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E-2ホークアイ。 各種作業車も展示中。 これが海兵隊の本来の姿なのでしょうね。 1400頃まで見て廻った。 帰りのJRが込みそうだったので、ちょっと早めに帰路についた。 シャトルバスは2時間待ちとの事だったので、岩国駅まで徒歩移動。 すると、今度は駅が渋滞中。 入場制限を行っていた。 30分ほど待ってようやく入場できた。 このようにして、フレンドシップデー2024を満喫したが、結局、何も買わなかった。 特に何か米国ならではのメシを買いたかったが、行列が長すぎて、並んでいるだけで時間の大半を消費してしまいそうな感じだった。 又、暑さが予想されたので、水を多めに持参したが、これは大正解だった。500ccの小型ペットボトルを7本ほど持って行ったので、脱水状態にならずに済んだ。
2024.05.25
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F/A-18はマルチロール機というだけあって、色々な曲芸飛行が出来ますね。 陸上自衛隊の軽装甲機動車も展示中。 岩国ベースの参加は、主役の米軍以外に、陸海空の自衛隊も参加して賑やかですね。 会場内は至る所にMPが警戒していたが、移動交番?のような車両もあった。 CH-53Eスーパースタリオン。 日本では海上自衛隊で使用されていたが、既に退役したそうだ。 AH-64Dアパッチ・ロングボウ。 前後の座席の内、操縦士は後方で、前方は火器担当だそうだ。
2024.05.24
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F-35ライトニング。 そういえば、ベース内に「ライトニング通り」がありましたね。軽トラックも軍用車として使用中。米軍の皆様も、しっかりミリタリーグッズを売っていますね。 これは陸上自衛隊のアンビュでしょうね。 そういえば、この日は暑かったので、アンビュも活躍していたようです。 V-22オスプレイはヘリコプターのCH-47より航続距離が長いので、離島防衛には極めて有効でしょうね。 もう墜落しなければ良いのですが・・・・。 露店の飲食物は米国式なので、あまり見慣れないものが大半ですね。 何より、サイズが大型。 装甲車か?と思ってよく見ると、消防車のようだ。陸上自衛隊の16式機動戦闘車も展示中。
2024.05.23
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F-2は米国のF-16をベースに開発されたそうだが、改めて見てみるとF-15Jではエンジンは2基だったが、こちらは1基ですね。
2024.05.21
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これもオスプレイ・・・・・・。かなり低速で飛行中。着艦フック?
2024.05.20
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撮影禁止! これが撮影禁止とされたエリアだが皆様、普通にスマホで撮影していた。 MPも居たが、咎める事もなかった。 まあ、見られて困るモノは見えない場所に移動済みなのだろう。 露店用の商品が山積みされてた。 消火栓は米国式ですね。 これはA-4スカイホーク? さて、ようやく滑走路が見えてきた。 この時、何かの式典が行われていたらしく、米国国歌がスピーカーから流れて来た。 すると、近くに居たMPは直立不動の姿勢で国歌が終わるまで立っていた。 ベース内では、このバギーのようなクルマが多数使用されていた。 救急車は日産。 バギーには6輪タイプもあり。航空自衛隊も展示。パトリオットミサイル。オスプレイはコックピットが公開されていた。
2024.05.19
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毎年、5月5日に米軍岩国ベース内で実施されるフレンドシップデー。 昨年は雨天だったので行かなかったが、今年は青天の予報が出ていたので久しぶりに行ってみた。 前回は0830頃に岩国駅到着の列車で行ったが、多くの客が居て、入場までに2時間近くかかってしまったので、今年は0800到着の列車とした。 岩国駅から岩国ベースまで、500円のシャトルバスが運行されていたが、「1時間待ち」と表示が出ていた。 一方、「徒歩30分」という表示もあった。 そこで、前回同様に徒歩で移動。 確かに岩国ベース入口のゲートまでは、さほど混まずに徒歩30分で到着した。 前回はゲートの1kmほど前から大渋滞していたが、確かにゲートまでは問題なく到着。 しかし、ここからが問題だった。 最初のゲートまではフリーパスで簡単に入場できたものの、セキュリティチェックゲートが別にあって、これが大渋滞。 まず、身分証のチェック。 次にボディチェックと手荷物チェック。 手荷物はポケットまで全てのチャックを開いて、中身を改めていた。 20名近い検査員がいるものの、一人一人にこの検査を行うので、時間がかかる。 チェックゲートを通過するのに1時間近くかかってしまった。 ベース内は米国の街並みのようだが、標識は日本式ながら、街路名表示は米国風。 因みに、クルマは日本式に左側を走っていた。 さて、セキュリティを無事通過してベース内を移動するのだが、広いので滑走路までは更に30分近く歩く必要があった。 米軍関係者?と思われる方々が露店を出していたが、売られている商品はあまり見かけない米国風。
