JINさんの陽蜂農遠日記

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2018.06.08
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カテゴリ: 海外旅行
ヒヴァ・イチャン・カラ観光の最後にジュマ・モスクに向かう。
途中、手提げ袋、ムスリムの帽子・ドッピ、スカーフ等の土産物売り場の前を通る。
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こちらは絨毯やテーブルクロス等の売り場。
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イスラムの老人の肖像画も。
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老婆の姿も。
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途中、クトゥル・ムラド・イナック・メドレセの中庭には地下に続く貯水池が。
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貯水池から地上を眺める。
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前方にムハンマド・アミン・ハーン・マドラサが再び。
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ヒヴァのイチャン・カラのほぼ中心に位置するジュマ・モスク。
ジュマとは『金曜日』のことで、イスラム教では金曜日が休日に当たるため、
多くの人が礼拝に集まるのだと。
ジュマモスク入口。
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10 世紀に建てられたモスクだが、何回もの修復工事を繰り返し、 18 世紀末頃に現在の形に
なったのだと。
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広さは 55×46m 、高さは 5m で、 3.15m の間隔で 212 本の柱が立っていて、明かり窓付きの
天井とシンプルな漆喰の壁に囲まれていた。
この間隔と本数は、説法者から全員の顔が見えるように、計算されて決められたと。
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乾燥地帯であるため、木を贅沢に使った建物が珍しいことを考えると、こんなモスクを
つくれたのはそれだけ栄華を極めた時代があったのだと容易に想像できるのだ。
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規則正しく並べられた柱群。
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テラスの周囲にある柱10-11世紀のものだとか。
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モスクの奥の方には、丸屋根で小窓付きの建物があり、 コレは礼拝の時に信者に砂糖湯を
配るための場所だと。
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柱には一本一本異なる精密な彫刻が施されていた。
モスク内にある最古の柱は古代ホレズム王国の都から運ばれたもので2本あり、
他にも4本が10〜11世紀、25本が12〜17世紀の古いものだと。
各々の時代ごとに素材や装飾などに特徴があると。
ヒヴァ周辺には大木が採れる場所が無いので、苦労して遠くから運んで来たと。
​​現地添乗員からの説明が。
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ジュマ・モスク内にある柱は、時代によって模様、デザインが一本一本異なるのだと。
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イオニア式、コリント式、ドーリア式とヨーロッパの建造物のデザインが時代によって
違うように、見る人が見れば、どの王朝の時代に作られたのか、そのパターンで
判るほどはっきりと様式が違うのだと。
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ムハマド・ラヒムハン2世が中央に。
1864年、ムハマド・ラヒム王子は19歳でヒヴァ・ハーン国の王位についた。
民衆は、彼が定めた規律や、彼の統治時代の、文化・社会生活、そして自由に歓喜した。
特に19世紀後半までロシアの勢力に対し、ヒヴァ・ハーン国の独立を保ち続けたと。
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歴代の王の写真か?
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Mukhammad Rakhimkhan II(

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彼の息子Isfandiyarkhan。
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そしてヒヴァ観光を全て完了し、この日の夕食はヒヴァ王朝の夏用宮殿「トザボーク・パレス」。
前庭にはぶどう畑が拡がっていた。
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トザボーク・パレス(Qibla Toza Bog)の銘板。


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レストラン会場の壁や天井の装飾も豪奢であるが落ち着いた雰囲気。
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到着時にはテーブルは既に準備完了であった。
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デザートの果物。
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もちろんビールをオーダー。
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スープ。
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地元料理ケイマ(玉子春巻)。
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そして夕食後はヒヴァを後にし、ウルゲンチ空港にバスで向かう。
イチャン・カラの城壁もこれが見納め。
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イチャン・カラから北に向う。
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ウルゲンチ市内に入りシャヴァット運河を渡る。
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そしてウルゲンチ空港に到着。時間は19:21。
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折しも日没が迫っていた。
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FLIGHTは21:00発 ブハラ(行き。
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ターミナルビルから飛行機まで徒歩で。
久しぶりの経験。この写真を見ると何か事故があり緊急避難するが姿の如き。
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歩くこと100m以上か。
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後方タラップから搭乗。
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ウズベキスタン航空のロゴマーク。
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そして1時間の飛行で、定刻にブハラ空港に到着。時間は22:00。
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この空港でも徒歩にてターミナルビルへ。
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そしてバスにてこの日の宿・ホテル グランド ブハラ(GRAND BUKHARA)に到着。
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そしてこの日の部屋に。時間は22:52。
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この日も、慌ただしくウィスキーィにて旅友とこの日の反省会、
そしていつの間にか爆睡。

                 ・・・​ つづく ​・・・





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Last updated  2019.11.02 07:57:21
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