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実は、大原三千院を眺めてからオフ会の一同はそのまま琵琶湖を逍遥する事にした。ご記憶だろうか?あの毛利衛さんのスーツを仕立てた男。そう、一着10億円のスーツを。彼がこのオフ会の幹事なのである。高い高いといってみても、某国土交通大臣が宝塚時代からごひいきの服飾デザイナーに依頼した一着70万円の防災服に比べてみても高いのか安いのかは一概には言えない面もある。最近、あちこちで処かまわず演説ぶっている危ないオヤジと化している私だ。面白がる人はどこにでもいるもので突然昨年末。とある某政府系の外郭団体から年初に特別な秘密の異業種交流会があるので参加しないか、とアドバイスを貰った。自分のように日本中をさかさまにふってもただひとつみたいな突飛な経験をした人間は、そういう特別のワークショップにでもほりこみしないと。理解を超えているという判断があったらしい。まあ、時間を適当につぶされるのかもしれないが紹介者が熱心なので、その方の好意をむげにしてはいけないと思い参加することを決めた。当初まるで期待をしていなかったのだけれども、これが予想を大きく裏切って物凄く面白い。やみつきになった。ワンフロアに総勢、60名ものサムライがあつめられる。それが個別に10班に分けられてそれぞれの班がワークショップになる。着席して、焦るの焦らないの。凄いオヤジばかりがあつまっていた。面白いのはみな同じ年代のまるで競合のない、異業種中の異業種。ちがうのは自分をのぞけばみな何がしかをシデかしきたというど迫力だ。場違いなところにほりこまれたと竦む気持ちも湧くが根があつかましいタチだし、同年齢の気安さもあって連日ワイワイと好き放題のことを述べて喧々諤々やっている。右どなりのオヤジさんは、自分とおなじ独身だが先方は菊川玲の大先輩。キャリアに菊印がからんでいる。しかも財閥系総合商社で30年。いちずに宙(おおぞら)のテーマを追いかけてこられた。そう、昨年この日記でご披露したあの会がまだ相互に深い傾倒を維持して今だに続いていたのである。実は、三千院で写経をしたのもこの仲間だ。自分は、水に魅入られた一人として琵琶湖を散策しようとかねてから考えていたのだが、まさか琵琶湖を本気で勉強しようという会になるとは夢にも思っていなかった。そんなこんなでオフ会はついに琵琶湖畔で一泊ののちに近江八幡へあのボーリス記念会を訪ね、岡林信康を巣立たせた例の教会を眺めて、なんとついに滋賀県立琵琶湖博物館にまで足をのばすことになった。いや、琵琶湖がこんなに凄い湖だったのかと一同仰天した。しかし知らないことが多いという事は幸せだ。つくづくそう思う。秋の日の一日。すっかり琵琶湖について教えられた。その知的な刺激の触発さ。貴重である。ぜひ京都に出向かれたならば、この地の素晴らしい景観の中で県立琵琶湖博物館へ足を向けられることをお勧めしたい。
2004年11月28日
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異業種交流会のオフ会で、京都三千院へ。なかなか素晴らしい演出のなされた境内を満喫しました。シャルドネは、三千院の境内で写経をすませて心すべらかな裡に秋の大原里をおちこち散策させてもらいました。驚いたのは、お隣の実光院の庭園。実に、しっとりと落ち着いた境内で、その瀟洒なお寺では紅葉と不断桜という不思議なコントラストを楽しめたことです。この季節に咲く桜があって、紅葉と一緒に楽しめるんですね。
2004年11月27日
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実は、はじめてマイケルムーアの映画をみたときに既視感が湧いた。つまり直感的にこの映画は、「あの映画」の流儀だと思った。「あの映画」とは、自分にとってもまさしく「あの映画」と呼ぶに値する映画である。今日は、「あの映画」とわたし(シャルドネ)との出会いについて語りたい。つまり、かずかずの映画をみてきた自分は映画館のシートにすわりながら映像を眺めているだけでも、脳裏に折り重なるいくつかの記憶の中からムーアの作品がたちまち記憶するあの映画と重なり合った。調べてみればすぐに分かった。ムーア自身が深く傾倒し親交を深めた人達に「あの映画」が関与していたのだ。(クリックでジャンプします)1989年、いまをときめくマイケル・ムーア監督が当時にもひとつの問題作を世に放っている。「ロジャー&ミー」である。この映画作品にスタッフとしてケヴィン・ラファティKevin Rafferty と、ジュディ・アービングJudy Irving が控えている。「ロジャー&ミー」 (1989)メディア 映画 上映時間 90 分 製作国 アメリカ 公開情報 WB 初公開年月 1990/06 ジャンル ドキュメンタリー 監督: マイケル・ムーア Michael Moore 製作: マイケル・ムーア Michael Moore 脚本: マイケル・ムーア Michael Moore 撮影: クリストファー・ビーヴァー ジョン・プルーサック ケヴィン・ラファティ Kevin Rafferty ブルース・シェーマー 音楽: ジュディ・アービングJudy Irving ジュディ・アービングJudy Irvingとは、いうまでもなく来春早々にこの日記のタイトル「新発想ビジネスヒントフォーラム」にあるとうり。来春大阪北市民教養ルームでオフ会をひらく予定だ。