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性欲は食欲や、そのほかのいろんな欲望とおなじく、人が種として保存されて、その遺伝子を生き残らさせていくために、神様から与えられたもの。子供を生むためのもの。であるとは、思う。人間以外の普通の動物はだいたいは、そのためにしか使っていないと、思う。 けれど、人間だけが、子供を生むということのため以上の、つきない欲望を満たしたいと、願ってしまう。 それは、他の動物にはない、知性ゆえなのか。動物以上の感情ゆえなのだろうか。 性の欲望にしたがって、子供を生むことは正しくても、それを逸脱して、出産や、子育てからぬけだして、ただ、体の望むままに性の喜びに浸ろうとすることが、あるいは、罪になってしまうのは、なんとも、不条理な話なのかもしれない。 心のときめく恋から、体の芯まで振るわせる性の快楽が、けれど、妊娠と子供の出産と子育てと、その先の長い日常にと変化してしまうことに、戸惑いを感じる人はどのくらいいるのだろうか。 子を持つ母が、本来の子育てや、母性を捨てて、恋に走ってしまうことを、普通に子育てする主婦であれば、「不道徳でありえないひどいこと」と、思うかもしれない。「人間としておわってる」とかね。 けれど、私はちょっとうらやましかった。子供より、愛と性に埋没して、快楽を享受することに埋没していくヒロインが。 それが罪になってしまうことが、人の住む社会の不可思議な矛盾であることも。 でもね。性の快楽のためだけに死ぬのはちょっと私は、もったいないからいや。だって、この世にはそのほかにも、いろんな楽しいことがあるじゃない。できれば、私は、もっともっと、漫画を読んだり、ゲームをしたり、本を読んだり、勉強したり、映画みたり、旅行に行ったり、おいしいもの食べたり。やりたいこと楽しいことがいっぱいあるのに、セックスのためだけに人生をおしまいにするのは嫌だなぁ。もったいないもん。 ということは、性の究極のエクスタシーというのは、子供や家庭がどうでもよくなるというよりも、この世の全ての快楽を凌駕するほどの快感なんでしょうか。 つまりは、家庭や子供をすてて性欲にはまるということではなく、それ以外の全ての娯楽以上のものなのでしょうか。 「そんなエクスタシーを感じることの出来る女はめったにいないのよ」と、映画の中でも、語られるシーンがあるのだけれど。 で、もちろん、そんなところまで経験するなんてめったにないので、それ以外の娯楽の方が楽しいと、まだまだ思うわけですが。 でも、そんな風に究極のエクスタシーに出あっても、体はどんどん老いて感受性は劣化していくわけですから、できれば、人間の経験しうる最高の快楽を知って、そして、その記憶が薄れないうちに、絶命したいと、そういうお話なんですよね。 もちろん、エクスタシーのためにはその相手には、惚れている相手の方がいいわけです。だから、このお話は、死んでもいいと思うほどの恋愛なんて話じゃなくて、記憶を薄れさせるくらいならその前に死んだ方がいいと思うほどの快感を経験した人間の話なんだと、思います。 セックスと、漫画と、映画と、読書と、ゲームと、サッカーと、野球と、その他もろもろ。何を一番快感と感じるかは、もちろん人によりけりです。でも、これは、渡辺淳一だからね。 ラストにヒロインの手紙が出てきます。「天に昇った女はもう地上にはもどれないのです。」 それでこれは、天女の羽衣の現代版ストーリーだったのだなと、思いました。天上には、地上のどんな娯楽よりも、子供や家庭よりも、ずっとずっとすばらしいものがあるのでしょうか。主人公の菊治は、天女の夫から羽衣を盗み出して、天女に渡してしまった。その罪を問われている。そういう物語なのかもしれません。 愛の流刑地@映画生活
2009年01月29日
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最近はどんどん本屋さんがなくなっています。古本屋が増えたからでしょうか。ネットで買うようになってしまったからでしょうか。 パソコンを修理しだしていた間はまるで世の中から隔絶されたように不便でした。 いまはもう、情報も買い物も交流もいろんなことが、ネットで行われるようになってきてしまったのでしょうか。だとすると、パソコンを使いこなせないと本当に困るし、ネットがないと、基本的な生活さえできない。そんな時代になりそうで怖いです。 新聞やテレビに比べて、パソコンは、使いこなすのに、かなりな技術や知識が必要だし、パソコン自体がかなり、高価だし、ネットにつなぐにも、月々のお金がかかるし。 テレビは、スイッチさえいれればいいし、新聞は文字さえ読めればすむのに。 もっとも、昔々は、字を読める人はずっと少なかったわけで、それを識字率100パーセントにするのは、結構大変な作業だったのかも。字や言葉を知らないと、新聞は読めないものなのだもの。だから、識字率100ぱーせんとにするってすごく遠大な作業だったのですね。おかげで、漫画も雑誌も本も新聞も、アニメもゲームも売れて、一つの産業にまでなったのだけど。 てことは、その第二の波が来てるのかな。 でも、パソコンて、字を覚えるより、大変そうだけど。ネットにつないだり、プロバイダーをえらんだり、パソコン自体もウィルスチェックとか、いろいろ紀を配らないとまずいわけで、やっぱり、新聞より大変です。 普通の人たちがみんな新聞やテレビをみるようにパソコンこなすって、なんかハードル高い気がします。 そして、パソコンがないと、重要な情報も、得られなくなっていくのかと思うと、大変だなぁ。 うちもずーっとパソコンのつながり具合が悪くて、困っていたの。本体修理してもなおらないし。で、ルーターと、パソコンをつなぐコードを買い換えたら、ぜんぜんきれなくなりました。でも、こういうことにも知識がないと辛いというか。だって売り場にはものすごくいろんなコードがうっていて、ドレにすればいいのか、わかりづらいもの。 で、今回は、プロバイダーを変えようかと考えているのだけれど、どこがいいのでしょう。テレビや電話とちがって、ケイタイやパソコンって料金体系が恐ろしく分かりにくい。ここまで一般化したのだから、もう少しなんとかならないのでしょうか。と、思う。 そういえば、ウィニーのせいで仕事を失う人もいるけれど、ここまでネットやパソコンが一般化している時代に、こんなことで仕事を失うというのは、なにか、厳しすぎる。文字をしらないのに、契約書にサインしているようなものかなぁ。現実世界に警察があるように、ネット世界にも、ネットポリスは、必要だと、思います。もはや、本人の自衛責任だけでは、不可能になっているのでは。 なにか世の中がどんどん恐ろしい速さで、ネット社会になっていく。でも、ついていけるのは、どこまで?
