JINさんの陽蜂農遠日記

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2018.05.26
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​64番・前神寺を後にし、国道11号線・讃岐街道を新居浜に向かって走る。
東城交差点を右折しマイントピア別子に向かう。
『山根公園』入口のオブジェ。
「モニュメントは銅を基調にに豊かで潤いのある郷土の発展をめざし順風満帆、風を受け未来に
向かって漕ぎ出すエネルギーを「動」の帆、恵まれた自然と共生しながらまちづくりを行う和を
「静」の錨とし、また300年に及ぶ歴史と伝統を誇る太鼓台の幕、龍と鷲を象徴としてイ
メージしたもの」であると。
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マイントピア別子の入口を通過し進んで行くと「マイントピア別子」から1キロ位登った
ところに"鋼鉄ループ橋"が見えて来た。
青龍橋(延長700m、半径約65m)と呼ばれている橋。
2003年度に着工し、ループ部分514mと前後の道路区間186mの2車線
(幅6・5m)のループ橋。
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そしてその先には鹿森ダム。
​​ここでUターンしてマイントピア別子へ。
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マイントピア別子。
マイントピア別子 は、1691年に開坑し、1973年に閉山した別子鉱山跡につくられた
別名世界的産業遺産の里。
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マイントピア別子 観光MAP。
端出場(はでば)地区を開発した“ 端出場ゾーン ”は、道の駅を併設し、鉱山観光、
温泉(ヘルシーランド別子)、砂金採りができるほか、バーベキューやグラウンドゴルフ、
花園などがあり、一日楽しめる施設。東洋のマチュピチュと呼ばれる。
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道の駅 マイントピア別子。
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別子銅山最後の採鉱本部跡地を利用した鉱山のテーマパーク。
日本初の山岳鉱山専用鉄道を復元した鉱山鉄道と観光坑道、炭酸泉・酸素泉の露天風呂や
岩盤浴が楽しめる温浴施設「別子温泉~天空の湯~」、屋内型子ども用遊戯施設
「あかがねキッズパーク」などがある。
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新居浜太鼓祭りの神輿。
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鉱山観光(観光坑道+鉱山鉄道)に向かう。
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ここ愛媛県新居浜市にある「別子銅山」は、元禄4年から昭和48年の閉山まで283年という
長きにわたり銅を採掘し続けた日本三大銅山の一つ。
さらに住友一社で採鉱された世界でも類をみない珍しい"大銅山"でした。
現在は採掘された「東平(とうなる)」「端出場(はでば)」が一般に開放され、
昔の偉業を今に伝えているのです。
2階乗り場から乗車。時速10kmでのんびりと走りながら観光坑道に向かう。
鉱山鉄道はトンネルの中に。当時のまま残された国の登録有形文化財のトンネル。
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日本最古のピントラス橋を渡る。
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端出場(はでば)駅~うちよけ駅までは333m。徒歩でも7分程度の道のり。
アッと言う間にうちよけ駅に到着。
駅のホーム横には様々な鉱山機械が展示されていた。
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そして観光坑道を開始。
観光坑道 マップ。
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観光坑道に向かって橋を進む。
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橋の下には足谷川の清流が。
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坑口橋を渡ると、端出場坑道の入口。
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坑道内は、ひんやり涼しくて快適。年中16℃前後だと。
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中は江戸ゾーン、近代ゾーン、体験ゾーンと3つのゾーンがあり、まず始めは江戸ゾーン。
旧火薬庫を利用した坑道の中は、江戸時代の採掘の様子を再現した人形があり、
サザエの貝殻で作った明かりを手に坑道に入る、運搬夫や採掘夫がリアルに描かれていた。
物資豊かな現代では考えられないような苦労をして採掘していたことがよく解った。
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坑道を奥に進んでいく。
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坑道内温度は13.1度。
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切上り長兵衛 (きりあがりちょうべえ)。
掘り子として各地の鉱山ではたらく。元禄 ( げんろく )3 (1690) 伊予 ( いよ ) 新居郡立川銅山
近くの別子山で銅の大鉱脈を発見し、翌年住友家が別子銅山を開発するきっかけをつくった。
坑道を上向きにほりすすむのを得意としたので、「切上り」とよばれたと。
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歓喜坑。
歓喜坑は別子銅山発祥の記念すべき最初の坑道。