その際にビデオ鑑賞する作品「ダークサークル」の監督である。87年、自分は三菱系の下位商社で会社倒産の憂き目にあった。その会社では主に食料品を扱っていた。かつては関西の優良中小企業50社に数えられたという時代もあった。しかし、すでに最盛期を越えて迷走した経営陣に翻弄されながらグリコ森永事件や忘れもしないソビエト巨大原発事故チェルノブィリなどに遭遇した。会社はご多分にもれず一部役員による放漫財政と実にくだらない不動産投資。バブルを待たずに早々と倒産した。その企業で、頭をかかえた同僚たちと当時のわたし、シャルドネは生活を立て直すためにとりあえず販売ができるものは躊躇せずに売るという生活をしていた。ある日、営業中に耳にしたラジオ番組。そのインタビュー内容から巨大原発災害の不思議な側面を教示された。87年の事だ。この不思議な胸騒ぎから、さまざまに調べ歩いた。ついに答えを与えられることはなかった。人は、なぜこのような巨大なカタストローフ(破局)を避けることができないのか、その答えはKevin Rafferty やJudy Irving の映画作品にたどりついてようやく教えられたという思いがある。マイケル・ムーアMichael Mooreはそのドキュメンタリー作品の製作について、師事した映画人。ほかならぬケヴィン・ラファティ監督Kevin Rafferty その人だったらしい。おなじく映画「ロジャー&ミー」の制作スタッフに、「ダークサークル」のジュディ・アービングJudy Irving は今知った。ご存知のように記録映画「ダークサークル」は、アカデミー特別賞やTV界の最高権威として知られるエミー賞などさまざまな栄誉に浴している。しかしながら、いやそれ故にか。日本では未公開のままである。来春、1月8日。たまゆら1/f氏を迎えて、皆さんにはじめて「あの映画」をご披露できることを心から楽しみにしている。
2004年11月23日
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不思議なところを捻挫しました。キーボードにはさしつかえがないのですが、人差し指のつけ根です。「ちょっと安静にしていろ」と、かかりつけの整骨院のオヤジから言われました。ちょっとだけお休みしています。でも指が動くので、すぐに復帰することでしょう。(笑)
2004年11月21日
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土曜日、ひさしぶりに有馬へ。有馬にも瑞宝寺という渋みのある公園があります。平素、あまり有馬など意識になかったのですが、意外に関西でも近場でいいところがあるものだという気がしました。あの源泉かけながし問題にまみれて、少々温泉ファンを減らし気味との声もききましたが、いまがチャンスかもしれません。これまでファンの声等をきちんと反映してこなかったあの温泉問題の直後でもありおそらくはこの業界の猛省もあってか、意外に地域の雰囲気が良かったですね。
2004年11月20日
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ionic mobility イオンiが電場(電位勾配,SI単位はVm-1)のもとで移動する速度vi(SI単位はms-1)は,電場の強さEに比例する:vi=uiE.その比例係数ui,つまり単位電場強度あたりのイオンの速度をイオン移動度という(SI単位はm2V-1s-1)食塩を水に溶かせば、たちまちナトリウムと塩素のイオンに電離する。こんなことは今どき、子供でも知っている。いくら日本の児童の知的レベルが下がったといっても、知らない子供は少ないのではないだろうか。もし、知らなかったらまだ学習していないというだけの話だろう。ところが、1883年頃には(つまり19世紀)ではこんな話はど外れた「怪説」だったそうだ。当時の最先端科学の権威者の世界では、安定した化合物が水の中でナトリウムと塩素に電離してナトリウムと塩素にセパレートしているのならば、あの怖い塩素の特有な色や臭いを発生しないのは何故か、という意見が時代の知性とおぼしき科学者からも澎湃とでてきたそうだ。そもそも電圧をかけてもいないのに、どうして化合物が電離するのか、というわけだ。考えてみれば不思議な話でもある。われわれの常識は、けっして無造作に常識となった訳ではない。実は、イオンの水溶液中での移動という考え方は19世紀の科学者の常識を越えた革命ののちにあらわれた比較的新しい知見なのだ。当たり前のことだけれども、水の中ではH+とOH-というイオンがふんだんに存在する。--------------------------陽イオン 移動速度--------------------------H+ 32.6Li+ 3.4Na+ 4.4K+ 6.6Rb+ 6.9Ca+ 6.9NH4+ 6.6Mg2+ 4.7Ca2+ 5.3Ba2+ 5.7Al2+ 4.1--------------------------陰イオン 移動速度--------------------------OH- 17.7F- 4.9Cl- 6.8ClO3- 5.7ClO4- 6.1Br- 7.0I- 6.9CO3-- 6.3SO4-- 7.1CrO4-- 7.4PO4--- 4.9--------------------------移動速度の単位は、冒頭にかかげた難しい表記で、Cm2と電場を関数であらわしたSI単位で構成されているので理解はのちほど個別におこなっていただいて、その値のサイズを比較して眺めてもらいたい。