薔薇王韓流時代劇パラレル 二次創作小説:白い華、紅い月 10
F&B 腐向け転生パラレル二次創作小説:Rewrite The Stars 6
薄桜鬼 昼ドラオメガバースパラレル二次創作小説:羅刹の檻 10
黒執事 異民族ファンタジーパラレル二次創作小説:海の花嫁 1
黒執事 転生パラレル二次創作小説:あなたに出会わなければ 5
薄桜鬼異民族ファンタジー風パラレル二次創作小説:贄の花嫁 12
天上の愛 地上の恋 転生現代パラレル二次創作小説:祝福の華 10
火宵の月 BLOOD+パラレル二次創作小説:炎の月の子守唄 1
PEACEMAKER鐵 韓流時代劇風パラレル二次創作小説:蒼い華 14
火宵の月×呪術廻戦 クロスオーバーパラレル二次創作小説:踊 1
薄桜鬼 現代ハーレクインパラレル二次創作小説:甘い恋の魔法 7
火宵の月 韓流時代劇ファンタジーパラレル 二次創作小説:華夜 18
コナン×薄桜鬼クロスオーバー二次創作小説:土方さんと安室さん 6
火宵の月 戦国風転生ファンタジーパラレル二次創作小説:泥中に咲く 1
火宵の月 転生オメガバースパラレル 二次創作小説:その花の名は 10
薄桜鬼ハリポタパラレル二次創作小説:その愛は、魔法にも似て 5
薄桜鬼×刀剣乱舞 腐向けクロスオーバー二次創作小説:輪廻の砂時計 9
薄桜鬼 ハーレクイン風昼ドラパラレル 二次小説:紫の瞳の人魚姫 20
薄桜鬼腐向け西洋風ファンタジーパラレル二次創作小説:瓦礫の聖母 13
薄桜鬼×火宵の月 平安パラレルクロスオーバー二次創作小説:火喰鳥 7
薄桜鬼 薔薇王腐向け転生昼ドラパラレル二次創作小説:◆I beg you◆ 1
天上の愛地上の恋 転生オメガバースパラレル二次創作小説:囚われの愛 10
鬼滅の刃×火宵の月 クロスオーバーパラレル二次創作小説:麗しき華 1
黒執事 平安昼ドラオメガバースパラレル二次創作小説:蒼き月満ちて 1
名探偵コナン腐向け火宵の月パラレル二次創作小説:蒼き焔~運命の恋~ 1
黒執事×薔薇王中世パラレルクロスオーバー二次創作小説:薔薇と駒鳥 27
黒執事×ツイステ 現代パラレルクロスオーバー二次創作小説:戀セヨ人魚 2
ハリポタ×天上の愛地上の恋 クロスオーバー二次創作小説:光と闇の邂逅 2
天上の愛地上の恋 転生昼ドラパラレル二次創作小説:アイタイノエンド 6
F&B×天愛 異世界転生ファンタジーパラレル二次創作小説:綺羅星の如く 1
黒執事×火宵の月 クロスオーバーパラレル二次創作小説:悪魔と陰陽師 1
ツイステ×火宵の月クロスオーバーパラレル二次創作小説:闇の鏡と陰陽師 4
黒執事 BLOOD+パラレル二次創作小説:闇の子守唄~儚き愛の鎮魂歌~ 1
天愛×火宵の月 異民族クロスオーバーパラレル二次創作小説:蒼と翠の邂逅 1
天上の愛地上の恋 大河転生昼ドラ吸血鬼パラレル二次創作小説:愛別離苦 1
陰陽師×火宵の月クロスオーバーパラレル二次創作小説:君は僕に似ている 3
天愛×薄桜鬼×火宵の月 吸血鬼クロスオーバ―パラレル二次創作小説:金と黒 4
火宵の月 吸血鬼転生オメガバースパラレル二次創作小説:炎の中に咲く華 1
火宵の月×薄桜鬼クロスオーバーパラレル二次創作小説:想いを繋ぐ紅玉 54
バチ官腐向け時代物パラレル二次創作小説:運命の花嫁~Famme Fatale~ 6
火宵の月異世界転生昼ドラファンタジー二次創作小説:闇の巫女炎の神子 0
FLESH&BLOOD 異世界ファンタジーパラレル二次創作小説:炎の騎士 1
FLESH&BLOOD ハーレクイン風パラレル二次創作小説:翠の瞳に恋して 20
PEACEMAKER鐵 ファンタジーパラレル二次創作小説:勿忘草が咲く丘で 9
火宵の月 和風ファンタジーパラレル二次創作小説:紅の花嫁~妖狐異譚~ 3
天上の愛地上の恋 現代昼ドラ風パラレル二次創作小説:黒髪の天使~約束~ 3
火宵の月 異世界軍事風転生ファンタジーパラレル二次創作小説:奈落の花 2
天上の愛 地上の恋 転生昼ドラ寄宿学校パラレル二次創作小説:天使の箱庭 7
F&B 現代昼ドラハーレクインパラレル二次創作小説:恋はオートクチュールで! 1
天上の愛地上の恋 昼ドラ転生遊郭パラレル二次創作小説:蜜愛~ふたつの唇~ 1
天上の愛地上の恋 帝国昼ドラ転生パラレル二次創作小説:蒼穹の王 翠の天使 2
火宵の月 地獄先生ぬ~べ~パラレル二次創作小説:誰かの心臓になれたなら 2
黒執事 昼ドラ風転生ファンタジーパラレル二次創作小説:君の神様になりたい 4
天愛×火宵の月クロスオーバーパラレル二次創作小説:翼がなくてもーvestigeー 3
FLESH&BLOOD ハーレクイロマンスパラレル二次創作小説:愛の炎に抱かれて 10
薄桜鬼腐向け転生刑事パラレル二次創作小説 :警視庁の姫!!~螺旋の輪廻~ 15
FLESH&BLOOD 帝国ハーレクインロマンスパラレル二次創作小説:炎の紋章 3
バチ官×天上の愛地上の恋 クロスオーバーパラレル二次創作小説:二人の天使 3
PEACEMAKER鐵 オメガバースパラレル二次創作小説:愛しい人へ、ありがとう 8
天愛×腐滅の刃クロスオーバーパラレル二次創作小説:夢幻の果て~soranji~ 1
天上の愛地上の恋 現代転生ハーレクイン風パラレル二次創作小説:最高の片想い 6
FLESH&BLOOD ファンタジーパラレル二次創作小説:炎の花嫁と金髪の悪魔 6
薄桜鬼腐向け転生愛憎劇パラレル二次創作小説:鬼哭琴抄(きこくきんしょう) 10
薄桜鬼×天上の愛地上の恋 転生クロスオーバーパラレル二次創作小説:玉響の夢 6
天上の愛地上の恋 現代転生パラレル二次創作小説:愛唄〜君に伝えたいこと〜 1
FLESH&BLOODハーレクインパラレル二次創作小説:海賊探偵社へようこそ! 1
天愛×相棒×名探偵コナン× クロスオーバーパラレル二次創作小説:碧に融ける 1
魔道祖師×薄桜鬼クロスオーバーパラレル二次創作小説:想うは、あなたひとり 2
天上の愛地上の恋 BLOOD+パラレル二次創作小説:美しき日々〜ファタール〜 0
FLESH&BLOOD 現代転生パラレル二次創作小説:◇マリーゴールドに恋して◇ 2
YOIヴィク勇火宵の月パラレル二次創作小説:蒼き月は真紅の太陽の愛を乞う 1
YOI×天上の愛地上の恋クロスオーバーパラレル二次創作小説:氷上に咲く華たち 2
YOI×天上の愛地上の恋 クロスオーバーパラレル二次創作小説:皇帝の愛しき真珠 6
火宵の月×刀剣乱舞転生クロスオーバーパラレル二次創作小説:たゆたえども沈まず 2
薔薇王の葬列×天上の愛地上の恋クロスオーバーパラレル二次創作小説:黒衣の聖母 3
刀剣乱舞 腐向けエリザベート風パラレル二次創作小説:獅子の后~愛と死の輪舞~ 1
薄桜鬼×火宵の月 遊郭転生昼ドラクロスオーバーパラレル二次創作小説:不死鳥の花嫁 1
薄桜鬼×天上の愛地上の恋腐向け昼ドラクロスオーバー二次創作小説:元皇子の仕立屋 2
火宵の月 異世界ファンタジーパラレル二次創作小説:碧き竜と炎の姫君~愛の果て~ 1
F&B×火宵の月 クロスオーバーパラレル二次創作小説:海賊と陰陽師~嵐の果て~ 1
火宵の月×薄桜鬼 和風ファンタジークロスオーバーパラレル二次創作小説:百合と鳳凰 2
F&B×天愛 昼ドラハーレクインクロスオーバ―パラレル二次創作小説:金糸雀と獅子 2
F&B×天愛吸血鬼ハーレクインクロスオーバーパラレル二次創作小説:白銀の夜明け 2
天上の愛地上の恋現代昼ドラ人魚転生パラレル二次創作小説:何度生まれ変わっても… 2
相棒×名探偵コナン×火宵の月 クロスオーバーパラレル二次創作小説:名探偵と陰陽師 1
薄桜鬼×天官賜福×火宵の月 旅館昼ドラクロスオーバーパラレル二次創作小説:炎の宿 2
天愛 異世界ハーレクイン転生ファンタジーパラレル二次創作小説:炎の巫女 氷の皇子 1
F&B×薄桜鬼 転生クロスオーバーパラレル二次創作小説:北極星の絆~運命の螺旋~ 1
天上の愛地上の恋 昼ドラ風パラレル二次創作小説:愛の炎~愛し君へ・・愛の螺旋 1
天愛×火宵の月陰陽師クロスオーバパラレル二次創作小説:雪月花~また、あの場所で~ 0
全152件 (152件中 1-50件目)
作品の目次はコチラです。 2020年、東京。 新型コロナウィルス発生から一月経ったが、その勢いは衰えるどころか、ますますその猛威を世界中に拡大させていった。 「ただいま帰りました。」 「お帰り、どうだった?」 マスクとアルコール消毒液を手に入れる為、数軒のドラッグストアを回っていた四郎は、溜息を吐きながら自分を迎えた美津達に対して、静かにその首を横に振った。 「まぁ、そうなるよな。」 「一体いつになったらこの疫病は終息するのやら・・」 「コロリ(コレラ)の時はこんなに酷くなかったのにねぇ。」 「えぇ、本当ですよ。」 美津達がそんな事を話していると、玄関のチャイムが鳴った。 「誰かしら?」 「わたしが出ましょう、姫様。」 四郎はそう言うと、玄関から外へと出た。 「何者だ、名を名乗られよ。」 「ひぃ、失礼しました!」 最近、この界隈で“コロナに効く”というインチキ薬を売っていた男は、四郎の殺気に怯えて何処かへと消えてしまった。 「ふん、他愛のない奴め。」 「四郎~、インターフォン使えっていつも言っているだろう?」 「あのようなからくり、わたしは好かぬ。」 「あのなぁ・・」 エーリッヒは、現代の生活にいつまで経っても慣れぬ四郎の言葉を聞き、呆れるしかなかった。 彼は新し物好きなエーリッヒとは対照的に、炊事や洗濯といった家事を家電に頼らず、“昔ながら”の方法でしている。 「今時竈で飯を炊く奴が居るか?それにお前、一昨日俺宛に矢文を送ってきただろう!」 「あの面妖な物よりも矢文の方が確実に届く。」 (駄目だ、これ・・) 「まぁまぁ二人共、お茶でも飲んで落ち着きなさい。」 「姫様・・」 「四郎、後で夕飯の支度を手伝って。」 「はい。」 あれから―美津と焼け跡に建てたバラックの前で二人が再会した後、彼らは都内某所にあるシェアハウスで暮らしていた。 「今日はカレーライスか。四郎の作るカレーは絶品だよな。」 「手を洗えよ。」 「わかったよ。」 エーリッヒが浴室へと消えて行った後、美津は四郎に軽く咳払いした後、こう言った。 「四郎、今の時代には今の時代のやり方があるの。あなたにはそれに少し合わせて欲しいのよ。」 「はい・・」 「さてと、これからどうするのかは、夕食の後話し合いましょう。」 「コロナの所為で、暫く剣道教室は中止するそうです。」 「うちの書道教室もです。」 「まぁ、仕方の無い事だと思うけれど、辛いわよね。」 「えぇ・・」 「姫様、店の方は・・」 「売り上げは順調よ。ネットショップの方が需要が実店舗より上がるしね。」 美津は、つまみ細工の髪飾りなどをオンラインショップで販売し、徐々にその売り上げを伸ばしていった。 「まぁ、今はネット中心になって何かと便利になりましたしね。」 「ただ、人との繋がりが減るのが少し寂しくなってゆくような気が致します。」 「そうね。」 その日の夜、エーリッヒが何気なくスマートフォンで動画を観ていると、彼はある動画に釘付けとなった。 それは、通り魔を牛丼屋の幟で撃退している動画だった。 “何これすげぇ。” “体幹凄ぇ!” (四郎・・) その動画の再生数を見ると、一時間で二十五万回再生されていた。 (バズるって、こういう事か・・)
2021年10月24日
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1945(昭和20)年、8月。日本軍の真珠湾奇襲から勃発した太平洋戦争は、広島・長崎の原子爆弾投下によるポツダム宣言受諾により、敗戦した。だが空襲によって焼かれた東京・大阪などの大都市は焼け野原が広がり、もう米軍機の空爆に怯える日々がなくなったというものの、食糧や衣料品、医薬品などが不足し、先の見えない暗いトンネルの中を、四郎達をはじめとする国民は歩いていた。 四郎は闇市で得たミシンで仕立ての仕事を始め、何とか生計を立てていたが生活は苦しかった。「四郎、ただいま。」「お帰り。」粗末なバラック建ての扉が開き、エーリッヒが疲労を滲ませながら帰宅した。「今日も駄目だったか?」「ああ。みんな飢えてるからな。やっぱり早めに出ないと食い物はなかなか手に入らないよ。」「そうか・・」四郎はミシンを動かす手を止めると、溜息を吐いた。「ここんところ、商売上がったりだよ。闇市を警官が巡回しているからなぁ。」「まぁ、仕方ないだろうよ。さてと、今日もすいとんにするか。」「わかった。」四郎は台所とはいえない粗末な炊き場へと向かうと、僅かながらに手に入れたさつまいもをふかし始めた。その時、誰かが扉を叩く音が聞こえた。「どちら様ですか?」四郎が外から声をかけたが、返事は返ってこなかった。泥棒だろうかと訝しがりながら彼が扉を開けて外へと出ると、そこには美津が立っていた。白い頬は何故か黒く煤けており、腰下までの長さがあった黒髪は肩の辺りで切り揃えられていた。「姫様・・姫様なのですか?」四郎がそう美津に問いかけると、彼女は静かに頷いた。「わたしよ、四郎・・帰るのが遅くてごめんね。」「姫様!」堪らず四郎は、美津を抱き締めた。「ご無事でよかった、姫様。」「あなたもね。これでずっと一緒に暮らせるわ・・」「おい、どうしたんだ・・」外の異変に気づいたエーリッヒがそう言ってバラックから出てくると、美津の姿を見て絶句した。「ただいま、エーリッヒ。」「お帰りなさい、姫様・・」 何処までも澄んだ青空の下、四郎とエーリッヒは漸く美津との再会を果たした。―第3部・完―あとがき少しとびとびな展開になってしまいました。第4部は少し時間を置いて書きます。
2012年10月12日
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1869(明治二)年。 鳥羽・伏見からはじまり、甲州勝沼、会津、仙台と敗走を続けた旧幕府軍は、北へと敗走を重ねた末、蝦夷地へとたどり着き、そこで「蝦夷共和国」を樹立するも、新政府軍によって再び劣勢に立たされることとなった。 四郎とエーリッヒは土方とともに戦ったが、もはや蝦夷地が新政府軍によって包囲されるのは時間の問題だということに気づいていた。「このまま、負け戦を続けるつもりなのか、土方君!?」「じゃぁあんたは投降しろってのか、大鳥さん!」蝦夷共和国に於いて参謀として活躍していた土方は、陸軍奉行・大鳥圭介と毎日のように今後新政府軍に投降するか、徹底抗戦するかで揉めていた。「君はこれ以上、犠牲者を増やすつもりか?」「それがどうした、俺にとっちゃ、ここが最期の死に場所なんだ!」喉奥から振り絞るかのような声を出し、徹底抗戦を訴える土方の言葉を聞いた四郎は、全身を雷で打たれたかのような衝撃を受けた。 土方は、この地で潔く散ろうとしている。「本当か、それ?」「ああ、間違いない。副長は死のうとしている。今まで犠牲となった者達の為にも、最期まで戦おうとしているんだ。」「そうか・・俺達も、副長とともに戦おう。」「ああ。」(姫様、もう少し待っていてください、この戦いが終わったら迎えに行きますから。)首に提げた指輪をそっと握り締めながら、四郎は最後まで土方と戦う決意を固めた。 1869(明治二)年5月。 遂に新政府軍が函館を包囲し、四郎は弁天台場にて新政府軍を迎え撃っていたが、あっという間に孤立してしまった。孤立した彼ら新選組隊士らを助ける為、新選組元副長・土方歳三は弁天台場へと向かう途中、一本木関門にて被弾し、戦死した。皮肉にも彼の死後、榎本武揚は全面降伏し、これにより戊辰戦争は終結した。「終わったな・・」「ああ。」「土方さんは今、局長とどんなお話しをされているのかな?」「さぁな。それよりもわたしたちはこれからのことを考えねばなるまい。死に逝く者が遺した志を、いかに後世に伝えるか・・それが、この戦いを生き抜いたわたしたちに課せられた使命だ。」「そうだな・・」エーリッヒはそう言うと、美しく澄み切った空を仰ぎ見た。 その後四郎とエーリッヒは美津の消息を探しつつも、東京で商売を始めながら天下泰平の明治の世を生きた。だが、彼女の消息はようと知れず、四郎は焦燥を募らせていった。 しかし美津は、彼らのすぐ近くに居た。
2012年10月12日
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戦況はますます旧幕府軍が劣勢になるばかりだった。 鳥羽・伏見の戦いで敗れた新選組は、旧幕府軍とともに敗走に敗走を重ねていった。それとともに、新選組隊士達の肉体的・精神的疲弊が徐々にましていき、些細なことで諍いがたえなかった。「何だと、やるのか!?」「ああ、やってやるよ!」(まただ・・) 甲州勝沼の陣地で四郎とエーリッヒが休憩している時、隊士達が食事の配分を巡って喧嘩をしていた。「やめないか、お前達!」「小さなことで争ったってしょうがないだろうが!」殴り合いに発展する前に、隊士達を四郎とエーリッヒは彼らの間に割って入った。「うるさい、離せ!」「いい加減にしろ!」四郎はそう言うと、隊士の一人の横っ面を張った。「味方同士で諍いを起こしてどうする?敵に隙を作らせそこを付け込まれ、ますます劣勢に立たされるだけだ!それがわからぬのならここから出て行け!」「黙れ、百姓風情が!」四郎の中で、何かが切れる音がした。気づけば彼は、隊士のことを殴りつけていた。「てめぇら、何してやがる!」「副長・・」「後で俺の所に来い。」「はい、副長。」 数分後、土方の元へと向かった四郎は、俯いたまま何も言わなかった。「事情はエーリッヒから聞いた。この事は不問に付す。元々は隊士の諍いを収めようとしたお前を侮辱した隊士が悪い。この事は水に流せ。」「ありがとうございます、副長。」「だが二度目はねぇ、覚えておくんだな。」四郎が漸く顔を上げると、土方が猛禽(もうきん)を思わせるかのような鋭い目で自分を睨みつけていた。「そのお言葉、肝に銘じます。」四郎がそう言って土方の元から去ろうとすると、彼は四郎の手を掴んだ。「生まれのことを罵られても、気にすんな。俺だって散々貧乏百姓だと罵られてきたが、いまや幕臣だ。生まれで人生が決まる時代は、もう終わってんだよ。」土方の言葉に、四郎は全身が震えそうなほどの感銘を受けた。そして彼にどこまでもついていきたいと四郎は思った。「てめぇは骨のある奴だ。」「ありがとうございます。」「周囲の雑音なんか無視しろ。」 土方の元を去った四郎は、心配そうに木陰からこちらを見つめているエーリッヒの姿に気づいた。「どうだった?」「今回のことは不問に付すとさ。なぁエーリッヒ、わたしは副長に何処までもついていこうと思う。お前は?」「聞くまでもないだろう?」 四郎がエーリッヒを見ると、彼は笑っていた。
2012年10月12日
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坂本龍馬が暗殺されたその一年後、戦火は鳥羽・伏見でついた。 伏見奉行所で待機していた新選組は新政府軍を迎え撃ったものの、フランス軍の協力を得て新型兵器を投入した新政府軍に旧幕府軍はたちまち劣勢に陥った。「このままだと、新政府軍の勢いに押されて幕府とともに共倒れになるな。」「ああ。」四郎は何度も戦を経験していたが、この戦いは今までのものとは違った。刀や槍が、銃器に取って代わったのだ。「副長は今どうなさっている?」「さぁ、淀藩の方と会合をなさってるとか。近藤局長さえ、この場に居られたらいいのだが・・」 新選組局長・近藤勇は大阪城へと出仕した帰路の途中、今は亡き新選組元参謀・伊東甲子太郎率いる「高台寺党」の残党により狙撃され、右肩を負傷し労咳を患っていた沖田総司とともに大阪へと護送された。その為、不在となった近藤の代わりに土方が新選組を実質上率いていた。彼は近藤が居なくなってからというもの、昼夜を問わず働いていた。「副長は一体、いつ休まれているんでしょうね?」「さぁ。あの方にとって、新選組は己の人生の結晶だろうよ。」「結晶?」「ああ。わたしが新選組に入隊して間もない頃、一度土方さんと酒を飲んだことがあってな。まぁ、副長は下戸だから、飲んでいたのはわたしだけだったが。」四郎は目を閉じながら、当時のことを思い出した。 まだ新選組に入隊して間もない頃、四郎は土方から飲みに誘われて島原へと赴いた。土方は自分が農家の出身であることや、同じく農家出身である親友・近藤と夢を追い上洛したことを四郎に話した。「おめぇも元は農家の生まれなんだろう?」「なぜ、おわかりに?」「まぁ、勘だがな。おめぇはこれからどうするつもりだ?」「さぁ、わかりません。あちこちさまよった末、ここに流れ着いたものですゆえ。」「そうか。まぁ焦るこたぁねぇよ。己の道なんざ自分で見つけるしか他ねぇんだ。」土方はそう言ってふっと笑うと、四郎を励ますかのように彼の肩を叩いた。「へぇ、そんなことがあったのか。」「まあな。周りからは鬼副長と呼ばれてるが、実際あの方は優しい方なのかもしれん。」「そうだろうな。」二人が話していると、土方の姿が廊下に現れた。「てめぇら、油売る暇があるんなら働きやがれ!」「申し訳ございません、副長!」四郎とエーリッヒは慌てて廊下から去っていった。 その直後、銃声が外に響いた。「何だ!?」「てめぇら、出陣だ!」「はい!」四郎達が出陣すると、既に新政府軍の攻撃は始まっていた。「行くぞ!」「おうっ!」 銃弾が雨のように降り注ぐ中、四郎は愛用の槍を握り締めながら駆けていった。
