行ったお友達とこんな話をした。 人間関係で、ドラマチックな展開が起こる時。 例えば、一緒に食事をしようと入った飲食店で。 相手にお金を投げつけられたというものや、相手のために買ってきた差し入れを投げられたというう出来事は私の中で結構ドラマチックな展開だなぁと思ったのだが。(それぞれ、全く別の友人の体験談) その登場人物の一人が、もし私だったら。 もしくは、一緒にライブへ行った友人だったら。 多分こんなドラマチックな展開は起こらないよね〜と話した。 友人は、そもそも「トラップに引っかからない」と表現した。おそらく、相手の挑発に乗らないという事なのだろう。 一方、私は。 トラップだという認識もない。 旦那によく言われるが、嫌味を言っても反応がないタイプなのだ。 鈍感という言い方をよくされるし、否定もしないけれど。 そこに意識を向けていないというのが、私の中で一番しっくりくる。 そこに、電柱があるなーと認識する事と。 嫌味を認識する熱量は何も変わらない。 ドラマチックな展開は。 ジェットコースターのような感情を味わいたい人が集まった時にしか起こらないのだと思う。 心の中に。 その時、同じ火種を持つ者同士が反応して。 ドラマが起こるのだと感じている。 それを味わった人だけが見える景色がある。 どんな景色を、深い感情を味わっているのだろう。 話を聞かせてもらうという事は。 とても素敵な事だなぁと思う。 違う世界を疑似体験し、私の世界も豊かにしてくれる。 私の世界も、少しずつ他の人に話をして。 お互いの世界がカラフルに染まるといいなぁと思った。
2021.11.25
コメント(0)

先日、明治神宮に参拝した。 豊かな森なのだが。 実は、人工の杜なのだそうだ。 全国から奉納された10万本にものぼる木々を植樹して作られたとのこと。 役割を終えた木々を「こだま」という木鈴にして販売していた。 鳴らすと、もののけ姫に出てくるこだまの音によく似ている。とても心地よい。 隣に並んで販売していた「やわらぎの鈴」も心地よい音がした。 どちらもいいなぁと思っていると。 友達が誕生日プレゼントとしてどちらも買ってあげる!と言ってくれて。 プレゼントしてもらった。 鳴らすだけで幸せな気持ちになる。 最高のプレゼントだ。 明治神宮の宝物殿の前は、芝生の広場のようになっている。 そこへ友達が案内してくれて。 着いた瞬間、すぐに寝転がった。 「平和」 という言葉が浮かんだ。 そこでくつろいでいる人たちは、みんな穏やかでのんびりしていた。 そういう人たちが、心地よく集まれる場所なのだなと思った。 人間の手が入った森。 手入れがされ、参道は毎日常に人の手で整えてられている。 そこは、不思議な空間だった。 掃いても掃いても、落ち葉は次々と舞い落ちる。 それでも毎日整える。 人の心を見ているようだった。 毎日、毎日、降り積もる不平や不満を。 光にフォーカスして心をフラットに整える。 いつも同じ場所にいるように感じるけれど。 螺旋階段を登るように、実はほんの少し上にずれていて。日々成長しているのだと思う。 参道を専用の箒で掃くおじさんは、葉っぱだけをかすめとるように真ん中へ集めていた。 そこへたどり着くまでに、何年かかるのだろう。 おじさんは、黙々と葉っぱを掃いているだけなのだけれど。 その空間では、間違いなくスターだった。 思わず、みんな足を止める。 また今度、東京に行く時には。 おじさんに話しかけてみたいなと思った。
2021.11.22
コメント(0)