2024.05.18
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さて、74式戦車の体験試乗が行われているとの事で、会場まで行ってみた。 74式戦車後部に籠を設置してここに数人乗せて100m程度走るといった内容だが・・・・・・・こ、これは「タンクデサント」ではないか!! タンクデサント(戦車跨乗)といえば、大東亜戦争中に、PPSh-41を手にしたソ連兵がT-34に跨乗して突撃するシーンが思い浮かぶが、生身なので、死傷率が極めて高く、平均寿命は2~3週間程度だったとか聞いた事がある。 お客様は、折角テッパチを被っているので、是非、レプリカの64式小銃を手にして乗って欲しいものだ。 これはひょっとして三菱ジープ? 確か2001年頃には製造中止の筈なので、なかなか長持ちしている。オタクと思われる人が写真を撮っていた。リアカーも現役。 帰り際に、もう一度、正門横の自走高射機関砲、60式自走106㎜無反動砲、61式戦車等を見てから退出した。 因みに、自走高射機関砲や60式自走106㎜無反動砲は、動いているシーンを目にした事は無いが、61式戦車は退役直前に動いているシーンを見たことがある。正門横にあった「electric mobile barrier」とは一体何か?どうも、電動のバリケードのようですね。 いやーー1日、歩き回って疲れましたね。 しかし、天気も良く、74式戦車を見られたのは良かったですね。 今回の土産は、OD色や迷彩のTシャツ、迷彩手袋等を購入。 因みに駐屯地内のコンビニにはミリタリーグッズを買い求める方々で満員状態だった。
2024.01.07
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ところで、自衛隊装備品に多用されているOD色(オリーブドラブ色、Olive Drab)は、黒色と黄色を等量混ぜて調色されるそうだ。 155㎜榴弾砲(FH70)にはスバル製1800ccのガソリンエンジンが付いていて、短距離なら自走砲のように牽引車無しでの移動も可能だそうだ。 多用途ヘリコプターUH-1Jは、元々米軍のUH-1「イロコイ」のライセンス生産品。 乗員の皆様が食べる昼食が置いてあった。 広島駅弁当製の「マッスル弁当200」だそうだ。メシの量が一般の弁当よりやや多い気がする。 科学防護車が活躍するシーンはちょっと恐ろしいですね。
2024.01.06
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96式装輪装甲車。14.5トン。 キャタピラー式の73式装甲車の後継で、装甲のスペックは非公表。 78式戦車回収車。 ベースは74式戦車そのもので、74式戦車の牽引や回収等に使用される車両。 ところで、74式戦車は退役するそうだが、この78式戦車回収車はどうなるのだろうか?さて、訓練展示も終了したので、74式戦車が展示会場にやって来た。78式戦車回収車のキャタピラー跡。展示会場に74式戦車等と共に整列した78式戦車回収車。16式機動戦闘車は、よく見ると走行がボルト固定の交換可能タイプのようですね。
2024.01.05
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この場合のBGMはワグナーの「ワルキューレ」でしょうか。それも単なるBGMではなく、ヘリに搭載されてたスピーカーから大音量で鳴らしながら接近すると「地獄の黙示録」・・・・。 CH-47は、以前にカミサンが宮島に業務で行く際に搭乗したそうだが、結構広くて乗り心地が良かったそうだ。 確か岩国基地から飛来したP-3だと思う。 155㎜榴弾砲の砲撃準備中。 何故かスライリーも登場。 空砲とはいえ、相当な音量。 因みに、記念日行事前に予行演習を行った際は、近隣住民より「爆破音がした!」と警察に通報があったそうだ。 前回は155㎜榴弾砲の砲撃は数発程度だったが、今回は大盤振る舞いでドカドカと10数発あり。 74式戦車の砲撃シーンは撮影できなかったが、155㎜榴弾砲は近くだったので撮影には好都合だった。
2024.01.04
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写真を撮っていて気が付いたのだが、ナンバーの「13」は第13旅団に合わせてあるという事なのだろう。 これは確か120㎜迫撃砲ですね。155㎜榴弾砲轟音を響かせて74式戦車の入場。 続いて今回初登場の16式機動戦闘車。 拙者は、軍事オタクではないので、詳細は知らないが、主砲は74式戦車と同じ105㎜。 装輪車で、26トンと軽量。 26トンといえば、「ゴジラ-1.0」に登場して、75㎜砲を撃っていた帝国陸軍の四式中戦車(30トン)に近い。 四式中戦車(Wikipediaより転載) 因みに、74式戦車は退役との事だが、代わって最新式の10式戦車か、或は1代前の90式戦車が配属されるか?と思っていたが、自衛隊員の説明では、新たな戦車は配備されないとの事だった。 代わって16式機動戦闘車が配備されるとの事だが、これは戦車ではナイ。
2024.01.03