2009年01月28日
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前回書いた記事では、書きそびれたことがいろいろあったので、ちっょと記事を補足して追加です。『春は花。夏ほととぎす。秋は月。冬雪さえて、涼しかりけり。』 雪ってすずしいですか。いや、寒いだろう普通に。寒くて辛い。でも、その辛い寒い雪の降る冬を「涼しい」と、言ってしまえるほどの精神の高み。 四季の季節のそれぞれを心地よいと、感じうるほどの、精神(心)のありどころ。 この世にあるあらゆるものを辛いと感じるか、心地よいと感じるか。それはもう、その人の感じ方。それだけでしかないのだと。だから、冬の雪をここちよく涼しいと感じうるところまで、己の心を高めていくそのために、座禅をし、己の内側の声を聞く。 禅道とは、そういうもの。と、個人的に思いました。本当はどうなのかは、わかりません。 けれど、この世にあるいろんな嫌なことやつらいことを、ここちよく感じられるようになるって、そんな簡単なことじゃないですけどね。いやみや、悪口を言われれば傷つくし。つらいし。暑いのも寒いのも、怪我も病気も、空腹も、辛いです。 その辛いことを辛いと感じるかどうかは、本人の考え方、意識しだい。 つまりは、辛いことを辛いと感じるかどうか。なのだと、思う。 だったらいっそ、なんにも感じない不干渉、無感動な人間でいることが一番楽なんだろうか。でも、道元禅師はそうは、考えていないと思う。 その逆で、より、他者の痛みをどこまで深く感じることができるか。という共感性の高さ。感受性の高さをこそ、もとめているのだろうと、思う。 自分に悪口や雑言を吐く人に、ひどいやつだと思うか。他人にこんな言葉を言ってはしまうほど、何か辛いことがこの人の中にはあるんだろうかと、想像できるかどうか。 美人で頭がよくて、お金持ちでうらやましく見える人が、実は想像もつかないような辛いことを背負っているかもしれないと、想像できるかどうか。 物語の中でも、わが子が死にそうになって、道元に助気を求めてきたおりん(内田有紀)に、道元はいう。 「村中をまわって死者の出たことのない家から豆を一粒もらってきなさい。そうすれば、子供は助かりますよ。」と。 けれどもちろん、死者の出たことのない家なんてあるわけはない。家族の死という辛いことを誰もがあじわっているのだという、共感性を自覚することで、他者の痛みと自身の痛み苦痛をのりこえていけるということなんだと、思う。 最初娼婦であったおりんが、道元に出会い、道元を慕い、禅の心を学んで、成長していく。禅僧に犯されそうになった時、「こんなわたしでよろしければ」というところまで、悟りの心にちかづいていて、そして、やがて、体が悪く、乞食にまでおちたかつての夫に布施を分けるところまで、成長していく。やがて、彼女は剃髪し、尼となる。 料理も禅の修業の一つであるのなら、女性は普通に普段の生活で、俗世にあってそのまま修行しているわけですよね。生のそのままが生産である女性に比べて、生きることがイコール破壊であるからこそ、男性の方がお坊さんが多いのかもしれません。 が、毎日ご飯作ってても、家事をしてても、案外もんもんとうらみつらみ悩みがあるものです。ぜんぜん解脱してません。ていうか、私なんか週に最低一度はご飯作るの嫌になります。わがままで、怠けものなものだ。それをのりこえて、ちゃんとできないと、やっぱ、だめなのかなぁ。 ところで、禅というのは、かなりな長時間座り続けるのが修行なわけですが、そんなことしてると、血の巡りが悪くなって、エコノミー症候群になって、死んじゃわないのかなと、考えた。それで、つくづく禅の世界で精進料理が生まれた理由も分かった。肉や魚など、脂や栄養のいいものをとりすぎている状態で、座禅なんかやったら、血行不順で体壊しちゃいますからね。だから、座禅をするには、それとともに、食事も質素にしないと、体に悪いのですね。精進料理は仏の教えといいますが、それ以前にまず、体をほとんど動かさないのだから、カロリーは、あまりいらないわけで、その意味でも、座禅と精進料理はセットになっているんだと、思います。基本は、一汁一菜だそうです。 映画をみただけだけど、禅宗の世界って、深いですね。
2009年01月27日
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読売新聞夕刊のトップ記事が中学受験の女子御三家サンデーショックだった。昔は中学受験なんてこっそりやっていて、コノテノ事件も中学受験の世界だけのあくまで内輪のニュースだった。それがいまや、大新聞のトップニュースネタになるとは。中学受験もメジャーになったものだ。受験を高校でやるか、中学でやるかの違いでしかないらしい。そんな感覚になってきたみたい。 それでももちろん、高校受験の方がぜんぜん多いけどね。 でも、今は、すくなくとも、中学受験することを隠したり、遠慮したりしなくなった。 ところで、そのあとに、「レキジョ」も、記事になっていた。『歴史の好きな女の子』のことなんだって。歴史の好きな女の子なんてすごくオタクでマイナーで、こっそりしてるものかと思っていたのに。 うちの娘も「レキジョ」だったんだ。日本史が好きなんて、そんな子めったにいないし。恥ずかしいし。おたくっぽいし、と、遠慮してたのに、高校に入って、だんだん親しくなった子と話をしていると、意外と歴史好きの子が多いことがわかってきたらしい。あの子もあの子もあの子も、実は日本史や時代劇がすきなんだって。という。 で、いまや、日本史や武将ファンの女の子なんて普通のこと。みたい。でもないか。「レキジョ」なんてネーミングがあるくらいだから。それでも、それほどマイナーの存在じゃなくなったらしい。 娘は、NHK大河ドラマの『篤姫』も、『天地人』もせっせと見ていたり。漫画の『風光る』を読んで沖田総司ファンになって、『新撰組』のDVDをかりてきたりもネット動画で『義経』をみていたり。という『レキジョ』なのだ。 それにしても、最近の新聞のニュース記事もかわってきたなーっと思った。 いまやネット全盛で、新聞がネットと同じかそれ以下の記事しかのせてないようじゃ、明らかにネットに負けて廃業になりかねない。ネットじゃみられないような記事が新聞には必要なのかも。 でもそれ以前にこんなニュースが一面って、世の中不況といいながら、平和だ。
2009年01月25日