仕事を終え、自宅の玄関の前で気がついた。 家の鍵を持って出かけていなかったことを。 まだ、時間はお昼過ぎ。 誰も帰ってこない。 中学校へ連絡して、息子に持たせている鍵をもらうか。最寄駅から2駅先の旦那の職場まで取りに行くか。 なんとなく。 旦那の職場まで取りに行こうと思った。 小銭入れしか持っていなかったが、往復の電車代くらいは入っていた。 職場の最寄り駅につき電話をすると、旦那が鍵を持ってきてくれて。 「久しぶりに、ジャージャー麺を食べて帰ったら?」 と言われ、お昼代をくれた。 引越しをした7年ほど前まで、家族でよく行ったお店が近くにある。 久しぶりに、ひとりで訪れた。 中国人のご夫婦が営んでいるお店で。 坦々麺が看板メニューなのだが、私はジャージャー麺が大好きだった。 カウンターしかないお店なので、必然的にご夫婦と話す事になる。 嬉しいことに覚えていてくれて。 子供4人いくつになったのかとか、今日はなぜひとりできたのかなど、ジャージャー麺を食べながら話した。 お店には、客は私ひとりだったのだが。 食べ終わる頃に、2人連れのお客さんがやってきた。 13年ぶりに訪れたのだと言う。 もちろん、店のご夫婦はそのお客さんを覚えているようだった。 今日は、このお店のご夫婦にとって久しぶりの客が訪れる日だったのかなぁと思った。 そんな日に、私も来ることができて幸せだなぁと思った。 会計を済ませ、外に出るときに。 「気をつけて帰ってね!」とご夫婦揃って声をかけてくれた。 電車の中で。 今日は、まるでジャージャー麺を食べに電車で旅をしたみたいだなと思った。 鍵を忘れて出かけた失敗の事など、どこかへ吹き飛んでしまっている。 歩いて家に帰る途中、 「気をつけて帰ってね!」と言われた言葉が蘇り。胸がじんわり温かくなった。 気をつけて帰るための魔法をかけてくれたんだなぁと思った。 鍵を忘れた事が。 私の胸をじんわり温かくする出来事に導いてくれた。 今日も、素敵な瞬間をありがとう。
2021.11.17
コメント(0)

「伝える」って難しいなと感じている。 自分が発した言葉は。 発した瞬間から、人のものになる。 その人がかけている眼鏡によって、解釈が様々だ。どんなに言葉を尽くしても。 かけている眼鏡が違いすぎると、伝わりにくい。 旦那が、職場でガラケーを使っている人がいると言うので。 ガラケーが使いやすいという人もいるよね~ それもありじゃない? と言ったのだが。 「じゃあ、お前もスマホやめてガラケーにしろ」 と言われてしまった。 私からすると、なんで?とはてなだらけ。 とりあえず、私はスマホがいいけどガラケーがいい人はそれでいいんじゃないと思うと伝え直したのだが。 「お前は、いつも俺と反対の事をいう。自分がスマホがいいのなら、今どきガラケーとか信じられない~とか言うべきやろ」 と言われて。 しばらく固まった。 スマホの反対は、ガラケーなのか? そもそも、携帯持たない選択もあるし。 なんだその他の選択肢を排除しようとする心の動きは。。。 翌日、やっと気がついた。 あ、これ、他の選択肢を排除する問題じゃなくて。自分の味方をして欲しい、寂しいよー問題だったのだなと。 きっと昨日、旦那が愚痴を言いかけて辞めた事に関係するのだろう。 出来事をどちらが正しいかで測ろうとして。 苦しんでいるのだなぁと思った。 その人がかけている眼鏡で正しさは変わる。 それぞれ、その眼鏡の世界では正しいと思うことをやった結果摩擦が起こったのだろうと思う。 気がついて欲しい気持ちを、正しさで武装して戦うのをやめて。 まずは、自分自身が気がついて欲しい気持ちを自覚して、認めて、自分で慰めなくてはいけない。 「私は、どんな時もあなたの味方だよ」 そう、私が声をかけるのは簡単なのだけれど。 本当の意味でちゃんと相手に届かない。 一時しのぎなのだ。 例えば。 今回のガラケー問答のような出来事が起こると。 「どんな時も味方だと言ったじゃないか!」となるのだろうなと思う。 いつでも、味方だし、そのままのあなたでいいよという私の思いはまだまだ届かない。 どう伝えればいいのだろうかと、日々考える。 その人の準備が整って。 ベストなタイミングで伝わるのだと、今日も信じている。