水の構成要素であるH+もOH-もあたりまえとみるかどうかは知らない。ありていに言えば異様に「韋駄天」(いだてん)なのである。つまり速い。これは異常なほどに速いイオンなのである。大事な仕事をするものは、いずこも足が速い。水の中で水素イオンや、水酸イオンの移動速度が速いことはかならず水の性質に大きな影響を与えているはずである。お釈迦さまが亡くなったときのことです。捷疾鬼(しょうしつき)と言う足の早いものが、お釈迦さまの 遺骨を奪い須弥山へ逃げました。それを見た韋駄天が一瞬のうちに頂上まで追いかけてゆき無事遺骨を取り戻しました。132万Kmを一瞬のうちに走ったので、韋駄天は足の早い事で有名になり、韋駄天走りという言葉が生まれました。またこの由来から、修行をさまたげるものがあると、走ってきて魔障を除くといわれ修行をする場所に守護神としてまつられます。 時間があれば、また今晩このあたりに触れようと思う。
2004年11月09日
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このシリーズを続けてきて、知っているつもりをひとつづつ確認しているうちにますます日頃知っているなどと思いこんでいる事がおこがましいと思われるほど、われわれの「水の惑星」の凄さを痛感する。なんと我々の知っていることの皮相なことか。なんと我々の欲のありかたは瑣末なものか。なんと我々の美意識が歪なものか。水は、宇宙のいずこかで繰り返し宇宙を揺るがすほどの巨大な核融合の大爆発を繰り返し。ついに生成した元素たちが想像もできない長い長い、読みきれないような長編叙事詩の果てに今の姿になる。われわれの起源は遥かむかし宇宙の塵(ちり)のように散らばっていたらしい。雲、雨。地下水や、河川、湖沼、そして海・・・太平洋、大西洋、地中海そのことごとく。その水滴のひと粒ひと粒が宇宙の塵からこの地上に舞い降りてきた三千世界のすべての歴史を通過してきた万有世界の証人だ。水は巡回、循環しながらもさまざまなものを溶かし込み、分散して瞬時も留まらず移動する。そして、水そのものが団塊となり水力の変化はとどめることもなく岩、砂、古木などを朽ちさせて運び去り、岩を砕く。ときに水蒸気と化して大気中に虚空を舞う。大気は、洗い清められて微生物に命をあたえながら地上に遍在するようにふたたび三度、幾たびも舞いおりてくる。他の物質の局所偏在をただし調整的でもある。それでいながら、地球ではこの環境を巨大な俯瞰でながめたときにある一定の環境条件をわりあいに狭い範囲に集約しているかのようにみえる。その中でなだらかな恒久性を維持してきた。それは繊細できわめて微妙なバランスのようだが、われわれの命の秘密そのものに深く関っているように思われる。 CLXXIX Roll on, thou deep and dark blue Ocean -- roll! Ten thousand fleets sweep over thee in vain; Man marks the earth with ruin -- his control Stops with the shore; upon the watery plain The wrecks are all thy deed, nor doth remain A shadow of man’s ravage, save his own, When, for a moment, like a drop of rain, He sinks into thy depths with bubbling groan, Without a grave, unknell’d, uncoffin’d, and unknown. CLXXX His steps are not upon thy paths, -- thy fields Are not a spoil for him -- thou dost arise And shake him from thee; the vile strength he wields For earth’s destruction thou dost all despise, Spurning him from thy bosom to the skies, And send’st him shivering in thy playful spray And howling, to his Gods, where haply lies His petty hope in some near port or bay, And dashest him again to earth: -- there let him lay. CLXXXI The armaments which thunderstrike the walls Of rock-built cities. bidding nations quake, And monarchs tremble in their capitals, The oak leviathons, whose huge ribs make Their clay creator the vain title take Of lord of thee, and arbiter of war -- These