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監督のやっつけ仕事。 作品自体はなかなかよかったし、役者さんたちもがんばっていたと思う。シナリオもまあまあだし、禅道を知らない人には分かりやすくできていると思うし、道元の教えも理解しやすい。ただ、練りこんでいないというか、熟成していない。シナリオをシナリオのまま、そこそこの演技でオーケーだして、取り合えず完成しましたという感じ。ちょっともったいない。内田有紀さんなんか、結構熱演しているのに。最初の頃は若くてかわいくて元気で明るい女の子。そういう感じだった彼女が、結婚と離婚という経験を通して、生きることに苦しむ女性をとてもうまく演技するようになったなぁとおもう。でも、根が明るい子なので、見ていて悲惨さ、陰惨さを感じないですむ。いい女優さんになり始めているのかも。ただ、今回の作品。汚れ役で、極貧の娼婦なのだから、もう少し薄汚れて疲れている感じの衣装やメイクなどしてほしかったし、もう少し演技を盛り上げて欲しかったと思う。残念である。 それにしてもね。禅道って名前は知っているけれど、どんなものなのかしらなかったので、勉強になりました。死んで極楽浄土に行くことを願うより、今生きている人生を幸せなものにしたい。人は欲にとらわれているゆえに苦しい。 でもね。権力者の政治が悪いせいで、食べ物もなく、貧乏に迷う人々を思い、そんなことのない世の中にしたいと思っていた道元が、鎌倉の執権北条によばれ、彼の悩みをさとし、彼に気に入られる。道元をきにいった北条は、この鎌倉の地に寺をたててやるとまでいってくれるのに、道元は越前に帰ってしまいます。 でも、食べるものもない一般の人々よりも、権力者こそが欲望にとらわれて生きているわけで、欲にとらわれない生き方を諭す相手はまさにそういう権力者であるべきなのでは。民衆はまず、食べるものが必要だと思います。ホトケの教えはまず、生活の基盤が整ってからの話だと思うのだけど。で、そういう権力者のそばにいて、権力者の人たちをさとし、世の中が荒れないようにすることこそが、世の中をよくすることなのではと、思うのですよね。そそれこそが飢えに苦しみ、盗みをする人のいないな世の中への道だと思うのですが。 それなのに、越前に帰ってしまう。欲にとらわれずに己の中のホトケを求める。それはそうなんだけれど、それをまず、鎌倉で、権力者にたいして、指導し、鎌倉の地で多くの人に広め、権力者からどんどんお金や食糧をもらって、一般の貧しい人たちに、くばってしまうほうがいいのにと、思ってしまいました。 道元と禅を普通の人に解説する映画。たまたま有名な役者さんたちでつくってるけれど、そうでければ、宗教法人の宣伝映画か、学校で見せられる普通の地味な、無名の役者さんでつくった映画。そんな感じなのよね。 でもまあ、そこそこには面白かったです。補足もあります。→ 『禅』補足禅 ZEN@映画生活
2009年01月24日
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男と女は違うと、つくづく思う。これはやっばり、育ててみないとわからない。とにかく、家畜と野生の動物くらいちがう。女の子はちょっといえば、やるのに、男の子っていってもいってもやらない。その上で男の子を育てていて思うのは、マイナスの経験をさせたほうがいいかもしれないということ。 一番いいのは、自分ひとりで下宿生活させることなんだけれど、大学生の段階でとなると、その経費は親がださないとならないので、我が家の家計では無理。昔のような苦学生は、今はいない。 せめて、朝起こすのをやめて、起床くらい本人に任せたいのだが、それで、遅刻を重ねた結果、大学にいかなくなったら、と思うと怖くて出来ない。朝の起床は、起こすための声かけに娘の数倍かかります。もう私自身いやでいやでしょうがない。 本当は、遅刻して単位落として成績ぼろぼろで留年してなんていう、ぼろぼろの底辺とか、経験させてみたいんだけど、日本という国は、失敗を許してくれない国なので、きびしいですね。許容範囲は一浪くらいまで。 特に能力の高い男の子ほどマイナスの経験をさせたほうがいいんじゃないかと思う。結局一度も挫折することなく、出世していったのが、官僚、事務次官、会社の中の経営幹部だったりするわけで。挫折経験がない分、人の痛みや辛さがわからない。だから今いろんな不祥事や偽装事件が暴かれていたりする。 女の子の場合は、もともと共感性が高いので、挫折とか経験しなくても、意外と他人の気持ちが分かったり、他人に配慮したりできるのだけど、男の子は挫折でもしないと、感度がにぶいので傲慢になりやすい。 だから、今の日本の社会の上のほうにいる人たちって、自分の利益しか考えないようなことができるんじゃないのかと思う。 いぜん、『男の子の育て方』という本と『女の子の育て方』という本が本屋さんで平積みで売っていたのだけれど、私が行った時には、すでに、『男の子の育て方』の本は一冊残っていただけでほぼ売り切れ状態だったけど、『女の子の育て方』の本はまだ山済みだった。男の子の本だけすごく売れた、ということで、やはり男の子の育て方に悩んでいるお母さんは多いのだなと思った。女の子は所詮同性だし、聞き分けもいいし、もともと自立していて、自己管理能力も高い。少ししつければ、後は大体自分でできる。勉強も片付けも。ところが男の子は言っても言ってもやらないことが多い。注意するこちら側が疲れてきて最後にはあきらめてしまいかねない。 けれど、女の子とまったくおなじに育てることはできないし、そういうことをすると男の子本来のよい部分までつぶしかねない。 家事や日常のことをきちんとさせすぎると、その分、男の子は本来の注意力やエネルギーが落ちてしまう。全速力で走ることや力仕事というのは、常にやり続けることは出来ない。ある程度やったら休まないと、体が持たないし、そもそも出来ない。お産や子育て、家の管理は低い集中力で長く維持しつづけていかなければならない。女の子は持続力、男の子は瞬発力なんだと思う。 でも、いつもだらだらのんびりしている男の子がある日突然ぴょーンと、階段を三段跳びするように、成長する時がある。中学に入ったばかりの時には、未熟でおさなかった息子が高校を卒業する時には、後輩を指導したり、自分で判断して自己管理しながら、受験勉強ができるように、高校生として、きっちり成長していたことを思い出してみると、やはり、大学を卒業するころには、きっちり大学生らしく成長しているかもしれない。 中高の頃不安で心配でいろいろといったこともあるけれど、もしかしてそんなに心配することはなかったのかもと、今なら思う。でも、その時は、やはりどうなるかわからないから、いろいろと、心配で注意したり、いろいろ言ったり。 そういえば、母の八人兄弟のおじさんおばさんたち。男5人と女3人。そのうち、男一人は、早世。一人は、障害があって、生涯独身だったし、一人は家を継ぐはずが、いやになって、嫁さん残して家をでてしまった。結局残った末っ子が家を継いでいた。でも、女3人は、3人とも結婚してみんな元気で健康にいまだに暮らしている。