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元旦の夕方、変わり映えのしない正月番組を見ていたところ、携帯の緊急地震速報が鳴動。 間もなくテレビも緊急特番に変わってた。 能登半島地震発生! 拙者の住んでいる広島でも数分間にわたって震度1~2程度の揺れを感じた。 丁度、夕刻、長男が来て、遅めの正月お祝いをしたが、テレビは絶えずニュースが流れ続けていた。 こうなると、気になるのが緊急招集。 間もなく国防軍(仮名)に勤務するカミサンのスマホに緊急連絡が入った。 訓練ではナイ。 第1種乙発令。 まあ、正月休みが取り消しとまでは行かなかったが、ノンビリとテレビを見て酒を飲む雰囲気では無い。 そうこうしている内に、2日には羽田では日航機が衝突・火災事故まで発生。 2024年は暗雲が漂っている? 因みに、前回、非常呼集が発せられたのは、2018年の広島豪雨災害だったが、カミサンは1ヶ月間休みなしで、連日0600~1900の激務だった。 最後は過労でかなり辛かったようだ。 銃後の守りの拙者は、しっかりカミサンを送り出したいところだ。
2024.01.02
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さて、小火器類は一通り終了。 ここからは現在使用中の装備品各種。 拙者は入浴出来ないような断水に遭遇した事は無いが、第13旅団の提供する入浴施設は「もみじの湯」と呼ばれている。 一応、脱衣室、浴槽、そしてカランも設置されていて普通の銭湯のような感じ。 給水車もあるので、どこでも設置可能。この野外炊具1号は、灯油を燃料として各種調理ができるそうだ。 救急車は「アンビュ」(ambulance)とも呼ばれているそうだが、よく見ると4床ありますね。展示車をじっくり見ているときりがありませんね。
2024.01.01
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さて、ここからは現役の装備品。手で砲弾を砲口から装填するので、相当な重労働だと思われる。 こちらなら、かなり楽そうに思える。 しかし帝国陸軍の97式中迫撃砲と基本的に殆ど変わっていないような気がする・・・・・。97式中迫撃砲(Wikipediaより転載)ボルトアクションなのですね。「対人狙撃銃」とは、目的がしっかりしてますね。 できればスコープの中央には写りたくないものですね。「ア・タ・レ・3」がキッチリ刻印されていますね。バナナ型弾倉は、AK47やAK74に似ていますね。鎖で厳重に繋ぎとめてある。 以前は手に取って触れたが、最近は一切ダメなのだそうだ。 拙者は、別に兵器ヲタクではないが、軍用品、特に武器の無駄のないデザイン、究極の機能美は惚れ惚れする程美しいですね。
2023.12.26
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11月26日(日)、広島県安芸郡海田町にある陸上自衛隊中部方面隊第13旅団の記念日行事が挙行された。 そこで、銃後の拙者も、早速出動した。 0830 既に門前は見学者の列が100m近くあった。0853 定刻より少し早く入場開始。因みに、怪しまれない為に、服装はOD色のジャンパーに、同じくOD色の腕時計。 以前は一般車も入場可だったが、最近は招待客のみ入場可らしい。 74式戦車も正門前の展示車両に加わっていた。 そう、今回の訓練展示は動く74式戦車を見られる最後の機会だそうだ。これは確か60式106㎜無反動砲。 退役して久しい自走高射機関砲。 これは米軍のM42ダスター自走高射機関砲 これも退役して久しい61式戦車。 よく怪獣映画に出演していた。 露店が幾つかあったが、前回来た際と何か違う。 そう、前回は自衛隊員が各中隊毎に出店していたが、今回は全て業者の店。 カミサンの話によれば、最近、自衛隊員の出店は禁止されたのだそうだ。 ウェポンチェック。 やはり軍事基地だけあって、それらしい設備が方々に見られる。 因みに、陸上自衛隊の場合、「基地」ではナイ、「駐屯地」が正解。さて、ここからは現役の装備品。
2023.12.25
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自転車で呉まで行った。久しぶりに潜水艦桟橋へ。後舵装置がX舵なので、そうりゅう型又はたいげい型だと思うが、艦名は不明。「イ-201」のように司令塔側面にハッキリ描いていると良いのだが。ついでに軍艦旗も。多分どれかが「514」で最新型のたいげい型潜水艦「はくげい」一番手前の潜水艦は司令塔下部がたいげい型のように思える。「403」は潜水艦救護艦「ちはや」。「483」は敷設艦「むろと」呉駅前のそごう跡。そごう呉店は1990年開店、2013年閉店。その後、10年近く空家のままだったが、最近、取り壊して、再び再開発ビルを建てる事が決まったそうだ。呉市は製鉄所が撤退するとかで、再開発ビルを建てても、テナントが入る見込みはあるのか?二河橋。1932年竣工。最近、竣工当時の姿に復元された。
2023.06.25
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既に退役した過去の自衛隊機が展示してあった。F-86のロケット弾はゴジラ攻撃用ですね。昔、亡父がF-104Jのプラモデルを組み立てて拙者に見せた記憶がある。基地内の植栽は根元付近が刈り込まれている。C-46しかし、C-46の胴体は太いですね。その後、急いで離脱。一路広島へ。幸い殆ど雨には遭わずに済んだ。又、宍道森林公園キャンプ場は1泊分キャンセルしたが、後日、悪天候によるキャンセルは返金されるとの事でわざわざ現金書留で返金された。 有り難い。
2023.06.20
