JINさんの陽蜂農遠日記

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2024.08.24
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カテゴリ: 藤沢歴史散歩
この日は、2024年8月2日(金) 、2024.7.20(土)~2024.08.31(土)に開催されている
1,000基の灯籠で、 江の島 の名所一帯をライトアップする 『江の島灯籠 2024』
見に行って来ました。
江の島灯籠 2024 は2023年11月に「関東三大夜灯」に認定 された。
関東最大級の夜灯りの世界、芸能、芸術の神様が見守る江の島でしか味わうことの
できない美しく厳かな光祭りを演出していたのであった。
そして入口の

していたのであった。

17時過ぎに自宅を出て、小田急線で片瀬江ノ島駅に到着。
構内にある江ノ島水族館のクラゲ水槽が迎えてくれた。



水槽は駅舎正面中央に置かれ、開口部が直径二メートルの円形で、二・六五トンの海水が

入っており、ゆっくり回転するように流れていた。
十匹以上のミズクラゲ がゆらゆら浮遊する様子は、同館で人気を集めている展示水槽そのまま。



 ミズクラゲは水族館などでもよく見かける認知度の高いクラゲであり、青と白のコントラストで
来場者を魅了する。飼育はなかなか難しいといわれるが、ペットとしても人気がある。



しかし、自然界では大量に発生してしまっていたり、漁では網が揚げられないほど大量に入って
しまったりと、被害も出ている。ミズクラゲには刺胞があるため、海水浴中などに刺されることも
あるため、注意が必要であるとのこと。



体色は透明~白っぽく、半透明の色をした寒天質の傘を持つ。傘は扁平な皿状をしており
大きさは平均で直径10cm~15cmほどである。最大では直径が50cmを超える個体もいる。
傘の表面に4つの円のような口腕がある。これらに口腕にはヒダがあり、そのヒダの縁に短い
触手が並んでいる。また、傘の縁には光の明暗とのバランスを取るための平衡器も8個ある。
体長は15cm~30cmにまで成長する日本で一番認知度が高いクラゲである。鑑賞用として
飼育されることも有るが、意外とデリケートなため飼育はなかなか難しいのであると。



片瀬江ノ島駅構内にあった 『江の島灯籠 2024』 ポスター
18 : 00 ~ 20 : 30まで点灯(雨天・荒天中止)
土日祝および8 / 12 (月・振休) ~ 16 (金)は18 : 00 ~ 21 : 00
会場:江島神社(辺津宮・中津宮・奥津宮) /江の島サムエル・コッキング苑
   江の島シーキャンドル/御岩屋道通ら/江の島岩屋他  と。


まだ明るい 小田急線片瀬江ノ島駅
新駅舎は従来の竜宮城のイメージを引き継ぎ、新たに各所に龍の像や天女の絵などが
あしらわれ、日没後は毎日、ライトアップされるのだ。



道路面のタイル。



正面からズームして。



屋根には鯱に替わってイルカの姿が。



社寺に用いられる「竜宮造り」の技法を取入れて、江の島の「五頭龍と天女の伝説」に因んだ
天女と龍の装飾を施し、品格と遊び心を共存させたデザインとなっているのであった。



そして江の島に向かって 境川に架かる「弁天橋」を渡りながら江の島 を見る。
手前の橋は 国道134号に架かる「片瀬橋」



江の島をズームして。



「弁天橋」を渡る。



弁天橋にある「 雲の形 」の像。



江の島弁天橋 」方向を見る。
陸地寄りには 椰子の木 が並んでいて、南国感がある風景になっているのだ。



国道134号下の地下道へと。



ここから左右に、東浜、西浜への海岸に出る階段が伸びている。



江の島案内図。



現在位置 はここ。



作者      歌川広重(うたがわ ひろしげ)初代
      寛政9年~安政5年(1797~1858)
作品名   相州江之嶋之図
制作年   天保年間後期(1842年頃)



作者   
歌川広重(2代)
作品名 諸国名所百景 相州七里ケ浜



作者      歌川広重(うたがわ ひろしげ)初代
      寛政9年~安政5年(1797~1858)
作品名   本朝名所 相州江ノ嶋岩屋之図
制作年   天保3年(1832)
板元    藤岡屋彦三郎



「江の島弁天橋」に向かって進むと、巨大な石灯籠が現れた。



江島神社御鎮座記念「龍燈籠」(右)



江島神社御鎮座記念「龍燈籠」(左)