2012年10月12日
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それからというもの、エーリッヒは忙しいときにも関わらず、四郎の看病を毎日していた。「済まないな、お前の手を煩わせて。」「謝るな、馬鹿。お前に感謝されることはあるが、謝られることは何ひとつしていないつもりだ。」エーリッヒはそう言ってレンゲで粥を一口分取ると、それを四郎の口元に運んだ。「熱いから、俺が冷ましてやろうか?」「そんなこと、俺でも出来る。」四郎は少しムッとした表情を浮かべると、エーリッヒの手からレンゲを奪い、粥に少し息を吹きかけてそれを食べた。「どうだ?」「中々いい。初めてにしては上出来だな。」「まぁな。昔凛のところで働いていたときは、散々こき使われたからな。」「そうか。」二人きりになると、いつの間にか過ぎ去った頃のことを思い出してしまう。「何でだろうな、鬼になってから、最近昔のことばかり思い出すんだ。もう過ぎ去って戻ることのない時間に、再び戻りたいと思うような気がしてならない。」「わたしもだ。戦が起こる前は平和だったからな。それに・・わたしの家族はまだ生きていた。」四郎の言葉を聞いた途端、エーリッヒは黙り込んでしまった。彼の家族は、凛によって虐殺された。凛への憎しみと家族の仇を討つ為だけに、気が遠くなるような長い年月を四郎は美津とともに過ごしてきたのだ。「なぁ四郎、ひとつ聞いてもいいか?」「なんだ?」「初めて・・俺と会ったとき、俺のことをどう思った?」「なんだ、そんなことか。」四郎はくすくすと笑いながら、エーリッヒと初めて会ったときのことを思い出した。敵方についていた彼は堂々と美津の居る城へと入り、勝負を挑んできた。そして彼は美津の側につき、四郎とともに彼女の従者となった。突然恋敵が現れ、四郎はその時心が乱れたが、エーリッヒの美津に対する想いは単なる友愛だと気づいたとき、いつの間にか彼に対する嫉妬は四郎の心から消え去っていた。「はじめは憎たらしくいけすかない奴だと思っていたが、そうではないと気づいたときは島原に居たときかな。」「そうか。あまりお前が姫様とばかり話しているから、てっきり嫌われているのかと思ったよ。」「そうか・・」四郎は布団から出て立ち上がると、文机の上に置いてあった守り袋を手に取った。「なぁ、これを覚えているか?」そう言って彼は、守り袋の中からトパーズの指輪を取り出した。「懐かしいな・・」それを見たエーリッヒのコバルトブルーの瞳が、懐かしそうに細められた。その指輪は昔、美津と3人で友情の印として彼女にもらったものだった。「お前はまだ持っているのか?」「もちろんさ。大事な友情の証だからな。なくさないよう、こうして身につけているよ。」エーリッヒは首から提げている鎖ごと指輪を四郎に見せた。「お前のように身に着けたほうが失くさずに済むかもしれんな。こんな無防備に高価な物を置いていると誰か盗みに入るかもしれないし。」「そうしろ。鎖は俺が用意するから。」「ありがとう。」「何だか照れ臭いな。」エーリッヒはハシバミ色の髪をボリボリと掻きながら、照れ臭そうに笑った。「姫様は、今何処にいらっしゃるのだろう?」「さぁな。だがあの姫様だ、簡単にくたばるようなお方ではない。」「そうだな・・」2人が美津のことに想いを馳せていると、廊下で誰かが走ってくるような音がした。「何だ?」「さぁ・・」「四郎、エーリッヒ、ここに居たのか!」襖が勢いよく開かれたと思うと、十番隊組長・原田左之助が部屋に入ってきた。「原田先生、どうされました?」「さっき土方さんから聞いたんだが・・坂本龍馬が暗殺された!」「何ですって!?」左之助の話を聞いた二人の顔が強張った。1867(慶応三)年11月15日、薩長同盟を成立させた維新の立役者・坂本龍馬は近江屋にて何者かに暗殺され、31歳の若さで没した。彼の死をきっかけに、日本中は動乱と混沌、そして戦の渦へと容赦なく巻き込まれていくのだった。
2012年10月12日
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美津が四郎達の前で鬼神に拉致されてから、3年の歳月が流れた。 その間、幕府の情勢は徐々に悪化の一途を辿り、敵同士であった長州と薩摩が同盟を結び、武力行使による倒幕への動きを一層高めていった。そんな時代の渦に、幕府の為に働く会津藩や新選組も少しずつ巻き込まれていった。 初めて四郎が迎える京の厳しい冬は、故郷のそれとは比べ物にならぬほど、骨まで凍えるかのような寒さだった。その中で上半裸となり毎日鍛錬を欠かさずしていた所為なのか、彼は風邪をひいてしまった。「大丈夫か?」「すまぬ・・鬼が風邪をひくなど、聞いたことがないな。」「ああ、まさしく“鬼の霍乱(かくらん)”ってやつだな。」エーリッヒはそう言いながら、すっかり溶けてしまった氷嚢(ひょうのう)を四郎の額の上から退け、新しいものに変えてやった。「情けないな、こんなときに病に臥せるなど・・」「そう言うな。今はゆっくり身体を休めればいい。」「わかった。」「じゃぁまた用があれば呼べ。」 エーリッヒが部屋から出て行った後、四郎は大きな溜息を吐いた。美津とともに居た頃は、風邪など一度もひいたことがなかった。それ以前に、人ならざるものとなってから一度も病に臥せったことがなかった。そんな自分が風邪をひいたのは、無理をしたからではない。美津が居ないことで、四郎の精神的な支えが少しずつ崩れていったのだ。彼にとって、美津はこの世の誰よりも愛おしい存在であった。だが彼女が自分の前から消え、その行方もわからぬままであることが、知らぬ間に四郎の精神を消耗させていった。(案外弱いな・・) まだ人として生きていた頃、大きな怪我や病気ひとつしなかったのに、美津が居なくなったというだけで風邪をひくなんて、いつの間に自分はこんなに弱くなってしまったのだろう。自嘲めいた笑みを口元に浮かべた時、不意に喉奥から何かがこみ上げてくるのを感じた四郎は、激しく咳き込んだ。どうやら、痰が喉に詰まっていたらしく、懐紙で口元を覆って痰を吐き出すと急に呼吸が楽になった。四郎は寝ようと思いながら身体を反転させた時、握っていた懐紙が畳の上に落ちた。そして彼は、自分が吐き出したものが痰ではないことを知った。 懐紙は、鮮紅に染まっていた。自分が患っている病は、風邪ではない。かつて新選組の双璧(そうへき)と呼ばれ、最強の剣士と謳われた新選組一番隊組長・沖田総司の身体を今蝕んでいる病魔と同じものに、四郎は冒されていた。(そんな・・そんな筈は・・)四郎が畳の上に落ちた懐紙を握りつぶそうとしたとき、また激しい咳の発作が出た。「四郎、大丈夫か?」「ああ、大丈夫だ。済まないが、薬湯をくれないか?」「ああ、わかった・・」 再び部屋に入ってきたエーリッヒにそう言った四郎は、彼が恐怖と驚愕で綯い交ぜとなった顔を見た。「お前、口から血が・・」「ああ、風邪だと思ったら違っていたらしい。鬼でも労咳になるとは、思いもしなかった。」「畜生、どうしてお前がこんな病に!」エーリッヒは突然そう叫ぶと、畳に拳を打ちつけた。四郎の体調に気づかなかった自分を責めるかのように。「誰の所為でもない。この病は発症するまで時間がかかる。」「だが・・」「わたしは姫様を取り戻すまで、死ねない。だからエーリッヒ、このことはみんなには黙っていてくれないか?」「ああ、わかった。武士に二言はない。」「ありがとう、感謝するよ。」「じゃぁ、少し休んでいろ。俺は薬湯を持ってくる。」エーリッヒは暫く顔を伏せていたが、さっと立ち上がると部屋から出て行った。彼は恐らく、泣いていたのだろうなと思いながら、四郎は眠った。
2012年10月12日
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鬼神の言葉を受けた美津は一瞬きょとんとしたが、すぐさま怒りで顔を赤くさせた。「何それ、どういう意味よ!」「そなたがはなからわしに心を開くなど、考えてもおらぬわ。」「じゃぁ、どういうつもりでここにわたしを閉じ込めるの?」「それは、この国の未来を占ってほしいと思うておるからじゃ。」「はぁ?」鬼神の言葉を受け、美津は思わず言葉が裏返ってしまった。「一体何を言っているの、あなた?わたしは占い師でもなんでもないわ!そんなわたしに、一体どうやってこの国の未来を占えと?」「そなたはまだ己の力を自覚しておらぬな。」鬼神は美津を馬鹿にしたような笑みを浮かべると、すっと彼女に一歩近づき、耳元でこう彼女に囁いた。「後で逃げる算段をつけておるゆえ、適当にごまかせ。」「えっ」美津が思わず鬼神の顔を見つめると、彼はふっと口端をあげて笑った。「皆様、こちらが未来を予言できる少女・ミツです。」突然鬼神に背中を押され、美津は見知らぬ外国人客たちの前に立った。「は、はじめまして・・ミツです。」「まぁ、可愛らしいこと。あなたが未来を占ってくれるのね?」大きな身体を揺らしながら、ロシア大使夫人がそう言って美津の肩を叩いた。「ええ・・」一体どうすればこの場を切り抜けられるのか、美津は考えていた。(適当にごかませと彼は言ったわ。でも、その方法が・・)「美津様、こちらへ。」大使夫人らとの挨拶を終えた美津が所在なさげにウロウロとしていると、自分の部屋に入ってきたメイドが彼女に手招きした。「何かしら?」「これを。」メイドがそう美津に差し出したのは、革張りの表紙がしてある一冊の本だった。「ここには諸外国の情勢が書かれております。それを参考にして、彼らに適当な予言をなさってください。」「そんなことをして、大丈夫かしら?」「旦那様は一時のわがままであなたをここに拉致したことを後悔していらっしゃるのです。どうか旦那様のお気持ちを無下になされませんよう。」「わ、わかったわ・・」「ではわたくしはこれで・・」メイドはそう言うと、すっと大広間から出て行った。 その後美津は渡された本を頼りに諸外国の要人達へ予言をした後、自分の部屋へと戻った。「美津様、おられますか?」「ええ、居るわ。」「失礼いたします。」ドアが開き、メイドが何かを抱えながら部屋に入ってきた。「これにお着替えなさいませ。」美津はベッドに置かれた男物の服を見て、鬼神が彼女をここから逃がしてくれるのだとわかった。「さぁ、お早く!」「わかったわ、着替えを手伝ってくれる?」「かしこまりました。」 数分後、着替えを終えた美津は髪を後ろで一括りに結び、馬に跨ると邸の裏口から外へと飛び出していった。(待っててね、四郎!必ずあなたの元へ戻るから!)
2012年10月11日
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「彼女に一体何をしたんだい?」 突然鬼神の腕の中で崩れ落ちる美津を見た異人の客がそう言うと、彼は美津の身体を抱き上げた。「ちょっと鎮静剤を打っただけだ。」「危険じゃないのか?」「ああ。」鬼神はそう言うと、美津を抱き上げたまま庭園から去っていった。「旦那様・・」「暫く美津の部屋には誰も入るでないぞ。」「かしこまりました。」メイドが慌てて大広間へと戻るのを確認した鬼神は、美津をベッドに寝かせた。「いつになったら、そなたはわしに心を開いてくれるのであろうな、美津よ?」鬼神はそう呟くと、美津の頬をキスした。「ん・・」美津が目を覚めると、そこはいつもの部屋だった。「美津様、お目覚めになられましたか?」「わたしは何時間寝ていたの?」「そうですね・・かれこれ12時間でしょうか?旦那様が鎮静剤を打たれたので・・」「あいつを今すぐ呼んで!」「ですが、旦那様は大広間におりまして・・」「そう、ならばわたしが行くまでだわ。」美津はそう言うとベッドから立ち上がり、寝室から出て行った。 一方、大広間で鬼神は客達とともに談笑していた。「これから日本はどうなりますかな?」「さぁ、それはわかりかねます。」「まぁ、我が国の内戦も終わりましたし、その武器が日本国内に流通することは間違いありませんな。」米国のある大使がそう言って笑うと、彼の傍に立っていた英国大使が相槌を打ちながらこう答えた。「いやはや、我が国もアロー戦争で上海を占領し、清国の次は日本と考えておりますよ。まぁ、インドや清国と違って複雑な航路があるので貿易をするには多少困難でしょうが。」「それはそうですな・・」鬼神が彼らの話に相槌を打ちながらシャンパンを飲んでいると、廊下から騒がしい声が聞こえた。「いけません、旦那様は今・・」「うるさいわね、そこを退いて!」美津の鋭い声が聞こえたかと思うと、彼女が大広間に突如現れた。「おやおや、眠っていたのでは・・」「わたしをいつまでここに置いておくつもり!?」美津はそう叫ぶなり、鬼神の横っ面を張った。―まぁ、何と野蛮な・・―あれでもレディなのかしら?周囲の客が美津の行動に目を丸くしていると、鬼神は打たれた頬をさすりながら美津を見た。「そなたがわしに心を開いてくれるまでだ。」「そんな日は来ないわ、永遠に!」 鬼神は美津の言葉を聞くなり、高い声で笑い始めた。「一体何が可笑しいの?」「いや・・そなたらしいと思ってな。」
2012年10月11日
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メイド達の手によって結い上げられた髪を鏡で見ながら、美津はいつ着替えが終わるのだろうかとイライラしていた。「さぁ、あちらの衝立のほうへ・・」「わかったわよ。いちいち指図しないで。」彼女達は仕事をしているだけなのに、つい美津は声を荒げてしまう。 彼女が衝立の中に入ると、そこには身体を支えるための外套掛けがあった。「あちらに掴まってください。」「わかったわ。」美津が外套掛けに掴まると、メイド達は美津の夜着を脱がし、下着の腰紐をきつく締め付け始めた。「何するの!?」「しばらく辛抱してくださいませ。」「痛いわよ!」一体彼女達は自分に何をしているのだろうか。集団で自分をいたぶって、暗い喜びに浸っているのか。美津がちらりとメイド達を見ると、彼女たちの顔には笑みは浮かんでいなかった。寧ろ、事務的な態度を美津に取って仕事をこなしている。「終わりました。」やがてメイド達の手が腰紐から離れた。全身を映す鏡を見ると、ウェスト部分がすこしくびれたように見えた。だが、胸と腹部を締め付けられて呼吸ができないほど苦しかった。「ねぇ、胸が苦しいんだけど、もうちょっと紐を緩めてくれない?」「申し訳ありませんが、それはできません。」「わたしの言うことがきけないの?」「はい・・」メイド達に少し腰紐を緩めて貰うと、呼吸が楽になった。「では、このドレスをお召しになってくださいませ。」「ええ・・」「まだなのか、彼女は?」「ご婦人のお支度はわれわれよりも時間がかかるものです。」 美津がメイド達によってイヴニングドレスへと着替えさせられている時、薔薇が咲き誇る英国式庭園で、鬼神が退屈そうに銀髪を弄りながら金髪碧眼の英国紳士を見た。「レディ・ミツはどちらに?」「あやつなら変身中だ。もうしばらくしたら出てくるだろう。」「そうですか。彼女とはどちらで?」「まぁ、昔からの誼と言っておこう。」鬼神はそう言うと、紅茶を一口飲んだ。 すると、慣れないドレスの裾を摘みながら、美津が彼らの前に現れた。「一体どういうつもり、わたしにこんな格好をさせて何を企んでいるの?」美津がそう言って鬼神を睨みつけると、彼は美津の美しい変身振りに感心していた。「まさに馬子に衣装とはよう言うたものよ。西洋の衣装を纏ったお前の艶姿もよう似合う。」「ふざけた事言っていないで、わたしを四郎の元に返しなさいよ!」「それはできぬ。」 鬼神はそう言うと、スーツの内ポケットから注射器を取り出すと美津を羽交い絞めにし、その鋭い針を美津の腕に刺した。「やめて・・」あっという間に意識が徐々に朦朧(もうろう)としてきて、美津は鬼神の腕の中でぐったりとした。
2012年10月11日
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「申し訳ありませんが、あなたを外へお通しする訳には参りません。」「そう。なら力ずくで出て行くしかないわね。」美津はそう言うと、メイドを突き飛ばした。彼女が小さな悲鳴を上げたのを聞くと、美津は寝室から出て行った。 いつの間にか連れ去られてたので、この邸がどんな構造なのかわからず、美津は出口を求めて長い廊下を彷徨っていた。(どこ?出口はどこなの?わたしは早く四郎の元に帰らないといけないのに・・) 焦れば焦るほど、美津は邸の奥へと迷い込んでいってしまった。まるでこの邸は迷路のようだ―美津がそう思いながらドアを開けると、そこには別世界が広がっていた。 華やかなドレスに着飾った貴婦人たちが、笑いさざめきながらジロジロと自分を見ていた。それは燕尾服に身を包んでいる男たちも同じだった。まるで珍獣のような目で、美津を見ていた。(何なの、この人たち?どうしてわたしを見ているの?)「美津様、見つけましたよ。」背後から腕を掴まれ、美津が振り向くと、そこにはあのメイドが立っていた。「何するの、放して!」「さぁ、お部屋にお戻りください。」「いやよ、わたしはここから出るの!出て四郎に会うの!」メイドの腕を振り切ろうとした美津だったが、儚げなみかけによらず、彼女の力は強かった。「放してって言ってるでしょう!」「お静かになされませ、美津様。お客様に聞こえてしまいます。」「お客様って、さっきの部屋に居た人たち?」「そうですよ。さぁ美津様、お召し替えを。」 その後はメイドに言われるがままに美津が入った部屋は、化粧室だった。「そちらへお座りくださいませ。」「わかったわよ。」彼女のいうとおりにしたほうがいいと思った美津は、そう言って化粧台の前に腰を下ろした。 メイドが手を鳴らすと、部屋に数人のメイド達が入ってきた。「彼女達があなた様のお世話をいたします。」「一体わたしに何をするの?」「あなた様をお客様の前に立派なお姿にさせる為です。少し辛抱してくださいませ。」「そう、できるだけ早く済ませてね。」「わかりました。」ちらりと彼女が他のメイドたちに目配せすると、彼女達は早速動いた。「髪を梳かせていただきます。」「痛いわね、もっと優しくやってよ!」「す、すいません・・」慣れない環境で突然見知らぬ者に髪を触られ、美津はついメイドに声を荒げてしまった。「いいわよ。さっさと済ませて頂戴、急いでいるんだから。」 メイド達に髪を結い上げている間、美津は仏頂面を浮かべていた。
2012年10月11日
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「ここは・・どこ?」「横浜だ。そなたはここで、わしと暮らすのだ。」「何ですって、冗談でしょう!?」「冗談ではない。」鬼神はそう言うと美津をベッドの上に押し倒した。「やめて、何するの!」「男と女がすることといえば、ひとつだけだ。」鬼神は美津の身体を覆っていたシーツを乱暴に剥ぎ取ると、彼女の白い肌に舌を這わせた。 生ぬるい感触が気持ち悪くて、美津は吐いてしまいそうだった。「いやぁ・・」「いやだと思うのははじめのうちよ。段々慣れてくればよくなる。」美津の言葉を聞いた鬼神はせせら笑いながら、美津の下半身へと手を伸ばした。「いやぁ~!」(四郎、助けて!) 美津は涙を流しながら目を閉じると、何故か四郎の顔ばかりが浮かんできた。彼とだったら、こんな行為をされることも許せるし、嫌ではなかった。だが今自分に跨って腰を振っているのは四郎ではない。この耐え難い責め苦を与えるのは、彼ではない。「ふふ、良い締りじゃ。」鬼神はそう言って舌なめずりした。まるで、美津の苦痛にゆがんだ顔を楽しむかのように。「あなた・・どうしてわたしに執着するの?父上が、わたしの命を救う代わりに、わたしを嫁に差し出すと約束したから?」「それもあるが、もっと違う理由でわしはそなたに執着しておるのじゃ。」「別の・・理由?」「まぁそれは後で話そう。」鬼神はそう言うと、美津の髪をそっと優しく梳いた。「やめて、触らないで!」邪険に鬼神の手を振り払うと、彼は低い声で笑った。「相変わらず可愛げのない。まぁ、そういうところがわしをひきつけるのだ。」「やめて・・」わたしに触れないで。そう言った美津の言葉は、闇へと消えていった。悪夢のような夜はすぐに終わったが、美津は長い時間だと思っていた。「また来るぞ。」「二度と来ないで、あなたの顔も見たくない!」美津はそう言うと、枕で鬼神の顔を叩いた。彼はそんな美津の態度に笑顔を浮かべると、寝室から出て行った。「四郎・・」 漸く一人になれた美津は、枕を抱き締めて従者の名を呼んだ。「四郎、会いたいわ・・」どうして自分はこんなところに居るのだろう。早く、四郎のところに戻らなければ―美津は床に散らばった夜着を拾ってそれを羽織り、寝室から出て行こうとした。だがその時、寝室に一人のメイドが入ってきた。「美津様、どちらへ?」「それはあなたには関係のないことでしょう。そこを退いて。」美津はそう言ってメイドを睨み付けたが、彼女は美津に道を開けなかった。
