全38件 (38件中 1-38件目)
1
子供を私立中高に入れると、親同士の顔合わせのためのお食事会なんてのがあって、都立校とか高校だけの私立はどうなのかしらっと思うんだけど、そういえば幼稚園のころもやっぱりお食事会ってあったわねぇ。まあ、顔合わせはおいといて、都内のたかーいレストランなんて普段めったに行かないし、家族でいくとお金かかるから一人分の経費ですむのはなかなかはずせないイベントなんである。なにしろ卒業しちゃったらもうありえないし。それで、今回は担任の先生もご出席で先生の方も内心どきどきだったりするんだろうか。それで先生のお話なんかも少し聞かせていただいて、お話をしながらおいしいランチをいただく。高1の男の子なんて母親に学校の話なんて言わないし、言ったとしても自分にまずいことはもちろん言わないし、なかなか情報もはいらない。思わず先生に「うちの子馬鹿なことしてませんか」なんてお尋ねしちゃうお母さんもいて、はたから聞いてる私にはなんだかよくわかないんだけど、話は当人にはものものしい内容らしかったりする。自分たちも聞きたいけど、怖いから、ほかのお母さんたちとか、私なんか「しーらないっ」ということで学校にお任せである。よっぽどひどいことすれば、さすがに学校から電話もかかってくるだろうし、そんな時はこわいよなぁ。どきどき。高1なので受験はまだまだなんだけど、ここでちょうど文理わけを決めたあたりで、先生に自分ちの子が「どっち選びましたか。」なんて聞いてたりする。子供はおしえてくれないのか、あるいは完璧子供の自主性にお任せなんていうご家庭もあるわけです。うちの場合は、私もだんだんめんどくさくなってきて、しかも大学受験のシステムが複雑でよくわかんないし、本人は何やりたいのかもっとわかんない上に、どっちをえらんでも、とりたい科目をどうにもとれなくなったりするというわけわかんないシステムなので、私はいよいよめんどくさくなってきて「勝手に決めてね。」と長男に言っては見たけど、やっぱり最終決定で、「どうしようかな」と長男が言うんでまたまた私も口出ししてみたりする。最後は自分で勉強するしかないし、再来年には自分で考えるしかないんだろうなと思いつつ、最終決定の届け出をだす。それでも、こういうところで子供の成績を赤裸々に話し合うなんて恐ろしいことは当然できないので、当たり障りのない話をしつつ、うちの子は勉強しなくてーと毎回みんなで口をそろえていて、本当の所はちっともわからないままなのである。それでも、少しは受験の話とか、受験のシステムの話とか、特に最近は受験のシステムが複雑であまりにも複雑なので、受験案内を読むのも面倒で、とりあえずよそのお母さんから情報収集の一部だと思って説明を聞かせてもらったりする。話をしながらほかの人とスピードをあわせてたべなくっちゃならないので、口の動かし方も二通り必要だったりする。「これからどんどん成長していきますよ。しっかりしてきますよ。」と先生がおっしゃるので、母たちは頼りないわが子を思い出しながら、そうかなーと思う。とりあえず先生の言うことを信じて安心してみたりする。でも、自分の高校生の頃なんてそんないきなり成長したかなぁ。高1なんてまさに少年と青年のはざまにいる感じ。そして数年後に受験をひかえて、口には出さないけど母たちの心中は不安でいっぱいなのである。それでもとにかく、お食事会も終わって、先生に花束なんぞお渡しして、記念写真もとって、先生来年もがんばってくださいねっと言うことでお食事会もおしまいである。「お土産買ってきてね。」っというだんなの言葉を思い出して、途中都内のデパートでおいしそうなお弁当を買って、家に帰るのでありました。さあ、いよいよ明日から中学受験だ。そして在校生はたのしいたのしい受験休みである。↑結構参考になりました。しかし在庫がない。
2006年01月31日
コメント(8)
嫁姑で仲が悪いのはよくある話。私の母と私の祖母もまた、仲は良くなかったらしい。私は子供だったわけだから、実際のところはわからない。母からの話しか聞けないのだから、無理もない。そして喧嘩の話というのは、一方からだけの情報では判断はできない。そしてある日祖母は家出してしまった。家出したあとどこに行ったのか、その後どんな風に暮らしていたのか子供だった私にはもちろんわからない。父も母も祖母のことでいろいろとあったらしい。その後、また最後は、うちに戻ってきましたけどね。 母が祖母をけなす。大嫌いらしい。自分が嫌いだから当然私も祖母のことを嫌っているだろうと考えるらしい。「あなたもおばあさんきらいでしょ。」と私に同意を求めてくることもあった。 でも、私はちょっと違うんですよ。一度だけひどいことをされたことはあるけれど、それ以外には子供の頃は結構面倒をみてもらったし、母は今の子育てのように私を連れて公園通いなんてしていないから、母と過ごした時間より祖母とすごした時間の方が多い。母と祖母の間のいさかいは子供の私には関係のないこと。 けれど母にはそんなことは関係なく祖母が嫌い。私の前で祖母を嫌いと言い、祖母のすべてを否定する。確かに祖母の性格には無理のない部分もあったかもしれない。 でもね、 母にとって祖母は100パーセント他人だから嫌ってもいいさ。でも、私にとって祖母は他人じゃないのだ。私の中に四分の一祖母の血が入っていて、私の四分の一は祖母の部分を含んでいるのだ。だから母が祖母をけなす時、私は私の四分の一をけなされているような感じがするのだ。 祖母が持つ悪い部分を私もまたこの身の内に四分の一持っている。 そして母が祖母を嫌うとき、私の心の中で小さなとげとなって私を傷つける。 私が人生のいろんな部分で自分のマイナスの部分に絶望する時、その小さなとげが私の心につきささる。母が否定した祖母の存在が私の中にも四分の一確かにあって、私が持つ欠点は、母が嫌った祖母の性格の一部なのだろうかと絶望する。そのちいさなとげはずっと私の中にあって私の心にちくりとささる。 母にとっては他人でも、私には一生切れることのない自分の一部。嫌いでも、いやなやつでも、どうしようのない部分があっても、その一部をこの身のうちに受けついでしまっていて私の一部なので、母が祖母をけなす時私は私を否定されているようでつらい。 「あなたもおばあさんきらいでしょ。」と母が言った時、「でも、わたしの性格もおばさんと同じかもしれない。」と私は答えた。母は驚いた顔をした。 祖母はもうなくなってしまったので今はもうそんなことは遠い話でしかない。母にとっては。 『カトルカース』は四分の一という意味の言葉で、英語だかフランス語だかわかんないんですけどね。と、思ってたんですけど、今調べ直したら、『カトルカース』は四分の四という意味。で、四分の一は『カール』なのです。カールとカールとカールとカールを足してカトルカースになる。それがつまり『一』なんだな。ひとつづつのカールもそれぞれに微妙な存在だったりする。『カトル』はフランス語の四という意味の言葉で『カース』は『カール』の複数形。たぶん。ちなみに『うカール』うまいよー。↑萩尾望都先生の作品に『カトルカース』というタイトルの作品があったのです。この本に入ってるらしい。クローン再生された自分の体に自分の記憶をいれたら、それはいったい誰なんだろう。
2006年01月30日
コメント(10)
昨日、宮崎監督が書きたいものが見る側には受けないという話を書いたけれど、それってつまりブロガーにも言えるわけでして。ブログを書いていると自分の書きたいことと、来訪者の読みたいものとがどの位置でかみ合っているのか、同じように疑問なわけです。うけをねらえばオチャラケタ楽しい話の方がいいだろうと思うわけで、私なんかそのあたりから一番遠いところにいるなーと思ってますが、その一方で受けを狙ったものが思いのほか受けなくて、こんな難しいめんどくさい話、誰が読むんだろうと思いつつアップしたものが読まれていたりもするわけで。ほんとーに書いている側にはよくわからない。よくマンガや小説やドラマや映画で小説家が作品づくりに苦しむエピソードがあるけれど、うーん私もそんな心境をつくづく理解しちゃいました。ただ、読者におもねって書いていくとだんだん自分自身が何をかきたかったのか、自分でわからなくなっていくということもあって、失礼なことを書くまいとすればやはり書くことは制約されてくるし、表現の自由からも外れていくわけで、誹謗中傷を書かないのは当たり前としても、どこまで自分の意見を書けるだろうかと考えるわけですね。たまによそのブログを読んでいると、「どこそこのブログでものすごく決め付けるような不愉快なことが書いてあって」と書いてあるんだけれど、不愉快だったら読まなきゃいいわけで、不愉快だろうときめつけだろうとそれはその作者の意見なわけで、読む人が不愉快だから書くなというのも変なんじゃないかと思ったけど、「よそのブログに不愉快なのがあって私は不愉快だった」という意見を書くのもまたサイト主の自由な意見としてとらえることができるわけなので、そんなこと書いちゃいかんというのも制約をつけるようなもので、あいかわらずどこまで書いていいものかなーっと考えてみちゃうわけです。まっブログなんて書きたいことを書きたいから書いてるわけで、言いたい放題です。だから勝手に読んでください。そんでもって反対意見なんかも好きなようにつけてください。というわけでコメント欄も開いているわけですね。別に商売で書いてるわけじゃないんだから、読者の意向に関係なく書きたいことを書いてりゃいいのがブロガーだから、友達がうっとおしがって逃げていくようなしちめんどくさい話が盛りだくさんなわけです。それにしてもたまに気を抜いて適当なことを書いていると、途端にびしっと指摘されて、突っ込まれることもあるのでやっぱり油断できません。 ところでですが、みなさん、日本ブログ大賞投票しませんか。
2006年01月29日
コメント(2)
