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私なんぞ人付き合い悪そうな顔だから、普段、人が親しげに声をかけてくることはほとんどなかった。それがおなかが大きいと知ると、皆、ニコニコと声をかけてきたのである。産まれたら産まれたで、これが皆とても親切になってくれたのである。赤ちゃんというのは不思議な存在だな~と思ったことである。赤ちゃんには人を幸せにする力がある。赤ちゃんの時の笑顔は、もうそれだけで、一生分の親孝行をしてくれているんだそうである。私は事情があったからというのもあるが、多分なかったとしても、誰にも頼らず出産した。妊娠出産は病気ではないから大層に考えることではないと思っていた。だからごく普通に出産前日まで働いた。出産後も退院したらごく普通に働いた。人に言わせると実に動物的人間なんだそうだが、人間だって動物だもの、特に異常がないかぎりそれが正解だろう。つわりなんていうのは、母親と胎児との不調和音だという八島遥雲は正しいと思う。私は妊娠中、何も変わらなかった。つわりもなければ、特に沢山食べたということもなく、病院に行けばいつもほめられた。昔は姑にいじめられたなんて話はよく聞いたが、マタハラってなんだ?という感じ。確かに皆が皆何事もないとはいえないし、うっとおしがる職場もあるだろうことは容易に想像できるが、切り取られた画面だけでは真実が見えない。なんてことを声高に言うと、ものすごいバッシングを受けるかな?しかしなんにせよ子供は人類の宝である。女性皆が子供を産むことをやめると人類史は終わる。至言である。
2015.03.31
文化は遊びによってつくられるだったか、、、政治や経済やではなく、小説や絵画といった遊びのようなものが長い長い歴史をつくるだったか、亡くなる少し前、遠藤周作がそういっていたことがあった。ホモ・ルーデンスなんだわ~と、二十歳の頃読んだきりだったので内容云々を覚えているわけではないが、ホイジンガのその著書を読んだ時の読後感を思い出した。そして今また、この人は本当にホモ・ルーデンスなんだわと、呆れるというか、感心するというか、しみじみと主人の横顔を見るのだった。仕事でも遊ぶようにしか出来ないのだが、遊ばせるようにやらせることが出来たら実に魅力的に働くのだ。会話も、真面目に話すと意味が通じていなかったりするが、なんの役にもたたないようなだと人を瞬く間に魅了する。実は人間本来、そういう存在でいいのではないかと思うけれども、この世はそうは問屋がおろさない。私は出来る人間が好きだと思っていたが、実際は遊び人が好きなのかもしれない。故に自分勝手でわがままで、遊ぶか寝るか、悪戯好きで甘えんぼの猫が好きだったりするのだ、きっと。野良さん、雨の中、餌を貰いにきた。餌を食べたら、家に入れてくれと哀願眼をしてきた。さて・・・困った。
2015.03.29
姫路城がオープンになるらしい。城というと、本格的な宮大工になりたくて、滋賀から大阪に来ていた青年を思い出す。ところが年を経るにつれ、そこにある資材を番号順に組み立てたらいいだけの仕事が多くなり、彼は滋賀に帰った。ただ滋賀に帰る前に、見られるだけの城を見に出かけるのだと言った。城が好きだから、いつかは城のような建物も建てられるかと思っていたが・・・と、残念そうに言っていた横顔を思い出す。姫路城といえばカズ君だ。彼も城が大好きで、図書館に行っては城の資料をよくひらいたと言っていた。ことに姫路城に関しては本だけでなく、何回も足を運んでいて、「僕は石の一つ一つもわかるかもしれない」と明るい顔で話していた。箱庭療法を受けていて、「僕、建物造るのはうまいんです」と、その治療を結構楽しんでいるふうだった。彼らがどうしているか知らないが、自分が一生懸命やったことはきっと忘れないし、その一生懸命さは自分を支えてくれる芯となる。一生懸命さが身に付く。超能力の話だが、先生も仰っていた。一瞬で得られたような力は一瞬でなくなるが、努力して得られた力は、努力する限りなくならない。次元の違う話だが、漢字も、難しくて幾度も書いて覚えたものは結構覚えていたりするもの、ね。
2015.03.27
