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あなたの選択は、最良ではないかもしれません。それでも、その方法が、いまののあなたのが考えつく最善のものならば、実行することがあなたの使命です。状況を進展させたいと考え、学ぼうとする気があるなら、思いつく最善のことをしているうちに、もっと良い方法が見つかるでしょう。結果が出るのは、やるかやらないかだけ。死ぬときに後悔するのは、出来なかったことより、やればよかったこと。 ・・・・・・らしいっすよ。
2015年09月08日
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漢を打ち立てた劉邦の優秀な部下の韓信将軍は悩んでいた。魏を征伐し、趙に向かっていた時のことである。趙の井ケイ(せいけい・河北省セイケイ県)の狭い道をどう通り抜けるかということ。趙には広武君李左車(こうぶくんりさしゃ )という名将がいた。漢の大軍が狭い道にさしかかり、隊列が伸びに伸びて長くなったところを見逃すはずはなかったのである。織田信長が桶狭間の戦いの時、今川義元の2万5千の大軍を打ち破った状況に似ています。韓信の心配は杞憂に終わったのである。趙に忍ばせていたスパイの報告によると、李左車の作戦は趙の宰相・成安君陳余に退けられたということだった。「名門・趙ともあろう国が、隠れて騙し打ちなどという戦法は取れない。我軍は20万。それに引き換え韓信は劉邦に援軍を送ったために3万あまりではないか。それでは卑怯者の風評がたってしまう」喜んだのは韓信である。やすやすとセイケイの狭い道を通り抜けたのである。その後の戦いが、有名な背水の陣の故事になったセイケイの戦いである。韓信は背水の陣を敷いて、逃げるための船も焼いてしまい兵に勝つか死ぬかの決断を迫ったのである。結果は、漢はまさに死に物狂いで戦いかろうじて勝利を収めたのであった。韓信は、全軍に李左車を殺さずに生け捕りにするよう通達していた。そうして李左車は韓信のまえに引き出されてきたのであった。韓信は厚く礼を尽くして広武君に聞いた。 「私は北の燕と東の斉を征伐するつもりです。どうすればやり遂げれるでしょうか?」広武君は腰を低くしていった。「『敗軍の将は以って勇を言うべからず、亡国の太夫は以って存(国を保つ道)を図るべからず』と聞いております。いま私は戦いに敗れあなたの捕虜となっています。どうして大事を語れましょうや」「それはご謙遜というもの。私は 百里ケイ(ひゃくりけい)という賢者が虞の国にあって、虞は亡び、秦にあって、秦は覇を唱えたと聞いております。 これは決して、彼が虞で愚者であったが、秦に来て智者になったわけではありません。君主が彼を用いたかどうかということ。 もしも、成安君があなたの計略を取り入れていたならば、この韓信ごときはとうに捕らわれていたことでしょう。 彼があなたの計略を入れなかったがために、私はこうしてあなたにお尋ねする機会を得たのです」「わたしは心底からあなたの教えに従う覚悟があります。どうかご謙遜なさらずにお教え下さい」韓信の熱弁はやがて広武君李左車の心を動かしたのである。そうして李左車は、燕と斉討伐の秘策を語ったのである。韓信はその秘策をもって燕と斉を平らげたのであった。 【史記・淮陰侯列伝】より『敗軍の将は以って勇を言うべからず、亡国の太夫は以って存を図るべからず』から、『敗軍の将、兵を語らず』の言葉ができたのです。過去記事で背水の陣をとりあげています。背水の陣 史記
2015年01月21日
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「The Logical Song」 SupertrampWhen I was youngIt seemed that life was so wonderfulA miracle, oh it was beautiful, magicalAnd all the birds in the treesWell they'd be singing so happilyOh joyfully, oh playfully watching meBut then they sent me awayTo teach me how to be sensibleLogical, oh responsible, practicalAnd then they showed me a worldWhere I could be so dependableOh clinical, oh intellectual, cynicalThere are times when all the world's asleepThe questions run too deepFor such a simple manWon't you please, please tell me what we've learnedI know it sounds absurdPlease tell me who I amI say now watch what you sayOr they'll be calling you a radicalA liberal, oh fanatical, criminalOh won't you sign up your nameWe'd like to feel you're acceptableRespectable, oh presentable, a vegetableBut at night when all the world's asleepThe questions run so deepFor such a simple manWon't you please, please tell me what we've learnedI know it sounds absurdBut please tell me who I am, who I am, who I am, who I am「論理的な歌」 スーパートランプまだ僕が幼かった頃、人生はとても素敵に見えた。一つの奇跡でもあり、そう 美しくも魅力的だった。そして森の鳥たちも、幸せそうに歌い続けているようだった。喜びに満ち溢れて、うかれ騒いで、僕を見つめていた。しかしその後、僕を人生という学校にいれて何かを学ばせようとした。道理にかなった人間になるには何をすればいいのかと。論理的で、そして、責任感があり、経験を積み重ねた人間になれと。そして彼らは現実の世界を僕に中を見せてくれた。信頼をたもちつつ、しかし他人行儀であり、理知的ありながらも、冷笑に満ちた世界というものをね。世界中が深い眠りについた時のこと。こんな無邪気なぼくにとても深遠な疑問が湧き上がった。お願いだから、お願いしますから僕らは何を学んできたか教えて下さい。ばかげたことのように思られるのはわかっています。でも、僕はいったい誰なのか教えて下さい。だからさ、使う言葉は選んだほうがいいよね。さもないとみんな君のことを過激論者だとか、急進的で、狂信的で、罪を犯しかねないってきめつけるでしょう。ちょっと、ここにサインしてくれないかい。私たちはこう思いたいんだ 君が世間から受け入れられる人間で、立派な人物であり、見苦しくなく、穏やかな人だってことを。世界中が深い眠りについた時のこと。こんな無邪気なぼくにとても深遠な疑問が湧き上がった。お願いだから、お願いしますから僕らは何を学んできたか教えて下さい。ばかげたことのように思られるのはわかっています。でも、僕はいったい誰なのか教えて下さい。MOOSEの好きな歌です。意味は分からなくともいい歌はいい。人生の意味は分からなくとも生きていさえすればいい。いつか人生の意味もわかるだろう人生の意味を知るために生まれたと言えないだろうか。このままじゃ 自儘な人生、 ままならず 言葉たらずで、字余りな、MOOSE老師でした。
2014年02月26日
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1. 人は不合理、わからず屋で、わがままだ。それでも愛そうじゃないか。2. 何かよい事をすれば、自分のためにやったんだと、人はあなたを批判する。 それでも良いことをしようじゃないか。 3. もしあなたが成功すれば、偽物の友人そして本物の敵が現れる。 それでも成功しようじゃないか。4. 今日、行った良いこと、明日には忘れられる。 それでも、良いことをしようじゃないか。5. 誠実で、そして正直であれば、あなたは傷つくかも知れない。 それでも誠実で、そして正直であろうじゃないか。6. 大きな理念を抱く大きな人は、小さな心を持つ小さな人に撃ち落とされる。 それでも大きな理念を抱こうじゃないか。7. 人は弱者に同情するが、結局、強者になびいていく。 それでも、少数の弱者のために、戦おうじゃないか。8. 何年もかかって築き上げたものは、一夜にして崩れ去るかもしれない。 それでも、築こうじゃないか。9. 助けを必要としている人を、本当に助けたら、あなたは攻撃されるかもしれない。 それでも、助けようじゃないか。10. 持っている最高のものを、世の中に与えたら、自分は酷い仕打ちを受けるかもしれない。 それでも自分の最高のものを、世の中に与えようじゃないか。ケント・M・キース(Kent M.Keith、1949年 - )は、アメリカの行政官僚、講演家。ハーバード大学在学中に、高校生を激励するための講演を多数行っていたようです。その時に書かれたのが「逆説の十か条」だそうです。その後、マザーテレサがその文章を読みいたく感激して、世に広めたということです。欧米ではしごく一般的で有名な言葉となっているようです。MOOSEが思うに、しごく当たり前でもやりすぎると「キレイ事ばかり言うな」と非難されそうです。実際、良かれと思って話したら、宗教家?というつめたい声が返ってくることがあります。地獄言葉ばかりまわりにまき散らしているから、気の毒におもって話しているだけです。こうしたら良くなるのにという言葉に対して、宗教?とかえすその心はいったん何なんだ。天国言葉を話しなさいってんだ!斎藤一人さん曰く「愛と光と忍耐です」MOOSEは宗教家ではありません。私は自分教です。これって宗教?
2014年02月18日
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一芸があれば身を立てる事ができるのが今の世の中と言えるでしょうか?早稲田大学では一芸で入学もかなうということを聞いたことがあります。馬鹿とハサミは使いようということわざがあります。このお話では、取るに足りない卑しくてくだらない人間と呼ばれた人たち(こそどろや声色や)が一芸を持って主君の危難を救ったのです。 今は昔、秦・楚・斉・燕・韓・魏・趙と列強がひしめき合い抗争を繰り返していた頃のお話です。斉の王族にるいする一族に靖郭君(せいかくくん)田嬰(でんえい)というものがあり薛(せつ)の地に封ぜられていました。孟嘗君(もうしょうくん)田 文(でんぶん)は田嬰の子として生まれたものの子供は40人もいて、当時忌み嫌われていた五月五日生まれだった。五月五日生まれは父母に仇するという言い伝えと身分お低い妾の子だったこともあいまって田嬰ははじめはあまりいい顔をしなかった。しかしながら田 文(でんぶん)には優れた才能があり、やがて父の跡を継いで薛(せつ)の当主になると瞬く間に善政をしいて国を豊かにしていった。しかも莫大な財産を投じて天下の才能ある人材を広く受け入れたので、孟嘗君のもとには数千人の食客が集まったという。食客たちは言わずと知れた天下の傑物ぞろいであったが、なかにはあとで活躍することになる狗盗(くとう=こそどろ)名人や声色名人も混じっていたのである。 孟嘗君の人望が上がり名声が高まると、秦の昭襄(しょうじょう)王が自国の宰相になってくれと言ってきた。孟嘗君は周囲の反対もあり行き渋ったが斉のためになると思い秦に行くことにしたのであった。よりすぐった食客たちとともに秦に訪れ、高価な狐白裘(こはくきゅう=狐の白い脇毛の毛皮)を王に献上してお目通りした。昭襄王は約束通りに宰相に任じようとしたが、「斉の王族の血族を宰相にするの秦の不為」という家臣の反対にあい約束は一時保留となった。とは言うもののこのまま孟嘗君を国に返せば、秦に仇なすとして暗殺計画が持ち上がっていた。 不穏な状況を感じた孟嘗君は一計を案じ昭襄王の寵愛する姫君にとりいって逃がしてもらうようお願いした。「とりなしてもいいけどお礼は王に献上した狐白裘(こはくきゅう)でなきゃいや」という無理難題であった。狐白裘はおいそれと手に入る代物ではなかったのので孟嘗君が困っていると食客に中の狗盗(くとう=こそどろ)名人が名乗りでてきた。「わたくしにおまかせください」といって秦王の王宮に忍び込んでまんまと献上した狐白裘を見事に盗み出してきたのである。お姫様はというと、そうとはつゆしらず大喜びで秦王を口説き落として孟嘗君の帰国を承諾させたのであった。 孟嘗君の一行は取るものとりあえず大急ぎで秦の都咸陽(かんよう)を抜け出し国境の函谷関(かんこくかん)へ向かったのである。昭襄王は帰国を許したものの後悔の念でいたたまれなくなり、時をおかず追手の兵をさし向けたのであった。 孟嘗君の一行が函谷関に着いたのは夜明け前だった。この国の掟で、関の門は1番鶏が鳴くまでは開けられない。開くのを待ってグズグズしていれば追手に追いつかれたしまう。一行の顔色が悪くなったところで食客の一人の声色名人がのこのことしゃしゃり出てきていった。「あっしにまかせてください」といって暗闇に消えていった。ほどなくしてまだ夜明けまではかなりの時間があるというのに見事な1番鶏の鳴き声。それに誘われて他の鶏たちも一斉に鳴きはじめたのであった。寝ぼけまなこの門番たちも訝しげに思いながらも門を開けると、一行はここぞとばかりに門を抜け出し馬に一鞭当てると一目散にインディ・ジョーンズばりの疾さで逃げたしたのであった。昭襄王の追手が函谷関に到着したのはほんの少し後だったということです。メデタシメデタシ。
2013年03月24日
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漢王朝は初代皇帝、高祖(劉邦)がなくなると実権は皇后であった呂后(りょこう)が握ることになった。呂后は自分の一族の安泰を図り、呂一族を地方の王・諸侯に据えようとしていた。これに対して右丞相の王陵(おうりょう)は高祖の遺言「劉氏にあらずして王たらば、天下ともにこれを撃て」を盾にとって猛反対していた。しかし左丞相の陳平(ちんぺい)は、逆に「いまは呂太后様の時代です。呂太后様が万事決裁して呂一族を王侯に任じても何の問題もありません。」こういって賛成派に回ったのです。そののち王陵は失脚して、陳平が高祖の遺言で決められたように右丞相(正式な丞相)に就任することになった。陳平は右丞相になった後も呂太后に逆らうことはせず何でも言うことを聞くイエスマンに徹していたそうです。陳平は、「陳平は酒とおんなにおぼれていてなおかつ呂太后の太鼓持ちである。」といううわさがながれると、そのように毎日酒宴を開いてぐーたらな姿をさらしていた。呂一族に警戒されないために無能のふりをしたのです。 紀元前180年、呂太后は病気になり病床から起き上がれないほどになった。彼女は呂一族の将来を不安に思い、趙王の呂禄(りょろく)と呂王の呂産(りょさん)を上将軍に任命し北軍を呂禄に、南軍を呂産に掌握させた。二人を枕元に呼び寄せていった。「高祖帝はなくなるときに劉一族でなければ王でないといったが、今は呂一族が王侯に封じられている。劉氏一族や高祖帝の重臣たちは当然快く思ってないものだ。私が死んだら、彼らはかならず謀反を起こすでしょう。あなたたちは必ず兵権を掌握して宮中を死守することに専念することです。」こう戒めて呂后は死んだ。 こうなると今まで酒色におぼれたふりをしていた陳平も本当の姿に立ち返り、大尉の周勃(しゅうぼつ)とかねてからの打ち合わせの通り謀略を実行に移すことにしたのである。陳平は酒色におぼれて毎晩酒宴を開いていたが、それを隠れ蓑にして密かに人を集めて計画を練っていたのである。 曲周候のレキ商の子、レキ奇が呂禄と親しい間柄なのを利用してレキ奇の策略をさずけて呂禄に会わせることにした。「いま呂太后が崩御して皇帝はまだ幼少であられます。皇室の安泰のために諸侯はそれぞれの領地にもどり統制を高めなければなりません。賢明なあなたは趙にお戻りになることをお考えでしょうが北軍の上将軍の立場が気になっているんではありませんか? 皇帝は上将軍の任務は大尉の周勃にゆだねて趙に赴かれることを希望されています。」呂禄はこの話にまんまと信じて、上将軍の印綬を返上し、北軍を周勃に渡してしまったのである。 周勃は北軍の兵士を前にこう話した。「漢王室はそもそも劉氏を宗としている。しかし実際はおこがましくも呂一族が実権を握っている。これは漢王室の不幸というものであり天下の痛恨事といえるでしょう。いま上将軍は劉氏に忠誠を誓い天下を正常な状態に戻すつもりである。将兵諸君、呂氏につくものは右袒(うたん)せよ。上将軍とともに、劉氏につくものは左袒(さたん)せよ。」 これをきいて全軍ことごとく左袒し劉氏のためにすることを誓ったのである。一方、呂産は兵千人を率いた朱虚侯劉章に誅され、天下は劉氏のもとにかえったのであった。 この話しは『史記』の「呂后本紀」にあります。「袒」は衣を脱いで肩をあらわにする意で、右袒(うたん)とは右肩を脱ぐこと左袒(さたん)は左肩を脱ぐことである。この故事から、「左袒」は味方すること、同意することを意味するようになった。
2012年12月02日