やっぱり男と女はちがうのかも。 生物学的にも、男の子の方が生存率が低くて、弱いから死にやすいぶん、出生率は、少しだけ女の子より高いらしい。 男子校のいいところは、周りのおかあさんがみんな男の子の母なので誰と話しても、男の子を育てるしんどさで話が通じること。女の子だけしかもたないお母さんだと、しつけが悪いといわれて終ってしまうから。そのあたりが男の子をもつ母の辛いところ。 男の子を育てていると昔両親が兄のことでいつもすったもんだして苦労していたこと、愚痴を言ってたことを思い出す。息子のことで悩むたんびに、両親が昔こぼしていて、兄に苦労させられていたことを思い出す。それでも、別に兄は普通に高校いって、大学にいって、就職して結婚してるのだけど。それでも、そのつどいろいろ困っていたってことだ。そして、今、息子のことで悩んだり、困ったりするたんびに、兄のことで悩んだり、困ったりしていた両親のそのつどの行動や兄に向かっていっていた言葉の数々を思い出すのだ。そして、納得したり、参考にしたり、おんなじなんだなとおもったり。今の私の息子は、昔の私の兄にそっくりなのだ。今頃、親の苦労がしみてきたりして~。 まあねえ、要するに言いたいことは、男の子は育てるのが難しくて大変てこと。
2009年01月21日
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昨日今日と、センター試験でした。テレビをつけるとかならずそのニュースがやっていて、懐かしく思い出されます。去年はもうほんとにどきどきはらはらでした。去年のブログの記事を読んでみると、ほんとに緊張して、つかれきっていたのでした。私も息子も、家族みんなが。で、今朝、昨日のセンターの問題が新聞に入っていまして、息子が、日本史だけやってみていました。これが、案外点がとれなくて、たった一年でこんなに取れなくなっちゃうんだなあと、驚いていました。浪人すると、その一年間それまでの勉強も忘れないよう、あと、一年持ち上げた学力を維持してそこにさらにもう一年積み上げていかなければならないのだから大変です。去年受かってよかったと、彼は内心ほっとしているのかもしれません。息子のトモダチにも何人か、浪人生がいて、さて今年はどうなるだろうか、直接の連絡はないものの、ちょっと気になるところでしょう。ところで、息子の学校には本当に一生懸命まじめに勉強していて、どの子も優秀なのに、難関大学に受かった子も、受からなかった子もいて、ちょっと不思議です。その境界線になる違いはなんだろうねと、先日息子に聞いてみたのです。そしたらね。「だふんそれは、お正月に年賀状を出すかどうかだと思う。」という返事でした。息子の友達で、今年も年賀状をくれたのは、そして、在学中にもきちんと年賀状をくれた友達はみんな、T大学に受かっているそうです。さすがにT大に受かる子達は、年賀状のような文書を作ることにも、友達にまめに気を配ることにも、メンドウという感じはなくて、苦痛なく、ささっと出来てしまうのでしょう。12月の末の受験勉強もまさに渦中の時にも、ケイタイでのメールのやり取りもしないでいる時にも、年賀状だけはきちんと、書いて、出してくる。そういう姿勢が、合否の境目なんだよと、彼は言いました。そして、卒業の後も、年賀状をくれたのは、ほとんどその子たちだけだそうです。まあ実際のところは、どうかなと思うけど、なんとなーく納得してしまいました。センター試験が終って、受験生はいまごろ、ほっとしているでしょうか。それとも…。今頃採点しおわってそして、あしたは、学校でいろいろあるんだろうなぁ。がんばれ。
2009年01月18日
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とうとう買ってしまいました。ニンテンドーDS。 プレステ2が壊れ気味なのと、子供たちにパソコンもゲーム機も取られちゃうこと。今まで昔のゲームをやり直したりもしてきたけれど、そろそろ飽きてきて新作がやりたくなったことなどです。 でもこれ。画面小さいですね。目に辛いです。しばらくやっているともう、普通のテレビ画面を使ってやるゲーム機に比べて目に対しての負担のかかり方がハンパじゃないです。かなりつらいです。 これが普及すると、目の悪くなる子供が激増しないのかなと思います。 DSIは、もう少し楽なのでしょうか。 でも、画面の画像はすごいですね。昔は、このくらいの画面で、テレビ画面を使ってやっていたのですよね。技術は格段に上がったのでしょうが。でもねやっぱり、小さい画面がかなり辛いです。 ただ、立ち上げに時間がかからないというか、さくさくつけたり消したりがしやすいです。 できれば、wiiを買って、大画面でやりたい。最近ゲームのために大きなテレビが買いたくなりました。でも、wiiは高いし、プレステ3にいたっては、あまりに高いので、手が出ません。 早く安くならないかな。 さて、やっているゲームは、「FFタクティクスA2風穴のグリモア」です。タクティクス系は久しぶり。普通のに比べてかなり戦略が必要なので、気合を入れてやらないとなりません。ロウ違反でなんど、リセットしなおしたことか。最初はやり方がわかりにくくて、苦労しましたが、なれてやり方がわかってきたら、かなり楽しくなってきました。ほくほく。 ところで、DSといえば、最近、ある機械(マジコンというらしい)を買うと、ネットでかなり安くゲームのデータを買ってダウンロードできる機械があるそうです。私は、見たことはないんだけれど、テレビで話題になっていました。これは、ニンテンドーの公式のものではないので、不正な行為なのだそうです。アキバあたりで売っていて、とあるサイトでゲームデータを安く買うことが出来るそうです。 不正なんだろうけれど、ただねえ。ゲームって値段が下がらないんだよね。ずーっと定価で売ってるんだもの。安くなるのは、「プレイステーションザベスト」くらいでしょうか。ゲームも新発売から、時間の経過とともに値段をさげてくれればいいのに。 で、しょうがないから、だいたいは、ゲームソフトの中古品をゲームやさんで買っているわけです。そういう人は多いと思うのですが、それに関しては、特に不正という話は聞かない。それは、ゲーム会社にマージンを払っていたりするからなのでしょうか。そのあたりのシステムは私はよくわからないのだけれど、ただ、細かい事情の分からない消費者サイドにすれば、中古ソフトもマジコンどちらもそんなにかわらないのかもしれません。 だからまあ、パソコンとか、ゲームとか、デジタルデータとかのわからない小学生のお母さんが、子供に買ってあげようとかしちゃうんでしょうね。そのあたりのシステムは、すごく分かりにくいものなんだと思うの。 家電製品は今は、定価とかついててなくて、販売店に価格決定はまかされているようですよね。