2012年10月11日
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四郎が渾身の力を込めて投げた刃は、鬼神の肌を傷つけるどころか、地面に突き刺さっただけだった。「愚かなことよ。そなたにわしは傷つけられん。」勝ち誇った笑みを浮かべながら、鬼神はわざと四郎に見せ付けるかのように美津を抱きしめ、彼女の唇を塞いだ。「やめろ!」嫉妬と憎悪で、心が焼け焦げそうだった。「どんな思いだ?愛しい女が、他の男に懸想している姿を見て?」「殺してやる・・」「それは出来ぬだろう。」余裕綽々とした鬼神の態度に、四郎の怒りが沸騰しそうだった。「覚えておけ、お前から必ず姫様を取り戻す!」「ほう、面白い。その日を楽しみにしておるわ。」鬼神はそっと美津の艶やかな黒髪に口付けると、彼女と共に四郎達の前から立ち去っていった。「四郎。」じっと鬼神達が消えたほうを睨みつけていた四郎の肩をエーリッヒが叩くと、彼はまだ恐ろしい形相を浮かべていた。「こんなこと、いうべきではないが・・」「お前に何を言われようとも、姫様はこの手で取り戻す。どんな手を使ってでもだ!」そう言った彼の全身から、禍々しい気が漂ってくるのをエーリッヒは感じた。(四郎は本気だ。) いつも冷静沈着な四郎が、美津のことになると理性を失い見境ない行動へと突っ走る姿を、エーリッヒはいつも見てきた。鬼神の挑発に乗り、彼は今感情的になってしまっている。「落ち着け、四郎。」「これが落ち着いてなどいられるか!」四郎はそう叫ぶと、エーリッヒの胸倉を掴んだ。「お前は悔しくないのか、エーリッヒ?あんな形で姫様をあやつに奪われて!」「俺だって悔しいさ!だが今は感情的になったら駄目だろ。お願いだから今は退却してくれ!」「エーリッヒ・・」エーリッヒの言葉を受け、怒りで熱くなっていた四郎の心が、徐々に冷静さを取り戻していった。今、怒りに任せて鬼神の後を追ってしまったら、取り返しのつかないことになる。何事も冷静さを失ってはいけない。その初心を忘れてしまっていた。「さぁ、帰ろう。」「わかった・・」 肩を落として屯所へと戻った四郎は、朝日が徐々に京の街を照らしてゆくのを眺めながら、美津と過ごした平和な頃を思い出した。(姫様、必ずあなたをお救いたします。) 必ずこの手で美津を取り戻してみせると、四郎は誓った。「ん・・」「気がついたか?」 美津が目を覚ますと、彼女の傍には鬼神が立っていた。
2012年10月11日
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「ついに来たわ、復讐の機会が・・」 りえはそう言って頭巾を取り去ると、美津達の居る壬生へと向かった。一方美津達は屍たちを次々と蹴散らしていった。「この調子なら、日没までに片がつきそうですね!」「そうね!」美津が額の汗を拭ったとき、彼女は突然激しい胸の痛みを感じて地面に蹲った。「どうなさいました、姫様?」「わたしから・・離れて!」「姫様?」四郎が心配そうに美津の顔を覗き込むと、彼女の顔は苦しげに歪んでいた。「どうした、一体何が・・」異変に気づいたエーリッヒが美津に駆け寄ろうとしたとき、美津が突然獣のような唸り声を上げた。「姫・・様?」呆然とする四郎とエーリッヒを前に、愛らしかった美津の顔がまるで般若のような恐ろしい形相となり、獣のように牙を剥き出しにして唸った。 突然の美津の異変になすすべもなく、四郎とエーリッヒは彼女から少しずつ後退していった。(姫様に一体何が起きた?あの顔は・・)「漸く目覚めたか、鬼姫よ。」 漆黒の闇の中で玲瓏とした声が響いたかと思うと、ひらりと鬼神が四郎達の前に現れた。「貴様、何しに来た?」「わしはわが花嫁を迎えに来たまでのこと。」鬼神はそう言うと、愛おしそうに美津を見つめた。すると美津も、柔らかな笑みを四郎に向けたのである。目の前で繰り広げられている光景に信じられず、四郎は思わず槍を落としそうになった。「しっかりしろ、四郎!気を抜くな!」エーリッヒに檄を飛ばされ、四郎は我に返って辺りを見渡すと、路地の向こうから屍たちの群れがやってくるのが見えた。「さぁ死人たちよ、新鮮な肉を食らうがいい。」鬼神が屍たちに向かってそう命令すると、彼らはたちまち四郎達の元へと押し寄せてきた。「くそ、このままではやられる!一旦退却するぞ!」「だが、姫様が・・」四郎がそう言って美津の方を見ると、彼女はうっとりとした表情を浮かべて鬼神を見つめていた。その顔には、いつもの愛らしさが戻っている。(姫様・・何故・・)憎んでいた筈の男に笑顔を向ける美津の姿を見て、四郎は激しく動揺してしまい、敵に隙を作ってしまった。「四郎!」エーリッヒの鋭い声で我に返った四郎だったが、彼の脇腹は屍の刃が深々と突き刺さっていた。「おのれ・・」四郎は脇腹に刺さっている刃を抜くと、それを鬼神に向かって投げつけた。
2012年10月10日
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「一体何が起こったの?」「行ってみましょう!」 二人が屯所から飛び出した美津と四郎がそこで目にしたのは、薬によって生ける屍と化した町民達の群れだった。「何、これ・・」「あの薬の所為で、こんなことに・・」「そうよぉ~」神経を逆なでするかのような声が頭上から聞こえ、二人が周囲を見渡すと、屋根瓦の上に振袖姿の凛がちょこんと座っていた。「どう?わたしがこの薬でみんなをあんな姿にしたのよ。素敵でしょう?」「凛、やっぱりあなたが・・」「ほら、怒った。その顔が見たかったのよ、鬼姫様。」怒りに顔を歪ませる美津を見下ろしながら、凛はくすくすと笑った。「ギャァァ~!」 遠くから断末魔の叫び声が聞こえ、美津があたりを見渡すと、そこには生ける屍に襲われている町民が逃げ惑っていた。「この化け物!」美津は長刀を振るい屍の首を落としたが、すぐにその首は繋がってしまう。「ああ、彼らは日光を浴びたら死ぬのよ。それ以外だったら首を切り落としても無駄よ。じゃぁ、楽しいひとときを。」「待て!」四郎が凛の後を追おうとしたが、屍たちが彼の行く手を阻んだ。「くそ、一体どうすれば・・」「四郎・・」徐々に自分たちとの距離を詰めてくる屍たちの目は、皆うつろだった。「朝までまだ時間があるわ!」「それまでに、被害を最小限に食い止めましょう!」「そうね!」 四郎と美津はそれぞれ屍たちと対峙し、彼らの首や胴を切断したが、その数は減るどころか増えるばかりだった。「どうすればいいの?これじゃぁ、キリがないわ!」「そうですね・・」四郎が何とかこの状況を打開しようかと考えたとき、視線の隅に何か光るものを見つけた。(あれは、一体・・)四郎が訝しげにその“光るもの”を見つめていると、突然空気を切り裂くかのような銃声が聞こえた。「今度は一体何が起こったの!?」「姫様、ご無事ですか?」エーリッヒがそう言って拳銃を構えながら、次々と屍たちを撃っていく。彼らの額に銃弾が炸裂し、まるで糸が切れた操り人形のように次々と地面に崩れ落ちていった。「エーリッヒ、一体それは何?」「銀の銃弾です。魔物には銀の銃弾が効くんです。」「そう。やっぱりあの薬、凛の仕業だったわ!」「まさかと思っていましたが、やはりね・・彼女が一体何を企んでいるのかわかりませんが、この者たちを始末しましょう!」「そうね!」 夜の京に、屍たちの不気味な呻き声がこだました。「くくく、始まったわ・・」 鴨川沿いで頭巾を被りながら、りえはそう呟くと笑った。まるで、この騒動を楽しんでいるかのように。
2012年10月10日
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「何だ、お前達は?」四郎がそう言って美津を守るかのように彼女を後ろに下がらせると、槍を抜いた。「その液体を渡して貰おうか?」「それはできんな。」「そうか、ならば死ね!」男達は一斉に四郎と美津に襲い掛かったが、彼らは背中合わせに次々と敵を倒していった。「姫様、ご無事ですか!?」「エーリッヒ、いいところに来たわ!これを副長に届けて!」美津はそう言って懐から謎の液体を取り出すと、エーリッヒへと投げた。エーリッヒは液体を受け止めると、屯所へと戻っていった。「副長、今宜しいでしょうか?」「いいぞ、入れ。」「失礼いたします。」エーリッヒが副長室に入ると、土方は険しい顔をしながら会津藩からの書状に目を通していた。「謎の液体を入手いたしました。」「そうか、見せてみろ。」エーリッヒから謎の液体を受け取った土方は、少し灰色に濁ったそれを見た後、ガラス瓶の蓋を開けて外へと放り投げた。すると茂みに隠れていた猫が液体の臭いを嗅ぎ付け、それをペロリと舐めた。その途端猫は四肢を痙攣させ後絶命した。「これは・・」「こいつはぁ恐らく鉛と阿片を混ぜたものだろうよ。こんなもんを薬と偽って売りつけているふざけた野郎共を、この俺が一網打尽にしてやる!」土方は怒りを抑えるかのように、自らの膝を拳で叩いた。「売っていたのは普通の薬売りだと、四郎から聞きました。ですが、その薬売りは武家風の男からそれを調達したと・・」「そうか。報告ご苦労だった。もう下がっていいぞ。」「はい・・」エーリッヒが去っていった後、土方は地面に転がっている猫の死体を地中深く埋めた。「ったく、何が万病に効く薬だ・・そんなもんがとっくにあったら、親父達は死なずに済んだぜ。」「土方さん、どうしたんです?」ふと頭上で声が聞こえて土方が俯いていた顔を上げると、そこには江戸の試衛館時代からの同志・沖田総司が立っていた。「いや、何でもねぇよ。そういやお前ぇ、顔色が少し悪ぃな。」「最近暑かったから、夏ばてかなぁ。」そう言った沖田はくすくすと笑いながら土方を見た。「何だ?」「いえ・・土方さんっていつもしかめ面ばかりで、早く老けるんじゃないかなぁって。」「馬鹿なこと言ってねぇで巡察してきやがれ!」「はいはい、わかりましたよ。まったく、鬼副長はこれだからおっかないなぁ~」「総司~!」土方の雷が落ちる前に、沖田はそそくさとその場から立ち去った。「鉛と阿片を混ぜた怪しげな薬、ねぇ・・そんなものを作っているのは何者なのかしら?」「医学に通じている者でしょうね。やっぱり、凛が絡んでいるのでは?」「そう考えても良さそうね。」 美津と四郎が井戸端で薬のことを話していると、外から悲鳴が上がった。
2012年10月10日
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凛たちの計画は、着々と進んでいた。 彼女が桂に渡したあの液体は、「万病に効く薬」として洛中に売られ、その言葉につられた町民達が競うように買い求めた。「さぁさぁ、寄っておいで~、万病に効く薬だよ~!」「うちにも頂戴!」「うちにも!」薬売りがガラス瓶に入った液体を取り出すと、女達は奪い合うようにしてそれを手に入れた。ある者は自分の家族の為に、そしてある者は自分の美容の為に、毎日その液体を飲み続けた。その結果、ある出来事が新選組の耳に入った。「謎の液体を飲んだ町民達が次々と病に臥せっているだと?それは本当か、斎藤?」「はい、病に臥せっているものは、一人や二人だけではないそうです。」斎藤はそう言うと、溜息を吐いた。「そうか。斎藤、早速その薬の調査をしろ。」「かしこまりました。」斎藤が副長室から出て行くのを見た美津は、何か嫌な予感がした。「最近、洛中でおかしな薬が流行っているそうですよ。」「おかしな薬?」「ええ。飲めば労咳もたちまち治るという、万病に効く薬だとか。効果はあやしいものですね。」「もしかして、凛が裏でこの騒動を操っているのかもしれないわ。」「だとしたら、また彼女と会うことになるかもしれませんね。」エーリッヒはそう言って、眦をつり上げた。 美津達がいつものように巡察をしていると、何やら人だかりができている。「何かしら?」「行ってみましょう。」美津と四郎が人だかりを掻き分けていくと、そこにはあの液体を売っていた薬売りの姿があった。「旦那、どうです?これが巷で人気の・・」「これで本当に労咳が治るのかどうか、怪しいものだな。」四郎はそう言って薬売りの手から液体が入ったガラス瓶を奪うと、それを地面に叩きつけた。「何をなさるんですか!」「怪しげな薬を売れと命じたのは、誰だ?」四郎が薬売りの胸倉を掴むと、彼は首を横に振った。「うちは何も知りまへん!茶店で団子を食っとったら男に薬を渡されたんどす!」「どんな風体をした男だ?」「顔は笠を被っていて良く見えませんでしたが・・大小を腰に差してたから、多分何処かの藩侍やと思います。」「そうか。さっさと立ち去れ。今度薬を売っているのを見つけたら奉行所に突き出してやる。わたしの気が変わらない内に失せろ。」「へ、へぇ・・」薬売りは商売道具を路上に広げたまま、脱兎の如く四郎たちの元から立ち去った。「薬売りのことを副長に報告しなくてはなりませんね。」「ええ、そうね。」 四郎と美津が連れたって屯所へと戻ろうとしたとき、路地裏から抜き身の刃を光らせた男達が彼らの前に躍り出てきた。
2012年10月10日
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あの日―戦の火蓋が切って落とされ、故郷が紅蓮の炎に包まれるさなか、聖人が住んでいた村が凛率いる敵軍によって襲撃された。その時聖人は辛くも難を逃れたが、村は全滅し、将来を誓い合った許婚は聖人の腕の中で息を引き取った。“どうか・・仇を・・”今わの際に許婚が残したその言葉と、凛に対する憎しみを糧に、聖人はここまで生きて来られたのだ。「何を考えているの?」不意に凛が聖人の方へと振り向くと、彼の顔を覗き込んだ。 月光に弾かれた金の双眸が、禍々しくも美しい光を放つさまを見ながら、あの日村人達はどんな思いで彼女を見ていたのだろうと聖人は思った。「・・いいえ、何も。」「そう。今夜は月が綺麗ね。お前もそう思わないこと?」「ええ。」凛は聖人に抱きつくと、そのまま彼の唇を塞ぎ、後頭部に手を回した。「お前と祝言を挙げる日が待ち遠しくてたまらないわ。その時お前はどんな思いでわたしを見るのかしら?」「さぁ・・」「きっとお前はこう思うはずよ、白無垢に身を包んだわたしを見て、死んだ許婚のことを思い出しては、わたしへの憎しみを更に募らせる筈。」凛は歌うようにそう言うと、金色の瞳で聖人を見た。「どうして・・その事を?」「わたしがお前のことを何も知らないとでも思ったの?わたしに近づいたのは、許婚の仇を討つ為。そして利害が一致したからわたしと共に行動しているだけ。そんなことがなければ、望んでわたしに手を貸したりはしないわよね?」 凛を侮っていたことに、聖人は臍(ほぞ)を噛んだ。彼女はかなり用意周到な性格で、人の裏をかくことも平気でする。罪悪感や良心の阿責(あしゃく)といったものを一切感じないので、望んで悪事に手を染める。それが今、自分に仕えている主の本性なのだ。「ねぇ聖人、お前にわたしが倒せるとでも思っているの?」「思っておりませんよ。」「お前は嘘つきね。でも前の従者と比べてマシだわ。あいつは嘘をつくと顔にすぐ出てしまっていたもの。でもお前は違う。」凛の裏をかくには、感情を押し殺すこと―その事を常に自分の心に念じていた聖人は、凛に本音を言い当てられた時も感情の起伏を顔に出さずにいた。それを見た凛はもう興味を失ったかのような顔をして、聖人に背を向けた。「最近お前はつまらないわねぇ。わたしがからかっても何の反応もしない。まぁ、いいけどね。」「すいません・・」「いいのよ、謝らなくて。」彼女は今何を考えているのか、聖人は未だにわからずにいる。だが人には他人には見せない所はひとつやふたつある。凛の場合は、その部分が多いだけだ。「さてと、またお父様に怒られるわね。」「わたしがうまくやりますから。」「そうこなくっちゃ。」 一度絡みついた蜘蛛の糸は、どう身を捩(よじ)っても逃れる術はない。
2012年10月10日
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「元気そうね。」「誰かと思ったら、四条のお転婆娘か。一体わたしに何のようだい?」「決まっているじゃない、例の計画のことよ。」凛はそう言って、桂に微笑んだ。「もしかして、何かを企んでいるのかい?」「ええ。だってそうしないと、彼女と遊べないんだもの?」「彼女?それは一体誰のことだい?」「今にわかるわよ。」凛はニヤリと笑うと、桂が持っている猪口を奪い、その中に入っていた酒を一気に飲み干した。「ああ、美味しいお酒ね。今夜にぴったりの味だわ。」「君も大変だな、こんな主を持って。」凛を無視して、桂は彼女の傍らに立っている聖人にそう言うと、彼は静かに首を横に振った。「いいえ、この方に長い間お仕えしておりますが、退屈したことは一度もありませんよ。」「そうか・・変わり者だな、君も。」聖人への侮蔑を込めた言葉は彼に届かなかったらしく、彼の笑顔は崩れることがなかった。「さてと、もう顔ぶれも揃ったところだし、計画について話しましょうか?聖人、あれを。」「はい、お嬢様。」聖人はそう言うと、懐からガラス瓶を取り出した。その中には、乳白色の液体が入っていた。「それは?」「計画に使うものよ。成分は教えないわ。西洋で万病に効く薬といえば言いかしらね?」凛の金色の瞳がきらりと光ったのを見て、彼女を信用してはならないなと桂は思った。「そうですか。それで、わたしは何をすれば?」「できるだけこれを洛中にばら撒いて頂戴。」「目的がわからない限り、こちらで協力することはできませんが?」「そう。じゃぁ仕方ないわね、あなたにだけ話すわ。」凛はそう言って立ち上がると、桂の耳元に何かを囁いた。「ほう・・それは面白い。」「でしょう?」桂は凛の顔を見て少し逡巡した後、彼女の計画に協力することを決めた。「これから楽しくなるわねぇ。」「ええ。お嬢様、余りはしゃぎすぎて羽目をはずされませんよう。」「わかっているわよ、そんなこと。」凛はそう言うと、聖人に抱きついた。「さてと、色々と忙しくなるから、今日はもう帰らないとね。」「ええ。」髪に挿した簪を揺らしながら歩く凛の後をついてゆく聖人の浅葱色の瞳には、暗い影がさしていた。(まだだ・・まだ彼女を殺すのは早い。)鯉口へと伸ばしかけた手を、彼はそっと下ろした。 彼女は自分に忠実な従者であると、信じて疑っていない。自分が彼女に対して激しい憎悪と復讐心を抱いていることに気づきもしないで。 この作戦が上手くいったら、彼女を自分の手で葬り去ろうと聖人は決めていた。あの日、戦で失った多くの命の為に、彼は後戻りできない道に踏み込んだのだった。(わたしは絶対にやり遂げてみせる!)聖人の脳裏に、自分の腕の中で息絶えた許婚の顔が浮かんだ。
2012年10月10日
