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従姉が昨年10月に亡くなりましたあけまして・・ではなく、寒中お見舞いを申し上げているのはそのためです従姉の病名は若年性アルツハイマー、ということになっていて確かにそうに違いないのだけど、実母の発病期間と比べると、ずいぶん様子は違っていました昨年の夏から、呼吸停止が頻繁におきるようになりその都度、声をかけていただいて復活していたんですがこれもまた、脳からくる・・・とのことで呼吸器などをつけての延命処置は、伯母も従姉の子供達も望んでいなかったので秋といってもまだ温かかった頃亡くなる前日から呼吸の乱れが激しく今回は復活できないまま、亡くなってしまいました8月生まれなので、今年の8月を迎えていたら還暦まだ50代の若さで、この50代を病を抱えて過ごした従姉です姉と思い、姉妹のように育ってきましたただただ、悔しく悲しく、残念でなりませんでも従姉の娘の花水木ちゃんが来月出産予定です新しい命を知って、母体の安定期を待って従姉は娘に命をつないで、旅立ったのだなと、思っています今は、伯母の今後のこと、花水木ちゃんの出産のこと楽しみでもありながら、不安でもあります赤ちゃんは男の子なんだそうで、ママの強い味方になってくれる優しい子に育ってくれるといいなと思っています従姉の息子のお沢庵も、それなりにお仕事をしている様子でさて、どうなることやらな状態は変わらないものの何とかやってるみたいです我が家では昨年後半から、先日も書いたとおり舅と実母が同じ施設の別棟での生活になりトドが舅のところへ行くときは、トドだけ舅のところへ行き、私は実母のところへ行くなど、できるようになって助かっていますこのブログには、母の初期の様子から、父のこと、従姉のことなど私にとっては忘れがたいことを書き込んできています以前のように毎日とはいきませんがまた、書きます御精読ありがとうございました今年もよろしくお願いします(^_-)-☆
2014年02月07日
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この年の二月に花水木ちゃんがめでたく結婚し、その直後にトド(夫)が痛風発症本人もそれまでの暴飲暴食を反省したのはいいんだけど発症直後からほとんど食べなくなって一か月ほどを過ごしたある日お稽古場所へ迎えに行くとふらふらする、とのこと、食べてないからね・・・(^^ゞお医者さんに行きたいとの要望があって時間外の窓口へ行き、点滴をしていただいて急激なダイエットについての危険性を諭していただく全く極端な人だとはいえ、最初の一か月の節食で5キロほど落ちた体重はその後もお野菜中心の食生活と外出先でジュースを飲んでいたのをお茶にしたりお酒も控えていたので三か月ほどで15キロ、という別人みたいなダイエットに成功七月の舞台ではこれまでにはなかったことだけど、舞台あいさつをし「15キロ痩せまして・・・」のくだりで会場がどよめいたりしたのだった私はどうかといえば、普通より少なめに作っても、トドが残したりするものでそれを片付けるために、食事量に変化はなくつまり体系にも変化がないという、当たり前の結果、日々変わらずだんだん、旦那との体重差が無くなっていくのはいかがなものかとおもったりしていたのでございました痛風ダイエットは効果的やなぁ・・・と思っていたら昨年のやはり二月、今度はヘルニア発症最初の一か月は夜も眠れないほど痛みがあってでも三月には舞台のお仕事もあって、痛みを抱えながらなんとかやり遂げたんですがその後も痛みはひかず4月13日(実母の誕生日)にレーザー手術を試しに受けてみたけれど、完治はせず今に至ります一昨年後半には、元の暴飲暴食ほどではないけど、食事はずいぶん普通?になっておりヘルニアで動けないものだから、毎日車での送迎になりつまり・・・リバウンドして、今は元の体型になっているのでありました(笑)やっぱり急激なダイエットはあかん(笑)ま、それはさておき七月から実母のグループホームでの生活が始まりほとんど歩けない状態で、立っていることも難しい状態で移転した母はグループホームでのケアのおかげで、少し手引きで歩けるようになっていましたこれもまた、今はまた、ほとんど歩くことは無理な状態になってしまっているのだけど・・実母がグループホームで生活を始めたころは舅は背中合わせのような位置にある老健に入所していて9月になれば、実母と同じ敷地内にある特養に戻ってくることになっていたので私が通う先はほぼ同一地域だったのだけど8月に入るころに、老健から続けて受け入れられない、という申し出があってあわてて舅の生活場所を右往左往して探した夏でした舅の生活場所になったのは、我が家の最寄り駅から一駅隣の駅前に、春にできたばかりの、高齢者住宅駅から近いというのは、トドが通いやすく、といっても結局は、施設探しや引っ越しなどはすべて私へとへとなのに、痩せないのはいいのか?