全33件 (33件中 1-33件目)
1

「桂林旅情12」 「中国写真ライフ」では、広西自治区「桂林」の写真を公開しています。私が18年前始めて桂林を訪れた時は桂林の空港出口にタクシーの客引きが並んでいた。駆け引きをして一番料金の安いタクシーに乗り「最後の日に漓江下りをしたい」と言った所最初に「漓江下り」を楽しんだ方が良いと言う。原因は、最後に「漓江下り」を残して、観光地を目一杯見て廻り疲れた身体で「漓江下り」をしても軽い船酔いでも景観を楽しむどころではないと言う。地元運転手の意見を聞いたほうが無難と同意した。外国人用の切符を買う段階になって売り切れており考えた末に、運転手の身分証明書で中国人用の切符を購入してほしいと頼んだが不安そうな表情をした。 今でこそ外国人と中国人の切符価格の差は半分だが当時は3分の1という安さも手伝ったのと外国人用は旅行社が押えていて、切符がなかなか取れなかった。余談だが当時の航空チケットも中国人の倍額だった。運転手からは「もし見つかっても知りませんよ!」今回の「漓江下り」は中国人現地ツアーに入り込み問題なかったが、18年前はかなり厳しかった。「中国の旅」
2012.02.29
コメント(0)

「桂林旅情11」 「中国写真ライフ」では、広西自治区「桂林」の写真を公開しています。漓江は桂林市内を南北流れ438キロあり漓江下りは桂林から陽朔までの83キロを遊覧船で下り奇峰を縫うように行く。晴れた日には川面に山が映え美しいと言うが1995年に来て以来3回共、小雨日よりであった。だが、雨の日には水墨画のような世界が現れる。私は展望デッキに上がり、雨に濡れながらもシャッターを切り続けたが「奇山秀水」の言葉通り、何とも言えない景色が続く。私の乗った遊覧船は中国人観光客用の船で全て中国語だが外国人観光客用の船で日本語のガイドがついて説明する船もある。外国人と中国人と船の料金が違うのが難点で中国人は外国人の半分の料金で乗れる。私は中国での就労証明書あるのと中国語が理解出来ないと面白さも半減してしまう。写真の女性はヨルダンから中国人に嫁いで来たと話してくれたが実に中国語が上手かった。「中国の旅」
2012.02.28
コメント(0)

「桂林旅情10」 「中国写真ライフ」では、広西自治区「桂林」の写真を公開しています。桂林独秀峰の写真画像も最終ページとなり明日よりは船に乗り漓江下りの画像になる。岩肌に彫られている「桂林山水甲天下」が一番知られている石刻であるが、上の画像は「読書岩」と書かれており423年の南北朝時代の文学者である顔延之が読書岩の下の洞窟の中で読書をしたと言い伝えが残る場所で知られる。顔延之は桂林の市長として都より赴任し後に後漢の第2代皇帝の幼き頃の教育係をした。独秀峰を有する靖江王府は明王朝の建国後10年の歳月を掛けて1393年に完成している。城壁の表には石を積み上げ固められている。東西南北にそれぞれ門が設けられている。清代に科挙の試験場として使われ、中華民国では孫文が北伐の司令部を置いたことでも知られる。現在では広西師範大学のキャンパスになっており門を出る時に広西師範大学と気付いたほどに敷地は広く自然があふれ心地良い印象だった。「中国の旅」
2012.02.27
コメント(0)

「桂林旅情9」 「中国写真ライフ」では、広西自治区「桂林」の写真を公開しています。明の第一代皇帝朱元璋は桂林の靖江王を甥の朱守謙に任命し1370年、築城した。 清代には科挙の試験場として使用され孫中山が北伐時の拠点とした事でも知られる。独秀峰は広西師範大学の敷地内にあり別名を「紫金山」とも呼び、南京の紫金山と同じである。科挙とは現在の国家公務員採用試験の受験と同じではあるが、写真でも分かる通りに試験を行う所が一人一人壁で仕切られている。私も中へ入り座ってみたが、これなら容易にカンニングが出来そうな気がした。高校の頃はカンニングする小道具を1週間前から真剣に作り、当日机の下に画鋲でスライドさせ試験官が遠ざかると引っ張り出し試験官が近付くと腹で机の中へ押し込んでいた。実際には小さな字で各教科ごとに厚紙で作りポイントを書き込んだので自然に覚えてカンニングをしなくとも問題は無かったが冷汗もののスリル感からは抜け切れなかった。「中国の旅」
2012.02.26
コメント(0)