are thy toys, and, as the snowy flake, They melt into thy yeast of waves, which mar Alike the Armada’s pride or spoils of Trafalgar. CLXXXII Thy shores are empires, changed in all save thee -- Assyria, Greece, Rome, Carthage, what are they? Thy waters wash’d them power while they were free, And many a tyrant since; their shores obey The stranger, slave, or savage; their decay Has dried up realms to deserts: -- not so thou; -- Unchangeable, save to thy wild waves’ play, Time writes no wrinkle on thine azure brow: Such as creation’s dawn beheld, thou rollest now. ジェームズ・ラヴロックという英国の科学者が。すでに25年程も以前にこのことに気づいた。地球の表層は、ひとつの巨大な生き物ではないのか、という夢想に近い視点の提唱である。これを「ガイア仮説」というらしい。しかし、皮肉なことにこのガイアを唱えられたその歴史的瞬間にどうやらすべての生物の進化と最適環境を創出する巨大システムであるガイアは、崩れかけているらしいのだ。崩しているものは、ほかならぬガイア仮説を提唱した科学者の同類であるわれわれ人類そのものだ。このガイア圏に、われわれ人類が登場したのは、100分の4億年前。「ちょっとお邪魔します」と、あらわれた新参のニューフェースなのである。しかし、この人類を定義すれば「水を汚すもの」ということになろうか。ガイア仮説とは、人類が水を汚すことにより浮上した課題とともに輪郭が明瞭となった、知(人智)の自己言及のひとつなのだろうか。
2004年11月08日
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化石燃料に変わる新しいエネルギー源として注目されている、メタンハイドレート(理論化学式:CH4・5.75 H2O)はメタンガスがある条件下(低温・高圧)で水と化合してできる白いゼリー状または雪のようなもの。永久凍土の下部や深度500m程度以深の深海地層中に存在することが明らかになってきた。メタンハイドレートは加圧と冷却によって生成され、ある温度と圧力の範囲において安定に存在する。実験室レベルでは0℃で30気圧程度まで加圧するとメタンハイドレートができる。 メタンハイドレートなどという物質は、ほんとうに最近まで耳には丸でなじみがなかった。水の物質収容力の凄さを、あまり頓着しなかった時にこんなものが世の中にあると知って驚いたが、さらに驚いたのは日本にもこんな物質が推定賦存量として6兆立方メートルも埋蔵されているという。地域としては、四国・紀伊半島・奥尻・十勝・日高沖・網走沖・西津軽沖など。見たことも聞いたこともなかった物質が、この国土の底深くに存在しているというではないか。日本国民が消費する天然ガスのおよそ137年分規模もあるのだとか。これを資源とみるのか、みないのかという事は別にして水という物質の力量をまざまざと見せつけられる思いがする。(1)燃焼した際に、硫黄酸化物の排出がない。(2)ひろく既知の天然ガスの貯蔵方法である冷却して液体にして貯めるLNG貯蔵法は体積比で600倍の天然ガスを貯蔵することができる。しかしながら欠点としては、天然ガスを液体にするには-162℃という非常に低 い温度にしなければならない。 そのために、当然高価な冷却装置と貯蔵容器が必要になる。 メタンハイドレートは、なにしろ氷の一種である。水を隔離容器に封じ込めて、多少の圧力をかけるもののアイスクリームを作るような感覚で170倍以上ものガスをシャーベットにしてしまえる。(摂氏0度、1気圧時の体積比)これはLPGに準じるほどの秀逸なガス固化法である。(3)自然に埋蔵されているものを採掘するという資源利用の視点以外に、メタンガスの貯蔵法としての選択もいずれに侮りがたく重要な社会的影響を生じさせるものだ。 地球温暖化の全般的危機の中で、地上のメタンガスをこのように利用可能性の高いメタンハイドレート化して保存を試みるという発想は極めて貴重なものではないかと思う。おっと、時間切れ。続きは、また明晩。
2004年11月07日