世の中のいろんなものも、時間の経過とともに安くなっていきますよね。洋服の売れないものは、バーゲンセールで割引値段になります。でも、ゲームだけは、ほとんど安くならない。 でも実際には、中古ゲームとして安く出回っていたりする。 実際のところ、ゲームってひとつあたり5000円くらいはするし。DSって、対象はダレなのかな。ただ、小学生なんかは、月々のおこづかいは、1000円くらいだし、お年玉をもらっても、せいぜい3万円くらい。合わせて4万円くらいだとして、ゲーム一つが一ヶ月くらい遊ぶとすると、毎月一つづつゲームを買うと、年間で6万円必要ですが、あきらかにたらないです。二ヶ月で一つにしても3万円。きびしいです。 しかも、ゲームを遊ぶためのハード機に18000円かけてるわけですから、年間2、3個くらいのゲームしか買わないのは、コストパフォーマンスが悪すぎる気がします。 そんなことをしているうちにスグ次のハードを発売されてしまうのですから。 ゲームの開発はとても大変なことでお金も時間も労力もかかるのはわかるとして、でも、高ければそれだけ数が売れないのですから、はたして、今のゲームの値段は適正なのでしょうか。と、ちょっと疑問。少なくともニンテンドーはプレステに比べて、子供相手のゲームも多いし。 商売の相手がどのくらいの金額を出せるかを考えた価格設定っていうのもありなのではないかとも思います。もう少し安ければ、中古でなくて新品で買うかもしれないじゃないですか。 デパートなんかも価格が高過ぎて、安い大型スーパーに客足をとられて潰れたところもあるし、デパートのものって高過ぎてめったに買いませんもの。それと同じじゃないかなと思うわけです。 わたしなんかでも、ゲームソフトを定価の新品で買うことは先ずないです。ほとんど中古品。でももし、この中古品が規制されていて、ゲームは新品の定価でしか買えないとしたら、果たして本体自体を買うかどうか疑問です。買ったとしても、そんなにソフトを買えないので、ハード自体が痛まない。 安い中古ソフトがでまわっているからこそ、ハードが売れるのではないのかなと、思うのです。 みんなが正価でゲームソフトをさくさく買えれば、問題はないのだけれど、実際には、正価で買う人は少ないのでは。 本も定価であって、下がることはありませんが、(ちなみに外国によっては、下がるところがあるそうです)その分最近は古本屋が増えました。また、公共の図書館というすごくありがたいものがあります。ただで本が読める機関が公共に存在しているわけです。でも、ゲームソフトをただで、貸してくれる公共のゲーム館はまずできないよね。 さて、不正がどうかはおいといて、わたしだったら、この機械の技術と権利を買い取って、自分のところのサイトでお金をはらって、ゲームをダウンロードできるようにしてしまうかな。 いままでも、ゲーム業界では、ゲームソフトを中古販売されたくなくて、データだけを売るという方法もやったけれど、いまいち普及しなかったように思うのですが。 オンラインゲームはつまんないし。 で、これ、このDSソフトをネットからダウンロード出来る機械とそのシステムこそ、ゲーム業界にとって一番望んでいたものなのでは。このマジコン自体をやや高額にすれば、ネットからおろしたソフトをいれて売ることもないのでは。マジコン自体が高ければ、それを一つだけ買って、売ることもないはず。 ところで、最近出来たDSIのばあい、ネットからソフトデータをおろして入れられるようですね。このシステムを今売っているゲーム全て買えるようにするのでしょうか。DS本体にソフトがはいるのでしょうか。でも、だとして、ドレくらいの量のソフトをいれられるのか。多くなりすぎたら、以前買ったゲームのデータを消してでも、新しいのをいれる気になれる種類のハウツーなのでしようか。 わたしは、中古ゲームを買って、遊んだら、また売っての繰り返しですが。それと同じくらいの出費であれば、システムなんかなんてどうでもいいんだけどね。ただ、このシステムが普及して、中古ゲームやさんがなくなったあとで、また、ゲームソフトが高くなったら困るなぁ。それに、昔のマイナーでふるーいゲームは買えなくなるかも知れないし。 いずれゲームは全てネットで買うようになるのかもしれませんね。 などといろいろDSを遊びながら考えてみました。
2009年01月16日
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あまりにも連休がつづくので、ショッピングセンターも行きあきまして、初詣は成田山いっちゃったけど、やっぱり増上寺もいかないとすっきりしないし、子供たちの合格のお礼参りもあるし。で、今度は、増上寺に行きました。だって、正月おわったとおもったら、そのあとすぐ有給休暇二日。で、そのあともすぐ、三連休。ダンナは事務職なので、休日はとにかく外に出たいという人なのです。ここのところ東京は本当にめっちゃ快晴です。日本晴れです。この人雲が一つもなかった。 増上寺の赤門です。残念ながら東大の赤門じゃないけど、見た目は立派で素敵ですぜ。 すぐうしろに東京タワーがあります。ついでにこっちも行くと楽しいですが、私はもう何度もいったので、今回は増上寺だけ。初詣の時だと、ものすごく天気のいい日がおおいので、見晴らしは抜群です。 本殿の隣にある菩薩様を安置している建物の方に将軍家家系図があります。家定様の名前も家茂様の名前もあります。普段およそ見ることがないのですが、よく見てみると面白いです。家康様の直系の将軍は、7代まで。そのあとは、8代将軍として有名な吉宗公。この方が、将軍家の血筋の絶えた後、将軍家を引き継ぐために用意されていた。御三家の一つから、将軍職について、14代家茂公までに至っていたのですね。家定様も、家茂様も、吉宗の子孫なんですね。そして、最後の将軍慶喜公だけが、一橋家からなのですね。子供を50人もつくっている将軍様もいて、すごいなーっと感心しちゃいました。世継ぎが出来なくて悩むお話は多いし、将軍家も最後の方は跡継ぎが出来なくて、困ってるのにね。これ。見てるとなかなか面白いです。 本殿からみた赤門を撮ってみました。さすが、東京。バックはビルだらけです。もう、出店もほとんどなかったし、増上寺はコンクリート製なので、いまひとつ味わいにはかけますが、ここのうしろに将軍家のお墓があるのですよね。由緒ありありのお寺です。さて、連休もおわって、やっと普段の普通の生活に戻ってまいりました。お正月の間は、家族にパソコンをとられるので、なかなかブログもゆっくりやってられませんでしたが、これからいろいろ更新できそうです。
2009年01月14日
