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(ウフタビラ/大田坂)沖縄本島「うるま市/旧具志川」に「大田/ウフタ集落」があり、大田公民館の南側丘陵に急勾配のビラ(坂道)があります。この坂道は「ウフタビラ/大田坂」と呼ばれ!現在の「大田集落」と「川田集落」を結んでいます。「ウフタビラ」は今から約200年程前に「あかばんた掟/アカバンタウッチ・玉城親雲上/タマグスクペーチン・上門小ビニー/イージョウグヮービニー」の企画と設計で施行され、地元や近隣の住民の協力や集めた資材を用いて完成したと伝えられています。(ウフタビラの川田集落側入り口)(ウフタビラの階段)(ウフタビラの標識)(ウフタビラの階段)(ウフタバンタからの景色)(ウフタビラの石畳)(ウフタビラの石畳)(ウフタビラの石畳)「ウフタビラ」は幅が2〜3メートルで、南北全長約300メートルにおよび、琉球石灰岩を敷き詰めた石畳の道となっています。坂を登ると眺めの良い「ウフタバンタ/大田バンタ」があり、このバンタ(崖)の上から隣接する「川田集落」と製糖工場の「ゆがふ製糖」が眼下に広がり、その先には美しい「中城湾」が一望出来ます。また「具志川集落」に番所ががあった頃、首里王府から各間切への情報伝達に利用されていた事から、宿道として整備された歴史の道となっています。(ウフタビラの丘陵)(ウフタビラの亜熱帯植物)(ウフタビラの石畳)(ウフタビラの石畳)(ウフタビラの坂道)(ウフタビラの大田集落側入り口)(ウフタビラの大田集落側入り口)(ウフタビラの大田集落川入り口)(ウフタビラの案内標識)(ウフタビラの大田集落川入り口)その昔「大田集落」の区域内に属していた「タサバル/田佐原」と「ユナバル/与那原」にあった小集落ヤードゥイからは、集落の中心地区は「本部落」と呼ばれていました。1970年に発行された「具志川市誌」によると、1925年には大田本部落70戸、田佐原52戸、与那原48戸と記されており、本部落と比べてヤードゥイ集落の規模の方が大きくなっていました。そのため1941年にヤードゥイ集落は「川田集落」として分離して独立したのでした。「ウフタビラ」の北側にかつて集落の「アシビナー」があった場所が現在も残されています。さらに「大田公民館」の敷地内には沖縄戦の戦没者を祀る慰霊碑が建立されており、戦死者33名の芳名が刻まれています。(旧アシビナー/遊び庭)(大田集落の石敢當)(大田集落の石敢當)(慰霊碑の階段)(慰霊碑)(慰霊碑のウコール)(慰霊碑)YouTubeチャンネルはこちら↓↓↓ゆっくり沖縄パワースポット
2024.08.19
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(ウフタガー/ウブガー)沖縄本島中部の「うるま市/旧具志川市」に「大田集落」があり方言で「ウフタ」と呼ばれています。「大田公民館」の東側に「ウフタガー/大田ガー」があり集落の「ウブガー/産井」として大切にされてきました。村で赤ちゃんが産まれると「ウフタガー」から汲んできた水に中指に浸し、赤ちゃんの額を3回撫でる清めの儀式である「ウビナディ」が行われ、この出産儀礼は「ミジナディ/水撫で」とも言われていました。また「ウフタガー」の水を沸かしたお湯は産湯として使われ、これらの儀式は赤ちゃんが健康に成長出来るように願いが込められていました。更に集落の拝み行事として旧暦正月2日の「アマンチュウガン/天美久御願」では無病息災を願い「ウフタガー」で祈願が行われていました。(ウフタガー/ウブガー)(ウフタガー/ウブガー)(ウフタガー/ウブガーの平場)(ウフタガー/ウブガーの飲料水標識)(ウフタガー/ウブガー)(ウフタガー/ウブガー)(ウフタガー/ウブガーの拝所)(ウフタガー/ウブガーの拝所)(ウフタガー/ウブガーの拝所)(ウフタガー/ウブガーのウコール)(ウフタガー/ウブガーの拝所)(ウフタガー/ウブガーのウコール)「大田集落」で葬式はチュヤックヮー(親戚)を中心に挙げられ、村総出で儀式を手伝ったと伝わっています。遺体を納めた棺を運ぶ「ガン/龕」は集落の青年達により担がれ、墓地へ向かう葬列は旗、天蓋、ガン、遺族、参列者と続きました。墓からの帰りは「ウフタガー」へ行き『ヤナムヌヤ ニレーカネーカイ ハリヨー』(悪いものは ニライカナイへ 行きなさい)と言いながら井戸の水を掬いこぼし「ゲーナ」と呼ばれる植物の先端を結んで作った覆いを潜って厄払いしました。「ウフタガー」の東側にかつて綱引きの際に使われた「チナヒキミチ/綱引き道」があり、1964年に大野顕氏により著された『大田のあゆみ』によると、明治後期まで盛んだった旧6月の綱引きは集落の「ナカミチ/中道」によって分けられた「アガリ/東」と「イリ/西」の区分で綱が引かれていたと伝わっています。(ウフタガー/ウブガー)(ウフタガー/ウブガー)(ウフタガー/ウブガー)(ウフタガー/ウブガーの水路)(ウフタガー/ウブガーの洗い場)(ウフタガー/ウブガー)(ウフタガー/ウブガー)(ウフタガー/ウブガー)(ウフタガー/ウブガー)(ウフタガー/ウブガー)(ウフタガー/ウブガー)(チナヒキミチ/綱引き道)(チナヒキミチ/綱引き道)YouTubeチャンネルはこちら↓↓↓ゆっくり沖縄パワースポット
2024.08.10
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(エードゥンチの拝所)沖縄本島中部の「うるま市/旧具志川市」の県道10号線(伊計平良川線)を中心に「大田/おおた集落」が南北に分布しています。「大田集落」は1649年に作成された「絵図郷村帳」には『大川』の名で、1713年に琉球王府により編纂された「琉球国由来記」には『大田』の名が記されている古村で、方言で「ウフタ」と呼ばれています。県道10号線沿いに「エードゥンチ」と呼ばれる拝所があり「太田親殿内」と「太田村火之神」の祠が建立されています。「琉球国由来記」には『殿 里主所 大田村 麦・稲穂祭之時、花米九合宛・五水二合宛・神酒一宛・筵一枚宛 地頭、穂・神酒一宛 百姓中、供之。上江洲巫ニテ祭祀也。且、祭毎ニ巫へ地頭、一度、食有賄也。』との記述があります。(エードゥンチの拝所)(エードゥンチの拝所)(エードゥンチの拝所)(エードゥンチの拝所の入り口)(太田親殿内)(太田親殿内の祠)(太田親殿内の祠内部)(太田親殿内の祠内部)(太田親殿内の石碑)(太田親殿内の祠/表)(太田親殿内の石碑/裏)「太田親殿内」の祠内部には石造りウコール1基、陶器製ウコール3個、霊石が数体祀られています。また「太田親殿内の石碑」の裏面には『太田村賛歌 世立初めたる 太田大主と 地組始めたる 高嶺之子が 風水組まさる 村つくりされて 太田産井泉の湧水を前成し 親殿内ぐしく鎮座ませ召しょち 太田村繁栄見守やれいめむ 詠 大野顕』と刻まれています。(太田村火之神)(太田村火之神の祠)(太田村火之神の祠内部)(太田村火之神の祠内部)(太田村火之神の石碑)(太田村火之神の石碑/表)(太田村火之神/裏)「太田村火之神」の祠内部にはヒヌカンの霊石3体と陶器製ウコールが1個祀られています。さらに「太田村火之神の石碑」の裏面には『太田村火之神は村の守護神で村の安全平和と繁栄の祈願および祭祀や公共行事の無事成就を祈願するときは、先ず村火之神に御願して天地の神々に仲介の取次をして頂き、神々の御加護を賜りますように信仰尊崇されています』と記されています。