老健で生活していた舅は、車椅子に座った状態のままで、足を使って自分で移動できるようになっていたのに高齢者住宅に移ったら、それができなくなっちゃった普通・・といってよいかどうか分からないけれど自宅で生活が難しくなってきた高齢の方の住居の推移としては高齢者住宅のようなところから、老健などを経て、特養にというコースに思えるこれは、だんだんとケアも細やかになると考えることができると思うけれど舅は逆のコースをたどったので高齢者住宅に入所してすぐに「ここはあかん」という申し出があったナースコールを押してもすぐ来てくれない言葉遣いが良くない食事がまずいなどなど嗜好に合わないということだけでなく私たち家族が見ていても、介護という点では不備の多いところだったためあっという間に舅の介護度は2~4に上がってしまった舅は、頭はしっかりしているので、相変わらず自分であれこれ悪い方向に考えていてもともと肋骨の骨折で車椅子になったのに手が動かない、お箸が重くて持てないから、スプーンにしてくれ・・・スプーンのほうが重いけど・・・ナースコールの反応は遅いのに、舅の変な要望への対応は早くて食事が取れない(まずいから)という言葉への反応からかエンシュアが毎日出されていたりして私たちと食事に行くと、ステーキを平らげたりする(お箸で)舅がなんでエンシュア?!他にもいろいろとありましてこのままではあっという間に弱って死んじゃう・・それはそれであり?介護の度合いも上がったし、一年近い生活ですっかり弱ってもいる舅のことを特養のケアマネさんに再度相談して、昨年の9月にめでたく特養にロングショートステイという形で、受け入れていただいている今です。というわけで、今は、舅が特養、実母がグループホーム、という同じ敷地内での生活になり私の通う先は一か所になっていますというわけで、本日はこれまでまだまだ続くのであります
2014年02月05日
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新年もあっという間に二月昨年はとうとう一度も書き込まなかった楽天ブログに色々とご報告です一昨年、父の命日に投稿していますがその少し前の春、三月末に舅が自宅で二日続けて転倒、一日目は顔面着地で顔に裂傷、二日目にとうとう肋骨を微骨折しましたそれ以前から、歩行器に体重を預けほとんと45度に傾斜して歩いていた舅でしたので肋骨に痛みがあるととても歩行器が使えず、車椅子使用者になり数日自宅で私が担いでトイレ介助などの介護をしたものの、ギブアップ舅のケアマネさん所属の特養でショートステイを急遽お願いすることになりとりあえず、骨折の痛みがとれるまでの間の予定でのショートステイでしたが一度車椅子の生活になると、舅にはもう一度歩く意欲はなく約一か月の特養でのショートステイの後、老健に移って9月までリハビリをすることになりましたが積極的に歩く意志のない舅を自宅へ連れ帰ることはもう無理というトド(夫)の判断で老健の生活を終えた後、自宅にほど近い高齢者住宅での生活になりました。この間、老健での生活を三カ月過ごした後、特養でショートステイ一か月を挟み、また老健に三か月、という老健と特養を行ったり来たりというパターンをケアマネさんが提案してくださって老健も入所時はその提案を受け入れて下さっていたのだけど結局、舅があれこれ飲んでいるお薬が高価になることから、お薬も丸抱えでの経費になる老健では、舅を継続で受け入れることはできない、という判断になってしまい結局、その時点では特養の入居者になるには介護の度合いが軽いことから老健で紹介していただいた高齢者住宅に入居することにしたのでした。この右往左往の間に、いよいよ舅も施設暮らしになり、実母のところにも回りたい私は今迄に増してうろうろしなくちゃいけないことが予想され舅がショートステイをしていた特養には同じ敷地内にグループホームがあり、実母を移したいことを、ケアマネさんを通じてお願いしてみることにしたのでした姑がお世話になった特養でもあり、姑のところへ通っていた舅のことを覚えて下さっているスタッフも多く居られということは私を覚えて下さっている方も多いわけでだからかどうかわからないけれど実母を7月からグループホームで受け入れて下さることになってめでたく移転しましたこの施設は我が家から車で10分ほど、歩いても30分くらいの場所なので実母を訪ねるのは楽になっていますこの移転に先立つ初夏に実母がトイレで頑張った時に意識喪失頑張ったためか脳に血が通わなくなるという、虚血性貧血なんだそうで救急車で病院に搬送されるという事件がありました倒れたのが金曜日だったので、週末の間様子を見るために入院し月曜日には検査の結果問題ないとのことで施設に帰れたんですが搬送先の病院が、としちゃんの御近所ということもありお見舞いに来ていただいてしまうという嬉しいハプニングもあったりしましたとはいえ、救急搬送の連絡を受けた時はいよいよなのかと、暗澹たる思いにもなり入院時のお医者様からは、治療の方法がないということでまた、同じようなことが起きる可能性は限りなくあり脳の衰退から来ていることなので、いかんともしがたいというお話今の時点でまだ、同じようなことは起きていないので、おかげさまで、実母も健在ではあります私が救急処置室に駆け込んだ時は、意識は戻っていて「あのね、私さらわれてきたの」などのんきなことを言っていた実母に「おばあさんはさらわれないの」などと返事をした私入院中に付き添う必要があって今回ばかりは旦那に何を言われようとも断固付き添ったため実母はご機嫌さんで過ごした入院性生活だったりしたのでしたで、これがすべて2012年のお話実はまだ旦那関連のお話もあるので、近日アップします乞うご期待?((+_+))
2014年02月03日
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