2021.11.16
コメント(0)

雨が降ったり止んだりする日が続いている。 その日もスーパーから出ると、雨が降っていた。 ベンチに座って小降りになるのを待っていると、太陽の光がパァッと差しできたので。 雨はまだ降っていたが、迷わず外に出た。 踏切待ちの時に、空を見上げると。 目の前に虹が出ていた。 久しぶりに見た虹だった。 子供達が帰ってきて、虹を見た報告をすると。 チビ3人は私と同じ虹を見ていた。 しかも、学校からは虹が二重に見えたと言う。 虹を見たら、嬉しい気分になるよね~と思春期の子供達と少しだけ盛り上がった。 その翌日。 部活が休みだった息子達がいつもより早く帰ってきて。2階から私を呼んでいる。 行ってみると、窓から虹が見えた。 凄いね!2日連続やね!と喜んだ。 夜に帰ってきた娘が。 2日連続虹を見られるなんて、ラッキーでいいなぁと呟いた。 翌朝、遅刻気味なのか娘がバタバタと家を出て行った。 その後、30分くらいして 「学校、遅刻ギリギリなんだけど、思わず写真を撮った!」 と写真付きでLINEが送られてきた。 虹の写真だった。 子供たちのおかげで、3日連続、虹を見ることができた。 雨上がりの虹や、雨に濡れた木々が太陽に照らされてキラキラ光る瞬間が大好きだ。 雨が魔法をかけたー!といつも心の中で叫んでいる。 私の中から、キラキラした感情が溢れだして。 世界はなんて美しいんだ!と感動する。 他の人と歩いていて、たまにうっかり素の自分が出る時がある。 「わぁ、空が綺麗ー!」 と口から出てしまうのだ。 「え?普通やけど。。。一般的には綺麗とは呼ばないよ」 と大抵の人は、一般的にはどうかという事を私に知らせてくれる。 その時に、感じる家族の愛がある。 私が「綺麗!」という事に対して。 あたなは、そう感じるんだねというスタンスなのだ。 あなたの見ている世界を見てみたいと言ってくれる友人もいる。 一般的な見方を知らせてくれるのも愛。 ただ、受け入れてくれるのも愛。 私を理解したいよと言ってくれるのも愛。 バランス良く、私の中で愛が重なり合い。 心の中で虹のようになっている。 様々な人が、色々な色の愛をくれるおかげで、豊かな色で心が満たされる。 3日間見た虹のおかげで、こんな事を考えた。 もっとたくさん、色々な事を感じていきたいなぁと思う。
2021.11.11
コメント(0)

もうすぐ、私の誕生日がやってくる。 毎年誕生日が近づくと、切なさと悲しさが押し寄せてくる。 去年まで、理由など分からなかった。 生まれてから、誕生日に悲しい思い出などない。 いつも家族が祝ってくれるし、いつもいつも愛を感じてきた。 この気持ちは一体なんだろう。 そう思いながらも、その気持ちを味わうしかなかった。 大人になると、誕生日を過ぎるとめまいの発作で数日寝込むようになってしまった。 ネットで調べると、「誕生日クライシス」というものに行き当たったのだが。 周期的な問題なのかもなーと思いながらも、今年も悲しい気持ちを味わっていた。 そんなある日。 ひとりで夕飯の準備をしている時に。 突然思い出した。 誕生日に、「ひとりぼっち」になってしまった事を。 家族を助けることが出来なかった。 私はひとり、生き残ってしまった。 しばらく立ち尽くして、その場で気が済むまで泣いた。 自分の「直感」を信じることが出来なかったのか、正確に受け取れなかったのか。 そのせいで、家族を救えなかったという思いが悲しみとともに湧き上がってくる。 いつかの時代の。いつかの私。 多分、私はその思いをその日泣くことで手放せたのではないかと思う。 その時の家族は。 