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人生は次の二つから成り立っている。 したいけれど できない。 できるけれど したくない。 BY ヨハン・ヴォルフガング・フォン・ゲーテ・ドイツの詩人 この世の中、行動しないことには何も始まらない。何もしないでいて、望むことが起きると思う人のことを精神が正常でない人と呼ぶらしい。とは言ってみても、自分に都合が良いように思いたいものです。験担ぎしたり、神頼みしたりするものでしょう。B'Zの歌の歌詞のなかに、信じるものしか救わない神様拝むよりも・・・っていうところがありますが?物事を成し遂げるためには、信じ抜くしかありません。「そうすることができると信ずる者が勝つ。」ラルフ・ウォルド・エマーソンも言っています。物事の成約を望む人だけに成果は引き寄せられます。望む成果を得るために必要な行動があります。成果を得るためには、望む行動を増やす必要があります。そして成果を上げる障害になる行動を減らすことが必要になります。このような行動方法は行動科学と呼ばれています。すごい「実行力」 行動科学研究所、所長 石田淳氏の著書より引用しています。望む行動のことをターゲット行動と呼び、望まない障害になる行動の事をライバル行動と呼ぶそうです。それではターゲット行動を増やすにはどうしたら良いのでしょうか?すぐ行動できる人のことを「行動力がある人」と呼びます。多くの人は行動力がどこから来るか良くわかってないようです(MOOSE自身を限定しての意見であります)。行動力は安定しないもので、その人の感情の状態に大きく作用されるようです。なので行動したくなる感情を得る必要があるのです。行動できる人には「実行力」があります。「実行力」を持つのには条件があります。行動できる人には、行動できる動機があります。「とにかくやりたいからやる」「やったあとに成果というご褒美がある」「達成感を感じることは快感である」人間の行動の基本は、苦痛を避け快感を得ようとするものです。成功の定義として今欲しい快感を先延ばしにして、犠牲をともなう苦痛を我慢し、事物の達成に必要な行動をすること。すこし分かりにくい表現になりました。言い換えると。成功とは今欲しいものを犠牲にして、本当に欲しい物を手に入れること。と言えるでしょうか。本を読むことが好きな人は、寝不足になって翌日辛くなるのは分かっていても夜更かししてでも読みたいところまで読んでしまうものです(MOOSE自身のことと断っておきます)。「本を読むことがそもそも好きである」「読むことによって知識が深まる」「知識を得ることによって教養を深めスキルアップを図り仕事などに活かしたい」このように自発的に行動する動機づけ条件と環境条件が整っていると行動できるようです。行動する動機づけ条件には、「必要性(ニード)」と「利点(メリット)」というキーワードが含まれているようです。行動科学では、このような行動環境を意図的につくり、行動できる動機づけ条件を整えるのです。「実行力」をつけるには大きく分けて三つの方法があります。【1】行動の動機づけ条件を整える。【2】行動を測定する。【3】行動を妨げるものを排除する。簡単に言うとこれが行動を科学する方法のようです。「自分の人生は、過去の決断により作られている」と言われています。自分の人生は、一瞬、一瞬の決断の結果として形作られています。昨日の自分が今日の自分を作り、今日の自分が明日の自分を作ります。「未来の自分が今日の延長とは限らない」誰かの名言でこんなことが書かれていました。今の自分が望む自分と違うのなら決断方法や選ぶものを変える必要があるかもしれません。そのためには「実行力」を手に入れるしかありません。そのために余計な考え方を排除する必要があります。そして自分が望むものを正確に知る必要があります。望む結果を詳細に描く事ができないと、望む結果を正確に手に入れることはできません。自分の行動に焦点を絞らなければなりません。自分が望むことを明確にする。それを手に入れるために必要な行動を達成できるまで続けること。それが大事なことです。人生で一番大切なことは、「人生で一番大切なことを、一番大切にすること」この言葉に尽きると思います。じゃ人生で一番大切なこととは何なんでしょうか?それは人によって千差万別のものがあるでしょう。「人生の目的は、人生の目的を見つけること」といえないでしょうか?インディアンの長老が言いました。「人生で一番大切なものがある。これさえあればいい。」指を一本立ててこう言いました。そばにいた人が聞いたそうな。「それはいったいなんですか?」「それをみつけるために生きているんじゃないかね」あなたの精神が健康か否かを計る尺度は、どこにでも良いことを見つけられるか否かである。 エマーソン・MOOSE老子
2012年11月18日
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愛用のキーバックがついに壊れてしまいました。キーバックは、キーを取り付けておくと必要なときにビヨ~ンとのばして使用する便利グッズです。30年以上使ってきました。ついに寿命が来てしまい天寿を全うしようとしていました。MOOSEは修理するのが好きなので、まずホームセンターで修理するための品を数点買って来ました。壊れている箇所はコイルを止めている中心の部分でした。溶接する方法は無理なので、ネジを逆からさして止めることにしました。ボルトでとめて、チェーンのリールをはめて。蓋をして出来上がり。案外簡単に直りました。しかしボルトの頭が邪魔してベルトに取り付けるときに不具合がありました。そこで特殊な低頭のボルトと交換することにしました。低頭ネジに交換して、使用感を試すためにチェーンを引き出していたら、チェーンを止めているツメの部分が折れたのです。30年も使っていると、当然劣化するものです。それで、あきらめて新しいのを買うことにしました。写真の上部の品です。チェーンのかわりにケプラー繊維のひもになっています。使用感はチェーンと違いとてもスムースに引き出すことができます。ところで話は続きがあります。一旦直ったと思ってけど改良していて駄目にしてしまいました。新しい最新式を買ったものの執着心のなせることか旧式を直したくて仕方がありません。ツメが折れた中心の部分の代替品を探しにまたホームセンターにいきました。中心部分の代わりになるモノをみつけ、ツメの代わりは真鍮のちいさな丁番を切って使うことにしました。それで、見事に直すことに成功しました。写真では分解したままですが、組み立てるとまさに使うことができるのです。ただ問題は、リールの穴と代替品のネジの大きさがあってないので使用感に少し違和感があります。稼働中に中心がずれて動いているようです。次の課題は、中心のネジのまわりに細いパイプ状のものでスペースを埋めて回転時にブレないようにすることです。直す必要はないけれど、こういう暇つぶしがとても好きです。あと最近直したものは、掃除機です。奥さんが最近新しい掃除機を買って来ました。なんでって聞いたらヘッド部分を止めているプラスチックのツメが折れたそうです。販売店に聞いたら部品を取り寄せるより新しいの買ったほうが良いと言われたからでした。結構あたらしいのにどこが壊れているのか分解してみました。ヘッド部分を止めているツメが折れているだけでした。ツメの代用品があればすぐ治りそうでした。そこで代用になるネジとプラスチックの細いパイプを少し加工して取り付けたら案外簡単に直ったのです。まあ何台も掃除機があっても邪魔になるだけかもしれません。だいぶ前の話ですが、その時も掃除機が壊れて置いてありました。不具合箇所はホースのなかの電線の接触不良でした。ホースを切って電線をつなぐと至極簡単に直りました。しばらくしてまだ使える古い掃除機が見当たりません。奥さんに聞くと、あれより新しい掃除機が使える様になったんだから捨てたという返事でした。MOOSEは執着心が強いのか、もったいない精神が旺盛なのかと考えてしまいました。片付けるためにはもったいない精神は邪魔なのかもしれません。
2012年11月11日
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ひとから気に喰わないことをいわれた時どうしますか?私は、即応する頭の回転力を発揮するとばかりに3倍くらい(大袈裟?)やり返します。この行動は正しいのか?いいえ、下の下といえるでしょう。むかついても黙っている?これは中といえます。ではどうするのが良いのでしょう。アリストテレスは言いました。「誰でも怒ることはできる、それはたやすい。しかし適切な相手に、適切な度合いで、適切なときに、適切な目的のために、適切な怒り方をすることは、たやすくない」 一瞬の怒りの感情に身を任せてしまい、暴言・失言を口に出してしまったらおしまいです。放たれた矢は、取り戻すことはできないし、風に舞ったダチョウの羽を再び集めることは不可能なのです。いったん口に出した言葉というものはこのようなものです。相手が話した言葉に反論したくなったらどうすれば良いのか?「ムッと来ても、我慢して100までかぞえる」このような方法もあります。古代の賢人は考えました。言葉を発する前に、3つの門をくぐった時にはじめて、そのことばを口にしたのです。最初の門で自問しました。「これらの言葉は真実か?」第二の門で、賢人はききました。「これらの言葉は必要か?」そうであれば第三の門で「これらの言葉に思いやりはあるか?」ときいたのです。そうであった時にはじめて言葉を発したということです。暴言を吐かないためには黙っているのが一番簡単な方法のようです。「役に立つことだけ口にせよ」 ローリングサンダー(アメリカ・インディアンの偉人)
2012年10月17日
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反者(はんじゃ)は道の動なり。弱者は道の用なり。天下万物は有より生じ、 有は無より生ず。 老子第四十章より解説前に進めば、後退することもあり右に行けば左に戻ることにもなる。ようするに物事には作用反作用があるということ。前に進むばかりでなく、後ろへ戻るのが「道」を知った人間の動き方だ。強者の道を目指せば、必然的に弱みを見せるときもある。強くたくましいければ良いのでなく、弱々しいのが「道」を知った人間の在り方だ。無とは現象として捉えることができないものであり、何か事が起きるのが有である。この世の全ては「有」から生じるが、「有」は「無」から生じてくるのだ。老子がいうには、万物を成り立たせているあるモノがある。万物の根源にある、万物を作り上げているもの、それが道(タオ)である。道(タオ)は無としかいいようのないものであるが、道があるお陰で万物が存在できるのだ。道の存在意義は偉大であるけれども、自己アピールすることなく静かに鎮座しているものである。老子は、人々がその道を感じ体得することによってはじめて正しい生き方ができると説いている。その正しい生き方のことを「徳」とよんでいる。老子の残した言葉は「道」と「徳」を表現しているのです。それで「道徳経」と呼ばれているのです。「経(ケイ・キョウ)」の意味は、織物の縦糸と意味があり、いつまでも変わらないこと。強く出れば出るほど、あとで大きくヘコむことになる。早く成長すればするほど、早く枯れるものである。悠久の時を永らえるものの成長はおだやかなものだ。まあ、今の中国みたいなもののことを指していますな。強く出れば出るほど、全世界の中国に対する敵愾心が芽生えていくだけのこと。全世界が認めている日本人の正しさ・奥ゆかしさ・和みの心のことを知っている人々は知っているのです。中国が展開する日本を貶(おとし)めようとするプロパガンダの数々の矛盾点です。中国は自らを消し去ろうとする、滅びの笛をいつまで吹き続けるのであろうか。老子は中国の偉大な教えであります。文化大革命を機会に消去したのであろう。中国には「徳」と言う言葉は死語なんでしょう。そのかわりにこんな言葉が流行っているそうです。「愛国無罪」といいます。使用法は「人がたくさん集まった時に、日系企業に付け火したり、窓ガラスを割ったり、陳列している商品をかっぱらうこと」これらの行為を総称して「愛国無罪」な行為である。日本では決して起きないことではあるが、国内でやると器物破損罪とか窃盗罪に問われます。あくまでも法治国家においての事です。 中国の日本に対する行動をみていると戦争も辞さないというところでしょうか。政権交代時には軍関係におもねって反日キャンペーンを展開するそうです。しかし今回は異常な事態になっています。全国のこころある人達はどのように感じているのでしょうか。今こそ愛国者になる時だと思います。愛国者とは国民が自らが育った、あるいは所属する社会共同体や政治共同体などに対して愛着ないし忠誠を抱く思想、心情である。このような思想心情を他人に比べ強く持つとされる、或いはそのように自負する人達を愛国者と称する。いつまで御免なさいと言い続けるのだろうか。中国に他する謝罪はすでに終わっている。日本はこれから未来に向いて歩きはじめる時期にきているとおもう。憲法改正に着手する必要があるでしょう。まっさきに自衛隊の名称を変更するべきです。いつまでも世界から嘲笑を浴びる名前のままではよくない。日本国防軍でいいでしょう。愛国無罪(あいこくむざい)は、「国を愛することから行われる蛮行に罪はない」を意味する中国語の言葉。主として中国における反政府運動の際に用いられてきた言葉だが、2005年4月に中華人民共和国で起きた反日デモで大々的に掲げられて日本で注目された。
2012年10月10日
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西洋人による「日本人と中国人の上手な見分け方」こんな書き込みをみつけたので紹介します。【中国BBS】西洋人による「日本人と中国人の上手な見分け方」このサイトの記事をまんまコピーしています。中国の掲示板サイト凱迪社区の掲示板に「西洋人はどうやって日本人と中国人を見分けるか」というスレッドが立てられた。スレ主は3つの方法を紹介しているが、これに対してさまざまな意見が寄せられている。以下に日本語に翻訳して紹介する。( )内は編集部による素朴な感想。● スレ主:敗其外敗其中 日中の文化が好きなフランス人の友人が、パリの街角でアジア人を見かけた時、何もしゃべらなくても見ただけで日本人か中国人か分かるといった。見分け方は、1.ファッションに力を入れ、振る舞いが優雅なのが日本人で、スーツしか着ず、運動不足な体でだらけているのが中国人。2.礼儀正しく話し声の小さいのが日本人で、痰を吐いて大声で話すのが中国人。3.観光スポットで芸術をよく鑑賞し、頭を低くして写真を撮るのが日本人で、芸術そのものを鑑賞せず、写真だけとってすぐに去ってしまうのが中国人。----------------------● 龍猫龍猫 本当の礼儀を重んじる国は日本。● ksx1010 まったくそのとおり。まちがいない。● daoren 中国人は醜くて、悪人で、貪欲で、恥知らずだ。でも生命力は世界一。 (自虐的ですね)● 1234談天 目つきを見ればすぐに分かるよ。絶望的で、がらんどうで、野蛮な目つきをしているのは中国人に決まっている。● 大連李揚 日本人がこんなにも教養があり、尊敬されるのであれば、中国人の思考パターンからすると、何とかして日本人の名声を落とすことを考え出すというものだ。● 黒黒007 ハハハ!一番のポイントは、中国人の群衆がいた場合、必ずだれかはお茶っ葉の入った水筒を持ち歩いているということだよ! (確かによく持ち歩いていますね)● xiaoyecao 海外に行けるというのは金持ちということ。もちろんスレ主の言うことは貧乏人にも見られる現象だが、海外に行けるような金持ちの民度がこの程度ということだ。● 農二代 日本は進歩しているが、われわれは退化している。退歩ではなく退化だ。退歩ならばまだ追いつけるが、退化だから淘汰されてしまう。つまり滅んでしまうのだよ。(編集担当:畠山栄) なかなか洞察力が鋭い?っていうか実際の中国人のことはよくわからないのでMOOSEとしてはコメントのしようがない。中国人とはという自分の思い込みは、過去に自分のアンテナに引っかかったことだけを記憶しているものだ。自分が見聞きした事のなかの、ほんの一部分だけを選別して記憶しているものです。それが事実かどうかよりも、自分が受け入れるか?納得できる事柄しか自分のフィルターを通り越すことはできない。なので、中国人に対する自分の認識が正しいかどうかはわからない。ただいえることは、自分なりの中国人像をかってにイメージしているだけです。 昨今の尖閣問題がニュースを賑わしています。尖閣諸島の所有権が個人から国に変わっただけのことなのです。日本国内の些細なできごとなのに、内政干渉も甚だしい腹立たしいできごとです。上記のスレッドのなかにも書かれています。日本人は小声で話し礼儀正しい。民族の価値観の違いを端的に表していると思います。日本人は慎ましく静かにしていることを好む民族である。日本には四季があり、年中過ごしやすとはいえません。しかしながら、四季の移ろいが日本人の心象風景構築に多大な影響を与えているといえるでしょう。季節が変わりゆき、植物が成長して花を咲かせ、やがて天寿をまっとうして土に帰る、自然に親しむことによって、モノのあわれを実感してきたのです。世界各地にも季節の変化はあるでしょう。感じ方は民族により多種多様であると思いますが、結局なににフォーカスしてきたかです。モノなのかこころなのか?日本人はこころを高めることに集中してきたといえるでしょう。季節が温暖で食料や資源が豊富とはいえない風土です。そのなかで辛抱強さと工夫して勤勉に働き続けてきたからこそ、いまの日本があるのです。日本人は世界の中でも優秀な民族のひとつといえるでしょう。何かの記事にかいてありました。中国人は暇つぶしの名人である。そのなかに日本人を罵倒することっていうのがありました。教育の問題ですな。中国では目の前の問題から安易に目をそらす方法という授業があるのでしょう。ある意味、人生の目的を明確に持たない人にとって人生はつまらない。生きている意味を死ぬまでの本のひとときを暇つぶしで紛らわしている。夢を追いかけている人にとって人生はいそがしいものだ。そうでない人は死ぬのにいそがしいひとである。 世界的に見て、世界の評価では、圧倒的に日本人の優位性が囁かれている。日本人は上で、多民族が下とかいう低水準の話ではありません。そもそも上下を問題にすることこそ物事の本質を外れることと言えます。優位性という表現は正しくありませんね。日本人は好感が持てる民族である。日本人は闘志をうちに秘めている民族である。中国各地が騒がしいようですが、現地に滞在している日本人の安否が心配です。あわてず騒がず、どんな時も冷静に行動してください。これは日本人にとって必要のないフレーズでした。中国の方にいえることですな。中国はいまや世界第二位の経済大国になりました。おしいかな国民の成熟度には大きな問題があるようです。今朝の朝刊の記事にも現地法人のかたの似たようなコメントがありました。日本みたいに人気がないからといって嫉妬してもしかたない。中国は多民族国家なので日本のようにはいかないでしょう。自分の主張を通すために日本を悪者にしても世界には通用しないのです。巨大な国なのに世界観が狭量であると言えます。中国の騒ぎは目先を変える為の誰かが仕組んだゲームなのでしょう。冷静な日本としては静観するしかないのです。日本人はもうお人好しの振りをするのはやめたほうがいいでしょう。抜かないからこそ伝家の宝刀といえます。そろそろ刀を研ぎに出したほうがいい時期かもしれません。この前テレビで放映したレッドクリフ(赤壁の戦い)をみました。三国志、魏・呉・蜀の戦いが描かれています。魏の曹操が部下が不手際をした時に言った言葉が「無能なのはゆるす、予を騙すことは断じて許さん」こういって首をはねてしまいました。何が言いたいかって?無能なのは許してあげなければなりません。無能なのは誰かですって?それは、「馬をさして鹿となす」っていう故事にでてくる民族のことですけど。 デモに便乗しての略奪行為を憂う 大馬鹿者のMOOSE老師
2012年09月19日
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It is a long time to update my blogI tried to make an image of Lao Tzu.Lao Tzu is a great Chinese.Japan had been modeled on China since ancient times.China is because it was developed countries of the East.Teachings of the sages of ancient China is a wonderful thing that works even today.Japan is suffering from the earthquake and the previous economic downturn.Japan has been implementing the ODA totaling more than $ 3 trillion for China.The reason is because China gave Japan to abandon their compensation in World War II.Japan was able to revive early is that thanks.That China is now great, what a tiny thing to tease Japan?Prosperity of Japan today is not only good luck.It is a Japanese patient ethnicity.Do you know the meaning of a friend on a rainy dayThe Chinese want to become soI do not let the black rain falling again.