「桂林旅情8」 「中国写真ライフ」では、広西自治区「桂林」の写真を公開しています。独秀峰の洞窟から出て孔子の廟へと向った。孔子の論語の中で誰もが知る言葉は吾十五にして学に志す。三十にして立つ。四十にして惑はず。五十にして天命を知る。中国では孔子や孟子の論語の心や儒教の精神が礎となり礼儀正しい国を創り上げた。だが、文化大革命で孔子や孟子の思想は徹底的に破壊され、子供達に孔子の人形を銃で撃たせたという行為にまで発展した。現在の中国を支える50.60代の国民のほとんどが文化大革命で儒教の精神は無残に破壊され礼儀を忘れ去り、その子供達が社会に出て来ている。孔子は、過ちは仕方のないこと。過ちを犯しても改めようとしない事こそ真の過ちと説いた。また孔子は、人が自分の事を知らないことなどは気にしなくとも良い、自分自身が人の事を知らないという事を気にせよと説いている。写真の孔子の石板を背負っているのはヒイキと呼ぶ龍の1番目の子供で重きを負うことを好むと言われる。ヒイキを漢字で書くと「贔屓」で、日本では江戸時代の頃から歌舞伎で使われていたが「ご贔屓に預かり有難うございます」など現在でも多くの商売人や役者が使う言葉でもある。また贔屓の前に「依怙」を付けた「えこひいき」が龍の1番目の子供の贔屓からかどうかは分からない。「中国の旅」
2012.02.25
コメント(0)

「桂林旅情7」 「中国写真ライフ」では、広西自治区「桂林」の写真を公開しています。独秀峰の岩盤を打ち抜き造られた洞窟には60体の「太歳」が彫られており生まれ年で自分の「太歳」が決まる民間宗教である。太歳は古代中国の天文暦学において設けられ木星の鏡像となる仮想の惑星から成る。木星は古代から知られ観測されてきた。中国の文明でも神話や信仰の対象となった。 木星は天球上を西から東に約12年で1周し十二支を作り出し太歳紀年法へと進んだ。洞窟には道教が信奉する60名の星宿神が彫られており各星宿神の名前は十天干と十二地支とを用い日本でもお馴染みであり自分の生まれた太歳の前で手を合わす。洞窟内は撮影禁止でシャッターに手を乗せてもかなり大きな声で制止されるので、一旦外へ出てレリーズを付けて警備の者と会話しながらもポケットの中でシャッターを切った。下の写真は洞窟を囲う壁に空気口が開いておりそこからレンズを入れ撮影したが、案の定、後から「こらーっ!」と、私は笑うしか術がなかった。「中国の旅」
2012.02.24
コメント(0)

「桂林旅情6」 「中国写真ライフ」では、広西自治区「桂林」の写真を公開しています。独秀峰を下って行く途中の険しい岩肌に中華民国の時代に彫られた石刻が沢山見られた。かなり険しく切り立った岩肌へ一体どうやって彫ったのかと考えてしまうほど危険な場所にある。中国の山々の岩肌に文字を彫り付ける石刻は中華人民共和国成立した1949年10月1日以降暫くしてより景観を損ねる事から禁止された。「秀奪群峰」と彫られた文字の意味は、山々が連なり美しい景色だが、独秀峰は麗しく峰々の中で勝ち誇っていると解釈すればよい。「卓然独立天地閣」は桂林の山並みの中でぽつんと一つだけ立っており、またその姿は天と地にも一際優れていると詠んだ詩である。下の石刻になると書体そのものも違い私には一部分の文字しか分からない。「中国の旅」
2012.02.23
コメント(0)