昨日ジブリの新作の話を書いたけど、サイトをよく見ると監督は宮崎駿さんじゃないのだ。宮崎吾朗さん。どんな人かな。情報不足である。 実はジブリアニメは教訓がないというコメントをもらって私はえええええっと言う感じでした。でも、確かに『もののけ姫』を始めて見た時は私も、このアニメのテーマは何?という感じてぜんぜーんわからなかった。あまりにも作品の質が高すぎて、深すぎてストーリーがよくできすぎていて一回見ただけじゃ作者のいわんとするところが読めない。私も読解力ないんだなぁ。『もののけ姫』の中では完全懲悪のストーリー展開はされていない。こいつが悪者っていう明確な役わけはされていない。しいて言えば森の主の頭を盗もうとしたやつ。かな。それぞれがそれぞれに自分にとって必要な行動をとっているので、それが結果的に悪いことであっても、必ずしも悪いやつだとは言い切れない感じの展開なのですね。 あの話の中では「たたら」がでてくるでしょう。ようするに「製鉄」ですね。鉄を作るわけですからすでに森や自然に悪影響がでるわけです。もうこんな昔の時代から環境破壊は始まっていたんだな。と認識を新たにしてしまいましたが。たたらが出てくるのだからストーリーの舞台は中国地方あたりかな。でも、あの話はヤクという動物とか出てくるので、舞台は日本のようで日本じゃないのでしょうね。 森を破壊しようとする人間に対して、森の怒りはいろんな形で表現されていますね。森と自然の象徴であるサンと人間社会を象徴する主人公はラストで話をしますね。なんとかそれぞれの思いを組んで折り合いをつけてやって行こうじゃないかと。自然と、人間の作り出す産業とはあいいれないもの。にもかかわらず人間というのは、自然を破壊することになる産業が必要で、にもかかわらず自分たちが破壊してしまう自然がなくても困るという、見事なばかりの自己矛盾を持って生きていかなきゃならない、不思議な生き物であるのですね。 『千と千尋の神隠し』の中でもやはり環境破壊が描かれていますね。この作品が宮崎監督の最高傑作だと私は思っております。この話の場合は環境破壊がすべてじゃなくてほかにもいろんな要素が含まれていますが。おくされ神がやってきて、油屋の風呂の中で浄化される。神を汚していたのはたくさんのごみ。自転車なんかも出てきて、人間が川にすてたたくさんの粗大ゴミやふつうのゴミがいかに自然を破壊しているのか見事に見せてくれますが。 さて、ジブリアニメの中で『紅の豚』はどーも、面白くなかった。それと『となりの山田くん』これもいまいちだったみたい。で、宮崎監督にすればこの二作品が一番思いいれがあるらしいのです。でも、評価はいまいち。アニメは女子供が多く見ているので男のロマンなんか語られてもうっとうしいからね。ジブリアニメは徹底的にかきこんだ画面の美しさが人気だから原作が四こま漫画の作品てのもなんだか料金ごまかされたような気がするしね。というわけで、作者の書きたいことと読者の読みたいものが必ずしも一致しないのはよくある話。 でも、ジブリはいいよーと個人的に宣伝したい。ところで調べ直したところ『となりの山田君』は高畑監督作品のようでした。失礼しました。製作者は一生懸命作ってるんだけどね。
2006年01月28日
コメント(4)
なんと次のジブリの新作はあのファンタジーの傑作『ゲド戦記』なのだそうです。 びっくりです。そしてうれしいです。ファンタジーでなにが好きと言えば私はこの『ゲド戦記』が一番好き。『ロード・オブ・ザ・リング』もいいし、『ナルニア国物語』もいいけど、私は『ゲド戦記』が好きなのです。そしてスタジオジブリがこの作品を次回作として選んだというのは驚きです。私は『ハリーポッター』は世間で騒ぐほど面白いとは思えないんだけど、ハリーポッターのおかげでファンタジーの名作がつぎつぎと映画化されてうれしい。 でも『ゲド戦記』の映画化はハリーポッターの力に関係なくジブリのアニメ力。 今年の夏が楽しみ。 ゲド戦記を書いたアーシェラ・K・ルヴィンも好き。彼女の作品のきりきりっとしたピーんとはった糸のような透明感と文章の美しさ。 ゲド戦記は人の中にある善と悪の融合を描いたおはなし。ファンタジーはほとんどが光と闇の戦いがテーマなんだけど、ゲド戦記はその光と闇を人の心の中にあるものとして描き出したファンタジーなのです。人間は善の部分だけではなりたたない。必ず悪のこころ、闇のこころ、を持つもの。そしてそれは決して消し去ることはできない。自らのうちにある影の部分もまた自分自身の一部として認め、自覚し、制御していくものとして、ファンタジーの姿で描かれた物語なのです。 ハリーポッターのように主人公のゲドもまた、魔法使いとなるべく魔法学校に入学します。そしてやがてアースシーの歴史に残る偉大な魔法使いになりますが、ゲド戦記では彼の華々しい活躍の場面を描く部分はほとんどなくてわりと地味な部分のお話が多い。ゲド自身が自分と戦う内面の世界を描いた話が多い。 人間は弱い。ちょっとした時にふらっと闇の世界に傾いてしまうもの。そのぎりぎりの一線を越えるか踏みとどまるかどうか。その時、人を踏みとどまらせるものはなんなのだろう。それは人のもつ心のつよさ。あるいはこころの中にある愛する人の温かい影なのだろうか。光をもった影があるのだろうか。私は親として、私の子供たちが心の闇の境界線に立った時、踏みとどまらせるほどの力を持つ光とぬくもりのある残影を彼らの中に残すことができるのだろうか。 どこまで人は自分と向かい合っていけるのだろう。主人公ゲドは『ゲド戦記』第一巻「影との戦い」の中で、自身の心の影と向かい合い自分の一部として認め、わが身のうちに受け入れることをひきうける。 というわけで宮崎先生もブログを書いてます。必ずしも原作どおりのストーリーではないらしいので、『宮崎版ゲド戦記』がどんな物語となって私たちを感動させてくれるのか、とーっても楽しみです。↑『ゲド戦記』全六巻セットですでに発売が始まってますね。
2006年01月27日
コメント(6)
ホリエモン事件はますますテレビのニュースとワイドショーを賑わせていますね。ホリエモンが悪者なのかどうかはもちろん私にはわからないんだけど。 ホリエモンのおかげで拘置所がどんなところか少しだけわかった。それにしても拘置所ってまるきり牢屋。豚箱。その中ではねっころがってもいけないらしい。新聞は十五分しか見れないし、テレビももちろん見れないし。すでに犯人扱い。でも、容疑者ってまだ容疑者であってもしかしたら悪いことしてるかもしれないからっていう設定なはずなのにどうしてすでに犯罪者の扱いなのか。 映画『半落ち』を見ていても思ったんだけど、容疑者役の寺尾聰は青い紐で両手を縛られていてまるで猿回しのサルみたいなのだ。 ずいぶん人の尊厳を蹴落とすようなことをする。プライドもなにもかもずたずたな感じ。まだ、裁判もしてないし、判決も出てないし、あくまで悪いことしたかもしれないってだけの普通の人なんじゃないのかな。 もしも私が無実の罪で捕まったらあんな扱い受けるんだろうかと想像したらすごく怖かった。 裸にされて、私物を全部取り上げられて、狭い部屋に閉じ込められてねっころがることも禁止されてサルのように縄で縛られ、やってもいないことをやったというまで攻められ続ける。 容疑者としてやりましたと言わないかぎり裁判を受ける権利が与えられないなんてなんかおかしくない? という話をしたら長男が「それは確かにいやだけど、そもそも容疑者として捕まったら、やっててもやってなくてもまず有罪にされちゃうよ。」っと言う。そうか。 昨日のニュースで、名古屋地裁で長い裁判の末に無罪判決が出て「みなさんのおかげです。ありがとうございました。」と言うニュースもありましたね。 こんなことは逆に珍しいのが現実。です。だからこそニュースにもなる。 一度容疑をかけられて捕まえられたら拷問のような日々が待っている。本当に悪いことをしたならいいさ。仕方ないさ。でも、何にもしてないのに捕まっちゃったらどうしよう。自分にはそんなことおこんないと思っているでしょ。でも、人生何があるかわかんないからね。まるで江戸時代の頃の拷問と変わんないんだよね。でも、こういう裏事情って、こんな風にニュースになったり、映画やドラマで見ないと普通に生活してたら知らないまんま。だからあまり世論に上らないし、ふつうの人がこんな目にあうことはすごく珍しいので問題視されにくい。こわいね。 こんな風に容疑者にむりやり自白させなきゃ話が先に進まないようなシステムも私はなんだか納得できない。 捕まえる仕事をしている方にすれば、とにかく本物の犯人かどうかより、とりあえず仕事しましたってことのほうが大事らしい。 そして彼らの頭の中では容疑者は悪者。人間じゃない。とにかく悪いことをしましたと、どんな手段を使ってでも言わせることが仕事だから、容疑者よりも上の立場にいる偉い存在に変化していく。 映画の『エス』ってありましたよね。スタンフォード大学で、研究のために普通の人を使って、囚人と看守の役に分けて、実際に監獄のような場所で囚人、看守をやらせたら、どんな行動をとり、どんな風にそれぞれの心理が変化していくか。という実験が実際にあったことを映画にした話。あたしは怖くて怖くてどうしてもビデオやさんで借りることができなくて、こないだテレビで放送してちょっとだけ見ましたけどね。 人間て怖い。
2006年01月26日
コメント(12)
母はちょうど戦時中に学童期を送ったのできちんと学校教育を受けそびれてしまっている。その上成績が悪かったらしく、姉にも妹にも負けていた。末っ子の弟にもまけているので、コンプレックスがあるらしい。私から言わせれば、明るくて話が上手で宴会なんかあると、その場を楽しくするのがうまくて、すごくうらやましい部分がいっぱいある。お母さん、英語なんか読めなくたって、勉強なんかできなくたって厳しい時代を必死に生き抜いて子供二人育てたんだし、私なんかより人付き合いもうまいし、私の方こそうらやましいんですよ。と言ってあげたいけど、うまくタイミングが読めなくて言えずにいる。それでも、よそのお母さんたちより料理が下手で片付けも下手であんまり女らしくないので、やっぱりそれもコンプレックスになっているらしい。おかげで私もその部分しつけてもらっていなかったので、社会に出て苦労しました。 戦争がなくてちゃんと学校教育うけたなら、ちゃんと身についたものがあったろうにと思う。 今時は親のしつけがなってないってよく言うけど、親ができるしつけなんてたかが知れてます。有能な親も要るけど無能な親もいるからね。学校教育による部分て大きいと思うよ。昔は子供の周りの大人がみんなでしつけていた部分もあるけど、今時は「こないだしつけの悪い子供を見た。親のしつけがなってない。」なんて新聞に投票して終わりですからね。投票して批判すれば自分は気持いいけれど、どうしてその場で大人として注意しないんですかね。自分の責任は放棄しといて親が悪いと言えば簡単だし気持いいし、責任果たした気にもなるし。でも、注意できないのは、うっかり注意すれば注意したこっちの身があぶないから。しかたないと言えばしかたない。でも、母親一人で全てを請け負わなければならない今の子育てはきびしいですね。子供にきっちりしつけていくのは。働きにいってる母なんてしつけをしている暇もないです。しつけなんてそんなに簡単にできるもんじゃない。本来子育てなんて社会全体で請け負っていたはずのものなのになあ。でも今は転勤、転勤、転勤でしょう。その土地に根を下ろして暮らしてないから、よその子をしかるための地盤が大人の方にも育たない。 こないだ映画を見に行ってその途中でポスターを見かけた。子育ては社会全体でやろう。子育て中のお母さんは大変です。ちょっとした時手伝ってあげてください。というようなことが書いてあったと思うんだけど細かいこと覚えていません。メモしとけばよかった。 しつけや社会のルールや困ったときの手助けやいろいろ手伝ってほしいと思います。手伝いたいと思います。でも、なかなか難しいのも事実。 それでも、こんなポスターが張られるようになってきたんだなあとちょっとうれしかった。本当はこんなポスターはらなくてもいいような、そんな世の中ならもっといいんだけどね。 ↑さくらちゃんの子育てはテレビで見たので藍ちゃんはどうやって育ったんだろうと思ってました。「学校一番、ゴルフ二番」、世の中いろんな子育てがあるんですよ。