2012年09月16日
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光ありて輝かさず 老子 第五十八章その政(まつりごと)悶悶(もんもん)たれば、その民は醇醇(じゅんじゅん)たり。その政(まつりごと)察察(さつさつ)たれば、その民は欠欠(けつけつ)たり。禍(わざわ)いは福の倚(よ)る所、福は禍いの伏(ふ)す所。たれかその極(きょく)を知らん。それ正(せい)なし。正は復(ま)た奇と為(な)り、善は復た妖(よう)と為る。人の迷えるや、その日固(もと)より久し。ここを以(も)って聖人は、方(ほう)なるも而(しか)も割(さ)かず、廉(れん)なるも而もそこなわず、直なるも而ものびず、光あるも而も耀(かがや)かさず。 現代語訳 政治がおおらかで曖昧でありながら正しければ人々は純粋に豊かに暮らせる。政治が緻密すぎてがんじがらめに些細な事まで観察されていると、人々は影に隠れて利を求める。災いは福の始まり、福は災いの始まりであってこの流れがどこへ行き着くのかは誰も知らない。そもそもこの世に常識なんてものはあって無きに等しい。今日常識であったものがあしたには非常識となりかねず、きのうまでの善い事が、こんにちでは怪しげな事になることもある。世の人々はその事に気づかないまま、政権交代のたび振り回されっぱなしで迷ってばっかりなのだ。だからこそ「道」を知った聖人は、品行方正でありながら善悪を区別せず、清廉でありながらしかも他人を非難しないものだ。実直でありながら他人に強制をしいらないし、まばゆいばかりの智恵を持ちながら目立とうともしないものだ。 国家も社会も会社といえども似たようなものである。 新進気鋭の国王がいて国を大きくしても3代目で滅びの笛を聞くことになる。別の国に征服されて苦難の年月を経て、まえ国の3代目の王がその国を取り返したとします。時代は流れ自国の基幹産業も産業革命の流れに上手く乗れず、強大な隣国に併合されてしまった。このような聞いてきたような見てきたような物語を語ることができます。 まあいえることは国によって方針も価値観も全然別物ということ。統治者が変わるたびにしゃべる言葉を征服者の言葉にかえないと住むことを許されない。国民も従順なふりをして一歩影にはいると不満たらたらでいてしかも戦うことからは逃げている。自分のこととも言えるし、自分以外の人のこと指しているかもしれない。 それはともかく 自分は何がどうなろうと自分の価値観をまもり自分の決めた原理原則にしたがってただ粛々と与えられたことをただこなすだけ。明確な心構えさえしっかりしていれば生き残ることはできるはずです。人は事があり、自分の価値観で受け入れる事ができない場合には従うか立ち去るか二者択一を迫られることがあります。それは各人の自由ですが多くの人が離れて行きました。自分は結構長くいることになります。長くいると自分に順番が回ってくることがある。いま自分にある順番が回ってきているような兆しがあるのです。なんの順番かって?それが問題だ。能ある鷹は爪を隠す脳はないけど勘違いしている鷹は爪を見せびらかすのである。賢者は愚者にも学び、愚者は賢者からなにも学べない。 悲しき中間管理職 MOOSEの嘆き節
2012年08月22日
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『人間は誰でも不安や恐怖を克服して安心を得るために生きる』『名声を手に入れたり人を支配したり金もうけをするのも安心するためだ。結婚したり友人をつくったりするのも安心するためだ。人のために役立つだとか愛と平和のためにだとかすべて自分を安心させるためだ。安心を求める事こそ人間の目的だ。』「ジョジョの奇妙な冒険」ディオ・ブランドーの名言より人生の目的は、各人にとって多種多様のものがあると思います。「利他の精神で生きる」というものがあります。自分以外の人のために自己犠牲の精神で尽くすことといえるでしょうか?とは言ってみるものの、人の手助けをしてみると気持ちがいい。やはり自分のために行なっているのかな。自分の価値観のためか自己満足のためかもしれません。自分の独善的な満足感を得るための行動と利他的精神でもって行う行動には雲泥の差があると言えます。エゴイスト(利己主義者)は評価されませんが、利他主義(altruism・アルトライズム)の人は万人から愛されることでしょう。他人に幸せを与えることが、自分の幸せになるということなので利己主義の傾向がある人も少し行動の順番を変えるだけで受け取る結果を変えることができるといえるでしょうか。MOOSEの幼稚園の通信簿みたいなのに、担任の先生のコメントとしてこんな言葉がありました。「少しわがままな傾向があって心配です」あるとき、それを見つけた娘の言葉「そうよね、お父さんはわがままよね」MOOSE「・・・・・・・・・・・・・・」そうです、絶句するしかない。幼い時のこういう出来事がトラウマの原因になったりそのひとの思い込みを生み出すんじゃないかと随分時間がたった時に考えたことがあります。教育者のほんの一言って大切だと思います。「なんかもっといいこと書けよな」って当時思ったようです。でもその先生は大学でたての若い女性のかたでした。若さ故の愛の言葉だったんでしょう。しかしながら、若くても老成している人がいるのも事実ですし、いい年しても未熟なまま老いているひともいます。まあつまんない思い込みを手放すのが気楽に生きるコツといえるでしょう。ここでディオ・ブランドーの名言の話にもどすとして安全の欲求といえばマズローの欲求5段階説があります。人間の欲求は生存の欲求、安全の欲求、集団と愛の欲求、承認の欲求、自己実現の欲求このように5段階で表すことができるそうです。安全・安心・安定を求める気持ちは下から2階層目です。当然、人にとって大きな意味を持ちます。不安や恐怖を克服して安心を手に入れる、名声を手に入れて高評価を受けたい。権力やお金持ちになりたい。愛する人や友人がほしい。人のために尽くしたい。今日の名言のディオ・ブランドーの言葉はそのまんま、マズローの欲求5段階説そのものと言えます。5段階説では究極の欲求が自己実現の欲求です。夢を達成する。これもそのひとつといえるでしょう。マズローがいうには自己実現できるひとは極めて少ないということです。自己実現とは、いうなれば凡人を超越した段階に達するということ。凡人は一歩一歩進むしかないのです。何もしなかったら何もも変わらない。今までと違う結果が欲しかったら今までと違う行動を取るしかない。アンソニー・ロビンズの言葉過去があなたを作っている。しかし未来が過去の延長線上とは限らない。未来は、今の決断にかかっている。今と違う未来がほしいなら今の行動をかえるしかない。いつからはじめたらいいの?「中国の古いことわざ」木を植える一番いい時期はいつだろうか?それは30年前です。そのつぎにいい時期は?それはいまです。
2012年08月15日
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『赦(ゆる)しとは、踏みにじられたスミレの花がそのかかとに放つ芳香である』 マーク・トゥエイン(アメリカの小説家) 人をゆるす時、無条件に許さなければならない。「ゆるしてあげる」というときに勝手な自己満足があってはいけません。「ゆるしてあげる」という言葉に上から目線な感情をこめてはならないからです。あなたが他者よりも上で、支配的であってはいけないのです。「ゆるしてあげる」という温情の押し付けであってはならないのです。とはいってみるもののあなたを不当に扱った人をゆるすのは実際には利己的な行為といえます。心の奥底にしまっておけたかもしれない憎しみや敵意を解き放つのは、自分のためと言えるでしょう。もし誰かを恨んでいるとしたら、そのことは大事に持っておく必要もない重荷でしかないのです。関心も感情も込める必要もないひとの行為を記憶しておくことは、そのひとを背負っていることになります。重荷は降ろさなければならない。必要でない重荷のせいで、本来自分に必要な心の安らぎや情熱をもつ力を半減させているのです。「人を許して」あげて重荷をおろすのです。人生の質を高める一番いい方法は、「ひとをゆるすこと」なのです。自分の人生で起きていることがすべて、自分以外の他者や環境のせいではありません。自分にも半分以上責任はあります。自分も許してあげなければなりません。いずれにしても許すことには勇気が必要ですし、大きなエナジーも必要になります。自分を不当に扱った他人のことについて考える時間を、自分を助けようとしている人を引き寄せる時間に置き換える必要があるのです。自分の思いには周波数があります。自分が引き寄せるものは、自分が発する周波数と同調するものなのです。思考は現実化するといいます。自分の望まないことは考えないようにする。自分の望むことをいつも考えるようにする。そうでないと、自分の望まないことを引き寄せてしまうのです。愛することはたいせつなこと。無条件の愛であることがたいせつです。でも・・・・愛されるためにはいっぱい必要条件を満たさなければならない現実がある。やっぱ愛されることを望むことも、重荷と感じるのです。 MOOSE仙人
2012年06月02日
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エルサレムの丘の上にゴールデンブックという本を開いた形の碑があります。ユダヤ民族のために貢献したり、ユダヤ民族に救いの手を差し伸べた人々の名前が刻まれています。モーゼ、メンデルスゾーン、アインシュタインといった偉大な功績があったそうそうたるメンバーに続いて四番目に、ゼネラル樋口(日本帝国陸軍中将)とその部下・安江仙弘大佐の名が刻まれています。しかもユダヤに功績があった外国人は、本来はシルバーブックのほうに載せられることになっているのもかかわらずユダヤ人だけの名前が刻まれるゴールデンブックに載っているのです。この二人の日本人がユダヤ人のために行った行為がいかに偉大なものであったかということがうかがいしれます。樋口季一郎中将(当時は少将)は、関東軍(関東州および満州に駐留した旧日本帝国陸軍の部隊の総称)のハルビン特務機関長だった。 ある日、樋口のもとに流暢な日本語をあやつる初老の外国人が訪れたのである。ハルピンのユダヤ人協会会長カウフマン博士だった。カウフマンは樋口にユダヤ人が置かれている状況をつたえ、ナチスに迫害されたユダヤ人が困っていることと迫害されているユダヤ系ドイツ人の窮状を世界に知らせるためのユダヤ人大会開催の許可を求めたのであった。樋口は部下が心配して止めるのも聞かず、承諾したのであった。帝国軍人としてドイツとの日独防共協定のこともありドイツの反感を買う恐れがあったためです。樋口は以前特務機関員としてドイツに駐留したことがあり、当時日本人はドイツ人に差別的な対応をうけており宿泊するところもなかったが、ユダヤ系の人々は温かく快く家庭に迎え入れてくれたことに恩義を感じていたのである。 1938年1月15日、満州ハルピン商工会議所で「第一回極東ユダヤ大会」が開催された。樋口は帝国軍人としては異例のスピーチを行なったのである。ナチスドイツの差別政策を批判して言った。「同じドイツ人なのにひどい仕打ちをしてけしからん、同胞を追放する前にユダヤ人に安住の地を与えよ」場内は割れんばかりの拍手に包まれ、壇上の樋口のもとに多くの人々が駆け寄り跪いて涙したということです。そして会場全体が「ゼネラル樋口」の連呼が響き続けてのであった。樋口のドイツ批判を知ったドイツ外相のヨアヒム・フォン・リッベントロップは、駐日ドイツ特命全権大使を通じて猛烈に抗議してきた。しかし直属の上司の東條英機関東軍参謀長(後の総理大臣)が樋口を擁護したのでドイツ側は沈黙してしまった。 1938年3月8日、樋口のもとにオトポールでユダヤ人難民が足止めされているとの連絡がはいってきた。ドイツから逃げ出したユダヤ人難民は最初ポーランドに入ってが、すでに多くのユダヤ人難民を受け入れていたためにソ連に押しやられソ連ではこれ幸いと最初の入植者も放棄した酷寒のシベリアに入植させようとしてシベリア鉄道に乗せたのである。シベリアに着いたユダヤ人難民は都市生活者だったこともあり入植は無理だと悟り満州経由で上海まで行こうとしてソ連と満州の国境であるオトポール駅まで来たのである。大挙してユダヤ人難民が押し寄せてきたことで満州国は慌てて友好国のドイツに気兼ねして入国を認めなかったのである。満洲国国境の3月の寒さは厳しくユダヤ人難民はオトポール駅周辺に野営していて食料も乏しいこともあり凍死者を出す恐れがあり、事は一刻の猶予もなかった。 カウフマン博士から救済の依頼を受けた樋口は、ドイツのヒトラーから恨まれる恐れもあり外務省が対応すべきことでもあり越権行為でありながら満洲国外交部の責任者と交渉して入国を認めさせたのである。樋口は、南満州鉄道の松岡洋右総裁に救援列車を要請し、12両編成の列車13本が、行き場を失ったユダヤ人救出のため出動したという。救援列車は2日後に到着し凍死者や凍傷は最小限の人数に抑えられたということです。ユダヤ人難民2万人の8割の人々は上海に向かい残りの4000人は満州に入植するために残ったが樋口は最後まで面倒をみたのである。 ユダヤ人を擁護したことによりまたしてもドイツ外相のリッベントロップから強硬な抗議が来たのである。樋口は関東軍司令部へ出頭することになった。樋口は関東軍参謀長東條英機のまえで正論を言い放った。「わたしは人として当然のことをしたまでです。日本はドイツの属国ではないしヒトラーの差別主義に賛成するものではない。閣下はヒトラーのお先棒をかつぐのですか?」東條は得心して「君の言うことは正しい。この件は不問にする。」 樋口のしたことは軍を左遷される恐れがあることであった逆に出世することとなった。参謀本部第2部長への栄転だった。その後樋口少将は中将となり、大東亜戦争では1942年8月1日、札幌に司令部を置く北部軍司令官として北東太平洋陸軍作戦を指揮した。アッツ島玉砕、キスカ島撤退と華々しい戦果を上げた。 日本が連合軍に対して無条件降伏して武装解除されようとするとき突如ソ連軍が攻めてきたのである。樋口は指令をだした。「日本は連合軍には降服したがソ連軍はべつだ、猛反撃せよ」占守島、樺太における戦闘を指揮し、占守島ではソ連軍千島侵攻部隊と猛烈に戦い上陸軍を浜まで交代させたのである。樋口が結果的に時間稼ぎしたために北海道にアメリカ軍が上陸してきて、スターリンの北海道占領計画も頓挫したのである。 スターリンは北海道上陸を阻止した樋口をひどく恨んでいて、終戦後樋口を戦犯に指名して連合軍司令部に樋口の身柄引き渡しを要求したのである。 樋口の危機を知ったニューヨークに総本部を持つ世界ユダヤ協会がいちはやく動き出したのだ。「オトポールの恩を返すのは、今しかない。」世界各地に散らばっているユダヤ人に連絡されて樋口救援活動が開始された。ユダヤ系の人々はアメリな内部まで浸透していて、アメリカ国防省を通じた働きかけが功を奏してマッカーサー長官はソ連の樋口の身柄引き渡し要求を拒否したのであった。ユダヤ人の歴史は受難の歴史であり、長年の苦難のなかで受けた恩義にたいする気持ちを忘れないのです。樋口本人は自分が助けられたことを知らなかったという。 5年後の1950年のこと。アインシュタインが来日したときを同じくして東京渋谷のユダヤ教会でユダヤ祭りがあった。樋口夫妻も招待されていた。ミハエル・コーガンは満州ハルピンでのユダヤ人大会で樋口の介添え役だった青年である。ミハエル・コーガンが壇上に立ちスピーチを開始した。オトポール事件で樋口に助けられた話をして、偉大なる人道主義者ゼネラル樋口と賞賛したのであった。そのスピーチのなかでオポトールでの恩返しのためにおこなったユダヤ協会の樋口救援活動のことを明かしたのであった。樋口季一郎はいった。『人として当然のことを行なったまでです。』杉浦千畝の話は結構有名だと思います。リトアニア副領事のときユダヤ人難民6000人に日本経由のピザを独断で発給し多くのユダヤ人の命を救ったこと。杉浦は終戦後、外務省をクビになりました。しかし彼の死後ですが功績が認めれれ復権して、外務省は杉浦の遺族に謝罪したということです。樋口中将と安江大佐の話は聞いたことがありませんでした。現存する資料が少ないということなのでしょうか?樋口の行なったことは国策の一部だったという話もあるようです。いずれにしても、こんなすごい日本人がいたことを日本全国の人達に知ってもらいたいと思います。エルサレムのゴールデンブックに名前が載っているということはユダヤ人の中では有名なことということ。日本人が知らないということ。もしかしたら?樋口中将がソ連と戦わなかったら、北海道は分割されていたかもしれないのです。樋口季一郎は、すごい日本人なのです
2012年05月20日
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私たちの心の中に落ちた、思いという種から、行動という花が咲き結果という果実を手に入れることになる。私たちは心のなかで望んだものを手に入れるのです。たとえそれが自分の望まないものだとしても、心の奥底の潜在意識の望むものと恐れるものを引き寄せるのです。人は心のなかで思った通りの人間になります。良い思いは良い実を結び、悪しき思いは悪い実を結びます。心は想像の達人であり、私たちはこころであり思いという道具を使って自分の人生を形成して、喜びや悲しみの果実を収穫します。私たちを取りまく環境は、真の私たち自身を映し出す鏡にほかなりません。環境が人を作るのではありません。こころの中の思いが環境を生み出すのです。気高い思いばかりめぐらしている人が、邪悪な道に落ち苦悩する、などということは決して起こりません。同じく、邪悪な思いばかり巡らしている人が、気高い目標を達して真の幸せを感じる、などということも絶対に起こらないのです。気高い思いをもつことです。自分自身が成長するためには自己犠牲をともないます。自分自身を成長させようとしなければ、いつまでたっても心はみすぼらしいままです。私たちの人生はあるたしかな法則にしたがって創られています。私たちがどんな策略を用いてもその法則から逃れられないのです。『原因と結果の法則』は目に見える物質世界においても、目に見えないこころのなかの世界においても絶対的な揺らぐことのない法則なのです。【1】気高い思いが、平和にあふれた静かな環境をつくる。【2】清らかな思いが、明るい快適な環境をつくる。【3】勇気と信念に満ちた思いが、自由と成功と豊かさに満ちた環境をつくる。【4】活気にあふれた思いが、喜びに満ちあひれた環境をつくる。【5】好意的で寛容な思いが、安心安全な環境をつくる。【6】愛に満ちた思いが、永続的な繁栄と真の富に満ちたに満ちた環境をつくる。【7】あらゆる利己的な思いが、敵ばかりいる環境をつくる。【8】敵意にみちた意地悪な思いが、不安と恐怖に満ちた環境をつくる。【9】怠惰な思いが、汚れた貧しい環境をつくる。【10】恐怖や疑いに満ちた思いが、失敗や困難に満ちた環境をつくる。【11】あらゆる汚れた思いが、苦難に満ちた不愉快な環境をつくる。【12】動物的な思いが、貧しさや病気に満ちた環境をつくる。私たちは直接環境をコントロールすることはできません。私たちは心のなかの思いをコントロールするべきなのです。そうすることによって間接的に明確に環境をコントロールすることが出来るようになるのです。気高い夢を見ることです。あなたはあなたが夢見た人間になるでしょう。あなたの理想は、あなたの未来を予想するものにほかなりません。『はじめに言葉ありき』まず自分の望みを、言葉にするのです。それは、自己達成予言になるでしょう。 ジェームスMOOSE