「桂林旅情5」 「中国写真ライフ」では、広西自治区「桂林」の写真を公開しています。桂林に聳える山は奇峰と呼ばれ、今までにも多くの詩人を迎えて来た所である。その山並みは海抜も高くは無く今私が立つ独秀峰で70mほどの高さでしかない。だが、日本の北アルプスのように高い山でも山頂付近は別にして登山道は急ではない。明王朝時代に造られた靖江王城跡は東西に250mと南北に500m程の城壁の中に独秀峰は聳え立っている。高さ70mと大した事はないと登り始めたが西側から300段以上の石段を登って行く。石段が思ったより高さがあるので思いっきり太腿を上げて登っては休みながらまた登った。写真の藍色のリボンには「健康長寿」や「一生平安」などと書かれたリボンが登り口で販売されており、記念と祈りを託し結んであった。よく二人の愛が硬く結ばれ、離れませんようにと鍵が掛けられているが独秀峰では見掛けなかった。「中国の旅」
2012.02.22
コメント(0)

「桂林旅情4」 「中国写真ライフ」では、広西自治区「桂林」の写真を公開しています。独秀峰の近くまで来たところの岩盤には歴史のある彫り物が施されていた。「寿」と彫られているが寿の意味合いは日本と少し趣が違うようにも感じる。中国での「寿」は葬儀用や死後の物品を指して言う事が多いが、日本と同じに長寿や寿命、年配者の誕生祝いなどにも使う。独秀峰へ登り出したが思ったより急勾配で至るところに転落防止の鎖が張られていた。画像の門の扉の握り輪をくわえた動物が鎖と鎖を繋いでいたが、この動物は龍の9人の子供の9番目のショウズである。9番目に生まれたショウズは怠け者で何をやらせても働かず動こうとしない。困り果てた竜は、門の見張りをさせて暫くの間様子をみた所、全く動かないのが功を奏し神々の至る所の門番をし、後に写真のような姿になった。「中国の旅」
2012.02.21
コメント(0)

「桂林旅情3」 「中国写真ライフ」では、広西自治区「桂林」の写真を公開しています。朱元璋とは中国の明朝の創始者であり初代皇帝であり治世の年号を取って洪武帝と呼ばれ、南京で中国統一を成し遂げる。中国統一後、一族を各地に配置し明王朝の安定を図り、今の桂林も明が滅亡するまで朱守謙の子孫によって治められていた。今、その王城に来ており桂林観光の中心である独秀峰に登ろうとしている。独秀峰は南北朝の詩人の詩に詠まれ天をつくばかりに高くそびえ寂しい峰から名づけられているが、峰が聳え切り立って高くて険しく迫力があり、また雄大でもある。王城に孫中山が駐屯した跡が残されていたが孫中山は革命の父と呼ばれ日本では孫文と呼ぶ。「中国の旅」
2012.02.20
コメント(0)

「桂林旅情2」 「中国写真ライフ」では、広西自治区「桂林」の写真を公開しています。上海から午前の便で桂林空港へ着いた。私が初めて桂林を訪れたのは1995年の頃。その当時の桂林飛行場は桂林の素晴らしい山並みが滑走路から間近に見え感動した。今回訪れてみると飛行場は移転し、あの素晴らしい光景は見られず残念な思いを残した。 ホテルに早く着いてしまいフロントで聞き一人で王城独秀峰へ行って見ることにした。独秀峰は桂林市の市街の中心部にあった。明代の靖江王府であり明の朱元璋の甥の子の朱守謙が靖江王として赴任された。明が滅亡するまで桂林は朱守謙の子孫の王達によって治められていた。「中国の旅」
2012.02.19
コメント(0)

「桂林旅情1」 「中国写真ライフ」では、広西自治区「桂林」の写真を公開しています。「桂林」というと墨絵師が多く訪れ多くの大作を世に送り出して来た。その桂林が、いったい何処に在るのか20年ほど前までは知らなかった。地図で話すと桂林は広東省の西隣に位置しており15年ほど前は中国の中で取り分け桂林は物価が高い所と言われた。桂林へは四度訪れているが今回は明代に栄えた桂林の王城へ来た。桂林は広西チワン族自治区の東北部に位置し2000年以上の歴史がある都市で1100年ごろの宋代から清代までの800年間広西の政治や経済、文化の中心でもあった。中国人ならば誰もが知る「桂林山水甲天下」意味は「桂林の山水は天下一」という事である。まずは王城がある独秀峰から紹介して行こう。「中国の旅」
2012.02.18
コメント(0)