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「姫様、最近長州が怪しい動きを見せているとか・・」「そう。あの後で、長州は少し大人しくなったものかと思ったけれど、見せ掛けだったのね。」茶店で団子を食べながら、美津はそう言って四郎と長州勢の動きについて話していた。 八月十八日の政変で、会津と薩摩が長州勤皇派を京都から追放して以来、長州はなりを潜めてきたが、桂小五郎が再び上洛したという情報を入手した土方達は、長州の動きを警戒していた。その政変後に会津藩から働きを認められ、「壬生浪士組」から「新選組」へと名を改めた美津達は、以前よりも一層巡察に精を出していた。「あの人たちも京から居なくなったのかしら?」「さぁ・・彼女はまだこの京に留まっているでしょう。」「彼女なら、自ら騒ぎを起こしてそうね・・」美津はそう言うと、凛の金色に輝く瞳を思い出した。 彼女と自分は、この世に生まれ落ちたその瞬間から長い因縁で結ばれている。凛は常に人を操り、騒ぎを起こし、策を練っている。あの事件も、彼女が絡んでいるに違いない。「ねぇ四郎、凛は一体何を考えているのかしら?」「それは、彼女にしかわかりません。」「そうね・・」美津はそう言って溜息を吐くと、ぬるくなってしまった茶を飲んだ。「退屈だわ。」 一方、凛は自分の部屋で退屈そうに髪を弄っていた。「どうなさいましたか、お嬢様?」「ここのところ、全然面白くないんだもの。」「そうでしょうか?」そう言って凛の前に腰を下ろした聖人は、にっこりと彼女に微笑んだ。「“彼女”は、着々と事を進めておりますよ。」「へぇ、そうなの?」うつむいていた凛は顔を上げると、金色の瞳を輝かせながら己の従者を見た。「その“彼女”っていうのは誰かしら?一度会ってみたいわ!」「そう急かなくても、すぐに会えますよ。」「楽しみね。」これから始まるであろう騒乱を期待しながら、凛は爛々と瞳を輝かせた。「桂様、わたしです。」「絢か、入れ。」「失礼いたします。」 桂の潜伏先に向かった絢は、彼が泊まっている部屋へと入った。「例のものは準備できました。」「そうか。手筈どおりに計画を進めておけ。」「わかりました。では、わたしはこれで失礼いたします。」「ええ・・」絢が宿から出ると、嬉しそうな顔をした凛が彼女に抱きついてきた。「計画は上手くいきそう?」「ええ。抜かりありません。」「そう。必ず成功させてね。失敗したら、鬼姫様と戦えなくなるもの。」「前からお聞きしたいことがあったのですが・・」「何かしら?」「その“鬼姫様”とあなた様は、切っても切れぬ仲なのですか?」「ええ。腐れ縁、とでも言うのかしら?まぁこっちにしちゃぁ、迷惑なものだけどね。」「そうですか・・ではこれで失礼いたします。」絢は凛の言葉を聞いた後、そそくさと凛の元から去っていった。「何なの、あの子。面白くないわ。」「さぁお嬢様、行きますよ。」「言われなくてもわかってるわよ。」 凛は聖人とともに、先ほど絢が出て行った宿の中へと入っていった。
2012年10月09日
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『あなた、一体何を言っているの?わたしはその髪飾りを盗んでなどいないわ。』『嘘おっしゃい、わたし知ってるのよ!』『何を知っているというの?』興奮する少女―マリーを前に、美津は毅然とした態度で彼女にそう話しかけた。すると、マリーは少し動揺しながら、ポツリとこう漏らした。『何よ、あの女が言ったとおりにしたっていうのに・・』『あの女?』『ええ、さっきあなたの居場所を教えてくれたのよ。本当に、あなたはこの髪飾りを盗んでいないのね?』『本当よ。』『そう・・誤解してしまって悪かったわ。』マリーはそう言って自分の非を認め、美津に暴力を振るってしまったことを謝罪した。『あなた、これからどうするの?』『横浜に戻るわ。』マリーは侍女を従えて、屯所から去っていった。「姫様、大丈夫ですか?」「大丈夫よ。誤解は解けたようだし。」自分に駆け寄るエーリッヒに、そう言って美津はマリーが去っていた方を見つめた。『あぁもう、恥ずかしいったらないわ!勝手に誤解して人を殴ったなんて!』 横浜へと帰る道中、マリーはそう言いながら頭を振った。『お嬢様、もう終わったことですから、そうお気になさらずに。』『そうね。でもあの人ともう一度会えるかしら?』『さぁ、それはわたくしにもわかりかねます。』ロゼはそう言ってマリーに笑った。 美津と再会できることを願いながら、彼女達は横浜へとたどり着いた。『マリー、何処に行ってたんだ、心配したぞ!』『ごめんなさい、お父様。』『お前が無事でよかった。』父と久しぶりに抱擁を交わしたマリーは、彼と共にダイニングへと入っていった。「ねぇ、あの子とはまた会えるかしら?」「それはどうでしょう。」「また会えるといいわね。」美津は月を眺めながら、そう言って部屋の中へと戻っていった。「ちっ、失敗したわね・・」 月明かりも届かぬ暗い路地に女―りえは居た。「あの娘を唆してあの女を始末しようと思っていたのに・・」そっとりえは頭巾を外すと、火傷の痕が残る顔を擦った。この火傷は、あの鬼姫がつけたものだ。自分の一族は、彼女に滅ぼされた。「わたしが生きているのは、あの女の復讐の為・・一族の無念を晴らす為・・」業火に焼かれる親兄弟の姿を思い出しながら、彼女は唇を噛み締め、闇の中へと消えていった。 一方、祇園の茶屋では、長州の女間者・絢が一人の男にしなだれかかっていた。「黒田様、首尾はどうどすか?」「まずまずだ。心配するな、そなたの目論見通りに動いておる。」「おおきに。」絢は妖艶な笑みを口元に浮かべた。
2012年10月09日
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『見つけたわ・・お母様の髪飾り!』少女はそう叫んで涙を流した。「あれは、あの子のものだったのですね・・」四郎はそう言いながら涙を流す少女を見た。「そうみたいね・・」金剛石の髪飾りがあるべきところに戻ったのを見届けると、美津は四郎とともに屯所へと戻って行った。「お嬢様、よかったですね。これで旦那様も大喜びですわ。」ロゼは大泣きする主の背中を撫でながら言った。「わたし、あの人達にお礼を言わなければ。お母様の髪飾りを見つけてくださってありがとう、って。」マリーは髪飾りを髪に留めながら、美津と四郎の姿を探したが、彼らは何処にもいなかった。「あら、おかしいわね・・さっきまでそこにいたのに・・」「彼らが何処に行ったのか、知りたい?」突然背後から女の声がして、マリーは振り向いた。そこには、顔に火傷痕がある女が立ち、薄笑いを口元に浮かべながら自分を見ていた。女の姿を見た瞬間、マリーは恐怖に震えた。「あなた、誰?」「わたしはりえ。あなたがお礼を言おうとしている女の正体を知っているわ。」女はそう言ってゆっくりとマリーに近づき、彼女の耳元で何かを囁いた。彼女の言葉を聞いたマリーの顔が、怒りでみるみる赤く染まって行った。「ロゼ、彼女を今すぐにでも見つけるわよ!」「どうなされたのですか、お嬢様?」「あの盗人を見つけて殺してやるんだから!」マリーはそう叫ぶと走り出した。「お待ちください、お嬢様!」慌ててロゼは主の後を追った。「ふふ、これでうまく行った・・後は小娘次第ね・・」女はそう呟いて闇の中へと消えた。一方、屯所へと戻った美津と四郎は、エーリッヒに髪飾りの持ち主が見つかったことを報告した。「良かったですね、姫様。あのまま持ち主が見つからなければどうしようかと思っていましたが、無事に見つかってよかったです。」エーリッヒはそう言って溜息を吐いた。「そうね。」美津と四郎、エーリッヒが部屋で休んでいると、1人の隊士が慌てて3人の方へとやって来た。「磯村、お前に話があるって異人さんが来てるぜ。」(異人さんって、あの子が?あの子に髪飾りを返したのに・・)髪飾りを返したから自分には話などないと思っていたが、少女の方はあるらしい。「どうなさいましたか、姫様?」「さっき会った子が、わたしに話があるって。少し出てくるわ。」「じゃぁ俺も一緒に行きましょう。」エーリッヒはそう言って立ち上がり、美津と共に部屋を出た。「お客様はどちらに?」「あっちだよ。」門の方へと向かうと、少女が両腕を組んで美津を待っていた。『わたしにお話しって、何かしら?』『あなた、お母様の髪飾りを盗んだのね!?』そう言うなり、少女は美津の横っ面を張った。「なん・・」突然のことで、エーリッヒは呆気に取られたが、慌てて地面に倒れそうになった美津を抱き留めた。『お前があの女と手を組んでお母様の髪飾りを売り飛ばしたことは知ってるわよ!よくもわたしを騙してくれたわね、許せないわ!』蒼い瞳に大粒の涙を流し、憎しみを宿しながら、少女は憤怒の表情を浮かべながら美津を睨んだ。
2012年02月28日
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横浜から京都へと旅立ち、数週間が経った。マリーとロゼは、疲労と空腹でクタクタになりながら、やっと京へと着いた。「やっと着いたわね、ロゼ。」「ええ、お嬢様。」「さぁ、お母様の髪飾りを探すわよ!」2人は金剛石の髪飾りを見つけようと、アンジェが言っていた宝石商を探したが、収穫は何もなかった。「一体何処に居るのよ・・」苛立ちと疲労と空腹により、マリーの精神は限界に来ていた。言葉も風習も文化も違う、見知らぬ土地を旅し、異人だ毛唐だと人々に石を投げられ、罵られ、ここまで来たと言うのに、髪飾りが何処にあるのかわからない。(あの女さえいなければ、こんな苦労することなかったのに・・)マリーの脳裏に、母の形見を盗んで売り払った狡猾なメイドの顔が浮かんだ。(許さないわ、アンジェ・・絶対にわたしはあなたを許さない!)「お嬢様、少し休まれてはいかがですか?」ロゼの言葉に、マリーはカッとなった。「何言ってるの、ロゼ!わたしはお母様の髪飾りを見つけるまで絶対に諦めないわ!」「お嬢様、申し訳ありません・・出過ぎたことを・・」ロゼはそう言って俯いた。「・・少し苛々していたわ、怒鳴ってしまって御免なさい。少し休みましょう。」マリーは侍女にそう微笑むと、近くの茶店へと向かった。同じ頃、美津と四郎は巡回を終え、茶店で休んでいた。「ねぇ、これからこの髪飾りの持ち主を探さない?このままわたしが持っておくのはいけないと思うの。」「そうですね・・こんな高価なものが道端に落ちていたというのはおかしいですし・・」「そうしましょう。」美津がそう言って立ち上がろうとした時、店の入り口で言い争う声を聞いた。「お代払って貰いまっせ!」『だから、この指輪で払うって言ってるでしょう!』「こんなもんじゃあかん!ちゃんと金で払え言うとんのや!」店の主人と異人の少女が支払いを巡って口論となっていた。「四郎、ちょっと行ってくるわね。」美津はそう言って主人と少女の間に入った。「どうなさったんですか?」「この異人はんが代金踏み倒そうとしてはるんや!」主人は茹でダコのように顔を怒りで赤く染めながら美津に唾を飛ばして叫んだ。美津は少女の方に向き直った。『あなたは代金を払わない気なの?』目の前の日本人が突然英語を喋り出したので、少女は唖然とした表情で美津を見つめていたが、やがて我に返り、『今はお金がないからこの指輪を売って払ってくれと言っただけよ。』と憤然とした口調で言った。美津は少女の言葉を主人に通訳し、主人は自分の非を詫びて少女から指輪を受け取った。『ねぇ、待って!』美津と四郎が茶店を後にして、屯所へと向かって歩き出そうとすると、背後から少女の声が追いかけてきた。『さっきは助けてくれてありがとう。わたしはマリー、あなたは?』『わたしはミツよ。宜しくね。』『こちらこそ。』美津が少女と握手しようとした時、金剛石の髪飾りが地面に落ちた。髪飾りを見た途端、少女の蒼い瞳が大きく見開かれた。『どうしたの?』『やっと見つけたわ・・』少女は大粒の涙を流しながら、髪飾りを拾い上げた。これが美津姫と、貴族令嬢マリーとの出逢いであった。1人の姫君と令嬢の運命は、時代の荒波に呑まれることとなるなど、この時2人は知るよしもなかった。
2012年02月28日
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祇園にある高級料亭の一室で、桂小五郎ら長州藩士は会合を開いていた。「あの壬生狼どもは、鋭い鼻を持っているらしいな。この前も定宿であった旅籠に踏み込まれ、辛うじて逃げてきた。」藩士の1人が新撰組への憎悪を言葉の端々に滲ませながら言った。「全く、東夷共が、調子に乗りおって・・あいつらをすぐにでも血祭りに上げてやりたいくらいだ。」もう1人の藩士が吐き捨てるように言いながら、酒を呑んだ。「そんなことをしても無駄だ。感情的にならない方がいいと思うぞ。」桂小五郎は藩士達をそう窘(たしな)め(め)ていると、襖が静かに開き、女が入って来た。「桂様、お呼びでございますか?」「絢か、入ってくれ。」「はい。」髪を丸髷に結い、上品な藍色の着物を着た女の瞳は、美しい青だった。「何か情報は掴んだか?」「はい。詳細は後日改めてお伝えいたします。」「わかった、下がってよろしい。」「では、失礼いたします。」入って来たのと同じように、女は静かに襖を閉めて部屋から去って行った。「あの女は一体何者なんだ、桂さん?」「あの子は色々とわたしたちを助けてくれる。今はそれしか言えないよ。」桂はそう言って笑い、猪口に入った酒を口元へと運んだ。料亭を出た女―絢は、何者かにつけられている気がして、少し立ち止まって辺りを見渡した。(気の所為か・・)そう思いながら再び歩き出そうとした時、何かが自分に向かって飛んできた。咄嗟に絢は素早い身のこなしでそれを避けた。「何者だ!」「流石は長州藩の女間者ね。」玲瓏な声が絢の耳元で響いた。「お前は誰だ?何故わたしの正体を知っている?」「それは明かせないわ。わたしはりえ、あなたが大嫌いな女を憎む者よ。」頭巾を被っていた女は、優雅な手つきでゆっくりとそれを外した。女の美しい顔の左半分には、醜い火傷の痕があった。「その顔は・・」「あの女に家族を殺されたのよ。わたしは助かったけど、美しい顔を失った。あの女が憎くて堪らないわ。あなたもそうでしょう?」絢の脳裏に、あの壬生狼の娘の顔が浮かんだ。「ねぇ、わたしたち手を組まない?あなたとわたしはあの女が憎い。利害は一致しているわよね?」再び女は頭巾を被り直しながら、絢を見た。「お前は幕府側の人間か?」「そんな訳ないでしょう、馬鹿ね。わたしはあなた達の味方よ。」女はそう言って絢の手を握った。まるで蛇を掴んだかのような冷たい感触に、絢は鳥肌が立った。「協力してくれるわよね?」「え、ええ・・」「そう、よかったわ。1人でも味方が多いと力強いわ。」女は口端を歪めて笑みを作った。「ねぇ知ってる?最近会津から来た女が何者かに殺されたことを。」「初めて聞いた。」「そうよねぇ、まだ公にされていないものね。でもその女を殺した疑いが、あの憎たらしい小娘にかけられていることは知っていて?」「・・その話、詳しく聞かせろ。」「分かったわ。」2人の女は暫く路地で話しこむと、それぞれ目的地へと向かって歩いて行った。「我が一族の仇は必ず討ってみせる。あの娘の首を墓前に捧げるまで、諦めるものか・・」頭巾を被った女―りえは、そう低く呟くと闇の中へと姿を消した。
2012年02月28日
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1864(元治元年)年2月、横浜。グレース伯爵家の令嬢・マリーは、母親の形見である金剛石の髪飾りがある日突然なくなっていることに気がついた。「ロゼ、何処に居るの!?」血相を変えた彼女は、侍女である少女の名を叫びながら、彼女の部屋のドアを乱暴に開けた。「何でございますか、お嬢様?」主の怒りに気付いたロゼは、恐怖で震えながら言った。「お母様の形見の金剛石の髪飾りがないのよ。お前、知らない?」「いいえ、お嬢様。わたくしは何も存じ上げておりません。それに、金剛石の髪飾りは、ちゃんと宝石箱にしまった筈・・」「それが、さっき宝石箱を開けたらなくなっていたのよ!きっと誰かが盗んだに違いないわ!」「わたくしはお嬢様の物に指一本触れてはおりません。」ロゼはしゃくり上げながらそう言って主を見た。「お前を疑っているわけではないわ、ロゼ。お前が盗みなんて事する筈がないもの。誰かほかの者が盗ったに違いないんだから。」マリーは眉間を揉みながら溜息を吐いた。「昨日わたしの部屋の掃除を担当したメイドは誰?」「確か、アンジェだったと思います。」「アンジェ?新しく入って来た子ね?その子は今何処にいるの?」「今厨房で料理人とお話ししているところでしょう、きっと。」「そう、ありがとう。」アンジェという名を聞いてマリーは嫌な予感がした。父の友人の紹介でグレース家に雇い入れられたメイド、アンジェは豊満な肉体美を持ち、更に天使のような美貌を持った女性だった。しかしその性格は強欲で、父の後妻になろうと企み、何かと父に色目を浸かっているのを、マリーは何度か見たことがあった。その彼女が母の形見である金剛石の髪飾りを盗んだに違いないーマリーはそう思い、厨房へと入った。ロゼの言う通り、アンジェは厨房で流しに腰掛けながら、料理人と他愛のないおしゃべりをしていた。「アンジェ、お前に話があるのよ。」「お嬢様、お話しってなんですか?もしかしたらあの髪飾りのことですか?」「・・お前がお母様の髪飾りを盗んだのね、この卑しい雌狐め!」マリーはそう叫ぶと、アンジェの横っ面を張った。「お母様の髪飾りを何処へやったの!」「宝石商に売ってやったよ、あんなもの。そいつはキョウトとかいう所に行くとか言ってたね。そいつが髪飾りを売り払う前に取り戻せばいいんじゃないかい?」「お前はクビよ!お父様にあなたの正体を言いつけてやるわ!」マリーは憤怒の表情を浮かべて、厨房を出て行った。「アンジェ、あんたが奥様の髪飾りを盗んだのかい?」「だって先妻の形見をいつまでもこの家に置いておくと旦那様があたしになびかなくなっちまうじゃないのさ。ま、あの小娘がどうやって髪飾りを探しだすかみものだね。」アンジェは形のいい唇を醜く歪めながら笑った。「お父様、わたしキョウトに行ってお母様の髪飾りを取り戻すわ!」夕食後、マリーはアンジェの悪事を全て父親に話した後でそう宣言した。「しかしマリー、今日本は我々外国人にとって危険な所だ。それをわかって言っているのか?」顎鬚を撫でながら、父親は愛娘を見た。「ええ、お父様。わたし、どんなに時間がかかっても髪飾りを取り戻したいの!賛成してくださるでしょう?」「・・お前がそうしたいというのなら、行きなさい。」「ありがとう、お父様!」翌朝、マリーはロゼとともに京都へと旅立った。
2012年02月28日
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「母を殺したのは、あなたですか?」愛五郎はそう言って美津を睨んだ。「わたしは、あなたのお母君を殺していません。」美津は愛五郎の目を見ながら言った。「先ほど、あなたの事を知っていると言う方から、このようなものを渡されました。」そう言って愛五郎が懐から取り出したものは、昔美津が嵌めていて、島原の乱以来行方不明となっていたトパーズの指輪だった。「これは・・わたしの・・一体その方は・・」「磯村様、わたしはあなたを信じられません。そんなにわたしのことが嫌いなのですか?だからわたしとの結婚を進めようとする母を殺そうとしたのですか?」「わたしはあなたのお母君も、誰も殺してはいません!わたしはそんな理由で人を殺すなんてことはしません!信じてください!」美津は必死に自分が潔白である事を愛五郎に訴えたが、彼は頑なに美津の言葉を聞こうとしなかった。「この指輪はあなたにお返しいたします。わざわざ葬儀に来て下さってありがたく思いますが、ご焼香は結構です。それでは。」愛五郎は指輪をまるで汚物のように指で摘み、美津に投げ捨てるように渡すと、そう冷たく言い放って扉を閉めた。「あの男、斬っても構いませんか。」四郎が怒りをあらわにしながら閉ざされた門を睨んだ。「彼の事は放っておいた方が良いわ。それよりも、わたしに殺人の濡れ衣を着せ、陥れようとする女の正体を探らなくては。」「そうですね。」(誰であろうと、わたしを陥れようとする者は許せない!見つけたら八つ裂きにしてやるわ!)一方、愛五郎は母の葬儀を気丈にも取り仕切り、葬儀が終わると同時にほっと溜息を吐いた。突然の母の死を聞かされても、愛五郎はうろたえたり、悲しんだりする暇もなく、葬儀の準備などに追われた。位牌の前に置かれた母の遺骨を見ながら、愛五郎は先ほど美津に向かってぶつけた酷い言葉を思い出していた。あの時は感情に任せて彼女を傷つけてしまった。謝ろうと思っていたのに、何故か逆の事をしてしまった。「母上、わたしはどうすればいいんでしょう・・」愛五郎はそう呟いて溜息を吐いた。美津はまた四郎とともに例の路地へと向かった。一体ここで何が起きたのか、そして幾が何故狼の犠牲となったのかが知りたくて、美津は路地周辺に何か手掛かりがないか、徹底的に調べたが、何も出てこなかった。「もう戻りましょう、姫様。もうすぐ日が暮れますし、危険です。」「待って、もう少しで終わるから。」美津は半ば諦めながら事件の手掛かりをもう一度探していた時、何かが光るのが見えた。彼女はそれを拾い上げた。「姫様、それは・・」光っていたものは、金剛石が中央に嵌め込まれた豪華な髪飾りだった。「事件の手掛かりになるかもしれないわね。」美津は髪飾りを傷つけないように、そっとそれを布で包んだ。「磯村、お前に会いたいって奴が来てるぞ。」「もしかして、川松様?」「ああ、何でも話がしたいってさ。」「わかったわ。」屯所から戻った美津は再び屯所を出て、壬生寺の境内へと向かった。そこには、母親の遺骨を抱えた愛五郎の姿があった。「川松様。」美津が声をかけると、彼はゆっくりと彼女を見て微笑んだ。「会津に帰る前に、あなたに酷い言葉を投げつけてしまった事を詫びたくて、参りました。」「お母君の事、残念です。いいお方でしたのに・・」「会津に来る機会が来たら、母の位牌に手を合わせてやってください・・きっと、喜ぶと思います。」そう言って寂しげな笑みを浮かべながら京を去ってゆく愛五郎の背中が見えなくなるまで、美津はいつまでも彼を見送った。