2012年05月02日
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陶朱(とうしゅ)・猗頓(いとん)の富陶朱は大成功したひとであり、猗頓は魯国の富豪でした。陶朱・猗頓の富は、富とか大富豪を意味します。 陶朱(とうしゅ)とは、越の名参謀であった范蠡(はんれい)の後年の名前である。周の敬王(けいおう)の26年(B.C.497年)、越王勾践(こうせん)は、范蠡(はんれい)が止めるのも聞かず呉王夫差(ふさ)と戦った。夫椒(ふしょう)山(江蘇省太湖の西庭山)の戦いで破れ、敗走して、数千の兵とともに会稽山(かいけいざん)に立てこもった。夫差の率いる呉軍に包囲されて窮地に陥っていた。勾践(こうせん)は、范蠡(はんれい)の諌める言葉を聞かなかったことを後悔して助言を求めた。范蠡は勾践に、いかなる屈辱を受けても講和を受け入れて生き残るように諭した。勾践はそれを受け入れて、呉王夫差に降服したのである。勾践は呉王夫差の召使にされるなどしたが、范蠡が手を尽くし許されて国にもどされた。それから范蠡は句践を助けて、ひたすら越の国が強くなるよう助言して富国強兵に努めたのであった。苦節20年、期は熟しついに呉を滅ぼすことになり「会稽(かいけい)の恥」を晴して、中原に越をして天下の覇をとなえたのである。 勾践は覇者となり、范蠡(はんれい)は上将軍と呼ばれるようになった。ところが范蠡はこころよしとせず、「たとえ高名をもらっても心安らかならず、それに勾践は今後も艱難辛苦をともにしのぐには器の大きさに問題がある」こう考えて、一族もろとも越の国をさり斉(せい)の国に移り住んだのである。 范蠡は斉の国では名前を変えて、鴟夷子皮(しいしひ)と名乗り商品の売買をはじめることになった。范蠡は商売上手で、商品の過不足に応じて、高い時は一気呵成に売り抜き、安い時は骨惜しみせず買い叩いたのである。そうして瞬く間に巨万の富を築いたのであった。 名乗っている号の、鴟夷(しい)の意味は革袋のことで、いらないときは小さく折り畳めて、必要に応じて大きくすることが出来るということです。 斉の国では、鴟夷子皮(しいしひ)の才能を惚れ込み宰相に迎えようとした。けれども彼は「家にあって巨万の富を得、官については宰相と呼ばれるのは栄誉の極みともいえます。しかしながら久しく尊名を受けるのは我が身のためになりませぬ。」こういって宰相の話を断ると共に、巨万の富も皆におしげもなく分け与え、一族もろとも陶(とう・山東省定陶)の国に立ち去ったのであった。 陶の国でもふたたび小売をすることになった。この地を選んだ理由は、陶が諸国商品流通の交わるかなめの土地だったからである。こんどは名前を、朱(しゅ)と変えて、取引相手をよく吟味して時期を選んで商品の流通をはかったので、またしても短期間で数千万の富を手にしたのである。そうして人々から、陶朱公(とうしゅこう)と呼ばれるようになったのである。かれは19年間に3度も巨万の富を手にしたが2度までも貧しい人に分け与えたのである。後年年老いてくると後は子孫に商売をまかせたが、子孫も商売が巧みで一族はながらく繁栄したという事です。猗頓(いとん)は春秋時代の魯国のひとで、もともと貧乏で苦しい生活をしていたが塩業と牧畜で大成功して、猗氏(いし・山西省安沢県)に住して王侯貴族をしのぐ勢いがあり財産も膨大であった。猗頓(いとん)というのは、頓(とん)は蓄えるという意味があり、それで猗の国のたくわえで猗頓とよばれた。このことから世の人たちは、猗頓や陶朱公のことを引き合いに出して富を持つ人のことを論じたのである。富める人のことを、猗頓(いとん)と呼び、その富を次の言葉に例えたのである。「陶朱(とうしゅ)・猗頓(いとん)の富」
2012年04月21日
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『わたしたちのなかでもっとも弱い人間でも、才能(GIFT)をもっている。 たとえ取るに足りなく見えても、それはその人固有のもので、 ふさわしい使い方をすれば、 人類にとってふさわしい贈り物(GIFT)となる。』 ジョン・ラスキン イギリスの思想家 ひとは生まれながらに、なにかしらの才能を持っているはずだ。生きているとは呼吸をしているだけではありません。真剣に生きて、1MMでも成長しなければならない。 目的意識があれば、たいていのことはやり遂げられるはずです。それが効率的にできるか、非効率でも最後まであきらめずにやるかだと思います。 わたしのことですが、EXCELをつかいだして、はや15年はたったかな?昔はパソコンがカタマリ、2~3時間かけてやったことが駄目になったことが頻繁にありました。わたしにあてがわれたパソコンの性能の問題かも知れません。当時あるプロジェクトのメンバーに選ばれ、それをきっかけにパソコンを始めることになったのです。いかんせん基本、文系の考え方しかできない頭なので苦労しました。目的の事をするために、自分の知っている算数でしか考えることが出来ずに時間ばかり費やしてきました。あるとき、どうしてもできないことがあってEXCELの詳しい人に質問しました。するとどうでしょう、ある関数を教えてもらったら行き詰まっていた問題があっという間に雲散霧消したのです。わからないときは人に聞け?あたり前のことですが、それができなっかたのです。いろんな人に聞くと、そのひとの得意なことを教えてもらい大変勉強になりました。人によっては、私が思いもつかない様なことを知っているのです。 ある営業課長に文字列操作のことを聞いたら、そのひとは得意先名や商品名の整理方法としてMID関数やLEN関数などわたしが日頃つかわないやり方を教えてくれました。直近で使わない方法でも知っていたなら役に立つ時が来るのです。引き出しはいっぱい持っていたほうが便利ですね。その知識を瞬時に引っ張り出せるように整理してこそ生きるわけです。 いまでこそ、自己満足の範疇かと思いますがそこそこに使えていると思います。いままで失敗のやまをひたすら積み重ねてきたので、人に教えるときも間違えやすいところがよく見えるともいえます。 理数系のあたまがあったら、もっとはやく習得出来たと思います。あまり頭脳明晰でもないわたしが、たいがいの自分のやりたい計算や分析ができるのもただ結果を求める気持ちの強さしだいだったと思います。やりとげたい気持ちさえあれば、物事は完成するのです。ずいぶん昔のことです。並べ替えをおぼえたころ、足し算したり引き算したりして商品コードを検索していてすんごい時間ばかりかかっていた時のことです。それをみていた人がいいました。『MOOSEさん、VLOOK UPってしってる?』『なにそれ?』って答えるとそのひとは颯爽とやってみせてくれたのでした。ちょっと感動モノでした!それからは、HELPで自分で調べたり詳しい方に教えを請うようになり進歩の速度があがったのでした。『好きこそものの上手なれ』とは良い言葉です。やってることを好きになれないと上達できません。 EXCELつかいのMOOSE じつは随分まえから、データ量からいえば ACCESSやらなくちゃと言われています
2012年04月10日
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その思想がたとえ高潔なものであっても、人間の最終目標は思想ではなく行動である。 トーマス・カーライル、イギリスの歴史家・評論家BOOK OFFで、「3週間続ければ一生が変わる ロビン・シャーマ」という本を買って来ました。ビジネス書は、これで何冊目かな~なんて考えてしまいます。1流の人は? 人生の指針となるバイブル的な本を、1冊だけ持っている。その他大勢の人 2冊持っている人は2流の人? 3冊持っている人は3流の人?一概にそうとは言えませんが、何冊持っていようが一つの本を完全にマスターしてから次の本に進めばいいだけのこと。MOOSEの場合 10冊はゆうに超えています。 10流ってことです。二刀流なら素敵なんですけど(苦笑)人生において指針となる人、メンターがいることは重要です。ただし、頻繁にメンターをかえては良くない。中心軸がブレるだけでしょう。何事も、基礎力・原理原則が重要だからです。MOOSEの場合、知った気になって気持ちが高揚してきたところで満足してしまう。完全に会得してないので、日数がたてば知り得た知識は忘却の彼方に飛びさっていくだけです。雑記ノートに、名言やら参考になる言葉は書きなぐってはいますが整理はできてない。何事も整理は大切です、特に頭の中の知識はです。知っていることと、出来ることは違います。知っているだけで満足していたら駄目ですね。実際に使えてこそ、知恵になったといえるでしょう。「3週間続ければ一生が変わる ロビン・シャーマ」今日買った、この本はさわりの部分を読んだだけですが一気に読めそうな本です。3週間続ければ習慣として堅固なものになる・・・ようなことが書いてあるようです。「継続は力なり。諦めずに、努力を続けよう」Persistence pays off. So don't give up. Just keep trying.MOOSEにとって、常に問題なのは?やれば、 良いことと知っているのに 行動できないこと 読者家 兼 収集家 MOOSE
2012年04月04日
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中国の伝説上の天子である黄帝は天下がうまく治まらず悩んでいた。夢の中で華胥の国(理想郷)にいき、あるヒントを見つけるのであった。華胥の夢(かしょのゆめ)は列子のの黄帝篇に書かれている。その故事から、華胥の夢は吉夢とか昼寝のことを意味する言葉である。 黄帝が天下を統一して15年がすぎた。天下の民が、自分のことを尊敬してくれていることをしり安堵し、休養をとることを思い立った。酒池肉林とまではいかなくとも、大いに歓楽にいそしんだところ、保養の目的をはたす事ができないばかりか、肌は黒ずんでやせ衰える始末でさらに喜怒哀楽欲の五情が湧き出てきておおいに悩むこととなったそうな。 つぎの15年は、天下が上手く治まらないことに悩み、八方手を尽くし有能な人材をまわりにおいたり、賢者と呼ばれる人に教えをこい人民を慈しむことに手を尽くしたところ、ますます肌は黒ずんでやせ衰えるやら五情に惑わされてどうにもならなくなったという。「どうにも困ったことだ。一身の保養に努めても、万民の幸せを願って政治をおこなっても心の迷いが晴れるどころか、暗中模索の日々が続いてしまう。そもそもの自分の考え方が間違っていたに違いない。」黄帝はそのように考えて、政治や宮廷の表舞台に立たないようにして、さらに近習ともあわずに宮廷の隅の別館に引きこもることにしたのである。食事はご馳走はやめて粗食にして、心身の保養と修練に努めることとした。そうして3ヶ月ほどたったある日のことである。黄帝は昼寝をしていると夢の中で華胥の国にたどりついた。中国からは何千里も離れているところで人力でたどりつけるすべはなく、精神だけで遊行するしか方法はないという場所であった。 さて、その華胥の国民であるが、帝や君主はおらず人民には私利私欲というもの持たず、その存在さえ知らなかった。無垢な赤ちゃんのような純真なこころだけをもちあわせているひとたちだった。すべてが自然のままであり、人々は生を楽しむことも、死を憎むこともなく、若死するひとは絶えてて久しかった。おのれに親しむこともなく、ひとを疎んじることも知らず、愛情の念もわかず、こころが取捨選択する必要がないので利害関係が生ずることもなかった。水に入っても溺れず、火に触れても火傷せず、斬られても鞭打たれても傷付かず、つねられても痛みを感じなかった。なんにもないところであっても、雲の上をすすむがごとく歩けて、虚空に寝ても寝台の上にいるような安らかさがある。雲や霧も、視覚を遮ることはなく、雷鳴でさえ聴覚を妨げず、物の美醜もその心を揺らさず、険しい山谷も歩行のじゃまにならず、形を変えた精神世界の中ではすべて自由にしていられるのであった。黄帝は、夢からさめて悟ることがあった。「わしは3ヶ月の間、己の心の修練につとめ我が身の精神性を高める工夫を行なってきたつもりであったが、いささかも進歩しなかった。しかしながら疲れてうたた寝をしている間に見た夢のなかで、ほんとに求めている道を見つけたような気がする。求める真理と言うものはどんなに思案した所で求め得られるののではなかった。無心の心で見た夢のなかで、自分の求める道を会得したような気がする、」そうして28年間、黄帝は夢の中で会得した道に則って政治を行い天下は大いにおさまったという。夢のなかの華胥の国のように。「そこ~にぃ~ゆ~けばぁ~どんな~ゆぅめも~ かぁ~なぁ~うと~ゆぅよ~」愛の国 ガンダーラのことじゃないの、華胥の国!GODIEGO の曲を思い出してしまいました。 黄帝が悟ったこととは、答えは無垢な自然さにあるということ。純真無垢な赤ん坊を考えてみてください。愛だけを生まれ持っているのです。そもそも、愛以外のことは認識できないのです。GOD IS LOVEその愛はあなたの魂の中にあり、私の魂のなかにもあります。それが、われわれを結ぶ絆なのです。 BY 落合信彦神を信じますか?私は神主ではありませんが、先祖は何代も神主でした。
2012年03月29日
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「野生なるもので、己を哀れむものを見たことがない。 小鳥が凍え死んで枝から落ちようとも、 決して自分を惨めだとは思わない」 映画 G・Iジェーンより、「自己憐憫」D・Hロレンスの詩デミ・ムーアふんする海軍情報部のエリート女性士官ジョーダン・オニール大尉が、男女差別撤廃を推進するデヘイブン上院議員(女性)の依頼で海軍エリート偵察部隊 NAVY SEALS(ネイビーシールズ)に体験入隊することになった。その12週間にわたる過酷な訓練にたえる様と、男女差別のはびこる海軍特殊部隊のなかで女であることを捨て奮闘する姿が描かれている。上官であるウルゲイル上級兵曹(ヴィゴ・モーテンセン)の熾烈極まるシゴキに耐え、やがて仲間たちに受け入れられていくことになるが地中海での訓練中、突然リビアでの作戦行動に参加することになる。アメリカの軍事衛星が墜落し、人工衛生回収作戦を行う陸軍レンジャー部隊を援護するというものだった。作戦行動中にオニール大尉を助けるためにウルゲイル上級兵曹がおとりとなり、結果的に除隊せざるをえないほどの重傷をおってしまう。映画 G・Iジェーンの冒頭のシーンで、ウルゲイルが暗唱する場面がある。「野生なるもので、己を哀れむものを見たことがない。小鳥が凍え死んで枝から落ちようとも、決して自分を惨めだとは思わない」SEALS(シールズ)の過酷な入隊訓練の洗礼を浴びている軍の各方面から集められた精鋭たちに、この言葉が語られるのであった。映画の最後の場面で、ウルゲイルは、「もうオニール大尉に教えることはない。よくやった」とでもいいたげに、オニールのロッカーの中にD・Hロレンスの詩に自分の武勲勲章をはさんでおいて、そして静かに去っていくのであった。ドタバタの軍隊モノの映画ではあるが謎解きがミックスされており、最後にいい味わいを感じさせてくれた。映画 G・Iジェーン 監督リドリー・スコット 主演デミ・ムーアそのD・Hロレンスの詩「自己憐憫」野性をいきるものが 自らをあわれむのを私はみたことがない。小鳥は凍え死んで枝から落ちようとも自分を惨めだとは 決して思わないもの。SELF-PITYI never saw a wild thingsorry for itself.A small bird will drop frozen dead from a boughwithout ever having felt sorry for itself. ウルゲイル マスターチーフ(上級兵曹)が、DHロレンスに詩の一節を引用したのは、戦闘訓練なんだから、余計なことを考えてる場合ではない。戦闘において重要なことは「生き残ること」自己憐憫している暇はない。戦闘マシーンになりきれという意味を込めてロレンスの言葉を使ったのだろう。「平時に汗をかいておけば、戦時に困らない」これは ダグラス・マッカーサーの言葉だった?かな自分のいるジャングルにおいて生き残るために必要なことをする。ジャングルの中にいるんだから目の前にライオンが現れることもある?「ちょっと待ってよ」とポーズ(一時停止)ボタンを押している場合じゃない。ライオンと戦うか?それとも、素早く木に登るなどして逃げべきだろう。うかうかしてると命の保証はない。野生において生き残ったものだけが強く正しいといえる。種の保存の法則である。そもそも地球に住んでいる種族(動物)で、人間くらいしか負けた理由を考えません。負けは、自然の法則からいうと死を意味する。人間世界はなんとのどかな世界なんだろう。まあ、普通に生活していて、ライオンに出くわす確率はかなり低いといえるでしょう。心配していても仕方がない。大丈夫と思って生きましょう。MOOSEは、だいじょうぶ教でいきます。だいじょうぶ教とは? ↓ ↓ ↓ ↓ ↓ 答え 大乗仏教これで、疲れが出た方は、ぐっすり眠れます。おやすみなさい。 MOOSE隊長
2012年03月22日