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小松製作所C-2の見学も可能だったが長蛇の列だったので周囲から見るだけとした。さて、ブルーインパルスまで1時間以上あるが、天気予報ではそろそろ雨が降り始めそうなので、今回は残念ながらパスして帰還する事とした。謎の土嚢があった。ひょっとして訓練用陣地?帰る途中に過去の自衛隊機展示を見ることとした。
2023.06.19
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T-7初等練習機何となくこの飛行機なら無免許でも操縦できそうな気がする・・・・・・甘いか?UH-60Jといえば、確か宮古島付近で墜落したあのヘリコプター?U-125Aもオープニングでデモ飛行していた。CH-47チヌークも古くからあるヘリコプターですね。確か初飛行は1961年。よくベトナム戦争で飛んでいましたね。陸上自衛隊も出品。因みに、FH-70は展示のみで砲撃シーンは見られなかった。本日の主役は航空自衛隊なので、まあしょうがないか。FH-70は、結構迫力あるので、参考写真を以下に示す。
2023.06.18
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C-2が編隊飛行とは、なかなか壮観。C-2と編隊飛行する鳥・・・・・落下傘降下の際のBGMは「空の神兵」青空ではありませんが・・・・物資投下
2023.06.16
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今回は、天候不順でブルーインパルスのデモ飛行前に帰還した。E-2D(?)は艦載機だと良く分かる。プロペラが8枚。最初は4枚の二重反転式かと思った。妖怪?何か良く分からないが陸上自衛隊の方々が来ていた。C-2の華麗な飛行。もうすこし日の丸を大きくした方が良いのでは?あと、前翼の前縁に黄色の識別標識と、機体色も暗緑色の方が似合いそうな・・・・。
2023.06.15
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さて、いよいよ5月28日の美保基地航空祭当日。朝の天気予報を見て暗澹とした気分に陥った。28日午後から雨、降雨確率50%。29日は大雨、降雨確率100%。困った。2泊の予定だったが、急遽1泊をキャンセルして航空祭視察後に、直ちに帰還する事とした。そこで、直ちにテントを撤収し、バイクに搭載。おかげで出発は予定より1時間遅くなって、0740となってしまった。キャンプ場から美保基地まで約50キロあるので、0900のオープンに間にあうか?と焦ったが、渋滞は予想以上で、到着は1000近くなってしまった。既に数百台のバイクが駐車していた。後からも続々到着して駐輪場はみるみるうちに満車状態。駐輪場は草地なのでスタンドの敷板が必須。立ちごけしたバイクがある。入場者検査場で順番待ちしている内に、オープニングフライトのF-2がデモ飛行開始。あわててSONY α6000に望遠レンズを装着して対空射撃モトイ撮影開始。しかし、F-2は数回旋回して飛び去ってしまった。完全に出遅れた。滑走路近くの見学場所に到着した頃には、既にラペリング(懸垂降下)が開始されていた。政府専用機を初めて見た。雲が次第に濃くなって、時々小雨がぱらつき始めた。
2023.06.14
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引き続いて、地下兵舎壕へ。兵舎壕は湿度が高く居住性は悪かったそうで、その後、地上の建物に変わったそうだ。鶴嘴の跡が残っている。妙な写真が撮れた。このチェーンの奥は未調査区域とかで、立入禁止。心霊写真?この人吉海軍基地も大東亜戦争末期には数回の空襲を受けて、死傷者が発生した。地下兵舎壕前には50m程の場所に民家が数戸あるが、大東亜戦争時と殆ど変わっていないとの事だった。空襲の際、これらの民家もとばっちりを受けて中には一家4名が亡くなった不幸な事例もあったそうだ。次は地下作戦室・無線室へ。ここは地下兵舎壕から100m程離れた、更に分かり難い場所にある。表側は手掘りの普通の坑道だが奥はコンクリートで成型されている。左右の丸穴はディーゼル発電機用の換気口で、中央の四角の穴は通信機のケーブル用。奥の台座の上にディーゼル発電機が設置されていた。ゲジゲジもあちこちに居た。コウモリも居る。ところで、作戦指令室や無線室壕は現在も学術調査中とかで、正面奥の左側にあった地上への連絡通路から流れ込んだ土砂類を除去しつつ調査も行っているとの事だった。発掘作業中の地上への通路。真上に後述のもみ殻山付近への出入口がある。ここまでで見学ツアーは終了。地上に出て、資料館方向に戻る。こちらは監視哨があった場所だそうだが、土質が脆く、絶えず落盤するので危険。未調査だそうだ。因みに、資料館近くのもみ殻の山の向う側に、作戦室への出入り口がある。
2022.12.20