2006年01月25日
コメント(4)
昨日人脈売りの話を書いたけれど、会社の接待も要するに人脈売りだよね。 ゴルフって本当に接待なのか。接待するほうがやりたいだけなのか。話はとっくに決まっていてゴルフが接待なんてうそでゴルフがやりたいだけなのか。 こないだ新聞を見ていたらどこぞの大学の商学部。大学の単位にゴルフとか乗馬とかはいってるんだそうです。経営や、商売に人脈は大事だから人脈で商売するためにはゴルフとか乗馬とかできなきゃいけないから大学で教えます。ということらしい。ほかにもヨットとかヘリコプターの免許も単位として加算されるんだそうです。 私はあまりのことにぶっとんだ。大学がこんなことまでやるんですか。まちがってるよ。大学ってなに。 どうも入学者の中に会社の二代目が結構いるらしい。だから人脈で商売するためにゴルフは必修なんだそうです。どこかのばかな御曹司が大学に楽しく通うためのカリキュラムとしか思えない。こんなのが会社継いだら絶対つぶれるって。 人脈は大事だと思いますよ。やっぱり。世の中と仕事を円滑に進めるためにもね。人脈ってばかにならないだろうな。でも、人脈だけに頼って商売したって限界があるんじゃないかと思うのよね。 最初は人脈で商売してもその後はやっぱり経営者の腕。いい商品。いい技術。いい経営。だよね。 よろしく。 だってね、ゴルフや宴会なんかで仕事決められてるんじゃ女が出世できないもの。料亭で、宴会やって裸踊りして笑いとってなんて女には入っていけないし、そういう場に女がいたらしらけるし、男だけのえへへたのしいねーって世界だからさ。男女共同参画って、まずこういうところを改善しないと先に進まないもの。 だから、もう人脈に頼るような仕事やめてね。 ↑主人公の少年は南米出身。 くらーい過去を持つのでありました。 でも、お話の展開はあかるいけどさ。
2006年01月24日
コメント(10)
友達が久々に電話してきたなっと思うと「あたし生命保険はじめたんだ。」あっそうですか。「それで説明会があるんだけど一緒に行かない。」勘弁してください。私、生命保険の話ならいいです。「じゃあ年金の話あるからいかない。」……。生命保険はいいです。「だから年金だよ。」…。「あっそうか年金も保険だね。」あたりまえじゃー。 主婦が子育てに一段落すると働き始める。それは結構なんですけどね、パートじゃどうも儲からないというわけで横に流れる。「化粧品初めたの。売らないから化粧の練習だけさせて。」おかげで私の眉毛は、失敗作だ。 化粧品まではいいさ。しょうがないから付き合いでローション買ったさ。ローションなら四千円くらいだしね。 でもね。 保険はそういうわけにはいかない。 「説明会聞きにこない?」いいです。いま子供いるし。「いい加減、子離れしなきゃだめよー。」こういうせりふってね。生命保険会社の新規社員講習会で、必ず教えるマニュアルに載ってるだろうことがありありとわかる。相手のためを思ってますといわんばかりのセリフだが、絶対マニュアルのせりふだ。いかにして友達を説明会に引っ張り出して保険に加入させるかである。 いい人なんだけどね。この人。なのになぜにこう次から次へと友達を金儲けのネタにするかな。 生命保険会社はよく主婦を使う。世間知らずだろうと、使えなかろうと、とろかろうと、ばかだろうとそんなことはどうでもいい。ちょっとあんまりな表現だな。許して。 現住所に何年も住んで、子供を育てていればそれなりの主婦つながりの人脈ができる。保険会社にすれば、そのあたりが商売の元。ペーペーの主婦を本気で保険社員として育てて使おうなんて考えていない。 要するに主婦の周りの人間関係。親、兄弟、親戚、友達そのあたりを人脈の泣き落としで、あるいはお情けで、契約させればそれでいいのである。そのあと数年保険料を払ってくれればいいのである。 一通り人脈のつてで契約をとれば、その先はもう普通の主婦が見ず知らずの人間に保険の契約をとるなんてできるわけもない。(いや、中にはそれができちゃうつわものももちろんいますけどね。)その先のノルマなんてできるわけがないから、主婦外交員は、そのあたりで保険の仕事をやめる。契約後の保険のフォローなんて期待できない。保険会社も最初からそのつもりである。そして契約者は数年保険料を払って満期を待たずに適当にやめる。おかげで保険料をとっても支払いはない。(もちろんある程度はかえってきますが。)儲けはあっても損はない。だから、そのためにそんな主婦を次々と雇う。 それで私がつけたネーミングが『人脈売り』 本気の商売とは程遠いよね。 多いんだよ。主婦の世界はこういうのが。うちは給料少ないんだからさ、勘弁してください。こういうの。 ちなみに最近は保険のテレビコマーシャル増えましたね。保険外交員なんか使わずに、その分保険料を安くして、パンフレットで説明して。無理やりの契約しませんね。よかった。 かなり、毒舌かも。勘弁して。↑うまいんだよね。成田美名子さんて。 私もこんな才能ほしいよー。
2006年01月23日
コメント(8)
子供の頃は朝、起きるのがつらくてつらくてしんどかった。低血圧だからと思っていたけど、別に低血圧なわけじゃなかった。大人になってみると結構朝起きるのは昔ほどつらくない。大人になると体のバランスが取れてきて、子供の頃ほど早起きはつらくない。ところで子供の頃から早起きの人間がいる。こういう子はよさそうだけど、実は高血圧だったりする。だから若いころはいいけど大人になってから高血圧で苦労するぞー。うちのダンナが高血圧なのよ。休日でも結構早く起きてきたりする。その代わり血圧高めなんだな。コレステロールでも、ひっかかるのですよ。 早起きは体にいいって言うけど、私は早起きするとそのあと昼間に眠くて眠くて、家にいるとすぐ昼寝に突入してしまう。ビデオを見ながら寝て、本を読みながら寝て、これじゃ早起きしてもちっとも一日を有効になんか使えないよー。医学的には夜中の十二時前後に寝ているかどうかで決まるっていうけど、私なんか明け方から八時、九時までの時間に寝てられるかどうかでぜんぜん違うのだ。この時間寝てるとかなり楽。 お年寄りは自分が年をとって、早起きになって退屈なものだから、相手がほしくて「早起きはいいぞ。早起きはいいぞ。」って言いながら、自分の相手がほしくて周りの人間をたたき起こしているんじゃないかと、邪推したくなってくる。なんてね。 それにしても冬休みの間、午前中ずっと寝てたうちの子供たち。おかげで一月のガス代が去年の二倍近い。春休みはせめて十時でたたきおこさなくっちゃ。それと夜更かしのしすぎは家計によくないので、次回から夜更かしが続いたら一人2500円払っていただこうかと考えている。今年の冬はすごく寒かったから、実は私もとてもよく眠れて、朝寝坊しまくったんだけどさ。 明日も早起きしてお弁当作って、子供たたき起こして学校行かせて、ああ眠い。東京、今日はとりあえず晴です。よかった!寒いけどさ。ブログルポ投稿中の記事★ 言葉はナマモノ★ 『男たちの大和』その2★ 女の子の世界はむずかしい★ 『東大法学部』★ 教えられたようにヒトは行動する★ ノー ボーダー★ 「反戦」を「キレイゴト」で終わらせたくないと思いませんか★ 女の人は本当に働きたいのか
2006年01月22日
コメント(2)
ホリエモン事件で東証パニック。少し遅れて海外株式市場にも影響がでてきましたね。ホントにまったくもう。 悪いのはホリエモン? ホリエモンだけじゃないよね。たかが一人の人間がちょっとルール違反をしただけでガタガタになっちゃう今の社会のシステムにこそ問題があるんじゃないかと思う。 今の世の中なんでも、数字。数字が少し動いただけで世界中が大慌てになるようなこんなシステムの方が悪いんだと私は思う。 いい大人が働きもせずに一日中機械の前に座り込んで数字のダンスに一喜一憂して儲けたの損したの騒いでる。 社会への投資がいつのまにか数字だけが踊る株式のシステムに変化して、株式はいつの間にか儲けるための道具としてしか認識されなくなっていて、やらなきゃ損なような報道の魔法につかまってしまっている。 株の意味も、あり方も意義も考えず、ただ買って売りさえすればいいものなのかとまるで宝くじでも買うかのように働くことがばかばかしいかのように人から人へ語り伝えられていく。 かつてのブラックマンデーのようにたった一つの事件が世界中を躍らせるようなそんなやわな世界をいいかげん変えていってもいいのじゃないかと私なんかは考える。 風が吹けば桶屋が儲かるようなそんな時代はもういい加減にして 経済のシステムは変わらないのだろうかと考える。 社会のための労働がきちんと評価されて対価がちゃんと正しいところに届くようなそんな世界はどうやって作っていくのか。かならずわかるはずだと私は思う。 ホリエモンが歌えば世界が踊る。↑もう一回読んでもいいかな。
2006年01月21日
コメント(2)
キッカットから。『あなたの夢が、かないますように☆』BY 鈴木 杏
2006年01月21日
コメント(0)
雪の向こうに何がみえますか。『今日も、がんばったね。明日も、がんばろっ!』BY KIT KAT再来年は雪が降りませんように。
2006年01月21日
コメント(0)
東京は雪です。雪の特異日になぜ毎年センター試験なのか。『世の中は、君の理解する以上に栄光に満ちている。』BY G・k・チェスタートンチェスタートンてだれだぁ。
2006年01月21日
コメント(0)
紅白ミニパックの中の応援メッセージがすてきだった。『成功は重要ではない。重要なことは努力である。』BY テオドール・ジュロファ再来年も売ってますように。
2006年01月20日
コメント(2)
桜のキットカットの味はなんか桜餅食べてるみたいだよー。『希望は強い勇気であり新たな意志である。』 BY ルター
2006年01月20日
コメント(2)
さくらさくキットカットかってきた。『君の心の庭に忍耐を植えよ、その草は苦くともその実は甘い。』BY オースティン
2006年01月20日
コメント(0)
キットカットうまいよ。『苦悩を突き抜けて歓喜にいたれ。』by ベートーベン
2006年01月20日
コメント(4)
一昨日コタツが壊れて新しいコタツを買いに行った。最近はヒーターの部分だけで売っているので5千円くらいの出費で助かった。コタツはふつうに買うと一万から二万はかるーくかかるのである。高い。家計に痛い。でも、必需品。本体はまだまだ使えるんだからヒーターだけ付け替えればすむのは助かる。だから今は暖かい生活に戻っています。最近こういうの増えましたね。でも、家に帰って壊れたヒーターをはずしてたっぷりついていたほこりを掃除したらまた動きだした。ヒーターのほこりはネジをはずしてヒーターを本体からはずさないと掃除できない。つらいところです。もう少し掃除しやすくつくってほしい。メーカーさんおねがいします。あのたまったほこりのせいで動かなくなっていたみたい。たまったほこりに火がついて火事になりそうで、私はちょっと怖いのですがメーカーさんどうなのでしょうか。でも、うちのコタツは前にも一度止まって掃除してまた動くようになったという経緯があるし、新しいのかってキちゃったからまだ動くけど捨てることにした。基本的に日本の家電は安いし性能いいし、壊れにくい。それでも、壊れたら直すより新しいものを買ったほうがいいようなシステムになっているので、ゴミが増えやすい。外国製のすごくいい家電は直し直し、何十年も使う。同じものを何十年も作っているから何十年たっても部品のスペアがあって修理ができる。そのかわりすごくほんとにすごく高い。どっちがいいのかは微妙。こないだテレビが壊れてさすがに買い換えた。古いテレビを捨てようと思ったら、回収の会社に出すために運送屋さんに頼まなければならなかった。その費用が五千円かかった。高いよー。我が家の場合は時々家電の回収業者がやってくる。前前回はその業者さんに持っていってもらった。ただ、だったからよかったけれど、先日新聞を読んでいたら、回収の手間代をふっかけてくる業者もいるのだそうだ。その一方でテレビで見たんだけど、回収して修理して東南アジアとか中近東とか海外に売るのだそうだ。日本の家電は性能がいいから人気なんだそうだ。ちなみに回収業者は回収したあとどうするんだろう。どこかの山奥に捨てるかもしれない。ほかには完全に解体して部品の一つ一つをリサイクルして使ったり、部品によってはかなり価値のあるものもあるらしい。このあたりどうなんだろう。家電の老後はいろいろなパターンがあるらしい。どうしてますか。みなさん。そういえばテレビが地上波になるって騒いでいるけど、電気屋さんに行くとまだまだ地上波のテレビはそれほど売ってないし、地上波で見られないテレビも結構売っている。よっぽど気をつけないと地上波の見られないテレビを買ってしまいそうなのだ。店員さんもそれほど親切に説明してくれそうな気配もない。商品の説明も地上波がみられるのかどうかわかりにくい。消費者の立場はどうなるのか。メーカーさんどうなのですか。今日はろくでもないことしかかいてないです。ごめん。ところでおとといのことなのですが祝10000ヒッツ!!なのです。今ささらこんなところでこんなことかいているずれた私。ははは。↑吉田秋生さんて女とは思えないんだよね。 すごく男っぽい話かけるんだよね。 全19巻完結です。
2006年01月20日
コメント(2)
ブログでホリエモンは面白いっていろいろ書いていたら話題のネタのホリエモンのところに地検が入っちゃって事件、事件の大ニュース。ライブドアの株価は落ちるし株価全体が落ちてくし、ほらね、ホリエモンいなくなると、ライブドアの株なんて価値なくなるじゃん。 六本木ヒルズに住んでるヒルズ族はみんな三十代らしくて、まさに、明治維新の志士たちと同じくらい。時代を変える現代の志士となるのかそれとも時代のあだ花で終るのか。この事態をホリエモンがのりきれるかどうかにかかっている。 学歴なんていらないさっと東大をちゃらっとやめたはいいけど、やっぱり受験のための勉強と大学での勉強ってのは違うわけで、ビジネス界で生き抜こうというのならやっぱりいろいろな知識がないと困るわけなんだ。第一ホリエモンは、文三だもんね。たしか文三は文学部なはず。ちがうかなー。経済とか、商科とか、経営とか、法律とかやっぱり専門知識がないとこういう時つらいですね。新しい企業を起こすときは確かにアイデア勝負だからいかに斬新なアイデアが出せたかが分かれ目なわけだけど、その後の企業を維持していくにはやはり専門的に経営を勉強していないと無理なんだろうな。だからアイデアで儲けてもそのアイデアをまねた同業他社がかならず出てくるわけでそうなるとあとはアイデアで儲けるというところから、経営技術で維持していくというように企業としての方向性が変わってくるわけで、ここまでくるとやっぱり創業者から、専門的に勉強した人に世代交代していかざるをえなくなるんだそうだ。ライブドアはものすごいスピードで成長してきたからそろそろ経営のプロも必要なんだろうな。でも、ホリエモンのアイデアはまだまだ枯渇しそうにない。 風説の流布が地検の入った理由らしいけど、こういう法規制にちょっと引っかかることなんてのはふつうみんなちょっとはやってるわけで、大概はまあ、みのがされているんだろうけど、今回見たいなのはようするにこじつけでなんでもいいから捜査したかったわけです。ホリエモンは頭よすぎて人の恨みを買うのがうまい。こないだ数ちゃんに言われてたのに、今ひとつわかってないというか、実際にうまくいかせてないというか。自分ほど頭のよくない人間の方が世の中には多いわけで、そういう普通の人たちの思考回路を察することができるようになると一段上に上れるんじゃないのかと思う。 ホリエモンはどうなるんだろー。ホリエモン危うし。 というわけであいかわらずよくわかってないシロート主婦がいい加減なことを書いているわけだ。 今日もホリエモンはテレビのワイドショーのネタうめに貢献しているようなのだった。↑昔ドラマになった話の原作でもありますね。 ホリエモンもイグアナ?なんちゃって。
2006年01月19日
コメント(4)
やっとサイトデザインを変えることができた。やったぜ。パラダイスってことで南国の花だらけっていうデザインにしたかった。でもどーも素材をうまくみつけられない。それでずーっとお花を探していったらこれがあった。この花なんだと思います?桃の花です。桜はちょっと早いしなーっと思って。でも。桃が咲くのは実は桜の後なのですよね。四月の初旬甲府盆地は一面の桃の花で、まっピンクになります。それはそれは美しいのです。 で、桃の花っていえば、桃源郷。学校で勉強するとでてくるでしょ。漢文で。「桃花源記」。ようするにアジア版パラダイスだ。ってことでこれもパラダイスといえばパラダイスなのさ。と、むりやりこじつけてサイトデザインを桃の花だらけにしてみた。まさにどっピンクのせかいだよーん。うーむ。私はピンク好きだけど、人によってはもしかしてものすごく不気味?かも。 さて、ブログの記事をかくのも大変だ。かなり書きたいことを書きまくってきたのでさすがに最近ネタぎれに近い。いやまだ書きたいことはあるんですけどね、ただ私の頭の中で熟成されきってない。完熟しないうちにみきり発車で文章を書き始めると結論が出てない分いまいちいい結末に展開していかない。書こう書こうと思いながら頭の中でごちゃごちゃにして保存しておくとある日ふっと思い立って書き始めたときはっとするほどいい展開をみせてくれる時がある。おおっ!!って感じでいいのがかけたりするわけだけど、まっそんなのはホントにごくたまーになわけで、あとはまあ適当に書き上げて、ちょっとした言いたいことなんかもあるわけで。 それで今つぎのネタを熟成中なんだけど、今日はうちのだんな様がお休みなので、映画を見に行って、それからコタツを買いにいかないとなりません。コタツがこわれたよー。この寒空にコタツがないのはすごくつらい。おかげで今日の我が家はパラダイスじゃないのです。いいコタツありませんかね。 ↑やっぱり少女漫画界の王者といえば萩尾望都さんだよね。先の読めないストーリー展開にわくわくしながら読んでたらあえなく四巻で完結してしまった。うーん。ほんとはもっと続くはずだったのではと想像しつつ。
2006年01月18日
コメント(8)
子供たちが中学校に入ってみたら、美術の時間が少ない。一時間しかない。お兄ちゃんは私立の進学校だから仕方ないのかと思っていた。ところが下の子が入った公立もやっぱり少ない。すごいショックだ。なにしろ昔、学校で一番好きだったのは美術の時間だった。美術みたいな科目は二時間なければできない科目だ。それにもかかわらず一時間しかない。なぜ?ゆとり教育は数学や英語や国語だけでなく美術にまで影響しているのだ。ものすごいショックだ。文部省に言わせると、そういう特別な分野は各家庭で自腹をきってください。ということらしい。今はどこにでも、いろんな習い事の教室があるのだから、美術をやらせたいなら自費で絵画教室に通わせれば良いだろうと言うことらしい。音楽ならピアノやそのほかの教室。体育も体操教室とか、サッカーチームとか、野球チームとかあるわけで。それは確かにそうかもしれない。でもね。美術に話を戻すけど、美術を通して身に着ける芸術的センスはなにも将来画家になろうとかデザイナーになろうとかそういう人にだけ必要なものじゃないよ。美的センスっていうのはもちろん個人的に差はあるかもしれないけど、教養を身につけようというのならある程度必要なものだと思う。 日産がつぶれたのは美的センスがゼロだったから。経営が下手だったわけじゃない。結局は経営が下手だったということになるけれど。日産には優秀な社員がいっぱいいた。優秀な技術者やデザイナーがいっぱいいた。にもかかわらずつぶれる前の日産の車はひどかった。とにかく泥臭かった。そして「熱血」といつもコマーシャルでぎばちゃんが叫んでいたけど、気合だけでものを売ろうなんてまちがってるよ。自分たちが儲けようっていう発想だけでお客に無理やり売りつけようなんて「なに考えてるんだよっ」といつもコマーシャルを見ながら、思っていた。それで。つぶれて、ゴーンさんがやってきた。今の日産の車は驚くほどかっこいい。ほんとにこれが日産の車?って思うほどかっこいい。私はあんまり車には詳しくないけれど、その私がみてもその違いははっきりとわかる。かつての日産の中ではいくら内部の社員がかっこいい車を作ろうとしてもセンスのない上司が「こんなもの売れない」といって片っ端から却下していたのに違いない。車を作る技術や経営だけを勉強してもいい車はつくれない。デザインを勉強していいクルマをデザインしたデザイナーの作品を、生産ラインにのせるかどうか決めるのは会社の上層部なわけだけど、その最終決定権を持つ人たちに芸術的センスがなければ、いくらいいデザイナーを採用しても意味がない。デザイナーだけではなく会社に責任をもつ人たちにもまた、芸術的センスは要求される。そうでなければ部下の作ったものがいいものかどうか見極めることができないのだ。いくらデザインしても採用されずにださいデザインのクルマが生産されていくのをみて、かつての日産の中でデザイナーたちは相当歯がゆかったのではないかと思う。 こういうことは日産だけに留まらないだろうと思う。