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ミッション・ステートメント(個人的な憲法、または信条)を持ちましょう。企業において、ミッション・ステートメントの持つ意味は会社と従業員間の絆を深めたり、会社の目指す方向・目標・価値観などを共有するという目的があります。「経営理念」や「社是・社訓」といったところです。ミッション・ステートメントは、企業が発展するための必須アイテムといえるでしょう。自分の人生の目的を定めて、目標に向かって進むためには回り道は時間の無駄ともいえます。あっちへフラフラ、こっちへフラフラしてていいほど人生は長くない。有事にあって、動じないためには「いきかたの原理原則」を厳格に定める必要があります。●有事にあって迷わない「3つの習慣」【1】「原理原則」に従って決断を下す。 人間的な普遍的美徳を習得する。 厳しい行動規範・原理原則にしたがって毅然と行動すること。【2】「自分を安売りしない。」 自分の品格・人格を損なわないために、権力・プライド・怒り恨みの感情、そして金銭のために自分を安売りしないこと。 【3】「やりたい事よりも。やるべきことに集中すること。」 ジグ・ジグラー「やらなければならない時に、やるべきことをやっていれば、やりたい時にやれる日がやってくる」 ウイリアム・ジェームス「練習のために、一日に少なくとも二つは自分がやりたくない事をやらなければならない。」何を自分の信条にするか明らかにする必要がある。そうすれば、有事にあっても迷わず正しい行動を選択することができるでしょう。ミッション・ステートメントは自分のために作るもので体裁を整えるものではないし、人に見せるものでもない。さらに、人はそれぞれ独自性をもつユニークな存在です。ミッション・ステートメントの内容は、その人の持つ価値観が反映されて多様な内容となるでしょう。たとえば、こんなミッション・ステートメントを掲げている人がいます。●まず家庭で成功しよう。●神の助けを求め、それにふさわしい生活をしよう。●どんなことがあても正直にいきよう。●貢献してくれた人たちを忘れず、感謝しよう。●判断を下す前に両者の言い分を聞こう。●助言は素直に受けよう。●陰口を言わず、その場にいない人を弁護しよう。●誠意を持ちながら、強い決断力を持とう。●毎年、新しい才能を開花させる。●明日の仕事は、今日計画しよう。●待ち時間を活用しよう。●前向きな姿勢を維持しよう。●ユーモア精神をわすれない。●公私にわたり秩序正しくしよう。●失敗を恐れず、失敗から学び、成長の糧としよう。●ひとの成功は一緒に喜び、悲しみは分かち合おう。●自分が話す二倍の時間、人の話を聞こう。●次の作業や昇進にとらわれず、目の前の作業に全力を集中させる。ミッション・ステートメントは個人の憲法であり、物事をはかるモノサシといえるものです。人生において正しい原理原則に基づいたミッション・ステートメントをもっていれば、激動の時代の荒波にもまれても動じることなく普遍の安定性を個人に与えることでしょう。ひとは中心軸が定まっていないと不安定感に対応出来ません。コマが軸を中心にブレることなく回り続けるように、自分の中心軸を厳格に定めることです。自分は誰なのか?どこから来て、どこへ行こうとしているのか?自分のあるべき姿、なりたい理想像、手に入れたいものを明確にすること。それがはっきりとした形になってイメージできたなら、自ずとやるべきことも理解できるでしょう。「ある」「もつ」「する」この3つの重要なエレメントを明確にすることです。ミッション・ステートメントを持てば、自分の人生の方向性がさだまり、生きる姿勢が変わります。「生きる姿勢が変われば行動が変わります。」「行動が変われば結果が変わります。」「結果が変われば、人生も変わるでしょう。」 MOOSE老師
2012年03月08日
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人を知る者は智なり 自ら知る者は明なり 人に勝つ者は力有り 自ら勝つ者は強 足るを知る者は富む 強を行う者は志有り その所を失わざる者は久し 死してしかも亡びざる者は寿(いのちなが)し【解説】他人のことを理解できる人には知恵がある。自分自身のことを知っている人は優れている。他人を負かす人には、力がある。しかし己に勝つものこそ、本当の強さを持っているといえる。足りていることを知っている人は心豊かな人である。たとえ幾千万の人が反対したとしても実行できる人は意志堅固の人。自分の立ち位置を見失わない人は、長続き出来る人である。たとえ死んだ後でも、影響力を残している人こそ永遠の長寿者である。自分のことをよく理解して、自分の弱い心に打ち勝つこと。孫子いわく『敵を知り、己をしれば百戦危うからず』まさに自分の人生を切り開く真言とも言えるでしょう。2000年前から人生を生き抜く真理が明らかにされているのです。現代に生きる人達は、何を学んできたのであろうか?と自分の未熟さを痛感しながら自分が人類の代表のようなふりをしながら老子の第三十三章を読んでいます。成長するしかないですな。人間的にです。蟹は自分の甲羅に似せて穴を掘るといいます。人間も自分の影響の範囲にあわせて自分の殻(鎧?)をつくります。人生において、簡単に解決することが出来ない出来事に直面した時、おのれを纏った小さな鎧では、問題という壁を突き崩すことはできない。アインシュタインいわく我々の直面する重要な問題はその問題を作ったときと同じ考えのレベルで解決することはできない。表面的な小手先のテクニックでは重大な出来事に対処できないということです。根本的な自分の考えを変えるということです。いままでの自分流の考え方をお蔵入りさせる。問題という谷は、自らの成長にともない大きくなった自分でしか渡ることは出来ない。 MOOSE老師
2012年03月02日
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生きていると、嬉しいことや悲しいことがあります。人生はあざなえる縄のごとしとよく言われます。人間万事、塞翁が馬。良いこともあれば、悪いこともある。人生はオセロゲームの盤上を目隠しして歩くようなものです。白いところだけ選んで歩こうと思っても、どだい無理な話です。自分はついてると感じている人って、悪かった事より良い思い出の方をより多く記憶しているということです。アンケート調査した結果から証明されているようです。人生で何が起きるかが重要ではない。そして起きたことに対して、どう意味付けするかが重要なのです。その結果どのような行動するかを選択することが最重要なのです。刺激を受けたら、反射的な行動はよろしくない。刺激と反射の間には空間があることを知らなければなりません。刺激と反射の間にはスペースがある。そうです。ことが起きて、それに反応して行動する場合においも選択する自由があるのです。主体的に考えて、自分の価値観と照らし合わせて行動することです。今日の天気は憂鬱だの、あの人は不親切だなんてことに反射して悪感情を『持つ』こと。それに対して天気がどうであろうと、人が厳しかろうと主体的な人は、私は忍耐強くなる。もっと賢くなる。もっと優しくなるというように、『なる』ことにフォーカスしているのです。反射的に生きるとは、物事を他責にすることと。主体的に生きる人は、自分に責任があったのではないかと考える人のことです。つらく厳しい現実があっても、人格形成に与える影響力は大きいものです。やがてそれは、内的なパワーアップにつながり厳しい状況に対応する能力が高まるでしょう。『しぶとい人間』になれるってことです。人生において重要な3つのエレメント。『持つこと』と『なること』そして3つめは『すること』行動することです。『夢を持って、理想の人物になるために、必要なことをする。』 MOOSE老師
2012年03月01日
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理想的な生き方、上善は水の如し 老子 第八章より楽天プロフィールを更新したのを機に、再度「上善如水」を取り上げました。私のモットーが「上善如水」だからです。 上善とは理想的な生き方のことです。そういう生き方をするには水に学びなさいと言う事のようです。では、水のどんな点を参考にするのでしょうか? まず水は、あるとき非常に柔軟です。いかなる形の器(うつわ)にも逆らわず、器の方にあわせて己の姿を変えます。 つぎに水は非常に謙虚だと言えます。自分を主張することなく、自然に低いところ低いところを選んで流れていくのです。 さらに言うと、水は静かに流れているように見えるけれど、非常に大きなエネルギーを秘めているのです。この3つを身につけることが出来たなら人間の理想に近づくことが出来るということです。「柔軟性」「謙虚さ」「秘めたるエネルギー」です。このなかの一つくらいなら、何とかなりそうでも、3つ同時に手に入れるのはすこし骨が折れそうな気がします。 それから黒田如水(官兵衛)が残したと言われている、「水五訓」というものがあります。「水五訓」一つ、自ら活動して他を動かしむるは水なり。一つ、障害にあい激しくその勢力を百倍し得るは水なり。一つ、常に己の進路を求めて止まざるは水なり。一つ、自ら潔うして他の汚れを洗い清濁併せ容るるは水なり。一つ、洋々として大洋を充たし発しては蒸気となり雲となり 雨となり雪と変じ霰と化し凝っては玲瓏たる鏡となり たえるも其性を失わざるは水なり戦国時代の軍師として。信長・秀吉に仕えて活躍した黒田如水ならではの考え方なのでしょう。秀吉の高松城の水攻めの素案は、黒田如水が考えたようです。黒田如水の以前の名前は黒田官兵衛孝高。引退した時に、水の如しからとって「如水」と号したということです。過去記事で、上善如水の老子第8章を詳しく取り上げています。時間が許す方はどうぞ。上善如水 老子第8章
2012年02月26日
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諦めたら、そこで試合終了になります。しごく当たり前のこと。成功するひとは失敗しない?成功するまで止めないからですって。プロゴルファー、アーノル・ドパーマーのオフィスの壁に貼ってあるモットーです。負けたと思った時点で、負けが決まる。挑戦できないと思った時点で、挑戦は終わる。勝ちたいけれど勝てないと思った時点で、勝負がつく。人生という戦いに勝ち抜くのは、強く速いものとは限らない。最後に勝ち残るのは、勝つという自信を持った者だ。諦める云々ということは、夢に向かう途中の人のこと。夢、目標、願望。あったとしても行動してない人の多いこと。あっ、これは自分のことなので世間一般の人もそんなものだろうという勝手な意見です。『為せば成る、為さねば成らぬ。成る業をならぬと捨てるひとのはかなさ』武田信玄公の有名な言葉です。ものごと、始めなければ、な~んにもかわらない。『水道の蛇口を開かなければ、水はながれない』 MOOSEの迷言
2012年02月23日
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裸の王様の話は、デンマークのアンデルセンによって書かれたものが有名ですね。正直者で善人にしか見ることができない着物と騙された王様がはだかで行進します。詐欺師がうまい話を思いついて、王様に金襴豪華な着物を高額で売りつけたのです。インチキな話なので、当然なにもなく身につけた王様は裸にしか見えないのです。ところが王様も家臣たちも善人づらしたいので、みえないとは誰も言い出せないのでした。王様は意気揚々と豪華な?みえない着物を身に纏(まと)って町を歩いたのでした。それをみた純真なこどもたちは口々にいいました。「みてごらん、王様が裸で歩いてる。裸の王様だ」そこで人々は王様の裸に気付くのであった・・・・・云々という話でした。 さて 東洋の裸の王様の話です。 昔々のインドのお話です。ある国に毒の雨が降りました。その毒水を飲むと、ひとは7日間気が狂うのです。 その国の王様は乳母からその話をきいたことがあり、毒の雨が降る前に井戸にふたをしたのでした。しかしながら家臣たちや町の人々の知らせるのが遅れてしまいました。家来たちはみんな毒の水を飲んでしまい気が狂ってしまったのです。毒水にやられた家来たちは気が狂い、裸になって踊りだす始末で宮殿になだれ込んできたのでした。 宮殿の王様は毒水を飲まなかったので正気でした。王様が一人だけきものを着ているのを見た家来たちはいいました。「たいへんだ。王様が狂ってしまった」と騒ぎ始めたのでした。困った王様は言いました。「みんな聞いてくれ。私はたしかに病気かもしれない。治療するための薬を飲んでくるから待っていてくれ」王様は奥に行き、裸になって戻って来ました。家来たちはそれをみて一安心するのだった。そうして7日間が過ぎ、毒水の効果が失われると家来たちは裸でいることに気づいて服を着て宮殿に行きました。宮殿にいくと王様が裸でいるではありませんか。「王様が狂われてしまった。これは大変だ」とまた騒ぎ出したのでした。王様は苦笑いしていいました。「わたしが狂っているのではない。ただ皆の者にあわして裸でいただけだよ。どうれ服を着てこようか。」こうしてはなしはまるく収まったのでした。 「仏教のぞうひ喩経」にでてくるお話。 「仏教とっておきの話・ひろさちや著」より引用しています。このインドの王様は素晴らしい人だと思います。この世の中は欺瞞に満ちていると言えます。世の中のバランスを取るために、価値のないモノに価値をもたせていると言えるかも知れません。アンデルセンの話に出てくる王様が一般的な人たちだと思われます。アンデルセンの裸の王様もおかしいと気付きながらも世の中の常識のなかで生きようとしているのです。正しいのは純真な子供たちでした。だれしも真実を口にしたいのに、口にできないもどかしさがあると思います。インドの王様のやりかたが賢い方法だと思います。間違っているひとに間違いを指摘しない。気がつくまで、ひたすら待ち続ける。正しいことを知っているけど、気付かないふりをする。問題がある人に、きづきの機会を与えるということ。「愛のパワー」がないとそれもできないな~と感じる今日この頃なのでした。「ザ・シークレット」を書いたロンダ・バーンの「ザ・パワー」を読みながら愛について考えている秋の夜長のMOOSEでした。
2011年10月16日
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邯鄲(かんたん)の夢唐の玄宗皇帝の時代の開元年間の頃のお話です。 呂翁(りょおう)という道士が邯鄲の宿場で休んでいると、盧生(ろせい)という粗末な身なりの若者がそばにやってきて、自分の身の回りで起きる生活苦の不満を愚痴った。盧生はひとしきり話すと眠くなり、呂翁から枕を借りて眠り込んだ。陶器でできた枕で両端に穴が開いていた。盧生が眠っていると枕の穴が大きくなり、人が入れるほどの大きさになったので入ってみた。なんとそこには立派な家があり、その家は唐時代の名家である清河(せいが)の崔(さい)氏の持ち物で、そこの一人娘を娶ることになり、進士の試験に合格して役人になり、あっという間に出世して首都の長官にまで上り詰めた。戦争に行っても夷てきを退けて手柄を立て、栄進して御史大夫(ぎょふたいし・皇帝の側近で副宰相格)兼吏部侍郎(りぶじろう・6つある省のなかの長官)になった。 ところがである、時の丞相にねたまれて左遷されて端州(たんしゅう・今の広東省肇慶市(ざおちんし)あたりの辺境の地)の刺吏(地方長官)に飛ばされてしまったのである。そこに留まること3年、皇帝に呼び戻され戸部尚書(こぶしょうしょ・土地戸籍関係に役所の財務担当官)に任命されて、その後程なくして宰相の座についた。皇帝をよく補佐して10年間勤め上げ名宰相の誉れ高かったという。 盧生は平民としては上りつめるところまでいき得意満面であったが、謀反を企んでいる疑いをかけられ突然無実の罪で捕らえられたのである。縄をかけられてひかれて行くときに妻にこういって嘆いた。「わたしは山東の家にいた頃はいい田んぼをもっていた。欲にまかせて出世さえしなければ平穏に暮らせたのではないだろうか?昔、邯鄲の町をボロをまとってさまよっていた時代が懐かしい。」そして剣をとり自殺しようとしたが妻に止められ成し得なかった。共に捕まった者はみな殺されたのに、彼の功績を惜しむ宦官の計らいによって死罪を免じられ、驥州(きしゅう)へ流された。数年してから皇帝はそれが冤罪であったことを知り盧生を呼び戻し中書令とし、燕国公に封じ、恩寵はことのほか深かった。5人の子はそれぞれ高官に上り、天下の名家と縁組して、十余人の孫に恵まれ幸せな晩年を過ごした。やがて年老いてからしばしば辞職を願い出たが許されなかった。病気になると宦官が相次いで見舞いにくるし、皇帝は名医や良薬のあらんかぎりを尽くして回復させようとした。しかしついには年齢に勝てず、盧生は亡くなってしまった。 欠伸をして目を覚ますと、盧生はもとの邯鄲の宿に寝ていたのである。そばには呂翁(りょおう)が座っている。宿屋の主人が盧生が眠る前の粟を蒸していたが、それも出来上がってなかった。すべては元のままだったのである。「なんだ、夢だったのか・・・」呂翁は笑っていった。「人生なんてそんなものさ。」盧生はしばらくぼう然としていたが、やがて呂翁に感謝していった。「栄辱(えいじょく=誉とはずかしめ)も、貧富も、死去も、何もかも経験しました。これは先生がわたしの欲をふさいでくださったんだと思います。よくわかりました。」盧生は呂翁にねんごろにお辞儀して邯鄲の道を去っていった。この話は唐の「枕中記・ちんちゅうき」のあらすじである。人生まさに、「一睡の夢」なのである。人生の大事なことに気が付いたら、もうこんな歳?ってことにならないように生きよう。それにしても過ぎてしまえば10年といえども一瞬といえるでしょう。
2011年08月07日
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梁上(りょじょう)の君子 後漢書・陳寔伝後漢の末期、陳寔(ちんしょく・AD 104年~187年)という人物がいた。貧しい家に生まれたが、勉学に励みやがて、太丘県(河南省永場県)の県令となった。陳寔(ちんしょく)は奢りたかぶらず慎み深い人だったそうな。また、他人の苦しみを推し量り公明正大な寛容な政治を行っていたので民にたいへん慕われていたそうです。 ある年のことである。飢饉になり、作物の出来が悪くお百姓たちも苦しんでいた時のお話です。陳寔(ちんしょく)が家の中で本を読んでいると、一人の男が忍びこんできて梁の上に登って隠れたのであった。盗人であった。陳寔は気づかないふりを続けて、男の様子を見ることにしたそうな。それから、孫や子を部屋に呼んで居住まいを正させた後、みなに諭したのである。「およそ人というものは、みずから勉めなければならない。不善の人も生まれつきではないものだ。習慣から正しくない事とをするようになってしまうんだよ。例えば、いま梁(はり)に上にいる君子もそうなのだよ。」突然物音がした。陳寔の言葉に胸をうたれた盗人が飛び降りたのだ。男は陳寔のまえに土下座して、罪を受ける覚悟をしていた。その様をみて陳寔はいった。「きみの顔や姿を見ると、どうも悪人とは思えない。貧しいゆえの出来心だったのだろう。出来心に打ち勝ち善人にお戻りなさい。」このように教え諭し、食べ物や着るものを与えて許してやった。この事があったのち、太丘県には盗人がいなくなったということです。 「後漢書・陳寔伝」より「梁上(りょじょう)の君子」という言葉が盗人をさすようになったのはこの話からきている。
2011年04月17日