「無錫旅情66(完)」 「中国写真ライフ」では、江蘇省「無錫」の写真を公開しています。太湖の仙島波止場から無錫元頭島波止場へ向う最終船が出港するまでにあと3分と迫っていた。船のエンジンが駆けられ波止場に繋いだロープが外されようとしていたので大きな声を出した。こんな島に取り残されたらと心細く思いながら駆けて来たが、船長の手招きの姿を見て安心した。船に乗り込むと同時に船は大きなエンジン音と共に動き出したので座席に座りホッとしていた。隣に座っていた中国人が「危なかったですね」と私に声を掛けて来た。「我々は20分ほど前に船に乗り込み早く船を出そうとお願いした」という。だが船長は「時間通りに出発するから」と待っていた。結局、20分の間に来たのは3人だけで、慌てて来たのは私一人だけだったと言うような話しをしていた。リーダー格のような中国人は「日本の新幹線に乗った事があるが時間通りに動いていて驚いた」とも話していた。中国では遅れる事はあっても早く来る事はまずないが、置いていかれる事は稀にある。無錫駅から列車に乗り南京駅に着いたホームの画像。「中国の旅」
2012.02.17
コメント(0)

江蘇省---無錫旅情65 「無錫旅情65」 「中国写真ライフ」では、江蘇省「無錫」の写真を公開しています。道教が日本渡来したのは仏教や儒教とほぼ同じ頃とされており陰陽師が道術を取り入れ日本独自の陰陽道が生まれた。道教が日本人に受け入れられなかった原因は道教の仙人思想が日本文化の天皇制の破壊に繋がるとされ中国のようには広まらなかった。それでも道教は日本文化の至る所へ影響を及ぼし我々が日常生活で気付いていないだけである。仏教寺院が多く立つ山岳地帯には道教の山岳信仰が密接に関わり道教の陰陽道の要素も入っている。我々日本人に身近なのは、風水であろう。 風水は道教の陰陽五行説の応用であり開運を願い神社などでも本が売られ誰でも一度は見ている。街頭で見掛ける易者の占術は道教が起源である。昔の人は玄関やキッチンそれにトイレは綺麗にと口やかましく言っていたが、これも神が存在し綺麗にすれば幸運が舞い込む道教の思想である。船の出港の時間が迫り写真を撮るのをあきらめ小走りにアップダウンの石段を駆けた。「中国の旅」
2012.02.16
コメント(0)

「無錫旅情64」 「中国写真ライフ」では、江蘇省「無錫」の写真を公開しています。太湖仙島の大覚湾から仙人洞を抜け石段を上がった所に建てられていた道教寺院で思いがけず時間を使ってしまった。ここは小さな仙島で波止場から40分ほど掛け渡し船で元頭渚の波止場まで行く予定だった。最終の船が出港するまでに20分程の時間しかなくかなり慌ただしく仙人洞まで降りて行った。仙佑と彫られた岩が目に入ると急いでいる事を忘れてしまいシャッターを押していた。「仙佑」という単語は中国語にも無く漢字から推測すると、この仙人洞に安置された仙人の加護や天の助けと言う意味と理解すればよい。私は更に仙人洞の石仏に後ろ髪を引かれる思いで急ぎ連写シャッターに切り替え撮影していた。「中国の旅」
2012.02.15
コメント(0)

「無錫旅情63」 「中国写真ライフ」では、江蘇省「無錫」の写真を公開しています。玉皇上帝は道教で崇拜する最高の神である。また中国民間で一番崇拜している神でもある。中国では玉皇上帝の部下は仏教や道教といわれまた其々伝説の中の神すべてを包含している。玉皇上帝が祀ってある天開宮の中に入りレンズを玉皇上帝を撮影しようとしたところシャッターを押す前に大きな声で制止された。玉皇上帝殿の中には5人の道士がいたが私に撮影はしてはいけないと中国共通語で説得していたが、道士の中で一番年長の人と直談判をし撮影許可が出るまでに15分程費やした。天開宮の入口に2人の道士を立たせ撮影する間観光客が入って来ないように配慮していた。だが私が最後の観光客で他の人は最終の船に乗る為急ぎ下りていたので誰も入っては来なかった。その意味では貴重な写真になるのかも知れない。「中国の旅」
2012.02.14
コメント(0)