2012年02月28日
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翌朝、幾の遺体を引き取りに、愛五郎が屯所へとやって来た。「母上、何故このようなお姿に・・」彼は母親の遺体に取り縋り、嗚咽した。その光景を、美津達は遠くから眺めていた。美津は母親の亡き骸を抱き締める愛五郎の姿を見ていると、昔の事を思い出した。暴走した後我に返り、虫の息だった父に死なないでと叫んだあの日の事を。あの時、まだ自分が何者であるのかがわからなかった。でも、今は・・「姫様、姫様?」四郎に肩を叩かれ、美津は我に返った。「何?」「あの路地へ参りましょう。あそこなら、幾様が殺された理由も、あの狼の正体も分かる筈です。」「そうね・・」愛五郎の姿を肩越しに見ながら、美津は彼に背を向けて四郎とともに屯所を出て行った。昨夜事件が起きた路地へと向かうと、そこには乾いた血溜まりだけがあり、あの狼の死体はどこにもなかった。「変ね、昨夜は確かにここにあった筈なのに・・」昨夜の内に誰かが狼の死体を片づけたのだろうか?だとしたら、誰が何のために?「姫様、これをご覧ください。」そう言って四郎があるものを差し出した。「これ・・わたしの・・」四郎が血溜まりの中から拾ったものは、一昨日の見合いの時に挿していた簪だった。「これは一昨日、お見合いが終わった時に自分の部屋にある小箱の中にしまった筈・・なのにどうしてこれが、こんなところにあるわけ?」「それはわたしも分かりません。ですが、何者かがあなたに殺しの濡れ衣を着せようとしているのでは?」「あの女が、わたしに殺しの濡れ衣を?まさか、そんなこと・・」凛ならやりかねなさそうだが、彼女はこんなに単純な手口で美津を苦しめる筈がない。彼女のやり方は巧妙で、かつ陰湿なものなのだから。「あの女以外に、あなたを怨み、憎んでいる者がいるということですね。これからは外出を控えた方がよさそうですね。」「そうね・・」美津は得体のしれぬ恐怖に襲われ、四郎と共に路地を後にした。その後、2人が去って行くのを確かめるかのように、1人の女が路地裏から現れた。女は血溜まりをじっと見つめると、薄笑いを浮かべた。「漸くあの女に復讐できる・・いつも上から目線でわたしを見て、笑いながらわたしを虐げていた女に・・復讐が終わったら、わたしはあの女から完全に自由になる・・」女はそう呟くと、懐からあるものを取り出し、血溜まりの中へと放った。「これでいい・・」女は現れたように、すうっと路地から消えて行った。「磯村様、少し母の事でお話ししたいことがございます。よろしいでしょうか?」幾の遺体を引き取り、喪主として気丈に彼女の葬儀を取り仕切っていた川松愛五郎は、そう言って四郎とともに葬儀に訪れた美津に話しかけた。「何でしょう、お話って・・」「単刀直入に言いますが、母を殺したのはあなたではないですか?」「え・・」愛五郎が吐きだした言葉を聞き、美津はショックを受けてまるで金縛りに遭ったようにその場から動けなくなった。「もう一度お聞きいたします。母を殺したのは、あなたですか?」憎悪に満ちた瞳で、愛五郎はそう言って再度、美津を見た。
2012年02月28日
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美津は自分に襲いかかろうとする狼に対して刀を抜こうとしたが、間髪いれずに狼は美津を地面に押し倒した。狼の巨体の下敷きとなった美津は、必死に酸素を求めて喘いだ。「姫様っ!」四郎の叫び声と共に、狼の断末魔の叫び声が路地に響いた。「大丈夫ですか、姫様?」美津はゆっくりと狼の骸を押し退けて立ちあがった。狼は頭部を槍で一突きされ、絶命していた。そしてその槍は、狼の頭から喉元まで貫通していた。「あと少しずれていたら、姫様のお体に傷をつけることになっていたかもしれません。お怪我がなくて本当によかったです。」狼の頭から槍を抜きながら、四郎はそう言って主を見た。「四郎、ありがとう。お陰で助かったわ。他の皆さんはどこに?」「沖田先生達なら、向こうでお待ちしています。」「わかったわ、すぐ行くと伝えて頂戴。」「承知致しました。」エーリッヒはそう言って路地を駆けて行った。「一体この狼は何者だったのでしょう?今まで里で狼を見たことは何度かありますが、これほど大きなものは初めてです。」「わたしもよ・・それよりも、この人の遺体を、屯所で引き取らないと。」美津は狼の犠牲となってしまった女性―幾の遺体に向かって十字を切った。「ええ。」四郎と美津は、提灯を持ってエーリッヒの後を追った。光が消え、後には闇が路地を満たした。「遅くなってしまい、申し訳ありません。」美津と四郎はそう言って沖田達に頭を下げた。「狼はどうしました?」「わたしが槍で仕留めました。後で川松様のお母君のご遺体を屯所へお運びしたいのですが、よろしいでしょうか?」「勿論いいですよ。いつまでも路上に野晒しにさせる訳にはいきませんからね。」沖田は溜息を吐きながらそう言うと、美津達に背を向けて歩き出した。「エーリッヒ、幾様はどうしてあんな所で狼に襲われたんだと思う?」美津は狼に襲われる前に抱いていた疑問をエーリッヒに投げかけた。「確かに、ご婦人が夜に一人歩き、しかもこんなに人気のない路地にいるなんて変ですね。それに彼女が1人でいる所をたまたま狼が襲いかかったというのも、妙に納得がゆきません。」「わたし、昨日幾様にお会いしたけれど、第一印象としてはとても礼儀正しくて、慎重で、絶対に夜道を1人で歩かない方だと思ったの。こんな時間に1人でいたのは、何か事情があったのではないかしら?」「少し調べてみる必要がありそうですね。狼が何故あの路地に居たのかを。」「ええ・・」屯所に戻った美津達は、今夜起きた事件の事が気になってなかなか眠れなかった。特に犠牲者が昨日美津と見合いした相手の母親だから尚更だ。「ねぇ四郎、起きてる?」「はい、起きておりますよ。」美津は隣で四郎が起き上がる気配を感じた。「やっぱりあの路地で何があったか気になるわ。2人であの路地を調べてみない?」四郎は美津の言葉を聞いて押し黙ってしまった。「ねぇ四郎、聞いてる?」「余り危険なことはしない方がよろしいかと思いますが・・いつ何処に危険が潜んでいるかわからないのですから・・」「でも、気になって・・」「明日の朝、路地へ向かいましょう。朝ならばもし狼に襲われても反撃できますから。」四郎はそう言うと、美津に背を向けて眠り始めた。彼の言葉に釈然とせぬまま、美津はゆっくりと目を閉じて眠りに落ちていった。
2012年02月28日
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「何故、縁談を断るとおっしゃるのですか?やはりご両親がいらっしゃらないことで負い目が・・」「いいえ、そうではないのです。わたしには、想っておられる方がいるのです。」美津はそう言って愛五郎を見た。「その方は我が家で父が下働きとして雇った方で、大変賢くて槍の遣い手で、何よりもわたしと分け隔てなく接してくれる方でした。わたしはその方を今もお慕いしておりますし、その方もわたしを大切にしてくださいます。ですから、申し訳ありませんが・・」「わかりました。あなたにそういう方が既にいらっしゃるのであれば、母に無理を言ってあなたに縁談など持ち込むべきではありませんでした。では、これにて失礼いたします。」川松はそう言って美津に頭を下げ、ゆっくりと部屋を出て行った。(これでいいんだわ・・だってわたしは、四郎が好きなんですもの・・いいえ、彼を愛している・・)部屋を出た川松は、別室で待っていた母にこの縁談は白紙に戻す旨を伝えた。「それはまことですか、愛五郎?お前はそれでよいのですか?」幾は眉間に皺を寄せながら息子を見た。「ええ、わたくしはいささか妻を娶ることに急ぎ過ぎていたのかもしれません。国に戻り、磯村様の事は綺麗さっぱり忘れます。」「なれど、磯村様はお前が妻にと決めた相手ではありませぬか。それをあっさりと断るなど・・母は納得がゆきませぬ!」幾は足音も荒く料亭を出て行った。(母上が何かしでかさなければよいが・・)見合いを終えて屯所に戻った美津は、四郎に川松との事を全て話した。「先方は分かっていただけましたか・・それはよかったですね、姫様。」槍の手入れをしながら、四郎はそう言って安堵の溜息を吐いた。「あんまり悪い方ではなかったわ。真面目で優しそうで・・でもあの方にはわたし以外の方と幸せになった方がいいわ・・だってわたしは・・」「それ以上はおっしゃらないでください、姫様。いつか幸せになりましょう。」「そうね・・いつか、お前と2人で幸せに・・」美津の脳裏に、これまでの辛い記憶が浮かんできた。行く先々で自分達の正体に気付いた者達は、一斉に背を向けて逃げ、一部の者は罵詈雑言を浴びせてきた。何処に居ても、自分達は人とは相容れない存在だと気付いたのは、もう昔の事。次第にその事に慣れきっている筈なのに、認めたくない自分が居る・・。「姫様・・」涙ぐむ美津を、四郎が慰めるかのように彼女の身体をギュっと優しく抱き締めた。「四郎、ありがとう・・」翌晩、美津達は巡察に出ていた。「姫様、何か妙な気配がいたします。」エーリッヒが暗闇に潜む何かを見つけ、眉間に皺を寄せた。「もしかして、あいつらかも・・」美津がそう言って背後を振り返った瞬間、前方で悲鳴がした。「行くわよ!」悲鳴がした方向へと向かうと、そこには全身血塗れとなって倒れている幾の姿があった。「この人、昨日会った・・どうしてこんな・・」幾の遺体に近寄った美津の耳に、獣の唸り声が聞こえてきた。「姫様、あれをっ!」エーリッヒの声で、美津は屋根の上を見た。そこには、馬位の大きさをした一匹の狼が、黄金色の瞳をぎらつかせながら美津達を睨んでいた。「あれはどう見ても、この世のものではなさそうね・・」「ええ・・」狼は涎を垂らし、暫く辺りを睥睨していたが、巨体を躍らせて屋根の上から跳躍し、美津達に飛びかかって来た。
2012年02月28日
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縁談の事を局長から聞いた美津は、一体どんな相手が自分に結婚を申し込んできたのかが気になってその日は一晩中眠れなかった。翌日、鳥のさえずりで目を覚ました美津はいつも着ている着物を着て袴を穿き、部屋を出た。「おはようございます。」そう言って局長室の前で声をかけると、中から、「入れ」という声がした。「失礼いたします。」襖を開けて中に入ると、美津の姿を見た近藤が溜息を吐いた。「磯村君、今日は縁談の相手に会う日だというのに、その格好はいただけないな。今からここへ行って支度するといい。」そう言って近藤は何処かの住所を書いた紙を美津に手渡した。「では、早速行って参ります。」住所が書いてあった所は、とある呉服屋だった。「近藤はんから話は聞いてますさかい、どうぞこちらへ。」店の主人にそう言われて通された部屋には、今日着る青地に蝶の絵柄が美しい振袖が衣紋掛けに掛けられており、その隣には着物に合わせた簪や笄などが入っている小物入れがあった。「今から着付けの者を呼んできますさかい、少し待っといておくれやす。」そう美津に愛想よく言って、主人は嬉々とした様子で部屋から出て行った。店の女中に振袖を着付けて貰い、髪結いに高島田を結って貰った美津は、ゆっくりと部屋から出た。「表に駕籠を待たせてありますさかい、どうぞお足もとにお気をつけて。」恭しく主人がそう言いながら美津の手を取り、駕籠へと向かった。美津を乗せた駕籠は祇園にある料亭の前で停まった。「ようこそお越しやす。こちらへどうぞ。」いよいよ縁談の相手と会えるのだと思うと、美津の胸は興奮で高まった。「磯村様がお着きどす。」「そうですか、ではお通ししてください。」「失礼します。」仲居とともに部屋に入った美津は、縁談の相手である会津藩士・川松愛五郎とその母親と思しき女性に正座して頭を下げた。「磯村美津と申します。」「初めまして、川松愛五郎と申します。こちらは母の幾です。」「幾と申します、今後ともよろしくお願いいたします。」紫の上品な着物を着た丸髷の女性がそう言って美津に頭を下げた。「では、うちはこれで。」仲居が襖を閉め、部屋は気まずい沈黙に包まれた。「あの・・川松様のお郷は会津だと局長から聞きましたが、会津は素敵な所なのですか?」「ええ、猪苗代湖から見る磐梯山の姿はとても美しいものですよ。それに、会津には美味しいものがありますし。機会があれば是非会津に来てください。」「ええ・・」川松に微笑まれ、美津は少し頬を赤らめた。「磯村様はどこの国の生まれなのですか?」「わたしは、尾張の近くで生まれました。母は武家の娘としての立ち居振る舞いや作法を教えてくださいました。父もわたくしを可愛がって下さいました。今は亡き両親に感謝したいです。」「そうですか、ご両親はもう他界されておられるのですか・・磯村様を素敵な女性に育ててくださったご両親に一度会ってみたいと思いましたが・・残念ですね。」川松はそう言って俯いた。「わたくしはこれで失礼して、後はお若いお2人でお話しくださいませ。」幾はゆっくりと立ち上がり、部屋を出て行った。また、気まずい沈黙が部屋に流れた。「川松様、お話ししたいことがございます。」「何でしょう?」「この縁談、勝手ながらお断りさせていただいてもよろしいでしょうか?」美津の言葉を聞いた川松の目が、驚きで大きく見開かれた。
2012年02月28日
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「・・そうか、あいつがそんなことを・・」土方は酒を一口飲みながら、沖田を見た。「そういう事なんですよ、土方さん。あの2人が倒幕派の、しかも我々が目をつけている男の娘に招かれたということは、彼らとその娘とは何らかの繋がりがあるんじゃないでしょうか?」「そうかもしれねぇな。だが、あの2人は俺達を裏切る様な事はしねぇと思うぜ。現に屯所に戻ってきたじゃねぇか。仮にもしもあいつらが長州の間者だったら、屯所に戻らず奴らの仲間になってたぜ。」「そうですね・・確かにあの2人、特に四郎さんはわたし達に対しては恩義があるとかで、勤務態度は一番隊の隊士の誰よりも忠実で真面目です。彼らが倒幕派の一味ということはないでしょうね。」「ああ、そう願いたいぜ。」土方はそう言って溜息を吐いた。「今日はとことん飲むぞ、総司。」「解りました、お付き合いしますよ。」土方と沖田の間には、試衛館時代の同志という間柄以上の、特別な空気が流れ始めていた。「磯村、局長がお前にお話しがあるそうだ。」翌朝、朝食を食べ終わった美津に一番隊の隊士が声をかけた。「すぐに参ります。」(局長がわたしに話なんて・・一体何だろう?)普段あまり話す事のない局長に突然呼び出され、美津は不安を胸に抱えながら局長室の前に座った。「磯村です、入ってもよろしいでしょうか?」「入り給え。」「失礼いたします。」襖を開けると、上座に敷いてある座布団には近藤勇局長と、副長の土方と山南、そして沖田が座っていた。「わたしにお話しとは何でしょうか?」「磯村君、大変言いにくいことなのだが・・君はこのまま隊に残るつもりでいるのかね?」近藤がそう言って美津をじっと見た。「はい、わたくしは新撰組に入ってから、ここで骨を埋める覚悟でおります。」「そうか・・女子の身で男ばかりの所に居て君も難儀をしているだろうと思っていたが、そうではないようだな。縁談の話はなしにしようと・・」「縁談?わたくしにですか?」「ああ、先方は大変乗り気になっているのだが・・」「相手はどんな御方ですか?」「会津藩士の川松という方で、君がかつて芹沢が呉服屋で無体を働いた時に彼を制止しようとしたのを見て大変凛々しい娘さんだと一目惚れしてしまい、両親にあの娘さんが自分の妻でなければ嫌だと言ったそうだ。」「そうですか・・」もう1年以上も前の出来事で、美津はもう忘れかけていたが、近藤の話を聞いて自分に一目ぼれした相手はどんな男なのか一度だけ会ってみたいという気がした。「局長、一度だけその方に会わせていただけませんでしょうか?その方との御縁談を断るにしても、ちゃんと相手を見極めてからにしたいのです。」「そうか、では先方にそのように伝えておこう。」近藤はそう言って美津にニッコリと微笑んだ。「ではこれで失礼いたします。」局長室を出て、道場へ向かう途中、美津は背後から視線を感じて振り向いた。「姫様、ご縁談をお受けなさるというのは本当ですか?」四郎は眉間に皺を寄せながら言った。「いいえ四郎、わたしは誰からの縁談をお受けするつもりはないわ。ただわたしを妻にしたいとおっしゃる方がどんな方なのか、会って確かめたいの。」「それならば、わたしは反対いたしません。」安堵の表情を浮かべた四郎は、そう言って美津を抱き締めた。「四郎、わたしの心は全てお前のものよ。昔とは違って、今は何も縛られるものがないんだもの。」凛がどんな事を企んでいるのかは知らないが、四郎との絆は永遠のものだと、美津はその時そう信じていた。
2012年02月28日
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「ねぇ、あの人達、わたし達に協力してくれるかしら?」凛は女中が煎茶とともに持ってきた茶菓子を口に放り込みながら、許婚である金髪の男を見た。「さぁ、どうでしょうかね。彼らは彼らなりに我々を出し抜こうとするかもしれませんよ。その時は、どうするおつもりです?」「決まってるじゃない、2人とも血祭りに上げてやるわ。」凛はそう言って笑った。「彼らとあなたとのご関係は詳しく知りませんが、その口ぶりからすると、長いお付き合いのようですね?」「まぁね。話せば長くなるわ。お前が生まれるずぅっと前から、あの2人とは色々とあってね。」凛の脳裏に、紅蓮の炎に焼かれた村の光景が浮かんだ。暴虐の限りを尽くし、村を焼き払った時のあの快感は、何百年経っても忘れることが出来ない。「あの頃は、楽しかったわ・・今でも、色々と楽しいけれどね。」「お嬢様、お客様がいらっしゃられましたけど、いかがなさいますか?」襖越しに女中が躊躇いがちに主に声をかけた。「お客様?どなたかしら?」「銀髪に紅い瞳をした、綺麗な男の方ですが・・」「通して頂戴。」暫くすると、鬼神―己を惟と名乗っている―が現れた。「久しぶりよのぅ、凛。その顔だと、また悪知恵を働かせておるのか?」「あらぁ、あなたも同じの事を考えているんじゃなくて?そうそう、紹介するわ、こちらはわたしの許婚で、榊様とおっしゃるのよ。」凛は優雅に右手を聖人の方に向けた。「初めまして。どうやらあなたも、凛さんとは長い付き合いのようですね。」「凛、この男気に入ったぞ。人間でも卑しい俗物以外の者がおったとは・・長い間生きていてこのような奴に会うたのは初めてじゃ。」真紅の瞳を煌めかせ、鬼神はじぃっと聖人を見た。「気に入ってくれてよかったわぁ。だってあなたが気に入らないと、わたし達の計画が台無しになってしまうもの。」凛はけたたましく笑いながら、鬼神を見た。「計画とな?もしやあの鬼姫を我が花嫁に迎える計画か?」「まったく、自分の事しか考えていないのは相変わらずねぇ。あなたとわたしにとって一石二鳥の計画を、さっき思いついたのよ。」「ほう?詳しく聞かせて貰おうか?」鬼神はそう言って凛を見た。その頃、新撰組屯所では、美津と四郎に土方の雷が落とされていた。「一体何処行ってやがった!?脱走を企てたんじゃねぇだろうな!?」「いいえ、決してそのような事は考えておりません。皆さまにご迷惑をおかけし、大変申し訳なく思っております。」美津は土方に向かって頭を下げた。「土方さん、いいじゃないですか、2人とも戻って来たんですし。それにあんまり怒ると、皺が増えますよ。」土方の隣に座っていた沖田がそう言って笑った。「今回は許してやる。だが、二度目はねぇと思え!」土方は眉間に皺を寄せ、不機嫌そうにそう怒鳴ると、乱暴に襖をピシャリと閉めて副長室を出て行った。「土方さんたら、最近カッカッし過ぎですよ。放っておくと血圧上がってしまうかもしれないなぁ・・ねぇ、あなた方もそう思うでしょう?」にこにこ笑いながら沖田はそう言って美津と四郎を見た。「今まで何処に行ってらしたんです?まさか、長州の者と会っていたわけではないですよね?」「実は・・」四郎は沖田の耳元で何かを囁いた。「成程、そうですか・・有力な情報を得ましたよ、ありがとう。」真顔で沖田は四郎に礼を言い、副長室を出て行った。「土方さん、待ってくださいよぉ~!」「何だ総司、俺は今忙しいんだ、後にしてくれ。」不機嫌そうな顔をした土方は、そう言って弟分を見た。「先ほど、有力な情報を得たんですよ。話だけでも聞いてくださいます?」「・・あそこの店で詳しく聞かせろ。」土方と沖田は近くの飲み屋へと入って行った。