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中国三国志のなかで、魏の武帝とよばれ大変有名である曹操(そうそう)がいます。曹操が亡くなるすこし前に遺言を残しました。「ギョウの西の丘の上、西門豹の祠の近くに私の墓を作れ」と書き残したという。また「財宝などの副葬品は必要でない、それより戦時中なので敵の襲撃にそなえよ」自分の死後の墓の装飾は不要で、あくまでも謹厳実直(きんげんじっちょく・慎み深く真面目な人間)なひとでした。西門豹(せいもんひょう)はこの遺言のなかに登場するのです。魏の文侯の時代のお話です。西門豹は若くして、孔子の弟子のトショウに政治を学んだという。その後、魏の国にゆき、県令(けんれい=県知事)に任命された。赴任地は、土地がやせているギョウ(河北省邯鄲市あたり)の地だった。西門豹は着任早々、土地が痩せているので灌漑用水の工事を行い開墾をすすめるように土地の代表者に命令した。しかし土地の代表者たちは口々に反対意見を述べるのであった。聞いてみると、河の神の怒りに触れると河が氾濫すると言うのであった。西門豹は不思議に思い、真相を調べたのである。土地の老人たちの話では、毎年河の神を鎮めるためといって若い娘が人身御供となり、またその儀式の為だといって数百万銭という大金が集められているとの事であった。巫女である老婆、3人の古老、土地の役人たちがグルになって目についた美しい娘をさらい、儀式の名目で集めたお金を我が物にしているのだった。歳若い娘を持つ者は土地から離れてしまい、田畑は荒れ果てていたのだった。西門豹は儀式が始まると教えてくれるようにたのみ帰っていった。やがて河の神を鎮める儀式がはじまり、西門豹は護衛の兵士を引き連れて見物に行ったのである。河のそばには、巫女や見物人たちが大勢あつまっていた。西門豹は言った。「生け贄になる娘の器量をみてやろう。つれてまいれ」西門豹のまえに連れてこられた娘の顔をみていった。「残念じゃが、この器量では河の神もおめがねにかなうまい。」「しかたがないので、河の神に日をあらためて美しい娘をつれてくるまで待つように誰か親しい者を使いに出さねばならん」そうして「巫女の老婆を河に叩き込め」と兵士に命じ、兵士は巫女を河のまんなかに放り込んだのであった。「おかしい戻ってこんなあ。なにをとまどっているのじゃ。」「つぎは3人の古老にいってもらおう。」そうして今度は古老たちが兵士によって河の中に放りこまれたのであった。「こんども駄目か?」「次の番は、お供えを徴収している役人にしよう。」西門豹がこう言ったものですから、役人たちはおおいに狼狽えていった。「ご ご ご勘弁してください。この役目だけはご容赦くださいませ。」大いに恐れて額を地面にこすりつけて平伏したのであった。「河の神に捧げ物をすれば氾濫が起こらないというのは真っ赤なうそじゃ。」「もしもまた、そんなことを言うものがあれば、この西門豹が河の中になげこんでやるわ。」こう高らかに言い放ったのであった。西門豹は人民を困窮のどん底に引きずり込んでいた迷信を打ち砕いたのであった。その後、反対意見はあるものの灌漑と開墾事業を推し進めたのであった。「灌漑用水を無理に作らなくても生きては行ける。しかし将来のために必要なことなのじゃ。恨むならこの西門豹を恨め。」「いまの苦労は必ずあとで報われるものだ。子孫たちに感謝されることになろう。」灌漑用水は完成して開墾事業もすすみ、そうしてギョウの地はおおいに潤ったということです西門豹は、曹操の遺言の中に出てくるくらいなので有名人だったのでしょう。曹操も密かに尊敬していたのではありませんか。西門豹はギョウの地を良く治めていましたが解任されるのです。魏の文侯の取り巻き連中にワイロを贈らなかった為、正しい評価が文侯に伝わらなかったからです。「必ずうまくやりますからもう一度ギョウの地を収めさせてください」こう西門豹は文侯にたのみこみ認められて再び県令となった。西門豹は今度は税を重くして、文侯の取り巻きにワイロをフンダンに贈ったのであった。そして文侯に大いに褒められたのであった。「文侯のために力を尽くしましたが認められませんでした。今度は人民に重税を施し側近の方たちに贈り物をしました。」「その結果、お褒めの言葉をいただきましたが、官位を返上させていただきます。」西門豹はこういって、魏の国から静かに立ち去ったのであった。それを聞いた魏の文侯は、自分の不明さを大いに恥じたということです。「逃がした魚は、おおきかった。」このおはなしでは、ほんとうに大きな魚だった。実際の釣りの場合、残念さから話は大きくなるものなのです。豹は死して毛皮をのこし、西門豹は、豊穣のみなもとを残したというお話でした。 「史記 / 滑稽列伝」より
2011年04月15日
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さくら咲く いまは、入学式の季節になりました。卒業式シーズンは過ぎてしまいましたね。いまでも「蛍の光」は歌われているのだろうか?さて今日は、この歌の元になった話を紹介します。時代はさかのぼりいまから1500年ほど前の東晋時代のことです。車胤(しゃいん)という男の人がいました。車胤は幼い時から思慮深く、勉学に励んでいたそうな。たくさんの本を読破して、たいそう博学だったということです。しかしながら、ご多聞にもれず家は裕福でなく、明かりをつける油も手に入れることができないほど困窮していたそうです。そこで車胤は考えました。夏になると絹を柔らかくして袋をつくり、蛍を数十匹くらい捕まえて、その中に入れたのでした。蛍の光のともしびの出来上がりです。そうして、その光のたもとで本を読んだのでした。昼となく夜となく勉学に励んだのでした。そうして努力の甲斐あって、尚書郎(しょうしょろう)という仕事を手に入れたのでした。尚書郎は天子のそば近くに仕え、詔勅(しょうちょく)などの国家の重要な文書をあつかう重要な役人のことです。同じ時代に、孫康(そんこう)という人がおりました。孫康は小さいときから、心が澄んでいて、世の中の悪行と無縁な生き方をつらぬき通したしっかり者だったということです。そんな孫康のひとがらから、つきあう友達も善人ばかりで悪いともだちには近づかないようにしていました。けれども孫康の家もとても貧乏で本を読むための油を買うことが出来ませんでした。そこでかれは考えました。冬になって雪が積もる頃になると、窓の雪に本をてらして読むことにしたのです。そうして頑張ったことが報われて、後年に御史大夫(ぎょしたいふ=いまの警視総監)という高い位についたということです。 「晋書」よりいささか話に無理があるような・・・・・そんなことはひとまずおいといて。この歌は、明治14年(1881年)に、尋常小学校の唱歌として採用されました。【1番】ほたるのひかり、まどのゆき、ふみよむつきひ、かさねつゝ、いつしかとしも、すぎのとを、あけてぞけさは、わかれゆく。【2番】とまるもゆくも、かぎりとて、かたみにおもふ、ちよろづの、こゝろのはしを、ひとことに、さきくとばかり、うとうなり。この歌は単に卒業式に歌われるくらいにしか思っていませんでした。もとの話は、儒教を広めるために創作されたみたいです。古代中国の学問は儒教が一般的でした。儒学には君臣・夫婦・親子などの縦社会を確立するものでした。支配者層にとっておあつらえ向きな学問だったのです。人民を洗脳するためとも言えるでしょう。人民を従わせる目的で、道徳教育につかったのです。そのために当時の政治と密接な関係が出来上がり、出世の手段としても儒学がもてはやされたということです。MOOSEにとって、昔の思想がどうあれ関係ないんですけど、1番の歌詞のなかで、勘違いしていたことを発見しました。「何時しか年も、すぎの戸を、開けてぞ今朝は、別れ行く。」いつしか年も過ぎのとう(すぎていく)としが開けたら別れ離れになる。こう解釈していました。記憶じたいが定かではありません。小学校をでてからずいぶんたっているんですもの。「杉の戸」だったのね。おすぎとかけてPEPPER(胡椒) = ぴーこととくそのこころはどちらも辛口今夜も駄文でしめくくりましたこのあきは(ほんとは5月1日)雨か嵐か知らねども(リストラの嵐)今日のつとめに田の草をとる(ブログを更新)。 二宮 損得無用のMOOSE「この秋は 雨か嵐か知らねども 今日のつとめに田の草を取る」二宮尊徳あれこれ考えすぎて右往左往してはいけない。目の前のことに全力を尽くしなさい。
2011年04月07日
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世の中は楽なことばかりではない。楽なことの後には苦しいことがある。苦しい時を知っているから、楽しみがあり。楽しい時を知っているから、苦しみを感じることができるとも言える。相反する事柄を認識してこそ言えることかも知れない。『若い時の苦労は買ってでもしろ』という言葉があります。その頃は、なんで好き好んで苦労する必要があるのかと思っていた。そんなふうに思っても、実際は楽したいとか苦しいと思って仕事をしていたわけではありません。一生懸命にやっていると、余計な考えは浮かんでこないものです。さて、わたしの勤めている会社がなくなるまであと3週間ほどです。転籍する会社からは何の説明もありません。「全員、転籍できるらしい」といううわさ話をききました。しかし、他の事業所では、すでに採用しない旨をきいた社員もいるようなのです。わたしの運命やいかに・・・・・・そんな呑気なことを言っている場合ではないのです。リストラの危機リストラ NOW人生、楽あれば苦もある。水戸黄門のテーマ曲ですな。その歌は、「ああ人生に涙あり」というそうです。「ああ人生に涙あり」山上路夫作詞・木下忠司作曲【1】 人生楽ありゃ苦もあるさ 涙の後には虹も出る 歩いてゆくんだしっかりと 自分の道をふみしめて【2】 人生勇気が必要だ くじけりゃ誰かが先に行く あとから来たのに追い越され 泣くのがいやならさあ歩けそういえば、友人の結婚披露宴でこの曲がながれました。この曲をバックに新郎新婦が登場したのです。なかなかぴったりの歌だと思いました。「人生勇気が必要」人生、どう生きようが一生です。決して二生はない。勇気があれば、明日はなんとかなる。クーリーの名言へ
2011年04月05日
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孔子の弟子の子路(しろ)が、着飾って孔子の前にあらわれたそうな。孔子はその姿をみて、心のなかでつぶやいた。「師のまえに、きちんとした服装で会うこころがけは立派だが、こんな姿も出来るんだぞと言っているようだ。正しい考え方を教えないといけない。」そして、子路に話しかけた。「子路、その派手な服装はいったい何だね。」「すこし勘違いしているようだから、こんな話をおしえてあげよう。」それから、たとえ話をして聞かせたのであった。「昔からの言い伝えでは、揚子江は、びん山(四川省と青海省の境にある山)から流れ出ているが、その流れの源は盃にあふれる(觴=さかずきを、濫=あふれる)に過ぎないそうだ。それが下流になるほど水かさは増し、やがて舟がないと渡れないほどの大河になるのだよ。」孔子は何事も最初が肝心で、初めに間違えると最後は大変な勘違いになるということを伝えたかったのである。そしてやさしく、つづけて言い聞かせていった。「君は着飾って得意満面だが、いまの子路君をいさめることができるのはわたし以外にはいないと思うよ。」子路はただちに恐れいって、ただちにその場をさり着替えて師の前にあらわれたのであった。孔子は身近なことを捉えて、物の道理を教えるのが得意だったそうな。 「私がこれから言う事を覚えておきなさい。 言葉を飾るものは気障(きざ)である。 行いを飾るものは、自惚れ屋(うぬぼれや)である。 知っていることをすぐ顔にだし能力を見せびらかす者は小人(しょうじん)である。」「だから君子というものは、知っていることと知らないことをはっきり区別しているものだ。知っていることは知っているといい、知らないことは知らないというのだ。これが口に出して言うときに重要なことなのだよ。そして、実行出来ることは実行できるとし、実行できないことは実行できないとする。これが実行の到達点なのだよ。前者のことを、『智』といい、後者のことを『仁』というのだ。この『智』と『仁』を兼ね備えたなら、もうこれ以上言うことはないのだよ。」濫觴(らんしょう)の意味は、河の源を意味し、河の流れも元は盃いっぱいに過ぎないが、やがて大河になっていく。それが転じて、物事の初めを意味する。知っていることと、できることを明確に区別する。たしかに至言ですな。知っているだけでは駄目です。実践できてこそ知識は生きてきます。なにか行うときに、正しい方法をたとえ知らなくても、正しく実行出来るひとは賢い人だ。ものの道理をわきまえた人なら正しい行いができるでしょう。読んだり、聞いたりしたことを、すぐ知ったかぶりで話す。そんなMOOSEは小人である。君子は無理でも、せめて常人(凡人)でありたいものです。
2011年04月03日
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明日はなんとかなると思う馬鹿者今日でさえ遅すぎるのだ賢者はもう昨日済ましている。『チャールズ・ホートン・クーリー/アメリカの社会学者』こんな名言を見つけました。なるほどと思いました。まさに自分にピッタリの言葉です。誰しも、困ったときに初めて気がつくものです。転ばぬ先の杖といいます。転んだ人が、後をいく人に残した言葉でしょう。冷静に物事を判断出来る人は将来に備えていると思います。愚か者は転んでも何が起きたか気がつかないのです。将来の事を考えて、私もいくらか種をまいています。種の種類が悪いのか水やりが足りないのか、いまだ芽が出ません。5週間後に私が勤めている会社が消滅します。倒産ではなく大手に吸収されるのです。ただそれだけのこと。未曾有の大災害に見舞われた東日本の方がたの苦痛にくらべるとなんと些細なできごとでしょうか?頑張れニッポン。頑張れ、自分。今日は本当に愚かなMOOSEのひとりごとでした。
2011年03月27日
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楽天銀行ホームページより東北地方で発生した地震及び津波による被災者とそのご家族に対して、心からお見舞いを申し上げます。楽天銀行では、被災者の方々に対する義援金受付口座を開設いたしました。寄付していただいた義援金は日本赤十字社を通じて、全額、被災者救済のための救援活動及び復興支援活動等資金として贈呈いたします。なお、義援金の受付期間は、本日より2011年5月31日(火)までを予定しております。東北地方太平洋沖地震の被災者義援金についてたったいま、義援金を寄付しました。いまの私には、こんなことしか出来ない。
2011年03月13日
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君が代不起立、処分取り消し=「懲戒権を逸脱」-教職員ら逆転勝訴・東京高裁こんなニュースが流れました。 卒業式などの君が代斉唱では日の丸を向き、立って歌うと定めた東京都教委の通達に違反し、懲戒処分を受けた都立高校の教職員ら168人が、都を相手に処分取り消しと慰謝料を求めた訴訟の控訴審判決が10日、東京高裁であった。大橋寛明裁判長は「処分は重過ぎ、懲戒権の範囲を逸脱している」として、請求を棄却した一審東京地裁判決を変更し、処分取り消しを言い渡した。教師の役割ってなんなんだ?自分の主義主張を表現するのは勝手だが、自分の役割を放棄していませんか?教師は、学生に、ひととして大事なことを教えるのが仕事だと思います、わたしは。人生の先人として、子供たちに人の道を語るの生業としているのではないでしょうか?「卒業式で起立して日の丸に向き、国家を斉唱する」こんなことも出来ないのなら、しなくて良い職業を選択すればいいのではないだろうか?そもそも、教職に付く前に、国家斉唱することぐらい想像してなかったんだろうか?教師のかたの、一挙手一投足をこどもたちは見ています。まさか、教職の方がどんな行動をとったとしても、「ご自由に解釈してください」ってことなんでしょうか?天皇陛下、日の丸、国家認めないのは、本人の自由です。憲法にかいてあります。第13条 すべて国民は、個人として尊重される。生命、自由及び幸福追求に対する国民の権利については、公共の福祉に反しない限り、立法その他の国政の上で、最大の尊重を必要とする。個人の基本的人権や自由は、たしかに保証されています。勝手にすればいいけど、子供たちがいないところでやってください。卒業式に、無理にしなくてもいいじゃないですか。反面教師のかたは、教師面して卒業式に出席しなかったらいいだけではないのだろうか?それとも、子供たちにみせるために、そんな行動をとったのだろうか?まあ、こんなふうに自分の意見を述べているだけですけど。事実関係を熟知して言ってるのではありません。ただ、言いたいのは、こどもたちに、大人としての正しい生き方の見本を示してほしいだけです。主義主張のために、法に違反することを、「確信犯」とよびます。自らの信念に基づいて、それが社会の規範、道徳に反していると判っていても、正しいと思い行動すること。自分が正しいと思ったら、なにをしてもいいのか?こどもたちが勝手な振る舞いをして授業を妨害したらどう対処するのでしょうか?立場が違うと言うのでしょうか?ひとは自分が正しいと思い行動するものです。物事をはかる正しいモノサシは、誰が指し示せばいいのでしょうか?組織のだれかが一人でも反社会的な行為をすれば、よってたかって攻撃されます。教師の方ばかりではありません。警察官のかたの場合もあります。主義主張は各自あれども、自分の生業のためにじっと我慢しているのです。こころない自由人ひとりのために大多数の常識人が迷惑を被っているとも言えます。わたしが学生の時は、式典で不埒な行動を取るような教師のかたは、いらっしゃいませんでした。時代の経過とともに変化してきたのでしょうか?権利を主張するまえに、自らの義務を果たす必要があります。教職の道を歩む人たちは、徳を備えていなければなりません。徳をあらわすエレメントは、気品、意志、温情、理性、忠誠、勇気、名誉、誠実、自信、謙虚、健康、楽天主義などがあります。仁 義 礼 智 忠 信 孝 悌この八つの言葉は重要です。南総里見八犬伝の八つの玉ですな。教師って仕事は、本当に大変だと思います。尊敬する人もいれば、そうでないお方もいました。でも、卒業式で仰げば尊しを歌うと涙ぐんでしまうMOOSEなのでした。
2011年03月10日