(エードゥンチの拝所の門柱)(エードゥンチの拝所の門柱)(エードゥンチの拝所)(エードゥンチの拝所)(カンジェークビラ)(カンジェークビラのワイトゥイ)(ウシクルシモーの亀甲墓)(カンジェークビラとエードゥンチ)旧暦正月2日の「アマンチュウガン/天美久御願」は無病息災を願い、集落の「大田公民館」の南側にある「大田バンタ」の丘陵から「浜比嘉島」に向かって祈願をして、集落の「カミヤー/神屋」である「エードゥンチ/親殿内」を拝みます。旧暦2月と11月2日は「シマクー」と呼ばれる行事が行われ、集落の入り口4箇所にしめ縄を張り、牛や豚の肉や血をつけた小枝を吊るして無病息災を祈願しました。「エードゥンチ」の拝所の北側にある「カンジュークビラ」を登った先にある「ウシクルシモー」と云う森で牛や豚を殺して、その肉や血を「シマクー」の行事に利用したと伝わっています。YouTubeチャンネルはこちら↓↓↓ゆっくり沖縄パワースポット
2024.08.06
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(トゥンヤマグヮー合祀拝所/我如古慰霊之塔)沖縄本島中部の「宜野湾市」に「我如古/がねこ集落」があり「我如古公民館」の南側に「トゥンヤマグヮー合祀拝所」があります。この祠には「トゥンヤマグヮー・ジトゥーヒヌカン/地頭火の神・ヒジャイガミ」が祀られており霊石とウコールが設置されています。1713年に琉球王府により編纂された「琉球国由来記」には『我如古里主所之殿 我如古村 麦・稲四祭之時、五水六合宛・神酒壱宛 我如古地頭、稲三筋宛・神酒二宛 麦大祭之時麦神酒。同村百姓中、供之。宜野湾巫ニテ祭祀也。且、麦大祭之時、饅頭壱籠飯・和物壱重。稲大祭之時、炒米一升・和物一重、同所ニテ地頭、巫馳走也。』ときされています。なお、この拝所には沖縄戦の戦没者を祀る慰霊之塔が建立されています。(トゥンヤマグヮー合祀拝所/我如古慰霊之塔)(トゥンヤマグヮー合祀拝所/我如古慰霊之塔)(トゥンヤマグヮー合祀拝所の祠)(トゥンヤマグヮー合祀拝所の祠内部)(トゥンヤマグヮーの拝所に祀られたウコール)(ジトゥーヒヌカン/地頭火の神の霊石とウコール)(トゥンヤマグヮー合祀拝所のヒジャイガミ)(ヒジャイガミのウコール)(我如古慰霊之塔)(我如古慰霊之塔に祀られたウコール)(我如古集落の石敢當)(我如古集落のフクギ並木)「我如古公民館」の西側約150メートルの位置に「イリヌカー」と称する井泉があります。この井戸は「我如古集落」で子供が生まれた時に産水として利用されていたため「ウブガー/産井」とも呼ばれていました。かつて「イリヌカー」は旧暦3月3日の「サングヮチャー」の行事で拝れており石造りのウコールが現存しています。湧き出た井戸水は敷地内のガマ(洞穴)に吸い込まれ、北西側約150メートルの場所にある「ウプガーヌシッティー」と云うガマに繋がっています。このガマは「クシヌカーラ/志真志川」沿いにあった洞窟で地下に大きなクムイ(池)があったと言われています。さらに「我如古公民館」の南側約100メートルの道沿いに「仲里家の屋敷獅子」が現在も残されています。(イリヌカー/ウブガーの入り口)(イリヌカー/ウブガーに降りる階段)(イリヌカー/ウブガー)(イリヌカー/ウブガーのウコール)(イリヌカー/ウブガーのウコール)(イリヌカー/ウブガー)(イリヌカー/ウブガーのウコール)(イリヌカー/ウブガー)(イリヌカー/ウブガー)(ウブガーヌシッティに続く洞穴)(ウブガーヌシッティに隣接するアパート)(ウブガーヌシッティのガマ入り口)(仲里家の屋敷獅子)(仲里家の屋敷獅子)(仲里家の屋敷獅子)YouTubeチャンネルはこちら↓↓↓ゆっくり沖縄パワースポット
2024.08.02
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