PR
Keyword Search
Comments
Calendar
[ こんにちは! ] [Olá] オラ
[ 元気ですか? ] [Como está?] コモ(エ)スタ?
[ 元気? ] [Como estás?] コモ(エ)シタス?
[
元気だよ、ありがとう ] [Estou bem, obrigado/a]
シュトウバイン、 オブリガード(男性)
オブリガーダ(女性)
[ 元気です! ] [Estou ó[p]timo/a] シュトウ オッティモ(男性)オッティマ(女性)
[ うまくいってる? 調子はどう? ] [Tudo bem?] トゥドバイン?トゥドベイン?
[ ハイ!順調 ] [Tudo [bem] トゥド!(上の質問に対する答えかたです。)
[
まぁまぁだね ] [Mais ou menos]
マイゾメノシュ
(手のひらを下に向けてヒラヒラさせて、まぁまぁ、という表現をする)
[ お会いできて嬉しいです。 ] [Prazer] プラゼール
[ お会いできて光栄です! ] [Muito prazer] ムイントプラゼール!
[ おはよう ] [Bom dia] ボンディーア
[ こんにちは ] [Boa tarde] ボアタールデ
[ こんばんは ] [Boa noite] ボアノイト(ボアノイテ)
[ さようなら ] [Adeus] アデウシュ
[ またね〜 ] [Tchau/Chau] チャウ!
[ また後でね! ] [Até logo] アテロゴ。
[ また明日ね ] [Até amanhã] アテアマニャ
[ では また! ] [Até já] アテジャ(テジャ)
[ 次回までね!次会う時まで ] [Até a próxima] アテアプロッシマ
[ ハイ ] [Sim] シン スィン
[ いいえ ] [Não] ナウ ナォゥ
[ お願いします ] [Se faz favor] ス ファスファボール
[ ありがとう ] [Obrigado/a] オブリガード 男性 / オブリガーダ 女性
[
本当にありがとう。感謝します。 ] [Muito obrigado/a]
ムイントオブリガード 男性 /
ムイントオブリガーダ 女性
そしてポルトガルの気温。
平均気温は東京より7℃ほど高く2~3月の首都リスボンの平均気温は12~15℃と。
ポルトガルは、南西から押し寄せる大西洋の暖流のおかげで、緯度から考えればとても
温暖な地なのです。首都リスボンは北緯38度でほぼ仙台と同じ緯度なのですが。
そして時差は日本より9時間マイナス。
今回のツアーでは成田空港からブリティッシュ・エアウェイズで
ロンドン・ヒースロー空港経由でポルトガルの首都リスボンに向かう。
イギリスはシェンゲン条約に加入していません。
シェンゲン条約とはヨーロッパの加入国を大きく1つの国としてみなすような条約なのです。
もしイギリスが加入していればロンドン・ヒースロー空港で入国し、
ロンドン→リスボンを国内線のような感覚で搭乗することになります。
しかしイギリスはシェンゲン条約に加入していないので、入国審査の必要はなく
入国審査はポルトガルのリスボンで受けることになるのです。
そして成田で預けた荷物もそのままリスボンまで。
そしてポルトガル・リスボンに到着し、深夜にリスボン市内のホテルに到着そして宿泊。
そして翌朝からの5日間で7つの世界遺産を含む、11の観光地を訪ねるのだ。
【世界遺産1】バターリャ観光
【世界遺産2】ポルト歴史地区
【世界遺産3】サンティアゴ・デ・コンポステーラの巡礼の道(歓喜の丘)
【世界遺産4】サンティアゴ・デ・コンポステーラ(旧市街)
【世界遺産5】コインブラ大学
【世界遺産6】トマールのキリスト修道院
【世界遺産7】リスボンのジェロニモス修道院とベレンの塔
2日目の朝は8:30にホテルを出発し、バスにて北上しこの旅行での最初の観光場所
バターリャへ。