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水は、よくモノを溶かす。しかし、溶かすというニュアンスを越えまるで倉庫のような気がするときがある。たとえばあの「燃える氷」メタンハイドレートである。くりかえしテレビ報道されて、バミューダ海域の遭難事故原因にも本命説として浮上している。いささか謎めいた物質としてお茶の間の話題をさらった。氷が燃える、というのも法外な話であるが水がもちあわせているその途轍もない懐の広さ。示唆するにあまりある。われわれの大気、1気圧でメタンが水に吹き込まれると水1リッターにつき(摂氏20度)に気体の筈のメタンが35ミリリットル溶ける。これは10万個の水の分子について、メタン分子が2.7個ぐらいのものである。ところが、この状態に加圧してゆくと話が違う。圧力に比例して、水に溶けるメタンの量は増える。水の構造はどんどん高まり、温度を摂氏0℃にまで下げないでも氷が発生し、結晶のようになって固まる。この時点では、水の分子10万個についてメタン分子はおよそ1万7000個というあたりまで行く。水、1リットルに対して216リットルのメタン。その重量は、ほぼ155グラムである。これが燃える氷の正体だということになる。もはや水に溶けるとかいうようなものではなく、水は物質の倉庫のようだ。今晩は、この不思議な氷にまつわる話題を。
2004年11月06日
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「造化の神」という言葉がある。自分は、造化の神とはこの世の水のことではないか、と思わずにいられない。それほど水の惑星は素晴らしい。調べれば調べるほど水に魅了されてしまう。すでに述べたように高温高圧下では水は重い氷になる。水にも沈む。これは面白い科学的な話題のトリビアという事ではなく、いかに水がスキスキな物質であるかをわれわれに感じさせた。体積が同じアルコールと水をまぜるとアルコールと水の双方の体積よりも小さくなることは誰もしっている。水10リットルに水を5リットル足せば15リットルだ。算数の問題にもしやすい。しかし、水10リットルにアルコールを5リットルを足せば、父親が喜ぶ33度の焼酎になる。これは算数の問題にしにくいだろう。焼酎は、14.6リットルである。簡単なことだ。パチンコ球とゴマを混ぜれば同じように体積は小さくなる。つまり体積は、物質の隙間を含んだもので常に物質は元素や分子単体のカサを直裁に示しているものでもないのだった。水は、これほど懐が広い。これが汚れを落としやすい理由の一つだ。逆にいえば汚れやすい。その理由でもある。しかし、ほかにもいろいろ理由もある。焼酎のアルコールは、実は水中で水酸基とエチル基に分離するがこの水酸基は水のすきま(間隙)にはおさまらない。おさまるのはエチル基の方だ。焼酎が混合液としての体積を隠したかのように思われるのは、このエチル基が水のふところに潜り込んでいることから生じている。生活の身近な酒類をひとつ考えても、水はみごとに混ぜ物でありカクテル以前にすでに酒は、水とアルコールがまざりあっている。化学が難しいのか、面白いのか。この好き嫌いが分かれるのは多分物質が水に混じっていない状態と混じっている状態との違いが極端に違っていたりする。それがわれわれの日常の生活感覚から飛躍しているためではないだろうか。逆に、いえばこれからの時代には水についてどれほど学んでも学び足りることはないという気がする。経済社会への影響もさまざまな物質の中で、水という存在ほど大きいものを思いつかない。だから、ビジネスマンにとって水を学ぶことはかならず役にたつ事は間違いない。さまざまな機能性素材は登場するが、水ほどの高い機能性をもった素材も珍しいと思う。
2004年11月05日
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さて、もういちど視点を物性に戻ってみよう。水の惑星のことだもの。知って見えてくるという事も多い。繰り返しになるが水が凍って体積が増える、というが誰も驚かない。これはほんとうは仰天ものの不思議な現象だ。だが誰も驚かない。冷静に考えれば氷点になるころには水はその体積の9%を増やす。これはちょっと尋常ではない。実は、珍しい物質は他にもある。聞けばビスマスという金属があるらしい。聞かれたことがあるのだろうか?ビスマスは、印刷用の活字に用いられている。昨今聞かない活版印刷を思い出して欲しい。融点も低く、加工しやすい。アンチモンというのも同様だ。むかしから複合金属にして、体積が凝固しても変化をしないという面白い合金をつくったりする試みがある。これは余談である。そんな面白い金属も、たかだか膨張率はわずかに3.32%である。水は、話にならないダントツの9%の膨張である。水は、水素同士が独自の結合(水素結合)をして群れるという特殊な物質だった。ちょっと日本人に似ている。一人一人は、まるで無個性のようにみえる集団主義。水は、この集団主義のような集合をなして初めて生じる集団としての性質が前面に押し出された物質なのだ。水の分子の個々がもっている基本的な物性とはいささか違った別の貌をもっていた。実は、水は80℃でも凍る。ウソだと思われるかもしれないが本当だ。発電機のタービンで軸と軸受けが破損する事故があった。実は、原因究明すると潤滑剤の中で水が凍っていた。なんと時と場合により、442℃でも水は凍る。理由は、ある。超高圧環境なのである。氷を20万気圧まで加圧されると信じられない重い氷が発生する。当然ながらそんな氷は水の底に沈むのである。名づけて氷Vとか氷IVとか呼ばれている。氷IVがさらに加圧されたものが氷VIIであり超高圧氷ともいわれる。われわれが知っている冷蔵庫の氷は氷Ihという呼称が付与されており弁別されているのである。実は、水という物質は直径が0.28ナノメーターの球に近い。この球同士はぎゅうぎゅう詰めになっても26%の空気がはいるパチンコ玉に似ている。いや、実はパチンコ玉状態のものは水ではなく究極の氷。水が、平素18グラム(1モル量)で19.6立方センチだとすれば、これは体積が9.56立方センチというぐらいのものである。実際には、パチンコ玉はフロアーの床に転がっていたりする。水は、その分子の密度を演じ分けて無限の表情をみせてくれる不思議な不思議な物質である。さて、今晩もこのあたりを続ける。