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さて、地下基地内部に進入。内部は煌々と照明が設置されている訳ではなく、最小限の照明があるのみで薄暗い。拙者は、ヘッドランプを持参したが、暗い場所が苦手な人は懐中電灯を持参する事をお勧めする。基本的に鶴嘴による手掘りの坑道だが、魚雷調整場のみコンクリートとされている。但し、昭和19年には、鉄筋用の鉄は既に入手困難だったので、鉄筋コンクリートではなく、木材を使用した木筋コンクリートらしい。天井には魚雷を吊るすホイストがあったらしい。取り付け用のボルトが残っている。因みに照明は、よく見ると白熱球のようなLED電球らしい。なかなか雰囲気が良い。九一式航空魚雷。 但し、これもレプリカ。二重反転プロペラのスクリューが見える。木製の板材は確か安定板で、落下した際に脱落するが、魚雷が深く沈み難くする効果があると聞いている。これがあるので、真珠湾のような水深が浅い海でも航空魚雷が使用可能となったとの事だ。これらの坑道は綺麗に整備されているが、以前は酷かったとの事だった。近隣の住人がゴミ捨て場や倉庫として利用していて、整備に際して大型トラック10台分のゴミ等を搬出したそうだ。又、無数のコウモリやゲジゲジ、それに蛇まで居たそうだ。確かに、今でもコウモリやゲジゲジは居るには居るが、ずっと少なくなったようだ。見学ツアーの注意事項としても、「虫やコウモリが居るので注意」とされている。さて、入館料800円でのガイド付き見学ツアーはここまで。拙者は既にオプションの通信室や兵舎等のガイド付き見学ツアーを申し込んでいたが、案内の人が、「それではここで終了しますが、もしオプションの見学ツアーを希望される場合は、後払いでも構いませんが、どうされますか?」と拙者以外の5名に聞いた。すると、全員一致でオプション見学ツアーを申し込んだ。そこで、引き続き地下兵舎壕及び地下作戦室・無線室へ。
2022.12.19
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展示施設横に小さな展望台があって、ここから滑走路跡が見渡せる。左が展示施設。 右奥に向けて幅50m、全長1500mの滑走路があった。滑走路はコンクリート舗装されていたそうだ。因みに、有蓋掩体壕は無く、無蓋掩体壕と格納庫に終戦時に合計100機近くが残存していたそうだ。但し、九三式中間練習機や九六式艦上戦闘機が大半だったそうである。長さ1500mのコンクリート滑走路と言えば、大社基地が思い出される。そこで、参考までに大社基地のコンクリート滑走路を示す。これは2013年に訪問した際の大社基地の1700m滑走路。当時、コンクリート舗装がそのまま残っていた。ここを陸上攻撃機銀河が誉エンジンを轟かせて離陸していった。人吉海軍基地滑走路も、これと同じだったのであろう。この大社基地滑走路、その後、開発の為に破壊されてしまったらしい。さて、6名がガイドに従って徒歩で魚雷調整室のある坑道へ。魚雷調整室のある坑道近くの木上加茂神社。奥の本尊の屋根が二重になっているのが珍しいとの事だった。展示施設から階段を数分降りた場所に地下施設がある。ここは、近年まで、単なる防空壕と思われていたらしい。10数年前、ある郷土史研究家が米軍による日本軍軍事施設調査報告書が公開された際に、ここが防空壕ではなく、航空基地の地下施設であった事を発見し、それで、改めて学術調査などが行われ、地下基地の全貌が明らかとなったらしい。構造は表側の大きな出入口が3カ所あって、奥が繋がっている。
2022.12.18
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2日目は、朝からひみつ基地ミュージアムへ。0900開場だったが、朝飯をゆっくり食べて0930到着。ミュージアム付近は朝霧に沈んでいた。 まさに五里霧中、暗中模索状態。 ナビを頼りに何とか到着。間もなく霧も晴れて青空が広がった。入場料800円。 これで展示施設見学と、地下工場の魚雷調整室等のガイド付き見学ができる。更に追加料金500円を払えば、通信室や兵舎等のガイド付き見学も可能。無論、拙者は初めからフルコースを注文。魚雷調整室の見学は1030からなので、それまでは展示物を見学。九三式中間練習機のレプリカ。なかなか良くできている。九三式中間練習機は通称「赤トンボ」と呼ばれた機体で、主に操縦等の練習用。構造は鋼管又は木製骨組に羽布張りで、大東亜戦争末期には特攻機にも使用されたそうだ。構造が全金属製ではないので、レーダーに映り難く、ある程度のステルス性もあったそうだ。従って、低速にも拘らず、意外に戦果も上がったそうだ。操縦席もなかなか良くできている。他の展示物は写真撮影禁止。哀しい展示物があった。零式戦闘機52型丙のバラバラになったパーツ。空襲の際に11機のP-51を、僅か1機の零戦が迎撃し、撃墜された際の破片。墜落直後に現場にいった女性の話が出ていたが、バラバラとなった機体の破片の中に血まみれの片足が転がっていたそうだ。相手がP-51だと、1対1でも難しい相手なのに、11対1では絶望的な状況。それでも迎撃に向かった状況は、特攻隊と同じだっただろう。さて1030となったので艦内、モトイ、館内に見学ツアー開始のお知らせが放送された。1030のツアーは、拙者の他はカップル1組、迷彩服を着た3名組の合計6名でスタート。この時点で他の方々は魚雷調整室の見学のみで、フルコースは拙者1名のみであった。先ずは、徒歩で魚雷調整室へ。
2022.12.17
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拙者が愛読している雑誌に「歴史群像」がある。ふと裏表紙を見ると、「山の中の海軍の町にしき ひみつ基地ミュージアム」の宣伝があった。調べて見ると、熊本県球磨郡錦町に、大東亜戦争末期の昭和19年に建設された帝国海軍の航空基地があって、最近、この付属設備や地下壕等が整備されて、一般公開されているとの事だった。迂闊にも、拙者は人吉市にこのようなっ戦跡があるとは知らなかった。ここならもう1泊追加すれば、10月の長崎県の針尾送信所跡視察の際に行けたかもしれなかった。人吉町は広島からだと高速道路を使用しても471km、7時間近くかかるが、これは偵察に行く必要がある。九三式中間練習機の実物大レプリカもあって、地下壕内も見学ツアーで見て廻る事が可能だそうだ。そこで、12月11~12日に予定していた松江・鳥取のクルマ旅を変更し、ここに行く事に決定。予定では12月11日の朝出発し、同日夕刻に到着、熊本の温泉を堪能して道の駅で車中泊。2日目は、朝からひみつ基地ミュージアムや地下壕などをじっくり見学、ゆっくり帰り道を辿って、どこか途中で車中泊。帰りに太刀洗平和記念館に立ち寄って、最近展示品に加わったという震電の実物大レプリカを視察するのも良いかもしれない。3日目の13日夕刻までに広島帰着。