「無錫旅情62」 「中国写真ライフ」では、江蘇省「無錫」の写真を公開しています。道教の教えの中で、身分や地位が頂点に達すると身分が低い人に変り、身分の低い人が極点に達すると高貴な人に変ると説いて信仰心を仰いだ。道教の「道」とは宇宙と人生の根源的な不滅の真理を指しており修行する人々が不老不死の長寿霊薬の丸薬を錬り仙人に成る事が理想である。神仙となって長きに渡り命を維持する事は「道」を会得するチャンスが広がる事で奨励され信じた。中国の裕福な家庭に行くと道教の大きな祭壇が置かれ真理を追求するサークル活動もしており多くは華僑や華人の間で根強く信仰されている。写真は伝説上の動物で竜が生んだ九人の子の中の七番目のヤーズで悪霊を避ける獣で中国の架空の動物であるが、獅子像とはまた違う。「中国の旅」
2012.02.13
コメント(0)

「無錫旅情61」 「中国写真ライフ」では、江蘇省「無錫」の写真を公開しています。13億人以上の人口数の中国には55の少数民族と漢民族の56民族である。道教は13億人以上の92%が漢民族で約12億の人が伝統的な宗教である道教を信じて来たが、現在では形骸化しつつある。だが、中国の人々は明日の幸せの為に太い線香を買い祈りをささげている。中国では儒教や仏教と道教の三教が互いに補い合い共存しているのが道教の思想である。実際の生活でもイスラム教のように豚肉を不浄のものとして禁ずる律はなく、何でも食べる事が許され、長寿の人も沢山いる。道教の一部分かり易い教えは、人間には富貴と貧賤の二道があり金持が頂点に達すると貧乏人に変り、また貧乏が頂点に達すると金持に変る。一般庶民はこの所を信じ祈っているのかも知れない。「中国の旅」
2012.02.12
コメント(0)

「無錫旅情60」 「中国写真ライフ」では、江蘇省「無錫」の写真を公開しています。道教は古代の自然崇拝や先霊魂崇拝のような原始宗教のなごりがあり、天を敬い祖先を崇めた礼教もあり国家により軟禁された著名人も長きに渡り祭祀されて来ている。中国は農業大国で神霊体系は天神崇拝が根本になっており天災におびえ悪鬼が自分を脅かしていると感じ多くの守護神を作り出した。自分に災いが起こるかも知れない恐怖から色々な神を作り、その神霊に祈った。中国の皇帝も天神の守護が無くなる事を恐れて昊天上帝を祭祀した。道教は中華民族の伝統的な天神崇拝を道教の信仰の下に広めさせた。「中国の旅」
2012.02.11
コメント(0)

「無錫旅情59」 「中国写真ライフ」では、江蘇省「無錫」の写真を公開しています。仙人洞から石段を上がって行く脇にも道教にまつわる石像のコピーが置かれ仙島が仏教由来の島ではないと分かる。仙島は道教主体の島として、島の至る所に道教の神仙信仰と関わりあることが分かる。道教は中華民族の形成や国情または民情など色々な秘密が隠されており、また道教にはおよそ何百種という神がいる事でも知られる。三国志の関羽も神に祀り上げられている。関羽とは劉備と張飛の三人が三顧の礼で諸葛孔明に会いにいった行った一人である。「中国の旅」
2012.02.10
コメント(0)

「無錫旅情58」 「中国写真ライフ」では、江蘇省「無錫」の写真を公開しています。太湖の元頭渚から船で仙島まで来る間太湖の湖面を眺めていたが単調な景色に太湖の広さを感じていたが、話す相手もおらずただ無言で仙島へ船が着くのを待つだけだった。写真は道教や仏教に関係する石窟であるがそれぞれの石窟の石像がリアルに作られており暫くの間、仙人洞の菩薩や観音石像を眺めていた。中国各地の有名な石仏のコピーが観光客のため設置されていた。明日の更新写真は、左手の山に建てられた道教の寺の画像をアップしたい。 「中国の旅」
2012.02.09
コメント(0)