龍をズームして。



龍燈建立之記
「江島縁起」によれば欣明天皇十三年(五五二)四月に海底より塊砂を噴き出し天地が鳴動する
こと二十一日、忽ちに海上に一つの島が成せりとあり、これが島の起りとされる。
この島上に天女が降居し湖水の五頭龍は天女の麗質を見て善行を施すに至り、 以降天女は
江島明神として祀られることとなった。 役行者を始め弘法、慈覚等高僧が岩窟にて参籠修行を
いたし、各々が神感を受け御神威を仰いだとされる。 鎌倉時代には源頼朝を始め鎌倉将軍家、
北条氏歴代、更に秀吉、家康等その時代の名立たる武将の信仰は極めて篤く、 殊に江戸時代には
江の島詣が盛んとなり、天下衆人の敬仰を集めるに至った。 又景勝の地江の島は紀行文、人情本、
謡曲、長唄、常磐津、歌舞伎等に表現され、 北斎、広重等浮世絵師により秀れた錦絵が
数多残され、 島内には社殿をはじめ多くの石碑が往時の信仰の深さを物語っている。
然るに豊かな自然環境と歴史的文化遺産を持つ江の島が折しも江島神社御鎮座千四百五十年を
迎えるに際し、当地永々の繁栄を祈念いたし、奉祝記念事業として関係各位の御高配と多くの
御奉賛者の御浄財を以て、史蹟名勝地に相応しき石燈籠一対を建立いたす所以である。
            平成十三年巳歳七月   江の島振興連絡協議会、江島神社」



境川越しに夕日を。時間は18:03。



片瀬漁港の先の空がオレンジ色に染まって来ていた。



片瀬漁港鮮魚直売所(左) も見えた。



岩屋洞窟への漁船・べんてん丸 案内板。
「行きはお楽な船で!
歩くと登りで40分以上かかりますが、船なら7分程度で着きます。
帰りは江の島を観光しながら、歩きで降りてお帰りいただけます。
片道 大人400円  小人200円(5歳以下無料)」



往路、帰路の推薦ルート図 と。



地震=津波➡️避難
すぐ高いところへあがってください  と。



江の島弁天橋の入口に到着。
ピンボケであった為、これは以前訪ねた時の写真であるが。

江ノ島の観光スポット15選!女子旅やカップル、ファミリーでも楽しめる観光スポットをご紹介 | たびらい

弁天橋入口にある石碑・「 名勝及史蹟江ノ島 」。



葛飾北斎の浮世絵「富嶽三十六景」の「相州江の嶌」 も紹介されていた。
「この浮世絵の江の島は、神奈川県藤沢市に位置する、江戸時代も人気の観光名所である。
神奈川県指定史跡・名勝、日本百景の地である。
当時は干潮時に現れた砂州を歩いて江の島へ渡っていた。現在は橋が架かっている。
干潮時の限られた時間の中で江の島の弁財天詣でに急ぐ人々の動きが伝わってくる。
江ノ島弁天の江島神社上之宮の塔が顔を出している。渡った先には大きな石灯籠が見え、
そこが参道の入口である。
両岸の茶店や家並みが細かく描かれている。島の周囲の海面は波一つなく穏やかである。
江の島は対象的に砂州の両側に寄せる波の点描表現が浮世絵として効果的である。
建物の屋根、帆船、富士山の形と様々な三角形があふれている。
現在の江ノ島は、1959年藤沢市は米国マイアミビーチ市と姉妹都市提携を結んだ。
「東洋のマイアミビーチ」という触れ込みで江の島・片瀬・鵠沼地区の観光開発に力を入れる。
この年、江ノ島鎌倉観光は日本初の野外エスカレータ「江の島エスカー」を建設した。
1964年の東京オリンピックが観光客数のピークで、以後は減少する。
この浮世絵は1830年から1832年頃の作品である。北斎の年齢が72歳頃になる。」と。



現在地
はここ。



江の島まちづくり憲章
1、前文
江の島は、海と緑の美しい自然環境と豊かな歴史的遺産を持つ藤沢市の代表的なは地区であり、
藤沢市民にとって印象深い場所の1つです。
私達は、さらに豊かな江の島の魅力をつくりだしてゆくことを願い、すぐれた自然環境と歴史的
遺産を生かして、江の島らしい、価値をもった活力と魅力あるまちづくり"島ぐるみ野外博物館"
を目指します。また、旧島部も埋立地も1つの江の島としてまちづくりを進めるために、ここに
「まちづくり憲章」を定めます。
2、本文
私達は、江の島に調和した魅力あるまちづくりを進めるために次のことに努めます。
( 1 )緑の江の島を形成する自然環境を守り育てます。
( 2 )江の島の海をきれいにし守り育てるよう努めます。
( 3 )江の島の歴史的文化遺産を守り後世に伝えます。
( 4 )海への眺望や、海辺・緑・歴史的文化遺産を生かした行楽地として活力あるまちづくりに
  努めます。
( 5 )江の島にふさわしいすぐれた街並と、健康でゆたかな生活の場を作り出すよう努めます。
( 6 )お互いの友愛と連帯意識を高め、住民自治の精神でまちづくりを進めます。