2022.11.30
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次は雲仙岳災害記念館「がまだすドーム」へ。その前に、隣接する雲仙普賢岳従事装備展示物を視察。この60式装甲車は、現在では全車退役しているそうだが、火砕流発生当時、命がけで生存者の救出に向かったと聞いている。確かに通常の乗用車等に比較すれば、薄いとはいえ、装甲板もあるので、遥かに耐久性はあるとは思う。しかし、火砕流に遭遇した乗用車は原型を留めない程グシャグシャになっていたので、火砕流に巻き込まれれば無傷では済まなかっただろう。CH-47チヌーク。拙者のカミサンは公務で乗せてもらったことがあるが、広々として乗り心地が良かったそうだ。空気圧が不足がまだすドームへ。報道陣が使用していたカメラ類があった。金属製フレームにプラスチック板が貼ってあったそうだが、プラスチック部分が溶けて垂れ下がってしまった。原爆資料館にある展示品と同じ感じ。じょうろ。これは拙者の家にあるじょうろと同じタイプなので、自宅が被災したような気になった。青い坂本龍馬像。
2022.10.18
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この天井走行型クレーンは、手動式。大正10年5月製造の3トン型? このあたりには竣工当時は高周波発電機が設置されてたそうだ。 確か大正時代の遠距離通信は長波が主流だと聞いた事がある。 長波は30~300kHz、波長は1~10キロメートル! その為に波長に合わせた極端に長いアンテナが必要だったが、使用される電力も半端ではなく、専用の高周波発電機で発電した電力を使用していたそうだ。 大東亜戦争開戦の頃は、既に長波から中波や短波に移行しつつあったので、既に旧式化しつつあったようだ。 実際、高周波発電機は開戦後まもなく1942年には撤去されている。この危険物表示は現在の表示板。こちらはちょっと古そう。変電設備横の操作室?か何か。 崩壊している。
2022.10.13
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新旧の西海橋の後は、近くの針尾送信所へ。 ここは旧日本海軍が1922年に建造した電波塔で、3本の鉄筋コンクリート製無線塔及び周辺施設で構成されている。 重要文化財だそうだ。 針尾送信所の電波塔は、1号塔、2号塔が高さ135メートル、3号塔が137メートル。 基部の直径は約12メートル、厚さは76センチメートル。 3本の塔の配置は300メートル間隔の正三角形とされている。 現在、3本の電波塔の内、内部まで見学可能なのは3号塔だけで、1号塔は外部のみ、2号塔は遠方から見るだけとされている。0930頃訪れた際には、拙者以外の見学者は居なかった。先ずは後方に見える3号塔近くの受け付けへ。高さ137メートルは近くで見ると迫力がある。なお、フェンスすぐ横にあるのは、元の兵舎や管理棟の跡。先ずは見学者受付へ。ここは正式な公園や資料館等ではなく、民間の団体がボランティアで運営していて、高齢の女性2名が受付に居て、簡単な説明をしてもらえる。入場料は不要だが、募金の形で協力金を支払うシステムとなっている。見学可能時間は0900~1200と1300~1600とされている。 大東亜戦争開戦時に「ニイタカヤマノボレ一二〇八」を送信したと言われていたが、事実は別の送信所からだったらしい。 電波塔と周辺施設は、戦後は米軍、次いで海上保安庁と防衛省が使用していたが、現在は電波塔としての機能は隣接する小型の鉄塔に引き継がれているそうだ。受付横の石造小屋は油庫。門柱 説明文は無かったが、どうもこれは港から電波塔まで敷設されていた線路用のトロッコの残骸らしい。 次ぐ近くの港から線路が敷設されていて、トロッコは坂部分だけは巻き上げ機で引き揚げて、その他の部分は人力で押していたそうだ。坂道を少し登った先にある3号塔へ。下から見ると、迫力がある。100年前の施工とは思えない程状態が良い。クラックやジャンカも殆ど無い。この傷は米軍の機銃掃射の跡らしい。内部へ。巻き上げ機このウェイトはケーブルのテンション用らしい。内部はこのようになっていて、梯子で昇る。所々に見える穴は窓だが、ガラスなどは無いので、鳩が出入りしていた。窓が見える。一見して、よくある休憩所の東屋に見えるが、これも当時の軍用施設の一部で、見張所。これは当時使用されていた軍用の蓄電池で、98式軍用蓄電池、松下製。これを数百個並べて使用していたそうだ・・・・・・・・というのは嘘で、単なる不法投棄のゴミ(笑)引き戸のレール跡らしい。兵舎や管理棟はL字型に建てられていて、戦後に火災で焼失。なお敷地内にはテニスコートまであったそうだ。
2022.10.11