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今年もこの季節。スーパーには、合格お菓子がいっぱい売っていました。ああ。なつかしい。そして、たのしい。受験はもう終ったけれど、合格お菓子ははたのしいので、すっかりはまってしまった私です。特に、カルビーのさくら風味のポテトチップスが好き。ほんのりと桜の香りのする味がおいしくて好き。この時期しかあじわえない限定品ですから。他にも今年は桜の絵柄のカッパエビセンも見つけましたが、これは、とくに桜味なわけではないようで、娘に完食されてしまいました。私は一口もたべてないのに~~~。でもって、これ。合格ラーメン。とくに、桜の写真まで載っていて、ピンク色のワンタンのはいったカップメンなのだ。しかも、かやくが桜の花なのです。ピンクでかわいくて、思わず買ってしまった。 もういまや既に、ピンクは、合格をイメージする色となったようですね。 味は普通だけど、おいしかったでーす。でも特に桜の味とか香りはなくて、ピンクなだけ。でもでも、かわいい ↑コレが普通のバージョンらしい↑
2009年01月13日
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お金も腐るってことに、みんないい加減気づいてもいい頃だと、思う。 人間の歴史は、常にコンスタントに食べ物のある状態。飢えのない生活を目指してきたもの。食品は、農耕によって作られてきたので、天候によって飢饉になって、餓死したりしたからだ。 飢えのない生活をめざして人間は食品を保存する方法を考えてきた。お米や麦は比較的保存しやすいが、飢饉は免れない。 海産物や、農産物も腐るから、冷凍することで長期の保存を可能にし、コンスタントな食糧の保存と提供を目指してきた。 そして、お金というものに置き換えて、必要なものにいつでも変えることができるようになった。お金は腐ることもないし、どんなものとでも交換が可能な、腐ることのない財産の保存方法だと、思われてきた。 けれど、お金もまた、腐るのだ。物価の上昇によって、貨幣の実質的な価値が下落してしまうからだ。 物価が上がるから、減る。減るから、もっともっと貯めなければならない。 けれど、たくさんお金を貯めこむ人がいるということは、お金を吸い足られてなくなる人もいる。 お金はさびしがりやだから、集まりたがる。だから、一箇所にたまっていく。けれど、お金というものが、あまりにもたまりすぎると、同じ価値のまま、保存することは出来ない。物価の上昇、インフレによって、価値が下がってしまう。 億単位、兆単位という、極端にたまった個人の持つ多額の資産は保存が難しい。 お金という資産を金属の金に変えたとしても、金の相場もまた、変動する。目減りするのだ。それでは、絵画のようなものにするのは?けれど、絵画や、宝石もまた、価格の変動が存在していて、買ったときと同じ価格で、売ることはできない。株もまたしかり。 お金というものは、たまればたまるほど、その価値を落とし、腐っていくのだ。 みかんが10こあったとして、10人に一つづつくばり、みんながたべてしまえば、みかん十個の価値はそのまま生かされる。そして、たべられたみかんのエネルギーは、労働力となって、次のみかんを(資産を)作り出す。けれど、みかん10個を一人の人が独占し、毎日一つづつ食べようとしても、10日たつ前にみかんは腐ってしまう。そして、あたらしい資産は作り出されない。 お金もまた、一人じめすれば、その一人の保存の間に腐っていく。食品が多すぎれば、冷蔵庫に入りきらずに腐るように、資産もまた、貯めすぎれば、冷蔵庫に入りきらなくなって腐る。 だから、億単位のような巨額のお金を個人が、あるいは、少数の一部の人たちが、しまい込めば、その間に腐ってしまう。 多くの人が労働によって作りだしたはずの資産は、使われないまま、腐っていく。だから、働いても働いても、苦しい。豊かにならない。作ったはずのものは、いつの間にか消えてなくなり、あたらしいものも作られていない。 お金は腐る前に、みんなに等しく、細かく分ける。みんながもっていれば、必要最低限のものや、レベルの低いものが多く売れる。いろいろなものが売れる。だって、洗濯機一人で一台あれば十分だもの。一人に70万あげるより、10人に7万づつくばれば、洗濯機は、10こ売れるのだもの。 けれど、お金持ちのところでたまったお金は、贅沢で高価なものにしか使われない。 人々の労働によって作り出された資産は、一箇所にためると、使われないまま、物価の上昇、価格の変動、株価の下落によって、いかされないまま、腐る。 だから、お金はなるべく多くの人に、少しづづ分けるべきなのだと、思う。 お金は人と同じで群れたがる。 でも、むれないようにするには、法的な規制によって、群れないようにするしかないと思う。 会社の一定額以上の利益に対しては、会社の資産としての保存や、株主への利益としての配当を禁止して、社員に給与、賞与、特別給付として、払われるように法制化するべきだと思う。 経済学においては、市場は、ほうっておいても自然に世問に流れていくという説があるそうだけれど、実際にはそんなことはないと思う。市場は、ほおっておくと、かならず、一箇所に資産が集中し、貧富の差が広がっていくだけだと、思う。 人が数人集まれば、必ず誰かがリーダーになる。あるいは、リーダーを必要として、リーダーを決める。その究極のリーダーが今の各国の政府なのだとすれば、政府はやはり、リーダーとして、市場に対して、法規制するべきなのではないかと思う。 お金が細かく分散されれば、使われるお金は増えて、市場に還元されるお金も増えると、思う。 経済社会には、好景気、不景気というものがあるけれど、好景気なんて幻想だと思う。不景気の時でも、待っていれば、景気はよくなるからと、だから今は我慢だと、思い込まされている。けれど、好景気なんて本当にあるのだろうか。わたしは、どちらかというと、いつもいつも不景気な気がする。数年前まで好景気だったそうだが、私は全くきがつかなにかった。 だって、給与は不景気の時に減らされたままで、増えなかったし、賞与が少しだけ多くなっただけで、我が家の収入はほとんどかわらなかったからだ。にもかかわらず、不景気の時は、会社は、不景気を理由にがんがん給与を減らしてくるのだ。 好景気、不景気なんて、本当にあるのだろうか。 不景気という波は、本当は、ごく一部の資産家が極端に資産をためこみ、それが増えすぎて、同価値のまま保存できなくなって、腐り始めた時におきるのだと、思う。 だから、資産の極端な一極集中をなくし、資産をある程度、普通の人々に届くようにすることで、景気の波はなくなるのではないか。常にコンスタントに給与や収入があれば、みんなは安心してお金を使えるし、物価の上昇がなければ、昇級がなくても暮らしていける。 物価の上昇があるから人々は不安で不安で、老後のためや、いざといった時のために、お金をためる。そのせいで、市場には、お金がながれない。だから、不景気になる。 物価が安定して、上がることがなければ貯蓄を必要以上にする必要もなく、安心して、くらせるし、普段もお金を使いやすい。お金がみんなに行き届けば、不景気にはならない。 だから、企業の利益を企業に一定額以上ためない、株主に配当しないで、社員に払われるべだと、思う。 ためこみすぎれば、お金もまた、腐るんだ。 社会主義でもない、資本主義でもない経済社会はいつできるのだろう。