2004年11月04日
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このメールマガジンを無断で配布、複製、転載する事の一切を禁じます。発行元: 五郎のイギリス日記編集人: Scot五郎明快に転載を禁じているScot五郎さんのメルマガであるが、この購読を推薦するに際して内容を示すことができないのは手かせ足かせという気がする。お叱りを承知で一部を引用させていただく。(クリックでジャンプします)虫さんの嫌いな人は読まない方がいいかもね。でも明日のご近所さんとの話のネタにはもってこいのネタ!何? 明日のビジネスランチのネタにしちゃう!話がおいしすぎてランチが食べられくなるかも。俺シーラナイ!では。。世界中の森林資源をあなたのお尻のクリーニングにしちゃっている日本人のみなさまに、大事な話。(日本人のトイレットペーパー1日の使用分で地球を35周ほどするくらい使っているなんてね。一人平均1日6m使用とか)森林伐採で地球の気温は上昇し、地球各地で海の下に沈んでしまうことを考えると、日本人はこの件で地球市民の殺害ターゲットになってしまうのではないかとマジで心配している五郎です。世界の穀物資源のかなりの部分を尻ふりではなく、霜降り肉だと称して牛に食べさせてそのお肉を食べまくっている日本人のために今日は大事な話。アフリカなどでの食料危機に備えて栄養価の高いガやチョウ、カブトムシなどの幼虫をマデで見直すように。(Scot五郎)面白い内容が飛び込んできたものだという気がした。Scot五郎氏のメルマガをまるごと無断転載しているようで恐縮だけれども、この内容はほんとうに戦後日本人のついぞ忘れていた感覚を痛撃している気がして興味深い。誰も知るように「実存は本質に先立つ」。同様に興味はモラルに先立つものである。(笑)もう一回重要な部分を引用すると、FAOによると、イモムシはアフリカ中部を中心に既に貴重な食料源で、100グラムの乾燥イモムシには、タンパク質53%、炭水化物17%、脂肪15%が含まれ、タンパク質や脂肪の含有率は牛肉や魚肉より高い。ミネラルやビタミンも100グラムで1日の必要摂取量以上を賄える。乾燥したもので100グラムの芋虫さん。。さぁ あなたは食べられますか?ゴキブリ一匹で夜も眠れないあなた。。次回のFAOレポートはきっと、ゴキブリ一匹ですごい栄養源!とか。。になるのでは。。テレビでアフリカの人たちが食べているのを僕も見たことあるけど。。科学的にビタミン、ミネラルがすごいなんていう話を聞くと、、うーんとうなってしまう。 五郎(クリックでジャンプします)先頃の、この日記にを蚊ほどの菩薩道「三界に家なし」やったばかりなので、あたまが赤虫や芋虫で占められて困惑する。だが虫がどれほどこの地球環境にあって「見えない安全保障」に臨み偉大に機能しているものかを感じさせる処もある。世の中で狭量の人たちは、なにかといえば経済大国との軍事同盟のみが国家安全保障の中核であるかのようにいう。しかし、国などというものは歴史的にみてもどのみちなんども滅びている。国が滅びても人間は生きていかざるをえない。そんなギリギリの危機をなんどもわれわれ人類は経験をしてきている。わが日本人であっても、例外ではない。ましてや個人としては例外どころか日常で飢餓は一衣帯水のリスクとなった。畢竟「この今」においても16歳の少女が病床にあって母親からの給餌を与えられず餓死するなどという事件が生じている。この少女の母親は47歳であったが、われわれの時代の母性も都市化の流れのなかで生物的な本能としては哀しいほどに撹乱され、もはや生き物としてのテイをなしていないまでに崩れてしまっている気がした。その象徴的な事件だという気がする。娘餓死させ母親逮捕 16歳、体重13キロ 体が弱く寝たきりの二女=当時(16)=にわずかな食事しか与えず、1999年4月に死亡させたとして、警視庁福生署は19日までに、保護責任者遺棄致死の疑いで、母親の東京都八王子市大和田町、郵便局員奈良岡恒子容疑者(47)を逮捕した。容疑を認めている。 奈良岡容疑者は二女が寝たきりになってから約7カ月間、食事をあまり与えておらず、死亡時の身長は約140センチ、体重は2-3歳児並みの13キロしかなかったという。 調べでは、奈良岡容疑者は東京都羽村市のマンションで暮らしていた98年9月ごろから、体の弱かった二女晶子さんが体調を崩して寝たきりになり、やせ衰えていったのに、食べ物や水分をわずかに与えるだけで放置、99年4月25日に死亡させた疑い。(共同通信) - 10月19日20時47分更新これは、一人の東京都下の郊外都市での中年女性による異常行動であるという風には感じなかった。まさしくわれわれの現代社会の都市化という所属形式がついにほんらいならば生物としての固有のはずの給餌行動のシグナルをみうしなわせるほどに撹乱を生じさせるのだという、その可能性を具現化したものだという風にみる。逆にいえば、Scot五郎氏が「うーんとうなってしまう」この感覚の方が人類の数万年の歴史の中で、じつは珍しく特異な反射なのである。(笑)この「特異な反射」に馴れ親しんだメトロポリタンゾーンの住民たちが、間違いなく地球の環境を蝕ませている。かつて、今西錦司や川喜多二郎の啓蒙書にあたって知らされたことはわれわれの特異な反射はついにわれわれの社会が生物としての主体性を見失わせているのではないか、という危惧だった。この危惧は急速に化体(具現化)してきているのかもしれない。