日本の多くの会社の中でセンスのない上層部によって、いいセンスのものがつぶされてきているに違いない。そういうセンスのなさが会社の売り上げや、経営に影響しているものだろうと思う。技術や経営、経済、英語、数学を学ぶとともに芸術もまた重要な科目なんだけれど、今までの日本にそれは理解されていない。 あのルネッサンス文化を生んだイタリアのつくるクルマはかっこいい。国全体が芸術でできているような国だから、あんなクルマができるんだろう。クルマといえども性能がすべてじゃないのはクルマずきにとってももちろんな話なわけで。 フランスがいまだに世界のファッションのトップをきっているのも、デザイナーだけを育てているのではなくて、国民全体が、高い美術的センスをもってファッション業界を評価し、子供のころから芸術的センスの高い人たちにかこまれて、知らないうちにみにつけていくものがあるからなんだろうと思う。外国の大人は仕事の後にコンサートにいったり、お芝居を見たりして、アフターファイブを過ごす。しかるに日本のビジネスマンは残業するか、居酒屋か赤提灯で一杯飲んで帰る。休日はゴルフかごろ寝でつぶれる。美的センスの育つ暇なんかぜんぜんない。あんなものは女子供か軟弱なやつのためのものだと思っている。芸術に理解なんて期待できそうにない。だから美術の時間も平気で削る。ゆえにねずみのようなサラリーマンが日本の経済の泥臭いダサさをどんどん増強していく。美的センスは商品パッケージのデザインやテナント作りそのほかもろもろもいろいろすべてのビジネスシーンに影響しているってこと気づきませんか。だから会社によっては社員用のイベントとしてコンサートなんかを企画しているところもあるようだ。これは単なるレクリエーションではなく、社員の芸術性、美的センスを育てて、時代を読める感性を育てる上でもとても大切なイベントなのだ。 だから、美術は大事。この記事を評価する ↑音楽も大事。『のだめカンタービレ』のヒットのおかげでクラッシックの売り上げもふえているらしいです。マンガの影響力ってホントすごい。ブラームスのCDのジャケットイラストがなんと千秋様。うーん。 ブログルポ投稿中の記事★ 『地球幼年期の終わり』★ 映画原作の小説『博士の愛した数式』★ 『博士の愛した数式』★ 美術は大事★ 言葉はナマモノ★ 『男たちの大和』その2★ 女の子の世界はむずかしい★ 『東大法学部』★ 教えられたようにヒトは行動する★ ノー ボーダー★ 「反戦」を「キレイゴト」で終わらせたくないと思いませんか★ 女の人は本当に働きたいのか
2006年01月17日
コメント(4)
なぜに今頃『里美八犬伝』と言われそうだけど、よそのブログを読んでいたら私も書きたくなってきた。なにしろ昔NHKの人形劇『新南総里美八犬伝』をせっせと見ていたので『八犬伝』は親近感バリバリなのです。タッキーもでてた。人情劇の犬塚信乃は女装させられてたり、ちょっとなよなよしてたイメージだけど、タッキーの信乃役は男らしかったですね。 昔の人形劇みたいにたらたら長い話をえんえんやってるのとちがって四時間程度に絞られてる分見やすいっちゃー見やすい。もう最近長い話に付き合うのもめんどくさい。 いやね。今回の八犬伝は八犬士が魔法使うんだもん。ファイガ(炎の魔法)とかエアロ(風の魔法)とか出てくるし。ラストなんか伏姫が「ホーリー(聖なる魔法)」使うし。いやーなんかファイナルファンタジーかいっと思わないでもないですね。伏せ姫はエアリスかなー。どうせだからブリザド(氷の魔法)とかサンダガ(雷の魔法)とかグラビデ(大地の魔法)っと全員魔法使えると面白かったのに。だから当然玉梓は黒魔法なわけで。ラストボスだな。船虫が今回かわいすぎ。たしか角川映画の「里美八犬伝」の時は船虫はもっとグロイ感じだったんだけど。船虫はウォタガ(水魔法)がいいかな。 それにしても犬江親兵衛が「しんべえ」、とよばれる度に『忍たま』思い出しちゃって、八犬士のイメージから遠のいちゃって。 「ファイナルファンタジー里美八犬伝版」とかゲームで、でないかなーっと。思っちゃいました。和風のFFなんて面白そうじゃん。↑やっと新刊がでた。クラッシックがすきになれる本。 これを読まないとイマドキの少女漫画は語れませんね。
2006年01月16日
コメント(2)
さむい。今年の冬は寒すぎる。こんなに寒いのに今年はどうしてショトコートしか売ってないんだよ。ウォームビズがファッション業界にとどいてないぞー。気象庁さん暖冬予報なんかだすなよーお。だいたいセーターとかベストとか着なさいよ。日本にいるのになぜイギリスの服に異様にこだわるのか…わからない。おじさんたちなに考えているんですか。 『冬間』って知ってますか。冬は寒いから家の中で一部屋にだけ暖房を入れて冬の間は家族全員その部屋で暮らす。一部屋だけの暖房なら暖房費も少なくてすみます。リビング、ダイニング、各子供部屋それぞれに暖房入れたら暖房費ばかになりません。それだけじゃなくてやっぱり地球環境にとってもよくないと思うのです。これは昔から日本にある言葉。昔はみんなこんな風に暮らしてたはずなんですが。 というわけで、我が家はずーっと冬は和室だけに暖房を入れてそこだけでみんなで暮らす。みんなで同じテレビを見る。同じコタツでご飯も食べる。同じ部屋で、パソコンをやり、ゲームをやり、テレビを見て、本を読んで、お菓子を食べて、みかんを食べて冬ごもりのように暮らします。そういえば、掘りごたつやめて、普通のコタツにしたら、月の電気代が一万円減ったわ。それにエアコンてなかなか部屋が暖かくならない。ファンヒーターはすぐなんですけどね。しかし、ストーブかっといた方がいいんだろうな。 ちなみに『クールビズ』。ネクタイはずす前に、上着脱げばいいのに。ネクタイ、ネクタイって騒ぐ前に上着ぬぎなさいよ。クールビズって騒いでる割にぜんぜんわかってないじゃん。どうもおじさんたちにとっては鎧兜を取られる雰囲気。上着ぬいで、半そでの開襟シャツにでもしなさいよ。↑ひかわきょうこ初のファンタジー。 完結してますから安心して読んでください。ブログルポ投稿中の記事★ 言葉はナマモノ★ 『男たちの大和』その2★ 女の子の世界はむずかしい★ 『東大法学部』★ 教えられたようにヒトは行動する★ ノー ボーダー★ 「反戦」を「キレイゴト」で終わらせたくないと思いませんか★ 女の人は本当に働きたいのか
2006年01月15日
コメント(6)
うまい。うますぎるよ。あの三九朗。すごいプレイボーイっていうか。女ったらしって言うか。顔はまあまあ男前だからあたりまえだとして。まず最初のセリフが「この出会いはさだめだったのか。」って来て、その後、御国が三九朗の部屋に夜そっとしのんで行った時に「お前が来ると思っていたぞ。まっていたぞ。」とか言って、そのあと御国が「踊りなんかどうでもいいからあなたと一緒にいたい。」とか言ったら「踊っているお前が好きなんだ。」とくるでしょ。どうしてこう次から次へと女がころっとくるセリフをタイミングよく言うかなあ。ホントに阿国に惚れてるのかなぁ。どうみてもアイドルタレントとマネージャーの関係でしょ。阿国が踊るように踊るように仕組んだセリフを次から次へと言っていくでしょ。一見阿国に惚れてるように聞こえるのに阿国が踊らなきゃならないようにすごくうまーくもっていく。原作有吉佐和子さんだものねえ。女心よくわかってるよねえ。こーんなうまいセリフ言えれば女を落とすの簡単なんだけど、普通の男ってなかなかこういうセリフ言えないんだよねー。ドラマっていうよりプイボーイ入門講座って感じでしたね。 それにしても踊りのシーンになると菊川玲の顔のアップばっかり。踊りの名手の話なのにそのあたりごまかすのが苦しそうです。出雲の阿国は歌舞伎の創始者なんだけど、昔歴史の教科書に出てきたときはとにかくテストのための暗記の単語でしかなくって、教科書に出てくるくらいだから歴史上重要人物なわけだけど、教科書の中だけではピンと来ないんだよね。こんな風に恋に悩み、芸に悩む一人の女性としてみせてくれる本やドラマはありがたいのです。 でも、出雲の阿国が主人公の話なんてはじめてだし、菊川玲はきれいだし、次回が楽しみです。↑原作ですね。
2006年01月14日
コメント(0)
えっとー今日はかなり長いです。硬いです。かんべんしてね。 太平洋戦争が泥沼になっていったのが、軍士官学校卒のエリート将校たちのせいだったとしたら、それは無理の無い話しかもしれない。いかに戦争をするかだけの勉強をえんえんと仕込まれて社会にだされたら、戦争をすること以外考えない人間が出来上がるのは無理の無い話だ。現実に戦争が無かったら無理やり作り出してでも戦争をすることを彼らが考えたとしても不思議ではない。それが必要か不必要かとか、そのために人が死ぬとか生きるとか、誰かが損するか得するか、そんなことは関係なく戦争をすること自体が彼らにとっての至上命題になってしまったのかもしれない。 映画『シルミド』の中でも、トップ暗殺の教育を徹底的に受けた隊員たちは、いきなり計画がなくなったにも関わらず、やはり別のトップ暗殺に向かってしまった。今度は自国の大統領を殺すという方向に変わってしまっただけのことである。。でも、一国のトップを殺すことを教育され続けた彼らにとって、自分自身の身の安全よりも与えられた教育どうりの行動をとることこそが優先された。彼ら自身が意識するかしないかは別だ。彼らはほとんど無意識のうちに自分たちが教育された通りに行動しただけなのかもしれない。 今の日本もまた、勉強をし続けること、いい点をとること、いい順位をとることを第一としてずーっと教育されつづけている。これは公立の中学校や高校ですらそうなのだ。自分たちの勉強が実生活でどう役に立つのか、どういかされるのかは意外と教育内容の中には入っていない。その結果二浪、三浪をしてでも東大理三を目指し続けることに異様にこだわる学生や、将来何になるかも考えずにとにかく偏差値の高い学校を目指す学生が増える。本当に医者になって患者のためにと思うのならどこの医学部でも、医学の勉強はできる。最高レベルの環境に必要以上にこだわることになんの意味があるのか。本当に医者になることのみをめざすのなら、浪人をしている何年もの歳月は惜しくないのだろうか。そうやって浪人を重ねている分救える患者も減るだろうに。その年月分より早く現場に出て行こうとは考えないのだろうか。私が学生だった頃と今の教育界は結局ちっとも変わっていない。いい点を取ることにこだわり続けた結果、勉強をすることだけが好きで、いい点を取ることだけを強要され続けた結果、今度は次の世代に、同じようにいい点をとるためのテクニックだけを伝授するための仕事に関わるようになっていく。 勉強は実生活に必要だからこそするためのものなのに、いつの間にか学歴をとるための道具に成り果ててしまったのだろうか。 