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鼻息が荒いとは?意気込んで張り切っていることです。まあ~興奮状態ということですな。なにもしなくて興奮状態にはなれません。ねんかエッチな想像をする?違います(怒)。さてなにをするのか?それは、ヨガの呼吸法なのです。息をすること。これは、生きることを意味します。息は英語で、「 BREATH 」と書きます。また、生命や生命力を意味しているのです。ヨガの考え方では、呼吸は生命力を意味しているようです。息をすることは、酸素を取り入れるだけでなく体内の毒素を体外に排泄させる働きがあります。ヨガの呼吸法って、「瞑想状態になって、ゆったりやっている」こんなイメージを持たれているかも知れません。ヨガの呼吸法は2種類あります。ゆっくりやる呼吸法と早い呼吸法です。今日は、早い呼吸法について簡単に述べます。「鼻息の荒い人の呼吸法」です。いわゆるポンプ式といいましょうか?鍛冶屋がつかっている「フイゴ式」と呼びましょう。英語では「ブレスオブファイヤー」日本語では「炎の呼吸法」といいます。「400戦無敗の男」あのヒクソン・グレイシーも行っていたということです。効果は絶大です。しかし心臓が良くなかったり?高血圧だったり?体調がわるかったり?そんな方は、興味が湧いたとしても試すのはお控えしてください。「炎の呼吸法」【1】結跏趺坐(けっかふざ=あぐらをかく)してください。【2】口を閉じ、鼻から「フッ」と音を出して息を吐く(1秒くらい)【3】同じくらいの速さで鼻から息を吸う。【4】「フッ」「フッ」「フッ」「フッ」「フッ」と繰り返し呼吸する。やり方はいたって簡単です。最初から、無理をしないことです。最初は。10秒間=10回位ににしておきましょう。気分が悪くなるようでしたら即やめてください。慣れると1分間=60回位できるようになります。炎の呼吸法を行うと腹筋が鍛えられ、内蔵のマッサージができます。花の通りがよくなり、多くの酸素を取り込む事により体内にエネルギーが充満します。それと同時に、体内の毒素の排出を促すのです。「鼻息の荒い人の呼吸法」を試すことにより、鼻息の荒い人生を歩むことができるのです。パワーが溢れ出して、低血圧の人も朝からバリバリ働くことができるようになるでしょう。もし、やってみようかと思っても無理は禁物。最初無理しても続けなかったら効果は少ないのです。「継続は力」ということです。瞬間的にやる気が出る、「炎の呼吸法」をおこない、ストレスレスなライフを満喫しましょう。 MOOSE老師
2011年02月24日
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和して唱えず 人が話しているときには、時折相づちを打ち、話にあわせるだけで自分の意見は述べないこと。何をいわれても、「ほっほう」「な~るほど」と同調するべきです。もし自分の意見を話したくなったら、遠慮がちに、違うと思いますがと、オズオズ小さな声でしゃべるのがコツです。 今はむかしの話です。中国の衛(えい)の国(河南省のあたり)に、哀駘它(あいたいだ)という野暮ったい男がいました。しかしこの男が、たいそう女たちにもてはやされていたそうな。聞くところによると、哀駘它とかかわった女たちは彼にゾッコンになり、そばから離れたがらなくなるそうです。哀駘它を知る者は、みんな口をそろえて褒めちぎったのです。「あんな気持ちのいい男は見たことはない。」「あいつは本当にイイヤツだ」このように哀駘它に会って褒めないものは、ただ一人もいなかったという。こうして彼と知り合った男達は、彼と友達になりたがったのである。女たちから見た哀駘它はどうだったか?ご他聞にもれず、としごろの娘たちは哀駘它にまとわりつき、ほかの男と一緒になるくらいなら、お妾さんでもいいからと、哀駘它といっしょに暮らしたがったということです。なんで哀駘它ばっかり人気があるのでしょうか?彼は資産家でもないし、財産と言ってもこれっぽっちも持っていませんでした。当然、大きな家に住んでるでもなし、地位や名誉があるでなし、世間で言われている栄華にはトント縁のない男なのです。彼の人気の秘密はなにか?和して唱(とな)えずそうです、けっして逆らわないのです。誰とどんな話をしても、「ハオ(好)、ハオ(好)」と愛想がとてもよかったのです。おこられても「ハオ(好)、ハオ(好)」ほめられても「ハオ(好)、ハオ(好)」哀駘它は、すべての人を愛していたからこそ愛されたのです。「寛大な心」「大きなこころ」穏やかさには偉大な力があります。いっしょにいて安心出来る人のそばに、ひとは寄り添うものなのです。 『荘子・徳充符』より
2011年02月22日
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エッチ、エッチ、エッチ人間になるのじゃ。エッチときいて、どんなエッチを想像しましたか?エッチとは、性的にいやらしいこと。完全な日本語であり俗な言葉である。ちなみに、アルファベットのHは、『エイチ』と発音するのだ。エッチになって、どうするって?エッチな人間になって、鬱々とした気分からエスケープするのだ。つまりいわゆるエッチじゃなくて、エイチ(叡智・すぐれたちえ)のことです。エイチな言葉の中には、すぐれた先人の叡智がつまっているのじゃ。エッチ、エッチ、エッチ人間とは?【1】早起き 【2】晴れごころ【3】晴れ着 【1】早起き・・・・・ 早起きは三文の得、無理しても早起きすること。 寝過ぎは不眠の元になります。 頭がさえて能率が上がるのが朝です。 週中は少し寝不足気味にして、週末にゆっくりしましょう。 MOOSEが、なにが残念かといえば、週中の休みにねすぎて、 起きたら11時だったりして勿体無い気持ちになることです。【2】晴れごころ・・・・・ こころは曇らせない。 こころの雨は、あなたが呼び寄せるのです。 自分の周りで起こることはあなたが引き寄せているのです。 すべてあなたのこころの問題なのです。 晴れやかな行動から晴れやかなこころへいざなう。 愉快な気持ちになって、陽気なふりをすれば、かならず陽気になれる。 モーション(行動)がエモーション(感情)を呼び覚ますのです。【3】晴れ着・・・・・ あたたかい暖色系の服を着ましょう。 着るもの、身につけるものが、こころにあたえる影響は大きいものです。 オレンジ、赤、きいろなどの色のものを身につけると、 こころが華やいだ気分になるのです。 赤は情熱的、黄色は求愛、オレンジは陽気さのイメージです。 黒は・・・そんな気分になりたいお方が着るといいなかな? 黒は孤独、閉鎖的、しかし殻に閉じこもらなければカッコイイ色です。ということでエッチ、エッチ、エッチで元気がでるのは確実です。エッチ、エッチ、エッチでハイテンション間違いなし。MOOSEの呪文アッハッハーイッヒッヒーウーフッフーエーヘッヘーオッホッホーカーッカッカーキーッキッキークーックックーケーッケッケーここまでか?いやまだあるよハッハッハーヒッヒッヒーフーッフッフーヘーッヘッヘーホーッホッホーこれは笑いの行法である。欝な気分の時も笑ってみようじゃないか。これができたらあなたも人生の達人じゃ。 MOOSE禅師
2011年02月21日
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他人になにを与えるか?あなたの行動は、まわりにどんな影響を与えているでしょうか。利益か?不利益か?私はサラリーマンなので、会社に利益をもたらせ潤うようにしなければならない。それによって自分も潤うことになる。至極あたりまえの話。プライベートにおいても、同じこと。ファミリィに利益になるように行動するだけ。それが形あるものや、無形のものなど様々です。お金、安心、信頼、などがあります。はたして、自分はまわりに対して利益になる行動をとっているだろうか?世の中は物々交換で成り立っている。原始の時代から変わっていません。余っている物を他人に与え、自分のほしい物を手に入れる事。これが経済の基本になっています。利益を手に入れるために、有形無形のものを貸し借りしたり売買したりして経済的な潤いを手に入れています。有形のものを扱っているひとたちは中程度といえます。その上が無形のものをあたえる人です。インチキだろうがなんだろうと、あいてに利益・夢・安心感をあたえること。インチキ宗教家が良いとは言いません。信じるものは救われる理論では、出だしはどうであれ結果次第といえます。動機が不純でも、受け取る側がしあわせな気分になれば良いこととなります。カリスマ性か、スター性か、洗脳するか、恫喝するか?ありとあらゆる方法により、相手を良い気分にしたひとの勝ちになります。芸能関係の人や宗教関係のひとが、あてはまると思います。まあ、才能や能力がない、わたしなんぞは自分の時間を切り売りして、代わりになけなしの収入を手に入れるだけです。与えるものが無いものたちは、仕事を手に入れ、そこから収入を得るしかありません。その仕事において、経験を積み上げ、腕を上げて、仕事をとおして相手方や会社に利益をもたらすことができるようになれば、与える側になったと言えるでしょう。仕事で目覚ましい成果を上げることが出来ないひとはどうしたら良いのか?自分には、ひとに与えるものなんか何もないと思う人がいるかも知れません。安心してください。だれでも持っているものがあります。その道具をつかったらよいのです。その道具をつかえば、人に与えるものなんか、あっというまに作ることができるでしょう。昔から言い伝えられていることです。そのキーワードは?『私は、あなたの変わらぬ友です。』『私は、あなたの最大の支援者です。』『私は、あなたの最大の重荷者です。』『私は、あなたの後押しをすることもあれば、地獄へ突き落としもします』『私をあなたはコントロールすることができます。』『あなたがする仕事の大部分は私に関係があります。』『あなたは私に対して毅然とした態度を取らなければなりません。』『あなたが望めば、具体的にイメージするだけで仕事の段取りがあがります。』『わたしは偉大な人たちの召使です。』『わたしはすべての破綻者たちの召使でもあります。』『わたしは機械ではないが、知性を有し、機械のごとく正確に仕事をこなします。』『あなたが利益のために私を使おうが、破綻者になるために働かそうが思いのままになります。』『私を用い、訓練して、毅然とした態度で接すれば世界はあなたの思いのままになるでしょう。』『わたしをいいかげんに扱えば、必ず破綻者の道を歩むことになります。』わたしは誰でしょう?わたしは、いわゆる『習慣』と呼ばれているものです。習慣とは、日常的に繰り返される行いのことであり、そのひとの癖ともいえるでしょう。この習慣の力をつかえば、人に与えるものも簡単に手に入るということなのです。しかし正しい使い方をしないと望む結果はでません。プラス思考からプラス思考が生まれます。マイナス思考からはマイナス思考が生まれるだけです。望む結果をもたらしたいのなら、望むことが実現できる正しい思考法を実践しなければならない。ほしいものが手に入らないひとは、ほしいものが手に入らない方法を選択しているだけなのです。成功させるためには、成功できる行動ができる習慣を手に入れるだけです。話が大分、それてしまいました。とんでもない大層なものを、ひとにあたえる必要はありません。あなたが既にもっているものを、あたえるのです。簡単なことです。それは、『やさしいこころ』の事です。思いやりの心で、他人を気遣い、微笑を絶やさず、親切に他人に接する。これだけで、大切なことをあいてに与えることが出来るでしょう。これであなたの人生は好転するするでしょう。しかし正しい考え方の習慣をもってなかったら、到底、そのことに気付くことは、100年たっても、無理と断言します。『情けは人のためならず 愉快も、ひとのためならず』 すべてじぶんのためなのです。 MOOSE老師
2011年02月18日
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よく吟味してつかうにおいてはその家久しく崩れがたし。 宮本武蔵 『五輪書』気配り、目配り、おもいやりこういう言葉があります。ハイテックな時代になったとしても、これは重要なファクターだと思います。宮本武蔵は勝負に勝つということをまとめた兵法書、『五輪書』のなかでつぎのように表現しています「兵法の道、大工にたとへたる事」としています。気配りするとは、木くばりすることなり、といっています。現代社会においての管理者のしごとを大工の棟梁の仕事に置き換えてみましょう。人材を使うことも、棟梁が家を建てる時に材料選びをすることも同じことということです。材料を使うときは、節があるとか強度はどうか?どっちに反っているかなどをよく見極めて、この材木はどこに使おうかと思案すべし。このことから、人員配置の場合でも同じことが言えるでしょう。適材適所ということです。そうすれば、立てた家も堅牢で倒れない家になるということのようです。宮本武蔵が晩年に世話になった大名に細川忠興がいます。忠興は、いいました。「用兵は将棋の駒の使い方とおなじである。駒には、それぞれ違った能力を備えている。その能力に応じて配備すべきである。歩は歩の位置に、香車は香車の位置に、桂馬は桂馬の位置に配置すること。」トップの位置は王将です。その脇を固める重役である、飛車と角。金銀は中間管理職であり、桂馬・香車はベテラン社員。そして一般社員が、歩ということ。細川忠興は最後に、「われ思うに、大切にすべきは、歩のちからなり。敵陣に侵入すれば、金に成りて手柄をたてる。」宮本武蔵がいっていることも同じなのです。木配りすることは、この将棋の駒の使い方と同じということ。その木(人材)の能力を見極めて、ビジネスライクに配置すること。好き嫌いの原理は除き、客観的に大局をみて、冷静に人員配置をすることが肝要になります。気配りをする前に、なすべきことをやりぬき、そのうえで断行するということです。義理人情を抜きにして、最適な人事をさきに行いなさいということ。『人は石垣、人は城、情けはみかた、あだは敵』こんな歌もありますね。よく吟味してつかうと盤石な体制にになり、強固なものができあがるでしょう。 MOOSEの中学時代のおはなしです。市内の将棋大会がありました。オブザーバーは、大山康晴名人でした。市内の中学校から、2~3人が市の文化センターにあつまりました。対局は5回ありました。3勝2敗以上で、商品をもらえるということでした。MOOSEは、2勝2敗で最後の対局をむかえました。べつに相手の飛車を積極的に手に入れるつもりはなかったけど、しゃにむに突っ込んでくるので、飛車をとり、かわりに歩が2枚あいてにいきました。対局は膠着状態で、序盤戦の様相のまま時間切れとなりました。勝負は判定となったのです。審判するのは、大山名人でした。MOOSEは、判定のしようがないけど、飛車をとっているので自分の勝ちかもしれないとのんきなことを考えていました。結果は・・・・・大山名人はいいました。「う~~ん。歩がないから、きみの負けだね」MOOSEは、くやしくてたまりませんでした。商品をもらい損ねたからにほかありません。あとで冷静に振り返ってみました。飛車1枚と歩2枚。歩をもっているほうが勝ち?なんで?しかしよく考えてみると、もし王手されたとして、飛車でとめると飛車を相手が手に入る。そうなると、すかさずつかわれてしまうと自分の痛手は大きい。歩を取られたとしても、歩のままってこと。『歩のない将棋は、負け将棋』この理屈に納得がいまでも、本当はできないわたしなのです。 へっぽこ棋士、MOOSE
2011年02月17日
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過ちては改めざる・・・・孔子子曰わく、過(あやま)ちて改めざる、是(これ)を過ちと謂(い)う。孔子は、もうされた。人間というものは間違いをするものだ。間違いを犯して自らも気付きなからも改めないこと。これが本当の過ちである。人は往々にして間違いを認めたがらないものだ。地位が高くなるほど、その傾向はたかくなるだろう(例外もある)。あるとき、Aさんは社内のルールを無視したそうです。無視したのでなく、たぶん気がつかなかったのです。それを見ていた派遣くんが、そばにいた社員にいった。「お偉いさんなら、ルールを破ってもいいんですか?」いつもルールを破っている派遣くんなのに、これ幸いにこう言うのです。社員は派遣くんにあてつけに「間違いのことを伝えてこようか?」というと「そうしてください」と派遣くん。そしてAさんに間違いを指摘しにいったのです。するとAさんは、バイト君のところへいって頭をさげたということです。う~~~~むMOOSEいわく無視しとったらいいのになぁ~「極々些細なコトなのに」MOOSEならこころのなかで「なんよ~んなら、この、〇ケ〇コ◯ス」ってつぶやいて無視します。しかしこのA取締役は、すかさずあやまったということです。上位5パーセントにはいるお方は、なにか違う。「些細な事もおろそかにしない」変なこだわりが無いということなのだろう。一方派遣くんというと自分のことは棚上げしてまわりの事ばかり気になって指摘マンになっているということです。Aさんが謝罪して件も、本人はよく違反しています。この派遣くんは、頭がおかしいのか、超大物なのか?ま~どうでもいいんですけど。いえることはこのふたりの差は永遠に広がり続けるであろう。 やじうまMOOSE
2011年02月14日
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我れに三宝(さんぽう)有り、持(じ)してこれを保つ。一に曰(いわ)く慈(じ)。二に曰く倹(けん)。三に曰く敢えて天下の先(さき)と為(な)らず。 老子 第六十七章意味はこうです。私は三つの宝物をもっている。それは法則とも言えるもので、基本的な考え方として守り続けている。第一に慈しみの心をもつ事。 相手の気持ちを思いやり、相手の立場を汲み取った行動を取ること。第二に倹しく暮らす事。 倹約につとめて暮らすこと。いいかえればつつましく生きることです。第三に人に先んじようとしない事。 人のさきに立たないこと。先頭に立ち目立ち過ぎると人から疎ましく思われ足を引っ張られるもとになる。このように老子は人生を生きるための、重要なファクター(要素)として三つのことを挙げています。老子 第六十七章のなかには、理由としてこう続けて書かれています。他人を思いやるからこそ、勇気が生まれる。倹約につとめるからこそ、尽きることがない。人の前に立たぬから、人々の重荷にならず指導者になることができる。しかし考え違いをしてもし慈しみの心持たずして、勇敢であろうとしたり(蛮勇無心)。また倹ましく暮らすことをせず、都合よく豊かになろうとしたり(パラサイター・フリーターの質がわるい奴)はたまた人々を押しのけて、われさきに強欲な行動を行なってしまう人(強欲無慈悲)となると。結果は必然的であり、破滅あるのみ。もしも今、行動する前に正しい道を選んだ場合は、慈しみの心をもって事に当たれば、人々を団結させることが出来、百戦してもかならず勝つべし。また守りを固めたとしても敗れる道理はない。天は慈しみのこころで行われる事象をけっして見捨てたりはしないのである。慈しみのこころを持って、かならず、守ってくれるものだ。『天網恢恢疎にして漏らさず』 老子お天道様は見ていらっしゃるのだ(本当かな~?)。このように考えたいMOOSEなのですが。はなしが突然かわります。MOOSEは、とても落ち込んでいます。なぜなら、あやしげな物語にまきこまれたのです。そこで例えるなら物語を紹介しましょう。『つるの恩返し それはおかしいバージョン』題名 「詐欺事件・つるの恩返し」鶴の恩返しのお決まりの物語が筋書きどおりにすすんでいき結幕をむかえようとしていました。・・・おじいさんとおばあさんは機織りをしている姿をみようとしてふすまを開けると・・・・「なんじゃこりゃ~、何見とんな~」とタチの悪そうな、性悪つるが、おじいさんちの銭箱をあけて現金をとろうとしていたのです。「なにしとるんな~」おじいさんは大声を出しました。性悪つるは、おじいさんとおばあさんにくちばしで目潰しを食らわし飛び立ったのだった。おじいさんは叫んだ。「つるの恩返しじゃないのか?」「なに勘違いしとんなぁ~」「わしゃ、詐欺じゃ~」さぎ(鷺)コウノトリ目、サギ科に属する鳥類の総称です。外観はコウノトリやツルに姿が似ていて、長い脚と嘴を持つが、大きさはコウノトリやツルより小さい。