2012年02月28日
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「姫様っ!」美津を人質に取られた四郎は、抜刀した。「刀をお捨てなさい、さもないとあなたの愛しい人が死ぬことになりますよ。」聖人は美津の首筋に刃を突き立てながら、冷静な口調で言った。「貴様たちは一体何を企んでいる!」「そんなに怒ることないでしょ、四郎?わたし達はただ退屈を紛らわしたいだけなのよ。」凛は笑みを浮かべながら2人の様子を見ていた。「少しお話ししましょうか?あなたが刀を捨ててからね。」「信用できん、刀を捨てたら不意打ちする気だろう?」「そんな卑怯な真似はしませんよ。まぁ、それもあなた次第ですが。」聖人の浅葱色の瞳が、残忍な輝きを放ちながら美津を見た。「わたしに何をさせるつもりだ、貴様ら。」「やっと聞いてくれたわね、肝心なこと。じゃあ教えてあげるわ、お前がすべき事を。」凛はけたたましく笑いながら四郎へと駆け寄り、彼の耳元で何かを囁いた。「わたしに・・汚れ仕事をしろというのか?姫様の命を盾に取り姫様を裏切るように命じて、今度は汚れ仕事をしろと・・貴様らは人の心など持っていない、貴様らは鬼だ!」四郎はそう叫ぶと、聖人と凛を交互に睨みつけた。「何とでも言いなさいな。ここでわたしたちの要求を呑んだ方がお前の為よ。お前の大好きな姫様が酷い目に遭わないように済むにはね。」凛は四郎に顔を近づけ、黄金色の瞳で彼の顔をじっと覗きこんだ。「さあ、どうするの?今すぐわたしたちに協力すると言うのなら、あなたの大好きな姫様は解放してあげる。それと反対のことを言うのなら、お前と姫様を今すぐ八つ裂きにして野良犬の餌にでもしようかしら?」四郎は首筋に刃を突き立てられている美津と目が合った。(彼らに協力しちゃだめ、四郎・・すればあなたはあいつらと同じになってしまう・・)四郎は暫く美津を見ていたが、凛の方へと向き直った。「わたしは何をすればいい?」「賢いわねぇ、お前って。惚れ直したわ。」凛は四郎にしなだれかかり、美津に向かって勝ち誇ったような笑みを浮かべた。「聖人、姫様を離してあげて。もう話は済んだから。」「わかりました。」聖人はそう言って乱暴に美津の背中を押した。「姫様っ!」畳の上に倒れそうになるところを、四郎が寸でのところで抱き留めた。「わたし達に逆らわない方が身のためよ、お二人さん?もし逆らったら、どうなるかわかるわよね?」「お前には負けるものか、どんなことがあっても!」美津はキッと凛を睨みつけながら叫んだ。「随分と強気ねぇ。昔からあなたは気高くて、凛としていたわよね・・それは今になっても変わってないのね。でもそんな強気な態度がいつまで続くかしら?」凛は顔を醜く歪ませて大声で笑い始めた。鬼女の高笑いを見ながら、美津と四郎は彼女に対する激しい怒りを感じていた。「じゃあ、またね。」凛の家を出た美津と四郎は、黙って歩いた。「ねぇ四郎、あなたはあの人達なんかに協力しないわよね?あの女の手先なんかにならないわよね?」「勿論です。いつか必ず家族の仇を取ってみせます。その日までわたしはあの女には従う気はありません。」「その言葉が聴きたかったの。」美津はそう言って四郎に頬笑み、彼の手を繋ごうと自分の手を伸ばした。「決して姫様のお傍を離れません。死があなたとわたしを分かつまで。」「約束よ、四郎。わたし、お前の事を信じているから。」自分に微笑んだ美津の顔は、あの高笑いをしていた狂った鬼女の醜い顔とは違い、天女のような神々しさと美しさに満ちていた。
2012年02月28日
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「あらあら、お前は怨霊にまで好かれるのねぇ。」ゆらゆらと四郎の方へと迫りくる白装束の女を見ながら、凛は呑気にそう言って笑った。“やっと見つけたぞ、お前様。わちきとともに参りましょう・・”白装束の女はゾッとするような笑みを浮かべ、青白い手を四郎の頬へと伸ばした。「わたしに触れるな。」四郎は女に向かって抜刀し、彼女の胸に白刃を突き刺した。女の笑顔が醜く歪み、部屋中に断末魔の叫び声が響いた。耳を聾(ろう)するほどの叫び声に、思わず美津は両耳を塞いで目を閉じた。「あなたの従者はどうやら怨霊とは縁がないようですね、残念です。」彼女の隣で聖人が冷静な口調でそう言って溜息を吐いた。“酷い、お前様・・長年連れ添ったわきちよりも、その小娘を選ぶかえ・・”袖口で両の目から流れる涙を拭いながら、白装束の女は美津を睨んだ。“あんなに愛し合ったというのに・・わきちよりもこのみずぼらしい小娘を選ぶとは、許さぬ!”怒りで醜く顔を歪ませた白装束の女はそう叫ぶと、鋭い爪で美津を引き裂こうと彼女に飛びかかって来た。美津は咄嗟に両腕で顔を守り、目を瞑った。再び部屋に断末魔の叫び声が響いた。「姫様に害をなすものは誰であろうと許さぬ。怨霊であれば、尚更だ。」四郎は白装束の女を睨みながら、彼女に止めの一撃を加えた。彼女は白装束を真紅に染めながら、消えていった。「四郎、彼女は?」「消えましたが・・完全にというわけでもなさそうです。それよりも姫様、お怪我はありませんか?」刀を鞘に納め、四郎は美津に振り向きながら言った。「ええ、わたしは大丈夫よ。お前は?」「わたしは大丈夫です、姫様。」「四郎・・」自分を裏切っても、自分に優しい従者を見て、美津は嬉しくて涙が出そうになった。「あなたを裏切ったつもりで裏切ったのではありません。あの女が、姫様の命と引き換えに倒幕派の仕事を手伝わせようとしたのです。嘘ではありません。」そう言った四郎の瞳は、あの頃と同じように美しく澄んでいた。「お前の事を信じるわ、四郎。お前はわたしを本当に裏切ることなんかできない、いいえ、お前はいつもわたしを・・」「2人だけの世界は其処までにしたら?観客の立場であるわたしたちはいい加減うんざりだわ。」凛は背中から何かを取り出しながら、美津と四郎を交互に睨んだ。「四郎、お前は昔から鬼姫様ばかり見ているのねぇ・・エーリッヒもそうだったわ、あいつを拾ってやったのに、最後はわたしを裏切った・・裏切り者には此処で死んで貰うしかないわねv」凛はけたたましく笑いながら、白刃を煌めかせて美津と四郎に躍りかかった。「お止しなさい。」鈍い金属音がして、聖人が凛と2人との間に割って入った。「邪魔しないでくれる?今からその2人をなぶり殺しにしたい気分なのに。」狂気で輝いた瞳をぎらつかせながら、凛は聖人を睨んだ。「計画をお忘れですか?」凛にしか聞こえないような声で、聖人はそう呟いて彼女を見た。彼女は舌打ちして日本刀を下ろした。「助けてくれて、ありがとう。わたし達はもう行くわ。帰るわよ、四郎。」「はい、姫様。」2人が襖を開けようとすると、聖人が美津の黒髪を鷲掴みし、自分の方へと引き寄せた。「あなた方を、このまま帰すわけにはいきませんよ。」そう言った彼の瞳には、凛と同じ狂気の光が宿っていた。
2012年02月28日
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「本当に、四郎に会わせてくれるの?」美津はそう言って、自分の前を歩く青年を見た。「ええ、勿論ですよ。」青年―榊聖人は天使のような微笑を美津に浮かべた。「あなたは昔から、あの人を追い続けて旅をしていたのですね?」「ええ、そうだけど・・あなたとは何か関係があるの?」「少し興味がありまして。何故そんなに彼女の事を追い続けられるのかと。」聖人の浅葱色の瞳は、好奇心で輝いている。「あの女は・・凛は、わたしの憎い仇だからよ。わたしはあの女に、国と両親を奪われた・・」美津の脳裏に、国と両親を失ったあの夜の事が浮かんだ。燃え盛る城の前で、嬉しそうに笑う凛。炎の中で煌めく禍々しい黄金色の瞳を、今まで忘れたことはなかった。自分の大切なものを全て奪っていった憎い仇。彼女を倒すまでは、逃がしはしない。「そこまでして憎いんですね、彼女の事が。許嫁の僕から言わせていただきますと、彼女はあなたが思っているほど酷い女じゃないですよ。」聖人はそう言って美津を見た。「あなたは何も知らない癖に。あの女が、わたし達をどれ程苦しめてきたかを・・」言葉の端々に凛への憎しみを滲ませ、美津は聖人にそっぽを向いた。凛の“家”に着くまで、2人は一言も口を利かなかった。暫く歩いて行くと、武家屋敷が建ち並ぶ通りに出た。その中に、凛の“家”はあった。「ここですよ。」彼女の“家”は、昔彼女が住んでいたものよりも少し小さく見えた。邸の中へと聖人ともに入ると、提灯を持った女中達が2人を恭しく出迎えた。「お待ちしておりました。お嬢様は奥のお部屋でお待ちになっておられます。」女中の案内で長い廊下の奥へと歩いてゆくと、突然視線を感じて美津は中庭の方を見た。中庭には、白装束姿の女が立っていた。髪は乱れ、紅い櫛しか挿しておらず、その美しい黒い双眸の下には黒い隈に縁取られ、生気を感じさせなかった。女はじぃっと美津を見ていた。何かを訴えたいかのように。(あなたは誰?)「どうかされましたか?」「いいえ、何でもないわ。」そう言って女から慌てて目を逸らすと、突然首筋に生温かい息がかかった。「もしかして、見たんですか?あの女を。」聖人は誰もいない中庭を見ながら、浅葱色の瞳を光らせた。「あなた、彼女を知っているの?」「ええ、少しは。あまりあの女と目を合わせてはいけませんよ、厄介な事になりますから。」「・・わかったわ。」背中に感じたゾクッとした感覚を振り払うかのように、美津は両手で両頬を叩き、女中の後を慌てて追った。「お嬢様、お客様がお着きになられました。」「お客様に入って頂きなさい。」凛の涼やかな声が襖の向こうから聞こえた。女中が襖を開くと、そこには凛と四郎がいた。「お久しぶりね、鬼姫様。」凛は嫣然とした笑みを浮かべて美津を見た。「四郎、どうしてわたしを裏切ったの?」「申し訳ありませんでした、姫様。姫様の命を救う為に、わたしは・・」「言い訳はいいわ、理由をちゃんと話して頂戴。わたしはまだお前を信じているの!だからちゃんと説明して・・」美津がそう言って四郎に詰め寄った時、閉じていた襖が突風によって急に開いた。先ほど彼女が中庭で見かけた白装束の女が、じっと彼女と四郎を見ていた。“やっと見つけたぞ・・”
2012年02月28日
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「あなた、誰・・?」美津はゆっくり顔を上げて、目の前に立っている青年を見つめた。浅葱色の瞳で、青年は無言で彼女を見つめ返した。「あなたが噂の、鬼姫ですね。」青年はそう言って美津にニッコリと微笑んだ。「あなた、どうしてわたしのことを知っているの?一体何者?」美津は直ぐに攻撃できるように身構えた。「そんなに警戒なさらないでください。」青年はゆっくりと、美津の方へ近づいてきた。「来ないで!それ以上来たら刺すわよ!」護身用の懐剣の鞘を抜き、美津はその刃先を青年に突き付けた。「わたしは敵ではありませんよ。」青年は向けられた刃に臆することなく美津を抱き締めた。それは余りにも突然の出来事で、美津は青年の腕の中で目を丸くした。「あなたには剣は似合わない。剣を下ろして下さい。」青年は美津の耳元で優しくそう囁きながら、彼女の手から懐剣を抜き取った。暫くぼうっとしていた美津は、持っていた懐剣がないことに気づき、青年から慌てて離れた。「あなた、何時の間に・・」「言ったでしょう、あなたには剣は似合わないと。」飄々とした口調で青年は懐剣を見つめながら言った。「あなた、何者?その瞳の色だと、異人との混血かしら?」「鋭いですね。あなたにもいらっしゃいますものね、異人さんとの混血が。」(エーリッヒの事を知っている、この男・・)美津の脳裏に、憎らしい仇の姿が浮かんだ。この青年は敵だ。「あなた、あの子に連れられてここに来たんでしょう?」「あの子?誰のことですか?」「とぼけないで。わたし、あの女のやり方は知っているんだから。」言葉の端々に憎しみを滲ませながら、美津は吐き捨てるかのような口調で言った。「あの女?存じ上げませんね。」警戒心を露わにした美津を前に、青年は爽やかな口調でそう言って、彼女の肩に手を置いた。「気安くわたしに触らないでっ!」金切り声を上げ、自分の手を邪険に払い除ける少女の姿は、まるで自分の縄張りを侵されて威嚇している猫のように青年は見えた。その姿を見て、彼は少女に恋に落ちてしまった。「今日はあなたと、あなたの従者についてお話に来たのです。」「四郎に?あなた、四郎と会ったの?」自分を睨みつけている少女の黒曜石のような美しい瞳が微かに輝くのを、見逃しはしなかった。「彼はあなたのことを恋しがっていましたよ。何故、あなたを裏切ってしまったのかと、激しく後悔している様子でした。」「本当に?」「ええ、本当ですよ。今から彼に会いに行きましょうか?」差し出された手を、少女は何の躊躇いもなく握った。自分を見上げる黒い瞳からは、先ほど見せた攻撃的な光は宿っていなかった。彼女をあの男に渡したくないと、この瞬間思った。四郎の裏切りを知り、塞ぎ込んでしまった美津を心配したエーリッヒは、彼女の部屋へと向かった。「姫様、いらっしゃいますか?」襖越しに声をかけたが、返事はない。そうっと襖を開けると、そこには彼女の姿はなかった。(姫様、一体何処に・・)屯所中を探したが、美津の姿は何処にもない。諦めて部屋に戻ろうとした時、井戸で何かが光っていた。光っていたものを拾い上げると、それは美津が護身用に携帯している懐剣だった。(姫様・・)エーリッヒは、妙な胸騒ぎを感じながら、部屋へと戻った。
2012年02月28日
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「お父様、お話って何?」凛が部屋に入ると、“父親”の隣に美しい青年が立っていた。「凛、紹介しよう。お前の許嫁の、榊聖人さんだ。」「許嫁?わたしの?」凛は黄金色の瞳でじっと青年を見た。「お前、綺麗な瞳をしているわね。人間なの?」「ええ、人間ですよ。あなたは?」青年はそう言って凛に微笑んだ。「・・面白いわね、お前。気に入ったわ。」凛は鈴を転がすような声で笑った。「お父上からあなたがある男をここに連れてきたというお話を聞いたのですが、彼に会えますか?」「ええ、会わせてあげるわ。」凛は青年の手を掴んで、部屋から出て行った。一方四郎は凛に与えられた部屋で溜息を吐きながら空に浮かぶ紅い月を見ていた。(姫様・・)紅い月を見ると、美津と過ごした昔の、穏やかな日々を思い出す。身分の違いはあれども、戦など知らずに幸せに生きていた頃の事を。あの時自分には愛する家族がいたが、今はもういない。それは美津も同じことだ。彼女はあの日、自分の国と両親を失った。あの女―黄金色の瞳をした鬼姫が、彼らから全てを奪い取っていった。家族、友人・・自分達にとってかけがえのない全てを、あの鬼姫は己の手の中で粉々に砕いて壊してしまった。決してあの女を許さないと決めたのに、自分は彼女の元で働かざるおえなかった。今頃美津は、自分を想って泣いているのだろうか。(姫様、申し訳ありません・・わたしは・・)今からでも遅くはない。美津の元へ帰ろう。ゆっくりと立ち上がり、部屋を出ようとした時、襖が開いて凛と見慣れぬ顔の青年が立っていた。「四郎、紹介するわね。わたしの許嫁の、榊聖人さんよ。榊さん、こちらがわたしが連れてきた四郎よ。」「君が、凛さんが連れてきたっていう・・」青年はそう言ってじろじろと四郎を見た。「わたしの顔に、何かついていますか?」「・・いいえ。ただ、あなた綺麗な顔をしているなぁと思って。」浅葱色の瞳を好奇心で煌めかせながら、青年は四郎を見つめた。「さてと、行きましょうか。」「何処へだ?」「決まっているじゃない、あなたの愛しい鬼姫様のところよ。」凛は口端を上げて笑いながら、少し青ざめている四郎を愉快そうに見た。屯所の隊士部屋では、美津が頭から布団を被って声を押し殺して泣いていた。あの時からいつも傍に居てくれた従者の突然の裏切りは、美津に計り知れない衝撃を与えた。(四郎・・どうして・・どうしてわたしを裏切ったの?どうしてあんな奴の元に・・)どんなに泣いても、胸にぽっかりと空いた大きな穴はいつまで経っても塞ぐことはできなかった。泣き腫らした目を冷やす為に、美津は部屋を出て井戸へと向かった。空を見上げると、紅い月が浮かんでいた。あの日―国と両親を失い、四郎とエーリッヒとともに長い旅を始めたあの夜空に浮かんでいたのと、同じ月が。(四郎・・)愛しい人の事を思い出し、また目頭が熱くなった。慌てて井戸で汲んだ水で顔を洗う。「何を泣いているのですか?」凛とした声がして、美津はゆっくりと顔を上げた。目の前には、天使のような美しい青年が立っていた。
2012年02月28日
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「ん・・」美津は黒曜石のような瞳をゆっくりと開いた。「姫様、目を覚まされたのですね!」隣でエーリッヒが歓喜に満ちた表情を浮かべながら、彼女の手を握った。「わたし・・どうしたの?」「敵に胸を撃たれて・・わたくしとしたことが、申し訳ありません・・」エーリッヒはそう言って俯いた。美津は目で愛しい男の姿を探した。だがいつも自分の傍に居る彼の姿は、何処にもない。「ねぇ、四郎は何処?何処に居るの?」「姫様、実は・・」エーリッヒは懐から四郎の文を取り出し、美津に渡した。美津は文を読み始めた。読み進める毎に彼女の顔が蒼白になる。「そんな・・嘘でしょう・・」悲痛な叫び声を上げながら美津が投げ出した文には、こう書かれてあった。“姫様、わたしはあなた様のお命を救う為に、あなた様を裏切るしかありませんでした。わたしは弱い人間です。わたしのことはどうぞ忘れてください。あなた様との思い出を胸に、わたしはあなた様の元を去ります。どうぞ、お元気で 四郎“(四郎が・・わたしを裏切ったなんて、嘘よ・・)美津にとって四郎の裏切りは、信じ難いことだった。いつも自分の傍に居て、自分の事を守ってくれた四郎。これまで何度か辛い目に遭ってきたが、四郎がいつも慰め、励ましてくれた。だが、もう彼は自分の傍に居ない。彼は彼女の元へと行ってしまった。「四郎、戻って来てよ・・」美津は小さな声で呟くと、四郎の文を握り締めて嗚咽した。襖越しに、エーリッヒはその声を悲痛な表情を浮かべて聞いていた。「元気ないわね、どうしたの?」一方、四郎は凛の“家”で食事を取らずに部屋の隅に座ったまま、美津の事を考えていた。「・・いいえ、何も。」「またあの鬼姫様の事を考えているんでしょう?お前はいつも、鬼姫様のことが大事だものね。」凛はそう言って溜息を吐いた。「どうしてお前はあの女のことばかり考えてられるのかしら?どうして一度もわたしの事を見てくれないのかしら?」「あなたのことが、嫌いだからです。」四郎は凛と同じ空気を吸いたくないと言わんばかりに、部屋を出て行った。「つれないわねぇ・・ま、その方がいいけどね。」凛は口端に笑みを浮かべて四郎が手をつけなかった食事を食べ始めた。「凛は何処に居る?」「お嬢様でしたら、先ほどあの者の部屋に向かわれたままですが・・」「今すぐあいつを呼んで来い。」「かしこまりました。」男はそう言って溜息を吐いた。「何かと気苦労が多いようですね。」凛とした声が室内に心地よく響き、男は部屋に入って来た青年を見た。日本人にしては珍しい金色の髪を丁髷に結いあげ、色素が薄い浅葱色の瞳をした青年は、人の良さそうな笑みを浮かべて男を見つめた。「凛は我儘でな・・躾けるのが大変だ。」「そういえば、この前彼女が幕府側から槍の遣い手をこちらに連れてきたとかで、我々の間では彼女の話は事欠きませんよ。」「・・褒められたものではないな、それは。」「わたしは周りの噂など気にはしませんよ。」青年はそう言って再び男に微笑んだ。「あんな娘を押しつけられて迷惑だと思っていないか、聖人?」「いいえ、ちっとも。それよりも、会ってみたい者ですねぇ、お嬢様が連れ来られた殿方を。」青年の浅葱色の瞳が、きらりと光った。
2012年02月28日