どこか違う国に生まれ、私とは違う場所で日々を懸命に生きているのだろうと思う。 号泣に近かった。 ひとりの時で良かったと思う。 泣いた後は、普通の現実に戻り。 夢を見ていたような気分になる。 どう考えてもありえんやろ~と頭で考える。 そう感じるのだから、仕方ない。 正しいとか間違いとか考えなくていい。 今の人生を楽しむしかない。 そんな世界で生きている私、大好きだよと自分をいたわる。 少し前まで。 不思議な事を思う度に、心の病気かな? 不思議なものが見える度に、目の病気かな?と必ず思っていた。 人と違うことを思ってもいいし、見えてもいい。 それが私の世界。 他の人と共感できなくてもいい。 私は、私。 今年の誕生日は。 誰よりも、私自身を祝おう。 生まれてくる決意をしてくれて、ありがとう。
2021.11.08
コメント(0)

最近、旦那が家族の前で「ドジ」を踏むようになった。よく考えると、昔からそんな場面は沢山あった。誤魔化さず、潔く認めるようなったので、回数が増えたように本人は感じているのかも知れない。その頻度は私と比べるとずっと少ない。常に色々「考えて」行動しているタイプなのだ。ちょうどその頃、記憶力に不安を覚えていたことと結びつけ、旦那はコロナ後遺症ではないかと疑い出した。脳神経外科へ行き、検査をしてもらうも異常なし。その診断も信じられないという現実を旦那は生きている。私にも覚えがある。切迫早産で入院中、双子の弟の心拍が目の前で1分間ほど止まった事がある。臍帯から双子の弟へ流れる血液が、心臓を動かすことのできるギリギリの量だったころエコー中に心臓が止まったのだ。2人とも、いつ亡くなってもおかしくないと説明を受けてはいた。実際に目の前で体験することと、話を聞いて想像してみることとの間には大きな大きな隔たりがある。この出来事は、私の心に深く深く不安の種を植え付けた。双子が生まれてからは、些細なことで病院へ連れて行く日々だった。「心配しなくて大丈夫ですよ」という先生の言葉も「様子をみていても大丈夫じゃない?」という旦那の言葉も信じられないという日々を送っていた。目の前で心拍が停止し、先生達に招集がかかるという状況は、それほどまでに私に衝撃を与えたのだ。その頃、旦那から物事を大げさにするのが得意な人と呼ばれていた笑心の中に大きな不安を飼っていて、それに振り回される毎日だった。ひとりで幼い4人の子供を連れて、毎日のように病院へ通っていた。連れていかなくても大丈夫だと感じても、不安が膨らませる妄想に負けるのだ。実際に入院したり、手術になった事もあり、私の妄想は止まらなくなっていた。あの頃、心も体も、ボロボロだった。妄想に負ける度に、病院へ連れて行き「大丈夫ですよ」の言葉をかけてもらう。ただ、それだけのために生きていた。子供を失うのが怖かった。私にとって、「大丈夫ですよ」という言葉は大切な大切な光だった。ある日、何の前触れもなく急に腑に落ちた。子供達は大丈夫、そして、私も大丈夫なのだと。きっと、私の不安が愛で満たされた瞬間だったのだと思う。みんなにかけてもらった「大丈夫ですよ」という光今、その時点での自分にとっての光を私は諦めなかった。4人の幼子を連れて、ひとりで毎日、病院へ通い続けるガッツのある人はそうはいないと思う笑「不安」と向き合い、私を安心させるための行動をひたすらとり続けた。それは、紛れもなく私自身への愛だ。私の心に空いた穴を、まずは私自身の行動により埋めた。(私は、わたしを幸せにする!信じて!)穴がなくなり、周りの人達からかけられる「大丈夫だよ」という言葉で心が満ち、腑に落ちたのだと思う。それ以来、もしもや、万が一の過剰な妄想で苦しむことはなくなった。旦那には、その時の事を話した。今の信じられない自分を大切にして、思うようにしたらいいよと伝えた。