JINさんの陽蜂農遠日記

JINさんの陽蜂農遠日記

PR

Profile

jinsan0716

jinsan0716

Keyword Search

▼キーワード検索

Comments

オジン0523 @ Re:「市制70周年 佐倉花火フェスタ2024」へ(その5)(09/08) 矢張り有料席から見ると正面から見るので…
jinsan0716 @ Re[1]:「市制70周年 佐倉花火フェスタ2024」へ(その3)(09/06) オジン0523さんへ ありがとうございます…
オジン0523 @ Re:「市制70周年 佐倉花火フェスタ2024」へ(その3)(09/06) そして9:20になり、カウントダウンが始ま…
jinsan0716 @ Re[1]:旧芝離宮恩賜庭園 へ(その3)(08/06) オジン0523さんへ 書き込み、ありがとう…

Favorite Blog

猛暑日真夏日終了、… New! 隠居人はせじぃさん

相模国府祭と寺社史… New! オジン0523さん

花苗植え ・ Gママさん

水槽用冷却ファンの… noahnoahnoahさん

エコハウスにようこそ ecologicianさん

Calendar

2024.06.01
XML
カテゴリ: JINさんの農園
ここ、 明神山一帯は浦賀城址 と云われている。
小田原北条早雲が三浦一帯を領した頃、 房総半島・里見水軍の度々の攻撃に備え 、浦賀水道に
面し港のある明神山に三崎城の支城として、 16世紀後半(天正~慶長初期)に3代北条氏康
(2代氏綱の嫡男)が水軍を配置した浦賀城を築城 した と。



先には 現・住友重機械工業(株) の「 浦賀船渠(株)殉職員慰霊塔 」があった。



近づいて。



為浦賀船渠株式會社殉職貟
住友重機械工業株式会社の前身である浦賀船渠(ドック)により大正9年に、この明神山々頂に
建立されたものである。
会社関係で先の大戦又不慮の事故等により亡くなられた308柱の御霊をおまつりしている。
毎年10月には会社幹部の方々、ご遺族代表、地元関係者参列の下、慰霊祭が執り行われて
いるとのこと。



「浦賀船渠㈱」の社章であろうか?
​U​ RAGA ​DOC​ Kか?



そして「浦賀船渠(株)殉職員慰霊塔」の裏、山頂の南端からは 「浦賀水道」の
絶景 が拡がっていた。



浦賀城址
戦国時代に小田原北条氏が三浦半島を支配した時に房総里見氏からの攻撃に備えて北条氏康が
三崎城の出城として築いた といわれています。

水軍の根城として山頂には空掘など城の遺構が残り、下田山・城山とも呼ばれていました。
昔から
総半島、正面に浦賀八勝の一つ燈明堂が見られま す。
この 明神山は自然の社叢林で県の天然記念物に 指定 されたウバメガシ分布の北限とされて
います。
嘉永六年( 一八五三)ペリーの黒船四隻が浦賀沖に来航した時、眼下の左辺りに停泊 しました。
下の絵は 安藤広重の武相名所の旅絵日記の五六景の一枚 です。
  浦賀行政センター市民協働事業・浦賀探訪くらぶ」



広重の旅絵日記 より



そして前方の眼下に見えたのが先日訪ねた「 浦賀燈明堂跡 」が見えた。



上の安藤広重の 広重の旅絵日記 からすると ​◯ あたり​が、 黒船の一隻・プリマス号が停泊 して
いた場所か?
​​ ​​


ズームして。
慶安元年(一六四八)幕府の命でつくられた日本式の灯台である燈明堂は明治五年(一八七二)まで
その役割を果たしたのだと。



写真右の双子の山は房総丘陵の山の一つである「 富山(とみさん)349.5m 」である。
「南総里見八犬伝」の始まりとなった富山。
2つの峰からなる双耳峰で、標高は北峰(金毘羅峰)が349.5m、南峰(観音峰)342.0m。



写真中央が「 鋸山 標高329m 」。



「浦賀城から見た房総」。



「浦賀城イメージ図」をネットから。




浦賀城について



「南郭」から「奥の院」方向を見る。
明神山の上には土塁や帯曲輪らしきものもあったが、勝海舟関連の社や石碑などでかなり
その地形は改変されているように思えたのであった。



そして 頂上から産霊坂(むすびざか) の石段を下る。



拝殿の右の社殿近くにあった石碑には???