学生時代勉強することばかりを要求されて長い年月をすごした挙句、今度は社会に出て、「学校の勉強なんか実社会では役にたたないんだぞ」と言われ、人間関系やコネが仕事の重要なポイントをしめるようになる。そんなら最初からそういうことを教えてくれりゃーいいじゃんと思わないでもない。さんざん頭を下げ、ゴルフ接待や取引先へのご機嫌取りやら、じゃあ一体今までの勉強はなんだったのだろう。あの膨大な量の暗記になんの意味があったのだろう。なぜ、仕事をとるために相手の機嫌をとる必要があるのか、なぜゴルフをさせてくれたから、金をくれたから、うまいものを食わせて気持良くしてくれたから、そんな理由で仕事をまかせる相手をきめるのだろう。おかしいでしょ。どう考えたって。でも、今の日本の社会は、そういうことが常識になっていて、ものすごく当たり前になっていて誰も疑問をなげかけない。こんなことを言おうものなら、「お前はまだ若い。世の中のことをなんにもわかっちゃいない。」なんていわれるのが関の山。でも、私若くないですよ。あれ、いつのまにか話がずれているー。 頭のいい人間は自分の頭脳を使うのが好きなものだ。しかし、実際には頭脳を使う仕事なんていうものはそれほど多くないし、あったとしても、なかなかそこまでたどりつけない。学生時代必死に勉強した挙句、実社会では、その勉強が生かされる場は少ない。(もちろんそうじゃない実学の学部もありますが。) 映画『ビューティフルマインド』で、主人公の数学者は自分の優秀な頭脳を使って社会で評価されることを望んでいた。その当時数学者にとって、戦争のための暗号を解読することが最大の花道だった。しかし、主人公が数学者となった時にはすでに戦争は終わっていた。自分の頭脳を使って暗号を解き、社会的評価を受けることを夢に見た主人公はだんだん精神的においこまれ、病んでいく。 「頭がいいのはいいことだよ」と言われ続けて必死に勉強しつづけた挙句、実社会ではそんなものは役に立たないといわれる。 いい点数を取ることばかりを強制しつづける今の学校のあり方は、戦争する方法を教育し続けた戦前の士官学校と変わらないのではないだろうか。今の学校や塾で教えているのは実学ではもちろん無くて、でも勉強ですらなくて、点数の取り方なのではないのだろうか。センスといわれる国語ですらテストでの点数の取り方がもはや解明されている始末。数学はパターン暗記と化し、他の科目はひたすら暗記、物量作戦での攻略法が定着しつつある。そんなことを何十年も続けていたら。彼らの中で何かが確実に無意識の底にたまっていく。 京進事件やニートやフリーターや今の社会のたくさんの問題を考えていく時に、何かがどこかでつながっているような、そんな気がしてこないだろうか。(ただ、殺人をおそわったわけじゃないし、あの事件はある意味先天的な部分もありそうで、むずかしいところですが) 塾や学校や受験を非難しているわけではない。私たちはいつの間にか自分たちの意識していないところで、本来の目的とは違った方向に進んでいってしまう可能性があることに気づいてもいいのではないかということだ。正しいと思ってやっていることが、長い間にいつの間にか本来の目的とは違う方向に進んでしまっていることに気づかないままでいるのかもしれない。そしてそれはとてもこわいことだ。時折、立ち止まって、振り返って、見つめなおし、考え直し、方向修正をするための働きかけや努力を、すべきではないのかと思うのだ。 こんなことを書くと、そんなことはないですよとか、ほかにもいろいろクレームがつきそうで、申し訳ないのですが、もちろんわかっております。はい。かなり限定された部分で書いてますし、また、視点を変えて書いていきたい部分もありますので、ご容赦ください。この記事を評価する↑ジョン・ナッシュの人生も読みたい。↑読みたい。でも、難しくてわかんないだろうな。 ブログルポ投稿中の記事★ 『地球幼年期の終わり』★ 映画原作の小説『博士の愛した数式』★ 『博士の愛した数式』★ 美術は大事★ 言葉はナマモノ★ 『男たちの大和』その2★ 女の子の世界はむずかしい★ 『東大法学部』★ 教えられたようにヒトは行動する★ ノー ボーダー★ 「反戦」を「キレイゴト」で終わらせたくないと思いませんか★ 女の人は本当に働きたいのか
2006年01月13日
コメント(2)
昨日NHKの『クローズアップ現代』を見ていた。フランスの暴動事件はまだ続いているんだ。そんな簡単には終わりそうにない。フランスにとっては国を挙げての大事件のようだ。 番組を見ながら自分が書いたブログの記事を思い出していた。本当に本当に自分の国がいくら居心地が悪いからってよその国に言ってもだめだなって。この人たちは差別を怒るより自分たちの国をなんとかしなさいよ。フランスはフランスの人たちが必死の努力で作り上げてきた国なんだ。フランスの人たちが革命や戦争をくぐり抜けて長い年月をかけて作り上げてきた国なんだ。そうやって他人が苦労して作り上げたところに途中からぱっといったってだめだよ。仲間に入れてくれないと言って怒って見ても始まらない。移民の人たちで団結してフランス政府と戦うだけの気概があるのならどうして自分たちの国を良くするための戦いをしないのだろう。あの人たちはフランスのために何かをしようとかは、考えているのだろうか。 フランスは大人になるまでの二十年くらいの年月をかけて自国の国民を育てている。それは例えば、勉強だけじゃなくて社会性や国に対しての愛や奉仕。フランス人としての誇りや道徳観や価値観。自分たちの国のために国を守り、国のために働こうとする意識。こんなことは一朝一夕ではできない。それなのに大人になってからぽっとやってきて、フランスのために何かをしようとせずに、権利だけを要求してもダメだと思う。そいういう移民の人たちを育てることはたかがフランス一国ではできないだろう。 ソルボンヌ大学で差別されたといってた移民の人がいた。タダ勉強だけしてきても、それだけではやはり評価されない。働こうとしても就職できないという。それは移民の人たちが今まで、フランスの中で暮らして、いい評価をきづき上げる努力をしてこなかった結果なんだろうと思う。この人たちを雇っても、使えない、役に立たない、信用できないという評価を作り上げてきた結果なんだろうと思う。自分たちが住む国のことを考えないで、暴動ばかり起こしてこまらせる人たちをフランスの人たちが信用するだろうか。ますます悪意を増やすだけだろうに。フランスという国に住むのなら、自分たちの住むところであるフランスを愛して大切にしてフランスの役に立つ努力を示さなければ、暮らす権利を勝ち取ることはできない。自分たちの社会的評価をあげる努力をすること。あるいは自国に帰って自分たちの国をよくすること。自分たちの国を良くして世界的に認められる国になること。自分と同じ国の人たちが世界中のどこに行っても大切にしてもらえるような努力をすること。それはとても手間と時間と努力のいることだけれど。だから、どこに住んだって同じことなんだよ。 その一方でフランスは植民地時代のつけを払っているのだろう。植民地から搾取したおいしい蜜のつけを、今、払わされている。他国の人たちを安く使って自分たちがいい思いをしたそのあとの結果なのだ。植民地に対してどんな態度でフランスはいたのか。かつての植民地が国として成長する手助けをしていかない限り、移民はどんどんやってきて、どんなにいろんな対策をとってみても、移民を受け入れる努力や政策や手立てをとってみても、移民は増えるばかりで追いつかないはず。そうして国は荒れ、フランスがフランスではなくなっていく。あるいはフランス人たちもまたは自国を捨ててどこかへ逃げていくのだろうか。ところで、これはフランスの話だけれど、アメリカにはメキシコからの移民が、日本には東南アジアからの移住者が来ていて、同じような状況があるように思う。日本は今いろいろとアジアの国々を支援してはいるけれどそれでも、まだまだ道のりは遠い。これから、アメリカや日本はどんな対応をするのだろうか。 いっそ全ての国の人たちが移民しまくれば、世界中の人が混ざって国境もなくなるかもね。↑外国人と結婚した漫画家さんの暮らしぶり。
2006年01月12日
コメント(4)
年末年始は細木センセーの番組が多かった。うっかりしてたので全部を見ることはできなかった。それでもある程度は見られた。 細木センセーが嫌いという人は多い。ま、あれだけズバズバきついことを言うんだから無理ないですけどね。でも、私なんか見てて気持いいよ。だって普段は人間関係を考えて言わずに我慢してるようなことをかわりにズばずバ言ってくれるんだもん。そうそうそうそうだよー。と思ってすっきり。それとやっぱり自戒にもなるし。 でも、こないだのホリエモンの出てきた番組はちょっとなー。せっかくホリエモンがおもしろい話をし始めて何を言うんだろうと期待していたらホリエモンが三言くらい言ったところで細木センセーがさえぎって怒鳴り散らすんだモンナー。あああ、今の所ホリエモンが何しゃべるか聞きたかったのにーと、くやしかった。 いつもいつもバシバシ、ゲストをばっさり切って捨てる数ちゃんだけどさすがにホリエモンと対する時はホリエモンの方が上手に見える。ははははと笑顔で数ちゃんの的外れの暴言をかるーく聞き流している。できる! あれだけむちゃくちゃなこと言われてよく怒んないなーと感心した。経済とか科学技術の分野になってくるとさすがに数ちゃんには知識不足だから話の内容が苦しくなってくる。まるっきりホリエモンの手のひらの上で踊らされている感じだ。数ちゃん危うし。この番組をみるとホリエモンは大物って思う。でもね、この番組、実は大事な部分があった。ホリエモンがぽろっと宇宙開発の話をしちゃったでしょう。数ちゃんがあわててそれ以上ばらすなってシャットしたけど結構このあたりが大事なポイントだったと思う。もっと聞きたかった。 うーん。次回の二人の対決が楽しみだ。次は春休みくらいかな。↑主人公が能の役者さんというかなりの珍しい設定。普段まず知ることのない能の世界がよくわかります。この人が書くと能ですら面白くて今時に見えるから不思議。
2006年01月11日
コメント(2)
さあー今日から新学期、主婦ブロガーがどどっとネットに帰ってくる。アクセスもふえるかなー? 今朝楽天を覗き込んで見たら新しい発見。『注目』っていうマークができていた。これはテーマ投稿じゃないとだめなのかな。どうやらアクセスの多い記事につくマークらしい。だから人気ブログを発見しやすくなりそうだ。 楽天ランキングだと、単にアクセスの多い順になってるからアフイリのサイトがどうしても目立つ。でも、まじめに一生懸命かいてるブログ読みたい読者としてはこの『注目』のマークのシステムで少しでもブロガーに気合が入ったらいいなっと思う。楽天さんも必死に考えたのでしょうか。さてこのシステム効果のほどはいかがなものだろう。 私が昨日の夜に投稿した記事にも『注目』のマークがついていた。がんばれ!ブロガー!