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「お前は、確か・・新撰組の・・」男はそう言って、四郎をじっと見つめた。男の顔には見覚えがあった。上洛する半月ほど前、一度江戸の町中で会ったことがあった。その時、四郎は昼食を取るために、行きつけの蕎麦屋に入ったのだ。蕎麦屋は昼時とあってか、非常に混雑していた。四郎は店員に蕎麦を注文し、それが来るのを茶を飲みながら待った。その時、いかにも武家風の男と町人風の男が、突然激しい喧嘩を始めた。「何だと貴様、もう一度言うてみよ!」「へんだ、何度でも言ってやらぁ!おめぇの腰にぶら下げてるもんはどうせ飾りなんだろ、お侍さんよ!」四郎は2人の様子を何事かと窺っていた。「どうしたんですか?」周囲の客に聞いてみると、「それがねぇ、お侍さんがあちらの男にぶつかってきたんですよ。男は謝れと言ったけどお侍は頑固にも謝ろうとしないんですよぉ。」という答えが返ってきた。見て見ぬふりをするか、町人の男に加勢しようかと思いながら蕎麦を待っていた四郎が2人の元へと行こうとした時、背後から声がした。「2人とも、周りの者に迷惑であろう、控えよ。」何とも傲岸な口調で壮年の侍が急に立ち上がり、2人の元へとやって来たのだ。「うるせぇや、お前さんには関係ないだろ、引っこんでろ!」「そうはいかぬ。大体つまらぬことで何を意地の張り合いをしておるのだ?見苦しいにもほどがあろう。」壮年の侍に一喝された2人はそそくさと店を出て行った。「お見事でしたな、さっきのお言葉は。」四郎はそう言って壮年の侍を見た。「拙者は当たり前のことをしただけのこと。」彼は茶を飲み、颯爽と店を出て行った。あんなに颯爽とした侍には二度と会うことはあるまいと、四郎はその時思ったのだが・・「あら、彼を知っているの、父様?」四郎と男が顔見知りであることに気付いた凛が、そう言って“父親”を見た。「まぁな。凛、お前は向こうへ行っておれ。」「わかったわ。」凛はチラリと四郎と父親の方を見ると、部屋を出て行った。「あなたは、あの時の・・」「久しいな。済まぬが、そなたには何かと我々に協力してもらう。」「あなたは一体何をしようとしているのですか?」「それは知らぬ方がよいかもしれん。そなたの安全にとってはな。」男の言葉を聞いた四郎は、背筋に悪寒が走るのを感じた。半月ぶりに会った男の顔は厳めしく、何かが彼の心に棲んでいるような感じがした。「そなたはあの鬼姫の従者と娘に聞いたが、まことか?」「はい。それとこの事とはどう関係が・・」「そなたには関係のないことよ。」男はそう言って四郎を睨んだ。「そなたはここで我々に黙って協力すればさえよいのだ。そうすれば鬼姫の命は助けてやろう。話は以上だ。」有無を言わさぬ口調で四郎を再び睨みつけた男は、静かに部屋から出て行った。(一体何がどうなっているのだろう・・)男の正体がわからない四郎は、男の言葉を聞いてますます混乱した。彼が一体何をしているのか、知らなければならない。そうしないと自分の身が危ないかもしれない。巨大な蜘蛛の糸に絡め取られる前に、四郎は自分がここですべき事を考え始めた。机に筆と硯が置いてあるのを見つけた四郎は、その前に座り、美津への手紙を書き始めた。たちまち白い紙は、美津への愛の言葉で埋まった。書き終えた手紙を四郎は懐へとしまった。(姫様、あなたへの想いは嘘ではありませぬ・・)その頃屯所では、胸に銃弾を受けた美津が意識を取り戻し、ゆっくりと目を開けようとしていた。
2012年02月28日
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「善は急げだわ。早速うちへ来て頂戴。話はそれからよ。」凛はそう言って鬼姫の忠実な飼い犬を見た。「姫様を人質に取るつもりか?」「そんなこと、しないわよ。あなただけに用があるんだもの。」「姫様を置いてゆく訳には・・」「あら、こんな状況でもご主人様のことを心配しているの?大した忠犬ぶりだこと。」凛は馬鹿にしたように口元を少し歪ませて笑みを浮かべた。四郎は美津を裏切って彼女の命を取るか、美津への忠義心を捨てるかで、葛藤していた。農民の出である自分に対して城内で唯一温かく接してくれたのは、美津だけだった。自分は彼女の為なら命を捨てる覚悟もできていた。その気持ちは何時でも変わらなかった。しかし、こんな状況に陥るなんて思いもしなかった。自分は悪魔に魅入られてしまったのだ。「さぁ、来るの?来ないの?大事なご主人様の命を危険に晒していいのかしらねぇ?」からかう様な凛の声が、四郎の神経を逆撫でする。「・・わかった・・」四郎は歯軋りしながら、美津の身体を縁側に下ろした。「四郎、何処へ行く?」「・・すまない・・わたしは・・」今はエーリッヒの顔がまともに見られなかった。彼がどんな表情を浮かべているのがわかるから。「お前・・姫様を裏切る気か?」「こうするしかないんだ・・こうするしか。」「お前に裏切られたことを知った姫様は、悲しむぞ。それでもいいっていうのか!?」自分を行かせまいと自分の腕を掴んでいるエーリッヒの腕を、四郎はそっと離した。「姫様を、頼む。」そう言ってエーリッヒに背を向け、凛の方へと歩き出した。「意外とあっさりしてるのね?」黄金色の瞳を光らせながら、悪魔は自分を見た。「お前の父親のもとへ連れて行け、話はそれからだ。」「ええ。」悪魔は手に持っていた提灯を持ち、屯所を出て行った。名残惜しそうに縁側の方を振り返ると、そこには悲痛な表情を浮かべたエーリッヒが茫然と立ち尽くしていた。(すまない、エーリッヒ・・)四郎はエーリッヒに背を向け、歩き始めた。「これに乗って貰うわ。」裏口を出ると、立派な漆塗りの駕籠と担ぎ手が待機していた。先に駕籠に乗った凛に続いて、四郎もその中に入った。「出して頂戴。」漆塗りの高級そうな駕籠を待たせているとは、凛の“家”は余程裕福な商人か、権力を持ってる武士だろう。多分その武士は、幕府に発言権を持っている人物で、裏では倒幕派と繋がっている・・四郎は凛の“父親”の正体をあれこれと憶測しながら、駕籠に揺られていた。「着いたわよ。」凛はチラリと四郎を見てから、駕籠から降りて行った。「お帰りなさいませ、お嬢様。」駕籠から降りると、数人の女中が彼らを出迎えた。「ただいま。お父様に今会えるかしら?」「旦那様は今会合の最中でして・・」「そう、じゃあ暫く待たせて貰うわ。」凛はそう言ってさっさと邸の中へと入って行った。四郎は彼女の後を慌てて追った。「わたしの部屋で父様を待ちましょう。」彼女に案内されて入った部屋には、西洋の時計や装飾品が置いてあり、和洋折衷な部屋となっていた。「お前の父上は、一体誰なんだ?」「お前は知らないのね・・父様は幕府側では知られた存在なのよ。まぁ、下っ端のお前達には関係ないでしょうけど。」凛は四郎を馬鹿にしたように鼻を鳴らし、座布団の上に静かに腰を下ろした。暫くすると、茶と菓子を乗せた盆を持った女中が静かに襖を開けた。「ありがとう、そこに置いておいて頂戴。」女中は四郎と凛の前に茶と菓子を置くと、入った時と同じように、静かに部屋を出て行った。「お前は今夜からここでわたしと暮らしてもらうわ。一度でも逃げようとしたら、あなたのご主人様の命はないと思いなさい、いいわね?」「・・わかった・・」(お許しください、姫様・・わたしはこうするしかなかったのです・・)四郎は美津を裏切ってしまったことに、良心の阿責を感じていた。「さてと、父様はもうすぐこちらにいらっしゃる頃ね。あなたを紹介したら、父様はどんな顔をするのか、楽しみだわv」鈴を転がすような笑い声を上げながら、凛は四郎を見た。その時、数人部の足音が廊下に響いた。「どうやら、会合が終わったようね。」「凛、いるのか?」「ええ、父様。」襖が開き、1人の男が部屋に入ってきた。「あなたは・・」男の顔を見た四郎は、驚愕の表情を浮かべた。
2012年02月28日
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「姫様、しっかりしてください、姫様!」胸に銃弾を受けた美津を、四郎は抱き留めた。「姫様、わたしがわかりますか、姫様!」四郎は美津の頬を叩いたが、何の反応もなかった。「お前は余程鬼姫様のことが好きなのね。」衣擦れの音を立てながら、凛はそう言って想い人を見つめた。「貴様、姫様に何をした!?」「あら、わたしは何もしてないわよ?わたしは鬼姫様が邪魔だから人を雇って彼女を撃って貰っただけ。でもまだ死んではいないようね。」凛は四郎の腕の中で意識を失っている美津を見て、舌打ちした。「一体何が望みだ!?姫様を亡き者にしようとして・・」「全く、お前は鈍いのねぇ。」凛は呆れたように肩を少し竦め、溜息を吐いた。「お前を手に入れる為に決まっているじゃないの。」「わたしの心は姫様のものだ。わたしは姫様の為ならば何でもする!」「主人に身も心も捧げるなんて、まるで忠犬ね。素敵な主従関係だわ。あなたみたいな堅物に色恋のことを話しても無駄のようね。」凛は口端を歪めて馬鹿にしたような笑みを浮かべながら四郎を見た。「あなたは、さっき鬼姫様の為なら何でもする、って言ったわよね?その言葉には嘘はないのね?」「わたしは嘘が大嫌いだ。」「堅物な上に糞真面目なのね、お前は。まぁ、そっちの方がいいけれど。」彼女の黄金色の瞳が、闇の中で異様な光を放った。「お前には少し、協力して貰うわ。」凛は想い人の男に微笑を浮かべながら言った。美津は暗い海底に今まさに沈もうとしていた。(四郎・・何処にいるの?)呼吸を必死でしながら美津は周囲を見渡したが、そこには誰もいない。美津が吐いた息が泡となって海上へと昇ってゆくだけだ。(みんな、何処にいるの?)「それにしても姫様はお転婆が過ぎて困るわ。」突然声がして、美津は再び周囲を見渡した。声は泡の中から聞こえていた。そこには、数人の侍女達と自分の乳母がいた。「そうでしょうとも。いい年頃なのに、嫁の貰い手もないんだから。」「けど姫様はお花やお琴の腕はいいわ。」「でもあんな性格じゃ・・」美津はそれ以上聞いていられなくて、目を閉じた。彼女が生死の境を漂っている頃、四郎は凛を見た。「わたしに何を望む?」「わたし達に協力して欲しいの。」「“わたし達”?」「ええ。わたしと、わたしの父とともに同じ主義を貫く者達に。言っている意味、わかるわよね?あなたは賢いんだから。」そう言って凛はまた口端を上げて笑った。「断る。」「じゃああなたの大事な鬼姫様がどうなってもいいのね?」「この卑怯者が!」「何とでも言えばいいわ。鬼姫様の命はわたしが握っているのよ。それを忘れないことね。」黄金色の瞳を煌めかせ、凛は四郎を見た。凛に協力しないと、美津が死んでしまう。考える時間はない。「わかった・・協力しよう。」「ありがとう、あなたならそう言うと思ったわv」凛は四郎に右手を差し出した。四郎は力なくその手を握った。(これで計画通りだわ・・後はお父様がどう動いてくれるか、楽しみだわv)「忠実な従者を自分の支配下に置くとは・・なかなかの策士だな、あの娘・・」今までの一部始終を木陰に隠れて見ていた鬼神は、そう言って低い声で笑った。「あの犬を娘が始末すれば、姫はわしのものになる。」
2012年02月28日
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「今までどこほっつき歩いとったんや!」舞の稽古へ行くと、お師匠さんが口から火を噴き出しそうな勢いで自分を睨んでいた。「すんまへん・・」「ええか、あんたは努力すれば伸びる子や。さ、稽古始めるで。」「へぇ・・」娘は項垂れて、扇子を取り出した。その華奢な指先は、揺れていた。鳴物と舞の稽古が終わり、置屋へと戻ると、女将が彼女を咎めるような目で見ていた。「あんた今日、舞の稽古すっぽかしてたそうやな。」「すんまへん、おかあさん・・」「ええか、舞妓は舞が命え。舞を舞えん舞妓は祇園町から出て行って貰うえ。あんた、わかってんのやろうな?」「わかってます、おかあさん・・」「今日はお座敷出るのやめて、今後のことをじっくり考えよし。」女将はそう言うと部屋を出て行った。娘はその夜、布団の中で声を押し殺して泣いた。その頃、木屋町の茶屋で、阿片を巡る取引が行われていた。その中心に居るのは、昼間若い娘に阿片を見せたあの少女だ。「御覧なさいな。これは清国から仕入れたばかりの上物の阿片よ。これが欲しい?」阿片を見せた途端、目の前に座っていた侍の目が血走り、阿片に手を伸ばそうとしたが、少女はその手を抓った。「仕事をしてから、これをあげるわ。」「どんな仕事だ?」「それはね・・」少女は侍の耳元で何かを囁いた。「そんなことは・・出来ない・・」「あら、これが欲しくないの?欲しいんでしょう?」侍の前で、少女は阿片をちらつかせながら彼の答えを待った。「何でもやる・・」「いい子ね。」少女はそう言って侍に微笑んだ。「ちゃんと仕留めてきてね。」「わかった。」侍は茶屋を出て、ある場所へと向かった。美津は夢に魘されていた。夢の中では自分と瓜二つの顔をした少女―凛が何度も出てくる。ある時は戦場で。またある時は廃墟の中で。凛はいつも美津の前に現れては、こう言って消えていく。“もうすぐよ、鬼姫様。もうすぐ世界が変わるわ。”今回の夢は、いつものものとは違った。凛と美津がいたのは、ヨーロッパの劇場のような建物の中だった。凛は豪華なドレスを纏い、何かを歌っていたが、やがて自分に気づいて舞台から降りた。“わたしを殺しに来たのね、鬼姫様。”黄金色の瞳を光らせながら、凛は美津をじっと見つめた。その時、数発の銃弾が美津に向って放たれ、美津はゆっくりと床へと崩れ落ちていった。・・四郎、助けて・・薄れゆく意識の中、美津は愛しい人の名前を何度も呼んだ。今回の夢は最悪だと思いながら、美津は鬱陶しそうに前髪を掻き上げた。四郎は隣で静かに寝息を立てている。もう1度寝ようと思った時、微かに足音がした。(エーリッヒかしら?)耳を澄ませてみると、足音は数人分のものだ。巡察していた隊士達が屯所へと戻ったのか、それともーそう思いながら外の様子を窺おうとしたとき、襖が乱暴に開かれ、数人の黒衣を纏った男達が部屋に雪崩れ込んできた。「何者だっ!」美津は長刀で男達の攻撃をかわしながら彼らを睨んだ。「名乗る者ではない。鬼姫、その首、掻き切る!」「やってごらんなさい!」美津は唸り声をあげ、男達の方へと突進した。激しい剣戟が繰り広げられる中、美津は返り血を浴びながら、次々と敵を倒していった。「退け、退けぇ~!」「姫様、お怪我は!?」「四郎・・」美津は四郎に微笑んで彼の元へと駆け寄ろうとした。その時、闇の中から数発の銃弾が飛んできて、美津の身体を貫いた。「姫様~!」「四・・郎・・」銃弾を浴びた美津はゆっくりと床へと崩れ落ちていった。「姫様、しっかりしてください、姫様!」薄れゆく意識の中で、美津は闇の中から凛の笑い声を聞いた。その笑い声は、まさしく悪魔の哄笑そのものだった。「よくやったわね。」凛はそう言って狙撃手に阿片を渡した。「かたじけない。」「冥土の土産よ。」凛は彼に向って銃口を向け、躊躇いもなく引き金を引いた。
2012年02月28日
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「薬が欲しいだと?あれは1度だけだと言った筈だ。失せろ。」鬼神はそう言って娘にそっぽを向いた。「なんでどすか?あの薬をすすめてくれはったんは、主様やないですか。」娘は鬼神の腕を掴み、食い下がってきた。「わしは貪欲な女は好かぬ。お主には薬はやらん。芸事に精進しろ。謂いたいことはそれだけだ。」鬼神は娘の手を乱暴に振り払い、茶店を後にした。「うちは諦めへんえっ!」娘はそう言いながら、去りゆく鬼神の背中を血走った眼でいつまでも睨み続けていた。一方、槍の稽古を終えた四郎は井戸で身体を洗っていた。均整のとれた逞しい筋肉の上を、冷たい水が流れ落ちる様を、井戸端会議をしていた女達が時折裏庭から一枚隔てられただけの木戸から四郎の鍛えられた上半身の筋肉を盗み見ては何かとひそひそと囁き合っていた。「あの筋肉、うちの亭主にはあらへんわ。」「そんなん、うちの亭主もないわ。」「ええ男やなぁ・・」そんな女達の視線も臆することなく、四郎は水浴びをしてからまた稽古を再開した。「何なの、あの人達・・」美津は女達を睨みながら、味噌汁を啜った。「近所の寄合衆の女房達ですよ。何でも四郎が槍の稽古をしている時間を狙って、井戸端会議を開いているそうです。」エーリッヒはそう言って呆れたように井戸端会議に興じる女房達を見た。「ふぅん・・」「姫様、もしかして焼餅を焼いていらっしゃるんですか?」「馬鹿言わないで。」美津はエーリッヒの額を小突きながら立ち上がった。「剣の稽古に行くわよ。エーリッヒ、今度はサボらないで付き合いなさいよね。」「わかりました、姫様・・」今日は自分にとってとんでもない厄日になるだろう・・エーリッヒは稽古着に着替えながらそう思った。その頃、あの娘は鬼神の姿を探しながら洛中を歩いていた。あの薬を彼から貰い、初めてお座敷で緊張せずに舞えた。それは血の滲む様な努力を毎日稽古をした成果なのだが、本人にはそれが薬の効果のお陰なのだと錯覚してしまっていた。あの薬さえあれば、自分は緊張せずに舞える。だから、あの薬を彼から貰わなければ。(どこにおるの・・あの人は、どこにおるの・・?)娘は虚ろな目で鬼神の姿を探し続けた。鬼神の姿は、どこにもなかった。今日は諦めよう。今頃舞のお師匠さんが怒り狂いながら自分の到着を待っている頃だろう。早く彼女のところに行った方がいい。そう思いながら歩いていると、誰かと肩がぶつかった。「すんまへん・・」そう言って娘が振り向くと、琥珀色の美しい瞳が自分を覗き込んでいた。「あなた、アレが欲しいの?」「なんで、そんなこと知って・・」「どうしてかしらね?わたしにはお前が思っていることがわかるのよ。」美しい少女は懐から懐紙に包まれた阿片の粉末を渡した。「あなたにこれ、あげるわ。お金は要らないわ。その代わりに、わたしの頼みを聞いてくれたら、いくらでもあげるわ。」粉末に手をつけてはいけない、と思いながら娘は粉末に手を伸ばそうとした。だが、その手を少女が払い除けた。「言ったでしょう、頼みを聞いてくれたら、いくらでもあげるって。」少女はこの状況を面白がるように黄金色の瞳を光らせた。その時、少女の背後から闇の底から漆黒の手が自分の方へと伸びてくる気がした。自分を闇の底へと引き込もうとする魔の手が。娘は悲鳴を上げ、少女に背を向けて脱兎の如く走り去った。
2012年02月28日
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「姫様、おはようございます。」「ん・・」朝靄に京の街が包まれている時、美津はゆっくりと目を開けた。「まだ起きるのには早いわよ、四郎。もうちょっと寝かせてよ。」「それが、姫様にお客様がお見えなのです。どうしても姫様にお会いしたいと・・」「お客様ですって?こんな朝早くに?」美津は眠い目を擦りながら布団から出て、身支度を整えた。「姫様、こちらです。」四郎に案内され、中庭に出た美津を待っていたのは、自分と同年代の若い町娘だった。「わたしに会いたいって言ってたのは、あなた?」「はい・・」町娘はそう言ってもじもじしながら、美津に文を手渡した。「さっき屯所の近くで男の人から、“壬生にいる姫にこれを渡すように”と言われました。」「そう・・朝早くからありがとう。」美津は町娘に微笑むと、町娘は頬を少し赤く染めて屯所を出て行った。「一体誰かしら・・?」そう言いながら文を読み始めた美津の表情が、段々険しくなっていった。「姫様?」「・・四郎、ちょっと出かけてくるわ。」美津は文を破り捨て、屯所を飛び出していった。(あいつだわ・・わたしに文を送ってきたのは!)美津は目を凝らして周囲を見渡しながら、あの男を探した。彼は屯所の近くにある茶店で静かに美津を待っていた。「あなた、いったいどういうつもりなの?あんな文をわたしに送ってきて・・」「何のことじゃ?」そう言った鬼神は、真紅の双眸で愛しい人を見つめた。「とぼけないで!今後あんなふざけた文を送ってきたら、殺してやるから!」美津は鬼神を目で殺しそうな勢いで睨みつけて、屯所へと戻っていった。「誰が諦めるものか・・そなたはわしの運命の女。必ずやわしの妻にしてみせる。」真紅の瞳が何が何でも美津を妻にするという決意で新たな光を宿した。「姫様、どこへ行かれてましたか?」「屯所近くの茶店よ。あいつと話をしてきたわ。」そう言った美津の瞳には激しい怒りが宿っていた。「まだあの男は姫様に執着しているのですか・・いい加減諦めればいいものを・・」四郎は槍を握り締めながら言った。鬼神をこの槍の穂先で刺し殺せたらどんなにか気が晴れることだろうかと思いながら。「あいつの言うことややることにいちいち腹を立てていては、あいつの思うつぼよ。まぁ、いずれはあいつと対決する日が来るわね。その時はこてんぱんに叩きのめしてやるわ。」「ええ。その時はわたしもお供いたします、姫様。」「ありがとう、四郎。」美津は花のような笑みを浮かべながら、四郎に振り向いた。(姫様、奴は必ずやわたしが仕留めます・・)四郎はそっと、胸に手を当てた。そこは鬼神が呪いをかけた十字の印が刻まれている。あいつたえ倒せば、美津と幸せな生活を送れる。その為には強くならなければ。今までよりももっと強く。「四郎、稽古頑張ってね。」「ありがとうございます、姫様。」四郎は頭を下げ、槍の稽古を再開した。「つまらんな・・」鬼神はそう呟きながら抹茶を飲んだ。「何ぞ嫌な事でもあったんどすか?」「そなたは・・」割れしのぶに髪を結った若い娘の頬は、少し痩けていた。「あのお薬、おくれやす。」白魚のような手を裏返し、娘は鬼神をじっと見つめた。
