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動脈硬化が進行していて体中の血の巡りが悪くつま先の冷え性でR。 一年中つま先が氷の中に足を漬けたように冷たい。 真冬に眠る時は布団の中に電気アンカが必需品だし、真夏であっても時々電気アンカのお世話になるほどだ。 陽気の良い今の時期でさえつま先は氷水に漬けたようで痛いほどである。 現在やっかいなのは、“アキレス腱周囲炎”は足首を冷やさなければならないのに、つま先は氷のように冷たい。 冷やしたいけれど冷やせない、暖めたいけれど暖められない。。。。。 冷え性、チキ性~~ 近所の菜園で“亜麻”の花を見つけた。名前も解らず写真に撮って自宅で検索してようやく解った。 花びらだけを写真で見せられたら“アメリカン・ブルー”と間違えそうだ。 写真の通り、花は品のある薄いブルーだが名前は“亜麻”???? 名前の由来も検索すると『この花の茎の表皮と木質部の間から繊維を取る。亜麻から取った糸や織物がリネン。この繊維が淡い金髪で、この色を“亜麻色”と言う』そうで、花の色とは関係ないようだ。
2008.04.29
一年で最も過ごし易い季節だと言うのに、何やかやと安静続きの日々が長引いている。 しかし、健康を維持する為には適度な歩行と一日5~10分程度の日光浴が大切らしい。 特に、日光浴はビタミンDの活性化に欠かせないもので、積極的に実行するのが良いらしい。 そこで、アキレス腱の痛みも少し和らいだし天候も程良いのを見計らって、思い切って花散歩に出掛けた。 アキレス腱周囲炎以来初めての花散歩なので足下に気をつけながら“そろ~り・孫左右衛門”で歩く。 流石に世の中春爛漫・花満開で多くの花と出会える事ができた。 やはり、季節の花を愛でると気分転換になる。 今日出会った花たち・・・・・花水木花大根(紫花菜)花菱草矢車菊ダッチアイリスシャガタマスダレ芥子鈴蘭などでR。 これらの花については当サイト・メニュー ⇒ 『春の花たち』にアップしましたのでお時間のある方はどうぞご笑覧願います。 小一時間ほどの花散歩を終えて帰宅した後も痛みがなく、どうやらそれほどの負担なく歩けたようだ。 日光浴もできて有意義な日曜となった。
2008.04.27
何でこんな事になってしまったのか・・・・ 正月早々に狭心症の発作を自覚して以来悪循環が続いていて、今はアキレス腱周囲炎に悩まされている。 毎朝9時に近所の整形外科に通院しているが、平日の診療時間が9時~19時なのに対し、土曜日は午前中だけなので診察開始前から患者が殺到する。 今日は普段の倍近い患者で溢れ、それもお年を召したご婦人(お婆さん)が多いのでやっかいであった。 何がやっかいって、お婆さん達は動きは鈍(のろ)い癖に口先は大変達者で待合室も治療室もピーチクパーチク賑やかと言うか騒々しいぐらいだ。 30分も経ったら頭痛がしてくるほどであった。 5、6年前に息子達が自活の為家を出てからは二階に押し込まれ、特段の不自由もなく生活して来たが、今回のアキレス腱周囲炎では大変不便な毎日となっている。 それは階段の上り下りで、最低限の用事は妻がしてくれるものの、洗面・入浴などどうしても自力でこなさないといけない用事も多く、その都度痛さを堪える日々でR。。。。。。 私は元々忘れん坊なので、外出時に玄関先まで来てから忘れ物に気づきまた二階まで取りに行かねばならない事がしょっちゅうなのだが、それをフォローしてくれるほど妻は甘くなく私は必死に二階へよじ登る。 世間は春爛漫・花満開なのに花散歩も出来ずストレスが溜まる。 毎年あそこに咲くシャガやネモフィラ・マクラータは今年も咲いているか?通院途中の道端ではムラサキハナナ(花大根)やシラン、ケシなどの花を見掛けるが歩行がままならず車窓からチラ見するだけだ。 我が家の玄関先では今年もツツジが沢山の花をつけてくれた。
2008.04.26
心臓バイパス手術の退院後、感染症の疑いが出て自宅安静を余儀なくされつつも週に一度外来通院をしていて、感染症が落ち着いたと思った途端今度は4月17日(木曜日)の外来通院によって『アキレス腱周囲炎』を患ってしまった。 アキレス腱周囲炎は早い話がいわゆる“使いすぎ症候群”で疲労によるアキレス腱への負荷の増大と、その頻度の過大が原因と考えられている。 今回の私の場合、安静状態から外来通院でいきなり歩行した事で一時的な負荷が生じたものと考えられる。 このため毎朝9時に近所の整形外科に通い治療を受けている。 最初のうちは、『氷のように冷たい』アイスノンによる冷却10分と冷湿布程度であったが、改善されないので今週からは冷却の後保護テープでアキレス腱を固定しその上部から冷湿布する方法が取られ、更に今日からは電気療法も加えられたが自覚症状に変化はない。 自宅安静から外来通院して数百メートル程度歩いただけでこんな目に遭おうとは・・・ 心臓バイパス手術以来立て続けに胸骨及び肋骨骨折⇒感染症疑惑⇒アキレス腱周囲炎とは正に、踏んだり蹴ったりだ。。。。。。。 今年の春は何ともツイてなく憂鬱な日々が続くが、庭先には私の好きな花の一つオダマキが開花した。