3.附文
これらの目標を達成するには、地域住民・市・事業者等が、お互いに協調を図ってそれぞれの
役割を果たす必要があります。
( 1 )地域住民の役割
市民が良い環境をつくり、良い環境が市民を育てます。すぐれた環境をつくるには、市民1人1人の
環境に対する自覚と関心が必要です。地域住民相互の協力と合意のもとに豊かな江の島の
まちづくりを目指します。
( 2 )市等の役割
市は、市民・事業者に対する指導・助勢・啓発の他、環境整備事業を推進し、江の島の骨格・顔と
なるすぐれた景観づくり、及び土地利用誘導・緑地保全維持などに先導的な役割を果たさねば
なりません。また、公共建築物等の建設・計画に当たっては、江の島にふさわしい施設づくりに
努めるものとします。
また、国・県も、その事業や計画の展開に当たっては、広域的かつ基幹的な必要性だけでなく、
江の島の自然・歴史の特性を十分配慮して行うよう努めるものとします。
( 3 )事業者等の役割
事業者は地域社会の一員として、その事業活動を通じて、地域住民との信頼関係を深め、魅力ある
江の島のまちづくりを目指して、江の島の環境形成に努めるものとします。
    [制定: S.63.4.7 江の島一丁目ニ丁目住民一同]」



「江の島は、またの名を「絵の島」ともいわれ、昔から風光明媚と自然環境に恵まれた周囲
約5Km、面積0.37km2の島です。
島の頂上部にある展望燈台からは、東南に三浦半島、南に伊豆大島、西に富士山・箱根の山々、
と湘南海岸を中心に360度の大パノラマを楽しむことが出来ます。
また江の島は、地質上、第三紀凝灰質砂岩からなる島で、このため海浸洞窟や岩嘴が多く、
奇異な形をなして、古くからその名勝をうたわれています。
島の中央には江島神社があり、弁財天が祀られています。安芸(広島県)の宮島、近江(滋賀県)の
竹生島にある弁財天とならんで、日本三大弁財天の一つにあげられています。江戸時代には
平和の神・福の神・音楽技芸の神として、多くの人々から信仰され、大変にぎわいました。
このため、島内には神奈川県および藤沢市指定の多くの文化財が遺され、自然美と併せて、
全島が史跡・名勝に指定されています。来島いただきました皆様に、四季を通じた江の島の魅力を
ご満喫いただきたいと思います。」



名所・史跡リスト



潮音
「円弧型日時計」といい、日時計作家 小原輝子氏の作。
長洲一二元神奈川県知事の揮毫になる「潮音」という文字が黒御影石に彫られていた。
平成元年 4 月、藤沢のライオンズクラブが結成 15 年を記念して建てたものであるとのこと。



円弧型・日時計
”時”には形がなく見えません。しかし、私達には確かに時が過ぎていくのが感じられます。
人々は大昔、太陽の動きをつかまえて、とりとめもなく流れる時に区切りをつけました。それが
日時計と時刻です
三角形の石の指針(ノモン)の影を、円弧形の石の時刻目盛で読んでください。影を止めることなく
刻々と動いています。それが宇宙における地球の雄大な回転なのです。
午前は西側の影、午後は東側の影で真太陽時(ここの太陽による時刻)がわかります。
日本標準時と真太陽時はちがいます。標準時が兵庫県明石市・東経一三五度できめてある
からです。いつも真太陽時が進んでいてその差は毎日ちがっています。左の時差表グラフを見て
計算すると標準時がわかります。
湘南海岸にたつ日時計に明るい風が吹きぬけていきます。太陽と地球と私達、すべてを大切に
したいと思います。」



「​​ 時差表 ​👈️リンク​
この日時計が影で示す時刻は日本標準時より進んでいます。時差表の本日の分秒数を引いて
ください。
日時計の位置は、東経 139 29 11 秒、北緯 35 18 09
なかなか理解が難しいのであった。



そして 「江の島弁天橋」入口



「沿革
この橋は、明治24年  満潮時砂浜であるところと島とを結んだ橋として、作られ、
江の島
棧橋と呼ばれていました。
明治30年に至って橋を片瀬州鼻まで延ばし、大正11年に県営となるに及んで渡橋料金
2銭也がとられました。しかし橋が長いので一度暴風に遭へば流失するような状態で、
昭和24年には更に橋脚を鉄筋コンクリートパイル、上部は木橋として作り直され、
その後、江の島弁天橋として親しまれてきました。昭和32年に至って湘南海岸公園施設の
一翼を担ひ、この近代的な橋梁に生れ変わったものであります。

昭和33年7月 神奈川県



片瀬漁港の「西プロムナード」の方向、夕日が雲の中に沈んで行ったのであった。



オレンジ色に染まった雲をズームして。



江の島・シーキャンドル を見る。



江の島大橋(えのしまおおはし) 越しに鎌倉、逗子、三浦半島方向を見る。
「江の島大橋」は神奈川県藤沢市の江の島と本土とを結ぶ橋で、厳密には西側の歴史的な
「江の島弁天橋」(人道橋)と東側の「江の島大橋」(車道、自転車も可)に分かれているが、
一般には両橋を含めて江の島大橋、江ノ島大橋と呼ぶ。



残念がら、富士山の姿は完全に隠れていた。



ズームして。







                  ・・・​ つづく ​・・・






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Last updated  2024.08.28 06:51:59
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