私は本当によく勉強する子供だったと思う。勉強というよりは学習か。。。いつも思い出しては感心する。大抵は十歳までのことだが、ボーっとしているかと思えば、日の暮れるのも、ご飯を食べるのも忘れて何かをやっていたりした子供時代。お前は本当に根気がある、本当によく考える子供だと、無言の強情な子供に母は半ばは呆れ、半ばは感心したようにため息をついた。私は子供としては非常に扱いにくい子供だったから、大抵の者からは文句を言われた。悪いところを指摘された。私は、人がなぜそのような考え方や受け留め方をするのか、分からないことだらけだった。わからないから考えた。何が正しくて、何がいけないのか。正しい考え、正しい行いとはどういうものか。私は納得できなければ、絶対に次の一歩には踏み出せない子供で、ぐずぐずしいと言われたが、小学校五年の時、生まれてはじめて「偉い!」と思う転校生に出会って、即行動型になった。小三の時、担任に放課後無理矢理残らされて書いた「正しい心」は、思いがけず金賞を貰ったが、ぐずぐずしかったその正しい心のありようの学習速度が、飛躍的にアップし、自在ではないが、だいぶ応用できるようになったということだ。遊びも手伝いも何もかも一人だった子供は、ただただ自分の心と対話する以外になかったわけだが、暗くて静かな洞穴は安息の場所だった。そこでは、投げつけられたような言葉でも、私は間違わず、深く、理解したと思う。子供の頃の一年は、今の十年にも匹敵する。ものすごい学習力である。あの人達だって随分勉強したには違いないが、学習の質は異なる。そこで私はまた、八島教祖や、浅野和三郎の「質は集まる」「死後も個性は存続する」という言葉を思い出すのである。
2015.03.24
森之宮の桜はほぼ満開だったが驚くにはあたらない。吉野の姉がもう咲いている桜の枝を持ってきたのだから。前日前々日にたとえどんな予報が出ていようと、墓まいりの日には晴れると決まっているから、いつも何の躊躇もなく出かけるのだが、昨日は晴れを通り越して真夏のように暑かった。アベノハルカスをはじめて真近で見た。センスのない建物だ。近鉄百貨店は年々悪くなるとの思い。私は近鉄好きなのよ。まだ上六までしかなかった頃。名古屋へ行くサービス満点だった特急。二階建てビスタカー。野球も近鉄。西本監督がいて、鈴木がいて、野茂さんがいた。だけど近鉄百貨店はいただけない。阿倍野も上六も、ここ生駒も全然冴えない。近鉄ファンの私はぶつぶつ言いながら、ミオにも来なくなってから何年くらいたつだろうかと考えた。四天王寺は相変わらずの人。ここはなぜにいつもこんなに人出があるのか?しかし全体には谷町筋もスイスイ。千日前筋なんかガラガラで、おかげで気分よく走っていたのだろうスポーツカーに女警官が大きくホイッスルを鳴らした。しかしスポーツカーは知らん顔して行ってしまった。警官何かを書き付ける。スピード違反に逃走罪?免停だったりして。春はかったるい。私は姉たちの集まりが好きではない。和を乱さないために出かけるが、いい人達ではあっても姉妹という以外、私とは関係のない人達だ。ダメ人間と言われていても妹や弟の方がよほどいい。私は子供の頃から姉達に理解されたことはない。理解しようという気もないくせに、理解できないと言う。喉まででかかった言葉を呑み込んで生きてきた妹の心は知らず、何かの時には頼ってくる。色んなことが分かってみれば、我が家の姉妹ほどアホくさい関係はない。しかしそれもご縁。この世の修行。三途の川を渡ったら、そこでの修行場では二度と会わない関係である。
2015.03.23
脳科学なるものが流行っているが、あれは正しくは神経科学の俗名なんだそうだ。そういう心が脳に及ぼす影響を書いた書物が沢山出回る世になった。そういう本を好んで読む人達がいる。私も仏陀誕生に至る脳のメカニズム的な本が嫌いではない。祈りでも精神統一でも、瞑想でも、言葉はなんでもいいが、そういう時の脳波は実際面白いことを示唆している。先生が昔、日大で撮った脳波の映像写真が残されているが、あれは私には非常に納得のいくものだった。自分でも多少の経験があるし、阿字観では鼻にちり紙のような薄い紙を貼り付けるという修行法もあるし、何より生き死にを何回もした母を見てきた私である。昔なら修行で得られたそういう状態は宗教的に解説されたのだろうが、今はそれを科学的に分析し研究しているわけである。私は当初、それら本を興味深く読んでいたが、最近は心楽しまずにいる。実に危ういとさえ思うようになった。脳科学や医学の進歩にである。ロブサン・ランパ自伝『第三の眼』という本がある。