「無錫旅情57」 「中国写真ライフ」では、江蘇省「無錫」の写真を公開しています。私は太湖の元頭渚の波止場から船で35分ほど来た所の仙島へ来ている。仙島波止場へ着き徒歩で20分ほどで大覚湾の仏像群が設置してある所で撮影を続けていた。小高い山へ向かう所には小さい洞窟がありその洞窟の暗がりの中へと入って撮影した。歩く度に私の靴音が岩盤に反響するのか誰かが後から迫って来る錯覚まで起こした。仏像と岩肌に目を凝らし比較してみたところ以前来た時より4年ほどの歳月で繋ぎ目が如実に現れているのが分かった。「中国の旅」
2012.02.08
コメント(0)

「無錫旅情56」 「中国写真ライフ」では、江蘇省「無錫」の写真を公開しています。 ?の文字が刻まれ朱色で塗られているが?の漢字は日本でも中国でも殆ど使われず仙人の仙の字をよく使うが、仙の繁体字にも?ではなく「僊」の文字を使う。 仙島の大覚湾には中国各地の石仏のコピーが置かれて観光客達を驚愕させた。私も驚かされた一人ではあるが前回訪れた折には3人だったので今回ほどの驚きは感じ得なかった。下の写真は河南省洛陽にある龍門石窟の盧舎那大仏であるが旅した折に撮影した。顔の表情など上手にコピーしてあると思う。実際の盧舎那大仏は17mほどの大きさだが仙島の石像は4mほどくらいである。「中国の旅」
2012.02.07
コメント(0)

「無錫旅情55」 「中国写真ライフ」では、江蘇省「無錫」の写真を公開しています。仙島の大覚湾の平地の岩肌に河南省の洛陽にある龍門石窟の盧舎那大仏と同じ石仏が置かれていたので驚きと共に巧みな技量に驚く。盧舎那とは智慧と光明が行き渡ったという意味で洛陽にある石仏は唐代(670年頃)に彫られている。高さが17メートル以上あり、文化大革命時代に腕は破壊されているが慈悲深いその顔は破壊から免れており、腕の破壊までコピーされていた。天王像や金剛力士像の石仏も同じように彫られ記憶だけではこれほど巧妙には出来ない筈でコンピューター技術で作られたものだろうと思った。ちなみに一枚目の石仏は奈良の大仏のモデルとされ当時は日本との交流が盛んで遣唐使が力を発揮した。「中国の旅」
2012.02.06
コメント(0)

「無錫旅情54」 「中国写真ライフ」では、江蘇省「無錫」の写真を公開しています。仙島の大覚湾から少し行くと周り一面に石仏が所狭しと彫られていた。私はその中央に立ち撮影を続けたが人の声すら聞こえない中で何度も後を振り返っては不気味さを確認していた。それぞれの石仏や観音像などに近づき目を凝らしてみると巧みにセメントで石を彫ったかのように作られていた。全てがセメントではないが、この場で何年も掛けて彫り続けられたものではなく各地で製作依頼をして集められたように思った。「中国の旅」
2012.02.05
コメント(0)

「無錫旅情53」 「中国写真ライフ」では、江蘇省「無錫」の写真を公開しています。小さな仙島であるがオフシーズンなので観光客も少なく、私一人の度も手伝い前を向いても後ろを振り向いても人気がなかった。特に私の場合、撮影が目的なので少ない観光客にも置いていかれる格好で一瞬何とも心細い気持ちさえなった。坂を下って摩雲亭を通り過ぎるころに大覚湾が見えて来るが、そこには道教や仏教にまつわる石窟などがある。敦煌や洛陽の龍門石窟や山西の雲崗石窟など釈迦の涅槃像や見世物的な展示物だが中国の三大石窟の石仏のコピーが仙島にあった。「中国の旅」
2012.02.04
コメント(0)