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築100年の石造建築。但し、屋根は抜け落ちていたものを、最近架設した模様。何に使用しようとしたのか、窓やドアを付けて、照明まである。但し、電気は元から切られているようで、スイッチを入れても点灯せず。広島市が見えるこの通路は塹壕として斜面を登って来る敵兵を迎え撃つ場所と聞いた事がある。
2020.10.31
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地下壕内部は、煉瓦積の上に漆喰で塗り固められているが、地下水の漏出も無く、乾燥している。明治時代の職人芸。2門1組の砲座が3~4組ある。砲座近くの壁にも穴がある。これも伝声管か?これはトイレ跡か?左が小で右が個室?
2020.10.30
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石はキッチリと積んであって、僅か2年間で建設されたとは思えない程の出来栄え。保存状態は極めて良好。 掃除して建具を元通りに設置すれば、すぐに使用できそうな感じ。地下壕内の天井付近に穴がある。地上に通じている。通気口か?それとも伝声管か?
2020.10.29
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砲台山とは、広島県江田島市にある山の名称で、別名「三高山」とも称されるそうだ。標高401.8m。山頂付近に大日本帝国陸軍の砲台跡がある。三高山堡塁。1901年の竣工後、1回も実戦で発砲されることなく1926年には廃止されて、大東亜戦争の頃には探照灯や通信関係の施設としては利用されたものの、砲台としては使われた事は無かったそうだ。数年前にも行ったが、久しぶりに再訪した。280粍榴弾砲は2門1組で堡塁内に設置されていたそうだ。砲身長が短いので、臼砲のようですね。そういえば、この大砲は、日露戦争の際に旅順の203高地攻略に使用された大砲と同型ではないのか?僅か2年間で完成したそうだが、石積が美しい。地下の掩蔽壕内は煉瓦が漆喰で塗り固められていて、乾燥してなかなか快適そうに見える。隣接する掩蔽壕との間には通路もある。
2020.10.28
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北九州市若松区の通称「軍艦防波堤」に行った。ここには、大日本帝国海軍の駆逐艦柳、涼月、冬月が眠っている。拙者は、その昔、若松市(当時)に生まれたが、小学生の頃、「軍艦防波堤というモノがある」と聞いた事があった。一度、行ってみたいと思っていたが、あれから半世紀が過ぎてしまった。かつて大日本帝国海軍には駆逐艦柳という艦があった。駆逐艦柳といえば、大東亜戦争末期の松型駆逐艦(1262トン)か?と思われたが、これは初代の桃型駆逐艦(755トン)海防艦並みに小さい。第一次大戦では、地中海方面に派遣されて海上護衛に活躍したそうだが、大東亜戦争前には既に除籍されていて、戦後、涼月や冬月と共にここに永遠に眠っている。因みに、駆逐艦涼月及び駆逐艦冬月はいずれも秋月型防空駆逐艦で、戦艦大和と共に坊ノ岬沖海戦で死闘を演じて辛くも生還した経歴がある。最大幅7.62m。かなり細かく水密区画が設けられているようだ。それにしても1区画が狭いですね。このすぐ先に涼月、向う側に冬月が並んで埋まっているそうだ。残念な事に、柳と違って痕跡は全くない。しかし、グーグルの衛星写真で見てみると、このあたりの地形が何となく涼月を思わせるような形に見えるような気がする。
2020.10.25
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こんばんわイヌビワです。昨日の続き。2階から見ると零戦32型の翼の特徴が良く分かる。ところで、97式戦闘機については写真撮影禁止とかで写真は無い。平和記念館の視察終了。引き続いて、直ぐ近くの太刀洗駅横の太刀洗レトロステーションへ。平和記念館の入場料は600円だが、200円追加すると、この太刀洗レトロステーションも見学可能。何故か屋上にT-33が展示されている。T-33といえば、確か米国初のジェット戦闘機P-80「シューティングスター」の複座練習機。かなり怪しい階段を昇るとT-33を間近で見られる。
2019.11.24
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太刀洗平和記念館。元は私設資料館だったそうだ。零戦32型確かに翼端が切り落とされているような感じ。20粍機関砲こちらの計器盤はレプリカらしい。機体に装着された計器盤はかなりボロボロ沈頭鋲では無い。
2019.11.23
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穹窖砲台は灯台直下に2ヶ所あるが、こちらはアクセス不能。畜養池施設近くの2ヶ所は整備されて公開中。真新しいコンクリートで整備された穹窖砲台入口新しいトンネルとなっている。途中で二股に分かれている。左の穹窖砲台には12センチ榴弾砲のレプリカが設置されていた。丸太とコンクリートで強化されていた。茶色は当時の迷彩。コンクリート表面もウロコ模様の凹凸でカムフラージュされていた。ここから迫り来る敵艦を迎え撃つ予定だったのか?しかし、それにしても、最大射程5680mの12センチ榴弾砲4門だけでは、ちょっと心もとない気がするが・・・・・・。12センチ砲4門は、帝国海軍の陽炎型駆逐艦の主砲数より少ない。コンクリートも相当なじゃんか状態。竣工が昭和20年なので、切羽詰まっていたのか?