2012年02月28日
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「かたじけない。」侍はそう言って阿片が入った包みを大事そうに懐にしまい、部屋を出ようとした。「Good Bye!」英国人商人はそう叫んでスーツの内ポケットから拳銃を取り出し、侍に向って引き金を引いた。「不意打ちとは・・卑怯な・・」侍は低く呻き、床にゆっくりと倒れていった。侍が倒れた大理石の床には、徐々に真紅の海が広がっていく。「馬鹿な男だ・・こんなものに夢中になって・・」商人はそう言って侍の脇腹を蹴り、彼が懐に隠している阿片を取り出してそれを勢いよく吸い込んだ。「いい夢を見るのは、わたしだけで充分だ・・この快楽の味は誰にも渡さない。」狂気で血走った商人の蒼い瞳が、仄かに月光に照らされ、不気味な光を放った。「阿片か・・そなたが清国から持ってきた夢を見られる薬は、一度吸ったら病みつきになり、最後は己の骨をしゃぶるまでやめられぬそうだな。」背後から突然聞こえた声に、商人は恐怖で身体を震わせた。「誰だ、そこにいるのは!?」「名乗るほどの者ではない。」漆黒の闇の中で、白銀の髪がゆらりと動き、血のような真紅の瞳が、商人を見つめた。「それが、極上の快楽を味わえるという夢の薬か・・」真紅の瞳が商人から彼が握り締めている阿片へと移った。「これはわたしのものだ!誰にも渡さない!わたしだけが、この薬を味わうのだ。」「愚かな人間・・」次の瞬間、商人の頸動脈は切断され、彼の首は侍の骸の傍に落ちた。鬼神は、手についた商人の血をぺろりと舐めた。「不味い・・」ぺっと異物を吐き出すような感じで鬼神は商人の血を吐きだし、彼の硬くなった手を開き、彼が独占しようとしていた阿片を少し吸った。鬼神の脳裏に、極楽浄土の風景が一瞬浮かんだが、それは瞬く間に消えていった。「何が夢の薬よ・・我ら魔物にとっては毒にも薬にもならぬ・・こんなつまらぬものでよく人間は自らを滅ぼせるものよ・・」鬼神は窓から阿片を投げ捨て、溜息を吐いた。窓に背を向け、彼は商人の机へと向かい、引き出しを開けた。そこには大量の阿片を包んだ袋が入っていた。「あんなものに、溺れていたのか・・やはり人間は愚かよのぅ。」乾いた笑い声を出しながら、鬼神はこの邸にあったすべての阿片を持ち出し、邸を出た。翌日、商人と侍の遺体を、商人の邸に勤めていたメイドが発見した。商人が隠し持っていた阿片は行方知れずとなっており、阿片の密貿易で懐を潤していた他の外国人商人達は人を雇って消えた阿片の行方を追わせた。だが、阿片は煙のように掻き消えてしまった。「阿片を一刻も早く探し出せ!あれがなければ我々の仕事が成り立たなくなる!」彼らは消えた阿片が密かに京へと運ばれていることなど、知る由もなかった。「これは何どすか?」祇園の茶屋で、鬼神は酒を呑みながら懐から阿片が入った袋を取り出したところ、隣に座っていた舞妓がそれに興味を示した。「これか?これは吸えば極上の快楽が味わえるという、夢の薬だそうだ。」「へえ、そんなんあるんどすか。珍しおすなぁ。」「一度だけ試してみるか?」鬼神は舞妓の耳元でそう囁いた。「ええんどすか?」「ああ。ただし一度だけな。」口元に笑みを浮かべながら、鬼神は舞妓に阿片を渡した。真紅の瞳には、冷酷な光が宿っていた。
2012年02月28日
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「あいつらにお仕置きをしてやったわ。」そう言って娘は笑いながら女中達の血に濡れた洋剣を舐めた。「お嬢様、何もあそこまでやらなくても・・」「わかっていないのねぇ、お前は。お喋りな奴は舌を引っこ抜かなきゃいけないわ。二度と余計なことを喋らないようにね。」娘は銀色の刀身を汚している赤黒い液体を、器用に舌で舐め取っていった。「そんなことをしたら、そなたの舌が切れてしまうのではないか?わたしにとってはその方がよいかもしれんがな。」凛とした声が裏庭に響いたかと思うと、闇の中から銀髪の男が幽霊のように現れた。「あら、来てくれたのねv」娘は黄金色の瞳を嬉しそうに光らせながら男を見た。「その男は?」銀髪の男―鬼神はそう言って娘の隣に控えている丁髷の男を見た。「わたしはお嬢様にお仕えする、猶間匡家(なおまただすけ)と申す。そなたは?」「わたしに名はない。敢えて名乗るなら、惟(ゆい)と名乗っておこう。」鬼神は匡家をチラリと見ながら言った。「どうしたの、こんなところにわざわざ来るなんてvいつもはこんな堅苦しいところ、来たくないって言って寄り付かないのにぃ。」「ちょっとお主に用があってな。」鬼神はチラリと匡家を見て行った。「少し、席を外してくれるかしら?」「いいえ、ここにおります。」匡家は鬼神を睨みながら、娘の隣に座った。」「お前は空気ってものが読めないのね。それでもわたしの従者なの?」呆れたような溜息を吐き、扇子を開いた。「わかりました。」匡家は鬼神を睨みながら部屋を出て行った。「話とはなんだ?」「あのね、父上が今長州の方々とお付き合いしていらっしゃることは、ご存知よね?」「ああ。それがどうした?」「ちょっと耳を貸して。」娘は鬼神の耳元で、何かを囁いた。「そうか・・それはよい手だな。」鬼神の真紅の瞳がきらりと光った。「そうでしょう?あなたは鬼姫様を自分のものにしたい。わたしはあの従者を手に入れたい。この作戦ならお互いに欲しい物が手に入れられるじゃない?」「それはそうだな。また来る。」鬼神はそう言って娘に背を向け、彼女の部屋を出て行った。「お嬢様と何を話していた?」部屋を出た途端、匡家はそう言って鬼神の胸倉を掴んだ。「何も話してなどいない。もし彼女と話していたとしても、それはそなたには関係のないことだ。」「関係のないことだと?」「ああ。彼女にとってそなたは忠実な犬に過ぎぬからな。」匡家の黒真珠の瞳と、鬼神の紅玉の瞳との間に静かな火花が散った。「・・もしそうだとしても、わたしは一生お嬢様にお仕えする。お前などにお嬢様を渡すものか!」匡家はそう言って鬼神を突き飛ばし、屋敷の中へと入っていった。「愚か者め。そなたがあの娘の心を掴めると思っているのか?人間はいつも愚かな者よの・・」鬼神は口元に冷笑を浮かべながら、闇の中へと消えていった。その頃京から遠く離れた横浜の、とある英国人商人と、数人の侍達があるものを取引しようとしていた。「これで足りますかな?」商人がそう言って侍の1人にあるものを渡した。「ええ、充分です。」侍は懐紙に包まれたものをそっと取り出した。それは高純度の阿片だった。
2012年02月28日
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「お嬢様、あの男とは知り合いなのですか?」家へと帰る途中、鬼神と話していた娘の隣を歩いている男はそう言って彼女を見た。「ええ、知り合いよ。いい意味でも、悪い意味でもね。」娘はそう言って従者を見た。「お前、あいつのことが気になるの?わたしが好きだから?」「いえ、そんなことは・・」従者の端正な顔が、少し朱色に染まった。「照れちゃって、可愛いのね、お前。」娘は彼をからかう様にくすくすと笑った。「心配しないで、わたしはあいつとはそんな関係じゃないわ。彼はわたしと同族、ただそれだけよ。」娘はそう言って前を向いて家へと歩いて行った。2人が辿り着いたのは、門構えが立派な武家屋敷だった。「お嬢様、お帰りなさいませ。」門の前で提灯を持った女中数人がそう言って娘を出迎えた。「ただいま。父上はさぞやお怒りでしょうね。」「ええ・・嫁入り前の娘が夕暮れ時になっても帰ってこない、どうしたんだと問い詰められまして・・」「ごめんなさいね、お前達に要らない心配をかけちゃって。」娘は女中達に微笑みながら、屋敷の中へと入っていった。娘とその従者が屋敷の中へと入っていくのを見送った女中達は、庭の隅の方へと集まった。「それにしてもお嬢様は一体何をなさってたんだろうねぇ、こんな時間まで。」「どうせ遊んでたに決まってるさ。いくら旦那様がお嬢様に甘いからって、若い娘が羽目を外していいのかね?」「奥様があれじゃ嫁の貰い手がなくなるとかお嘆きになっていらっしゃるけれど、あれじゃあどこにも嫁げやしないわね。」彼女達の噂話を、暗闇の中から従者が聞き耳を立てていた。「そう・・あいつらがそんなことを言ってたの。」自分の部屋で寛いでいた娘はそう言って従者を見た。「お嬢様、あの者達をどうなさいますか?」従者は主の命令が下されるのをじっと待った。「あんな奴らのことなんか、わたし気にしてないわ。でも・・」娘は壁に立てかけてある洋剣(サーベル)を手に取り、鞘から刀身を少しずつ引き出した。「少しお仕置きが必要ね。特に、お喋りな雀達には。」娘はそう言って不敵な笑みを浮かべた。銀色に光る刀身には、娘の冷酷だが美しい顔が浮かんでいた。「あ~あ、今日は疲れたね。」「全くだよ。奥様がいつも以上に神経質になっていらっしゃたしね。」「お嬢様の所為だよ。何もかもあのお嬢様の所為で・・」噂話をしていた女中達は互いに愚痴をこぼし合いながら使用人部屋へと向かっていた。「あら、わたしの所為で何がどうしたっていうのかしら?」突然彼女達の前に洋剣を持った娘が現れた。「お、お嬢様、わたしたちに何かご用でしょうか?」「何もないわよ。ねぇ、知ってる?あるところにお喋りな雀がいて、鳥たちの秘密を何もかも他の動物に話してしまうから、その雀は二度と口が利けないように、舌を抜かれたんですって。」女中達は娘を怯えた表情を浮かべながら見た。「お前達はおしゃべりで愚かな雀・・だから、二度と口が利けないようにしてあげるわ。ねぇ、いい方法だと思わない?」耳を劈くような悲鳴が裏庭にこだました。「うるさい鳴き声ね。お喋りな上に鳴き声まで醜いのね、お前達は。」娘は舌を切り取られて地面に蹲る女中達を冷たく見下ろした。淡い月光が娘の姿を照らし、娘の黄金色の瞳が美しい光を放った。だがその光は女中達にとって、魔物が放つ禍々しい光だった。
2012年02月28日
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「ねぇさっき、あそこの呉服屋で壬生狼が騒いでいたわよ。」そう言ってあの日、茶店の前に座っていた武家風の若い娘は銀髪の男を見た。「そうか・・奴らは早々、京の者達に嫌われてしまったのか・・」男は溜息を吐いた。「そりゃぁ、ここは帝のおわす京の都だもの。幕府側の人間よりも勤皇の志士様たちの方が人気があるわよ。関東から来た田舎侍に京の警護なんてされたくないわよね。」娘は男の反応を楽しそうに見ながら歩いた。「あいつら、いつ京を出て行くのかしらね?あの芹沢っていう男がいる限り、あいつらは京の人々に完全に嫌われる。それも永遠にね。」艶やかな黒髪を高島田に結い上げ、真珠の簪を揺らしながら、娘は大きな声を出して笑った。「楽しそうだのう、お前は。」「ええ、とっても楽しいわよ。だってこれから、人間達の殺し合いが毎日間近で見られるんだもの。こんな愉快なことってないわ。」娘はそう言って男を見た。「あなただって京に来て嬉しいと思ったでしょう?」「まぁな・・」男はフッと笑みを浮かべながら、夕闇に包まれつつある京の街を歩いた。「ねぇ、今夜泊まるところがないならうちに来たら?お父様もあなたのこと歓迎してくださるわよ、きっと。」娘は慌てて男の後を追いながら言った。「遠慮しておこう。どうやらそなたの父上とは反りが合わぬのでな。」男は娘の方を振り返りもせずに去っていった。「んもう、愛想が悪いんだから・・」娘は頬を膨らませながら、去っていく男の背中をいつまでも見送った。「お嬢様、そんなところにおられましたか。」いつの間にか娘の隣に、長身の男が立っていた。丁髷を結い、腰に刀を二本差した男は、娘の家で働いている若者だった。「お前をここに来させたのはお父様ね、きっと。」娘はそう言って男を見て、歩き出した。(美津は壬生狼の中にいるか・・とすれば、ますますこちら側に入れるのか無理か・・)居酒屋の中で、銀髪の男―鬼神はそう思いながら酒を飲んでいた。(あの娘がとんでもないことをやらかさなければよいが・・こちらが慎重に動いている最中にあの娘が美津に全てこちらの計画をバラしてしまったら、元も子もないからな。)初めて会った時から、あの娘は自分にとって頭痛の種だった。利害が一致するという理由で彼女とは手を組んだものの、娘のわがままに数百年間も振り回され、鬼神は少し疲れてきた。(あやつと手を組んだのは間違いだったかもしれぬ・・あの娘とはいつか手を切らねばな・・)「おう、こんなところにいたのか。」鬼神が顔を上げると、そこには赤の縦縞の派手な着物を着た男がいた。「なぜ、わたしの場所がわかった?」鬼神は嫌そうな顔をして、男を見た。「そんな顔することないだろ、酷ぇな。同じ釜の飯食ってる仲間だってのによ。」男は鬼神の肩を強く叩いた。鬼神はその痛みで顔をしかめた。「あんたさ、あのお嬢様と親しくしてんだろ?いったいどんなコネ持ってんだ?」「貴様に話すつもりはない。」鬼神はそう言って男を睨むと、勘定を払い店を出た。「つれねぇなぁ・・」(今日はあの娘にも絡まれたし、そのうえあんな男にまで・・あやつらに構っている時間など、ないというのに。)鬼神は溜息を吐きながら、美津を自分のものにするために何をすればよいのかを考え始めた。(まずは、あの男を美津から引き離すしかあるまい・・)夜道の中で、鬼神の真紅の双眸が不気味に光った。
2012年02月28日
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店の中に入ると、そこは商品である織物がずたずたに引き裂かれ、番台がひっくり返り、その破片が床に散らばっているという惨状が広がっていた。「いったいこれは・・」四郎は店の奥へと入っていった。美津はしばらく店の中を見て回った。まるで嵐が通り過ぎたかのように、店の中は滅茶苦茶に破壊されている。「いったい何があったというの?」「主人が我らに金を貸さないから、思い知らせてやっただけだ。」背後から声がして美津が振り向くと、そこには色白で顔の右半分を前髪で覆った男が立っていた。「新見先生・・芹沢先生はどこですか?」美津は新見が纏う殺気に怯むことなく、彼と向き合った。「芹沢先生なら、店の奥にいる。」新見は顎で店の奥をしゃくりながら言った。「それにしても、いささか乱暴すぎるんじゃありませんか?突然店にやってきては金を貸せと言って、断らなかったらこんな乱暴な真似をなさるなんて・・京の治安を守る先生達がこんなことをするようでは、誤解されてしまいますわよ?」「貴様に何がわかる。」新見は美津をギロリと睨み、店を荒々しく出て行った。(嫌な奴。)美津は溜息を吐きながら、店の奥へと向かった。「おやめください、芹沢先生!」「離せ、離せよっ!」そこでは鉄扇を店の女中と思しき1人の少女に振りかざそうとしている芹沢を必死で押さえている四郎の姿があった。「こいつ、目上の者に対して口の利き方を親から教わってねぇようだから、俺が身体でわからせてやるぜ!」「おやめください、芹沢先生!」四郎は暴走寸前の芹沢を必死で取り押さえた。芹沢の顔は怒りで赤く染まり、目は充血して真っ赤になっている。「いったい何があったというの、四郎?」2人の姿を交互に見ながら、美津はそう言って女中の方を見た。14,5くらいの女中は、怯えた表情を浮かべていた。「それが、芹沢先生が突然この娘に怒り出して・・」「芹沢先生。」美津はそっと芹沢に近づいた。「なんだ、小娘!俺の楽しみを邪魔するんじゃねぇ!」芹沢はそう言って美津を睨んだ。「年端のいかない娘を怯えさせるのが、芹沢先生の楽しみだなんて、ご存知ありませんでしたわ。でも、それが忠心報国を志す先生の行動でしょうかしら?」「ちっ、食えねぇ娘だ!退け!」舌打ちした芹沢は、四郎を乱暴に押し退けて店から出て行った。「大丈夫?」美津が女中の方に近寄ろうとすると、彼女は悲鳴を上げて部屋から脱兎の如く飛び出していった。「私達はどうやら、嫌われてしまったようね・・」「そうですね、姫様。」美津と四郎が店から出ると、騒動を聞きつけてやってきた野次馬が2人に冷たい視線を投げつけた。その視線は旅をしている途中、何度も投げつけられたことがあったが、これほどまでに冷たい視線は美津は感じたことがなかった。(京のひとたちは、私達のことを嫌っているわ・・完全に。)彼らと心から理解しあえることはないだろうと、美津は思った。かつて、自分が歩み寄ろうとした者達が一斉に背を向けて自分から逃げ出してしまったのと同じように。そんなのはもう慣れっこになっていた筈なのに、美津は今、何故かとても寂しく、悲しい気持ちになっていた。
2012年02月28日
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美津達一行は、京都の壬生村へと入っていった。「諸君、長旅大儀である。」そう言って浪士達を労ったのは、清河八郎であった。彼は浪士達を壬生の新徳寺へと集め、重大な発表をしようとしていた。「諸君をこの場に集めたのは他でもない、尊王攘夷の為である。我々の任務は公方様をお守りすることではなく、天子様をお守りすることである。」清河の言葉を聞いた浪士達は一斉にざわめいた。「どういうこと?江戸では将軍警護の為だと言っていたのに・・」美津はうろたえながら隣に座っている四郎を見た。「案ずることはありません、姫様。」四郎は美津の手を握った。「我々とともに天子様をお守りしたい者はいるか!いるのならわたしとともに行動せよ!」1人、また1人と浪士が清河の元へ行き、その他の者は新徳寺を出て行った。そして最終的に残ったのは、多摩出身の近藤勇、土方歳三の試衛館派と、芹沢鴨、新見錦ら元天狗党派の8人だけとなった。「わたしたちはどうなさいますか、姫様?」「そうね・・あの清河って人の話は信用できないわ。ここは京に残った方がいいかもしれない・・」「姫様が、そうおっしゃるのなら、わたしたちもここに残ります。」その後、近藤ら試衛館派と芹沢ら元天狗党派は前川家と八木家に屯所を構え、京での生活を始めた。それと同時に美津達も、近藤達試衛館派とともに暮らすことになった。「ねぇ四郎、あの芹沢って人、どう思う?」京へ着いた夜、美津はそう言って隣で眠る四郎を見た。「あの方ですか・・元天狗党の方だということですが・・道中であんな騒動を起こした方ですから、あまり信用しない方がいいかもしれませんね。」「そうね・・」美津の脳裏に、芹沢と初めて会った時のことが浮かんだ。芹沢とは、京へと向かう道中の疲れを取る為に泊まった宿の廊下で出会った。「お前が鬼姫か。」そう言った芹沢は好奇心を剥き出しにして美津の全身を舐めるように見た。「なにか御用ですか?」「いや、何も。」「そうですか、では失礼いたします。」美津は芹沢に頭を下げてさっさと部屋へと入った。あの時の、全身に絡みつくような芹沢の視線は、忘れたくても忘れられなかった。あの男は信用できないー美津はそんな気がしてならなかった。僅か8人で始まった壬生浪士組の活動は、1ヶ月経った後、正式に会津藩の御預かりとなり、「壬生浪士組」と名乗ることになった。壬生浪士組の主な仕事は市中の警護。「いよいよ壬生浪士組が始まるわね、四郎。」「ええ、姫様。」「芹沢って人、何か騒ぎを起こさなければいいけれど・・」「そうですね・・」芹沢が何かしでかすのではないかと、美津達は危惧していた。そして、その危惧は的中した。芹沢は、近藤達とは別に商人から多額の金を借りたり、拒否する商人には暴力を振るうなど、やくざまがいの行動を取り始めたのである。いつからか京の人々はそんな芹沢の行動を見て、「壬生に住む狼」という侮蔑の意味を込めて「壬生狼(みぶろ)」と壬生浪士組のことを呼ぶようになっていた。ある日のこと。巡回中で会った美津と四郎は、芹沢が商家へ押し掛けているのを見かけた。「またあの人達、お金を借りるつもりかしら?これで一体何回目だと・・」美津がそう言って溜息を吐いた時、店の中から大きな物音がした。「行くわよ、四郎!」「はい、姫様。」
2012年02月28日
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