2011年02月10日
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背水の陣とは、後ろは川があり一歩も退くことができない絶体絶命の状況のこと。失敗すれば生きて逃れられないことを覚悟して、全力で戦うしか活路を見いだせず、火事場のクソ力を発揮するしかない戦法。漢の劉邦が全中国を統一する二年ほど前のお話です。将軍韓信(かんしん)は一部隊をひきいて奮戦し魏(ぎ)を撃ちやぶり趙(ちょう・今の山西省北部)へ進軍しました。名将韓信の襲来を知った趙王・歇(あつ)は宰相、成安君陳余(せいあんくんちんよ)に命じて30万の軍勢を集めさせ、井ケイ(せいけい・河北省セイケイ県)の狭い道の出口に配備させたのである。一方韓信の方は、苦戦している友軍に応援部隊を差し向けていたため、軍勢は3万ぐらいだったという。趙の名将・広武君李左車(こうぶくんりさしゃ )は漢軍がセイケイの狭い道に差し掛かったときに、挟み撃ちにしてしまう作戦を献策したが、宰相・成安君陳余により少数の敵に対して卑怯な手を使うと趙軍は弱いという悪評が立つのを恐れて、この名案は退けられたのであった。韓信は、あらかじめ敵陣に潜り込ませていたスパイからの情報で、李左車の必勝策が受け入れられなかったことを喜び、ひた押しに井ケイ(せいけい)の狭い道を進んでいった。出口の一里てまえで夜になるのを待ち、真夜中に再び進軍を開始したのである。そして2000人の騎兵隊を編成して、赤い部隊旗をもたせてこう言ったのだった。『諸君は急襲部隊である。隊長の支持したとおりに趙の城塞の近くの山にひそんでいるのだ。明日の戦闘で負けたふりをして敗走するから、趙軍が調子にのって攻め立ててきたら、もぬけのカラになった城に侵入して、趙軍の旗を抜いて漢軍の赤い旗をたてるんだ。お前たちの働きに、我軍の命運がかかっているんだぞ。勝って宴会をしようではないか?』韓信将軍の最後の言葉は、趙の大軍を前にして誰も信じることは出来なかった。それから1万くらいの軍勢を井ケイ(せいけい)の出口から出して、河水の手前に陣取らせたのである。その後、本隊の2万を狭い道の出口付近に集結させた。 さて。夜が明けてみると、漢軍は河を背にして布陣していたのである。それを見た趙軍のだれもが、「漢軍のやつらは、戦いの初歩も知らないのか? 馬鹿なやつらだ。」こういって嘲笑したのであった。韓信は太鼓の音も勇ましく、本隊を進撃させた。幾度かのぶつかりあいの後、想定通りに旗や太鼓を打ち捨てて退却を開始して敗走し河水の軍勢に合流したのである。これを見た趙軍は、城塞の門をあけて大挙して攻め立てたのである。多勢に無勢。勢いに乗って韓信の首をあげよとばかりに全軍がうってでたので、城はカラになったのであった。そのすきに乗じて、漢の急襲部隊はやすやすと城に入り込み、城塞の旗を差し替えたのだった。背水の陣の韓信の漢軍は、逃げようにも逃げられずそれこそ死に物狂いでたたかい、趙の大軍を押し返したのであった。趙軍は手負いの虎のごとく奮戦する漢軍にてをやいて城にひきかえしてみると、城塞にはためいているのは漢軍の赤い旗であった。趙軍が驚き混乱しているうちに、挟み撃ちに漢軍にせめられ勝敗はいっきについたのであった。戦いすんで、夜に宴会をしていると若い将校が韓信にたずねて言った。『韓信様、兵法の基本としては山を背に水を前にしてたたかえとありますが今回の戦いは水をせにして戦いました。これは、いかなることにございましょう?』『兵法としてまんざら間違いとも言えないだろう。ある兵法書には、己を死地に陥れてこそ、はじめて生を得ることができるとある。敵の兵力が我が軍の10倍あり、まともなことをしていたら勝つのは不可能だった。それで今回は、背水の陣を採用して自軍を追い詰めたのだ。我軍は遠征続きで、補充兵が多いのだ。兵を生地においていたら逃げ出すのが落ちだ。それで死地におとしてクソ力を出させたのだよ』 『史記』の『淮陰侯列伝』より「窮すれば即ち変ず。変ずれば即ち通ず」 すなわち「窮すれば通ず」 『易経』 つまりこまったら何とかなるということ。 MOOSE老子ということはこまらない人はなんともならない・・・・・
2011年02月04日
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つま先立ちし続けるのは疲れる。 老子 第二十四章跂(つまだ)つ者は立たず、跨(また)ぐ者は行かず。自ら見(あら)わす者は明らかならず、自ら是(よし)とする者は彰(あら)われず。自ら伐(ほこ)る者は功なく、自ら矜(ほこ)る者は長(ひさ)しからず。その道に於(お)けるや、余食贅行(よしぜいこう)と曰(い)う。物或いはこれを悪(にく)む、故に有道の者は処(お)らず。 老子 第二十四章意味は、こうです。背伸びをしようと爪先立ちをしている者は長く立っていられない。無理も程々にして遠回りな道ばかり選ばないこと。たまには、安易といわれても近道してみる。早く歩こうと大股で歩く者は長く歩いていられない。急ぎ足で人生を歩むのも、また人生の選択のひとつかもしれません。山歩きの基本は、小股でチョコチョクあるく事だそうです。これ疲れないコツのようです。自分だけ目立たそうとする者は誰からも注目されないし、自分の意見のみを押し付ける者は人から認められるはずはない。自分のモノサシでしか物事を測れず、自分の尺度で他人を支配しようとしても、誰もが楽しくないし、人生の一大事も見誤ってしまうだろう。こういう愚か者の行為を「道・タオ」の観点から言うと「食べ物を余計にとり、贅を尽くした振る舞い」と言う。満腹状態でだされたたべものの味は、よくわからない。また、「道・タオ」を知った人間はそんなおろかな行いはしないものだ。世の中の価値観も時代と共に変化してきます。いま現在価値があるものも、10年後はどうなっているか誰もわかりません。自分にとって価値あることも、他の人にとっては取るに足りない事であるかも知れません。人間て、世俗のはやりや善悪の考えに振り回されて生きていると言えるでしょう。老子を読めば、現代でも活用できるものが多くあります。老子の全81章の、5400字余りの文字の中には、人生を自由にいきる知恵が詰まっているのです。
2011年01月30日
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杯中(はいちゅう)の蛇影(じゃえい)晋の時代(265~316)に楽広(がっこう)、あざなは彦輔(げんぽ)という人がいました。小さな頃から優秀であったが、家が貧しくひとりで書を読んで学んでいた。性格は穏やかで、決してでしゃばらず、人の話によく耳を傾けていたという。このような人は、市井から発掘されるべきひとであり、ひとびとはほっておかなかった。やがて科挙(かきょ・官吏登用試験)の科目である秀才(しゅうさい)に推薦され官についたのである。それでもやはりつつましやかだったという。その楽広が河南省の長官をしていた時のおはなしです。いつも足繁くたずねてくる親しい友人が、ながらく会いに来なくなった時のことである。楽広は不思議に思い、そのわけを尋ねたのであった。親友こう話したのでした。「この前きたときに、お酒を頂いただろう。飲もうとすると盃に蛇の影が映ったんだよ。気持ち悪いと思いながらも、飲まないと悪いと思い飲んだんだけど、それから身体の調子がわるいんだよ」「おかしなこともあるもんだな、あのときいっしょに飲んだのは・・・・」楽広はそのときの様子を思い返してしていた。「あれは役所の一室だったな。あそこの壁には、たしか弓がかかっていたな。そしてその弓には漆で蛇の絵がかいてあるんだった。そうだ、それにちがいない。」楽広は、あることに気がついて親友を呼んで、その部屋で酒を酌み交わしたのだった。盃に酒をついで、このまえと同じ場所に盃を置いていった。「また見えますか、蛇が?」「このまえといっしょだ。なんとかしてくれ楽広・・・」「そう慌てないで、壁にかかっている弓を見ろよ」と、蛇の影がみえた原因を親友に説明したのだった。「なんだ、そうだったのか、安心したよ」そう親友は言って、たちまち病は消えてしまったのであった。 『晋書・楽広伝』 疑いだしたら切りがないものです。なんでも無いことでも気に病むと身体に毒ですね。気に病むことはノイローゼ。ノイローゼになることを呪おうぜ。『杯中の蛇影』とは、なんということもない事を気にしすぎるという意味です。『杯中の蛇影のみ』といえば、気にするほどの事はないということです。『幽霊の正体見たり枯尾花』って言葉があります。薄暗いところを、こわごわ歩いていると、なんでもないモノが幽霊に見えることがある。『疑心暗鬼』を生ずなのです。悪い思いから、良い結果はおこらないものです。良い思いから、悪いこともおこらないのです。ポジティブシンキングで行きましょう。『病は気から』は遺伝子のスイッチをONにしてしまいます。心のありかたや気持ちの持ち方と遺伝子の関係についてはいろんな仮説があります。気のせいと言ってしまえばそれまでです。しかし、なんらかの方法で、休眠している免疫性を高めるための遺伝子のスイッチをONにすることができたら、病気を予防したり、病気にかかっても早く回復することができるのです。断食や絶食なんかいいみたいです。これは、MOOSEの世迷いごとではありません。筑波大学名誉教授の村上和雄博士の『生命のバカぢから(講談社)』にかいてあります。【送料無料】生命のバカ力価格:924円(税込、送料別)
2011年01月24日
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「兵は死地なり」の意味は、戦いとは命がけであるということ。趙(ちょう)の名将として名高い、藺相如(りんしょうじょ)・廉頗(れんぱ)と並び評されるぐらいの能力があると言われていた、趙奢(ちょうしゃ)が残した言葉だと伝えられている。 趙奢は田畑からの租税を取り立てる小役人に過ぎなかったという。しかし、その清廉潔白さが時の趙王・恵文公の弟の公子・平原君の目に止まるところとなり、抜擢された。かれは国税の管理を任されていたときに国民から公平に税金の徴収を行ったので、国は大いに潤ったという。そののち軍事上の作戦で大手柄をたて、馬服君(ばふくくん)に封じられ、藺相如・廉頗と同等の位を授かったという。趙奢は軍略家としても目覚しい働きをしたが、その息子に趙括(ちょうかつ)という者がいた。趙括は幼少のころより、兵法を学んでおり、また非凡な才能をもっていたので成人する頃には兵法全般を網羅していて、「天下広しといえども、兵法に関して自分に敵うものはあるまい」と豪語していたらしい。趙括はそれだけの事をいうだけあって、実績ある軍略家である父・趙奢と、時に兵法問答しても対等以上に渡ったのである。趙括は、趙括に軍略論議に言い負かされた時でも、すこしも褒めようとはしなかったのである。趙括の母親は、息子の雄弁さと能力の高さに、聞き惚れていたが父親が息子をすこしも認めていないように感じて府に落ちなかった。そこで趙括がその場を離れたときに、息子を褒めない理由を夫に尋ねたのである。趙括はこう答えたのである。「兵は死地なり(戦いとは命がけである)。しかし括(かつ)は、理屈ばかり振り回して軽々しく論じているだけだ。もしあいつがまかり間違って大将にまつり上げられたとしたら、その時は趙が滅ぶ時だろう。」趙奢はさすがに息子を見る目は確かだった。そののち、趙の孝成(こうせい)王の七年(B.C 262)のことである。上党郡(山西省・南東部)を合併したときに、端を発して秦と戦争になったのである。「兵は死地なり」ということが理解できておらず、生兵法(なまびょうほう)は怪我のもとで、趙括は秦との一戦で趙軍四十五万を失い、趙を窮地に陥れたのであった。 「史記」の「廉頗・藺相如伝」より「畳の上の水練」という言葉がありますが、実際に水の中に入らないで本を読んだくらいで泳げるようになるものだろうか?
2011年01月17日
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完璧 完璧の意味を簡単にいえば、完全でかけたところが無いこと。璧とは、環形に磨き上げた上質の玉のことであり、完璧の言葉のもとの話でいえば、大切なモノを傷をつけずに持ち帰ることである。完璧に由来する話はこうです。 中国戦国時代、趙の国の恵文王は楚から珍しい宝物「和氏の璧・かしのへき」を手に入れた。強国である秦の昭襄王(しょうじょうおう)は、趙に伝わる珍宝「和氏の璧」の噂を聞くと、ほしくて仕方がなくなり秦の国内の十五城と交換に「和氏の璧」を手に入れようと趙に向けて使者を出した。さて困ったのは趙の恵文王です。断るのは簡単でなく、それを口実に戦争を仕掛けられるかもしれないし、璧を渡しても秦の昭襄王はしたたかなので、城を寄こさない恐れがあるのだ。家臣を集めて相談すると、ある家臣の食客の藺相如(りんしょうじょ)が進み出た。「王様のために私が使者に立ちましょう。十五城が手に入ったら「和氏の璧」を渡してきます。しかし約束が守られないならば無事に璧を持ち帰ってみせましょう」恐れを知らない堂々とした面構えの藺相如はしずかに言った。秦では趙からの使者がきたと聞いて、すかさず秦王との面会となった。秦王は璧を受け取ると大変満足そうで家臣たちにも手に取らせたが、十五城と交換の話はお首にも出さなかった。藺相如(りんしょうじょ)は当然予想していたので、こう切り出した。「昭襄王、璧にはわずかな傷があります。それをお教えしましょう。」こう言って、璧を手にした藺相如は、するすると後ざすりして柱のところまで下がったのである。そうして昭襄王をはっしと睨んで言った。「趙王は、昭襄王に誠意を示して「和氏の璧」を持参させたのです。なのに秦王の態度は、はなはだ傲慢無礼で、約束を果たすように見受けられません。それゆえ璧を我が手ににしました。許されないならば、私の頭とともに、この璧を叩き割ってお見せしよう」 昭襄王は璧をこわされては大変と、表情をやわらげ地図をひろげて十五城を指し示して約束を誓ったのであった。藺相如は約束を果たす意思がないと見て取り、口実を設けて璧とともに宿に下がったのである。そうして部下を変装させ璧を密かに趙の国に持ち帰らせたのである。昭襄王は、もともと璧を手に入れても城を渡す気など毛頭なかったのである。なので璧を手にできなかったのは残念であるが、自分にも引け目があった。藺相如の態度がアッパレだったので非礼の段はみずに流し、逆に丁重にもてなし趙に送り届けたのであった。 「史記」 の「藺相如伝」より
2010年12月22日
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奇貨居くべし 珍しい品物は買っておけば、あとで大きな利益をあげるネタになるだろう。掘り出し物。チャンスは生かさなければならないという意味。中国戦国時代末期のお話です。秦国が強大な力を誇っており、その隣の趙の国は衰退していた。しかしながら趙の首都邯鄲は、中原文化の粋を集め、商売が盛んで街は栄えていて多くの人の往来があったという。呂不韋(りょふい)は、韓の都陽テキの豪商で邯鄲の都をよく訪れていた。ある時に街のうわさで、、秦の太子安国君の庶子である子楚(しそ)が、人質としてこの都に住んでいること知ったのである。話によると、子楚はひどく困窮な生活をしているということであった。呂不韋はその話から閃くものがあった。この事は使えるかもしれないと考えたのである。『奇貨居くべし』これは大変な掘り出し物に違いない。これを利用しないてはない。「いまに大変な価値を生むことになるぞ」こうつぶやいて、さっそく子楚のうらぶれた屋敷を訪れたのであった。呂不韋は子楚に会い、こう切り出したのである。「あなたの家をりっぱにしてあげようじゃありませんか」子楚はあって早々、とんでもない事をいう御仁だとおもい冗談として聞いていた。「そんなことをする前にご自分の家を豪華にして、そのあとが私の家というものでしょう。」こう子楚が返事をすると呂不韋はこういったのである。「判ってらっしゃらないようですね。あなた様の家がりっぱになれば私の家もりっぱになれるというものです。」子楚は呂不韋の言わんとする意味を理解したのである。当時、秦では昭王の太子が死に、次男の安国君が太子となっていた。安国君は愛する寵姫を正室とし華陽夫人と号させたが、子が無かったのである。子楚はいわくありげな呂不韋の話に興味をもち、家の奥に招き入れたのである。呂不韋は声をおさえて言った。「よろしいですか。 昭襄王もご高齢ですし、お父上の安国君様があとを継ぐでしょう。噂によると、安国君様は正妃の華陽夫人を寵愛なされていますが、お子が無いとのことです。しかし太子さまの跡継ぎは華陽夫人がお決めになるということです。子楚様は安国君様の十数番目のお子様ということですね。運が悪いことに、さらに異国での人質生活がながく、お父様の覚えめでたいとは言えません。はっきりいって秦王が亡くなられたとしても、あなた様が太子になることは難しいといえます。」「わたしもそのように思うが、どうしたらよいのかね?」「私がいいたいのは、そこのところです。私が豪商であり使える金は潤沢にあります。華陽夫人に贈り物をしたりして、取り入ってみせます。華陽夫人には姉上様もおられるようなので、外堀から攻めてみましょう。秦の国まで出かけていって、子楚様が太子になれるよう画策してみましょう。」子楚は喜色満面な笑みをうかべていった。「もし本当にそうなったなら、あなたを宰相にしてあげます。」呂不韋は財力に物を言わせて、運がなかった子楚を太子に仕立て上げたのでした。子楚は呂不韋の愛人である美しい趙姫を大層気に入り正妃にほしいと懇願した。呂不韋は自分の子がおなかの中にいるといってまでことわったが、子楚にゆずることとなった。生まれた子供が政である。有名な秦の始皇帝そのひとなのです。呂不韋は、荘襄(そうじょう)王となった子楚から宰相に任じられるのであった。 「史記・呂不韋列伝」よりチャンスをすかさずモノにした呂不韋は、さすがに目の付け所がよかったということです。「奇貨居くべし」 = 珍しいものは買っておけ?勘違いしてはいけません。珍しいといっても、なんでもありということではありません。子楚には光るものがあったということ。切磋琢磨という言葉があります。磨けばどんなものでも光輝くことができるか?材料しだいでしょう。それを見抜くことが、本当はむつかしいのだ。
2010年12月17日
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