「無錫旅情52」 「中国写真ライフ」では、江蘇省「無錫」の写真を公開しています。仙島自体小さな島である。その面積は2平方キロである。「三山映碧」でも分かるように緑濃い島で島全体が太湖に浮ぶ姿が亀に似ているところから亀島と呼ばれる。元頭渚の波止場から船で島に着くとシーズンオフの為もあり人が少ない。「太湖仙島」と大理石の牌坊が見え三門五楼式で幅が6mほどと大きい。「中国の旅」
2012.02.03
コメント(0)
![]()
「楽天ブログへ写真投稿2」写真の位置が気になるので、3番目のはみ出し画像を何とか枠の中央にならないものかテストしてみた。変わるのか?そのままなのかは分からないが、今までの公開とは違い何度も「つぶやき」のプロフィールへ公開されるので気に障ったらゴメン!↓楽天写真館の「写真サイズ:大」を選択↓↓楽天写真館の「写真サイズ:小」を選択↓何故だか写真画像がセンターへ来ない。↓楽天写真館の「写真サイズ」を編集↓楽天ブログへ写真投稿では編集画像が枠の外へはみ出していたがcenterを外すとどうなのだろう?↓楽天写真館を通さずにエディタのPHOTO機能で投稿↓
2012.02.02
コメント(1)
![]()
「楽天ブログへ写真投稿」今まで楽天ブログのフォトアップ機能に慣れた人には今回の「楽天写真館」よりブログへの投稿は戸惑う人も多いのではと思う。日記記事の中へ写真を入れて紹介する場合は、写真をリンクさせる方法を好む人もあるだろう。まずは習うより慣れろと言う事でしょうかね。↓楽天写真館の「写真サイズ:大」を選択↓↓楽天写真館の「写真サイズ:小」を選択↓何故だか写真画像がセンターへ来ない。↓楽天写真館の「写真サイズ」を編集↓↓楽天写真館を通さずにエディタのPHOTO機能で投稿↓
2012.02.02
コメント(1)

「無錫旅情51」 「中国写真ライフ」では、江蘇省「無錫」の写真を公開しています。太湖元頭渚公園にある太湖遊覧船着場から仙島へ向け進んだが30分ほどの時間で着いた。仙島へ向う船の中からの太湖の眺めはお世辞にも素晴らしいとは言えない程だった。太湖は琵琶湖の3倍半ほどの広さなので水平線が見え、時折小さな島が見える程度だ。仙島は元頭渚から2.5キロほどの太湖湖中にある。仙島は三つの小さな山からなり三山とも呼ばれる。無錫旅情の歌詞に「昔ながらのジャンクが走るはるか小島は三山か」はこの仙島を指す。「中国の旅」
2012.02.02
コメント(0)
![]()
「楽天写真館の画像を編集してみた」 「中国写真ライフ」では、楽天写真館の写真をテストアップ公開しました。上の写真は楽天写真館よりアップロードしたもので下の写真は楽天写真館の画像HTMLソースを編集したものだが、楽天スタッフが見つければ、何か苦情を申し付けられる可能性は高いだろう。上の写真からは元画像の大きさへリンク出来るが下の写真の大きさは「width」の数値を変えて尚且つ、リンク先へ飛ばなくなっている。
2012.02.01
コメント(1)
![]()
楽天写真館---楽天ブログへ「慣れるまでは手間が掛かりそう」 「中国写真ライフ」では、楽天写真館の写真をテストアップ公開しました。楽天写真館から楽天ブログへ貼り付ける方法は、以前に比べて戸惑う人も出て来ると思う。なぜならば、写真画像のソースが相当入り組み、写真を多く貼り付ける人にとっては、ある程度HTMLが分からないと戸惑う。慣れて来ればどの辺りに写真と写真のソースの切れ目があると分かって来ると思う。ただ写真のみアップロードしブログへ貼り付け公開ならばそれほど煩わしさは無いのではと思う。「中国の旅」
2012.02.01
コメント(1)

「無錫旅情50」 「中国写真ライフ」では、江蘇省「無錫」の写真を公開しています。波止場には多くの船が横付けされていた。無錫太湖沿岸の遊覧は45分ほどだが私の目的地は仙島へ行く事だった。元頭渚から3キロほど離れた湖の中に見えて来る島が目的地の仙島である。島の姿が亀のようにも見え亀の山とも言われる。船の中に入ると壁に中国結び吊るし飾りが掛けてあり、ひも結びで作る装飾品である。 ひも結びの歴史は旧石器時代から始まり古代人は、ひも結びで物事を記憶し感情と情報を伝えていたと言われている。「中国の旅」
2012.02.01
コメント(0)
全33件 (33件中 1-33件目)
1