2017.11.17
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残念ながら灯台内部には入れない。帰路は、穹窖砲台を探索。30年前に来た際には、立入禁止だったが、畜養池施設が7年前に廃止されて、周辺が観光地として整備され、穹窖砲台に行けるようになっていた。畜養池施設跡何か意味がありそうな機械の残骸昭和20年6月、穹窖砲台工事中に発生した爆発事故の慰霊碑。3名が亡くなったそうだ。
2017.11.16
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灯台に至る途中に探照灯の格納庫跡があった。 こちらは大型探照灯用。こちらは小型探照灯用。当時の迷彩色が残っている。山頂周囲に遊歩道のような舗装路が作られているが、ここを移動式探照灯を動かしたそうだ。展望台から近くの灯台が見える。灯台真上の遠方に、かすかに煙突が見えるが、これは佐賀関。潮流はかなり速そう。いよいよ灯台近くに行きます。
2017.11.15
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吉香公園近くの徴古館へ、いきなり昭和20年に移動。徴古館は1945年(昭和20年)竣工の博物館。 旧目加田家住宅より徒歩数分。入場無料。古い錦帯橋の欄干岩国基地の歴史に関する展示中。この建物が完成したのは大東亜戦争末期の昭和20年。鉄不足により竹を使用した竹筋コンクリート構造と言われているが、未確認だそうだ。階段の構造が面白い。B29に使用されていた送信機、下記の一式空三號隊内無線電話機改一に比較すると大型。こちらは帝国海軍の二式大艇に使用されていた通信機。B29の通信機より小型。水晶発振器使用。 一式空三號隊内無線電話機改一、昭和19年製造受信部は、一応、IFTが2個見えるのでシングルスーパーのように見える。
2017.11.05
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よく潜水艦の映画では方々から浸水してバルブを回して浸水を止めるシーンがあるが、バルブが多い。1層下の階は立入禁止だが一部見える。潜望鏡は昼間用と夜間用がある。これは資料館に展示されている帝国海軍潜水艦イ400の双眼鏡。
2017.08.12
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厨房も狭い士官食堂。中央のテーブルは負傷者の手術台兼用。
2017.08.11
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本物のスクリューは軍事技術なので偽物を装着。まず資料館。 3段ベッドは高さが50センチ程度。説明員の話によれば、潜水艦乗員の食費は他の自衛隊員より高いらしい。トイレやシャワーもあるが、狭そうに見える。
2017.08.10
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入って右横の部屋。コンクリートの土台の上には発電機が設置されていたらしい。ドアのハンドル部分地下通路は一部しか解明されていないが、この付近一帯に網の目のように張り巡らされているらしい。折角、呉まで来たので、ちょっと大和ミュージアム・てつのくじら館へ。
2017.08.09
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出入り口入って右は2階への階段左は小部屋因みに、この地下作戦室は戦後、倉庫として近年まで使用されていたらしい。内部は体育館の様に広い。錆ついて開かずの扉と化したドア。ここから地上の鎮守府庁舎に通じる通路があるらしい。あいにく公開エリアは入り口から数メートル程度まで。
2017.08.08
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上に見えるのが毎週日曜日に一般公開される旧鎮守府庁舎コンクリート型枠の跡が荒々しく残る外観を予想していたが、意外に丁寧に作られていた。
2017.08.07
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7月29日は呉市の呉地方総監部にて一般公開された地下作戦室へ。近くの旧下士官集会所。話によれば取り壊しの危機にあるらしい。呉サマーフェスタの行事の一つとしての一般公開。地下作戦室外観。半地下式。天井は厚さ1.2mの鉄筋コンクリート製。出入り口は爆風除けの構造。窓は小さな換気口程度。しかも装甲板付き。炎天下を待つこと10数分。ようやく内部に突入。
2017.08.06
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もう一度ラストフライトを行って終了。最後は消防車が放水のアーチ。1430には全てのイベントが終了。本日の宿泊場所は昨夜と同じ十神山なぎさ公園。テントや装備はそのまま残してきたのでラクチン。しかし、帰りの道路の渋滞が半端ではなかった。キャンプ場に到着したのは1700。
2017.06.18
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