2006年01月10日
コメント(4)
土曜日は成田山に行った。また、成田山の話。何で成田山かというと子供の頃から毎年毎年、初詣は成田山だったから。ほんとにほんとに子供というものは親の真似をするものです。 でもね、成田山に行く本当の理由はおいしいおそばやさんがあったから。成田山の後ろの成田山公園の中にとてもおいしいおそばやさんがあったのです。かくれた名店というやつです。ほんとにどこの本にも雑誌にも載っていない名店です。たぶん。ある年、何気に入ったらなかなかおいしくて、それから毎年毎年そこでおそばを食べるのを楽しみにしていたのです。ご主人が毎年一生懸命おそばをうっていたのです。打ち立ての手打ちの田舎風の少し太めのおそばでした。ところが毎年行っているうちに、だんだんお客さんが増えてきて、とうとう増築して、バイトまで雇って、繁盛していたようでした。宣伝しなくても、いいお店はちゃんとみんな気がつくのですね。その賑わいがいっそうおそばをおいしくさせているようでした。 ところが、ある年またおそばを食べようと楽しみに出かけたところ、なんと閉店していたのです。おそばをうっていたご主人が亡くなられていたのです。おそばをうつ人がいなくなってあえなく閉店となってしまったのです。とてもおいしいおそばで、本当に残念でした。 それからも毎年成田山には行きますがどこのお店に入ってもおいしいおそばには出会えません。ざんねん。 さて、こないだはおいしそうなうなぎやさんを見つけました。来年はあのうなぎを食べようと食い意地の張った私と食い意地のはっただんな様は心に決めて成田山を跡にしたのでした。 食い意地はった話ですみません。 さて、ほのぼのと書いてきましたがどうせ私のブログですから、ちょっと言いたい。後継者を育てるって大事ですね。カリスマじゃー続きません。でも、成田山のお蕎麦屋さんずーッとおいしいおそば食べさせていただきました。ありがとうございました。
2006年01月09日
コメント(2)
昨日は初詣の第二弾(えっ?)で、成田山にいった。その帰り。 富里のインターの入り口でおまわりさんが番、はってた。それでうちもひっかかって、「助手席、シートベールトつけてませんね。」ですと。助手席は私。 いやー料金所にかかるところで「おっ、やべっ」と、思って私はすばやくシートベルトを装着した。だから、料金所を抜けておまわりさんに車内を覗き込まれた時はすでに装着していた。それでも、おまわりさんは「ベルトつけてませんね。」と、強気で言ってきた。おかげでうちのだんな様のきらきら輝く美しいゴールド免許に汚点がついた。一点ですとー。 「三ヶ月で消えますから。」とか言われてもねー。さあ、皆さんはこんな時、ごねますか、食い下がりますか。それともおとなしく言うこと聞きますか。 でも助手席のシートベルトは高速道の中だけが法規定なんですって?私は知らなかったんだけどね。だったら料金所のところでベルトしたんだから別にいいんじゃないの? いったい高速道路の始点はどこなんだ。相変わらずきったないぜ。警察。いままで結構ゆるくしといて正月そうそう厳しくするなんて。くっそー。 なんだかなー。過去問売っといて、ある年いきなり出題傾向を変えるどっかの私立校みたいじゃん。 あーなんくせつけても始まんないよなー。
2006年01月08日
コメント(4)
ドラゴン桜のヒットで、東大志望が二割増しだとか。面白いですね。 その一方で東大の斜陽を書いたのがこの本なわけです。なにしろ近代史というのは学校の授業時間が足りなくなっていつも勉強しないうちに学年が終わる。どうも近代史の知識が乏しい。だから終戦がいつだったのか未だによくわかっていない。 というわけで知識不足の私にはなかなか日本政治の近代史は新鮮でした。 かつての東大法学部ってすごかったんですね。日本の近代の政治を仕切ってきたのは東大法学部出身の官僚達だったんだ。そのあたりは『官僚たちの夏』改版を読むとよくわからるらしい。長男に聞いたら読んだよって言われた。あ、あら。私は読んでません。 そして歴代の総理も東大法学部出身だった。へえー。 ところが田中角栄が東大法学部出身の福田赳夫に大差をつけて総裁選に勝った時から、歴代総理の歴史もまた大きな変革を迎えた。そして官僚の世界もまたおおきな変容を迎える。 どうやらこのあたりから政界官界の腐敗が始まったらしい。そして法学部生は官僚になることに昔ほど夢をもてなくなってしまったらしい。その結果今や東大法学部は弁護士志望の学生が増えてしまった。 国の税金をかけてまで彼らをそだてる意味はあるのか。 自由学園というちょっと趣の違う学校を卒業してジャーナリストとなった著者ゆえの視点で書かれているけれど、私も同じ意見だ。 実際今の国立大学受験は七科目もの受験科目を要し、たんなるオールマイティな人材を要求している。はっきり言ってばかばかしい。 英数国だけに限った試験ではなく、全ての科目をきちんと勉強してきたバランスの取れた人材を考えているのかもしれない。 でも、実際には小学校時代を中学受験の塾通いにつぶし、中高でも、大学受験のための塾通いにつぶし休日も自分の時間も全て勉強に費やして、人間関係のとり方や、それ以外のいろいろな人生勉強に使われるべき時間を机上の勉強に費やしてしまうことになる国立の試験科目が本当にバランスのとれた人間を育てることを阻んでいるように思える。 最も三教科の私立大学受験でも、希望者が増えれば難関として受験生は自分の時間の全てを勉強にまわさなければならなくなることに変わりないかもしれない。 でもなんだか国立がばかばかしいような気がしてきた。 地方の国立ならそれほど難関ではないから授業料の安い国立に志望者がふえるけれど。都市部の場合、東大、東工大、一ツ橋、千葉大どうしたものだろう。 著者は国立の授業料を安くしておくことよりも、奨学金の充実を考えている。わたしもそう考える。 それでも、東大は、やっぱりまだまだ受験勉強をゲームとして楽しむ受験生にとっては楽しいトップ争いのアイドルなんだろうな。 昨日『渡る世間は鬼ばかり』を見ていて、えなりくんが、「東大で勉強することが目的なんじゃない。東大に受かることが目的なんだ。」と言うような内容のセリフを言っていて、橋田寿賀子さんは時代をよく見ているなと思った。おいおい、いい加減にせーよという感じである。 そうやって考えていたら、受験生に関わる塾の先生たちの責任は重大じゃないのって思った。とすると受験生を育ててる親の責任も重大なわけで、その親の周りにいる人たちみんな責任重大だから、結局みんな責任重大でつながってるわけで、他人事じゃあないですね。あっそうだ、学校の先生も責任重大ですね。 それにしても最近の新潮新書なかなかいい品揃えしてそうです。 この記事を評価する ブログルポ投稿中の記事★ 『地球幼年期の終わり』★ 映画原作の小説『博士の愛した数式』★ 『博士の愛した数式』★ 美術は大事★ 言葉はナマモノ★ 『男たちの大和』その2★ 女の子の世界はむずかしい★ 『東大法学部』★ 教えられたようにヒトは行動する★ ノー ボーダー★ 「反戦」を「キレイゴト」で終わらせたくないと思いませんか★ 女の人は本当に働きたいのか
2006年01月07日
コメント(12)
前回はシナリオの話を書いたけどその後さらに考えていたら、「なるほどー。」なんてのが増えた。 映画を実際に見ると、前宣伝で言ってた「愛するものを守るために」なんてフレーズが嘘っぱちなのはよくわかる。 大和が「戦争を終わらせるために出撃するんだ。」なんて長島一茂が言うセリフがあるけど、実際に終戦になったのは大和撃沈の五ヵ月後だったんだよね。 本当に終戦になったきっかけは原爆だったのはみんなよくわかってる話で、終戦の五ヶ月も前に沈没した大和が終戦のきっかけになってるなんてうそばっかりジャン。どうりで「今回のヤマト特攻は終戦のため」なんていうちょっとかっこいいセリフをあのへったくそな長島一茂なんかにわりふった理由がよくわかった。みんないい場面だっていうけど、そんないい役を何であんなへたっぴが言ってるのかなんだか不思議だったんだけど、そうかうそっぱちだからだ。 どうみてもウドの大木にしか見えない戦艦大和が何で沖縄特攻なんてなんの役にも立たないバカなことさせられたかって言うと多額の予算を使って作った大和を残したまんま戦争が終わったりしたら大和の製造を発案した上層部のお偉いさんが責任を問われちゃってやばいからだ。大和の製作中すでに時代は巨大戦艦の時代ではなくなり始めていたのに、もう作り始めた大和を途中でやめるわけにもいかなくなってとりあえず作ってみたけど、やっぱり戦場でたいして役にたたないことがわかって、(武蔵なんかさっさと撃沈されちゃったし)、こりゃーやばい戦争が終わる前にさっさとあのウドの大木をなんとかしなくちゃと考えた上層部の考えたことが沖縄特攻で、撃沈されることが大前提だったらしい。 どうせ沈んじゃうってわかってんなら乗組員なんか乗せなきゃいいのに、でもそれじゃ撃沈の予定がバレバレだからとりあえず戦場に行って戦うっていう形式は整えないといけない。そんなものに付き合わされて死んじゃう底辺の兵士はほんとにたまったもんじゃないよね。だから、護衛なんか全然ついてなかったみたいだし。 それでここまで考えてきたら、なんで中村獅堂が対空砲の砲手の役だったのかよくわかった。対空砲は対戦闘機のためのものだから、あわてて後から作られたものらしいけど、映画を見てると対空砲を撃つための兵士たちが戦闘機からの攻撃を防ぐためのものがいっさいなく、ラストの沖縄戦でも、戦闘機にばったばった撃たれて血しぶきほとばしってふっとばされるシーンが一番多かったわけなんだけど、このシーン見てるとホントに上層部の人間なんて、底辺の人間のこと虫けらとさえ思ってないってことがよくわかる。敵をやっつけるための砲弾は作っても兵士の身を守るためのものにはぜんぜん予算かけたくないんだなってことが。そして自分を非難されないように大和を消しちゃうためには、底辺部の人間の命なんてほんとにどうでもよくって、そのあたりのことはなんにも考えてないんだってことの、とってもよくわかる映画だったんだなっと思ったわけでした。 だから渡哲也扮する第二艦隊指令長官に沖縄出撃の命令書を渡すシーンで、渡哲也は「こんなことオレにやらせるのかよ」って感じで相手の上官に対するんだけど、相手の上官はたしかほとんど無言でしたね。 つくづく戦争なんて上層部の人間の気まぐれと無責任な決定で進んでるんだってことをよく教えてくれる映画でした。『男たちの大和』その1『男たちの大和』その2
2006年01月06日
コメント(6)
