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ヨガナンダ師に「神よ神よ神よ」という詩がある。あなたと別れる朝・・・というところを一等最初に読んだ時、子供の頃の、また若い頃の目覚めの、大いなる不機嫌さの原因がよく分かるような気がした。年を取っても、話ながらでも、すぐに寝てしまう妹の寝顔はいつも幸せそうだ。いつでもどこでも寝られる者は竜馬のように大人物だと聞いたことがあるが、異様に怖がりの妹に大人物の風情はない。話の途中ですやすや眠ってしまう妹に半ばは呆れつつも、いいじゃないの、幸せならば、と思う。私のように幼稚園の頃は昼寝の時間が苦手で、眠っているふりは苦痛で、年を取っても、同じ部屋では、最後の一人が眠ったと知るまで寝られないような者には、妹のような安らかな寝顔は見ているこちらも幸せになる。そうだった。yosiyukiさんは、死後の釈迦は太古の記憶に眠る、だか、太古の記憶に住むだったか、そんなことを言っていて、それはそうだと思った。その時、自分の夢はもしかしたら母の胎内で眠り続けることなんではないかと思った。そこには永遠の幸せがあるように思えた。妹ももしかしたら母の胎内にいるかのように眠っているのかもしれなかった。
2022.01.10
来年は、寅年生まれだからって、絶対に朝護孫子寺には行っちゃいけないと言っていたのだけれども、年が明けてみれば想像以上で、車はちっとも動かない。バスは見たことがないくらいどれもこれも満員で、こんな時は信号を操作したり、脇道を案内したりすれば良いのにと思った。私は奥之院が好き。どうせ混むなら車はどこかに置いておいて、奥之院まで歩いたらどうかと思ったりした。奥之院はうっかり車で行くと駐車場が狭いし、道々でどちらかが絶対にバックしなければならない事態に陥りやすい。バックは仕方ないように思うが、所さんのポツンと一軒家への道みたいな所。しかも曲がった急坂を難なくバック出来るほど運転上手い人はいないだろう。ま、私はてっぺんの一願成就の明りを遠くから眺めるだけの方が良いと思う。八尾から上がる道傍にある断食道場が懐かしくはあるが、行くなら正月三が日は避けて、出来れば次の土日も避ける方が賢明だ。ところで学校で習った信貴山縁起絵巻。今年は誰でも簡単に見られるんだろうか?
2022.01.03
初夢は今晩見るものだから初夢ではない。しかし元日のあまりに輝ける朝日に、目覚めた途端、もう十年生きるんだと思った。十年元気に生きるとして、さて何をやるべきかと、朝は大好きな神社にお参りし、昼は昔からありそうな集落に向かった。何の為の十年かはさっぱりわかりもしないけれども。夜になり、ドラマの中に太陽神アポロンに愛された少年ヒュアキントスの話が出て来た。そうして、今はもう何ほどの意味もない昔々の恋人を思い出した。最初の頃、彼は私をヒュアキントスと呼んだ。「どうしてヒュアキントス?」と聞くと、「アポロンに愛されて嫉妬されたのさ」と言った。「あなたは少年より凛々しい」と。なるほど少年と女史にも呼ばれていたけれど、凛々しかったんだな~と過ぎ去ってから思ったことだ。私は孤高の人でありたかったけれども、人の目には凛々しかったのだ。そういえば息子のことを某氏が凛々しいなんて褒めていたけれど、今どきの男子は凛々しいと持てないらしい。しかし思い出すのは、彼は言わなかったけれども、私の住所を調べて年賀状を書いていたり、何やら陰で色々調べていたのだ。今ではそれは重大な問題だがそれはさておき、私をヒュアキントスと呼んだのは、何も凛々しいとかアポロンに愛されたとかそういうことだけではなかったのだと、それは随分後になって思った。花はヒヤシンスなのだな~。
2022.01.01
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