石灯籠??



「東叶神社」の「社務所」。



「浦賀城」の御城印



そして「東叶神社」を後にして、来た道を引き返す。
「横須賀古道散歩」案内図



横須賀古道散歩
「横須賀古道散歩」は横須賀市内を通っていたと伝えられる古代の東海道や中世の鎌倉道近世の
浦賀道を古刹や古い地名をたよりにたずねる散歩道です。
コースはしょうぶ園から衣笠駅付近を経て京急大津駅までの「古東海道ゆかり散歩」と京急大津駅
から浦賀駅前を経て一方は東叶神社へ、一方は燈明堂へいたる「浦賀道ゆかり散歩」の
2コースです。」



そして次の目的地の「 法憧寺(ほうどうじ) 」に向かって 東浦賀2丁目 の住宅街を進む。



右に折れ、前方の石段の上・東浦賀の海を見下ろす高台にある
「法憧寺」に向かう。



石段を上って行った。



墓地が見えたが、隣の家は住職のご自宅なのであろうか?



南側の墓地を見る。



多くの石仏のお姿が。



無縁塔 」と。



そして 「法憧寺」の「本堂」が浦賀湾に向かって 建っていた。
円城山宝珠院法幢寺 ・浄土宗鎮西派の寺。
横須賀市東浦賀2丁目16−20。



法幢寺
明応2年(1493)に、大本山鎌倉光明寺第八世の観誉祐崇上人によって開かれたお寺です。
上人は浄土宗でお十夜法要を始めた人です。
本堂には、恵信僧都(942~1017:往生要集を著し浄土教の基礎を築いた)の作といわれる、
阿弥陀三尊像が安置されていおり、像の高さは約1mあります。薬師如来は、眷属
(付き従うもの)の十二神将とともに本堂に安置されています。
山号の円城山は、永正15年(1518)三浦一族を破り、この地を領した後北条氏が房州の里見氏に
対する備えとして築いた浦賀城の一廓であったことを物語るものです。
浦賀行政センター市民協働事業・浦賀探訪くらぶ」



十二神将 」。



向拝の見事な龍 の彫刻。



ズームして。



木鼻(右)



木鼻(左)



本堂にはこの一帯が浦賀城一廓だったことを物語る山号の扁額「 圓城山 」。



軒下の小壁には岩田辰之助・徳太郎兄弟が大正15年(1926)に手掛けた魔除けの神獣を
テーマにした合作鏝絵「牡丹に唐獅子」が遺されていた。
鏝絵「牡丹に唐獅子」(右)。
牡丹に岩上の一対の唐獅子が鞠と紐に戯れる図柄を、二間の壁面にわたり連続画的に
レリーフ状に表現している。唐獅子頭に玉眼(ガラス玉)を嵌入。
中央下段に銘文があり、「奉納/大正十五年/九月廿八日/岩田徳太郎/岩田辰之助」とある
白漆喰仕上げ、一部彩色。



ズームして。
唐獅子頭に玉眼(ガラス玉)を嵌入。



鏝絵「牡丹に唐獅子」(左)。



ズームして。



墓石には「故陸軍兵長桐ヶ谷信雄之墓」と。



墓地の奥には多くの墓石が並ぶ。



正面に立派な墓石が。



「鍋洲累世之墓」と。



ズームして。



墓地の高台から浦賀湾を望む。



愛宕山公園 」と 浦賀湾に停泊する砂・砂利運搬船 を見る。



移動してズームして。



奥にあった墓石は歴代住職の墓地であっただろうか。



歴代鈴木家の墓。



「鈴木累世墓」と。



「南無阿弥陀佛」碑。



これも無縁塔か?



錫杖を持つ石仏。




                                  ・・・​ もどる ​・・・




                 ・・・​ つづく ​・・・









お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう

Last updated  2024.06.10 07:08:33
コメント(0) | コメントを書く


【毎日開催】
15記事にいいね!で1ポイント
10秒滞在
いいね! -- / --
おめでとうございます!
ミッションを達成しました。
※「ポイントを獲得する」ボタンを押すと広告が表示されます。
x

© Rakuten Group, Inc.
X
Create a Mobile Website
スマートフォン版を閲覧 | PC版を閲覧
Share by: