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午前中はヘルパーさんが入ってくれていたのでずいぶんと 母の世話をしていただき助かりました。とにかく明日まで荷造り荷造りで一日が終わりました。従姉妹夫婦にお礼をかねて全日空ホテルで食事を一緒にしました。喜んでもらえてうれしかったです。明日は朝の8時に コンテナがやってきます& 夫が茨城に戻ります。なぜなら、茨城の家の状態がスタンバイ状態じゃないので、徹夜で部屋の家具移動をしたようです。とにかく、母が一人は淋しいと 私の月曜日の勤務にあわせて茨城に行く決心をしたのでこちらてんてこましでした。せめて2週間くらい我慢してくれていたらずいぶん暑さも和らぎ 部屋の状態もよく、向かい入れる事ができました。でも、あの家で 父もなくなって一人ではいられないのわかります。入院中も一人でしたけど、存在しているだけで ありがたいですものね。
Aug 31, 2006
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はっきり言って見積もりの比較なんてどうでもよかったのです。とにかく時間がないのです。今日から荷物を作って1日には引っ越し。母一人の荷物とはいえ すごい量です。私のものも、夫の大学時代の書籍などもありすごい量になりました。母がぶーぶー口をだしてくるので、とにかく お昼寝してて!と強制お昼ねタイムに持って行きました。たしかこの日も役所に何度か通いました。
Aug 30, 2006
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遺族年金の手続きに社会保険事務所に。市役所で 母の国保など、いろんな手続きをしました。こういう事は 往々にして一度では終わらず何度も家に忘れた書類を取りに戻りました。介護の申請もし直さなくてはなりません。頭はパニックでした。大阪の両親はこの日 帰りました。遠くからわざわざありがとうございます。長男もこの日戻りました。次々人がいなくなるので、母は戸惑っていました。あら?@@君は?(昨日帰った次男)あら?@@君は? (今日帰った長男)私は役所まわり、 従姉妹夫婦が長男、夫、夫の両親を連れて観光がてら昼食をとりに竹老園というおそば屋さんに連れて行ってあげたようです。釧路では老舗のおそば屋さんです。この日引っ越しの見積もりもお願いしました。
Aug 29, 2006
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昨晩は2時くらいまで通夜で 盛上がっていました。(変な言い方です)朝食は、リッチな会館の 食事。手作り豆腐を楽しめるにがり付き豆乳鍋みたいな。引き出しから 総菜が楽しめる なんだか朝からリッチでした。母も高齢のため私も夏の喪服は作っていなかったので洋装で済ませました。通夜の時から、花輪のおく順番など会館の人に厳しくチェックしてくださり、小難しい事がずいぶんあるのねと知りました。たしか10時くらいから始まったと思います。通夜の時よりシンプルな読経でそれでもおぼうさん3人の読経は迫力があります。今だからこう淡々と書き込んでいますが、ずっと涙でした。遺影となぜか目が合ってしまいずーっと 父に見られている感じで複雑でした。霊柩車には本来母が乗るはずでしたが 同じく高齢のため 私がのりました。車が出る時のクラクションは 涙を誘います。焼き場では、 忌中引きというの? いつも複雑な気分でしたが,亡くなった人を焼いている時間に食事をいただく。。さすがに息子達も あまり箸を付けませんでした。でも悲しんでいるより、何となくその時間を過ごしていました。骨を拾う。悲しい場面が続きます。これは 家族でもかたりあうことがないので心に留めておきます。そのあと、会館に戻り、遺骨を祭壇に。お坊さんの読経が始まり皆さんにお礼を述べて終了です。家に戻るなり、会館の方が祭壇を作ってくださり 8畳の和室は花で埋まりました。この日の食事は、大阪の義父母、私の家族を含め、忌中引きの折り詰めで軽くいただきました。午後3時頃家に戻り、 市役所に走りいろんな手続きをしました。病院にも死亡確認書を 何通か取りに行き、主治医にお礼を述べ、慌ただしかったのです。死亡叙勲の書類を取り寄せるため 5時まで!という タイムリミット。父のために 走りました。この日、 次男は東京に戻りました。
Aug 28, 2006
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6時から通夜。お坊さんが3人いらしくれました。駆けつけてくださった人も、260人。ありがとうございます。中には私のOL時代の同期も来てくれました。高校の友人も来てくれました。北海道は通夜が、メイン?と言ったら驚かれます。香典に領収書が出るというのも驚かれます。通夜のあと身内で記念撮影をするというともっと驚かれます。この記念撮影を辞退しましたが、私の知らない父の身内が(父の従兄弟,従姉妹)が遠くからわざわざ来てくださって これは記憶にとどめておかねばと思い急遽オーダーしました。結婚式のような三つ折りの左には遺影、中央は 祭壇をバックに遺影を中心に身内が囲む写真,(祭壇でいいのかな?)右は 祭壇のみ。金曜日から 遺体をベルコ会館に運び、母と従姉妹と3人で寝泊まりしています。昨日は仮通夜。駆けつけた身内で読経をいただき、葬儀の手配です。父方の従姉妹夫婦と娘二人、父方の従姉妹、それから駆けつけた私の家族、父の妹、私の母、10人集まって、父の遺体のそばで寝ました。昨日の夜、不思議な事に 父と多く語り合った気がします。今後どうしたらいいか、どうするべきかなど、心の中で語り合っていました。不思議な感じでした。泣くな!最後までしっかりがんばれ!というメッセージも貰った気がします。今日はにぎやかだったので、楽しい?通夜を迎えました。お酒を飲んで語り合って、冗談言ってそんな通夜でした。(9月12日記)
Aug 27, 2006
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お父さんありがとう 安らかにお眠りください ずっと私の手を握ったまま呼吸がとまり 脈がとれなくなり 眠りにつきました 16時45分
Aug 26, 2006
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友人とお茶の予定でした。 父の眠りが浅かったため外出できませんでした。 近くまできてるからお父さんの顔見に行くよ(^0^)/と 病室でC100タケダを 二人でぐいー!! 父の熱は38.4 酸素も時々80を切る。焦った58にも下がったから。 痰も気管切開をしてないから吸引が限界。背中を叩かれ二人三人掛かりで痰を吸い出す。 そんな状況なのに一時間も付き合ってくれてありがとう。 舌は乾燥してかたくなってザラザラ、腫れてろれつも回らなく人の舌じゃないみたい。 口の渇きも医学では何ともならないの?だから 保湿材としてPGが使われてますよね! いくら末期癌の患者でも使用させたくありません! リップスーディカルとエリミネータで保護。こんな時 NWは、食べても無害なので有り難い。 手元にオイルがあると良かった。 傷の周りにもエリミネータを使ってもらっている。 酸素マスクの消毒。 抵抗力が落ちているので目やにがすごく目薬の喉を通る不快感が可哀相だったから目の回りにも。 口をすすぐ 入れ歯洗い。 ベット周りの消臭。 いろんな用途に使っているので看護士さんは驚いている。 今ではドクターも使ってくれる。 口が渇いたときもエリミネータで殺菌をかねてスプレー。 乾燥して肌をかゆがる時はエンダウを。 腹水がたまってきたら?と思って常備していた。 同じ体勢でからだが痛くなったときもエンダウとアリビエート。 いろいろ持ち込みました。 アロマの精油まで。 ティトリーとミントです。 どれも 手の温もりを伝って癒されるものばかり、 手当て ってそういうことですよね。 気のパワー! 母の訪問介護も夕方30分入れてもらい夕飯を食べたかの確認の時間をいれてもらったのでちょっとの安心! ではまたあした
Aug 25, 2006
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いつもより早い時間に母と病院に。寝てるかもと 思いながら行きました。 寒い寒いとガチガチ震えていた父。熱が上がる直前でした。39.4℃血圧170痰もチューブを通らず酸素濃度が80を切ったりしたそう。看護士さんの手当のかいあって午後には37度に下がりました。後から来た従姉妹に連れられ母は帰りました。 その後は薬無しでひたすら眠り続ける、睡眠薬は使用せず夕方まで眠ったままでした。 夕方私はいったん帰りました。休みたかったのですが 母がもう一度病院に行きたいと。(-_-)zzzよと言っても、私一人でも行くと譲らないのです。 軽く夕食を終えて病室に行きました。 まだ七時前なのに睡眠薬を使用してねかされていました。 私が目覚めた時いなかったから たぶん おーい!おーい!とよんだに違いないです。 父を起こさぬようにこっそり母と帰って来ました 母は寝ている父に 今までありがとうと手をあわせていました。 母なりに心の整理をつけつつあるようです。 かけがえのないダーリンだもね。 5分もいなかったけどよかったね。(午前中の修羅場はわすれてるの) 家に帰ってからは 動物奇想@@を見て笑っていました。ほっ! かなり母も気が張って疲れています。 高校時代の親友も たまには心を鬼にしてお茶しよう!とメールをくれました。明日次第かな。 病院の向かいがイタリアンレストラン!わたしのためにあるみたいな。遠く離れるのは不安です、 素直に休もうかな、明日様子をみてね。 とにかく明日がわからないけど どんな状況でも 許せそうです。 多分看護は100%満足いかないから 次は!次に!と頑張れるのでしょうね。
Aug 24, 2006
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納得していただく治療→ 納得させられるしかない治療。 夜の不穏?ふおんがますますひどくなるらしい。睡眠薬の点滴でも効かないらしい。先生から話があると。夜の付添人の話ではなく(話の最初だけ)→私が毎晩付くには限界がある事を認めさせ→今晩からでも強い睡眠薬を使う事を促される。その際 起きる事なく寝たきりになる場合もありそれは継続して使うとの事。 承諾するかしないか。 家族のため本人のため!?と。そして私のためと 私にそんなに一人で頑張らなくていいからと。辛く大変な状況をわかるからこそ勧めていると(母の件)家庭や仕事を犠牲にしなくてもいいのでは?と 充分私を見てて よくやってくれてると。 今まで総ての決断も自分だけ。納得させられていたけどあるべきかたちだと思えることばかり。 お盆→今月一杯 心肺機能がいいからまだまだ長くなりそうで病院側も実は驚いていると。 一旦家に帰るなり自分の生活を大事にしたら?と 私のためだと。 あれ?夜迷惑な話はいずこに? つまり寝たきりになるけど後は病院側で対応してくれると。 泣きました。 ドクター退室後婦長さん が、 自分を責めないで!と慰めてくれました。 あなたが逆の立場なら?と 私も家族に迷惑かけたくありません。と答えた。 お父さんも同じよ。きっと。 今はお父さん。次はおかあさん。こういう事を乗り切っていくのよ。そして自分の心構えもできるのよ。私もそうだったからと。 試練だから この後強い人間になっていけるしetc、、、 その後睡眠薬を使うので夜間の拘束の書類にサイン。 完全看護とは こういう事。 じゃ明日あさって夜付きます。 それは解決にならない。私にもわかる。 長寿日本 長生きすれば 医師の意思 はかなき念い 眠りの中で ごめんね お父さん
Aug 23, 2006
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この世に偶然はない。全てどんな些細な事も意味あることと思う。父の今の“生”も 医療現場では日常茶飯時老いてまともじゃ無くなりつつある人の対応になりつつあるような気がしていた。会話が噛み合わなくても生きている。私でさえ、最近 気持ちほって置かれてる時間を感じる。ガーゼの交換があなた任せだったり点滴の速度のチェックだったり。自分で直せない布団を見に来てくれるとか。 夕方帰ろうと思い滲出液で汚れたガーゼを交換してもらおうと声をかけ処置してもらった。さっぱりした所でタオルケットを直したら足元が血の海。冷たかったでしょう。 ふと腿の付け根の中心静脈から点滴の管が外れていて出血。いったいどのくらいの血が出たのか?パットを汚しマットまで出血。気がつかなかったらおそらく失血死、世間の人が理想とする痛みなくというやつですね。その後繋げようとしたが血液が固まったとか、パニックしてるの。先生を呼びに行ったらしい。暫くまた誰もいなくなり置き去り状態の私と父。 他の科のドクターに救いを求めたら あたふたしていたナースは見つからずベテランさん三人が来てくれて処置してくれた。あたふたナースはどこかで泣いていたのか目が赤い。彼女一生懸命やってくれるいい子なの。まだ23才。彼女にとってはへびーなクライアントだと思う。死と向き合う事を押し付けられてるような。(担当は今日変わった) 長くなったが どうやら偶然私が見つけたことも神様からのメッセージかな。試されたような、父がきょとん?と 周りであたふたしていたこともわからず一命取り留めたことも意味のある命だからだと感じた。 看護に疲れて 覚悟はできてるのよ!なんて 変な余裕にカツを入れられたような気がした。尊い命にカムサムニダー! 神様か仏様か お稲荷さんかわからないけど守られている。動かされている力を感じる。 七時半家に帰ったら今日はちゃんとヘルパーさんが用意してくれた食事を母が食べていた。よかった。 父の頭の中は 毎日汽車にのって道内を回っている。乗車拝見に来たか?とか 何時に着くのか? 三日前からこんな感じ。モルヒネの影響で色んな時空をさまよい楽しんでいる。 父は国鉄マン、事務職。結婚するまでグリーン車以外乗ったことがなく結婚したとき夫とよく喧嘩をした。銚子→東京まで!笑えるよね。22才で結婚した私いかに世間知らずだったか。 最期まで必殺仕事人。 ご苦労様。
Aug 23, 2006
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先の話になるけど 家一件を片付けなくてはならない。茨城で母のスペースは10ジョウほどの洋間。ベットを置いて生活してもらう。母は何も持たなくて良いという。せめて結婚したときから使っている桐の整理箪笥は?それもいらないと。仏壇も大きすぎるから小さいのを買うと。貰い手が付かないと皆ゴミになる。 母達の年齢の定番。どっしりと重厚な木の無垢のサイドボード。庶民的な豊かさの象徴でもあったのでは?たいして使わない飾って綺麗なグラス類が並ぶ。どこの家にもありそう。これもまだまだ使える。父がいつも寝そべっていたソファ。来客用の津軽塗りの和室の卓。茨城の家には和室がないのでね。ピアノ。桜の木のカップボード。これは両面ハッチだからある意味使いにくい。どれも倒れる事なく震度6に耐えている。掛け軸、壷、父の剣道のトロフィー。あとは棄てても惜しくない。 私のほうが未練たらたらかも。 黒いミシンもあるのよ。物置に。 なんでも日通さんだとコンテナになるらしいの。早い話詰められたら料金同じ。釧路→茨城20万+人件費らしい。棄てられない私は困っている。 思い出。 処分潔くできますか? お仏壇夫の家と宗派が違うわ。いいのかしら? さて眠れない私でした。
Aug 22, 2006
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スブーン一杯のお茶も危険になったので食事は止めました。気持ち茶褐色の痰がでます。この病院でも喉の癌はすごく多いです。ほとんどが男性です。みなさんのどにコインくらいの大きさの穴をあけて生活するようです。見てると不思議な感じ。父も70才まで喫煙していました。今も熱は38.4度 苦しいのと痛みがあるのでしょうか。顔をゆがめて父も今日はまだ寝ていません。私も椅子をつなげて寝てしまいましたよ。 着替えてうちに帰ろうとさかんに言います。 今日は一旦帰らず病室にいるので疲れています。 細木さんの占いによると今私は人生で大事な月だそうです。立花です。年回りは達成。天王星人+です。 ふーん 一日一日を大切に。ただそれだけです。 今日は早く寝ます!
Aug 22, 2006
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昨日から父も[こわい、こわいと]北海道弁でからだがだるい。と 熱も38.5度前後。下がっても37度を下らないのです。あれほど食べられないけど楽しみにしていた食事も欲しがらなくなりました。今では口に入れるものは命取りになりそうです。お茶を濃く出して携帯スプレーで口に含ませてあげます。舐める程度です。 日一日抵抗力が下がっています。 そんなにがんばらなくていいからね と、思います。 病院へ行く途中 紫陽花とコスモスとダリアが仲良く 咲いてるスポットがあります。短い夏を楽しむのに花を大切にしているお家が多いです。 花を見ると気持ちが楽になりますね。
Aug 21, 2006
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実は私今無職です。専業主婦です。8月11日付けで退職してるのです。親には言っていません。母には言っても理解できないと思うし父にはすまないな。なんて思わせたくないのでね。講師は介護休暇が取れない&欠勤できないのです。毎月少しずつ使っている年休が無くなりました。だからこうして実家にいられるのです。よく決断したねと言われたけど そうするしかなかったのです。 人生のほんの少しの時間ですものね。パソコンの勉強でも出来そうなくらい時間があるけどもってきてない。ただ本を読んでます。それも売店で手に入る本です。 いろいろ考える時間もいただけて考えかたを返ると幸せですよ。父という存在と二人キリでどれだけの時間をいままですごしたか?と考えると 今 まとめて過ごしているのかなと。 みなさんはどうですか?この年齢までどれだけの時間親と向き合うことが出来ましたか?看護って そういう時間です。
Aug 20, 2006
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父の昼夜逆転、日中爆睡タイムに突入。私タクシーに乗り一時間だけショッピングで気分転換。片手に携帯を握ってね。明日閉店の市内老舗?デパートが閉店してしまう。子供の頃家族でよそ行きを着て買い物と言えば丸三鶴屋デパート。父は私たちの買い物をいつも早くしろ!と膨れっ面。どこに行くのも背広をきてました。(だからいつも朦朧としながらも背広をだせ。と言うのです。)そのデパートも不況のあおりで閉店。その後札幌の丸井今井が経営を。所謂包装紙優先時代の懐も年金生活になり店内は閑古鳥の毎日だったのでしょう。 さてお目当ての欲しい帽子が安くなってなーい!明日閉店でも一万から下がってなーい!諦めるか。それでも半額なの 二階へ行きパパッと試着してスカート二枚&ワンビ&寒くなったので八月でも着られるセーターをゲット。BOSHで70%オフ。それからお弁当を買い込んで急いで戻ってきたら父はまだまだ寝ていました。気分転換代三万は安いか高いか。 まだ五時だったけどお弁当をピロティで一気にたべ戻りました。 それからチューブで痰を吸収させるのを覚えましたよ!気分は白衣の天使。最初父は怪訝な表情で私を見ながら恐々口をあけましたが!安心したのか痰がたまると指差しで取ってくれ!とナイスな連携?プレイ! お父さん安心して! なんか私ってナースしてるって感ジィ! ストレス発散しましたので今日は10時までいてあげられそうよ。母が可哀相だけどね。 今病室で細木さんの話を聞いてます。では! 明日のイオンのフラメンコ行きたいけど母もいる時間だから残念!教えてくれてありがとう。新聞にでてましたね。一ヶ月レッスン参加したかったな!
Aug 19, 2006
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これで二回目の同じ質問を看護士さんから問われました。どうせ二口くらいしか食べないから勿体ないのでは?と親切だと思いますけど 病院だな、 と感じました。食べると言っても父が口にしたものは喉の奥に入らず痰で全て出てしまうのです。一口入れてあげて痰をテイッシュで取ってあげて また重湯とお吸い物をいれてあげる。それでも三度の食事を楽しみにしているのです。 確かに入院代の半分は食事代です。でもいぃじゃないですか。 私は 生きてる素晴らしさを感じられるのは 本能でもある食べることだと思います。口から取り入れられることのみです。 人を作るのも食事です。 心が育つのも食事だと思います。食事(たべること)を粗末にしてはいけませんね。粗末な食事ということではありません。 たべたいエネルギーが 少しでも生きるエネルギーを作っていくと思います。 食事をとめるなんて ひどいことわたしには出来ません。実際栄養をとりいれているのは中心静脈栄養からです。 口から食べる行為で生きていることを感じてると思います。 改めて 食の大切さを感じますし、女性に生まれたからには 料理上手は最高のお洒落では?なんて 思います。 また病院から 夜付き添ってほしいと言われました。昼夜逆転しているようです。悲しいけどボケてきています。
Aug 18, 2006
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次男君からおじいちゃん頑張れ写メールがとどきました。これを見てふっと笑いました。 今使っているモルヒネは、腕に貼る三センチ四方のシールです。 皮膚を吸収させる 怖さをつくづく感じます。おそらく痛みの緩和はもちろんですが、頭が朦朧としているのは モルヒネの副作用ですね。 朝の10時に病室にきて 夜私がいなかったのが 理解できなかったようで、なんでいなかったんだ? と 言葉を交わしたきり今3時 ずっと眠りに入っています。 痛みと闘うより寝ていてくれほうが楽ですが、 酸素濃度が91ちょっと気になります。充電切れで機械が作動してないのに気がついてもらえなくって ちょっと頭にきました。点滴も止まっていました。(-_-;)だんだん正気が失せています。
Aug 17, 2006
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サイドページにもあるように若い頃は半端じゃないくらいお洒落だった母も認知障害とともに身体清潔さえも頑なに拒みままならない時期がありました。そんな母に変化が!ヘルパーさんに最近鏡をよく見ていますよね と言われます。 今日も父のお見舞い、出かけるまえに少し古くなってしまった 資生堂リバイタルの化粧水乳液美容液を引っ張りだし 白粉をたたき 私にまゆずみを(アイプロー)を 貸して頂戴と(^O^) ヘルパーさんも驚き喜んでくれました。 お父さん!お母さん今日お化粧してきたよー!父はジロッと横目で眺め、知らん顔していたけど悪くない感じでしたよ。父の頭を撫でたりラブラブ光線を放っていました。 母も、情緒不安で一人だと食事をしないので何とか九時前に戻り夕食を一緒に食べます。本当は常時側にいたいのでしょうが年齢も八十ですからね。一時間座っているのがやっとです。 従姉妹は午前中の3時間を一人で看てくれています。 その後母を連れて2時くらいまで一緒にいてくれます。母を送り届けてくれ自分も帰るのです。一日のほとんどを私たち親子のために使ってくれます。私は消灯9時までいたいのですが母もかわいそうなので眠りに着いた頃そっと病室をでます。気配を感じて何度か目をあけます。まるで赤ちゃんと同じです。 ガーゼ交換のときも右に身体を傾け私のてを掴み 看護士さんに いいですねえ。娘さん毎日来てくれますねえ。 そうだよ。大切なんだよ。 と 久しぶりににこっと笑いました。 左の耳周辺が巨大な腫瘍なので左向きに寝られません。片側の自由を奪われた姿勢は辛いです。 食事も 三食まだお願いしています。実はお吸い物しかスプーンにみっつくらいしか口に出来ないのですが食事を止めてしまうのはかわいそうで出来ません。全て離乳食のようなものです。 サイコロ大の大きさの桃を潰して三回くらいに分けて食べさせました。美味しい? 頷いていました。 明日はどんな日が来るのかな? 帰りのタクシー窓があいていて鳥肌たつくらい寒かったです。上着を忘れました。日中は半袖でもこれからは必要です。 例の鴨今日も窓を叩いていました。 明日も来てね!
Aug 16, 2006
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意識が時々いろんな時限に飛ぶ父のなかで 最近私に尋ねる言葉に ここは我が家か? ナーススティションの隣に位置している個室。テレビも見ず時折風でなびくカレンダーをじっと見ている。賑やかな看護士さん達の笑い声に耳を懲らす。(やかましい!と)怒鳴るかとヒヤヒヤしていた 我が家の家族か? ふっと笑いながら 随分賑やかだな。とつぶやいた。 私も 入院中廊下の世界を知るまで一月以上寝たきりだったことがあった。人の足音がエキサイティングだった。ストレッチャーに乗って天井を眺めながらレントゲン室に向かった時は初めての視線で目をキョロキョロさせていたこと思い出した。 ただ私の場合は事故なのでもう少しの我慢!と辛抱していた。 また今日もなんだかもう 生きているのがやんなったと弱音をはいた。 夜中に血尿が出ていたのでもはやと 覚悟した。でも今なんとか治まっている。 釧路もお盆。盆踊り用の櫓があちこちの公園に作られている。毎年寒くて浴衣のしたにシャツを着せられた。先週まで20度を越えた夏もお盆をさかえにダッシュで秋がやってくる。 釧路の夏休みも今週末までらしい。 病室のわが家で今晩は静かに寝てほしい。寝付いたら今夜は体力の限界だから「わが家」に 帰ろうと思う。 あーフラメンコ忘れ去っている(>_
Aug 15, 2006
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傍らで読書している。父はゆっくり首を動かして私がいるのを安心してまた壁を見ている。何を語り合うわけでもなく静かな時間だ。時折夢で過去に戻るらしい。私や看護士さんがたまに部下になったりする。列車事故があったのに何故報告しない!書類は揃っているのか!背広を出しなさい!! 先方にお品物は届けたのか?だれにだ?f^_^;やば!、またはさっき網走にアイスホッケーの試合に行ってきたとか。ノースリーブの私に風邪をひくなよとか。あー自分も朦朧としたときどんな自分に返るのかしら?つくづく父の人生は厳しいものだったと感じられること尊敬している。 今向日邦子さんの父の詫び状を読んでいる。ちょっと似てたりなんか温かいなって。地震雷火事親父の時代ね。 さて修学旅行の引率より楽だわ!と思って寝よう。でかい赤ちゃんは 眠りについている。同じリズムでいないと疲れるわ。 鏡を見たら髪の毛の生え際が白くなってた。まっいいか。 母も心配だったので家にもどったらちゃんとヘルパーさんの食事を食べていたので(^O^) 相変わらずどこにいたの?今までと言われたけど。 ではおやすみなさい 私もこの年で看護士さんから むすめさんと連呼されついつい頑張ってしまうのかも!
Aug 14, 2006
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〓に二泊まりました。傍らに私がいることで父は安心するようです。昨夜は困らせる事なく寝ていました。朝八時に従姉妹と交代しました。家に帰ると母はあら?この大変なときにどこにいたの?と。全くもう!ですが仕方ないです。一時間くらい横になりそれから身内がたくさん来てくれて皆で病院へ。久しぶりにみた父の笑顔です。父の亡き弟の息子一家は剣道ファミリーです。会えるのを楽しみにしていました。剣道は、娘の私にも託した夢でありましたが私が夢見たものは全く別世界でした。 今日から腫瘍の痛みが出ているようで飲み薬座薬と これからがまた大変です。辛いですね。 今日は泊まらずに帰る予定をしていましたが 不安です。こういうとき姉妹がいるといいなと思います。 家のトイレに行きたい。そればかり言っています。尿菅がいやなのとうちに帰りたいのですね。 複雑です。 みなさんのコメント有り難いです。携帯からで不自由です。
Aug 14, 2006
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網戸ごしなので残念f^_^;うとうとしていたらコンコン♪と窓のむこうにかもめさん。 うっそー!と うれしくなりました、シヤメをとって父に見せてあげましたよ。前の患者さんが餌付けしていたようです。 ちょっと癒されました。
Aug 13, 2006
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昨日から病院にお泊りです。昨夜は39度以上出ましたが今日は下がりましたが、酸素が足りなくなるため酸素マスクをつけたままです。昼間二時間だけ家に戻りその間従姉妹がみてくれます。母を連れて再び病院に。従姉妹が母を連れて帰りわたしはまたお泊りです。ふー
Aug 13, 2006
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私がこちらに来て一週間釧路の短い夏は連日25度を越えてます。珍しいのですよ。毎日歩いて病院に行く私腕が、日焼けしてしまいました。それでも関東地方の暑さから見たら贅沢ね。地元の電気やさんでは扇風機が売るてるようです。ただコンビニで涼む、喫茶店で涼むができないです。クーラーがないからね。母も久しぶりに半袖を着ましたが、二の腕の弛みを気にしています(^O^)あらぁ 見てご覧!これ!!ぷよぷよーとね。80過ぎても気になるのね。母を連れて行くと父も元気になります。でも耳の後ろの癌の腫瘍は掌より大きく広がっています。マキシモルも飲めません。食い止める手だても(・_・、)なく悲しいです。 病室にいる間退屈しのぎに林真理子さんの美女入門2を読んでいるので 感化され昨日はミーハーな日記を書いてしまいました。高校時代はまともな収穫はなし!でした。結局。父の寝ている時間が日に日に長くなっていくので たくさん本が読めそうです。ただ寝不足なので 今日は午後三時間くらい家に帰って横になっていました。疲れました。毎日気が張っているのですよね。一人っ子なので自分でやらなくてはならないことが多くて、この家をどうしようかとか、貸すか売るか。引越しなど母がすんなり茨城に行くか等を考えていると眠れないのです。茨城でケアサービスを利用するには等何故か目をつぶると考えてしまうのです。 夜は母を連れて回転寿司に行きました。今注文したもの覚えていなくなかなか大変ですがボタン海老とウニ、ホタテをいただいて大満足でした。私はサーモン、穴子一匹! アワビ ホッキはまち!ごちそうさまでした。二人で気分転換です。じゃあまたね
Aug 11, 2006
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私の親友高校時代からの友達。いつも気にかけてくれ迎えにきてくれたり気分転換にランチやドライブに誘ってくれたり。父や母の心配してくるたりありがたいです。母の大ボケにもつきあってくれます。そうそう今晩も身体は疲れてるのに眠れないから少し楽しい事考えましょう。 最近高校時代の懐かしい話で盛り上がってるのです。自分でも忘れてること思い出されると赤面しちゃいますよね!たいてい都合の悪いことですが。私たち吹奏楽ぶでした。彼女のダーリンは当時の部長。だから彼も私の高校時代をしっているのでなかなか笑えます。なんでも私のむかーしちょっとだけ付き合っていた人が友人のご近所さんだったり。私の記憶から消去されていた人!修正液!修正液!初デートが某デパートの大食堂だった事。相手はカツ丼私はホットケーキ。デート夢見た私は当然別れました。またまた別のこれまたちょこっと付き合っていた人が近くのどこかの郵便局にいるらしく絶対逢いたくない系。生活指導委員みたいなやつ。こうるさくってそれでも三ヶ月がまん!あの頃の高校生のお付き合いですよ!それからは片思いの快感を知り卒業以来あってないけど絶対禿げるタイプ。思いでも最近は選択分別している私です。燃えた恋、燃えない恋、生恋??リサイクル恋?、大型恋、資源恋 すべてセンターへ!?分別はきちんと。大切な恋は大切にとっておきましょう。みなさん過去の思いでは?地元でリサイクルする気はないので持ち帰りましょう!でも いつじぶんを見られても恥ずかしくないようにね 母と病院でね。呼び出し放送で「 外来へお越しの××ともやさまー 。××ともやさまー」 あら?どこかで聞いた名前だネェ?だれだったかしらねえ? 私の腕に掴まり歩きながらぽつり一言。 そんな事は覚えてるのー??まいりました。 中学時代の彼氏だ! なかなかイケメンだったけど髪の毛あるかなー。
Aug 10, 2006
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あたたかいメッセージm(._.)m 携帯からなので返信できません。普段外出することのない母も一緒に毎日病院に行きます。先日小さなポシェットを買ってあげました。中にはお財布に(3000円)^o^ハンカチティッシュに櫛。身障者手帖。まるで幼稚園生を連れてるママです。(私が!ですよ)午前中から出かけ1時半にはヘルパーさんが来るので一人でタクシーに乗せて帰らせました。何回もドライバーさんに行き先を言ったらしく奥さん五回目ですよ!と言われたそうで怒っていました(^O^)わかるぅー! 家に電話して無事についてホッとしました。私も子供の頃一人でタクシーに乗る事情がありその時母がドライバーさんの名前ナンバー等を控えてましたっけ。 しっかり逆転親子。 父は 中心静脈栄養のおかげでちょっと顔色がよかったかな。二口でしたがお吸い物を美味しいといただきました。私も随分上手になりましたよ。噎せないように口に入れてあげています。 幸せを感じるのは富や名誉ではなくスプーンにひとつのぅまい!と 感じられることですね。病室でのプチ団欒です。ただ家に帰ってから受ける電話は、病院からではありませんようにと 一呼吸おいて受けています。明日もいい日でありますように。
Aug 10, 2006
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疲れた。二日寝てない。眠れないから。今日父の高濃度栄養いれるためふとももを切開して深い血管に管を通す。ふらふらになっても看護士さんに支えながらトイレに行っていたけどおむつに尿瓶になった。部屋の中のトイレの往復さえでBedに倒れ込み動けなくなる、。一眠りの後もう疲れた死にたいと。頑張らなくていいときもがんばらされちゃうんだね。病院ってところは。見てて辛い。二時間だけ家に帰って一休み。夕方また病院へ。
Aug 9, 2006
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病院泊まり三日目からだがだるい限界。父のガーゼ交換に立ち会いました。傷と接しているガーゼの交換はありません。(浸出液でびしょびしょです。)その上の何枚か重ねたガーゼを取り替えるのです( 素人がみても非衛生的)匂いもすごいです。そこにファブリーズを平気でかけていたドクターに 喝!!え?? ファブリーズそんなことにつかっていいのですか?赤ちゃんがなめても大丈夫です(なにテレビの宣伝文句に影響されてるのよ)でも、これ、有害物質と私は認識しています。大丈夫ですよ。。家に帰ってからP&Gに電話しました。たしかに 宣伝ではそう表現していますが、万が一赤ちゃんの口に触れる事があっても、 ということです。なめても大丈夫ということではなく、医療品ではありません。雑貨品です。とおっしゃっていました。 私がしらないところでそんな風に父をあつかっていたと思うと頭に来ました。それから、栄養の事もいいました。口からの栄養が十分取れてなく三日前から点滴も始まっていました。(それもお願いしたものです)1日420カロリーです。他は全く食べていないのにです。その事もクレームをつけました。ファブリーズで 指摘されたのがおもしろくなかったのか、今そういう問題じゃない。と却下されました。私は一日420カロリーの栄養には(ブドウ糖)どうしても 不満だと看護士さんにもつたえました。もう一人の若い女性の先生が このヘルプを聞き入れてくれ もっと栄養の高い点滴を入れてくれると約束してくれました。わずかこの3日で父はげっそりやせてしまい、トイレに歩く事も困難になってしまいました。不愉快、おかしいとおもうことを 患者の家族側がはっきり 言えること。病院ではむずかしいようです。まだまだ、否定される事の嫌いな医者が多すぎます。傷口のガーゼにファブリーズ。これが 労災病院の医師のすることでしょうか。。。。。
Aug 8, 2006
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病院泊まり三日目からだがだるい限界。父のガーゼ交換に立ち会いました。傷と接しているガーゼの交換はありません。(浸出液でびしょびしょです。)その上の何枚か重ねたガーゼを取り替えるのです( 素人がみても非衛生的)匂いもすごいです。そこにファブリーズを平気でかけていたドクターに 喝!!え?? ファブリーズそんなことにつかっていいのですか?赤ちゃんがなめても大丈夫です(なにテレビの宣伝文句に影響されてるのよ)でも、これ、有害物質と私は認識しています。大丈夫ですよ。。家に帰ってからP&Gに電話しました。たしかに 宣伝ではそう表現していますが、万が一赤ちゃんの口に触れる事があっても、 ということです。なめても大丈夫ということではなく、医療品ではありません。雑貨品です。とおっしゃっていました。 私がしらないところでそんな風に父をあつかっていたと思うと頭に来ました。それから、栄養の事もいいました。口からの栄養が十分取れてなく三日前から点滴も始まっていました。1日420カロリーです。他は全く食べていないのにです。その事もクレームをつけました。ファブリーズで 指摘されたのがおもしろくなかったのか、今そういう問題じゃない。と却下されました。私は一日420カロリーの栄養には(ブドウ糖)どうしても 不満だと看護士さんにもつたえました。もう一人の若い女性の先生が このヘルプを聞き入れてくれ もっと栄養の高い点滴を入れてくれると約束してくれました。わずかこの3日で父はげっそりやせてしまい、トイレに歩く事も困難になってしまいました。不愉快、おかしいとおもうことを 患者の家族側がはっきり 言えること。病院ではむずかしいようです。まだまだ、否定される事の嫌いな医者が多すぎます。傷口のガーゼにファブリーズ。これが 労災病院の医師のすることでしょうか。。。。。
Aug 8, 2006
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余命はお盆までです。っと仰った主治医が 夏休み私が帰った4日から、14日まで主治医がいません。客観的に見て 主治医意外のドクターでは、 責任が 感じられませんでした。食事が少ない事を訴えました。この日も病院に泊まりました。父はとにかく私がいると安心のようです。でも 家で母が一人。ヘルパーさんが来ていても夜私がいないのが母には不安の要因です。どっちをどうすればいいのか 迷いました。
Aug 7, 2006
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(9月13日記)父が個室にかわりました。夜の不穏が、他の患者さんに迷惑なためということ。(本人はわからないそうです)3日連続病院に泊まりました。いすを3つ並べてベットにみたて 病院の薄いマットを借りて父の傍らで寝ました(実際寝てませんが)確かに何度も父は起きます。でも 私がいるのを確認してまた眠りに入るという感じで、そんなにひどくはなかったです。ただ何度か、もう寝ようよ。と 父に言った記憶が。一日のほとんどを病院で過ごすのでかなり疲れがでました。修学旅行の引率二泊三日の ノリで 寝泊まりましたが、三日目には もうだめ!!。。。。。。でした。この頃、父の食欲も落ち、私がスプーンで口に入れてあげては、痰がからまり吐き出す。ほとんど食べられていないのに看護士さんにきかれたら食べてます。と答えているようでした。それに 大きな固まりは飲み込めないので やわらかいものと指定しました。やはり家族が食事のとき一緒にいなければ実態は解りません。
Aug 6, 2006
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釧路港祭りそういえば、毎年 先頭で父も(そっくりの叔父も) 頭に手ぬぐいをのせて踊りのパレードに参加していたのを思い出しました。日本舞踊のお師匠さん率いるチームで踊りは上手でしたよ。私もOL時代 笠をかぶって参加しました。はずかしかったー。高校時代の親友が 母校のパレードを見ない?と誘ってくれ旦那さん(部長)と3人で見に行きました。今年はマーチング部門で全国大会に行ったそうです。グリーンのユニフォームがかっこよかったです。従姉妹の孫さんも 小学校のマーチングで指揮をやっていてかわいかった。病室の父にその事を告げると ちょっとにこっとしていました。この頃、カモメがよく病室の窓をノックしてやってきていました。釧路にしては珍しく暑い夏でした。
Aug 5, 2006
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父の看護はこれで最後のフライトになるかな。。たしか、空港についていつものようにヨーカドーで 御買い物(食材ね)。高校時代の親友に今着きましたメールをしたら、即迎えにきてくれました。自宅まで送ってくれました。ありがとう!その足で病院まで送ってくれ父の元に。このときまだ4人部屋でした。腫瘍はかなり大きくなっているようです。食事の時間もいました。あまりにも食べられない事にショック。喉をとおらないので、嚥下が出来ないようです。痰との戦いです。この日を境に 父の状態は悪くなりました。
Aug 4, 2006
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この夏最後になるかもしれないハッピ作り。やれるところまでやりましょう。でも相変わらず来る人数は限られています。他事務的な事を済ませてちょっと早く帰宅。縁起が悪いけど、喪服も宅急便で送ります。最後まで看取る覚悟で。医者からは お盆くらいまでと言われました。父は頑張ってくれました。今までのなかでこれだけ長い時間を父と向き合ったのは 本当に初めてでした。あとから思うと 神様に感謝。
Aug 3, 2006
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なかなか出だしの悪い自主参加。いろんな理由を付けて参加を拒む生徒達。でも 嫌な事は最初にやってしまおう!という やる気のある子供達が来ているので指導もしやすい。ただ、、暑い。。。朝9時から午後3時半くらいまでずっとハッピ作り。もっと参加してほしいな。
Aug 2, 2006
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また明日からしばらく日記をお休みします。ネットカフェであえるかな。左:母(81) 右:父(83)前左(母の姉:私がおばあちゃんと呼んでいた人)小さな子左 従姉妹1従姉妹2(今両親の世話をしてくれてる従姉妹、母の事をおねえちゃんとよんでます)前右(叔父:私はおじいちゃんと呼ばせてもらっていた人)母は小学校時代に両親を亡くし姉に育てられました。昭和20年代後半かな。約60年くらい前の写真???
Aug 1, 2006
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今日は、地区の技術家庭科の出張でした。私は、なかなか地区の先生方と顔合わせする機会が無い(去年は夏休みは勤務なしでした) 。 いい機会でした。午前中はアクリル毛糸のたわし作り。リラックスしながら作業をしました。実は、午後から 本当は年休をいただいていたのです。ネットのお友達のお嬢さんのバレエの発表会を楽しみにしていたのです。東京に行くつもりでした。でも、限られた有給休暇と 実家に帰る準備と なによりも 出張を抜け出すのは気が引けたのでやめました。お嬢さん 38度の熱があると仰っていました。舞台にでられたのかなぁ。。。心配です。特に大きな舞台は、大変だと思います。4時半からだから今発表会の最中だと思います。この日のためにとても練習を重ねていたはずですから。教頭先生にも出張が決まったとき、8月1日は出られません!なんでだ?バレエを見に行くのです!!。。。。。。 ” バレエに行くって言ってでかけるなよ。。。” っとオッケーを貰っていたのです。ほんとうにごめんね。午後からは 連絡協議会。関東地区の研究発表に参加するという事で すごく小難しい話を協議していました。中心になるのは若い先生方!いいですね。活気があって。何事も経験です。でも、21年度の発表を今から準備するのです。すごいな。仕事が終わってからの集まりが多くなるそうです。それはそれで大変だけど出来る範囲で協力しましょう。予定より30分遅く会議も終わりました。これも出席していなくてはあとで自分にしわ寄せが来ました。学校で教えるのは私一人ですが、地区の研究発表は、全体の動きがわかっていないと困ります。疲れたので家に帰るなりハーゲンダッツを食べました。昨日のにゃんた。。。なんだか私のむちっとした足が目立ったようで、、、恥ずかしかったです。ちーーーーと フラメンコのレッスンも今行けない状態なので。。
Aug 1, 2006
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