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菖蒲沢地区の国道43号線と県道403号線の「六地蔵」という交差点の先にある
無名の?交差点に到着。
沢辺に水草菖蒲の生えていた土地を開拓したので菖蒲沢と名付けられたと。
一見、双体僧形道祖神に見えたが、三面に二体ずつの六地蔵。
左から珍しい「長蛇供養塔」、「隅丸形文字道祖神 大正十(1921)年」
そして「馬頭観世音」。
更に県道を外れ畑道を進むと民家の脇の左手の植栽の凹んだ場所に
藤沢市教育委員会の説明板。
市指定重要文化財 元禄二年 庚辰申供養塔。
県道に戻り更に進み左折すると植木畑の中に最近舗装された参道がありその先に
赤い屋根の小さな堂と神鐘堂が。
若宮神社は、菖蒲沢にある豊受大神の飛地境内社。
創建時期は不明だが、豊臣秀吉が小田原を攻めた際、この地に逃げてきた落武者の
死者の霊を慰めるために建てられたという言い伝えがあるのだと。
かつてこの若宮神社には1795(寛政7)年鋳造の古い神鐘があったが、
1944(昭和19)年、第二次世界大戦の激化に伴う資源総動員のため国に献上。
その後、供出から三十余年がたった1979(昭和54)年7月、氏子の総意によって
”平和の鐘”として現在の鐘が再建されたのだと。
神鐘堂と鐘。
「豊受大神 若宮」の文字が確認できた。
社殿。
社殿内部を扉越に。
境内社のこぢんまりとした稲荷社。
斜めからの稲荷社と社殿。
豊受大神(とようけだいじん)に到着。
豊受大神は、菖蒲沢、字宮の前にある菖蒲沢の鎮守神社。
建物に残された棟札から1796(寛政8)年の再建であること、滝不動や子聖神社とともに
1841(天保12)年の「新編相模国風土記稿」に記録が残されているのだと。
境内に入ると左手に手水舎。
拝殿。
この付近では珍しい神明造り。
拝殿の「豊受大神」の神額。
神額には平成元年四月吉日とあるが、社殿はそれよりもっと新しそうな姿。
扉越の拝殿内部。鏡が光っていた。
本殿(覆殿)は拝殿と長屋状態の連棟形式で繫がった珍しい?建築様式。
御祭神は、豊受比売命 ( とようけひめのみこと ) と 猿田彦命 ( さるたひこのみこと )。
境内社。
神楽殿。
珍しい廻り舞台のある神楽殿とのこと。
神輿殿。
拝殿横には先代?の石鳥居が保管されていた。
次に向かったのは浄土院。
浄土院は、藤沢市菖蒲沢の仲之桜にある寺院。
創建は文禄年間(1592-96)ごろと言われ、浄土宗、仏必山清澄寺という号を持ち、
もと東京芝増上寺の末寺であったと。
開山は僧・光誉で、旗本木村氏代々の位牌を安置する寺院。
本堂の 頭貫の上の 彫刻は見事。
本堂内部。
本尊の阿弥陀如来像は運慶の作。もとは鎌倉郡原宿村大運時の本尊であったものが,
浄土院第5世浄誉上人の時、両寺院の檀家の申し合わせによって本院に移されたものだと。
境内の巨大な観音様。
十三重塔。
境内の石塔群。
三界萬霊(さんがいばんれい)と刻まれた石碑。
三界とは、無色界(むしきかい)色界(しきかい)欲界(よくかい)の三つ。
これら三つの世界、すべての精霊に対して供養することの大切さを示すもの。
更に車を進め、庚申塔群へ。
中央の石碑は明治29年に建てられたもので、「養蠶大神」 と刻まれていた。
当時は,蚕の繭から作る「絹」は最大の輸出品。
昭和の時代になって衰弱しますが,私の母の実家でも,「蚕様」とよんで飼っていたことを,
微かに覚えている。あの桑の葉を食べる「カサカサ」という音を覚えているのである。
我が生家も屋根裏で養蚕をやっていたようだが、しかし私が物心ついた頃には既に
止めていた?のであろう、生家の蚕の記憶は全くない。
庚申供養塔。
様々な石仏。
西国秩父供養と刻まれた石碑も。
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