2004年11月03日
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最近、身辺多忙ではあるがそれが日記を停滞させている訳ではない。この水のテーマは、膨大な規模の資料があってどれを取り上げても「底なし」の興味をそそる凄い内容がうなっている。実は、資料を読んでいるだけで眼がくらむ。今日は、われわれの嫌われものである「蚊」について湖との関係を眺めてみよう。家のまわりにいて人を刺し、血を吸うあのイエカ(アカイエカ)ではなく、人を刺さずに釣人がエサにする赤虫の大きくなったやつである。これは、湖沼やドブなどの溜まり水でその水質が汚れているというあかしでもある。とにかく水が腐敗して汚れているとその腐臭とともにやってくる嫌われものである。湖の中においてはプランクトンが生態系の基礎をつくっている。植物性プランクトンが水中で光合成を行い、大量発生してそれを動物性プランクトンが食べる。それを大型の動物性プランクトンが摂食して、昆虫やはては魚がそれを食べる。これが生態系というものだ。ユスリカは、人を刺さないが汚れた湖沼で発生するためにえてして嫌われる。シーズンによっては大量発生するために民家側では迷惑千万ということになるのだろう。都市部でもあまり芳しくない汚れの多い川でセスジユスリカという蚊が発生する。関東で神田川、大阪ならば道頓堀川などという汚い川の典型的な箇所で飛散している。これはアフリカなどでも同じで酷い時には人が歩けなくなるぐらい大量に発生する。彼らが幼虫のころに赤虫と呼ばれているには理由がある。彼らは絶望的に汚れて無酸素状態の湖底やヘドロの中で有機物の沈殿した中で底の底で幼虫は育つ。有機物とは聞こえがいいが、ようするにわれわれ人間の飽食の果てに捨て去った残飯や糞尿の類であろう。彼らはその汚物にまみれて暮らしている。そのためにヘムエリトリンという赤い血液色素を体内に備えている。これが赤虫の赤い理由である。この蛋白質は、検索エンジンで調べるとどうも南極海に生息するコオリウオなどももちいていて酸素が抜けると透明になるのだという。分 布: フォークランド諸島周辺,マゼラン海峡付近。 備 考: コオリウオ科の魚類は血液中に赤血球を欠くので,血液は赤くない(DeWitt, 1971)。フォークランド諸島では本種をPikeと呼び,稀にしか食べないが美味とされている(Norman, 1937a)。本種の生息水深は50~250mで,本種の近縁種でより南に分布するChampsocephalus gunnariは0~450m(DeWitt, 1971)。 (中村 泉) (クリックでジャンプします)地球はつくづく広いと思う。中央市場の支配の届かぬところに、まだ美味な魚が存在してあのドブからわきあがってくる蚊と同じ蛋白を血液成分にもっているという。不思議がっている自分がよほどモノを知らぬのであろう。コオリウオの血液が赤くない理由は、まさしくこのヘムエリトリンという無酸素に強い蛋白の力だという。このユスリカの生態を研究した方がいて、独立行政法人国立環境研究所生物圏研究部に所属されている先生らしい。名を、岩熊敏夫さんと言う。北海道大学地球環境科学科の教授で、理学博士とか。この先生が、調べたのは霞ヶ浦。ユスリカグループが、ことの他多いのだそうだ。富栄養化とは、響きはともかく汚れが進行しているという事なのだろうか?いろいろな報告が面白いのだけれども、ここでは一点彼らのお仕事について。湖の中で植物プランクトンが光合成をする。炭素が同化されて、リンと窒素が混合。どんどん蛋白質になる。これが彼らのボディというわけだ。先生によれば、霞ヶ浦において年間湖全体で13400トンもの窒素が、そしてリンが1350トン合成するものだという。この湖に流入する年間での負荷として流入する窒素が2050トン、リンが230トン程という。これが霞ヶ浦の生態系の「事業収支」の一部である。霞ヶ浦では、どうやら生産される有機物が流入する量よりも遥かに大量に湖内の生物ががんばってくれているらしいことがわかる。その生産物のほぼ半分。2分の1を湖底に沈潜させ、ユスリカが摂食する。摂食したユスリカは糞もするが、体は大きくなる。いつまでも幼虫ではいない。いつぞや蚊となって湖底から地上にでる。これが注目点だ。彼らは、湖底の富栄養化傾向を身をもって湖底外へ搬送し低減に務めてくれている。先生の地道な調査によれば、なんと窒素で年間に110トン。リンでほぼ11トンもの規模になるという。あの10トン車が12台強ほどの規模で湖底から有機物を脱落させてくれているわけである。当たり前といえば、当たり前なのだけれどもこれほど定量的に情報を貰うとそのありがたみに実感が湧くのである。われわれの生活廃水で流れてゆくものは、人間さまが不覚にも自身で始末せぬかわりに影にまわって随分とお世話になってしまっていたらしい。あの抗菌の、殺菌のと目の仇にしているバクテリアにわれわれがどれほどお世話になっていることか。その構図はまったく同じだろう。とは言えその規模もわれわれが霞ヶ浦を汚す規模に比べてみればけっして期待を一身に托せるほど多くはないのだ。この湖に流入してくる富栄養原因のそれは何とわずかに5パーセントに過ぎないという。いかに人間さまが関って霞ヶ浦を汚しているのか。糞の始末のヘタなのか。大概そういうことではないのだろうか。それにしても、ありがたい。菩薩道とはこのように嫌われものの蚊の如くに見えざるところで黙々とはたらいている魂を言うのではなかったか。