他の人からすると、もっと効率的で良い方法があるのでは?と感じると思う。今の私なら、きっと別の方法を選ぶ笑「大丈夫」が真実になるまでの大切な確認作業が、あの方法だったのだなぁ。大丈夫だと頭で分かっていても、腑に落ちない時行動すればするほど、苦しかったり先が見えないように感じてしまうかもしれない。でも、あなたが行動しているのなら大丈夫。立ち止まっているより4倍速で進んでいる。私は今、あの時の「自分を幸せにする行動力」を夢を叶えることに全振りしている笑そして、諦めない強さもある。準備万端!きっと、私は想像以上の未来へたどり着くのだと勝手にワクワクしている。可能性は、無限。私の人生、こんなもんかなと思っている人達へ「そう決めているのは、あなた自身だよ」旦那も今は、あの頃の面影はない笑息子達とバイクで日本一周をする夢に向けて進んでいる。夢は、私たちを輝かせる魔法だ。※2025年10月9日に書き加えました。
2021.11.07
コメント(0)

義理の母が、3日間我が家で過ごした。 旦那は仕事、子供達は部活があり。 家にいない時間も多かった。 遠方でひとり暮らしをしている義母とは、2年ぶりの再会。 孫達と久しぶりに会えてとても喜んでいた。 私と2人でいる時間が一番長く、色々な事を話した。 話を聞いていると、どうしてもその人の不安の種や心を縛っているものが分かってしまう。 不安の核心部分が私には分かるのだが、本人は表面的な今心が動いている現実にしかフォーカスしていない。 今回も義母は、自分の心が揺れ動いたニュースについて、私が感じる事を伝えたのだと認識していると思う。 しかし。 私は、義母の不安の種に向けて感じる事を伝えている。心が少しでも楽になれば良いなと思いながら話している。 義母は泣いていた。 心理学の弟子入りをさせて下さいと冗談を言ったあと、旦那の弟にも、機会があれば話をしてくれないかと言われた。 旦那の弟は、独身だ。 義母は結婚という経験をさせたいのだという。 他人と暮らすことで、人生の修行を積んでほしいのだそうだ。 その事を私から話してほしいというのだ。 それを聞いてとても悲しくなった。 義母から私はどう見えているのか。 旦那と義母は、冗談で私の信者だと言ったりする。洗脳されているとも。 私は、人の心をコントロールしようと思ったこともないし、伝えたい事があれば伝えるけれど。 それをどう解釈して、選択していくかは本人の自由だ。 自分の人生を生きるとは。 人のせいにしない覚悟を持つという事だ。 自分の願いを叶える為に。 私の感覚が使われるのかと思うと、とても悲しい気持ちになった。 悲しい気持ちは伝えずに。私が普段感じている事を伝えた。 この世界に、自分の思い通りにコントロールできるものなど何もないと私は思っていること。 その人に必要な経験は、結婚にこだわらなくてもしているはずで。 男女関係なく、支えてくれる人がいるし、愛と感謝を感じる事ができれば幸せだと思っていること。 今の現実は、本人が選んでいるものであって。 それを尊重してあげたい。 そう伝えると。 義母は、自分がもう少し気を配っていれば今頃結婚していたのではないかと後悔していることを教えてくれた。 弟の結婚についての心のザワザワは。 義母自身が後悔という捉え方をした出来事に向き合えば解決するのだと思う。 自分の願いは息子の結婚だと勘違いしているから叶わないのであって。 求めているのは心のザワザワを鎮めたいのだと気が付き。後悔と向き合うだけで。 本当に心が求めている願いが叶うのだと思う。 なかなか叶わないと感じる願いは。 実は、心が本当に求めている願いではないのかも知れない。
2021.11.01
コメント(0)
全10件 (10件中 1-10件目)
1
![]()