新年なので今年の抱負なんていうテーマのブログが多い。おっネタになりそうじゃん。と、思ったのはいいけど、わたしはかつて一度も「新年の抱負」なんていう仰々しいものを考えたことがないことに気がついた。うーん。しばし考えてみても全然思いつかない。生活を改善しようとか、人生にテーマをもとうなんて考えたこともない。私が唯一そんなことを考えたのは「漫画家」になりたいと思った時ぐらいだ。しかし、へたくそだった上に、もっとうまいやつを何人も見てあっけなく挫折した。それ以降は受験、就職、結婚、子育てと進んで、お金がないないと言いながら、毎日パソコンと、読書と映画と美術館で人生の時間を埋めてきたことに気がついた。抱負なんかいらない。抱負なんかなくても人生は送れる。 中学生の時すでにお釈迦様的達観の世界に入り込んで、「人生は遠大なる暇つぶしである。」という言葉を座右の銘というか、人生の趣旨というか、にしているような体たらくぶりだから当然たかだか一年単位で抱負なんか思いつくわけもない。 長い長い千段くらいの石段を目の前にしたら、「よーし、登るぞ。」なんて気合を入れて登るよりも、私なんかの場合だと、なんにも考えずに当たり前のようにただ黙々と登っていったら、頂上についていた。というような生き方をしてきたような気がする。 私はそんな風なのが好きなんだ。ブログルポ投稿中の記事★ ノー ボーダー★ 「反戦」を「キレイゴト」で終わらせたくないと思いませんか★ 女の人は本当に働きたいのか
2006年01月05日
コメント(4)
年末で終わっちゃいましたね。とうとう。悲しいなあ。 家族でせっせと見てたのに。 『プロジェクトX』といえばやっぱり「黒部ダム」。この番組の代表作ですよね。 そして、日本の国の発展を理系の人たちが随分底辺で支えていたんだなあとそう思いながら見てました。 「富士通」の話もよかったね。理系っていうと管理職になるのいやがる人多いけど、ノーベル賞とった田中さんもそうだったけど、でも、富士通の人は管理職としてもすごかったな。ろくすっぽ会社に出てこないのにすごい仕事してる。部下が困ってる頃合を見計らって助けてくれたり。理系の人も管理職逃げないで出世してちゃんと社長になってくれればいいのにと思う。文系畑の人たちに政治や会社経営任せといちゃダメだよ。理系でなければ見えないもの、わからないものがある。メーカーなのに理系が引っ込んでたら知らないうちに会社の経営が変な方に進んでっちゃうと思いますよ。だからソニーはあぶないのか。もちろん現場の方が楽しいし、やりがいあるけどさ。 涙をのんで苦境に耐えて、開発した製品も研究も会社がつぶれたら、御破算になっちゃう。 『理系白書』を買って適当に積読でそのあたりに置いといたら(またかよ)うちの長男が読み始めちゃって、「理系は割に合わないみたいだからやめる」とか言い出しちゃって、おいおいって感じでした。 先輩、社長になってがんばって「理系も捨てたモンじゃないよ」って後輩に教えてください。 車で初詣に行くとき、だんながカーステレオで、『地上の星』なんかかけるから、思わず初泣きしちゃったんだけど、いい曲だなあ。 番組の最期、中島みゆきさんがスタジオで歌ってくれてよかったなぁ。 うちのダンナが横で「紅白の黒部の中継の方がよかった。」とか言っててうるさい。
2006年01月04日
コメント(4)
よくできた映画だったし、十分面白かったんだけどなーんか腑に落ちなかったところがあったことに気がついた。 どうもこの映画には裏脚本なるものがあるらしい。というか正しくはシナリオの第一稿。その第一稿のポイントを読んだらすごく面白そうなのだ。このシナリオどおりに作ってあったらすごく面白い映画になっただろうし、大和の本当の姿が伝えられただろうにと残念でならない。ところがやはり商業ベースにのって売れるようにシナリオが直されてしまったために結論のよくわからない映画ができたんだなっと納得できた。 私のブログに貼られたトラックバックをたどっていろんなブログを読んでいったら (ちなみにトラックバックというシステムはこんな風に同じテーマのブログを読みたいときに検索を使わずに同テーマのブログを読んでいける点でもなかなかいけるシステムだと思う。) ここの掲示板にたどり着いた。 で、この掲示板で、シナリオの第一稿があったことを知ることができた。ここを読んで納得できた。あまりよその記事をこぴぺするのは好きじゃないんだけど、どうしてもここだけ、リンク切れの可能性を考えてあえて転写させていただきました。1)内田(中村獅堂)と、その娘(鈴木京香)の役は存在しない。2)臼淵大尉のエピソードもオリジナルには存在しない。3)主人公の神尾には、同じ大和乗組員の兄がいる。3)神尾の恋人役は出てこない。 代わりに母親は途中で死なない。 (母親役は、神尾の母親以外には出てこない、 そのため広島のエピソードもない)4)オリジナル版にあった、「天皇陛下万歳」、「君が代」、「国旗掲揚」 「軍艦マーチ」等のシーンはほとんど丸ごとカットされている。5)同様に大和の船内設備を紹介するシーンも丸ごとカットされている。6)オリジナルに登場する数百人の兵士による 主砲発射までの手順も丸ごとカット7)オリジナルに登場する教師出身の召集兵もカット8)陸軍兵士とのエピソードもカット9)トラック諸島でのエピソードもカット 鈴木京香が年齢的に役の設定とかみ合わない不自然さは最初からひっかかっていたし、集客のための配役なのはもちろん想像のついたところだけれど、最初はなかった役らしい。 そして母と子の別れのシーンや大和の船出を家族が見送るシーンもありえない設定らしく、どうりで見ていて今いち感動できないなあと思った。この手のシーンは今までの戦争映画で何度も見ているので私の場合ちょっと見飽きていたせいもあるのだろうけれど、いかにも集客が目的のお涙頂戴のつくりで今ひとつ迫力にかけていたし、中村獅堂と寺島しのぶ演じる芸者の別れのシーンも今いち。 最初のシナリオでは、どちらもなかったらしい。そしてその代わりに遊郭でのシーンなどがあったらしい。 でも、私がこの元シナリオの中で一番見たかったのはやはり数百の兵士を使って砲弾を運ぶシーンだった。このシーンに一番大和の姿が出ていたんじゃないかと思う。 とにかく商業ベースにのった白々しいお涙頂戴的なシーンばかりを前面に押し出すようなつまらないつくりに走ってしまうことが結局は日本映画をつまらないものしてしまい、日本映画界の質を落としてしまい、衰退を招いてしまっているのだろうにと思う。 できればテレビドラマで、この本来のシナリオを使った物を作って欲しい。女優さんたちの出番も減るし、かなり暗いものになってしまうかもしれない。それでも、映画のように二時間、長くて三時間という時間的制約の短すぎる、わくのないテレビならできるかもしれない。本当の「お・と・こ・た・ち」の「大和」を伝えるドラマができるかもしれない。この記事を評価する『男たちの大和』その1『男たちの大和』その3ブログルポ投稿中の記事★ 『地球幼年期の終わり』★ 映画原作の小説『博士の愛した数式』★ 『博士の愛した数式』★ 美術は大事★ 言葉はナマモノ★ 『男たちの大和』その2★ 女の子の世界はむずかしい★ 『東大法学部』★ 教えられたようにヒトは行動する★ ノー ボーダー★ 「反戦」を「キレイゴト」で終わらせたくないと思いませんか★ 女の人は本当に働きたいのか
2006年01月03日
コメント(6)
去年はかわいいやんちゃ坊やがいっぱい活躍していて楽しかったな。 ホリエモンとか新城とか、中村獅堂とか、イチローとか杉村太蔵先生とか。 タイゾー先生のブログも見つけて読んでみました。なかなかおもしろーい。女子高校生の恋愛相談までしてるしね。タイゾー先生、かわいいよね。息子というには年取ってるし、ダンナにするには若すぎるし、愛人にいいかも…なんてことは考えてません。タイゾー先生がんばってるけど、なんか成果を残さないと今期限りで終わっちゃうのかな。来期全国区で出たら私、投票したいです。年寄り先生たちとはぜんぜん違う視点で議員の世界を見てるでしょ。がんばって欲しいです。 ホリエモンも車まで売り始めちゃって自分でコマーシャルまでやってるし。こないだホリエモンがさすがに泣いてましたね。株主さんたちが、「配当少ないぞー」っ怒っててこんなんならやめろーって言ってて、私は「あんたたちばかじゃない。ホリエモンがやってるから利益でてるのであって、ホリエモン首にしたら、会社の利益なくなるどころか、株の価値も下落しちゃうんだぜ。わかってんのかね。」と思ったけど、確かにもっと配当欲しいかもね。 新城は私はあんまり好きじゃないんだけど、去年は随分いろいろテレビに出てきててまさにやんちゃぼうやの代表って感じにみえます。 中村獅童も映画とかスパイダーマンとか活躍してましたね。映画の中では私のイメージの獅童くんとはちょっと違ってやさしい人でした。 そしてイチローもがんばってますね。私は野球は見ないからよくわかんないけどイチローのお父さんやイチローの高校の監督さんが書いた本は私の子育ての上ですごく参考になりました。もっともっと子供にかかわってせいいっぱい愛していいんだなっと。そして、子供との距離のとり方も、子供の人生へのかかわり方も教えていただいた感じです。 純ちゃんも去年一年やんちゃ坊やの王道を行った感じです。 さあ今年はどんな年になるのかな。
2006年01月02日
コメント(2)
あけましておめでとうございます。今年もよろしくおねがいします。あほなことばかり書いていますが、今年も読んでいただければ幸いです。 今日は元旦。よって、初詣に行ってきました。最近の初詣は増上寺です。増上寺は成田山ほど混んでないから楽ちんです。 おみくじをひいたら家族四人全員大吉だった。すごー。こんなこと初めて。ことしは良い年でありますように。 増上寺には毎年猿回しが来ます。今時珍しい。 年賀状届きましたか。郵政民営化のおかげで最近は年賀状がちゃんと届かない。まったくいい迷惑です。みなさん郵便局に苦情だそうね。 で、年賀状をチェックするといつも思うのがこっちから出した人からは来なくてぜんぜん予定外の相手から届いたりする。 もっと困るのは出したか、出さないかまるで記憶のない人から来ている場合。まさに微妙な人間関係。 とくに一番仲良しのはずの相手から来ないと悲しいよねー。で、うちの娘はショクうけてたけどさ。でも、仲良くても、まじめに年賀状書くような性格じゃないやつもいる。 一番困るのは毎年住所違ってるのを指摘してるのに訂正しないまま送ってくるやつ。だから「届かないよ」って言うと「へんだなー」と言いながらそのまんま。最後は新しく書き直して送ってくる。なんとかならないのかなあ。問題は、届いてないと言えちゃうところにある。そんなに仲良くなければ黙ってこないまま終わるのにー。 年賀状を通して知るわが身の人間関係。年初めからなにやら微妙に心をゆさぶる日本の慣習。すてきだ。 あ、増上寺でも、郵便局の人が年賀状売ってたわ。稼ぎ時だもんねー。元旦から大変そうだ。↑おうちがいちばん
2006年01月01日
コメント(4)
全38件 (38件中 1-38件目)
1