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【四国八十八箇所霊場巡り ブログリスト】
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82番札所:根香寺
白峯寺から約15分、深い緑そして紅葉が始まりかけた道走ると根香寺(ねごろじ)に到着。
山門(仁王門)。
阿形像。
吽形像。
巨大草鞋
根香寺 境内配置案内図。
山門の左側の林の中に牛鬼像がある。山門をくぐり数段下り進むと今度は上りの石段があり、
上がって行くと右に大師堂、左に納経所がある。さらに石段を上がり上り詰めると正面に
本堂が見えるが左の薄暗い回廊の中を巡って本堂に至る。
杉木立の中にある仁王門をくぐると、いったん石段を下り、木々の間の参道を通り、
また石段を上がって境内に出る。参道沿いや境内にはカエデの木が多く、紅葉のシーズンには
全山が赤く染まってみごとな眺めが楽しめるのだと。
階段横には白き流れが。
根香寺石柱。
仁王門を振り返る。
水かけ地蔵。
牛頭観音。
役の行者像。
根香寺開創1,100年を記念して、昭和6年に安置。
開基は、弘法大師と智証大師であるが、山岳仏教と結びつき、大護摩祈祷も盛んであったと。
笑っているのか?
手水舎。
白猴欅(はっこうけやき)。
樹齢1600年とも言われるケヤキの老木であり、香川県の天然記念物に指定されていたが枯死した。
名の由来は智証大師が寺院創建の折にこの樹を伝って下りてきた白い猿が大師を手助けしたと
言われる伝説に由来する。平成3年(1991年)に株を生えていた場所に置き、屋根を付け
保存されていた。
五大堂。
五大尊の像を拝観できると。
鐘楼は修復工事中であった。
延命地蔵堂。
竜宮地蔵尊。
大子堂。
大子堂内部。
更に本堂への階段を上る。
重要文化財の木造千手観音立像 。
桜材の一木造りで漆箔、163.3cm平安時代の作。この寺の本尊である。33年に一度開扉の秘仏。
昭和30・2・2指定。
本堂。
寺伝によれば、空海(弘法大師)が弘仁年間(810年 - 824年)にこの地を訪れ五色台の
五つの峰に金剛界の五智如来を感得し密教の修行にふさわしい台地であるとし、その一つである
青峰に一宇を建立し五大明王を祀り「花蔵院」と称し、衆生の末代済度を祈願する護摩供を
修法をしたと伝えられている。その後、円珍(智証大師)が天長9年(832年)に訪れたさい、
山の鎮守である市之瀬明神の化身の老翁に、蓮華谷の霊木で観音像を造り観音霊場の道場を
つくるよう告げられた。すぐさま円珍は、千手観音像を彫像し「千手院」を建てて安置した。
この霊木は香木で切り株から芳香を放ち続けたことから、この2院を総称して根香寺と
呼ばれるようになったと。
後白河天皇から勅願所として帰依も厚く繁栄したが、戦国時代には兵火にあい衰微した。
しかし、慶長年間に高松城主・生駒一正が復興、さらに寛文4年(1664年)高松藩初代藩主
松平頼重が再興した。なお、このとき真言宗から天台宗に改宗されたと。
青峰山 千手院 根香寺(あおみねざん せんじゅいん ねごろじ)
宗派 天台宗単立
本尊 千手観音
創建 弘仁年間(810年 - 824年)
開祖 空海(弘法大師)、円珍(智証大師)
所在 香川県高松市中山町1506番地
本尊真言 ”おん ばさら たらま きりく そわか”
本堂内部。
回廊。
万体観音。
本堂前の凹字型回廊に、全国の信者が奉納した3万3千体の観音像が並んでいた。
これは圧巻。
再び回廊。
灯籠も美しかった。
回廊を外から。
阿弥陀堂。
納経したという証として「納経所」で納経帳に印・「お納経」を頂きました。
そして御本尊様の分身・御影(おみえ・おすがた)も頂きました。
伝説の牛鬼像は駐車場の横の木々に囲まれていた。
江戸時代の初め頃、この地には牛鬼がいて人や家畜に危害を加えていた。
そこで弓の名手であった山田蔵人高清に退治を依頼した。高清は3本の弓で見事に牛鬼を
退治した。
高清は退治した牛鬼の角を切り取り、根香寺に奉納し菩提を弔ったと伝えられている。
現在、根香寺にはその牛鬼の角と呼ばれるものと、牛鬼の姿が描かれた掛け軸が伝わっていると。
83番札所:一宮寺
根香寺から県道16号線を東に向かう。瀬戸内海そして島々の景色を車窓から楽しむ。
176号線に右折し12号線に入り約19km、30分強走り一宮寺(いちのみやじ)駐車場に到着。
駐車場近くの西門から境内へ。
一宮寺 境内配置案内図。
通常は仁王門とは反対の裏側にある西門の前に駐車場があるので、そこから入っていくと
本堂左手に至り、大師堂は本堂の右側にあり、護摩堂は大師堂の左にある、納経所は
本堂から仁王門に向かうと左手にあり、鐘楼は右手にある。
参拝順路沿いに枯山水庭園が。
多くの墓石、石柱が壁沿いに。
菩薩堂。
水掛不動尊。
こちらが仁王門。
阿形像。
吽形像。
本堂。
サンゴジュの赤い実か?
鐘楼。
庫裏と納経所。
岸信介元総理の揮毫による般若心経記念碑が境内に建立されているのだが・・・・??
地蔵堂。
観音像。
厄除弘法大師。
手水場。
弘法大師が清めの水を注いでくれました。
本堂。
寺伝によれば、義淵により法相宗の寺院として大宝年間(701年 - 704年)に建立され、
年号にちなみ大宝院と称したと伝えられる。そして、和銅年間、諸国に一の宮が制定された際、
讃岐一宮・田村神社の第一別当として行基が堂宇を改修し一宮寺と改めたという。
その後大同年間(806年 - 810年)に空海(弘法大師)が伽藍を整備し、
106cmの聖観世音菩薩像を刻んで本尊として安置し、真言宗に改宗した。
1584年(天正12年)の兵火により焼失するも、宥勢大徳により中興される。
延宝7年(1679年)に時の高松藩主である松平頼常によって田村神社の別当寺を解職され、
明治の神仏分離より200年も早く神仏の分離が行われ、現在に至っている。
神毫山 大宝院 一宮寺(しんごうざん だいほういん いちのみやじ)
宗派 真言宗御室派
本尊 聖観音
創建 大宝年間(701年 - 704年)
開祖 義淵
所在 香川県高松市一宮町字宮西607番地
本尊真言 ”おん あろりきゃ そわか”
大師堂。
奥に鎮座する大師像を拝顔できた。
護摩堂。
護摩堂内部。
近年新築され、不動明王像を拝顔できた。
稲荷堂。
薬師如来を祀る石の祠。
地獄の釜の煮えたぎる音がする祠で、悪いことをした人が頭を入れると
抜けなくなると云われていると。
一宮御陵。
三基の宝塔。江戸時代の神仏分離の際に田村神社から移築された。
田村神社の祭神である孝霊(こうれい)天皇・百襲姫命(ももそひめのみこと)
五十狭芹彦命(いそさせりひこのみこと)の供養塔と言われていると。
無縁墓地か?
納経したという証として「納経所」で納経帳に印・「お納経」を頂きました。
そして御本尊様の分身・御影(おみえ・おすがた)も頂きました。
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