[約123KM、約2時間]着後、バターリャ観光(1時間)。
世界遺産の『バターリヤ修道院』を訪ねるのです。
『バターリヤ修道院』
バターリャ修道院は、ドミニコ修道会の修道院であり、ポルトガル・レイリア地方の都市である
バターリャにある。ポルトガルにおける後期ゴシック建築の傑作であり、マヌエル様式も
用いられている。バターリャ修道院は、切妻屋根、尖塔と小尖塔、控え壁によって
多くの人々を驚嘆させる。バターリャ修道院は、ポルトガルの独立を象徴する建築物であり、
1983
年、ユネスコの世界遺産に登録されたと。
観光後、更にバスにて北上しポルトへ。[約186KM、約2時間30分]。
ポルトは工業が盛んなポルトガル第二の都市。
【世界遺産2】ポルト歴史地区観光(3時間)
◎サンフランシスコ教会、◎ポートワイン工場(見学と試飲)、○ドン・ルイス1世橋(橋の上を
歩きます!)、○サン・ベント駅(ポルトガルの伝統的なタイル装飾「アズレージョ」を鑑賞。
『サンフランシスコ教会』。
ボルサ宮の隣り、ドウロ川沿岸に偉容を誇るバロック式教会。
1233年に第4代ポルトガル王サンチョ2世(Sancho Ⅱ,在位1223~1248年)により建てられ、
17~18世紀に改修が施された。
内部はターリャ・ドゥラーダと呼ばれる金泥を塗った木彫りの彫刻で装飾されている。
キリストの家系図「ジェッセの家系樹」も必見。
『ポートワイン工場(見学と試飲)』。
1790年に創設者ジョージ・サンデマンがポルトガルワインのセラーを購入したのが始まり。
ポートワインはドウロ地域の中心、シマ・コルゴ地域にあるキンタ・ド・セイショで
生産されたブドウを使用している。
“ドン"の愛称で知られる、学生マントとソンブレロ(騎士帽)のシルエットは1928年に登場した。
『ドン・ルイス1世橋』。
ドン・ルイス1世橋はポルトガルのポルトにある道路・鉄道併用橋で、ドウロ川に架かっている。
世界遺産「ポルト歴史地区」に含まれ、2016年からは「ポルト歴史地区、ルイス1世橋および
セラ・ド・ピラール修道院」として、登録名にも明記された。
ポルトの中心部とヴィラ・ノヴァ・デ・ガイア地区を結んでいる。
サン・ベント駅の『アズレージョ』。
駅構内に足を踏み入れると、壁一面にアズレージョの世界が広がります。
アズレージョとは、ポルトガル伝統の装飾タイルのこと。
サン・ベント駅構内のアズレージョは、ポルトガルを代表するアズレージョ画家、
ジョルジュ・コラコによって1930年に制作されたものです。
ジョアン1世のポルト入城やセウタ攻略など、ポルトガルにおける歴史的な出来事が
描かれています。
そして2日目はポルトに宿泊。
3日目は8:30はホテル発。
国境を超えスペインにあるサンティアゴ・デ・コンポステーラへ。[約230KM、約3時間]
サンティアゴ・デ・コンポステーラの巡礼路は、キリスト教の聖地であるガリシア州の
サンティアゴ・デ・コンポステーラへの巡礼路・フランス人の道 (Camino Francés)。
おもにフランス各地からピレネー山脈を経由しスペイン北部を通る道を指すと。
フランス人の道 (Camino Francés)はフランスとスペインの国境にある
サン・ジャン・ピエ・ド・ポーの街からサンティアゴ・デ・コンポステーラまでの
約780kmであり、サンティアゴ巡礼路のうちで最も多くの巡礼者が歩いている道。
パリ→サンティアゴ・デ・コンポステラは何と約1,700キロの巡礼路であると。
【世界遺産3】サンティアゴ・デ・コンポステーラの巡礼の道にある○歓喜の丘へ。
『歓喜の丘』。
千年以上も前から、巡礼者たちはヨーロッパ西の果てにある
「サンティアゴ・デ・コンポステーラ」を目指して歩き続けました。
なぜイベリア半島の端にある「サンティアゴ・デ・コンポステーラ」が、
エルサレムやローマに並ぶ『キリスト教の三大聖地』の一つとされたのでしょうか?