2008.04.24
2月初旬に満タンにしていたが、3月初旬にはほぼ空に近い状態になっていた。 その頃ガソリン代はピークだろうし、どうせ入院している間は乗らないからと放置していた。 この度、外科医師から運転許可が出たので『暫定税率』の撤廃されたこの時期なら安かろうと満タン給油した。 現金客はレギュラーが127円/Lであるが、入会金500円の会員になると現金価格より5円/L安いのでお得感は大きい。 洗車もしたい所だが、テフロン加工しているので、機械洗車はせずに毎回自力で手洗している。 今回は体調不良なのでスタンドで手洗いして貰おうと思ったが、当分天気予報もスッキリしないので、汚れたまま我慢する。 心臓バイパス手術をしたばかりなので、シートベルトと自分の体の間にフンワリとした膝掛けを挟んで、万が一の時に少しでも心臓へのショックが少ないようにと配慮した。 庭の片隅の日陰にニラのように華奢なラッパスイセンが群生している。
2008.04.21
自力運転を禁止されていたので木曜日(4/17)の防衛医大・外来は“お迎えさん”に依頼したが、夕方に外せない用事があるのでタクシーで帰って欲しいとの事で了解していた。 順調に診察も終わり会計を済ませて病院玄関前から自宅までタクシーで帰る。 自宅付近でタクシーを降りた瞬間アキレス腱に痛みが走り、歩行困難を来たし自宅までの数十メートルをやっとの思いで辿り着いた。 昨日一日冷湿布をして様子を見たが一向に回復する気配がないので、今朝一番で地元の整形外科を受診したら『アキレス腱周囲炎』との診断で、『老化の一種と歩かない事によるふくらはぎ筋肉の低下が原因、治療法は冷湿布と安静保存』と言われた。 歩かない事が原因なのに、またまた安静だ・・・・・ 治療は長引くとの事で、またまた当分医者通いの憂鬱な日々が続く。 そうだ、こんな時こそ踏まれても、踏まれても花を咲かし続けるタンポポの強さを見習おう♪
2008.04.19
退院時には担当医師から『腹帯及びハートハガーの装着と運転の禁止』を言い渡された。 『腹帯』は開胸部の固定に役立ち、傷口の開口を防ぐもので直接皮膚の上に装着する。 『ハートハガーは』術後の胸骨の痛み緩和や骨折部の安定に役立つそうで、着衣の上から装着する。ハートハガーは二ヶ月、腹帯は三ケ月の装着を言い渡された。腹帯 ハートハガー 自力で運転できないと通院にも困るので、タクシーで市役所まで出掛けて相談したら『生活支援事業』と言うのがあって、病院等への送り迎えをしてくれる業者がおり、市からも1時間当たり200円程度の補助が出ているそうだ。 早速業者名簿を貰って市内の業者に連絡を取り、正式な契約を結ぶ。 退院直前の血液検査では『感染症』の値が2以下だったが、退院一週間後の検査ではそれが3.5、さらにその翌週には4.7へと上昇していて、医師から『再入院』の提案がなされたが、もう一週間様子を見て欲しいと頼み込み抗生物質の点滴を2本受けた。 その点滴が効いたようで退院後三週目の外来(4/17)では再び2以下に下がっていて、ほぼ感染症の不安は解消したようで運転の許可も出た。 取り敢えず大きな不安要素であった感染症の心配が薄れ、医師も久々に明るい笑顔を見せた。 庭のアネモネは二種類あるが、この日の丸を連想させる真っ赤なアネモネは私の好きな花の一つである。
2008.04.17