2009年01月12日
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おもしろかったです。かなり当たり度高し!!! 江戸川乱歩がかいた怪人20面相をモトネタにして新しく欠かれたお話。舞台設定は、第二次世界大戦のなかった日本で、1949年。 戦争がなかったので、いまだに、日本軍が存在しています。あの時代特有の帝都東京ののどかな雰囲気がたまらなく面白いです。 松たか子ってやっぱり、お嬢様役がホントにぴったり。生まれついての気品を持っている人なので、下手に貧乏人の役をやるより、やはり、彼女にはこういう正統派の美人のお嬢様役をやってほしいですね。ほんとに今回の役どころは、ぴったりです。松たか子のよさがしっかりたっぷり生かされている役です。おかげで映画を見ていてたのしい。 明智探偵役の仲村トオルを見るのも久しぶり。彼、イケメンなのに、ほっぺたにしわがあるのでした。年取ったのかなぁ。 で、金城武。かっこよかった。こないだの、諸葛孔明役といい、今たちばんのってる役者さんだと、思う。 ストーリーも予定外の展開やどんでん返しがあって、ほんとにぜんぜん飽きることなく最後まで見られました。日本映画とは思えない面白さ。今年一番の日本映画だと思います。今年これから、これ以上の日本映画ができるのでしょうか。正統派の娯楽大作だと、思います。人が万々死ぬでもなく、無理やり泣かされるわけでもなく、無理な笑いを取るでもなく、純粋に素直に楽しめる作品だったと思います。大戦が起きていないために、社会がリセットされず、そのために貧富の差が拡大していて、という設定がなるほどねえと、思う。大戦がないから、帝都のまま、科学は進んでいて、デスラーの機械もできていたりして、うーんやっぱり、「ヤマト」世代なのですね、きっと。そして、昔の物語ゆえの孤児や、貧乏な社会を語るセリフが、いままでなら、所詮絵空事の物語世界のセリフにしか聞こえなかったのに、今自分の住む現実世界でも、極端な不況や、派遣ぎり、正社員ぎりでどんな人でも、明日はどうなるかわからない、いつ路頭に迷うか分からない、そんな現実があるだけに、とてもリアルにひびいてしまいました。まるでシリーズものの第一作のようなお話だったので、このあと、続編、続々編が出来て、いかにも義賊な怪人二十面相の活躍や、お嬢様議員が貧富の差をなくすために活躍していくところなど、見てみたいなぁと、思います。 K-20 怪人二十面相・伝@映画生活
2009年01月09日
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私、結婚以来ずーっと、家計をつけております。えらいでしょ。ふふふふふ。でも、月ごとの集計はしてません。ボーナスも込みで、計算しているからです。いまどき、どこでもそうだよね。で、2008年分の家計も全て計算して、昨日収支も出しました。赤字です。これまでにない大赤字です~~~~~~。ま、覚悟はしてましたけどね。うーんそれにしても。なにしろね。去年は我が家の歴史の中でたぶん一番お金のかかる年だろうと、予定はしていましたがね。でも、なににかかったか、大きな出費を見直してみました。いろいろあるんだけどね。大学受験料 175000円也。高校受験料 43200円也。入学金大学入学金 282000円也。高校の制服 38000円也。大学生の定期代合計 60000円也。高校生の定期代合計 67000円也。春の京都旅行 200000円也。夏の旅行 130000円也。車の修理代 66000円也。大学入学直後の経費 100000円也。これは、入学直前の合宿費とか、同窓会費とか、生徒会費とか、通学保険とか、いろいろ。こんなものにこんなにかかるとは、思いませんでした。車検、自動車税 他車関連 310000円也。洗濯機 70000円也。合格記念兼結婚記念お食事会 35000円也。なるほど。赤字なわけだ。わははははははは。まあ、このことを考えて、用意はしてきていたわけですけどね。まだ子供のちいさい皆さん。子供の習い事より将来のために、貯金しましょうね。うわお。我が家の収入という現実と、果てしなくかけ離れているじゃん。学校の授業料などは、ババサマたちに寄生してます。しっかり、パラサイトファミリーです。コレも出していたら、家計は、はてしなく、ありえなーい。ですね。大学の授業料 530000円都立高校授業料 200000円とにかく!!! 今年は少し、締めようと、思いました。 ↑私愛用の家計簿。ずーっとこれです。 シンプルなので使いやすい。 その年のカレンダーにあわせて日付入りなので、 分かりやすい。 とってもいいです。
2009年01月06日
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美術部と写真部に入ってる娘がとうとうお年玉でデジカメを買いました。オダギリジョーが宣伝してるキャノンのIXY。 うれしくって家の中で家族の顔をとりまくっているのだー。わずか数年で、値段も同じくらいで格段にいいものが売ってます。すごいね。キャノンは、一番に派遣ぎりをしたことで、評判落としているけれど、お店にいてカメラ選んでいる時は、そんなことは二の次でした。だって、たしかに、キャノンのカメラが一番デザインがよくてかっこいいのだもの。いや、かったのは、娘ですけどね。いろいろ見ているうちに、コレが一番かっこよく見えて。娘に、これこれ、これがいいと、勧めました。ほかには、浅田真央ちゃんの宣伝してる奴と、エビちゃんの宣伝してる奴。とにかく、カメラメーカーのものです。で、結局売り場でも一番人気の今一番売れている奴。しかも、これ、金色のやつ。他には、金色ってないんだよね。裏側がアーミーブラウンで、なかなか渋くて、大人っぽくて。男の人をターゲットにして売ってる感じですね。うんうん。でも、娘はこれの、銀色の方を選んだのだ。なぜ、この人はこんな趣味なのだ。わからん。 でもって、このカメラ縦置きが出来る。でもって、シャッター切ると、パシャンていう、シャッター音が出るのだ。でもって、電源入れたときにシャランていう音が出るのだかわいい。というか、3ぱたーんくらいあって、選べるらしいです。娘よ。母のデジカメと取り替えてあげよう。うふふ。