それは、1世紀頃にエルサレムで殉教したキリスト十二使徒のひとり聖ヤコブ
(スペイン語名・サンティアゴ)の墓が、約800年の時を経て遠く離れたこの地で
発見されたからなのです。
聖ヤコブの遺骸を祀る聖堂が建てられたサンティアゴ・デ・コンポステーラは聖地となり、
祈りに向かう信者が各地から訪れました。
特に『聖遺物崇敬』が盛んだった中世、巡礼者の列は絶え間なく続いたと言われています。
サンティアゴ・デ・コンポステーラの街を見渡す近郊の丘まで辿り着いた者たちは、
巡礼の最終地点となる大聖堂の尖塔を眼下に望み、喜びの声を上げたと言われています。
後に「歓喜の丘」と名付けられたこの丘に立つと、巡礼者たちが聖なる地を初めて目にした
瞬間の喜びの想いが胸に伝わってきます。
キリスト教の聖地【世界遺産4】サンティアゴ・デ・コンポステーラ観光(2時間30分)
そして、聖地を目指し長旅を続けた巡礼者が憧れの大聖堂を訪ねるのだ。
『サンティアゴ・デ・コンポステーラ大聖堂』。
11世紀に建造が開始された「サンティアゴ・デ・コンポステーラ大聖堂」は、その荘厳さ
内部装飾の豪華さを含め、キリスト教三大聖地の一角に相応しい『壮大なモニュメント』。
巨大なカテドラルの内部には、「聖ヤコブの墓」の上に主祭壇が造られ、祈りを捧げる
礼拝者を厳かに迎えます。そして、金色に輝く彫刻装飾が施された祭壇の中央には、
これこそが巡礼の象徴に他ならない『聖ヤコブ像』が鎮座。
巡礼の終着点○オブラドイロ広場を訪ねる。
『オブラドイロ広場』。
オブラドイロ広場はガリシア州最大級の広場で、サンティアゴ デ コンポステーラの
重要なシンボル。
広場に面してそびえ立っているのは、11 世紀初頭に建築された
サンティアゴ デ コンポステーラ大聖堂。外観は美しいバロック様式ですが、
館内の 12 世紀に建造された栄光の門に施された彫刻はロマネスク芸術を代表する傑作。
そしてこの日はポルトまで[約230KM、約3時間]戻り前日のホテルに連泊。
そして4日目からは最終日までひたすらバスにてリスボンまで南下しながらの観光。
4日目は9:00にホテル発。
コインブラへ。[約116KM、約1時間30分]
ポルトガル最古の大学で有名なコインブラ観光(1時間30分)。
ヨーロッパ屈指の伝統を持つ【世界遺産5】○コインブラ大学、○カテドラルを訪ねる。
『コインブラ大学』。
13世紀に設立された世界最古の大学のひとつである。ポルトガル屈指の名門国立大学とされる。
大学が街の中心とみなされ、黒いマントを着たコインブラ大学の学生が行き交う。
約2万2千人が学んでいる。8つの学部が存在し、その学部ごとにシンボルカラーがある。
2018年のQS世界大学ランキングでは総合401位。
『コインブラ・カテドラル』。
コインブラの旧大聖堂は、ポルトガルのコインブラにある、同国で最も重要なロマネスク様式の
建築物の一つ。1139年のオーリッケの戦い後、ポルトゥカーレ伯アフォンソ・エンリケスが
初代ポルトガル王アフォンソ1世として即位し、首都と定めたコインブラに建設された大聖堂。
昼食後、トマールへ。[約69KM、約1時間15分]
着後、昔の面影が色濃く残るトマール市内観光(1時間)
ポルトガル最大の修道院【世界遺産6】◎キリスト修道院を訪ねる。
『トマール・キリスト修道院』。
ロマネスク建築、ゴシック建築、マヌエル建築、ルネサンス建築といった様々な建築様式が
融合した建築物で、1160年にテンプル騎士団によって建設が開始されました。
建設当初は勃興したばかりのポルトガル王国の対ムーア人への防波堤の役割を果たしていました。
14世紀にテンプル騎士団に対して解散命令が出た後は、その名をキリスト騎士団へと改編し、
その後もこの修道院を守り続けています。テンプル騎士団の教会らしくエルサレムにある
オマール・モスクをモデルとした円堂が有名です。
その他、墓の回廊と沐浴の回廊、サンタ・バルバラの回廊、ジョアン3世の回廊が見られます。