大部屋に移動させられた翌日からは早速退院に向けたリハビリが始まった。 内容は日常生活に支障のないように自力歩行できるようにする事で、初日は病棟内の廊下を凡そ100m歩く。二日目は200m。三日目・四日目は200mづつ延ばして五日目には800m歩かされ、六日目からは歩行800m+階段10段づつが追加され、最終的に歩行800mと階段60段を自力で上り下りできるようになった。 リハビリの最終段階は何故かシャワー、最終日は入浴と言うスケジュールになっいて、入浴に問題がなければ退院と言うコースになっていた。 どちらも問題なくこなせたので術後17日目に手術の結果説明を受けて、翌土曜乃至翌々日の日曜日に退院の許可が出た。3月29日(土曜日)が“大安”なので土曜日午前中を希望して届けて出た。 しかし、この頃体温が37℃を少し上回る微熱が続いていて医師も退院を躊躇していたが、病院生活に飽きすっかり退院モードになっていた私は退院を希望して願いを叶えて貰う。 退院後は一週間に一度外来通院で観察を続け、外科的に問題が無くなったら『循環器内科』の医師に引き継ぐとの事だった。 今日の日中は気温も上がり、東北地方南部では早くも『夏日(25℃以上)』の気温を記録したそうだ。 我が家の花壇も賑やかで、赤い花びらに二本の白線が入った可愛いチューリップが満開となって庭を華やかに飾ってくれいてる。
2008.04.16
入院中はビジネスダイアリーもほとんど記入していなかったので記憶が散漫であるが、それでも断片的な記憶を繋ぐと幾つかのトラブルがあったようだ。 手術予定(3/12)日前週の土曜日には担当外科医から『術前説明をしたいので家族を集めて欲しい』旨要請があったが、長男はどうしても仕事の都合がつかず面会時間ギリギリの19時に来て医師の説明を私から“叉聞き”して帰って行った。 医師による術前説明は凡そ2時間程度掛かり、手術のスケジュールの他各種リスクについて詳細な説明がなされたが、バイパス手術について事前の知識もなかったのでただ医師の説明を一方的に聞くだけになってしまった。 術後に少しトラブルったのは、術前に絶対安静についての説明が一切なく、『ICUで目が覚めたら口の中にある酸素吸入を絶対に外さないように』と言う注意は受けていたものの、それ以外の注意は一切受けていなかった事である。 ICUに二泊して一般病棟の個室に入れられたが、『個室にいる間は絶対安静』とは聞いていなかったのでベッドから出て水を飲みに行こうとしたりして看護師から酷く怒鳴られたのが記憶にある。 私が動き回るので個室二日目の夜中は車椅子に乗せられ記録室(ナースステーション)に隔離されてたようだ。 後日判明した事だが、個室二日目の夜中12時過ぎに看護師長から自宅に電話があって『看護師の業務に差障りがあるので、患者(私)が落ち着くまで付き添いをして欲しい』との要請があったそうだ。 大体、夜中の12時過ぎに病院から電話が入れば家族がどれほど驚くかも気づかない“職業馬鹿”ぶりに呆れる。 そもそも入院時には、完全看護で付き添い不要との説明があった筈である。 妻は仕方なく二晩連続で私の個室に付き添いする事となり、ストレッチャーで仮眠を獲った為疲労も重なり、案の定風邪を引いてしまいその後二週間ほど拗らせてしまった。 病棟では私が相当暴れたような評判になっていて、看護師が変わる度に『随分暴れて記録室に隔離されたんですってねー』などと皮肉たっぷりに言われたものだ。 手術から一週間ほどしたある日の担当医の回診があった時初めて『実は手術中に胸骨と左側肋骨の二番目を骨折させてしまったけれど、ワイヤーでしっかり固定して“筋金入り”にしたので心配ありません。』と説明され、ようやく自分の現状がただならぬ状態にあると気づかされる。骨折も初体験だったのでその痛さも知らず、手術の傷口が痛んでいるのだろう程度にしか考えていなかった。 そういう肝心な事は真っ先に伝えるべきで骨折した事を知らない私はやってはいけない行動を数多くやってしまったようだった。 案の定、胸骨に聴診器を当てると骨のズレた音がし、この時初めて注意すべき行動について説明を受けた。 一方で、この頃になると体中に巻き付いていた様々なチューブ類が日ごとに一つづつ外され段々身軽になってきたものだ。 一週間ほどすると突然個室から一般病室(六人部屋)へ移動させられ絶対安静も解けて日常生活は自力でする事になったが、血圧が低く頭の中が重く何もする気になれない。 食事も歯磨きもトイレも何もかもが面倒で、何もせずにただジッと横になっていたかったが口から食事をしない事には元気が出ないだろうと必死で食事をしたものだが、食事をすれば歯磨きは必須で食事の度に何とも気が重くなったものだった。 今日の陽気に誘われて庭の花を眺めていたら、庭の片隅に植えもしないタチツボスミレが花をつけていた。
2008.04.15
