この日
、ちらし配りから帰って まもなくして
姉から呼び出しの電話があり、行ってみると
母がベッドの上で 苦しそうにしていました。
呼吸が荒く 身の置き所がないような感じ・・・
寝かせてくれと言ったり、また起こしてくれと
言ったり、でも、少し治まって寝るというので
帰ってきましたが すぐに 呼び出しの電話・・
起こしてくれ、寝かしてくれ、横向きに、反対の
向きに変えてくれ、足を上げてくれ、下げてくれ
居ても立ってもいられない苦しみの中で、もう
十分に生きたから病院に行かなくてよいとか。
夜10時過ぎ、いつものH病院に電話をしても
つながらず、どうしたものかと母の言うように
していました。12時頃、入院はさせない方が
良いと言っている親族に電話したけど留守電。
七転八倒の苦しみって、このことかと思ううち
脂汗が滲んできて、翌1時頃、H病院に電話。
夜警の人が出てくれて、N先生に何かあったら
いつでも電話をするように言われていますので
と伝えると、N先生が電話に出てくれました。
母の様子を伝えると、自分が迎えに行くことは
出来ないので、救急車で来て下さいとのこと。
119番にかけると、まもなくサイレンの響き。
母と姉と三人で病院に行くと、N先生、看護師
さんたちが待ってくれていて、すぐにベッドに
救急隊員に酸素マスクをしてもらっていましたが
それに加えて、お小水の量を測りたいので尿管を
入れますとのこと。
朝3時頃、看護士さんに帰っても良いですよと
言われ、姉と一緒に帰ろうとすると、N先生に
どちらか一人残って付いていて下さいとのこと
それで、二人で残っていました。
朝6時に姉がいったん家に帰り、その後、私が
付き添っていると、姉の名前を呼んで、すごい
力で酸素マスクを外そうとしました。その腕を
押さえているのに筋肉痛がおこったほど・・・
でも、苦痛はだんだんに治まってきたようで
朝8時頃に 姉も戻り、N先生が 回診に来て
下さったころには穏やかになっていました。
N先生が言われるには、300ccしか 入って
いないのに1.6リットル出てますねとのこと。
ふくよかだった母の顔が、ほっそりして皺だらけ
元気でつややかだったのは浮腫んでいたため?!
心不全だけど心筋梗塞は起こしていないとのこと。
とりあえず、家に帰って 一眠り、姉が持って行った
入院用品のうち、足りないものを買い揃えて、午後
また 病院に持って行き、説明を聞いたりしました。
これが、写真展の前日でした~
一時は、写真展も、姉のチャリティセールも
中止かと考えましたが、それでも何とか実施
でき、本当にやれやれと思っているところ。
入院した母は翌日には、ここは いい所だ、最高だ、
空ガ良く見えるし最高と何回も言っていました。
三日目からゼリー食がでて、副食は完食。
でも、それも二日間位のことで、その後
喉の通りが悪くなり、副食が 数口だけ、
その分、点滴のお世話になっています。
朝食介助に私が行き、昼は行かれる時
わが娘Mが、夕方 姉が行っています。
でも、今朝は なかなか飲み込めないでいるのを
看護助手さんが上手に薬も飲ませてくれました。
やっぱり、病院のスタッフの方々は
お上手だと 改めて 感心しました。
97才の母に、筋トレを始めました~♪
いくつになっても 『 らく』 を させない
とか思って、無理やり筋トレを5か月ほど
やってきましたが、良かったのかどうか
母は 精一杯 がんばっていたんだな~と思います。
今は、やすらかな顔をして、身も心も休めてか
心地良さそうにしてくれているのが救いです。
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