2009年01月05日
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今年も初詣は成田さんでした。やっぱりね。出店はいっぱいあるし、大きいし、広いし、楽しいのだよね。 そして、ものすごい人手でした。高い石段を登るのに、すごい人人人。あまりにも危ないので、警官だか、警備員の人だかが、総動員でした。スピーカーで、あわてず急がず、前の人を押さずにのぼってくださいといってました。でも、本殿の中ではもうやっぱりぎゅいぎゅい押されました。ちょっち怖かったかも。 おみくじも引いて、破魔矢を買って。今年の初詣はも楽しく終りました。そのあとは、じゃがバタと、大判焼きと、タコヤキを食べました。例年ここで絵も売ってます。大体は技術だけで描いた絵なのですが、最近はたまに、何作か作者のオリジナルなものがあることがあって、結構いいなと思う作品で会うことがあります。今買っておくと、あとで高くなるかもと、考えるけれど、その数万円が惜しくて、やっぱり買えません。今回は犬や猫などの動物を書いたものがあって、面白かったのだけどな。帰りは、インターの近くの手打ちそばやさんに始めて入りました。ここもなかなかよかった。手打ちのお蕎麦屋さんってなかなかないのです。来年も出来れば食べたいです。
2009年01月03日
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『蟲師』 原作しっかり読んでますが、原作の雰囲気を壊さないなかなかの秀作だったと思います。主役の蟲師ギンコ役がトレンディなオダギリジョーってどうよと、思いましたが、まあまあでした。たんゆう役が蒼井ゆうちゃん。原作にはないギンコとのラブニシーンでした。でも、なかなかよかった。 ただ、ラストが原作と違っていて、よくわからなかった。あのラストはどんな意味なのでしょう。うーん。 でも、日本の昔の時代、たぶん、明治から戦前までのいつかの時代という微妙な時代設定のファンタジーでした。今のCG技術のおかげで、今まで出来なかったことも実写でやりやすくなりましたね。とくに、たんゆうの書いた文字が巻物からにげだしてしまったりするシーンとかね。 なかなかよかった。 『憑神』 ほんとにぜんぜんわけわかんない作品。ぜんぜんおもしくなかった。やっぱり、浅野次郎ってつまらない。どうして売れてるのか、映画化されるのか。理解できない。 『荒神』 ネタバレしますがね。 荒神なのは、宮本武蔵です。という設定。 で、私個人の予想として、荒神と戦うもあ一方の武士は、沖田総司なのではないかと、思います。日本の歴史史上、一番有名な剣豪の二人。この二人を戦わせるとどうなるのかな。時代が違うから無理だけど、この二人を戦わせて見たいと、思ってる人結構いるのでは。 映画の中では、最後まではっきりいうシーンはなかったけれど、ポニーテール調の髪といい、絶対そうだと、思ってますが。 『死国』 栗原千明がでてるのですよね。昔は怖い話きらいで、この映画もDVDの表紙は、すごく怖そうなのですが、ぜんぜん怖くなかったです。お化けとしてでてくるのは、栗原千明だけだからね。 話の設定はまあまあですかね。 コノテノ話、普通は、死んだはずの女が生き返って、自分の恋人を死の国に連れて行こうとするのを、ヒロインが愛の力でたたかうというものだったけど、このお話は、あっさり、ヒロインは負けてます。しっかり、恋人は死の国に連れて行かれておしまい。うーん。なぜだろう。 ま、もともと、男は、栗原千明役の女のこのことがずーっとすきだったので、しょうがないのですかね。 まあまあかなという作品でした。 『クワイエットルームにようこそ』 子供も出来ないのに、ずーっと家にいることにたえられなくて、別れちゃって芸能界に戻ってきた内田有紀が、薬を飲んで精神病棟に入院という、かなり役どころ怖いけど、ぴったりかもーという、配役です。 コレも、蒼井ゆうちゃんが出てました。なんでも、できるのね。 結婚しても、同棲しても、子供を生むでもなく、家事をするでもなく、毎日お酒ばかり飲んでだらだら暮らす主人公明日香。 途中で子供を生んだらかわるかなーともチラッと思うシーン。最後にあたしって、ゥ在奴、だめなやつしょうもないやつなんだって、自覚するところで終る。 あのあとどうなるのかな。 まともに女になれるといいね。 女っていう存在は、セックスすることでも、スカートはくことでも、口紅ぬることでもなく、子供産んで育てて、姑ともめたりしながら、社会の中で、生きていくことなんだと思うの。 明日香ちゃん女になるんだよ。 『犯人につぐ』 「あいしているといってくれ」で、ちょっちファンになったトヨエツ。でも、おじさんになったね。役者仕事とはいえ、自分の子供を死体の役として映画にだすなんて私はいやだなーっと、思いましたが。 刑事ものあきました。 普通の話だっただけかな。 『めがね』 「かもめ食堂」と、同じ波長の映画ですね。どっちがいいかとも話題になってますが、「かもめ食堂」の方がよかった。お話がわかりにくいというか、ぼかしすぎてる。人生がちょっちいやになって、南の島にやってきたヒロイン。できればほっといてほしいのに、やたらかかわってくる宿の人たち。そこに、ヒロインをおっかけてやってくる男の人。話をさばさばさせるために、話ぼかしすぎ。 やってきたのは、ぜったいヒロインに惚れてる同僚の先生だと思うんだけどね。ヒロインの職業は先生。先生だから、長期休暇を利用して旅行できてるわけですね。だからこそ、同僚の先生も追っかけてこれる。 ヒロインは何かに傷ついている。なににきずついているのかは、最後まで、わからないので、見る側のそうぞうにまかされる。 恋人との揉め事というより、担任していた、生徒になにかあって、ショック受けてたのかもしれませんね。 新学期があるので、かえっていって、お話は終わりでした。『初雪の恋』宮崎あおい主演。設定としては、悲恋になるほどの話なのかが、疑問でした。父親が死んでから、おかしくなった母親。その母親にからんで家に出入りするようになったへんな男。そのせいで、恋人とわかれざるをえなかったヒロイン。ヒレンなるほどの設定で、しょうか?困っているなら、だまっていなくなられるよりは、相談してほしいと、思うのですが。男の子の性格が軽すぎる。あおいちゃんかわいかったです。
2009年01月02日
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あけましておめでとうございます。本年もよろしくおねがいいたします。今年はいい事がたくさんありますように。
2009年01月01日
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