この名の由来は、時は江戸1690年田向重右衛門一行が苦心して山中を調査し、
このあたりで露頭を発見して試掘し、有望な鉱床が見つかり大喜びしたことがこの名の由来。この歓喜坑が開かれたのは1691年と。
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坑道内に観光客の姿は少なかった。
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負夫(運搬夫)と堀子(採掘夫)は分業になっており、サザエの貝殻で作った明かりを
持って内部に入ったと。堀子はのみとつちを使って手作業で掘って行ったと。
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掘場(つぼ)。
採鉱は主につちとのみなどを使い、手作業で行われた。
また、地表近くで通気の良いところでは、薪に火をつけ、この熱で砕き、鉱石を採る方法も
使われたと。
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湧水の引揚げ。
鉱石を採ると石の目を伝わって水が溜まり、採鉱が難しくな
る。そこで、湧水を昼も夜も坑外へくみ出す作業が行われた。
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坑口と風呂場。
別子銅山では、歓喜坑を出るとすぐに共同浴場があり、便利に作られていた。
銅山で働く人々は、その日の作業を終えると風呂で疲れを癒したと。
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砕女小屋(かなめごや)。
運び出された鉱石は、男が大割した後、砕女(かなめ)と呼ばれる女性たちによって、
金槌(かなづち)で3㎝角位くらいの大きさに砕かれ、色の濃淡によって選別されたと。
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銅の精錬工程。
焼鉱→「一番吹き」または「鉑吹き(はくぶき)」→そしてこの「二番吹き」または、
「真吹(まぶき)」。
焼鉱を珪石、木炭とともに、吹床(ふきどこ)に入れ、「ふいご」で風を送って熱して
溶かすと、成分の比重によって、”カラミ”と”カワ”に分離する。
”カラミ”は銅をほとんど含まない鉄分の多い残りカス。”カワ”は、銅成分を含んだもの
(硫化銅)で、”カラミ”に比べ比重が重く、下に沈む。”カワ”を真吹床に入れ、
前工程と同じように、珪石とともに木炭の加熱で溶かす。
すると、さらに”カワ”の中の硫黄分が亜硫酸ガスとなって発散し、硫化鉄は珪酸鉄と
なって除かれ、硫化銅は酸化されて銅分97~98%となる。
これを「粗銅(そどう)」という。輸出用の粗銅は棹銅の形にされる。
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仲持ち。
仲持ちとは、運搬夫(婦)のこと。
銅山から、行きは粗銅や半製品の銅のかたまりを、帰りには米や味噌などの生活品を運んだと。
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粗銅改め。
山でつくられた粗銅は、山役人の立会のもとに、つくられた量を計られた。
当時、銅山税として、生産量の13%が幕府に納められていたと。
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観光坑道の中に設けられた「江戸ゾーン」の奥には「近代ゾーン」と「体験型ゾーン」が。
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この動く巨大ジオラマは、別子銅山(旧別子・東平・端出場)の明治から昭和の模様を
一か所に集約したもの。
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山神社とは、昔から鉱業を行う者が信仰した大山積神をまつるもの。
人々は坑内にこの神をまつり、作業の無事を祈ったと。
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別子銅山 足谷川周辺史跡めぐり案内図。
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観光坑道の一番奥にある「体験型ゾーン」では、別子銅山での作業内容を遊びの中から
学習することができる。
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仲持ち体験。
​​当時の女性達が背負っていたという30kgの荷物を持ち上げる体験が出来る。
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そして帰路も鉱山鉄道に乗って。
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                 ・・・​ つづく ​・・・​​​





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Last updated  2019.11.02 17:56:59
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