あれは偽書だという話もあるが、それはそれとして、その書を読んだ時、何気なく持った危惧。ロブサン・ランパは修行僧だからまだいいようなものの、現代の技術では、ああいうことはいとも簡単にできてしまうかも知れないのである。息が長くなる。仮死状態になる。瞬間統一が出来ている。そういう時脳内では、名は忘れたが一種麻薬のような物質が多く分泌されているという。正常者がそういう時体験する不思議を至高体験と言い、精神病患者のそれは妄想幻覚と言う。紙一重のようなことだが、人はこの摩訶不思議な現象を忘れがたくなる。裕道師ならその両方ともの大部分を魔・或いは魔手と断定するだろうがそれはともかく、一種異様な忘れがたい体験は大いに利用価値があるから、その状態へ導く為に妖しいものに手を染める教団もある。京極夏彦を気取ったような、夏でも真っ黒のパリッとしたYシャツに黒手袋の院生は、広島の自分の師は実に危ない人で、麻薬の使用もどんどん薦めるのだとか言っていた。心であれ、病気であれ、やたら脳のメカニズムをからめて解説する今の風潮に、その危惧を思い出したのである。人格=霊格というが、人はややもすると現実に押し流され、人生の真の意味を忘れる。人は誰でも幸福な生を望むから、成果主義が幅をきかせる世の中では、成功=幸福という図を描く人も少なくない。人生修行の真の意味を忘れ、魂磨きを忘れ、技術の進歩を謳歌していると、やがては第三の眼は手術でつくればいいことになるやもしれぬ。精神安定剤をもっと進化させればいいということになるやもしれぬ。魂磨きなんぞという遅々として進んでいるのかいないのか判らぬような努力より、技術の進歩に頼り、脳をいじくり、必要な脳内物質をださせればいいということになるやもしれぬ。無相の三蜜、有相の三蜜というが、こと脳の問題に関しては、すでに形から入れるのではないかと思える現状に、少々の危惧を最近は覚えるのである。
2015.03.16
所用あってあっちに行ったら渋滞。買い物でこっちに来たらこっちも渋滞。路地に入れば路地も渋滞。この時期は毎年のことだが、今年は更にひどい。今日は交通整理に警官も何人か出ていた。税金で喰ってる者は来年もまた税金いただかねばならないものね。もっとも大手が一番に二割?抜いて、次がまた何割か抜いて、下っ端の下っ端に来た時は雀の涙で、おかげで零細は正作業員を雇うこともままならないらしい。こういう体質がなくなったという話はまだ聞かず。道路がすいてたら御陵めぐりに行こうかと思っていたが、あいにくの混みようで、動かない車中で欠伸を噛みながら、何年か前までは公共事業大手に勤めていたМさんを思い出した。Мさん、私と同じで、仕事ではともかくも、個人的には全然拍手打つ人でない。Мさん、御陵に私が行っていると知ったらどう思うだろうかと思った。御陵なんか私には関係ありませんね。神社も寺も。と言いそうだが、そんな彼も、どこかの村の橋梁工事のついでに登った山があって、そこの古い社だったか、磐座だったかには思わず手を合せていたんだそうだ。「時々、全然作り物じゃない神聖なところがありますね」と言っていた。こういう所がMさんと私は似ている。無相が最も尊いすがたであると空海は言っている。私はどこか一つでいい、そんな御陵に行き当たりたいと思っている。しかし奈良で行ったことのない御陵は、あと三箇所しかない。
2015.03.14
よく晴れているかと思いきや、次に戸外を見ると猛吹雪の様相。どうなるのかと心配するも、夜にはまた溢れんばかりの星。今日もどうやらそんな天気らしい。寒いと読書量が増える。そのせいもあるだろう、肩凝りもすすむ。今日は思い立って揉みほぐしに行ってきた。そして少しは首が痛くなくなってまた読書。小椋一葉という人は、よほどニギハヤヒが好きらしい。ヤマトの大王の研究なのかもしれないが、大王というなら、馬子大王から研究を進めても、より面白い古代に行き着くのではないかと思うのだが・・・やっぱりニギハヤヒなのだ。そんな小椋一葉の本を、ニギハヤヒ好きの私が、全然食指が動かないどころか、わざと避けたりする時もある。しかしどういったものか、普段はパパラパラめくって終わりの氏の本なのに、この間は『神々の謎』に、つい最近偶然通りがかった住吉神社が載っていたのが目に入り、なんのご縁かと買って帰ってきた。あの神社の裏にニギハヤヒの墓の言い伝えがあるとは思いもせず、随分上にある拝殿に手をあわせてきたが、今、ミコトの墓は国有林の山の上だから、そこからは歩けば一時間以上はかかる。