2004年11月02日
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さて、アフリカの知らない湖のお話。われわれとなんの御縁も無い、遠隔地の湖である。もしかするといまも地球の上の名もなき水たまりのひとつに過ぎないかもしれない。この世に姿をあらわして、すでに2000万年といういかなる神社仏閣古刹よりも遥かに歴史のある「水たまり」である。地球温暖化とは、このような地球環境の生き証人のような水たまりを干しあげて砂漠にしちまいかねないという途方も無い蕩尽(つまり無駄遣い)なのだというあたり。如実に指し示す貴重な事例だという気がする。tanganyikaNkamba bay (Zambia)カワスズメなどと伝聞どうりに述べると聞いた事がないといわれるのだけれども一方日本のアクアリアムおたくのご同輩にはシクリッドなどと呼ばれているのでご存知だったりする。この魚は、親が口の中で子供の卵をくわえて養うという特徴で一族がくりかえし紹介されているためにテレビCMなどにもよく登場したりする。この生態をマウスブリーダーと呼ぶそうだ。彼らの特徴は、この地球の水たまりにあって300種もの仲間を増やしておりながら相互に「駆逐の論理」ではなく「棲み分けの叡智」を生きているということにある。つまり、食べているものが微妙に違う。あるものは、単細胞藻類を食む。またあるものは、糸状藻類をたべる。さらに藻にも色々あって、藍藻とよばれる糸状にキメのこまかな藻類をもっぱら食べる種の魚もいる。どうもその食餌探索は指向性が強くてほんとうにひたすらその方面の藻を食べることに余念がない。これはたぶん偶然ではなくこの湖で彼らが豊かな暮らしを相互に依存しあいながら2000万年生きながらえた智恵でもあり、得難い獲得形質として彼らが大切に内に秘めている絶妙な合理性なのだろう。つまり、「かしこい」のである。バカな喧嘩をしない。エビを食べるのもいる。また、昆虫を食べるのもいる。昆虫などというものも種類がある。水生昆虫などというものの中にも、いろいろとありそのそれぞれの幼虫を食べ訳しているそうだ。 カゲロウ トビケラ ユスリカ ・・・これらを専従的にエサにしている魚がいる、ということはつまりはこの湖の平和に大きな貢献をしているということが予想できる。そして、さらに驚いたことを教えられたのだけれどもこの湖の中には仲間の魚のウロコを食べるという特異なワザをみにつけた魚が何種類もいるのだそうだ。狭い湖に、300種を越える魚が共存しているというのもなかなかの生物学上の大きなトピックスなのだろうけれども、これを知りもせずに自宅の狭いアクリルガラス製の水槽で痴れっと眺めているわれら都会人も凄い。彼らはウロコを狙って喰らう親戚は嫌いながらも許容して暮らすことだろうが、水槽を眺める人達の無惨な好奇心には果たして寛容でいられるものなのだろうか?無論、彼らの中にも仲間の稚魚を狙うという嫌われものもいる。これは仲間から嫌われて警戒もされ、攻撃もされる。同じエサを追いかけている競合関係にある魚同士も敵対関係がないわけではない。聞けばウロコを食べる魚は、この湖での嫌われものですべての魚から排撃されつづけているらしい。仲間の稚魚を喰う奴、ウロコを狙う怪しい奴などがいてこの湖にはほどよいストレスが維持されている。にもかかわらず結果としてこの300種の湖固有種による賑わいはどうだろう。それにしても湖にあってこその種の力量を発揮できるものを、残酷にも水槽に閉じ込め、あまつさえ眺めて「癒される」などというこの卑しさはなんだろう?飽食の都会人が彼らの一体なにを学び取っていると言えるだろうか?実は、1年近くだらだらとわがメールマガジンで展開している主題は、これなのだ。 「かならず小は大に勝つ」 ♪大海の水は呑んでも、鰯(いわし)は鰯泥水呑んでも鯉は鯉(都都逸)実は、2000年も前からアフリカの湖では黙々と実現されていたのである。 秋の夜空これはまあ、おにぎはしい、みんなてんでなことをいふそれでもつれぬみやびさよいづれ揃つて夫人たち。 下界は秋の夜といふに上天界のにぎはしさ。すべすべしてゐる床(ゆか)の上、金のカンテラ点(つ)いてゐる。小さな頭、長い裳裾(すそ)、椅子は一つもないのです。 下界は秋の夜といふに上天界のあかるさよ。ほんのりあかるい上天界遐(とほ)き昔の影祭、しづかなしづかな賑はしさ上天界の夜(よる)の宴。 私は下界で見てゐたが、知らないあひだに退散した。(中原中也)これらの魚のほんとうの凄みというものは、やはりタンガニーカ湖の中にあって、このような奇跡のごとき棲み分けを行いえて。そしてその本来の生態においてこそ「本領」を発揮しえているということ。そしてこの貴重な生きた証言者ら。彼らをも少しは本気で庇護するという視点にたち、正しく俯瞰できえてこそ、足下に迫る地球温暖化の行く末を踏まえて環境破壊者であるわれわれの「真の内省」に辿りつけるのであろう。言葉の正しい意味における倫理とは本来ならばそういうものを指すのである。
2004年11月01日
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