入院以来暇な日々を過ごしていて、一日一回“X線撮影”や“心エコー”、“呼吸機能検査”がある程度であった。 様々な検査の結果、当初の予定通り『冠動脈バイパス手術』で治療する事が最終決定したが、手術予定日の四日前になって医師から突然『歯周病菌の確認の為、今から院内の“口腔外科”を受診するように』指示されたので口腔外科を受診した所、歯科医は口腔内部のX線写真を見るなり『左下奥歯に歯周病菌があって、今から治療してもバイパス手術には間に合わない』と言い出し、院内電話で外科医師と長い事話し合っていた。 結果的に、歯周病の治療は見送られ歯周病菌を持ったままバイパス手術を受ける事となった。 後日、これが大きなリスクとなるとは予想だにしなかった。 入院以来、毎日暇にしていたのだから、もっと早く口腔外科を受診するチャンスは幾らでもあった筈なのに。。。。。。 この時、入院当初に同室の患者から『あんたよくこの病院で心臓手術を受ける気になったねえ』と言われたのを思い出す。 そして、外科医から歯科医への紹介状に『不安定狭心症』と記載されてあり、この時初めて自分の正式病名を知った。 バイパスに適用する血管は当初左手からと説明されていたが、胸を開いた時の血管の状態に左右されるとの補足説明もされていて、結果的には右足の静脈を使用したようだった。 事前説明によれば、手術当日は7:30過ぎに点滴による麻酔が施されストレッチャーで運ばれて8時には手術室に入り、全身麻酔等術前準備の後10時頃から手術を開始し、順調なら18時頃に終了する見込みとの事であった。 つまり、順調であっても凡そ8時間の大手術と言う事になる。 手術中の遠い記憶の中に、医師たちの談笑する声が断片的に聞こえたのを覚えている。術後はそのままICUに運ばれたようだ。 呼吸が苦しくて眼が覚めた時、回りの雰囲気から自分がICUに居ると気づく。酸素吸入を施されていて喋れないのでICUの看護師に『呼吸が苦しい』旨をジェスチャーで訴えたが、『今、夕方の6時過ぎでたった今先生が容態を確認して戻ったばかりで、9時にまた様子を見に来てくれる事になっているのでそれまで我慢して下さい』と諭され仕方なく再び眠りに入る。 虚ろな記憶の中で9時になったろうと思われる時間に再び看護師を呼ぶと『今、朝の6時なので先生はいません。8時まで待って下さい』と言われ、苦しいながらも我慢をして三度目の眠りに就く。 その間も酸素吸入が苦しく喉から口の中までカラカラに乾き切って灼熱の砂漠にいるような苦しみを味わった。 8時前に医師が来てくれて早速酸素吸入を外してくれ、ようやく喋る事が可能になった。 ICUには二日間居たが、記憶はほとんど断片的・朧な状態でその大半は寝ていたようだ。 手術翌日の朝、外科の教授回診があって『心臓は完璧に治したから安心して下さい』と言われた記憶があるがそれも虚ろで確信がない。 庭の片隅に毎年花をつける木瓜。緋木瓜の色鮮やかな緋色もお洒落だが、私は名前に相応しいこの橙色が好きだ。
2008.04.14
3月4日、予定通り入院する。 パジャマに着替え一休みしていたら看護師がやって来て、入院時身体測定を行う。社会人一年生の入社時身体測定以来身長173cmを維持していたが、今回数年ぶりの測定ではな・何と169.7cmに縮んでいた。 その後、別室で『既往病歴』や日常生活習慣等についてあれこれと細かく聞き取り調査される。 『調査票』記入後に昼食となったが、相変わらず味付けの薄い野菜がメインでお世辞にも美味しいとは感じない。 午後からは特別する事もなく、妻を自宅へ帰す。 病室は六人部屋だが、幸いに入院患者は四人で比較的ゆったり気分で居心地も良い。病室と拘置所では年齢・社会的地位に関係なく後から入った者が挨拶するのが普通らしいので、同部屋の三人に挨拶を済ませる。 久し振りにパソコンのないTV生活に戻るが、昼間のせいもありどのチャンネルも余りに下らないので一寝入りする事とする。 30代の頃は入院=読書三昧であったが、近頃老眼でとても読書をする気にならない。 夕方の検温が済むと暫くして夕飯となった。時刻は17:40だ。昼食後ほとんど動いていないので腹は減っていないし、おかずも昼食と似たり寄ったりなので食欲が湧かなかったが、無理矢理胃の中へ押し込む。 食器を下げるとタイミングよく夕食後の薬が配られそれを飲んだら21時の消灯まで何もする事がなく、歯磨きの後面白くもないTV放送を眺めて暇を潰した。 病院では一般的に6時起床、21時就寝なので普段の生活とは大きくかけ離れ、慣れるのに一苦労する。枕が合わないせいもあり寝付きが悪く、睡眠導入剤を処方して貰って何とか眠りに就く。 朝はカーテン越しの日差しが眩しく、ひとたび起き上がり検温等を済ませるとまたうたた寝をした。
2008.04.13
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