魂はどこぞかの高天原で、衣はどこぞかの墓にだから、それはどこであっても仕方がないが、私としては矢田の方か、或いはもっと桜井よりかにあったほうが、奈良に二つずつある地名の解明につながるかと思ったが、すぐ隣り合わせのような地での墓伝説をどう考えればいいだろう。氏は、その住吉神社が、まるで奥津城かというように、元々は城址にあったことは知らないのではないか。だから、墓というなら、それは今ある拝殿の方の裏山ではなく、私が何気なく立ったその奥だと考えたほうがいい。砦に見えたそこは実は古墳で、江戸時代にはそんなこととは知る由もなく、そこを砦とした。左に行けばニギハヤヒ山は近く、少し北上すれば巨岩の磐船神社である。このほうがロマンがあるばかりではない。実にしっくりする。そして今は、そこにあがる道々に人は畑を作り、中段では梅を植える。のどかである。なんでもかんでもニギハヤヒに結び付けるより、もっと確かな検証が必要だ。でないと古代史本はただの想像妄想の域をでなくなり、あれはフィクションであったということにもなりかねない。
2015.03.11
若い頃はテレビは持たず、十年前頃までは決まってみるということもほとんどなく、テレビ好きの主人がつけていても見たり見なかったりで、一体テレビ番組がどのようになっているのかなんて考えることすらなかったが、どの番組でも字幕が出るようになった頃から微妙に何かが変わったとは思った。同じ場面がしつこく何回も繰り返されるようになったのも多分その頃からだろう。最近は幸いにもというべきか、不幸にもというべきか、暇がありすぎて、これがろくでもないものばかりなのに、結構テレビを見ている。だからこそテレビはおかしいと感じる。今朝は久々に行方不明となったマレーシア航空機のことをやっていたが、海外でも国内でも、放送に値するニュースはごまんとあると思うのに、国民にとって大切なことだと思われるのに、まったく報道がないものや、たいしたことでなしというように一瞬で通り過ぎるものが結構ある。かと思えば、○○君が殺された、○○選手がこうしたああしたというような報道は一日中イヤというほど流す。政治番組も然りで、選挙報道一つとってみても、突っ込んだ見解もなく争点隠しかと思われかねない内容で、都知事選なんかはほとんど報道もされずといった具合だった。NHKはスポンサーが誰なのか忘れてしまっている放送局のようだし、民放は民放で、芸人が政治経済を論評するありえない国日本と、海外では揶揄されているというお粗末なものだ。真実を報道しない国といわれているんだもの、仕方ないかと、たまにネットで気になるものを読む。なにが真実かはわからないが、一日中同じ報道ばかりみているよりはいい。今日はこんなものを読んでいる。↓マスコミに載らない海外記事の中から「アメリカは、その歴史のうち93% - 1776年以来の、239年中、222年間が戦争」の記事http://eigokiji.cocolog-nifty.com/blog/2015/02/93---1776239222.html
2015.03.07
お気に入りさんのブログで知った。
2015.03.02
↑平城天皇陵前からの平城宮と生駒山奈良の御陵は本当にわかりにくい。あそこにあるとわかっていても、どこから入るのかがわからない。案内板の一つだにないところも多く、実に不案内である。しかし御陵だけではないらしい。今日も年老いた御夫婦、多聞堂に行くのに、迷いに迷っておられた。中心地だけ良ければいいってもんじゃない。これじゃ観光地にはなれない。修学旅行数が減ったとか、旅館が少ないとかばかりではないだろう。元々回ったらいいい所が東西南北広すぎるのだから、もちっと親切に案内板出してよー、と嘆く。一番いけないのはごく普通の家が建ってるところだね。何年か前、スワッ!邪馬台国か、なんて騒いで勉強会なんかやっていた所も、その周囲はもう早くから家がいっぱいで、磯城島の友人は、アホ臭い、全貌なんかわかるかいな。皆、何か出土しても、よっぽど大層なもんでもないかぎり、知らん顔して建て替えしてまっせ。なんて言っていたが、いざ自分があちらこちらに行くと、ここいらにある家はなんとかならんもんかね~と思ってしまう。
2015.03.02
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